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サンクラブリーのロッ・トゥー乗り場受付でチョン・カオカートまでの運賃を払います。175バーツ也。待合所で座ってますか。数人が手持ち無沙汰気にぶらぶらしてます。これがチケット。モン橋のイラストがニクイですね~。呼ばれたのでロッ・トゥーに乗車しましょう。私は前列3人掛けの中央に着席。07:20に発車です。3度目のサンクラブリー訪問は、あるのかなー。遠いけどまたぜひ来たいもんですよ。出発後すぐに差し掛かる国道323号線最大の難所の山道を越える最中、急な下り坂の脇に大きな岩がゴロゴロ落ちているのが目に飛び込んできました。ちょっと怖いぞ…。20分後、ランティー橋手前で「止まれ 検問」の看板が出現して停車。ランティー橋合同検問所という表記が見えます。陸軍、警察、国境警察の三者合同なんですね。迷彩服の係官がドアを開けて見まわし、1人の乗客のパスポートをチェック。どういう基準なのかいまだにさっぱりわかりませんよ。顔つきでミャンマー人と判断してるんですかね?発車してランティー橋を渡ります。右手には昨日巡って来た泰緬鉄道線路跡があるはず。一瞬なので車内からは見つけられませんでしたが。それはそうと、車内の注意書きがスゴイんですよ。上の「カーテンで手を拭かないこと」から始まり、「陸運局規則に関する省令第153条にもとづく安全および秩序に関する規定を 順守しない乗客は、5,0000バーツ以下の罰金に処せられます。」の下には食事× たばこ× アルコール× 嘔吐×と。5,0000ってカンマ打つ場所間違ってるから50,000なのか5,000なのか分かりませんよね。しかも嘔吐がダメって誰も吐きたくて吐くわけじゃないと思うんですが(笑)実はこんなことよりもやめて欲しい喫緊のことがあるんです。居眠りをし始めた右隣の太った男性が股広げてくるは寄りかかってくるはで。さらにやたら臭いんですよぉ。もうヤメテクレ~。苦痛に耐えつつやっとのことでトーンパープームの町に到着。時刻は、08:41。お客さんの乗降とトイレ休憩です。くだんの太った男性が運転手さんと何やら話しています。聞き耳を立てると、ここで降りると言っています。体調不良で我慢できないようで。あの臭さはそのせい? ちょっと可哀想。08:50トーンパープームを出発。9分後に現れた検問では、運転手が右手で「無い無い」みたいなジェスチャーをすると、迷彩服の男性係官も頷き、停車させずに通してくれました。まったく検問のチェックの仕組みって理解できませんなぁ。さらに約40分後、「チョン・カオカートだよ」と運転手さん。ありがとうございました!下車して見送ります。時刻は、09:37。国道323号線を渡った反対側には、กองการเกษตรและสหกรณ์สำนักงานทหารพัฒนาหน่วยบัญชาการทหารพัฒนา と長ったらしい名称を掲げる施設が。訳すと、開発軍司令部開発軍局農業・協同組合部隊ってなところでしょうか。農業の奨励や指導を行い、さらに環境や天然資源の保護も担当している部隊のようです。タイでは軍がやるんですね。かつての国道323号線は未舗装で雨季になるとぬかるみ車の通行が不可。クウェー・ノーイ川を船で行き来するしかなかった過酷な環境だったようなので、それで軍の担当になったのかもしれません。おっと、中に入りましょう。実はヘルファイア・パスはこの軍施設の敷地を通って向かうんです。右手の受付でチョン・カオカート(ヘルファイア・パス)へ行きたい旨門番の兵士に告げると、「えーと、あれ、あれ」と英語版の地図を引っ張り出して道順を教えてくれました。ぐるーっと大回りして行かなければならないようで。歩いていきますか。HELLFIRE PASS↑との看板があるので安心できます ^^あ、気付くとワンちゃんが道先案内をしてくれてるじゃないですか(笑)左手には牛が放牧されていて、じーっと私の動きを目で追っています。そんなに警戒しなくても…。うっそうとした並木道をワンちゃんとともに進んでいくと、現れたのは、ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム(HELLFIRE PASS MEMORIAL MUSEUM)でした。日本人には敷居が高く感じるんですが、勇気を出して入ってみますか。<旅費交通費>ロッ・トゥー:175バーツここまでの合計:1,664バーツ※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/30
