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いや~、昨夜は目が爛々らんらんとしてしまって、至極涼しい夜だというのに、よく寝付けなかったよ~んきのう投開票が行なわれたニッポン夏の陣・第45回衆議院議員総選挙は、自民城が燦たる落陽のもと死屍累々の惨敗で落城・炎上し、壊滅的な打撃を蒙った。関ヶ原に敗れた西軍・会津上杉家のようなものか。・・・ああ哀れ、直江兼続。麻生自民党総裁(首相)は、直ちに引責辞任の意向を表明した。自民党の次期総裁を選ぶ総裁選挙は、9月28日に実施される。なお、連立相手の公明党も、幹部全員を含め小選挙区で全滅するなどの大打撃を受けた。一方の民主党は、圧勝で天下統一を果たし、衆議院での絶対安定多数を確保した。ただし、参議院では過半数を保有しておらず、他の野党との連立が不可避となる。再来週9月14日(月)からの週に召集される特別国会で、鳩山新政権が誕生する。・・・とはいえ、直前の大方の予測に比べれば、民主党308、自民党119の結果は、意外と自民党側が善戦したなという印象もある。衝撃的なアナウンス効果による、多少の揺り戻しがあったようにも思われる。ほぼ予想されていたこととはいえ、これが現実のものとなって見ると、そのインパクトはやはりスゴかったと言わざるを得ないねこの国に二大政党制が根付いたと思われる一点で、今回の事態を僕は歓迎する。ただし、次回は自民党の逆襲も、当然あり得るわけである。「明日は我が身」のシステムが現出し政界に緊張感が漲ることは、一般的に見ていいことだ。中でも、いわゆるデファクト(グローバル)スタンダードとされるアメリカ型市場原理主義(マーケット・ファンダメンタリズム)を信奉・標榜する「小泉チルドレン」勢は、77名中67名が城を枕に討死にという惨状で、国民が「小泉・竹中構造改革路線」に引導を渡し、終焉を宣告したことが最終的に確認された。与党の敗因の第一は、何といってもアメリカ発の世界同時不況である。これがなかりせば、多少の失政があったとしても、これほどのランドスライド(地滑り)的大敗は喫しなかっただろう。言われるように、小沢一郎氏の選挙戦術の巧みさも認めざるを得ないが、それは二次的・テクニカルな事柄であろう。そういう意味では、麻生首相は運が悪かった。しかも、そのアメリカ式資本主義総本山の蹉跌と、小泉改革路線による格差拡大が、国民の目に二重写しに見えた感は否めない。資本主義社会において経済格差が生じることは、ある意味で当然の現象であるが、それが社会的不公平感となって喧伝され、一定の説得力を持つに至ってしまった。この点でも、自公政権は時の利を得なかった不幸があり、結果責任である政治では自業自得の謗りも免れない。これを敷衍すれば、政治上の路線の問題、延いては思想・経済学の“神学的”な問題でもあり、平易な言葉を用いて、情報公開、および責任を以って国民にそれを説明する言葉を持たなかったのが、核心的な敗因だと思う。さらに自民党は、底辺に喘ぐ非正規雇用労働者の問題に見られるように、早くから指摘されてきた社会的セーフティネットの構築を等閑視していた。これは、いわば資本主義体制の中の、一部修正社会主義フレーバーというか、スパイスの問題というべきであろうか。こういう細部に“政治的配慮・思いやり”は宿る。この辺の微妙な妥協と、ケインズ的・ニューディール政策的なフットワークが欠落していた。しかも為政者は、帝国ホテルのバーでカクテル三昧の優雅な晩餐。これはイメージが悪かった。こういった点は、確かに失政だったと言われても仕方がないように思われる。これらは総体として天の声と言わざるを得ず、自民党は真摯・深刻に受け止めなくてはならないだろう。今にして思えば、あのオッチョコチョイの勘違いヒルズ族・ホリエモンを、勝ち組代表みたいに自民党が持て囃したあたりが、ケチの付き始めだったような気もする。地方住民のマグマのような反感と怨嗟の坩堝を甘く見すぎたツケである。今後、自民党“残党連”は野党として、三白眼がコワイ石破茂、または舛添要一新総裁のもとで、地道な建て直し再建路線で捲土重来を図るしかあるまい。死力を尽くした選挙対策、無党派層の取り込みの研究、力のある新人議員の発掘を早急に要請される。自民党内には、なお前途有為な人材は決して少なくない。復活の潜在能力は十分にあると、僕は確信している。こうなったら、自民党のアイデンティティ(自己同一性)は、この際、外交・安全保障・防衛、そして伝統文化・教育など少数の要点に特化した方がいいのではないかと思うし、現状では、自民党の余力はもはやそのぐらいで精一杯なのではないかと思う。惟おもんみれば、自民党のレゾン・デートル(存在意義)は、もともと伝統的保守主義に措定すべきだったのであり、都市住民の利得に偏った小泉・竹中路線は、すでに論理的に破綻していたのではないかとさえ思われる。それが今回露わになったに過ぎない。今回、台風のごとき疾風怒濤の審判が下った以上、自民党が構造改革路線をトータルに放擲し撤退することはやむを得ないが、一方でそれはもう自民党の任にあらず、とりもなおさず民主党新政権の腕の見せどころでもあるわけだ。国民は冷徹に見守るしかなすすべがない。しかるに、民主党には政党の背骨(バックボーン)たるべき綱領さえない。悪く言えば烏合の衆である。何を目指しているのかほとんど分からない。