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「最近ブログの更新が滞っているけど何かあったのか」と、直接、または嫁はんを通じて問い合わせをうけているおいらです。いやいや、特に何も変わった事はありません。ただ最近は、Facebookの方をマメに更新しております。やっぱりコメントや写真、動画のアップなど、Facebookの気軽さには勝てず、ついついあちらへの書き込みが優先になり、こちらが疎かになってしまいます。楽天では日記、エッセイもどきを中心に、Facebookでは写真や動画のアップやつぶやきを中心にとすみ分けていたつもりでしたが、とりあえずFacebookの方へ集約する事にしました。これからもヤップーンの旬の情報など、たくさんアップしていこうと思いますので、引き続きFacebookの方でのコミュニケーションを宜しくお願い致します。かちょー。ことKenny Yamashitaより。↑FBではこれでお友達検索をお願いします。では、See you soon!
2012.04.28
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半年前に来訪してくれた大学時代の後輩Mに続き、今回は、後輩のきんちゃんが家族旅行でリゾートに遊びに来てくれた。きんちゃんは2年下の、サックスを担当していた後輩。素直で裏表がなく、いわゆる「天然」のキャラは20年経った今もそのままだったが、今や「紀州のお母さん」として立派に家族を牛耳って支えており、優しいご主人と素直な子供たちに囲まれ、とーっても幸せそうだった。初日は到着の飛行機が悪天候で2時間近く遅れ、翌日はさらに100ミリを超える大雨にたたられ、一時はどうなる事かと思ったのだが、次の日からは天候も回復し、動物園やワニ園、プール遊びに乗馬にアーチェリーと、ヤップーンらしいホリディを楽しんでくれたようである。名残惜しい最後の夜は、我が家も一緒にディナーに参加。その夜は子供の教育から主婦の生活まで話が弾み、楽しいディナータイムを過ごす事が出来た。後半はきんちゃんのご主人が話のネタになり、「ハワイ家族旅行前日に車に轢かれて骨折したが、キャンセル料がもったいないと判断したきんちゃんが、そのままご主人を参加させ、ハワイでは熱を出して寝込んでいるご主人の横で家族は心からバカンスを楽しんだ」とか、「父息子でびわこバレイにスキーツアーに行ったが、帰りの集合時間に遅刻して添乗員に置き去りにされ、当時幼稚園児の息子ちゃんにスキー用具をかつがせ公共交通機関を乗り継ぎ、深夜に和歌山までたどり着いた」だの、申し訳ないがそんな逸話に涙を流して笑いころげてしまった。そこでおいらは、「お母ちゃんも学生時代は『超ビビリ』で有名で、応援団のくせに応援の太鼓がドーンと鳴る度にいつも10センチ程飛び上がって怖がり、それを後列の団員が皆で笑っていた」という話を披露し、お父ちゃんに援護射撃をしてあげた。いやしかし、卒業してから20年以上経った今でも、こうして先輩を慕ってはるばる訪問してくれるなんて本当に嬉しい限りである。おいら達が入学した当時は、吹奏楽部とはいえ応援団の組織の中に属していたので、学年が1つ違うだけで気軽に話すことも出来ない厳しい上下関係があり、1回生にとって最上級生の4回生はまるで「神」のような存在だった。しかしおいら達の学年が4回生になった時、そんなのはもう時代遅れだという事で、秩序は守りつつも、出来るだけオープンにしようと心がけ、少しずつ上下関係の壁を取り払っていく事に成功した。賛否両論はあったが、こうして先輩後輩の垣根なくその当時の部員同士が今でも楽しい交流が出来ているという事を聞くたびに非常に嬉しい気持ちになるものである。場所柄、なかなか同窓会のようなイベントには参加できないおいらであるが、機会が持てたら、是非またみんなで集まって、昔話に花を咲かせたいものである。という事で、段取り宜しくね、きんちゃん。こういう時だけ先輩風を吹かせるおいらであった。
2012.03.24
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先日、うちの会社のリゾート部門の会計を担当していた責任者が退職した。入社して1年間、それなりに頑張ってくれてはいたのだが、いかんせん50代も半ばの、見た目も「家で盆栽をいじっているおじいちゃん」みたいな感じであったため(一応オージーです)、新しいマネジメントへの移行をはじめとした劇的な変化になかなかついていけず、最終的にはギブアップ、みたいな退職であった。その件について、おいらは日本の本社に対して退職経緯書を提出した。もちろん「日本語の魔術師」のおいらなので、文面に抜かりはない、はずであった。すると、おいらのその報告書を受領した海の向こうの直属の上司Fさんから電話がかかってきた。彼はとても沈んだ声で、「俺さぁ、かちょー。の報告書を見て、身につまされた思いになっちゃったんだよねー。」と言った。よくよく自分の書いた文面を見てみると、「退職者は50代も中盤であり、今後の伸びしろも感じられない」という主旨の一文が含まれており、この上司Fさん、そしてそれ以降にこの報告書を閲覧される取締役、常務、そして事もあろうに社長までもが「50代中盤」を超えているという事にこの時ハタと気がついたのであった。その時はFさんの「どうする?この文面修正する?」という老婆心なアドバイスもいただいたのだが、忙しかった事もあり、「いいです。そんまま回しちゃってください」と、おいらは強気に回覧をすすめてしまった。最終的にその報告書は、上席のどなたからも連絡が来ることはなく、おいらの「毒」はFさん以外の誰からも気づかれる事はなかったのだが、それ以降Fさんとの仕事では、「これ明日までにやってね!なんせまだ伸びしろのある40代だもんな!」と、自ら墓穴を掘る状態になってしまったのである。前置きが長くなってしまったが・・・・(これが本題と思っていたあなた。まだ甘いわね)この経理のおっさん、最近のアグレッシブな50代の皆様(←ここで一応フォロー)とは全く趣の異なる、チャンチャンコを着せて縁側に座らせたくなるような腰の曲がった爺さんであった為、一緒に仕事をするおいらは、「おじいちゃーん、お熱を計りましょうねー」「あら?おじいちゃんさっきご飯食べたばっかりでしょ」みたいな感覚で、「はい、じゃあ伝票入れましょうねー」「あら、これ同じ請求書を昨日支払ったでしょー」と、毎日老人ホームのヘルパー状態であった。うちのオフィスのキッチンにはスタッフ共用のインスタントコーヒーがあるのだが、このおっさん、自分のコーヒーを淹れた後にコーヒー壺を元の位置に戻さず、しかも蓋をちゃんと閉めないと言うのが仕事以上においらのストレスであった。通常はこの状態でなくてはならないものが、おっさんの後は必ずこうなっていた。おいら自宅では右のものを左にもしないズボラな性格であるが、一応会社は「公共の場」なので、几帳面に整理整頓する事を心がけている。なので、いつも気がついた時においらが元の位置に戻していたのだが、ふとひらめいて、じゃあもともとのレイアウトを「おっさんが置くであろう位置」にしたらどうなるか、というのを実験してみた。そしたら、こうなっていた。敵もさるもの。結局おいらのストレスは続くこととなったのであるが、彼の退職とともに、このストレスからも解放される、と安堵していた。ところが、先日、おっさんがオフィスを去ったにもかかわらず、全く同じ現象、つまりコーヒー壺も元の位置に戻さない、蓋もきちんと閉めない、という同一現象を発見した。これは複数犯による仕業だったのか。あるいは真犯人が別にいたのか。この週末にキッチンに監視カメラを設置しようかと企んでいるおいらである。
2012.03.10
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週末になると我が家の嫁はんの口からは「どうしようかねぇー」の独り言が頻繁に発せられる。それは週末をどう過ごそうかとか、定期預金をどの銀行に預けようかとかそんな悩みではなく、何のことはない、向こう1週間の献立の事。しかしそれは、我が家にとっては会社で言えば定例役員会議に匹敵するほどの重要なものなのである。この嫁はんの「自分内会議」には、たまにおいらやA美も意見参考人として召集される。しかしここで「何か食べたいものある?」という議長の質問に対し、「何でもいいよ」とか「別に」といった類の発言は決して許されない。家族構成員たるもの常に当事者意識を持ち、人任せではなく自らが家計を切り盛りしているという目線で運営に参加する事を要求されているからである。しかし会社における経営参加でもそうであるように、例えば、「たまにはグラタンが食べたい」とか「こないだネットで見たこういう料理を食べたい」とか積極的に企画を提案しても、「それは弁当のおかずにならないから」だの「それは面倒くさい」などという理由で、おいら達の意見は結果的に嫁はんの独断でおおかた却下される。自分の意見を合理的・理論的に通すのは会社以上に難しいものがある為、たまに自分の意見が採用された際には、会社で企画書が通った時ほどに生きがいを感じる事がある。かくして決定した1週間の献立は、まるで料理の鉄人の道場六三郎のごとくお品書きとして書にしたためられる。(「書」のサンプル)そしてそのお品書きに基づき、1週間分の食材が調達され、それは週末までの1週間をかけて極めて計画的に消化され、果たして週末には冷蔵庫が完全に空となる。そんな完璧なまでの購買在庫コントロールがなされているのが我が家の家計なのである。この人にかかれば、レストラン食材原価率10%もあながち夢ではない。我が家ではこのように、計画的な台所運営がなされている為、期間中の計画変更には厳格な事前申告が要求されている。仮に外出の用事や接待商談などが理由でおいらの弁当や夕飯が不要になった場合、嫁はんの脳内会議において即座に計画変更、すなわち献立の再構築が行われる。例えば弁当が不要になった場合、弁当不要→前夜のおかずの弁当転用の必要性回避→→汁物・鍋系など簡単かつ単価の安い料理の採用→→メニュー変更最終決定→食材変更→食材の冷凍処理やリメイク、常備菜などへの転用→食材在庫繰越残高修正→翌週の調達量下方修正→預金残高上方修正このようなフローチャートが彼女の脳内で瞬時にプログラミングされ、週末に向けての期中計画変更が家計及び台所運営の生産性に影響を与えぬよう最大限の考慮がなされるのである。ちなみにこの事業計画変更は、「近所の奥さんが魚を分けてくれた」「賞味期限切れのパンがたたき売りされていた」このような場合にもしばしば実施される。上記の通りの厳格な運営体制のもとでは、直前の計画変更が発生する場合、まるで契約期限や支払期限を直近に控えた稟議書を社長に持ち込むサラリーマンのように烈火のごとく叱責される。ましてや申告なしでの「弁当いらなかった」とか「夕飯食べてきた」などは言語道断。戒告、場合によっては懲戒解雇(離婚)に匹敵するほどの背任行為と見なされるのである。そんな中、先日、予期せぬランチミーティングが開催される事を知らされ、当日持参した弁当が不要になってしまった。弁当を持ち帰って自宅で夕飯として食べてもよかったのだが、そうなると直前の事業計画変更となり、台所運営及び在庫管理に影響を与えてしまう事となる。そう思ったおいらは、咄嗟の判断でI子ちゃんにおいらの弁当を食べてもらう事にした。I子ちゃんは「えっ?いいんですか?やったー」と、喜んでおいらの弁当を引き受けてくれた。(当日は別のメニュー)そこでおいら、この事実を嫁はんへ事後報告するなり、I子ちゃんへ口裏あわせをするなりの事後処理をきっちりしておけばよかったのだが、業務に忙殺されてそれを失念してしまった。うっかり八兵衛以上のケアレスミスである。翌日、嫁はんから「昨日のお弁当美味しかった?」と訊かれ、普通にうなずくと、「ふーん、そうなの」という意味深な返事。実はその日、嫁はんがI子ちゃんに職場でバッタリ会った際に、「お弁当美味しかったですぅー。ありがとうございましたー」とお礼を言われたらしく、おいらの虚言がすっかりバレバレになっていた事が明るみに出てしまったのであった。A美は「優しい嘘」とかばってくれたのだが、弁当資産譲渡にも計画的な戦略と正直な報告が必要だ、と悟ったのであった。
2012.02.25
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もたもたと帰省日記シリーズをひと月かけて綴っていた結果、いつの間にか2月も半ばになっていた。いかんいかん。もっとヤップーンの話題を提供しなくては。という訳で、今日は昨日初めてチャレンジした、ヤップーンのもうひとつのタイ料理屋の話題を。先日から、日本の上司のご子息Soくんがヤップーンに遊びに来られており、彼とI子ちゃん、そしておいらの家族と一緒に夕食をとったのがこの「Thai Tanee Yeppoon」である。ここはロッキーに本店があり、好評でヤップーンに支店が出たという事実に違わずどの料理も非常に美味しかった。今までよく通っていたもう1軒のタイ料理と肩を並べる、いや、もしかしたらそれ以上に美味しかったかも。しかもこの日のサービス担当は、元うちの和食レストランのスタッフに、今の職場仲間の娘さんとほぼ「身内」。まるで我が家にいるかのようなアットホームなサービスでとっても「美味しい時間」を過ごさせてもらった。楽しい食事の後、SoくんとI子ちゃんには我が家まで足を運んでもらい、テラスで蚊に刺されながら夜中の1時近くまでよもやま話に花を咲かせる事となった。実はおいらが15年前にヤップーンに住んでいた時、Soくんも当時駐在員だった上司(彼のお父さん)とともにヤップーンに暮らしており、今回は実に15年ぶりの再会、であった。しかしその当時Soくんはまだ小学校低学年で、彼の当時の記憶はほんの断片的なものだったのだが。そんなSoくんも、今では外見や表情の一つ一つが「お父さんそっくり」になっており、まるでその上司と話をしているかのように錯覚しそうになるほどであった。唯一の違いは、お父さんほど鹿児島弁がキツくないという事だけだった。Soくんは春からの就職を前に、かつて自分が育ったこのヤップーンの地を卒業旅行先に選び、その断片的な昔の記憶を繋ぎ合わせる旅、をしている真っ最中。おいらや嫁はんとの会話を通じて、当時お世話になった人たちの事とか、その頃に食べた移動販売車のパイの味とかを思い出す度に本当に懐かしそうな表情を見せた。そしておいら達も、Soくんのそんな自分探しの旅の手伝いをする事が出来て非常に嬉しかった。なんだか、こういう目的の旅もいいもんだなぁ、って思った。おいらも、もし今そういう機会が持てたら、学生時代に住んでいた京都の街や、東京で働いていた頃に暮らしていた千歳烏山の街なんかを、もう一度ふらっと徒歩や自転車で散策してみたい、と思ったのだった。A美も大きくなったら第二の故郷となるであろうこのヤップーンの町をいつか訪れて、ノスタルジーに浸りたくなるんだろうなぁ。ふふ、しかし、キミのヤップーンの生活、いや今までの人生は、キミ自身を含め、全世界の人がこのブログを通じて知っているのだぞ、しかも何と画像つきで、と言いたい意地の悪い父親のおいらである。
2012.02.18
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1週間弱という時間もあっという間に過ぎ去り、翌週から自分との本格的な闘いが始まる父を勇気づけ、後ろ髪を引かれる思いで、再び渡豪の旅路へ。冬の衣類品揃えに乏しいオーストラリアへ発つ前に、しっかりユニクロでヒートテック系のアンダーウェアを調達。最近のユニクロは決して安いだけではなく、そこそこのお金を出せば、非常に機能性の高い衣類が手に入るのが嬉しい。ユニクロのヒートテックは本当に軽い着心地であったか。吸湿性に優れ、薄いのに風を通さず、冬太り+着膨れのダブルパンチを回避できるのが嬉しいところ。これを着ていればマッチ売りの少女もきっと凍え死なずにすんだであろうに。朝の飛行機でまずは羽田へ。前の日記で触れた通り、今回はJALマイレージ利用であるが、通常ならこの区間だけでも結構な金のかかる旅行である。しかし最近はスカイマークが随分安くで就航しているし、今後ジェットスタージャパン、エアアジアジャパン、ピーチなどのLCCに、このドル箱路線、あるいは成田線などにバンバン就航してもらい、利用者の選択肢を広げてくれたらありがたいなと思う。羽田からモノレールに乗り、東京駅の大型コインロッカーにスーツケースを預け、最後の買い物に。モノレール470円プラス30円で山手線内どの駅へも行けるお得なチケットをゲット。有楽町には東北復興イベントでかまくらが出現。足はやっぱり「天龍」へ向かってしまった。夕刻には成田へ。これに乗ると日本を離れるという実感が。成田空港で借りていたSIMカードとポケットWiFiを返却し、出国ロビーでジェットスターのチェックイン。今回のジェットスター復路はカンタスのマイレージを利用。3万マイル+税金と燃料代は別に2万8千円の実費。帰路には通常の日本食財や生活用品でいっぱいの荷物に加え、家に眠っていた楽器を運ぶために超過手荷物料金10kg分を事前支払しており、33kgギリギリセーフ。復路は足元の広い非常口席に空席がなかったので、通路側にアサインしてもらい、無事にチェックインも完了。出国手続きも済ませ、頼まれていた免税品類の調達も終え、カフェテラスでささやかな晩餐。後で機内食もあるし、日本で既に増えてしまったであろう体重も気にはなったのだが、「脂肪は腹に変わるけど、背に腹は変えられないわ」などと日本語的に説明のつかない自己弁明をし、自責の念にかられながらも最後の日本食として味噌カツ丼をゆっくりと堪能するのであった。カンタス・JAL・ジェットスターの3社共同運航使用機材(A330)は出発準備中。エコノミークラス座席。この後ほぼ満席に。本当は夜行便の復路で非常口席が欲しかった。しかし搭乗後、てっきり1泊2食つきの夜行便であると思っていたおいらの予想に反し、カンタス航空のマイレージ利用の場合はミールがオプションである事が判明。さすがおいら。自分にその意識はなくても胃袋がしっかりそれを予見していた。あの味噌カツ丼がなければ、おいらはその夜「メシ抜き罰ゲームフライト」となるところであった。(機内で買えばいいんだけどね)搭乗機は定刻にゴールドコーストへ。ほぼ同時刻に関空からも到着便。機内餓死する事もなく、シップは定刻通り、雨上がりのゴールドコースト空港へ到着。今回は利用区間全てにおいて全く遅延や欠航がなく、ディレイの神様のおいらにしては珍しく非常にスムーズな旅行であった。が、おいらの搭乗した成田便に加え、同じジェットスターの関空便、そしてクアラルンプールからのエアアジア便と午前6時台から7時台にかけては立て続けに国際線が到着する時間帯であった為、空港は到着旅客で大混雑。午前6時25分にブロックインしてから、入国審査を通過したのは7時前くらいであったが、最終的においらの荷物がターンテーブルから出てきたのは何と8時過ぎであった。それから通関の長い長い行列に並ぶこと30分ほど。おいらのスーパー人当たりの良い人相が幸いしてか申告物があるにもかかわらず手荷物開被検査は免れた。しかし乗車予定していたロビーナ駅行きの路線バスはおいらの目の前で無常にもあばよとばかりに出発してしまい、貧乏旅行には不本意ながら、ブリスベンからの国内線(11時発)に間に合う電車に乗るためにタクシーを使って駅まで行くことになった。うぅ。せっかく出発の日にタクシー代を節約したのに。ゴールドコースト空港利用の皆さん。出発時だけでなく、帰着時にも時間には余裕を持ってプランを組み立ててくださいね。つうか州政府、この現状はちゃんと見直しすべきですぞ。(と、選挙権もないおいらが提言)てな事で、最後にプチ焦ったシチュエーションになりつつも、無事に今回の帰省旅行は終了した。初めてのジェットスター利用であったが、遅延や欠航がなかった事で、おいら個人としてはそう悪くはない印象であった。これでロックハンプトンからのコネクションが良ければまた使う機会もあるとは思うのだが、現在日本から就航しているケアンズ、ゴールドコーストともにロックハンプトンからの乗り継ぎが非常に悪いというのが現状。おいら達ロッキー住民にとってはシドニーからのカンタス、JALまたはブリスベンからのアジア系キャリアの方が結果的にリーズナブルになりそうな気がする。夏から冬へ、そして地方都市から地方都市への移動の大変さをしみじみと実感した今回の旅行であった。
2012.01.14
