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死者は生者を思えない、死者を思うのは生者ばかり。だからこそ死んでゆくものはその死のかたちに拘る。眠るようにうっすらとした微笑を浮かべて亡くなるのが理想形。だが、現実はそのようなかたちを万人には許してくれません。生きてるときより美しい形で亡くなった人もすぐに焼却されるだけ。斎場で焼却炉のボタンを押す時の気持ちは核ボタンよりはるかに軽い。生きてる体と死んだときの体では重さが違うと言います。死んだほうがわずかながら軽くなるそうです。その軽くなったのが”魂の重さ”と言うひともおります。確かに、早く焼いて骨にしてくれと言う人もいます。誰にも思って欲しくないと言う人もいます。この世から愛されず不幸の限りを尽くした人たち。まるでゴミのように焼かれて無縁墓に埋葬される人も見ました。原発の漁業者への補償金で漁師達は揃って墓石の背比べをして立派な墓を建立します。わたしの目からすればそんなものに昔の土饅頭のようなぬくもりもしたしみもなつかしさも何一つありません。まあ、こんなこと言うのは”昔は好かった”弁じゃないかと言われればそれまでですがね。わたし自身、土饅頭がいやで墓石を建てさせたのですがと言うのには裏がありまして先祖があまり好い死に方をしていなかったので心の整理をつけたかったからでした。曽祖父の墓を合葬してくれと言う曾祖母の遺言もありましたし離れた町に残っていた墓を掘り起こして骨をさがしましたが櫛が1つだけしか出てきませんでした。土を袋に入れてこちらの墓へ入れてやりましたが。こんな事して喜ぶとは思えませんでしたが、言いつけは守りました。”死せる孔明生ける仲達を走らす”と似なくもないなと苦笑いしました。今では盆道を作る村普請も消え去って土手に咲く彼岸花の群落もなくみな、車で来て線香と水と花と供物を捧げて20分もいないで去ってゆく。やがては来るべき道と言うことも思わずに。みな消え去る影ばかりが、ひと時の生と言う幻に戯れて。去年耳にした鐘の音が今年は1度も届きません。寺の鐘も死者のためには無く生者のためにのみ鳴り続ける。”誰がために鐘は鳴る”でありましょうねえ。
2008年07月31日
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子供の頃、お墓参りに行って土饅頭の上に寝転んではよく叱られた思い出がある。でも子供の気持ちとしては太陽の熱でほっこりと温くて枯れた草も本当に心地好いものだったなあ。でも今のお墓には土饅頭などは1つも無いのだ。2,3年前に我が家の墓の左に残されていたが処分されてもうない。墓のあちこちに季節の花が咲いていましたが今はもうない。大小だけの似たような長方形の墓石が立ち並んでいるだけ。火葬にするのは場所がなくなるのと衛生の面からと思うが持統天皇も歴史に残るようなひどい殺人者だから火葬骨第1号になるのに何の異存もなかったでしょうが、霊魂など信じてなかったのか。火葬にするのが当たり前になってから、人間自体の存在に変化が生まれたとわたしは思う。亡骸を土に埋葬するのと焼骨してから埋葬するのではまったく違う。わたしの初恋の人の墓とわたしの家の墓は隣り合っています。よく、夢想したものです、腐敗した細胞が土中で彼女の細胞と触れ合うことを。それならば死ぬことも悪いことじゃないなと思った。朽ちた屍が土になってこの星のものとなるのは理想的なものでした。でも、火葬ではまったく無意味だ。そういうわけでわたしは、ここの墓に埋まるつもりはありません。隣の宮城県の火山のふもとに設けた墓に入るつもり。いつか噴火すれば跡形もなくなる土地に。小学校の恩師が肝試しに見た墓場の火の玉ももはや遠いお話。近代になってからの墓に意味などありません。ただ墓碑銘が記されてるだけで、当人の存在など皆無です。わたしは、火葬には反対ですねえ、どうしても、ね。
2008年07月31日
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昨日も昨夜も良く寝たはずですがまあだ眠いのは今流行中(?)のウツなのキャア?昨日聞いた地球のコアの異常が気になっています。地磁気が消失して自転が停止したら太陽に当る地域はこんがりコーンになっちゃうのかもね。これだけ携帯や何やらの電磁波が大地に拡散してくるとそりゃあ何らかの異常が起きても不思議ではありませんわ。あと3年したら地上デジタルテレビ時代になると言うのだし原発の送電線の電磁波もこの地では以前から問題視されています。でもさあ、その結果、人類が滅ぶとしてもそれは自然ですね。幾ら人工といったって人間そのものが地球の生産物なんだからすべてが自然の成り行きでしょ。まあ、人並み以下ですからお金は無縁ですがそれなりに満足した日々を綴っているようですね。今、期待してることは山葡萄が熟れることかなあ。小さい鳥、大きい鳥と毎日様子を見に来ていますがこれも結構、面白いですよ。鳴き真似をすると寄って来るのがいますから。先日など口笛でなく声で真似したら答えてくれた耳の悪い鳥がいまして大笑いしました。懸案としては私以外全員嫌いと言う蛇退治作戦です。いろいろと製品はあるようですが生きたまま放してやりたいと想う。冬眠に入る前に処理したいと思っています。ウィスキーなんかは効果ないのかなあ~。ヴァーボン呑んでますがね、みんな似たような味ですわね。ワインの味もわかりませんので、お酒は失格で追放されそう。カクテルが1番性に当ってるようですが、、、糖尿にはなりたかない。あっ、若しかしてこの眠いのは二日酔いなのかあ!?
2008年07月31日
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墓掃除から家に戻って朝食を食べたらものすごく眠くなりました。アラームを4時15分に設定していたのでそのまま片道15分くらいでお墓に着きました。いつもは寝て夢を見てる時間ですが一応ちゃんと済ませました。用具を洗ってたら下からおばあさんが来てご挨拶。何処の人かさっぱりわかりません、向こうでも同じでしょ。で、車に乗って山を2つ越えて田圃の中の道をまっしぐら。帰りは14分でした。かかさまが準備してくれた朝食を美味しく頂いて後片付け。新聞を読んでから「寝ます」と言って2階へ上がる。それから午後4時まで一眠りでした。今日の日記には”墓掃除”と”日中寝ていた”としか書くことがない、7月30日は涼しさもあって昼寝るのには最適でした。でも、聞くところに寄ればみんな眠いと言うよねえ。これってある方が教えてくれた”地磁気”の乱れの影響かもね。段々、この地球もスリルとサスペンス、それにホラー状態になって来るのかも知れませんね~。
2008年07月30日
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WTOの交渉が決裂したニュースを歓迎しています。関税の障壁を撤廃して世界経済を発展させると言うがもう十分でしょう。これ以上の輸入、輸出の増大は地球の自然バランスを狂わせるだけで無意味と想います。何でもほどほどと言うものがあります。貪欲な利潤追求の企業、経営者達はまるで飢えた狼です。地球温暖化、地球をこれ以上傷付けない為にも2007年の経済を極限値として低下させてゆく方針を支持します。少子高齢化が生じたのも自然の摂理でしょうから無理に人口の増大を考慮する必要などありません。高齢者は自然にもとの道へ戻り残された少ない人口が来るべき未来を担う、それで好いのです。地球の人口が多すぎたのですから当然の帰結でありましょう。多すぎる、増えすぎた花は雑草として取り除かれるように人間も過剰になればその生命が軽んぜられます。若し、地球に1000人程度の人間しかいなくなればその1人、1人に対する想いがどうなるかは想像に難くありません。それこそ真実の人間愛が芽生える時でありましょう。そうなる前に、現代の人類はそのような想いで他者に想いを馳せ助け合って行く事が大事だと考えます。早朝、墓の掃除をしてきましたが、その前に高速道路が建設中です。威圧されるものがあって不愉快な怪物に見えます。彼岸花が咲いていた道路も消されてしまって思い出の先祖への道が失われてゆく。何のための道路なのか、理解できません。やがて石油燃料が枯渇して車も走らない道路が必要なのでしょうか。庶民の間で激変する世界が最近好く語られていますが、これは現代文明の衰退、消滅の予感なのでは無いのでしょうか。せめて、姫たちには平和で花や星や動物達を歌う歌の世界であって欲しいと願っています。
2008年07月30日
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おそらく第二次大戦で飛行機の爆撃や艦砲射撃、それから原爆が現れる前の兵士達は殺す相手の存在を確認していただろう。203高地の日露の戦いではもっと相手の生命を感じながら殺しあっていたであろう。それが、兵器や化学兵器、生物兵器の進化で個人としての生命の存在が消えてしまい平然として広域的な集団殺戮が行われるようになってしまった。アニメのガンダムを見てると互いのモビルスーツが目まぐるしく飛び交いながら、何万と言う生命が居住する人工衛星を破壊する。これは水爆で幾十万と言う生命を蒸発させる行為と似ている。既にSFやアニメ、映画で人類の最後は描かれているが、その危機は去ったわけではなく未然形として存在している。狂気の核兵器は今、イスラムの手中に入ろうとしている。ある予言書で第三次大戦は中東から起きるであろうと言う言葉を今、思い出します。イスラム原理主義の聖職者がその信じる神の意思として他の邪教国家を滅ぼせと言う心になればそれは現実となろう。その世界の破滅に手を貸しているのがロシア、中国である。米国の世紀のミステークとも言える方角違いの戦で、深く静かに世界は破滅への道を傾斜し続けている。WTOの新多角的貿易交渉で重要品目が4%になろうとしているが米の(これも関税の低下で米価が下落するため)減反政策を取っている日本に現在の70万トンから100万トンの米の輸入が義務化されている。これは、鉱工業製品の輸出大国であるが故に農業への犠牲が強いられてる結果である。前に、言葉足らずに”日本は鎖国すべき”と発言してお叱りを受けましたが日本が真に生き抜いてゆく道を真剣に考察すべき時でありましょう。自動車の輸出などは元来日本にそぐわないものであると独断しますがそれで生じた利潤で国民が潤うと言うことは現実として感じられない。貿易黒字はあくまでドルで在るが故に日本へ還流しないのだろう。(経済オンチですので無理解を承知の上で強弁しています)ただ世界の食材や料理を飽食(それも危うい今)出来るのはその鉱工業の輸出による黒字の恩恵なのかとも思われますが。しかし、流動する世界の人口、気象の変動、化石燃料の枯渇等で今の車は早晩使い物にならないでしょう。その車たちのために食料の自給率をないがしろにするのは亡国を招く愚策でしかあるまい。関税撤廃、自由貿易と言えば語感は好いけれど世界の現実を無視した暴挙、愚行としか思われません。その国によって地理的条件で得手不得手は必然的にあるのであって一派一からげに等しくしようと言うのは無理がある。日本などの鉱工業製品の輸出が圧倒的に優位を占める国家がそのツケとして農業製品の低関税化を求められるのは必至で在りましょう。そのために米を輸入する義務を負わせられるという皮肉。 わたしは車が走れられなくなるほどガソリンが高くなるのを望む。日本の経済のシステムの大変換の招来を期待する。もう一度、原点に立って国のあり方、生き延びる戦略を考究して欲しい。大地のめぐみ、山河のめぐみ、緑や水のめぐみを心定めて振り返って欲しい。緑のないビルの中から生まれる発想自体既に地を離れたものですから。これからの日本は小さな自治体で地産地消の自給自足を主題として行くのが正しい方向性だと想うのですが。食べるものは自分で作り出す、そして物々交換の時代に逆行するのも若しかしたら人間としては好いのかも知れません。
