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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたをお待ちしてわたくしが恋しさをつのらせているとわが家の簾を動かして秋の風が吹いた。註秋の名歌。「君」は、天智天皇(近江天皇)。 国宝 源氏物語絵巻 宿木 (歌と画像に直接の関係はありません)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014.09.16
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天智天皇(てんちてんのう/てんじてんのう)わたつみの豊旗雲とよはたぐもに入日いりひさし 今宵こよひの月夜つくよさやけかりこそ万葉集 15大海原に浮かぶ豊かに旗のごとくたなびく雲に入日が射し今宵の月夜が亮さやかならんことを。註古代の純真素朴な雄渾さと、悠揚迫らぬ帝王の風格を漲みなぎらせた名歌。豊旗雲とよはたぐも:神秘的に豊かな美しさのある、旗・吹き流しのようにたなびく雲。層積雲。わたつみ:海の霊。転じて、海・海原の意味。さやけし(さやか):くっきりとして、清澄なこと。「爽やか」は別語。さやけかりこそ:原文の訓読は諸説紛々である。【原文】(万葉仮名)渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽「さやけかりこそ」は、歌人・佐佐木幸綱早大教授(短歌結社「心の花」主宰)などの読みで、現在ほぼ定説といえる。その祖父、佐佐木信綱氏(「心の花」創始者)は「あきらけくこそ」と訓じた。また、「きよらけくこそ」の読みもあり、捨て難い。「まさやかにこそ」の読みにはやや無理も感じるが、魅力がある。こそ:この終助詞「こそ」の文法的解釈には諸説あり、厳密にいえばなかなか難しい。「広辞苑」によれば、誂(あつら)え(指示命令)の意味を持つ上古語動詞「こす」の古い命令形であるという(さらにその語源は、上代の動詞「来(こ)」+「す」だという)。「聞こし(召す)」なども類似の語構成と見られる。「こそあれ」「こそあらめ」(「~であれ」)の省略であるとする、平安時代以降の古典文法では常套といえる解釈もあったが、「広辞苑」や三省堂、ベネッセなどの古語辞典では、軒並み否定されているようだ。しかし、いずれにしても命令に近い願望、祈祷を意味する「~であれ」「~であらんことを」のような意味になることに変わりはない。のちに発達した「こそ・・・けれ」などの係り結びは、もともと倒置法が起源であるとする説がある(国語学者・大野晋氏ら)が、この歌の結びの「こそ」は、それ以前の文法的形態を示していると思われ、詠まれた年代の古さを示している。* この歌にインスパイアされたという中村岳陵の日本画「豊幡雲」(昭和11年・1936)を写した綴れ織りは、宮中晩餐会などでおなじみの皇居・豊明殿の壁面の装飾として知られる。 層積雲 Lenticular cloudウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014.09.09
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作者未詳望もちの日にさし出いづる月の高高たかたかに 君を坐いませて何をか思はむ万葉集 3005十五夜の日に射し出でる月が高々と上るように恋い焦がれていたあなたにここにおいでいただいて何を思い残すことがあるだろう(いや、何もない)。註望もち:十五夜の月。満月。望月。高高たかたか(なり):月が「高々と」上ったことと、「焦がれるあまり、足を爪先立てて待ち望むさま」を表わす形容動詞を掛けている。
2014.09.09
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作者未詳影草かげくさの生おひたる屋外やどの夕陰に 鳴く蟋蟀こほろぎは聞けど飽かぬかも万葉集 2159影草の生えている庭先の夕陰に鳴くコオロギの声はいくら聞いても聞き飽きないなあ。註作者未詳:初の勅撰和歌集である古今和歌集以降では、「よみ人知らず」(古今集撰者・紀貫之らの造語か)と言うようになったが、万葉集では一般にこう呼ぶ。蟋蟀こほろぎ:中世以前には、セミなども含むあらゆる鳴く昆虫の総称だった。今でいうコオロギは、古語では「きりぎりす」と言った。今でいうキリギリスは古語では「機織(はたをり)」。江戸時代前期の松尾芭蕉の名句「あはれやな甲の下のきりぎりす」も、コオロギのこと。 鳥居清広 浮世絵(作品名不詳) 江戸時代ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014.09.07
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)大君おほきみは神にしませば 天雲あまくもの雷いかづちの上にいほらせるかも万葉集 235大君は神であらせられるので天の雲のいかずちの上に仮の宮殿を造らせてお住まいになっていらっしゃるのだなあ。註いほる(庵る):「仮小屋(寓居)を作って住む」意味の古語動詞。連用形の「いほり(庵)」は、名詞(英文法に擬えれば、いわば「動名詞」)として後世に残った。 稲妻 Lightning ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大。
2014.08.15
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大伴家持(おおとものやかもち)痩やす痩やすも生いけらばあらむを はたやはた鰻むなぎを取ると川に流るな万葉集 3854たとい夏痩せで痩せても痩せてもおたおたせずに生きていればまだいいがはたまた急に一念発起したりしてウナギを取ろうと焦って川に流れるなよ。註前掲3853からの連作(・・・というより、「オチ」といった方が当たっているかも知れない)。この二首で茶化して笑わせているのだが、その中にも歌の調べの格調が感じられるのは、さすがに和歌の父・大伴家持の面目躍如である。 ウナギウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.07.29
