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スリー・パゴダ・パスを12:36に出発したカンチャナブリー行きのロッ・トゥーは、12:45に検問で停車。パスポートを出すと、「日本人は(チェックの)必要無し」と言われてパス。さらに12:50にも検問。ドアを開け「男性2人」と言っただけでここもパス。お坊さんと日本人じゃ、疑わしい点が無いってことですかね?あと1,2ヶ所検問がありましたが、停車せずにスルー。で、まずはサンクラブリーに到着。時刻は、13:00。ここでお坊さん、「トーンパープームですよね? 乗り換えてください。同じくすぐ出ますから」とスタッフに言われ下車していきました。それと入れ替わりにここからのお客さんがどどっと乗車。13:10出発。すると間もなく前方にサンクラブリー発カンチャナブリー行きのローカルバスの姿が。みるみる近付いて…あっさりと追い抜きました。こりゃ、バスとロッ・トゥーで所要時間がかなり違いそう。カンチャナブリーに着いたら時間を比較してみましょう。最大の難所をあっけなく越えると、ランティー川に架かる橋に差し掛かります。正面が砲撃跡のあるランティー山ですね。ということはその手前左側のあたりが泰緬鉄道の線路跡か…。などと眺めているとあっと言う間に渡り切ってしまいました。トーンパープームには寄らずカンチャナブリー直行のようです。サンクラブリー始発のロッ・トゥーはトーンパープーム経由ってことのようで。14:30、検問で停車。全員が身分証のチェックを受けます。最後部座席の若い女性が「どこに行くの? バンコク? お父さんは知ってるの?」と尋ねられてました ^_^;)さらに15:15と、15:20にもここの検問で全員チェック。多くの検問があるのは陸軍と警察がそれぞれ設けているのもあるんでしょうね。さらに警察は地方警察、入国管理警察、国境警察のいずれもが出しているのかも。サイヨーク・ノイとナムトック駅の間で給油休憩。売店でジュースを買って腹の足しに。15:29再出発。それから1時間弱で、ようやくカンチャナブリー・バスターミナル到着です!時刻は、16:18。昨日乗ろうとしたカンチャナブリー発サンクラブリー経由スリー・パゴダ・パス行きロッ・トゥーの乗り場横にある路地が終点でした。所要時間は、サンクラブリー13:10発→カンチャナブリー16:18着なので、3時間8分。昨日のローカルバスは、カンチャナブリー10:18発→ヒンダート12:39着、ヒンダート14:25発→サンクラブリー18:06着なので、計6時間2分。なんと倍の差!!というワケで、カンチャナブリー~サンクラブリー間を移動する際には、ロッ・トゥーを断然オススメいたします。安全性はバスが上でしょうけど ^_^;)下車すると、戦勝記念塔行きロッ・トゥーの呼び込み男性が。ついて行くと路地横すぐの待合所に案内されました。マンゴーン・トーン(金竜)とはいかめつい会社名ですね(笑)しかしこんな場所にも戦勝記念塔行きの乗り場があったとは気付きませんでした。待合所内の受付で運賃130バーツを支払います。チケットは無いので呼ばれたらそのまま乗車してくださいとのこと。エアコンが効いているし、ジュースやスナック菓子も売っているので快適。ここ、オススメです。なんのことはない。すぐに呼ばれて待合所前に停車している車両に乗るように言われます。乗客は私含めて5人。16:32出発です。あ、食事するの忘れた! (T_T)バーンポーン方面ではなく、国道324号線で北東に進み、Uターンして停車。時刻は17:00。こんなところにも乗り場があるんだ。パノム・トゥアン(พนมทวน)というところのようです。すぐに出発し、346号線を進んだ後、カセサート大学カンペンセーン・キャンパスの交差点で右折し、国道321号線マーライメーン通りを南下。ここからはスパンブリーの帰りに通ったことがあります。国鉄南線を渡り、シンラパーコーン大学サナームチャン・キャンパス横を左折。国道4号線に出てかっ飛ばします。その頃には夜の帳が下り始め…戦勝記念塔、というかセンチュリーの裏手に停車した時には、真っ暗になっていました。時刻は、19:30。ミャンマー国境のスリー・パゴダ・パスからほぼ丸々7時間かかったんですね ^_^;)やっぱり遠いなー。これにて、今回の旅も完結です。必然的に泰緬鉄道や旧日本軍の足跡を中心に巡る旅となりましたが、1泊旅であったこともあり、このシリーズ中もっとも刺激的な旅だったように思います。後日再訪した模様もそのうち綴りますので、どうぞ楽しみにお待ちください。そして今回も最後までお付き合いくださりありがとうございました!次回は、バーンケー方面のミニ・トリップの模様をお届けします!<旅費交通費>ロッ・トゥー:130バーツここまでの合計:1,920バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。おわり※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/31