2008年07月29日
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若し、事件が近くで起きて犯人として逮捕されたらわたしは自分のアリバイなど絶対に証明出来ないと思う。(今、又地震あって揺れてます)大体、食事の説明が出来ません。朝食に何を食べたかなんてとても説明不可能です。かかさまの料理は全部信じきってるのでそのまま食べてます。”たむけん”さんのような(お気の毒に)食中毒なんて考えた事もありませんので。昨日のことを聞かれても1千年前の出来事のようで覚えてませんから。「お前、(絶対にあなたなんては呼ばないでしょうね、若しかしたら貴様かあ)あの日(何時の日ですくあ?)どこで(何処といわれても日本にいましたが)何をしてた?(お褒めに預かるようなことはしてませんし、(おっ又揺れた)かといって悪い事もしてないでしょうね)」「キサマあ!(多分、おそらくこう呼ばれるんでしょうねえ)警察を舐めとんのくあ(いや、そんな舐めたって不味いのはわかってますから)はっきりと自分のアリバイを言え!(それ、無理って言ってるでしょうが記憶してない日常をどう説明出来るますの)」そこでいろいろと近所の噂や過去のことや交通違反のときなどが出て来るのでしょうねえ。普段の言動からしてこいつはクロだって言われそうだなあ~。あたしゃ、刑務所に憧れもしないし拘禁生活も耐えられそうにないしそんなら死刑、即刻死刑の方をのぞみますねえ。罪なくして死を与えられる人が如何に多い世の中か。江戸時代なんて疑われたらお終いだから庶民は本当に世間の目を気にして生きていたと思う。拷問嫌っ、駄目っ、あんなテレビの場面で見せられる叩かれるなんてのも絶対嫌っ、ないこと、ないこと全部白状するから苛めないで。信仰を捨てるかですって、若し捨てないと、えっかかさまのいのちですって駄目です、駄目ですってばあ、捨てますからあ、もうさっさと止めます~。獄門打ち首が1番楽だからさあ、それにして頂戴。磔や火あぶりはいやですから。えっ、火付けの疑いですってぇ、お~、カメさまあ、じゃないやカミさまあ、あんまりです、タバコ吸わないからマッチもライターも持ってませんからあ。いやあ、江戸時代よりは好いかもねえ。でも、冤罪で死刑なんて不条理は耐えられないなあ。”江戸時代の残酷死刑史”ってな本読み終えましたが裏書に著者の説明があって平沢貞道氏の養子の方が編まれた本でした。知らないまま読んでいましたが、彼の父の無念の人生に対する想いを見たような気が致しました。
2008年07月29日
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通り魔事件と呼ばれる殺人事件を犯した人物達が言う同じ様な言葉、”誰でも好かった”ってことは自分も家族も動物達もすべて含まれるわけでしょうね。日本だけのことなのか、それとも世界共通のことなのかは知らないけれど、テレビの映像を見ていて感じることがあります。天変地異、事故、事件は真っ先に報道しますね。テレビを見てる方は無事なわけで悪く言えば高みの見物です。で、それだけが現実感が濃厚で真実として認証されてゆく。衣食住や旅、クイズの変形パターンの番組でテレビの画面が占拠されてます。豪華なウェディングドレス、安い衣類の販売、大食い大会、グルメ料理番組、豪邸、マンション、温泉旅行、歴史、言葉、地理、雑学の番組と。ほとんど自分に関係があるようでない話ばかりです。常に傍観者、野次馬として在る没個性の暮らし。以前のシャイな日本人は消えてしまい老人も子供もテレビカメラの前で堂々と普段の言葉で話します。悪く言えばすれてしまった感じです。モノクロの小津映画のような上品な仕種や言葉もありません。相も変らぬ小泉礼賛は電通、米国の意図でしょうが度の過ぎた日本支配、操縦も思わぬ結末を迎えることになるでしょう。で、冒頭の話に戻るのですが、”誰でもよかった”と言う思いはこの様なテレビの画面から生まれてくるのではと想いました。食べることや温泉の湯に浸かる、家に住む、旅をする、知識を得るすべて現実感のあるお話ばかりですが、おそらく見ているほとんどがあのような美食に、湯に、家に、旅や知識とは無縁でしょう。あるのは自分の意のままにならない、夢も希望も見当たらない先が見えてる日々であり時間。で、おそらく普通の人間として生きることからジャンプして殺人と言う考えられない行動を起こして自分の存在確認をする、”誰でも好かった”ではなくて”どうでも好かった”人生の総括、そのほとんどの犯人が鬱屈した不安定な日常空間にいた者たちを想うと、派遣法の功罪が見えてきます。非正規社員と言う”お前は人間じゃない”と言うような処遇。明らかに米国経済、資本主義の利潤追求のために生み出された雇用形態の誤りのために多くの悲劇が生まれてる。日雇いと言う正社員から(公務員たちから)見れば不安定の同義語は社会を歪ませ犯罪を招来するでしょう。罪と罰を恐れるほどの生命の重さは失せてしまって紙より軽い生命になってしまった現代。日本の指導者達、宗教界の指導者達は自己中の生き方を改めて日本の現実、将来を憂えて行動を起こすべき時でありませう。
2008年07月29日
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NHKの”鶴瓶の家族に乾杯ヴェトナム篇”でした。”好い笑顔~、素直ねえ~””やさしいわねえ~、好いわねえ~””澄んだ目ねえ~、無邪気よね~”かかさまが感動して言葉を発するたびにこちらはドッキン。まるで経済大国の見失ってしまった人間としてのあり方がわたし1人の責任のようにのしかかってくる。”あちらに住みたいわねえ~””あのお嬢さん、1人旅大丈夫かしら””みんな子供達は夢を見てるんだわ””姫も夢持ってるのかしら”多分ないと思うけどって言葉に出せませんでした。経済大国で豊かと言いますが本当なのでしょうか。本当の姿は最近の犯罪を見ても感じるのですが限りなく貧しくて深い絶望と孤立の闇を抱えてる人が大勢いると思う。ヴェトナムの人々より日本人の方が豊かとは決して言い切れない。むしろ貧しさ、みすぼらしさ、自信喪失、夢を見られない貧困が日本にあるように思われた。米国の北朝鮮との関係を見ていても無神経に日本を足蹴にして米国の主張のみ追求する姿は日本が当てにするような、同盟国とは決して思われません。ヴェトナムの人々には誇りが感じられた、だからあれだけ明るいのだろう。日本は米国に隷従して、しかも敗戦後63年も米軍基地の存在を許すような国民が自尊心すらもてない国家形態に何一つ疑問も抱かず唯々諾々としてその究極の”思いやり予算”などと言う屈辱的な外交をして平然として独立国家を称して恥じないありさま。わたしだってヴェトナムの人々のような大らかで純真無垢な笑顔を太陽の下でしてみたい。そうなるには先ず、日米安保を破棄して日米平和友好条約を締結するべきでありましょう。在日米軍基地は、日本人の誇りを奪うものでしかありません。幾ら、自衛隊が強化されたとしても戦はもう出来ないのですからこれ以上の軍備強化も無駄な出費でありましょう。水爆とかの核兵器だけでなく、いまやテロリスト達も持っている生物兵器で十分人類は絶滅できるのですから。盗まれてしまった北方四島にいつまでも拘ってるのは愚かと思う。竹島や尖閣諸島の領有権は国際司法裁判所に託しておけば好い。もともと、地球に国境などはなかったし、今でも地球にはそのようなラインは記されていません。人間が勝手に引いた国境線でしかない、これで地球外から攻撃されたら世界はどう動くか見ものでしょうね、本当にそう思いますよ。
2008年07月28日
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保健所から異常があるというので仙台の大学病院まで出かけました。付き添いはいつもかかさまでその頃私は中学生だった。当時の医学では真実を見抜くことは不可能で、生涯を棒に振る不治の病名を宣告されました。帰りはもう暗くなっていて会話もなく押し黙って電車に乗っていました。窓の闇が明るくなったので見ると花火でした。音も、人の歓声も響かない静かな遠い花火でした。”自分はもう死ぬんだろうな”と思って見る花火は自分には似合わないと思った。ふと見たらかかさまが泣いていました。きっとわたしを憐れんで涙してるのだろうと考えたら親不孝をする自分の体が悲しくてたまらない気分でした。当時の医学の限界を考えれば私の誤診は仕方なかったのかも知れませんが、本音を言えば保健所と医師には恨みがあります。わたしがトップの座を他人に譲る性格もそのような生死を感じる立場から生まれたものでしょう。運動も、勉学もほどほどにとトコトン突き詰めてしたことがない。今になって弟からは言われるのですが「アニキ、儲けたいのちなんだから死んだって好いじゃんかとっくに死んでるいのちなんだからさあ」でも、それも誤診による誤った治療、投薬がもたらした症状で死ぬべき生命じゃなかったから生きられたのでしょう、それも危機一髪と言う修羅場を乗り越えて、幾度とない幸運にも恵まれて。20代で亡くなって行く男女は本当に哀れでならなかった。だから、戦争体験者の声が身に沁みて感じられるのかも。本当にあそこは生命を賭した戦場でしたから。儚いから美しいと言いますがおそらく言い得てる言葉でしょうね。”ぱっと咲け、ぱっと散れ”って若者達を鼓舞して戦場へ送った当時の指導者達に責任がない筈がありません。その幻想の桜花に自分の生命をなぞらえて戦場に斃れた兵士の生命をどう思えば好いのでしょうか。その桜花にも花火にも比することすら出来ないまま不治の病で逝った若者達の無念さは、、、。テレビで花火の美しさを愛でている自分のありえない存在と遠い花火の記憶が夢の様に思われます。
