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E3系2000番台(初期塗装):山形新幹線「つばさ」山形新幹線「つばさ」に使用しているE3系1編成にシルバーカラーが復刻されるそうです。E3系つばさ シルバーカラー 運転400系時代のカラーと思いきや、フツーにE3系2000番台のカラーのようです。一度アップされたものですが、これを機会にアーカイブしておきます。※本記事は、2013-11-27 に投稿したもので、当時の表現になっています。2014年(平成26年)4月頃から新塗装への切替えが始まった山形新幹線。あれから約2年半、平成28年10月をもって旧塗装車の運用が終わることが発表されました。現在は、400系「つばさ」と置き換えに誕生したE3系2000番台が主力となり、山形新幹線の新庄延長開業の際に増備されたE3系1000番台も使用されています。車両そのものの置き換えになる訳ではありませんが、開業以来伝統であったシルバー車体が消滅するということで、ここで一旦アーカイブしておこうと思います。平成24年8月25日 E2系+E3系 「やまびこ124号」+「つばさ124号」個人的な好みの問題ですが、この2000番台の顔ってイマイチ好きになれず、間には撮ったことがありませんでした。撮影時期から見て塗装変更が発表された後であり、別の撮影をしていて”仕方なく撮っておいた”ような状況でした。同編成がSuicaラッピングであったのはラッキーでした。平成26年3月9日 E3系 67編成 「つばさ139号」平成26年3月9日 E3系 「つばさ138号」平成26年6月14日 E3系 「やまびこ127号」+「つばさ127号」平成26年6月14日 E3系 「やまびこ172号」+「つばさ172号」駅撮りばかりなのでショボイ写真ばかりでした。福島以遠の景色の良いところで撮れば絵になるんでしょうが、在来線時代の板谷峠を知る身となれば、今さら訪問する気にもなかなかなれません。
2023.01.31
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183系OM車:快速「シーハイル上越」※本記事は、2013-11-27 に投稿したもので、当時の表現になっています。スキー列車は昭和40~50年代をピークに段々と減り続けています。趣味の多様化が原因と考えられますが、上越に関してはモーターリゼーションに加え、新幹線の需要もかなり影響していると思われます。かつては上越越えの夜行スキー列車が何本も設定されていましたが、今や皆無となっており、常連としてはこの快速「シーハイル上越」くらいしか見当たらなくなってしまいました。毎シーズン運転されるとあって、ヘッドマークも用意されています。※撮影は、いずれも平成20年2月10日、大宮駅にて。クハ182-101クハ183-1529クハ182-101 ヘッドマーククハ182-101 ヨコサボ大宮始発となっており、地元を通らないことから、設定日数が多い割にこの1回しか撮ったことがありませんでした。雪中撮影も考えていたのですが、その計画も腰が上がらないうち、平成26年1月の運転から185系にバトンタッチすることになりました。
2023.01.30
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205系0番台:南武線平成28年1月9日、南武線における205系の活躍に終止符が打たれました。最終運転となったのは、山手線からの中間車改造であるナハ46編成でした。南武線の205系は平成元年から運用されており、山手線などからの転入車、そして中間車に運転台を取り付けた改造車がありました。その活躍は実に27年にも及ぶものとなっていました。私自身としては、全く生活に関係の無い地域ながら、武蔵野線開業当初に初めて府中本町まで行き、南武線の存在を知りました。当時はまだ73系4連が活躍している頃でした。その後も利用する機会はありましたが、205系になってからはほとんど縁もなくなってしまい、現場回りの際にほんの少ししか撮影していませんでした。平成22年4月22日 西府~谷保間にて103系が廃止になってからは、南武線はあまり使用していなかったかも。何度か乗った記憶もありますが、写真は撮っておらず、この写真が初めてだったようです。まだそれほど昔のことではありません。雨の中ですが、待ち合わせの時間調整中に線路際で。暗い上に性能の良くないカメラ、傘を差しての片手撮りと、条件は良くありませんでした。平成22年6月9日 西国立駅にてこれも現場回りの帰り道に撮影したもの。この時は改造車を期待したのですが、0番台でした。平成26年3月9日 モハ204-76 大宮駅にてまさかですが、最後の撮影となったのは、大宮総合車両センター入場車でした。でもまあ、中間車を撮る機会もなかったので、これはこれで記録になりました。結果的に改造車の1200番台は撮ることが出来ず、ラストランに行けばなんとか記録できたわけですが、とにかく人混みとかお祭りとか嫌いなので行きませんでした。103系:南武線(最晩年)旧型国電 73系:南武線(立川駅)
2023.01.29
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EF641001牽引24系寝台客車:団体列車「越後」いつ頃からでしょうか、上野~越後湯沢間に24系寝台客車を使用した団体列車が運転されていました。1年に1~2度程度運用され、その都度牽引機が変わっており、さらにプッシュプルで前後とも違ったデザインのヘッドマークが取り付けられるなど、鉄道マニア向けの趣向を凝らした列車でした。地元を通る列車ですが、運転情報が非常に掴みづらいため、いつも後から知って悔しい思いをしていましたが、1度だけその姿を捉える機会がありました。平成21年7月4日 12:10 EF641001 団体列車「越後」この時はDJ誌に運転予定が掲載されていたようです。今ではまったく記憶にありませんが・・・。当時の記録によると、(以下、当時のブログ記事引用)既報のとおり、上越線内の大雨による抑止があり、大幅に遅れた上りの夜行列車。DJで予告されていたブルトレ使用の団体列車の送込み回送も、遅れに巻き込まれてしまいました。本来であれば5:55頃に通過予定の回9724レ。その後の「北陸」が3時間40分遅延で通ったものの、その前後にも通りませんでした。ひょっとしたら本運転に間に合わず、返しの越後湯沢~上野間だけの運転か?なんて勝手に思い込んで、臨時「あいづ」を撮った後、帰宅してしまいました。そして、しばらくするとlineさんから電話があり、回9724レが通ったとの連絡。既に上野発の時間を大幅に過ぎているものの運転されそうな雰囲気なので、待機しておりました。そして、待ちきれずに線路際へ出掛けると、lineさんから『東十条通過』のご連絡あり、その瞬間をワクワクしながら待ちます。前後で違うデザインのマークが付いているそうな。となっていました。後部のEF81も撮ろうとしていましたが、振り返った瞬間に湘南新宿ラインにカブられて撮ることが出来ませんでした。そのことだけは非常に印象強く残っています。DD51が牽引したりなんてこともあったようですが、残念ながら撮影できていません。今となってはブルトレ車両そのものが無くなってしまいましたので、今後このような団体列車が運転されることはなくなりました。
2023.01.28