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大伴家持(おおとものやかもち)痩せたる人を咲わらへる歌石麻呂いはまろに吾われ物申まをす 夏痩せに良しといふものぞ鰻むなぎ取り食めせ万葉集 3853痩せた人を笑った歌その痩せこけた姿を見るにつけ石麻呂に友としてあえて僕は言う。夏痩せに良いというものだぞ。ウナギを取って食べなさい。註石麻呂いはまろ:大伴家持の親友。石麻呂は字(あざな、通称・ニックネーム)。本名、吉田連老(よしだのむらじおゆ)。鰻(むなぎ):「うなぎ」の古語。語源は「胸黄」といわれる。天然ウナギを見ると、確かに胸が黄色い。よく鰻料理店の壁などに、この歌を刷り込んだポスターが貼ってある。こういった万葉集の「戯咲歌・戯笑歌(ぎしょうか)」の数々は、近世の「狂歌」の源流となり、江戸の知識人であった平賀源内は当然知っていただろう。「土用の丑の日」にウナギを食すという食習慣(恒例行事)を創始した源内の発想は、この辺りから生み出されたと思われ、幕末以降一気に定着した。なお、ウナギは古くは筒切りまたは丸刺しの串刺しで、焼いて食べたものと考えられる。その形が「蒲(がま)の穂」に似ていることから、「蒲焼」の名が付いたという説が有力。「蒲焼」という単語の初出は、いわゆる現在言う形の蒲焼になった江戸中期を遥かにさかのぼる室町時代の1399年(応永6年)の「鈴鹿家記」という本であることも、この傍証となる。ちなみに「蒲鉾」も同様な語源で、原型は今でいう「竹輪」のようなものである。形だけで言えば「きりたんぽ」なども似ている。 ウナギ 蒲焼ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.07.29
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鈴木春信 調布の玉川 (江戸時代)作者未詳 相模国さがみのくにの歌多麻川たまがはに晒さらす手作りさらさらに 何なにそこの児このここだ愛かなしき万葉集 3373 多摩川に手織りの布をさらす。さらさらさらして、さらして、さらすようにさらにさらにこの娘がどうしてこんなに愛しいんだろう。── 俵万智訳(「新潮古典文学アルバム・万葉集」所収)註相模国さがみのくに:現・神奈川県のほぼ全域と東京都の南西の一部。多麻川たまがは:現表記はご存じの通り「多摩川」であるが、いずれも万葉仮名、ないし当て字であることは疑いなく、語源は「玉川、珠川」であろう。当時貴重な珠玉でも採れたのかも知れない。手作り:「調布」とも書く。下記解説参照。さらさらに:川の水が流れるさまを表わす擬音語(オノマトペ)「さらさら」と、副詞「更々」(なお一層、ますます)、および副詞「更に」(重ねて、今まで以上に)の3語が掛けられていると解される。万葉時代の表現としてはなかなかの機知・技巧といえるだろう。ここだ:「こんなに多く、こんなに甚だしく」を表わす上古語の副詞。数詞の「ここのつ(九)」と語源的関係があるともいわれる。愛かなし:「愛しい」「切ない」「悲しい・哀しい」など、強い情動を包含して表わした最重要の古語形容詞。現代語には、そのうちほぼ「悲しい・哀しい」の意味だけが残ったが、「愛しい」「切ない」などの含意も完全には消えていないように思う。「さらす」と「さらさら」、「このこ」と「ここだ」が韻を踏んでおり、言葉遊びの意図が感じられる。奈良時代、庶民は現物納付の税(みつぎもの)である「租・庸・調(そ・よう・ちょう)」を納めたが、相模の国・多摩川周辺の民衆は、そのうちの「調」として布を納めていた。地名「調布(ちょうふ)」の名の由来である。なお、こうした現物徴税の制度があった記録は「魏志倭人伝」の邪馬台国の記述にも見られる。租庸調を納める際には、今でいう「ご当地ソング」のような和歌(やまとうた)を添付する習わしがあったという。いってみれば、後世の熨斗(のし)袋における「熨斗鮑(のしあわび)」のようなものであろうか。また、これとは別に、各地の国府・政庁などからの政治経済に関する報告や「風土記(ふどき)」の編纂資料などとともに採録されたとも言われているが、詳らかな経緯は定かではない。いずれにせよ、このようにして最終的に万葉集に収録されたものが、いわゆる「東歌(あずまうた)」である。編纂には、優れた歌人であり能吏でもあった大伴家持が重要な役割を果たしたと見られる。なお、多摩川に近い東京都下の「調布(ちょうふ)」は、古くは「てづくり、たづくり」と読み、後世に至るまで布が特産品であった。市内には、現在も「布多天(ふだてん)神社、布田(ふだ)、染地(そめち)」などの地名が残る。また「国領」など、大和朝廷に関わる歴史的由来を感じさせる地名もある。調布市国領はタレント高田純次の出身地であると、本人がよく言っている(笑)付近には、ほかにも調布という地名が点在した。現在の田園調布などもその名残である。織った布を川の水に晒す作業は、女仕事として近年まで各地に受け継がれていた。松本清張原作の映画「砂の器」にも秋田県の風物として出てきたのを記憶している。この歌は、そうした風習に絡めて、言葉遊びの要素を加えつつ、古代人の素朴な恋心を歌い上げている東歌の秀歌といえる。相模国さがみのくに:現在の神奈川県の大部分と東京都の一部。もとは武蔵国(東京・埼玉)と一つだったという説がある。江戸期の国学者・賀茂真淵(かものまぶち)は、もともと「身狭(むさ)国」というものがあって、のちにこれが「身狭上(むさがみ)・身狭下(むさしも)」に分かれ、音の欠落などでそれぞれ「相模(さがみ)・武蔵(むさし)」となったと唱えている。傾聴に価する興味津々の説といえよう。さらに、「むさ」の語源については、繊維を採る「苧、紵(からむし)」と関係があるとする説がある。この場合、「から」は「唐」(中国、外来植物)の意味か。
2014.06.16
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山部赤人(やまべのあかひと)春の野にすみれ摘みにと来しわれそ 野をなつかしみひと夜寝にける万葉集 1424春の野に菫を摘みに来た私は野があまりに懐かしく心地いいのでそのまま一晩寝てしまったのだよ。註「来(こ)」は、古語動詞「来(く)」の連用形。短歌では、現代でもしばしば懐古的(レトロ)な効果などを狙って用いられる。「そ・・・ける」は、強調・整調の係り結び。「そ」は平安期には「ぞ」になった。形容詞「なつかし」は、動詞「なつく(懐く)」と同じ語幹(「ゆかし」と「ゆく(行く)」の関係に相似)。 スミレ Viola mandshurica ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.05.06