2008年07月28日
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変なことやってると現実を逸脱する危険性があると感じました。そういうのを一般的に総称して”変人”と呼ぶのかな。無意識のうちに壁に手を当てている夜が続いています。自分の皮膚で覆われてる震えてる存在の波動を向こう側(?)へ同調させようと考えてる。多分、これも生きてるうちの遊びなんだろうなあ。でも、最近妙な夢を見てるようで朝起きても眠い。不真面目で中途半端でトコトン追求する人間でもないのだからそんなに入れ込んではいない筈なのに何かおかふい。日記に雨と記しましたが降っていなかった。でも気分は雨なのでこのままにしておきます。日記も真実を伝えてるわけではありません。何て言うと歴史を研究してる自分としては甚だ不都合になってきますが、まあいいや。
2008年07月28日
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夢で見た記憶が実体験のように残っています。古い順から書けば1つは中学校の西校庭で体育の時間バレーをしていたら突然空に白光が光ってすべてが消失した。その時の意識の片隅に金属製のフェンスの網に絡まったひるがおの淡いピンクの花がよぎった。2つ目は夜、円盤の群れが来襲して次々に地球人を変質させて行く。暗闇を走る光線と人間を性格に嗅ぎ出すテクノロジーの恐怖。救助に来たヘリコプターはすべて撃墜されてゆく。そんな中で出会った少女と力をあわせて闘うのだが、孤軍奮闘の日々が続く間に闘う意味を見失う。3つ目は葵の花が咲きこぼれる頃だから今頃の季節ですが午前九時頃の東の海の上の低空を真っ黒い砲弾のような大きいミサイルが音もなく南のほうへ飛行している。”遂に来たか”と直感的に閃いたが弟へ電話する時間もなかった。ドンと言う重くて遠い音がして空にはあのきのこ雲が立っていた。おそらくこれらの”夢”は体験したことと等しく生涯忘れられることなく残って行くものでしょう。全部、ネガティブな終末図ばかりですが、その夢を見た頃の現実の日常空間ではそのようなことはまったく思いもしなかった。だからこそ、逆に鮮明に記憶から消えないで取り残されてしまったらしい。多分、それらが多重宇宙であったことで同一人物の私へ魂が転移したとも考えられるのですが。今、アシモフの”神々自身”と言うSFを開きましたが全然進みません。他に読む本がやってくるので当然ですが、明日また本が届きます。
2008年07月27日
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野馬追いの時には新社員の若者が来ていて姫はなついてベッタリだったそうです。別な子供もなついて離れなかったそうです。スキンヘッドの眉が尻上がりな一見して怖そうな感じなそうですが子供が大好きと言う。26才で6才の妹がいるそうでその妹を溺愛してるとか。今日、そんな話を聞きました。ラブがベッタリしてるので「ふ~ん、そうだったのぅ」なんて生返事してました。肝心のジージは植木の剪定でいませんでした。「シオジーとのんのん、どっちが毛ある?」と嫌な質問をママが懸命にブドウを頬張ってる姫に訊く。「のんのん」きれいに剃り上げた頭と比べられてもちっとも嬉しくない。もっと、土地が広かったら合歓の木を植えていたでしょうね。それほど、合歓の木には愛着があります。今、路傍の合歓の木の花が淡いピンクの花を咲かせています。見るたびよぎるのは誰の面影ぞや。
2008年07月27日
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夢が続くので追いかけてたら疲れて寝たような気がしません。自分のスケッチブックに田のん(他人)が絵を描いていたのが発端。短大2年生で就職が決定したてなことも書いてある(夢だから)。そこら辺からしっちゃかめっちゃかの騒動が勃発して学長まで現れる始末、何でこうなるの!(夢だから)で、最後は脈絡もなく純白のウェディングドレスの女性が彼方から走ってくるではあ~りませんの(夢だから)自分のお車も改造されてあちら(大学側)が所有を主張する。ゆべ(昨夜)遅くまで見ていた”メゾン一刻”、”さんまの27時間テレビ”の祟りに間違いありません。む?いや、待てよう、若しかしたらパーラレル(パラレル)ワールドとコンタクト出来たのかも!?なんてね、現実は厳しい、貨幣経済の害が諸人に降りかかってる世の中、”一銭にもならないことして、いつまでパジャマ着てるんですか”厳しいーっ、かかさまのらしくもない言葉でいざまず外科医(下界)へ。
2008年07月27日
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今日は気温も低いのでさぞかし快適な筈と思い込んでいましたが、どうも”むもわあ~っ”としてるので散髪に出かけました。でぇ、散髪の本当の意味をこのまなこでしっかと見ましたね。被せられてる覆いに落ちてる髪の毛がホントに”散って”ましたぁ。その微々たる量と言い長さと言い思わず咳き込みました。瞬間的な意識消失から離脱して店主とのいつもの会話する。「どうです、最近もやはり政治などもお盛んですか」「いやあ、全然最近はおとなしいもんですよ」「小池女史が何だか福田さんの後継者の様な話ですが」「へえ~、民主党の前原氏や岡田氏を貸してあげたいですね」「小泉さんのお気に入りだそうで、テレビでもまだ人気あるんですねえ」「そこん所がわからんのですよ、今の歪んだ社会をもたらした張本人の責任を問わないで感覚だけで報道してるんだから」「あちしもね、小池女史のあの品格のない作り笑いを見ると、山で蛇に出合った時の様にズズゾウ~ッとしますが」「わたしはここだけの話ですが江戸時代の宿場女を思いますね人の風貌だけで云々するのは間違ってるとは思いますが彼女だけはどうも政治家としては考えられません、それだけ自民党の政党としての退廃が進んでると言うことかなあ」「ズルズルベッタリで続いてる政権ですからね、おたくの専門の歴史でもその終わりをにぎわせるのが女性でしょう?」「いやあ、店主殿、さすが鋭いご指摘参りましたね」「いやいや、今NHKでやってる大河ドラマ見てておたくのお説を思い出しましたもので」「いつもこんな他愛のないお話をさせていただいてますが現代版の浮世床ですかねえ」「ヘエ、浮世床ねえ」「あの、式亭三馬の」「そこら辺まで来るとあちしにはもう無理ですね」スキンヘッドの方がもうふさわしい髪の残量ですが月に1度は斯かる会話を交わしています。ブログなので抑制していますが、事実はもっと激烈な内容です。店主殿に於かれては小池女史は蛇よりおぞましい存在らしい。蛇を見ると心臓マヒになるほど嫌いと言う店主殿がそのように仰るのですから万一、間違って小池女史が自民党総裁になどなったら生命が危ないと断言出来ますわねぇ。
2008年07月26日
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物は試しと灯りを消してベッドに上がってからやらかしました。でも、チャネリングって言ったってその仕方もわからん。3000年後の存在とどうして交信出来るのかそれも不思議。男女の性別は、税金は、大気はと色んな質問をした。多次元世界の存在らしいがその体は何色でどんなかなあ?ご飯は食べてるのか、ウンコはしないのかあ。バシャール、沈黙、ひたすら沈黙。そのうち、バシャ、バシャっと言う強い雨が降ってきました。洪水注意報が発令されました。何だか、2013年に世界が変るなんてこと言ってるそうですが3000年後の存在なら人類の5008年も言ってもらいたいなあ。よほど記憶力の好い存在なんだろうなあ、3000年前のこと覚えてるんだからさあ、ロトの番号とか宝くじの当選番号の方を教えてもらいたいわなあ。信じられるものは幸せだとしみじみと思った。まさに信じるものは救われるでさ~ね。あたしゃ、不幸だんべえよ、多分ね、疑うからさ。そのくせ、よく人に騙されますがね。悪い人を信じないで、バシャールなんてもんを信じたいですわね。これって、ホント。
2008年07月26日
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よく行くレストラン、タイムでの昼食時。大ママが「バシャールって知ってる?」と少し得意そうな顔をしてのたまう。「バザールじゃないのかあ」「違うわよ、エササニに住んでる宇宙人よ、須藤元気が対談(?)したのよ」???、一体何の話ぞね。「凄いんだからあ、知らなかったでしょ」「初めて聞いたわ」「ダリル・アンカがね、最初にチャネリングしたそうよ」「だからそれが何で須藤元気で凄いのかさっぱりわかんないよ」「黙って聞いて、凄いんだから」って言うあなたの頭がわたしは心配です。何でも聞くことを鵜呑みにする性格、治りませんねえ~。そんな何百光年も離れたしかもはるか未来の宇宙人と話をしたと言うのを信じろと言う方が無理なんじゃないかい?家に帰って来て、急に疲れを感じてしまいました。そのバシャールが神通力でも持ってると言うのなら、大ママを普通の人間、頭脳に戻して頂戴な。そうでなければ私は信じられませんね。大体が宇宙人の名がアラブ系の名前だと言うこと自体おかふいべさ。人間の理解できないような名であって、人間の理解できない言語なら信じられるだろうけど。人間のレベルでの対話となればこれは完全な個人の脳内妄想、幻想でしかないのでは無いのでしょうか。おかしな話があるもんだと正直想うが、よくそんな話に引っかかるのも本人が危うい境界に立たされてると言うことかも知れない。こりゃあ、問題ですわね。
2008年07月25日
