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今年の7月場所(名古屋場所)からIGアリーナ(愛知国際アリーナ)で開かれている大相撲もいよいよ今日明日の二日を残すのみとなった。今場所は「豊昇龍」と「大の里」の両横綱が不振の中、負傷してカド番に立たされた「安青錦」や若い関取たちの活躍により異様なほども盛り上がりを見せている。その中で先ほど見たネットニュースによると、14日目の今日から横綱・豊昇龍が休場するとのこと。その為、今日豊昇龍と対戦が組まれていた大関・霧島は不戦勝となり11勝3敗で千秋楽を迎えることが確実となり、どうなっても優勝は明日に持ち越されることになったようだ。 私は以前ブログに書いたように「二子山部屋」の推しであり、18人の全力士を応援している。2024年のこの名古屋場所から書き始めた二子山部屋所属力士の星取表もこの7月場所でちょうど2年目で12枚になった。飽きっぽい私にしては、珍しいことだ。いや、それだけ二子山部屋に入れ込んでいる?!その二子山部屋の力士の活躍がこの場所も凄いものがある。唯一の関取(十両以上)・狼雅は中盤くらいまでは振るわず負けが込んでいたが、13日目を終わって7勝6敗と勝ち越しが見えてきた。あと二日がんばって自己最高位を目指してほしいものだ。 今場所の二子山部屋は力士18人中、7人という凄い数の幕下勢である。その中でも、西幕下3枚目の「生田目」(なばため)の活躍は素晴らしく、番付に載って以来25連勝を続けてきた旭富士を破ったのをはじめ6連勝を続けている。今日は十両の錦木との対戦が組まれているが、これに勝利すれば、7戦全勝で幕下優勝、万が一負けた場合は、これまで幕下で6勝1敗となっている旭富士を始め6人と生田目の7人で巴戦となり、それに勝ったものが優勝となる。 その6勝1敗の6人の中に西幕下36枚の「若雅」と東幕下41枚の「三田」がいるという豪華版である。東幕下14枚の「延原」も4勝3敗と勝ち越し、東幕下39枚の「高原」は3勝3敗で今日勝ち越しをかけて戦う。同じ幕下の「出沼」と「相馬」は負け越してしまったが、来場所を期してがんばって欲しい。 3段目、序2段の力士も勝ち越した力士が多いので、来場所以降が楽しみである。ただ一つ心配なことがある。それは二子山親方(もと大関・雅山)の体調である。毎場所審判員として立ち会っておられたが、今場所途中から「体調不良」ということで休場中ということだ。詳しい情報はないが、早く体調が良くなって、いつもの元気な姿を見たいと願っている。
2026.07.25
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20日は妻の月命日であった。私は月命日には、いつもそうするように納骨度のあるお寺さんに向かった。我が家からは、バスに乗って20分くらいの「都通り」バス停で降りて、そこから私の足では5分もかからない場所にそのお寺さんはある。そこから、更に先に3分くらい歩いたところの目の前に広がるのが鹿児島中央駅である。上の写真は電車通りを挟んで正面から見た映像で、写真には写っていないが、左側の黒い建物に「鹿児島中央駅」の表示がある。その右側の上に観覧車のある建物がアミュプラザ鹿児島である。 中央駅ビルの左側に一際大きく見えるのが「鹿児島中央タワー」である。元々この建物のある場所を含めて以前は商店街であったが、中央駅が出来て新幹線が乗り入れられて、再開発の機運が高まり、大きな変化を遂げてきた。中でもこの「鹿児島中央タワー」は地上24階、地下一階、高さは約100mで鹿児島県庁(約93m)を抜いて県内で最も高い建物となった。総工費は約250億円、1~7階は商業施設、5階は450人収容のホール、8~24階は分譲マンション(210戸)が入る。駅に向かうには、電車軌道を渡らずに階段やエスカレーターでこのビルにも行くことが出来て、更に駅構内にも続いている。エスカレーターの左側にあるのが南国センタービルだ。 今、私が立っているのは先のエスカレーターから渡り廊下を通り、鹿児島中央タワーの中を通って最初の写真にあった黒い駅ビルの手前である。ここからは南国センタービルが良く見える。鹿児島では少し変わった斬新な造りのビルである。このビルの前にはバスの停留所もあって鹿児島中央駅周辺に用事があって自宅に帰る時はいつもここでバスを待って帰る、私にとってはよく利用するバス停である。 上の写真を写した同じ場所から左に目を転じると、右に南国殖産の「鹿児島中央ターミナルビル」を見ることができる。ここの1階には空港のリムジンバスの発着所がある。また博多行など長距離バスの発着所でもある。ビルは地下に「鹿児島屋台村」があり、その他の階はオフィスが多い。