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実は今回の帰省ではもうひとつのメインの目的があった。そう、自分自身のメディカルチェックすなわち人間ドックの受診である。わが社では40歳を超えると、会社が100%人間ドックの費用を補助してくれるのだが、おいらは40超えてからずっとこちらへ赴任しているので、今までその恩恵にあずかれないでいた。御歳40ウン歳にしての「初体験」である。事前に自宅へ届いていた「検査キット」の中には生まれて初めて目にするこんなものも同封されていた。詳しい説明をするとこの日記を見ながら飲食をされている方からドロップキックを食らわされそうなので省略するのだが、とにかく随所に衛生的な工夫がなされていた。さすがにおいらはマッチ箱に入れていた時代の人ではないが、昔に比べると「採取方法」から「運搬」に至るまで非常に効率的衛生的に出来ているなぁ、と感激した次第である。検査会場は、鹿児島市内の保健センター。指定された時間より少々余裕を持って受付に行くと、そこには既に、同じ柄の検査服に着替えた老若男女の受診者がずらり50人あまり。とにかく異様な光景であった。検査は血液採取に検尿、血圧測定、聴覚、視力などなど、メニュー的には通常の健康診断とさほど変わらなかったのだが、度肝を抜かれたのが造影剤による胃の検査であった。最初に胃を膨張させる為に粉末の炭酸を飲まされるのだが、これが駄菓子屋で幼少の頃に買い求めていたソーダ菓子のようではっきり言ってこれは想定外に「美味かった」のである。味のイメージ検査技師の注意に従って、ゲップをしないように我慢しながらその後に飲んだ「バリウム」はしかし噂にたがわず飲みづらいうえに結構な量があり、かなり苦戦した。しかし本当に苦戦するのはここから。遊園地の絶叫マシンのような機械に乗せられ、バリウムが胃全体に行き渡る様、体をあっちへねじり、こっちへねじり、挙句の果てにはマシンごと体が回転。さながらおいらはタイムショックで5問答えられずに罰を与えられる回答者のようであった。こんな感じ。しかしながら、最終的な検査結果には絶叫する事はなく、1点を除いて全て健康な値である事が確認された。問題の1点については「まぁとりあえず検査をおすすめします」というレベルで紹介状を渡されたのだが、検査を行うには2日間くらいに渡って腸の中を空っぽにする必要がありさすがにこの短い滞在中にそれを行う事は不可能だったので、とりあえず後日検査を行う事にし、紹介状を持ってこちらへ帰ってきた。後日その話をこちらのスタッフとしたところ、うちの事務所のスタッフの一人も、その検査を受ける為に腸内を空にした際、なんとそれだけで4キロも体重が減ったのだそうな。あんた4キロも宿便があったの、と思いつつも、検査を受けるだけでそんなに痩せる事が出来るんであればおいらもやっておけばよかった、と後悔するのであった。こっちじゃあ医療費がとんでもない事になるから、宿便出すのに何百ドルもかけるわけにはいかないなぁ。あ、そっちがメインの目的じゃあないか、と本末転倒になる前に、検査はしっかり早めに受けようと思う。
2012.01.11
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ふと思い立ち、久しぶりに日本の散髪屋さんに出掛けた。同じカットオンリーの店でも、オーストラリアと日本とはやっぱり違う。おいら行きつけの3Qカットでは、券売機で事前に千円のチケット購入、待合席には番号が振られ、番号順に空いた美容師のもとへ。カット後は大型の掃除機のようなバキュームで髪の毛を吸引するなどなど。日本ならではの機能的かつ清潔なサービスに加え、無駄を省いて料金を安く提供しようとする姿勢にここでもローコストキャリアに通じるビジネスポリシーを感じるのであった。なかなかよろしいではないか。環境にもフトコロにも優しい、こうしたビジネスモデルには頑張って欲しいな、うん。マイナスイオン漂うこの散髪屋でしかし、おいらは予想もしなかった衝撃を受ける事となる。散髪も終盤を迎え、美容師のお兄さんがハサミを置き、「こんな感じでよろしかったでしょうか~」と、頭部全体がわかるように合わせ鏡でおいらに見せてくれた。散髪屋さんでは良くある一コマである。しかし普段ヤップーンで行く床屋さんではハサミよりも口が滑らかに動くおばちゃんがせいぜい手鏡で申し訳程度に襟足を見せてくれるくらいなので、おいらがこうして自分の頭部全体を自身で目にしたのは、実に4年半ぶりであった。「え、こんなに寂しかったかしらアタクシ」これがおいらの正直な感想であった。背中をつーっと流れる冷たい汗。それでもニッコリ笑っておいらからの返事を待っている美容師にはさすがにそんな事を言うのはお門違いも甚だしいので「あ、はい、よろしかったでございます」と口ではいいつつも、心の中では「実は全然よろしくないんですけどぉぉぉぉーーー」と叫びつつ、散髪屋を後にするのだった。そういえば、「最近はシャンプーやリンスの品質向上で、髪の毛の指通りがスムーズになったなぁ」と感じていた事や、「あれ、今日は頭のてっぺんの寝癖が直ってないなぁ」と思っていた事が、実は単に毛髪の絶対的本数の減少、及び頭皮のハリの欠落に起因していたのだとこの時初めて気がついたのだった。散髪終了直前までのすがすがしい気持ちにはどこへやらあぁおいらはテッペンハゲタカ系なのか。それならまだ前髪後退系の方がよかったかしら、今夜はわかめうどんにしなきゃ、そうそうヒジキも買って帰らなきゃね。今年の書初めは「減量」から「育毛」に変更だわ。などと、薄くなった頭の中では様々な思いが交錯し、冬の空にも似たどんよりとした気持ちを抱え、家路に着くのであった。
2012.01.10
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空港には父と姉が迎えに来てくれていた、はずだったが、父の横には見慣れない年配の女性が一人。それは、ズンバ効果でダイエットに成功した姉だった。以前にも日記で触れたのだが、姉はスポーツジムで衝撃的に出会ったズンバにハマり、毎日のように通いづめて楽しみながらエクササイズをした結果、驚くことに9ヶ月で30キロものダイエットに成功したんだとか。以前の姿はまさに「ヨシコデラックス」という感じだったので、その変貌ぶりには、事前情報は得ていたもののやはり驚きを隠せなかった。あまりの変わりように、実は「ヨシコデラックス」の着ぐるみが家の物置に置いてあるのではないかとか、いや、もしかしたら実は「マトリョーシカ人形」みたいに外側のヨシコちゃんがこたつでみかんを食べているのではないかとか、様々な憶測がおいらの頭の中をかけめぐるのであった。姉は生まれ変わった自分をエンジョイしており、保育士としてバリバリ働く傍らで、ズンバだけでなく長女(大学生)の着なくなった「逆おさがり」を着てやれ旅行だのショッピングだのと、失っていた青春時代を取り戻すかのように生き生きとしていた。その一方で、やっぱり元気がなかったのが父。年末の保健センターの検診でひっかかり、翌週から入院をする事になった父は、生まれてこの方病院の世話などには一度もなった事のない「超」がつくほどの健康体。80歳を超えてからホールインワンと「エイジ・シュート」を達成したほどのゴルフの達人である。息子がその血を1滴もひかなかったのが残念極まりないのだが。※エイジ・シュートとは?(以下ウィキペディアより引用)自分の年齢よりも低い打数で1ラウンドを終了(エイジ・シュート)した者は、「エイジ・シューター」と呼ばれ、ゴルファーの尊敬を集める。らしい。それだけに、今回の入院は本人としても相当ショックだったらしい。残念ながらゴルファーとしての血は受け継がなかったものの、父親だなぁと実感するくらいおいらと性格が似ているところは、毅然として見えて実は小心者で心配性という点。案の定翌週からの入院を控え、ここんとこは色々な事を考え過ぎて眠りにつくことも出来なかったと、父は珍しくその心境を吐露した。頑固で、表向きにはこうした弱い所を全く見せる事のなかった父親しか知らなかったおいらだけに、やはりこうした姿を目の当たりにするのは複雑な心境だった。帰国前は、本来なら実際に入院してから帰省した方が良かったのではないかとも思ったのだが、入院前のこうした不安な気持ちを抱える1週間に、父と一緒にいる時間を作り、気晴らしさせる事が出来た事でかえってよかったのかも、と思うのだった。散髪や買い物に連れ出したり、洋服をお互い交換したり、荒れ放題の庭の手入れを入れたり(すいません業者を使いました 汗)、久しぶりに親子の時間をたっぷり持つ事が出来た。近所の料理屋さんにて。左からおいら、父、伯母、姉、甥やっぱ鹿児島は魚が最高に旨い。酢味噌でいただく「キビナゴ」。子供の頃は嫌いだったのに今は大好物。荒れ放題だった庭(ビフォー)アフター。おいらの仕事は庭師さんへお茶を入れただけm(_ _)m隣の伯母さんちのたわわに実った「はっさく」電話交換手を使っていた昔と違って、今はケータイ同士で安く簡単に電話やメールは出来るし、昔ほど「離れている」という実感は正直なかったのだが、やっぱりこうして自分の目で耳で状況を確認する事は必要な事だよなぁ、と「長男」としての重責を今あらためて感じるのであった。
2012.01.09
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言うまでもないがネットブックにケータイにデジカメ用の充電器にとおいらの持っているぜーんぶの電子機器はソケットがこの形である。その為、モノが豊富な東京にいるうちに変換プラグを買いに行くことにした。はからずもホテルから秋葉原へは徒歩数分の好ロケーション。朝食後にフロントで荷物を預かってもらい、身軽になって電気街へと出掛けていった。上野ではこんなキュートなバスにも遭遇。しかしながら暫くぶりの秋葉原でんでんタウンはいわゆる「アキバ」と化しており、街には「萌え萌え」の広告が溢れかえり、それ系の皆様方が大勢いらしたのはさすがに驚きを隠しきれなかった。聖地には朝から多くのAKBファンが。前日にはこんな催しもあったらしい。この街ではこんな商売も成り立つ。目的のプラグを購入後、ゆっくりとPC関係アクセサリーやデジタルビデオカメラなども見て回りたかったのだが、飛行機が午後一番の出発だった事と、なんだかこの街に40半ばのおっさんが独りで徘徊しているのも場違いな気がして、早々に引き上げてしまった。裏のストリートまで見て回れば、もっと面白いネタもあったのだろうが。御徒町の駅まで歩き、JRとモノレールを乗り継いで羽田のJALターミナルへ。今回の鹿児島までの往復はJALのマイレージを利用。カンタスのマイレージを使う時は、国内線でも税金や燃料付加料金は別途徴収(または追加マイル)されるのだが、JALの場合は追徴ナシ。あっぱれ日本の航空会社と、税金や燃料代ではなく、自分のために1,000円を払い、その場でJ Classへアップグレードするおいらであった。随分すっきりきれいになったJAL側ターミナル。お土産名店街や書店などをのぞきつつ、適当に腹ごしらえできるレストランを探したのであるが、さすがに日本、さすがに東京。人気店は行列が出来るほどの混雑ぶりに加え、ちょっと小洒落たレストランに至ってはランチで軽く1,000円超え。弁当男子、いや弁当オヤヂたるおいらはさすがに昼飯ごときに14ドルは出せんぜよと、地下のモノレール駅まで戻り、パン屋のイートインで軽く済ませる事にした。カレーパンにチーズドッグ、クラムチャウダーに大根サラダ。泣きそうなくらい旨かった。しかし、こんな気軽なベーカリーショップでもクオリティの高いこと!コンビニでもパン屋でも駅の立ち食い蕎麦屋でも食べ物に外れがないのはさすが日本だなぁとあらためて実感した。ヤップーンの町中のパン屋の店主を呼びつけ、おまえらここで1ヶ月くらい修行して来いと言いたくなるくらいに絶品のおかずパンの数々であった。鹿児島行の出発ゲート付近には携帯の無料充電コーナーやビジネスデスクなどもあり、設備も充実。WiFiにも無料でアクセス可能であり、非常に快適。ゲートでの出発案内も昔とは随分様変わりし、優先搭乗から一般搭乗まで、係員がラウンジ放送でやたらと「がなりたてる」のではなく、液晶モニターによる案内と優しいチャイム音、そして穏やかなアナウンスでボーディング開始を知らせる、非常に静かな出発であった。従来の「きっぷ」ではなく、ICカードで「タッチ&ゴー」する人も多く、空港の風景も様変わりしたなぁと感激した次第である。窓からは嵐JETも見えた。コーヒーも随分美味しくなった。たかだか千円ぽっちのJ Classなのに「かちょー。様 ご搭乗ありがとうございます」と名前を呼んでくれたのには感動。目覚ましのはずの機内サービスのコーヒーでいつの間にか睡魔に襲われ、2時間弱のフライトもあっという間。富士山から潮岬を過ぎ、日向灘を越えると2年7ヶ月ぶりの故郷はもう間もなくである。
2012.01.08
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トランジットステイに関しては都心にさしたる用事がなければ、リムジンバスを使って成田、または羽田にステイするのが一般的。だけどそれじゃあ、せっかくの東京を楽しめないじゃないというのがおいら達地方出身者の気持ち。成田、羽田からの両方のアクセスも良く、かつある程度の「おのぼりさんステイ」を楽しめるロケーションとしてわが社の社員出張ではよく品川エリアをステイ先として手配するのだが、おいらが今回自分自身の為にトライアルしてみたのは上野周辺であった。というのも、京成スカイライナーの新線が開業し、日暮里や上野まで僅か30分台で到達できるようになった事と、アメ横や秋葉原などのB級ショッピングエリアには上野の方が俄然アクセスがいい、と思ったからである。で、最終的に落ち着いたのが R&Bホテル上野広小路 。よくよく調べてみると、R&Bホテルは有名なホテルチェーンであるワシントンホテルグループから派生したバジェットブランドであり、昨今の航空業界のLCCよろしく、無駄を省いて必要なサービスだけを行い、その分利用者に料金を安く提供する事で業績を伸ばしているホテルチェーンであった。上野広小路の交差点から1本奥へ入った閑静なロケーション京成上野駅はJR上野駅とメトロ上野広小路駅のほぼ中間地点にあり、京成の駅からメトロ上野広小路駅までは地下道で繋がっていた為、寒風吹きすさぶ地上を歩かずとも、ホテルまで徒歩5分程で到達する事が出来た。但し広小路の地下道から地上に出るまでは、気合と根性でスーツケースをかついで階段を登らなくてはならなかったが。おいらが到着した時には、メインフロント、と呼べるかどうか、コンシェルジュカウンターのような所に女性のスタッフが1人だけ。チェックインしたい旨を告げると、既においらの登録情報が記載されているレジストレーションカードを渡され、それに署名をすると引き換えにカードキーを手渡された。「ご利用前にご精算をお済ませください」との事で、対面にある自動精算機にカードキーを挿入し、この機械でホテル代4,600円(税込)を支払うと、ルームキーが有効となった。なるへそ。自動精算機にて宿泊前に精算を済ませる。歯ブラシ、T字カミソリは希望者のみがフロントで受領。またルームウェアもエレベーターの前にあるクローゼットから、必要な人だけがピックアップするというしくみになっていた。いずれも無料のサービスである。これはエコだなー。とつくづく感心。(エコロジー&エコノミー)まぁオーストラリアのホテルは、歯ブラシやルームウェアはもともと客室アメニティとしては存在しないのであるが、日本の文化を踏襲しつつも、付加サービスを省く(あるいは選択性とする)スタイルは、ビジネスホテルにおいては今後主流になって行くのではないか、と思った次第である。しかも精算を機械で行う事で、フロントでの現金取扱いは一切行われず、スタッフの教育も最小限に留める事が出来る。通常のホテルにあるような電話・有料放送・客室内冷蔵庫など後払いになるようなものもすべて排除(またはクレジットカード・プリペイドカード払い)になっている為に、翌朝のチェックアウト業務もなし。これで相当の人件費を節約できているはずである。翌日、ロビーの横にあるカフェスペースで無料の朝食サービスをいただいたのであるが、そこはビュッフェスタイルになっており、テーブルを拭いたり、追加のパンやジュースを運んだりしているのは、前日にフロントで対応をしてくれた女性であった。日本人は食べ散らかしたりしないので、カフェスペースの管理も実に簡単なものである。ふっかふかの焼きたてパン。これは「ウマス」。ネスレのコーンスープは感激の旨さ。ロイホのホットチョコ以来の衝撃。コーヒー、野菜ジュース、塩味つきゆで卵焼きたてパン3種。左端はこのホテルお薦めのモンブランパン。またまた脳内はこんな状態に。ここのホテルの損益計算書を是非是非見せちくり~と思ったのはおいらに経理マンとしての自覚が出てきたからであろうか。大きな荷物は空いたスペースに置かざるを得ない。広いダブルベッドにふかふかの羽毛布団。全てのコントローラーはベッドサイドに凝縮。コンパクトなバスルーム。でもウォシュレット完備。さすが日本。ついつい指が"G"を探してしまう。客室は確かに狭く、スーツケースの置き場にも困る程ではあったのだが、寝るだけの「寝室」と考えれば全くノープロブレム。上野の中心部からはちょっと離れているから静かだし、LAN接続も無料サービスだし、これで4,600円だったら品川エリアで素泊まりに9,000円前後払うより、絶対コッチに泊まって浮いた金で美味しい寿司でも食べた方がいいと思うのであった。
2012.01.07
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久しぶりの日本の厳しい寒さとそこはかとなく漂う醤油の香りを懐かしみながら入国審査と通関を済ませ、到着ロビーへ。今回の帰省は無理言って直前に許可をもらったので、会社との連絡が常に出来る状態にしておく必要があった。しかしオーストラリアの携帯電話をやみくもに通話や通信に使うと、後で莫大な請求に泣かされる事になる。という事で、スカイライナーに乗る前に、おいらは事前に予約を済ませておいたSoftbankのサービスセンターへ出向いた。その場でボーダフォンのSIMカードの借用手続きを済ませ、携帯に入っていたOptusのSIMカードと交換し、待つこと数秒。見事においらの携帯電話は、日本の携帯電話と化した。懐かしい090から始まる1週間だけの電話番号も割り振りされ、これで受信は無料、発信も日本の携帯電話並みの料金となったわけである。1日あたりのレンタル料金が105円、通話料は2~3週間後にクレジットカードに請求との事で、これで通話料を気にせずとも滞在できる事になった。また同時に、今回はポケットWiFiの貸出しも受けた。父親が一人で暮らすおいらの実家は、30インチを超えるドでかいテレビが2台もあるにもかかわらず、なんとインターネット回線を引いていないというワケわからん家である。という事で、滞在中のネット環境を確保する為にポケットWiFiをレンタルする事になったのだが、これが1日1,575円。実際日本の公衆WiFi環境は、整っているとはいえ会員制のものが多く、それゆえに自在にアクセスできるポケットWiFiのレンタルは結果的に非常に便利であった。フル充電で3時間は連続使用可能。しかし日本人なのに携帯をレンタルするなんて、4年も日本を離れていると、完全においらの生活環境はアウェー化しているなぁと実感した次第である。という事で、モバイル環境も晴れて日本人となったおいらは、先般新生デビューした(らしい)スカイライナーに乗り込み、トランジットステイ先である上野へ。品川エリアよりも近く、宿泊代金や食事も安めの上野周辺は羽田から地方へ向かう成田到着客にとってはカシコイ選択肢になると思ったがゆえである。土曜の20時台上り線。乗客はちらほら。果たしておいらのチョイスはあながち誤りでもなく、宿泊先のホテル(後日レポート)はコンパクトながら必要な機能は全て整っており、周辺には安くて美味しい多くのB級グルメが夜遅くまで営業をしていた為、長旅で疲れた体にムチ打つ事もなく、トランジットナイトを快適に過ごす事が出来た。と、言う事で、その夜はイージーしかしこれぞ日本食、というものを。一体誰が考えた?この絶妙なコンビネーション夜もかなり更けていた時間帯だった為、客はおいらの他に2人程のサラリーマン、そして店には静かな演歌が流れるという枯れたシチュエーションであったが、あまりのコロッケ蕎麦の美味しさに努めて平静を装っていたものの、ううううううう、うめぇーーーーーーーと、実は頭の中がリオのカーニバル状態であったのは言うまでもない。脳内イメージ
2012.01.07