外交・安全保障分野でも、党内左右両翼で水と油の四分五裂、何となくフワフワそよ風の社会民主主義風の反米主義に流されているだけの無定見ぶりである。鳩山氏の、寝た子を起こすごとき「ニューヨーク・タイムズ」掲載論文は、知日派エスタブリッシュメントの反感を買っていると伝えられ、政権を取ってもいない今から早くも綻びを見せている。小沢氏の、在日米軍軽視発言と合わせ、近い将来、これは必ず重大な躓きの石となると見て間違いないだろう。アメリカを敵に回して無事でいられるほど国際情勢は甘くない。これらに加え、内政・経済政策面でも、自民党は民主党にガンガン有吉弘行バリのツッコミを入れて的確なチェック機能を発揮しつつ、基本的には、その手腕に対しお手並み拝見・高みの見物を決めこむスタンスしかないだろう。ところで、その自民党内では、図らずも世代交代が実現され、旧態依然な勢力が一掃されたのは、むしろラッキーだったのではないかという穿った見方もある。船場吉兆のババ社長の教訓ではないが、いつまでも半分ボケたご老体が一国の舵取りを仕切っている図はどう見ても美しいと言えず、これはある意味で願ってもない展開になったという、半ば居直り的ではあるが、一理ある言説である。「災い転じて福となす」「ピンチはチャンス」「火の鳥の生まれ変わり」理論(?)である。・・・それにつけても、東京5区で落選した佐藤ゆかりたんは、本当にかわいそうだったニャ~、・・・グシュン(・・・けっこう隠れファンなのです~)。さて、ご承知の通り、日本経済は待ったなしの崖っぷちである。熾烈な国際競争の嵐の中で、政権交代ごときにはしゃいでいるいとまは微塵もない。これまでの民主党は、ややもすると実務能力・経験不足への懸念から「ホップ・ステップ・肉離れ」などと揶揄されて来たが、今回与党となって「ホップ・ステップ・マンホール」の蓋を開けることのないように望みたい。民主党がマニフェストで提示した■子供手当て1人月額26,000円、■高校授業料の実質無料化、■高速道路料金の段階的無料化、■年金制度の一元化と最低年金月額7万円、■最低賃金自給1000円、■全農家への“逆ザヤ”個別補償制度などの政権公約は、何が何でも死に物狂いで実現させるのだろう。逆に言うと、この初手から躓つまづいているようでは、お先真っ暗というほかはない。これらに充てる巨額の財源16兆8000億円は、予算の抜本的な組み替えと無駄遣いの禁止等で捻出するとしているが、既得権益を墨守しようとする官僚機構とのバトル・ロワイヤルがこの秋口早々に開始されることになる。その先も“脱官僚(依存)”政治主導・市民主体の政治を標榜しているが、予想される強力な面従腹背的抵抗の中で、何をどこまでやろうとしているのか、出来るのか、国民の不安は根強いものがある。政治ファンの目で常識的に見れば、再来年度予算編成が一段落するまでの1年半ぐらいは何とか頑張れるのだろうが、その先の見通しは皆無だろう。・・・昭和戦争における日本軍かよっ!ただ、よほどの不慮の事態でもない限り、民主党が今回得た308の巨大議席を自ら放棄するわけもないから、当然4年の任期いっぱい近くまで解散を引っ張るハラであろうが、果たして実質的にどこまで持つのかなあ~と、率直に言ってかなり眉唾モノである。政権2年目ぐらいからは、ほとんど全く何も出来ず、ただ静かに立ち腐れていくのを手を拱いて見ているだけになりはしないか。「都市博の中止」以外は何一つ出来なかった、記憶に新しい青島幸夫・大風呂敷東京都政、全く何一つ出来ずフリーズしっぱなしだった無能の骨頂・田中真紀子外務省の惨状が、国政レベルで再現されるのが今から見えるような気もする。ただ、「4年間は消費税を上げない」という言い回しで、事実上4年後の消費税大増税を予告していることは、政権政党としてのリアリズムがあると評価できる。全くリアリティを欠落している日本共産党を除き、どの党にとっても消費税の増税は早晩直面せざるを得ない課題であり、時間の問題に過ぎないことは自明である。なお、民主党に対する国民の最初の中間評価・通信簿は、約1年後の来夏の参院選で下されることになる。そこまでに、少なくとも改革の道筋を示せるかどうかが、重大な鍵となる。民主党は、現在の野党勢を合わせて、衆議院での再可決が可能となる定数の3分の2の320にも王手をかけたといえる。もうちょっと掻き集めれば、独裁政治でも何でもできる強者となった。・・・しないと言ってるけど。ただ、勝ちすぎだという指摘もある。巨大勢力を持て余し、求心力がもともと薄い寄り合い所帯に油断が出て、遠心力が作動するという見方も浮上している。民主党の分裂と、自民党を巻き込んでの政界再編の可能性は、むしろ高まっているというのだ。現執行部に批判的な前原グループの決起もあり得る。また、誰もが鳩山何某なにがしが民主党を実質的に仕切っているとは思っていない。大方の見方は“傀儡マリオネット”にほかならない。小選挙区制を導入し、虎視眈々とこの日を見据えて来た民主党の首領ドン・小沢一郎氏の粘着性大長編シナリオの第1章は、とりあえず満願成就したといっていいだろう。恐るべき男である。その豪腕ぶり、やはり大したヤツだと、率直に認めたい。そもそも、思想的無定見はともかく、資質として男の中の男であることは、言うを俟またない事実である。何よりも、何を考えているのかよく分からない茫洋たるところが美学である。ドン・ヴィトー・コルレオーネである。今回、「小沢チルドレン」、わけても「小沢ガールズ」の猛威は、AKB48の100倍ぐらいの勢いと新型インフルエンザの10倍ぐらいの感染力があった。またしても、驚くべき炯眼と戦いくさ巧者ぶりで天下の人士の舌を巻かせてしまった。・・・ひとり、小沢氏の高笑いだけが響いている、夏から秋へのゆきあいの空であった。