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スリー・パゴダ・パス(チェーディー・サームオン、三仏塔峠)の国境の道の横には、こんな碑が。The Republic of the Union of Myanmarこの碑から向こうはもうミャンマー領だということですね。碑の真後ろに泰緬鉄道の線路が残ってるんですよー。この時は気付かなくて非常に残念。写真にもわかりにくもののわずかに線路が写ってます -_-;)と言うことは今私が立って写真を撮っているまさにこの場所もかつては線路が通っていたということか。しかし、とにかく暑い!!おまけに腹が減ったので、戻りつつ食堂を探すことにしますか。なにしろ早朝にいかだの宿で出されたパトンコーを食べたっきりなので。さっき来た坂を登りつつ、途中で左の路地に入ってみました。何やらありそうな雰囲気です。売店の並ぶ路地を進みさらに左へ曲がると、なんと、こんなところに不釣り合いなスーパーが。ちなみにこの路地、先で未舗装になってますがそのまま直進したらミャンマーに密入国できちゃいそうな雰囲気ですね(笑)で、このスーパーですが面白いんですよ。土禁のスーパーって人生で初めて遭遇しました(笑)路地を引き返します。正面には営業の終わった木造の市場があるんですが、その前の木の下には、なぜか若者がたむろってます。しかも男性は80年代のヤンキーみたいな金髪の髪型にビシっときめ、女性は揃いも揃って綺麗な巻きスカートでおめかし。ここは若者の出会いの場ってことなんでしょうかね。市場の前が、ですか。なんとも微笑ましい光景です ^^結局この辺りには目ぼしい食堂が無かったので、再び坂に出て登ることに。あぢぃーーーー。ソンテオで来る際に、ロッ・トゥー乗り場らしき場所を見かけたんですよ。たぶんカンチャナブリー行きでしょう。その乗り場がずっと先の右手に見えています。とりあえず確認がてらあそこまで行きますか。汗ダラダラで到着。時刻は、12:28。受付に座っている髪をポマードで固めたインド系ミャンマー人らしき男性に尋ねると、カンチャナブリーまで185バーツとのこと。代金を払いつつ聞いてみます。何時に出発ですか?「何だって? ミャンマー語はできる? タイ語苦手なんだよ」何言ってるんですか。私よりずっと綺麗なタイ語ですけど。リスニング力がイマイチなのかな。何度も説明してやっと通じたようで。「午後1時」じゃ、お腹が空いたので向かいの食堂で食事してきていいですか?「行って来な。12時45分に出るから急いでな」今さっき1時と言ったじゃないか!(笑)なんだか不遜な態度というか遠慮が全くなくズケズケと言うタイ人と正反対のキャラが新鮮で面白いです(笑)急いで向かいの食堂に飛び込みます。すると、「呼んでますよ」と食事中の兄ちゃんが乗り場を指差して私に言います。なんだ? 仕方なく乗り場に戻ると、私を呼んだくだんの受付の男性、「今出発するから早く乗れ」で、でもお腹が空いてるんですが。「カンチャナブリーで食べろ!」あーもう笑えてきた(笑)じゃぁせめて隣の売店で飲み物だけ買わせてください。「急げ!」ラジャー ^_^;)おばあさんからコーラとスナック菓子を速攻で買ってロッ・トゥーに乗り込みます。乗客は、私とお坊さんの2人だけ。サンクラブリーで大勢乗って来るんでしょうかね?本当にすぐ出発しました。時刻は、12:36。<旅費交通費>ロッ・トゥー:185バーツここまでの合計:1,790バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/28
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サンクラブリー生鮮市場前から乗ったソンテオは、途中で検問を通った後、右へ逸れて停車。なかなか味のあるガソリン・スタンドですね(笑)給油を済ませて再出発。人家をほとんど見かけない景色の中をひたすら北へと走っていきます。しばらく走ると左手の景色が開け、向こうに連なる山々が見えてきました。この辺は向こうの山々はもちろん、道路の左手すぐももうミャンマー領のようで。ぐいっと左へ曲がったソンテオは真っ直ぐな坂を下りていきます。そろそろ終点かな。と思っていると、右に逸れ路地に入り木の下に停車。運賃は30バーツでした。運転手に渡します。時刻は、11:58。サンクラブリーから40分もかかったようには感じませんでしたけどね。さっきの下り坂に戻って、道なりに歩いて下っていきます。朝の涼しさが嘘のように暑い!! 早くも朦朧としてきましたよ -_-;)坂を下り切った目の前に、とうとう現れました。三つの仏塔。この地、スリー・パゴダ・パス、タイ名チェーディー・サームオン、日本名三仏塔峠の名の由来となった仏塔です。今の姿になったのは1929年ですが、それ以前にも3つの仏塔はあったようで。三つの仏塔を前に、果てまで来たんだという感慨がひとしおです。