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国鉄 キハ22:キハ22604(簡易荷物車)昭和時代では重要な業務であった鉄道荷物輸送ですが、幹線を走る荷物列車や荷物車両という位置付けに対し、編成両数・輸送量が少ないローカル線では客荷合造車があてがわれている例が多く見られました。しかし、これらは編成の中間に連結できないなど運用面で融通の利かない部分もあり、一般型車両の車内の一部を仕切って荷物輸送を行っていた例が多く見られました。このような荷物輸送に適した簡易改造を施した車両も存在し、殊に気動車に多く見られたようです。北海道ではキハ22形に簡易荷物車としての改造を施工したものが多く見られ、特に600番台と区別されていました。昭和56年3月 白石~厚別間にて 最後尾にキハ22604を連結した普通列車当時、全区間架線の下を走る普通列車が沢山あり、特に本線系の普通列車は6両編成くらいの長いものが多く存在しました。キハ22は未だ廃車もほとんど出ていない頃ですが、写真のようにキハ47系が主力になりつつある途上だったようです。この各形式600番台というのは、車内の一部(1/2~1/3くらい)をアコーディオンカーテンで仕切ることができ、車内を座席のまま荷物室に使えるように改造したもので、北海道では他形式でも改造例がありました。あくまでも簡易荷室ですので、荷物取扱の無い列車に連結するときは、通常の全室客車として使用することができます。現在の函館本線電化区間では、新型電車も大量増備されており、足の遅い気動車列車は限りなく無くなってしまいました。写真では見づらいですが、キハ46の標準色車も連結されており、車輌、塗装、雑多な混結具合と、どれをとって見ても懐かしい時代の写真となってしまいした。
2024.01.31
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189系:幻の特急「あさま銀嶺」昭和46年12月から冬期に設定された「あさま銀嶺」は、昭和50年2月頃までに運用を終えていたため、未だ小学生だった私の中には、まったく記憶の隅にも存在していません。181系のほか、489系が使用されたこともあるような記述がありますが、もちろん181系などボンネット型も含め、専用ヘッドマークが用意された事実はありません。しかし、何故か189系には「あさま銀嶺」の字幕がセットされていました。全て昭和52年から53年くらいに掛けて上野駅で撮影したものです。1番目の写真だけは雪の塊が車体に付き、また、線路へ落ちているため、さも実在したかのように写っているのが笑えます。その他の写真は、季節感すらなく、もしかしたら夏休みとかに撮影しているかもしれません(笑)。1番目の写真は、幕送りではなく、確か、このままのマークで停車していたと記憶しています。サボを起動した担当者が、ダイヤルを間違えてセットしてしまったんでしょうね。下の2枚は回転中だったと思います。字幕を「回送」や「そよかぜ」に送るとき、運が良いとこのような場面に出くわすことがありました。189系:臨時特急「あずさ銀嶺」
2024.01.30
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681系・683系:特急「サンダーバード」(富山~金沢間)485系特急「雷鳥」に変わる新形式として登場した681系。平成4年落成から試行錯誤の名称により臨時列車として運転され、平成9年、晴れて「サンダーバード」として定期列車となりました。「スーパー雷鳥」の後進となります。運転区間は大阪~金沢を基本とし、北陸本線では富山まで、さらに、分岐して和倉温泉や富山地鉄への乗り入れも行っていましたが、北陸新幹線の開業に伴い、平成27年3月の改正をもって金沢~富山・魚津間の運転が取り止めとなりましした。改正の直前、「サンダーバード」運転開始以来、初めて金沢~富山間で撮影することができました。平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 683系 「サンダーバード21号」平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 683系 「サンダーバード34号」平成27年1月23日 金沢駅にて 681系 「サンダーバード27号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード15号」?平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード30号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード38号」かなりコマ数は撮ったような気がしたのですが、「しらさぎ」「はくたか」も走っていますので、思ったより少なかったようです。また、意外と681系が少なく、「スーパー雷鳥」置換えのために誕生した683系ばかりで、特徴のある顔の681系がまったくありませんでした。平成27年3月改正以降、金沢発着以外の「サンダーバード」は和倉温泉発着の1往復のみとなり、津幡より北では乗り入れの臨時を運転する可能性もなくなり、有名な倶利伽羅峠を走る姿も見納めとなってしまいました。
2024.01.29
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DE10牽引 14系リゾート客車:急行「シュプール白馬・栂池」ウィンタースポーツと言えばまずはスキーやスノボーが思いつく訳ですが、30年以上も前の時代ならともかく、今ではあまりメジャーとも言われないような感じがします。コンピュータや通信の普及により、遊びが多様化してしまった結果だと思いますけど。現在ではスキー臨なんてまず見掛けなくなってしまいましたが、昭和40~50年代前半までは多数のスキー臨が設定されていましたし、高速道路の普及などにより自動車での移動が一般化した後も、「シュプール号」という企画の設定で幾多の列車が残存しました。首都圏では夜行系の列車ですから、その姿を撮影したものは全然無いのですが、地方に行った際に撮れたものが少々あります。しかし、ここにご紹介いたします関西からの大糸線系のものだけは、そのために撮影を挙行したものです。なんと言っても、20系客車、14系客車、キハ181系、キハ65系エーデルなど、使用車両が多種多様であることが魅力でした。今回は、14系リゾート車を使用した「シュプール白馬・栂池」をご紹介いたします。平成2年2月16日 平岩駅付近にて 回9131レDE101031牽引の14系リゾート車による「シュプール白馬・栂池3号」ですが、同列車は早朝に白馬駅へ到着してしまうため、撮影できるのは糸魚川までの留置回送列車だけだったようです。14系客車の晩年は、定期客車急行や波動用としてオリジナル塗装のまま使われたり、お座敷・欧風客車への改造種車として利用されましたが、関西では一般仕様のままグレードアップ&展望室設置改造を施工するという異例の措置が採られました。平成2年2月17日 北小谷駅付近にて 回9131レこちらは翌日に撮影したものです。大糸線への客車列車による「シュプール」号は、折り返し機回しを省略するために、必ずプッシュプルで運転されます。しかも、前後ともヘッドマークを付けており、糸魚川への折り返しも本運転のように撮影することができます。14系リゾート車は、団体列車にも使用されましたが、様々な臨時列車にも使用されていましたので、関西へ行けば比較的に捉えやすい車両であったと思われますが、客車列車と言う性格上、夜行列車での運用が多かったように記憶しています。この3年後には結婚して行動範囲が狭まってしまったため、この14系リゾート車に遭遇したのは、これが最初で最後になってしまいました。