2009.08.31
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マリーゴールド(キク科)――けさ、衆院選投票所の小学校で写す。
2009.08.30
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糸瓜(ヘチマ、ウリ科)――けさ、衆院選投票所の小学校で写す。
2009.08.30
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キバナコスモス(キク科)――けさ、近所で写す。
2009.08.29
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けさ、近所で写す。
2009.08.29
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これはクサボケ(バラ科)かな?──けさ、近所で撮影。
2009.08.29
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小野茂樹(おの・しげき)あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ第一歌集「羊雲離散」(昭和43年・1968)註現代短歌不朽の名歌。何も言うことはない。34歳で夭折した作者に、合掌。
2009.08.28
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伊藤左千夫(いとう・さちお)夕涼ゆふすずの河岸かしのたたずみ細々しわがおもふ人のただ白く立つ左千夫歌集夕涼の河岸の佇みはほっそりとひめやかにわたしが思う人はただ白くほのめいて立っている。
2009.08.28
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源雅光(みなもとのまさみつ)逢ふまでは思ひもよらず夏引きのいとほしとだに言ふと聞かばや金葉和歌集 355あなたに直(じか)にお逢いするとまでは思いも寄らないことです。ただ、せめてひと言「いとおしい」とおっしゃっているとだけはお聞きしたいものだなあ。註夏引きの:「糸」に掛かる枕詞(まくらことば)。蚕の繭から採る絹、また麻など、いずれも夏の産物であることによる。ここでは、それを「いとほし」に掛けている、いかにも和歌的な修辞。
2009.08.28
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与謝野晶子(よさの・あきこ)誰たれが子かわれにをしへし橋納涼はしすゞみ十九の夏の浪華風流なにはふうりう歌集「恋衣」(明治38年・1905)どの子だったかしら、わたしに教えてくれた橋涼みの愉しみ。十九の夏の大阪・浪花の風流。
2009.08.28
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くまんパパ 奇特なわたし五月闇さつきやみ深く涯底そこひに横たはり朱夏はいまだし青春とほし放置せし餅に青黴生ひ繁りあざらけく見ゆ野より来たるか蚕豆そらまめと冷酒のありて一首二首歌詠みをれば阿古屋珠の夜今どきの短歌はこんなのですかと問はれ斉藤斎藤を弁ず切実に詠みたきものが我がうちにあると思へず とりあへず詠むとはいへど穂村弘が気になつて眠れぬ夜もあるわいな。嘘女歌どこか甘いと思ひつつそこのところに慰められき共稼ぎの歌詠み少なからずして統治が大変だらうと思ふ結婚はいいものだよと独身の男女を見れば焦らせてゐる二割引シール貼られて三十路行く夢みる頃を過ぎたる乙女ヨネスケの不法侵入至芸にて録画して見る奇特なわたしチベットに続いてやりやがつたのか中華人民共和国様誤解なのか確信なのかウィグルの民族浄化ピュアリフィケーションスターリン式すぐ横に並んで載るとうれしけれほぼ同期なる逢坂の猫 *「ウィ・アー・ザ・ワールド」胸に抱いてゆくマイケル・ジャクソン同世代逝く* 勺禰子さん(「短歌人」所属)。旧かなづかひ。著作権を有します。© 2009 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009.08.27
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くまんパパ 「短歌人」9月号掲載作品放置せし餅に青黴生ひ繁りあざらけく見ゆ野より来たるか今どきの短歌はこんなのですかと問はれ斉藤斎藤を弁ずとはいへど穂村弘が気になつて眠れぬ夜もあるわいな。嘘共稼ぎの歌詠み少なからずして統治が大変だらうと思ふヨネスケの不法侵入至芸にて録画して見る奇特なわたし「ウィ・アー・ザ・ワールド」胸に抱いてゆくマイケル・ジャクソン同世代逝く* 旧かなづかひ。──7月号掲載作品「月暈の潤める光降りそそぎ二十日大根ラディッシュの葉のうららけき宵」が、今月号「Selection」欄に選出されました。著作権を有します。© 2009 Kumanpapa Daddy Bear All rights reserved.