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モン橋脇のいかだの宿に泊まった翌日、5月13日(火)は6:00に起床。早速モン橋を拝みに外へ出てみます。前回のように朝霧に包まれていないのがなんとも残念。前回ほど朝方に湿度を感じなかったのでちょっぴり予想はしていたんですが。そりゃ毎日霧が出るわけじゃないですもんね。水浴びを済ませ、バルコニーでのんびり景色を眺めながら朝食を待ちます。6時半過ぎに中学生ぐらいの男の子がバスケットを運んで来ました。食器に空けて頂くとしますか。パトンコーとホットコーヒー。これだけでもあるだけ嬉しいです ^^さあ、せっかく早起きしたんだからもう出発しますか。去り際に今回泊まったいかだ家屋を眺めておきます。おじいさんに鍵を返してチェックアウト。今回はまだモン橋に上がってなかったので寄っておきましょう。7時前だというのに、もう人がいますね。橋から東側を眺めます。一番右に見えるいかだ家屋の10棟ほどのかたまりが今回もお世話になったおじいさんの宿です。橋を行けるところまで進んでみますか。恐る恐る足を前に出し…。見下ろしてみます。背筋がゾッとしますよ。5回前のエントリーにもちょっと書きましたが、2013年7月28日の鉄砲水で倒壊したこの箇所は、カンチャナブリー県が発注した業者が入札で発注した業者が納期を過ぎても修復工事に着手しなかったので契約破棄。代わりに陸軍と地元モン族住民が協力してたった39日間で修復を完了させ、この10月18日に開通式が執り行われました。紆余曲折はありましたがモン族住民の手で修復でき、名実ともに「モン橋」として復活できたので結果的に良かったんじゃないかなと思います。現在ではこの倒壊した姿はもう目にすることができませんが、元どおりモン橋を渡って対岸へ行くことができるようになりました。竹橋は撤去されちゃったのかな?私はモン橋を後にして、入口で待機中のバイクタクシーに「ロッ・トゥー乗り場へ」と告げ跨ります。時刻は06:59。モン橋の入口は右手。正面に見えているのはコンクリート橋の入口です。バイクだとなんと速いことか!たったの3分で到着。昨日下見しておいたテーサバーン1通りのロッ・トゥー乗り場です。カンチャナブリー行きのロッ・トゥーに乗って途中で降りたいので、受付で聞いてみます。チョン・カオカート(ช่องเขาขาด)へ行けますか?「行けるよ。あと5分で出発だ」えっ、食事してから乗りたいんですが…。「大丈夫大丈夫。便は沢山出ているからゆっくり食事してきな」と言われたもののできるだけ早い便に乗りたいので、並びの食堂に急いで飛び込んで、パット・ガパオ(挽肉のバジル炒め)を注文して胃袋に掻き込み、辛さで汗ダクダクの顔で8分後に受付に戻ると、「速いね。もう食べてきたの!?」と。ロッ・トゥーはまだ出発していませんでした。予想どおりだ(笑)次なる目的地は泰緬鉄道史跡のひとつ、ヘルファイア・パス。そのタイ語名称がチョン・カオカート(欠けた山の切り通し)なのです。<旅費交通費>バイクタクシー代:15バーツここまでの合計:1,489バーツ※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/27
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食事のできるところへ連れて行ってくれるとの船頭さんの好意に甘えて再び乗船。モン橋脇の竹橋を離れます。エンジンを切ってオールを漕ぎ始める船頭さん。船はモン橋横のいかだ集落のうち、東寄りの一角に横付けしました。時刻は、18:18。「ここですよ」いかだレストランもあったのか!「ところで今夜の宿はもう決まっていますか?」いえ、まだなんです ^_^;)「僕は宿も経営しています。待っていますので食事後に見てみませんか? 気に入らなければ断ってももちろん大丈夫ですよ」なんと控えめな提案。はい。ではあとで見せてください。まずはディナーを~。このいかだレストランは「ペー・ミットサンパン」(แพมิตรสัมพันธ์)という名。訳すと「友好関係のいかだ」なんですが、どことどこのことを言わんとしているんでしょうね。タイ-ミャンマーなのかタイ-モンなのか、はたまた観光客となのか…。私は運良く湖寄りの席を確保。右手にモン橋も見えています。メニューと睨めっこして注文した料理は…左がプラーゴット・ラート・ナンプラー(ปลากดราดน้ำแลา)。レッドテール・ヘミバグルスという魚のようです。ギギというナマズの仲間の一種だそうで。そのナンプラーかけの料理のはずなんですが、揚げてあるんですよね。もしかしたら間違って注文したかも(笑)右はヤム・サーウモーン(ยำสาวมอญ)。「モン族女性の和えもの」という名に惹かれて注文したんですが、素朴な味でまあまあでした ^_^;)チョイスした料理のせいか味は特筆すべきほどではありませんでしたが、そんなことを忘れるくらいに素晴らしいのが、ここからの眺望。穏やかなカオレーム湖の湖面と岸辺の緑を眺めながら優雅に食事を楽しめるんですよ!!もう心底ここにしばらくいたい!と思ったほど。景色に大いに癒されながら食事をしていると、こんな瞬間も訪れました。