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命の主導権は、私が握る。〜あの宣告から1ヶ月〜1ヶ月前の土曜日、大船中央病院の診察室。私の世界は一瞬で塗り替えられました。血液検査の結果を見たお医者様が、鬼気迫る表情で言った言葉は、あまりにも衝撃的でした。「今すぐここで救急車を呼びます。輸血をしてください。心不全か、多機能不全か……お迎えは今日かもしれないし、明日かもしれない。それほどの状態です」「医師としてあらゆる研究をしてきた。私の意見は揺るがない。訴えられても構わないから輸血を」そう真っ直ぐに告げられ、あまりに私が動じないのを見て、先生はご自分の携帯電話を取り出しました。「旦那さんに、私から直接話をさせてください!」家族にまで危機を伝えようとする、その必死な姿。でも、私の心の奥底には、それとは違う静かな「確信」がありました。「私の命のことは、私が一番よく知っている」お医者様が100%正しいわけじゃない。ここで病院のベッドに入ってしまったら、私は二度と外の空気を吸えないかもしれない。だから、私は言いました。「いいえ、私は明日、伊豆に行きます。何があっても行きます」先生は最後の警告を続けました。「伊豆の宿泊先から受け入れ可能な病院までは、救急車でも1時間かかる。その間に何が起きてもおかしくないんですよ」そうして手渡されたのは、宛名のない、白紙の紹介状。「もし緊急搬送になった際、宛名があると対応が遅れる可能性があるから」と。その宛名の無い紹介状は、私にとって「死への備え」ではなく、「何が起きても、私は私の道を行く」という自分自身への誓いの証になりました。翌日、伊豆の桜の園。メジロが飛び交う中、ユウジ君と1時間半、ポカポカとした日差しを浴びながら座っていました。最初は「来年はもうここに来られないのかな」と涙が出そうになったけれど、その光の中にいるうちに、ふつふつと力が湧いてくるのを感じたんです。「……ううん、来年も絶対に来る。来年も、再来年も、私はここで笑っている」その瞬間、私は「死」の宣告を脱ぎ捨て、自らの意志で「生きる」側へと足を踏み出しました。あれからちょうど1ヶ月の今日は大好きな鎌倉のお寺へ🙏立春ツアーでは咲き始めていた梅のお花達は満開に咲き誇り明王院のマンサクは立派な花と佳い香りを放っていました。ご住職様 奥様 庭師の方々とこの1ヶ月の壮絶な話しで盛り上がりこうやって無事御礼の御参りを出来る事に心からありがとう😊私は今、最高に調子がいいんです!輸血ではなく「鉄剤の点滴」という選択肢を自分で選び点滴の治療も「もう十分」と言われるまでになりました。いろんな方が届けてくれた愛やサポートに支えられながら、私の体は今、自分の力で新しい血液を作り出しています。あの「今日明日にもお迎えが来る」という言葉の呪縛からは、もう完全に解放されました。昨日は素敵なお寺へ行き、今日も素晴らしいお天気の中、一歩一歩を踏みしめています。3月にはまだ子宮癌の検査結果控えているけれど、もう不安はありません。命は、誰かの宣告で決まるものではない。私が、私の選択で、私の命を生きていく。1ヶ月前のどん底があったからこそ、今浴びている光がどれほど愛おしいか分かります。私は、来年も、その先も、ずっとずっと生きるつもりです!