2009.08.27
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正岡子規(まさおか・しき)ぬば玉の牛飼ひ星と白ゆふの機織姫はたをりひめとけふこひわたる歌集「竹の里歌」(明治37年・1904)射干玉のように精悍な牛飼いの星と白木綿の花のように清楚な機織姫が射干玉のような今夜の宵闇を恋い渡ってゆく。註ぬば玉:ヒオウギの黒い珠実、または黒い珠玉の類。「ぬばたまの」は「黒」「夜」「夕」「月」「暗き」「寝(ぬ)」「夢」などに掛かる枕詞(まくらことば)。ここでは「ぬば玉の」が、黒光りするような精悍な牛飼いの青年の面影と、枕詞「ぬばたまの」が掛かる縁語群の重層的なイメージの両者にさりげなく響かせてある。さすがに、近代短歌を切り拓いた明治の巨人の、手練(てだれ)の秀歌というべきであろう。* きょうは太陰暦(旧暦)の7月7日、すなわち七夕。現行の太陽暦(新暦)では梅雨の真っ只中となってしまった七夕と異なり、古来の七夕は、天候も安定している夏のおわりと秋のはじまりを感じさせる季節の行事だったんだなあと改めて思う。すべての勅撰和歌集の部類分けでも、七夕は秋の題の扱いとなっている。
2009.08.26
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落合直文(おちあい・なおぶみ)めぐりあひし男星女星をぼしめぼしのむつごとも聞くべく秋の夜は更けにけり「萩之家歌集」(明治39年・1906)* きょうは旧暦の7月7日(七夕)。
2009.08.26
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伊藤左千夫(いとう・さちお)蒼空あをぞらの真洞まほらにかかれる天漢あまのがはあらはに落ちて海に入る見ゆ左千夫歌集深い紺碧の穹窿にかかっている天の川が流れ落ちて海に注ぎ込んでいるのがまざまざと見える。註きょうは太陰暦(旧暦)の7月7日、すなわち七夕。
2009.08.26
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伝・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)年にありて一夜ひとよ妹いもに逢ふ彦星も我にまさりて思ふらむやぞ拾遺和歌集 148一年にたった一夜だけ恋しい人に逢う彦星も愛しい人へのわたしの思いの丈に勝っているだろうか。註歌聖・人麻呂作という点はきわめて疑わしいが、いい歌である。妹:もとは妻・恋人など年下の親しい女性を言った。現代語「妹」は「いもひと」の音便。* きょうは旧暦の7月7日(七夕)。
2009.08.26
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源実朝(みなもとのさねとも)彦星のゆきあひをまつひさかたの天の河原に秋風ぞふく新勅撰和歌集彦星が行き合いを待つ天の河原に秋風が吹いているなあ。註彦星:古語、歌語としては「ひこほし」と読み、濁らない。ゆきあい:出会い・邂逅の意味だが、そのほかに、季節が変わること(特に、夏から秋への変わり目)を意味するので、縁語としてそのニュアンスも掛けてあると思われる。
2009.08.26
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能因(のういん)秋の夜を長きものとは星あひのかげ見ぬ人のいふにぞありける後拾遺和歌集 243秋の夜が長くて退屈なものだとは牽牛と織女の星合いの光の切なさを解しない無粋な人の言うことなのであろうよ。註さすがに僧侶らしく少々理屈っぽいが、面白い趣向の歌。星あひ:織姫と彦星が邂逅すること。かげ:古語としては、ほぼ例外なく「光」の意味。* 本日は旧暦の七夕。
2009.08.26
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加賀左衛門(かがさえもん)いかなればとだえそめけむ天の河あふ瀬にわたすかささぎの橋詞華和歌集 87どうして七夕の夜以外は無慈悲にも途絶えてしまったのだろうか、その途絶えた始めをわたしは知りたい。天の川の織姫と彦星の逢瀬に渡すカササギの架ける橋が。
2009.08.26
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高野公彦(たかの・きみひこ)家裏に立てて忘られて梯子あり銀河は一夜その上に輝る歌集「汽水の光」(昭和51年・1976)註きょうは旧暦の7月7日。通俗的な意味も含めてロマンティックな七夕も、現代短歌を代表する歌人の手にかかるとこうなってしまうお手本というべき秀歌か。上3句と下2句が関係あるようなないような、響きあっているようないないような、大いなる無関心とでもいうべき、微妙にクールな詩を醸し出している。・・・ところで、この「ハシゴ」は何を象徴しているのであろうか?
2009.08.26
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きのう、近所で写す。
2009.08.25
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きのう、近所で写す。
2009.08.25
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吉野秀雄(よしの・ひでお)古すだれ檐のきに釣り垂れあしびきの山のすずしさを人はたのしむ歌集「苔径集」(昭和11年・1936)古い簾(すだれ)が軒に吊られて垂れ下がり、深山(みやま)から下りてくる涼しさを人は楽しむのだなあ。註「すだれ」と「垂れ」が、ちょっとした言葉遊びになっているのは一目瞭然で、楽しい趣向といえよう。なお、短歌に季語はないものの、「すだれ」や「すずしさ」という言葉が入っているので、夏の歌に間違いない。すずしさそのものが歌になったような秀歌というべきか。あしびきの:語源は「足引き」とされ、足を引いていくほど険しいという意味で「山」に掛かる枕詞(まくらことば)。古い短歌・俳句などでは、しばしば「吊るす」意味で「釣る」の表記を見かける。こういう点については昔の人は無頓着というか、特に区別しなかったようである。なお、「苔径集」という歌集のタイトルもいいなあ~。「たいけいしゅう」と読むのだろう。「苔(こけ)生(む)した径(こみち)」の意味だろう。まさに、風流そのものである
2009.08.25
