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『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだのは、今年かと思ったら、去年の春でした。近ごろ、美術館になかなか出かけられない欲求不満があって・・・ せめてもの、解消に、先日、レンタルで『ダ・ヴィンチ・コード』を観ました。読んだときの、詳細はもう忘れてしまったけれど、映画の、目を離せない早い展開は、面白かったです。(^^)vただ、「ダ・ヴィンチ」の名が冠せられているから、結構こだわって楽しみにしたけれど、やはりこれは、私にとって推理小説… でした。まあ、当たり前かな。確かに「ウィトルウィウス的人体図」も、「最後の晩餐」も、「モナ・リザ」も、ルーブルの内部も 登場はするけれど、ウィトルウィウス的人体図 1492年Pen, ink, watercolour and metalpoint on paper, 343 x 245 mmGallerie dell'Accademia, Venice(↑画像があんまり大きくてびっくりしましたが、 まあいいかな。大きくてちょっと怖いかも )そして、ダ・ヴィンチはシオン修道会の総長の一人であり、それらは「事実である」と、著者が述べているけれど… (←否定されている?)やはり、物語の中のことのように、思えた。カトリック関係の人から、反論が出るのも、当然と思えます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~私には、美術品との関連は、少々こじつけ気味に感じられ、宗教的テーマは、難題すぎ、純粋に推理小説 ということで納得。本を読んで消化できなかった、何かがいろいろ残っていたのですが、DVDを、観て、その不消化感が払拭されたのではなく、まるごと(?) 消えた。というか、区切りがついてしまった♪チャン♪ お し ま い。なんか、感想になっていませんね。『ダ・ヴィンチ・コード』関連の本がたくさん出されたり、それにしても 日本だけで1万部でも、100万部でもなく、1000万部!!ちょっと分けて頂戴!! あ~あ。 関連展覧会が開かれるのは、それはそれで、歓迎ですが、ちょっと商業ベースになっていて、あんまり、気持ちが関われない。というより、主役であるロバート・ラングドンにも、ソフィー・ヌヴーにも、立場が特殊すぎるからか?(よく分からないけど) あまり気持ちが入っていけなかった!のが、正直なところかも。いずれ、ダ・ヴィンチの 底知れない人間像の、謎がまた増えたことは確かです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~あ~あ、 夜中。ほんとは展覧会に行きたいな…タイミングの悪い時期が続きます。まあ、よしとしましょう。こんな日もある。あんな日もある。こんな日もある。――――――――――――――――――【本日の同音異義語の驚き(o^^o)】ウィ摂るウィステキ靭帯図って意味不明!――――――――――――――――――
2006.11.28
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あるところで紹介されていた本のこと。その紹介や、いろんな方のコメントを読んで、「おお、ほんと、ほんと!!」と、妙に 納得してしまいました。って、読んでいないのに書くのも無責任ですが…ポイントが スパッと今の気持ちに入ったので、悪しからず。楽天さんの画像を借ります。要はガラクタを捨てましょう!ということ。(だと思います。^_^;)ガラクタなら、当然かも知れませんが、何を ガラクタと思って、処理できるか・・・たとえば、割り箸の袋を 取っておく人がいたとして、それは、割り箸の袋が 必要となるその未来を、想定して生きていることになる。「それが必要となる未来の自分」を、想像してみて、必要としているその自分に、なりたいか…というと ???想定してというより、潜在意識で、割り箸の袋を 必要とする自分を、作ってしまう。ならば、多くのガラクタは、捨てたほうが、運気がよくなる!!(ということだと 思います。^_^;)ガラクタ捨てれば未来がひらける!!うんうん、そんな気がしてきた・・・古い書類や、古い本や、いろんなものは、処分しても、あとで困ることは、なさそう。さっそく? とりあえず、本と本の間にゴソゴソ挟んでいた、書店でつけてくれたブックカバーの、シワシワになっていた束を捨てました。 それだけ?