不思議 0
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ずいぶんご無沙汰してしまいました。冬になると出不精とともに筆不精にもなってしまったようです。 ま、単なる言い訳ですが・・・さて、いきなりですが、最近が懐の深い人が少なくなってきました。 ちょっとしたことで、すぐ不機嫌になったり、すぐ攻撃・反論したり、なかには人に危害を加える人もいる。それだけ悠長に構えていられない世相というのもあるのでしょうが、あまりにもワガママ的なのも多く見られます。「懐の深さ」 同義語に「器の大きさ」とも言われます。 決して、財布の奥が深い とか、入れ物がデカイ という単純な意味ではありません。 意味は、心が広い、すぐれた人格、寛容、など、があげられています。 同じように、度量・器量・器のでかさ・寛大さ・寛容さ・寛容性・包容力・心の広さ・慈悲深さ、などとも言い換えられます。 最近は懐の浅い人が増えています。 懐の浅さゆえに、ガマンができずに一時の感情で言動や行動に移すからトラブルの原因にもなり得るのです。 社会においても、感情的に物事に行動し、事件になっていることも少なくありません。 ゆとりのない社会構造も問題ではありますが、人間の心の持ち方に問題があるのではなかろうか。 懐の深さのない人はリーダーにはなれません。 ちょっと批判されたから、ちょっと意見が違うから、といって、むくれる、人と距離をとる などは、リーダーとしてはもちろんのこと、社会の一員としても問題です。 また、「主役でいたい人」、「人気者でいたい人」、「目の前しか見れない人」も難があります。 人々が頼りにするのは「人気のある人」ではなく「信頼できる人」、「将来を見据えられる人」なのです。 懐の深さというのは、それまでの経験や人生観にも左右されます。 従って、どうしても年齢の若い方には不利です。 しかし、同じ年齢であっても、どういう考えで人生をすごしてきたか で、かなり変わります。 人は自分に対しては寛容になりやすいが、他人に対しては容易に寛容には振る舞えない。 しかし、一方で懐を深くしようとすれば柔軟性を持たなければならないため、柔従不断的にもみられることがあります。 そもそも懐の深さを演出するためには、物事に動じないと言うことが求められる。 あたふたしないで、一旦全ての問題点を飲み込んで、その上でもっともよい解決策を探ることが必要とされます。 また、不確定な情報に左右されず、しっかりした情報を得ることが大事です。 そのように、大きく複雑な問題を冷静に受け止めることができることが、懐の深さというのであろう。 感情的に物事に言動や行動を起こすことの多い現代の人々には、この「懐の深さ」を学んでほしいものである。しかし、現代は懐の浅い情けない人が多く居ますなぁ~ 政界なんかは浅い人だらけ。以前にもお伝えした通り、第4次気仙沼・大島支援活動も昨年11/27・28に無事終了し、今後の気仙沼・大島、本吉・小泉地区の支援についての会議も開かれ、息の長い支援をすることになりました。 みなさまのご支援を今後ともよろしくお願いいたします。 尚、私の参加した、第2次気仙沼・大島ボラについては、アメブロ「気仙沼・大島」をご覧ください。第2次気仙沼・大島ボラに行ったときに寄った、原発避難 ペット保護施設はこちら。→ 「原発避難 ペット用支援物資」原発問題はまだまだ先が長い期間がかかるでしょう。 自主避難も増えて、ペットの行き場が無い人も多くいます。 できましたら、多くのご支援を頂きたいと思います。尚、嫌がらせなどもあるので、保護施設の公開はしておりませんので、お心のある方は別ブログ アメブロメッセージでお知らせください。 保護施設の場所をご連絡いたします。 福島のにゃんこ、わんこに愛の手を・・・東北はまだまだ息の長い支援が必要です。 また、新たに台風12号被害の関西・紀伊半島も支援の手が必要とされています。 「明日は我が身」と思い、ご支援をお願いいたします。●救援支援サイト 義援金等受付サイト情報●道路情報 東北通行実績情報マップ 国道など走行距離および所要時間別ブログはこちら 更新しました●別ブログ 01/24の新着は「働く」 前回は「遅ればせながら」 別ブログ、コメント欄は開けてますが・・・即時表示されません。尚、こちらではレスしておりませんが、あちらではレスしております。
2012年01月25日
さて、今年もあと1日と数時間。 日本の政界はいまだに混迷をきわめ、景気低調も相変わらず続いています。 いいかげん、くだらん内ゲバを止めて、マトモな政策を考えてもらいたいものです。 --------------------年の瀬、生活困窮者を対象にした年末緊急職業相談が29日、東京や大阪など大都市部のハローワーク19か所(11都道府県)で行われ、全国で約3700人が相談に訪れた。(2010年12月29日 読売新聞) --------------------現在、日本の失業率はずっと横ばいのままで、まったく雇用改善にはいたっていません。 どなたかは「一に雇用、二に雇用!」とかを力強くおっしゃてましたが、どうなったのでしょうか?ところで、以前からもそうでしたが、最近 富に不審IPのしつこいアクセスが多く、困惑しております。 もっとも、解析の結果、発信元の想像はつきますが・・・ さて、いきなりですが、「人はなぜ働くのでしょうか?」主目的は「収入を得るため」「生計を立てるため」でしょう。まあ、なかには母親から何億円といったおこずかいを頂く人もいますが、そういう特殊な例を除いて、働かなければ現金収入はありません。一般的に、現金収入がないことには生計は成り立ちません。 自給自足の生活だとしても、多少の現金支払いは必要でしょう。しかし、一生働かずに暮らせるだけのお金があったとしても、何らかの形(収入を主眼としない)で働く人も多くいます。では、それ以外の理由は何でしょうか?まず、収入面をみてみますと、かなり収入面が良かったとしても、 人にほめられたり、認められることもなく、 人の役に立っているという実感もなく、 人から必要とされているという実感もない。という仕事だとしたら、どうでしょう。 そういう仕事を収入が良いから、といって、長く続けられるでしょうか?たいていの人は長続きしないと思います。ということは、収入が一番ではないのでは?とも思えます。 しかし、反面 ほとんどの人は収入面を一番重要視します。では、その次に考えられる、立身出世欲。 これも多くの人が内心望んでいるはずです。有名になりたい。 人から尊敬される人間になりたい。 など、です。これには収入面も絡んできますが、高額所得を得れば、有名にはなれますが、尊敬されるかどうかは別です。また、昔から「働かざる者、食うべからず」という言葉があります。これは資本主義社会では当然のことです。 特殊な人を除いては、「働かない」→「収入がない」→「生活できない」 となりますからね。しかし、この言葉、意外にも社会主義を唱えるレーニンが言い出したものなのです。新約聖書のパウロの言葉を引用して言った言葉で、新約聖書では「働こうとしない者は、食べることもしてはならない 」とあります。ということは、資本主義社会ばかりでなく、社会主義社会でも「働く」ことは重要なことだとされているようです。そして、「働く」ということは、「傍を楽させること」ともよく言われます。なかなか意味深な例えだと思いますが、この意味の取り方は考えようによって、いろいろあると思います。また、多くの人が、「なぜ働くのか?」との質問に、「生活のため」、「家族のため」と答える人が多いらしい。 実に単純明快な答えです。前者は目先のため。 後者はちょっと先の将来のため。 しかし、後者はその後に続く将来のため とも言えます。生活のために、したくない仕事をする。 それは決して否定されるべきことではないでしょう。 反面、自分の望む仕事に就いている人はごくまれです。医者になりたくとも医学部に入れる人は限られているし、弁護士になりたくとも司法試験に合格するのはごく少数でしょう。しかし、生活(収入)のためだけに仕事に就いているとすれば、いずれ無力感が漂うに違いないと思います。いかに社会に絶望し、どれほど世間に失望しようとも、やはり生きていかなければなりません。 もっとも、その気力を無くしたときに人は重大な過ちを犯すことになります。「なぜ働くのか?」 この答えは人によっていろいろあるでしょう。 そして、答えの見つからない人も多いと思います。ちょっと話は逸れますが、ヨーロッパなど社会主義が起こった時、マルクス主義の根本には労働崇拝という考え方がありました。 原始の時代から労働には「喜び」が伴っていましたが、今 その「喜び」がないように思います。では、「働く」→「幸せを求める」としたら、どうでしょうか?それでは、「幸せ」はどうしたら求められるのでしょうか?こうなると、かなり哲学的になって、余計わからなくなるかもしれませんね。ある高僧が、人間の究極の幸せとは、1.人に愛され 2.人に誉められ 3.人の役にたち 4.人に必要とされることと言いました。このうち愛されること以外は、「働くことによって実現される」とも言いました。つまり、「幸せ」=「働くこと」とは、 愛されること 褒められること 人の役に立つ事 人に必要とされることではないか、と思います。 でも、これが答えではありません。 残念ながら正解は永遠の謎かもしれませんし、正解はないのかもしれません。ちなみに、大卒で定年(60歳)まで勤めた大手サラリーマンの場合、トータル給与額は平均で約2億5千万円前後。 退職金の平均額2175万円を加算した生涯賃金は約2億7千万円前後、と試算されています。しかし、従業員1000人以上の大企業と、100人未満の中小企業ではどの業種でも1億円近い開きがあります。余談ですが、夏目漱石の「それから」に、働くことに関して興味深い話が描かれています。実業家の父の経済的な援助のもとで裕福な生活を送り、学生時代から満たされた生活を送ってきた代助。その代助に対し、出世して豊かな生活を獲得したいと願っている平岡が対比的に描かれ、また その代助が恵まれた生活を捨て、かつて慕っていた三千代と共に生きる決意をするまでが描かれています。興味のある方はぜひご一読ください。尚、あらすじはこちら→「それから」本年中、皆様には大変お世話になりました。 最後にやたらムズイ話になりましたが、これで打ち止めと致します。どなた様も「良いお年を迎えられますよう」、切に願っております。 ありがとうございました。
2010年12月30日
あなたは家族を守るために戦えますか?ほとんどの人がYesと答えるでしょう。では、あなたは国を守るために戦えますか?残念ながら、この場合 答えは逆転するかもしれません。また、Yesと答えても、実際に直面すれば・・・ 「99年の愛」 新しい1日が始まる相変わらず大学からアクセスの多い別ブログ 更新しました●別ブログ 11/07の新着は「生もみじ」 前回は「第三のビール増税?」別ブログ、コメント欄は開けてますが・・・即時表示されません。尚、こちらではレスしておりませんが、あちらではレスしております。
2010年11月07日
アメブロの次元さんのページで面白い言葉を見つけた。「相手を変えたければ、自分が変わる事」なぜならば、「相手は変わらないから、自分が変わるしかない」という言葉。2番目の言葉にはちょっと疑問が残るが、「自分が変わる事」というのはおおいに気になるところだ。人はどうしても「相手を変えよう」とする。なぜならば、「自分は正しい」と信じているから。(相手のために)「なんで自分が変わらなきゃいけないのよ!」という声も聞こえてきそうだが、「自分が変わらないため」同じ過ちをしていないだろうか?たいていの人は長所も短所もある。 事の大小はあるだろうが、短所においては「自分が変わらないため」同じ過ちをしている可能性はおおいにある。過去は変えられないけど、未来は「自分が変わる」ことによって変えられるんですね。 果たして「自分は正しい」かったのだろうか? 自問、自戒です。良い方向に「自分が変わる」ようにしたいですね。そして、この言葉も善意にも悪意にでも、どちらにもとれます。「おめーに言われたくねえよ!」という声も聞こえてきそうだが・・・しばらくお休みは、まだ続行中ちっとも休んでませんけど・・・なぜか大学からアクセスの多い別ブログ また更新なぞをいたしました ●別ブログ 9/21の新着は「タイヤ その2」 前回は「山小屋メンテナンス続き」 こちらも見てね
2009年09月21日
夢中さん ありがとう (わかってくれて・・・)想い出は大切にしないといけないけどね。「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい」 ルカ 6・31 ・・・・・・ * * * * * * ・・・・・・ * * * * * * ・・・・・・ * * * * * * ・・・・・・ * * * * * * ・・・・・・ * * * * * * ・・・・・・ * * * * * *しばらくお休みは、まだ続行中なぜか大学からアクセスの多い別ブログ また更新なぞをいたしました ●別ブログ 9/18の新着は「山小屋メンテナンス続き」 前回は「地方の元気」 こちらも見てね
2009年09月19日
敗軍の将は兵を語らず将じゃなく雑兵じゃないかって?ま なんなと言いなされ!しばらくお休みは、まだまだ続行中なぜか大学からアクセスの多い別ブログ 更新なぞをいたしました ●別ブログ 9/14の新着は「地方の元気」 前回は「余命 1ヶ月」 こちらも見てね
2009年09月14日
エペソにある教会の御使に、こう書き送りなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。しかし、あなたに対して背むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起こし、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。 ヨハネの黙示録 第二章より燭台 取り上げないで!しばらくお休みは続行中休んでないじゃないかよっ!なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ 9/05の新着は「余命 1ヶ月」 前回は「宇宙のはじまり」 こちらも見てね
2009年09月13日