2024.01.28
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185系OM車:臨時特急「草津」平成26年3月15日のダイヤ改正で651系化された特急「草津」でしたが、平成28年初めの冬臨において、久し振りに185系による臨時特急「草津」が設定されました。さらに、翌年にも同様に設定されており、こちらの方を撮影していました。平成29年1月28日 185系OM03編成 「草津83号」平成29年2月18日 185系OM03編成 「草津83号」基本の設定は651系でしたが、一部は車両の回しが利かなかったのか、185系が使用されました。平成29年2月20日 185系OM03編成 「草津93号」このシーズンは平日もほぼ毎日設定され、時間の違いにより列車番号が区別されています。いずれも大宮総合車両センターのOM03編成が使用され、既に廃車が進んでしまっていたため、グリーン車なしの6両編成とグレードダウンとなっていました。その後も185系は細々と運用が残っていたため、運用される機会を期待していましたが、残念ながらこの年度が最期となってしまったようです。それまで、元田町センターのB編成が充てられたこともありましたが、まだ///が登場する前でしたので、「草津」の///はこの時しか見られなかったのではないかと思われます。【参考】JR東日本高崎支社 臨時列車のお知らせより※草津 83 号 1/28 2/4.11.18 は、185 系 6 両で運転致します。※草津 84 号 1/29 2/5.12.19 は、185 系 6 両で運転致します。※草津 93・94 号 2/13-17.20-24 は、185 系 6 両で運転致します
2024.01.27
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小田急電鉄 3000形SSE:急行「あさぎり」現在も小田急電鉄の新宿と御殿場を結んでいる特急ですが、特急化される平成3年3月までは、小田急の3000形SSE車を使用した急行列車でした。当時の区間は小田急電鉄の新宿~御殿場間でした。※撮影は、平成3年1月26日 御殿場線 山北~足柄間です。SSE車が置き換えになると発表され、前後1ヶ月間、週末毎に撮影の予定が入っていたのですが、強攻策で撮影に行くことと相成りました。せっかく最初で最後のSSE「あさぎり」の撮影でありましたが、終わってみれば電柱の影は被っているし、イマイチピンが甘いのか良く解らないネボケた仕上がりでした。一体、何のために延々と河原を歩き、崖をよじ登ってここまで行ったのか・・・。それでも、帰りはお別れ乗車してきましたし、写真もお釈迦になったわけではないので、まあ良しとしましょうか。「あさぎり」用 急行券(国鉄時代)昭和60年4月、国鉄時代、御殿場駅発行の御殿場→新宿間の連絡急行券です。座席指定のない号車定員制の発行で、このためか自由席利用の場合と同様の「急行券」として発行されていたようです。そのため、国鉄線内の急行料金+小田急線内の特急料金となっており、指定席料金は加味されていないようです。年代から、与野駅勤務時代の着札をもらっていたようです。「あさぎり」用 急行券(JR東海)こちらは民営化後の平成3年1月御殿場駅発行の連絡急行券で、国鉄→東海会社線、地紋がこくてつ→JRに変わった後のものとなっています。券面の表示事項は殆ど変わっておらず、特急化までは全く同様の硬券・発売方法となっていたようです。この急行券は、上の写真撮影後、帰路の出発を待って記念乗車したもの。急行ながら伝統の小田急ロマンスカーなので急行形よりは良いですが、さすがにこの時代では一方向きの固定座席、シートピッチを広くないため、陳腐感は否めませんでした。それでも最初で最後のSSE乗車機会でしたので、良い記念になりました。A2153 小田急3000形 SSE 更新車 5両セット(再販)[マイクロエース]【送料無料】《03月予約》[鉄道模型]マイクロエース 【再生産】(Nゲージ) A2153 小田急3000形 SSE 更新車 5両セット
2024.01.26
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EF58牽引 20系寝台客車:寝台急行「天の川」「天の川」は、上野~秋田間を結んでいた寝台急行列車です。オール10系寝台で構成されていた「天の川」は、昭和51年9月27日の運用から20系寝台によるいわゆるブルートレイン仕様として継続運転されます。10系時代は編成の半分と郵便車が新潟回転となっていましたが、20系寝台客車による固定編成となったため、郵便車を除き、全編成が上野~秋田間の運転となりました。登場から1年はナロネが妙な位置に連結されていたそうですが、以降はナロネが1・2号車に修正されました。昭和52年 蕨~西川口間にて 20系化された急行「天の川」寝台特急「ゆうづる」の14系・24系化による20系客車の捻出により、「天の川」は東北急行「新星」とともに20系化されました。「新星」と「天の川」は全く編成が違うために共通運用にはなっていませんでしたが、組成替えによる車両の共通化は図られていたようです。ちなみに、写真の後から2両目に連結されているナハフ21改造のナハネフ21は急行「新星」に良く使用されていましたが、写真ではナハネフ21と22のダブル緩急車という一風変わった編成に組成されています。この写真からすると、このナハネフ21の位置にナロネ21があったといのは本当なのだろうか?昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にてブレちゃってどうしようもないような写真ですがご勘弁を。20系になった「天の川」ですが、引き続き郵便車は連結されていました。郵便車以外の編成は固定とされ、10系時代のような分割は行われなくなっています。昭和57年1月5 水上駅構内にて EF58175牽引 下り「天の川」この写真は、水上駅に初めて夜間撮影に行ったときのものです。このときはギリギリEF58の運用が残っていたのですが、この後直ぐに撤退してしまったようです。この場面の後に峠越えの補機が連結されるのですが、全てEF641000番台に置き換わってしまった後で、残念ながらEF16の姿を見ることは叶いませんでした。EF58牽引 10系寝台客車:寝台急行「天の川」
2024.01.25