ヾ(ーー ) いや、整理したいものはたくさんあるのです。 二度と使えないと分かっているけど、HDDの中身を確認して情報を消してからとか、言って 積んである古いノートパソコン。ウェストがもう少し細かったころのスカート。子供たちの小学校の教科書。いろいろ雑多な資料。・・・・まあ、もったいないという理由とは違う要素も 色々あって、捨てる行為はなかなか進みませんが、でも 、捨てよう!!と、勢いづいている本日です。@そろそろお昼。あっ 勤労感謝の日ですね。すべての、勤労している皆さん、ありがとう♪勤労できる環境に、ありがとう♪。たとえ、勤労できなかったとしても、いまある、いろんなことに、ありがとう♪ かな。――――――――――――――――――【本日の同音異義語の驚き(o^^o)】 未来を送呈して生きるている。――――――――――――――――――
2006.11.23
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相変わらず、お久しぶりです。青とシルバーで、お洒落に彩られたクリスマスツリーが松坂屋の脇に並んでいました。しだいに、冬の気配に包まれています。若い頃からたびたび思ってきたこと。心に浮かぶことを、自動的に書き取ってくれる装置 は、ないだろうか。もちろん、いつもいつも記録されたら困るから、ヾ(ーー )都合のいいときだけ、たとえば、電車のドアのそばに立ち、光の乱舞にワクワクしながら、移り行く風景に目を委ねているときに、湧いてくる言葉が、ちょっとだけ自分には、いいような気がしたり、ヾ(ーー )話している相手の、表情の美しさなどに 惹かれながら、これはメモしておきたいと、思うような何かが、キラッ!と光るときとか、それが、ペンを握らなくても、入力しなくても、残っていたら・・・ちょっと 便利かもしれない。 ~~~~~~~~~~~~~~~でも、いざ、記録があるのは 怖いです。高校時代の日記帳が見つかったとき、懐かしいという思いよりも、人目に触れるのが嫌で、やっぱり、 こっそり、庭の、ゴミもやし場で焼いた。そして、多くの場合、記録された内容ではなく、それを支えている「もの」は懐旧の思いよりも、他人にとっては、むしろ扱いに困るゴミに なりがちで、実際、私の親たちの世代では、捨てるということは、いろんな意味で大変だったらしいけれど。いずれ、両天秤にかけたら、「記録したい」よりも、「燃やしたい」気持ちのほうが、強いような気がする。こんなことを思ったのは、先日のokiyoさんの日記が、頭にあったから、 かな。 ~~~~~~~~~~~~~~~ふと、10年くらい前のことすら、「あれは、ひどかったな…」と思うことが、多々ある。いや、自分のことです。どうして もう少し、思いやりのある言葉が、出なかったものか、相手の視界と、自分の目に映っているものの、違いが 理解できなかったか…いや、2~3年前のことも、つい最近のことだって、 そう思う。決して 綺麗な姿勢で省みているわけでは、ないのです。苦すぎる何かを 舐めたときのように、文字通り、苦すぎる思いで、いっぱいになったりします。こんなことを思うのは、ふつうは、思春期の人のような、気もする。いい年をしてねぇ… と苦笑すること多し。 ~~~~~~~~~~~~~~~人のことは 皆、たとえば 楽天で日記を書いている皆さんも、日々一貫した人格をもっているような、気がする (当然ですか…)。しかし私は、ちょっと前のことも冷や汗。かといって、現在が数年前より、成長しているとかいうそんな感じは、まったくありません。。。どうなるのだろう。まっ いいか、 な。と、書いているときに、齋藤茂太さんが、昨日、亡くなられたことを知りました。見てみると、何度か齋藤氏の本のことを書いていました。ずっと前に、齋藤氏に、本を贈呈させていただいたとき、 すぐに手書きしたお礼状を、送ってくださったのが、印象的でした。そういえば、著書の中で、手紙などには、「その日のうちに、返事を出す」と書いてありました。優しいおじいちゃま先生という感じで、大好きでした。ご冥福をお祈りします。 ~~~~~~~~~~~~~~~いつも楽しくて面白くて(失礼…)、明るい「美しくさん」の日記を、訪れると、日々の日記の 上のほうに、写真とマッチした、素敵な詩があって、いつも、いつも感心していました。その素敵な部分が、このたび、「ハガポエ」という絵葉書のようなものになったそうです。さっそく、送っていただきました。今度ハガキを出すときは、これ使えるな…楽しみです。(^^)vって、たまにしか更新しない私が、お知らせするのも なんですが…素敵なので、見てみてください。では、また~――――――――――――――――――【本日の同音異義語の驚き(o^^o)】児童的に柿とってくれる装置がいいな。――――――――――――――――――