自分以外はバカ」の時代! 本の帯にはそうある。新書「他人を見下す若者たち」(速水敏彦 著)●自分に甘く、他人に厳しい●努力せずに成果が欲しい●すぐにいらつき、キレる●無気力、鬱(うつ)になりやすいと、今の若者の特色を書いてある。(もっとも若者だけではないが・・・)最近の世の中の事件を見てみると、確かにそういう傾向にあるのは違いない。 しかし そうさせてしまったのは誰だろうか。無責任な議員先生たち、少しも良くならない生活、金を出せばほぼ何でも買える世の中。 今回の衆院選で政権交代があったが、少しは変わるのだろうか?ということで、本日のお題は 「心の豊かさ」尚、昨日のお題は 「日いずる国 高野山」ご覧になってない方はこちらもどうぞ現代は情報があふれている。 新聞を見なくてもネットで見られる。 テレビなどは受け狙いで「やらせ」も多く、何が正しいのかわからないメディア報道。そして 不祥事やタレント・議員疑惑があれば猫も杓子もどっと飛びつき、味噌もクソも同じにし、過去の過去まであばく性悪な魔女狩りメディア報道。悪いことをすれば何やってもいいってもんじゃない。 それに プライバシーや礼儀というものもある。 犯罪者にプライバシーや礼儀は要らない という人もいるだろうが・・・もちろん、世の中のせいばかりではない。 子供をきちんと教育できない親、いや 教育どころか子育てすらできない。痴漢まがいの多い教師、警察官(現職or元教師、警察官の方 ごめんなさい)、などなど・・・ 誰を信用して良いのやら もっとも一部の人だが、最近はあまりにも多すぎる。と、こういう風に罵倒しちゃぁいけないんですね。 他人を罵倒したらそれなりの覚悟が要りますよね。そう 言葉は暴力です。 と言ってる人間が同じように使ってたら、何の説得力もないですが・・・前言取り消し! (って もう遅いよ)謝って済むなら警察はいらん! と、よく言われますよね。でも、何のために裁判があるのでしょうか? 間違った判断を下さないためにあるのです。 すべての証拠をさらし、第三者的に考えて判断を下すためです。事情をよく知らないで罵倒するのもどうかと・・・ それに 酒井容疑者のように本当に反省して謝ってる者をまだ痛めつけるのは・・・ それやっちゃうと、どっちもどっちじゃない?ある人が「バカって言ったら自分もバカ!」と言ってたことがあります。 なるほどなぁ~ と思いました。 もっとも、その方はすぐ後に「バカ」って言っちゃいましたが・・・しかし、己自身も深~く反省! 博識お世辞に喜んでる自分に・・・ 現職or元教師、警察官の方、専門家の方、作者の方、その他大勢の気を悪くされた方、ホントにすんましぇ~ん!日本は物質的には豊かになった。 旅行にグルメにと散財消費に協力し、各家庭でも、もはやエアコンは当たり前。 の所有率もかなり高く、DVDなどの家電製品もほぼ揃っている。ひと昔前は、白黒テレビ,洗濯機,冷蔵庫が家庭の3種の神器といわれたものだった。 それがどんどん進化して、カー、クーラー、カラーテレビになった。今は何だろう? やはりははずせないだろう。 後はパソコン、携帯電話といったところだろうか。テレビの珍しかったころ(むろん白黒)、テレビのあるに近所の子供たちが集まったものだ。もちろん私も行ったし、我が家にテレビ入ったときにはたくさん来た。 ほとんどの家電品が揃っている現代の家庭。だが 精神的にはかえって貧しくなってしまったのではないか?と考えるのは私だけだろうか? イジメが横行するのもこの貧しさが原因かもしれない。 物質的には豊かでも心の貧しさの目立つ現代人。 そのうち これもお金で買えるようになるのだろうか?「争い その1」で書いたように、誰しもはじめは自分が正しいと思っている。 しかし、ホントに自分が正しいのだろうか? これは私自身も含めて、よ~く考えるべきことだろう。「心の豊かさ」 これは自分で作るしかないと思う。 説教がましくて、うざくて、これまた すんましぇ~ん!なぜか大学からアクセスの多い別ブログ 更新しました ●別ブログ 9/05の新着は「余命 1ヶ月」 前回は「宇宙のはじまり」 こちらも見てね
2009年09月06日
今度は 119.63.*.*、202.248.*.* が来ました。 10~20分おきではなく、どどーっと3つ4つまとめて1時間おきくらいに・・・なので、昨日もアクセス数が700を越えました。 1日1回しか更新してないのに・・・ 1日に何度もチマチマと更新すれば別ですけどね。(そのほうがよっぽどブログ依存症じゃん!)以前に 「皆既日食・ネット中継サイト一覧」を書いたときは、1000 越しましたけど、まあ このときは皆既日食が日本中の注目の的でしたから・・・昨日もこちらは夕立などで終日雨模様。 でも 買出しに福島の町へ降りると、晴れとまではいきませんが、薄曇りで雨が降ってないんですね。3日続きの雨で湿気が多く、そのせいで気温も低く、涼しすぎるくらいです。 今日、明日もイマイチのお天気。 大雨、雷、洪水注意報が出たままです。 おかげでメンテナンスも中断したまま。しかし、昨日は西日本は猛暑日だったようで、大分県の玖珠の37.3度。 また 佐賀36.6度、京都36.5度、大阪36.3度、熊本35.9度、神戸35.1度、岐阜35.0度などを記録しました。さて、この前「ヒロシマ」で、「アメリカ国民の半数以上は原爆投下は『正しい行為だった』と回答しています」という新聞記事を紹介しましたが、ブログやネット上でも物議をかもし出しているようです。アメリカ人の多くが原爆使用については「戦争の早期終結のため」と正当化していますが、オバマ米大統領が演説で「核使用国として道義的責任がある」と言ったのは非常に興味深いものです。また アメリカでの調査では、若い世代になるにつれ「正当」と回答する割合は減少していおり、第二次世界大戦を直接知らない世代では正当化の"洗脳"も薄れ、原爆は非人道的と認識する人が増えているようです。ちなみに、「アメリカでは、学校教育で原爆投下は正当」と教えているそうです。 まあ 北朝鮮が日本を「侵略した敵国」と教えているようなものです。実際 日本は朝鮮に侵略しましたし、原爆投下で戦争終結が早まったことも事実です。ということで、本日は 「ナガサキ」尚、昨日のブログは 「ようかんパン」ご覧になってない方はこちらもどうぞ1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分 長崎に原子爆弾が投下されました。広島の原爆はリトル・ボーイと呼ばれ ウラン爆弾、長崎の原爆はファット・マンと呼ばれ プルトニウム爆弾です。長崎の原爆は広島型より強力で、TNT火薬22000トン相当の威力があります。(リトル・ボーイはTNT火薬15,000t相当)ウラン爆弾とプルトニウム爆弾の威力の違いの人体実験です。当初 第一目標は九州・小倉(現 北九州市)でした。 しかし、小倉上空に達しましたが、天候が悪かったため投下を断念、目標を急遽 第二目標の長崎に変更しました。広島型より強力にも関わらず、広島より被害が少なかったのは、長崎市は周りが山で囲まれた地形であったため、熱線や爆風が山によって遮断され、また 海側へ抜けたせいでした。平坦な土地であった場合の被害は、広島よりはるかに多くなったと想定されています。従って、もし予定通り小倉に投下されていれば、現在の北九州市一帯と山口県の下関まで被害は広がり、死傷者は広島よりも多かったと推定されています。今日は長崎で慰霊祭がおこなわれます。 尚、広島の慰霊祭も長崎の慰霊祭も、アメリカの政府関係者などの重要人物は過去に1度も出席していません。この前も書きましたが、人間の倫理として、いかなる理由があったにせよ、原爆投下は非人道的と思います。 No more War! No more HIBAKU! (被曝は英語でもHIBAKUと訳されます)なぜか大学からアクセスの多い別ブログ 更新しました ●別ブログ 8/06の新着は 「山小屋メンテナンス」 前回は 「排除措置命令」 こちらも見てね
2009年08月09日
長野県地方は今日 午前中は晴れるところがありますが、気圧の谷や湿った空気の影響を受けます。 このため、今日は全般に雲が広がりやすく、雨の降る所があるでしょう。 雷を伴って一時強く降る所もありそうです。という天気予報ですが、ここでは朝から雨です。 まあ よくあることです。 下界は晴れてても、こちらは雨 ということが。 なにせ 標高1000mですから・・・ おかげでまた涼しすぎる。ということで、ここ数日 山小屋のメンテナンスでがんばっちゃいましたので、今日・明日は休養日です。 どうやら明日も雨模様なので・・・1945年(昭和20年)8月6日 午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下されました。 「広島原爆投下」 音声が大きいので注意!何度か書いてますが、私の父は当時 無線通信士として呉の潜水艦部隊にいました。 この閃光らしきものを見たそうです。仕官付き兵だったので、緘口令が出ていることを知り、口外できなかったそうですが・・・当時 救援は主に宇品港の陸軍船舶司令部隊(通称「暁部隊」)が行ったが、呉からも少数の救援隊は派遣されたらしい。この後、長崎にも投下され、日本は世界で唯一の被爆国となりました。人類として、あの過ちを再ぴ繰り返してはならないと思います。 また 多くの死者が出て、その後のおいても発病して亡くなった方も多くいます。人間の倫理として、いかなる理由があったにせよ、原爆投下は非人道的と思います。しかし、アメリカ国民の半数以上は原爆投下は「正しい行為だった」と回答しています。 米有権者の611%「原爆投下は正しかった」尚、時間の経過とともに記事が差し替わることがあります。確かに原爆投下により終戦は早まりました。 しかし、当時は日本には制空権はありませんでしたので、通常爆弾で攻撃すれば軍事施設も重要施設も壊滅できたはずです。また 原爆の威力を示したければ、山間部や小島で充分なはずです。 山間部なら山のひとつやふたつは吹き飛んだでしょうし、小島なら消滅したでしょう。人口密集地に投下したのは、核の人体実験にほかありません。過去ログ「60年」、「今日もこの日がやってきた」もご参照ください。 特にコメント欄に注目尚、昨日のブログは 「メンテナンス Prat3」ご覧になってない方はこちらもどうぞ私も広島の平和記念館に行ったことがありますが、資料や写真などは直視に耐えないものがありました。どこかのアホ国が核開発に躍起になっており、核実験を繰り返しています。 「キチ●イに刃物」とは、まさにこのことでしょう。ま 同じ日本人でも、自分のことが最々優先で他人のことは「我 関せず」という人もいますけど・・・なぜか大学からアクセスの多い別ブログ (法務省からもアクセスがあった) ●別ブログ 7/29の新着は 「排除措置命令」 前回は 「激安ラーメン」 こちらも見てね
2009年08月06日
今日は朝からです。 しかも 先ほどまでは風も強く、横なぐりに降ってました。 今は幾分穏やかにはなりましたが・・・おかげで暖かく、ストーブも点けっぱなしでなくともいい気温です。 でも 点けないと寒いですが・・・ 今日はスキー場もは来ないでしょうね。さて、の開花宣言もあちこちで聞かれるようになりました。 今年も暖冬のせいで、どことも例年より早いところが多いようです。暖かいのはいいのですが、やはり地球温暖化で生態系が変わってしまうのは、将来に不安を覚えます。 温暖化、なんとか食い止めたいものです。ところで以前 「プレカリアート」で、プロレタリア文学の代表作として知られる小林多喜二の「蟹工船」がすごく売れていることをとりあげました。 この影響で共産党の入党希望が増えた とかとも言われています。この他にも、ロシア革命前後の本、戯曲などが隠れた人気を博しているそうです。 1861年の農奴解放や19世紀末以降の産業革命により工業労働者が増加し、社会主義勢力の増加した時代背景の影響があるか と思います。もっとも 社会主義は本体のロシアをはじめ、あちこちで体制は崩壊していますから、社会主義崇拝は現代では「絵に描いた餅」ではありますが・・・ あ 私もアカ系ではありませんので、念のため。しかし、人々が格差の拡大する現代の資本主義社会に不満を持っていることは、この現象も見ても明らかです。ただ、社会主義に格差は無いか というのは愚問で、どんな社会にも格差は存在します。 かえって社会主義の場合は固定格差が存在し、資本主義社会より醜い場合があります。まあ あまり難しいことを書いても「ふん!勝手にやっとれ!」と思われますので、本題に戻り、ロシア革命前後の本、戯曲などが隠れた人気 というので、みなさんは 戯曲「桜の園」(チェーホフ:作)をご存知でしょうか?ということで、本日のお題は 「桜の園」 これまた固い話題ですが・・・尚、昨日のお題は 「コミュニケーション」ご覧になってない方はこちらもどうぞ 19世紀後半のロシアでは、旧来の秩序が崩壊しつつあった。 さまざまな政治制度は現実の発展と調和しなくなり、大土地所有者の貴族社会はしだいに都市中産階級(ブルジョアジー)と新興資本家階級の支配下に入りつつあった。トルストイ、ドストエフスキーなどははその時代の弱体化した社会構造を書いた。 その中でもチェーホフは、本質的な英雄も大悪漢の存在しない世界をはじめて書いた作家として知られています。チェーホフは「帝政ロシアの最も反動的な時代に専制政治に対する反抗をヒューマニズムの立場から作品化した」と言われています。短編小説もかなりの数を書いており、「黒衣の僧」、「文学教師」、「中二階のある家」など、数え上げればキリがないほど。これらの作品のほとんどには、人間の孤独と、人間を理解しようという欲求、反対に理解のなさ、などが絶えず書かれており、ロシアの世紀末の雰囲気を驚くほど的確に反映しています。しかし、これは現代にも通ずるところがあり、人々の他者への関心の無さ、格差の二極分化などは充分に現代に置き換えられます。 ただ、時代背景の根幹とするものは違い、そのままあてはめるわけにはいかないですが・・・さて、戯曲「桜の園」のあらすじですが、落ちぶれていく貴族が「桜の園」と呼ばれている美しい土地を借金の担保に競売にかけられ、出て行かざるを得なくなるというお話です。しかも、競売で落札したのが、かつての農奴の息子である商人だったというところが、皮肉。そして、この戯曲の中の登場人物のせりふ進行が一風変わっています。 各人がそれぞれ自分のことのみを考え、他者をまったく考えみない。 いわゆる「自己チュー」です。 これなどは今の世の中にそっくりです。もっとも 落ちぶれていく貴族 というものは現代にはありませんが、過去の栄光を追っている、もしくは過去から受け継がれて築いた今の生活を、自分が築いた と思ってる自己本位な人間は数多くいます。それが失われるとき、人間はこんなふうになるのでしょう。 平穏無事な生活を送っているときは、「愛があれば」、「努力さえすれば」と言っていても、現実には愛や努力だけではどうしようもないときがあります。もちろん、愛や努力は必要なものです。 これを失くしたら、人間として失格かもしれません。夢を崩すような言い方で申し訳ないですが、最近のブルーシート族の中には、以前はかなりの地位の人もいます。 むろん そこに至るには本人の責任ではありますが、それを一辺倒に非難することはできない事情もあると思います。そういう「上から目線」の言い方は決してしてはならないと思います。 それこそ思いやりのない言い方で、「自己本位」としかとれません。よく「利己主義」というと経済的なものを言われますが、こういう精神的なものも「利己主義」の範疇にはいります。 むろん、その背景には経済的なものは大きなウエイトを占めますが、経済的に優位だから幸せとは言えません。反対に、経済的に貧困であっても、今の自分を幸せと思ってる人も多いはずです。 よく言われることに、「食事が きちんと食べれて、雨露のしのげる所に住めて、明日があること」が幸せ。という謙虚な人もいます。これらは、一見 ごく当たり前のことですが、その当たり前を感謝する心が大事なのですね。また、いくら経済的に裕福でも幸せと思っていない人もいます。 経済的に若干の余裕もあり、家庭も穏やかだから、貧困な人間からうとまれている、なんて考えは「上から目線」、「思い上がり」もいいとこ。 そりゃあ お金は無いよりあるほうがいいですし、うらやましさはあるでしょう。しかし、それで恨むとか、ひがむとかは別問題です。 もっとも そういう人間がいないとは言えません。 変にいわれのない恨みを持つ人もいますから・・・いつも言いますが、価値観は千差万別、十人十色なのです。 自分の価値観を他人に押し付けてはいけません。私だって正しいことばかり言ってるわけじゃない。 タマには間違ったことも言います。 最近では、しゃれさんが、古くはKENT HEATさんが鋭い指摘をしてくれました。 お2人とも私よりかなり年下です。それを「何だ、この若造が!」と切り捨てることもできます。 この歳になれば、屁理屈で誤魔化す手立ては知ってます。 が、「なるほど、そうだね」と受け止めることもできます。 あと、「悪い、悪い」と言えれば上出来ですが・・・ヘンに烏合して、なぁなぁのフォローをしてもらうより、よほど有難いです。 もっとも、フォローも有難いことは有難いですが、なぁなぁの形だけのは・・・大学からアクセスの多い別ブログ まったく更新してませんが・・・ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年03月22日