夕日が綺麗! こっちは東の空なんですよ。雲の切れ間から日が差し込んで神秘的な色彩に。思わず席を立ち、いかだのへりまで出て眺めたほどです。西の空はというと、モン橋の彼方に日が沈もうとしているところのようですね。それからはもう夜の帳が急速に下りはじめ、こんな景色へと相成ったのでありました。これでレストランのお客さんの喧騒がなければ、どんなに最高なことか!周りを見渡すとバンコクから来たっぽい身なりの良いタイ人グループばかり。かなりのんびりしてしまいました。勘定を済ませ席を立つと、船頭さんが目の前にやって来ました。ずっと待ってたんですか!? す、すみません・・・。再び船に乗り込むと船頭さんはオールでさらに東へと進んでいきます。いかだ集落の最東端、一番右端が船頭さん経営の宿でした。船頭さん一家はその裏手のいかだ家屋に住んでいるそうで。部屋を見せてもらうと…ベッドではなく木の床にマットを敷いた寝床かぁ。扇風機が無造作に置かれています。トイレ&水浴び場はありますね。それで一泊300バーツだそうです。飲み物は売ってますか? 喉が渇いたもので。「えーと、何が欲しいですか。買ってきます」なんと、船でわざわざ買いに行ってくるとのこと。うーん、ちょっと不便だなー。しかも床で寝るってのが…。ごめんなさい。他をあたっていいですか? ^_^;)「では、さっきのレストランが経営している宿に案内しますね」とまた船で戻ってくれました。ペー・ミットサンパンの人を呼んだところで「じゃあ僕はこれで」と船頭さん。どうもありがとうございました!部屋を見せてもらうと入口にはゴミが散乱。室内は広いもののここも床にマットが敷いてあるタイプでした。なんとトイレ&水浴びは共同。さらにレストランに近いのでうるさくて落ち着けません (>_
2014/10/23
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ふたたび現れた泰緬鉄道線路跡に上陸し、東へと歩いていってみます。下の方の「泰緬鉄道線路推定図」の(4)の場所になります。すると、左にももう一本の線路跡が。あちらは退避線かな。しばらく二本のこんもりした盛り土が並行して続いていたんですが、この辺りは不鮮明ではっきり分からないものの、どうやらこの先で交わっているようですね。さらに歩いていくんですが、段々と線路跡がはっきりしなくなった上に立ち枯れた木々の茂みが鬱蒼とし出したので諦めることに ^_^;)引き返しましょう。ここから見ると二本の線路跡がよく分かりますね。あれ、ちょっと待ってくださいよ。ここって4月1日に訪れた際のここ(写真再掲)とほぼ同じ場所に違いありません!実は今回こそニーケ駅の場所を特定してやるぞと意気込んでいたのですが、これといった手掛かりが掴めませんでした。でも待避線があり、ほぼ直線の線路がしばらく続くこの辺りがニーケ駅のあった場所の候補として濃厚なように思います。ニーケ駅の写真も再掲しておきましょう。 (出典:Coördinatiepunt Netwerk Oorlogsbronnen オランダ)駅名板からは、右がビルマ方面、左がカンチャナブリー方面であることが分かります。後ろに広がっている森が今は湖の中心の辺りということになりますね。さらに歩いて戻ると、ようやく船が見えてきました。左へ湾曲している線路跡を伝って船に乗り込み再び出発。西へと進路をとっていると、「今、線路跡の上を通ったよ」と船頭さん。えっ、濁っていて全然見えませんでした。北西へと向きを変えた時、ズズズズと今度は線路跡に乗り上げてしまいました。船頭さんは苦笑しながらオールで押して脱出。そして…、なんと!こんなところにも線路跡があったのか!!図の(5)です。待っててくださいね。ちょっと歩いてきます!歩きつつ振り返ってみました。前方はというと、ここから線路はほぼ真北に延びビルマへと繋がっていたようです。またもや行けるところまで行ってやると思ったのも束の間。こんな草原になってしまい、どこが線路跡なのか判別が付かない状態に。たぶん真っ直ぐ続いているのだとは思いますが。それよりも足元が見えないのでヘビが心配なんですよ。4月に来た時は2匹も見かけたのでかなり心配症になってます ^_^;)ここまででもう十分でしょう。戻りますか。これにてサンクラブリーでの泰緬鉄道線路跡探しは終了です。船頭さんありがとうございました。船に乗り込んでモン橋へ。16分でモン橋へ帰って来ました。時刻は、18:12。子供たちがまだスワンで遊んでいるし!(笑)船頭さんにお礼を言いつつ船賃を渡します。実は600バーツで話がついていたんですが、危険を冒して線路跡に近付いてくれたり、何も言わなくても行ける限りの線路跡に全て連れて行ってくれたので感謝の気持ちを込めて700バーツを手渡しました。ついでに聞いておきますか。この辺りに食事のできる店はありますか?「ありますよ。連れていくので船に乗ってください」へ? 船で行くの?<旅費交通費>船賃:700バーツここまでの合計:1,059バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/20