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寝て真っ暗にしてから1番嫌いな音が聞こえてきました。蚊です。たとえ1匹でも我慢できません。網戸にして外気を取り込むような珍しいことをした結果でしょう。すぐ、飛び起きて電気蚊とりのスイッチをオンにする。エアコンは28度に設定したのですが26度になっても動いてる。こりゃおかしいぞと思って32度に設定したら余計動いてる。これは当然だったなあ~。いかん、頭が混乱してる。たかが1匹の蚊でうろたえて眠れないとは。昔はどうしてたんだろう。かすかに蚊帳と言う歌麿の浮世絵の絵のような光景が浮かぶ。これはベルギーの美術館に1枚あるそうですが、版落ちのものを求めて所持していたことがあります。完品は日本にはないのかなあ。で、考えました、江戸時代や、いやいや昭和の蚊取り線香が出る前の時代でも生きられないだろうと言う結論に達しました。蚊が嫌なので花火もホタルにも縁遠い生き方ですねぇ。
2008年07月25日
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ので、忘れないうちに書いておきたいことがありましたのでと言っても別に大したことでも無いのでしょうが先日の眼科で散々待たされた待合室でのことを話しましょうと言うことで。実は何もすることもなくて、あまりの手持ち無沙汰につい向かい合って座ってる人の顔を眺めていました。で、奇妙なことに気付いたのですよ。まあ、ほとんどがおじいさん、おばあさんでしたが赤ちゃんから小、中、高生、会社員らしき若者の男女、壮年と各年代層が勢揃いでありました。その一人の鼻に目が行きました、次にその隣の人と順々にめが飛び回って行くのです。まあ、何と申しましょうかねえ、最初のおばあさんは色白の小顔でしたがその鼻がペンチで摘んだような形でしてへえ~と感心。その隣のおばあさんの鼻は天辺を向いてましてその次のおじいさんは鼻の穴が丸見えで、1つとして似た形がありません。団子っ鼻、ペチャ鼻、鈎鼻、西欧人に似た鼻、様々でした。自分に似た鼻を懸命にさがしましたがありませんでした。と言うことは、私の鼻も相当形がおかしいと思うしかないですね。姪はわたしに似てると言われて(鼻が)相当傷付いたそうですから。わたしからすれば全然似てないと思うのですが。鼻はだ(甚だ)迷惑なお話でございました。鼻から祖先のルーツを探るなどと言うのは邪道なのでありませう。日本の米のルーツが解けたそうですが、人間の方が複雑かもね。
2008年07月24日
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庭の果樹や木々の見回りをするが蛇に出会わないのが不思議だと言ったら哂われた。「あまり暑いと蛇も避暑地で涼んでるよ」だってさ。まっ、こちとら、永遠に大人と子供のあいのこの”おこどな”だから難しいことはわからない。今日、出かけるとき裏道を行こうよと言うとかかさま、きっぱりと「大丈夫!もういませんから」って断言しました。「いると思うけどなあ」って言ったけど主導権はかかさまの手中にある。で交差点を右折したら早速心配してたものが見えました。「あらあ、いたわねぇ、きっと奥の家のほうから来たんだよ」などと澄ましてる。武者を乗せた3頭を追い越して坂を下りて左折してため息を吐く。国道ならもう出会う恐れはありませんから1路南進です。山百合が群生して咲いてる坂道を登って行くと向こうから爺さんの乗った軽トラが来る、バックして道を譲る。舗装も何もない昔のまんまの細い道です。道の南側にある畑はとうきびで風景が変っている。「随分あるなあ」って言いながら野菜泥棒を思い出した。子供の頃は川原での水浴びが普通でした。プールなんてものは何処にもなかった時代。どんなにちびっ子でも何処の家の者か判別していた。特に他所から遊びに来るものは差別されて苛められた。今考えれば苛めるというよりからかいに似ていてそれを繰り返すことはなかった。で、悪がきたちは通り道にある胡瓜やトマトをもぎって行く。それを川の水の中で投げたり食べたりして遊んでいた。で、用を果たしてラブとも面会してスキンシップしての帰り道。道の駅の前で裏道を行こうよとまたかかさまに言う。「もういないから大丈夫だよ」って言うので「いたら1万円だよ」って言うと「じゃあ、まっすぐ行きましょ」「ウィンカー出しちゃったから駄目だよ」1小の西側の道を北進して新しい橋を渡る。特養施設を右折したらすぐに5頭の落ち武者に似た列に出合わしました。「言った通りでしょ」「でも、見るのも好いじゃないの」朝方は9時30分お行列開始、午後は1時から神旗争奪戦ですがわたし達は朝家を出たのが8時35分帰りが0時50分ですから会わない方が不思議です。祭が終わって如何に平日があり難いか見に沁みて感じました。勿論、今日は市役所も公的な施設はすべて郷土の祭りと言うことで”お休み”でありましたとさ。
2008年07月24日
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エアコンつけて寝たのに下着がぐっしょり濡れていて気持ち悪い。ってか、夜中の強い地震で眠りを中断されたので頭もぼぉ~っとしてる。既に雲気と雷気がこの地を覆っているのがわかる。それにしても最近(でもないかあ)の地震は群発地震と言っても好いとあたしゃ思うのですがねぇ。家の耐震度を試すかのような揺れが続いていますわね。”どうでも好いでショー”の主演者のわたしもさすがに飛び起きましたから。大本番の今日、祭の行軍中に地震が来ないことを祈る。行進の出発地点がいつものマイウェイなのですがもう通れません。避けて通る道も時間に遅れじと走ってくる騎馬にぶつかるのは必至。それでもかかさまは出かけるという。その強さには、もはや言葉も出ません。村の農家の連中は全員温泉旅行だって言うのに。カサブランカ、14輪咲ききりました。あさがおと桔梗との比が見事です。今、気付いたのですが川柳の師と大江健三郎は似てますな。
2008年07月24日
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散々な前夜祭になってしまったようですがやっと9時45分太鼓の音も絶えました。明日の夜の火祭りと称する花火大会も予報は雨ですが大丈夫でしょうかねえ。先ほどは落雷もあって停電しましたが、明日のお行列の最中にそのようなことがあれば前代未聞の騒動になるのは疑う所ではありません。車間距離も開けない車列が続くように人馬が1列縦隊で行進するのですから、列の乱れはご法度です。地元の人間としてはやはり無事に終わって欲しいと願います。おそらく、子供から老人、女性、外人も参加してるでしょうから何事もなく記憶に残るような素晴らしい祭になるよう祈りましょう。今更こんなことを言ったって遅いのですが。おそらく雨が降ったのもわたしの想いがあった所為だと思うし。気の所為だとは思うんだけど今までがこんなことばかりだったから。いやですねえ、祟り神みたいでさ。もっと、まっすぐですなおなこころの持ち主でありたいですねえ。大体が、祭の由来などを考証するのがいけません。知らぬが仏と言う諺もあるのですから、祭が済んだら肉になる運命の馬の事などは知らん振りしましょう。来年の祭にまた出られる馬の数がほんの少ししかいないことも忘れてしまいましょう。5200万光年前の銀河を見た遠い冷たさとさみしさを思えば何れは同じ屍でしょうから。長生きしたとてさほどの差もあるわけでは無いのです。多分、わたしは他の銀河に行くのだと感じています。星ひとつ見えませんでしたから。天の川銀河の中心へ向かうのならもっと光に包まれていたでしょう。
2008年07月23日
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でもってさ、今夜の1年に1度の市内総出の盆踊りはどうなるのでありませうか?まんずはあ、マー^フィー^の法則だんべえ。だからさあ、7月の23,24,25は駄目だって言ったべ。それを神社の祭だからとか言う神主、氏子に負けていっからこう言うショボケたことになるだんべさ。阿波踊りやねぶたのようにせめて1週間くらいは踊り続けねば。将門だって自分の名前を勝手に使われてっから怒るんだべよ。”雨雨ふれふれ♪もっと降れぇ~♪”だあな。マッカーサーに遠慮して相馬家の軍事訓練だった野馬追いを神社が催す神祭にして敗戦後の再開を企図した連中の大失策だ。”寄れ寄れぇ~!”、”無礼者、斬り捨てるぞ!”何たら時代錯誤的な言葉で観衆を威嚇するから嫌われんだわ。「今行ったあの髭よぉ、失業しておっかあに食わしてもらってんだどほれや」「あれは運送会社の運転手だあ」「あいつは農協だいん、いま銀行から葬式の方やってる」「ほお、魂消た、あのじ様このめえ病院に入院してだっげに」まあ、ほとんど、軍者だの郷大将だの何たらかんたら役付きのご立派な名前はあるけんど身元はすっかりお見通しですからなあ。「おめわよお、酒癖悪りんだからあんまし呑むでねえど~”!」って言われてうな垂れた騎馬武者殿、哀れなり。
2008年07月23日
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当地最大にして唯一の大祭が今日から始ります。”相馬野馬追い”です。でも岩手の方では誰一人知りませんでした。どちらが田舎かと途方に暮れた想いに襲われましたね。だから、青森や秋田ではもっと知名度は低いでしょう。でぇ、子供の数が急に増えたと思ったらもう夏休みです。それに関連して思い出すのが高校の頃のことです。折角の祭にぶつけて期末テストと言う意地悪な学校でしたね。校舎の外から、出陣式や花火や色んな音が響いてきます。痩せた鶴のような英語担任教師が、にやりと笑って生徒一同を教壇からねめつけて”お前ら、S高のサルと呼ばれし者たちよ、あのような百姓が侍のかっこして馬に乗って威張り腐る祭などにこころ動かすような真似はするでないぞ、女子高の娘共に余計アホにされるからの”てな尊い涙が出るようなご教示が有りましたね。てなわけで祭が終われば期末テストも終わり夏休みでした。祭が終わって気抜けしたような街を自転車で帰るとき心慰めるものは青田の伸びている稲のミドリでした。田面から吹き渡って来る風が本当に心地よく感じられました。なので、今日は外出は禁止と思っていましたが、只今かかさまが現れて”事務所、お買い物”とのご下命であります。どうか、馬に出会いませんように。
2008年07月23日