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ジェットスター国内線やタイガー航空、そして日本のスカイマークなど、俗にLCCと呼ばれる格安航空会社国内線の搭乗経験はあったものの、海を越えてのLCC搭乗経験が全くなかったおいら。今回、初めてそれが実現される事になった。実際、これまでにもわが社の社員のためにジェットスター便を手配する事は数回あったものの、「いやぁー、普通の航空会社と何ら遜色ありませんから」などとまるで自分に搭乗経験があるかのように「知ったかぶり」していたおいらであったが、ようやく、それを自らの経験に基づいて説明できるようになった。今回は寄り道せずに鹿児島へまっすぐ帰る予定であったため、帰国便の選定にあたっては、福岡か大阪まで飛んで新幹線で帰るか、乗継に便利な羽田に乗り入れているCXやSQなどのキャリアを使うか、はたまた鹿児島へ直接入れているKEやMUを使うかなど様々なオプションが考えられた。しかし料金、乗継時間、運航日その他でじわじわと絞り込んでいった結果、最終的には国際線は往復ともJQ(ジェットスター)のゴールドコースト~成田便を使い、東京~鹿児島の国内線を往復するというシンプルな形が最も経済的かつ効率的という事に落ち着いたのだった。カンタス航空のマイレージが17万ポイントほど貯まっていたので、それを利用して復路はカンタス便として特典航空券の予約が取れたのだが、往路は残念ながら希望日とその前後に特典席の空席がなく、ジェットスターのウェブサイトから直接航空券を購入。基本のスターター運賃に20kgの預け荷物料金とオプション(機内食+カンタスマイル加算+予約変更手数料無料)をつけ、867ドル。さらに足元の広い非常口席のアサイン料金として49ドル、それと前述のラウンジ利用料金9.99ドルを追加購入し、諸税込みで片道の総額が約$1030。折りしも冬休み最後の週末という事もあり、類似区間の他社FSA(フルサービスエアライン)は片道で$1,500は下らず、往復ともなると$2,500前後にまで高騰していた為、上記オプションを加算してもこの金額で落ち着くジェットスター便は悪くない条件であった。機体はA330で、アプレストは2-4-2。座席は最近のLCCではよく採用されているレザー張りシート。(掃除がしやすい?)シートピッチはさすがに他社より窮屈そうであったがおいらは非常口席を追加料金で購入していた為、常に足をゆったり伸ばした形で移動する事が出来た。これは大正解。この追加料金でフットスペースだけでもビジネスクラス並みのゆとりが得られるのは非常にお得感がある。今回勉強の為に、事前購入で機内食をセットしていたのだが、飛行中2回提供された機内食は、通常のエアラインでサービスされるような、前菜+メイン+デザートといった一通りの「定食」ではなく、2食ともご飯とおかずが一緒になったメインと、ソフトドリンク1杯だけのシンプルなもの。これで$50はさすがに高すぎっていうのが正直な感想。1食目のランチ。ハヤシライスっぽい。温野菜には蓮根と大根が。2食目のスナック。ベジタリアンカレー。周りを見ると、オージーの皆様方は結構「マイ弁当持参」が多く、おいらの隣のお姉さんは、ピザ1枚を数回に分けて食べていたし、斜め前の兄ちゃんは、果物やミックスナッツなどをタッパーに入れて持ってきていた。次回は絶対おいらもそうしよう、と心に誓ったのであった。食事時以外のドリンクは有料。コーヒー3ドルなり。(クレジットカード支払のみ)機内エンタテイメントも勿論有料。$15でJQオリジナルコンテンツが楽しめるipadの貸し出しがあったが、おいらは文庫本を読んだり、自前Laptopでこうしてブログの下書き作ったりして時間を潰した。押しつけのサービスではなく、必要な人が必要なものだけを追加購入するこのシステムは利用者にとっても大歓迎である。懸念されたディレイもなく、搭乗機は定時に成田へ到着。一歩機外へ出た瞬間、真冬の日本の厳しい寒さの洗礼を受けた。そういえば機内アナウンスでCAさんが、「ただいまの成田空港の天候は晴れ、気温は摂氏4度です」なんて涼しい声で言ってたのを思い出した。摂氏35度のQLDの真夏の日差しから、一気に西高東低冬型気圧配置の日本へ突入。成田空港では、日焼けしたおいらの顔だけが異常に浮いていたのであった。
2012.01.07
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もはや「アラフォー」とは呼べない歳に差し掛かってきたおいらにとって、朝4時台の起床は、「まぁちょっと早起きっちゃあ早起きかしら」くらいの難易度。それくらい朝がニワトリ並みに早くなってきた昨今のおいらである。ホテルを5時過ぎにチェックアウトし、てくてくと徒歩でローマストリートの駅へ。ここからゴールドコーストのロビーナ駅まで電車での移動である。ロビーナまではここから1時間ちょい。ごくごく普通の通勤型電車に乗る。さすがに土曜日の早朝ともなると電車はガラガラに空いており、終点のロビーナまで座席が2割以上埋まる事はなかった。1時間15分程の電車の旅を終え、ロビーナからは路線バスに乗り継ぎ。バスに揺られてゴールドコースト・クーランガッタ国際空港へ向かった。今回入手したブリス版「スイカ」。これでタッチ&ゴーすると電車もバスもかなり割引になるのが嬉しい。ロビーナ駅。ここから路線バスに乗り換えこのバス停に停車します。終点はツイードヘッド。空港連絡バスと言うよりは、途中に空港へ立ち寄る路線バスに乗る、という感じ。ご覧の通りただの路線バス。この路線バスはあちこちの住宅街やショッピングセンターに立ち寄りながら空港へ向かう為に角を曲がったりラウンドアバウトを回ったりする度に揺れ、大きな荷物を持つ身としては結構大変だった。もともと空港連絡バスではなく、地元住民の足である路線バスが空港に立ち寄る、という程度なので大きなラゲージスペースもなかったのであるが、LCCのハブとして近年路線も利用者も右肩あがりに増加しているゴールドコースト空港へのアクセス、もちーっと考えて欲しいものである。この空港を利用するのは実に10年以上ぶりになるのであるが、その変貌ぶりには目を見張るほどであった。国内線はジェットスターとヴァージン、タイガー国際線は上記に加えてニュージーランド航空にエアアジアと、その路線網は非常に充実している。ジェットスターのセルフチェックインコーナー。この向こうに日本行き国際線の長い長い行列が。おいらが利用するジェットスターは東京行きと大阪行きがほぼ同時刻の出発、しかも今日が冬休み最後の週末という事でチェックインには日本人の家族連れを中心にした長蛇の列が出来ていた。家族連れ旅行客の財布にも優しいLCCの台頭はありがたい。この空港、ターミナルは国内線と国際線が併用となっており、その為に通常の空港と異なり、国際線利用客は以下のルートでボーディングゲートまで向かう事になる。1.国際線チェックインカウンターで搭乗手続2.国内線・国際線兼用のセキュリティゲートにて持ち物検査を受け、国内線制限区域内へ。3.国内線制限区域内のさらに奥にある国際線用セキュリティゲートにてさらに持ち物検査を受け、出国審査場へ。4.出国審査を受け、国際線制限区域内にある搭乗ゲートへ。この4つのイベントごとに列を作らなければならないというのは言うまでもない。その為、おいらは事前に$9.99で購入できる国内線ロビー内にあるラウンジクーポンを手配していたのだが、結局ラウンジに入るのを諦め、時間を気にしながら国際線出発ロビーに向かう決断をしたのだった。このラウンジ内はネットもフリー、朝食もフリー、しかもご飯に味噌汁、ちくわの穴にキュウリが入ったおかずまである(アビ姐さん情報)という事で楽しみにしていたのだが、結局それらを放棄し、別途大枚$12を払って国際線のカフェでロングブラックとベーコン玉子トーストをかじる羽目になった。今夜はちくわが夢に出てきそうである。搭乗券。20kgの預け荷物、エキストラレッグルームシート、ラウンジ入室、ミールの4つが手配されているのがわかる。関西行と成田行が輻輳する時間帯につき、待合室も大混雑。カンタス、JALとの共同運航便。8番搭乗口より定刻に搭乗開始。おいらが利用する成田行きの1時間前に出発予定だった関西行きは、使用機材到着遅れの為に1時間の遅れとのアナウンスが。しかしおいらの便は、定刻にボーディングが開始された。実はチケット手配の段階で関西行きも視野に入れていたので、こりゃあ春からまたまた縁起がいいわいと、さっきのラウンジ権放棄がチャラになるくらい気分上々でおいらはシップへ向かうのであった。シップは沖止め。当然のごとく徒歩にて機側へと向かいます。使用機材はA330。
2012.01.07
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日本への帰国は2年ぶり、そして鹿児島の実家への帰省は、実に2年7ヶ月ぶりとなる。年末最後の業務日にしゃちょー。へ連絡を入れ、事情をお話しして休暇の許可をいただいた。そしてその日に自宅のPCでうおりゃああああーーっと一気にフライトやホテルの手配を済ませ、出来たぁーーーっつというタイミングでごぉーーーんと正月を迎えたというドタバタな年末であった。(実際には除夜の鐘ではなく花火の打ち上がる音で正月を迎えるのだが)おかげでという訳ではないが、うちの嫁はんも年越し蕎麦ではなくうっかり年越しスパゲティを作ってしまったという2011年の締めくくりになった。最終便のセキュリティチェック。その日の業務が終わる為、この便はいつもスタッフからボーディングをせかされる。年明けからの1週間は、休暇中の業務の引継ぎなどを済ませ、金曜日の終業後、その足で職場から直接ロッキーの空港へ。そしてその晩に、おいらの弾丸ツアーでは欠かせないヴァージン航空のブリス行き最終便に飛び乗ったのである。(この便が意外と直前に買っても安いのよ奥さん)ロッキー出発時にFacebookに書き込みしたところ、携帯に「あんたどこいくのさこんな夜更けに(倒置法)」というこあらオヤヂさんからのテキストメッセが入っていた。そん時おいらは、シャトルバスの待ち時間が30分以上あるという事で空港で一緒にタクシー待ちをしていたおばはんとハナシがつき、相乗りでブリスの市内へ向かっていた所だった。「行きずりのご婦人とともにタクシーでホテルへ向かっている」という主旨の返信にこあらオヤヂ氏は大きく勘違いし興奮していた様子であったがそれを放っておき、おばはんが5つ星ホテルのパークレジスでタクシー代の半額を支払って下車された後、おいらはその2ランクも3ランクも下のアイビスブリスベンで残りの半額を払ってタクシーを後にした。これで先ずは約25ドルの節約。嫁はんのドケチ道の教えもこういう時に役に立つものである。アイビスブリスベンは、うちのリゾートが新しいブランドになる時に暫く手伝いに来てくれていたグレン君が支配人をしているホテル。今回事情を説明したところ、非常にありがたいレートで宿泊を提供してくれた。あん時グレン君に優しくしておいて良かったと、「情けは人のためならず」という諺を身にしみて感じた夜でもあった。チェックインしたのは夜も22時を回った頃。翌朝11時前にゴールドコーストを出発する飛行機に乗るためには市内を5時台の電車に乗らなければならず、チェックアウトは5時半、つまりホテルでの滞在時間はわずか7時間半。それだけにグレン君のオファーはおいらにとっては大変ありがたく、お礼にとメッセージを添えて、日本へのお土産予定だったチョコレートをひとつ客室に置いてあげた。ハウスキーパーのおばちゃんが自分宛だと勘違いしないのを祈るばかりである。さぁ、明日は丸々1日移動日だ。
2012.01.06
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ご訪問いただいた皆さん 明けましておめでとうございます。(つうか、もうこの挨拶にも違和感を感じてくる今日この頃ではありますが)皆さんはどんなお正月を過ごされたでしょうか?我が家はしょっぱなから千客万来。日本から昨年のリベンジを果たしたじいじ、せっちゃん、それに義兄のところから4人息子のうちの下2人(つまりおいらにとっては甥っ子)も今回初参加で、かちょー。家はこの1週間、この4人を含め、いきなりの7人家族になった。さすがに我が家の車はこの大家族をカバーするだけのキャパがない為、ワゴン車を借りて対応。家でも集められるだけの寝具を集め、まさにミニ合宿状態。でも新春早々一気に賑やかになり、笑う門には福が来るという諺を実践するかのような、楽しい正月を過ごすことが出来た。空港から自宅への道すがら、いきなり露店のマンゴーを「大人買い」。静岡からヤップーンまではほぼ24時間の道のり。さすがに到着日の午後はぐったりしていたじいじと孫たち。やんちゃ坊主は、早速犬猫用の出入口を自分の勝手口に。しかし翌日、気力も体力も120%回復し、職場仲間のI子ちゃん、S子ちゃん、そしてS子ちゃんの友達で滞在中のY子ちゃんの3人を誘い、グレートケッペル島へ真夏の1日遠足へ出かけた。風が強くて波も高く、30分の船旅は結構エキサイティングであったが、とにかく天気は最高。島の周辺まで行くと、海の色もエメラルドグリーン。軽く弁当を食べた後でビーチ遊びを楽しみ、午後はクルーズ船でリーフ周辺へ行き、シュノーケリングを楽しんだ。おいら達が荷物を置いたままビーチで遊んでいると、なんとその荷物を狙ったギャングが出現!これはシャッターチャンスと思い、暫くこいつをパパラッチしたのであるが、こいつが結構「どんくさい」やつで、自分の身の丈が金網の穴より大きい事に気がつくまで一生懸命エスケープしようとしていたり、この後にも小鳥に威嚇されてビビッていたりと何とも情けない。「お前も頑張れよ、俺も頑張るから」とついついこの小心者ゴアナに自分の姿を映し出してしまうのだった。翌日(3日)からおいらは仕事が始まったので、彼らと合流するのは夕飯以降だけだったのであるが、日中はシドニーやゴールドコーストでは体験出来ないような、田舎なりのホリデーを満喫してくれたようである。わがBOSSから差し入れしていただいたマッドクラブを堪能。リゾートでつかまえたカブトムシに男の子達は大喜び。A美は一言「気持ち悪い」リゾートの人気アクティビティ、アーチェリーにも挑戦月の砂漠ではない、緑のリゾートをはるばると。椰子の木登りもお手のもの。とろけるような「和牛しゃぶしゃぶ」を堪能。うちのA美も女子にしては相当やんちゃな方であるが、男の子はとにかく元気で朝から晩までパワーが有り余っている。そしてエネルギーが切れるとまるでブレーカーが落ちるようにコトリと寝てしまうという極端さが面白い。釣りや虫捕り、木登りなど遊び方も女の子とはやっぱり違うなぁ、と実感した。男の子の父親の皆さん、ほんとご苦労さんですなぁ、って感じ。彼らは週末にヤップーンを離れ、7日の朝に日本へ向けてシドニーを発つ予定。そして彼らより1日前に、おいらはゴールドコースト空港を発ち、一足お先に日本へと出発する。父の様子を見るのが一番の目的であるが、勿論自身のメディカルチェックや買出しなど、予定は山積み。そんな道中も、ブロガー魂でネタはしっかり押さえてこようと思います。という事で、何かと慌しい新年一発目の日記になってしまいましたが、今年もひとつ、宜しくお願い申し上げます。
2012.01.01
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大晦日。年の瀬、なんて雰囲気は微塵もないヤップーン。何てことはない「ただの真夏の週末」である。しかしこうして落ち着いて考えてみれば、2011年は、周りも自分自身もいつにも増して波乱ずくめの1年だった。洪水騒ぎに明け暮れた1月に始まり、2月は台湾遠征計画が仕事で企画倒れに終わる。3月に東日本大震災が起こったかと思えばそれとは関係なく4月は頻繁にシドニーへ出張。そんな中、5月には無事に滞在ビザを延長し、6月はとりあえず家族が久々の一時帰国を果たす。7月はおいらが心身のバランスを崩してしまい、8月にはシドニーで病院のお世話にもなった。9月にようやく大きな仕事が決着し、10月から晴れてホテルが新しいブランドでスタート。11月から新しい経理の分野の仕事にチャレンジを始め、紆余曲折しながらもこうして12月の年の瀬を迎える事が出来た。自分の事でいっぱいいっぱいだった今年を反省し、皆に支えられてここまで頑張ってこれた事を感謝しつつ、来年は、もっと世の為人の為に頑張らならなくては、と思う。ニューイヤーの明日からは、静岡の義父が孫達を連れて元気に遊びにやってくるので、つかの間の正月休みを、彼らとともに満喫したい。一方で、自分自身の父親については、先般の病院での検査結果が思わしくなかったとの知らせがあった為、会社に頼んで年明けに少しの間だけ帰国させてもらう事にした。実家への帰省は実に2年半ぶりになる。父は御歳もはや82才なので、実際、これまで一度も大病に罹った事がないのが奇跡的なくらいである。それだけに今回は父親自身がだいぶ自信をなくして凹んでいる様子なので男親と息子なんて、そんなに会話をする事もないんだけど。できるだけ父と多くの時間を持ちたいと思っている。また実家の近くに住んでいる実姉も、嫁いだ身とはいえ4年前に母親を看取ったのに引き続き、これから父親の介護も行う事になる為、今後の事も考えて姉とも十分に話す時間を持たなくてはならないと思う。そして、自分も娘を持つ父親として、できるだけ将来、面倒をかけてしまわぬよう、自分自身の健康管理に気を配っていかなくてはならない、と痛切に感じている。今回の帰省中に、タイミングがあえば人間ドッグなどの自己のメンテナンスも行う予定である。来年もこうして波乱の幕開けとなりそうであるが、運命はしっかりと受け止めてそうした中でも楽しみとやりがいを見つけながら、笑って過ごせる2012年としたい。今年も本当にお世話になりました。来年も家族ともども、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
2011.12.31
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イブとクリスマスが週末に重なり、ボクシングデーと振替休日で、今年は27日の火曜日までホリデーが続くらしい。正月があんまりスペシャルでないこの国では、クリスマス期間中に来年に持ち越せないくらい金も体力も使い果たす。しかし体力的にビハインドのある日本人は、この調子に合わせていたら借金も体重も限りなく増えていくので、とにかく自制のシーズンである。我が家も娘には、「今年はサンタがイミグレーションで入国拒否された」と言いくるめ、極めて質素なクリスマスを過ごす事に徹している。先月のバースディで破格のプレゼントを与えたため、クリスマスプレゼントもささやかに。おいらからA美へは「愛ポッド」用のイヤフォンを。ちなみにピンクのシリコンカバーは日本のゴッドマザーA子姐さんからA美へのプレゼント。「愛よりお金」の嫁はんへはウーリーのギフトカードを。しかし「自分のために使って」というおいらの思いに反し、このギフトカードは野菜やパンに化けそうな予感がする。ちなみに嫁はんからおいら達へはクリスマスプレゼントとして年末に新しいテレビを買ってもらえる予定。デジタル放送受信用のユニットは、安い分だけ故障も多いらしく、ここへ来て嫁はんとしては異例とも言うべき、「テレビ新規購入」という大英断を下した。「大型家電を買うと転勤になる」という我が家のジンクスが作用しなければいいのだが。この時期大雨と洪水に見舞われた昨年のクリスマスシーズンに比べれば今年は涼しいながらも天候は安定しており、ホリデーをエンジョイするにはもってこいの状況である。しかし金は出さずとも、バカンスへ出かけなくても職場でも家でもクリスマス気分はそれなりに味わえるものである。リゾートもクリスマスモード。雰囲気だけはしっかりと味わう。オフィスで飲むコーヒーもクリスマスバージョンで気分アップ。(こちらもA子姐さん提供)「石焼きいも~」ではなく、「アイスクリームいらんかね~」の声につられ、自宅前で販売車を止める。年明け早々には義父がせっちゃんと、今回は孫2人つまりおいらの甥っ子を連れて総勢4名で当地を来訪する事になっており、その時に彼らとちょっと遅めのクリスマス&正月を奮発して楽しむ予定である。義父とせっちゃんにとっては、昨年洪水でこちらへの来訪がキャンセルになった事もあり、例年になく楽しみにしている様子。また甥っ子2人も初めての海外旅行に興奮気味。その為にも、気を引き締めて、ついでに財布の紐も引き締めてこの年末をつつがなく乗り切っていこうと誓うかちょー。一家であった。おいらのクリスマスの楽しみはいつもこれ。これまた安上がりの娯楽。おいらにとってのクリスマスソングはジングルベルでもマライアキャリーでもなく「ボレロ」である。皆さんも、どうぞ楽しいクリスマスを!