何か失敗や争いごとがあると、普通 自分のミスやいけないことはなかったのか と反省をしますが、高慢な人間は「自分は正しい。 間違ってるのは相手だ!」として、反省をしません。 すべて人のせいにする。そう 「我こそはお山の大将、正義の味方『月光仮面』(ふるっ!) 悪いヤツをやっつけるのだ!」と・・・はいはい 「アンタが一番! アンタが大将!」、「全知全能の神様、アナタの言うことはみんな正しい」こういう人には「琴線」や「バテた!」で書いたような、イヤミや誉め殺しも通用しません。 なにせ、自分はまったく悪くない と思っているのですから、反省どころか、反発するだけです。まあ 苦労知らずの お嬢様、お坊ちゃま育ちで、ワガママいっぱいに育ったんでしょうな。 今の政治屋さん(あえて「屋」)もこの部類に入りそうです。ということで、本日のお題 「正義の味方」昨日のお題は 「良い子、悪い子、普通の子」ご覧になってない方はこちらもどうぞさて、上記で書いたような「お山の大将」的なお人ですが、しかし これ 意外と支持者がいるんですな。 政治屋さんを見てもわかるように、たいていは多弁、饒舌です。(しかし 雄弁ではありません)これに弁筆(こんな言葉はないと思いますが、文章のうまいこと)と ある程度の教養があれば、百人力。 誰でもコロッと騙されます。 政治屋さんがそのいい例。 選挙前はそれこそ「正義の味方」ぶります。ところで、ある人を知っていますが(私のお仲間もよくご存知です)、最近のある事件で、それこそ「正義の味方」ぶりを発揮しました。まあ 前からその兆候はあったのですけどね。 その事件で一躍有名に・・・おかげで事情を知らない人からの人気を集め、仕事もあちこちから舞い込み、悠々の生活。 支持者も増え、うまく時流に乗りました。実際 当人の人間性を知っている人は知っていますが、巧みな弁舌、弁筆のせいで、なかなか見抜ける人は少なく、今まででもけっこう支持者が多いのですね。今回も知識人からはボロクソに批判され、反論しましたがボロボロ。 もっとも なかなか一般の方には見抜けません。 が、例の弁舌、弁筆のせいで、自分の言動、行動は「正義の味方」のようにすり替えてしまうんですな。確かに 読んでいると、まあ うまいこと、うまいこと。 実情を知らない人間はコロッと騙されます。 それに 元々の仲間内では価値観が似ているため、一層の支持を受けました。ただ 苦労知らずのお坊ちゃま育ちではないため、教養面でちょっと難があるので、ボロが出ますが、これも普通の人には見つけにくいでしょう。 特に一旦「正義の味方」で信用してしまうと・・・そして、都合が悪くなると「ああいう誹謗・中傷は相手にしない」とお逃げになるのです。 また その逃げ方がうまい。 いかにも自分が正当で相手に非があるように、おっしゃる。(これ 政治屋さんもよく使う手)ご自分もかなりの誹謗・中傷をしておられるのですが・・・ 自分のは正当なんでしょうね。 当人の感覚では。と言っても、その人間を全面否定するわけではありません。 いい面もあるんだし、事実 助かってる人もいますから。 ひとつの面だけでその人間性を決めつけてはいけません。こういう人は、よく「思いやり」とか「相手の立場にたって」とかを口にします。 しかし よくよく行動を見れば、かなり自分本位、ワガママ勝手。 他人のためには動いてません。 自分のためのみ。「人のために動けない(動かない)、自分だけが良ければいい」と思ってる人に人に対する「思いやり」なんてできません。 ましてや「相手の立場にたって」などは論外。 平気で人を傷つけてます。ただ これは価値観の違いがあるので、いちがいにどうこう とは言えませんが・・・例えば、A、B、C 3人の人間がいた としましょう。 AはXという事柄に関しては非常に価値を重く考えています。 しかし Yという事柄にはそう重きを置いていません。 そしてZに関しては、まったくどうでもいいと思ってます。同じように、BはYが一番、Zが普通、Xはどうでもいい。 CはZが一番、Xが普通、Yはどうでもいい。としましょう。すると AはCに対して、悪気はないのですが、平気で傷つけることを言ってしまう可能性があるのです。 なにしろCの一番大事なZという事柄に関してどうでもいい と思ってるのですから・・・同じように、BはAに対して、CはBに対して同様のことが言えます。 つまり その人の価値観は多種多様ですから、自分の価値観をまるまま人にあてはめてはいけないのです。私を含め、あなたも知らないうちに人を傷つけていることだってあるのです。 多いか少ないか、だけで・・・ 己が礼儀を知らないのに「人を礼儀知らず」呼ばわりするヤツなんてもっての他。特に なんとか論とか、なんとか学とかを振り回すやからは要注意! 卓上論と実際はけっこう違うのですから・・・ 「専門用語の羅列」で書いたように、こんなのは自己顕示にほかありません。ちなみに、「世間とは何か」(阿部謹也)の序章に、世間という言葉は誰もが使っているが、何かをきちんと答えられる人はいない。 とある。ということは、「世間知らず」も、言うことがおかしいのであるが、それに反論することもおかしいのである。 つまり 定義があやふやなものに対しては反論の根拠すらない。 これこそ「自分がすべて」の現れであろう。ま こういう人間は痛い目にあわないとわからないのでしょう。 不本意ですが、例の常務さんと同じ方法を取らねばならない、というのは情けないですね。 実際 上記の方はそうされてます。「争い その1」で書いたように、人はひとりひとり「違う」ということが、本当の意味でわかっていないから、自分が傷ついたときに「悪意でやられた」という感情をいだくのですね。 そして 反論されればやり返す。 その繰り返しになります。ところで、「争い その2」はまた書きますね。 今は忙しいので、バカにかまってるヒマがないし・・・ あ 人にバカって言っちゃいけないんだっけ! これは しっつれいしました~ホントにこういうワガママなのは困り者です。 しかし 今の世の中 こういう人が多いのも事実。 実際 事件を起こしたりしても、「あの人が」という場面が多く見られます。あ ワタクシ 常に反省はしておりますよ。 ちょびっとは・・・(ちょびっと かい) 少なくとも「悪いのはすべて相手。 自分は正しい」なんて暴挙はいたしません。協調性のない、器の小さな人間の増えてる世の中。 「義務教育で受験勉強に重きを置き、道徳など、倫理の時間を少なくしたからだ!」という人もいますが、あながちそれも間違いではないと思います。 ま 何にしろ「正義の味方」ぶる 多弁、饒舌な人の話は話半分に聞いておくほうが無難です。 まるまま信用すると、エライ目にあいます。そして 自分の旗色が悪くなると「あんなのは関わらないに限る」とか言って逃げ出すんですな。 そのくせ、気になるからコソコソと様子伺いする。 だいたい後ろ暗いことがなければコソコソしませんよねぇ~実際 政治屋さんも、上記の人も、信用してエライ目にあった人も多いそうです。 仲間うちでも知っている人は知ってる(複数)んですけどね。 まあ 今後の付き合いもあるし・・・果たして、とんでもない自己弁護をしているのは誰であろうか? ベン、ベン、ベン~~~ あ 旅田さん パクリました気が向いたら続く・・・なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年03月12日
「何があっても、絶対、振り返ったらあかんのえ」参詣の帰路、本殿を出たあと後、狭い長い石段を降リ切った鳥居をくぐるまで、または渡月橋を渡り終るまでは周囲の誘いにも動じず後ろを振り向かないで貫き通す。京都市西京区の嵐山。古来、聞こえた名勝の山腹にあって、渡月橋を見下ろす法輪寺で、十三参りは始まった という。ということで、本日のお題は 「振り返ったらあかんのえ」尚、昨日のお題は 「バイクで脳機能UP」ご覧になってない方はこちらもどうぞ「十三(じゅうさん)参り」 旧暦の3月13日(現在では月遅れで新暦の4月13日)の間、数え年13歳に成った少年少女が元服を迎え大人と成ったことに感謝して、これから先の万物の福徳と英知を授かるために、虚空蔵菩薩に参詣する行事。それで一名、知恵詣り、または、智恵もらいとも言う。 参拝の前に半紙に自分が大切にしている漢字一文字を毛筆でしたためる。例えば命・心 女子では美・雅といった文字を虚空蔵菩薩に供えご祈祷を受けて帰りにはお守り・お供物を頂いて帰り親に感謝を述べ お箸はこの日最初に頂く食事の時から使いはじめる。お守りは勉強机に一つと、毎日の通学用の鞄に一つを家族でお供物を頂き子の成長をお祝いする。人生は長くはなくて成人年齢が15歳くらいだった時代。 13歳は昔、大人への一歩だと考えられていた。その年に男子が山に登ったり、女子がお歯黒をつけたりする儀式は各地にありました。 通過儀礼の一種であろう。 十三参りでも、女の子は初めて大人用の本裁ちの着物を身につけるとされた。現在はあまり盛んに行われていませんが、いまから百年ほど前から始まった行事で、数え年十三歳の男女が、福徳と智恵と健康を授けていただくために、親子ともども虚空蔵菩薩にお参りする習わしでした。中でも、京都嵐山の法輪寺・奈良の弘仁寺が有名です。 最近では関東でも徐々に認知されつつあり、浅草寺では3~5月にかけて参拝客が目に付くようになりました。虚空蔵没後、不動明王に始まる仏たちが順々に悟りの世界へ導くと考える「十三仏信仰」 最後の13番目が虚空蔵菩薩で、知恵や学業とのかかわりが深く、平安末期の『今昔物語集』にも出てきます。その昔 学問に身が入らない僧侶が法輪寺に通う。 本尊の虚空蔵菩薩は美しい後家を遣わし、好意を寄せる僧を「お経が暗唱できたらね」、「比叡山で学僧になったら」と巧みに操る。逢瀬(おうせ)を期待して僧は学業に励み、大成したそうです。平安後期の公卿藤原宗忠も少年期に度々この寺に参り、才学向上を祈ったと、日記『中右記』に書き残しています。やがて十三仏信仰が広がるにつれて、「13番」と「13歳」が重なり合い、縁日の陰暦3月13日(現在4月13日)の十三参りにつながったらしい。遠く山形県米沢市には「京都から織物技術を伝えた人々が十三参りも伝えた」との伝承もある。 僧でなく、庶民が広めた習俗だったのかもしれない。「都の工職人この所にこもり、一七日断食し、滝に垢離(こり)し、本尊に知福を祈る」と、法輪寺に参る職人の姿を『都名所図会』が描く。少子化でもあり、廃れた所もあるが、やはり京都では盛んです。 4月13日を中心に、年間1万人以上の13歳と家族が法輪寺を訪れます。13歳といえばちょうど子供から大人へ変わる時期ですし、女の子の最初の厄年にもあたります。 十三参りは「もう子どもには戻れない、と自覚を促しているのです」肉体的にも、精神的にも不安定な時期です。 そんな筋目の時期だからこそ、しっかりお祈りしてもらうことは大切だと思います。 と同時に自覚に目覚めることも大事です。成人年齢を明治以来の20歳から下げるかどうか、法制審議会で議論が進んでいるなか、大人に成りきれない大人が多いことも問題ですが・・・なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年03月09日
さてさて、お待たせいたしました。 先週はあれこれと忙しく、1週間遅れになってしまいましたが、なので、いきなり本日のお題 「男女の脳の違い その5」尚、昨日のお題は 「ねこまんま」←ご覧になってない方はこちらもどうぞさて、前回 「男女の脳の違い その4」で、「つまり 男性と女性とでは、個の保存と種の保存の捉え方や感じ方の仕組みに違いがあるということが言えます。 では、なぜそうなったのか?」終わりましたので、その続き。大昔 食料の確保が生死を分ける時代が長かったわけですから、女性は当然自分を満腹にしてくれる(満腹中枢を刺激してくれる)優秀な男に好意を抱き、彼を受け入れてしまう(交尾中枢が刺激されてしまう)のでしょう。一方、男は種の保存という目的からすると、種付けをして死んでしまってもいい性なので、飢餓的な状況の時ほど女性に接したい気持ちが高まるようになっていったのです。カマキリの雄が交尾をした後に雌に食べられてしまうのは、自ら雌の栄養となり確実に子孫を残そうとするのと基本的には同じです。 脳にはそうした、種の保存を前提とした行動原理が刷り込まれているのではないかと考えられます。男女の違いは身体的なことだけではなく、「脳の違い」からも生まれています。 しかも、それは気の遠くなるような人類の歴史が礎になっている、というのはとても興味深い話です。狩猟時代からの名残りで、男はどうしても攻撃的だったり、納得しないと行動しない、一つのことに集中したら他のことができない、一カ所に留まると落ち着かず放浪したがる、遠隔視は得意でも近くのものには気がつきにくい、などの特性があります。一方女性は、守られることで安定する性質を持っていて、にいる時が一番幸せと感じる、好奇心で気軽に行動を起こす、ながら作業が得意、手元のことにはよく気づくが、空間認識が苦手、など、男とは対照的な特質を持つ傾向があります。そうした基本的な違いが「脳からきているのだ」と理解できれば、相手に腹を立てなくて済むことも多くなるでしょうし、相手のことを尊重したり、思いやったりする気持ちも生まれやすいのではないでしょうか。ただ、今は家事に育児、仕事にと女性も行動的になり、従来からの特質が当てはまらない部分も多いのではないでしょうか?もちろんここで述べているような、それぞれの特質は一つの「傾向」であり、空間認識に優れたレーシングドライバーの女性もいれば、お笑いタレントのようにおしゃべりな男性もたくさんいます。実際ここ100年くらいは、人類は食料にあまり困らない生活を送ることができていて、男女の役割分担の境目は極めて曖昧になってきています。また、ここ数十年の間に多くの国で男女同権や女性の地位向上が叫ばれ、今は女性も外でばりばり働くし、社会や企業のトップになるようなことも増えてきました。そのためか、今の社会ではどちらかと言うと「男女の能力に差はない」という部分が強調されることが多いように見受けられます。ただ、脳医学的に見れば、男女の機能の違いは歴然として「ある」わけで、人類の歴史に培われた男女の特質の違いも、全体的な傾向としてあるのは確かなのです。いくら男性的な女性であっても、女性としての本能は「ある」わけで、男性と同じということはありません。 反対に、男性もまた、しかりです。 このことをわきまえないと、大きな錯誤をすることになります。お互いの脳の特性や行動パターンを知ってつきあった方が、互いにストレスが少なくなる ということですね。そうなのです。 男も女もお互い「違う部分はあるのだ」と捉え、相手の特性や傾向をわかった上で、上手くコミュニケーションできる方向に持っていった方が、よりよい人間関係を築く上でベストなのではないでしょうか。もちろんこれは男女の違いだけではなく、十人十色といわれる「人それぞれ」ですから、自分の殻に閉じこもった考えで、人を当てはめることも しかり です。 でも、そういう器の小さい人が多いんですよね。例えば、男が左脳を使って何かに没頭している時は、放っておいた方が争いを起こさずに済みます。 女性が右脳を使って感情的に言葉を投げかけてきた時も、男性は論理的に言い返すのではなく、「わかったよ」と受け入れてあげればそれで済むのではないかと思います。また、それぞれに得手・不得手があるのだから、「何でこんなこともできないの?」と相手を中傷せずに、得意な方が可能な範囲で受け持つようにした方が、賢明なのではないかと思います。今は、いろいろ便利な道具もあることで、狩猟時代から受け継がれてきたそれぞれの能力を発揮する場が狭まってきているようにも思います。 こういう時代が長く続くと、やがて人間の脳にも変化が生まれてくる可能性はあります。確かに、今はにナビゲーションシステムが付いていれば、男が空間認識能力を発揮する必要がないなど、性差を補うような便利な道具がたくさんあって、これまでの能力を発揮しにくい状況にあるのは確かです。人間は必要のない能力は次第に退化するわけですから、今のような状態がさらに進化し、この先何百年、何千年と続けば、脳もまた別の形に変化し、男女の脳の差がだんだん無くなるような方向に向かうこともあるかもしれません。ただし 今 現在ということで言えば、男女の脳には明らかに先天的な違いによる性差があり、そこから発する能力や意識の違いは、環境や意識が大きく変化していく中でも、容易には逆らえない部分もあるのではないか と言われています。ならば、それをお互いに受け入れる方向で進んだ方が得策でしょう。 男と女がお互いにそういう意識を持つことができれば、いい人間関係、いい家族、いい社会をつくる上で、大きなプラスになるのではないでしょうか。人間の「脳」は、今最も熱い視線を集めている研究分野の一つ。 かなりわかってきている部分もあり、一方で未知の部分もたくさんあるのですが、「脳を知る」ことは、「人間を知る」ことでもあり、とても興味深いことではないかと思います。それを知るのが「脳医学」であり「心理学」でもあるのです。自分たちが持っている「能力」や「意識」の後ろ側には、長い人類の歴史があり、普段の何げない行動も、気の遠くなるような過去につながっているのだと思うと、不思議な気がします。しかし、私たちの脳にはそれがしっかりと刻まれていて、家庭や社会で起こっているいろいろなことも、そうした「脳の特性」と大いにつながっているのです。私たちの周りでよくある「男女の意識や見解の違い」も、脳が生み出している現象の一つ。お互い理解できないこと、腹が立つことなども多いわけですが、それらがもともと「男女の脳の違い」から来ているのだと思えば、相手を受け入れやすくなるし、お互いに気持ちよく過ごすための対策もたてやすくなるのではないでしょうか。 -- 完 --どうも最近は自分勝手な屁理屈を「論理」とすりかえ、個人的感情を絶対とするような、自己中的な人間が増えてきているように思えてなりません。 そういうのに限って、改革といいながら自己本位思考の枠組みから一歩も外に出ていないようです。 ホントに困ったものです。自己反省なくして他者を攻撃するのは、とても「論理」的とは言わないのです。 それは感情的にしか他ならない。 そんなヒマがあれば、もっと己を知るべきですね。いくら「天つば」に逢っても懲りない人もいるようです。 どこぞのアホ常務のように、おおごとにならないと気づかないのでしょうかね?なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年03月06日