2026.02.28
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私の体、すごすぎる❓救急車・輸血からの奇跡の逆転劇皆さん、こんにちは!みとぴです。今日は、1/17に行った血液検査の結果を聞きにお医者さんへ行ってきました。1.1月31日、あの日の絶望的状況1月31日に大船の病院へ行った時は、本当に深刻な状況でした。先生からは「即、救急車レベルです」「すぐに輸血が必要です」「今日、心不全で亡くなるかも。」「明日お迎え来るかも」とまで言われていたのは皆さん過去のブログに書いてるのでご存知だと思います。あの時は、余命宣告もされていたので自分の体はどうなってしまうんだろうと、不安でいっぱいでした。というか3ヶ月後には天国に旅立ってると真剣に思っていました。2. でも私は輸血の道を選ばずに「鉄剤の点滴を3回受ける」という2週間の治療方法を選びました。食事はレバーやほうれん草などを摂取。「心臓に負担が掛かるから、やっぱり献血が良いんじゃないか」そんなアドバイスを周囲の方々からいただきながらの不安まじりの2週間でした。ところが今回の検査結果で驚きの結果を頂きました。採血をしたのは、まだ止血剤を飲む前で、しかも「まだドバドバと出血&塊放出している最中」普通なら、血が出続けているなら数値は下がる一方ですよね?でも、なんとその最悪の状況下で、私の数値はすでに自力で改善し始めていたんです!3. 骨髄が「超フル回転」の増産モード!なぜそんな奇跡が起きたのか。先生が言うには、私の骨髄(血液を作る工場)が「今こそ出番だ!」と言わんばかりに、ガンガン新しい血液を作っているからなんだそうです。• 網赤血球(赤ちゃん赤血球)が大量発生: 検査結果に現れた「大きな赤血球」は、生まれたての元気な「赤ちゃん赤血球」が血液中に溢れ出している証拠。• 材料(鉄分)は満タン: これまで補給してきた鉄分がしっかり貯蔵されていて、工場には材料が山積み。「材料はもう十分すぎるほどあります」と先生に言われるほどの無敵状態でした!4. 止血機能も「へこたれない」強さ長引く出血で、血を固める成分(凝固系)が使い果たされてしまうこともあるそうですが、私の血小板たちは全くへたっていませんでした。むしろ「絶対止めてやる!」とばかりに必死に傷口を塞ごうと、今も戦ってくれています。最後に:自分の体を信じてあげたい救急車や輸血と言われたあの日から、今日まで。薬の助けを本格的に借りる前から、私の体は自力でなんとかしようとフルパワーで戦い、血液を新造し続けていました。先生からは「体はちゃんと反応して、ガンガン作っています。順調にいけばあと1〜2週間でさらに良くなりますよ」と太鼓判を押してもらいました。「しんどいな」と思うこともあるけれど、私の細胞たちは一瞬も休まず、私を元気にしようと頑張ってくれていた。そう思うと、自分の体が誇らしく、愛おしくてたまりません。でも、もの凄い負担を掛けたから身体が悲鳴を上げて癌細胞を最速で増大させて出血をさせて私に氣づきを与えてくれたんだと思います。今は無理せず、でもこの強靭な生命力を信じて、一歩ずつ進んでいこうと思います!心配して我が家に足を運んで下さった皆さんに心から感謝いたします。貧血の治療は終わりました。次は本家本元の子宮頸がんとの共存を!昨日の小笹先生の診察で沢山の学びがありました。時間はたっぷりあります。丁寧に心と身体に向き合って生きていきます。YouTubeにアップした先生のお話
2026.02.25
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■ 絶望の淵で見た、鎌倉の海2月3日、鉄剤の点滴を受けた後でした。体が良くなるためのステップのはずが、副作用なのか、あるいは溜まった疲れが一気に噴き出したのか、逃げ場のないほど激しい発作と痙攣が私を襲いました。意識が遠のくような恐怖の中、私は夫の腕の中で泣き叫びました。「病院には行きたくない! 死ぬなら家で死にたい!!」その言葉は、単なる治療への拒絶ではなく、「最期まで自分らしく生きたい、自分の人生のハンドルは自分で握っていたい」という、私の命の底からの悲鳴だったのだと思います。家の中にいても苦しさは増すばかり。気分転換に、夫の運転で134号線の海岸沿いをドライブすることにしました。キラキラと輝くいつもの湘南の海。けれど、ずっと痙攣は続いています。逗子を過ぎる頃にまた発作が酷くなり、私は助手席で痙攣しながら覚悟を決めました。