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今日は明日から始る甲冑武者行列の前夜祭とやらでママは来客多数の為の食事の用意でてんてこ舞いだったらしい。わたしもバケツ(馬尻)の後をノロノロ運転するのはガソリン価格高騰の折から避けまして今日眼科に行きました。が想いは誰しも同じものと見えて、まるで天災や戦の救護施設状態で座るも立つも出来ない有様、受診したのが1時過ぎでした。いつもの倍で100人を超えていました。そんなこんなで帰り着くやスタコラサッサと昼食しましたよ。エネルギーの消耗を自覚したのかなあ~。最近、昼食抜いてたんだけどねえ。さっき、ぴったんこカンカン見ていたかかさまが”お前、気付いたかい、カサブランカの花、でっかいのが最初に咲くとばかり思ってたけどちっちゃいのから咲いたよでかいのは駄目だよねえ、それに比べるとちっちゃいのは偉いなあ~”って私の顔を覗きこんで仰います、ハハア、これってわたしの駄目人間の批判でしょうか。ちっちゃいのは偉いって、今日背比べしましたからかかさまのことだって言うのはすぐわかりますよ、何もご自分から偉いなんて仰らずとも周りの者はみんな認めてますから。余程、背が低いのを気にしたのかなあ。自分から並んで肩まで届かないなあって笑ってたくせに、B型の負けず嫌いの本性をしっかと拝見いたしましたです。
2008年07月22日
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国立天文台のページでいろんな銀河を見ました。見たわたしだけの感じを述べればさびしくなりました。何故だか知りませんが遠い悲哀を感じました。回転する楕円形の渦巻きの形を見ていて喜びの心はまったく生まれてきませんでした。多分、自分の属する銀河を見ても同じでしょう。宇宙の暗黒と孤独ばかりが強く迫って来るばかり。親近感より畏怖する感覚が強かった。自分で実感できない距離と大きさに絶望した。800万光年、5200万光年と言う人間には縁のない数値に叩きのめされていました。手の届かない距離を知ることに意味なんてあるのだろうか。その銀河に至る虚空を飛んでる小さな魂を想った。もと居た場所に帰ろうとしてるのか、それとも引力に吸い寄せられているのだろうか。鮭や鳩の帰巣本能を想った。魂も同じなのだろうか。たまたま、この天の川銀河に辿り着いたのならこの世界は本当に仮の宿だろう。矢張り、自分の住む本来の場所があるのだろうか。答えのないことを考えてひとりぽっちになってしまった視野に純白のカサブランカの花が開いた。2輪、3輪と続けて咲く様をみてこのさびしさに打ちのめされた人間の孤独を慰める為の存在に感謝した。
2008年07月22日
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人間と言う生物を理解するには100年そこそこの時間じゃとてもじゃないが足りないと思ったし不満だなあ。不老不死と言うのじゃないけれど、せめて1万年は欲しいわね。でないと、歴史が読み解けない。さっきまでエジプトのピラミッドや王家の谷のテレビを見てたけどよく理解できません。中国だって祟りを恐れて始皇帝や唐王朝の墓の発掘はしていない。たかが、人間のしたことくらい知りたいというのは贅沢な身の程を知らない望みかなあ。魂(霊?)が真っ暗なトンネル(?)、空間を飛翔して何処かを目指すのは体験してるけどさ、それじゃ、折角人間としてこの地球に生まれて来たのに面白いマンガを途中で読むのを止めて行くようなものじゃない?って、過激な、身の程を知らないこと書いてるってお叱りの言葉があるかもね。でもさあ、今生きてる自分だから過去のことはやはり知りたいと思う。自分の死んだ後のことは知り様が無いのだから。古代の王も中国の皇帝も西欧の君主達も独裁者達も絶対われわれの時代を知る術が無いのだから。当時の人々だって死ぬまでは時代の最先端を歩んでると言う意識があった訳で、自分たちの時代が古代だの、謎の世紀だなんて言われるとはけっして思いも及ばなかったことでしょう。同じ様にわたし達の時代もやがて古代と呼ばれることにならないとは限りません、是非そうなるように祈っていますが。自分の時代を尊び、貪欲な真実への追及をする事にそれほど遠慮する必要はないとわたしは愚考いたしますが。”後世に託す”と言う言葉が嫌いなのは間違いない人間であります。
2008年07月21日
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テレビなどで大陸の地平はるかに続く一直線の道路を見ることがあります。”狭い島国そんなに急いで何処へ行く”ってな標語らしきものを記憶してますがそんな狭い島の中でももっと狭い地域の中でもウンザリするような長~いまっすぐな道に出会うときがあります。勿論、現代社会の文明の利器と称される車で通過するのですが、歩いていたら途中で嫌になるのは確実と思われる。また、昔を引っ張り出しまして申し訳ございませんが、このまっすぐな道は車社会のために造られたものであって決して歩く人間のためのもので無いのは確かでしょう。子供の頃は、自然の地形に逆らわない曲がりくねった道でした。だからこそ、その屈曲した場所、場所に色んな日々の思い出があります。路傍や小川に季節の花が咲いて田圃の稲の成長と共に時間の流れを告げてくれていた。泣いて帰った道、笑って帰った道、怒って帰った道、道がすべて覚えてる。時には土まみれになっての喧嘩、でも相手を怪我させる前で終わる。勝った方が負けた方の服の土を払ってやり、家に帰るまでは笑顔になっていた。長く一直線に伸びる道に憧れるときがあるけれど、自分としては好きになることは慎んでいます、消え去った曲がりくねった道の尊い存在のために、。
2008年07月21日
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蛇の抜け殻を処分しました。約1メートル程度のものとそれより少し長くて太いのと。姫に見せようとしてそのままにしておいたのですが、草むしりのおばさんが蛇が大嫌いで出会うと卒倒するらしいと今日かかさまが言われるので急いで取り片付けました。事故で入院してる前の草むしりのおばさんはどんなものでもヘッちゃらでした。蛇とお金は縁続きと言いますが、はっきり言って迷信ですね。周りが蛇嫌いなのでわたしも蛇退治することを決意しました。何だか、スサノウの命になった感じかなあ(テヘ、大袈裟だぁ)さっき、スーパーに行ってドッキリしてきましたぁ。白い服を着た若い女性ですがまるで下着を着て来たような感じでした。わたしがドッキリするのですから若くて元気な男性だったらどうなるの?思い定めて沈思黙考すれば、暴発させる刺激物が多い世の中です。理性を超越した本能の暴発で一生を無にすること勿れと祈るや切。何ちゃってさあ、ロック冒険記でも見るかなあ。
2008年07月20日
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ももとの3ヶ月(?)ぶりの再会でしたが臆病で人見知りする彼女が尻尾振って近寄ってくれました。指も舐めてくれたし言うことなしでしたね。何だか、馬の祭の話に飛んじゃってしまいましたが。姫のことが今から気になってる所為かも知れません。あれは、形を変えた幼児虐待そのものと思う。見物客は歓声をあげて”あらっ、可愛い~!”てな塩梅ですが馬上でうつらうつらとして船を漕いでる子供はもう疲れ果ててるのですよ。でも、その行軍は半分くらいしか進んでいないのですから。大分で教員採用の不正が有りましたが、これは日本中何処でも行われてると思う。代議士や関係者の依頼が大分だけと考える方がおかしい。当県でも先生の子供は先生、警官の子供は警官と言うのが普通に見られることです。医師の子供が医師も同様でしょう。代議士の子供が代議士になるのは庶民の目が腐ってるからでだから日本の政治は成長しない。フランスやイギリスの貴族制の残存性がないと思われる日本でのこの奇妙な世襲的なありようは異常だなあ。まあ、神主や僧侶や歌舞伎役者の世襲は認められますがこれが旗振りの子供が旗振りで派遣の子が派遣となればその国家は終わりだな。人口が減少するから外国から1000万人の人間の輸入(?)が必要だなどと言うバカな議員も居るようだが、江戸時代やそれ以前の日本の人口から比べれば今でも多過ぎると言うことを見落としている。もう一度、鎖国制度を採って車の輸出などしないで地道に暮らせば日本は持ちこたえられると思う。まだ、緑と水があるのだから。地震の度に生活インフラが破壊されて立ち往生するのは見っとも無い。高層ビルが何するものぞ。高速鉄道が何するものか。自分の足で歩いて手で糧を得るのが一番人間らしい生き方と思うよ。
2008年07月20日
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午前中、眼科へ行こうと電話しましたが通じません。で行くのを止めて歴史とヒモ理論の本に没頭。読書しながらも不満が沸いてくる。22日しか行く日は無いだろうという事だ。23日から家祖以来連綿と続く系統を誇示した総大将が城から出陣するのだ。車などがのこのこ通れるはずもないから医院は何れも休む。これがわたしが通学した高校のある城下町であります。でもって昼過ぎまでには本陣がある私が現在居住する市へ神輿も総大将も到着して甲冑競馬や宵乗り競馬が催される。24日が本祭で小川橋の袂から総勢500騎以上の鎧武者が各郷それぞれに別れて3時間にも及ぶ大行進となるのです。神社も3つあるのでそれぞれの神輿が続く。神主もお馬の背中の上で揺れて通ります。偉い(?)ので大きな日傘を差しかけてもらっていますが。で、昼までには本陣山の天辺に総大将や軍者が居並んで神旗総奪戦が1時から始ります。花火で打ち上げられた各神社の神旗をとった者が名誉の坂を一気に駆け上がってお褒めに預かると言う図式です。最近は熱中症と脱水症の多発で救急車の数が足りないと嘆く有様。そりゃそうでしょう、炎天下の中で見物客も見てるのですから。日陰など何処にもない祭でありますので、ご見物に来られる方は日傘、扇子、団扇、ペットボトルの飲料水は不可欠でしょう。来年、5才になる姫をその祭に出そうと言うのですから狂気の沙汰ですわ。昔の日光、陽射しと今の日光、陽射しがオゾン層の破壊で人間の生命維持に危険な紫外線を直射してる事実を認識していない愚かな脳みその持ち主が調子に乗って子供を犠牲にする。雨にでもなれば好いと思っていたが今日で東北は梅雨明けらしいから予報も雨の気配は皆無です。来年は台風でも来れば好いと思うので今から祈りませう。
2008年07月19日