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583系:団体列車「スターライトライナー」JR東日本に残る現役583系としては唯一となってしまった秋田車両センターの6連ですが、ご存知のとおり、平成23年ダイヤ改正までは仙台に所属していました。本来なら全廃になってもおかしくはないところ、動態保存の如くレストアをした編成です。仙台時代も仙台地区の団体を対象に、ディズニーランド向けの臨時列車として月に2回程度は上京していました。晩年は特に愛称が付いていなかったと思いますが、私が初めてこの団体列車を撮影した時は、「スターライトライナー」という愛称が付いていました。※撮影は、平成20年2月10日です。前日に発生した武蔵野線における沿線火災並びに信号機故障に伴う大幅な遅延により、撮影予定であった臨時・団体列車にも大きな影響が及びました。仙台車の583系を使用した団体列車「スターライトライナー」が6:14着15発で来る予定だったのですが、武蔵野線での運転見合わせにより到着していません。他の写真を撮っていた際に臨時列車到着の放送が入り、見ていたら583系の姿が・・・慌てて移動。大宮駅で抑止が掛かっているらしく、全く動く様子がありません。ちなみに、到着したのは7:35くらいで、1時間20分くらい遅れたようです。東北線内どこかの駅の中線で止められ、取り敢えず大宮まで辿り着いたのでしょう。大宮駅にて停車位置がほぼ209系と同じところでしたのでツーショットです。団体列車でも名称が発表されていたのでヘッドマークを期待したのですが、残念ながら「臨時」表示でした。やはり後部も「臨時」でした。orzそして、約20分停車の後、7:55くらいにやっと発車して行きました。何とか583系の写真を撮ることができたので、武蔵野線の動き次第で常磐緩行線でも撮りに行こうかなんて思いながら南浦和へ。乗り換えて新松戸方面のホームへ上がっていくと・・・!なんで583系が停車しているんだ???中線の無い南浦和では、乗降の無い列車が停まることは無いんですよ。ということは、動き出したとはいえ、相当つかえているな・・・。常磐緩行線の撮影は断念し、反対側ホームから583系を撮ろうと府中本町方面のホームへと。そしてここで悲劇が。遅れていた府中本町行きが到着、遮られてしまいました。しかも交代乗務員が到着していないため、暫く停車するとのアナウンス。ホームを府中方へ歩いていくと、今度は『団体列車が発車しま~す!』のアナウンスが・・・今度は慌てて新松戸方へ走る。恥ずかしい。やっと現れた交代車掌が引継ぎをしている直ぐ横で、シャッターを切る!私だけ世間一般と全く違う行動をしているのが自分でも可笑しい。南浦和駅にて完全に間に合わないタイミングでしたが、583系が比較的ゆっくり加速してくれたので、後部だけでも撮ることができました。当時から秋田からの列車は「わくわくドリーム号」のヘッドマークがあったので、このシチュエーションは非常に残念でした。
2023.01.27
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キハ82系:特急「北海」特急「北海」は、函館~旭川を結ぶ本州連絡の気動車特急として誕生しています。特急「おおぞら1号」とともに函館駅で青函連絡船の第1便を受け継ぎ、北海道の特急としては唯一函館本線山線経由で旭川まで走破していました。また、多客期には網走まで延長運転されたこともありました。晩年は札幌~旭川間が電車化により廃止となり、晩年は急行の格上げで2往復体制となっていました。昭和56年3月 滝川駅にて 旭川まで運転されていた頃の特急「北海」を電化区間の滝川駅で捉えたものです。史上でも唯一となる、函館本線(函館~俱知安~旭川間)を走破する特急でした。※ちなみに、急行では「宗谷」(函館~俱知安~稚内間)がありました。昭和56年3月19日 張碓~銭函間にて北海道の特急としては、山線であると同時に、唯一日本海に面した場所を走ります。昭和56年3月 撮影場所不明何処で撮ったかわかりません。特急停車駅ですが閑散としています。おそらくですが、深川駅ではないかと思います。昭和58年9月6日 小沢~倶知安間にて 特急「北海1号」「北海」自体が晩年の頃です。このときは、キハ183系の「北海」と1往復づつの計2往復が運転されていました。キハ82系の頃としても晩年になります。北海道旅行が航空機にシフトしていく時代になり、残念ながら北海道の特急の中でもいち早く消滅してしまいました。
2023.01.26
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14系寝台客車:寝台特急「北星」寝台特急「北星」については、20系時代の写真を過去ログ『20系寝台客車:寝台特急「北星」』でご紹介いたしましたが、今回は、昭和53年10月改正以降の14系化後の写真を、少ないですがご紹介したいと思います。昭和54年5月 蕨~西川口間にて20系客車から14系化された「北星」です。20系じゃなくなったことから興味が失せ、全く撮る気の無かったころなのですが、1枚だけ文字マーク時代の「北星」を撮っていました。35mm判リバーサルフィルムからスキャンしたものです。昭和57年5月 浦和~南浦和間にて EF651010牽引東北新幹線の大宮暫定開業を間近にした頃の「北星」。14系客車になった頃には、牽引機がEF651000番台になっていたのではないかと思います。ヘッドマークの付かない地味な編成だったので、やはり殆ど撮ったことがありませんでした。昭和57年11月6日 上野駅にてイラストマークがやっと板に付いてきましたが、廃止まであと1週間になってしまいました。既に東北新幹線は開業していますので、下車客も少なく静まり返ったホームは、ブルトレの衰退を見事なまでに表現しています。寂しいもんですね。昭和57年11月13日 上野駅にて 横サボ上野行最終日前日の「北星」のサボ。おそらく、噛り付いたガキ鉄を避けるために横サボだけ撮ったものと思われます。いよいよお別れです。昭和57年11月14日 上野駅にて 183系「とき」と並ぶ下り最終「北星」上越新幹線開業前の最終日、沢山の愛称が上野駅から去っていきました。この2つの列車もこの日限りでした。しかしこの人だかり、どうにかならないもんですかね。いつの時代も同じですね。昭和60年7月7日 東大宮操車場にてイベントの際に展示された1両のスハネフ14。幕は「北星」が用意されました。本体列車も旧客をEF8181やEF5889が牽引し、ロイヤルエンジンEF5861が撮影会に参加するなどレアなイベントでしたが、この「北星」も廃止されてから久しかったので、結構な人気が集まっていました。急行時代から「北陸」と同様の運命を辿ってきた「北星」でしたが、新幹線という競争相手の進捗の違いによって、相当な寿命差が生じることとなりました。20系寝台客車:寝台特急「北星」
2023.01.25
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常磐線:荷物気動車(キニ55・キニ56・キニ58)常磐線の隅田川~水戸間には、いつ頃からかわかりませんが、気動車の荷物列車が昭和50年代まで走っていました。常磐線には急行荷物列車も走っていましたし、普通列車にも荷物輸送を目的とした客車列車もやはり昭和50年代まで設定されていました。確かに、本線系では短距離用の荷物電車が設定されていたことを考えれば、常磐線に荷物列車が設定されていてもなんら不思議ではないわけですが、なぜ気動車だったのでしょうか?昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて首都圏では最後まで見られた10系列の気動車で、大変貴重な存在でした。走っている時間帯も良く、常磐線に撮影に行くと良く出くわしましたね。写真は下り列車。昭和57年10月12日 土浦~荒川沖間にて キニ563+キニ553上の写真が進行方向先頭で、下の写真が後追いです。1両目の車輌は「キニ563」で、元「キハ5514」からの改造車です。昭和49年12月17日に大宮工場で改造・竣工し、水戸機関区に配置されました。種車の「キハ5514」はキハ55型の初期車で、妻面にRが付いた独特の形状をしており、改造後もRが付いたままの車体で特徴がありました。昭和61年12月18日付けで廃車となっています。2両目の車輌は「キニ553」で、元はキハ10系の2エンジン車「キハ5110」からの改造車です。