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舒明天皇(じょめいてんのう、息長足日広額天皇・おきながたらしひひろぬかのすめらみこと) 長歌大和やまとには 群山むらやまあれどとりよろふ 天あめの香具山かぐやま登り立ち 国見くにみをすれば国原くにはらは 煙けぶり立つ立つ海原うなはらは 鴎かまめ立つ立つうまし国そ 蜻蛉島あきつしま 大和の国は万葉集 2大和には多くの山があるがとりわけ立派に装っている天の香具山の頂上に登り立って国見をすれば国土には炊事の煙が立つ立つ。海原にはカモメらが立ち騒ぐ。すばらしい国だなあ蜻蛉島 大和の国は。註天あめの香具山かぐやま:大和三山の一つ。古来、聖地(まほろば、サンクチュアリ)とされた。万葉の奈良時代当時、「天」は「あめ」と読むのが一般的だったが、格助詞「の」が付く場合は、「あま」と読む方がいいという説もある。国見くにみ:春の野遊びを兼ねて豊穣を祈る、天皇の予祝行事。とりよろふ:「都の近くに寄っている」の意味という説と、「立派に整った、装った」の両説があり、定め難い。広辞苑は前者を採っている。海原:諸説紛々であり、(現在の地形では実際には見えない)海とする説、池や沼とする説、当時の大和地方に湖があったとする説がある。いずれにしても、この歌は必ずしも写実ではなく、古代呪術的な「国ほめ」の歌と思われるので、どちらでもいいのかも知れない。うまし国:よい国。美しい国。蜻蛉島/秋津島:日本国の美称。「大和」の代名詞。近畿地方をトンボ(蜻蛉・あきつ)の形に見立てたという説もあって捨てがたいが、中核的な原義は「秋の島」または「飽きの島」の意味で、いずれも豊穣な実りを示していると思われる。「つ」は上代の格助詞。現・群馬県の「上野(こうずけ)」(上つ毛)、栃木県の「下野(しもつけ)」(下つ毛)にも見られる。また、蜻蛉(とんぼ)は、豊作の象徴と考えられていた。何となく、俳優・寺田農(みのり)さんの名前(本名だという)を連想する。 天の香具山(藤原京址付近) 奈良県橿原市ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014.04.29
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大伴池主(おおとものいけぬし)桜花さくらばな今そ盛りと人はいへど われはさぶしも君としあらねば万葉集 4074桜の花は今が盛りだと人はいうけれどもわたしは寂しいなあ。ここにあなたといないので。
2014.04.01
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小野老(おののおゆ)あをによし奈良の京みやこは 咲く花のにほふがごとく今さかりなり万葉集 328青と赤の彩りも美しい奈良の平城京は咲いた桜の花が輝くように今盛りだという。註上司・大伴旅人とともに九州・大宰府に左遷された部下である作者の切ない望郷の歌、という背景事情を知っても知らないでも名歌である。あをによし:「奈良」に掛かる枕詞。「青丹よし」(青緑色と朱色が美しい)の意味という。ちなみに、「にきび」の語源は「丹黍」(赤いキビの実)といわれる。 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン奈良公園 鹿と桜 * 画像クリックで拡大ポップアップ
2014.03.31
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額田王(ぬかたのおおきみ)熟田津にきたづに船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬいまは漕ぎ出でな万葉集 8熟田津で船出しようと月を待っていると潮汐も満ちてその時は来た。今こそ漕ぎ出でよう。註斉明7年(661)旧暦一月中旬頃(新暦2月半ば頃)に詠まれた名歌。この時、額田王は18~19歳。人生30年ぐらいの時代であった。熟田津にきたづ:現在、この名の地はないが、愛媛県松山市の道後温泉に近い 古三津地区・三津浜港 付近と比定されている。なお、「熟田(にきた)」の「にき」は「賑わう」や「賑やか」の語幹と同語源と推定され、「豊穣」を示す造語成分。高千穂に天孫降臨したという皇室の祖神 ニニギノミコト(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ) の名にも含まれる。 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン古代「熟田津」三津浜港(愛媛県松山市) * 画像クリックで拡大ポップアップ
2014.03.30
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雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、大泊瀬稚武天皇・おおはつせわかたけるのすめらみこと)御製(ぎょせい、おおみうた) 長歌籠こもよ み籠持ち 堀串ふくしもよ み堀串持ちこの岳をかに 菜摘なつます子 家聞かな 名告なのらさねそらみつ 大和の国はおしなべて われこそ居をれしきなべて われこそ座ませ われこそは告のらめ 家をも名をも万葉集 1籠かごだなあ 美しい籠を持って箆へらだなあ 美しい箆を持ってこの丘に春の若菜を摘んでいる娘よ。家を聞こう。お名のりなさい。そらみつ大和の国は押し靡なびかせて私がいるのだ。平らげて私が座しているのだ。私こそは告げよう 家をも名をも。註この岳をか:現・奈良県天理市付近の段丘と比定される。(家と名を)告のる:求婚の儀礼(プロポーズ)。
2014.03.29
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志貴皇子(しきのみこ)石いはばしる垂水たるみの上のさわらびの 萌もえ出いづる春になりにけるかも万葉集 1418岩をほとばしる滝のほとりのさ蕨が萌え出る春になったのだなあ。 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン赤目四十八滝(三重県名張市赤目町) 荷担滝(にないだき)
2014.03.28
