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EF65牽引 20系寝台客車:団体列車登場以来、国鉄で一世を風靡した20系寝台客車。軽量客車の宿命から痛みも早く、24系寝台客車の登場により陳腐化も目立つようになると、急行列車への格下げ使用や、廃車も出るようになります。さらに、新幹線の新規区間開業による14系寝台客車への置換えにより、国鉄末期時代には定期急行客車からも撤退することを余儀なくされました。そして、波動用に残された残党のみが細々と使用される状態までに。昭和60年10月頃 東大宮~蓮田間にて EF651000番台牽引 20系客車プリントからのスキャンが思ったよりも画像が悪いため、カマ番がハッキリしません。PFが牽引する上り団体列車で、電源車を含む7両編成となっています。この年の9月半ばまでは科学技術博覧会(つくば博)が開催されており、20系客車による活躍の舞台もありましたが、既に東北・上越新幹線の上野開業も終えており、急行列車の全廃と共に、いよいよ活躍の舞台も無くなってきた頃と思われます。この頃既に20系客車の上部ラインが消されるようになってきましたが、この編成では奇跡的にもすべての車両のラインが残っているようです。大好きだった20系客車もこの頃になると憐れみを感じるだけとなっており、最後の活躍もあまり喜べるものではありませんでした。
2024.12.04
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485系:特急「いなほ」(貫通型)「いなほ」は、上野~秋田を上越・羽越本線経由で結んでいた特急列車です。誕生当初は羽越本線に非電化区間が残っていたため、「つばさ」のキハ181系化により押し出しとなったキハ81系が使用されていました。昭和47年に羽越本線が全線電化となり、これに合わせて青森運転所の485系が使用されるようになります。また、上野~青森間を結ぶ1往復が増発され、2往復体制となりました。今回は485系200番台貫通型の写真を並べます。昭和51年 上野駅にて上野駅19・20番線で583系「みちのく」と顔を揃えた「いなほ」。昭和53年10月のダイヤ改正まで長く見られた風景です。確か、「やまびこ」からの折り返しのため、上越線経由の特急ながらも地平ホームから発車していました。昭和52年 西川口~蕨間にて下りの「いなほ」号です。併走する京浜東北線の103系低窓クモハも今や懐かしい思い出。昭和52年 東十条~赤羽間にて現在の埼京線側から撮影したもので、高架化される前は、赤羽駅の東十条寄りに踏切があり、安全に撮影することが出来ました。奥の土手が京浜東北線の線路です。昭和52年 蕨~西川口間にて定番の場所での写真。この頃の東北特急は、「あいづ」を除き全てが12連又は13連。全ての昼行特急は食堂車を連結・営業しており、特急列車としての貫禄を備えていました。昭和53年3月12日 新前橋駅にて新前橋駅構内を通過する特急「いなほ」。現在では昼行全ての特急が停車する新前橋駅ですが、当時は1本も特急が停まることはありませんでした。昭和55年 西川口~蕨間にて昭和57年 上野駅にて青森から到着した上り「いなほ」ですね。もう57・11改正にかなり近い時期のものではないかと思います。左側には新特急移行前の185系急行が停車しており、さらに、右側には1枚も撮影したことの無かった103系時代の山手線がバッチリ写っていました。こんな何気ない駅撮り写真ですが、当時の状況が良く反映されていますね。昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて上越線の撮影に行った時に撮影したものです。逆光だったので写りが悪いですね。イラスト化後唯一のカラー写真だったのですが、色合いが判明しないような写真しかなくて非常に残念です。「いなほ」は2往復設定されており、昭和52年以降、上野~秋田間を結ぶ列車は秋田運転所持ち、上野~青森間を結ぶ列車は「はつかり」「やまびこ」などの列車とともに共通運用を持つ青森運転所持ちでした。したがって、秋田運転所開設以降、貫通型は青森運転所持ちの1往復にしか見られることができませんでした。
2024.12.03
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「北斗星」用客車:スハネ25500(JR北海道)スハネ25500番台は、「北斗星」の運転開始に合わせて改造により誕生したJR北海道籍のミニロビーを備えたB寝台車(ソロ)です。運転開始時からJR北海道編成の方が個室化の割合が高かったためか、定員の取れないロビーカーを連結せず、ソロに併設した形でミニロビー及びシャワー室を設備していました。JR東日本には存在しない形態です。501~503の3両があり、501・502はオハネ25から、503のみオハネ14500から改造されています。最後まで3両のみで終結となり、最盛期の3・4号運用分についてはJR東日本に合わせて全室ロビーのオハ25で対応しました。平成21年11月26日 上野駅にて スハネ25502ミニロビーと合わせてシャワー室が併設されており、エンブレムの上の2つのダクトはシャワー室の換気扇になっています。平成27年2月7日 スハネ25503平成27年3月3日 スハネ25503平成27年3月8日 スハネ25501上野駅で撮ったのはかなり前のことでしたが、JR北海道車であるために尾久セの公開時でも撮れる機会がなく、「北斗星」の臨時化によりJR北海道車の連結がなくなってしまうということで慌てて撮影したものです。偶然ですが、意外と3両とも撮ってありました。2回目に乗車したときの「北斗星4号」がJR北海道編成であったため、シャワー室を利用する機会が1度だけありました。ロビーカーに比べるとやはりロビー室の圧迫感は比較にならないですね。でも、意外とそれほど居住性は悪くなかったように記憶しています。デジカメのない時代の乗車でしたので、車内の写真を1枚も撮っていないのは残念でした。
2024.12.02
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EF65牽引 旧型客車:団体列車(宇都宮駅100周年)国鉄時代の旧型客車は、原則として季節に関係なく必ず暖房が可能な機関車の運用を限定していました。昭和60年7月28日 栗橋~東鷲宮間にて EF65PF牽引の団体列車この列車は、宇都宮駅100周年を記念して運転された団体列車で、廃車目前の旧型客車をかき集めて組成した編成のようでした。季節的には暖房が必要ないため、どんな機関車が牽いても基本的に問題はないのですが、あくまでも原則論がある中での特例であるわけですから、運転距離・時間が極端に短いなどの運用上支障が無い場合の他は、このような編成はありえません。ですから、この列車はあくまでもファン向けに仕組まれた編成・運用であり、特殊な例と言えるでしょう。現役時代も殆ど見ることが出来なかった光景として貴重なものであると思います。
2024.12.01
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