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2010年総括。勝手にコンテストやりまーす。9月に行ったKoh Tao in タイ。人生観変わるかも?色んな生き物たちに出会いました。<出会い> 魚だってgot you。目が合っちゃった。<Chuuur!>ここは海の中?陸上の蝶々は花にちゅぅってするね。マネしてポーズ。<クマノミ>模様が?なのよ。遠くから近づこうとしたってみてるのよ。<右カーブ>カーブ!!ハンドル右いっぱい。猛ズピードで通過しちゃえ<群れ1&2>みんなで泳げば怖くない~。でも僕たちみんな一匹一匹顔があるんだよ。<Blue Coral> 青いのは海?それとも珊瑚? いやはや両方でした。<海底景色>ヒカリ、植物、生き物、海の中だとこんなに色が少ないの。そして戻って伊豆。<Blue Cristmas!>ダイバーがいなかったら海中って分からないね。Wish all merry christmas and a Happy new year!!
2011.01.04
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ストレス満載の毎日にうんざり どっか現実の重りからfree に、無重力になりたいってなってあっと言う間に決まった沖縄宮古島行き。久々連休とって沖縄へひとっ飛び。到着した日は気温25度の世界。ジーンズにビーサンで呑みや帰りの夜道。あまりに幸せすぎちゃう。ところが、晴れ女万茶伝説はここでうちきり。ダイビング1日目は4mの波にボートがでず、ビーチを潜ることに。その名もイムギャーマリンガーデン。水が湧き出るところ という意味らしい。確かに水中ところどころ冷たい水の流れが肌にひたり。数年分くらいは見たかという程のニモちゃんたちを目撃。とここでめずらしいものを目撃。一見不思議な魚だなー。と思って写真を撮っておいた帰り道。なんと!イカに大変身!!!なんとなんと泳ぎの早いこと。こぶしめという名らしい。逃げられてしまいました。2日目はくもりながらも無事ボートに乗船。まずムイガー というポイントに! 潜った瞬間。青の世界!!やっぱりリゾートはボートから落ちる瞬間が最高。深く深く。どんどん青い方へ。というところへ!マンタ登場!!!!!! この時期の目撃率は48%というところを見事征しました! みて!みて!!この泳ぎ目的のモノを達成し、すでに余生心地気分で次は、牛さんありがとうという洞窟のポイントへ。サイパンのグロットもそうでしたが、出口のヒカリがとてもきれいです。久々のリゾート。開放感。快晴の最終日はサイクリングをして防波堤まで。宮古島の海の色を表現するならエメラルド。海の匂いに砂の匂いが混じった匂い。乾いた心を潤す4日間の南国滞在となりました。
2010.02.19
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街角景気なんてなんのその!日に日に仕事の負担は増えるばかり。そんな気分を一掃してくれるのは、、、、、、海!久々、宇佐美に行って参りました。久しぶりのwet はやっぱり気持ちいい!全身で海の生命を感じる瞬間はやっぱり感無量。今回初!目撃のエイさん。カメラ不調・・・いろいろいじりすぎてシャッタースピード8倍以上になってやんの。自分でなおせなくなって、あーあ、超不機嫌です。なので、ぶなんにおにうつぼ。2本目もぐっている時には、だんだん晴れてきて明るくなってきました。サンゴかね。伊豆にはお魚いっぱいです。久しぶりにブルーワールドに飛びたくなりました。もうすぐ50本になります!!!さーて、どこ行こうかなーあれ。花火大会あるってったから行ったのに。花火は見ないでかえってきたのでした。
2009.07.24
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初島に行くはずが!天候不良のため、急遽大瀬崎に行き先変更~ 今回は思いっきり Fundive!たくさんめずらしいお魚に会ってきました。ようやく帰ってきた マイドライに 寒さなんてなにのそのとは言えども、頭が寒かったわ・・・・ピカチュウうみうし普通は100mの深いとこに住んでる深海魚 まとうだいイカの卵あれ?! なぜか水中に Pooh さん!冬も海が最高!
2009.02.23
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今年のクリスマスは関西のいもうと ちぃと一緒に素敵な週末を過ごしましたUn fin de semana en la NavidadブルークリスマスNavidad Azul ホワイトではなく、青海中でツリーを見て、クリスマスを楽しむという イベントIluminacion en el Mar 会場は白浜 in 和歌山サンタに紛れたチームのリーダのイントラたちが、準備してくれたイルミネーション 我々は昼間のチーム対抗ゲームで奮闘 13チーム中3位の潜行順位をサンタさんにプレゼントケミカルライトの光に導かれて、ほんのりした明かりの方へ水中を進みますツリー感動、感動、寒さなんてなんのそのsee you again の文字に見送られて沖に上がったあとはパティーにチーム対抗合唱に、サンタさんたちのスピーチこの年になっても、気分は修学旅行。翌日は早朝から漁船に乗り込み 白浜の double earch というポイントへ!白浜の海は伊豆と沖縄の中間みたいな感じ今回はドライの故障により、水深15mでは身動き不能に陥り生物は全く確保できず!ボートは潜った瞬間 青の視界がどーんと広がる感じがいいのです。 この水路をさかのぼるのはとっても大変・・・ダブルアーチです。初ナイト&ブルクリ&白浜ボート関西のチームにもwelcomwしてもらってこころがいっぱいになって帰ってきました今年の潜り納めですドライの締め付けによってできた痣はしばらく全身に妙な後を残しておりますが、、、Feliz Navidad y prospero el ano nuevo !! みなさま、よいお年を!
2008.12.28
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update form Izu!今回はスパルタ講習のため、カメラはほとんどお預けでしたがカメラに残ってたものからchoice今回の講習というのは、中性浮力の集中講習 ボヤンシーのライセンスがとれます。6キロつけていた重りが、4キロで潜れるまでバランスとれました イエイ
2008.11.29
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むしろダイビングを初めてからの方が、行く頻度が確実にあがった伊豆。懐かしい静岡弁に、こころは静岡人を実感。伊豆の海フォトブック追加!静岡の海だって、とってもきれい。海の生き物の世界。黒潮の世界。ひたすら写真の技術を磨きます!
2008.09.23
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submarinismo潜水を初めてから、早1年。ちょうど一年目の先日、記念すべき30本目 in 伊豆(宇佐美)ようやく趣味と言えるレベルになってきた気がします。4月に申し込んだのに!ようやくカメラのスキルアップ講習に行って参りました。ベストショットお届けします。ソラスズメダイクローズアップで半押し長目。幻想的にとれました。ミノカサゴ脈動感がたまらない!でしょ?接近あるのみ。今日で夏休みは終わり。明日からアブノーマルな日常に戻ります。
2008.08.17
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今回は沖縄にてすでに顔見知りだった、SちゃんとSちょにお世話になりました。前の晩にはタポチョ山に夕日をみに一緒に行ったり♪Day 2 May今日はサイパン潜り納め。らうらうビーチに再挑戦です!オーシャンダイバー講習の一本夫妻と一緒です。昨年の沖縄が既に懐かしい。。。うちら沖縄から成長したね。さてさて一昨日に続きロープを伝っていくとアジタマの群れに出会い、一面のサンゴ畑に進むと・・・・・なんと今日も会ってしまいました。アオウミガメちゃん。そして通称ニモの一種、ハナビラクマノミに、日本では見れないダスキーアネモネfish。そしてまたしばらく進むと、、、、、、ついに出会ってしまいました。サメさんに!!その名も、ホワイトチップ(和名:ねむりぶか)、でも写真なし!というのは、イントラのSっちょが近寄らないので、危ないと思ってしまったわれわれ一行(涙)実際にあのサメ泳ぎを生でみてしまうと、背筋に悪寒が走ります。遠目に背びれの白いサメさんをみつつ、サイパンでのダイビングは終焉へ。ここで今回の教訓。3日連続のダイビングはキツい!サイパン通算6本目は、水中で息が上がるほど、非常に体育会系な潜りとなりました(笑)一昨日のグロットの階段、そしてテニアンのボート、ラウラウ、すさまじい筋肉痛はその後一週間ほど続いたのでした。初めてのリゾートにリゾート滞在。快晴の空に、青い海に、癒され、日本での生活を思う。「私はこのままでいいの・・・?」連休明けの職場。戻って早速pcのデスクトップを海の写真にしました。忙殺の日々に、少しでも癒しを。自分の求める場所を。
2008.05.11