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山上憶良(やまのうえのおくら)春さればまづ咲く屋戸やどの梅の花 ひとり見つつや春日はるひ暮らさむ万葉集 818春が来ればまず真っ先に咲くわが家の梅の花を独りで見ながら私は春の日を過ごすのだろうか。(・・・いや、そんなわけがないだろう。)註さる:現代語「去る」の語源だが、古くは方向を問わず距離や時間が移動する意味。「来る」「訪れる」意味になる場合が多い。屋戸やど:屋敷。わが家。ひとり見つつや春日はるひ暮らさむ:反語的疑問形。「独り寂しく一日いられるわけがない。みんなで一緒に楽しみたい。」
2014.03.23
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大伴三依(おおとものみより)世の中は恋繁しげしゑや かくしあらば梅の花にも成らましものを万葉集 819陽気のせいか世の中はどいつもこいつも恋だ愛だとうつつを抜かして喧かまびすしいことだ。やれやれもうこうなったら私は物言わぬ梅の花にでもなってしまいたいものだ。註万葉集に散見される、ちょっとシニカル(皮肉)な戯笑歌。近世以降の狂歌・川柳などの源流といえよう。ゑや:詠嘆の感動詞。かくし(あらば):こうであるならば。「かく」→「かう」→現代語「こう」になった。「し」は強調・整調の助辞(副助詞)で、特定の意味はない。
2014.03.23
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沙弥満誓(さみのまんせい)青柳あをやなぎ梅の花とを折り挿頭かざし 飲みてののちは散りぬともよし万葉集 821青柳と梅の花とを折って簪かんざしにして楽しく酒を飲んだあとは花はもう散ってしまってもいいや。註九州大宰府・大伴旅人邸での梅の花見の宴で詠まれた歌。洒落た(現金な?)言い草が笑える。沙弥:僧侶。
2014.03.20
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紀女郎(きのいらつめ)闇ならばうべも来まさじ 梅の花咲ける月夜つくよに出でまさじとや万葉集 1452新月朔日ついたちの闇夜ならばいらっしゃらないのは肯けますが、(二人で眺めて過ごしたい)梅の花が咲く満月の夜においでにならないとは(あなたはいったいどういうおつもりなのでしょう)。註古代の和歌(やまとうた)は「玉梓(たまずさ)」と呼ばれて、相聞歌、今でいう恋文(ラブレター)の役割を果たしていた。明文の詞書きはないが、この歌の宛先が万葉集の最終編者・大伴家持であることは確実と見られる。皮肉と諧謔(とヤキモチ?)たっぷりの文面に、艶福家のヤカモチ君もタジタジだったろう。註うべも:なるほど。道理で。動詞「うべなう(宜う、肯う、諾う)」(いかにももっともだと了承・肯定する)などと同語幹。むべ。
2014.03.20
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板持安麿(いたもちのやすまろ)春なれば宜うべも咲きたる梅の花 君を思ふと夜眠よいも寝ねなくに万葉集 831春なので当たり前に咲いた梅の花ですがその花のように可憐なあなたを思うと私は夜も眠れないのですよ。
2014.03.20
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大伴百代(おおとものももよ)ぬばたまのその夜の梅をた忘れて 折らず来にけり思ひしものを万葉集 392射干玉のように暗いその夜の梅をうっかり忘れて手折らずに来てしまったなあ。心に思っていたものを。(あなたにお逢いしたいと思っていたのに。)註百代といっても男である。念のため。ぬばたまの:「夜」「闇」などに掛かる枕詞。「射干玉(ぬばたま)」はヒオウギなどの黒い珠実。た(忘る):名詞、動詞、形容詞の上に付けて、語調を整え強める接頭語。特定の意味はない。「たやすい」「たばかる」「たなびく」など(「たなびく」は「棚引く」説もある)。ただし、「手向(たむ)く」「手折(たお)る」「助く(手・助く)」「たわく(戯)」などとは別語である。
2014.03.20
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大伴旅人(おおとものたびと)梅の花夢いめに語らく みやびたる花と我思あれもふ酒に浮かべこそ万葉集 852梅の花が夢に出てきて言うことには「わたしは自分をお洒落な花だと思います。どうぞお酒に浮かべてくださいね。」註語らく:語ることは~。現代語にも残る「曰(いわ)く」「思わく」(「思惑」は当て字)「老いらく(の恋)」などと同様、動詞・助動詞の連体形に、漠然と「こと」「ところ」などを示す形式名詞「あく」が付いて約まり体言化する上古語特有の語法(ク語法)。みやびたる花と我思あれもふ酒に浮かべこそ:直訳すれば「酒に浮かべてこそ、雅な花だと私は思う」の倒置法。梅の花が、夢枕に現れて語ったという言葉の(英文法でいうならば)直接話法。現代の普通文なら「 」の中に入るところ。
2014.03.18
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大伴旅人(おおとものたびと)わが園に梅の花散る ひさかたの天あめより雪の流れ来るかも万葉集 822わが庭園に梅の花が散っている。天から雪が流れて来ているのかなあ。註ひさかたの:天、空、雨などにかかる枕詞。語源・意味は諸説あるが、「久し」や「堅し」、あるいは「方(かた)」などに関係があるともいわれる。天:万葉集では「あめ」と読み、古今和歌集以降は「あま」と読むことが多い。かも:詠嘆・感動の終助詞。平安期以降は「かな」に取って代わられた。この古い歌では、「か」が本来の疑問の意味を保っている。
2014.03.18
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田氏肥人(でんしのうまひと)梅の花今盛りなり百鳥ももとりの声の恋こほしき春来たるらし万葉集 834梅の花は今が盛りだ。たくさんの鳥たちの声が恋しい春がやって来たようだ。
2014.03.18
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大伴家持(おおとものやかもち)春の苑その紅くれなゐにほふ桃の花 下照る道に出で立つをとめ万葉集 4139春の苑の紅に映える桃の花々が照り輝いている道にあらわれて佇たたずんでいる少女。註にほふ:光を受けて美しく映える。現代語「匂う、臭う」の語源だが、古語としては、花や女性などに関して、主として視覚的(色彩的)な感覚のニュアンスで用いられている例が多い。下照る:花の色などが、赤く照り映える。この「した」は本来「下」ではなく、「赤」を表わした上古語ともいわれる。