3は昭和40年9月2日に多度津工場で改造・竣工し、他の1・2・4とすべての車輌が竣工とともに水戸機関区に配置されました。キニ55の2と3が昭和58年6月17日に、1と4が昭和59年5月8日に廃車され、10系気動車として最後まで残った形式でもあります。昭和60年8月25日 神立~高浜間にて キニ56+キニ58この写真は後追いです。番号は未確認ですが、後尾車(右側)の「キニ56」は水戸機関区に1台のみの配置ですので、「キニ563」で間違いないでしょう。先頭車(左側)は「キニ58」で、老朽化した前述「キニ55」の代替車として、2エンジングリーン車である「キロ58」からの改造で誕生しています。昭和53年7月から9月にかけて名古屋工場・幡生工場で3両が改造・竣工し、全車水戸機関区に配置になっています。荷物輸送の廃止により、昭和61~62年にかけて全車が廃車になっています。(「キニ581」は「碓氷峠鉄道文化むら」にて保存・展示。)水戸機関区配置の荷物気動車は、全国に配置された改造荷物気動車に比べてバラエティーさには欠けますが、常磐線用に2エンジン車を配置していたのが特徴といえます。これは、平坦路線の常磐線ですが、電車のダイヤに影響させないための措置と聞いております。交流又は交直両用の荷物電車が今もって製造・改造されたことが無かったのは、交流区間における普通列車が客車列車主体であり、特別に専用の荷物電車を用意する必要がなかったという時代背景でしょう。もし、現在も荷物輸送が活発に行われていれば、もしかしたら誕生していたかもしれません。【中古】(非常に良い)マイクロエース Nゲージ 国鉄キニ58首都圏色 2両セット A0720 鉄道模型 ディーゼルカーマイクロエース Nゲージ 国鉄キニ28首都圏色 2両セット A0719 鉄道模型 ディーゼルカー[cb]6168 KATO カトー キユニ28 首都圏色 Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 6168 キユニ28 首都圏色【中古】Nゲージ マイクロエース A0721 国鉄 キユニ28 首都圏色 2両セット 【A´】 ※外箱若干傷み
2023.01.24
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583系:急行「シュプール蔵王」かつては一世を風靡したシュプール号。さらに時代を遡ると、「○○スキー」や「○○銀嶺」といったスキー列車が多数運転されていました。昔は自動車の免許取得率が低く、スパイク&スノータイヤでクルマ移動なんて、多少お金持ちじゃないと出来なかったかもしれませんね。高速網も発達していませんから、列車が一番合理的な移動手段だったのでしょう。そういう意味では、格安シュプール号の時代は既に高速バスに客を奪われ始めた国鉄~JRの対抗手段、いわゆる苦肉の策だったのでしょう。その中でも、583系を使用したシュプール号は、座席車としても寝台車としても使用できる万能車で、定期列車では入線しなかった上越線や信越本線、奥羽本線にまで顔を出すようになり、ファンからは注目を集めていた列車だったと思います。平成2年2月18日 奥羽本線 庭坂駅にて 583系「シュプール蔵王」改軌前の奥羽本線福島~山形間に入線していた583系「シュプール蔵王」。この区間を走った583系定期列車は無く、私的にはこの区間の583系列車に違和感があります。「シュプール蔵王」は、同区間が新幹線の改軌工事により通行が出来なくなるシーズンまで、板谷峠を越えて運転されてました。この撮影の帰り道、庭坂から乗車した福島行きはなんと715系1000番台。人生の行先を変えさせられてしまった兄弟が、同じ線路でそれぞれの運命を歩んでいました。
2023.01.23
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EF510牽引:団体企画列車「みちのくSLギャラクシー」JR東日本では、2023年春の臨時列車を発表しました。以前から、釜石線で運転されていた「SL銀河」の運転終了についてプレスが打たれていましたが、今回のプレスにより、6月4日が最終運転となることが正式に告知されました。結局、一度も訪問することは叶わないまま、引退となってしまうことは残念ですが、登場時にその姿を見ることができたのは幸いでした。※本記事は、2014-03-09に投稿したもので、当時の表現になっています。東日本大震災から3年、フジテレビがJR東日本の協力により三陸と東京を繋ぐ特大プロジェクトとして「みちのくSLギャラクシー」号が運転されました。ドラマ撮影で貸し切り列車を運転する例は今までも良く見られましたが、このような支援プロジェクトで、しかも長距離仕立ての列車を運転することは非常に稀なことと思います。鉄道ブームであるこの時代だからこそという企画ですね。列車は、平成26年3月7日に釜石を出発、翌8日に上野に到着するという設定です。釜石~花巻 11:00~15:16 C58239牽引花巻~郡山 16:00~20:53 ED75757牽引郡山~尾久 8:24~12:46 EF510-515牽引尾久~上野 13:26~13:43 D51498牽引客車は「SL銀河」用キハ141系4両上野駅への蒸気機関車入線は10年振り、しかも尾久~上野間のみという悪条件ですので、劇パを避けるために地元での電機牽引を撮影することに。やはり地元で撮るからこそ価値があると考えています。※撮影は、平成26年3月8日です。EF510-515牽引 9116レ 団体列車「みちのくSLギャラクシー」EF65が牽引すると予想していましたが、8日発の郡山からのスルーでEF510の登板となりました。キハ142-701キサハ144-702キサハ144-701地元を通る列車(車両)として注目すべき点は、SLやELよりも、むしろこの客車を気動車化したキハ143にあります。北海道で活躍し、本来ならお役御免のこの車両をSL列車の客車として、さらには補助機関を活用するという発想によって第3の人生を歩むことになった車両たち。東北地域内では今後の活躍が期待される訳ですが、おそらく、この車両が今後上京することはまず考えづらいでしょう。本当は各車両を1コマずつ丁寧に撮りたかったのですが、あまり撮影場所として適切ではなかったですね。被災地の復興と、これら車両の今後の活躍を強く願います。グリーンマックス 30222 JR北海道キハ141形/キハ142形 新塗装 増結2両編成セット(動力無し)[完成品モデル]
2023.01.22
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キハ82系:特急「おおぞら」(その2)「おおぞら」は、キハ82系を使用して昭和36年10月に誕生した北海道初の特急列車です。運転区間は函館~室蘭本線・千歳線経由~旭川でした。昭和37年、旭川編成に釧路編成を併結開始。「おおぞら」の原形が出来上がります。一旦は旭川編成が無くなり、釧路編成単独となりますが、その後再び復活したことがあります。昭和47年から3往復体制となり、しばらくこのスタイルで推移しましたが、昭和56年に石勝線が開通、函館~札幌間が「北斗」と分離されるなどの変遷があります。私が北海道に渡ったのは、未だ石勝線が開通する前でしたので、函館本線滝川から根室本線富良野を経由して釧路へ至るルートを通っていました。『キハ82系:特急「おおぞら」(その1)』で電化区間における「おおぞら」をご紹介いたしましたが、今回は非電化区間で撮影したものをアップいたします。昭和55年3月9日 函館駅にて高校1年生の時、北海道に渡って初めて出逢ったのがこの「おおぞら」でした。「はつかり」1M~青函1便を経て1Dへと、往年の優等ルートがつながっていました。昭和56年3月13日 落合~新得間にて当時は地図を買っておくと言うような知恵もなかったので、ひたすら線路沿いに歩いて撮影場所を探しました。これから30km近くある駅間に臨みます。フル馬力で登坂するディーゼルの長大編成は圧巻です。