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心の底から描きたいって思うような熱い情熱や想いがどうしても湧いて来なかった。やっと描きたいとおもうテーマが見つかりました。頭の中ではもう完成しています。これも先日、日展会員のAさんの個展を見た影響かも。鑑賞画と自分の描きたい絵との違いの話を耳にしてそうかとおもう所があリました。ショートケーキに砂糖をかけたようなものと言う鑑賞画は確かに見て心地よい。150号の大作はいつも眺めるのにはふさわしくない、こころだって見て必ず明るくなる、高揚すると言うものではない。その絵から得るものは見る人個人それぞれの度量によって違う。その事を改めて認識した途端、描かなければならない1枚の絵が闇の中に浮かび上がってきました。1番小さい号数から描いてゆこうと考えています。生と死の間で見た光景ですから理解されることは望みません。まだ、暑いので描けないでしょうなんてのんびりしてますねえ。
2008年07月19日
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誤った行動をまた繰り返すと言うのは甚だ面白くないです。だけども、3日間に及ぶこの土地最大にして唯一とでも言うべき祭があるので今日しか行く日がありません。でないと馬糞だらけの道をお馬さんのお尻の後をノロノロとついてゆく羽目に陥ってしまうから。路傍の雑草も、国道、旧道に関わらず一昨日辺りから刈り始めた。国道が雑草で見通しが悪くなるなんてのはここだけの話。如何に草深い田舎だかご理解できるでしょうね。で、電信柱が林立して電線が蜘蛛の巣みたいになってるシャッター街をお馬に乗った俄か侍が500騎ほど行列するまるで場違い感満載の伝統行事が熱中症もものかわ繰り広げられるのですよ。まあ、最近は救急車がてんてこ舞いで市の医療施設は医者不足で非常事態宣言を出しているので、犠牲者が出ないかハラハラしてます。家で飼ってる馬に乗るのなら好いのですが当日に借りてきた地方競馬のお払い箱(祭が終われば肉として売られるとか)になった馬に乗る連中が一番危ないのです。暴れるわ、暴走するわ、上役から怒鳴られるわで馬も乗ってる人間もパニック状態で、見物してる連中はそれを見るのが1番の楽しみで何が何だかわからない伝統行事ですなあ~。では、かかさまのお掃除で追い立てを喰ってるのでこの辺で。
2008年07月19日
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昨日取り入れた別な朝顔がずっと咲き続けている。早くに家へ上げた2鉢はすぐしぼむし花も小さい。で後から取り込んだ朝顔を見たかかさまの喜び爆発。”へえ~、これ肥やし随分上げたでしょ””同じだよ””そうかしら”ってわたしを疑いのまなざしで見る。この朝顔たちは誰かさんに似て意地悪で咲く所を見せないんだから。などと仰っていましたから尚更でしょう。で、哀れな桔梗たちはあまり褒められもせず慎ましく庭の片隅でひっそりと咲いていますが、わたしが見てるからと声掛けてあげた。一昨年はこぼれた種から出たのを雑草と間違って全部引き抜いたので大分怨まれたらしいが今年はその種から出たのも花をつけました。ねじり花も清楚に咲いてます。撮るのは携帯のレンズばかりでデジカメを使用しないのは勿論わたしの好い加減な性格のなせる業でありましょう。午前中、歯科医が早く終わったので隣の城下町の眼科に行きましたがお休みでした、そういえば18日は学会とか言ってたっけかあ?昼飯は食べたくないので、寝ましょう。何か、脱力しちゃったわ。
2008年07月18日
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蒸し暑いのでエアコンつけようかと思ったが換気扇回しっぱなしにして眠った。が0時55分にめざめた(?)とても眠っていたとは思われませんが。最近、同じ様な時間に何度もめざめるのです。以前のように一眠りで朝を迎えることはなくなっている。それで夢を見た。中学生の頃だろう。何でその時代かは意味不明。1年下の生徒たちと同級とはどうやら落第したらしい。理由はわからない。校庭で運動してる生徒たちがいる。そこで現実にはした事のない大車輪をやらかすのだが多分成功したと思うのだけれど目が覚めた。自分でその夢を否定したようだ。不思議なことに、壁に手がしっかり付いていた。こんな事書くのは気が引けるけど実感としてはあっちの世界と通じたような感があった。まあ、さもない現実だからこんな子供じみたことを考えてしまうのでしょうが、ね。”行っちゃったらかなしむだろうな”なんて意識もあったけどこっちでは死体が残るんかい?そんなんじゃあ、夢がないですわね。ハガレンの”等価交換”のようにもう一人のわたしが居なければ話になりません。壁が平行宇宙への境界と思うのは凡人の考えそうなことで別に壁でなくたって好いと思うのですが。昨日は150号と言う大作を見てきました。日展画家の個展に招待されまして行きましたが暑かったねえ。創造を支えるのは体力と気力だと言う話に頷いてきました。外に出て”バス停は何処でしょうか?”と尋ねられた。”ここはほとんど無いのですよ”と返事しましたが一緒に絵を見に付いてきたかかさまが”可哀そう”と言うので急いで駐車場から車を発進させて駅まで送りました。仙台から来たといってました。”60過ぎましたがまだ年金生活にはなれないので”と言う。高校の北側に今秋出来る大型ショッピング店の視察に来たそうな。みんな汗水ながして働いているのに夢のような話で生きてるわたしがビンボなのはあったり前でしょうって想いました。
2008年07月18日
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しょうちゅうを割るライムジュースもなくなったので出来合いのカンチュウハイをそれぞれ適当に選んで買って来ました。”トマーテ”は2人ともペケの判定でした。”スクリュウドライバー”とかどっかで聞いたような名前のものは2人とも〇でした。で、今夜呑んだのは”焼酎ハイボール”とかでかかさまが〇わたしはイマイチでしたね。宝カンチュウハイに似てたかもね。ウイスキーの味を忘れてしまった私は真の酒呑みではない。外道とも言える、甘~いカクテルが1番すきなのだから。魅力を感じる女性を列記してもそのデタラメ振りがわかるかも。ほとんど詳しくないが、昔の淡島千景は母に似てたからペケ。大昔の”北上夜曲”に出ていた高野通子がよかった。って言っても誰も知らないだろうなあ。藤純子、山本富士子、米倉涼子、深津絵里、高島礼子、広末涼子、井上真央、仲間由紀恵、その他の若手もすべてペケ。辛うじて引っかかるのが”タンスにゴン”の沢口靖子くらいかあ。で、現実の女性より活字の世界には多情とも言えるほどの女性が存在するのだからあたしゃやっぱり変だわねえ。ちょっと今夜、酔ってるからさ、支離滅裂かも知れませんね。”アイヴァンホー”のレベッカに恋したのは中学時代でさ。高校の時は”二都物語”の最後の場面でシドニー・シェルダンと会話する少女に恋してたっけ。そのあとの理不尽な誤診による強制隔離中には山本周五郎のおさんに惚れたりしてたっけなあ。後で見た錦之助と三田佳子の映画は期待外れだった。三田佳子がおさんにはどうしても見えなかったから。ここで言うのだが、昨日書いたブログのAB型の娘がこのおさんとまったく同じ女性でした。おそらく彼女も今は生きていないと思う。それだからこそ、錦之助が演じた男のようにわたしは今もさすらっている、おそらく生命が尽きるまで。いやあ、遂に本音をさらしてしまったな、すべては酒が悪い。今夜は多分呑みすぎたかも知れないなあ。
2008年07月17日
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年古りた猫は化け物となって人語を解すと言う。狐は妖狐となり尻尾が九つに分かれるのが最強のものとか。戸を開ける猫や犬は珍しくもないが、こちらの思うことを察知して先回りされるといささかドキッとします。これはにゃんこに多い事象ですがね。家も築20年を経過して瓦の色あせ、畳や障子の張替えなども数度繰り返す頃になるとよく喋るようになるようです。特に一人っきりで居る時などは、階段を上り下りしたり仏間や台所や客間で何かをしています。臆病な人だったらキャアーッてなもんでしょが家の者としては別に怖くもなんともないのでしてにぎやかで丁度好いてなもんで。そんなわたしですが、今から20年ほど前フィクサチーフを求めに入った店がありました。そこの店員の応対が最悪で”そんなもん何に使うんだ”と言うような調子でまだ若かった自尊心が激しく傷付きました。”畜生、こんな店必ずたたきつぶしてやるっ”とこころに思った。で、つい最近ですがその店の社長が事故死しました。社員の給与も支払わない傲慢な性格で経営の評判も悪かったらしい。これでわたしの呪った人物の処理は一応終わりました。最近、頭が痛いのはその報いかも知れません。”人を呪わば穴二つ”、はい、よく承知しています。後、残す所の者としては、政界の変節漢、世界の独裁者達でしょうかねえ。
2008年07月17日
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先日、テレビで四国の今の徳島に邪馬台国はあったと言う放送を見ました。四国邪馬台国説は真新しいことでは無いのですがまんまと引っかかってしまった。また、地名から始めて研究です。鳴門秘帖以来ですねえ。考えてみれば卑弥呼は鬼門かも知れません。一生、祟られそうです。
2008年07月17日
