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吉村芳之氏元NHKエグゼグティブプロデューサーの演出で今日午後3時5分から「かすていら」前編後篇が放送されます。吉村氏は三重県立上野高校の出身で、京都大学を卒業後NHKにはいられエグゼグティブプロデューサーにまでなられた方です。演出された作品はNHK大河ドラマだけでも「北条時宗」 「独眼竜政宗」 「風神の門」 「琉球の風」「炎(ほむら)立つ」に上り今も毎週午後8時放送の木曜時代劇「かぶき者 慶次」の演出をされています。吉村氏は今でもNHKエグゼグティブプロデューサーなのでしょうか数年前まではたしかにそうだったのですがその間に地元の城主「藤堂高虎」の大河ドラマを製作出来なかったのでしょうか、ほとんどドラマ部門のトップにいたのに残念です。私が初めて吉村氏を知ったのは1990年に放送された「夢帰行」でした。キャストに 仲村トオルさん、浜田 雅功さん、薬丸 裕英さん、麻生 祐未さん段田 安則さんで、地元伊賀市でロケされてそれも県立上野高校を中心でいかにも上野高校出身者が演出したのが分かる作品でした。今日はBSで放送されていた、さだまさしさんの自伝的ドラマ「かすていら」をNHK総合で放送されます。
2015年05月30日
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三重大学准教授 吉丸雄哉さんの講座に行ってきました。 「芭蕉は忍者すかと聞かれたら」と題して41歳の准教授が第1回の講座を もたれました。 結論からいうと、勿論忍者ではないというものでした。 少なくとも忍者とする書簡が残っていない。 芭蕉に関する書簡は芭蕉自身のものや弟子が残したものがたくさん 残っていますが一切、忍者という文字が出てこないというのが学問 として忍者を否定する論拠としています。 では隠密説はどうかという質問には芭蕉は違うが奥のほそみちに同行した 曽良はその可能性は有るという回答でした。 私も少なくとも幕府からの指令をうけていたのではないかと思います。 そして芭蕉忍者説の始まりは「東京の旅」 松本清張、樋口清之(國學院大学教授) ではないかという説を初めて聞きました。 そんなに目新しい説はすくなっかったですが学説としては証拠というものが 大切ではっきりとした残されたもの出典を示さなければならないので当然ですが それでも今までの考えで間違っていないという論拠に出来るので有意義でした。
2015年05月24日
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伊賀市柘植町字浦出の福地城跡豪族の城跡なので城といっても土塁でかためただけのものなのだろうと思って行ってみると石垣が組まれた山城としては大きくて立派なものですぐに貴重な遺跡だと分かります。城郭が在ったと思われる丘陵から見た登り口登ってくるにはかなり狭く攻めるのが難しく出来ています。主郭は32m×53mあったといわれ大手門も石垣を用いその礎石も残されています。城主は福地宗隆で福地家は平宗清を祖先に持ち松尾芭蕉の松尾家は分家でした。主郭が在ったと思われるところ。「芭蕉翁生誕之地」の石碑も建っていますがこれはすこし無理があります。松尾家は確かに福地家の分家ですがここは福地城跡であり松尾家は場所が少し離れた地にありまた、福地家自身も芭蕉が生まれた1644年にはこの場所を離れていました。城郭からの下り道
2015年05月16日
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三重県伊賀市 柘植町余野公園のつつじ 明日5月10日午前10時~午後2時つつじ祭りが開かれます。 それに合わせてつつじ祭りウォーク約4kmも開催されます。 JR柘植駅前 当日午前9時40分から受付で事前申込不要ですので是非 余野公園は明治時代に整備された歴史の古い公園で県内有数のツツジの名所 として知られています。 鈴鹿国定公園の特別地域に指定されている余野公園には15,000本のつつじが 自生しています。その規模は関西随一を誇ります。 松の広場近くにツツジの古木や松に覆われた高さ十メートル近い「前もっこ山」と 「後もっこ山」が並びそのもっこ山を中心につつじが咲き誇っています。 前もっこ山から この前の松の広場にはつつじがないのにこの辺り一面にはつつじが咲き土も 広場は黒くここは白っぽく感じました。 そこで調べてみるとつつじ科は酸性の土を好むとありました。 酸性なので他の木が生えてこなく水はけも良すぎるのでつつじだけが 自生したのでしょう。 ヤマツツジ、モチツツジ、ミヤコツツジなど約1万5000本が自生 ここは鈴鹿山脈の終点の地で何万年か前に噴火し降下した火山性軽石層がこの 「もっこ山」だったと思われます。 軽石の持つ保水性、通気性、酸性の特性がマッチしてこのような風景を 作りだしたのでしょう。 今年は祭りと見頃が重なって丁度満開です。
2015年05月09日
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伊賀鉄道上野市駅裏の上野市車庫で「伊賀線まつり」が開かれました。車庫前ですので車内で催しものがありマジック車両やビデオ映写車両、車掌機器操作、運転シミュレーション車両などがあり賑わっていました。くの一車両外国人も来ていてどこから来たのか質問したらインドネシアからの人と台湾の人がいました。伊賀線ジオラマの運転体険ね昭和レトログッズなどの展示・販売もあるブースもありました。。「しょうゆアイス」や同鉄道マスコットを模した「ふくにんメロンパン」、「伊賀牛串焼き」「伊賀牛カレー」などの飲食コーナーもあり入場は無料だったので特に忍者衣装の親子連れが目立ちました。車庫前のくの一車両ガソリンスタンドによくある自動洗車機のようなブラシ機に入っています。この伊賀鉄道の前身となる伊賀軌道を建設したのは地元の名士、田中善助氏で、この人は数々の地元の産業を手がけ、開発、発展に寄与した人ですがこの伊賀鉄道に関してただひとつ残念なのはゲージを狭軌にしたことです。もしレールを標準ゲージにしていれば大阪近鉄線がそのまま乗り入れされて伊賀のベッドタウン化が進み戦後の状況が大分違ったことになっていたのではないでしょうか。駅前で忍者フェスタの催しものここも賑わっていて反対側の通りの食堂が1時半でも20人位の行列が出来ているのを初めて見ました。
2015年05月03日
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