この地は山地を越える峠道として昔から交通の要衝でした。3世紀にインド人がはるばる現在のタイの地まで仏教を伝えにやってきた時もここを通ったと推定されているとか。さらには14~18世紀のアユタヤ王朝期には、ビルマ軍がたびたびここを通ってアユタヤに侵攻しています。逆にアユタヤ軍もここを通ってビルマを攻めたんですが。そして1943年10月に開通した泰緬鉄道もここを通っていたんです。バイクが横切っているまさにその場所を左右にまっすぐ走っていました。1990年頃にはモン族の軍がここのミャンマー側地域を制圧しましたが、その後再びミャンマー軍が平定し、停戦協定を結んだモン族の軍は活動をしていません。3つの仏塔の背後にはコの字型に取り囲むように土産物店街が連なっています。左からずーっと見て歩いてみますか。ちょうど強烈な日差しを避けられますし ^_^;)ご当地Tシャツもあるのですが、多く目につく商品と言えば…宝飾品。とくに宝石を使ったものが。ミャンマーって良質なルビーの産地でしたよね。それでかな?他にもコテコテの土産物店や中国茶屋、食堂などがある並びを抜けたところには、イミグレが突然出現。よし、ミャンマーへちょこっと行ってみますか。用意していた顔写真を確認しつつ窓口に近付くと、すーっと窓が開きました。中にいる女性係官にパスポートを出してミャンマーに行きたい旨を告げます。「ここは暫定国境なので、タイ人しかミャンマーに行けません。 恒久国境のバーン・ナムプローンへ行ってください」とにこやかに拒否られてしまいました。外国人はここを通れないとはまったく知りませんでしたよ!大いにガッカリです…。バーン・ナムプローンとは2013年6月12日に開いたばかりの同じくカンチャナブリー県にあるタイ・ミャンマー国境。詳しくは分かりませんが、バーン・ナムプローン国境が新たに開いた代わりに、スリー・パゴダ・パス(チェーディー・サームオン、三仏塔峠)の国境は外国人には閉ざされたのかもしれませんね。イミグレの向こう左手はもう、ミャンマー国境なのでした。時刻は、12:14。この時はとにかく暑くて細かいことに気が回らなかったんですが、帰国後によくよくこの写真を見てみると、何やら気になるものが。国境の道に並行して右手の緑の土手の上に見えるもの、あれって線路ですよねぇ?なんという不覚。どのみちサンクラブリーへの再訪を誓っていたので、その際にスリー・パゴダ・パスにもまた足を伸ばすことにしましょう (T_T)<旅費交通費>ソンテオ:30バーツここまでの合計:1,605バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。<参考>Wikipedhia "ด่านเจดีย์สามองค์"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/24
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モン橋が近付いてきました。子供船頭さんともお別れかと思っていたら…竹橋に船が通過できるように一ヶ所設けられた橋状の部分へ突進。くぐり抜けました!モン橋の反対側にも連れてってくれるんですね。西側から見るモン橋は逆光気味もあって倒壊したシルエットがくっきりと浮かんでいます。「水位が一番低い時期には泰緬鉄道の線路跡が全部現れますよ」と子供船頭さん。本当かなー。半分疑いつつもその時期を尋ねると「4月下旬から5月だ」とお父さんが代わりに答えてくれました。全部は大袈裟にしても、今日見たよりもっと多くの部分が見られそうですね。その時期に私は必ずまた来ますよ!と即座に答えた私でした ^_^;)船は再び竹橋の下をくぐって竹橋に横付けに。楽しかったひと時もいよいよ終わりです。時刻は、10:36。ありがとうございました。と船賃を払おうとして500バーツ札以上しか持っていないことを思い出しました。「大丈夫です。おじいさんのところでくずしてもらいます」と子供船頭さんは私と一緒にいかだの宿まで同行。右に見えるいかだ家屋がそこ。私が宿泊しているところです ^_^;)宿主のおじいさんにくずしてもらい、400バーツが返って来ました。じゃぁ、次に来る時にまた会いましょう。「来たら名刺のところに電話をください」と名刺を私に手渡すと子供船頭さんは帰っていきました。さて、自分の部屋に戻り荷物をまとめてチェックアウトすることにしますか。湖上に渡された通路を歩きはじめると、おじいさんの居宅兼宿の受付兼売店の壁にアウンサン・スーチーさん発見。モン族のみなさんは、タイに住みつつも心はミャンマーに向いているんでしょうか。紙無しのタイ式トイレとTV無しにはトホホな思いをしましたが400バーツにしてはなかなか良い宿でした。受付に戻っておじいさんに鍵を返します。「おや、もうチェックアウトかね?」はい。ありがとうございました!陸地の斜面を登ります。左がモン橋ですが、右には町中心部に出るコンクリート製の橋が。