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「あ~あ、失敗してしまいました・・・」と、ほんとに気落ちをなさった様子で中年の女性がいらっしゃいました。「ひごろ、年寄りの介護をしていて、なかなか自由な時間が取れない生活をしています。遠くに住む息子夫婦の家庭とも疎遠にしています。たまたま家族の法事で妹が訪れたので、ほんの一晩でしたが留守を頼んで息子の家をたずねました。孫たちと会うのは2年ぶりのことでした。子どもが大きくなるのは早いものですね。」「孫は男の子が二人で、上は幼稚園の年長さん、下は今年入園したばかり。その男の子二人のにぎやかなことといったら・・・」「私を歓迎してくれる気持ちだと思うのですが、外でお食事をしました。その食事は私たち家族と、もう一組の家族が個室のようにしきられたところでいたしました。その時ねぇ・・・」「私は自分の家の中でどんなに暴れてもそれはいいと思うんですよ。でもね、人様にご迷惑をかけるようなところでの騒がしさに正直いって、身の縮むような思いをいたしました。」「お嫁さんのいない時間に私は息子に言いました。躾は大事な親の仕事ではないかと。その時息子が言いました。やっぱり、一緒には暮らせないな。」「ああ、言わなければよかった・・・と、私は思いました。又遠く離れて住むのだし、ほんの一日だけの逢瀬だったのだから、お互いにいやな思いをしなくてもよかったのに。」『子どもは王様』というコマーシャルがはやったのはいつごろだったでしょうか。少子時代になって、子どもは王様の地位を獲得しました。親は召使です。子どもは叱らない。子どもはほめて育てる。子どもも一つの人格として尊重する。確かに20歳になっても食堂で騒ぎまわる人はいないのだから、子どもは躾けなくてもいつか大人になっていくのでしょうが、でも・・・と、その女性は肩を落としてしまいました。その場に居合わせたのは、その方と同じ年齢の方ばかりではなく、その方の息子さんと同年代の方も、あるいはお嫁さんの立場の方もいらっしゃったので、今夜は会話がすすむと言うことはありませんでしたが、それでも、それぞれの立場で、もう一度何かを考えるきっかけにはなったように私は感じました。それはどこに根拠があるかと言われたら、そう、その方が最後におっしゃった次の言葉かもしれません。「批判したり、評論したりするだけではだめですよね。私は離れて住んでいて、目の離せない老人を抱えていて、息子たちの生活とあまりにも遠い。そんな私が突然訪れて子育てへの危惧など語っても、そんな言葉が息子の耳に届くわけはないんですよね。私は帰ってきてから孫たちが好きだったベッツというお菓子をいろいろ買って送りました。孫たちがそのお菓子を好きだということだって、今の今まで知らなかったんですもの。」その方が台所の隅っこで、お孫さんたちと頭を寄せ合って、ベッツというお菓子をケースに詰めて遊んだのがどんなにか楽しかったのだろうと、私は思いました。そして、その方がベッツを探して送るのは、お孫さんのためではなく、かってはご自分の心の中に住んでいた息子さんへの思いなのではないだろうかと、なぜか胸が熱くなる思いでした。
2002年05月26日
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いつもお茶を飲みに立ち寄るお店でプチトマトの小さな鉢植えを頂きました。添えられたメッセージカードには「今日はお店の誕生日です。どうぞこのプチトマトを大切に育ててやってください」と書いてありました。すてきなお店だなあと感動をして、家に戻り、さっそく説明書に書いてあるとおりに種まきをしました。栄養のありそうな腐葉土が入った袋と、小さな種が4粒入った袋がついていました。種を植えて一ヶ月以上も変化がなくて、どうもその腐葉土があまりにも水はけが良過ぎて、保水をしないのが悪いんじゃないだろうかとか、水遣りが乱暴で種が動いてしまったのかもしれないとか思いながら、日当たりを探してはその小さな鉢を移動させていました。種を撒いた時期が早すぎたのか、説明書に書いてあった時間よりずっと長い時間がかかって、ひょこんと芽をだしてきました。4粒入れたはずなのに、芽は二つ出てきました。