7~14階には、「ソラリア西鉄ホテル鹿児島」がある。その左側にあるのがION。ダイエーをIONが再建したものだ。 同じ場所に立ったまま更に左を見ると、アミュの薄い茶色のビルの正面が見える。左の駅ビルと南国関係のビルやIONの間には、バスの停留所やタクシー乗場がある。 私が生まれた場所は、現在「鹿児島中央駅」が「(鹿児島)西駅」とい言われていたここから歩いて5分くらいの場所だった。現在も地名は変わったが本籍もそこにある。 そして、戦後小学校3年の途中、疎開先から鹿児島市に帰ってきて「西駅」から歩いて15分くらいのところに住んでいて、その頃から「西駅」は身近な場所であった。その頃の「西駅」を知る自分としては、信じられない変貌を見る今日この頃である。
2026.07.22
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先日、友人から「お中元」が届いた。男所帯には大変嬉しい願ったり叶ったりの心のこもった贈り物だった。友人にはすぐお礼の電話をして、「ありがとう」の気持ちを伝えた。 私も、何かしら贈ろうと思い立ち、昨日久しぶりにYデパートに出かけた。Yデパートには月額何某かの積み立てをしている「友の会」員でもあり、カードも持っている。行く前に、パソコンでYデパートの「お中元」のページを開き、商品を見たりしていたら、目についたのがデパートまで行かなくてもカードがあれば、そこから先方に送ることができるとのことがわかった。まあ、この時代、今やそれは常識でもあるのだが、Yデパートもしかりなのだと思い、そうしようと品物を選んで「カゴ」に入れて次に進むと「ログオンID」を入力せよと機械がのたまう。はて? 登録した時どのようにしたのか覚えがない。そこで当時の手帳をひっくり返したり、ここぞというものを出して調べたが、跡かたが何も見つからない。 そういう経緯があって、昨日出かけたのだった。私が「お中元」コーナーのある2号館の6階に着いて、たくさん展示されている商品の中から贈るものを決めて商品カードを手にしていると案内の人から順番待ちのカードを手に取るように言われて手にし、次にどうすればいいかと迷っていると待合の椅子に案内された。時に10時45分頃だった。私の番号は61番だった。何番くらいの人が手続き中なのだろうと思っていると、マイクが45番の方と呼び出した。デパートもたくさんの要員でさばいているので、そう時間はかからないなと思いホッとする。椅子に座って次々に訪れる人を見ていると、圧倒的に年配の女性が多い。ご夫婦と思われる方も何組か。私みたいな男一人というのは一人だけ見かけた。私も昔はこういう場所に立ちったこともなかったし、考えもしなかった場所である。まあこれもいい経験だと思いながら待っていると15分くらい経過した頃、呼ばれて、手続きは5~6分くらいで終了した。 思えば、お中元・お歳暮もその昔は、6人兄弟でやり取りをし、その他にもたくさんの付き合いがあって相当数の動きがあったが、同居していた私の母が亡くなり、兄弟でのやり取りは止めようと私から兄弟に提案し、そうなったし、私と妻の叔父・叔母との関係も次々亡くなったりでどんどん少なくなっていった。 帰りには、デパート近くのパン屋さんで、昼ごはんに美味しいパンをたくさん買って帰り、食べ過ぎた。
2026.07.18
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我が家は鹿児島にケーブルテレビの会社がしん進出してきて以来、その会社とテレビ・電話・パソコンの3点セットで契約をしてきた。いつ頃のことだったかはっきりした記憶はないが、いろいろな情報を調べると2003年頃鹿児島に進出してきたようなので、物好きな私は、すぐに契約した覚えがあるので。それらを総合的に考えると契約から20年は経過していると思う。 その会社の方が2ヶ月くらい前だったか、訪ねてこられて、今回ケーブルから「光」に切り替えるという話があった。これまでも全然問題はなく、全てが順調に進んでいたので信頼しており、それを受け入れた。2回目に訪ねてこられて工事日は7月13日(月)と決まった。その時の話では、午前中に屋外工事、午後に室内工事(テレビは2台)ということで話は決まった。 昨日7月13日、午前9時ピンポーンが鳴り、技術者2人が玄関に立っておられた。そのまま一人は屋外での工事、もう一人はすぐに室内へ。私はテレビも、パソコンも工事中の為使えないので、本を読んだり、スマホを見たり、室内の工事もチラチラ見ながら工事終了まで時間を潰した。その間、機械の端々に蹟年のホコリが積もっていたりしたので、掃除機を持ってきたり、濡れペーパーを用意したりで工事を見守る時間が多くなった。 