工事中ですが、渡ってみますか。途中からお別れがてらモン橋の姿を目に焼き付けます。対岸へ渡り急坂を登り切ると道路に出ました。延々と歩きます。さすがに暑くなってきましたね。これからミャンマー国境のチェーディー・サームオンに行きたいんです。英語ではスリー・パゴダ・パス、日本語では三仏塔峠と呼ばれるそこまではソンテオが出ているらしいのですが、乗り場が分かりません。サンクラブリー競技場横を通り、サンクラブリー通り側からソイ・テーサバーン1に入ります。宿を出てから25分ほど経過。左手にはサンクラブリー生鮮市場が。すると前方から緑色のソンテオがゆっくりと向かって来るではないですか。運転手にチェーディー・サームオンに行くか尋ねると頷きます。良かった!乗り込みます。時刻は、11:17。どうやらサンクラブリー・バスターミナル発着のようですね。<旅費交通費>船賃:600バーツここまでの合計:1,575バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/21
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泰緬鉄道の線路跡を離れると、この辺りは水深が浅いのか、立ち枯れた木々が湖面から突き出ているのが多く目につきます。お、近付いてきました。ランティー川に架かる橋に。昨日ヒンダート温泉から乗ったバスが渡ったのをよく覚えています。橋の近くにも湖上集落があるんですね。Uターンして反対側の陸地伝いに船は進みます。シラサギみたいな鳥が時折枯れ木の上で休んでいます。なぜか気になって船の進むすぐ先の湖面に目をやると何かが横切っているではないですか。よ~く見ると、長い体をうねらせています。…ヘビだ!!ヘビが湖面を泳いでる!!子供船頭さんに告げると、船を操るお父さんに向かって「ヘビが泳いでたってさー!」と大声でわざわざ知らせています。「父はヘビが大嫌いなんですよ」嬉々として話す子供船頭さんの顔を見て、大人顔負けのしっかり屋さんだけどやはり子供なんだなと微笑ましく思った私でした ^_^;)「歳を聞いてもいいですか?」と子供船頭さん。うげっ。正直に答えると、「お父さん! この人お父さんと同い年だって!」うひゃーーーーー。船は対岸の岩山に近付きます。「あそこだよ。砲撃跡」とさっきまで私とまったく言葉を交わさなかったお父さんが解説をし出しました。同い年と知って扱いが変わったのかな? ^_^;)それよりもどこ、砲撃跡は?指差してくれるんですが、うーん、よくわかりません。あれかなぁ。まぁ、砲撃跡があるっていうんだからあるんでしょう。それでヨシとしますか。お父さんはそのまま船を岩山近くに寄せていきます。「そこにも泰緬鉄道の線路跡があるよ」と船を止めました。「こっちは2つの盛り土の間の溝に線路が通っていたんだ」そうかなー。私には盛り土2つは本線と待避線に思えるんですが、いずれにしてもここが泰緬鉄道の線路跡に間違い無さそうです。線路はさっき見たところの先で直角に右へ曲がり、さらに直角に左へと曲がってここに至っていたようです。実はこのかつての谷間、現在の湖底にはニーケという駅がありました。ランティー川を渡った先に存在していたようなので、もしかしたらこの場所がニーケ駅だったのかもしれません。数本の待避線に、三角方向転換線、給水塔、機関庫があり、さらに兵站も置かれ、戦後も1946年10月の引き揚げまでこのニーケ駅に連合国軍の下、日本兵が361人配備されていました。戦後すぐに泰緬鉄道はこのニーケ駅を境にしてビルマ側と遮断されたんだそうで。きっと全線の中でも重要な位置づけの駅だったんでしょうね。実はそのニーケ駅の写真が残されているんです。 (出典:Coördinatiepunt Netwerk Oorlogsbronnen オランダ)駅名板はカタカナでも書かれていたんですね。ちなみに12km余り先の次のソンクライ駅はビルマ国境にありました。線路跡はまたもやこの先で湖に沈んでしまっています。ありがとうございました。お父さんにお礼を行って、船に戻ります。時刻は、10:07。岩山から離れ西へ向かう船から、線路が伸びていたであろう方向を眺めてみます。「泰緬鉄道は岩山に沿って回り込み、 あの奥へと伸びてミャンマーまで行っていたんだ」とお父さん。地形から考えても間違い無いでしょう。船は再び狭くなっている部分を抜け帰途に。…かと思いきや。「ここまだ見てませんよね?」と子供船頭さん。確かカレン族の寺だったとの説明だったような気がします。今は陸地に移転してるものの、船でないと行けない場所だと言っていたような。泰緬鉄道線路跡を見れた余韻にまだ浸っていたのでよく覚えてないんです。すみません m(_ _)m船は再び走り出し、金色のチェーディー・プッタカヤーの前を通過すると、モン橋が彼方に見えてきました!「ミャンマーまで船で行けるんですよ」と子供船頭さん。本当ですか! またの機会にお願いしてみたいですね。「この船もミャンマー製です。