毎日、目に見えて成長してきました。毎日、それを見ながら、一番最初に読んだ説明書がチラチラと頭の中に浮かんできました。「芽が1センチくらいになったら、1本だけを残して他の芽はつむこと」あっという間に1センチを越していきます。どうしよう・・・。間引きをしなくては・・・・。でも、いったいどっちの芽を残してどっちの芽をつんだらいいのだろう。4粒の中で生命の芽を芽吹かせた二つ。その中からまた片方を選べというのは酷だなあと思いました。そのうち二つの芽はまたまた伸びてきました。・・・そして、ついに私は二つのうちに一つを抜きました。いろいろと、なんだかいい人ぶって、迷ったふりして、優しい人を装って、でも私が抜き去ったのは2本の内の貧弱なほうでした。まさに、まさに、間引きをしました。より強く、より大きな果実を期待して、私は必死になって生まれてきて、必死になって生きてきた1本を抜きました。生き残った苗は、毎日ぐんぐんと成長し続けています。私は偽善者だと居直りながら、毎日お水をあげています。
2002年05月18日
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「ねえ、うさぎとかめの話しって、どんなにのろまでも放り出さずに努力すればうさぎにだって勝てるってはなしだよね。」「そうそう、それからもう一つ、どんなに足が速くても慢心したり怠けたりしたら、かめにも負けるぞっていうことなんでしょう。」「けどさあ、この話しって、今の世の中には通用しないよな。」若者たちのグループがわいわいと話し合っています。「ほんとにそうかもしれませんねえ、いくら努力したって、努力だけでどうなるという世の中ではないのだもの・・」と40歳代の男性。「うさぎに生まれた人の人生と、かめに生まれた人の人生は、もう生まれたときから決まっているみたいなもんかもしれませんねえ・・・」と60歳代の女性。「運命って絶対にあると思うなあ。かめがうさぎに勝つなんて千載一遇の奇跡みたいなもんですよ」と30歳代の男性。「あらあら、千載一遇なんて言葉、よく知っていること・・」と茶化したのは先ほどの女性。「へへへ、オレ、恥ずかしいんだけど世間では秀才の誉れ高き大学の出なもんで・・・」と、定職もなくアルバイターで日銭を稼いでいる男性の応酬。あちこちでにぎやかに繰り広げられる話を聞いていた、出版関係の仕事をしている男性は誰にともなくつぶやきました。「うーん、そうなんだなあ。昔話はまさしく昔の話なんだろうな。昔話は、この厳しい時代の人々の心に届かないんだろうな。昔話を書き換えることは出来ないけど、新説・うさぎとかめというような、なにか新しい解釈の出来る糸口が必要かも知れない・・・」そのとき、思いがけない人が思いがけない発言をしました。「あのぉ、私、小さいころからうさぎとかめのお話しが大好きでした。どれだけこのお話しに励まされてきたかわかりません。ねえ、かめはうさぎに勝つことが目的だったのかしら・・・・努力は勝つためのものだったのかしら・・・。結果としてかめはうさぎに勝ったのだけど、かめはきっと自分の生まれてきた道を、自分の足で一生懸命歩いただけのような気がするんだけど・・・・」お説教がましく年配の人がしたり顔に言ったのではなく、その女性が発言したことで会場はうろたえました。その女性は生まれながらに足と腰の骨に障害があって、何度も何度も自分の人生設計の修正を否応なくさせられてきたことをみんな知っていたからです。努力することは勝つためではなく、ただ自分のいのちを生きるためだという、その女性の明るい顔を見ながら、私たちはみんなふっとわれに返った部分がありました。そして、一つの前向きな言葉がその周りの空気を変えるように、投げやりで、悲観的で否定的な言葉は、もしかしたら同じようにその周りの空気を腐らせていくに違いないと、みんなは思いました。「・・そうか。出してみようかな。思いっきり古典的な、思いっきりこの時代に逆らった正統派の教訓集を。もしかしたらどこかに奇跡を生むかもしれない・・・」くだんの出版関係者は、心なしかうきうきとスキップをするような足取りで会場を出て行きました。
2002年05月04日
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