写真にある居間のテレビ、パソコン、電話の付け替えは順調に進み終わる頃には屋外工事も終わって、もう一人の技術者も室内に入って見えた。そして息子の2階の部屋のテレビも無事工事終了。再び一階の居間に戻り、簡単な取り扱いの説明を受けて、無事終了。時に正午過ぎで予定の半分の時間で終了した。めでたしめでたし、めでたし。 ところが、午後になって、BS1で大相撲中継を見ようとテレビをつけると、画面の左下に画面を大きく遮る形で「NHKからのお願い」が入っている。ケーブルから光に切り替えたことで、新規のモノと察知してのことのようで、要は料金を支払っているかの確認をするためのモノのようだ。この大きな文字画面を消去するには、パソコンなどを使って連絡するか、または指定の電話番号に電話して話をしなくてはならないようで、ちょっと面倒なことになった。私は、0120で始まる電話番号に電話をする方を選び電話した。「大変混みあっています」ということで、6分くらい待った。電話がつながると、画面に書いてあった「番号」を読み、その後、郵便番号、住所、氏名を聞かれて伝えるとNHK料金納入が確認されたようで無罪放免となり、画面が消えた。2階のテレビにも同じことが表示されていたのでえ、こちらも番号を言って、余計な画面を消すことができた。
2026.07.14
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時期は少し遡るが、今日から3ヶ月前の4月11日(土)から私としては、久しぶりで、しかも少し長めの4泊5日の旅に出発した。その日、4月11日は昔の職場で働いた九州にゆかりの人間でつくる「緑親会」が博多で開催されたのだ。私の職場は全国に支店や販社を持つグループ企業だったので、私は途中で本体を退職し、地元に帰って直系販社で約25年働いた。それでも本体である親会社とは縁の切れることはなく、博多にあった九州支社の営業会議に新幹線のない時代に飛行機で毎月通った。そういう縁で九州で働いた人間とは同志的なつながりもあり、深い人間関係が出来ていた。退職後も、連絡とり合って九州各地を旅行したり、毎年一回は今回のように博多で日帰りの懇親会が開催されている。しかし、正直に白状するとそれらへの私の出席はそれほど芳しいものではなかった。そういうこともあって、昨年くらいから幹事から猛烈な誘いがあり、元気なうちに今年こそ行こうかと神輿を上げたのだった。というのも現役当時、お互いに各販社の実情を話し合ったり、親会社の方針を聞いたりして、切磋琢磨した九州各地の責任者が、先輩方はもちろん私より若い責任者も大方が旅立ってしまうという現状がある。これまでも時々参加すると同じ時期に働いたが、私より若い層が中心であった。 そこで私は、博多に行くのを機会に、昔住んでいて行ったことのある山口県の各地に足を延ばそうと考えた。そのことをいつもの高校の友人たちに話をしたところ、友人夫妻一組と、いつもの旅仲であるKくんが一緒に行くことになり、四人のグループが出来上がった。当日は4人で鹿児島中央駅より新幹線で7時過ぎの出発。私以外の3人は博多駅から在来線に乗って、宗像大社を目指して行った。私は博多駅周辺をぶらぶらした後、会のある居酒屋に向かった。集まったのは20数人。予想通り私が最年長である。次は81歳で70代がほとんどであった。来年の再会を約束して、お開きとなり、私は友人たちとの待ち合わせ場所だった北九州に向かった。 明けて12日(日)下関より観光列車(特別列車)「〇〇のはなし」に乗り東萩駅に向かう。変わったネーミングのこの列車は萩(は)、長門(な)、下関(し)の地名からそれぞれとってあるという。もちろん予約制で私たちはネットで早々に日本海側の席を押さえておいたので、余裕をもって行くことが出来た。 車中からの眺めも素晴らしく、うつりゆく日本海に浮かぶ島々などの展望を満喫した。 2,3の駅では、多めの時間停車して、お土産や飲み物を売る売店なども設置されており、楽しむ仕掛けもあった。その他、社内販売の他、弁当も予約すれば買うことができるなど、さまざまに楽しむことが出来るようになっていた。 途中ではクイズもあり、当てた人には景品もあるとのことで、盛り上がった。私は、外れてしまったが、外した人も含めて全員に「〇〇のはなし」入りの”ぐい飲み”状の萩焼が配られた。 12日は萩、13日は島根県の津和野、14日は山口市経由で下関に泊まり、15日に再び新幹線で帰鹿した。
2026.07.10