昭和56年3月13日 落合~新得間にて同じ地点における下り列車。終点釧路まではまだまだです。昭和56年3月13日 落合~新得間にて大きくカーブを描きながら渡る橋梁。言わば新得側から最初のヘアピンカーブになります。昭和56年3月13日 新得~落合間にて原版は真っ青な空なのですが、そのお陰で列車がドアンダーになってしまったんですね。そんなことで、明るさを調整すると、頃合としてはこの辺りが限界なようで。キハ82の2連続。当時としては珍しいですね。昭和56年3月17日 落合~新得間にてこちらは軽やかに坂を下りる「おおぞら」。力を入れないのでさわやかな感じがします。珍しくピントがバッチリ合ったのですが・・・右側に荷物が写ってしまって台無しになってしまいました。昭和56年3月17日 富良野駅にて新得での撮影が終わって札幌へ向かう途中、遅れてきた「おおぞら」とすれ違いました。写真は普通に撮っていますが、振り返ると私たちの乗った列車が走り出してしまい、友人と二人で列車を追いかけて飛び乗って事なきを得るという危うい場面がありました。自動閉塞なので、「おおぞら」と同時ベルで発車してしまったようです。いやぁ~、車掌さんにマジで怒られました。今では富良野駅へは「おおぞら」どころか特急すら通りませんから、思い出とともに貴重な写真となりました。【中古】Nゲージ KATO(カトー) 6068 キハ82 900 【A】【中古】[RWM]10-229 キハ82系 6両基本セット(動力付き) Nゲージ 鉄道模型 KATO(カトー)(20050630)送料無料◆98774 TOMIX トミックス JR キハ82系 特急ディーゼルカー (ひだ・南紀)セット (6両) Nゲージ 鉄道模型(ZN90139)
2023.01.21
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485系(非貫通型編):特急「あいづ」磐越西線(郡山口)における特急列車は、昭和40年誕生のキハ82系「会津やまばと」を起源とします。昭和43年10月1日、「やまばと」から会津編成を独立、電車化(483系化)され、特急「あいづ」が誕生します。特急「あいづ」は、仙台運転所の9連を使用しており、他の編成と同様に仙台方はボンネット車率が高かったため、上野方に連結されたクロと合わせて両端がボンネットの整った編成が多かった印象的でした。仙台方に非貫通型や貫通型が連結されることが少なかったため、秋田運転所に移管されるまではあまり見ることができませんでした。昭和52年 上野駅にて昭和52年 蕨~西川口間にて昭和53年 西川口~蕨間にていずれも53・10改正前で、イラストマーク化されていない時代。仙台運転所ではまだ1000番台もまだ少なかったので、非貫通型は本当に珍しかったように記憶しています。さらに、貫通型も見た記憶が無く、残念ながら写真は1枚もありませんでした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 11-329 トレインマーク 485系/489系ボンネット用(文字)トレインマーク変換装置485系300番台(国鉄・イラスト) 【KATO・11-325】「鉄道模型 Nゲージ オプションパーツ」[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1130 485系初期形 2両増結セットファーストカーミュージアム 485系(雷鳥)【TOMIX・FM-025】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」485系特急電車(しらさぎ・新塗装)セットC (3両)【TOMIX・98652】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.01.20
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485系(ボンネット型クハ編):特急「あいづ」磐越西線(郡山口)における特急列車は、昭和40年誕生のキハ82系「会津やまばと」を起源とします。昭和43年10月1日、「やまばと」から会津編成を独立、電車化(483系化)され、特急「あいづ」が誕生します。昭和57年11月改正まで一貫して仙台運転所の車両が使用されていましたが、東北・上越新幹線の開業により秋田運転所へ運用を移管。さらに、平成5年11月に伝統ある上野発着の特急あいづ」は廃止されました。昭和54年 西川口~蕨間にて昭和54年 蕨~西川口間にて特急「あいづ」は、磐越西線内の有効長の関係により、最大で9両編成とされていました。サシを連結したことにより、MT比の関係から上野方にはクロ481が使用されていたのが特徴で、会津若松方はクハ481のボンネット型が多用されていました。この9両編成は、長らく特急「ひたち」と共通運用でした。[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 11-329 トレインマーク 485系/489系ボンネット用(文字)トレインマーク変換装置485系300番台(国鉄・イラスト) 【KATO・11-325】「鉄道模型 Nゲージ オプションパーツ」[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1129 485系後期形 2両増結セット[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1130 485系初期形 2両増結セットファーストカーミュージアム 485系(雷鳥)【TOMIX・FM-025】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」485系特急電車(しらさぎ・新塗装)セットC (3両)【TOMIX・98652】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.01.19
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キハ58系:能登色(七尾色?)国鉄色一辺倒であったキハ58系も、JRになると各社で様々な地域色が発生するようになりました。それは逆に私自身の写欲を削がれた最大の理由でもあったわけですが、そんなことで地域色豊かなキハ58系というのは殆ど撮っていません。今になってみると、そんな個性色豊かだったキハ58系たちも、更なる塗色更新、路線の廃止、果ては車両そのものの廃車という運命にあり、何らこれらに興味を示さなかったことが仇になって返って来たように思います。平成3年2月10日 七尾線 能登中島~西岸間にて現在はのと鉄道になってしまった区間ですね。七尾線にC571+C56160の重連が走るということで、はるばる能登半島まで行った次第。わが人生でも能登半島に行ったのはこの時だけです。写真のキハ58系能登色(七尾色?)も、現実には彼等を撮影するために用意したアングルではなく、この後来るSL列車のためのものであります。練習のために前走りとしてきたものを撮っただけ。当時、七尾線の車両は殆どがキハ58系であり、同じような配色でありながら、急行色と普通色が存在するという異例の路線でした。写真の車両は急行色のようです。その後、七尾線は和倉温泉までの電化、七尾以遠の「のと鉄道」へ切り離しなど大きな変化を向かえ、キハ58系には黄色ベースの新能登色に変更されるなどし、このデザインの車両たちも比較的短期間で解消してしまったようです。
2023.01.18