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DE103505牽引:城端線 二塚貨物JR貨物富山機関区に新鋭DD200が配置となり、富山~速星間に設定されていたDE10牽引による貨物列車が令和2年3月14日をもって置換えられ、富山地区からDE10が完全撤退となったそうです。守備範囲ではない遠い地域でのことなので、まったく眼中にありませんでした。自分も「トワイライトエクスプレス」の最後を撮りに行った際、偶然にもDE10牽引の貨物列車を撮ったことを思い出したのですが、「速星って、高山本線?じゃ、私が撮った列車は何?」ということで、記録を掘り起こしてみると城端線乗り入れの通称「二塚貨物」であることを改めて思い出しました。DE10牽引の最後となった通称「速星貨物」ということは・・・「二塚貨物」ってどうなったんだけ?調べてみたら、とっくに廃止になっていたそうです。全然気にも留めていたかったです。※撮影は、平成27年1月24日、小杉~越中大門間にて。DE103505牽引 二塚行 貨物列車バックに立山連峰が写せる場所で特急「北越」などを撮るため、この区間で撮影していました。ちょうど時間が合って二塚貨物を撮影することができました。DE103505牽引 富山貨物ターミナル行 貨物列車比較的に長い時間滞在していたため、返しの列車も撮ることができました。牽引機は往路と同じカマです。持っていたダイヤより早い時間の通過だったので、危なく撮り逃すところでした。この時は、この列車の撮影目的ではなく、数々の列車を本線で撮影しなければならなかったため、城端線まで足を運ぶ余裕はありませんでした。しかし、もはや本線をDEが牽引する貨物列車もかなり少なくなっている現状で、記録できたことは本当に良かったと思います。今回のダイヤ改正がきっかけで調べたところ、この写真を撮影した平成27年9月末をもって二塚貨物はトラック輸送に切り替わり、運転休止となったそうです。そしてそのまま復活することはなく、平成29年4月1日に正式に廃止にとなったらしく、このことは全く認識していませんでした。残念ながら、非電化区間での記録は叶わなかったわけですが、この行程で偶然にも記録することができて良かったです。DE15改造の3500番台の写真も今のところこれだけですから。同機は元JR東日本DE151523で、平成21年に廃車後、同年から翌年に掛けてJR貨物が譲受、DE103505として復活したそうで、改造自体はJR東日本秋田総合車両センターで施行させたそうです。その後、令和3年3月までに廃車となり、翌4年6月に解体されたということです。
2024.01.24
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711系:急行「かむい」「かむい」は、元々は札幌を基点として旭川から各方面へ足を伸ばす準急列車でした。電車急行としての起源を捉えた場合、昭和43年10月の函館本線の小樽~滝川間の電化に際して設定された711系使用の急行「かむい」が最初となります。その後、旭川電化に際し、札幌(小樽)~旭川間の急行列車としての地位を築いています。ちなみに、他の急行列車を併結するため、気動車急行として設定が残された「かむい」もありましたが、今回は711系の急行「かむい」に限定してアップいたします。昭和55年3月 札幌駅にて 711系 急行「かむい」昭和55年ですので、バリバリの地上時代の札幌駅です。昭和56年3月 旭川駅にて 急行「かむい」1年後、偶然にも出逢った901編成を使用した急行「かむい」。901編成と902編成の試作車が居ましたが、外観的に特徴があるのが901編成。1編成しかないだけに、良いタイミングで出逢うのは難しい車両でした。一時期は本数もかなりあった急行「かむい」ですが、徐々に特急列車に格上げされ、昭和61年11月のダイヤ改正をもってその愛称が消滅しています。しかし、その後「スーパーカムイ」として返り咲くことになるとは予想もしていませんでした。
2024.01.23
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205系:山手線101系→103系と進化を遂げた山手線。国鉄時代の最後の新製電車はステンレス製の205系。昭和60年から導入が始まりました。なお、第1~4編成の計40両は205系の量産先行車であり、外見も2段窓になっているなど、特徴的で判りやすくなっています。第59編成第8編成第1編成6×4.5のブローニーサイズリバーサルからのスキャンです。正確な撮影日の記録が無いのですが、前コマから判断すると平成15年の1月か2月くらいじゃないかと思います。205系の撤退がアナウンスされ、何時かは撮りにいかなければと思っていたのですがなかなか腰が上がらず、ある休みの日に首都圏に雪が降ったため、一念発起して出掛けて行ったのです。結局のところ雪になったり雨になったりで雪中の写真を撮ることができなかったのですが、205系「山手線」の唯一のマトモな写真となってしまいました。一部のサハを除いては各地方にも散らばって元気に活躍している205系ですが、このオリジナルのウグイス色を使っている線区はないため、205系としては幻のラインカラーとなってしまいました。103系山手線を撮影したことの無い前科者としては、こんなくらい写真でも、貴重な山手線の歴史を残すことが出来て良かったと思います。
2024.01.22
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国鉄 キハ22:札幌駅にて北海道における標準型気動車と言えばキハ22。それ以前にもキハ12やキハ21といった車両もありましたが、いずれも大量増備がされることは無く、デッキ付き二重窓と極寒地向け機能を確立した気動車がキハ22でした。過去ログでローカル線など各地のキハ22をご紹介してまいりましたが、路線区別が出来ない1枚の写真があります。昭和56年3月 札幌駅にて2度目の渡道で撮影したキハ22型2連の列車。まだ高架化など想像も出来なかった頃の札幌駅です。当時の2連気動車を使用した列車を考えると、函館本線山線、札沼線、夕張線への直通などが考えられますが、サボも無く、ちょっと判断できません。内地ではほとんど見ることが出来なくなった気動車標準色ですが、北海道ではまだ各地で見ることが出来ました。キハ22222過去ログ『国鉄 天北線:キハ22・キハ40』でキハ2222のゾロ目をご紹介したことがありますが、こちらは更に上を行く2×5の壮観な車番です。残念ながら、どこで撮った何線のものだったか記録が無いのですが、同車は札幌圏から夕張線などで使用されていたようです。こうした車番を撮る時も、サボと一緒に撮るべきでしたね。
2024.01.21
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キハ82系:特急「にちりん」昭和50年代、日豊本線の特急列車は481系又は485系が主たる使用車両でしたが、南宮崎~鹿児島間が非電化であったため、特急「にちりん」8往復のうち1往復のみがキハ82系で博多~西鹿児島のフル区間を結んでいました。博多から肥薩線・吉都線を経由して宮崎を結んでいた特急「おおよど」と共通運用を組んでいたのも有名な話です。昭和54年3月24日 東別府~西大分間にて 下り「にちりん」この年代にしては珍しくわざわざ駅間での撮影をしています。相当気合が入っていたのでしょうかね。ただし、1枚目のリバーサルで撮った写真がブレてしまっているのが残念です。国道を走るクルマも時代を感じさせます。昭和54年3月24日 別府駅にて 上り「にちりん」この日は別府の温泉宿に泊まったのですが、19時過ぎに西鹿児島から来る上りの「にちりん」を撮るため、再び別府駅に舞い戻って撮影しています。かなり気合が入っていたんですね。この年、昭和54年10月に日豊本線の全線電化営業を開始した際、気動車特急「にちりん」は辛うじて残存したのですが、翌年の昭和55年10月改正において583系「彗星」の間合い使用による「にちりん」が誕生することになり、キハ82系「にちりん」は廃止となっています。また、共通運用で使用されていた気動車特急「おおよど」も、キハ82系の廃車により使用車両がなくなったとして運命を共にしています。485系(国鉄時代):特急「にちりん」