2014.03.17
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舎人娘子(とねりのおとめ)大口おほくちの真神まがみが原に降る雪は いたくな降りそ家もあらなくに万葉集 1636大口の真神が原に降る雪はひどく降らないでほしい。(宿りを乞う)家もないのだからなあ。註大口おほくちの:「真神まがみが原」に掛かる枕詞(まくらことば)。狼(ニホンオオカミ、明治時代に絶滅)を「大口おほくちの真神まがみ」と崇めたことからいう。真神まがみが原:大和国・飛鳥付近の別称。奈良盆地南部、飛鳥川の周辺。現・奈良県高市郡明日香村の飛鳥寺・法興寺跡一帯の地。安居院などがある。いたく:形容詞「甚(いた)し」(甚だしい、激しい、ひどい)の連用形。現代語でも用いられる。「いたく悲しむ」。な降りそ:降らないでくれ。降ってくれるな。副詞「な」+動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)+終助詞「そ」で、穏やかな制止・禁止(の懇願)を表わす。あらなくに:「あらぬに」を詠嘆のニュアンスにした言い回し。ただし、現代語「ないのに」という逆接の意味とは限らない。なくに:和歌に多く用いられ、否定の詠嘆を表わす。「~ないのだなあ」という詠嘆が基本だが、文脈によって「ないのになあ」(逆接)、「ないのだから」(順接)など種々のニュアンスを帯びる。活用語の未然形に接続する。「ず」の連体形「ぬ」に、上古に存在したと推定される形式名詞「あく」が付いて約(つづ)まったものとされる(「ク語法」の統一的説明)。「に」は格助詞。この説に従えば、この「く」は「いはく(曰く、言わく)」「のたまはく」や「思はく(「思惑」は当て字)」「老いらく(の恋)」などの造語成分と共通であると、統一的に説明できる。例えば「老いらく(老ゆらく)」は「老いる(老ゆる)+あく」である。なお、従来の文法的解釈では、打消しの助動詞「ず」の古い未然形「な」に、語を体言化する接尾語「く」と接続助詞「に」が付いたものとされていたが、現在では否定されている。→源融「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに」(百人一首 14番)→藤原興風「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」(百人一首 34番)
2014.02.04
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橘諸兄(たちばなのもろえ)降る雪の白髪しろかみまでに大君おほきみに仕つかへ奉まつれば 貴たふとくもあるか万葉集 3922降る雪のような白い髪になるまで陛下にお仕え申し上げることができたことはなんともったいなくもありがたき幸せであるか。
2014.02.04
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あけましておめでとうございます皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます平成26年(2014) 元旦大伴家持(おおとものやかもち)新あらたしき年のはじめの初春の 今日降る雪のいや重しけ吉事よごと万葉集 4516新しい年の初めの初春の今日降りしきる雪のようにますます重なれ吉よき事よ。
2014.01.01
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山部赤人(やまべのあかひと)わが屋戸やとに韓藍からあゐ植ゑ生おひし枯れぬれど 懲こりずてまたも蒔かむとぞ思ふ万葉集 384わが家の庭に鶏頭を植えて育ったのは枯れてしまったけれどこれに懲りずにまた種を蒔こうと思うのだ。註「万葉集は、奈良時代の『サラダ記念日』だ」という見方もあると、万葉研究の泰斗で歌人の佐佐木幸綱氏が短歌総合誌で語っていた記憶があり面白い説だと思ったが、さしずめこの歌などはまさにそんな感じで、当時のライト・ヴァース(軽い口語体)という気がする。われわれの先人たちは、普段おおよそこんな言葉で喋っていたのだろう。韓藍(からあゐ):鶏頭(ケイトウ、ヒユ科)。東アジア大陸から来た藍の意味。「あゐ(あい)」は今では濃い青のことだけをいうが、上古では広く印象的な美しい色を表わしたという説が有力。「くれなゐ(紅)」、「あじさゐ(紫陽花)」などの造語成分でもある。「吾が屋戸に韓藍蘓(そ)へ生ほし枯れぬれど~」と訓(よ)む説もある。大意は同じ。原文(万葉仮名)「吾屋戸尓 韓藍蘓生之 雖干 不懲而亦毛 将蒔登曽念」
2013.11.24
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作者未詳秋萩の花野の薄すすき穂には出いでず 我わが恋ひわたる隠妻こもりづまはも万葉集 2285秋萩の咲く花野の片隅のすすきの花が決してあらわに穂には出ないように私が恋し続ける密かな妻は(なんと愛しい人だろう)。註隠妻こもりづま:人目を忍ぶ関係にある女(妻)。古代当時の結婚制度は、現代の目から見るとかなりゆるい妻問婚(つまどいこん、招婿婚、通い婚)で、事実上の一夫多妻または多妻多夫だったが、中にはやはりいろいろな事情で人目を忍ぶようなカップルもいたのだろう。
2013.10.20
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山上憶良(やまのうえのおくら)秋の野に咲きたる花を指および折り かき数ふれば七種ななくさの花萩の花尾花葛花くずはな撫子の花 女郎花をみなへしまた藤袴ふぢはかま朝顔の花万葉集 1537-1538註広く知られた名歌。万葉集で、長歌と短歌(反歌)の組み合わせの連作形式は多いが、短歌と旋頭歌(せどうか)が対になっている例はきわめて珍しい。・・・というか、もしかするとこれが唯一の例か。1537は、5・7・5・7・7の短歌形式。1538は、5・7・7・5・7・7の旋頭歌の形式で、当時の民謡風の野趣がある「鄙(ひな)ぶり」であろう。かき数ふ(掻き数ふ):「二つ、三つ」と数える動作を強調していう語。尾花:イネ科ススキ(薄、芒)の古語。雅語的表現としては現代でも用いる(「枯れ尾花」など)。撫子:ナデシコ科の多年草。セキチク、カーネーションと近似種。女郎花をみなへし:オミナエシ科の多年草。秋に黄色い可憐な花を咲かせる。語源は「美人(をみな)・減(へ)し」であるとされる。美女も霞むぐらい可愛いというわけか。朝顔:桔梗(ききょう)のこととされる。現在言うアサガオ(ヒルガオ科)は、まだ(中国から)伝来していなかった。ナデシコハギオミナエシに似ているが、違うようだ。