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けさ、近所で写す。
2009.08.24
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河野裕子(かわの・ゆうこ)子供みたいに皿を箸でひき寄せるあなたを残して死にはしないいつまでも伴侶で居られるはずも無し手術後九年がそおっと過ぎた 転移後十年先の生存率 二パーセント<添ひ遂げる>われらにあらぬを悲しめり枇杷びはの実濡らし雨が降りゐるあと五年を生き抜いてみようあなたの傍にわが歌のために誰よりもわれを悲しむこの人が胸にさはらず頭づを撫でくるる読売新聞 本年5月27日付夕刊「5月の題詠『愛』」より註本文中「あなた」「この人」と呼ばれているのは、作者の夫で歌人の永田和宏・京大教授(細胞生物学者)。永田氏は旧アララギ系の結社「塔」主宰。最近、長年の新かなづかいを捨てて旧かなづかいの使用に踏み切り、話題になった。二首目「そおっと」の表記は旧かなづかいから外れるが、原文のまま。もちろん意図的であろう。ちなみに僕は、県立図書館で借りてきた著者・河野氏の最新歌集「母系」をしみじみ読んでいる晩夏の夜な夜なである。蔭ながら、大ファンである。歌の内容からもお察しいただける通り、河野氏は数年前に大病を患われ生還された御身の上である。ご自愛されて、ますますお元気にご活躍されることを心よりお祈り申し上げたい。
2009.08.24
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河野裕子(かわの・ゆうこ)人間のわたしにわからぬ体力に夜中を過ぎても蝉が鳴きゐる註出典未詳、調査中。歌集「体力」(1997)か、それ以降には間違いないと思うが。節足動物である昆虫の生命力は、その小さな体躯の割にはきわめて旺盛で、我々人間が属する哺乳類などの脊椎動物とは、何か位相というか次元が違うものを感じさせる。若い頃からヴィヴィッドな感性で知られながらも、近頃頓(とみ)に体力の衰えを感じ、それをしばしば歌にしている作者の現在が、独特のポエジーを生み出している。
2009.08.24
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吉野秀雄(よしの・ひでお)夕立の地降じぶりとなれるさ夜ふけにつひに衰ふる稲妻を見し歌集「苔径集」(昭和11年・1936)雷を伴った夕立がいつしか土砂降りになって息苦しいほどの夏の夜更けに、ついに衰えはじめた稲妻の閃めきを見ていた。
2009.08.24
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けさ、近所で写す。
2009.08.24
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けさ、近所で撮影。北関東の当地・宇都宮では、昨晩宵の口、寒冷前線の通過とともにかなり激しい夕立に見舞われましたが、おかげでその後は一気に涼しくなり、きのうまでの蒸し暑い残暑がウソのように、けさはカラリと乾いた秋の空気に包まれました~(・・・まだ、かなり暑いことは暑いけど)。爽やかな晩夏の朝、純白の百合が眩しく咲いていました~
2009.08.23
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けさ、近所で撮影。前々から何となく気になっていたのだが、けさたまたま通りかかったので、撮ってみた。今どき、かなりの田舎町でもめったに見かけなくなった、純和風木造2階建ての住居。・・・といっても、人けはなく、現在はおそらく無人の廃屋だろう。元は小さな商家(駄菓子屋か何か?)のような感じだ。いわゆる「しもた屋」である。僕ら中年以上の世代には、けっこう懐かしい造作だ。ちょっと昔なら、日本中でごく当たり前に見られた光景だった。僕が育った家はもう少し大きかったが、細かいところを抜きにすればだいたいこんな感じだったといっていい。これで台風にも地震にも耐えて、雨漏り一つしなかったのだから、日本伝統の大工さんと建築技術の底力も大したものだ。・・・ちなみに、「磯野家の謎」という本によれば、サザエさんちは平屋だが、だいたいこんな感じの設定になっている。ちなみにこの本は、亡きおふくろが愛読していたので、お棺に入れて冥土の旅の供にした。 この家も、大方そのうち取り壊されて、お決まりの駐車場にでもなるのだろう。せめて今写真に撮っておいてよかった。僕にとっては、大げさに言えば、ちょっとした心の重要文化財である。立派な神社仏閣などより大事かも知れない。
2009.08.23
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小池光(こいけ・ひかる)「アジサイ」の木札の立ちてあぢさゐのそこに末枯るる遠き日の駅歌集「草の庭」(平成7年・1995)註アジサイ:歴史的仮名遣いは「あぢさゐ」。ここは現代の事象の写生なので、カギ括弧に入れてあえて新仮名遣いで表記した。その表記の対比自体が時間的懸隔感の効果をもたらしている。なお、アジサイの語源は「集(あつ)む」「藍」などと関係があるとされる。末枯るる:普通「うらがるる」と読むが、「すがるる」とも読めるかも知れない。ただし「すがる」の場合、表記は普通「尽る」。
2009.08.21
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けさ、近所で撮影。エルニーニョ現象なのかどうかは今後数年間の分析を俟たなければならないそうだが、この夏がかなりの異常気象の冷夏であることは、しろうと目にも間違いのないところだろう。夏らしい夏が来ないうちに、もう朝晩は虫の音すだき、ちらほらと秋の気配が漂ってきた。近所の花の写真を撮りはじめて足掛け3年目ぐらいになると思うが、今年は本当に花の付きが悪く、しかも見る花見る花すべて小ぶりのように見受けられる。このハスの株も、何とか開花にまで辿り着いたのは写真の一輪だけで、花びらもすごく小さい感じがする。長引いた梅雨のような天気で、立ち腐れた蕾も多い。まあ、こういう妙な年もあるのかも知れない。けさ21日付の読売新聞朝刊1面トップの衆議院総選挙・全国終盤情勢分析では、民主党がなんと300議席を超えて単独過半数を実現する勢いで、政権交代は確実な情勢だという。衝撃的な紙面だといっていいだろうなじかは知らねど、そこはかとなく異形(いぎょう)の夏なのだろうか?