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485系3000番台:臨時特急「つがる53・54号」奥羽本線の秋田~青森間に運転された特急列車の歴史を見てみると、かつて昼間は「白鳥」と「いなほ」の各1往復くらいしか走っておらず、他には夜行で「日本海」「あけぼの」といったブルートレインくらいのものであり、優等列車の少なかった時代はこれらの夜行列車もヒルネ利用として使われていました。新幹線網の整備によりアクセス特急も充実することになり、「いなほ」「たざわ」といった外区間からの直通列車や、純粋に秋田~青森間に設定された「むつ」などもありました。しかし、この区間の乗車率は決して良くは無く、運用の効率化により系統分割が図られ、短編成特急「かもしか」へと移行されることになります。この時期、この区間には撮影に訪れることが無かったため、その記録は残念ながらありません。東北新幹線が八戸まで延伸された際、それまでの「はつかり」は北海道函館への直通列車が「白鳥」となり、青森までの列車が「つがる」に改名されることになります。その際、季節延長で弘前まで足を伸ばすこともあったようです。さらに東北新幹線が新青森へと到達すると、東北本線内でのアクセスが不要になってしまうことになり、青森~秋田間の特急列車が整理され、ここに現在の秋田~青森間の特急「つがる」に定着することになります。それまで485系3000番台を中心に使用してきた「つがる」でしたが、E751系が余剰となったために運用が整理され、検査や故障時を除いてはE751系によるを行っていました。そんな中でも、臨時列車には予備車である485系3000番台が充当されることがあり、全国から485系が次々と姿を消していく中では貴重な存在となっていました。平成24年3月11日 青森駅にて 特急「つがる53号」「あけぼの」の撮影を邪魔するかの様に停車中の485系「つがる」でしたが、既に青森センターの485系は定期運用を持っていませんでしたので、大変貴重なシーンでした。485系3000番台を直に見たのも初めてだったと思います。平成24年3月13日 青森駅にて 特急「つがる54号」同じ回の撮影最終日、青森駅へ出向くと偶然にもまた遭遇しました。たまたま遭遇した臨時特急「つがる」。目的には入れていなかったので、今になって思えばラッキーな出会いでした。函館新幹線の開業により完全に行き場を失ってしまった青森センターの485系。平成28年3月、青森センターは盛岡センターの派出に格下げされてしまったようで、485系も盛岡センターへの所属替えとなったようです。そしてその後は活用されることもなく、廃車となってしまったみたいです。
2023.01.17
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こちらでは未だに鉄道模型ネタを投稿していなかったので、ちょっとネタフリをしておきます。20年ほど前に発売されたマイクロエースの動力車において、ダイキャストが崩壊する現象が起きており、ネットをググってみるとそこそこの記事がHITします。私もその年代にそれなりに購入しており、しかも長くもっておきたいものだけ購入していたので、該当製品があったのは非常にショックでした。特に、ED71やDD50という、当時、他社ではほぼ製品化されることがないであろう車種が対象になっていたからたまりません。2023年になって、このダイキャスト崩壊について大きな進展があったため、親ブログに投稿した記事をここにご紹介したいと思います。『マイクロエースDD50はやはり崩壊していた』なお、記事には触れていませんでしたが、ほかにもDD14、クモニ83、D51+ロータリー車のテストを行いましたが、多少ぎこちない動きの車両があるものの、概ね問題なく可動しました。ただ、危機感を抱いた点がひとつ。ブリスタからさらに車両を保護するために車両を巻いているビニール。特に乳白色の物は劣化が始まっています。おそらく、これを放って置くと、劣化から溶解が始まり、本体を溶かしてしまう危険があります。お心当たりの方がいたら、迷わず除去してしまった方が良いと思います。あくまでも自己責任になりますけど。
2023.01.16
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ED77牽引:ジョイフルトレイン「オリエントサルーン」団体専用車両、いわゆるジョイフルトレインでは、サロンエクスプレス東京・サロンカーなにわをきっかけとして、欧風客車或いは和洋折衷車両というのも多く出現しました。平成5年2月6日 翁島~磐梯町間にて ED77+オリエントサルーンこれはオリエントサルーン使用の団体列車です。和洋折衷タイプの絨毯敷仕様で、12系からの改造6両編成です。オリエントサルーンは仙センの配置で、主に東北地方で活躍していた列車でしたので、なかなか関東ではお目に掛かることはできません。あまり興味が湧く車両ではありませんでしたが、磐越西線でED77が牽引する姿も初めてでしたので、雪晴れにそびえる磐梯山をバックに合わせてみました。と言いましても、本来このアングルはD51のために用意したものでした。私が撮影したオリエントサルーンは、このほかにEF65が牽引しているものとの2枚だけですので、今となっては貴重な資料になっています。
2023.01.16
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101系:特別快速「みたけ」新宿~青梅線方面への休日臨時列車は「ホリデー快速」を名乗っていますが、現在の名称となったのは平成2年からであり、それ以前は特別快速となっていました。中央快速の車両を共通で使用しており、昭和46年7月の運転開始以来、長らくの間101系電車が使用されていました。名称としては、青梅線への「おくたま」「みたけ」と五日市線の「あきがわ」があり、今回はこのうち新宿~御嶽を結んでいた特別快速「みたけ」をご紹介いたします。昭和56年 高円寺駅にて 特別快速「みたけ」「みたけ」は「おくたま」と同じ青梅線内のハイキング列車ですが、始終点が途中駅の御嶽となっています。途中駅での混雑緩和が目的でしょうか?「おくたま」と同様に、途中の拝島駅までは「あきがわ」を併結し、7+3の10両編成で運用されていました。201系化されてからも長らく設定されていました、平成13年秋の運転を以って「みたけ」の運転は消滅しています。
2023.01.15
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キハ56系:臨時急行「ニセコスキー」急行「ニセコスキー」は、札幌圏からスキーリゾートへ向けた臨時列車。(運転開始時期等は不明)ただし、単独編成ではなく、主体は札幌駅8:10発の定期急行「らいでん2号」(902D)への併結運転となっていたようです。全ての区間において併結されていることを考えると、体裁的には単に増結されただけと言えます。同年の公社時刻表によると、昭和56年3月29日までの土休日は、「ニセコスキー」(札幌~蘭越間)と「岩内スキー」(札幌~小沢間)を「らいでん2号」に併結すると記してあります。定期急行「らいでん2号」は、札幌~倶知安間が急行運転であり、倶知安からは普通列車(1522D)となっていました。臨時急行「ニセコスキー」についても、このまま途中の蘭越駅まで併結されていたようです。余談ですが、前述のとおり臨時急行「岩内スキー」も全く同じ期間に併結されており、こちらは小沢駅で切り離し後、岩内線内を927D定期普通列車に併結して終点の岩内まで運転されていた。昭和56年3月 札幌駅にて向かって左側のキハ271による列車が急行「らいでん2号」「ニセコスキー」「岩内スキー」です。右側にも急行列車が停まっていますが、「らいでん2号」の35分前に発車する「えりも2号」か、50分後に発車する季節急行「すずらん2号」か、今となっては不明です。珍しい列車なのでサボの写真も撮っていました。専用にあつらえたサボではなく、「急行」のサボを白塗りしてマジックで書き替えているようです。ローマ字表記の部分が「EXPRESS」のままになっているのはご愛敬。なかなか巡り会うことは難しいキハ27のトップナンバー。その後に札幌圏へ行ったのはJR化後であり、冬場にも行っていなかったので、同列車がいつ頃まで運転されていたのかは不明です。[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) 98435 国鉄 キハ56-200系急行ディーゼルカーセット(4両)