今週は今シーズン初の風邪引きさんになりました。 おかげで2日も休んでしまった。 サラリーマンじゃないので、当然 有給なんてものはありません。2月は日にちが少ないし、ヒマぎみだったから休日もばっちりお休みでした。(喜んでる場合か!)ということは、来月のが少ない ということです。 かといって、忙しかったらがサラリーマンより多いのか、といえば、さほど多くはありません。私の場合、専属契約ですから、安くこき使われて低めの単価契約で働いてますから、年中 仕事があれば多くなりますが、とぎれて遊ぶ時は必ずあります。 だいたい、1年の2~3割はありますね。その代わり、仕事がない時も拘束(強制ではないが)されますし、若干の手当て(バイトなみ)が付きます。 それを考えれば、サラリーマンのほうがずっといいでしょうね。 ま 自営業の悩みですな。男性ならこの理屈をわかるのですが、女性の場合、ちょっと理解できにくい人が多くいると思います。 「なぜ そんな率の悪いことをしてるの?」となるようです。ということで、本日のお題 「男女の脳の違い その4」尚、昨日のお題は 「専門バカ」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ前回 「男女の脳の違い その3」で、だけど、男性でもおしゃべり上手な人はいますが? と終わりましたので、その続き。おしゃべり上手な男性は右脳も使って話すことができるというこができる ということです。 しゃべり上手なお笑いのタレントさんなんかは、実は右の脳も非常に発達していて、左右の脳を使ってしゃべれる人たちなのだと思います。しかも 右脳の発達した人は、テストステロンレベルも高いもの。 まあ 職業上の鍛錬の結果ともいえますが、素質のない人にはできません。おもしろおかしく魅力的に話すには、男性の場合 テストステロンレベルが高く、よく発達した右脳を持っていなければならないんですね。 ただ、見る人が見れば、真実味が薄い という難点はありますが・・・タレントさんなどはそれが職業ですから、やむを得ないでしょうけど、一般の人がそれをやれば、軽薄とも取られかねないこともあります。医療現場でも、脳梗塞などで左の側頭葉にダメージがあった場合、男性は言葉が出なくなってしまう人が多いそうですが、左右の脳を使う女性はそれほどでもなかったり、リハビリの効果が出やすいと言われています。このように、右脳の発達はコミュニケーション能力に大きな影響を与えているのではないかと推測されます。ちなみに 「天才」と言われるような人の場合、左右どちらも飛び抜けて発達している人が多い と言われていて、アインシュタインなんかも、非常に難しいことを易しく話すことがとても上手だったようです。この「非常に難しいことを易しく話す」というのが、「天才」たる由縁なのです。 能力のない人が話すと、「ただ 難しいことを言ってるだけ」になります。 カントがなんちゃら、とか、ニーチェがどーたら、とかね。通常は数学や物理といった分野は、一般レベルなら左脳が担うのですが、ノーベル賞レベルの「自然現象を数式で表す」ようなことになると、優れた左脳に加え、極めて優れた右脳のイマジネーションも不可欠になる、ということなのでしょう。将棋などもそうです。 展開を考えるのは左脳ですが、トップレベルの人は右脳のイマジネーションで数十、数百手先の「勝つ風景を見抜く」ことができると言われています。ただ 一般人レベルでは、左右の脳をバランスよく使えるのが女性、どちらかに偏りがちなのが男性、ということになります。総じて、女性はコミュニケーション能力やテキパキ仕事をこなす能力に優れ、男性は正しい空間認識や一つのものへの集中力が優れているという特性を持っている、ということになります。では、男女の脳の構造や使い方の顕著な違いは?というと、脳には、人間の本能を司る「視床下部」という部分があり、ここからの指令で、食欲・性欲・自律神経系の機能 といった人間としての基本的な活動が行われます。食欲は「個の保存」のため、性欲は「種の保存」のために不可欠のものですが、これらの機能の中枢が位置する場所も、男女にはおもしろい違いが見られるそうです。例えば、食欲の中枢には空腹を感じたら食べなさいと命じる「摂食中枢」と、満腹になったら食べるのを止めなさいと命じる「満腹中枢」があり、性欲の中枢には、異性に興味を示す中枢と、実際に性交という行動を起こす「交尾中枢」があります。しかし、女性は「満腹」と「交尾」の中枢が非常に近くにあり、男性は「満腹」と「交尾」の中枢は少し離れていて、むしろ「摂食」の方が「交尾」中枢の近くにあります。つまり 男性と女性とでは、個の保存と種の保存の捉え方や感じ方の仕組みに違いがあるということが言えます。では、なぜそうなったのか? 続く・・・多くの男性はひとりで生きる能力がないのに「ひとりで生きられる」と言う。 これこそ「できないことをさもできる様に言う」見栄、我であり、何の説得力もない。 しかし 女性は「ひとりで生きられる」人は多い。よくおいでになる 来楽暮さんの正絹ストラップが「VJC魅力ある日本のおみやげコンテスト2009」で、新設されたグランプリ(観光庁長官賞)に輝きました。 おめでとー!!なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ2/2の新着は「クレーマー保護者」 前回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年02月20日
いだだきました、バレチョコ↓ 今年は4個。(去年より減った) 下の2つはあきらかに義理チョコっぽい。 ま いただけることに感謝昨年のいただいたチョコはこちら→「義理チョコ」お仕事、お手伝いですので、マジメにやってます。 だから、勤務中にあまりブログが覗けない。(こらこら、いつもはサボってるのか!)そして、以前に「ちょっとトラブルのあった客先」の件で、つまらん仕事(再Checkと、その経緯を文書化)も増えて忙しいのです。 というのは、いちゃもんをつけられて、未だに未払いだから・・・ふんとにもー! こいつもそのうち「天つば」にあうぞ!ということで、本日のお題 「男女の脳の違い その3」尚、昨日のお題は 「狂犬病」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ前回 「男女の脳の違い その2」で、 では、女性にはどういう能力が身に付いたのでしょう? と終わりましたが、その続き。女性はを守り、家族の面倒を見るなど、家にいる時間が長くなります。 そうすると自分の夫の情報を知るため、また安全な生活を送るために「情報交換」が必要になり、会話能力が発達し、言葉遣いも流暢になります。女性は今も井戸端会議好きだったり、外国語の習得が得意な人が多かったりしますが、そこには何百万年も前から行なわれてきたおしゃべりの成果があるわけです。また、女性は同時に複数の作業をこなす「マルチタスク」の能力に秀でています。それは、女性が子供や家族の面倒を見ながら花や木の実を摘んだり、料理をしたり、という行動を当たり前のこととして、やり続けてきたからではないでしょうか。だから、左右の脳の交通性もより発達し、いろいろなことを同時に器用にこなせるようになったのでしょう。 男性の多くはこれが苦手で、何か一つのことをするには、他のことをシャットアウトしたいと思うものなのです。例えば、男性はで大切な話をしているときには消してほしいと思いますが、女性はあまり気にすることなく両方を同時進行していたりします。こういうこともあって、男女の会話のくい違いは、言語中枢の発達、脳の使い方の違いによる部分が大きいのではないでしょうか。話すことを担う脳の言語中枢は左側にあるのですが、女性はしゃべる時、左だけでなく右脳も使うこと、男性は左側だけでしゃべる人が多いことが研究結果でわかっています。男性は左脳で論理的に話す“デジタル派”が多く、融通がきかせられないし、抑揚がない話し方で、口下手な人も多い、というわけです。 仕事柄、お口が上手な人でも、やはり男性は融通をきかせられないことが多くあります。だから、右の脳も使って感情もプラスされたような女性の発言などは、男性には理解できにくいのです。例えば、仕事で遅く帰った夫が、妻から「仕事と家庭とどっちが大切なの」と言われても、男は「仕事と家庭は別次元のこと。 どちらが大切かと言われても選べるものではない」と左脳から発言してしまう。そうなると、お互い気持ちが行き違い、ケンカになっちゃうわけですね。つまり、悪く言えば女性は「味噌もクソも一緒」の発言になることが多いのですね。 別次元のことと区別できない。 ま 男性でもこういう人はいますが・・・だけど、男性でもおしゃべり上手な人はいますが? 続く・・・尚、私的なことですが、私の会社の決算準備で書類整理を必死でやってます。 ゆえに、ご訪問、コメントレスが遅れております。 ご容赦!なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ2/2の新着は「クレーマー保護者」 前回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年02月14日
お仕事、来週からは別チームのお手伝い。 これも韓国がらみですが・・・ 現在 今の会社の超ベテラン技術者が韓国の某企業に常駐して、技術指導している物件の図面化作業です。私の同僚はこちらの仕事が終わった時点でそちらへ移ってますが、私は後処理があったので、来週からです。 それに、自分の仕事が見つかれば(取れれば)、そちらが優先になりますし・・・ところで、今日 USJのアルバイト募集がありましたが、定員の倍近い応募があったそうです。 人気のUSJは働くのにも人気なんでしょうか?記事はこちら→「USJバイト2100人が殺到」尚、時間の経過とともに記事が差し変わることがあります。さて、本日は、お待ちかね(誰も待ってない かも)の「男女の脳の違い その2」です。尚、昨日のブログは 「漢字の読み書き」ご覧になってない方はこちらもどうぞ先週 「男女の脳の違い その1」で、脳には右半球と左半球があって、男女は「右脳」、「左脳」の使い方の違いがあることを説明しました。そして、元来女脳である脳が男性ホルモンのテストステロンのシャワーを浴びれば男性化し、テストステロンを浴びなければそのまま女脳となります とも言いました。つまり 元はみんな女脳なんです。 肉体は男でもテストステロンシャワーを浴びなかった、また少なかった場合は男脳になりきれないことがあります。 まだはっきり立証されていませんが、これが性同一性障害(GID)の一因とも言われています。 ただ 死者の脳の解剖からGID患者と健常者との比較において脳内の特定部位の形状の差異が見られた例は、以前から複数報告されています。そして、その差異が微少である場合は日常生活には支障はないものの、「男らしくない」、「女らしくない」言動などが見られることがあります。よく言われる、(男なのに)「ウジウジして、女の腐ったようなヤツ」とかいうものですね。 あ 決して女性蔑視ではありませんので、念のため。もっとも「男らしい」、「女らしい」という基準は曖昧ですが・・・ずいぶん前置きが長くなりましたが、では本題へ、ある研究施設でこういうテストをやってみたところ、目隠しをして、右手と左手それぞれで立体に触ってみて図形の形を当てるテストを男女様々な年齢でやってみたところ、は6歳くらいから左手での正解率が高いのに対して、は12歳くらいまで左手正解率が上がらなかったそうです。左手の正解率が高いというのは、右脳頭頂葉での処理能力が高いことを示しています。右脳頭頂葉は奥行きや立体図形など空間認知を司る部分で、男の子は小さいうちから空間認知能力が優れている傾向にあり、数学の中でも幾何のような図形を扱う分野が得意です。また 男女に立体迷路をやってもらう実験では、男性の方が早くゴールできたのは予想通り。 面白いのは、迷路に挑戦している最中、男性の脳内では海馬が活性化していたこと。同じ作業をしていても、女性の脳の海馬は活性化しないんだとか。 海馬といえば記憶に関連する部位というイメージでしたが、実は空間や地理的判断をするときにも使うんだそうです。そして、以前も書きましたが、大昔の狩猟生活で必要となった男女の能力差があります。まず、男性に備わっていったのは、獲物をしとめるために必要な「空間認識」の力。 これは冒頭の実験の結果でもお分かりですね。この力は右脳の頭頂葉という部分が担っているのですが、ここは「空間を正しく捉える能力」を発揮する部分で、脳の中で唯一(←ここ重要)、女性より男性の方が機能的に優れているところです。狩猟生活で男性は「遠くにいる獲物を見つける」、「獲物の距離にあわせて槍を投げる」、「道に迷わないよう自分の位置を常に把握しておく」といった能力が求められます。そのため、男は必然的にこうした能力が磨かれ、その能力の高い人が獲物を多く獲ることで、女から優秀な男として認められ子孫を残すことができたというわけです。実はスポーツの多くもこの「空間認識」を必要とします。ですから、例えばキラーパスを出すサッカー選手などは、男性として相当優秀だということを皆に披露しているわけで、スポーツ選手が女性に人気があるのは、狩猟時代以来の伝統と言えるかもしれません。空間認識の力が必要なジャンルは他にもたくさんあります。 絵画は三次元的なものを二次元的に表現するもので、音楽も二次元的なものを立体的に表現するもの。 ゆえに著名な画家や音楽家には男性が多いんですね。三次元に建築物を構築する建築家、大工さんなんかもそうだし、手術などで人間の体を立体的に把握しなければならない外科医もそうです。今のように男女の教育の平等化が進みながら、それでもこうした職業に男性の方が多いのは、「男性の方が右脳が発達しやすい」という、脳の性質の違いに起因しているのではないかと考えられます。では、女性にはどういう能力が身に付いたのでしょう? 続く・・・久しぶりの懐メロ「津軽海峡・冬景色/石川さゆり」、「北の宿から/都はるみ」なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ2/2の新着は「クレーマー保護者」 前回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね