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4月に来た時よりも水面に出現した部分が長くなった泰緬鉄道線路跡を船で離れます。そうそう、下のほうに「泰緬鉄道線路推定図」を掲載しておきました。これは実際に私が見た線路跡に1957年に米軍が作成した地図の情報を加味しておおよその位置を推定して線を引いてあります。正確ではない点をご容赦ください。その図の(1)の線路跡を離れ、北側の対岸へ向かっている途中で船頭さんが右手を指差しました。「あそこも線路跡だよ」あっ、本当だ!!なんと、湖を横断するかたちでこんもりとした盛り土の線が水面に顔を出しているではないですか。図の(2)です。目で追っていくと、あ、途切れた。船の航行のために崩したっぽいですね。左端にまた線路跡が見えています。そこへ接岸してもらいましょう。写真には写っていませんが、このすぐ左側に水上家屋があるんですよ。いかだ状なので簡単に移動できるみたいですね。接岸すると、船頭さんはそこの住人と世間話を始めました。知り合いなのかな?振り返ってみるとこんな感じ。向こう岸に沿って左から右へさっき見た線路跡(1)が走っています。中央のこんもりした小山の右端あたりから右へカーブして湖の下へ消えていき、細長い小島状の(2)を経て、私の立っている(3)に繋がっていたんですね。これだけでも泰緬鉄道の線路跡をかなり解明した気がして嬉しくなりました ^^この先はというと、再び途切れて、その先は左へとカーブしてまた湖面に消えています。では、その先へまた連れて行ってもらいましょう。再び乗船して岩山の中央あたりへ。この辺は水が引いて湖底が広く露わになってますね。多少ぬかるんでいる中を歩いていきます。立ち枯れた木が長短無数に突き出していて、転倒したら怪我しそうですよ。踏み出す度に踏んづけた短い枯れ木がバキバキと音を立てます。中央を横切っているのは線路跡ではなく、かつての道路跡のようです。さらにずんずん進んでいくと、水に進路を阻まれてしまいました。が、その先を見ると、こんもりとした線路跡がありますね。(3)と(4)の中間付近です。進めないんじゃ仕方ない。船に戻りますか。と振り返ると、うわぁ、随分と深く分け入ってたんだなー。こんなところで何かに襲われたら死体も見つからなそうだ -_-;)カオレーム・ダムができてこの辺りが湖底に沈んだのはちょうど30年前の1984年。これらの立ち枯れた木々はその頃からずっとこのままの姿なんでしょうかね。再び船に乗り、さらに西へと案内されると、うお、ここにも線路跡が。乗り上げて停船。左へカーブしてますね。反対の東側はというと、岩山の下へと続いています。たぶん4月に来た時に見たもう一ヶ所の線路跡がこの先の辺りでしょう。図の(4)にあたります。では、行けるところまで歩いてみますか!<旅費交通費>船賃支払いまだなので:0バーツここまでの合計:359バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/16
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4月に来た時よりも水面に出現した部分が長くなった泰緬鉄道線路跡を船で離れます。そうそう、下のほうに「泰緬鉄道線路推定図」を掲載しておきました。これは実際に私が見た線路跡に1957年に米軍が作成した地図の情報を加味しておおよその位置を推定して線を引いてあります。正確ではない点をご容赦ください。その図の(1)の線路跡を離れ、北側の対岸へ向かっている途中で船頭さんが右手を指差しました。「あそこも線路跡だよ」あっ、本当だ!!なんと、湖を横断するかたちでこんもりとした盛り土の線が水面に顔を出しているではないですか。図の(2)です。目で追っていくと、あ、途切れた。船の航行のために崩したっぽいですね。左端にまた線路跡が見えています。そこへ接岸してもらいましょう。写真には写っていませんが、このすぐ左側に水上家屋があるんですよ。いかだ状なので簡単に移動できるみたいですね。接岸すると、船頭さんはそこの住人と世間話を始めました。知り合いなのかな?振り返ってみるとこんな感じ。向こう岸に沿って左から右へさっき見た線路跡(1)が走っています。中央のこんもりした小山の右端あたりから右へカーブして湖の下へ消えていき、細長い小島状の(2)を経て、私の立っている(3)に繋がっていたんですね。これだけでも泰緬鉄道の線路跡をかなり解明した気がして嬉しくなりました ^^この先はというと、再び途切れて、その先は左へとカーブしてまた湖面に消えています。