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万茶のおじいちゃんは遠洋の漁師でした。戦争で南の島にも行った話をよく聞かせてくれました。あたしはおじいちゃんと同じ道を通っているのね。快晴の空のもと、サイパン島からテニアン島に向かうボートに揺られながら自分が今まさに、海と近い生活を選んでいる運命のようなものを感じていました。Day 1 May本日はボートにてテニアン島のポイントへ潜りに行きます。これまた有名な フレミングポイントと、テニアングロットです。本日はガイドのお兄さんと、ちぃとおいらのバディのほかに、70本のベテランさんと、これまた他のプライベートのイントラさんが一緒です。ボートに揺られること1時間弱。まずは大物を目指してフレミングポイントへ。ドボン。落ちて(バックロールエントリー:ボートから後ろ向きに落ちる方法)びっくり。見えたのは、真っ青の海だけ。思わずいきをのむ壮観な眺めに、本当に息をたくさん飲んだのか、体は浮上・・・潮の流れがある場所で体は流れるし、あまりの真っ青の空間に、(いや水間か?!)自分が今水深何メーターにいるのすらわからなくなってました。(実際はダイブコンピューターて腕時計みたいなのしてて教えてくれるから大丈夫)左眼下になだらかな傾斜のサンゴの島が見える。右はどこまでも、底なしの深い青の青い世界。透視は40mオーバーって。今中性浮力をなくしたらどこまでも落ちていくのかなぁ・・・・なんて危険を感じ、ぷかーぷかーと無重力を噛み締めるようにフィンキック。そんな不思議な空間をしばらく進みサンゴの陸地に上陸。「来て」ガイドさんからの合図。「ん?なんだろ??」「!!!!!!!!!!!カメ!!!!!!1」1cmまで接近してもピントがあうオイラのカメラの威力です。お食事中のアオウミガメちゃんはとってもいいこ。われわれなんてout of 眼中。いきなりの目標達成に満足満足。しかしサイパンは潜っていて飽きることなんてほとんどない。視界に必ず珍しい生き物達が入ってしまう。なんか変な泳ぎの魚だなーとかこいつ色のセンスわるーとか。そんなこんなで遊びに夢中になっていると「!」空気残圧はのこり60(最初は大体200)ダイビングは潜水より、浮上の方が時間がかかります(安全上の理由)ボートダイビングはいたれりつくせりです。あがる前にフィンを脱がせてもらい、器材も下ろさせてくれる。前日のグロットの階段に比べたらとってもラクチン。といっても40分以上のダイビングは結構キツい。上がった後はふらふらです。穏やかな浅瀬で休憩をとり、今度はテニアングロットへ!ここの魅力はなんといっても地形。洞窟の規模は前日のグロットには負けるけども、底なしの青色を眼下に、サンゴの岩場をぐるぐる、ぐるぐる。他にも潜っていたダイバーたちがいたので、洞窟からでてくる息の泡でできた「エアーカーテン」もばっちりみえました。注:これは人工物です。5mmのウエットを着ていったので大分温かいのですが、それでも水中に40分以上いれば体は冷えます。ちょっと汚い話ですが、水からあがるとすぐトイレにいきたくなります。もちろんnatureな場所ですので、器材をおろすとボートのそとへ。しかし、万茶は重大なことを忘れていました。「潮の流れがある場所ですので」とガイドさんにブリーフィングの時言われていたことを。見事に流され、気づいた時にはボートは遠く・・・・(汗)あわや遭難の事態に。。。浮き輪を投げてもらって無事救助されました。(ほっ)いくら海がすきといっても、さすがにもう放浪はいやです。サイパン島に向かって変わらぬ快晴の空のもとボートは進みます。タポチョ山がだんだん大きくなってきました。あまりにきれいな世界に浸ったままの我々を乗せて。saipan 3 へ続く
2008.05.04
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初じめての海外リゾート南の島へ。サイパン5日間。3日間連続のダイブ録をお伝えします!!今回潜ってきたのは、ラウラウビーチ、グロット、テニアン島。どれもサイパン屈指のダイビングスポット。day 30 APR ダイビングにはビーチと言って、砂浜から沖に向かって潜っていくスタイルとボートと言って、ボートで沖まででて、ドボンてそこから飛び込んで(落ちて)潜るスタイルとありますが、当初の予定では今回サイパン3大ビーチを制覇する予定でした。しかーーし。当日の海峡不良のため、オブジャンビーチは今回断念(涙)ダイビング一日目は、ラウラウビーチ、グロットと潜ることに。一本目はラウラウ。同行者妹役ちぃが「らうらうってる」と名付けるほどのうねうね道を4WDで下り到着したLAULAU。ビーチの緑から青くなったところから一気に深くなります。大体5Mくらい。あまりの興奮に、調子に乗ったものの、おろしたてのmyウェットは浮力が強く、フリー潜行は失敗。。。おとなしくロープを使ってちょっとづつちょっとづつ降りていくと・・・いきなりアジの群れに遭遇!!びっくりして耳抜き失敗!!!うぅ~ちょっと痛いがそんなのおかまいなし。沖縄よりも深い深い、コバルトブルーの海に広がるサンゴ。呼吸を止めてみると、本当に何も聞こえない。太陽の光と合い混じって流れる海の生物たち。あぁ、本当にこんな世界はあるのだと。そんなことを感じながら、記念すべき通算20本目は今まで一番ゆっくり、ゆっくり潜れた気がした、初サイパンダイブなのでした。さてさて、当日のガイドのタカギさんに「一年で一回あるかないかの騒がしい客」と言われたほどウルサイちぃと私のバディ。ラウラウの青い海に癒され若干静かになったものの、今度は一路サイパン島は北へ北へ。バンザイクリフなるものがある近く。ダイバーにあまりに有名な洞窟スポット、グロットに到着すると。「ぎゃー!むりぃ~~」とまたまた騒ぎだしました。GROTTO と書かれた看板から下に向かってのびる道、いや階段は総計111段。。。。装備。タンク10キロ+ウエイト5キロ+器材5キロ(はある)サラの5ミリスーツに、コンタクトなし鬼・・・・ふらふらやん!その階段の先は、今までに何人ものダイバーが命を落としたという、潮の吹き上げ地点をジャンプ。いよいよ飛び込み地点の岩にたどり着き、フィンを履いてジャイアントロールで一気に飛び込みエントリー!!潜るとまず幻想的な光のさす穴が3つ見えます。これは一番左の浅い穴。本日のルートは真ん中の穴から抜けて、右の穴の方へ遊びに行って、左の穴から帰ってくるルート。写真だと小さく見えますが、洞窟はとても大きい!上は水深5mくらいから、したは20mくらいか。外海からの光に導かれて、ふわふわ遊泳。なんとも変な感覚です。そして外海へ。どこまでも続いていく青い、青い海。底はどこへ・・・・・どこまで・・・・・・・・ここは巨大な水槽?!気づくと水深20mなんてあっという間。透視は容易に30m越え。うみの青さ、無重力の世界に癒されて。ずっとこの時が続けばいいのに・・・そこは、まさに帰還という言葉がふさわしいほどの別世界。また洞窟を潜って現実の世界に帰還します。そして待っていたのは、111段。ふつうに潜った帰りでさえ、へろへろなのに・・・・バスケ部活の時代を思わせるキツさでした。事後談ですが、翌日からものすごい筋肉痛に襲われることになります。saipan 2 に続く
2008.05.04
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邦題は「線路と娼婦とサッカーボール」ノンフィクション。ドキュメンタリー。"El pais de primavera"(年中春の国)そう誰かが言っていた。フローレスの湖畔で会ったおっちゃんだったっけ。気候+人々の温かさをも語った、この言葉がふさわしいグアテマラの印象はいづこへ。どうして苦労をするのはいつも女なのでしょう。本当の責任は搾取している側にあるのに。”Ante todo soy una madre"「娼婦である前に、私は一人の母親」"estoy muy pecada"「私はすでに罪深い人間」主人公達が口々に語る重い言葉たち。みんなただ、生きたいだけなのに。ティカル遺跡私も遠い日本から訪れた。同じ国に住む彼女達も”一生に一度見に行きたかった”という。私と想いは同じでも、言葉の重みは違う。他国の遺産を見に行きたいというのは、甚だ贅沢な願いなのであることを忘れてはならない。母校の勇姿を見た直後だけに、サッカー(正確にはフットサルか?)のシーンには思わず熱が入ってしまう。ちょうど一年前の中米旅行を思い出させてくれました。もうすでに、なつかしい。マラガの映画際で賞をもらったみたいです。グアテマラのゆっくりなスペイン語が聞けます。世界は広いor狭い?知っていることは、とても幸せなこと。でしょ?「
2008.01.07
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はやくも2008年も just aroud the conor.年賀状の住所録を探して手帳を見て思う。もうあれから一年・・・・・・2つのバイトに明け暮れた12月卒論に全身全霊を捧げた1月感動と苦労の連続、中米/NYでの2月新生活への準備に追われた3月新しい土地・新しい出会いに溢れた4月別れと歩むべき道を思ったかすみがうらの5月職場に配属になった緊張の6月残業??働く厳しさを知った7月海に癒された8月お客さん!英語の力を思い知った9月友達の大切さを実感した誕生月10月新潟で白浜で世の中の広さを知った11月・・・そして、忘年会に明け暮れたこの12月いろいろあったね。あの時の自分は今の自分なんて到底想像できなかった。それは少しは自分の成長を物語る?人はどこから流れてきて、どこに行き着くのか。私はこれからどこへ向かって流れ、どこへ行き着くのか・・・・2008年はきっとこれまで以上にいい年になる、そう願いたい。Que tenga buenas fortunas y este lleno de felicidada siempreどうか届いて、同じ空の下生きる、友達みんな、遠い国の友達にも、みなさまにも。今日故郷へ帰ります。ばいばい東京、また来年まで。よいお年を!!!Wishing you all ; A happy happy New Year!!!