2011.12.25
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オフィスで仕事を手伝ってくれているS子ちゃんにカエルの形をしたグミをすすめられ、ありがたくいただいた所、予想外に粘着力が強力で、ゴリッといういやな予感がする歯応えとともに、奥歯の詰め物がぽろっと取れてしまった。グミ(イメージ)S子ちゃんの前では冷静さを装っていたおいらの焦りは実は半端ではなく、歯の心配より、真っ先に頭に浮かんだのはお金だわお金だわお金だわお金だわお金だわお金だわお金だわという事だった。なんせ歯科のみならず、医療については高額かつ「売り手市場」であるこの国。診療所のアポは数ヶ月待ちだの、歯の治療は千ドル単位だの、そんな噂ばかりを聞いていたので、日本で出来る限りの治療とメンテナンスを受けて赴任してきたのだが、ついに赴任4年半目をして初めてこちらの歯科治療を受けるハメとなってしまった。しかし予想に反し、思いのほか治療のアポイントはあっさりと取れ、翌日の午後には町の歯医者さんの待合室にいるおいらの姿があった。しかも初診の手続きの後にすぐに診察室へ通され、全くストレスを感じる事なく診療を受ける事が出来た。診察スペースは完全個室。診察台はフルリクライニングでまるでファーストクラスのシートのよう。おまけにオーバーヘッドモニターではクローズアップされた患部の映像が映し出され、先生はその映像を指し示しながら症状と治療に関する懇切丁寧な説明をしてくれたのだった。イメージ歯医者に行ったのはかれこれ5年近くも前なので、歯科医療とはこんなに大きく進化していたのか、とスマホショックに引き続き大きなカルチャーショックを受けた。先生の説明によると、おいらのFilling(詰め物)が取れてしまったのは、経年劣化によるものと、内部の虫歯が進行してしまった事による緩みに起因しており、(この時とても「蛙の形をしたグミ」が原因である事は公言できず)治療のオプションとしては、取れた銀製の詰め物を再接着するか、今の穴の形にあわせ、新しいセラミック製の詰め物を作り直すかのいずれかとの事だった。前者の場合は当日その場で処置が完了し、治療費も200ドルで済むが、またポロリと取れる可能性は否定できない。後者の場合は半永久的に問題解決できるが、さらに3日の治療を要し、金額もだいたい1,000ドルくらいになるとの事。日本の健康保険以外の医療保険に加入していないおいらは、迷わず前者を選択し、様子を見る事にした。たかだか奥歯1本に1,000ドルかけるのは、たとえ清水の舞台からバンジージャンプをしたとしても決断できないおいらであった。治療は滞りなく終了し、先生は、「説明の通りこれはあくまで仮処置だから、今後痛みや知覚過敏などの症状が出たらいつでも遠慮なくコールしてね」と言ってくれた。今回はアポイント及び事務対応、待ち時間、ファシリティ、医師による適切な説明などどれをとっても申し分なく、これまで聞いていた豪州歯科医療に関する巷の悪評は何だったんだろうと思うほどであった。Icon Dental GroupShop 5b Echelon 18-22 Anzac Parade, Yeppoon QLD 470307 4939 2900http://www.icondental.com.au/と同時に、後日おいらが外出していた時に、おいらのデスクにはS子ちゃんからの業務メモと共に、差入れとして事もあろうに「同じ破壊力を持つグミ」が置いてあり、「実はこいつが犯人です」とグミの袋と一緒にS子ちゃんの首根っこをつかまえて先生のところへ突き出してやりたいという気持ちを抱いたのであった。S子ちゃん、でもいつも仕事のお手伝い感謝しています。次は歯に優しいお菓子でお願い♪。
2011.12.18
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いつの間にか12月になっていた。日本は師も走るくらいに忙しい月というイメージであり、ここオーストラリアでも状況は似たようなものなのだが、その緊迫感よりは「もうすぐクリスマス、シャンシャン♪」という気分の方が上回るらしく、そうした浮き足だった環境とは対照的に、電話やPCの向こうの殺気漂う日本とともに黙々と仕事をこなしている最近のおいらである。そんな中、これまた「いつの間にか」この地域の地上アナログテレビ放送が終了し、完全にデジタル放送、いわゆる「地デジ」に移行していた。全然「Ready」じゃなかった・・・会社でその話題になっておいらも初めて気がついた程、こちらでは目立ったキャンペーンなどなかったと認識している。日本の地デジ完全移行の際には、草なぎ君や「地デジカ」なるキャラクターまで登場し、大々的に告知が行われていたと記憶しているが、こちらでイアンソープや「地デジイグアナ」「地デジマイト」などを見た覚えはない。しかも我が家ではテレビを視聴する機会がほとんどなく、情報のほとんどはPCや地元新聞から収拾しており、テレビはもはや「DVD再生専用機」となっている為、そうした動きに今まで全く気がつかなかったのかも知れなかった。回覧板でも回ってくればいいのだが、隣家まで数十キロという家もあるし、それも非現実的。我が家のテレビは勿論アナログ、ホテルのいわゆる「お下がり」であり、テレビ視聴をする為にはテレビを買い換えるか、地デジ対応のTop Box(チューナー)を購入しなくてはならない。しかし今のところその必要性を感じない為、暫くはSee what happen、静観する構えである。そりゃあ、地デジにして「家政婦のミタ」や「VS嵐」なんかが受信できるのであれば喜んで対応するのであるが、そんな事は期待できそうにないし、現実、うちにはテレビ放送を録画する機能もない、つまりは録画して観るほどの番組もない、という事で、今後もおそらく、この環境は続くものと思われる。ま、様子見だな。そんな12月は、学校の最終学期終了のシーズンでもあり、A美の学校も今週末から長い長い夏休みに突入した。これから1月第3週まで続く「ロンバケ」である。学校では毎年、第7年生の卒業式の後日、Year End Concert(いわゆる学芸会)というものが行われる。各学年単位でそれぞれ歌や踊りなどを披露するのであるが、お仕着せでなく、やっている本人達が心底楽しんでやっているのでおいら含め、観客の父兄達も毎年大変楽しみにしている。特にステージの「トリ」となる卒業生(第7年生)はその圧倒的なパフォーマンスで毎年大盛り上がりとなり、今年も体育館は熱狂の渦に巻き込まれた。その一部をご紹介したい。(途中でメモリー切れとなった為)ごらんの通り、とても12歳とは思えない程のエンタテイメントであった。これらの内容は、先生のアドバイスなどを得ながら自分達で考えるようなのであるが、きっと親御さんの年代を考慮した先生のアドバイスだったのであろう。往年の名曲をメドレーにしたもので、おいら達世代にはとっても懐かしく、父兄達もノリノリの10分間であった。来年はA美もいよいよ最上級生の7年生。今回はデジカメの調子が悪く、彼女達6年生の舞台を記録に収める事は出来なかったのだが(幸いママ友達にデータを譲り受ける事が出来る見込み)、A美が来年のステージに立つ頃には、最新のデジタルビデオカメラを購入し万全に備えたいと思ったのであった。(嫁はん出資よろしく)
2011.12.11
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クラスメイトの多くがiphoneだのプレステだのWiiだのと最新のテクノロジーを駆使したエンタテイメントツールを持つ中でそうした話題に全くついて行けてなかった可哀想なA美。しかし、おねだり一つせず、手作りの「なんちゃってスマホ」で我慢しているそんな娘が不憫でならなかった父親は、僅かばかりの月々の小遣いを爪に火を点す思いで倹約し、清水の舞台から後方抱え込み2回宙返り1回ひねり(別名ムーンサルト)をする思いでBig Wへ出向き、ついにA美念願のipod touch(8GB)を購入するに至ったのであった。A美の喜びようは勿論半端ではなく、早速お気に入りの曲をたっぷりとダウンロードし、寝室へ行くにもバスルームへ行くにも今や肌身離さず持ち歩いている。それでも、持って生まれた貧乏性というのは体に染み付いているもので、部屋にこもって何をしているのかと思えば自分の古くなった靴下をミシンで縫い合わせ今度は手作りの「ipodケース」をこしらえていた。こうすればクリスマスにipodケースをプレゼントでもしてくれると思っているのだろうか。残念ながら、そうは問屋がおろさない。次は自分で買う事を覚えなさいっつの。まぁしかし、このへんの「倹約意識」(別名「どケチ道」)が体に染み付いているのはきっと我が家の「ハウスルール」の存在なんだろうと思う。そのほとんどは嫁はんが公布し、それに基づいて我が家の住人に施行されているのであるが、例えば、・クーラーと乾燥機は設置されているが使ってはいけない。・白熱灯はまめに消す。蛍光灯はスイッチングの回数を減らす。・米のとぎ汁は庭の水撒きに。・トイレ(小)をする際には声をかけあい、まとめて流す。・野菜の皮はまとめてキンピラに。・ホテルのコーヒー紅茶、シャンプー石鹸類は基本「根こそぎ」持ち帰る。などなど。「さすがにもう入ってないだろ~」というくらいペチャンコになったチューブから歯磨き粉がにゅる~っと出てくるたびに、わが嫁の手を「ゴッドハンド」と崇め奉っているおいらである。
2011.11.25
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恐れていた日がとうとうやってきてしまった。3年9ヶ月に渡ってうちのオフィスで経理を担当されていたSさんが退職されたのである。もともと一年近く前から、退職の意思表示をされていたSさんであったが、決算の仕事が一区切りつくまではと、今日の今日まで会社に貢献されての円満退社であった。会社の会計を一手に引き受けられ、毎日遅くまで仕事をされていたSさんの勤勉さには全く頭の下がる思いであり、同時にユーモアたっぷりの親しみ深い人柄で、おいら達にとっては非常に頼れる貴重な存在であった。そして、以前から日記でもちらっと触れていたのだが、そんなSさんが築き上げてきた経理の仕事を、何故か経理の「ケ」の字の知識もないおいらが、Sさんの後を継ぐ事になった。Sさん退職後の人材の補充はない為、今自分が抱えている仕事に加えて、である。自慢じゃないが、おいら40代にしては「毛」はふさふさある方なのだが、そんな事は残念ながら経理の「ケ」の字とは微塵も関係がないらしく、Sさんがいなくなった途端に、数字の集計やお金の管理に悪戦苦闘する事となった。おいらの今までのフィールドでは、1+1が1.8だったり、2.1だったりしてもさしたる影響はなかった。しかし経理の世界では、1+1は絶対2でなければならない。帳簿のバランスがあわなかったとしても、「そこは見逃しておくれやす」とか「次頑張りますから」じゃあ済まされないのである。おいらは、どちらかというと論理的ではなく右脳で感覚的に仕事をしてしまう人なので、数字が緻密に整った資料よりは、棒グラフと文章のレイアウトとか、巧みな文章表現とかで逃げ切ろうとするタイプ。おいらが社長なら表紙はこうしたい。なので、商売の実態がどうなっているかという肝心な損益の数値よりも、このグラフの配色が気に入らないなぁ、このフォントよりは、こっちのフォントにして、文字サイズも統一して、なんて事をやっている間にハッと気がついたらそんな無駄な事に数時間を費やしていたとか。月次の会計の報告を作るのに、何故か文章がエッセイ調になってしまったりとか。しかも、ビジュアル的に資料が素敵に仕上がった場合や、ビシーッとファイリングや製本が出来あがった場合、その数字や内容はガタガタながら、ものすごいいい仕事をしたように大きく勘違いしてしまうのがおいらの悪い癖。そんな失敗ばっかりを繰り返している毎日。だめよ。こんな事ではいけないわ、実のある仕事をしなくては、と思いつつも、なんせ会計や簿記のバックグラウンドのないおいらにとっては、毎日が緊張と頭痛の連続なのである。引継ぎしていた当初は、あまりの未知の世界の仕事に頭の中を数字がぐるぐる回って吐きそうになっていたのであるが、最近では会計のシステムにアクセスしようとすると、自己防衛反応で猛烈な睡魔が襲ってくるようになったおいらであった。
2011.11.18
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先日の週末、A美の通っている体操教室のクラブ選手権大会があり、夫婦で応援に出かけた。今回の大会はクラブ全体で行われたレベル別のコンペティションであり、その仕草もかわいいLevel1から、ナショナルクラスの高い難度のLevel8まで、幅広いグレードの演技を楽しむ事が出来た。A美の属するLevel3は、初級の上と言ったところ。もう一つ上のLevel4へ上がると、平均台から宙返りで着地したり、跳馬も国際競技に使用される器具を使用したりと、いよいよ本格的になるのであるが、そこへ上がるまではレベルテストをクリアするまでおあずけである。この日のA美の演技の様子は、こちらをご覧いただきたい。但し段違い平行棒は本人曰く着地に失敗したらしく、気がついたらおいらのデジカメからこっそり消去されていた事を申し伝えておこう。本題はここから。この日、家に帰ってから、A美の部屋で体操競技の採点に関する話になった。A美曰く、なんでもレオタードから下着がはみ出たら「減点」になるので、レオタードの下はノーパンなんだそうな。せっかく難しい演技をしても、パンツがでろ~んと見えてしまっただけで難易度が一つグレードダウンするくらいの減点を食らってしまうそうなのである。「何故ゆえにパンツが見えると減点されるのだ?」と父が質問すると、A美曰く、なんでも過去にパンツが見えるのを気にする事によって気が散漫になり、怪我をした選手がいたためだ、とコーチに説明されたという。「ならばブラジャーが見えても減点なのか?」との父の質問に対し、A美は、「ブラはいいんだって。パンツはだめらしいよ」と面倒くさそうに答えた。ブラが良くてパンツが駄目だというルールに納得のいかなかったおいらは、レオタードの下がノーパンであるという事実も相まってついつい興奮状態となり、「何故ゆえにブラジャーはいいのにパンツはだめなのか?」「パンツが見えぬようにTバックを履けば良いのではないか。コーチに確認はしたのか?」「ならば男子はどうする。男はパンツを履かない方が見えてはならぬものが見えてしまう危険があるのだぞ」と、矢継ぎ早に詰問してしまった。おいらとしては極めて真面目な質問だったのであるが、よっぽどそんなおいらからの質問攻めがうざかったのであろう。A美は父親から逃げるように、部屋からぷいっといなくなってしまった。なんだつまんねえの、と思いつつ、おいらも一人A美の部屋に取り残されていても仕方ないので、リビングの方へ下りていった。すると、何故か家の中から聞こえるはずもない「お経」が聞こえてきた。何故こんなオーストラリアの、しかもヤップーンの田舎町でお経が聞こえるのだろうと不思議に思っていると、その出所は我が家の台所でヘッドフォンで音楽を聴きながら料理をしている嫁はんからだった。嫁はんに気がつかれないよう、市原悦子のごとく柱の陰から耳を傾けてその鼻歌であろう声を聴いてみるとどうやらそれは平井堅のアップテンポな楽曲の歌詞に間違いなさそうだったのであるが、どこをどう聞いてもおいらにはそれが「読経」にしか聴こえなかった。なんだか怖くなって、リビングへもキッチンへも行く事もままならず、家の中で居場所を失ってしまったおいらの週末なのだった。
2011.11.04
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1ヶ月程前に、賃借契約をしているうちの不動産屋から突然、「おたくのオーナーがそちらの物件を売りに出す事になりましたので来週から毎週末にオープンハウスを実施します。」との通告があった。「そんなの聞いてないよ~」とダチョウ倶楽部調に言いつつも、この家は我が家の所有物ではないので、基本的に抵抗は無駄である。とはいえ法律では現行の賃貸借契約は保障されるので、すぐに「荷物をまとめてとっとと出ていきな」とかいう状態にはならないとは思うのだが。「まぁこのあたりは居住目的というよりは、投資目的の人が多いから、そのままレントは続けられると思うけどねははは」と、この不動産屋もまるで「他人事」のような口調である。まぁこの担当者(ダニエル)にとっては本当に「他人事」だから仕方のない話ではあるのだが。とかく不動産屋というものは、賃貸人に媚びへつらい賃借人をぞんざいに扱うものである。特にこのエリアは物件を居住や投資目的で購入する人が多いので、賃貸物件は非常に限られており、どうも賃貸業は不動産売買の片手間の商売という感が否めない。というわけで、先週の土曜日は午後12時から13時の間にオープンハウスが実施され、おいら達はその時間帯に外出する事を強制されるハメになった。「コーヒー代くらいは出すからね」と言って渡されたのが近所のコーヒークラブの10ドルのバウチャー。コーヒークラブのコーヒーは確かに美味しいけど、10ドルは家族3人でここんちのコーヒー飲むには全然足りない金額。結局時間帯的にそこでランチを済ませる事となり、家族3人でエキストラ60ドルの出費。マクドナルドのバウチャーをもらっておけば、ハッピーセット3人分は出たかもしれないと軽く後悔。ところが、「まぁ最近は不景気だし、物件もなかなか売れないだろうから気長に広告宣伝しますんで」などど暢気な事をぬかすダニエルの見解をよそに、この物件は先日あっさりと買い手がついてしまった。なんでも新しいオーナーはグラッドストーンに住む人で、この物件の購入も純粋に投資が目的という事らしく、とりあえず、我が家は当面ここに住み続けてもいい事になった。あぁよかったぁ、これでこのクソ忙しい時期に面倒くさい引越しをする事もない、と感激で胸がおっぱいに、いやイッパイになった。幸いうちは職場がホテルなので、いざとなっても当座の食う寝るに困る事はないから助かったが、もし「あんたら1週間後にはとっとと出てってね」って言われていたとしたら暫くはホテルの玄関から「行ってき『まきゃー』」っていう事になっていたかも知れない。それもまぁ、まんざらでもないのだが、やっぱりこの庭から、遠くに見える海を眺めつつまったりとコーヒーを飲みながら時を過ごすのがおいらにとっては至福のリフレッシュなんだよなぁ。(隣のバカがうるさくなければね)なんて事は、新しいオーナーに「そんなに言うなら住んでみよっかな」なんて思わせないように今後間違っても口にしないようにしなくてはならない。
2011.10.29
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こちらへ来てから初めてケータイの機種変更をした。赴任したのが2007年なので、実に4年半ぶりの機種変更である。日本にいた時にはそれこそ新しい機種が出る度にそれを追いかけているような「初物好き」だったのであるが、こちらでは「機種変」どころか「気が変」になるくらい忙しく、日々新しい事の連続だった為に今までケータイどころではなかったのである。今回の機種変は、仕事で日本の本社や上司らと日本語でのメールの送受信が出来るようにする目的だったのだが、インターネットで調べてみると、「海外で購入した機種でも、言語設定で日本語を選択する事により日本語の表示が可能となり、またアンドロイドマーケットで日本語フォントの入力支援ソフトをダウンロードし、インストールした後にデータ入力形式をそのソフトウェアに設定する事で日本語による文書作成も可能になります。アンドロイドマーケットからのソフトウェアダウンロードにあたっては、事前にグーグルのアカウントを取得する必要があります」??????これって日本語か?というくらい頭がグーグルしてテンパレートしてきた。とにかく聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という事で、町のケータイショップへリサーチに行く事にした。念のため「言語支援ソフト」としてA美を連れて行ったのは言うまでもないのだが。さすがに4年半も経つと、ケータイは機種もサービスもガラリと音がするくらい変貌を遂げており店頭の陳列棚やパンフレットを見ていてもアイフォンだのブラックベリーだのスマホだの従来のタイプを探す方が困難なくらい商品ラインナップが一変していた。しかしA美曰く、学校(Primary)でもクラスの1/3ほどは自分の携帯を持っており、それ以外でも多くのクラスメートがipadやipodなどの情報機器を持っているとの事。なので店頭でも「あ、私これ知ってる」「これ友達が持ってる」だの、数年前と比べて完全に立場が逆転しているのだった。メカニックな事には相当疎いおいらなので、店頭の兄ちゃんに、「と、とにかく日本語でデータの送受信が出来るのをテキトーに見繕っちくりー」と懇願し、兄ちゃんが「松竹梅」で出してきた3つの種類から「竹」を選んだのだった。おいらっていつもそう。「松」なんて贅沢だし「梅」だと貧乏って思われるし、でいつも「竹」を選んでしまう。いつでもどこでも中の中。一生一流にはなれないわ。その「竹」がこれ。(LG-P970)もちろん説明書は100%英語である。しかし今時のPCや携帯なんかは「ある程度分かっている」人向けの説明が多く、おいらのように「直射日光には当てないで下さい」「飲み物などの液体をこぼさないで下さい」と言った初歩の初歩から説明して欲しい人にとっては非常に不親切な事極まりない。まぁしかし携帯なんて、操作を間違ったからと言ってイキナリ爆発する事もないだろうし、説明書なんか読まなくても使っていくうちに機能はわかるであろうし、、万一わからなくても、ネットで調べりゃあ何とかなるさ、明日があるさ明日がある、なんて思っていたのだが、この機種はどうやら日本では発売されていないらしく、当然日本語による情報も限られており、意外と設定や機能の確認に四苦八苦する事となった。SIMカードから携帯本体に住所録を移動させる方法がわからず、手書きで全ての情報を紙に書き込み、慣れない操作でちまちまと再入力を完了させた数分後に、「SIMカードからの自動データ取得が完了しました」とメッセージが出てorz状態になったかと思えば、自宅でのwifiへの接続がわからずにたまたま町で会ったワーホリのS子ちゃんを我が家に拉致して設定してもらったりと、機種変初日は頭も変になるくらいパニックの連続であった。しかし、新機種を手にして早や5日。今では着メロをダウンロードしたり、wifi接続でFacebookやこのブログを管理したりと初日のパニック状態などまるでなかったかのようにモバイルライフをエンジョイしている。日本語入力ソフトが「simeji」という独特の入力支援ソフトなので、当初は簡単な一文を入力するのに30分くらいの時間を要していたのだが、今では割とさくさくと入力をする事が出来るようになった。こうなるとキーボードピアニストのおいらにかかればブラインドタッチも時間の問題である。ところで長年お世話になった旧機種は、嫁はんがいつも暇つぶしをしていたソリティアが入っており、機種変更後はそのまま嫁はん専用のゲーム機になる予定だったのだが、SIMカードを抜くと通話どころかケータイそのものが使用できなくなった為に結局お蔵入りする事になった。会社の携帯管理担当者に「バックアップにどう?」と薦めたのだが「そんなancientな携帯はいらねー」とあっさり断られたのは言うまでもない。