2013.10.18
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大伴家持(おおとものやかもち)秋さらば見つつ偲しのへと妹いもが植ゑし やどの石竹なでしこ咲きにけるかも万葉集 464秋が来たらこの花を見ながらわたしを偲んでくださいねとおまえが植えた庭の撫子が咲いたんだなあ。註天平11年(739)秋、亡くなった妾(しょう)を悼んで詠んだ。家持、数え年22歳。さらば(さる):現代語「去る」の語源だが、当時は方向を問わず移動することを指した。主に「来る、訪れる」の意味で用いる。妹いも:男が妻や恋人など親しい女性を呼ぶ語。現代語「いもうと」の語幹だが、意味は異なる。やど:「屋処」または「屋戸」で、家・庭の意味。万葉集に頻出する。石竹なでしこ:万葉仮名原文は「石竹」と表記されており、「なでしこ」と読む。現在では、秋に咲くものをナデシコ、春に咲くものをセキチクという(いずれもナデシコ科の近縁種)が、当時は区別しなかったらしい。
2013.10.18
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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたがおいでになるのをお待ちしてわたくしが恋い焦がれているとわが家の戸の簾を動かして秋の風が吹いた。註君:現代語の「君」の軽いニュアンスと異なり、相当な敬意を伴った第二人称代名詞。あなたさま。ここでは天智天皇(近江天皇)のこと。
2013.09.21
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)大船にま梶かぢしじ貫ぬき 海原うなはらを漕ぎ出て渡る月人壮士つきひとをとこ万葉集 3611大船に立派な艪をずらりと並べて天の海原に漕ぎ出して渡る「月人男」。註七夕賛歌。月の満ち欠けに基づく太陰暦(旧暦)の七夕(七月七日)は、当然(月齢が7前後の)上弦の月だった。その輝く半円形を「大船」に見立て、それを漕ぐ逞しい若者の姿を想像している幻想的(ファンタスティック)な一首。ちなみに、今年の旧暦の(本来の)七夕は、新暦の8月13日。ま梶:立派な楫、梶、艪(ろ)、櫂(かい)、オール。「ま」は「真木」(立派な大木)などと共通の接頭語。しじ貫く(繁貫く):(舟の両舷の縁に)たくさん貫いて装備する。月人壮士つきひとをとこ:古代日本では、月を若い男に喩えて「月人」「月人男(壮士)」と称えた。太陽を女性(アマテラスオオミカミ)と見立て、月を男性(ツクヨミ)と見る文化は、世界的にも珍しいのではないだろうか。ギリシャ神話では、太陽神は男神アポローン(英語アポロ)、月神は女神アルテミスである。
2013.08.05
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作者未詳彦星の川瀬を渡るさ小舟をぶねの え行きて泊はての河津し思ほゆ万葉集 2091彦星の天の川瀬を渡る小舟がやっと到着できて一夜を共にする川の港の逢瀬が偲ばれるなあ。
2013.07.07
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作者未詳天の川あひ向き立ちて わが恋ひし君来ますなり紐ひも解き設まけな万葉集 1518天の川に向い合って立ち私が恋したあのお方がおいでになるのです。(すぐに脱げるように)衣の紐を解いてお待ちしましょう。註おおらかな古代人らしい、露骨ともいえるあっけらかんとした言い回しの艶笑的な戯咲歌(ぎしょうか)。万葉集の「作者未詳」(古今集以降は「よみ人知らず」と称される)には、当時の俗謡・民謡の類いが少なからず含まれていると考えられ、これは典型的な例。近世の狂歌や川柳などの淵源となった。設(ま)く:設(まう)く、設ける。準備して待つ。な:自己の意思を示す終助詞。「・・・しよう」。万葉集に頻出。その後、助動詞「む」に取って代わられ、消失した。
2013.07.07
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作者未詳天の河楫かじの音と聞きこゆ 彦星と織女たなばたつめと今夕こよひ逢ふらしも万葉集 2029天の川に舟の楫の音が聞こえる。彦星と織姫が今宵逢うらしいなあ。註彦星:男星(をぼし)。牽牛星(けんぎゅうせい)。鷲座アルタイル。織女たなばたつめ:棚機たなばたつ女め。織女星(しょくじょせい)。織姫。乏妻(ともしづま、めったに逢えない妻の意)。琴座ヴェガ。合わせて、女夫星(めをとぼし)、二星(にせい)といい、古来深く敬愛されてきた。
2013.07.07
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山上憶良(やまのうえのおくら)牽牛ひこほしの嬬つま迎へ舟漕こぎ出づらし 天の河原に霧の立てるは万葉集 1527彦星が妻を迎えに行く舟を漕ぎ出したらしいなあ。天の河原に(その櫂の雫から)霧が立ちのぼっているのは。註本来の七夕(旧暦七月七日)は、立秋の後の天候が安定したころの行事である(今年でいえば8月13日)。
2013.07.07
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山部赤人(やまべのあかひと)田子の浦ゆうち出いでてみれば 真白ましろにぞ不尽ふじの高嶺に雪は降りける万葉集 318田子の浦よりうち出て見れば真っ白に富士の高嶺に雪は降っているなあ。Coming out from Tago's nestle cobe,I gazewhite, pure whitethe snow has fallenon Fuji's lofty peak(リービ英雄・英訳)(c) Hideo Levy 2004註(田子の浦)ゆ:一般的には「~より、から」の意味だが、この場合、動作(うち出でてみる)の行われる地点・経由地を示す奈良時代の格助詞。「~を通って」「~で」「~より、から」。田子の浦にうち出でてみれば 白妙しろたへの富士の高嶺に雪は降りつつ新古今和歌集 675 / 小倉百人一首 4田子の浦に出て見れば白妙のような富士の高嶺に雪は降りつつ。註新古今集、百人一首両方の撰者である藤原定家による改変か。こちらの形でもよく知られているが、私の好みをいえば圧倒的に万葉集の原作がいいと思う。 ウィキペディア・コモンズ パブリック・ドメイン田子の浦写真 1886年撮影 * 画像クリックで拡大ポップアップ