2007.12.30
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数少ない同期の女の子が先週半ばに誕生日ということで、お祝いの誕生会のため再び茨城小旅行へ行ってきました。4月のあの霞ヶ浦のレオパレスでの暮らしを思い出させる懐かしいメンツで、久しぶりに集合!とあって、とっても楽しかったです。あれからもう半年。来月いよいよ配属になる技術職の彼女たち。さみしいけども、こうやってみんなばらばらになっていくのね~手料理にお酒にケーキにプレゼントとっても素敵な会になりました。
2007.09.24
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かつて数年前、掃除機の中からの大量の虫発生に遭遇した不運な万茶。そして、猛暑&極湿続きの今年。確かに忙しさにかまけて、ちょっとお料理さぼったこの数週間。久々ご飯を炊くために、米びつからお釜に移し水をジャーっと入れた瞬間でした。ゴミか?!ごそっと浮いてきた大量の不審物。んー???何?????まさかねーでも、米びつをもう一回しっかり除いてばっちり確認してしまいました。そこを住処にしていた細かい生き物たちを。ぎゃー。てんぱって母親に電話したら、いなくなるまで洗って炊いたら食べれるって。ということで、水入れて、こぼして、水入れて、こぼしての大作業。今日は二回もご飯を炊きました。しばらく冷凍ご飯が続きそうですな。
2007.09.08
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仕事は自分で獲るもの。いつもはそう、貪欲に取り組む万茶ですが今回ばかりは「棚からぼた餅」に超重要任務が舞い込んだのでした。「私もついてっていいですか?」きっかけはそう、大事なお客さんが来るという話で、現在組み立て中の購入いただいた機械を見に、工場に行くと聞いて”あたしもおっきい機械に乗りたーい”単純に暇人な万茶は、部長におねだりしました。「別にええよ。んじゃアテンドやるか?」お客さんに優劣なんてないですが、今回我らが部署がお迎えしたのは、恐らく現在、会社にとって一番重要な客。超大型機大量受注。一体どれくらいのお金が動いているのでしょう。。。。。だって前日の会食には、会長・社長・副社長そろってご出席という。いくら海外のお客さんがみえたって、こんなすごい会食聞いたことないです。だから当初うちの部長がアテンドに出るという異例な自体だったのです。通常アテンドは新人の仕事ということから考えれば、尋常でないことは明らか。ただでさえ、こんな重要な顧客のアテンドを新人がやらせてもらえるなんて、あり得ないですが、もっと尋常でない事態は当日の朝発覚。「常務も一緒に案内車に乗るって」「!!!!!!!!!!!!!!」とにもかくにも、異例の新人による工場アテンドはこうして事が進みました。ちなみにオイラはアテンド二回目。しかも前回は通訳いたから結構気軽だったけども、今回は本当にやるよ、工場案内を通訳業務平行で。全ての手配を手がけた一つ上の先輩を差し置いて、こうして緊張、いや崖っぷちの気分で、万茶の初通訳アテンドは幕を明けました。実際の工事見学は、案内のおっちゃんのガイドの元、専用の見学カーで回ります。つまり、海外のお客さんの時は、おっちゃんの言っていることをアテンド員が通訳(=マイクつけてるので、車のスピーカーからお客さんに聞こえるようになってる)という流れ。でもね、でもね、いくら実習してたし、機械のことを多少なりとも、人並み以上には勉強していたって、そりゃ観光ガイドみたいに甘くはないです。旋回モーター、ベアリング、減速機アイドラー、2リンク式キャブ、、、でてくるでてくる。一般人には分からん単語。何トンクラスだの(10以上あるのよ種類)、一日のそれぞれの生産数、、、もう数字のオンパレード。おっちゃんが詳しく説明してくれたって、お客さんだって、分からないようなことばっか繰り返されても楽しくないだろうし、でもおっちゃんは早く訳せとばかりに言ってくるし、だからお客さんには別のことをあたかも訳してる風に言ったり、ともかく、お客さんにいい思いをしてもらうことが最優先。ということで、お客さんと一緒に機械乗って、一緒にはしゃいで、運転席座って(オイラもね!←おいおい)、エンジンかけてもらって、フロント動かして、写真撮って、「おおきいねー」て言って、とりあえず、愛嬌しか取り柄がない、愛嬌を思う存分使ってお客さんと楽しんできました。随分気さくな方々で、まさか業界紙にインタビューとか載っちゃうCEOさんを自分が通訳して案内してたなんて今でも信じられませんが。常務も一緒に見学楽しまれていたようだし!上司の評価はどうあれ、お客さんの満足度とエンターテイナーの要素だけみたら、合格でしょ?!今回すごい機会をくれてのびのびやらせもらった部長と、現地の駐在社長、そして何よりお客さんに、本当に感謝感謝です。心臓が大分また強くなったかしらね。来月は再び大物客が来ます。しばらく万茶は、営業本部・通訳アテンド事務所(所属1名新人兼任)指名ナンバー1を目指して頑張ります。お客さんのため。売り上げのため。(?)しいては、自分の将来のために。
2007.08.23
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5日間の沖縄。4月の社内報・新入社員紹介で書いた社会人になったら挑戦したいこと。早くも、一年目の夏で達成です。無事、BSAC オーシャンダイバーのライセンスを取得。一番有名というPADI のC級ライセンスに相当するものです。これを持っていると何ができるかというと、自分で機材のセッティング~緊急時の対処法等、ダイビングの基本中の基本スキルを身につけて、何不自由なくインストラクターと海に潜れるのです。何メートルまで?とかは特になく、それは自分のスキル次第。インストラクターに大丈夫と判断されれば、色んなところに連れてってもらえます。ダイビングはスポーツです。6キロの重りを腰に巻き、10キロ以上のタンクと機材を背負い、水中に入ればいいけれども、無重力の世界に行くまでは実際ふらふら~歩いてる状態。水中でも、フィンキックで基本移動なので、足に筋肉痛がきたっておかしくないわ最初の写真は初日ダイビングデビューをした奥武島(オオジマ)ビーチ。那覇から南東に位置します。車で40分ほど。ちなみに3日目に遊びに行った新原(ニイバル)ビーチはここのもうちょい北。(二、三枚目)次はダイバーの試験に受かり、初めてfun diveに潜った、砂辺ビーチ。那覇から北西に位置します。こちらも市内から車で40分くらい。初日の穏やかなオオジマと違い、潮&波に戸惑い、結構てんぱったけども、お魚さんと戯れ&一面のサンゴ畑を見てとっても幸せでした。若干、浮力がとれなくて、サンゴの上に座っちゃった場面もありましたが・・・(サンゴさんごめんなさい~)きれいな海たち。見ているだけで満腹になりますね。言葉もいらない。あー幸せって。
2007.08.19
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”忘れかけていた人の香りを、突然思い出すころ”なんて唄っていたのはウタダさん。でも、匂いと音楽は、万茶にとってもあの日、あの時、あの場所へフラッシュバックするきっかけとなるのです。不意にその瞬間、甦る過去の記憶。愛執と共に、当時とは明らかに違う自分が今ここにいる。心に響くものはいつまでも大事にしておきたいものですね。no rain, no rainbowあなたにとっての懐かしい匂いと音楽はなんですか?
2007.08.03
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疲れ果てれば、何も考えないで眠りにつけると思っていました。でも現実は、一刻も早く寝なければつらい、とわかっていても眠りにはつけない。本当に疲れていると、寝ることにも努力がいる。リラックスの自分の時間を持つことの大事さを学ぶ。”あたしこのままじゃ、心臓固まるわ”心が狭いとは、まさにこの状態。一つの言葉尻に、こんなにも過敏に反応してしまうのは。忙しい人のところにこそ、仕事はたまるというけども、だからこそ踏ん張り時ですわね。自分だけが忙しいとお思いか。自分だけが残業して、できるヤツになったとお思いか。大変なのは誰も同じ。どんな時だって道理はある。何かをしてもらうなら、”お願いします”何かをしてもらったなら、”ありがとう”迷惑かけたらなら、”ごめんなさい”友人だって、先輩だって、ビジネスだって。明日謝らなきゃ。自分はこれっぽっちも悪くなくたって。人の為を思って頑張ったって、顰蹙をかう結果になる時だって。お願いだから。get me off the burdenもうとっくにcapacityは超えてるでもたとえ周りにいるのが、w/o 道理 だって 自分だけはそうなっちゃだめだって。愚痴をきいてくれた同僚に、ありがとう。明日もがんばろね。
2007.07.19
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今月とらなくてはならない年休があったので、今日は生まれて初めての有休利用、平日休み♪♪かつてから見たいと思っていたアルモドバルの最新作が、先日ようやく日本公開になったので見に行ってきました。volverとは、スペイン語の動詞で(戻る)といった意味。今回映画のタイトルは<帰郷>となっていましたが、確かに、volverというのは、(帰る)という意味もありますが、(反復)の意でもよく使われます。映画をみて、万茶が思ったのは、タイトルが意味するのは、<帰郷>だけではないということ。まぁ、戻りたい、戻らなければならない、戻っておこってしまう、そんなことは、誰にでもあるのですね。 映画自体は、今までみたアルモドバルの作品の中で、一番じゃないですかね。映像の色彩の使いがすばらしいです。生のスペイン人の生活を思わせる場面がところどころ見えるのも、リアリティーを感じます。なぜか府中の劇場まで行った万茶。だって、検索したら、あんまどこでもやってなくて。馴染みの土地へ自分もvolverって。ついでに、自分が学生時代バイトしてた店に寄ったり、こちらもvolver。マンゴのタルトを食べてきました。懐かしいケーキの味に、バイト時代の記憶にvolver。映画を見て、留学の記憶と結びつき、volver。なんて便利な動詞だと、今頃気づいたり。久しぶりにスペイン語で映画をみて、府中に行って懐かしい気持ちになったのでした。