2011.10.20
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10月1日。おいらが勤務するリゾートホテルが新しいブランドになった。これはフランスのホテル運営会社のひとつのブランドであり、従って日本でもフランス式に「メルキュール」と「マダ~ム、ボンソワ~ル」風に呼称されるのが普通。東京は銀座にもこの系列のホテルがあるので、おいら達にとっては「メルキュール」という言い方の方が馴染み深い。(発音イメージ)しかし、これが英語読みになると一変して「まきゅわー」となる。それならまだなんとなくわからなくもないのだが、ここはオーストラリア、しかも訛りの激しいヤップーン。こちらでは、はい、大きく口を開けて~「まきゃー」となってしまう。10月1日になると同時に、電話応対の仕方が一斉に変更され、ホテル名の前にこの「まきゃー」をつける事となった。しかも、「ぐっもーにんまきゃーきゃぷりこんりぞーとなんちゃらでぱーとめんとうんたらすぴーきんはうめいあいへるぴゅー?」と、どの部門もきっちりとマニュアルに従って応対する事が要求される事となった為、まだ新しい名称に慣れていないスタッフの電話応対はこの1週間カミカミ状態であった。おいらが勤務している管理部門は、フロントや予約などに比べるとそこまで頻繁に電話はかかってこない為、スタッフも慣れるまでが一苦労な様子。あっちで「まきゃー」こっちで「まきゃー」あっちカミカミ、こっちカミカミ。みんなせいぜい、慣れるまで頑張って会得して欲しいものである。かくいうおいらは、空港で働いてる時は、ちゃんと自主トレに励んでいた。空港ではチェックインカウンターやゲートで、パブリックアナウンスを入れる必要があった為、訓練期間中当初は、よく風呂や車の中で自主トレに励んでいたものだった。一番苦手だったのは、ボーディングの案内のフレーズ。「スカイ○ークより、303便にて鹿児島へご出発予定のお客様へご搭乗のご案内を申し上げます。スカイ○ーク303便、定刻13時25分発鹿児島行きは、間もなく致しますと皆様をご搭乗機へとご案内いたします。ご搭乗に際しましては、先ずはじめに、スーパーシートシグナスクラスのお客様、3歳未満のお子様連れのお客様、ご高齢のお客様ならびに、ご搭乗に際しまして係員のお手伝いを必要とされるお客様より先に機内へとご案内いたします。優先搭乗ご希望のお客様は、どうぞ39番搭乗口までお越し下さいませ。なお、そのほかのお客様につきましては、次のご案内がございますまで今しばらく当ロビー内にてお待ち下さいませ。」これを一気にアナウンスしなくてはならないのだが、とにかくやたら長いので、かまずに言い終えた時には「おいらってもしかして滝川クリステル?」というくらい暫く自己満足に浸っていた程であった。晩年はインストラクターお墨付きで「羽田のウグイスボーイ」の異名を取るまでにPAが上達したという事を申し添えておこう。いつものごとく話は脱線してしまったが、とりあえず、新しいブランドがついてさらに活気づいているリゾートであるが、今のところ施設やサービスは従来通りであり、これから徐々に、メルキュールのブランドが浸透していくものと思われる。とは言うものの、昨日までフロントでチェックインをしていたおばちゃんが、突然8頭身のフランス美女に変身したり、和食レストランの納豆巻きが突然「キャビア&フォアグラロール」になる事はないのでどうぞご安心?を。これまでと同様にご愛顧いただき、是非リゾートに遊びに来てくださいませ。
2011.10.08
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ようやく春めいてきたヤップーン。日が高くのぼれば、もう真夏のような日差し。オフィスでは早速クーラーががんがんに稼動し始め、冷え性のおいらとしては、寒い冬が去ってまた一難。これからは人工的な寒さとの闘いになる。つい先日まで足元をヒーターで暖めていたのを考えると、なんてこの国の気候は極端なんだろうと思う。政治にしても経済にしても同じで、グレーゾーンやバッファーゾーンがあるわけでなく、いきなり「白か黒」「夏か冬」なのがこの国。建前「最大限の努力を尽くし、善処いたします」=本音「無理ですね」という日本とは大違いである。てなわけで、春。わがオフィスの春の到来は、大パニックによってもたらされた。オフィス内にひょっこりと、猛毒を持つ蛇が現れたのである。(イメージ)最初は誰かが綴じ紐かなんかを床に落としたのだろうと思っていたのだが、レーシック両眼スーパーアイ2.0のおいらはそれを見逃さなかった。紐にしては不自然に頭がある。目がある。そして舌がチロチロと出ている、のサンサン七拍子。案の定オフィスは上を下への大パニックになった。ヘビに睨まれたカエルではないが、微動だにしない毒蛇に、おいら達も「だるまさんがころんだ」状態で、微塵も動く事が出来ず、オフィス内では、「誰か早く捕まえて!」「だめ、ライセンスを持ってる人間じゃないと!」「エンジニアスタッフにいるよ確か。早く電話して!」「いやよ!アタシが目を離した隙に足元に来たらどうすんのよ!」といった怒号が飛び交うのであった。しかしこういう時は女性陣の方が肝っ玉が座っている。こんな状況の中で、それでもてきぱきと物事を進めていく一方で、なすすべのない男性陣はただただ蛇ににらまれるカエルに撤するしかなかった。かくいうおいらも、事態が収拾するまで机の上に乗ってサンサン七拍子でエールを送る事しかできないヘタレ元応援団員でしかなかったのであるが。程なくスネークキャッチャーのライセンスを持つスタッフが現れ、専用の棒で蛇の首根っこをはさみこみ、(どこからどこが「首」なのかは知らんが)袋に仕留めて難なく御用。そのスタッフは吹けば飛ぶような爺さんだったのだが、その時の彼はシルベスタスタローンよりも逞しく見えた。ヤップーンでは、剣道三段、書道七段、などよりも蛇捕り資格の方がよっぽど社会の役に立つと痛感した。ユーキャンに資格取得講座があったら申し込もうと思ったくらいである。そんなこんなで、春。先日はリゾート全体のサーバーが集結しているコンピュータールームで、ゴアナ(オオトカゲ)が電線に巻きついて死んでいるのが発見された。(イメージ)数日前からバックオフィスで異臭がするのを複数のスタッフが認識しており、下水の詰まりかエアコンのフィルターかなどど協議していたらしいのだが、とどのつまり原因がこれだったようである。結局それを迅速に処理するために、サーバーの電源を切断して対処したのだがその際リゾート中のコンピューターを一時停止する必要に見舞われ、折りしもスクールホリディ期間中のチェックアウト時間帯であった為、こちらはこちらで一時混乱状態になった。「手つかずの大自然をそのままにした地球環境に優しいリゾート」うちのリゾートはこれが「ウリ」であるが、この「ウリ」を守るために体を張って格闘しているおいら達の涙ぐましい努力をご理解いただければ幸いである。カンガルーや孔雀たちはカワイイんだけどねぇ。
2011.10.02
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今週、おいらの大学時代の「後輩K」とその奥さんの「よりちゃん」がヤップーンに遊びに来てくれた。20年前、後輩Kとおいらは同じ大学の応援団吹奏楽部で苦楽を共にした仲。おいらが4回生の時に後輩Kが1回生として入部してきた為、彼とは実質1年間しかかぶっていなかったのだが、おいらの卒業後も現役生を通じて何かと「つるむ」機会があり、またおいら達の結婚式の立会人を後輩Kにさせたしていただいた事もあり、今までつかず離れずの交流が続いているのである。幸運にもこの1週間の間、おいらと嫁はんとで交互に休みが取れたので、彼らの滞在中に、リゾート内のウェットランドやクーベリーパーク、鍾乳洞やショッピングへ連れて行く事が出来た。またそれ以外の日は、リゾート内で乗馬やプール、エステティックマッサージなどを満喫してくれたようである。ツアーにはA美のお友達のCaitieも参加。AKB48が好きとのCaitieの発言に2人とも驚き。動物大好きなよりちゃんは、ウェットランドで寝そべる牛の群れやクーベリーパークでわらわらと集まってくるカンガルー達にいたく感激し、「いやぁ~牛が草を食べてはるわ~」とか、「カンガルーがよーけいてはる~」など、ここは祇園か嵐山かと思わせるくらい、コテコテの京都弁でその感動を「はんなりと」表現してくれた。コアラ抱っこも経験。大の男が「うへぇー」という表情の中、涼しい顔の子供チーム。カンガルーも向こうから寄ってきます。すっかり仲良くなり、握手。鍾乳洞ツアーには嫁はんが参加。中日には自宅へ招き、ささやかながらオーストラリアの家庭料理を楽しんでもらいながら、結局その日は夜中の2時近くまでつもる話に花を咲かせるのだった。おいら達が通った立命館大学は、近郊の洒落た同志社や関学などと比べ、私立屈指の安い授業料につられた貧乏学生の集合体だったので、同志社の連中がマハラジャを代表とするディスコやビリヤード(当時は映画「ハスラー」がブレイクした)など、バブルを象徴するような遊びに熱中していた一方、おいら達は学食で250円の定食や王将で餃子ライスをかきこみながら、朝から晩まで毎日毎日楽器の練習に勤しみ、数少ないオフの日はいい大学生が公園で缶蹴りをしたり近くの駄菓子屋で買った花火セットで花火をしたりと、じみーな毎日を送っていたのを思い出したのだった。おいらとKがそんな思い出話に花を咲かせる一方で、嫁は嫁同士で、お互いの旦那の知られざる一面の暴露大会をしながら、すっかり仲良くなっていた。そんな中、A美は無邪気に「よりちゃんはママの若い頃に似ているね」と言っていたのであるが、よりちゃんは実はママより年上であり、この一言がママに対するクラスター爆弾となっていた事に全く気がついていなかった様子であった。ヤップーン滞在最後の夜は、リゾート内の和食レストラン「鶴家」で久しぶりの和食らしい和食を堪能してもらった。ヤップーンでまさかの「うざく」や「揚げだし豆腐」に二人とも感激。よりちゃんは着付けのライセンスを持っており、この通りにわかに鶴家は「ヤップーン着つけ教室」となった。「こうすれば着崩れしまへんえ~。」おいら達応援団では、上回生は絶対下回生に金を出させてはいけない「ごっつぁん」という暗黙のしきたりがあったのだが、今回は我が家がKよりいろんな日本のお土産をいただき、逆「ごっつぁん」状態となってしまった。先輩の威厳かたなしである。こんなものまで「ごっつぁん」していただきました。この1週間は本当にいい天気で、リゾートとヤップーンの滞在を十分に満喫してもらえ、迎えるおいら達としても大変嬉しい限りであった。空はさながら青春の胸の雄図の姿なり溢るる力示すべくエンジの旗をなびかせて堂々勝ちを争わんグレーター立命 グレーター立命(立命館大学第一応援歌「グレーター立命」より)またあの当時の皆で集まって、この歌を肩を組みながら声高らかに歌いたいものである。
2011.09.24
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今日の話題に入る前に、まずはこの、おいらの過去の日記を読んでいただきたい。渋滞を引き起こすほどに安全運転なおいらの日記今日、1通の封書がオフィス宛に届いた。開封後、BOSSがおいら達に向かって一言。「スピード違反の通知が来ているのだが、8月25日の午前9時20分に、ロックハンプトン市内を社用車で走っていたのは誰だ?」スピード違反なんて、この事務所内で、いや世界中で自分が最も遠い位置にあると確信していたおいら(前述の日記参照)。心の中で「どうせアンタに来た切符でしょ」などとほくそ笑みながら120%BOSSが張本人だと思い込み、自分のアリバイを証明する為にスケジューラーを確認した。なんと紛れもなく自分だった。8月25日のおいらのスケジューラーにはしっかりと「8時半 空港 指宿ホームステイ見送り」と行動記録が記されていたのである。おいら、自慢じゃないけど後続車からパッシングされようが何しようが制限速度はきっちり守って走るのがモットー。日本のゴールドの運転免許証が証明する通り、ことスピード遵守に関してはおいらの右に出るものはいないと自負していた。もし「制限速度をきっちり守ろう世界選手権」なんてものが開催されたとしたら、きっと日本代表に選ばれているであろうというくらいのセーフティドライバーである。そんなおいらが、事もあろうに「スピード違反」だなんて何かの間違いに違いないわ。絶対そうよ。そうに違いないわ。しかしそう思う反面、この時間帯にこの道路を走っていたこの車を運転していたのがおいらだという事は紛れもない事実。スピードカメラの不正確性を証明でもしない限り、逃げ場はなさそうである。しかも驚いた事に、制限速度70キロのところを14キロオーバーの84キロでなんと罰金が1,000ドル!あまりの金額の大きさに、両方の目ん玉が飛び出してころがって5番アイアンで打たれてホールインワンするところであった。カーメルによくよく読んでもらったら、この1,000ドルというのは法人車両に対して科せられる罰金であり、これを個人によるものと申告し、Justice of Peace(治安判事の有資格者)の前で宣誓した場合は、個人への罰金として100数十ドルに減額されるとの事。早速会社内でその資格を持つリネットのところへ行き、違反切符を見せたところ、彼女は自分がスピード違反したものと大きく勘違いし、「オーマイガーッ!アタシどこでスピード違反したの!?」と気を失いかけた。慌てて、「違う違う、アンタのじゃない」と言うと、「あーびっくりした。寿命が100年縮まったわよ」と安堵の表情を見せた。「この女の安堵感とおいらの厭世感をすり替えてしまいたい」と心の中で思いながらも、とりあえず彼女の署名をもらい、指定の郵送先へ投函。例えばおいらが単なる旅行者であれば、ブッチする事も出来ようが、もしこのまま逃げたら警察に追跡されて事務所の社員の前で拘束されて後ろ手に縄で縛られさぁキリキリ歩けっお前は犯罪者だもう日本には帰れまい最後に家族と話をさせてやろうひっひっひとカツ丼をすすめられた後に妻と子供の声を涙ながらに聞きついにはタスマニアの奥の監獄に収容されて終身刑でファームで奉仕作業をして牛の糞にまみれてサンドフライに刺されて一生を終えるんだああああああああああああ。そんな事にはなりたくないので、大人しく少ない小遣いから罰金払って、点数引かれて、オーストラリアのカタギの生活を継続する事にしたのである。そんなおいらだが、実は2年ほど前にも似たような場所でスピード違反(この時はネズミ捕り)に捕まった事があり、こんなに安全運転を心がけているおいらが2回も捕まっているのに、スピード狂やラフドライバーの同僚や先輩方が1回も捕まらないというのはどうも腑に落ちない。ひょっとして警察はおいらの事をストーカーしているのではないかと思うくらいである。今年は何かと「車運」が悪い事このうえないおいらだが、まぁ自分の身に何も災いが起こっていないという事をラッキーに思うぐらいの気持ちでいるくらいがいいんだろうな、と思うのであった。
2011.09.16
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今年は震災の影響で前シーズンのフィギュアスケート世界選手権が4月にずれ込んだ事もあり、あっという間に今シーズンが到来したといった感じがします。というわけでこれからの半年のおいらのブログは、日々のつれづれに加えてフィギュアスケートの話題が増えてくると思いますが、どうぞ懲りずにお付き合い願います。さて、今週1週間は、州都ブリスベンにて、2011世界フィギュアスケートジュニアグランプリシリーズ第2戦オーストラリア大会という、スケートヲタにとっては大きな国際イベントが行われたのですが、誰も知らないよね?それくらい、パワーとスピードのスポーツに偏重がちなこの国ではフィギュアスケートは非常にマイナーなスポーツ。お隣の国でラグビーのW杯が開催された事は知っていても、自国でこんな国際試合が行われている事なんて、ほとんどの人が知らないわけです。その証拠に、試合観戦チケット販売に関してはフットボールやテニスなど、メジャースポーツがTicketek や Ticketmaster など、オーストラリア版チケットぴあのようなチャンネルではなく、スケート協会へ直接メールで申し込む形式であり、しかも「座席は自由席」「当日も会場で購入できます」など、悲しいくらいにフレキシブルでした。とまぁそんな情報をいち早く仕入れていたおいら。皆さんご承知の通り、おいらはスケートの試合を観るために飛行機に乗って日本へ帰国しちゃうほど、スケートヲタレベルとしては「AKBのためならCD100枚買いマス」に匹敵する程なので、ブリスベンへ試合を観に行くなんてお茶の子さいさい。サンダルつっかけて近所のコンビ二へカレーまんを買いに行くよりも気軽に考えていました。しかしそこには予想もしなかった落とし穴があり、通常人気競技の為、他国では週末を中心に行われるスケートの日程が、何を思ったかブリスベン大会に限っては木曜金曜の「ド平日」。そこまで週末に仕事したくないんか豪州スケート協会、と思わず心の中で怒鳴ってしまった程でした。という訳で、同じ週に大事な仕事を抱えていたおいらは、そこに穴を開けるわけにもいかず、数年に一度であろうかというこの地元での貴重な試合を、現地観戦するには至らなかったのであります。但し試合に関しては、滑走直後にISU(世界スケート協会)がyoutube公式ページにアップしてくれるので、観たい選手の演技は全てチェックする事が出来ました。それでもやっぱり、生で観戦するあの臨場感は何者にも変えがたく、いつもフィギュアスケートに関してだけは、不毛の地オーストラリアに生活している事を残念に感じるのであります。試合はアメリカのコートニー・ヒックス選手が力でねじ伏せて優勝した、という感じ。荒削りながら、今後のプロデュース次第では伸びしろの広さを感じました。そして2位に、昨年の全日本ジュニアチャンピオン、シニアでも5位に入った期待の庄司理紗選手が入り、グランプリファイナル進出へ向けて好スタートを切りました。彼女は間違いなく、安藤美姫選手や鈴木明子選手が引退した後、浅田真央選手や村上佳菜子選手らと日本を引っ張っていく代表クラスになるはず。今後も試合が連続していきますが、せめてこの試合後はリラックスして、オーストラリアを楽しんで帰って欲しいものです。なお地元では、オーストラリアのブルックリー・ハン選手が総合7位に食い込み、かなり難易度の高いジャンプや質の高いスピンで地元の観客を沸かせていたようです。映像でもわかる通り、空席の目立つ会場がファンとしてはちょっと残念。フィギュアスケートの観戦チケットが入手困難で売値の2倍にも3倍にもなる日本にも困ったものですが、やっぱり選手としても、満員御礼の中で演技したいんじゃないかなぁと思います。おいら的にはこの通り盛り上がった週だったんですが、誰も知らないよね?(しつこい?)