「……もう無理だ。紹介状を書いてもらった病院に行こう」鎌倉の自宅へ戻る道中、涙が止まりませんでした。「入院してしまったら、この大好きな海をもう二度と見られないかもしれない」車窓から見える景色が、まるで永遠の別れのように感じられて、胸が張り裂けそうでした。■ 「立春」の奇跡帰宅し、震える手で病院に電話をしていた、その時です。あんなに激しかった痙攣が、嘘のようにピタッと止まりました。「え……?」病院の対応に少し違和感を感じ、救急外来へ行くのを一瞬ためらった、その隙を狙ったかのように体が落ち着いたのです。もしかしたら、午前に点滴した鉄剤がこのタイミングで効き始めたのかもしれません。入院支度を整えながら・・・もう少し様子を見てみよう。夜に発作が起きたら旦那氏の運転で病院へ行こう!でも、痙攣も発作も起きずに眠る事が出来ました。そして翌日。私は、立春ツアーのガイドとしてフィールドに立っていました。もちろん旦那氏に全力でサポートしてもらいながらですが、昨日「死を覚悟した」人間とは思えないほど、元気にツアーを催行することができたのです。「まだ、私の命の火は消えていない」そう強く確信した、立春の始まりでした。■ 2月17日、突きつけられた現実立春の奇跡で持ち直したものの、体の中の戦いは続いていました。2月17日、私は二つの場所を訪れました。午前中は柳川クリニックで3回目の鉄剤点滴。午後は、長年家族ぐるみでお付き合いしている、茅ヶ崎の小笠先生のもとへ。「医者いらずの村作り」をされている小笠先生は、私の活動をずっと応援してくれている大切な恩師です。先生のお話は長野県の大きな病院や先日の大船病院での一方的でついつい私も戦闘モードになってしまう内容とは全く違い「愛」をひたすら感じる内容でした。本当に心の底から私自身の心配をしてくださっている。凍てついた私の心は溶けて行ったのです。そこで紹介された先生一押しの婦人科での診察。先生が早速お電話して下さっていたのでスムーズに安心して先生のお話を聞けました。でも・・・エコーに映し出されたのは、想像を超えた現実でした。「腫瘍が5cm × 9cmまで大きくなっています。今のサイズでは、切除は難しいレベルです」3cmから5cm、そして9cmへ。「がん細胞が外に出ている(デトックス)」と信じてきたけれど、事実としてサイズは増大していました。数値も依然として「輸血が必要なレベル」。正直、足元が崩れるような感覚でした。でも、今回は先生のお話がスッと入ってきて先生がお勧めする総合病院でちゃんとした検査をする事にしました。そして私の我儘で放置していた腫瘍に謝りました。一生懸命にサインを出していたのに氣づいてあげれなくて、本当にごめんなさい。■ 鉄剤点滴を受けてる先生からの「希望の電話」それでも、絶望は長くは続きませんでした。昨日、クリニックの先生から直接、お電話をいただいたのです。「十分な鉄分、鉄の貯蔵ができていますよ。体はちゃんと反応して、血液をどんどん作ろうとしています。出血さえコントロールできれば、1〜2週間で数値は上がってきます」その言葉を聞いたとき、涙が溢れました。私の体は見捨てられていなかった。必死に血液を作ろうと、私の命はまだ戦おうとしている。処方された止血剤も効き始め、あんなにひどかった出血と塊も落ち着きを見せています。「蛇口(出血)」さえ閉めれば、私は自力で立ち上がれる。その準備は整ったのです。■ 私が決めた「新しい病との共存」私は決めました。紹介していただいた、家から近くて信頼できる総合病院で精密検査を受けます。あれほど嫌だった標準治療は受けずに共存する。今はこう考えています。「髪が抜けたらどうしよう」「最後は家がいい」という私の願いは、わがままではなく、私の生きる軸です。だからこそ、現代医学の力を賢く借りて、まずは「命を繋ぐ」ことに専念しようと思います。最愛の夫、心配してくれる友人たち、そしてこのブログを読んでくれている皆様。皆様の祈りが、私の血液を1滴ずつ作ってくれている気がします。2月25日の新たなる血液増加治療、そして3月3日の婦人科での検査結果を受け止める。私は私の命を、あきらめない。これからも、ありのままの私を伝えていきます。いつも、本当にありがとうございます。現在の目標は2回目の鉄剤点滴の最終日の血液検査でHB8以上まで回復する。暫く自宅にて絶対安静の毎日を送ります。お散歩行きたいけど・・・我慢です。先ずは5月の上高地ニリンソウツアーそして夏の槍ヶ岳に向けてのステップアップ体力もりもりスケジュールを立てるぞい!