2007.07.13
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ご無沙汰でした。都会生活に。ネット生活に。そして、かつての日常に。社会人となり、最初の新人研修として、3ヶ月もの間、強制収容の名にふさわしく、茨城県某所にて隔離生活を送っておりました。研修所、兼宿舎は、最寄り駅から、バスにて20分ほど。バスのアクセスは3本ぱーあわー。バス停まで徒歩15分。とっても素敵な立地でした。ね、右も左も何もないでしょ?下の写真は最初に住んでいた、研修所からはゆうに徒歩30分はかかる、丘上のレオパレスからの眺め。研修所の窓からは、あんまりきれいでないと噂の霞ヶ浦がばっちり拝めます。早朝はつりをしている人がよくいましたね。徒歩20分、研修所の裏のこんな道を歩くと、近所には風車のある公園がありました。ここへ行った当初は桜の季節。もはや当時が遠く感じられる今日このごろ。上の方の計らいで、増設されたバスケットゴール。よくフリースロー勝負が繰り広げられ、もちろん長い部活動経験故!万茶は男相手にも余裕の大勝ち!?何度もおやつをおごってもらいましたー写真、ただの田んぼに見えますか?茨城特産??れんこんの畑だそうです。田んぼと違って、大人の胸の辺りまでの深さがあるそうな。落ちたら大変?!そんな、こんな、久しぶりに空気のおいしいところでの生活をしてきました。ね。すごいところにいたでしょ?もっと驚きな、現場と機械の写真は非公開なんで、今回は環境の様子だけご報告。今ではもう懐かしい思いでですな。
2007.07.11
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「海の匂い」といえば、わたしの中では地元の中学の合唱コンクールで、毎年必ず最優秀賞に選ばれていた、かの有名な合唱曲。でもありますが、確かに海の匂いは場所によって違います。そして色も。そこにある物語も。カリブの海。今回は3箇所のビーチを訪れる機会がありましたが、どこから見た海もそれぞれの個性がありました。カンクンの海はホントに青い。空の青が反射している感じの青。高級ホテルのプライベートビーチが並ぶこのエリアで、ゆっくりとはなかなかいきませんが、「アメリカ人にとっての、日本人のハワイ」とはよく言ったものです。空からの眺めは、もっときれいです。ホテルゾーンだけ天然のスポットライトがあるかのように、淡い青色をしていました。さすがに飛行機の中からは上手く撮れず、写真がないのが残念ですが。こちらはキューバの首都、アバナの海。光の関係であまり青く見えませんが、色はどちらかといえば濃い感じがしました。リゾート地をイメージしたカリブの海っていう感じとは、大分遠いかもしれませんね。ここは、まぁ工場もあるようでしたし。次のこちらはバラデロといって、アバナからバスで2時間ほど行ったところにあるキューバのリゾート地の、とあるビーチで撮ったものです。空も海の色も、大分薄い水色でした。とっても南国チックな様子ですが、実際は風邪が強く、泳ぐにはとてつもなく寒そうでした。なぜ、詳しくもないのに、海についてこんなに拘るのか。自分でも謎ですが、きっとあたしは、海、海の青、そして海の匂いが好きなのですね。自分の祖国は海に囲まれた島国。生まれは海の幸の豊かな場所。そして大好きなおじいちゃんは船乗りだった。manchaにとって海とは、常に身近になくてはならないものなのです。スペインの内陸に住んで一番感じたこと、海が恋しい。海が見たい。だったり。だから、どこに行っても海には敏感。必ず波の音を聞きながら、ジャブジャブ海辺を歩きます。海辺の散歩はいいですね。カリブの海。魚の匂いはしませんでした。
2007.03.25
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到着初日の幻滅はどこへやら。2日目は肌寒いのはそのまま、とりあえず天気はよさそうなので、市内観光へ。滞在した例のカサ・パルティクラルが面するプレシデンテ(大統領)通りを南下し、まず新市街から近い(?)革命広場を視察に。ゲバラさんがいるのは、内務省の壁。キューバ国民でなくともやっぱり英雄なんですね。ただっぴろい独立記念公園の向かいには、思想家で中米諸国の独立の立て役者ホセ・マルティさんのおおーきな像が。その後は、離れた旧市街まで歩くという大冒険を。写真を見てお分かりかと思いますが、観光場所は手をかけているのか、本当にきれいにしてありました。普通の町並みは一体どんな感じか気になりますよね。ここは、先ほどの独立記念広場から旧市街へ続く、アジェンデ通り。道には古いアメ車がいっぱい。しかし、情緒溢れるなんてもんではありません。ガソリンがないのか、みな軽油を利用しているようで、街は排気ガスくさい、くさい。そして一番排気ガスを出していると見られる、街を走るバスは・・・「でかい」の一言に尽きる。200人くらい乗れるのだと。おまけにいつも満員。宿の娘さん Liliさん曰く、「私は絶対乗らない」だそう。ということで、街の市民の足はこのバスか、タクシー。つまり、観光客にはタクシーしかない!?前の回でも触れたと思いますが、このタクシーでさえ、結構難しいのです。なぜなら、一般市民と観光客で分けられているからです。キューバの人たちは、アメ車のタクシーに相乗りって感じですかね。観光客は、ちゃんと認可のあるタクシーを捕まえなくてはなりません。そもそも、キューバでは通貨からこの区別があります。観光客は通常兌換ペソという通貨しか使えません。一方普通のキューバの人たちは、キューバンペソを使っています。つまり、一つの国の中に経済が2つ存在するということで、これがホントにややこしい!1兌換ペソ=24キューバンペソというから、価値の差にびっくり。しかし、キューバンペソを扱うお店では、計算が面倒な上、その現地値段でモノが買えないということで、不便を感じた私たち。ちょびっとだけ、キューバンペソを手に入れることに。実際ホントに違法かどうかは分かりませんが、多分違法かも。。。キューバで両替をするのはcadecaというところに限られていますが、(それ以外はヤミ。ぼられるというか危ないので絶対のってはダメ)スペイン語で話したため、現地に住んでいると思われたのか、300円ほどのキューバンペソの両替に成功!街中での食料調達のツールとなりました。キューバにもありました!中華街。と言っても、規模はホントに小さいですが。通りの名前も漢字の表記が!!ここにある、お菓子屋さんがおいしくて、しかも例のキューバンペソで売っているお店なので、安い!一個あたり15円程。残念ながら写真はありませんが、エッグタルトを思わせるタルトのお菓子や、スポンジケーキといった焼き菓子のお店、というか屋台でした。これ以降、毎日通ってしまったほど気に入ったワレラ。(笑)しかし、ここはキューバ。中華街と言えど、本格的な中華が食べれるとは思ってはいけませんでした。その日の夜、前日友達になった日本人の子達とご飯にいくことになっていて、訳あってこの中華街のはずれにある、一軒の中華料理店に行きました。注文をしようとした時、「今日はピザとパスタしかない」って。え?!ここ中華料理店よね??空腹に仕方なく、注文し食べましたが、もちろん美味しいはずもなく。おまけに、食中毒に・・・露店でもなくちゃんとレストランで食事したのに・・・この旅行で唯一の食べ物被害はここであったのでした(痛)話は戻って散策へ。その後無事、前日真っ暗な中さまよった、旧市街へ到着ーあらー明るいと景色が大分違うようで。写真は旧国会議事堂。今は閉鎖中。だって独裁政権です。日は変わって、翌日。とてつもない強風の音で目が覚めました。おまけに停電。それにもめげず、前日に大分キューバを満喫し始めたワレラは、真っ暗な中13分の階段を下り、お出かけ。この日は旧市街から、海のエリアを散策。昔は使われていたのでしょうね。要塞です。大砲の威力は脅しにもならないくらいだったとか。向こう側には海底トンネルを通っていきます。もちろんタクシーで。徒歩では行けません。アバナの町並みと、海の景色がとてもきれいでした。強風も随分印象的でしたが。この日はさすがにいいものを食べたいと思った私たち。もうレストランを探すのはこりごりだったため、評判を聞いていた、街で一番行列ができるのではと思わせるくらい人気のレストランへ。資本主義を感じるサーヴィスで、久々に羽を伸ばした気分のワレラ。と、ここで気づく。「うちらまだキューバの料理食べてない」モヒート、ダイキリといったキューバのお酒類はちゃんと味わったものの、ごはんは結局レストランを見つけることができず、本場のキューバ料理を味わうことは最後までできなかったのでした(涙)ともあれ、一日目のマイナス評価はさすがに回復し、十分それなりにキューバを楽しんできた私たち。しかし、事前の期待が高すぎたためか、キューバは旅行で訪れた国の中で、始めて自分の期待を上回らなかった国となったのでした。
2007.03.19