2024.01.20
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カニ24510:寝台特急「北斗星トマムスキー」既に廃止になって久しい寝台特急(ブルートレイン)。寝台特急需要の衰退が顕著になってきた昭和50年代後半。そこに再びブルトレブームを復活させたのが青函トンネルの開業、そして寝台特急「北斗星」の誕生でした。寝台特急「北斗星」に関してはいずれとして・・・ここに1枚のレア写真があります。平成5年11月28日 大宮工場(大宮総合車両センター)にて カニ24510同日、なんの展示だったか忘れましたが、工場の一般公開があったんですよね。そのとき撮った写真のうちの1枚。当時は「北斗星」が3往復に、「エルム」又は臨時の「北斗星」など都合4往復のスジが設定されていましたので、むしろ珍しくないシチュエーションではあったのですが・・・。「北斗星トマムスキー」は平成元年1月に初めて設定された石勝線トマム行の「北斗星」で、当初は上野発着、後に横浜延長や平成3年から夢空間を連結するなど、豪華列車へと発展していったようです。しかし、この「北斗星」が隆盛を極めた時代、ほとんど写真を撮ったことがありません。その時代、各地に復活したSL中心に撮影していましたので、一般の列車はあまり撮っていなかったのです。その後、結婚して写真を撮りに行く機会も激減し、板橋に住んだため「地元での撮影」すらなくなってしまいました。そんなこともあって、実際に走っていたこの時代のブルトレも殆ど記録がなく、特に「北斗星」のなかでもEF65PFが牽引していた同列車を撮影できなかったのは非常に残念です。ちなみにこのカニ24510と言う車両。なかなかの曲者のようで、別に記事にしたいと思います。
2024.01.19
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三つ目のDD51形:DD51745北海道の自然環境は大変厳しく、特に夜間や冬季における視認性向上を目的として、標準の前部標識(ヘッドライト)に補助灯を増設する工夫が行われていました。全ての車両というわけではありませんが、古くはSLの時代から施行されており、C62を始め数々の蒸機に見られました。国鉄時代の485系1500番代や781系などにもその形態がハッキリと現れています。DD51型にも同様に、五稜郭区に配置された同型の一部に補助等を増設したカマを見ることができました。しかし、その数は意外と少なく、710、716、741、742、そして、晩年は長岡区に配置されあまりにも有名になった745の各号機の5輌のみでした。DD51自体は数が多く、特に珍しいわけではありません。しかも、SLやDF50、DD54を淘汰に追い遣った敵役と思われる世代の方もいることでしょう。しかし、車体の長い凸形の洗練したスタイルは、DD13など小型機にはないカッコよさを感じました。特に重連運用やこの「三つ目」には大変魅力を感じていました。昭和63年2月13日 山都~喜多方間 12系カヌ座を牽くDD51745同機は、磐越西線のカヌ座(上沼垂区配置のお座敷車輌)専用車といえるほど限定的に運用されていました。時に50系客車を牽引したこともあったようですが、団体運用自体が非常に少ない同線では、いつでもお目に掛かれるような代物ではありませんでした。本来ならここに架かっている水道橋の上から撮影したかったのですが、道路からここまでの距離がある上に思ったより雪深く、非常に時間が掛かってしまいました。線路際に着いたころにはDD51の汽笛や鉄橋の音が聞こえているような状況で、この構図で撮るのが精一杯でした。昭和63年4月10日 山都~喜多方間 12系カヌ座を牽くDD51745この時代は昼間の常点灯を行っていませんので、ちょっと勿体無いですね。12系オリジナル塗装のカヌ座も懐かしいです。平成9年3月7日 磐越西線 撮影詳細不明 DD51745牽引回送列車これは磐越西線の非電化区間で運転された復活SL運転初期で、牽引機はC58363でした。このときは新津~津川間を回送で戻して2往復みたいなパターンだっと記憶しているのですが、撮影データが曖昧で、詳細がわかりません。イベント性の強い列車として、既に人気が沸騰していたDD51745を回送機に使用するという、大変心憎い演出でした。
2024.01.18
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キハ45系 キハ46:普通列車(函館本線)大都市近郊向けの通勤形と地方線区向けの一般形気動車の特徴を併せ持つ気動車として、キハ20系の後を追って誕生したキハ45系。暖地向けの両開き扉を設備した車両の中で、ほんの少数ですが、デッキを付けて片開きドアを設備した酷寒地向けの車両が存在しました。その酷寒地向けのキハ45系の中で、両運転台のキハ24を片運転台の形態としたものがキハ46です。昭和56年3月19日 函館本線 銭函駅付近にて キハ46ほか縁起かつぎで有名な銭函駅の近くの崖上から撮ったものです。特定の車両を狙っていたわけでもないのですが、あとで確認してみて喜びに変わった写真です。おそらく、札幌行きの通勤列車だと思いますが、キハ46(首都圏色)+キハ46(標準色)+キハ27ほかと言った地方都市の通勤線区で見られる雑多な車両を連結した編成です。片運形のキハ46は、昭和41年にたった6両しか製造されておらず、JR北海道に5両が引き継がれましたが、地味な活躍の中で平成4年に全廃となっています。圧倒的に両数の多いキハ22と共通運用が組まれているため、逢えるかどうかでさえ微妙な車両でした。それが1編成に2両、しかも塗色が2通りともあるので、画材料としては文句無しですね。北海道では一般型気動車も多数撮影いたしましたが、同車を写真に撮ったのはこのとき限りとなりました。
2024.01.17