2026.02.21
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いつもブログを読んでくださる皆様、温かいメッセージをありがとうございます。最近、体調を心配する声を多くいただくようになりました。私自身、今の状況を整理し、ありのままの事実をお伝えすることが、同じ悩みを持つ方や応援してくださる皆様への誠実さだと思い、筆を執ることにしました。■ 2025年7月:突然の告知と「自然治癒」への決意始まりは、長く続いた不正出血でした。7月7日、長野県の岡谷市民病院を受診。1週間後に出た診断は**「子宮頸がん初期」**。もっと大きな病院での治療を勧められ信州大学医学部附属病院への紹介状を手にしましたが、私の心は決まっていました。「標準治療ではなく、自分の持つ自然治癒力で治したい」そこから1ヶ月、玉川温泉の水や、特別なエネルギーを持つお水などを取り入れ、一心不乱に体に良いと思うことを続けました。■ 8月〜9月:腫瘍の増大と、あるサプリとの出会い8月14日の信州大学での検査。結果は、腫瘍がたった1ヶ月で5cmに増大していました。医師からは「即入院、子宮全摘、抗がん剤」と告げられましたが、私はこれも拒否。次に頼ったのは、ある有名大学の画期的なサプリメントでした。先生の出してる本を読み漁り多くのYouTubeも何回も拝見させて頂きました。そちらのコメントで同じ子宮頸がんの方のコメントにも励まされ「明るい未来」が見えてきました。服用3日後、驚くほどの出血と、3cmほどの塊の排出。「これはがん細胞が外に出ている証拠だ!」と確信した私は、そのデトックス反応(好転反応)をむしろ楽しむようになりました。7月末の焼岳ガイド9月の北岳・間ノ岳2泊3日のガイド仕事も完遂しました。「これならいける」9月末には湘南の先生の施術を受け、「がんは消えている。出血は出し切ってください」という言葉を信じ、突き進むことにしたのです。■ 年末年始:想定外の異変ところが、昨年末からお正月にかけて、これまでとは明らかに違う「異常な量」の出血と塊に見舞われました。正月早々、動くこともできず寝込む日々。1/14近所の病院での子宮頸がん以外のがん検査尿検査などを受ける。1/21血液検査の結果、ヘモグロビン(Hb)数値は「7」。「すぐに大きな病院へ」と言われましたが、一日一万歩を歩けている自分を信じ、そのまま普通の生活を継続していました。ヘモグロビン以外の検査には問題が無かったというのもありました。■ 1月31日:命の瀬戸際で見えたものしかし、体は限界を迎えていました。足の痙攣、じっとしていられない「むずむず病」のような症状。むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群:RLS)は、夕方から夜間にかけて脚にむずむずする、蟻が這うような、針で刺すような不快感が現れ、じっとしていられない睡眠障害を伴う疾患です。主な原因は鉄分不足やドーパミンの機能障害 勝手に痙攣が起きてしまう自分自身の身体、眠くなると起こる発作の恐怖に我慢出来ず2月1日に、大船中央病院に駆け込んだ時の数値はHb「4.8」。「今すぐ救急車を呼んでください。明日お迎えが来るかもしれないレベルです」医師の言葉に衝撃を受けながらも、私は「輸血をすれば、自分で血を作る力が失われるのではないか」という不安から、輸血も救急搬送も拒否。翌日の伊豆旅行へ向かいました。 ■ 医師の宣告と、最後の抵抗大船の先生の言葉は、今思い出しても震えるほど衝撃的でした。「明日お迎えが来るかもしれない。寿命は1ヶ月、長くて3ヶ月。私は訴えられてもいいから、今すぐ救急車を呼びなさい」と。それでも私は、翌日伊豆の旅へと向かいました。「このまま入院したら、もう2度と退院出来ず薬漬けになってしまうんじゃあないか?」その恐怖の方が「明日死ぬ」という言葉よりも上回りました。でもね・・・そこで奇跡のような体験をしました。ひどい痙攣に襲われていたのに、満開の桜の園に身を置いた1時間半、そして波音の聞こえる海辺のホテルにいる間だけは、あの苦しみが嘘のように消えたのです。ずっと夜が怖くて寝れない日々が続いていたのに熟睡できるという幸せ。「ああ、やっぱり心と環境が体を作るんだ」と、再確認した時間でした。その後の様子はこの日記の前にアップしてます。少し重複してる箇所はありますがお時間ありましたら覗いてみて下さい。でも幸せな生活は続きませんでした。❷へ続く