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ワケあって、飛んでしまいましたが、まだまだ続けます。中米卒業旅行記、第6話。今回はキューバのお話。どうしてキューバへ?それは遡ること、スペイン留学時代。音楽に溢れたアンティーク感のキューバの映画(Habana Blues)を見て、すっかりその雰囲気に魅了され。いつか行こうと、心に決めていたのです。どんなきっかけが?ゼミの先生が偶然にも、冬に行ってきたということで、安易に影響されて。と、中米大陸中心の旅の予定が、急遽、今回の旅行の目玉はキューバになったのでした。以前、日記にも書きましたように、この島国に行くために、飛行機のチケットでは大分格闘しました。その後無事日本で手配を済ませ、これでもう大丈夫と思って出国したmanchaでしたが、これまた、災難に逢うことに・・・なんと、予約できていたはずの連れのMちゃんのチケットがキャンセルされたとのメールが・・・私がメキシコシティーに着いてから知った衝撃のニュース。えーーーー?!時既に遅し。当初乗る予定で、あたしが既に手配を済ませた便は満席。結局Mちゃんは現地のHISで、他の便を予約。なんと、キューバ往復、そして挙句の果てにNY行き、私たちは全て別々の便になってしまったのです(涙涙)ともあれ、別々にカンクンから、キューバの首都ラ・アバナへ旅立つことになったワレラ。結局心配していた、ツーリストカード(キューバに行く観光客はこれを持っていないといけない)も無事カンクンの空港のカウンターで、しかも日本で手続きするより大分安く購入でき、あたしが、1時間程先にキューバへ。(後日撮影のアバナの街)警察犬のような犬がうろうろしまくってる、緊張の入国審査を案外すっと通り、なぜかここでセキュリティーチェックを受け、荷物を無事ピックアップし、、そして、ここであたしは、最初にキューバという国を感じた出来事に遭遇する。税関の人の列、列、列・・・・あの~何をそんなに申告しなきゃなん?そう思って、みなさまの荷物を見ると、、、テレビなどの大型家電の箱、箱、箱。おぉ~きな荷物、荷物、荷物。確か、モノがないって聞いたことあったけど、みんなメキシコまで買いに行ってるの???バックパック一つのあたしは、もちろん、そんな列を横目に係りの人のとこからスルー。Mちゃんを待って、偶然知り合った日本人2人も合流し、4人でタクシーに乗り市内へ!さすが、国を挙げて観光産業に力を入れているだけあります。到着ロビーに着くと、親切そうな係りたちが、「ホテルは決まってるのか?」「タクシーは?」と面倒見てくれます。もし、今後行く予定の方がいたら・・・どうせこういうのは高いからーとか言って、断ってはいけません。そこは、社会主義の国です。他に選択の余地はないのです。まぁ、そう肌で感じた訳は後々書きますが、ともあれ一路市内へ。「calle presidente (大統領通り)」だと、何度言っても、「hotel presidente (大統領ホテル)」と勘違いし続けるタクシーの運ちゃんに、予約してあった宿へ連れて行ってもらったはいいものの。(中米の独立を率いた、各国の名将たちの像が並ぶことからこの名前が。宿の部屋からの眺め)なんと着いたところは、なんともさびれた感じのアパート・・・ここにホテルあるか???ホテルの受付何階とか書いてなかったしなぁ。しかも表の入り口は施錠されていて。。。まさか、うちら騙された!?!?!?とりあえずなんとか裏口を発見。アパート内へ侵入。しばらくうろうろ。エレベーターと書いたドア発見。ボタンらしきものを押す。音がする。「どーん」。きたきた♪。ドアを開けるとエレベーターの中には・・・掃除のおばちゃんが!しかもイスに座ってるぞ!!あなたはここに住んでるの?! とてつもなくびっくりしました(笑)しかもこのエレベーターかなりアンティーク。あの昔の映画とかに出てくるしゃーってやる金具のドアだもの!これが閉まると同時にエレベーターが動きだします。おーこわっ。しかし、このおばちゃんにことの次第を話すと、上の階へ連れて行ってくれて、無事あたしらの予約を受け付けたらしき人物と会えました。おばちゃんありがとう。通じ合えてホントによかったわ。うちらはホテルを予約したと思っていたのですが、実はこれ、ちまたで流行ってるらしい、casa particural(カサ・パルティクラル)だったのでした。要は、一般の家庭が旅行者に、余っている部屋を、リーズナブルな値段で提供するという、言わば、短期ホームステイのような感じざんす。キューバはホテルの相場が高いので(高級ホテルしかないといえるかも)、ここは一泊二人で4000円ちょっと位でしたが、十分安く、しかも現地の人と交流できるので、なんともおいしいプランというわけです。一泊ツインで800円とかで過ごしたグアテマラを思うと高いと思ってしまった自分ですが、設備も内装もとってもオシャレで、この旅行で一番快適な宿となりました☆☆☆ただ、唯一の欠点は、世界遺産にもなっている観光中心地、旧市街から遠い新市街地にあるということ。ということで、翌日から宿を便利な旧市街にしようと、安宿を探すことに。しかし、この企みは見事玉砕することになるのです。苦労してタクシーを捕まえ(一般市民用と観光客用でタクシーが別れている。詳しくはまた。)、旧市街へくりだした私たち。とりあえずここはスペイン人が造った街。セントロ(街の中心地)への行き方は慣れている、と思っていった私たちの期待は見事裏切られる。ひ、人がいない・・・確かに日は暮れたけど・・・地元の人はどこへ???いや、でもここは、どう見ても一番の中心通りだよ。50メートルおきくらいに、光がついて、人がいるバーとかレストランがあるくらい。しかも全部高そう。他に、人が集まってるところがあるかも、と左右の小道を見る・・・真っ暗・・・・・街頭って、大きな通りしかないの?!さ、ホテル、ホテル。って、探そうにも、暗くて見えないし、ってか安宿普通こういうとこにあるよね・・・何もないし!ともかく、明かりがあるのは、この主の通りのみ。ここを行ったり来たりしかできないし!もう、なんなの?!旅人の感覚が通じない街。中心街にあるのは、ガイドに載ってる店・ホテルのみ。つまり、それしか選択の余地がない。そして常夏のキューバのはずなのに、なぜかうちらが着いた前の日から急激に温度が下がり、一年に一度あるかないかの寒い気候に!暑いのを、想像してたのに、さ、寒い!!なんなの?!この国!!これが、あたしの最初のキューバの印象。さてさて、このあとの3日はどうなったのでしょうね。それはまた今度につづく~
2007.03.18
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スペインに留学していた時代から、あたしが旅行に行って目にする建築物といえば、教会、教会、そしてカテドラル、またカテドラル・・・・みたいなたしかに、ヨーロッパの歴史的建築大好きです。街を歩くだけで楽しいです。でも、今回はちょっぴり違うものをたくさんみて、目がリフレッシュされてきたのでした。そう、それは・・・・・遺跡。大きな世界遺産を3つ巡ってきました。最初に行ったのは、メキシコシティーから、バスで1時間ほどのところにある、ティオティワカン。ん、確か世界史で聞いたことのある名前ですね。太陽と月のピラミッド両方に登ってきました。写真は太陽のピラミッドです。高さ八十メートル以上・・・・そりゃーつらかったです。階段と言えぬような階段を登り登り。しかし、周りには自分の親くらい、いや以上の方々もさくさく登っていらっしゃるので、弱音をはくのは何とも忍びない・・・・でも、頂上からの眺めは最高!!ちょっとだけ、登山家の気持ちを理解して、また月のピラミッドの方も登りました。こちらは60メートルほど。頂上からは生贄になった人々が進んだ道とされる、死者の道と呼ばれる道が伸びていて圧巻。しかし、面白いのは、これらのピラミッドはこのティオティワカン文明時代に建造されたわけではないということ。なんでも、ピラミッドはそのずっと前に、いつの時代かに作られてあったもので、この地に辿り着いた人々は、これらの偉業は神にしか出来ないと思い、ピラミッドを彼らが信仰していた太陽と月の神さまになぞらえてしまったというわけ。つまり、今呼ばれている名前は後から付けられただけのもの。そりゃ、このピラミッドは超人的と感じても無理はないわ。だからきっと、この辺の遺跡に宇宙人説が多いのね。次に訪れたのは、メキシコ南部。グアテマラと国境を接するチアパス州にある、パレンケ。事実、グアテマラへの陸路の経由地として寄った感じだったのだけど、わたしはいたく気に入ってしまったのでした。遺跡もそうですが、このあたりは自然公園にもなっていて、ちょうど天気のよかったこの日の空の青と、自然の緑と、遺跡のコントラストほど素晴らしい眺めはないではと。エコツーリズムの定義がイマイチまだよくわかっていないmanchaですが、自然とツーリズムの共存は難しいと感じました。街の中心部から遺跡にいくには、乗り合いのバンに乗っていくのですが、遺跡に行く前にちゃんとナショナルパーク(国立公園?国定公園?)の料金を払って遺跡ゾーンに入るようになってました。パレンケから国境を越え、グアテマラで訪れたのはティカル遺跡という、この地域ではマヤ文明最大の遺跡。国境越えツアーを申し込んだ会社が、この遺跡にもツアーを出してるというので、広い遺跡を効率よく回るためにも、このツアーに参加。しかし、これ、ただの遺跡を巡るツアーではありません。出発は朝の3時半です。理由1、常春の(実際常夏だろってくらい暑かったのだけど)グアテマラの環境で遺跡をみるのは涼しい午前にかぎる理由2、朝方は自然の生き物をたくさん見れるこんな商売文句に押されて、われらは遺跡ツアーに参加したのですが、実際、寝ぼけた体で、明かりもない野の道を何十分て歩いて、遺跡の奥までのぼっていく、何ともハードなツアー・・・・って朝の4時だぞ!もうふらふら。しかしその代償は、遺跡と大自然の真ん中で、朝日を見たことによって払われたのです。こんな感動的な日の出は、そうそうみれるものではありません。鳥たちの朝のさえずりが響き渡り、眼下には緑に囲まれた遺跡・・・・遺跡に向かう車から見えた星空にもいたく感動してましたが、この朝日は本当にきれいでした!(写真は後日)その後はスペイン語のガイドさんと共に、主要遺跡だけを回って。だって、このティカル遺跡、広い。広大すぎる!まぁ、その広さはその後ガイドさんとはぐれ、迷子になってから改めて実感するのだけど(笑)遺跡に登るのは、ホントに命かかってます。気をつけましょう。これ階段じゃなくて、はしごでしょ?!って感じのとこを登っていくのですから。しかし、大昔にこれだけの建造物をつくったマヤ文明おそろしや。そしてもっとおそろしやなお話をガイドさんから聞いてしまったのでした。かつて、インカ帝国が滅びた時、かれらは征服者が来るであろうことをすでに知っていたという話は聞いたことがあると思いますが、このマヤ文明にも、非常にすぐれた天文学があって、かれらは未来を予測していたと。自分たちの文明の終わりも知っていたそうです。そして、おそろしいのは、マヤのカレンダーは、他の世界的有名な文明と同様2012年で終わるそうな。つまり、人類のカレンダーはそこで終わる?!一体何が起きるというのか・・お願いはずれてマヤ文明の予知、と願ったのはあたしだけでしょうか・・・?
