まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2021.09.30
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公園の漫才師黙 秋夕焼 独立の夜や ゴッホの星月夜 ラフレシアも秋夕焼も人を食うか 選局はルーティーン 今日は土瓶蒸し 109 夕日にうつされ0になり 初MCのエゴサ 車窓は秋夕焼 切れかけのグローブ眺めし 秋夕焼
プレバト俳句。お題は「秋の夕日」。

今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、
個人的な感想です。





千原ジュニア。
公園の漫才師黙 もだ 秋夕焼 
漫才師の黙 公園の秋夕焼
(添削後)

今回は、この句が一番いいと思いました。
本人も自信作だったはずです。

季語を活かすという点では添削もやむなしですが、
ちょっと惜しかったな。



東国原英夫。
ラフレシアも秋夕焼も人を食うか

すごいセオリー破り…。

6・6・6の破調と擬人化。
季語の立て方はかなり破壊的。

一読したとき、
わたし自身はボツかと思いましたが、実際は掲載決定でした。
セオリー破りなので、評価も割れるかなと思います。

一般に、
助詞の「も」は説明的になりがちです。
とはいえ、
言外に「もうひとつの何か」を匂わせるよりは、


問題なのは、この句の場合、
「秋夕焼」と「ラフレシア」の並置そのものが、
すこしも客観的ではなく、
まったくもって主観的、観念的だということです。

しかし、

それでもなお、季語に対して、
ある種の描写力をもってるような気にもさせる。
そこが高く評価される理由でしょう。

その一方、
「熱帯雨林の花のイメージが秋の季節感を凌駕し、破壊している」
という批判もあるだろうなと思う。



浅野ゆう子。
選局はルーティーン 今日は土瓶蒸し
選局はニュース 今宵は土瓶蒸し
(添削後)

原句の「選局はルーティン」という説明にくらべれば、
添削後の「選局はニュース」という映像のほうが描写的ですね。

ただ、結果的に、
作者の意図した「テレビ=日常 / 土瓶蒸し=非日常」という対比が、
添削では消えてしまっています。
テレビで嬉しいニュースが流れてるようにも見えるから。

ついでにいうと、わたし自身は、
「選局=ラジオ」「チャンネル=テレビ」という連想があるから、
一読してテレビのことだとは思えない。

ためしに、
テレビであることを明確にしつつ、
「日常と非日常の対比」という作者のコンセプトも残すかたちで、
いつものチャンネル 今宵は土瓶蒸し
と直してみました。



空気階段・水川かたまり。
109 夕日にうつされ0になり
秋夕日に熔けゆく渋谷109
(添削後)

先生の添削では、
「109が0になる」というダジャレを切り捨てて、
「映される」という動詞が描こうとした状況を明瞭にしてます。

個人的には、
「夕陽に映えてゼロになる」とすれば許容できたかな、
という気もする。

添削のほうも、
上五に季語を置いてから「夕陽に熔ける109」と収めれば、
字余りを回避して定型に出来たかと思います。



ABC-Z河合。
初MCのエゴサ 車窓は秋夕焼
初MC終えて 車窓は秋夕焼
(添削後a)
エゴサ―チやさし 車窓は秋夕焼 (添削後b)
エゴサーチ苦し 車窓は秋夕焼 (添削後c)

原句は、
「MCによるエゴサ」なのか、
「MCについてのエゴサ」なのかが分かりにくい。

その点、添削のほうはスッキリして明快です。



武尊。
切れかけのグローブ眺めし 秋夕焼
切れかけのグローブ眺む 秋夕焼
(添削後)

これって「ボクシング」だからこその詩情だと思うのです。

でも、作者を知らずに読んだら、
たいていは野球のグローブと勘違いするだろうし、
あるいは作業用の手袋と考える人もいるかもしれません。

減点するほどではないにしろ、
やっぱり「ボクシング」だと分かる単語があったほうがいいし、
ついでにいえば、
中七の「見る/眺める」という動詞の使用も安易で凡人くさい。

ためしに、

としてみました。



そして、

今週の1位にして、最大の問題作はこれッ!!

堀未央奈。
独立の夜や ゴッホの星月夜

一読して「カッコいい!!」と思わせる作品ですよね。

番組前半の水彩画査定では、
印象派みたいな画風で最下位を喰らってましたが、
絵だけでなく俳句まで印象派のようです(笑)。

本人によれば、
独立というのは「グループからの脱退」のことらしい。
(AKB用語でいうところの「卒業」ですね)

でも、先生が言うように、
この句のスケール感からいえば、
「国家の歴史」のような大きなテーマで味わうのにふさわしい。

実際、
「ゴッホはオランダ人じゃない!ベルギー人だっ!」 と主張してる人なら、
独立記念日にこういう句を詠むかもしれません。 (知らんけど)

すごく興味深いのは、
下五の《絵画のなかの「星月夜」》の映像を、
中七の《現実の「夜」》が引き取って、切れ字の「や」で強調してること。
だから、季語の鮮度が失われていません。

こういう手法ははじめて見ました。



しかしながら、
たしかにそういう解釈と評価もアリなのですが、

厳密にいうと、この句は、
兼題からだいぶ離れてるのも難点だし、
のみならず、
あくまでも「無季の句」だといわざるをえない面があります。

というのも、
すごく紛らわしい話ですが、
もともと日本語の「星月夜」というのは、
ゴッホの絵のように「星と月が両方出ている夜」のことではなく、
実際は「 星々が (月みたいに) 照らしてる夜 」のことだからです。

つまり、月夜のように明るい 「星の夜」 ってことです。

これに対して、ゴッホの絵は、
1889年の6月に描かれていますので、
「夏」における「星と月の夜」の絵であって、
「秋」の絵でもなければ「星月夜」の絵でもありません。

したがって、
堀未央奈の俳句において、
「ゴッホの星月夜」は秋の季語の役割を果たしておらず、
かりにその映像を「独立の夜」が引き取ったとしても、
やっぱり無季の句にしかなりえないのです。

ってことで、なかなかの問題作でした。

追記:
あらたに「ゴッホの星月夜」を夏の季語と見なすのなら、
堀未央奈の作品を夏の俳句と考えることもできます。
ちなみに、
ゴッホの絵では月が煌煌と光っているように見えますが、
満月ではなく三日月なので、意外に月の光は弱いのかもしれません。
実際、オランダ語の原題は「De sterrennacht」(星の照らす夜)ですし、
あながち「星月夜」という和訳も間違いではありません。






↓《ゴッホ:後期印象派》↓ 《の絵ではありません》






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最終更新日  2022.01.15 05:16:19


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