30年経ってますけど」どうりで時々溜まった水をコップで掻き出していたワケだ(笑)「水位が高い時期には船でターク県まで行けます」そんな旅も面白いでしょうね~。グーグルマップの航空写真を拝借した各場所の説明に対岸の砲撃跡と泰緬鉄道線路跡も追加しておきました。<旅費交通費>船賃未払いなので:0バーツここまでの合計:975バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。<参考>『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著,同文舘,1994年つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/17
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給油を終えた船は再び走りはじめました。ほどなくして、「あそこです」と子供船頭さん。ん? あ、それがそうなの?船が近付いて行くと、間違いない! これだ!泰緬鉄道の線路跡ですよ!再びエンジンを止め、子供船頭さんがオールを漕いで船を横付け。上陸します。この盛り土の具合、まさしく線路跡ですよね。カオレーム・ダムの水の中へと消えていっている方向に歩いて行きます。向きとしてはビルマ方面。泰緬鉄道が運行していた頃は、もちろんこの先も陸上でした。1984年にカオレーム・ダムができたために、旧サンクラブリーの町とともに湖底に沈んでしまったのです。線路跡の先に見える山は、先ほど砲撃跡を見たランティー山です。でも線路は、この後まっすぐランティー山には向かわずに右へとほぼ直角にカーブしていたようで。では、逆方向、つまりカンチャナブリー方面へと泰緬鉄道線路跡を辿れるだけ辿ってみますか。お父さんと一緒に線路跡に上がっていた子供船頭さんも私についてきました。ここから線路跡は陸上へ。時期によってダム湖の水位がかなり上下するようです。緑に見える部分は雨季真っ盛りには水の中だったのでは?その先は、野焼きでもしたかなような黒い地面の上に線路跡が伸びています。さらに進むと、森に突入。切り通しになった間を線路跡が続いているのですが、倒れかかった細い竹や木々、雑草が再三行く手を塞いで苦労します。そしてとうとう、どう考えても、素手ではもう前進不可能。倒れた木々の間から覗くと、切り通しはまだまだ続いていました。竹や草を刈って歩きやすく整備すれば、貴重な観光資源になるじゃないですか!なんとももったいない!!引き返しながらそう子供船頭さんに言うと、「さっきニシキヘビがいたので小走りで逃げてきました」そういうことは早く言ってくれ~!!泰緬鉄道建設当時、ジャングルの中での作業は、マラリアやちょっとした切り傷から菌が入ることにより肉を腐らせる熱帯性潰瘍などの疫病に苦しめられたそうです。ジャングル自体の状態は70年前と変わっていないと思われるので、今でもそんな疫病への罹患やヘビやヒルに噛まれる危険性は同じなんでしょうね。観光資源化への整備といっても、そうたやすいことではないのかもしれません。建設工事中はもちろん、開通後も列車転覆で死者を出し続けた泰緬鉄道ですが、今こうやって眺めると、穏やかな風景で平和そのものです。注意深く足元を見ていたんですが、鉄の線路はもちろん、枕木も線路を止める釘もまったく見当たりませんでした。たまに巻き貝の貝殻を見かけたぐらいです。しゃがみこみ、煙草の煙をくゆらせているお父さんの元へ戻って来ました。今回サンクラブリーまで来た最大の目的だったダム湖に沈む泰緬鉄道の線路跡を見ることを達成できて大満足です。もう結構です。行きましょう。船に乗り込みます。時刻は、09:39。少なくとも、貴重な歴史遺産を後世までしっかり残して欲しいですね。「それは難しいかもしれませんよ。波が少しずつ線路跡を削っているので」と、指差す子供船頭さん。あ、本当だ。すぐに消滅ということはないだろうけど、100年後には残ってないかもしれませんね。泰緬鉄道の線路跡を離れます。次はランティー川に架かる橋経由で、湖の反対側にもある砲撃跡に連れて行ってくれるんだそうで。もう全ておまかせです ^_^;)グーグルマップの航空写真を拝借した各場所の説明に泰緬鉄道線路跡も追加しておきました。<旅費交通費>船賃未払いなので:0バーツここまでの合計:975バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。<参考>『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著,同文舘,1994年つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/14