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ぼんやりとした空白の時間に何時の間にか ”好きだった”の歌の歌詞が蘇る。”泣きじゃくる肩の震えをぬくもりを♪”そんな”恋?”を1度だけ覚えてるけど。それも誤診による薬の投与による副作用による幻の恋。はじめから間の抜けた夢のような時間綴り。 真冬の雪と寒い病棟と隣り合わせの死と生と。絶対に好きにはならないと想っていた鼻を持つ20才の娘と7つ年上の誤診で寝たきりにされた男がこころ通じた。彼女はみちのくの中でももっとも雪深い土地の生まれで。5人姉妹の3番目で暗くていつもおどおどしていた。罪深い少女のように。そんな2人の仲へ5人姉妹の長女と言う女性が現れた。遠野物語のある所から来ていた女性。3女は色浅黒く声が小さく背も低かった。鼻はいわゆる鷲鼻と言うかたちで(1番好まないかたちだったが)。長女は色白で背の高い明るい娘だった。3女はAB型で長女はA型でした。何故、美人の方の長女より”あの人は危ないからやめた方がいいわ”って言う忠告を無視して好きになってしまったのか、やはり、暗くって裏切りの匂いのする少女の瞳に魅せられたとしかいいようがないのだが。子供の頃の風景にある1つの絵。並んで登校する都会の少年少女に憧れた。美少年、美少女だった。惨めに無視され振り向きすらも与えられない田舎の子供。少女の靴が記憶に残って消えない。 そう言う残酷性を占めた魔少女に出会ったあの冬。天女より魔女の方に何故か深く傾斜する心。その恋も時間が決められていて春には必ず別離がやって来る。すべてが終わって1人残された部屋で生まれて初めての深淵をのぞくような孤独と淡い5月の虚空に絶望を見た。狂うかもというこころのあやうさを感じたあの5月。 今は、面影すらも消え去り何もないがあのときの時間の軌跡がなにもない時間に出会うたび軋みだすのだ。これは一体何なのだろうかといつも想う。恋と言うものの思い出なのか、それとも失敗の苦い記憶なのか薬が描いた恋と言うものに傷付けられたプライドなのだろうか。一番深く傷付いているのは、罪なくして獄舎に入れられた死刑囚のような身動きが取れない、翼をもがれた鳥のように自由を奪われ人生でもっとも充実すべき時を消去された無念さであろうか。物語の”岩窟王”よりは短いだろうと想っていたが、事実はそれより長いものだった。
2008年07月16日
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地震現場の堰止め湖の映像に影響されたのか変な夢を見ました。足元がふにゃふにゃしてるのに気付いて見たら黒いビニールのような物体が展開していました。その中身は汚物や泥土で充たされているようです。多分、この物体が昨夜のわたしのこころそのものだったのでしょう。ちょっとしたことでかかさまと口論したから。自責の想いが強くわたしを打ちのめしていました。あの怒りがトラウマから来てるのはわかるけど、人生終わるまで呪縛されるかと思うとやはり切ないなあ。DVDで”日本誕生”を見ました。で、まったく無関係な宮沢りえ女史が現れてこの世の始原を説いていました。本質的な説明でしたがもう記憶にありません。で、DVDのお話しに戻りますが日本の映画はこんなもんだったのかと落胆しました。ただの人気スターを総揃いさせただけのみすぼらしい風景に自分まで貧しくなってしまった気分。モヤモヤした気持ちで就寝したので今夜も眠れないのかと思いましたが意外に夢まで見て眠られました。庭の木々は時間が停止したように動きません。曇天の静かな朝です。今日、7月16日と言う日はわたしの何度もあったターニングポイントの日です。しかも重大な誤認による傷ましい青春の蹉跌。現場のテニスコートが昔のまま存在していますが通るたびその事を思い出させられます。
2008年07月16日
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名張の叔母と母との電話でいろんな話が出たらしい。で、わたしが”はげたから行かないよ”ってかかさまに言ったのを早速言ったらしい。で、叔母曰く”・・・ちゃんはちょっとはあるんやろ、少しはのこっとるんとちゃうの、・・なんてかわいそに少しもあらへんのやで”って3番目の従兄弟の名前が突然出てきました。うんむう、やっぱり遺伝子だなあっと唸ってしまった。前に会った時は黒髪ふさふさしてたし、まさかはげるとは。しかもツルツルっていう状態と聞いてはこころもおだやかならず。まあだ、独身なのに、阪大卒でいま郵便局長かな。わたしが、ハゲに拘るのは別にハゲが嫌だというわけでは無いのでしてはげちゃうと唯一の叔父と見分けがつかなくなる恐れがあるからで。かかさまは”はげたって見分けはつくから心配無用だよっ”っておおきなお口をあけてお笑いあそばしました。見分けがつく、つかないの問題じゃなくてさ、この微妙な心理がわからないのかなあとため息をついた。そいで、話し変わって今日は久しぶりに骨董の師匠の家を尋ねました。行くとき道の真ん中に毛糸の灰色の手袋が落ちていました。よく見たら仔猫の死骸でした、涙が出ちゃった。師匠の家の前もカラッとして物寂しい。柴犬のさぶがいないのです。動物との別離は人とのそれと何ら変るものではありません。骨董業界の深刻な不景気と市の閉鎖の続いてることを伺った。帰り際、かかさまが”神居古譚”の石を気に入って求められた。どうやら、この石好きも遺伝子かも知れないなって思いました。
2008年07月15日
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自分の部屋のテレビを久しぶりにつけて今夜が最終回と言うドラマを見ました。深津絵里が老けたと感じました。女優生命は若い頃の魅力を失った時断たれてしまう恐れがある。演技者として続けるには相当な覚悟と意志と努力が求められるでしょう。”花の命の短さ”を痛切な想いで深津女史の変貌した表情に見ていました。ところが、その後の自分の運命は知りませんでしたね。昼間、寝すぎた所為か眠れません。眠れないなあと思って時計を見たら12時55分でした。まあ、しゃあないわって朦朧とした頭で自分をなだめ枕に抱きつきました。3時16分の時計を見たときはもう諦めていました。夢も見た記憶が無いのですから眠れなかったのは真実らしい。右向いて、左向いて、仰向けになりしてかなりの運動をしたと思うのですが起きて見ても腹は同じ状態で損した気分。まあね、昨夜は久しぶりに牛蛙の声も聞いたし、それより何よりお月様としばらく対話できたからよかったのでしょうね。一片の詩も生まれなかったけれど、それでもあの月光は好かった。月は段々と遠ざかっているけれど幸せなことにわたしはまだ仰げる距離にある地球の衛星を見ることが出来るから。月が星のような小さい光になったら地球はさびしくなるでしょうね。
2008年07月15日
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桔梗や今日咲いたねじり花を打ち首にするかかさま。カサブランカの花が2,3日で咲くと言ったら斬らせてと一応同意を求めてきますが即座にノーと告げる。”あの高いの斬って好い?”と言うので何のことって思ったら姫コブシのもどり花でした。”好いよ”ってこれはOKしました。間も無く植木屋さんが来て切り詰められる木ですから異存はありません。公孫樹の木がまっすぐに伸びてるのがとても好ましいのです。わたしは巨樹が大好きです。子供の頃から幹に抱きついていました。成長してからは人目を気にしてさすがにしませんが、周りに人がいないときはしますね、でもこれもまたマーフィーの法則で誰かが来て”何してるの?”って目で見てますよ。さるすべりの高さはもう理想的で幹も太くなりました。いつ植えたかは忘れて覚えていません。かかさまの生き残っているただ一人のおばさんも今年で95才とか言ってました。わたしは年令無視の生き方なので誕生日なんて意識しませんが妹の家族達は何れも大袈裟に祝っていますね。若しも薬害で毛が抜けなかったら20代の気持ちでいるでしょうね、多分。勿論、気持ちだけですがね、だから営業の方が見えられて"ご主人”とか”旦那さん”って呼ばれても後ろを振り向いてしまう。”わたしのこと?”って問い直すのがいつものこと。気ばっかり若くってもなあ~って言う最近の本音もありますがぁ。マンガは20代に対応するでしょうがその他の読んでる本は若者からすれば”それって何よ!?”って言われちゃうのは間違いない。間違いないといえば、あの芸人は何処へ行ったのやら。
2008年07月14日
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街には怖ろしい終末宣言の”神の言葉”があちこちに貼られてます。本や屋内や施設で神や仏が多弁です。私としては人類の数だけそれぞれ神や仏がいると思うのです。で、その神や仏はほとんど無口でその人の生涯で1度も話さないことも珍しいことではないでしょう。辛苦な、耐え難い悲惨な道程を歩まなければならない人には神も仏も多弁になるでしょう。その言葉によってその運命の道を歩みきるのでありましょう。私の事を言うのは不遜でありますが、私自身に似たような程度のピカピカ光る神や仏ではありません。幸いなことに、最近は生死に及ぶことが無い平凡な日々なので神仏との話もほとんどありませんが、時には忘れまいぞってな調子でボソッと呟いてはくれますが。望むことは、ならば神や仏の言葉は聴きたくないですね。凡人として、名もないままで終わりたいと思う。もう、これ以上の辛苦は無用ですから。2度と人間として生まれて来たくないと誓願するような人生はいらない。世や運命や神仏さえも呪うような人生は、人間には無用です。花を見て美しさを感じ、歌を聴けば心が踊る、山河をみれば生きてる生命の尊さを覚え、日月を仰げば永遠の時を学び感謝する母や父の愛に頭を下げ、先人や師匠の恩に手を合わせ子供や動物達とは笑顔を交わし、その存在を喜ぶそのようなすなおな人間でありたく思う。聖職者、宗教の指導者がなすべきことは名誉や権力や蓄財をするものであってはならないのであって、貧しい、弱者の立場にある人を心身ともに救うのがその使命であると思う。
2008年07月14日
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キジトラの猫ばかりが多くなりましたね。ってかあ、三毛猫がいません。ずっと出会いません。まさか船乗りが絶滅種にするほど、船に持ち込んだとは思えませんが。三毛猫の雄(?)が遭難から守るという言い伝えがあって大事にされていたと言う伝聞は耳にしていますが。猫のエイズで消滅しちゃったのかもなんて考えさせられてます。白や黒、茶はいますがねえ、ミケがいなくなるとわたしはさびしい。思い出の中に一番出てくるのが三毛猫ですから。昔はキジトラなどと言う名前じゃなくてただのトラでしたが。尻尾も短いの、長いのといろいろいましたね。朝顔も無事咲きまして、カサブランカの咲くのを待つだけです。(ここだけの話ですが、鳥が運んで来た欅の実生を育てていますまあ、1メートルくらいになったら気付かれるでしょうが合歓の木を枯らしてしまった償いの気持ちのようなものがあります、でも無理な話であることに間違いはありません)
2008年07月13日