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E653系:特急「フレッシュひたち」本記事は、2013-03-12に投稿したもので、当時の表現になっています。E653系は、常磐線特急「ひたち」に使用されていた485系の老朽化を受け、これを置き換えるために平成9年に誕生した線内線用の特急車両です。「フレッシュひたち」への導入に当たっては、利用の少ないグリーン車は製造されず、485系活躍末期の流れを受け、モノクラス7両編成を基本としました。これに付属4連の併結や、朝夕のラッシュ帯には基本×2の14連も存在します。誕生からまだ20年は経っていませんが、平成25年3月の改正をもって常磐線から引退し、E657系にバトンタッチすることとなりました。新しい物好きではない私として、やはりあまり写真を撮ったことが無く、それも意外なほど撮っていませんでした。平成19年1月1日 藤代~取手間にてデジカメを買って間もない頃、初めて「フレッシュひたち」を撮りました。登場から既に10年が経過しています。平成20年8月9日 佐和~東海 「フレッシュひたち17号」 平成20年8月9日 東海駅にて 「フレッシュひたち36号」常磐線を中心とした撮影会。日焼け、汗、暴風と砂で酷い目に遭いました。平成21年4月25日 勝田駅にて最終電車も近い時間。ホーム脇に静かに横たわる651系とE653系。あまりにも撮影していなかったこともあり、交代直前である3月10日、約5年振りの常磐線撮影会に行きました。平成25年3月10日 日暮里駅付近にて 「フレッシュひたち2号」平成25年3月10日 佐貫駅にて 「フレッシュひたち12号」土休の午前唯一となる14連。改正後はまず見られなくなります。平成25年3月10日 佐貫駅にて足元にあった11号車以降の案内も、臨時列車を除いては不要に。平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち24号」 平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち17号」平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち21号」平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち32号」平成25年3月10日 (臨)偕楽園駅にて 「フレッシュひたち29号」この日は気温が高く、3月としては珍しく夏日を記録するほどでした。風はありましたが、上着を着ていては汗ばむほどの陽気。しかし、突然の暴風&砂嵐に襲われ、さらに風向きが変わると一転、気温がぐんぐんと落ち始めます。生まれては初めて偕楽園にも行きましたが、既に遅い時間になってしまいました。風は強く冷たく、そして予報には無かった雨も降り出す始末。梅はまだ4~5分咲きくらい?あまり感動もありませんでした。満開だったら確かにすごかったのでしょうけど・・・ダイヤ改正の日は待ってくれません。E653系自体は常磐線に派動用として残るようで、今年のGWにも臨時「フレッシュひたち」として運転されることが既に発表されています。特急「いなほ」に転用されるようですが、おそらくは半室グリーン車化の改造が行われるでしょうから、今年の秋か、或いは平成26年春のダイヤ改正辺りで、またその活躍を見ることが出来るようになることでしょう。
2024.01.16
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国鉄 キハ22:渚滑線国鉄渚滑線は、これまた今は無き名寄本線渚滑駅から分岐する盲腸線。渚滑~北見滝ノ上間34.3kmを結ぶ路線でした。駅数は両端を含めても7駅しかなく、平均距離が5km以上もある閑散とした線区です。(ただし、同じくらいの数の仮乗降場があったようです。)列車は、下り8本に対して上りが6本。非常にバランスが悪いですが、大体においてこのような路線は高校生の輸送面でこのような現象を起こします。朝に渚滑~上渚滑の3駅間をノンストップの列車も設定されており、おそらく単行で、返しは上りに連結の上2両編成で戻ってきたのではないかと推測されます。休日運休であることから、高校生の専用列車と見て間違いないでしょう。私が現地を訪れたときは春休み期間中でもあり、「休校日運休」ではないこのダイヤがどのように運行されていたかは知る由もありません。昭和56年3月18日 渚滑線 北見滝ノ上駅にて キハ22136閑散とした雰囲気の終点「北見滝ノ上」駅。ローカル線では乗り鉄的に行って返ってくるだけですので、写真は記念写真として撮ったこの1枚だけ。天気も良かったようで、自分でも納得できる写りでしたね。写真を見て気になったのは、駅名票の表示は「北見滝の上」となっており、「ノ」と「の」に違いがあります。何故でしょう?町名も「の」になっているんですが。北海道のローカル線の中でも地味な感のある渚滑線ですが、第1次特定地方交通線に指定され、JR化を待たずに昭和60年3月31日をもって廃止となっています。
2024.01.15
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400系:新幹線「つばさ」400系新幹線電車は、JR初となる新在直通用の車両です。平成4年に誕生し、山形新幹線「つばさ」に運用され、間合い運用でその他の名称を用いることもありました。登場当初は新幹線内で200系との併結が行われておりましたが、その後はE4系との併結運用のみ、或いは臨時列車による単独編成の運転が行われていました。※ 撮影は、全て平成20年8月2日、東北新幹線 小山駅にて400系 「つばさ102号」400系 「つばさ105号」400系 「つばさ104号」400系「つばさ」の後継がデビューするということで、何時かは撮りにいかなきゃいけないと思っていたのですが、18切符の購入をきっかけにやっと重い腰を上げました。板谷峠のスイッチバックが廃止になる前、何度も訪れた奥羽本線でしたが、新幹線が開業すると1度も訪れることはありませんでした。職場旅行の際には乗車したこともありましたが、結局は写真を撮ることもなく、記録として残せたのはこの日の3枚だけでした。この日は動画も撮っていますので、よろしかったらどうぞ!98864 JR 400系山形新幹線(つばさ・登場時塗装)セット(7両)[TOMIX]【送料無料】《07月予約》※新製品 7月発売※400系山形新幹線(つばさ 登場時塗装)セット(7両)【TOMIX・98864】「鉄道模型 Nゲージ TOMIX」
2024.01.14
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EF651000番台:寝台特急「出雲」昭和47年に急行列車から格上げされ寝台特急となった「出雲」。今回はEF651000番台の姿をご紹介したいと思います。昭和55年8月 東京駅にて EF651113牽引 「出雲1号」品川客車区から到着した「出雲1号」の回送列車。入換のため、既に機関車のテールランプが入換標識となっています。前後にヘッドマークを備える運用は、寝台特急として運用を始めてから変わらないスタイルでした。一番手前は、まだ総武快速とスルー運転を開始する前の113系横須賀線。13番線にはオハネフ25を最後尾として出発を待つ「富士」。そして、大きな車体を横たえているのが0系新幹線です。えっ、これだけ?平成24年11月11日 尾久車両センターにて EF651115平成25年5月25日 大宮総合車両センターにて EF651115平成28年5月28日 大宮総合車両センターにて EF651115運転時間が厳しい設定であり、走行写真を撮るのが難しい列車でしたので、駅撮りをやめていた年代でもあり、殆ど記録は残っていませんでした。EF65500番台牽引:寝台特急「出雲」14系寝台客車:寝台特急「出雲」24系24形・25形寝台客車:寝台特急「出雲」14系寝台客車:寝台特急「いなば」
2024.01.13