2026.02.21
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【読者の皆様への感謝】お久しぶりです、みとぴです。前回のブログやYouTubeに、本当にたくさんの温かいメッセージをありがとうございました。お返事ができず心苦しいのですが、一つひとつ大切に読ませていただいています。皆さんの言葉が、今の私の大きな力になっています。【近況報告:余命宣告と、私の選択】2/1のブログに書きましたが実は1月末、医師から非常に厳しい診断を受けました。「今日、命を落とすかもしれない」「余命は1ヶ月、長くて3ヶ月」。 でも、私は入院ではなく、大好きな伊豆への旅を選びました。2月3日に健康検査を受けた病院からの紹介で受診した病院で点滴を受けてからは、今日2/15まで、こうして「普通」に、そして「特別」に幸せな毎日を過ごしています。友人たちが教えてくれた自然療法、ソマチッド、水素、温泉……。目に見えないたくさんの愛に守られていることを実感する日々です。【鎌倉・佐島春のドライブ】2/12は鎌倉に大好きな明王院の枝垂れ梅に会いに行ってきました。暖かな日差しの中で旦那氏と「やっぱり緊急入院しなくてよかった4年前に骨折した時は外科病棟だったので治ったら退院する人が入院してるので母親が癌で入院していた病棟みたいに夜中に痛みを発症して泣き叫ぶ声で寝れずに苦しんだ母の体験はしなくて済むし料理は最高に美味しいし、好きな時に好きな場所に行ける」「こうして毎年会いに来る枝垂れ梅ちゃんにも再会できたし」妙本寺の満開の梅と河津桜も最高だし!本覚寺からお魚屋さんを巡り、材木座から七里ヶ浜、鵠沼へと続く青い海とキラキラ光る海岸線ドライブ。「今、ここに生きている!」を実感しましたその様子はYouTubeにアップしました〜そして・・・昨日は横須賀に平飼いの鉄分たっぷりの卵無農薬野菜を育てているお父さんの畑でキャベツ、白菜、春菊、ブロッコリー、ネギ、里芋、大根、ほうれん草を分けて頂き佐島漁港では200キロの生本鮪と新ワカメを仕入れてきました。鵠沼の93歳のお父さんが一人で守るお豆腐屋さんで見つけた、出来立ての厚揚げや作りたての濃厚な豆乳。五感で感じる春の香りは、生きている喜びそのものでした。【石田亭の日常:リハビリ料理】帰宅すると、旦那氏が腕を振るってくれる「貧血対策料理」が待っています。 ひと口食べるごとに、体が「美味しい!」と喜ぶのがわかります。リハビリも、お料理も、私にとっては人生を味わい尽くすための大切な時間です。どのお料理も美味しいですが・・・昨日はアスパラガスの花とメカブの天麩羅が初春の味と香りがして唸る程の絶品でした。毎日浴びる程😆呑んでいたビールも辞めて(爆笑)充実した時間を過ごしてます。【結び:明後日に向けて】明後日は血液検査があります。 今の私は、どんな数値が出るのか、自分自身の生命力がどう応えてくれているのか、それが楽しみで仕方がありません。お医者様が何と言おうと、私の寿命は私が決めます。 しっかりとリハビリを楽しみ、今この瞬間を輝かせて生きていきます!たとえ医師が言った通りの余命だとしても生きてる内容は全くの別物なので。でも・・・そんなに早くお迎えが来る氣が全くしなくて今年の夏は槍ヶ岳の山頂でペリセウス座流星群を見てる自分しか想像出来ないので検査結果次第では軽いハイキングからリハビリ開始するつもりです。えいえいお〜!!!