2023.01.14
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キハ82系:特急「おおぞら」(その1)「おおぞら」は、キハ82系を使用して昭和36年10月に誕生した北海道初の特急列車です。運転区間は函館~室蘭本線・千歳線経由~旭川でした。昭和37年、旭川編成に釧路編成を併結開始。「おおぞら」の原形が出来上がります。一旦は旭川編成が無くなり、釧路編成単独となりますが、その後再び復活したことがあります。昭和47年から3往復体制となり、しばらくこのスタイルで推移しましたが、昭和56年に石勝線が開通、函館~札幌間が「北斗」と分離されるなどの変遷があります。私が北海道に渡ったのは、未だ石勝線が開通する前でしたので、函館本線滝川から根室本線富良野を経由して釧路へ至るルートを通っていました。今回は、電化区間で撮影したものをアップいたします。昭和55年3月 札幌駅にて最初に北海道に行ったときは、どこで撮ったら良いのか全く要領がつかめず、殆ど駅撮りだったような感じです。ローカル線の乗りつぶしをやっていたわけでも無し、昼間なにをやっていたのか殆ど記憶がありません。この頃は、基本7両+付属3両の10両編成が一般的でした。昭和56年3月11日 白石~厚別間にて架線下を行く「おおぞら」。直線区間を遠慮の無いスピードで疾走していきます。ファインダーを覗きながらも、車体に舞う雪煙に感動したものです。ダイレクトプリントからのスキャンなので、画像がよくありません。昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて翌年の同時期に再度北海道を訪れています。すっかり冬の北海道の魅力に取り付かれてしまいました。この時は前年の経験を生かして、駅間でも撮影するようになっています。写真は珍しくキハ82をダブルで連結した編成。私が滞在している間、この編成が組まれたまま運転されていたようでした。上の写真の列車の後部になりますが、なんとキハ82の900番台が連結されていました。昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて電化区間で撮影したものです。リバーサルのマウントに邪魔されて、右側がカツカツになってしまったのが残念です。思いっきりの逆光ですが、画像の調整でなんとか見られるようになりました。まだ石勝線の開通前ですので、「おおぞら」は全て滝川~根室本線富良野経由です。この区間では「おおぞら」を見ることはできません。キハ183系900番台:特急「おおぞら」試作車誕生~試用運転
2023.01.13
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初代「オホーツク流氷ノロッコ号」「オホーツク流氷ノロッコ号」は、余剰客車と貨車を改造した車両を使用し、平成2年に釧網本線で運転された列車です。特に、通年でも一番気温が低いオホーツク海側。しかも、厳寒の真冬にオープンで走らせるという暴挙も、津軽のしばれ体験に通ずるものです。メインはトラを改造したトロッコ客車で、避難用?にヨの改造車とスハフを連結し、専用の牽引機と合わせた塗装が施されていました。現在のJR北海道と同じですね。当初の使用車両は、スハフ422245、トラ71422、ヨ4350でした。平成2年3月11日 釧網本線 北浜~原生花園間にて平成元年の夏、釧路湿原を走る「ノロッコ号」として運転されたのが最初でしたが、わざわざ極寒の中を野ざらし状態で走らせるという暴挙的企画を打ち立てたJR北海道。そのコンセプトは見事に当たり、大反響だったようです。私は友人と冬の釧網本線の写真(メインは廃止が予告されていた貨物列車)を撮りに出掛けたもので、たまたま運転日が一致していたため、少し足を伸ばしてみました。本当は流氷をバックに走る姿が撮りたかったのですが、このときは流氷が接岸していなかったので、普通の寒い写真になってしまいました。平成2年3月11日 網走駅にて網走駅にて一服中の編成。このときはデビューしたばかりなので、車両写真的にはこの1枚しか撮っていなかったのですが、機関車とか貨車とか、もっと詳細に撮っておけば良かったですね。まさかこの後、結婚して北海道に行く機会を失ってしまうことになるとは、夢にも思っていませんでした。平成2年に運転が開始された「オホーツク流氷ノロッコ号」。時刻表にも表示されていなく、DJ冬臨にも表示されていなかったのですが、DJのニュースページでようやっと見つけました。どうも、冬臨発表後の設定となったようです。同編成は、平成10年初頭の運転を最後に、オハフ51、ワキ10000からなる改造車と交代して引退しました。
2023.01.12
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101系:中央快速線国鉄初の新性能通勤電車として誕生した101系電車。初投入となった路線は中央快速線であり、それまで茶色一色と言えた通勤電車に鮮やかなカラーを採用したのもオレンジバーミリオンが最初です。あまり写真は撮っていませんでしたが、中央快速線の101系時代の写真をご紹介いたします。昭和51年6月6日? 東京駅1番線にて 中央線「特別快速」101系といえば中央線、中央線といえば特別快速ですね。新性能車で「特別快速」という速い列車が注目を集めた時代もありました。101系オンリーだった中央線快速でしたが、山手線や京浜東北線の103系冷房車投入に遅れをとってはいけないため冷房改造が施工されるようになり、特に「特別快速」に重点を置いて運用を組むほど重要視されていました。言わば、首都圏を、そして、全国を代表する国電区間であったわけです。写真は、現在の東京駅の3番線にあたる、当時の1番線です。ポケットカメラでネガにかなり傷が付いてしまったので、画像を修復して掲載しています。昭和54年頃 東京駅にて 101系800番台で編成された快速電車東京駅で折り返し待機中の101系中央快速線です。低屋根の800番台編成で、行先もレアな青梅行きです。現在、このホームは山手線内回りの列車が使用しており、中央快速線はさらに1段高いところへ上がってしまい、雰囲気もかなり違ってしまいますね。昭和55年10月頃 神田駅にて クモハ100-805ほかで編成された快速電車中央線快速の101系は、古くから臨時で相模湖や大月方面への乗り入れを行っていました。トンネル断面の小さい中央本線では、乗り入れる車両は181系を除いて低屋根構造の800番台を使用しました。これは70系・73系の「山ゲタ」時代から続いています。低屋根構造の新性能4扉車は101系の他に例が無く、大変注目を集める存在でありました。昭和56年9月頃? 武蔵小金井電車区にて過去に1度だけ武蔵小金井電車区を訪問したことがあります。101系だらけの電車区内。カラーでないのが残念です。和56年9月28日 保土ヶ谷~戸塚間にて 101系 回送「あまぎ」とかを撮りに行って偶然捉えた写真です。モノクロですが、色の濃さからしてオレンジバーミリオンですね。101系晩年期で、廃車が急ピッチに進んでいた頃だと思います。写真は7両編成で、かなり傷んでいるところから察して、大船工場への廃車回送ではないかと思われます。当時、首都圏における機関車の解体は大宮工場、電車の解体は大船工場と相場が決まっていました。153系の時は東急車輛とかでも解体作業が行われたようですが。中央快速線では昭和54年に201系試作車が誕生し、将来的に全車両を201系化することになっていました。そのため、冷房化に関しては101系改造ではなく、103系を配置することになりましたが、他の路線においても冷房化が急務であったため、103系の方が重点的に転出し、後輩の103系より101系の方が長く活躍しました。