2007.03.05
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写真アップし始めました。何かとっても大きいけど・・・まぁいっか(笑)
2007.03.03
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話がキューバに移る前に、今回は真面目な言語のお話。どっぷりスペインのスペイン語を勉強してきたあたしの言葉は、果たして、中米でどこまで通用したのか。念のためですが、一般に日本でスペイン語と呼ばれている言葉は、スペインのスペイン語であることが多いです。ちなみに、スペインでは、わたしたちが今スペイン語と読んでいる言葉を、“スペイン語”とはめったに呼びません。「カステジャーノ」つまり、カスティーリャ地方の言葉と呼ぶわけです。なぜなら、カタラン(バルセロナ含むカタルーニャ地方の言葉)に例があるように、全てのスペイン国民にとって、そのカステジャーノが母語(第一言語)というわけではないからです。話は戻ってメキシコへ。前から、聞いて知っていたものも含め、いろいろ面白い違いを見つけました。自分が旅で関わったものを取り上げると・・・ジュース/zumo → jugo オレンジジュースでさえ知らなきゃ頼めませんオーケー/vale! → okey この「ヴァレ」の癖から、あなたスペインで勉強したのね、とよく言われることに。。あと、あたしがスペインで勉強したことをよく表していたのはc(z含む)とsの発音の区別がついていたことでした。ちなみにスペインではc(z)は英語のthの音です。sは日本語のサ行音となんら変わりありません。メキシコではこの区別はないのですね。引く/tirar → halar ドアの引けのサイン。ちなみに場所によって jalarもありました。あれ~トイレ/bano・servicio → sanitario スペイン式でも意味は伝わるのでしょうが、一番目にしたのはこの言い方でした。駐車場/aparcamiento → estacionamiento ちなみにestacionは駅です。切手/sello→ estampilla これが一番のショック! 英語の影響でしょうか。驚いたことに、selloでは通じません。え?!何て?/como?perdon? →mande? 謙虚な姿勢を感じます。まぁ、単なる言い方の違いだけどもしもし/hola. digaまあ何でも → bueno? ホントに電話をみんなこういってとるのね~あと気を付けねばならないのが、いきなり二人称(友達に話す感覚)で話さないこと。初対面の人であれば大抵三人称(相手に対して丁寧になる。日本語だと敬語で表されるような)です。スペインではどこでもまあ二人称で通っていたので、なかなかこれに慣れるのが大変!そして、cogerという動詞(英語のtakeにあたる)を使わないよう、使わないよう、ホントに気を付けました。この動詞、スペインでは、バス・タクシーに乗る、取るという場面でも、極々普通に使えるものなんだが、なんとメキシコに来るとそれがjo○er(英語のf○ckにあたる)になってしまうから、知らなきゃそりゃ大変。メキシコでは変わりにtomarという動詞を多様します。スペインにももちろんtomarは存在しますが、そんなに使った覚えはなく。しかし、基本的にメキシコ人はスペイン語を話すと、みんなやさしいです。「スペイン語できるの?!」「凄い!」「Que padre!」なんて、どこでも誉められちゃって、ちょっといい気なもんです。だって、スペインでこんな扱いうけたことありませんよ。しかも、みなさん結構親日家。まぁ、メキシコに観光にくるアジア人は大抵日本人だろうよってこともありますが。中国人と日本人の見分けができる人も多々いました。素晴らしい!グアテマラへいくと、みなさん話すスピードが、メキシコよりさらにスローダウンします。メキシコのあとだったためもあり、ここではあんまり苦労せず。もちろん、レストランとかで、料理の分からない単語は訊いてましたが。面白いのは、カリブの島国キューバのスペイン語。ここでは先ほどメキシコでタブーと述べた動詞cojerも、普通にスペインのように使えます。valeでも全然大丈夫!島国ともなるとまた違うのでしょうかね。語彙的には中米色が強いものの、メキシコ・グアテマラにはない、スペインよりな感じを受けました。この国のスペイン語は、なんといってもそのイントネーションが魅力。スペインアンダルシアのように語末の s がよく落ちてます。慣れていないと、聞き取りづらいかもですが、このリズム。「Que lindo~!」(け・り~んどぉ)“まぁ、いいねぇ~♪”って感じでしょうか。連れのMちゃんは、これがお気に入りで、よく真似してリピートしてました(笑)最後の目的地ニューヨーク。これからは英語尽くしだと、頭の切り替えに四苦八苦してたのですが、町から聞こえてくるのは・・・・・・・スペイン語。メキシコからの観光客でしょうか。デリの店員さん。ベーカリーの店員さん。美術館のカフェの店員さん。そして、ユースで風邪で寝込んでいた時、ドミトリーに掃除に来て話した女性。彼らの間の共通語は常にスペイン語なのです。もちろん、みんなバイリンガルで英語も堪能(大分聞きづらい)ですが。ここは移民の国アメリカなのだと、いたく実感したのでした。最後に、言葉にまつわるドッキリ体験をひとつ。それは、メキシコシティーからティオティワカン遺跡に向かうバスの中で。こういったバスでは、運転手さんと提携しているのか、大抵、車内に飲み物やおやつの売り子さんが乗ってきます。と、あるとき一人の女性が、こう言いました。「dos japoneses, por favor.」(直訳的には、日本の二つ頂戴、って感じでしょうか)えぇ?!声のやり取りが聞こえただけですが、何のことだかちっとも分からない我々日本人二人。一瞬、「日本人二人を出せ」ともとれるこの発言。だってちょうどうちら二人だし・・・でも形容詞男性形だったしな(女性形はjaposesas)・・・この場に他に「日本」という名のものなんて・・・・それが、あったのです。メキシコに「日本」と呼ばれるものが。ピーナッツの周りにおかきがついたようなスナック。これをみなさん「japones」(日本のおかし?)と呼ぶようで。先ほどのおばちゃんは、売り子にそのおかしを二個頂戴といっていたのですね(笑)ちょっと勘違いなお話ですが、ホントにその時はびっくりしたのでした。だって、のってるアジア人うちらだけのローカルバスで、そんなこと言われたらそりゃびっくりしますよ。ちなみにそのおかし結構定番ものらしく、あたしが最初に食べたのは、メキシコのカンクンからキューバに向かう飛行機の機内サービスでもらったときでした。結構ぼりぼりいけます(笑)こうして、見事この[japones]というお菓子は、おみやげとして買い込んでくる品となったのでした(笑):p
2007.03.02
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今回はグルメな話でございます。旅の大切な楽しみの一つ・・・・・・それは食事♪だからあたしは旅行中は食費はケチりません(笑)だって観光で動き回っているので、全然太らないしっ!言い訳はともあれ、順にメキシコから。(写真が未だにアップできないのが残念)結論からいって、メキシコ何を食べてもはずれはない!大体最初におつまみで出てくる、ナッチョ(三角形のチップ)。グアカモーレ(アボカドの緑のサルサ。唯一辛くない)をつけて食べるのは、もう最高。メキシコ料理は辛いだろうと相当の覚悟をしていったあたしでしたが、サルサ(ソース)が辛いことがほとんど。または「辛くしないで」と頼むこともできるので、ほどよく辛くおいしく頂くことができました。しかし、あれは確か、長距離バスに乗ってパレンケへ移動中の、とあるバスターミナルにて。休憩30分と言われ、大急ぎで食料を調達にいった時の事。タコスを二人分頼んで、ソースをつけてもらったのです。それが緑だったので、てっきりわたしたちはグアカモーレだと思い込み、最初にどばーっとタコスにかけてしまいました。が・・・・か、辛い!!舌が痛い、痛い。しかも、急いで食べなくてはならないこの状況。なんとか4つのうち3つまでは食べましたが、もう無理と、二人とも最後は残してしまいました。店のおかあさんが、目の前で焼いてくれたタコス。そして、道の女の子にお金を求められた直後だったこともあり、申しけなくて、申し訳なくて。でもバスの出発はせまり・・・これ以降、こんな失敗はもうしないために、ソースは必ず味見、二人で一つ買う、というルールが二人の間にできたのでした。実際、メキシコの料理のボリュームは半端ない。タコスは大体頼むと4、5個くるけど、さすがの大食いのあたしでもきつい。またさらに具が重いから(肉やチーズ)あんまり。注文の際は気をつけねば。あたしが気に入ったのは、焼いた肉にモレソースをかけたもの。モレはチョコレートが入ったどろっとしたソース。チョコレート?!って感じてしまうが、一緒にプレートで出てくるぱさぱさごはんとも合って、結構おいしい。写真奥のがそうでござる。必ず料理につけていたトルティージャ。(スペインでは具の入ったオムレツを意しますが、メキシコではタコスの皮みたいなやつです。柔らかいの、硬いの、厚いの、パリパリなの、また原料次第でいろんな種類があるそうな)ライス・パンをつけるのと同じ感覚で、それらの代わりに料理につけられます。必ず布等に包まれてでくるのですが、その理由は・・・Mちゃん曰く、冷めないようにするためだそうです。だから一回取り出すごとに、ちゃんとまた布を閉じるのです!なるほど。確かにあったかい!あと、メキシコではよく道でつまみ食いをしました。これなーに?って訊くと、詳しく教えてくれたり、うちらが興味深く見ていると、「食べる?」って言って、自分の買ったものを分けてくれる人もいたり。みなさんやさしいですね。もちろんこれは、みなりのきちんとした感じのいい人たちとの交流に限った話ですが。(差別するわけではないですが、道を訊くなり話しかける相手は身なりで選ばねば!危ないメキシコ!!)スナック(もちろんピリっとしたソースつき)や、tamalタマル(説明し難い・・・日本のちまきに相当するものか?これも非常においしい!)をよく売っているのを見ました。もちろんこれらの出店よりも、タケリーア(タコスやさん)の方が路面に多いのは言うまでもありませんが。メキシコではそんなにスウィーツは期待していなかったのですが、相棒Mちゃんはハモンシージョという、キャラメルのやわらかいようなお菓子をとても気に入っていました。実際甘くておいしい!ですが、ホントに甘い。食べ続けると歯がいたくなる甘さです。私が気に入ったおやつは、次の国グアテマラで出会うことになります。国境を越え、フローレスへ向かう途中の休憩地点で、バスと降りたところで、おやつ売りのおじさんから買った、カモーテというサツマイモのおやつです。おじちゃんが、ものの見事に一瞬で可動式のテーブルをあたしの目の前に組み立て、中を見せてくれ、断れなくなって買った(笑)のですが、お値段日本円にして30円ほど。サツマイモ8センチくらいの輪切りを甘く煮たっいう感じでしょうか。素朴なお芋の味に感動!とってもおいしかったです。初めてグアテマラの通貨ケツァルを使った、よい思い出でもあります。なんてったって、この通貨綺麗なお札もコインも見たことないよー!財布が臭くなるほど、お金が臭い、古い。まあまあ。話は戻って、グアテマラ。物価が安い国だけあって、安く、でもボリュームのあるご飯を食べられます。フローレス最後のよる、湖ほとりにある、見た目も高そうなレストランに行って、わたしたち、ナッチョ、サラダ、肉、魚、ごはん、ビールと一杯フルコースで頼んだのに、お会計は一人1600円ほど。安い。グアテマラのビールgallo(にわとりのマークが目印)はすっきりした味で、ビール党では決してないあたしでも、飲みやすくよかったです。料理全体の印象的にはメキシコとスタイルはあまりかわりません。ゴージャスちっくなでっかいグラスに入ってでてくる、フルーツの生ジュースがおいしそうでした。ただ、フローレスはあまりに観光地化されていたので、一般的には分かりませんが。あと、グアテマラ最大のヒットは「ユカチップ」。yuccaという、繊維質の白い芋のチップなんですが、味がまさしく、マックのポテト!一度食べだしたらとまらなく味でした。実際のユカ芋は、淡白な味で、料理のプレートとかにのっていましたが、それだけ食べるほどおいしいものではありませんでした。キューバ・ニューヨークはまた次回・・・つづく