2011.09.10
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先日シドニーへ行った際にはカンタス航空を利用したのですが、シドニー空港が恐ろしく簡素化されていたのに軽いショーゲキを受けました。広々としたチェックインロビー。しかし空港に良く見られるチェックインカウンターが見当たりません。その代わりに、ATMマシーンのような自動搭乗手続受付機が。まぁしかし、これくらいなら日本も同様に進化していますよね。しかしカンタスシドニーのすごいところは、手荷物預けまでもが自動化されているという事。おいらのかばんは機内持ち込みOKサイズなのですが、毎度の事ながら、今回も中にマヨネーズ2kgを含む日本食材が満載だったので、手荷物を預ける事にしました。搭乗手続時に画面上で「手荷物預けあり」を選択し、一定の制限項目(超過重量及びサイズ、壊れ物、可燃物その他)をクリアしていると申告した場合、最終目的地までの搭乗券に加え、手荷物タグがチェックイン機から発行されます。それを自分でこうやってカバンにつけます。(この作業、空港でチェックインの仕事してた時以来でした)そして、手荷物専用のチェックイン機へ。タッチパネル式の画面の指示に従い、荷物をプラスチック製のトレイに乗せ、トレイごとベルトコンベアーに乗っけて重量のチェック。それが終わると、荷物は自動的に奥へと流れていきました。いやー、進化というか、とにかく便利になりましたねー。これなら確かに、チェックインに行列を作らなくてもいいし、航空会社側も人件費をカットできるからその分航空運賃を下げてくれれば利用者にとっては御の字ですけど。結局、一連のチェックイン手続きが完了するまで、誰とも会話しなかったんですよ。勿論ロビー周りにはGSAの人たちはいましたけど、「困ったときのお手伝い」要員ですしね。昔チェックインの仕事をしていた時には、お客さんの体調や挙動などにも気を配ったり、お客さん自身には「預け荷物制限アイテム」という認識がないものを会話の中ででさりげなく発見したりとか、そういった配慮をするように教育されていたので、今の時代の、あまりにもオートマティックに事が進んでしまう事に逆に戸惑いを覚えました。チェックインカウンターでのトレーニングで、「お客様へお釣りのお札をお渡しする時は、肖像画が逆向きにならぬよう、かつ両手を揃えてお渡しする事」と教育を受けていたおいら。そんな搭乗手続も、「古き良き時代」と回顧されるような時代になっちゃったんでしょうか。と感慨にふける、昭和生まれのおいらでした。
2011.09.03
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日本ではゲリラ豪雨に見舞われているようですが、東京にお住まいの皆さん、大丈夫でしょうか。東京は大雪や大雨などの天災に弱いですよね。十分お気をつけ下さい。さて、今週はちょっとだけ仕事のお休みをいただき、シドニーまで、とある医療検査をしに行った。ここんとこ身体が本調子ではなかった事もあり、以前から気になっている部分をこの際一度きちんと調べてもらおう、と思い立ったのである。地元で検査を受けてもよかったのだが、病院のアポがいつ取れるかもわからないし、やっぱりきちんとした説明を日本語で受けたかったので、費用はかかってしまうけど、シドニーまで行く事にした。診療所では、問診・触診に血液検査や尿検査などを行った。日本人の医療アシスタントの方がおられたので、その方を介して日本語で自分の身体や症状に関する説明をする事が出来、また医師からの説明やアドバイスも日本語で受けられたので非常にありがたかった。そして念のために、翌日別の医療検査センターでウルトラエコー(超音波)を取る事になった。ただ、エコーに臨むにあたっては注意事項があり、それは1.検査の90分前までに排尿を完了する事。2.検査90分前より60分前までの30分間に、1リットルの水を摂取する事。3.検査まで排尿を「絶対に」行わない事。というものだった。つまりは「ボーコーを満タンにして来い」という事。既にご承知の通り、几帳面を絵に描いて額に飾って風呂敷に包んで防火金庫に仕舞うような性格のおいらなので、上記の言いつけを忠実に守り、午前11時のアポイントから逆算して9時半には朝食を終え、最後の排尿をしてからホテルの部屋で30分1リットル1本勝負に臨んだ。しかしこの第一関門でおいらは予想外に苦戦する事になった。30分に1リットル、15分に500ミリリットル、3分に100ミリリットル、と考えればそうそう難しくはないだろうと高をくくっていたものの、人間、喉も渇いていないのに、そうそう水なんてぐびぐびと飲めるものではない。汗で発散すればその分水分もたやすく体内に吸収できようが、それだとこの検査準備の意味が無い。という事で、まさに胃にボーコーに水を「詰め込む」ようにして何とか30分内に1リットルを「完飲」する事が出来た。「レギュラー満タン入りましたッ!」ってな感じで、全身ボーコー人間の出来上がりである。ところが、おいらが地獄を見たのはこの後だった。10分も経たないうちに尿意を感じるようになった為、暫くはテレビを見たり、読書をしたりして気を紛らわしていたのだが、だんだん尿意は強くなり、自分で自分を欺くのにも限界が近づいてきた。もともとトイレは人より随分近い方だし、学校の授業中や飛行機の離着陸時など、「してはならない」時に限って尿意を催すタイプのおいらは、なるべく頻繁に用を足すように心がけてきた。まさに今回はそんな身につけた習慣がアダとなってしまったのである。アポ30分前にはどうにも我慢できなくなって、ホテルの部屋を飛び出し、すぐ近くの検査センターへ足を運んだ。ちょっとでも背筋を伸ばすと漏れそうだったので、腰の曲がった爺さんのようにジョージストリートを横断するおいらは周囲からさぞかし異様なアジア人に見えていた事だろうと思う。ようやくたどり着いた検査センターではしかし、受付のお姉さんに「11時まで座って待つように」と言われた。そんな時間まで待っていたらシドニーの都心部で大洪水が起こってしまう。ちょっとでも下腹部に触れられたら待合室が大阪東梅田の泉の広場になりそうだった為、お姉さんにアポの繰上げを直談判する事にした。これは「泉の広場上る」しかしその時、頭の中は「シッコ漏れるシッコ漏れるシッコ漏れるシッコ漏れるシッコ漏れるシッコ漏れる」という状態だった為、冷静に「アポイントを繰り上げてもらえませんか」と言うべきところが、出た言葉が何故か「Nearly Due」 (産まれそう)であった。お姉さんは状況を察知してか、「アポは変更できないから、トイレ行っていいけど、半分だけ出して」と言った。半分だけ出すなんて、そんな絶妙な排尿コントロールは生まれてこの方した事ないわ、なんて思いながらも、近年悩まされてきた頻尿感、残尿感といった症状が今回功を奏し、器用にもだいたい26%程度を排出する事に成功した。さすがおいら。いつの間にかこんな技を身につけていたらしい。その後も数回の排尿でボーコー残量74%を維持し続け、その日は無事にエコー検査を受ける事が出来た。検査終了後に再びトイレへ駆け込み、全てを放出し終わった時には、まるで夏休みの宿題を終えた時の様な一種の解放感を味わったのは言うまでもない。後日病院から「すべての検査において正常値であった為、深刻な病気ではないと思われますが、慢性の症状を抑える為に6週間薬を服用してください」との報告。とりあえずひと安心であった。今回、結局は「安心を確かめに行った」という事になったのではあるが、家族を持つ立場となった今は、自分だけの体ではないという事をしっかり認識し、心と体の健康管理に努めたいと思う次第である。
2011.08.27
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寒の戻り、とでも言ったらいいのか、急激に冷え込んできたヤップーン。ここ暫くは春のような陽気に恵まれていたので、尚更にこの寒さが身にしみるような気がする今日この頃である。先週、ロックハンプトン市の姉妹都市である鹿児島県の指宿市より15人の中高校生がロックハンプトン空港に到着した。彼女らはわがリゾートに1泊して旅の疲れを癒し、翌日からロックハンプトン市内で行われるホームステイプログラムへ入るという日程であったが、そんな配慮はいらないわよというくらいに元気いっぱい。前日の朝4時に指宿市を出発し、バスや新幹線、飛行機を乗り継いで24時間以上もの旅行をしてきたとは思えぬ程、到着時からパワフルにキャピキャピ騒いでいたのだった。彼女らは空港到着時にロックハンプトン市からの歓迎を受け、同時に複数の地元テレビ局や新聞社からも、まるでスターやセレブが初訪問したかのような囲み取材を受けた。はからずも、おいらも受入先のホテルからのスタッフとしてテレビ局のレポーターに突然マイクを向けられ、彼らからのインタビューに「あ、あ、あいうぉんとぜむ とぅーえんじょいぜあおーすとらりあんらいふっ!」とベタな英語で答える羽目になってしまった。この模様はその日6時からのローカルニュースでしっかり放映されてしまい、おいらは酒井法子ではないが、「この辱めをどうしてくれるのっ!」とテレビ局を訴えたい気持ちになった。 彼女らはわがリゾートで巨大ハンバーガーやオージースタイルのBBQ、日本食のランチなどを楽しむ傍ら、翌日からのホームステイに備えてのミーティングを行ったり、ホストファミリーとの親睦会で披露する「ソーラン節」の練習を行ったりと、アクティブに滞在日程を消化した。きっと日本人の女の子なんてウブで内気で、なぁんて思いきや、彼女らはAKB48よろしくソーラン節のセンターポジション争いを行ったり、地元スタッフをつかまえては一緒に記念撮影をせがんだり、とにかく物怖じしない子達ばかりなのには驚きだった。それでいて何事につけ「宜しくお願いしまーす」「ありがとうございまーす」などと礼儀正しく挨拶はするし、食事も気持ちいいくらいに完食するしで、大和撫子のイメージも「なでしこジャパン」ではないが「強く正しく逞しく」なったのかなぁ、と思わせるほどであった。おいらも「エグザイルのメンバー全員知らないんですかぁ」などと言われ、「でもAKB48だったら1位から10位までは言えるぞ」と答えると、目の前で人差し指をチッチッとされ、そんなものは自慢にならぬとダメ出しをされてしまった。うーむ。さすがに二周り以上年齢が離れていると厳しいなぁ。それでもどうにか彼女らと同じテンションで、2日間のアテンドをこなす事が出来たのは自分で自分を褒めてあげたいと思う。彼女らは4日後に、1週間のホームステイを終えて帰国の途に着く予定。彼女らの出発時に、1週間でどんだけ成長したかを空港で見るのが今からヒジョーに楽しみである。
2011.08.21
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毎年長期滞在される日本人の年配のご夫婦が今年も予定通りお越しになり、現在リゾートにステイされている。年齢の事を言うと大変失礼かも知れないが、奥様は70代、ご主人に至っては80代になる。しかしそれを感じさせないほどお二人とも颯爽としておられ、とっても素敵な老紳士、淑女という感じ。それでいておいら達とも非常に気さくに接してくださるので、このご夫婦が毎年元気にリゾートに滞在されるのはおいらにとっても楽しみの一つである。しかし今回のご滞在では、日本の猛暑と豪州の冬冷えのギャップのせいなのか、はたまたブリスベン便がなくなった為にシドニー経由となった長旅が影響したのか、ご到着された最初の週末にご主人が少々体調を崩された。ご自身の持参された薬を服用してもお腹の調子が改善しないので、ホテルによく効くお薬があればいただきたいとの事だったのだが、アレルギーの問題等もあり、ホテルでは基本処方なくお薬を提供するサービスは行えない。しかしご自身でご購入されるにも、果たしてどんな薬がいいやらわからないという事でご相談を受けたのだった。確かにここが日本だったら、お腹の痛い時には頭の中でパッパカラッパパッパカラッパ~とラッパの音がヘビーローテーションし、「これは正露丸だっ」とか、どうも風邪っぽいなぁ、と思った時には竹下景子が「早めのパブロン♪」と教えてくれたりとか、その症状に沿った薬のコマーシャルソングが頭に浮かぶので、そのままドラッグストアへ走ればいいのだが、その足でここ豪州のケミストへ行ってもそんなものは売っていないので、お薬のアレルギーがない事を確認したうえで、今回はおいらが自宅に持っていた日本から調達した「赤玉」を個人的にお分けする事にした。赤玉は効果バツグンだったらしい。先日和食レストランでご主人にお会いした際には「いやー、おかげさんでもうすっかり良くなりましたよ」と海老天がガッツリ乗っかった天丼を召し上がっておられたのにはひと安心だった。話は変わって、先週は職場のカーメルが、右肩の筋を違えたかなんかでその痛みと闘っており、PCのマウスも使えないくらい痛いので左手で操作していたところ、右クリックと左クリックを間違ってしまい消してはいけないデータを消したかなんかでなんだか元気のない様子であった。そこで、試しにこれを使ってみたら?と日本のバンテリン系の塗り薬を持っていったところ、これまた効果てきめんだったらしく、予約していたドクターのアポイントもキャンセルする程に回復したとの事で大変感謝された。日本の市販薬って、やっぱすごいんだなぁとあらためて思った次第である。こっちの薬って、頭痛も胃痛も風邪も二日酔いもなーんでもとりあえず「パナドール(痛み止め)」だし、薬自体も、全く効かないか、必要以上に効きすぎるかで、安易に服用するのはちと怖い感じがする。その点日本は、風邪薬ひとつとっても鼻風邪用、咳止め、解熱と、それぞれの症状に応じて幅広い選択肢があるし、胃に優しいとか、効き目が長いとか、その効能具合も選ぶ事が出来るのは本当に素晴らしいと思う。自然の成分である漢方薬の存在も頼もしいところ。まぁそんなところで、この1週間は、他人の病気や怪我に貢献できたのであるが、こと自分に関しては、なかなか今ひとつ、本来の調子が戻らないのが現状である。ご承知の通り、豪州では専門医に診てもらおうと思っても、その前にまず一般診療医(GP)で診てもらい、紹介状を書いてもらってはじめて専門医のところへ行けるので、面倒な事この上ない。しかもそれぞれ、アポイントを取るためには数日数週間、下手したら数ヶ月かかる事だってある。歯科医療などはその最たるものなので、おいらなどはこっちに住んでいる時には虫歯や歯痛などに悩まされる事のないよう、何が起ころうが毎朝毎晩しっかり、ワシワシと歯を磨いている。おまけに、後で健康保険のクレームが出来るとはいえ、一回のGP診療で60ドル徴収されるのは本当にフトコロに堪える。うちの嫁はんなどは先日、2回の歯医者通いで結局500ドル近くも取られてしまったし、アポイントを取り、高い医療費を払って数回専門医に通うくらいなら、もしかしたら安い航空券を探してぴゃーっと日本へ行った方がよっぽど早くて安く済むのかも知れない。 エアアジアも増便された事だし、いっちょ「医療帰省」するか?しかし「余分な便」はないだろう。宿便とりの薬のCMじゃああるまいし。
2011.08.14
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土曜出勤が暫く続いていたので今週末は久しぶりのチャ~ンス!とばかりにヘアカットへ行った。この町へ住み始めてからずっと通っている散髪屋。この店は、町の中心部では唯一の、「ヘアサロン」や「カットスタジオ」などというスタイリッシュな店とは一線を画した「理髪店」。「早い、安い、上手い(かどうかは職人次第)」がウリのこの店は、土曜日ともなると、ここは更年期障害の専門医の待合室かいなと思わせるくらい中高年の叔父様方でいつも異常なまでに混雑していた。開店時間の朝8時前には、既にパチンコ屋の開店を待つかのようにこれらの叔父様方が店舗前にたむろし始め、スタッフが店を開けると同時に、狭い店内に8席ほどあるスタンバイチェアが一瞬にして満席となり、立ち待ち客まで現れる程の盛況ぶりであった。ところがこの客数に対してスタッフは常時2名体制の為、こうして開店と同時に行かなければ、1時間待ちは必至か、さもなくば日をあらためて出直さざるを得ない程にこの理髪店は流行っていたのである。そんな中、この需要に対応するためなのか、ハタマタビジネス内紛なのかは知らないが、この理髪店で働いていた年配の理容師2名が数ヶ月前に新しい店をオープンさせた。しかも興味深い事に、同じストリートの、既存の理髪店の対面にである。新しい方の店は、既存店にいたスタッフが立ち上げたという事も、値段も一緒という事を地元フリーペーパーで確認していたのだが、たまたま前回カットに行った際には習慣というか、何も考えずに既存店の方へふらっと足を運んでしまった。決して既存店に若い女性理容師が残っていたからという理由ではなかったのだが、気持ちが正直に、行動に出ていたのかもしれない。果たしてカットを終え、さっぱりとした気持ちで道路の中央分離帯駐車スペースへ向かうと、道路を隔てた向かい側の新規店の前で仁王立ちになって鬼のような形相でおいらを睨んでいる男の姿があった。おいらは一瞬にしてその大男が、既存店から新規店へ移った理容師の年配男性だと悟った。この理容師の男性、身長は190cmはあろうかという大男で、おいらは心の中でいつも「軍曹」と呼んでいた。おいらはその時、何故か後ろめたさから「軍曹」と目を合わす事が出来ず、そそくさと車に乗り込み、逃げるようにしてその場を去ったのであった。前回のカット時にはそんなストーリーがあったので、今度町で軍曹に会ったら後ろから刺されてしまうのではないかという強迫概念から、今回は新しい店でカットをしてもらう事にした。軍服や大砲がディスプレイされているのではないかというおいらの予想に反し、店内の広々とした明るいスペースは、軍曹の理髪店らしからぬポップで楽しい雰囲気を醸し出していて、正直あらいいじゃない、こういうのもインテリアとしてはアリよね、って思った次第である。軍曹と、もう一人のおばちゃん理容師も腕は確かだし、これからは両方の店の混み具合を見て、気分によって店を選ぼ、と思ったのであった。これまではいろんな場面で「オプション(選択肢)の無い」町であったが、こうして人口が増え、町に活気が出てくると、モノにもサービスにもどんどん競合が生じるのは歓迎すべき事で、これからも相乗効果が現れてくる事を期待したい。
2011.08.07
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月日が経つのが早い表現として、1月は「行く」2月は「逃げる」3月は「去る」とはよく言ったものだが、この7月に関しては「しぇぇぇぇぇぇぇーーーーーー」の7月「シ、ショックゥゥゥゥゥゥーーーーー」の7月「死にそうぅぅぅーーーーーー」の7月という程に、殺人的に忙しい日々を過ごしているおいらである。今、時間に迫られた3つの大きな仕事を担当し、それぞれをパラレルにこなしているのだが、このような状況下においては、どうやらおいらの思考回路は頭の中でロジカルに物事を整理することが出来ないらしく、豪州人からの電話に堂々と「はいもしもし」と出てみたり、大事なメモを探すためにゴミ箱を根こそぎひっくり返してみたり、車のキーを別な車のキーに差し込んで、エンジンがかからんと騒いでみたり、全くもってトンチンカンな事極まりない。昨晩は、翌朝までに仕上げなければならない仕事が急遽発生した為、午後7時頃からその仕事に集中して取り掛かり、ようやく出来上がって日本へメールを送信した時には何と明け方の4時を回っていた。道理でやけにオフィスが静かで、そして冷え込むなぁと思ったわけだ。あまりのショックにおいらは暫く気を失い、はっと気がつくと、夜はもはやすっかり明けていて、朝日の眩しさで目がくらくらする程だった。久しぶりの完徹。若い頃なら、公私を問わず徹夜明けでもその後普通に日常生活をこなす事が出来たのだが、さすがにこの年齢になると午後1時を迎える頃には心身ともにぐったりとしてしまい、オフィスの応接室で軽く横になった瞬間に再び気を失い、次に目を覚ましたのは午後3時を回った頃だった。午後4時に退社するまで、連続勤務32時間。明日が日曜日で良かった。こんな時こそ、これの出番だな。
2011.07.23
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実は家族が帰省している間にひそかに歴史の勉強をしようと策略していた。というのも、わが社では営業会議が行われる際、しゃちょー。は非常に頻繁にビジネス戦略の事を戦時中の作戦などを例にとられて説明されるのであるが、いまいち、というかおいら的にはサッパリ意味不明だからである。「なんちゃらかんたら之介がどーたらこーたら衛門に命じたうんちゃらかんちゃら作戦がどうしてこうしたわけだから、つまりはこういう風になってはならぬのだぞ。わかるかね、キミたち?ん?」としゃちょー。から叱責され、とりあえず「はい」と返事はしているものの、まるでスペイン語かスワヒリ語を聞いているくらいによくわからない。こんな時、電話会議って何て便利なんだって思う。絶対しゃちょー。の目を見て返事できないし。おいら自慢ではないが、コト日本の歴史に関しては高校の担任の教師に「マンガ日本の歴史」をすすめられたほどの日本一の東京スカイバカ。だからこんな動画も笑って観る資格はない。せめて歴史に関しては、この子達のレベルからは脱したいと、ひとりの時間を利用して勉学に勤しもうと思っていたのだが、結局、毎週の怒涛の忙しさで週末はへろへろ状態で何もする気が起こらず、ただただ休息して翌週への体力精神力を蓄えるのみとなってしまったのである。バカ脱却作戦はこうして未然に終わってしまった。それでも先週末は気合で掃除と芝刈りだけは行い、帰ってくる家族を気持ちよく迎え入れる準備だけはしておいた。ビフォーアフタービフォーアフター昨日の土曜日は出勤日、しかも相変わらずの残業だった為、1ヶ月ぶりの家族と顔を合わせられたのは夜も9時を回った頃であったが、久しぶりに家族揃った団欒の週末に1ヶ月の疲れもすうっと癒されるような気持ちであった。おみやげ満載のスーツケースからはドラえもんのポケットのように、次から次へと魅力的なアイテムが飛び出し、メイドインジャパンのかゆいところに手が届く品々に驚愕するばかり。おいらが今日本に帰ったらスーパーや100円ショップをめぐるだけで1週間くらいの時間が必要かも。おいらマストアイテムその1おいらマストアイテムその2寒い冬にはこれジャパンすうぃーつ期間限定に弱いおいらパンづくりも一層楽しくこれは考えたねー犯罪?マヨネーズ「タイプ」ならいいのか?ま、でも一番のおみやげは家族の笑顔です。嫁はんの土産バナシとこちらの近況報告で結局ゆうべは夜中の1時くらいまでしゃべり続け、長旅の疲れも相まって、いまだ嫁はん&A美はベッドで爆睡中zzzzz。