では、その先へまた連れて行ってもらいましょう。再び乗船して岩山の中央あたりへ。この辺は水が引いて湖底が広く露わになってますね。多少ぬかるんでいる中を歩いていきます。立ち枯れた木が長短無数に突き出していて、転倒したら怪我しそうですよ。踏み出す度に踏んづけた短い枯れ木がバキバキと音を立てます。中央を横切っているのは線路跡ではなく、かつての道路跡のようです。さらにずんずん進んでいくと、水に進路を阻まれてしまいました。が、その先を見ると、こんもりとした線路跡がありますね。(3)と(4)の中間付近です。進めないんじゃ仕方ない。船に戻りますか。と振り返ると、うわぁ、随分と深く分け入ってたんだなー。こんなところで何かに襲われたら死体も見つからなそうだ -_-;)カオレーム・ダムができてこの辺りが湖底に沈んだのはちょうど30年前の1984年。これらの立ち枯れた木々はその頃からずっとこのままの姿なんでしょうかね。再び船に乗り、さらに西へと案内されると、うお、ここにも線路跡が。乗り上げて停船。左へカーブしてますね。反対の東側はというと、岩山の下へと続いています。たぶん4月に来た時に見たもう一ヶ所の線路跡がこの先の辺りでしょう。図の(4)にあたります。では、行けるところまで歩いてみますか!<旅費交通費>船賃支払いまだなので:0バーツここまでの合計:359バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/16
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向こうからやってきた船を操っているのは、あの子供船頭さん!会えて良かった!!竹橋まで来て停船しました。私を覚えてますか?「覚えてますよ。いつ来たんですか?」今着いたばかりです。泰緬鉄道の線路跡を見に連れていってくれますか?「明日でもいいですか? もう暗くなってしまいますんで」まだ4時なんですけど -_-;)困ったような顔をしているので、今日は行けない事情がありうそうな雰囲気。明日はもうバンコクに帰っちゃうんですよ。「…。ちょっと待っててください」子供船頭さんは引き返して対岸の水上集落に消えて行きました。「船が壊れるのが怖いんだな。ははは」やり取りを聞いていた他の船頭さんたちが笑っています。なるほど。前回もそうだったけど、遠出するにはあの船じゃダメなのか。きっと一回り大きな船を借りる必要があるってことですね。しばらくして戻って来ました。が、さっきと同じ船です。「代わりに行こうか?」同業の青年が子供船頭さんに声を掛けました。「譲るよ」と仕方がないという顔をして子供船頭さん。えっ、なんだ。そんなに簡単に諦めちゃうのか。子供船頭さんに連れていって欲しかったのに。あっさりしていてちょっぴりガッカリ。では気持ちを切り替えて青年船頭さんの船にお願いしますか。モン橋を出発でーす。時刻は、16:13。子供たちがスワンで遊んでます(笑)ピースサインまでしてくれてありがとう~。他の船の後ろについて進んでいきます。向かいにはチェーディー・プッタガヤの金色の塔の姿が。さらに進んでいくと、ダム湖に沈んだ旧ワット・ワンウィウェーカーラームが遠くに見えてきました。前回訪問時より水位がかなり下がっているのがはっきり分かります。前回4月1日の際は、こんなでしたから。右の鐘楼跡が上の2段しか見えてなかったのが、今回は基礎部分まで現れてますもんね。旧ワット・ワンウィウェーカーラームの手前で左折して陸地が狭まっている部分を抜けると、眼前にランティー山が姿を現しました。岩肌に砲撃跡のあるあの山です。湖面には立ち枯れた木が無数に頭を出していてなんとも殺伐とした光景。ここで船頭さん右岸に沿ってぐるっと迂回する航路を取り、ランティー山のすぐそばを通過していきます。たぶんかつてランティー川が流れていた水深の深い部分を進んでいるんでしょう。そしてついに、前回も訪れた泰緬鉄道線路跡が目の前に!「勇気が無いよ」船頭さんは、立ち枯れた木々を抜けて接岸するのをためらっています。ここまで来たのに諦められるか。我ながら意地悪ですが、あえて無言でいると渋々船を進めてくれました。無事に接岸。喜び勇んで線路跡に上がります。時刻は、16:37。まずは東のカンチャナブリー方面へと歩いてみますか。意図的になのか自然になのか削られて分断されています。間を左から右へ湖水が勢いよく流れていて、見ていると吸い込まれそう。4月の際は私が立っている側は水面下でした。子供船頭さんのお父さんが言っていたように干上がってないのが残念ですが、それでも前回より水面に出ている部分がずっと増えていますね。調べたところ、数年に一度、この時期に異常に水位が下がることがあるそうです。そんな時にまた訪れたいもんです。じゃぁ戻ってビルマ方面へと歩いてみましょう。右に乗って来た船が見えますね。向かいの山はランティー山。右へとカーブして湖面に消えていっています。先端まで行ってみますか。北側の対岸に見える岩山のほうへ伸びているのが分かりますね。あの山は、前回見た砲撃跡のあるもう一つの岩山なんです。引き返しながら足元を注意深く探すと、枕木があった!どれも朽ちかけていますが、数本発見することができました。では次に対岸の線路跡へ連れて行ってもらいましょう。<旅費交通費>船賃支払いまだなので:0バーツここまでの合計:359バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 今回訪れた泰緬鉄道線路跡は(1)の場所です。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/13