2007.03.01
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日本に住んでいると、国境を越えるのは大抵空の旅。しかし、世の中には、面白い国境越えがありました。中米卒業旅行日記第二弾は、陸路での国境越えの話。当初の予定では二箇所のはずだったのですが・・・まあまあともあれ、一箇所目は1.メキシコ~グアテマラメキシコ南部の街パレンケ。世界遺産の遺跡があるこの街から、グアテマラの北西部、ティカル遺跡へのアクセス地点となる街フローレスを目指しました。自分たちで行くより、簡単ということで、現地旅行会社の運営するシャトルツアー(?)のようなものに参加。いわゆる国境越えツアーです。普通に、バスだろ~。なんて、ことはありません。国境越えはボートです!まず、早朝5時に乗り合いバスへ。ちなみにこの日、見事寝坊し出発の15分前とかに起きた私たち。超人的なスピードでパッキングを済ませ、ホテルの玄関へ。乗り合いバスはホテルの入り口まで迎えに来てくれます。そのまま、ゆられること2時間以上。どこかで他の場所から来た人たちと合流して、再び1時間弱ほどミニバン(13人くらい乗れるワゴン)は走り、川のほとりのメキシコイミグレーションへ到着。パスポートにはんこを押してもらい、荷物を背負って、川辺へ。え?!これで渡るの・・・・・・そこには、カヌーにスズキの小型モーターが付いたようなボート?が。荷物を積んで、カヌーに乗って、そして頼れるのはモーターと船を操る少年のみ・・・ガイド含め10人ほどのグループだった私たちはもはや運命共同体。これで川を上ります。途中ひっくりかえるのではないかというほど傾き、ヒヤヒヤ、ぎゃーぎゃー言ってたあたしたちでしたが、左右のバランスが悪いと少年に言われ、前の太ったおばちゃまが移動すると、ようやく安定してボートは速度を上げました。そのままボートのアドベンチャーは30分以上?続き、ようやく対岸のグアテマラ国境の町へ。(名前忘れた)ここからは、他のボートで来た人たちとも合流し、マイクロバスでの旅に。無事グアテマラのイミグレーションを通って、バスは進む、進む・・・・と言いたいが、こりゃひどい。メキシコと比べると、グアテマラでは道路事情が一気に悪化します。2時間以上、舗装されていないあぜ道のドライブが続きました。そして、ようやくフローレスが近くなってきたのか、舗装された道路になったはいいものの、道は穴ぼこだらけ。バスはそれを避けるため、左右くねくね、蛇行運転。ちっとも進んでるきがしません。ようやくフローレス対岸の町に到着。(フローレスは湖に浮いたようになっている島町)お金をキャッシングするところへ連れて行かれ、その後半ば強制的にホテルまで連れて行かれ、ここでいっかってなって、ようやく国境越えの旅は終わったのでした。(ツインで宿泊費800円程!)ちなみに、お値段日本円にして3千円程。まあ、あれだけバスに乗って、なんといってもボート冒険的!でとっても楽しかったから、安いものです。しかーし、全ての荷物はバスの屋上にくくりつけられていたため・・・言うまでもありません。あたしの黒のバックパックは、あれだけグアテマラのほこり道に揺られ、ホテルに着いたころには、グレーになってましたw2.グアテマラ(フローレス)~メキシコ(チェトマル)これも、ダイレクト便があるというので、1.の国境越えで利用した旅行会社のシャトルバスを利用することに。朝の出発はこちらも朝の5時。でも気をつけねば。グアテマラではバスが時間に遅れるというか、早く来てまって、そのまま行ってしまう場合もある!?ということで、前の日に遺跡ツアーでちょっぴり苦労した私たちは早くからスタンバイしておりました。乗り合いのバンが、ホテルまで迎えに来てくれ、フローレスと対岸の町と結ぶ橋の近くでマイクロバスに乗り換えます。そこから、乗る事4時間以上。そして、ここはグアテマラ。いくら舗装された道と言えど、ゆれるゆれる。後部のちょっと高い席に座っていた私たち、危うくすべり落ちそうですwそれでもなんとか山道を抜けたかというとき、誰かがバスに乗ってきました。札束を持った両替のおっちゃんでした。もうメキシコかー。なんて思ったのが甘かった。だって、そのおじちゃんが持っていたのは、メキシコペソではなく、ベリーズドルだったから!「は?!」「あたしたちチェトマルに行くんだけど」「とにかくこのバスはベリーズシティーに行く」ここで、ようやく、チェトマルに行くにはベリーズを通る道しかなく、この中にはベリーズとチェトマル行き両方の人が乗っている事態を把握する。つまり、これから一度ベリーズに入国し、そして再び出国してメキシコに入るルートだ。国境越えが増えた。しかし、別にベリーズ(どこの国かは地図帳を参照あれ)に用がない私たち。両替なんて必要ないと、たかをくくっていると、「日本人は130ベーリーズドル(日本円にして8千円くらい)とビザが必要だ」と。「はぁ~?!」「たかが4~5時間通るだけだよ?しかも通るなんて知らなかったよ?」「ビザに写真がいる。もってるか?」「いや、もってるけど・・(キューバ用に、結局いらなかったけど)」「とにかく、日本人は一番最初にいけ。ビザの発行に時間がかかる」「???????」「???????」ともかく、国境に着くと、急いで自分たちの荷物をしょって、ダッシュでグアテマラの出国を済ませ、ベリーズのイミグレーションへ。遅くなってバスに置いていかれると困るので。やはり、そこでビザ申請用の用紙を渡され、奥のオフィスに行くことに。このベリーズという国。公用語が英語という以外謎だらけだけど、メキシコ人より仕事がのろいのは確実。イミグレの係りも二人いるのに、やってるのは片方で、もうかたっぽは、マスカラ塗ってたりする始末・・多分、そこで一番えらい人物(恰幅のいいおばちゃん)があたしたちにビザの手続きをしてくれましたが、Happy Valentain! なんて同僚と挨拶してる場合じゃないから!!(この日は2/14。あー日本にいたかった涙)入国税100ベーリーズドルを払い、ようやくさっきのイミグレの列へ。「どうして4~5時間しかいないの~?」と係りのねぇちゃん。「むしろ来たくなかったよ」、とは言いませんでしたが、なにしろ最悪。たかが、通過の為に8千円もとられることになったのです。日本のほかに、スイス、アルゼンチンなどの国籍の人もこの対象だそうです。EUやアメリカ人は何にも払ってなかったのにぃ~~写真があったためか、比較的スムーズに入国は終わり、バスへ。それでもうちらが最後でしたが。ここから、ベーリーズシティーへ、バスに乗る事1時間ほど。しかし、グアテマラから国境を越えただけで、道路事情は格別によくなります。道ぞいに別荘も見えるし。この国は大分豊かなようです。中心部とみられるバスターミナルへ。そこで、お腹がすいた私たち、余る予定のベリーズドルで、食料調達!屋台のおばちゃんからコンビネーションボックスみたいなのを買いました。豆の入ったご飯、ポテトサラダ、チキンとあとこまごま何か。あと、ちゃっかりはがきも買い、再びバスへ。ここからばすに揺られること3時間弱。ベリーズを北に北上し、ついにメキシコとの国境へ!出国税30ベリーズドルを払って無事出国!グッバイベリーズ、foever.ようやく、メキシコ・チェトマルに到着し、ここから、カンクンを目指し、再びバスの旅となるのですが、メキシコをこれほど最高に感じたことはありませんでした。だって、バス快適!道路平ら!ぐっすり眠って、カンクンへ。2は全て一日の出来事。24時間でこんなに急展開な国境越えってめったにないでしょ?両方の国境越えとも疲れたけど、今思えば本とに面白かった旅路の一部。長かった陸路の旅。でも貴重で密な体験は、いい思い出になったね
2007.02.27
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未だ怒りがふつふつしておりまして、中米卒業日記の最初は、最悪なエアラインのお話。今回、日本発着はエアーカナダを利用。一番安かったのと、マイルの関係と、行きにアメリカ経由でなかったから。それが、まさか今まで経験したこともない最低なエアラインとの出会いになるとはつゆ知らず・・・あたしの旅の幕開けは、トラブル続きだった今回の旅の最大のトラブルに始まります。そう、「ロストバゲージ」長旅を終え、メキシコシティー空港にようやく着き、ターンテーブルにて待つ間の不安は、現実になったのでした。前回の夏の旅行に続きこれで2回目。荷物は絶対でてくるもの、自分のはまさかー。と思っている方。そんなことはないです。荷物はなくなることがあります。とりあえず、空港にてなんとかエアーカナダのメキシコシティーの担当者に話しをつけ、明日届くだろうとのことで、迎えに来てくれたMちゃんと予約してあった宿へ。一度ロストになった経験から、最低限必要?なものは手荷物にはしてあったものの、液体規制の関係で預けたものも多く、不便は承知。連れのMちゃんの協力と、明日には手に入ると思う気持ちで初日は無事乗り切ったのでした。ここまででも大分問題だと思いますが、ホントの問題はここから。翌日宿泊先を変えたため、例の荷物の担当者へ電話を入れる。「トロント(経由地)にあったようで、まあ、今日の最初の便(トロントからメキシコシティーまでは、一日2便。午後着と深夜着がある)で着くよ。」ってな感じで言われ、楽観視したあたしがバカでした。ティオティワカンの遺跡を見に行って、るんるんで帰ってきたあたしの期待は見事に砕かれたのでした。フロントに荷物が届く旨を伝えてあったので、真っ先に、着いたか聞きにいくと、「まだ来ないわよ。」「?!」ともかく、また例の荷物の担当オフィスへ電話。ところが、「荷物はまだメキシコについていない」「は?!」「夜着く便にのっているかもわからない」「!?!?!?!?」「エアーカナダから連絡がないから分からない。どうせやつらはいつもそうさ」「!!!!!!!!」この次の日の夕方、あたしは夜行バスでさらにメキシコ南部の町へ移動する予定だったのでした。つまり、この日の夜着く便に荷物が乗っていなければ、確実に荷物を受け取れないことになる。