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旧型国電 飯田線:80系(その3)飯田線の80系です。前回の『国鉄 飯田線:80系(その2)』に続いて第3回目。今回は冬編としてご紹介いたします。枚数がやや多いので、2部編になります。昭和58年1月10日 東上~野田城間にて何度も訪れたことのある同区間。昭和58年1月11日 大嵐駅にて山間にある大嵐(おおぞれ)駅。この区間だけは雪が降り積もっていました。すれ違う80系。それまでクハ85は豊橋~豊川間の付属編成として限定運用だったのですが、運用替えがあったようで、4連に連結されるようになっていました。昭和58年1月11日 温田駅にて移動のたびにすれ違う列車を撮影できるのは単線ローカルでの楽しみ。判らなかった駅名も、案内板や線形から特定することが出来ました。昭和58年1月11日 千代~天竜峡間にて冬の川原は冷たい風が通り抜け、非常に寒かったです。突風で三脚を倒されましたが、下が砂地だったため、買ったばかりのM645は無事でした。画面に映る白いブツブツはゴミではありません。雪が降っているんです。昭和58年1月11日 天竜峡駅にて昭和58年1月11日 伊那松島~沢間にて昭和58年1月12日 辰野駅にて昭和58年1月12日 辰野~宮木間?にて昭和58年1月12日 中央本線 川岸~辰野間にて中央東線を行く、80系による飯田線の普通列車です。飯田線は辰野~豊橋間ですが、1日に数本が中央本線の岡谷や上諏訪まで乗り入れていました。当時はまだみどり湖経由の塩嶺ルートは完成していなかったので、この単線区間を特急「あずさ」や急行「アルプス」も走っていました。それでもここまで来ると閑散とした本数であり、川岸駅では委託の出札窓口氏とのんびり語っていたものです。いずれ(その4)に続きます。
2024.01.12
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旧型国電 飯田線:51系(冬編)飯田線では最も両数が多くてポピュラーだった51系。雑多な改造車が混じっていましたが、それでもオリジナルタイプのクモハ54やクハ68が最も多く在籍していました。(最後期はクモハ51は1両、その他はクモハ54)特別な改造車等を除き、各季節ごとの写真をご紹介して来ましたが、今回の冬編で完結となります。昭和58年1月11日 千代~天竜峡間にて多分、直通しない区間運転の運用だったと思います。飯田線の中でも一番の過疎区間であり、2両編成でも十分。荷物扱いも直通運用に任せておけばという感じだったのではないでしょうか。昭和58年1月11日?ちょっと日付と場所が曖昧です。辰野付近ではないかと思いますが、翌12日の朝だとばかり思っていましたら、どうも光線が夕方っぽいですね。11日の夕方の可能性も。荷物を含まない4連です。昭和58年1月12日 沢渡駅にてもしかしたら12日の朝、移動で乗った電車ではないかと思いますが・・・。昭和58年1月12日 川岸~辰野間にてこちらは間違いなく12日です。運用番号が上の写真の車両と同じですので、川岸駅までこの電車に乗り、上諏訪辺りで折り返してきた電車を撮ったものならが合点がいきます。昭和58年2月9日 伊那本郷~飯島間にてこちらは別行程のものです。荷無しの4連で、3両目に合いの子流電クモハ53007を挟んだ編成です。この合いの子が先頭に出てくれないため、非常に歯がゆい思いをしていました。
2024.01.11
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キハ45系 キハ24:普通列車(函館本線)大都市近郊向けの通勤形と地方線区向けの一般形気動車の特徴を併せ持つ気動車として、キハ20系の後を追って誕生したキハ45系。暖地向けの両開き扉を設備した車両の中で、ほんの少数ですが、デッキを付けて片開きドアを設備した酷寒地向けの車両が存在しました。その酷寒地向けのキハ45系の中で、両運転台の形態としたのがキハ24です。昭和56年3月20日 函館駅にて 函館口で普通列車に使用されるキハ243内地向けキハ23(キハ45系の両運形)の北海道版で、側窓の形態やドアの形状・位置などの特徴があります。もちろん、客窓は二重となっています。昭和42年度に10両のみが生産されましたが、その後は増備されず、新性能化は後に誕生するキハ40系までありませんでした。両数が少ないことからキハ22と共通のような形で使用され、平成7年度を以って全廃、消滅しています。
2024.01.10
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E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)平成24年12月より土休日に設定されるようになった、E259系による臨時特急「マリンエクスプレス踊り子」。「成田エクスプレス」の運用見直しに伴う余剰活用として、それまで考えられなかった車両による「踊り子」となったわけですが、特に外観を「踊り子」仕様とすることもなく、エンブレムがワンポイントとして表示されるのみでした。車体前面の面積からすればワンポイント程度ですが、デザインは列車名と車両形式まで表現されており、ヘッドマークと言えばそうなのかもしれません。「富士」「はやぶさ」や500系「のぞみ」が廃止となってからは東海道方面に撮影に行くこともなくなり、全く縁のない列車でしたが、平成27年の尾久車両センターの公開で珍しく展示対象となり、初めて同編成を捉える機会がありました。平成27年11月14日 尾久車両センターにて 展示尾久車両センター公開に訪問。それまで変わり映えのない電車系の展示などまず興味はないのですが、なかなか「マリンエクスプレス踊り子」だけのために撮影に行くこともないので、この時だけはしっかり撮っておこうと思ってシャッターを切りました。生憎の天気でしたけど。平成27年11月13日 赤羽~東十条間にて 展示回送前日の展示回送に関する情報を得ることができ、大宮方面から回送されてきた同編成を撮影できました。この時が同編成の初対面となります。この日はめちゃくちゃ寒く、寒空で長時間待機したことが災いし、風邪を引いてしまいました。営業運転では捉えることが無かった特急「マリンエクスプレス踊り子」。令和2年3月の運転を最後に設定がなくなり、E259系の一般特急活用に伴う塗装変更が実施されたことで、この姿を見ることは出来なくなってしまうことになります。E259系 マリンエクスプレス踊り子 車両センター撮影会ツアー「最後の旧デザイン『マリンエクスプレス踊り子』号で巡る車両センター撮影会ツアー」
2024.01.09
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583系:団体列車「ゲレンデ蔵王」団体列車「ゲレンデ蔵王」は、2004年に「シュプール蔵王」を引き継ぐかたちで運行が始まった週末限定のスキー列車。運転区間は大船~山形間で、上りの営業運転は無く、片道のみとなる。運転日前の金曜日は、昼間堂々の回送がヘッドマーク付きで運転されるため、撮影もしやすく人気がありました。平成23年2月25日 土呂~大宮間にて平成22年度の運転で最終の送込み回送。撮影30分前は良い光線状態でしたが、いつの間にか三角屋根の影が落ちてしまいました。平成23年2月25日 土呂~大宮間にて大宮駅から東大宮への入庫回送。場所選びに困っての撮影で、東武野田線との柱が競合しており、かなり難しい場所でした。この時点では仙台車でしたが、秋田運転区への転属が既に公表されており、今期最後の運転=「ゲレンデ蔵王」の最終運転となる見込み。もう2度と走ることは無いだろう、そんな悲しい予測しか立ちませんでした。平成21年1月16日 大宮駅にて 回9116Mこれは前々年に撮影したもの。時代を追ってもその姿は変わりません。ヘッドマーク付きというのも魅力です。おそらく「団体」幕であったら、これほど注目されることも無かったでしょう。583系:急行「シュプール蔵王」