2026.02.15
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――言葉と体、そして愛の記録――(後半)翌朝、水平線から昇るご来光を、旦那氏と一緒にお部屋のベランダから見ました。空が少しずつ明るくなり、太陽が海から顔を出した瞬間、私は全身で朝日を浴びました。「ああ、生きてるな」ただ、それだけを感じていました。その後、大好きな白浜神社へ参拝し、私は手を合わせました。「来年も、ここに来られますように」あれ?1月31日に3ヶ月の余命を突きつけられた私が、自然と・・・初めて口にした、未来の言葉でした。小さな頃から大好きな白浜をずっとずっと眺める幸せな時間です。その後、直売所を巡り美味しいお魚や野菜をゲット!前回見つけたお店で美味しいランチをいただき、大好きな諸口神社にも手を合わせ、今日も来れて有難うございます。来月も来れますようにと願いました。医師からは「早めに鎌倉に帰宅して入院して下さい」そんな言葉はすっかり忘れて(爆笑)伊豆旅をたっぷりと堪能し夕方6時、鎌倉に帰宅しました。あ〜楽しかった!!!幸せの中で、私は回復していたこの伊豆の2日間は、恐怖から逃げるための旅ではなく、生きる力を取り戻す旅でした。桜の下で月の光の中で朝日の中でそして、旦那氏と過ごす安心の時間の中で――眠れなかった体が眠り、痙攣が消え、恐怖で固まっていた心が、少しずつほどけていきました。そして、今の私旅から帰った夜、再び発作はありましたが、その後は徐々に治まり、立春の2月4日には、鎌倉ツアーも無事に開催できました。今、私は普通にご飯を食べ、普通に眠り、こうして文章を書いています。数値は大切です。だから、別の医師にも診てもらいます。けれど私は、自分の体を一番壊したのは「恐怖の言葉」だったと、今ははっきり感じています。結びにこの2日間を、もし「治療」と呼ぶなら、それは、光と自然と、そして愛でした。言葉は、人を壊します。でも同時に、人は、光と愛の中で、確かに回復する。この記録が、私を心配して連絡をくださった方々への「今、私は大丈夫です」というメッセージになり、そして、どこかで不安の中にいる誰かの小さな安心につながれば、心から嬉しく思います。そして、立春の昨日。鎌倉の光と、心洗われるお琴の音色を皆さまにお届けしたくて、動画を作りました。海蔵寺、覚園寺、鎌倉宮、明王院、光明寺……。私が今日、五感で感じた「再生」のエネルギーが、皆さまの元へ届きますように。
2026.02.05
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ーーーーーーーー言葉と身体、そして愛の記録ーーーーーーー私は、1月31日、ただ血液検査を受けに病院へ行っただけでした。それが、その後の私の心と体を、大きく揺さぶる出来事になるとは、その時は思ってもいませんでした。「死ぬかもしれない」「今すぐ救急車」「余命は短い」検査結果を見た医師から、私は次のような言葉を、立て続けに告げられました。今すぐ救急車を呼んで、輸血をいつ心臓が止まってもおかしくない酸素が全身に行き渡らず、多臓器不全の危険がある出血量が多く、治療ができない可能性もある今日か明日、お迎えが来るかもしれない短ければ1か月、長くても3か月医学的な説明として語られた言葉たちでした。私はこのやり取りを、旦那氏にも伝えたいと思い医師にokの確認を取って最初から話して頂く様にお願いして録音していました。今振り返ると、録音しておいて本当によかったと思っています。その夜、私の心と体は壊れた家に帰ってから、私は一睡もできませんでした。恐怖で頭がいっぱいになり、体は強く緊張し、やがて痙攣が起きました。「もう来年の桜は見られないかもしれない」そんな思いが、何度も何度も頭をよぎりました。今思えば、私は病んでいたのではなく、信じすぎた言葉に、体が正直に反応していただけだったのだと思います。それでも、私は伊豆へ行った翌日、私は伊豆の旅に出ました。夫・裕二が、心から楽しみにしていた旅でした。前日の診察で医師には「それでも旅行に行くんですか?」そう聞かれました。私はキッパリ答えました。「行きます」医師「いつお迎えが来るか分からないので宛名のない紹介状を書きます」下田の近くの救急病院は伊東なので救急車で1時間掛かると親切に教えてくれましたが・・・私に取っては恐怖の一言でした。絶対にこのまま医師の脅かしに乗って救急車に乗って輸血したら、そのまま退院出来ない・・・直感でそう思いました。私は、がんになる前から、十分すぎるほど楽しく、豊かな人生を生きてきました。今日死んでも、明日死んでもいいと思えるほどに。だから、入院はせず、翌日の旅に行くことを選びました。桜の下で、体が変わっていったYouTubeにアップしました。伊豆で見た桜は、満開でした。真冬とは思えない、ぽかぽかとした陽射し。人も少なく、1時間半、桜の下に座って、裕二と話をしました。「もう来年は見られないね」「私がいなくなっても、一人でここに来る?」