2023.01.11
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651系:臨時特急「水上」上越特急として運転されて来た特急「水上」は、平成29年年始を最後に185系から651系へと変わりました。185系時代に「完全廃止」というプレスが打たれたにもかかわらず、毎年末年始には設定されており、651系による運転が続いていました。平成29年8月12日 特急「水上91号」臨時化されてからは年末年始の運転となっていましたが、この年は夏臨でも設定されました。ヘッドマークは「臨時」。平成30年1月3日 特急「水上90号」年末年始でも設定。ヘッドマークはやはり「臨時」。平成30年12月30日 特急「水上91号」翌シーズンも設定。やはり「臨時」。令和2年12月31日 特急「水上91号」コロナ禍における行動抑制もあり、設定されない年がありました。令和3年1月3日 特急「水上90号」このシーズンではヘッドマークが「特急」となりました。令和5年1月3日 特急「水上90号」年末年始は忙しいので遠出することもなく、ほぼ定点撮影です。せっかくのディスプレイがありながら「水上」の表示はされませんでした。横サボが幕式のため、連動しない表示はできないのでしょうか?まだ昭和末期の設計でしょうから、この辺りの技術的な問題は仕方ありません。令和5年3月ダイヤ改正において、「あかぎ」「草津」から651系が撤退することになりましたので、この臨時特急「水上」についても、おそらくは今季限りでE257系化されるものと思われます。E257系化にあたっては、列車名が再整備されたようであり、「水上」もきちんと表示されるのではないかと期待されます。ただし、引き続き設定されることが大前提になりますけど。
2023.01.10
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東急電鉄:大井町線8500系※本記事は、2019/04/14に投稿したもので、当時の表現になっています。近年では東急大井町線に5両×3編成が活躍していた8500系ですが、ここ最近になって2編成運用となり、すべての編成が撤退したようです。以前に収録した8090系の時とは違い、特に告知やイベント等も実施されなかったため、全然知りませんでした。情報を検索しても引っ掛かるものが見つからず、先のダイヤ改正辺りで運用から離脱したのでしょうか?我が家から離れ、まず利用する機会のない東急大井町線であり、外回りの仕事でもあまり利用した記憶がありません。平成22年4月20日 等々力駅にて 8639現場回りの仕事を始めて間もない頃、桜新町の現場と等々力の現場を徒歩で回ったため、帰りは最寄りの等々力駅を利用しました。夕方から生憎の雨となってしまったのですが、初めて利用した等々力駅があまりにも特徴的だったので、同僚を先に帰らせてから写真を撮っていました。この頃は8500系がこんな帯色で大井町線に走っていることは知らず。来る列車来る列車8500系ばかりだったように記憶しています。平成25年5月5日 緑が丘~自由が丘間にて 8639約3年後、8090系が引退することとなったため、大井町線に行ったときに撮影したものです。偶然にも同じ編成でした。もっと撮影していたように思っていたのですが、過去の記録から探してみてもこの2カットのみしかありませんでした。やはり8500系にこの帯色があまり好きになれなかったため、積極的には撮影していなかったようです。
2023.01.09
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東急電鉄 大井町線:さよなら8090系※本記事は、2013/05/20に投稿したもので、当時の表現になっています。東急電鉄8090系は、昭和55年に営業運転を開始した、初の量産軽量ステンレス車体を使用した車両です。登場当初から東横線で使用されていましたが、5050系の導入により押し出され、5両編成化して大井町線で使用されていました。東急は昔からあまり縁のない路線であり、写真を撮るようになったのもここ3年ほどのこと。大井町線の利用実績も少なく、写真も殆ど撮ったことがありませんでした。8090系自体の知識もなく、むしろ廃車により秩父鉄道へ譲渡された8090系の方が印象にあります。今般、さよならヘッドマークを付けて走り出したというニュースが入りましたが、撮りに行く機会はないと思っていました。そんなとき、東京貨物ターミナル40周年記念公開の流れで訪れることができ、また、運良く撮影することができました。※撮影は、全て平成25年5月5日です。自由が丘~緑が丘間にて緑が丘~自由が丘間にて自由が丘~九品仏間にて九品仏~自由が丘間にて自由が丘駅にて大井町線の車両の帯色があまり好きではなく、できれば赤帯時代に撮影しておきたかったですが、当時は縁のない路線でしたから仕方ないですね。
2023.01.08
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東急電鉄:8500系東急電鉄8500系は、令和5年1月をもって最終運転を終了すると告知されました。最後まで残っていた青帯編成8637Fは撮ることができませんでした。登場時から交通博物館の下敷き(私鉄編)にも登用されており、子供の頃から好きな車両でもありました。しかし、東急そのものがそれほど縁のある路線では無く、本拠地である新玉川線(現田園都市線)や乗り入れ先の半蔵門線が地下区間でもあるため、写真を撮ったことすらありませんでした。そんな8500系を利用したり撮影するようになったのは仕事が現場回りとなった3年間で、しかも東武鉄道内で出会うようになってからになります。また、東武鉄道で話題が多かった時期もあり、そのついでに撮影できたものがわずかに残るくらいでした。平成22年11月2日 五反野駅にて 8634F平成24年8月1日 8636F平成29年10月1日 鐘ヶ淵駅にて 8621F平成29年6月22日 押上駅にて 8884 車内平成29年3月12日 東武動物公園~姫宮間にて 8621F平成29年3月12日 松原団地駅にて 8628F平成29年3月25日 越谷駅にて 8621F8500系の中でも地方に譲渡されたものがありましたが、調べて見るとそれほど多くはなく、長野電鉄と秩父鉄道のみ。オリジナルに近い姿の長野電鉄では既にメトロ03系への置換えが進んでいるようで余談が許せない状態になっているようです。また、秩父鉄道にも存在していますが、それはわずか2編成のみらしいですから、活躍期間はあまり期待できないかもしれません。
2023.01.07
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EF65牽引 12系客車:急行「八甲田」東北本線の急行「八甲田」については、過去ログ『EF58牽引 旧型客車:急行「八甲田」』『EF57牽引 旧型客車:急行「八甲田」』でご紹介済みですが、昭和53年10月ダイヤ改正よりワサフ8000がスニ41に変更され、さらに昭和55年3月から旧型客車から12系客車に変更されました。今回は、最後に撮った1枚になってしまったEF65PFが12系客車を牽引しているシーンをご紹介いたします。昭和59年1月頃 大宮操車場駅構内から EF65PF牽引59・2のダイヤ改正を控えた直前頃になりますが、1度だけこの「八甲田」を捉えていました。牽引機もEF65に変わっています。東北筋の夜行列車が12系、14系、20系化され、EF58もほとんど姿を消してしまいました。今考えて見ると、PF暖房装置を搭載していないため、スニ41に暖房を入れることができません。通常の運用では有り得ないのですが、車掌は旅客車側にしか乗務していないことを前提とした場合、「暖房なしでもよい」という判断になっていたのかもしれません。5147 ワサフ8000[KATO]《04月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5147 ワサフ8000【中古】Nゲージ/KATO 10-899 セットバラ 5139-2 (1両のみ) スニ41-5 (郵便・荷物列車「東海道・山陽」A 2022年ロット) 【A’】 付属品無し/ビニール袋で個装しエアキャップに包んでの発送【中古】Nゲージ/KATO(カトー) 貨車 セットバラ10-899(1両のみ) スニ41-5(郵便・荷物列車「東海道・山陽」 Aセット)【A】