2011.07.17
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ある日家に帰ると、我が家の前に、見慣れない黄色い蓋のRubbish Binがどどーんと置かれていた。中にはパンフレットが入っており、見たところどうやらこの国でも、ようやく家庭ゴミの分別が始まるとの事であった。実際には以前から、リサイクルステーションが町のいたる所にあり、自己申告の持ち込みベースで資源ゴミの回収は行われていたのだが、家庭からゴミを出す段階で分別を強要するのはこれが初めてである。ご承知の通り、オーストラリアにおける家庭ゴミは、各家庭に配布されている指定ゴミ箱を毎週決められた曜日に自宅前に出しておくと、回収車がやってきて豪快に回収してくれる。こんな感じで。これまでは、ゴミの分別という概念が全く無く、缶であろうが生ゴミであろうがプラスチックであろうが刈り取った芝であろうが、みーんなおんなじゴミ箱に入れておけば回収されていた。しかし今後は、「分別をきちんとしなければ回収しまへんで」という並々ならぬ勢いが、市のパンフレットから伝わってくるようであった。おいら達日本人は、例えばペットボトルでも、ボトル本体とラベルを分別するくらいゴミの分別が身にしみついているからごく自然に対応できるのだが、果たしてオージー、その中でもずば抜けて「Easy Going」のヤップーン市民がどこまできちんとゴミを分別するのかどうか、見ものである。ちなみにおいらが以前住んでいた霧島市のゴミ回収所には、「ゴミマスター」とも呼ばれてしかるべき「分別チェッカー」がいて、早朝から住民の出すゴミの分別について、厳重なるチェックを行っていた。オーストラリアのイミグレーションが見たら即採用、というくらいの眼光鋭いオバハン達が、当番制で一軒一軒の指定ゴミ袋の中身を容赦なくチェックしていたのである。チェッカー達は、ゴミの中身だけではなく当然ゴミ収集日、時間の厳守にもうるさく、おいらが早番で出かける日、回収時間の10分前にゴミを持ち込んだところ、物陰からぬうっとチェッカーばばぁが出てきて「あんたっ!指定時間内に出してっ」と恫喝された事があった。おいらはその際、咄嗟に「うちは父子家庭でリストラされて、今からアルバイトに出かけなきゃならないので、この時間にしかゴミを出すことが出来ないんですぅぅぅ、よよよ」と不憫な家庭環境を演じ、お涙ちょうだいで嘘八百、いや八百万並べ立て、その場を切り抜けた。ちなみにその時は言うまでもなく、嫁はんと娘は自宅でガーガーと鼾をかいて寝ていたのだが。まぁこっちのゴミ分別なんて今のところプラスチックも紙もスチール缶も「資源ゴミ」として一緒にしておけばいいので、日本に比べれば屁みたいなものであるが、今後日本のように細分化されてきたとしたら、こっちの国民はきっとついて来れないんじゃないかなぁ。しかも案の定、第一回目のリサイクルゴミ回収日は、火曜日と指定されていたにもかかわらず、業者が回収したのは結局翌日の水曜日だった。ゴミ出す国民もオージーなら、回収する側もオージー。果たしてどこまで正確に分別と回収が実施されるのであろうか。
2011.07.09
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日本でレーシックの手術を受けてから早や2年が過ぎた。(その当時のレーシックの日記は こちら)手術前までの、日々コンタクトレンズを着脱していた生活から一変した当初は、その便利さを毎日のように「うぅ~ん、新しい自分♪」などと実感していたのだが、今となっては裸眼の生活が「当たり前の日常」と化してしまい、むしろコンタクトレンズが手放せなかった生活を思い出す事の方が難しくなってしまった今日この頃である。当時の術後ケアアイテムの数々施術前の評判では、「人によっては年々劣化する場合がある」という噂も聞いてはいたものの、2年2ヶ月を過ぎていまだにおいらの視力は衰えを見せる気配もなければ、ドライアイや充血などの症状が現れた事も全くない。できればこのまま、死ぬまで裸眼ライフをエンジョイしたいところである。しかし、施術の際に医師から事前に忠告されていた「老眼」についてはさすがお釈迦様とお医者様のおっしゃる事は正しいなぁと思わせる程に、着々と進行してきている。普段の生活では全く支障はないのだが、ふっ、とした瞬間に「あぁ、老眼な自分」と思うことが最近増えてきたような気がする。例えば、車を運転中、前方への目線をふっとスピードメーターや燃料計に落とした時とか、友人との食事の際、会話を楽しみながらの目線を自分の持つ親子丼の器に移した瞬間とか。今朝ほどは自分で靴下の穴を塞ごうと縫い針に糸を通そうと試みたのだが、これがもう、やりにくいのなんのって。老眼は視力回復の代償と覚悟はしていたものの、こればっかりは、今後上手に付き合っていかなきゃならんなぁと思った次第である。以前、オフィスでちょっとした飲み会をしていた時にビールのアルコール度数が話題になった事があった。その際、ラベルの表示を確認するために、そこにいた全員が全員、目からスタビー(ビール瓶)を思いっきり遠ざけて確認しようとしていた日にゃ、ここのオフィスはどんだけ高齢化が進んでいるんかい、と真剣に笑ってしまった。気持ちは若いつもりでも体は正直。そのうち、リーディンググラス(決して老眼鏡、とは言わない)が必要になってくる日もあるのだろうが、せめて人前ではスタイリッシュに使いたいものだ。(ちなみに最近では こういう商品 もあるらしい)
2011.07.02
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ひとつ、ひょっこりバカがいる。ふたつ、ふざけたバカがいる。みっつ、見上げたバカがいる。よっつ、横ちょにバカがいる。いつつ、いつでもバカがいる。むっつ、向こうにバカがいる。ななつ、斜めにバカがいる。やっつ、やっぱりバカがいる。ここのつ、ここにもバカがいる。とうでとうとう、バカ本領発揮。「隣のバカ」と我が家から呼称されている隣人は典型的なパーティアニマル。週末になると家族か友人か知らんが夜な夜な集めては、家の中ですればいいものを、よりによってわざわざ我が家との境界線側の庭にBBQテーブルなんぞをしつらえ、大音量で音楽を垂れ流しながらそれを上回るくらいの大声で飲めや歌えやの大騒ぎ。いつぞやはそれが夜中の2時3時を回っても続いたためにおいらがフェンス越しに、「やぜろしたっがわいたちゃ ひんねあならんが」と怒鳴り込んだ事もあったほど(ホントにこう言いました 笑)。(注)意味不明な方は、お近くの鹿児島県人へお尋ねください。しかしその真意が言葉の壁と隣家とのフェンスを越えて伝わったらしく、それ以来12時を回ってバカ騒ぎをする事はなくなり、暫くは穏やかな日々を過ごしていた。ところがどっこい、先週の週末バキバキバキィィィィィーーーーというすわ落雷か、と思うほどの突然の大きな衝撃音と破壊音に2杯目のコーヒーと文庫本でアンニュイに過ごしていたおいらの午後が一瞬にして妨げられた。いったい何事かと思って隣家を覗くと、庭の大木によじ登り、枝や幹をジェイソンのごとくチェーンソーで切り落としていく隣のバカの姿が。ヤツはもはやトリミングレベルではなく、環境資源省から訴えられるぞお前というくらいの「伐採」を一心不乱に行っていた。そして切り落とされた枝や幹は、隣家である我が家の庭にも容赦なく降りかかり、ついには裏庭に設置されている「自然風力利用回転式洗濯物乾燥マシーン」(別名ヒルズホイスト。要するに回転ブランコの要領で洗濯物を乾かす物干し竿)を破壊するまでに至った。物干しロープを張る為の4本の棒のひとつが切り落とされた大枝の直撃を受けたため、完全に支柱から外れてしまい、使い物にならなくなったのである。「てめぇ何しやがるんだ、今すぐ修理しろ」(今回は一応英語で言いました 笑)と、大木の上にいるバカに対して怒鳴り込むと、「心配すんな、これが終わったら後で直すからマイト」と涼しい顔で言われてしまった。あんたに気安くマイト呼ばわりされる義理はないんだけど、と思いつつ、まぁ一応クレームはつけたので、それ以上は騒がず静観する事にした。しかし週末が明け、3日経っても4日経っても修理される気配はない。この週末までに修理がなされなければ、再度文句を言いに乗りこもうかと思っていたがしかし、木曜の夜に帰宅するときちんと修理がなされていた。おまけに芝生に散乱していた枝葉も回収した様子。もしかしたら、おいらのメラメラと燃えたぎる怒りが炎になって我が家の屋根から立ち上る様が隣のバカには見えていたのかも知れない。まぁ、こちらがクレームすれば一応理解してくれるし、時間は置いてもちゃんと後始末はしてくれるので、そうそう悪いヤツでもないんだとは思うが、それでもあんまりお近づきにはなりたくない隣人である。時々フェンスを越えて遊びに来るヤツの飼い犬は本当に可愛くてたまらないのだが、我が家にテケテケっとやってきてはウ○チだけひり出してそそくさと帰る姿に「お前もやっぱり隣のバカの飼い犬だな」と犬に罪はないのだがどうしてもムカつく気持ちを抑えられないのである。ともあれ、おいらの一週間分の洗濯物は、とりあえず無事にヤップーンの青い空の下にはためく事になったのであった。
2011.06.25
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相変わらず怒涛の毎日だった。日々の仕事をこなしながら、突発的に発生するトラブルや課題を片付けていく、毎日。プラス、最近新しい仕事を担当する事になり、前任者からレクチャーを受けながら悪戦苦闘しているのだか、いかんせんそのフィールドでの知識も経験も乏しい為にあまりの難しさに引継ぎを受けながら真剣に吐きそうになった。旅行業時代に忙しさと興奮のあまり鼻血を出した事はあったが、仕事の難しさに嘔吐しそうになったのはど根性カエルのヒロシの担任の先生ではないが会社生活22年のおいらもさすがに初めての経験であった。しかも鼻風邪気味だったA美の風邪を不覚にももらってしまい、折りしも急激に冷え込んだ気候の為、体調不良も重なってしまった。幸いにも寝込んだりする事はなかったが、声枯れの為に電話応対や接客などの際にはオカマバーのママのようなドスの効いた低いしゃがれ声となり、クライアントやゲストに怪訝な印象を与えたかも知れなかった。そんなこんなの多忙な中、昨日嫁はんとA美は無事にこちらを出発し、先ほど無事に鹿児島へ着いたとの知らせが入った。懸念されたチリ火山灰の影響も、九州の大雨の影響も無く全てがほぼオンタイムだったとの事。さすが強運の持ち主の二人である。昨日の出発の際には、時間の都合がつけば午後に半休を貰い、彼女達を空港で見送る予定にしていたのだが、それも叶わず、職場に立ち寄ってくれた彼女達を慌しく見送るだけとなってしまった。まぁ「今生の別れ」というわけではないので別にいいのだが。そういえば、おいらが鹿児島空港でエアラインスタッフとして働いていた時にも、自社機に搭乗して実家へ帰省する嫁はんと娘を現場で何度か見送る事があった。その当時のおいらのランプハンドリングの仕事では、いわゆる「ピン抜き」というタスクをする機会があり、飛行機が自走を始めて滑走路へ向かう際に、飛行機へ向かって「お手振り」をするお役を務める事が稀にあった。(画像はイメージです)「ピン抜き」→航空機牽引車両にてプッシュバックされた飛行機が、最後に牽引車両と切り離される際、両車をつなぐトーバーを航空機から離脱する作業。おいらはその時、飛行機の窓に見える我が娘(当時幼稚園児)に、「気をつけて行ってきてね~」と軽く手を振っていたつもりが、当の娘はどうやら「両親が一生の別れをしている」と著しく勘違いしたらしく、その航空機のキャビン中に響き渡る程の大きな声で、「パパ~、ママ~、リコンしないで~」と泣き叫んでいたらしい。うちの嫁はんも、その時には周囲への恥ずかしさと焦りで離陸前から吐きそうになったらしい。そんなエピソードを思い出した。まぁ話は大きく脱線してしまったが、そんなわけでこの週末より、おかげ様でひとりのんびりとつかの間の独身をエンジョイさせてもらっている。おやつを食べても娘に横取りされる事もなくぷぅと屁をこいても嫁に睨まれる事も無く、酒は飲めないので、自分のためだけに調達したスイーツやチーズなどを美味しいコーヒーと一緒にいただきながら、自分だけのプレミアムな週末を満喫している。でも3人で過ごす時より部屋が広く、そしてちょっぴりいつもより寒く感じる、かな?
2011.06.17
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朝晩は10度を下回ろうかという勢いになってきた冬本番のヤップーン。おまけにこのロングウィークエンド(月曜日は祝日)はしとしとと冬の冷たい雨が降り続いており、どうせ降るんならロマンチックな雪にしておくれよ天の神様、と言いつつも、そこまでの寒さとまでは行かない、実に中途半端な気候の週末である。そんな中、ヤップーンでは毎年恒例のYeppoon Showが開催されており、住民の皆さんは、雨にもマケズ風にもマケズ冬の寒さにも高い入場料にもマケズ大人も子供もずぶ濡れになりながら、年に一度のお祭りを楽しんでいる様子。おいらとA美は、会場外のマクドの窓越しに見える町民の半袖短パン濡れネズミという真冬とは思えないいでたちと、満席の絶叫マシンからぶらさがる裸足やサンダル履きの足を眺めながら「まったく若い人たちは元気ですのぅ」と熱いコーヒーとポテトをぬくぬくと堪能しながら傍観者を決め込むのであった。冬になると、親子の会話が爺婆の会話となってくる我が家である。さて、スクールホリディより一足早く、嫁はんとA美は来週後半より、この寒さを脱出しようと日本へ1ヶ月程の帰省を予定している。先日満4年を迎えたおいらの就労ビザが無事に延長された為、まだ暫くはこちらでの生活が続くであろうという事から、お互いの父親が住む鹿児島、静岡の両実家へ久しぶりに顔を出しておこうというのが主たる目的である。おいらも一緒に日本へ帰省したいのは山々なれど、毎年この時期は会計年度の終了や調理師の入れ替えなどがあって大変忙しく、またそれ以上の理由として、おいら達駐在員が一時帰国する為には、それがたとえプライベートの休暇であっても国家のイミグレーションよりもはるかに厳しい会社の「帰国お許し」が必要となるためいつも思いとどまってしまうのが常である。せめて、せめて日本の味と香りをぉ~、との事でおいらの熱い想いを「都こんぶ、エバラ浅漬けの素、粉末とろろいも・・・」と便箋に綴り、お買い物メモとして嫁はんに託すしかその術を持たないおいらであった。さて、彼女らの航空券については、さんざん「安い、早い、旨い」という吉野家並みのルートを検討した結果、今回は往復とも香港を経由するキャセイパシフィックを利用させる事になった。彼女らは鹿児島と静岡という、メジャーな国際空港とは離れた立地の2地方都市を訪問しなければならない為、国際線は福岡in、東京outというルートが最も効率がよく、その段階でキャセイのほかにシンガポール航空、中華航空、あるいは鹿児島へ直接入れる中国東方航空や大韓航空などが比較検討されたが、最終的にはフライトスケジュールと料金で最もリーズナブルなキャセイに軍配が上がることとなった。しかし勿論「香港でホカホカうまうまプリプリ飲茶」というのも大きな決定要素であったのは言うまでもない。また、福岡から鹿児島へは先日全線開通したばっかりの九州新幹線を利用。鹿児島から静岡へは、まるで我が家のために作られたのではないかというフジドリームエアラインズの直行便を利用。そして東京からの帰りは、これまた便利になった羽田国際空港からの出発という、おいらにとっては取材ネタの宝庫となるような実に羨ましいルートを旅する予定。このワンダホーな日程を組み立てた一般旅行業務取扱主任資格者のおいらとしては、国が定める規定の手配旅行取扱手数料をガッポリ頂戴したいところであるが、嫁はんは留守中においらが食べられるようにと、せっせと常備菜関係を作って冷凍してくれているようなので、まぁ良しとしたい。いや、この表現だと上から目線になってしまうので、感謝感激雨あられ申し上げたてまつり候であります。(↑とりあえず知った限りの尊敬語を並べてみる)なお毎回恒例のA美の「これが全部できたら日本行き決定!」という、まるでアメリカ横断ウルトラクイズ的な漢字と計算ドリルのテストは先日どうやら無事にパスした模様。しかしA美は、「ゆみこさんは1分間に60メートル歩きます。さて時速何キロで歩きますか?」という問題に堂々と「時速3600km」と答えていた。アンタ、それだったらゆみこさん2時間で日本へ着いちゃうじゃん。と言ったものの、どうもピンとこない様子であった。ゆみこさん(イメージ)A美は今回、久しぶりに日本で6年生の小学校の授業を受けさせてもらう予定でいるが、送り出す父親としては一抹の不安が残るのを否定できないところである。
2011.06.11
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ふと、不思議な法則を発見した。おいらが気になっている、というか大好きな有名人。浅田真央ちゃん安藤美姫ちゃん綾瀬はるかちゃん蒼井優ちゃん浅野温子さん、そして天海祐希さん彼女らに共通するもの、すがすがしいほどの透明感。一本芯の通った女の強さ。「凛」という言葉。ある意味の「男前」さ。そして、この人たちは皆、なぜか頭に「あ」がつくんです。うーむ。偶然とはいえ、不思議な法則。「あ」がつく老若男女の皆さんへ。気がついたら、おいらの「熱い視線」が背中を襲っているかも知れませんよ。お気をつけあそばせ。
2011.06.10
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A美の習い事のひとつである器械体操の地区大会がロッキーで行われ、朝から家族で出かける事になった。オーストラリアに来てから4年間、基本的にA美は髪の毛を伸ばし続けている為、今や彼女は腰にも到達するほどのロングヘアー。その為こうした大会にあたっては、髪の毛が解けぬようきっちり結わえなくてはならず、A美が自身の所属するクラブで規定演技の練習に励む傍らで、嫁はんは嫁はんで、前の週末にカウガールI子に教わった編みこみヘアーを嫌がるA美本人を練習台にして毎日のように特訓していた。お互いのその成果がいよいよ今日花開くわけである。気は弱いが朝には滅法強く、乾布摩擦をするくらいの勢いでシャキーンと音がするくらい目覚めのよいおいらは早朝5時には起床。食うものを食って、出すものは出して日の出と同時に準備万端。それにひきかえわが女性陣は、寝起きの悪さは天下一品。時間ぎりぎりでバタバタと行動するため、結局ヘアメイクはおいらが運転する行きの車中で行うことになった。時間が無いと焦るのが世の常人の常。40分の移動時間たっぷりを使ってギリギリに出来上がり、会場へは駆け込みセーフ、ヘアメイクも駆け込みセーフの状態であった。しかしここはご承知の通りオーストラリア。こうしたイベントが時間通りに進行するはずもなく、まだまだおいら達の到着は早いほう。その為結果的にA美も余裕を持ってウォーミングアップを行うことが出来たのであった。さていよいよ競技開始。A美たちのYeppoon Gymnastic Clubは段違い平行棒から平均台、床運動、跳馬の順に演技を行っていった。昨年のLevel 2よりレベルが1つ上がった分、どの種目もちょっとずつ難しい技を入れてきており、わが娘がそうした難度を上げた要素を淡々とこなしていく姿に、親バカながら感動した次第であった。しかし我々ヤップーンやロッキーの地元のクラブの子供達に比べ、遠方から来ている子供達は、遠征選手が選抜されていたのか同じレベルながら非常に完成度・熟練性の高い演技をしており、演技終了後の種目別、個人総合の成績発表では、上位入賞者のほとんどが遠方から参加しているクラブ所属の子供達であった。ところが、そんな中、なんとA美が、Vault(跳馬)で驚くことに優勝してしまったのである。その他3種目は、メダルはおろか6位までの入賞圏内にすら入っておらず、それだけに、跳馬だけがなぜ突出して?というのがおいらにとっては正直驚きであった。段違い平行棒や平均台、床などの、一連の流れの中での戦略性のある種目に比べ、跳馬はある意味一発勝負の、思い切り行けば力でねじ伏せていける種目。そんな一発勝負師的な種目を得意とするA美に、小心者のおいらの血をひいていたなら、こんな種目が得意なはずではないのになぁと不思議に思った次第である。これはやはり、本番に滅法強い心臓に毛がわさわさと生えている母親の血か?