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サンクラブリー・バスターミナルを出た私は、とりあえずサンクラブリーの町中心部を散歩してみることに。バスターミナルの真正面に伸びるテーサバーン1通りを東へと歩きます。さっきモーチット発スリー・パゴダ・パス行きバスが立ち寄ったバス乗降所がほどなく目の前に出現。振り返ってみたところです。正面奥の緑の多いところがバスターミナル。で左の「blend」という看板の手前、赤いアイスボックスが置かれた場所がモーチット~スリー・パゴダ・パスのバス発着所なのです。閉まっている事務所のシャッターには、99、999バス時刻表 サンクラ(バンコク)便 時刻 等級 カンチャナ (モーチット2)1.7:45 ポー1 207B 302B2.9:30 ポー2 161B 249B*チケット購入後は返金しません**チケット予約電話 081-7776546‘注意’ バス発車時刻前にお越しくださいね。と。スリー・パゴダ・パス発のバスもここに寄ってからバンコクへ向かうってことか。さらに通りを歩くと同じく右手に、大きな市場が。ここは夕方までやってるみたいですね。中を覗いてみます。売っている物に特色があるわけではありませんが、この木造の建屋に味があっていい感じですね。戻ってテーサバーン1通りをサンクラブリー通りにぶつかって終わる端まで歩くと、左手の角にロッ・トゥーの待合所が。エアコン車チケット販売所 BUS TERMINALサンクラブリー - トーンパープームSANGKLABURI THONGPAPHUMサンクラブリー - カンチャナブリーSANGKLABURI KANCHANABURI看板は誤解を生みそうですね ^_^;)ここ発着なのはバスではなくロッ・トゥーですよ。細かく言うと、カンチャナブリー~トーンパープーム~サンクラブリー とカンチャナブリー~サンクラブリー~スリー・パゴダ・パスの2路線がここ発着です。Uターンして市場を縦に抜け、一本南のテーサバーン2通りに出ました。市場前には彫りの深いインド系の顔をしたおじいさんがしゃがみ込んでいます。市場の反対側には、サイアム・コマーシャル銀行サンクラブリー支店が。サンクラブリーで目にした建物中、ダントツで最も近代的に思えます ^_^;)ひとおおり見たので、そろそろモン橋まで歩いていくとしますか!15:31にシースワンキーリー通りを南へと歩き出します。途中右折するポイントをうっかり過ぎてしまい、ちょっぴり遠回りすることに。実はまたもや右折するポイントを通り過ぎてしまったんですが、バイクで通りかかった兄ちゃんが親切にも教えてくれたので助かりました。前回帰りに渡ったコンクリの橋でモン橋へと向かいます。水上集落とモン橋が大パノラマで目の前に広がってますよ!!4月に来た時と比べて間違いなく水位が下がってますね。水面に現れた部分が緑に覆われ、いっそう秘境の楽園な趣が感じられるではないですか。コンクリの橋を渡り切り、階段を下りてあの竹橋を渡り始めます。モン橋よ、帰ってきたぞ~。時刻は15:56。ちなみにモン橋ですが、10月上旬の現時点で修復工事はほぼ完了していて、10月18日に開通式が執り行われる予定だとか。1年以上経ってようやくですね。なので現在はもうこんな倒壊した姿ではなくなっています。水遊びをする子供たちの姿がそこかしこに。そっか。まだ夏休みですもんね ^^さて、人探しをせねば。前回お世話になった子供船頭さんを。竹橋付近で客引きしている船を全て見て回ったんですが、姿無し。お客さんを案内中かなー。しばらく待ってみるか。そう思った時です。向こうの方から一艘の船がこちらへ一直線に向かってくるではないですか。目を凝らして見ると・・・、子供船頭さんだ!!<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:359バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/09