2006.11.21
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久しぶりに「美の巨人たち」を見ました。鴨居玲の『1982年 私』亡くなってまだ20年くらいですし、画像を出すことができません。美の巨人のサイトをご覧ください。って、今回は、番組のコメントが恐ろしく短いですね。 どうして?「その」日、 私は、ある絵描きさんの家を訪ねて、いました。「鴨居玲が亡くなったらしいよ…」「鴨居玲が亡くなる」 ということには、誰それさんが病気で、あるいは、事故で、亡くなられた… というのとは、ちょっと、違うニュアンスが、あったような気がします。あるいみ 残酷な感想ですが。そういうことも、あるかもしれないと、周囲が 漠然と感じていることが、ある日、現実になってしまった時に感じる、空虚さとでもいうべき、そんな、微妙なニュアンスがあったような気がします。ただ、鴨居玲が、言っていたという「もう、おしまいにしたい」というのは、何を「おしまい」にしたかったのか、番組でも、触れていなかったし、触れようがない ような気がするし、多くの芸術家が、言葉では語れないものを、言葉以外のもので表したように、ここで、拙い言葉を私が紡ぎだそうにも、遠くの星に 手が届くはずがないように、間違っても届かないほうが、いいように、単純に「謎です」としか、言い様がない気がします。でも、まあ理屈ぬきに、鴨居玲には惹かれます。「好き」というには、躊躇いもあるけれど、「老人」も、「酔っ払い」も、醜も、愚も、哀も、自嘲も、みんな、わが自画像として、引き受けた、この画家が、やっぱり好きだと、思いました。おそらく、引き受けるという勇気に、観る者として、好きになるには躊躇いが生じるのでしょう。いや、鴨居玲は、「引き受ける」とか何とか、そんなことを思っていなかったと、思いますが…関係ないけど、大好きな、レンブラントの自画像。1669 National Gallery, London自画像が「絵」になる。それは、やっぱり、私という存在が、「私」という範疇を超えたのですね。自画像を残したいとは思わないけど、(無理…) やはり、「絵」になる生涯だったら、いいな。 一応。 やっぱり・・・――――――――――――――――――【本日の同音異義語の驚き(o^^o)】 その点は難しくていい洋画ない。――――――――――――――――――
2006.11.11
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また 忘備録です。やっと読みました。『金閣寺』三島由紀夫 ・文章が簡潔にして巧み。・三島由紀夫はやっぱり頭がいいと思った。・官能的な表現は、怖いもの見たさのような、 見たくないような、なんともヌルヌルした世界。・結果論だけど、三島由紀夫の最期が暗示されて いるとは、皆思うことでしょう。・金閣を焼いてしまったのは、50年以上も前の ことだから当然かもしれないけれど、現実感は なく、ちょっと距離を感じる。・ちなみに、お坊さんって芸者遊びをするので しょうか。住職の描き方にはそれなりの、量感が あったけれど、よく分からない。・すごい。 だけど、金閣が「美しい」がゆえに 消滅させてしまいたいという心理は、私には、 共鳴不可能。・登場人物がみなかなりの曲者、う~ん。。 特に体にハンディをかかえた柏木という青年との 絡みは、息を呑む展開。そこが作家のすごいところ?と、なんか感動というよりは距離を置いたような感想になってしまいました。新聞の連載小説などにしても 思うのだけど、登場人物の誰でも良いけれど、作中の誰かを「好き」でなければ、読むのがつらいような気がします。といっても、主人公「私」が、必ずしも嫌いというのでは、ありません。むしろ 他の人物より存在感が薄いかのように描かれていて、それが風穴のようになって、一気に読んだ気がします。こういう書き方で 分かるように、三島由紀夫はまるで読んでいないのです。嵌るような分野でなく、一度は読んだという自己満足のメモ ^_^; メモ、メモ。~~~~~~~~~~~~~~~~合わせたわけではないけれど、例によって、子供用の本で、『足利義満』を読みました。鹿苑寺に金閣を作った(作らせた)、その人。天皇にもなろうとした、といわれる将軍、義満。