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三国越 石碑三重県知事 田川 亮三の名前が刻まれている、御斎峠の石碑にも田川 亮三氏の名前があり同時期に建立されたと思われます。三国越林道.を570m 地点から伊賀、京都、滋賀を結ぶ高さから三角点628mへ向かいます。高旗山は710mですので少し低いようですが距離200m標高58m登るのは結構、足にきました。三国塚三重県、京都府、滋賀県の三つの県境にある山で、滋賀県の最南端に位置し、近江百山の1つにあげられています。ということは山の名前が三国塚でした。この三角点の後、右側が滋賀県で左側が京都府、手前が三重県です山頂628mとありました。三国越展望台,標高600mのからは島ヶ原地区、月ヶ瀬ニュータウン、南山城村などが見渡すことができます。左側に島ヶ原カントリークラブ、その左に雉子の里ニュータウン、標定点とは、簡単にいうと「正確な座標(水平位置と標高)が分かっている地上の位置」のことだそうでこの標定点をドローン撮影時に写真に写り込ませ、データ解析をする際の基準点とするそうです。
2023年06月26日
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伊賀市広瀬のササユリの里広瀬は流水の広がって浅く流れているところを表しています。伊賀市の市花、ササユリ(笹百合、学名:Lilium japonicum)は、ユリ科ユリ属の球根植物。で日本を代表するユリである。地域によっては、ヤマユリと呼ぶこともある。本州中部地方以西から四国・九州に分布する。従って関東では見られない。ユリの花は、6枚の花びら(花弁)が印象的ですが、植物学的には、3枚が花びらで、3枚が萼(がく)です。萼は硬くて花を保護し花びらは誘引の役割を担っています。この開き曲がっている方が顎でしょう。6本のオシベの先端にある花粉の表面には、油の成分が含まれています。ですから花粉が衣服につくと処理が大変で、払い落とそうとすれば、よけいにへばりつきます。「乾くまで待って払い落としたり、乾いてから粘着テープで取り去ったりするのがいい」といわれます。「ユリ」という植物名は、ユリ科ユリ属の植物の総称です。ユリ属の学名に使われるラテン語は、「リリウム」で、「白い花」を意味します。ササユリは日本原産とされます。鳳凰寺廃寺680年に、伊勢国から伊賀分立。685年天武天皇から郡毎(ごと)に仏舎を作れとの命じられる。阿拝郡に三田廃寺、山田郡に鳳凰寺廃寺、伊賀郡に財良寺跡、名張郡に夏見廃寺の一郡一寺に分布し氏寺ではなく官寺とした。鳳凰寺廃寺三重県伊賀市鳳凰寺にある「薬師寺」の境内にある「鳳凰寺跡(ぼうじあと)」です。自然石を利用した礎石が20個ほど残っています。薬師寺は鎌倉~南北朝時代に開創されたと伝えられ、元禄年間に再興されています。三田廃寺が東西90m南北100mとされますので鳳凰寺も同規模だったのでしょう。賀采女宅子娘 (いがのうねめの-やかこのいらつめ)大友皇子の母親とされ伊賀の山田郡、鳳凰寺の出身とされ、この鳳凰寺は大友皇子を弔って建立した説があります。辻堂古墳墳丘はなく、横穴式石室の下部だけを見ることができます。2つの石棺がそのまま残されています全長9.8m(東側奥行5.2m、西側奥行4.95m、幅1.9m)の長方形の石室。6世紀後半。の山麓に所在。墳丘の殆どを流失しているが、直径20m程の円墳もしくは前方後円墳だったと推定されている。つまりこれは、20m程度の円墳の部分に在ったということです。天井石は失われている横穴式石室床面全体に敷石が並べられ、排水溝を備えるほか、玄室内に組合せ式石棺2基が残存していた。出土遺物は鉄鏃や馬具、須恵器など。市指定史跡、1973(昭和48)年指定。西之沢のノハナショウブ群落一帯に自生していたノハナショウブは、生息環境の悪化により見る事ができないが、近くの私有地に約2000株近く植えられており、地元の方により大切に保存されています。かつては西之澤平池周辺に自生していましたが、現在は主に約2,500㎡の私有地に約2,000株が植えられており、6月になると気品ある美しい花を咲かせています。1955(S30)年4月7日に県の天然記念物に指定されました。目を楽しませてくれます。
2023年06月12日
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