2009年02月07日
娘:「いつもグチを言うけど、私に何をわかってほしいの?」母:「あのね、お父さんのダメさ加減をわかってほしいの。 どんなにダメな人なのかわかってほしいの」娘:「どうして、そんなにお父さんのダメさ加減を他の人にわかってほしいわけ? そうすると何がいいわけ?」母:「とにかく、ダメだってわかってほしいのよ。 でないと悔しいの。 私は我慢しているんだから。 それにそうでないと、私がダメになるでしょう」と、いつまでもウジウジグダグダ。 相手がダメだと周りがわかってくれると、ホッとするらしい。 「自分は我慢している(良い)=相手は我慢していない(悪い)」 「相手がダメ、悪い=自分はいい、正しい」 そう思いたいらしい。人(特に女性)は正しいと正しくない、良い悪い、の判断が強いのです。 人は、なぜか「自分が正しい」と思いたがるようです。 少なくても「自分は間違っていないんだ」と思うことは、自分の安定には欠かせないことのようです。その気持ちを得たいために、不毛な争いをするのです。 それに 1度思い込んだら(事実かどうかは別として)、ガンとして変えない。 でも、自分が間違ってない と思いたいのは、相手も同じですよね。よく男性は女性にグチられると、つい次のような言葉を投げつけてしまいます。 「君が言うほど大きな問題ではないと思うよ」 「文句ばかり並べていないで、実際にやってみることだね」 「だから、どうしたっていうんだよ」 「もし、君がそれほど不満なら、やらなければいいじゃないか」 「いったい君は何を言いたいんだ? とりとめもない話しばかりしないで要点 をかいつまんで話してくれ」等々実はこのような言い方は女性の感情をさらに逆なでし、今のグチに さらに「全然話しを聞いてくれない」というグチが1つ加わることになるだけです。言いたくても、言わない方が賢明です。女性の場合、ただ話を聞いてもらいたいだけなのです。また、男性がグチったら「批判せず」聞いてあげてください。 アドバイスや、解決方法を提案してもいい結果になりません。 それよりは、温かい励ましをしてあげましょう。男性の場合は、グチるときは自分の中で整理がついていて、自分の中で解決策を持っていることが多いのです。ということで、本日のお題は 「男女の脳の違い その1」尚、昨日のお題は 「食の5原色」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ以前 「話をきかない男、地図が読めない女」という本が話題になりました。 男と女は脳が大きく違っていて、生まれつき違う行動をするという。男は地図を見て立体的に位置関係を把握できるが、女は地図をひっくり返してじゃないと位置関係を把握できない といった感じで、男と女の習性の違いをわかりやすく説明しています。「男性と女性の脳には違いがある」ということが、昨今 かなり解明されつつあります。では、実際にどんな点が違っているのか?脳には右半球と左半球があって、一般的に「右脳」、「左脳」と言われていますが、それらをつなぐ「脳梁(のうりょう)」という部分が「女性の方が2割ほど大きい」ということが、男女の脳の大きな違いとして指摘されています。右脳と左脳は、互いに連絡を行いながらそれぞれの機能を発揮させるのですが、こうした「左右の交通性のよさ」という点で、一般的に女性の方が脳医学的には高い機能を備えているというわけです。しかし、最近 それを否定する論文も出てきています。 明確に違うのは、脳の重さ。 成人男性が平均で1.41kg、女性が1.25kg。 とはいえ、形や機能の面では男女差より個人差の方が大きいと言われています。女性の方が相対的に大きいのは、頭の上部にある頭頂連合野の下側と、耳に近い側頭連合野の後ろ側の2箇所だと言います。 また、女性の方が、言語中枢(多くは左脳にある)が左右2箇所にある人が多いという研究結果もあります。それでは、右脳と左脳は、どんな機能を持っているのか?まず 左脳ですが、ここには人間にとって最も大事な「言語中枢」があるため、「優位半球」とも言われ、論理的なこと、読み書き計算などの能力を担っていると言われています。それに対して右脳は、感覚的なもの、抽象的なものを担う脳で、音楽や美術など芸術系の能力はこちらの担当。各界で、「天才」と言われる人は男性に多く見られたり、一方で、コツコツ努力して優秀な成績をとる「秀才」が女性に多かったりするのは、男性は左右どちらかの脳が極端に発達する可能性を持ち、女性は両方の脳をバランスよく使うことができるからではないかと考えられています。そのため 女性は概して「要領がいい」、「バランス感覚がある」、「感覚的」、「こだわりが少ない」といった特徴を持ち、男性は一般的にそれらの逆。男女それぞれの持つ特徴に、こうした脳の構造の違いが大きく影響していると言われています。 そして、違いそのものが形作られるのは、お母さんのお腹にいる時だと考えられています。人間は受精によって一個の生命体として芽生え、その瞬間に男か女かは決まるわけですが、脳が「男脳」、「女脳」になるのは、妊娠3~4ヶ月(13週~18週)頃です。この頃に、お腹の中で元来女脳である脳が男性ホルモンのテストステロンのシャワーを浴びれば男性化し、テストステロンをあびなければそのまま女脳となります。つまり、脳はお母さんのお腹の中で「男化」、「女化」するということです。その後 それぞれの脳は着々と発達するのですが、例えば、男性は幼児期にテストステロン(男性ホルモン)が多く出るとより右脳が発達するなど、個々の本来の力や経験に応じて脳が作り上げられていきます。ちなみに 右脳が支配するのは体の左側なので、右脳が発達した人には「左利き」が多い、という傾向があるとも言われています。人間の身体とその機能は、何百万年というような極めて長い時間を経て進化・退化を繰り返し、今の状態に至るものです。そこで一つの説として考えられているのは、人間の歴史で一番長かったのは「狩猟生活」であり、ここで必要とされ培われた能力が、今も人間の体に備わっているのではないか ということです。大昔の狩猟生活時代、男は外へ猟りに出て食料を得てくるのが最大の仕事です。 食料がなければ生きていけませんから、その能力に、自分や周りの人間の生死がかかっています。一方、女は洞窟などで家族を守りながら、食料が来るのを待ち、調理したり、子供の世話をしたりする。そうした行動をできることが生きるための最低条件ですから、この生活に適した能力が、男女それぞれの脳の働きに組み込まれていったのだと思います。その後、今から1万5000年ほど前に農耕生活が始まりましたが、多くの人が食べるのにそう困らなくなる、文明が急速な発達を遂げる、男女同権の理念が広がるなどの動きは、実はわずかこの100年内のできごとなのです。 続く・・・なぜか大学からアクセスの多い別ブログ なんとNHKからもアクセスあり!●別ブログ1/19の新着は「アナログ放送終了」 前回は「美徳はどこへいったのか?」 こちらも見てね
2009年01月30日
昨日、今日と、お仕事 必死でやってます。 とりあえずひとつは納品。 もうひとつも、ほぼメドがたちました。 ホントはあまり急いでやりたくないんだけど・・・(次の仕事がないし)明日 土曜日に休日出勤したいのだけど、土曜日はお掃除ボラが入ってるし、第一 会社が機械製図の検定試験の会場になっているらしい。 だから、机の上などの資料類などはきれいに片付けて、何もない状態にしてきた。なんとかメドがたったし、ま いいかさて、お天気のほうですが、今夜から寒気団が西から通過するらしく、各地で雪予報が出ています。 豪雪地帯では雪かき、雪降ろしが大変。 特に高齢者のでは雪下ろしはできません。そういうところには自治体が対応したり、ボランティアが行くのですが、なにしろ一時期に集中しますし、数が足りません。 そこで、若手ボランティア育成のため、国土交通省が補助事業を始めるそうです。 -------------------------------------------------------------国土交通省は2009年度、高齢者に代わって屋根の雪下ろしをする若手ボランティアを育成するため、新たな市町村向け補助事業を始める。地方で急速に進む高齢化に伴い、自宅の除雪作業中に事故に遭うお年寄りが増えていることから、若者の参加を促し事故減少を狙う。07年度に新設した「安全安心な雪国創造事業」を拡充する形で、ボランティアの研修費用のほか、ヘルメットや手袋など道具の調達費用を補助対象に加える。雪国創造事業はこれまで、豪雪地帯の人々が冬場もゲートボールなどを楽しめるよう体育館の建設にも補助金を交付していたが、ハコモノ行政への批判が強いことからこれをやめ、その分の予算をボランティア育成などに回す。(2009年1月17日 時事通信) -------------------------------------------------------------これはいいことですね。 ボランティア育成事業は将来を見据えても大事なものです。 政府もタマにゃマシなこともやりますな。 ホントにタマだけど・・・ ところで、電車やバスなどで長距離乗車する場合、座席はたいていリクライニングシートになっています。 寝たいときや、ゆったりしたいときは ちょっとリクライニングするとリラックスできますね。しかし、なかにはすごく斜めにして、後ろの人が迷惑になってることも・・・背もたれをリクライニングするとき、あなたは後ろの人などにお断りしますか? それとも、勝手にしますか?ということで、本日のお題 「リクライニングマナー」尚、昨日のお題 「SL用ボイラ修繕」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ 自営に方はぜひ読んでほしいビジネスの本筋!この前 「大阪~長野」で久しぶりに新幹線や長距離特急に乗ったのだけど、ちょっと疑問に思うのは、座席の背もたれを倒すときに後部座席の人に声をかけるかどうか?名古屋~長野 間はガラガラだったから特に問題はなかったが、新幹線はかなり混んでいた。 特に帰りの列車はほぼ満員状態。 リクライニングするのもためらわれる。これは「マナー」と聞いたこともあり、自分では、「背もたれ、倒して良いですか」と一声かけるようにしているのだが、きまって相手には「あ、どうぞ」と、一瞬の戸惑い、怪訝そうな表情の後、そういう返事をされることが多い。一方で、自分が前の座席の人に一声かけられたことは、ほとんどない。もしかして、「一声かける」行為って、マナーではなく、むしろ 変った人に思われたりするものなのか?「マナーとして、車掌が言ったり、アナウンスで呼び掛けることはしていないですね。 これはお客さま同士で考えることで、会社として決めることではないですから・・・」「ただし もしかしたら、現場の判断では注意があったり、別の地域ではしている可能性もありますが・・・」と、JR東日本広報。JR東海でも、やはり「呼びかけは特にしていない」という。「そういったことに関する苦情も特に聞くことはありません。 なんとなく『一声かけて』みたいなことが、お客さまの間で自然にできてきたことなのでは?」という。そもそも、「マナー」は、命令や注意によって守られるよりも、お互いに相手のことを思いやることから生まれるもの。 「こうすべき」というものではないのかもしれない。ただし 「一声かけ」なくとも、背もたれを倒すことで後ろの人に迷惑がかからないか、気配りをすることは必要なことだと思う。互いに気持ちよく過ごせるように、やはり後ろへの配慮は、お忘れなく。なぜか大学からアクセスの多い別ブログ なんとNHKからもアクセスあり!●別ブログ1/19の新着は「アナログ放送終了」 前回は「美徳はどこへいったのか?」 こちらも見てね
2009年01月23日
パレスチナ自治区ガザではじまった局地紛争、かなりのことになってますね。 死者は800人を超し、負傷者は3300人にものぼってます。 まあ この地域の紛争については事情が複雑でなんとも言えませんが・・・ 日本国内も「派遣切り」などで問題になってますが、昔のように労働争議まではいきません。 中国の地震のときのように、結局 他人事でしょう。 これも時代の変遷でしょうね。と書くと、また パーチャル世界にいりびたってる どうのこうのと言われるかもしれませんが・・・ もっとも、デモや争議を賛美しているわけではありません。ところで、「派遣切り」に対する支援が地方自治体や各種団体ででてきています。 ただ これにもミスマッチがあり、うまく機能するかどうかはわかりません。千曲市が臨時職員32人採用へ 「派遣切り」など対策松本、須坂、小諸市でも臨時職員雇用へ県内中小企業、農業法人が雇用の「受け皿」に バッグ一つ 今夜はどこへ ――ゆらぐ暮らし尚、記事は時間の経過とともに差し替わる場合があります。ということで、本日のお題 「首が飛ぶ!!年越し派遣村」尚、昨日のお題は 「ちくわぶ」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ また重い内容ですみませんが・・・昨年末に派遣切りなどにあった人のために開設された東京・日比谷公園の「年越し派遣村」これについても、政治に利用された とかいろいろな意見がありますが、実際に「派遣切り」にあって困窮している人がいるのは事実です。ここにボランティアに行かれた方たち、ホントにご苦労さまでした。(残念ながら私は行けませんでしたが、私の知人も行きました)いろいろな意見がありますが、自己顕示するのはどうのこうの、とか 気紛れでどうのこうの、とかケチをつける人もいます。 まあ 1000歩譲って、そうであったとしても、やってる人は少なくともその間、役立ってるはずです。 やらない人よりも・・・ 言うならやってから言え! やらないでグダグダぬかすな!如何なる理由があろうとも、やりもしないで、やってる人のケチをつけるなんて、人間として最低だと思いますよ。さて、先日「年越し派遣村」にお手伝いに行った人の記録をご紹介します。年越し派遣村でお手伝い今日も派遣村でお手伝い1月4日の年越し派遣村レポート「派遣で働いていた人は給料をたくさん貰っていい思いをしていた時もあった。 派遣という道を自分で選んだのだから、仕事がなくなったといってみんなが支援するのはどこかおかしい。」、「今まで給料を貰ってきたのだから、将来のために貯金ぐらいしてこなかったのか?」こういう意見もたくさんあります。 まあ 一理はありますが、上でも述べたように、実際に「派遣切り」にあって困窮している人がいるのは事実です。 そして 今の日本、ゼイタク言わなければ、食えるだけならなんとか稼げる仕事があるのも事実です。 確かに社員にならずに自由気ままに派遣の道を選んで、なおかつ結構な給料を取っていた時代もありました。 バブルの頃には大卒であえて「派遣」の道を選んで青春を謳歌していたIT関係の派遣社員がたくさんいました。が、今 集まっている人たちは、バブル時代を謳歌した人たちとは違う種類だと思います。 突然「●日から仕事に来なくていい」と言われ、ハローワークに行って職を探してもこの不況の折、マトモに仕事に就くことが出来ません。突然「首が飛び」、本当に明日一日を過ごすことすらままならないような人たち。 こういう人たちが日比谷公園の「年越し派遣村」に集まったのだと思います。 もっとも 一時的な支援だけで、どうにかなるわけでもなく、政府の今後の対応が必要です。日比谷公園は厚生労働省のお膝元であり、マスコミがわっと集まりそうな場所。 すぐ先には帝国ホテル、皇居、官庁街が見え「派遣村」とのあまりにもかけ離れた格差が一目瞭然。なぜ 大阪でないのか? 名古屋でないのか? ま これには政治的要素はあるでしょうね。 「丈夫さはピカ一」で書いたように、扇町公園でも確認しています。 未確認ですが、名古屋も鶴舞公園なんかでもありそうです。 秋葉原で演説をぶった、どこかのおエライさんが なぜ視察にこなかったのでしょうか? 「派遣村のみなさ~ん!」とやってみる勇気はなかったのか? ひょっとしたら怖かったのかもしれません。 行ったら袋叩きにあうかもね。 毎日 食事がいただけることに感謝! 暖かい布団で寝られることに感謝! 明日があることに感謝!なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ1/4の新着は「美徳はどこへいったのか?」 前回は「激動の医薬品卸業界」 こちらも見てね