その時の私は、死ぬことを前提に話していました。けれど不思議なことに、あれほど続いていた痙攣が、その桜の下では、消えていました。下田プリンスの夜 ― 月の光の中で2月1日、我々の常宿の下田プリンスホテルに泊まりました。夜、私たちは海に浮かぶムーンロードを眺めました。月の光が、海の上にまっすぐな道をつくり、その光が、静かにこちらに届いていました。ソファーベッドに二人で並んで横になり、ただ黙って、お月さまの光を、たくさん、たくさん浴びました。「今、パワーを注入してるね」そんなふうに話しながら。“死ぬかもしれない”と言われた人間が、その夜、こんなにも静かで、満ち足りた時間を過ごしていました。毎晩襲われる痙攣も全く起きずに満月の光のシャワーを浴びて抱かれて眠りました。容量オーバーのため後半へ続きます。
2026.02.05
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立春の鎌倉ツアーをお客様よりリクエストを頂きました。ありがとうございますまだ空気は冷たいけれど、どこかに確かに「春の気配」を感じる一日でした。YouTubeに動画アップしました!この日は、立春鎌倉散策ツアー。朝、片瀬江ノ島駅に集合し、まずは江ノ島へ。冬ならではの澄んだ空気の中、島をぐるりと巡りながら、海の向こうにくっきりと姿を現す富士山を眺めました。この景色だけで、心がすーっと整っていくのを感じます。その後、鎌倉へ移動。ここからは、観光地のにぎわいから少し離れ、「鎌倉の奥深さ」を感じる時間です。最初に訪れたのは 海蔵寺。扇ガ谷の静かな谷あいに佇むお寺で、境内に一歩足を踏み入れると、空気がふっと変わります。花の寺として知られ、十六ノ井の清らかな気配に、自然と呼吸も深くなりました。続いて 覚園寺。ここは、鎌倉の中でも特に「祈りの濃さ」を感じる場所。静寂に包まれた境内では、言葉がいらなくなり、ただその場に身を置くだけで、心が整っていきます。そこから 鎌倉宮へ。護良親王ゆかりのこの場所で、それぞれが静かに手を合わせ、今ここにいることへの感謝を胸に刻みました。そして訪れた 明王院。実はここは、私たち夫婦が鎌倉で一番好きなお寺です。この日、境内には淡いピンク色のしだれ梅が、ちょうど六分咲き。まるで「よく来ましたね」と迎えてくれているような、愛おしい梅の姿でした。みんなで縁側に腰を下ろし、ゆっくり、ゆっくり、その梅を眺める時間。すると本堂の奥から、護摩法要のお経と太鼓の音が静かに流れてきました。明王院には、これまで100回以上通っていますが、この体験は初めて。皆さんと一緒に手を合わせ、まるでそっと護摩法要に参加させていただいたような、深く、あたたかな時間でした。言葉にしなくても伝わるものがあり、この日、この瞬間を、皆さんと共有できたことが何よりの宝物です。締めくくりは、材木座の 光明寺。大きな山門を仰ぎ見ながら、今日一日の歩みと、出会いと、ご縁を静かに振り返りました。参加されたみなさまからは、「自宅に帰っても、今日の空気を思い出せそう」「奇跡のような出会いがたくさんあった」「本当に心があたたかくなった」そんな言葉をいただき、胸がいっぱいになりました。そして最後は、鎌倉で少しお買い物。今夜の食卓を思い浮かべながら、それぞれが心惹かれるものを手に取り、袋の中身と一緒に、満足感もたっぷり詰め込みました。「楽しかったね」「本当にいい一日だったね」そんな言葉が自然とこぼれながら、帰路へ。帰り道は、国道134号線。左手にはキラキラと輝く湘南の海、正面には、時間とともに表情を変える空と富士山。歩いて、感じて、祈って、笑って、そして最後は、ただ景色に身を委ねるドライブ。立春。新しい季節の始まりに、心も体もゆるみ、満たされて帰ることができた一日でした。ご一緒してくださったみなさま、本当にありがとうございました。また季節を変えて、同じように、ゆっくり歩きましょう。みとぴ🌸
2026.02.05
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鎌倉市の検診で唯一再検査を指摘された血液🩸検査の結果が悪くて総合病院にて再検査結果いきなりの余命宣告頂きましたよ〜😅しかもこの病院🏥では輸血する位しか対応出来ないので大きな病院に救急車🚑呼んで緊急入院🚨だって〜まあ常々、今日死んでも明日死んでも後悔しないわがままな生き方を楽しんでるので覚悟は出来てたけど😎いきなりこれから救急車🚑って😅医師の話しには【崖っぷちに立たされた命】明日死ぬ位のレベルだって言うことを力説してましたが丁寧にお断りして帰宅しました。理由は今入院したら当分退院出来ない感じだったのでとりあえず万が一、容態が悪くなった場合の紹介状を書くというので頂き予定してた旅をしながら今後短いであろう人生の整理をしようと思います♪意外と冷静な私です。60年も生きれた事に先ずは感謝です🙏
2026.02.01
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