2009.08.21
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奥村晃作(おくむら・こうさく)アレホドノ快ホカニナシ止めちゃった煙草の功を折ふし思う節水の呼びかけ一日ひとひの大雨で要らなくなった台風の力大き口いっぱいに開けにんげんが落す麩を待つ真鯉見下ろす 「撮影不可」の絵の前に来て撮影の可能な展覧会と気付きぬ「マクドナルドハンバーガー」は満席でにもかかわらず次々入り来く庭に棲すむガマのからだが電灯に照らし出されて動かずに居り歌集「スキーは板に乗ってるだけで」(平成17年・2005)註「ただごと歌」の「ただごと」の対語は「ただならぬこと」であろうか。奥村氏は「『ただならぬこと』でないこと」を執拗なまでに詠み続けている。奥村氏の歌集は、どこを開いても、ある意味で同じ風合い(テクスチャー)を感じさせる。この驚くべき一貫性は一種ストイシズム(禁欲性)を帯びているとさえいえると思う。プルーストのあの大長編小説「失われた時を求めて」のような感じと言えばいいだろうか。だからといって、次々と繰り出される表現は決して単調ではなく、むしろしばしば奇想天外といってもいいぐらいの世界認識のようなものが歌になっている。汲めども尽きぬ着想と観察眼と技巧で、しかしながらあくまでもフラット(平べったい)でリアルな言葉が綴られていく中に、思わず知らず底光りしてくるものがある。それは、世界をこのように観察している作者の視線であり主体であり、代替不可能な生の「かけがえの無さ」とでもいうべき感覚である。むろん、その視線は局外者(アウトサイダー、エトランジェ、客人・まろうど)のものであり、見者(ヴォワヤン、観察者)としての存在の発動である。これはまさに、短歌表現の一本質に触れているといえるだろう。
2009.08.21
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けさ、近所で写す。昆虫が嫌いな方にはすみませんウチの女房も絶対金輪際ダメな方でして、あのカッコいいカブトムシを見ても大声で泣き叫ぶほどです~・・・この写真は掲載しようかどうか、けっこう迷いましたが、しろうとの写真としてはけっこう貴重かな~とも思いまして、エイヤっと掲載します~。カマキリくんが、花々に集まってくるハナムグリとかハチ、ハエなどの小さな昆虫を狙って待ち伏せしているところ。見事な保護色になって、草の茎の緑に溶け込んでいる忍者ぶりは、「キルビル」並みの達人の技。「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」とは、見掛け倒しで弱いものの代名詞だけど、どっこいどうして、これがなかなか強力な武器。目にも留まらぬ電光石火で餌を捕まえる瞬発力はスゴイよ~。待ち伏せを、陰険とか陰湿とかストーカー的とか言うなかれ(・・・言わないか)。彼らも必死で生きているんだよ~ん・・・ただ、虫を捕まえて、強靭なあごで頭からムシャムシャかぶりついている図は、正直言ってドン引きだけどね~
2009.08.20
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サギソウ(ラン科)――けさ、近所で写す。わが家の近くには川が流れているので、本物のサギも日頃からけっこうよく見かけるのだけれど、この花をサギに見立てて、初めてサギソウと呼んだ人は、いいセンスしてたな~と思うまさに、純白の鷺が天翔(あまが)けている姿だよね~
2009.08.19
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残暑お見舞い申し上げます~アサガオ(ヒルガオ科)――けさ、近所で写す。
2009.08.18
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奥村晃作(おくむら・こうさく)どこまでが空かと思い 結局は 地上スレスレまで空である仄暗き香りを放つ口もとに唇を当て放しては当つ路地奥の家なれば機械入れられず解体は人の手もて行う古家ふるいえが取り払われて現われし更地さらちは四方囲まれている歌集「空と自動車」(平成17年・2005)註“ただごと歌名人”奥村氏の繰り出す脱力系フェイント攻撃はとどまるところを知らず、何ともいえない納得感・安心感と、小さな価値の奇妙な顛倒のような驚きが両立している不思議ワールドが展開されている。完全に独自の文体を確立している歌人の一人。結社誌「コスモス」幹部。
2009.08.18
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奥村晃作(おくむら・こうさく)自動車は自ら動く車ならず人が必ず動かしている次々に走り過ぎゆく自動車の運転する人みな前をむく運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りてゆくなり歌集「空と自動車」(平成17年・2005)註和歌・短歌には「ただごとの歌」という系譜が存在する。幕末の橘暁覧(たちばなのあけみ)などに始まり、明治期の巨匠・正岡子規によって継承された。何でもないようなことを、一見何でもないように詠むのだが、そこにはきわめて高度な精神作用が介在しているようにも見え、かつ何ともいえないトボケたおかしみが生じたりする。奥村氏は、現代歌人の中で、それを最も目的意識的に追求している異才である。蔭ながら尊敬している。
2009.08.17
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吉竹純(よしたけ・じゅん)東京を繃帯のように巻いている高速道路よ一週間のさようなら歌集「投歌選集・過去未来」(平成20年・2008)註14日付の読売新聞1面コラム「編集手帳」で紹介されていた。なるほどと思う。お盆の帰省という割と平凡な題材を扱いながら、東京を取り巻く高速道路を繃帯に見立てたシュルレアリスティクな発想で詩歌になっている。現代の代替表記の「包帯」ではなく、あえて正字の「繃帯」を用いたのも効いている気がする。「繃帯」から「怪我」「重病」「危篤」「治療」「癒し」などの禍々しい概念が惹起され、ある種の不吉で重層的なイメージが浮かび上がってくる。
2009.08.16
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きのう、近所で写す。キキョウ(キキョウ科)──北関東の当地では、ここへ来てようやく夏らしい夏になりましたが、これまでのやたらに長い梅雨のような冷夏で勘違いしたのか、秋の七草の一つである桔梗が、早くも咲いてしまいました。一種の「狂い咲き」といえるでしょうね。昨夜のNHK「ニュースウォッチ9」によると、やはり秋の花であるキバナコスモスが、どこかで1ヶ月も早く開花したそうで、やはりこの夏はかなりの異常気象のようですね~