衣類・化粧品はともかく、コンタクトがないと・・・ここはメキシコ、私の安全に関わる問題でもある。つまり、荷物を受け取れない=旅続行の困難を意味する。困った・・・・・・・とにかくエアーカナダにどうなっているのか確認をせねば。トロントの番号なんて分からないので、とりあえず出発地日本の担当番号へ。ともかく、顧客情報を調べてもらったものの、バゲージロストの情報のみで、発送の記録がないと。つまり、データ上は今どこにあたしの荷物があるのか分からないということ。ホントにロスト?!不安になってあたしが「このまま見つからないことって・・・?」と聞いたら、そしたら、何て言われたと思います?「見つからないことの方が稀ですから~」自分の荷物が旅先、しかも旅初日になくなって、ぴりぴりしてる客を相手によくそんなことを言えたものだと思ったが、我慢我慢。それでも接客のプロか?!で、しょうがないから、トロントに問い合わせてもらおうと思ったら、「今から番号を言いますので、お客様からそちらに問い合わせてください」「は?!」「こちらではそういった国際発信はしていません」「(怒)」さすがのあたしも堪忍袋の緒が切れました。だって、あたしが最後に自分の荷物を見たのは成田(日本)。どういった理由があって、自分らに責任はないというのか。じゃあ、日本にオフィスなんて置くな。あたしが、翌日にはシティーを発つことを伝えると、これからの滞在先に届けると。バカいうな。あたしがこれから行く先は、空港だってない小さい町。陸路で転々と旅を続ける限り、荷物をもらうのは不可能なのだ。あたしの口調が強くなったせいか、対応オペレーターは言葉を返してこなくなってしまいました。ホントにhijo de putaです。最初に伝えたし、確認したはずです。あたしは今メキシコから国際電話してるんです。あんたの黙ってる間も凄い料金がかかってるんです。普通のオペレーターなら、こういう事態になる前に、上につなぐか、折り返しかけますと一回電話を切ります。本気でキレ、「上の者呼べ」と言ってから、また待たせる待たせる。あたしの要求は自分の荷物の所在を知りたいだけなのに。で、出た担当者。この方の計らいで、結局現地にあたしの荷物を至急メキシコに送るよう、テレグラムを打ってくれるとのことで、合意に。しかし、荷物がメキシコにないって言ってるのに、「自分の経験上~到着から~手に届くまでに時間がかかる」なんつー長話をされる始末。あんたの経験なんてどうだっていい。結局日本と国際電話30分以上も、直接の解決にはならず、夜の便が着いてからまた、空港の荷物オフィスに電話をすることに。深夜、昨日クレームを出したおじちゃんがでた。「いい知らせと。悪い知らせがある。」「・・・(え?!)」「荷物は今着いた」「ここにある」「ただ、運送屋が、安全のため夜は届けてくれない」「荷物は明日の午前9時にはホテルに着く」とりあえず、翌日になるとはいえ、これで荷物が手に入る。翌日、さすがここはメキシコの洗礼です。9時なんて嘘っぱち。実際に届いたのはお昼過ぎ。もうチェックアウトも済んで、めがねでホントに引きこもり気分で一杯の昼下がりです。お陰であたしが荷物を初めて解体したのは、その日に夜行バスに乗って着いた次の街ででした。3日以上も荷物なしなんて、もうこんな旅行は御免です。何ははともあれ、無事うけとったのでいいのでないか、と思いたいですが、ホントに疲れました。精神が磨り減るとはまさにこのことです。あたしはハワイにいったのではないのですから。メキシコで、買おうと思ってすぐにほしいものが手に入ると思いますか。どこになにがあるのかも分からない街で、市内の一人歩きにアレだけ精神的体力を削る街で、保険が利くからとりあえず買って賄えばいい、ということには到底思えませんでした。これだけのことをできるスペイン語がなかったらと思うと、本とにゾッとします。で、ここで終わらないから、血管が切れそうになって、日本に帰る飛行機に乗ったのでした。ただでさえ、行きに荷物がなくなっている手前、もう乗り換えはぴりぴりだったのに。NYからバンクーバーに着いたときの機内アナウンスで、「トランジットの方も、一度荷物をピックアップして~」という聞き捨てならぬことを耳にし、出口で乗務員に確認すると、その通りだと、説明を受けたので、2時間しかないトランジットのこともあり、急いで税関とバゲッジクレームへ。しかし、待てども、待てども、あたしの荷物は出てこない・・・・・・また、ロスト・・・・????おかしいので、荷物のクレームのところに言って、事態を説明すると、「普通はスルーですね。成田で受け取りです。」と白々しく言われました。だって、さっき、機内のおじちゃんに言われたよ?行きはこれで荷物なくなったかもじゃんか?もうどっちを信用していいか分かりませんが、もう一度セキュリティーチェックを通らなければいけない状況にあったので、もうgoです。で、急いでバタバタと、空港を駆け巡り、ようやくゲートに辿り着いた時には、もう搭乗時間でした。ゆっくりコーヒーくらい飲みたかったし、免税店でお土産も買いたかったし、本と迷惑な話。もう金輪際、エアーカナダなんか使うか。そして、直行便しか乗りたくない。そして、ターンテーブルで自分の荷物を待っていると胃痛がするほど、ロストを恐れるmanchaになりました。
2007.02.27
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昨日、学生最後のテストが終わって、最後と思われる学食を語科の友人たちと食べ、今日、2年半以上(留学はさんでるけど)続けたバイト最終日を迎え、ありきたりの日常を卒業した現実に、イマイチついていけない万茶です。なんだか、2,3ヵ月後には毎年のように、履修どうしよーって言ってそうだし、バイトも、フツウに明日もありそうな気がしてならないのです。それも、これも、自分の人生、自分の決断でしてきたからなんだけど。休学してなかったら、当然もう今頃社会人一年生やってたし、進学するっておもったら(稀にも考えられんが)、まだまだ学生気分だったろうし。バイトをあの店でやるって、あの時思わなかったら、今の自分はいないんだって。一つ一つの自分の下した判断次第、そりゃ人生いろいろですよ。decision making自分の決定が、今の自分の人生の基なのだと。一つ一つの判断が、こんなにも大きいものであったかと。今頃感じてしまう。しかし、自分も歳をとったということか。2年前、留学に行った時は、こんな適応能力のないヤツだとはちっとも感じなかった。それは、学生という、また帰る場所があったからか。次に自分の生活に、こんなdrastically changeが訪れるのは一体いつなのか・・・・そんな、日常が自分にとってどれだけ大事だったか、やっぱり終わってから実感した万茶のぼやき。
2007.02.06
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Quiero vivir Quiero gritarQuiero sentir universo sobre miQuiero llorar de felicidadQuiero encontrar mi sitio (amaral)自分のブログのタイトルのルーツ。I want to live I want to shoutI want to feel the univers above meI want to cry for happinessI want to find my place英語にすると、なんてうすっぺらい。自分の小ささを感じた7月25日。volverte a ver es todo lo que quiero hacerporque sin ti mi vida yo no soy felizlo unico que quiero hacer es poder regresar Tu esperaras por mi (Juanes)Seeing you again is all I want to doBecause without you I'm not satisfiedThe only thing that I want is able to go backYou will wait for me, won't you.もう一度会いたい人は誰にだっている。8月21日。号泣する準備はできていた離陸する飛行機の中。再会があれば、必ず別れがくる。日本への期待と、過去へのreflection一個一個のbye-byeが重くのしかかる。でもあたしは泣かなかった。泣けなかった。涙はそこまで来てたのに。少しでもあたしのことを思い出してくれることを願って。いくつかの空の下9月30日。日付が11/3でとまった日記を見つけてしまった。反省反省。でも、思い返すと懐かしい。その時共感してたものを書いた共感日記。さて、ちゃんと続けなきゃ。寝坊に、鍵のかけ忘れ、日記も続かない怠惰反省の多い日に、ちょっとだけあの日の自分に帰る。この春に出会う思い出を期待してreflection and review
2007.01.24
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30人31脚。one for all, all for oneこの言葉を正しくあらわしている競技。全員が力を合わせないとできないこと。一人だってサボったらそこで終わり。そう、como si fuera el cubo穴があいたらそこから全て流れ出て空っぽになってしまう。Me hace recordar la difensa de la canchaMe hace recordar el harmonia de los coros彼らの涙と、自分のあの時流した涙が重なってしまうのはなぜだろうね。バスから降りて、木枯らし吹く夜の寒空の下、あんな風にみんなで抱き合って泣いた。そして、後のあの時の自分を軽蔑する。なぜか言えなかった言葉「みんなよくがんばったよね!」「ありがとう」画面の中のまだ若い少年が言っていた。後輩の帰国に添えて涙のバラハス空港。me hizo redordar el recuerdo que cuando llegue aquella tiempo al mismo aeropuerto.留学で自分は何を学んだのか。語学は確かにある程度上達はしただろうが勉強に関しては後悔が残るばかり。でも、あの時あたしは自分を誉めた。comparando yo del presente y del anterior自分の中で何かが変わった目には見えない確かなものを得てあたしは帰ってきた。もうあの地を踏むことは一生ないのかもしれない。どんな離陸とともに必ず頭をよぎるこの想い。好きでも嫌いでも、あの国はあたしの第二の祖国なのだろう。硫黄島Quien era un protagonista de manga que habia dicho que ya es un derrota cuando hace su patria al campo de batalla.勝っても負けてもあるのは喪失。ポルケ?paz y felizどうか全ての世界へ。Me hicieron llorar.自己嫌悪に陥っていた雨の日の午後。
2006.12.09
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