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【西洋陶器を求めて】
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alisa. @ Re:岡崎市 享禄山 見徳寺の観音様(推定 高見彰七 作) その1(06/01) New! 観音様のいる場所にはパワーを感じますね …
ロゼff @ Re:岡崎市 享禄山 見徳寺の観音様(推定 高見彰七 作) その1(06/01) New! こんばんは 今日から六月。 今月もどうぞ…

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2017.02.11
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カテゴリ: ***** 伝記 *****


広重の父親は、八重洲河岸の火消し同心でした。
広重も13歳で、家督を継いで火消し同心となりました。

しかし翌年、不幸にも広重の両親は相次いで亡くなりました。
広重はまだ、14歳でした。

その翌年、広重は15歳で歌川豊広に入門します。
本当は歌川豊国に入門したかったのですが、断られたためです。

入門後1年で、才能ある広重は歌川広重の画名を授かりました。
それでも広重は火消し同心を続けました。

真面目に同心として働き続け、23年目。
ようやく広重は、画業に専念することになります。
息子の仲次郎に火消し同心を継がせたからです。

広重は画号を一幽斎から、一立斎に変えました。
画業のみで生計を立てるという決意が、画号にも表れています。
そして、その翌年に描かれたのが傑作「東海道五十三次」です。

広重が火消し同心を続けた理由はわかりません。
ただ、広重の第2の人生の選択がなければ、傑作は生まれませんでした。
一方で、火消し同心を続ければ、安定した生活は保障されたことでしょう。

広重が、画業に専念して26年。
61歳で広重は、多くの傑作を残して亡くなります。
死因はコレラでした。

人生の選択肢、そのどれが正解かは、誰にも知ることはできません。





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Last updated  2017.02.11 21:24:05
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