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まあ、廃屋まで行かなくってもさ、古い家屋を見つけると足が止まる。蔵があって門構えもしっかりして塀も完全に整えられている家よりも傾きかけて瓦がずり落ちそうで壁が破れてるのが最上です。そこの草生した庭に腰の曲がった白髪のおばあさんなどがいれば極上です、痩せたにわとりがニ、三羽などいれば尚良し。声を掛けずに距離を置いてただ眺めてるのですがこの時間がたまらない至福のものなのです。先日、今年の竹に埋もれるようにしてあった山の無住の家を見つけた。しかし、指名手配の者が住んでる気配はなかったのですが、家の周りが暗くて陰気で霊気のようなものまで感じられて近づけませんでした。死蝋化した若い女性でもいるような、そんな雰囲気でした。街の中で人一人やっと通れる細い道を見つけた。傾いた家並みが続いていて平成の時代によくこのようなところがあるものと唸ってしまった。奥の方へ行くに連れて下がってる細道が何処まで続いていて何処へ出るのか、未だに見極めていません。わたしも、何となく、多分忙しい。
2008年07月13日
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昨日の車中で出し抜けにかかさまが「お前、自分のこと、好きかい?」「・・・んにゃ、あんまり」「わたしは自分のことが好きですよ」「ほうですかぁ」と答えたあと何か心が動揺していました。心の奥底で「お前は好い加減な奴でそれより何より嫌な奴だ」と言う声がする。黙って頷いていました。自分でもそう思うし、そのように感じる。諍いや口論は嫌いだし、臆病で喧嘩の仲裁など絶対にしない。辛い話や悲しい出来事からはなるべく身を遠ざけています。若い頃は維新の群像とかギリシャ悲劇、シェークスピアの4大悲劇ドストエフスキー、トルストイ、日本文学の苦い現実を書いた小説も読めたが今はまったく受付けない。ハッピーエンドばかりなものばかりです。善人でもないのにあたらずさわらずのことばかり言っている。自分で自分の思い、こころを自己分析して(これが最大の過ち)わかったつもりでいたが、他人から見るわたしはまったく違うでしょう。そんなことを考えてたら12時、1時になっても眠れなくなってしまいました。自分を客観視したとおもっていてもそれだって主観に過ぎません。そう、思ったら、自分の傲岸不遜が許せないし怖くなってしまった。咲いてくれた花に対して「うつくしいね、ありがとう」と言う自分がいる。犬や猫を愛しくて抱き締めることもある自分がいる。子供が可愛らしくて愛しくて抱っこする自分がいます。母や弟、妹、甥、姪たちを大切に思う自分がいます。病院や道路や学校で出会う子供達に笑顔を見せる自分がいます。おとしよりと和やかに話をする自分がいます。文学の仲間と創作について対話をする自分もいます。世の中の不正や不公平に怒る自分がいます。自分の世界を信じる自分がいます。だからと言ってそれで自分が正当化できるわけでは無いのですね。わたしは、多分この上なく卑怯で狡猾な人間だと思うのです。正義や真実を主張したいとは思わないし、絶対的な真実と言うものがあるとも思えない人間だから。正しい宗教があるとも思われません。人間が頭で思う、想う、考えるような神や仏がいるとも想わないし、信じていません。昨夜の不眠の為、今日の編集会議で何を話したか全然記憶にありません。不眠は体にも脳みそにも悪いのでしょうね。今夜は、わたしは悪人だと言うことで眠りましょう。何をどう考えたらよいのかよくわかりませんもの。哲学も今更もう、ごめんですから。「自分のことが好きですか?」いやあ、魂消た質問でしたねえ。
2008年07月12日
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犬夜叉と遅ればせながら(完全に時代遅れ)うる星やつら全巻揃えようかと思っています。姫がナウシカよりああっ女神さまっの方が気に入ったのが何でだか嬉しい、揃えてる全巻は姫に上げるからと約束しちゃった。まあ、かかさまのタンスを上げる約束と似たようなもんですね。明日は雨の予報ですがお掃除日なのに大ママが姫を連れて来るそうです。午前中なら好いけど午後からは編集会議でおそらく5時頃まで戻れません。DVD出して行こうかなあ。つるなし朝顔が明日、咲きそうです。今日は液肥と油粕を買って来ました。油粕は公孫樹と柿の木に与えました。大きく育って欲しい。山葡萄の追肥は忘れてしまった。何かえこひいきをしてるようで他の木に後ろめたさを覚えてる。本に対しても同じ様な想いがあります。わたしが読んでやらねば誰が読むと言うのか。で、思い出した言葉”キャシャーンがやらねば誰がやる」そのキャシャーンに似てると女生徒から言われたことがあった。マンガのヒーローに似てるなんて言われたことがなかったので吃驚したままろくな返事もしなかったようです。暗い少年だったのに。
2008年07月11日
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「初めまして」娘は恥しそうにして小さな声でそう言った。「初めまして」わたしも妙な気持ちながらこたえた。と、絹子が客間の上座に正座している私の前で両手をついた。「わたしの勝手な了見でこの子を生みました、どうかお許し下さい」「えゝっ、なんてったの」「ですからこの子はあなたの子なんです」「ふう~、いやそれは顔を見れば疑えないけれどどうして」「あなたの子がほしかったの、どうしても」「許すも許さぬも今更何もないけれどこの子は辛かったろう」と言うと娘が涙を拭った。「君だって大変だったろう」「でもわたしが好き勝手なことをしたんですもの、わたしは何とも思っていません、でもこの子には悪い事をしたと詫びています」「で、君は独身なのか、それとも夫がいるのかい」「いいえ、夫はいません、心の中には一人だけいますが」「その人は亡くなったのか」「いいえ、生きてらっしゃいますわ」「そんならその人と結婚するんだね、子供のためにも、ってまだ名前を聞いてないな」「霧子です」と娘が言った。「好い名だね」「お父様が好きな名前だから付けたと母が言ってます」「お父様って私の事か」「はい」とはっきり答えて娘が微笑んだ。「じゃあ、君が姿を消した時この子が」「えゝ、ご覧の通りの旧家ですが両親が早く亡くなってわたし一人とじいや、ばあやたちと住んでましたから身勝手も出来たのですわ」「う、う~ん、これは唸るよねえ」「すみません」「いや、とんだ花見になったと思ってさ、連れの連中もびっくりするだろうさ突然所帯持ちになってこの様な大きい娘がいるんだから」「あのホントのお父様になって頂けますの?」「勿論だよ、なんの障害もないんだから、君たちが好ければ今日にも届けを出そう、それから認知も」影のほうからニ、三人ではない泣き声が聞こえて来た。「で、わたしは婿入りになるんかなあ」「まあ、ご冗談ばっかり、わたしもこの子もあなたのお名前にして下さいませ」「いや、この家のご先祖に申し訳ないからね」「いいえ、あなたはご長男ですから、それにお血筋だって尊い流れを引いておられるのですものお名前は消されません」「今の世の中では士族、華族、も山賊、馬賊と何も変わる所はないんだがね。よし、そう決めよう、じゃあこれから役所へ行ってからは花見だ」「ええ、そう致しましょう、霧子も好いでしょ」「勿論ですわ」と言って娘がわたしの腕を取った。
2008年07月10日
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最初の赴任地で何の縁があったのか知り合った芸者との交際が有名な桜の名所の花が咲き初める頃から夏の頃まで続いたが、ある日を境にぷつりと糸が切れてしまった。彼女の姿が消えてしまったのだ。年が若かったので親に告げることも躊躇していたが結婚するつもりだった。それから数十年経た。各地を転々と赴任して間も無く五十才になろうかと言う頃親類の者たちが桜を見たいと言うので二度と行くまいと思っていた彼の地へ赴いた。宿を決めてのんびりと花をめでてぐいぐいと呑んでたら名前を呼ばれた。「誰?」「春の屋です」「?、あヽ、まだあるの?」「えゝどうぞお出で下さいますようにと」「誰がそんな事言うの?あのバツイチの子持ちのあれはまだ生きてんのかい?」「ご冗談ばっかり」「うんにゃ、わたしが知り合った頃だって私より少なくても十や十五は年上だったからもうおばあさんでしょ」「行けばわかりますから、是非お会いになって下さい」連れに訳も話せぬままみんなで楽しんでくれなどと無責任なことを言って春の屋へ向かった。けれどもほろ酔い加減の酔眼でも行く先が違うことに気付いていた。そこは武家屋敷が並んでる所だった。「どうぞ」と言われて門をくぐり踏み石を辿る。庭の手入れが見事で春の花が咲き出している。玄関へ入ると頭を下げている女性がいた。「お戻りなさいませ」何てったと思いながら見下ろしてると静かに頭を上げてこちらを見上げた。「絹子、、、」われながらだらしのない声だったが吃驚して涎が出たのを意識して口許を手で拭っていた。そこには白髪の皺だらけのばあさんだろうと思っていた彼女があの頃とさほどの年輪も見せぬ若い姿でにっこりと微笑んでいた。「バツイチの絹子かあ」「誤解です、それは豆若さんのことです」「へっ、何のこと」「私、春の屋さんの女将さんに頼んで芸者と言うことにして頂いたんです、それもこれもわたしがあなたに一目惚れしてしまったから」「あんたは一体何なんですかあ」「わたしはあなたより4才下の女学校卒業して間もない頃でしたわ駅であなたとバッタリ出会ったとき、この人って決めたの」「そんな無茶苦茶な」「あなたもご結婚なさってお子様は?」「そんなもんはいないね、誰かの所為で女性不信症になってしまったから」「まあ、ほんと、わたしどうしましょう」「責任とって欲しいね」「どうすればよいのでしょ」「冗談だよ、君に責任などない、わたしの生き方だから」「あの、怒らないで聞いてくださいね」「怒るようなことなの」「多分、でも言いますわ、そのためにここへお呼びしたんですもの」「さてはまた君が見つけたんだな」「えゝ、実はそうなの、嬉しかったわ、もう二度と会えるとは思っていませんでしたから」「まるで忍びの者でも使ってるみたいだなあ」「まあ、ご自分こそ忍者の土地に生まれたと仰っていたくせに」「よく覚えてるなあ」「それより是非聞いていただきたい事がありますの」と言って控えていた者に誰かを呼ぶように伝えた。やがて現れた若い娘を一目見て吃驚してしまった。わたしの妹にあまりに似ていたからである。
2008年07月10日
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