2009.08.15
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終戦の詔書 全文 現代語訳私は、深く世界の大勢と日本の現状とを熟慮して、非常の措置を以って状況を収拾しようと思い至り、ここに忠実で善良なあなたがた国民に告げる。私は、日本政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソヴィエトの四か国に対して、そのポツダム共同宣言を受諾すると通告させた。そもそも、日本国民の安心安全を図り、世界の国々とともに繁栄を楽しむことは、わが先祖が規範として遺したことであり、私は一日たりとも忘れたことがなかったが、先にアメリカ、イギリス二国に対し宣戦した理由も、また真に日本の自立自治と東アジア地域の安定を希求してのことであり、他国の主権を侵害したり領土を侵犯するようなことは、もとより私の意志ではない。しかし、交戦状態はすでに四年を経過し、私の陸海将兵の勇敢な戦闘、私の官僚の精勤、私の一億国民の公共心に基づく尽力は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦況は必ずしも好転せず、世界の情勢もまたわれわれに不利である。そればかりではなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して多くの罪のない非戦闘員市民を殺傷し、惨害がどこまで及ぶか、まことに計り知れない状況に立ち至った。それでもなお戦争を継続すれば、ついにはわが民族の滅亡を招いてしまうばかりではなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうことになるだろう。もしそのようなことになれば、私はどうやって億兆の我が子たる国民を守り、先祖の霊に謝罪することができるだろうか。これが、私が日本政府をして、ポツダム宣言に応じさせるに至った理由である。私は、日本とともに終始東アジアの植民地解放のために協力してくれた友好国に、謝罪の意を表明せざるを得ない。日本国民で、戦場に死し、あるいは職場で殉職し、不慮の運命に倒れたもの、そしてその遺族に思いを致せば、全身が引き裂かれるほどつらく苦しい。さらに、戦場で負傷し、戦災の被害を被り、家や生業を失ったものの再起については、私は深く憂慮しているところである。思えば、今後日本が受けるであろう苦難は、言うまでもなく並々ならぬものだろう。あなたがた国民の偽りのない苦しい心も、私はよく知っている。しかしながら私は、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、ここに未来永劫のために平和な世界を開こうと思う。私は、ここに我が国の体制を護持し得て、忠義で善良なあなたがた国民の真心を信頼しつつ、常にあなたがた国民とともにあるだろう。もし、感情の激するままに濫りに事を構え、あるいは同胞が排斥し合って互いに国の針路を誤り、信義を世界に失うようなことは、私の最も戒めるところである。どうか国を挙げて孫子の代まで語り継ぎ、堅く神の国の不滅を信じ、責任は重大で道は遠いことを自覚し、総力を将来の建設に傾け、道義心を篤くし、志(こころざし)と操(みさお)を堅くして、誓って日本文化の精華を輝かせ、世界の動向に遅れないことを期さなくてはならない。あなたがた国民は、どうかよく私の意思を理解せよ。昭和20年(1945)8月14日(拙訳)
2009.08.15
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朕ちん深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑かんがみ、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲ここに忠良なる爾なんぢ臣民に告ぐ。 朕は、帝国政府をして米英支蘇べいえいしそ四国しこくに対し、其その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。 抑々そもそも、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄ばんぽうきょうえいの楽たのしみを偕ともにするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕の拳々措おかざる所、曩さきに米英二国に宣戦せる所以ゆゑんも、亦また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾しょきするに出いでて、他国の主権を排し領土を侵すが如きは固もとより朕が志こころざしにあらず。 然るに交戦已すでに四歳しさいを閲けみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、各々おのおの最善を尽せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢、亦我に利あらず。加之しかのみならず敵は新あらたに残虐なる爆弾を使用して頻しきりに無辜むこを殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。 而しかも尚、交戦を継続せむか、終つひに我が民族の滅亡を招来するのみならず、延ひいて人類の文明をも破却すべし。斯かくの如ごとくむば、朕何を以てか億兆の赤子せきしを保し、皇祖皇宗の神霊に謝せむや。 是れ、朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れる所以なり。 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。 帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃たふれたる者、及び其の遺族に想おもひを致せば五内ごだい為に裂く。且かつ、戦傷を負ひ、災禍を蒙かうむり家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念しんねんする所なり。 惟おもふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、朕善く之を知る。 然れども朕は、時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す。 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚しんいし、常に爾臣民と共に在り。 