うむむ、やっぱり、権力志向が、前面に感じられて、 だから、金閣には、美しさが純粋に感じられるというより、その背後にある、いろんなものが、漂う気がして、あらためて、三島の『金閣寺』の、「私」が、なぜ、金閣にそこまで、魅入ってしまったのか、やっぱり、分からない、気がしてきました。まあ、それを言ってはいけないのでしょうか。ちなみに、撮影の時間によるのでしょうか。歴史の重みを感じるような深みのある写真と、妙にキラキラと感じる写真があるように、思います。まあ、写真はともかくとして、また 観たいものです。 ああ、京都・・・行きたいな。今の金閣だそうです。――――――――――――――――――【本日の同音異義語の驚き(o^^o)】 あの時のことを咲いた意見しました。――――――――――――――――――
2006.11.10
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なんと11月になってしまいました。書きたいけどな~ と思いつつ、過ぎていました。皆さま、お元気でしょうか。下に半そでを着ているので、そういえば、電車のなかで上着を、脱ぐのが、ためらわれる季節です。美術館 … その後、行っていません。どれかには 行きたいのですが…なので、また自分用の読書メモにて、悪しからずです。最近、読んだのは『紫式部』『藤原道長』『古代日本の大常識』『日本の歴史5 貴族のさかえ』自慢ではありませんが、全部、小学生用です。(^^)vなかなか。うん、なかなか、分かりやすかったです。時代がみな、重なっているので相乗効果。たとえば、「寄進地系の荘園」って、言葉だけは丸ごと暗記で、知っていても、詳しく説明されてみると、よく分かりました。今風にいうと、農民の節税対策ですね。なんて、生きていくのにやっとだから、そんな暢気なものでは、なかったでしょうけれど。『源氏物語』は、それこそ要約版のようなものにしか触れたことがありません。そういう世界に嵌れるかどうか、分からないけれど、今日、文化勲章を受章された瀬戸内さんも、それを現代語訳した功績が大きいのでしょうか。1000年も昔に、そして、ダ・ヴィンチよりも500年も昔に、女性で 人間の性格や心理描写を、的確に成し遂げた 紫式部という人には、やはり、惹かれます。というか、謎です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 私は海の傍のホテルにいたんですけど、その時、昔、私を愛してくれた人たちが一人一人星になっているような気がしたの。「あ、今もう、私の知り合いは、地上(ここ)より天国(あそこ)の方に多いんだな」って思いましたよ。その時、私ね、とても嬉しかったの。死んだら、あの人たちにまた会えると思ったから。そしたら早く死にたいと思いましたよ。あなたも、今にそんな気持ちになる時があるのよ。(「生命ある限り」より)『必ず柔らかな明日は来る』 徳間書店これは、曽野綾子さんのエッセイの、あちこちから随所を集めた要約版。参考までに目次は1章 ささくれだった心のために2章 もう人間関係で悩まない3章 愛し愛される自分を取り戻す4章 なぜ子供たちは荒れるのか5章 心の奥行きを持たぬ国の不幸6章 魂が癒されるとき7章 それでも明けない夜はない こういう本の作り方は、率直なところ、一種の 手抜きだと思うけれど、(もちろん、著者のせいでなく、こういう ふうに作りましょうと、持ちかける側の…)でも、読者サイドからやはり、ありがたい本だと思います。という私も、一応(不真面目な)ファンだから、こういうまとめ方もありか…なんて関心して読みました。上記の引用は、あまり意味ないけれど、人はいつか、死というものを、そういうふうに感じるようになるのかと、ちょっと、ウロコガ一枚落ちた気がしました。なぜ子供たちは荒れるのか…は、なんとも 心の痛む昨今です。ただ、 だからこそ、毎日悶々として、心がヒリヒリ痛いようなまっ最中の 子供にこそ、最近のニュースは、むしろ、耳に入らないほうがいい。。情報に触れないでいて ほしい。そして、生きてほしい。そう、思います。問題の本質ではないけれど、情報という力の恐ろしさにも、息を呑む気持ちです。久しぶりなのに、重いなぁ。個人的には、おかげさまで元気。秋が深まります。私も、そろそろ長袖にしよう。――――――――――――――――――【本日の同音異義語の驚き(o^^o)】翻訳の鉱石が大きいなんてどんな石?――――――――――――――――――
2006.11.03
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