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※はじめにお断りしておきます。 今回の記事は、あくまでフィクションです。登場する人物は実在しません。 創作のストーリーとしてお読みください。スリー・パゴダ・パス目抜き通りの坂から一本脇道に入ったところにあるソンテオ乗り場に到着。ここからはサンクラブリー行きのみが出ています。「乗って待ってて」運転手さんらしき男性に声をかけられましたが、しばし周囲の写真撮影を ^_^;)ソンテオの先の今にも崩れそうな木造小屋は、売店兼待合所兼運転手詰所のようですね。男性が数人ベンチでまったりしているのが見えます。運転手でしょう。撮るものが無くなったのでソンテオに乗りこんで待つことに。進行方向右側のベンチシートの一番前に腰かけます。するとものの3分で発車。時刻は、14:33。のろのろと走り出したところで赤ちゃんを抱えた若い女性が運転手に声をかけて停めました。何か相談している様子。私は車窓を眺めます。覚えている方はいますでしょうか?この左手の建物は、4月に訪れた際に見た「土禁のスーパー」なんです(笑)写真だと見づらいですが、今回も階段の上にサンダルが散らかっています。そしてこの道の先はもう、ミャンマーなんですよねー。そんなことを思いつつ、正面へ向き直すと、さっき運転手さんと話し込んでいたあの女性が私の真正面に座って私に微笑みかけているではないですか!わぁっ、ビックリしたなもう。「タイ人ですか?」いえ、日本人です。観光で来たんです。「なんでタイ語が話せるんですか?」ああ、以前バンコクでタイ語を習ったことがあるんですよ。…とお決まりの会話が続きます ^_^;)歳の頃は22~3ぐらいでしょうか。ほっそりしていてなかなかの美人。タイ系のタイ人ではなさそうですが、ネイティブなタイ語です。若いのに赤ちゃんもいて立派だなぁと感じることよりも何よりももっとも印象的なのが、眼力の強さ。人と折衝する商売でも営んでいるのかな?失礼な言い方ですけど、こんなど田舎のうら若き女性には不釣り合い。危険な匂いを感じざるを得ない目つきの持ち主です。でも笑顔は可愛いんですよ。だから思い過ごしかな ^_^;)表通りへ出て坂を登っていきます。スリー・パゴダ・パスよ、さようなら~。4,5分もすると人家のまったくない景色に。沿道の林から鈴の音みたいな蝉の鳴き声が聞こえてきます。日本にはいない種類かな。目の前の女性が、助手席の男性に何か叫びました。するとソンテオはスピードを落とすではないですか。友達を拾うのかな?女性はしきりに携帯で電話をしていますが相手に通じないようです。10分ほど走ると検問が現れました。時刻は、14:53。女性が係官と親しげに話しています。「日本人なんだって」「友達ですか?」と係官。いえいえ、違います ^_^;)「パスポート」あ、はい。これです。「タイ語話せるの?」「タイには長くいるの?」となんだか疑われているような質問が。コラ~、ネエちゃん。あんたが親しげにするせいだぞ(笑)なんとか無事に検問を通過できました。走り出したソンテオはなおもスピードを抑えめ。カーブの坂を下っていた時です。ネエちゃんが助手席に向かって何か叫びました。するとソンテオが停車するではないですか。その途端、大勢の人が物凄い勢いで乗り込んで来ました。まさに「突進」という感じで駆け込み、先頭の男性が私に体当たりして椅子に崩れ込み、安堵の表情を浮かべました。ソンテオは急発進。もう普通のスピードです。何が起こったのか理解できず、あっけにとられる私。ネエちゃんの隣にピッタリくっついて座った色白の若い女性がネエちゃんに二言三言話しかけています。すると、他の数人も同様に。でも共通して親しげではなく、仏頂面で。むむむ。乗り込んできたのは、20~40代の男女6,7人。私に体当たりした揚句まだピッタリ密着している男性は20代後半。こんな暑いのに薄手のダウンジャケットを着ている不自然さ。額には汗をビッショリかいているじゃないですか。向かいの席の女性を見ると、ジーンズに雑草の種が付いています。そんな私の目の動きを察したのか、ネエちゃんが笑顔で話しかけてきました。「今日はサンクラブリーで泊まるんですか?」そうですよ。ところで、みんなは友達ですか?そう尋ねた途端、笑顔が消え目を逸らして黙ってしまいました。なるほどね。全てが理解できたぞ。この連中は、道なき道を歩いてきたのか。あちらから。どうりでネエちゃんの目ヂカラが強いワケだ。すると15:01、また検問で停車するではないですか!おいおい、大丈夫なのか!?観察していると、とっさに100バーツ札を握りしめた人が。連れていかれる人と乗ったままでOKの人がいるのが不思議。どんな基準なんでしょう?いずれにしても連れて行かれた人も間もなく無事に戻って来たのでした。いったいどうなってるんだーーー!!ほっとした半面、説明のつかない割り切れなさも感じたり。ソンテオがサンクラブリーの町に近付くと、ネエちゃんはおもむろに紙幣を数枚グシャっと握りしめ外に手を伸ばし、素知らぬ顔をして助手席の男性に窓から手渡そうとしています。