2009年01月10日
今日 11/3は文化の日。 でも ゴジラの日、サンドウィッチの日でもあるのです。●ゴジラの日 1954(昭和29)年、東宝の怪獣映画「ゴジラ」の第1作目が封切られた。●サンドウィッチの日 サンドウィッチ店チェーンの神戸サンド屋が制定。 サンドウィッチの生みの親とされるイギリスのサンドウィッチ伯爵の誕生日。 また「いい(11)サン(3)ド」の語呂合せ。昨日は東京地方で「木枯らし1号」が吹いた と気象庁が発表しました。 昨年より17日早かったそうで、どうやら今年は冬の到来が早そう。ここ木曽では今日は朝から曇り空で、気温が低めです。 ストーブをつけると暑いし、切ると寒い、ビミョーなお天気。(ログ内の室温 20度)さて、以前 「天下り」で、各官庁の天下りの実態をご紹介しましたが、その他に役得といわれる違法な小遣い稼ぎがあります。 問題になった居酒屋タクシーもその一部。しかし 依然として業者から利益供与を当然のように受けている実態は続いています。 最近の摘発もあり、接待や付け届けもこの頃は巧妙になってきているようです。ということで、本日のお題は 「役得」尚、昨日のお題は 「夜空をあおいで」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ「あからさまな接待は少なくなりましたが、幹部は政治家とセットで接待の席に招かれています。 5万~10万円くらいの車代は出ているはず。 こんなご時世でも景気の良い会社は存在しているようです」と、某官庁の出入り業者はいう。「政治家や利害関係のない官僚と同席させる間接的な接待です。 政治家に呼ばれたと言い訳すれば問題にならないという、官僚への思いやりです。 官僚に渡すのは、最低でも10万円。頼みごとがある場合だと50万円は出しているようです。 絶対にバレないようにするため、会社の金ではなく、経営者がポケットマネーから出しているので痕が残りません」とのこと。官僚は昨今、どのような接待を受けているのだろうか?その1「政治家が絡むパーティーの後に行きつけのクラブや料亭に流れると、業者が待っています。 接待されるのはたいてい課長以上。官僚は高級ワインが大好きで、ドンペリやラトゥール、オーパスワンなど1本30万円くらいするボトルを平気で注文する。 昔はひとケタ違っていましたが、今でも贅沢ぶりは変わっていません」その2「官僚の方から『話がある』と誘ってくる場合、1人5000~8000円くらいのコースの店に行き、食事代は官僚が出してくれます。 しかし、その後もう1軒となると、こちらが払うことになります。 2次会では官僚が後輩を呼び出したりするから、人数が増えます。安くても40~50万円くらいになります。 帰りに車代として、1次会の食事代以上が浮く程度は包むから、官僚としてはちょっとした小遣い稼ぎ と考えているのでしょうね」同様 某官庁出入り業者今も接待は脈々と続いているのです。「昔の官僚は翌日にちゃんとお礼をしてきた。 今はそれすらない。 最近は接待を受けて当たり前と考えている生意気な官僚が増えましたね」とも言う。最近の収賄事件によって、官・業ともに接待に対し慎重になっている。 ただし、それは接待を受けないよう気をつけているのではなく、"慎重にやろう"としているだけなのです。特に、先般の事件でもやり玉にあがった「ゴルフ」はかなり注意深く行なわれているようです。「事件後、官僚とゴルフをすると同業者の"チクリ"が行なわれるので、できればゴルフ接待は避けたいのに、官僚からよく誘ってくる。 こちらからドライバーくらいはプレゼントすることもあるが、事件後は『高いからいいよ』と一度は断わるようになった。最終的には受け取るけどね。 土産はゴルフ場に置いてあるその土地の名産品と、車代として現金を3万~5万円ほど。 官僚は『ワリ勘だった』と言うためにボール代や飲料代くらいは出す」と、某建設業者はあかす。「付け届け」という名の贈り物も見逃せない"余禄"。 世間の厳しい目を気にしてか、自主規制をして受け取らない官僚も多くなったというが、贈る側の業者もそこは工夫している。某省の現職の審議官が「生ものを贈られると困るんだよなぁ」とこぼすように、業者は意図的に"足が早い"食べ物を贈る慣習があるという。「マツタケ、ふぐ刺し、牡蠣などの生ものは返送する間に腐ったり味が落ちたりしてしまうし、大きさや重さがある林檎や梨などの果物は返送料が高くつく。返されても困るから、『ご迷惑なら捨てて下さい』と言えるわけ。 これらは無理矢理受け取らせることができる典型的な品物です」同様 某建設業者「奥さんを落とすには健康食品がうってつけです。 コエンザイムQ10やロイヤルゼリー、ウコンなどは美容を気にする女性に喜ばれます」と、豪語する。「接待」、「付け届け」、そこに官庁独特の「各種手当て」もつく。(これはまた次回に)「役得」 こんなおいしい役をなかなか切り捨てられるものではない。 法律で禁止しても、業者との癒着は業者側が裏をかいてくる。 むろん「見返り」を期待して、である。せめて 世相のために(というより、最近は内部告発も多いので)、つまらん「各種手当て」はなくしたいが、これまた内部の反発にあい、なかなか実施できない。 既得権は強いのだ!経済感覚といえば、「カップめんは400円くらい」と、総理さまがお答えになったとか。 ま こういう方はカップめんの値段を知らなくても生活に困りませんから・・・官庁に限らず、条件のよいところに勤めている方は、今の条件が「当たり前」と思っています。 この前も書いたように、例えば有給休暇。 年20日なんて、法律のどこにも書いてません。書いてあるのは、年10日以上は与えるように(労働基準法第39条)、とあり、その後 勤務年数に応じ1日ずつ増える、というだけ。 最初から20日を与えなさい とは書いてません。当たり前じゃないんですね。 その他の労働条件など多々ありますが、言い出すとキリがないので割愛。もっとも すべての官僚がこうではありません。 最近 内部告発が多いように、「襟を正したい」という人もいます。 が、露見されると潰されてしまう。 この体質がある限り、変われないでしょう。ちなみに、本省の課長を務める国家公務員(45歳/妻と子2人)の場合、月収は72万5000円、年収は1219万5000円で、国家公務員(行政職I種)の平均年収は、644万3000円。(人事院公表)そして、公務員(地方含む)の年収(残業、各種手当て込み)は、1人当たり910万8888円と試算される。(内閣府「国民経済計算」の数字より逆算)また、高給取りといわれる職種で、パイロット(39.3歳)が1381.7万円、大学教授(55.8歳)1189.1万円、記者(36.3歳)962.2万円、医師814.9万円(35.4歳)、高校教諭(35.4歳)が849.6万円。 片や、一般サラリーマンの年収(45歳)438.7万円。(06年 国税局調査)ただし あくまで平均値で、巾はあります。 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ やっと更新しました。●別ブログ10/26の新着は「医療費、介護費用」 前回は「北野・異人館街」 こちらも見てね
2008年11月03日
昨日は接待(するほう)で遅くなりました。 で、帰宅が0時前。 何年ぶりですかね、接待する なんて・・・あまり好きではないのですが、自営業とはいえ、専属での入り込みですから、半ば宮仕え的なところもあります。 だから、社命とあらばやむを得ません。(むろん会社経費です) それに ある程度は必要悪ですから・・・でも 仕事が立て込んでるため、本日も出勤です。てなことで、業務多忙のため、お返事、ご訪問コメが遅れております。 ご容赦!さて、昨日、一昨日と、暗い話題をお届けしましたが、確かに 読んでいて暗くなる、あまり楽しくない話です。 でも これが現実なのです。尚、昨日のブログは 「おいしくいただける期限」 ご覧になってない方はこちらもどうぞそりゃあ楽しい明るい話題のほうが、読むほうも、書くほうも楽しいです。 前向きで、楽しいことのほうが・・・ しかし 現実から目をそむけてはいけません。ここ数日のものを見ると、なんと暗いブログだ と思われた方も多いと思います。 ま こんなことばかり書いてるわけではないですけどね。また 暗い話題で申し訳ありませんが、事実 格差社会の広がりで、生活保護世帯が過去最多になっており、初の110万世帯を突破しました。記事はこちら→「<生活保護世帯>過去最多、初の110万世帯突破」ただし、時間の経過とともに記事が変ることがあります。ところで、最下段に動物レスキューのバナーを貼ってますが、これも悲しい現実なのです。 あなたが通り道、「捨て猫がにゃあにゃあ鳴いているのを見つけた」 さて、どうしますか?家で飼える状態ならば、拾って帰って飼うでしょう。 が、飼えない状態ならどうしますか?飼えないから、見て見ぬふりをしますか? それとも、自分は飼えなくても、飼える人を探してあげようと努力しますか?そこなんです。 痛みのわかる人は後者を選びます。 そうでない人は前者を選びます。 むろん 前者を選んだから といって、責められるものではありません。 各自 いろいろ事情はあるのですから・・・もし 責められる としては、飼える状態なのに見て見ぬふりをする人です。(ただ 性格上、動物が苦手とか、健康上 ダメというのは除きます) 冷たいですね。 でも 現実にはこういう人が多いのです。これと同じで、人の場合も同じです。 日本の政治がいつまで経っても良くならないのは、政治屋(あえて「屋」とします)が庶民の痛みをわかってないからです。 それと同じで、ブルジョワにはプロレタリアの気持ちはわかりません。また 悠々生活できている人にもわかりにくいと思います。 「人の痛み」でも書きましたが、人の痛みのわからない人に本当の「思いやり」はできません。 が、わかろうと努力すればある程度はわかりますが、そうすると、自分の生活の何か(お金でもあり、時間でもありますが・・・)を削除しなければならない。ま 普通はイヤですよね。 誰でも自分のためには時間もお金も惜しみなく使いますが、他人のためにはなかなか使いにくいものです。 しかも あかの他人とあれば・・・ ここで人間性が出てきます。いくらきれいごとをあれこれ言っていても、自分のためにしか使わない人間。 これを世間では、自己本位、自己中といわれます。 ただ これも責められることではありません。自分が稼いだものは何に使おうが自由ですし、自分の時間も同じです。 そういう義務なんてものは一切ありません。 また そういう責任もありません。 それは政府の役目 と切り捨てれば良いのですから・・・「明るく楽しく前向き」はいいのですが、「自分だけ」というのはやはりいただけません。 少しはそういう人にも分けてあげるべきではありませんか? そうでないと、現実に目をそむけることになります。もっとも、自分の人生は「明るく楽しく前向き」であるべきです。 そうでないと、今の世の中 バカバカしくってやってられません。 私もそういう気持ちがなければ、とっくにこの世の人ではなくなってます。ただ 現実の底(もっと底はありますが・・・)を知ったため、「見て見ぬふり」ができないだけです。 ま これを偽善者と呼ぶ人もいますが・・・「明るく楽しく前向き」にやってる人でもそればかりではないでしょう。 言わないだけで、つらいこともあるはずです。 が、もっともっとつらいめにあってる人もいるのです。大切な命を守るためにご覧頂けると幸いです。 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ9/10の新着は「北野・異人館街」 前回は「A. KY」 こちらも見てね
2008年09月26日
かくのみに、ありけるものを、萩の花、 咲きてありやと、問ひし君はも 作: 余明軍(よのみゃうぐん) 万葉集より 今日も休日出勤、無事(でもないが)終了! 忙しいことはいいことだ! ふんさて、よく使われる言葉に「琴線に触れる」というのがありますが、これ 本当の意味の使い方と違う意味によく使われています。本来は、琴の糸:心の奥深くにある物事に感動・共鳴しやすい感情を琴の糸にたとえていった語。 「心の・・に触れる言葉」「琴線に触れる」で成句となり、良いもの、素晴らしいものに感銘を受ける意で使う。 本来 不愉快になる意味ではない。不愉快になる意味では「気に障る」、「シャクに障る」などがある。とあります。 世間一般でよく使われるのは、後者の不愉快になる意味で、激怒する前の語句に使われていますよね。 ホントはそうじゃなく、感銘を受ける意味ですので、お間違いなく。あ ちなみに、間違った意味での「琴線に触れられた」ことは何度もありますよ。 どこかのお方からも・・・ ま そんなことで激怒はしませんけどね。 子供じゃないんだし・・・ということで、本日のお題 「琴線」尚、昨日のお題は 「デコメ」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ「琴線」という言葉は中国周代の伯牙(はくが)と鍾子期(しょうしき)の故事から生まれたものと思われています。「君が琴を聴く耳は私の心の中とそっくりだ」(『列子』「湯問第五」)岡倉天心『茶の本』「芸術鑑賞」の章に伯牙が弾ずる霊妙な琴の物語があり、その中で天心は「我が心琴の神秘の絃はめざめ、我々はこれに呼応して振動し、肉を躍らせ血を湧かす。 心は心と語る」(村岡博訳)と 言っています。解説:中国に伯牙という琴の名手がいました。 彼の親友、鍾子期は、伯牙の音色を聞いただけで、彼の心境まで理解してくれたそうです。 そこで、琴の糸のように、物事に感動し共鳴する心情の例えのことをいいます。 すなわち「心の琴線に触れる」という意味です。また 日本では、「当時火の如かりし自由の理想を詠出し、永く民心の琴線に触れしめたる者あらず」(『抒情詩』序 独歩吟:国木田独歩)が初めて使ったと思われます。 この明るさの中へ ひとつの素朴な琴をおけば 秋の美しさに耐えかねて 琴はしずかに鳴りだすだろう (八木重吉・詩)また 法話として、元より琴線というものがあるのではない。 しかし、秋の美しさに耐えかねて鳴りだす琴のように、真実の言葉に触れれば、自然に鳴りだす琴線を、人間はだれもが胸の奥にもっている。生きるということは、この琴線に触れる言葉との出合いではないだろうか。 生きるということの喜びや感動は、本来、もっと素朴なところにあるのである。とあります。さて、今日は間違った意味での「琴線に触れられた」ときをあえて取り上げます。「琴線に触れられた」とき、自制心のない人、また 自制心の薄いワガママちっくな人は激怒したりしますよね。まあ なかなか平常心でいられないものですが・・・そのとき、どうしても言い返さなければ気がすまない方、相手への効果的なひとこと 名言集。(なんてイヤミな・・・)【冷静さに凍る編】感情的な相手への、いいクスリとなるのが冷静かつ真実を告げる一言。 両者の温度差が激しければ、クールな一言は“劇薬”と化す。誰しも経験があるであろう、タクシーでの一コマ。「残業して疲れ果てて乗ったタクシー。 少しでも寝たいのに、運転手は自分の不幸な生い立ちを語りだした。 あまりにうっとうしかったので一言、『私、あなたの友達じゃないんで・・・』」事実、友達ではない。 客である。 その後、車内が水を打ったように静かになったのは言うまでもない。 このように、相手に二の句を告げさせないのが、こうした冷徹な言葉の特徴。「接待で使った寿司屋。 銀座並みの値段で回転寿司以下のマズさ。 料理をほとんど残したら、女将が『お土産にしてお持ちになりますか?』と聞くので、『マズいからいらない!』と・・・「自宅に『恵まれない国の人々のため、ハンカチのご購入をお願いします』という2組の女性が訪問。 『他人にハンカチを売るより、あなたたちがバイトでもしたほうが、よほど稼げるのでは?』と 問いかけたら、その2人の女性は何も言わずに帰って行った」【嫌味&あてこすり編】婉曲的に不快感を表明。 ウィットに富んだ一言が出て、相手がハッとする瞬間は爽快だが、愚鈍な相手だと、まるで伝わらない可能性もある。「スピード違反で捕まり、職業を聞かれて『漁師』と答えたのだが、年配の警察官のほうが漁の字がわからない。 隣にいた若手に向かって、『コネだけで入った上司の部下はツライでしょ』とチクリ」 婉曲的であっても、人を傷つける威力は弱まることはない。今の派遣先は、社員がみな派遣に不親切。 ある男性社員が「いつもヒルズとかで食事してるんだってね。 今度僕も連れてってよ」と話しかけてきた。“派遣のくせに”的な含みにカチンときて、「どうせおごるんだったら、若くてイケメンで、身の程を知ってる男性がいいので・・・」と笑いながら言ってやった。【褒め殺し&へりくだり編】これはまた今度・・・ 続く・・・どちらかというと、好きな方法ではありません。 やむを得ず使うこともありますが・・・ やるときは非情と言われようが、「徹底的に」が 原則。 ヘンに復讐心を起こされないように。 ま バカバカしいから、最近それもしませんがね。 不景気で 家族防衛 最低限 ゆとりできても 最低限のみ (字余り) 尚、関連事項として「争い その1」もご参照のほど・・・業務多忙のため、お返事、ご訪問コメが遅れております。 ご容赦少々お疲れモードなので、本日は早くやすみます。 シリーズ化してしまった懐メロ 「走れコータロー/ソルティーシュガー」、「大きな古時計/平井堅」、「川の流れのように/美空ひばり」なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ9/10の新着は「北野・異人館街」 前回は「A. KY」 こちらも見てね