2011.06.04
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6月に入り、一段と寒さが増してきたヤップーン。南回帰線上にあるとはいえ、朝晩は10度前後まで気温が下がるため、冷え性のおいらにとって、防寒対策はまさに死活問題。しかしこちらの地方の人間は、寒さに対して異常に抵抗力があるのか、はたまた皮下脂肪が体温を守ってくれるのか、半袖を着ようが、短パンにゾウリを履こうが一向に平気な様子。見ているこちらが、寒さに震え上がるくらいである。そんな地方だから、冬になっても防寒グッズというものの入手には大変苦労する。もともと物資のバラエティの乏しさに加え、真冬でも店頭には呑気に水着やスイカが堂々と陳列される能天気な地方ゆえおいらとしては非常にリンダ困っちゃうのが実情なのである。最近、愛用していた「パッチ」の1枚が行方不明になり、大慌てで捜索したがどうしても発見できず、洗い替えがないと困るので、仕方なく調達することにした。おいらの愛用していたパッチは、日本にいる時に庶民の味方ユニクロで購入した「パッチ」界の中ではまだ流行を追いかけているわね、と言える位のネイビーブルーのスポーティなもので、値段も1,500円とごく手頃であった。若かりし頃は「パッチなんて爺くさいものなど、履くくらいなら死んだほうがマシだわ」と思っていたが、空港時代に寒風吹きすさぶ現場で働いていた時に部下にいかにパッチに保温効果があるかを強く勧められ、履き始めて以来手放せなく、いや股から離せなくなってしまったというシロモノである。そんなパッチが行方不明になってしまったという事で、すわ一大事と、まるで海底で酸素ボンベを失ってしまったダイバーのように、命がけでパッチの購入作戦を開始したおいらなのだった。近辺のTargetやBig W、衣料品を取り扱っている店舗をくまなく探したものの、お目にかなうデザインどころか、「パッチ」の存在すらまったくない。唯一Big Wで見つかったものは、白い木綿のまさに「モモヒキ」。一瞬背に腹は変えられぬと手にとってはみたものの、これを着用している自分の姿を想像すると、自分がまるでハゲヅラを被って自転車に乗っている加藤茶になったような気分がして、誰に見せるわけでもないのだが、やはり躊躇してしまった。そこで作戦を変え、通販にチャレンジする事に。さすがにオーストラリアは広いので、この能天気なヤップーンで手に入らない防寒グッズも、通販でなら容易に入手できるだろう、と考えたのである。我ながらナイスアイディア。そしてPCの前でハタとフリーズしてしまったおいら。「パッチって英語で何て言うの?」しかしそこは、PC歴15年を超えるおいら。まだインターネットが「ぴ~ひゃららら~、びよんびよん」と言って繋がっていた頃からの検索能力を駆使し、まずは「Mens Underwear」で検索してみた。すると、こんなん出ましたけど。(by 泉アツノ)違う違う、そうじゃない。と思いながらも、ついつい暫く見入ってしまうおいらなのだった。いかんいかん、と危ない橋を渡りかけようとしていた自分を引き戻し、本来の目的である買い物を継続。しかしオーストラリアのサイトでは、スポーツ選手が本格的に履くような高価なヒートテック系のものしか販売されておらず、おいらのようなへタレ冷え性の防寒対策を目的とした廉価なものは見つからなかった。そこへ行くと、やっぱり楽天は品揃えが豊富。「メンズアンダーウェア」で検索すると、さすが日本、いかがわしいチャラチャラした「ビジュアル系」の下着類がラインナップされるオーストラリアと異なり、まさに日本男児の「機能性重視」なモモヒキやステテコがずらっとラインナップされたのであった。これから初夏を迎える日本にとって、防寒グッズなどは季節はずれの商品であるはずなのだが、おいらはいとも簡単にお目当ての品を検索する事が出来、1枚980円、2枚合計1,960円で「パッチ」を購入することが出来たのである。これでようやく、この冬を乗り越える事が出来る、と安堵した翌日、くだんの「パッチ」は先日出張した際に使用したビジネスバッグの奥からひょっこりと発見され、まだまだおいらの下半身を暖める任務を継続する事になった。なおおいらが購入したパッチは予想外に速配され、嫁はんが連絡を入れる前にじいじの所へ届いてしまったため、危うくじいじの下半身を暖めるところだったのを寸前で制止し、こちらへ送ってもらった。試しに履いたところ保温効果とストレッチ具合バッチリで、さすが日本の技術は先端を進んでいるなぁ、と股の温もりでそれを知ることになった次第である。既存の「パッチ」プラス新規購入の2着の「ニューパッチ」で、この冬おいらは充実した下半身ライフが送れそうである。
2011.06.03
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またまたシドニーへ出張。こんな事ならプライベートの旅行はシドニーを外しておけばよかった・・・と思いつつ、都会の風に吹かれると「ふっ、また来てやってもいいかな」などと思ってしまうのが田舎モンの哀しい性。(↑またまた勘違い甚だしい上から目線)今回のディナーは、前回のシドニー訪問時に目をつけておいた台湾小籠包の名店「ディンタイフォン」。「台湾 小籠包」とググッてみると真っ先にこの店が検索されるくらいの有名店であります。有名店プラス日曜の夜という事もあり、テーブルに着くまでに時間を要しましたが、待った甲斐あり!というくらい、美味しい小皿料理の数々を楽しむ事が出来ました。店外のテラススペースで待つ事40分。ページングシステムでビビーッと呼び出しされ、いよいよ入店です。まずは台湾ビールで乾杯。飲めないおいらは勢いあまって「アボカドジュース」なるものを注文。飲み物としては未知なる世界の味でした。寅縞模様の正体は「チョコレートソース」。アボカドにチョコレートソースをかけて食べる味をご想像下さい。まずは念願の小籠包をいただきます。小ぶりな小籠包が8個入った熱々のセイロから1個ずつ、せっかくのスープがこぼれてしまわないように、慎重に饅頭の先端を箸でつまみ、ショウガ醤油の入った小皿に移します。熱々の小籠包をレンゲで口の中へ一気に放り込み、濃厚なスープを一滴たりとも逃すことなく、うまみの詰まった饅頭をかみしめます。かちょー。 シ・ア・ワ・セ~25年間生きててよかった~(←ここで誰かさんのようにサバは読まなくてよろしい)と言わしめるほどの美味しさでした。(もうちょっと熱々だったら言う事ナシでしたが)そしてほかの小皿料理の数々もレベル高し。プリップリの海老小籠包。ヘルシーな野菜の蒸し餃子。モチモチ感がたまらない。シャキシャキっとした空心菜の炒め物。炒飯も米の一粒一粒がパラパラ。こちらはピリッとスパイシーなジャージャー麺。麺のつるつる感と肉みそのコンビネーションがたまらない。ワンタンをチリソースで。これは結構辛味が強かったですが、それ以上に旨みがあって最高に美味しかったです。台湾の中でも、お上品な部類のレストラン。チャイナタウンの中のカジュアルなレストランに比べれば、値段もそれなりにしますが、それを高いと思わせないくらい、美味しい料理とスピーディかつフレンドリーなサービスで、満足満足でした。
2011.05.22
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今回の旅行最後のレポは、シドニーの街中で発見して気になっていたこのパイ屋さん。シドニー空港のターミナル内にも同じ店を発見したので、朝食がわりにトライしてみる事にしました。スマイリーな看板に、思わずこっちもにっこり笑顔になっちゃいます。がっつりステーキパイから甘~いデザートパイまで、いろんな種類のパイがショーケースに並んでいます。さすがに普通のサイズを1個食っちゃうと、更年期のおいらはその日1日が胃もたれとの戦いになると容易に想像できたため、とりあえず1口サイズのチキンクリームパイを買ってみました。パイぞう君(←勝手に命名)の笑顔に癒され、朝から気持ちがほっこりします。食べるの勿体無いなぁ、と思う間もなく、哀れパイぞう君は一口でおいらの胃袋へ収まるのでした。うまかった~。などと呑気に構えているバヤイではない。今回の旅行の最後の目的は、その日同じ飛行機に乗ってロッキーへ行く予定の日本から到着した上司に「サプライズ襲撃」をかけること。そのため、ウィケット(セキュリティポイント)からボーディングゲート、ショップ&レストランに至るまで自分自身は不自然にサングラスなどで変装しつつ上司の姿を必死に探したのですが、ボーディングの時刻になってもその姿が見えません。これは何かトラブルがあったに違いないと、ゲートで本人がチェックインをしているかを確認しようとしましたが、ゲート係員は「セキュリティリーズンで教えられません」の一点張り。おいらのサプライズ計画なんかはぶっ飛んでしまい、オフィスや、日本の本社へも連絡をして本人へコンタクトを取ろうとしたのですが、携帯は全く繋がりません。ゲートではファイナルコールがかかり、上司の名前と、そしておいらの名前が館内中に鳴り響く事態に。とりあえずチェックインはしてるのか、と安心したところでそこへ悠々とゲートへ向かって歩いてくる上司の姿が。会うなり一言、「あれ?かちょー。こんな所で何してんの?」と。結果的に、おいらがサプライズされるハメになってしまいました。聞けば本人、ボーディング直前までプレミアムクラスのラウンジで寛いでおり、(↑そうだ、このヒト偉いんだった。忘れてた。)ラウンジスタッフの案内で普通にゲートへショウアップしただけだったとか。うーむ。一人で大騒ぎして朝から疲労困憊してしまった挙句、なんとなく自分だけが敗北感。そして、そんなおいらの胸の内を知ってか知らずか、これから意気揚々と出張の地へ向かう我が上司。それぞれの思いを乗せて飛行機はロッキーへと向けて出発するのでした。
2011.05.21
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寒~いキャンベラで、芯まで冷え切ったカラダを暖めるのは?うーむ、人肌も恋しいが、やっぱり日本人なら「うどん」だぜい。という事で、空港から直行したのが、クチコミでかなりの評価が高かったこの「まっぺん」でございます。タウンホールの駅すぐ近くにあるこのお店。シドニー初の、本格的セルフうどん店だそうです。大通りに面してはいるものの、複数の飲食店テナントの入ったビルの奥のほうにあり、ともすれば見失いがちになりますが、中へ入るといやいやどうして、行列が出来るほどの大繁盛ぶりに驚きました。店内はご覧の通り満席御礼。注文カウンターから店内を周回するように行列が出来ていたので、おいらも早速列に並びました。でもさすがにうどんだけあって、回転も早い早い。ものの5分もしないうちに、カウンター前に達する事が出来ました。注文方法がこのようにわかりやすく掲示されています。日本人の我々にとっては「はなまるうどん」に代表されるように最近では馴染み深いものになっておりますが、日本人以外にとっては未知の世界。こういった親切なアドバイスもやはり「日本人ならでは」の細やかさですね。うどん・そば(普通と大盛り)、ダシ(熱・冷)のベースを選びお好みのトッピングを選んでレジへ運ぶというパターン。お客さんは次から次へと流れてくるので、迷う間もなくスムーズに好みのものをお盆に乗っけていくのが流儀。おいらも好物のエビ天、ちくわ天に加え、温泉タマゴと、こあらオヤヂさんご推薦のおむすびをトレイに乗せて精算しました。値段も手頃でボリュームたっぷり。学生さんやワーホリさんと思われる若者で大盛況だったのも納得できます。お味も満足。ダシは関西風より少し濃い目かな、と感じましたが、かつおと昆布の風味もしっかりしており、うどんもつるんとした喉越しで大変美味しかったです。そういや、この日キャンベラでは時間帯が中途半端という事もあって、ビスケット数枚くらいしか口にしてないんだった。すきっ腹と冷え切ったからだにじわーっと染み入るような心も体もポカポカと温まったおひとり様ディナーなのでした。
2011.05.20
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ゆったりとクルージングを楽しんで、キャンベラの観光もこれでおしまい。シティターミナルでエクスプローラーに別れを告げ、まだまだキャンベラに後ろ髪をひかれつつ、シティターミナルで空港シャトルバスを待つ間、しばし夕暮れの市内を散策しました。秋の日暮れは早く、緯度が高いとという事もあり、夕方5時にもなると、もうこんな感じで薄暗くなってきます。ストリートの真ん中には突如メリーゴーラウンドが。かなりの唐突感(笑)。シティターミナルから空港へは、シャトルバスで約15分。空港といい駅といい、アクセス抜群のさすがは計画都市です。車窓から見えた高い塔。キャンベラ空港は、グラッドストーン空港同様、最近リニューアルされた様子。大変モダンな作りの立派な空港ですが、まだ工事中の部分もあり、とりあえず出来たところから使っておいてねー的な感じ。まだまだ工事中。館内は白を基調としたとても明るく解放感のあるスペース。さすがに首都空港だけあって、国内線はシドニーをはじめとする主要各都市とを頻繁に運航されており、時間帯が夕刻という事もあって大変多くのビジネスマンでごった返していました。セキュリティゲートが1箇所だけ、というのもあるかも知れませんが。9割方スーツ族の中に混じって、バックパックのおいらは、ちょっと浮いていた感じだったかな?最近の空港は流線型のデザインが多いのが特徴?こちらの空港でも、デベロップの全貌を紹介するモックアップやパネルが展示されており、将来的な構想も含め、利用客へアピールしていました。"AirVolution"と銘打って開発が進んでいる空港。うまいこと言うよなぁ。こういうネーミングって、やっぱりセンスが光りますよね。短い言葉でリズムと語呂よく、そのコンセプトを表現している。うーむ、おいらもこういうのを考えるのは大好きなんですが、糸井重里までの道のりは非常に遠いと言わざるを得ないなぁ。そんな事を考えつつ、約7時間弱の滞在を終えて、シドニー行き最終便の機上の人となるおいらなのでした。
2011.05.05
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エクスプローラーバスに再度乗り込み、国会議事堂を後にして、キャンベラ観光のハイライトでもあるレイククルージングに向かいます。その前の道中、世界各国の大使館がある丘陵地区を車窓見学。中国大使館はまるで天安門のように立派で、タイやパプアニューギニアの大使館も民族調のとても個性的な建物でしたが、日本の大使館は至ってシンプルなビルディング。でも欧米、アジア、アフリカなど、世界中の大使館の建物がこのヒルに凝縮されており、世界旅行のようなドライブを楽しむ事が出来ました。時間や予算のない貴方、キャンベラでプチ世界一周はいかが?そして、バスはバーリー・グリフィン湖のマリーナに到着。ここから小一時間のアフタヌーンティークルージングを楽しみます。(周遊バスとは別料金で、ひとり12ドル)ちなみにこの湖の名前は、キャンベラの都市設計をした米国人デザイナーの名前からとったそうです。小さな観光船に乗り込みます。まずはコーヒーで体を温めてから。コモンウェルスブリッジを越えると、キャンベラのシンボルの一つでもあるキャプテン・クック記念ウォータージェットが見えてきます。1日2回、時間限定でなんと140mの高さまで噴水があがります。町のはずれからでも見えるくらいなので、近くで見るとその迫力たるや推して知るべし。せっかくなので、動画でも収めてきました。この湖はモーターボートの走行が禁止されているとの事で、鏡のように穏やかな湖面上から、秋深まる街の風景を楽しむ事が出来ました。マリンスポーツなどを楽しむクルージングもいいけれど、こういう心落ち着くクルージングも、やはりいいものです。いろんな公園や博物館、美術館などの建造物を違った角度から楽しむ事ができ、1時間のクルーズもあっという間に終了。最初はデッキに出てバシバシと写真を撮っていましたが、午後2時半~3時半くらいのクルーズなのに風がとにかく冷たかったので、後半はほかの「ガールズ」(推定70歳代)とともに、キャビンで静かに景色の移ろいを楽しみました。キャンベラ1日遠足。そんなに期待はしていなかったけれど、意外や意外、素敵な街でしたね。多くの人たちは「キャンベラは1日で十分」と言うけれど、おいらは、今度また機会があったら、今回行けなかった戦争博物館はじめ、現代美術館や科学館など、じっくりとこの街の文化に触れ、レンタカーでも借りて散策してみたいなと感じました。それくらい、おいらにとっては魅力的な街でありました。おいらが首相になったとしても、この街だったら住んでいいかも、って思いました。Big WとCrazy Clarksがある事が必須条件、ですが(笑)。
2011.05.05
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