2024.01.08
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国鉄 50系客車:スユニ50(山陰本線)国鉄50系に属する郵便・荷物合造客車であるスユニ50。老朽化した旧型合造客車のスユニ60などの置換えを目的とし、昭和53~58年に掛けて80両が製造されました。本州用の0番台と北海道用の500番台があり、0番台は電気暖房対応の2000番台としています。登場時、殆どが地方幹線のローカル運用などに使用されていたため、地元で見ることはまずありませんでした。地方での客車列車の撮影などにも良く出掛けましたが、本線運用では旧型荷物車も現役であり、マニ50やオユなどの使用が多く、合造車であるスユニ50は滅多にお目に掛かることはありませんでした。平成59年2月12日 出雲市駅?にて宿が見つからずに益田駅で駅寝し、始発列車で出雲市駅へ。その際にホームに停車していた上り普通客車列車を撮影したものと記憶しています。早朝の山陰はことのほか寒く、DD51に牽引される旧型客車4両と、最後部に連結されたスユニ50からは蒸気暖房のスチームが立ち上っていました。当時は珍しい光景でもなんでもなかったのですが、東日本では殆どが電気暖房対応となっており、このようなスチームを吐き出す姿をなかなか見ることがありませんので、思わずシャッターを切りました。そのような偶然で記録されたスユニ50形客車で、これ以外には形式的に撮影したものはありません。この約2年後の昭和61年、荷物列車が全廃となったためにこれら荷物客車はお役御免となり、最短ではわずか3年で生涯を終えた車両がいたことになります。KATOから夜行普通列車「山陰」が発売となるようです。9両セットで2.5万円とはかなり高価な設定となっており、鉄道模型のインフレ化が止まりません。個人的にはこの「山陰」にも1.5往復乗車経験があり、そのうちの初めて乗車した時は旧客による編成となっていました。正しくこのセットの編成ですね。乗車経験もあって、趣味的にも欲しいところではあるんですが、高額であること、脳内鉄道では蒸気暖房編成が不要なことから見送ろうと思っています。しかし、今回のラインナップの中でもスユニ50が単品発売になることから、こちらだけは押さえておこうと思っています。5141 スユニ50[KATO]《05月予約》5141 KATO カトー スユニ50 Nゲージ 鉄道模型 【5月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 5141 スユニ50単品だと送料が掛かるので、工夫が必要です。また、セットの中でオハフ45100番台が製品化されるのですが、こちらは電気暖房仕様の2000番台となるため、欲しいラインナップとなっています。ただ、編成単位は不要なので、こちらはASSYで揃えようかと考えています。まだ楽天では予約情報が引っかからないので情報が入ったらご紹介しようと思います。送料無料◆10-1879 KATO カトー 夜行鈍行「山陰」 9両セット Nゲージ 鉄道模型 【5月予約】10-1879 夜行鈍行「山陰」 9両セット[KATO]【送料無料】《05月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1879 夜行鈍行「山陰」 9両セットスユニ50とセット販売もあるようで、全部揃えたいならこちらがお得なようです。送料無料◆セット販売 10-1879/5141 KATO カトー 夜行鈍行「山陰」 9両セット+スユニ50 Nゲージ 鉄道模型 【5月予約】
2024.01.07
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キハ82系:特急「おおとり」「おおとり」は、昭和39年10月1日、「おおぞら」に続く北海道2番目の特急列車として誕生、函館~網走を石北本線経由で結んでいました。※確か登場当初は釧路行きと併結され、一部が池北本線(後の池北線)経由で網走まで達していたと記憶していますが、文献が見つかりません。1日1往復のみの体制は営業当初から廃止になるまで堅持され、「おおぞら」や「北斗」のように増発、編成増強されることなく、食堂車を含む7両編成と、比較的地味に、しかし、北海道最後の長距離ランナーとして地道に活躍していました。昭和56年3月11日 白石~厚別間にて昭和56年3月15日 大麻~厚別間にて昭和56年3月18日 石北本線 遠軽駅付近にて昭和58年9月7日 函館本線 大沼駅にて誕生から20年以上にわたってキハ80系が使用され、昭和61年10月末にキハ183系に置き換わるまで、最後の食堂車連結気動車特急でもありました。キハ183系:特急「おおとり」
2024.01.06
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京浜急行電鉄:1000形(初代)私の世代からすると、京浜急行と言えば1000形と言っても過言ではありません。昭和34年から製造が開始され、昭和53年まで約10年間にわたり製造されてきました。私も昭和51年頃から良く品川駅へ写真を撮りに行きましたが、全く私鉄に興味がありませんでしたので、風景を含むただ1枚の写真すら撮っていませんでした。途中で度々姿を変えながら活躍し、平成22年の6月を以って全車が廃車されています。以上、平成20年1月5日 六郷土手駅にて平成21年2月28日同形を撮ったのがたった2日間のみ、本当に縁の無かった私鉄です。本来なら今となってはレアな車種にも出逢っていた筈ですが、全く撮っていませんでした。そんなこともあって、今では出来るだけチャンスを逃さないように記録するようにしています。
2024.01.05
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国鉄 キハ35系:キハ35900番台かつて、国鉄型気動車の中でも一際目立つ存在であるはずだったキハ35900番台という車両がありました。平成28年11月12日 碓氷峠鉄道文化むらにて キハ35901ラッキーにも保存されているトップナンバー車。地方都市の非電化区間用における通勤形気動車として、昭和36年に製造が開始されたキハ30系(キハ35系)。気動車としては初となる、両開き3ドアでオールロングシート。非電化路線におけるドアステップの必要性から、外吊りドアを装備する特殊な外観となっていました。同系の誕生から約1年後、ボディーをステンレス製とした900番台が登場します。国鉄気動車としては初となる銀色の気動車となりました。昭和52年1月頃 大宮駅にて キハ35910シルバーボディーの900番台は、キハ35形のみ10両が登場しています。新製時はすべてが木更津に配置され、房総地区で活躍していました。ステンレス製としたのは房総地区での運用における塩害対策ですが、濃霧も良く多く起こる地域であるために、銀色無塗装の車両には視認性の問題が生じました。そのため、前面には警戒色の赤帯を入れることになってしまいました。