2013.06.24
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作者未詳朝凪あさなぎに真楫まかぢ漕ぎ出いでて見つつ来こし 三津みつの松原波越しに見ゆ万葉集 1185爽やかな朝の穏やかな凪の海に左右一対いっついの櫂で漕ぎ出して目印に見ながら来た三津の松原が今は波越しに見えているなあ。註真楫まかぢ:左右が揃った櫂(かい ← 楫・かじ)。見つつ来こし:進行方向の海に背を向けて「三津みつの松原」を見ながら浜から遠ざかって来たことをいう。三津みつ:「見つつ」と掛けている。愛媛県松山市の海浜に三津を冠する地名があるが、ここでは現・大阪市中央区三津寺付近にあった難波津とほぼ同義か。一帯は古く大伴氏の所領であったことから、大伴三津とも呼ばれた。→ ウィキペディア「大阪平野 成り立ち」
2013.06.21
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長屋王(ながやのおおきみ)隼人はやひとの薩摩の瀬戸を 雲居くもゐなす遠くもわれはけふ見つるかも万葉集 248隼人が住むという薩摩の瀬戸を彼方にたたなずく雲のように遠くからではあるが私は今日初めて見たのだなあ。註隼人はやひと:古代南九州地方にいた部族。薩摩隼人(さつまはやと)。ここでは枕詞のように用いられている。薩摩の瀬戸:現・鹿児島県阿久根市と長島の間にある黒之瀬戸。
2013.06.21
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大伴旅人(おおとものたびと)隼人はやひとの瀬戸の磐いはほも 年魚あゆ走る吉野の滝になほ及しかずけり万葉集 960隼人の瀬戸の大岩の奇観も鮎の泳ぎ跳ねる吉野の奔流の景色にはやはり及ばないなあ。註隼人の瀬戸:現・鹿児島県阿久根市と長島の間にある黒之瀬戸。大伴旅人は、養老4年(720)に征隼人持節大将軍(西部方面総監)としてこの地に赴任した。
2013.06.21
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作者未詳松浦川まつらがは川の瀬早み 紅くれなゐの裳もの裾すそ濡れて鮎か釣るらむ万葉集 861松浦川の川の瀬の流れが急なのできれいな紅のスカートの裾を濡らしてあの娘は鮎を釣っているのだろうか。註松浦川:現・佐賀県唐津市の歌枕。
2013.06.18
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作者未詳若鮎わかゆ釣る松浦まつらの川の川波の なみにし思もはば我恋ひめやも万葉集 858若鮎を釣る松浦川の川波の世間「並み」に思っているのだったらこれほど私はあなたに恋焦がれるだろうか。
2013.06.18
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作者未詳松浦川まつらがは玉島の浦に若鮎わかゆ釣る 妹いもらを見らむ人の羨ともしさ万葉集 863松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る娘たちに逢いに行くであろう人のうらやましさよ。註松浦川、玉島:佐賀県唐津市の歌枕。→こちら妹いも:妻や恋人など親ちかしい女性をいった。「妹(いもうと)」ではない。ちなみに、「いもうと」は「いもひと」の音便か。羨ともし:現代語「乏しい」の語源だが、「うらやましい」が原義。
2013.06.11
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作者未詳わが情こころゆたにたゆたに浮蓴うきぬなは 辺へにも奥おきにも寄りかつましじ万葉集 1352わたしの心はゆったりと豊かにたゆたう蓴菜じゅんさいのように岸辺にも沖にも寄り添うとは決められないだろうなあ。(わたしの心はゆらゆら揺れて、どなたに寄り添うのか、はっきりとは決められないだろう。)註作者未詳:当時の民謡・俗謡のようなものを採録したと考えられている。この歌は、若い女性を主体として詠まれている。ゆたに:「豊か、裕か」の語幹を持つ上古語副詞か。ここでは「たゆたに」と対になっている。ゆったりと。たゆたに:「揺蕩(たゆた)う」と同語源。ゆらゆらと漂って。蓴(ぬなわ):ジュンサイ。スイレン科の多年生水草。池沼に自生。茎は泥中の根茎から長く伸び、楕円形の葉を互生。夏、水上に花柄を出して暗紅紫色の花を開く。茎葉にぬめりがあり、若い芽葉を食用にする。初夏の風物詩。奥(おき):「沖」と同一語だったと思われ、「奥(おく)」と同語源。陸地では「奥」、水上では「沖」と呼んだものと思われる。かつ:動詞の連用形に接続して「あえて・・・する」の意味。ましじ:打消しの推量を表わす上古語助動詞で「~まい、~ないだろう」の意味。後世の助動詞「まじ」(意味同じ、現代語「~まい」)の原型と考えられている。動詞、および受身の上古語助動詞「ゆ」の終止形に接続する。
2013.06.09
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作者未詳 東歌あずまうたしもつけのみかもの山の小楢こならのす まぐはし児ころは誰たが笥けか持たむ万葉集 3424下毛野みかもの山に生える楢の若木のように目に美しいあの娘は誰の食器を持つのだろうか(誰の妻になるのだろうか)。【原文】(万葉仮名、真名・漢字)之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波多賀家可母多牟註しもつけ:ほぼ現在の栃木県全域。野州。古代「東山道」八か国の一つ。古くは群馬県と栃木県地域を合わせて「毛野」と呼んでいたが、のちに上毛野(かみつけの)と下毛野(しもつけの)に分けられ、大化の改新後に那須地域を併合して「下野国(しもつけのくに)」となった。「上野(かみつけ)」はのちに音便化して「かうづけ→こうずけ」となった。栃木県央部を流れる「鬼怒川」の名は「毛野川」の転訛であるともいわれている。「毛」については、当時の辺境の原野の草深いさまを毛と表わした、または毛は二毛作の毛であり禾本科の穀物を指す、などが有力と思うが、毛人(毛深い野蛮人、縄文人・アイヌ人?)が住む土地の意味とする説もある。