2023.01.06
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103系:南武線(最晩年)昔から新製車が投入されることのない南武線。101系から103系と、都心の国電と同じ道を歩みます。101系の老朽化に伴い、103系が導入されることとなりますが、主に中央・総武緩行線に投入された最終増備車が多く残っていたようです。撮影は、すべて平成14年5月5日です。尻手駅にて武蔵新城駅にて武蔵中原駅にてそれまでは、わざわざ103系の写真を撮り歩くことなど考えられなかったのですが、山手線の205系転出が始まるといよいよ103系廃止の危機感が増し、慌ててあちらこちらの103系を撮りまくりました。南武線では73系や101系時代のイメージが強ったため、103系の写真を撮ったのはこの時が最初で最後となってしまいました。10-1744D KATO カトー 103系 (カナリア) 中間車3両セット Nゲージ 鉄道模型(ZN94057)10-1743D 103系〈カナリア〉 4両セット[KATO]《発売済・在庫品》
2023.01.05
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189系彩野編成:臨時快速「早春成田初詣号」「早春成田初詣号」は、正月明けに設定される東北本線宇都宮~成田を結ぶ臨時快速列車です。私は1度きりしか写真は撮ったことがありませんが、調べてみますとそこそこ以前から運転されており、使用車両も183系を中心に様々な設定があったようです。平成21年1月17日 大宮駅にて 189系彩野編成 回9526M前日の送り込み回送。平成21年1月17日 大宮駅にて 189系彩野編成 快速「早春成田初詣号」何らかのヘッドマークが掲示されると期待したのですが、ただの「臨時」ですと・・・こんな名前を付けた意味が無いですね。今となっては彩野編成自体ががなくなってしまいましたが・・・。
2023.01.04
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485系:臨時特急「ひばり52号」昭和57年11月、上越新幹線の大宮暫定開業により、東北新幹線開業後も暫定定期に残っていた特急「ひばり」は、定期列車としては全廃されることになりました。ただ、対上野から大宮乗換えの不便があったため、多客期に485系を使用した「ひばり51・52号」が設定されていました。昭和60年1月5日 古河~栗橋間にて 臨時特急「ひばり52号」如何にも仙台運転所というような編成ですが、もしかしたら勝田?の編成かもしれませんね。中間に初期車のユニットが挟まっています。既に食堂車が無く、本来なら9両編成化されている時代だと思いますが、サロ1の11両と中途半端な編成です。特急「ひたち」と共通だったかもしれませんが、記録が無くて分かりません。この年の3月に上野まで開業しましたので、このシーズンが最後の運転だったと思われます。[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) FM-011 ファーストカーミュージアム 国鉄 485系特急電車 (やまびこ・ボンネット)[鉄道模型]トミックス (Nゲージ) FM-025 ファーストカーミュージアム 国鉄 485系特急電車(雷鳥)10-1130 485系初期形 2両増結セット(再販)[KATO]《01月予約》10-1129 KATO カトー 485系後期形 2両増結セット Nゲージ 鉄道模型(ZN87760)※再生産 1月発売※485系 初期形 2両増結セット【KATO・10-1130】「鉄道模型 Nゲージ カトー」485系 後期形 2両増結セット【KATO・10-1129】「鉄道模型 Nゲージ カトー」[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1527 485系初期形 6両基本セット
2023.01.03
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EF65PF重連牽引:臨時特急「あけぼの52号」返却回送毎年、大混雑を極めている年末年始やお盆の帰省ラッシュ。新幹線網が出来上がる以前は、さばききれない昼間を避けた夜行列車による大量輸送が行われており、高校時代は上野駅での乗客整理のアルバイトに精を出したものです。車両が少なくなる増発時は、普段は団体列車や予備で待機している車両をかき集めて臨時夜行列車仕立てており、14系座席車のみの”運ぶだけ”を目的とした夜行特急列車もありました。今回はそんなシーンを1枚。昭和60年1月5日 栗橋~古河間にて 回6105レ 年末年始輸送でUターン客を東京へ運ぶために設定された「あけぼの52号」。下り客は見込めないので、上野到着後小休止の後に回送で秋田に戻ります。設定された回6105レは急行スジで、福島からは列車番号が変わってしまいますが、東北本線内は臨時急行「まつしま」や団体列車で使われるスジです。当時、与野駅に勤務していた私は局報を自由に見ることが出来ましたので、EF65が重連になることも当然分かっていて出撃した次第です。この頃は、既に東北新幹線も開業し、定期客車列車も少なくなっていましたので、臨時と言えども客車列車を重連で牽くことは極めて稀でした。したがって、大変注目した訳です。残念ながら下り列車でしたので、光線状況が良くなかったのですが、それでも14系座席車10両を従えて牽くEF651000番台の重連は非常に貫禄がありました。昔からの「あけぼの」など定期特急でも重連が見られることはまずありませんでしたから。
2023.01.02
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富士急行:5000形&富士山🗻新年あけましておめでとうございます。ブログを引っ越して再出発。初めての年越しです。思ったより順調にアクセスがあるので安心しました。基本的に毎日更新をしていますが、完結まではまだ2年くらいかかりそうです。なんとか続けて行こうと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。新年一発目は縁起を担いで(←神がかりなことは一切信じないタイプ。)、一富士、はくたか、三なすのから富士山の写真を。※本記事は2019/02/23投稿の記事で、当時の表現になっています。富士急行が昭和50年に導入した新製電車5000形。当時の地方鉄道では珍しい冷房を搭載した普通列車用車両でした。誕生から44年、平成31年2月23日のラストランをもって引退となりました。『富士急行5000形電車「トーマスランド号」営業運転終了(PDF)(富士急行)』平成26年1月18日 寿~三つ峠間にて富士急内の撮影は2度ほどしか行ったことがなく、1編成しかない5000形を捕らえる機会は非常に少なかったわけで、探してもこの1枚しかありませんでした。この日の撮影の帰路、一部区間をこの5000形にも乗車する機会があったのですが、デジイチのレンズが壊れていることに気付いてしまったため、車内の写真等を撮っている余裕が無くなってしまいました。まさかこれが最後になるとは思いませんでしたけど。引退後も保存されるそうで、同車に残る最後のオリジナル車ですから、きっと大事に保存してくれることでしょう。
2023.01.01
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