房総地区の電化により活躍の場を失った大部分のキハ30系は、新たな活躍の地へと散らばって行くことになります。そのうち、シルバーボディーの900番台は、高崎第一機関区へ全車が集中配置されることになり、八高線や川越線で活躍することとなります。写真は、大宮駅における川越線で撮影したもので、ラストナンバーの910となります。大宮機関区から出庫してきた銀色のキハ35を初めて目にし、慌ててホームを追っ掛けて行ったことが思い出されます。昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇間にて数年は銀色に警戒色のまま運用されていましたが、昭和52年頃から実施された塗装合理化に際し、何故か塗装不要な900番台も他の鋼製車と同様に朱色4号に塗装されることになってしまいました。気動車王国でひと際目立つ存在であった900番台は、他の鋼製車の中にすっかり溶け込んでしまいましたが、ボディや屋根の肩部に残されたコルゲートと、強度確保のために長く造られたドアレールカバーにその存在の主張を残していました。埼京線の開業と同時に川越線が電化となり、昭和61年頃に半数の900番台が廃車となり、さらに八高南線の電化で殆どの車両が廃車となります。キハ35904のみが生き延び、茅ケ崎に配置されて相模線で最後の活躍をしていましたが、平成7年11月にその運命を終えたそうです。
2024.01.04
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183系(大宮・新前橋車):臨時特急「水上」「水上」は、上野~水上を結ぶ特急列車で、そのルーツは同区間に運転されていた急行「ゆけむり」~新特急「谷川」の流れをくみます。定期列車や臨時列車は基本的に185系が専用となりますが、極わずかながら183系1000番台により運転されたことがあります。平成17年3月9日 初めて撮った183系1000番台使用の臨時「水上」です。デジカメもまだ導入する前で、こんな写真を撮るにも645を引っ張り出していた時代です。今は便利で気軽に撮れるようになりました。この編成、良く見るとOM編成と違うので調べてみたら、まだ新前橋電車区所属時代で、OMに配転する直前に中間車が幕張センターのものと差し替えられたらしく、写真は差し替え間近の貴重なシーンとして記録出来ました。この区間の架線柱の交換過渡期で、写真的にはうっとうしいですが、交換前は今のように撮りやすいことはなく、この事案によって地元での撮影を再開したきっかけとなりました。平成20年1月1日 「水上98号」上の写真から3年経ち、後のOM編成となっています。旧架線柱も撤去済みで、完全に交換が終了しています。平成20年2月21日 大宮駅にて 「水上99号」珍しく大宮まで出掛けて撮った写真。この日は大宮駅でいろんな写真を撮っていた時だったかもしれません。下りは逆光のダイヤなので厳しいですね。平成22年3月22日 「水上98号」その間も何度か充当されていたようですが、2年振りの撮影だったんですね。それなりに写っていますが、実は掟破りのトリミングアップです。臨時列車として注目の183系「水上」でしたが、定期列車の185系「水上」ですら平成23年3月の改正で臨時化されてしまいました。651系:臨時特急「水上」185系:新特急「谷川」
2024.01.03
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国鉄 大社線:大社駅お正月なので縁起ものです。昭和59年2月12日 国鉄大社線 大社駅舎59・2貨物大合理化により仕事が無くなってしまい、勿体ないので同僚と山陽山陰を回ったときに立ち寄った出雲大社。大社線は気動車1両のローカル線ですが、大阪からの急行「だいせん」が乗り入れていたため、これに乗って初めて訪れました。当建築物は、2004年に国の重要文化財になったそうで、もちろん今もこのまま保存されているということです。大社線は、分割民営化の際にもJR西日本に引き継がれましたが、元々第3次特定地方交通線に指定されており、残念ながら平成2年3月31日をもって廃止となりました。
2024.01.02
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EF65500番台牽引:寝台特急「富士」「富士」は日本初の特急列車で、明治の終わりに東京~下関を結ぶ客車特急として誕生しています。その後運転区間が長崎・博多など変遷がありましたが、太平洋戦争の激化により運行休止となりました。戦後すぐには「富士」の名は復活せず、昭和36年に東京~神戸・宇野間を結ぶ181系電車特急として再び東海道・山陽を走ることになります。一方、九州方面には特急「みずほ」が不定期列車(実際にはほぼ定期で運転されていたようです)として誕生し、東京~熊本を結んでいました。その後、20系化されると同時に、付属編成を大分行きとして併結するようになっています。そして、昭和39年に大分編成を独立し誕生したのがブルートレインの「富士」でした。後に運転区間が西鹿児島まで延長され、日本一長い距離を走る特急列車として有名になりました。登場当初からはしばらく20系が使用されていましたが、昭和50年3月の改正から関西で余剰となった24系24型を使用するようになり、さらに約1年半後には、新製による24系25型にグレードアップされています。昭和50年? 東京駅にて EF65530牽引 7レ 「富士」ポケットカメラですので画像が悪くてスミマセン。昭和50年後半の時期くらいかと思われます。今は無き東京駅13番線で出発を待つ下り特急「富士」。初めて東京駅に撮影に行ったときにはまだ20系だったはずですが、当時は小学生でお金がなく、フィルム消費の限界が早く、記録を残せなかったのが非常に残念です。オハネフ24 「富士」50・3改正は過ぎており、客車は既に24系24形化されています。まだブルトレブームより少し前くらいの頃でしょうか。写りが悪くて残念ですが、この後わずか1年半で25形化されてしまいました。昭和52年頃 田町駅にて EF65506牽引 8レ 「富士」見てお判りのとおり、客車は24系25形に変わっています。特急「富士」のヘッドマークは長らく円型のものが使用されていました。その後、ロビーカーが連結されることになり、牽引定数の関係でEF66が牽引することになった際に、山型の特製ヘッドマークに変わっています。個人的には、この円型のヘッドマークの方が好きでしたね。山型のヘッドマークは、500番台には似合わないかなぁ・・・?満を持して登場したブルトレ用500番台P形でしたが、片道1000kmの運用はP形にしても過酷過ぎたようで、昭和53年くらいに、さらに性能を向上したEF651000番台後期形(PF形)にバトンタッチすることになり、東海道のエースから降板となります。平成22年5月22日 大宮車両所にて「おおみや鉄道ふれあいフェア2010」では、EF65535に「富士」のヘッドマークが掲げられました。平成27年11月14日 尾久車両センターにて「ふれあい鉄道フェスティバル2015」で展示された、「富士」のヘッドマーク取り付けのEF65501。ブルトレのスター牽引機P形にはやはり丸いヘッドマークが似合います。
2024.01.01
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