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子供船頭さんの船でモン橋脇を08:16に出発。「ガソリンを買うのでちょっと待ってください」とすぐに右岸へ寄せます。子供船頭さんとお父さんは斜面を登って消えて行きました。坊やと2人で残された私…。すると坊やが船を足で蹴って岸から離そうといたずらをし始めたじゃないですか!コラッ!!慌てて船を引き寄せ、坊やを抱きかかえていたずらできない場所に移動。油断も隙も無いったらありゃしない -_-;)ふとモン橋のほうを眺めると、ほぼ全体が視界に入る絶好のポイントでした。ようやく2人が帰って来たので、再び船に乗り込みます。「キミは危ないからもうここまでにしよう」子供船頭さんが坊やに告げます。ダダをこねられたら堪らないので、そこですかさず私は財布を開き、5バーツ硬貨を坊やに。「コップンカップ」(ありがとうございます)なんだ、タイ語話せるんじゃん。じゃあね~。これで安心して泰緬鉄道の線路跡へ向かえます ^_^;)ほどなくして右手にあの金色の仏塔、チェーディー・ブッタカヤーが見えてきました。さっきあそこへ行って来たんですよ。「塔のてっぺんにはプミポン国王から下賜された金の延べ棒500バーツが 納められているんです。」1バーツ=15.244gなので、7.6kgほどということですか!船は左(東)へと進路を変えます。「そのあたりが元のサンクラブリー郡役所です」今じゃ、まったく水の底ですか。このカオレーム・ダムの湖は深いところで水深30mとか。「あそこに見える木は郡役所前に立っていたんですが、 ダム湖に沈んだ1984年以降も生き続け、 ウッタマ僧侶が亡くなったのと同じ日に枯れたんです」2006年に枯れたってことですか。うーん。で、どの木?どれだかよく分かりませんでした ^_^;)かつてのサンクラブリー郡役所は、ソンカリア川、ビークリー川、ランティー川の3つの川が合流する場所に建っていました。そのためこの地は別名サーム・プラソップ(3河川の合流する場所)と呼ばれていたんだそうな。で、合流した先は名を変えてクウェー・ノーイ川となっていたんです。船はせり出した陸地の間を縫うように分け入っていきます。かつてのランティー川の流れに沿って遡上している感じですね。霧の向こうに山が見えてきました。「ランティー山です。爆弾の穴を見に行きましょう」爆弾の穴?山肌に近付いたところでエンジンを止め、子供船頭さんがオールを掻き始めました。「ほら、あそこです」あーっ、岩肌に丸く穴が開いています。戦闘機からの機銃掃射か野戦砲を撃ち込まれたんですかね。爆弾の穴というから爆弾投下でできた地面の窪みかと思いましたよ。「水が全て引けば、地面にも爆弾の穴がありますよ」いずれにしても連合国軍が日本軍を攻撃したものでしょう。こっちにもありました。こんなところでも戦闘があったんですね。「この辺りには日本軍の財宝が隠されているんですよ。今は水の底ですけど」えっ!?振り返るとお父さんも頷いています。まさかと思ったんですが、帰ってから調べたところ敗走する日本軍がサンクラブリーに財宝を隠したという伝説がまことしやかに語られているようなんです。なんでも1986年頃に日本政府がここから南東へ10kmほどにあるリジア洞窟(ถ้ำลิเจีย)周辺でのタケノコ栽培事業許可をタイ政府に打診してきたんだとか。日本政府はタケノコの缶詰を製造して日本へ輸出するためとしていましたが、掘り出した財宝を密かに缶詰に詰めて日本へ持ち帰るためではとの噂が立ったんだそうで。2001年、「信用できる情報」に基づくタイ警察副中佐も参加のリジア洞窟での捜索作業で、なんとアメリカの旧ドル紙幣や金貨など合計550億ドル相当の財宝が発見されたのです。その報を聞くや時のタクシン首相も即座にヘリコプターで現場に駆け付けたりで大ニュースとなったのですが、後になって全てニセモノだと判明。大失態に即刻捜索作業は中止となったのでした。そんな経緯があっても、今でも財宝の存在を信じて疑わない人がいるようで。つい最近も今年2014年4月に隣のトーンパープーム郡山中で穴を掘って財宝探しをしていた4人が摘発されています。でもただのデマだとも言い切れない出来事もあったんですよ。昨年2013年8月にお隣のミャンマーで池の造成工事中に日本軍が埋めて隠したと思われる金塊が発見されているんです。日本軍隠し財宝伝説は、サンクラブリーの地でまだまだ根強く生きていきそうですね。さぁ、いよいよ泰緬鉄道の線路跡に連れてってもらえることに!エンジンを再始動しランティー山の断崖から離れていくと、あれ、エンジンが突然止まりましたよ。「ガス欠です。ちょっと待ってください」なんだ。さっきガソリン買って来た時に給油してなかったのか(笑)そうそう、各場所の位置をグーグルマップの航空写真を拝借して説明しておきます。<旅費交通費>船賃未払いなので:0バーツここまでの合計:975バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。<参考>siamgoldsilver.com "ขุมทองโกโบริ สมบัติถ้ำลิเจียสมัยสงครามโลกครั้งที่ 2 ที่ยังรอการค้นพบ"『Post Today』2014年4月25日付け記事つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/10