2008年09月23日
さて、東海・関東地域のあちこちで豪雨などの被害が起こってます。 近年 とくに自然災害が多くなっているようです。 被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。 また 該当地域の方、これからも充分に気をつけてください。ところで、もうすぐパラリンピックがはじまるが、オリンピック真最中のころ、中国でこういう被害があった。 -----------------------------------------------------------------2008年8月23日、台風12号「ヌーリ」の影響で、広東省では91万人が被災したと発表された。広東省洪水・干ばつ対策総指揮部の統計による。新華社の報道。同指揮部は23日までに、広東省恵州市、東莞市、中山市など6市14県137鎮の91万9860人が被災し、直接経済損失額は3億8400万元(約57億6600万円)に上ると発表した。なお、同省全省で1246軒の家屋が倒壊、5万3255haの農耕地が被害を受けた。 また、小型ダム13か所、堤防145か所が損壊、31kmに渡る道路が損傷し、電線も35kmに渡って断線したほか、被災によって一時営業停止に追い込まれた企業は75社に達した。(2008年8月24日 Record China) -----------------------------------------------------------------オリンピックでみんなが浮かれてるときでも災害は待ってくれない。 前の四川大地震の復興もまだできていないというのに、追い討ちだ。 人間によって狂わされた地球環境のしっぺ返しかもしれない。本当にお気の毒というしかないが、この前の書いたように、お隣の国とはいえ、あまり馴染みのないところ。 それに 中国人と接点のない人も多いだろう。 だからといって、この人たちの「痛み」がわからないで済ましてはいけない。ということで、本日のお題は 「人の痛み」尚、昨日のお題は 「さじ加減」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ人の痛みがわからない人間に人を「思いやる」ことはできない。 パラリンピックのことを何度か書いたが、健常者が彼らの痛みはわからない。(もちろん私もだが) が、彼らの日常を見聞きして、ある程度の理解することはできる。数年前、はからずも私自身 足の骨折で、車椅子、松葉杖のお世話になり、外出の際に非常に不便な思いをしたことがある。 普段は何の気なしに通っているが、世の中 身障者向けにはなってないのだ。私の親族に身障者が2人いる。 どちらも下肢障害である。 1人はあまり目立たないが、もう1人(私のいとこの子供)はかなり目立つ。 自力で歩けるが、つらくて見ていられないほどの歩き方だ。 どちらも先天性で治る見込みはない。本人もそうだが、親の苦悩は計り知れないものだろう。 しかし、普段はそういうことをおくびにも出さない。 つい手を貸しそうになるが、親の希望もあり、我々もできる限り余計な手出しはしていない。障害があるからと、つい溺愛するものであるが、後者のほうは横から見ていても過剰なことはない。 親(いとこ)が立派なのかどうかはわからないが、かなり自然だ。 残念ながら、前者のほうは溺愛によって、かなりワガママに育ってしまった。私自身、小さい頃は病弱で「医者通いしていなければこの世に存在していない」と言われていた。 その上、一人っ子。 今から考えれば、けっこう溺愛されていたほうだと思う。 だからワガママに育ったわけではない。(ちょっとはあるが・・・)しかし あのまま何事もなければ、けっこうワガママであったであろう。 そして それは大人になっても引き継がれていたであろう。 幼少期、青春期の環境は将来にも影響がある。(残念ながら当人には当たり前すぎてわからない) もっとも、後述のように早くに先立たれたのだが・・・親族や自分の周囲の(知っている)人に「思いやり」を持つのは当然であろう。 しかし、真の「思いやり」というのは他人に対して持つものである。 親族や自分の周囲だけに持つのは世間では「身びいき」、ひいては「ワガママ」と言う。むろん それはある程度はしようがないのであるが・・・ 先般 中国・四川大地震で数万の子供が亡くなったが、やはり国内の宮城地震で亡くなった人のほうが気にかかる。 が、命はどちらも同じである。この差はいかんともしがたいが、口先だけの「思いやり」などは、への突っ張りにもならない。 いかにもわかったことのように言う人がいるが、苦労知らずで(ないとは言わないが)「ワガママ」いっぱいに育ち、「人の痛み」がわからないからではないか と思う。最近の事件が、よくそれを物語っている。 自分本位で気に入らなければ平気で人を傷つけ、最悪 殺害する。 地球は自分を中心に回っているのではない。 また 太陽も自分だけにあたっているのではない。 すべて(とは言いにくいが)公平なのである。見ず知らずの他人を「思いやる」ことができてこそ、本当の「思いやり」ではないだろうか。 仲間内ではなく・・・ まあ 難しいかな。もちろん周囲の人に「思いやり」のできない人間が他人に対してできるわけない という反論はあるだろう。 それは当然である。 ただ 周囲だけでは、ということなのだ。そして「思いやり」とひとことで言っても、各人いろいろの考え方がある。 10人10色であろう。 やさしくするだけが「思いやり」でもない。 時によっては厳しくすることも必要なのだ。 また 何かすることだけでもない。 何もしないことも「思いやり」になる場合もある。要は、してもらった当人が「ありがたい」と思うのが「思いやり」であって、他人が決め付けるものではない。 もっとも 何が「ありがたい」のか、判断するのは難しいが・・・また 人の出会いもいろいろあるが、それは偶然ではなく、必然だと思っている。 むろん 「あまり将来的にお付き合いしたくないな」という人もいる。 ある程度 第一印象でそれはわかるが、決め付けないようにはしている。何度か話したり、会ったりしてわかってくるが、だいたいこの時点でよくわかる。 はずれるときもあるが、今まで、ほぼ8割がたはこの時点の判断が当たっている。 しかし「来るもの拒まず」の姿勢は持っている。 まあ よほど自分に害を与えそうな人物は例外だが・・・自分から選択して切り捨てる、とか引き寄せる、とかそんな暴挙はしない。 が、その方法は知っている。 一応 過去に社員10数人を使っていた会社経営をしていたから、一時的に人の心を掴む方法は必要だからだ。しかし それはあくまで一時的で、永久には続かない。 いずれはボロが出る。 けっこう真実を見ている人もいるのだ。 ただ 本人には言わないだけで・・・自分にすべての選択権があるのではない。 神様じゃないのだから。 しかし 誰しも選択権はある。 選ぶのも自由だが、選ばれる自由もある。 だから、選ばれてもそれに従う義務はない。もっとも 自分本位の人は気に入った人間だけを寄せ集め、気に入らない人間は切り捨てる というようなことを平気でよくするらしいが・・・ 世間の創業者による「ワンマン会社」というのが、その典型であろう。(他にも例はいっぱいあるが)何度か書いたが、私自身 両親を早くに亡くした。 だから 人が親切にしてくれることに対しては、すごくありがたく思っている。 もちろん 意見などもそうである。 時には迷惑っぽいときもあるが、迷惑ということは絶対思わないようにしている。世の中 肉親以外に本気で思ってくれる人間はいない。 たいていはいいことばかりを言って誉めてくれる。 そりゃそうだ。 誰でも嫌われるようなことは言いたくない。 そのことを思えばイヤなことを言ってくれる人は、自分にとって大事な人である。「小さな親切、おおきなお世話」と言う人もいるが、こういう考えがわからない。 自分は何様と思ってるのだろうか? たとえおおきなお世話であっても、こういうひねくれた考え自体が自身のひねくれ根性を示すようで、みっともない と思うのだが。 それとも単なるワガママか?もちろんいろんな考え方、意見はあるだろう。 それこそ10人10色である。 世の中に悪害がないかぎり、それを否定はしない。 また この考えがBestとも言わない。 ひとつの考え方だけに固執するような器の小さい人間ではないつもりだ。 出会いがあれば別れもある。 これはたとえ肉親でも同じだ。 急な別れはかなり心の打撃になる。 だが これを乗り越えなければ将来はない。 私自身 何度も経験したし、これからも経験するかもしれない。また いろいろな事情で「人間を辞めたい」と思ったことすらあった。 そして 信州の山中をウロウロしてたこともあった。 が、今 生きている。ただ 後先逆はできればカンベンしてもらいたいが、神は非情である。 そういうケースもよくある。 つい最近もそういうことを聞いてしまった。 実はそのとき、ブログを書きながら涙が溢れてしようがなかった。 恥ずかしい話だが・・・ しかし これだけは あるがままを受け入れるしかない。寝言は寝てから言おう。 起きてるときにくだらん寝言はみっともない。なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ8/17の新着は「壱億円札」 前回は「値引き値札」 こちらも見てね
2008年08月29日
「最高齢の人間と永遠とを比較してみるとよい、我々は鼠のように短命だとわかるだろう。だから、短命だの長命だの、つまらないことにとらわれないようにしよう。そして、立派に生きることの意味を、魂の力強さと偉大さとに置くことにしよう。我々はソクラテスの魂を持つように願おう。彼は最後の弁明でこう述べたのだった、『しかし、もう去らねばなりません、私は死ぬために、みなさんは生きるために。どちらが善いのかは不死なる神々がご存じです。人間の身では誰もそれをわからない、私はそう思います。』」またまた いきなりごめんなさい。これ 有名なハムレットの劇中のセリフの一部です。北京オリンピックも閉会式(今 やってます)ですね。 参加することに意義のあるオリンピック。しかし 政治や経済がうごめいていることが多いのですが、閉会式(過去のでも)などを見ると、そんなことは吹っ飛んでしまいます。 これこそがオリンピック と思えます。これを見ると、成績ばかりを気にして、あれやこれやと考えるているのがバカらしく見えますね。 まあ もっとも参加するなら、やはり成績が気になるのはわかりますが・・・冒頭にもあるように、人間の命なんて宇宙から比べればちっぽけなものです。 そのちっぽけなものが、些細なことでいがみあい、果ては戦争にまで発展します。 なんとバカな生き物でしょうか。 大人気ないそして、人間(自分)が一番 とばかりに好き勝手して、地球をどんどん破壊してきました。 自然は、世界は、地球は人間(自分)だけのものじゃない。 動物、植物、みんなのものなのです。人間の自己本位によって他の動物、植物が迷惑をこうむっているのがわからない人間。 どうしようもない生き物です。 他者(人間を含む動物、植物)が自分の気に入らなければ排除しようとする。 こういう自己本位な動物(人間)がいる限り、世の中、地球は救われないでしょうね。"To be or not to be, that is the question"これもハムレット 劇中の有名なセリフ一般的には「生きるべきか死ぬべきか」と訳されますが、「復讐をするべきかするべきでないか」とも訳せます。 このへんが人間の業なのですね。その昔 坪内逍遙が「世にある、世にあらぬ、それが疑問じゃ」と訳しています。世界平和を願うオリンピック成績よりも、精一杯 力を尽くした選手たちをたたえたいと思います。 成績ばかりをグジグジ言ってるヤツはスポーツに参加するべきではない と思いますね。尚、昨日のブログは 「発売日」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ本日お昼に18万オーバーしました。 179999 ニアピンで「まめたんさん」がお踏みになりました。おめでとー 粗品ご送付いたします。 あ 忘れてました。 Akiyoさんからのキリプレ。 右側の手袋が本チャン。 木曽から帰ってきたときに不在票が入ってました。 手袋が本チャンキリプレって?そう かなり前だったのです。(こっちは忘れてました) 遅くなったので、オマケがパジャマ。オマケ 大歓迎です。 シリーズ化してしまった懐メロ 本日はラテン編「イパネマの娘/アストラッド・ジルベルト」、「ボサノバ Batucada バトゥカーダ/小泉ニロ」なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ8/17の新着は「壱億円札」 前回は「値引き値札」 こちらも見てね
2008年08月24日