でも、助手席の男性はまったく気付かず(笑)サンクラブリーは、国道323号線から南へ並行して真っ直ぐ伸びた2本の道路に囲まれた地域が市街地になっています。そのうちの東の道路、サンクラブリー通り入口でソンテオは停車。ここでネエちゃんの指示で御一行様下車です。ネエちゃんはというと、一瞬ニコっと私に微笑んでから後について下車。降りてきた助手席の男性に紙幣を手渡しています。500バーツ札があるのがチラっと見えましたが、総額いくらかは定かでないです。ここはタイと言えど、住民の多くはモン族も含めてミャンマー人。官民問わず同胞同士で助け合って生きているのかもしれないな。再び走り出したソンテオは、西の道路シースワンキーリー通りに入ってすぐにあるサンクラブリー・バスターミナルで停車。終点です。時刻は、15:18。運賃30バーツ也。運転手さんに手渡します。国境のありのままの姿を垣間見たような45分の旅でした。サンクラブリー・バスターミナスを後にしましょう。<旅費交通費>ソンテオ:30バーツここまでの合計:359バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。※今回の記事は、あくまでもフィクションです。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/06
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スリー・パゴダ・パスのタイ側イミグレの横にはこんな表示がありました。 サヤーム最果ての地ダーン・プラチェーディー・サームオン・ルート 仏暦2459年(西暦1916年) 座標 MS.345916サヤームはタイの旧国名。ダーン・プラチェーディー・サームオンとはスリー・パゴダ・パスのタイ語名で「三仏塔国境」の意味です。さて、三仏塔を最後にもう一度見ておきますか。軍用車が停まり迷彩服姿の兵士達が歩いている光景が国境の雰囲気を一層醸し出していますね。多分国境警備とは無関係の人達ですが。坂を登り始めると右手にこんなものが。 最西端の地カンチャナブリー県サンクラブリー郡と。なんだかオドロオドロしいですね。ここに座って記念撮影したい気にはなりません(笑)その先の左手を見て、あっと思いました。真っ赤な花が咲き乱れるこの木。さっき泰面国境平和祈念堂で見かけた故永瀬隆さんの詠んだ歌、バンコク桜と兵ら唱えし鳳凰樹その紅いの花は血の色の鳳凰樹ってこの木なのでは!?帰国後調べてみたら、そうでした。日本名はホウオウボク(鳳凰木)。中国や台湾では鳳凰樹と呼ばれているようです。タイ語名は、หางนกยูงฝรั่ง(ハーン・ノックユーン・ファラン)。「西洋孔雀の尾」という意味です。多分シダのような葉とそこに咲く赤い花が孔雀の尻尾に似ているからなんでしょうね。なるほど。「血の色」と形容したのが分かる気がします。日本兵が「バンコク桜」と呼んだのは咲いている姿よりもむしろ、この散り方が桜に似ているからなのかもしれませんね。タイでのホウオウボクの開花時期は4~5月。幸運にもちょうどその時期に訪れることができたお陰で永瀬さんがあの歌を詠んだお気持ちが多少なりとも理解できたような気がします。その先の右手の路地に入ってみました。こんなうら淋しい寺院の横を通り過ぎると、兵士の座る詰所とその先に大きなゲートが。あの先はミャンマー領に違いありません。私がどうしようか躊躇していると、「あの門の前までは大丈夫ですよ」と兵士さん。ありがとうございます ^_^;)門の近くまでにじり寄っていきます(笑)カンチャナブリー・ナンバーの車やタイ・ミャンマー双方のナンバーのバイクがひっきりなしに出入りしています。あっ、さっき有刺鉄線の先に見えた道はここに繋がっているんですね!きっと両国の地元民だけが自由に行き来できるんでしょう。もっと門に寄ってあちらを覗いてみます。牛のいるのどかな景色でした ^^兵士さんにお礼を言って後にします。どうも私をタイ人だと思っていたみたいで。詰所のところで右に曲がると、前方にここまで乗って来たバスがまだ停車しているのが見えました。モップでお掃除中。なかなかの重労働ですね。見どころはこんなもんでしょうかね。そろそろサンクラブリーへと向かいますか。目抜き通りの坂を横切り反対側の路地へ入ります。あったあった。サンクラブリー行きのソンテオ乗り場です。前回乗ってるから安心して利用できます ^^時刻は、14:28。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:329バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/02
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