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このチェーディー・プッタカヤー(ブッタガヤ仏塔)は800m離れているものの、実はさっきのワット・ワンウィウェーカーラームの一部なんですよ。ダム湖に近い場所を選んで建てたんですかね。では階段を上ってみますか。上り切ったところには仏像が。背後には「チェーディー・プッタカヤー」とタイ語表記。下のビルマ風文字はモン語なんでしょうね。内部に入る入口と、塔へと上る階段が見えます。まずは内部に入ってみましょう。三方がこんな感じにガラーンとしていて、どの方角にも中央付近に仏像があり参拝する人の姿が見られます。一周したので、階段で上へと出てみます。うわあ。金色に輝いて素晴らしいですね!いたるところに小さな仏像が置かれているのが見えますか?子供船頭さんが昨日言っていたとおり、元のワット・ワンウィウェーカーラーム本堂の壁からはずして持ってきたものが飾られたんでしょうね。あの一体が、なんとなく気になった私でした。チェーディー・プッタカヤーを見終えたので、再びバイクタクシーに跨ります。さっき来る道すがら、途中で市場が目に入ったんですよ。そこにも寄ってもらうことにしました。これまたほんの1,2分で到着。時刻は、07:53。木造の建屋にはワット・ワン市場と書かれています。ワット・ワンはワット・ワンウィウェーカーラームの略称ですね。さらその下には「ウッタマ僧侶により開設」とも。内部を歩いてみると、品揃えはごく普通の市場なのですが、他と違う点は、巻きスカートの女性比率が高いこと。実はバイクタクシーに乗りながらも巻きスカートの女性を多く見かけたんですよ。モン族の伝統が今でも守られているということなんでしょうね。では、モン橋まで戻りますか。モン族の集落を通り、モン橋に到着。当初は20バーツとのことでしたが、予定変更で3ヶ所も回ってもらったので、60バーツだそうで。1ヶ所につき20バーツってことかな。「船で湖に沈んだお寺を見に行きませんか?」とバイタクの兄ちゃん。なんと、船頭さんにもなるんですか。いえ、昨日見たので結構ですと答えると、ずんなりと諦めちゃいました。そんな観光客ズレしていないところがいいですよね ^^さてと、と辺りを見回すとこんなモノ発見。物見やぐらのような木造の展望台。これは上ってみない手はないですよね(笑)うおーーーー。絶景ポイントでした。上ってよかった!下りようとすると、あれ?子供が ^_^;)展望台にいる私の姿を見つけて寄ってきたようです。なんだかゴニョゴニョ話しかけてくるんですが、幼児言葉なのかモン語なのか聴き取れないんですよー。おかねちょーだい、とでも言ってるのかな。ずーっとついて来るし -_-;)モン橋の下には粗末な露店が並んでいました。そのうち一店を覗くと、おぉ、興味深いものが並んでますよ~。左から「カレン語初級」、「タイ-モン 2言語会話」、「タイ-ビルマ 2言語会話」。欲しいっ!買おうと財布を開いてみたら、なんと500バーツ札しかない!500バーツでお釣りありますか? 無いですよねぇ。すみません。ということでゲットできず。一生の不覚 -_-;)ちなみにお店の女の子はモン族じゃなくてタイ人だと言ってました。タイ人もいるんですね。さて、宿にいったん戻るかなー。モン橋脇の竹橋を歩いて行きます。すると、あれ、さっきのバイタク兄ちゃんじゃないですか。何をしてるんですか?「魚を釣ってるんですよ」タナカを塗った顔でにこにこしながら答えてくれます。いったいこの人の本業は何なんだろう?(笑)ちなみに写真のとおり、坊やはまだついてきています。う~ん、どうしよう。ふと前方を見つめると、例の子供船頭さんが大人と2人で竹橋にしゃがみこんでこちらを見ているではないですか。歩いて行くと、「父です」と。「今から行けますよ」確かに霧もかなり晴れましたし、それもそうですね。でも朝方断られたのは、もしかしたらお父さんを待っていたのかもしれませんね。私の希望する行き先に子供船頭さんは行ったことがないとのことだったので、お父さんの助太刀が必要なんでしょう。「いくらと言ったんだ?」「500」「600にしとけ!」と親子で相談しているのが聞こえてきます。私がいないところでしたほうがいいんじゃないでしょうか -_-;)でも不思議なんですが、モン族なのに親子の会話はタイ語なんですね。まぁ細かいことは気にしないことにしましょう。というワケで600バーツで(笑)、急遽今から船旅に出ることになりました。行き先は、ダム湖に沈んだ泰緬鉄道の線路跡です!時刻は、08:16。おい、なんでおまえも乗るんだ!(笑)<旅費交通費>バイクタクシー:60バーツここまでの合計:975バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/07