如是我聞 一時仏在 舎衛国 祇樹給孤独園 与大比丘衆 千二百五十人倶 皆是大阿羅漢 衆所知識 長老舎利弗 摩訶目ケン連 摩訶迦葉 摩訶迦旃延 摩訶倶チ羅 離婆多 周利槃陀伽 難陀 阿難陀 羅ゴ羅 キョウ梵波提 賓頭盧頗羅堕 迦留陀夷 摩訶劫賓那 薄拘羅 阿ヌ楼駄 如是等 諸大弟子 ビョウ諸菩薩 摩訶薩 文殊師利法王子 阿逸多菩薩 乾陀訶提菩薩 常精進菩薩 与如是等 諸大菩薩 及釈提桓因等 無量諸天 大衆倶 爾時仏告 長老舎利弗 従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽 其土有仏 号阿弥陀 今現在説法 舎利弗 彼土何故 名為極楽 其国衆生 無有衆苦 但受諸楽 故名極楽 又舎利弗 極楽国土 七重欄循 七重羅網 七重行樹 皆是四宝 周ソウ囲繞 是故彼国 名曰極楽又舍利弗 極楽国土 有七宝池 八功徳水 充満其中 地底純以 金沙布地 四辺道 金銀瑠璃 玻璃合成 上有楼閣 亦以金銀瑠璃 玻璃シャコ 赤珠瑪瑙 而厳飾之 池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色百光 微妙香潔舎利弗 極楽国土 成就如是 功徳荘厳 又舎利弗 彼仏国土 常作天楽 黄金為地 昼夜六時 而雨曼陀羅華 其国衆生 常以清旦 各以衣コク 盛衆ミョウ華 供養他方 十万億仏 即以食時 還到本国 飯食経行 舎利弗 極楽国土 成就如是 功徳荘厳 復次舎利弗 彼国常有 種種奇ミョウ 雑色之鳥 白鵠孔雀 鸚鵡舎利 迦陵頻伽 共命之鳥 是諸衆鳥 昼夜六時 出和雅音 其音演暢 五根五力 七菩提分 八聖道分 如是等法 其土衆生 聞是音己 皆悉念仏 念法念僧 舎利弗 汝勿謂此鳥 実是罪報所生 所以者何 彼仏国土 無三悪趣 舎利弗 其仏国土 尚無三悪道之名 何況有実 是諸衆鳥 皆是阿弥陀仏 欲令法音宣流 変化所作 舎利弗 彼仏国土 微風吹動 諸宝行樹 及宝羅網 出微妙音 譬如百千種楽 同時倶作 聞是音者 皆自然生 念仏念法 念僧之心舎利弗 其仏国土 成就如是 功徳荘厳 舎利弗 於汝意云何 彼仏何故 号阿弥陀 舎利弗 彼仏光明無量 照十方国 無所障礙 是故号為阿弥陀 又舎利弗 彼仏寿命 及其人民 無量無辺 阿僧祗劫 故名阿弥陀 舎利弗 阿弥陀仏 成仏已来 於今十劫 又舎利弗 彼仏有無量無辺 声聞弟子 皆阿羅漢 非是算数 之所能知 諸菩薩衆 亦復如是 舎利弗 彼仏国土 成就如是 功徳荘厳 又舎利弗 極楽国土 衆生生者 皆是阿毘跋致 其中多有 一生補処 其数甚多 非是算数 所能知之 但可以無量無辺 阿僧祗劫説 舎利弗 衆生聞者 応当発願 願生彼国 所以者何 得与如是 諸上善人 倶会一処 舎利弗 不可以少善根 福徳因縁 得生彼国 舎利弗若有善男子 善女人 聞説阿弥陀仏 執持名号 若一日 若二日 若三日 若四日 若五日 若六日 若七日 一心不乱 其人臨命終時 阿弥陀仏 与諸聖衆 現在其前 是人終時 心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏 極楽国土 舎利弗 我見是利 故説此言 若有衆生 聞是説者 応当発願 生彼国土 舎利弗 如我今者 讃歎阿弥陀仏 不可思議功徳 東方亦有 阿シュクビ仏 須弥相仏 大須弥仏 須弥光仏 妙音仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 ヘン覆三千 大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称賛 不可思議功 一切諸仏 所護念経 舎利弗 南方世界 有日月燈仏 名聞光仏 大焔肩仏 須弥燈仏 無量精進仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 ヘン覆三千 大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称賛 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経 舎利弗 西方世界 有無量寿仏 無量相仏 無量幢仏 大光仏 大明仏 宝相仏 浄光仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 ヘン覆三千 大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称賛 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経 舎利弗 北方世界 有焔肩仏 最勝音仏 難沮仏 日生仏 網明仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 ヘン覆三千 大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称賛 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経 舎利弗 下方世界 有師子仏 名聞仏 名光仏 達摩仏 法幢仏 持法仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 ヘン覆三千 大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称賛 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経舎利弗 上方世界 有梵音仏 宿王仏 香上仏 香光仏。 大焔肩仏 雑色宝華厳身仏 娑羅樹王仏 宝華徳仏 見一切義仏 如須弥山仏 如是等 恒河沙数諸仏 各於其国 出広長舌相 ヘン覆三千 大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称賛 不可思議功徳 一切諸仏 所護念経舎利弗 於汝意云何 何故名為 一切諸仏 所護念経 舎利弗 若有善男子 善女人 聞是諸仏所説名 及経名者 是諸善男子 善女人 皆為一切諸仏 共所護念 皆得不退転 於阿耨多羅 三藐三菩提 是故舎利弗 汝等皆当 信受我語 及諸仏所説 舎利弗 若有人 已発願 今発願 当発願 欲生阿弥陀仏国者 是諸人等 皆得不退転 於阿耨多羅 三藐三菩提 於彼国土 若已生 若今生 若当生 是故舎利弗 諸善男人 善女人 若有信者 応当発願 生彼国土 舎利弗 如我今者 称賛諸仏 不可思議功徳 彼諸仏等 亦称説我 不可思議功徳 而作是言 釈迦牟尼仏 能為甚難 希有之事 能於娑婆国土 五濁悪世 劫濁見濁 煩悩濁 衆生濁 命濁中 得阿耨多羅 三藐三菩提 為諸衆生 説是一切世間 難信之法 舎利弗 当知我於 五濁悪世 行此難事 得阿耨多羅 三藐三菩提 為一切世間 説之難信之法 是為甚難 仏説此経已 舎利弗 及諸比丘 一切世間 天人阿-修羅等 聞仏所-説 歓喜信受 作-礼而-去 仏説阿弥陀経 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国 南無阿弥陀仏 尚、本文はこちら→「きれい好き Part2」なぜか大学からアクセスの多い別ブログ●別ブログ8/17の新着は「壱億円札」 前回は「値引き値札」 こちらも見てね
2008年08月19日
岩手宮城内陸地震の被害者も次々増えてきています。 生き埋めになった方々の一刻もの早期発見を願いたいものです。 さて 以前「愛すヨーグルト」の中国 四川大地震に関して、ちょっと過激な文章を書きました。 普段はなるべく感情移入しないようにしているのですが、あまりのデリカシーの無さにあきれ果て、若干過激になりましたことは申し訳なく思います。実はこれには裏話があり、言わないつもりでしたが、アホなお人がおいでになるようなので、書くことにしました。 よって また若干過激になる可能性があるので、ご容赦。詳しくは後日に書きますが、あのときは知人の中国人とコンタクトをとっておりました。そこで、彼いわく、「日本人ってお気楽、平和だね。 我々同胞が何万人も死んでるというのに・・・」と言われたのです。 もちろん反論はしましたよ。 私も一応 日本人ですから・・・ (詳しくは次回に)しかし 確かに言われればそのとおりで、国内じゃなく、あまり知り合いもいない中国奥地のことで、関係ないことかもしれませんが、何万人というのは未曾有の災害です。 しかも ほとんどが罪のない子供。 だから上記ブログで、「そりゃあ個人の日記ですから何を書こうが自由ですし、ケチをつけるほうがおかしいのかもしれません」と書きましたが、これについて昨日 詭弁をぬかしてるおっしゃってる方の挑戦を受けましたので、謹んでお受けいたします。しかし、その前にちょっとこの一般的な問題に触れておかなくてはなりません。 そうしないと話が進めにくいもので・・・ 本題の挑戦に対しての防衛戦はまた後日に・・・とてうことで、本日の本題は 「好き勝手」尚、昨日のお題は 「チューインガム」ご覧になってない方はこちらもどうぞさて、先日 専門用語の羅列は良くない と言いましたが、その舌の根も乾かないうちから、専門用語が飛び出してきます。ですから、おもしろくないという方はどうぞスルーしてください。 てか、わかってるなら書くなよ と言われそうですが・・・ すんましぇ~ん! さて 最近 利己主義な考えに基づく人間の事件が多くなってます。 自己本位、利己主義。 本来は西欧の個人主義を取り入れたことからきています。まず、個人主義とは、国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場のことをいいます。個人主義は、個々の人間の人格の独自性と自律性を重んじる立場であり、その時々に形成された場の雰囲気に流されることのない、一個人としての一貫性のある深く統合された思想と責任ある行動を高く評価します。また 個人主義は、他者の拒絶や排除によって成り立つ利己主義とは異なり、自己のみならず他者の人格、意見をも尊重することをもって初めて達成しうるものです。従って、他人の人格や意見を拒絶、排除をするようでは完全な個人主義とはいえません。 これでは単なるエゴイズムです。他人に対するように自分を尊重し、自分に対するように他人を尊重しなければこういった考え方は充分に機能せず、エゴイズムの暴走を招くことになります。そのため高度な知性と自己統制を必要とする生き方であると言えます。また 個人主義と自己本位=利己主義は紙一重の関係であるとも言えます。(正確には、自己本位=利己主義ではありませんが、一応 同義語としてください)両者は当然ながらその意味が違います。 しかし、現代社会の人々を見ていると、その意味の違いを理解していないように思えます。個人主義は、個人個人の人間の主体性を重んじて、各々の個人が自由に生きることの権利が保障されている代わりに、個々の人間が集まって成立する社会に対して、個人としての自覚と責任を負うものだと思います。一方、自己本位=利己主義は、自分が得することだけを行為の基準として、他人のことや個々の人間で成り立つ社会の利益を考慮することなしに、自己本位な生き方を推し進める考え方でしょう。 いわゆる自分勝手です。よく 「カラスの勝手でしょ」 と言われることですが、確かに他人に多大な迷惑をかけない限り、民主主義世界では何をしようが勝手です。これらの言葉に対するおおまかな定義からも、その違いが明らかだろうと思われます。この定義に当てはめて、現代の日本人が個人主義というよりも非常に自己本位的であることが理解できるのではないでしょうか。現代の日本人は個人主義と自己本位=利己主義をはき違えてしまっているように思えます。第二次戦前の国家主義、全体主義的な日本では、個人の主体性を重んじる個人主義は絶対許されなかったでしょう。敗戦によって、国家主義は崩壊し、そして西欧諸国の理念である民主主義が導入されました。精神的にも物質的にも全く無の状態に置かれた日本人は、戦後の混乱期をただ食べるためにがむしゃらに働き、その結果として日本は物質的には非常に豊かになりました。反面、精神的には非常に貧しくなりました。 現代の社会構造がそれをよく表わしていると思います。 人々は物に執着し、そのために拝金主義も多くいます。もっとも 現代の世の中はたいていはお金で解決できます。 夢が無い と言われそうですが、90数%はそうでしょう。 ただし、お金では買えないものもあるのは事実です。よく 愛があれば・・・などと言われますが、愛だけがあっても、お金が無ければ、崩壊することも多いのが現実。 周りにもそういう光景をよく目にします。さて、話が少しそれましたが、日本は敗戦後、大幅な方向転換を余儀なくされました。 しかし 日本人の勤勉という国民性によって、戦後の日本人は皆無状態にまで荒廃してしまった日本を奇跡的とも言えるほどめざましく復興させました。その一方で、戦後の日本人は西欧民主主義の基本である個人主義を受け入れて学びました。 表面上は・・・しかし それを基礎にして日本人の精神的な価値観を再構築することをなおざりにしてしまったのではないでしょうか。戦後の混乱期における日本人にとって、西欧の個人主義を学び、それを基礎にして日本人の精神的な基盤となる新しい価値観を再構築している時間などなく、ただひたすら自分たちの生活における物質的なものだけを求めていたように思えます。西欧の個人主義は、西欧諸国の長い歴史を通して培われ、そして西欧社会の中で確固とした基盤を持つものに発達したと思われます。敗戦によって、それまで日本民族が持っていた価値観が一挙に崩壊し、自分たちが培ったものではない他民族の価値観を導入しても、借り物の価値観は異民族である日本人の精神や社会風土の中に、一朝一夕に根付くものではないでしょう。戦前の国家主義、全体主義が消滅し、戦後の西欧民主主義によって個人の自由が享受できるようになったとき、多くの日本人は、その自由を他人のことは構わずに、自己益のみを追求してよい とする利己主義と錯誤してしまったのでしょう。戦前の日本では、個人の自由など考えられないような中、主体性を持つ自由な個人のあり方 という個人主義の観念など存在していなかったでしょうし、個人に対して自由が保障されること自体が、当時の日本人にとっては極めて奇異なことであったと思われます。個人主義という概念を受け入れる基盤がなかった当時の日本人にとっては、自由だけに幻惑されて、自由を享受するためには社会的責任が伴うという、西欧の人々においては当たり前の観念を理解するまでには至らなかったのであろうと思われます。その結果、家庭においても、学校という教育現場においても、西欧的個人主義を確立した民主主義が根を下ろしているわけではなく、自己本位=利己主義を個人主義とはき違えている人々が親となり、教師となって、子供たちを指導しました。そういう指導者たちが教えているのですから、利己的な子供たちが多く出てくるのは当然といえます。 その子供たちが誤った思想のまま大きくなって、今また、親・指導者となっています。もちろん 親・指導者すべてとはいいませんが、大半の者はそうであったろうと思われます。 ゆえにモンスターペアレントなどが生まれ、教職者の不祥事が多くなり、また 取り締まる立場の警察官の犯罪が多くなっています。私の身内にも教職者、警察官、官庁勤務が数人いますが、残念ながら明確な個人主義をよく理解しているとは思えません。 他の人にも、明らかに自己本位=利己主義を個人主義とはき違えている人も目立ちます。教職者ですらこの状態ですから、一般人はもっとひどいでしょう。 もちろん 教職者であれば文献などで意味は充分承知していると思います。しかし 意味は知っているのと、実践できているのは違います。 最近の事件がそれを物語っています。良識ある人間の目から見れば、現代の日本は目を覆いたくなるほどに、精神的に荒廃している現代社会のありさまは、物質的なものを追い、精神的な価値観をおろそかにしてきた結果といえます。個人主義はともすれば、自由の意味をはき違えて利己主義になりがちですから、個人主義の根幹を成す自由というものの概念を各個人がしっかりと把捉しなければならないと思います。社会において個人の自由が保障されるということは、それに伴って個人の責任が付帯されることを意味しています。 決して自分の思うまま好き勝手にしてよい という自由の意味ではありません。自分が自由気ままに行動することで、他人の自由を侵害(これには意見の自由も含みます)するようなことがあれば、それは利己主義であって、断じて個人主義ではありません。もっとわかりやすく言えば、自己を重んじるとともに他人をも重んじなければ個人主義とは言えません。 自己・自意を重んじるあまり、他人・他意を拒絶・排除するようでは、それはエゴイズムにほかなりません。言い換えれば、他人への思いやりがあって初めて個人主義が成り立つともいえるでしょう。 他人への思いやりなくして個人主義は成り立たないと思います。 自己ポリシーの主張だけでは成り立ちません。個人主義という、西欧の立派な概念を日本人が理解し、それが日本人の精神の中にしっかりと根づくには、まだまだ時間が必要とされると思います。第一 先にも述べたように、前代の指導者たちが理解できてない人が多いのですから・・・ ただ これを理解し、実践できている人がいることも申し添えておきます。(非常に少ないですが・・・)本業多忙のため、まったく更新してませんが・・・●別ブログ6/1の新着は「足のむくみ」 前回は「長野・聖火リレー裏話」 こちらも見てね尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。
2008年06月16日
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