後者の説はセンシティブ(鋭敏)な問題も孕んでいる。いずれにせよ、当時の都・近畿から見た蔑称の響きを持っていることは否めないだろう。しもつけの:上記の歴史的経緯からすれば「下毛野」の意味である可能性が高いが、「の」を格助詞と見て「下野の」の意味にも取れる。いずれにせよ、歌の大意に影響はない。(小楢)のす:上代の接尾語「なす」(~のような、のごとくに)の東国訛りか。「なす」は、「くらげなす漂へる」(クラゲのように漂っている)や「雲の行くなす」(雲の行くごとくに)などの用例がある。まぐはし:「ま」は「目」。「目にも~、見るからに~」のニュアンスを付与する。「くはし」はきめ細やかで精妙な美しさを表わした形容詞で、のちに現代語の「詳しい」につながる意味が生じた。「かぐわしい(←香・くはし)」などの造語成分でもある。なお、古語の「うつくし」は「かわいい、愛らしい」の意味で、現代語の「美しい」とはかなり意味が異なる。みかもの山:三毳山。栃木県南部・佐野市付近の低い山。おそらく、「三鴨」または「御鴨」の意味で、全国に存在したという鴨信仰に関係があり、大和朝廷側の名づけだろうか。地元では「太田和山」と呼んでいたという記録があるという。古代には周辺に東山道の「三鴨の駅家(うまや)」または「美加保乃関(みかほのせき)」があったという記録があるが、遺跡の発掘などの考古学的証明はまだなされておらず、正確な場所は比定できていない。なお、「毳」の字は柔らかく細い「にこげ」の意味で、通常「かも」とは読まない(ただし11世紀末~12世紀成立の辞書で国宝の「類聚名義抄るいじゅみょうぎしょう 観智院写本」には「かも」の訓があるという)。この字が「みかも」に当てられたのは、時代を下った江戸時代ともいわれている。地名や苗字に吉祥または洒落た当て字を用いることは多数の例がある。児ろ:「子ら」の東国訛り。「ら」と複数の接尾語が付いているが、単数の意味である。「子ども」も複数の形だが、一人の子にも言う。笥け:容器、とりわけ食器をいった。味岡宏佳(あじおか ひろか) パブリック・ドメイン ウィキメディア・コモンズ三毳山写真 撮影・提供者:Ebiebi2 さん
2013.06.03
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万葉集に、古代の若者の大らかな恋心を伝える「下野しもつけぬ安蘇あその河原」の東歌あずまうたがあり、幸福感にあふれたファンタスティックな秀歌として当ブログサイトでも何度かご紹介してきた。 この「河」はこれまで、有名な大河川・渡良瀬川の一支流である「秋山川」という無名な小河川のこととするのが通説になっており、かなり権威のあるとされる書籍にもそのように記されているので、私もかすかな違和感と懐疑を覚えつつも通説に従ってきた。 ・・・が、このほど少々調べてみたところ、歴史的な解釈や書誌学的な学説の変遷から見て、この通説の根拠は薄弱であって、むしろこの「河」は「渡良瀬川そのもの」とする説があることを知り、こちらの方がむしろ妥当ではないかと感じるに至った。 橋というものがなかった当時、渡し舟や徒歩(や水泳?)で難渋して渡った川を、恋慕の一念で河原の石さえ踏まずに空を飛んできたという幻想的な内容から見ても、よく知られた大きな河の方がふさわしいと感じられる。あるいは、七夕での天の川に掛かるカササギの橋の伝説が念頭にあったか。 権威のあるとされる有名な日本史の通史の書籍などにもけっこう誤謬があったりすることは、私にも覚えがある。 ただ、私はむろん国文学者ではないので、この説の当否の判定をする任までは堪え得ないが、地元を愛する一栃木県民としても常識的にこの方が腑に落ちる。もしそういうことであれば喜びに堪えないところである。東歌あづまうた 下野しもつけの国の歌下野しもつけぬ安蘇あその河原よ石踏まず空ゆと来ぬよ 汝なが心告のれ万葉集 3425下野の安蘇の河原から石も踏まずに空を飛んでやってきたよ。君の気持ちを言ってくれ。註:東歌あづまうた:いわゆる「租庸調」(古代の物納の税)などとともに、各地の国府を通じて大和朝廷に送られ蒐集されたと考えられる和歌。素朴な味わいに満ちており、万葉集のいわば「野の花」である。当時の各地方の人口に膾炙した、いわば民謡のようなものが多いとされる。下野しもつけ(の国):ほぼ現在の栃木県(当地)全域に当たる。野州やしゅう。当地の地方紙(県域紙)は「下野新聞」。(下野)ぬ:格助詞「の」の東国訛りか。「野」の意味とする説もあるようだ。安蘇の河原:通説では、現・栃木県安蘇郡葛生町、田沼町、佐野市を流れる秋山川(渡良瀬川の支流)の河原のこととされてきたが、上記の通り大きな疑問がある。「よ」は「ゆ(~より、~から、~を通って)」に同じ。現代語「より」。汝な:上古の第二人称代名詞。「あ(吾、我)」と対応。「汝(なんぢ←なむち)」などに痕跡。告のる:告げる。告白する。告知、宣言する。現代語「名のる」(「名乗る」は誤り)や、人名「宣子(のりこ)」などの造語成分として残る。「則、法(のり)→詔(みことのり)」などは、この中核的な原義から派生したのだろう。* 「君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる/きっと今は自由に空も飛べるはず」草野正宗『空も飛べるはず』(スピッツ)・・・1300年の時を超えて、同じような着想だと思った味岡宏佳ちゃん ・・・画像には、特に意味はありません○ 16世紀(江戸期の大改修以前)の関東の河川 パブリック・ドメイン
2013.05.06
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板持安麿(いたもちのやすまろ)春なれば宜うべも咲きたる梅の花 君を思ふと夜眠よいも寝ねなくに万葉集 831春なので当たり前に咲いた梅の花ですがその花のように可憐なあなたを思うと私は夜も眠れないのですよ。
2013.03.16
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大伴村上(おおとものむらかみ)霞立つ春日かすがの里の梅の花 山の下風おろしに散りこすなゆめ万葉集 1437春霞が立っている春日の里の梅の花よ。山颪(やまおろし)の風に散らないでくれ、ゆめゆめ。註こす:願望を表わす上古語の助動詞。「こすな」で、「~しないでほしい」の意味。ゆめ:決して。努々(ゆめゆめ)。
2013.03.16
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