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モン橋横の竹橋を渡りつつ、エンジン音を轟かせている船のほうをふと眺めます。日は昇っているものの、朝霧のせいでぼんやりと。これまた幻想的な風景ですね。でも、さきほどよりは、霧が多少晴れたように思います。対岸に辿り着くと、なんとまあ。バイクが無ければ、まるで江戸時代な光景ですよ。バイクタクシーの兄ちゃんに声をかけ、行き先を告げます。えーと、ワット…「ワット・ワンウィウェーカーラーム」そうそう、そこです。名前が長くて覚えられませんでした ^_^;)「20バーツ」OKです。跨ろうとすると、「お供えの花はいかがですか? どうせあちらで買うことですし」と花売りの女性。あれ、いつの間に ^_^;)10バーツ渡して、花束を受け取ります。ちなみにこちら岸へ渡って来た途端、ほっぺたにタナカを塗った人だらけなんですよね。女性の腰巻きスカート率も高しです。こちらがミャンマーからやって来たモン族の集落なんだそうで。ではお寺に向けて出発!時刻は、07:23。緩やかな坂を上ったり下りたりしつつ、5分でワット・ワンウィウェーカーラームに到着。入口を入って左手には立派な建物が。プラサート・カーオヨート(九塔)というようで。見上げると、あ、昨日、ダム湖に沈んだ元のワット・ワンウィウェーカーラームに飾ってあった写真と同じお坊さんだ。ということは、ウッタマ僧侶ですね。「ウッタマ僧侶の棺はこの中に安置されています」あ、そうなんですか。でも朝早過ぎてまだ開いていないのが残念。ウッタマ僧侶は、ミャンマー生まれ。出家後苦労の末ミャンマー仏教界最高位の試験に合格すると、さらに経験を積むためにミャンマー各地やタイのチェンマイにまでも足を伸ばし積極的に巡礼をしたのだとか。1949年、台風によって故郷が壊滅的な被害を受けてしまいます。さらに政府軍と反政府勢力の戦闘拡大に嫌気がさしたウッタマ僧侶はトーンパープームの地から再びタイへと足を踏み入れます。招聘を受けるなどして、トーンパープームのあの山上の寺ワット・ターカヌンや、サムットサーコーン県のワット・バーンプラーなどで出家したのち、ラーチャブリー県ポーターラームのワット・コで出家中の1951年、ある知らせを受けたのです。故郷から大勢のモン族の人々が川伝いに国境を越えサンクラブリーに避難してきている。ウッタマ僧侶の招聘を望んでいる、と。ワット・コでの出家を終えたウッタマ僧侶はサンクラブリーに向かいます。これがサンクラブリーのモン族集落の始まりとなったのでした。その後、ウッタマ僧侶が中心となり、この地のモン族とカレン族の協力で1956年に建てられたのが、今はダム湖に沈んでいる元のワット・ワンウィウェーカーラーム。丘の上の現在のワット・ワンウィウェーカーラームは、ダム湖ができた1984年以降に建てられたものです。そうそう、この建物ですが塔が3つしかないのになぜプラサート・カーオヨート(九塔)という名なのかと思ったら、ウッタマ僧侶の棺に9つの塔状の装飾が施してあるからなんだそうで。ウッタマ僧侶は2006年、97歳で逝去。プラサート・カーオヨートは、その後建てられたのでしょうね。いずれにしても入って見れないのが残念です。2階はミュージアムになっているんだとか。「ウィハーンは開いてますよ」とバイタクの兄ちゃん。あ、ほんとだ。ちょっと行って来ます。入口右手のウィハーン・ヒンオーン(大理石仏堂)内部はひんやりした空気が漂っています。名のとおり中央には、ひと塊の大理石から彫られた仏像が。なんでもウッタマ僧侶がミャンマーのマンダレーの彫刻師に彫らせたものなんだとか。完成後、ミャンマー宗教局の許可取得や、9トンの重さのある仏像の運搬にてこずってやっとの思いでこの先の国境から搬入したんだそうです。仏像の前には一対の象牙が。珍しいんじゃないですか?さて、ここの境内は見終えたので、次なるスポットへ。チェーディー・プッタカヤーにも行ってもらえますか?「いいですよ」再びバイクに跨り、緩い坂を下りて行きます。すがすがしくて気持ちいいもんですね~。ちなみに左手は学校。ものの1,2分で到着しました!時刻は、07:40。チェーディー・プッタカヤー(ブッタガヤ仏塔)です!<旅費交通費>バイクタクシー代未払いなので:0バーツここまでの合計:915バーツ※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。<参考>MonStudies.com "หลวงพ่ออุตตมะ"(タイ語)Wikipedia "พระราชอุดมมงคล (เอหม่อง อุตฺตมรมฺโภ)"(タイ語)つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2014/07/03
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