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歌を忘れたカナリアじゃあないのだが、近年の白内障による見えにくさや、読書意欲の衰えで、あれほど好きだった読書の楽しみを忘れてしまっている私である。一番の敵は自分の中にあるのは、私が一番わかっているのだ。サボり心を振り切る意欲を出せば、簡単に解決することである。 そういう中で、ベッドの頭の先にに積んである妻が残した中の100冊余りの本はいつも気になり、たまに手に取って読んでいた。本の傾向としては、日本の歴史小説、中国の歴史小説などが多く、その他、音楽関係やエッセイなどがある。 一方の私はブログに薩摩島津氏、西郷隆盛関係の事を中心に書いてきたように、それらに関するものが多い。この15年くらいは、読む本もそれらに関するものがほとんどだった。いや、他の本には目移りがしないくらい集中してそれらを読んできた。しかしそれすら読まなくなったのが最近の状況だった。 私が薩摩の歴史に集中していた頃、妻いがつも言っていた。「身近な薩摩の歴史を調べていると、いつかそこから、日本の歴史から中国の歴史、更には世界の歴史を見ようという方向にいくのではないの?」ということだった。当時薩摩の歴史一辺倒だった私は、そうなるような予感はあった。 ある日、その枕元の本の中に「勝者と敗者」ー時代小説大全集2- 新潮社 という本があるのを見つけた。平成元年九月二十五日発行の文庫本である。おそらく第一刷だろう。目次を見るとこの私でさえ読んだこと、又は名前は知っている日本の有名な時代小説作家が名を連ねている。 安倍龍太郎、安西篤子、伊藤桂一、小松重雄、早乙女貢、笹沢左保、澤田ふじ子、白石一郎、新宮正春、綱淵謙錠、南條範夫、南原幹雄、早坂暁、 森村誠一、若城希伊子 の皆さん錚々たるメンバーである。 私は毎日一、二編づつ読もうと思い2,3日前から読み始めた。歴史的な有名な話や、時代に隠された話が作家によって掘り出されていて、興味が尽きない。こえまで読んだ中では、小松重雄 信長、菓子に食われる●びすかうと 笹沢佐保 切支丹禁制内幕事情●陰謀の二つが面白かった。二つの小説を切り口にして、それぞれ 織田信長と、その妹・お市やその娘たちを通じてその時代を知る歴史を調べてみたい。もう一つは島原のキリシタン大名・有馬晴信を中心とする当時のキリスト教にも興味を持ったので、調べてみたい。 その合間にに手に取ったのが「鹿児島県の歴史散歩」である。この本は、以前にも紹介したと思うが、鹿児島県高等学校歴部会の先生方が執筆されたもので、私が歴史散歩をするときの大きな参考書でもある。地図入りで距離、時間なども記入されており、鹿児島県の主な寺社仏閣、史跡、郷土芸能などが書かれている。今回詳細に読み返してみると、薩摩半島の史跡などはほとんど踏破したと思っていた私だったが、近くまで行っても、未だに行っていなかった、見ていなかったものが山のように出てきた。車の免許返上もしているし、健康寿命のことも考え合わせれば、何処まで行けるかわからないが、あきらめずに少しづつ行ってみようと思う。 上の写真は、我が家の雑草園の鹿子百合である。他にも数株が蕾をつけているので、楽しみである。
2026.07.08
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世間では「年齢の事は忘れろ! 今日が一番若い日だ! そういう気持ちで生きなさい」とよく言われる。ある意味で納得のいく励ましの言葉である。私も、齢86歳になっているので、そこまで言い切ることはできないが、そういう風にこれまでも生きてきたつもりだし、これからもそのように生きていこうとは思っている。 しかし、この2年ほどは、命に関わるほどではないが、病気自慢をしたくなるほどいろいろなことが続いている。 1週間前には、帯状疱疹に罹患し、医者に処方していただいた3種類の薬を服用し、4日経過して更に診察を受けて同じ薬を更に3日間服用し、今日で、り罹患してから1週間経過。午前中に診察をしてもらって、今度は薬が変わり、それを1週間服用することになった。ただ今日の診察で医者も認めてくれたように、自分としても95%くらいは快方に向かっている。今回の薬は神経の為の薬ということで、薬局では「この薬は、ふらついたりすることがあるので、車の運転は気をつけてください。お酒を飲んだ時も同じです」と言われたが、私は免許証は早くに返上したし、酒はの飲めないのでその点は心配はいらないが、気をつけて生活をおくろうと思っている。 思えば、校区の各町内会が参集して開かれる運動会で足がもつれて、倒れ鼻を負傷してしまったのを皮切りに、特別な病気ではないが「白内障手術」(4泊5日の入院)、突発性難聴、腺腫瘍甲状腺腫など次々に罹患した。それに加えて元々体重がない私が、特に夏痩せして体重が以上に軽くなるなど、いいことなしのこの2年間である。 まだまだ思う事は沢山ある。次はいつ気分が乗るかな? では又。
2026.07.06
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