若もし夫それ、情の激する所、濫みだりに事端を滋しげくし、或は同胞排擠どうほうはいさい互に時局を濫り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。 宜しく挙国一家子孫相伝へ、確かたく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念おもひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤あつくし志操を鞏かたくし、誓ひて国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。 爾臣民、其れ克よく朕が意を体せよ。御名御璽昭和二十年八月十四日大臣副署註昭和天皇の御意を体して、内閣書記官長・迫水久常(さこみず・ひさつね)氏、漢学者・川田瑞穂(かわだ・みずほ)氏(内閣嘱託)が起草、陽明学者・安岡正篤(やすおか・まさあつ)氏(大東亜省顧問)が加筆修正。大臣副署は、当時の鈴木貫太郎首相以下16名の書名と花押。原文は、全文片仮名、旧字体。段落、句読点、濁点、振り仮名なし。
2009.08.15
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近所で、けさ写す。ホウセンカ(ツリフネソウ科)の一種?・・・違うかも知れない
2009.08.14
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近所で、けさ写す。
2009.08.14
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ハギ(マメ科)──けさ、近所で写す。
2009.08.14
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カエデ(カエデ科)──けさ、近所で写す。
2009.08.14
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加賀千代女(かがのちよじょ)朝顔につるべ取られてもらひ水朝顔の蔓(つる)に井戸の釣瓶を占領されてご近所さんから水を貰っているのよ。
2009.08.13
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栃木・宇都宮市中心街で、きのう午後2時半ごろ(くまんパパ撮影)衆議院総選挙は、正式にはまだ公示にもなっていないが、すでに事実上の中盤戦たけなわになっていることは、皆さんも肌で感じておられるだろう。お盆をはさむ異例の真夏の選挙戦で、候補者や支持者も大変である。率直にご苦労様と申し上げたい。当地・栃木1区の小選挙区では、これまではずっと、磐石の地盤・看板・カバンを誇る自民党前職の有力議員の金城湯池であったが、今回ばかりは分からないぞと囁かれている。この前職F氏に今期4年間の失点はなく、頑張って仕事をしていたと見られるだけに、これは全く中央政界の迷走の巻き添えである。また、長い間典型的な保守王国だった当地の気風も、最近では都市型メンタリティに変容しつつあると指摘されている。いずれの週刊誌も△▲マークで激戦ぶりを裏付けているが、特に「女性セブン」が、情勢分析で自民党前職に▲を付け、民主党新人に△を付けたのには、思わずおのれの目を疑うと同時に、女性誌ならではの鋭い指摘かも知れないなという思いが脳裏をよぎった。確かに、それほど厳しい戦いになっている。ちなみに、お隣「クソ茨城」(U字工事)の、県都・水戸などを含む1区でも、“絆創膏大臣”で勇名を馳せた赤城徳彦氏が大苦戦中と伝えられる。実は僕は、自民・民主・公明(創価学会)陣営いずれにも、親戚やかなり親しい刎頚の友などがいて、当然いろいろと情報は得ているが、具体的なことは非常に書きづらいし、しろうとの僕がここで未確認情報を書いても詮無いことなので、このぐらいでやめておく。いずれにしても、やはり今回、政権交代の可能性はかなり高いと言わざるを得ないようである。来たるべき民主党を中心とする政権の政策実現能力、ひいては政権担当能力には若干の危惧もあると指摘されている。特に官僚機構との関係で、面従腹背的な総力の抵抗をどこまで突破できるのかには不安も残る。外交・安全保障・防衛などの分野では、特に不安を感じる。・・・が、もう事ここに至っては、一度やらせてみなければ分からない、やらせてみようというのが、どうやら現在の国民のコンセンサスになりつつあると見受けられる。国民の側も、ハラを括ったということだろう。二大政党制の確立という、確かに崇高と思われる理念も、僕たち中年世代は、政治的に物心ついてからでも30年ぐらいだが、“百年河清”を待っていたという気分がある。事あれかしと待ちに待っていたような野次馬根性もある。僕らの上の「全共闘世代」の、かつての無分別な“共産主義革命”を標榜する街頭左翼的言動などが、健全な議会制民主主義の成熟を妨げてきた大きな一因だったとかねがね思っているが、この点はいまさら言ってもしょうがないことではあろう。時代の成熟度ということでもあるよね。英米型二大政党制の確立のため、多少の不安には目をつぶろうか。・・・というか、僕ごときがどう思おうと叫ぼうと、現実に否応なしにその方向へ雪崩を打って突き進んでいる疾風怒濤の風が、今の民主党の勢いのようである、と言ったら言い過ぎだろうか。民主党・岡田幹事長が宇都宮で演説【下野新聞(栃木)8月13日付】 民主党の岡田克也幹事長が12日、宇都宮市を訪れ、衆院選栃木1区立候補予定者の石森久嗣氏の応援演説を行った。 二荒山神社前での演説で岡田幹事長は「消えた年金は自然に消えたのではない。政府がなにもしなかったからだ。医療崩壊も勝手に崩壊したのではなく、政府による人災だ」と自民党の政策を厳しく批判した。 民主党のマニフェストについては「基本は変わっていない。民主党の魂がこもっている。大きな柱は人に援助だ」と主張した。 また、岡田代表は「この4年で自民党がやったことは総理の首を変えただけだ。こんな国はどこにもない。自民党と民主党、どちらが国民に真剣に向き合っているか考えてほしい」と政権交代の必要性を訴えた。[8月12日 18:56配信]
2009.08.13
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近所で、9日写す。
2009.08.11
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近所で、9日写す。
2009.08.10
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