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5月は修学旅行を実施する中学が多く、「先生お土産買ってきたから食べて下さい。」と言って生徒たちが次々と「生八つ橋」を届けてくれる。昔は、「あん」だけで「お○べ」が有名だったが今ではいろいろな会社が生八つ橋を作り味も抹茶が加わり、最近では苺も登場した。それでもまだ、もみじまんじゅう、にはおよばないが(笑)母は京都育ちで、私も小学校を卒業するまでは、毎年大文字焼きを祖父母の家から数分のところで見ていた。京都には有名なお菓子がたくさんあるのに、どうして皆「生八つ橋」を買ってくるのだろうか?14、5歳の感性に訴えるお菓子なのだろうか????と、幼いときから、かま風呂ファンの私は思う。(笑)修学旅行と言えば、行く前からいろいろある。特に小学生は、誰と一緒の班になるのか、班決めが、最重要課題だ。6年生のJが、珍しくレッスンの開始10分前に浮かない顔をしてやってきて、「先生、修学旅行って行かなくてもいいの?」と、言ってきた。「どうして?病気とかで行けない人もいるだろうけど、 また、何かあった?」Jは4、5年生の時に、一人の女の子を中心としたグループから、いじめというか、いやがらせを受けていた。学校に行かなくなるのでは、とお母さんは心配していたが、別のグループに入れてもらい、学校へは楽しく通っていた。一度、JとJにいやがらせをしている女の子、先生で話し合う機会があり、先生が、その女の子になぜ、Jに意地悪をするのかと尋ねたところかわいこぶってて、むかつくから。という返事が返ってきたという。確かにJは、目鼻立ちが大きく派手な顔出ちをしているし、体格もいい。おしゃれが好きで、通学の洋服のコーディネイトも工夫をしていた。本人は、同じことをしても自分だけ先生に注意され目立つから損だと、いつもぶつぶつ言っていた。本人は目立ちたくて、目立っているわけではないので、単なるその子の言いがかりなのだが、Jは、自分から「ごめんね。でもそんな風に思ってないから」と謝ったのだと言う。それ以来、その子の嫌がらせは、止んだと聞かされていた。「修学旅行の班にJだけ入れてもらえなかった。」何を考えているのか担任は、自分たちで班を作るように言い、当然のことながら、普段から仲のいい子が集まって班を作った。Jはいつも遊んでいる仲のいいグループに入れると思ったのに、班の人数が決まっていている為に、暗黙の了解のようにJは外され一瞬の間に行き場を失ってしまったという。そして立ちすくんでいるJに先生は、人数に空きがある普段Jがあまり口をきかない子たちのグループに入るように言ったという。「行ってもつまらないよ。」「ねぇ、その子たちがどういう子かわからないんでしょ? どうしてつまらない、って決めつけるの? つきあってみなくちゃわからないんじゃない?」「でも…おとなしそうだし合わなそう」「向こうだって、派手なJとは合わなそうで嫌だって思ってるかも」「えっ」「Jがその子たちのことを、よく知りもしないで おとなしそうでつまらない子と決めるように 向こうだって、Jのことを派手でうるさそうな子 だって思っても不思議はないでしょ。 それに、修学旅行に行かないと、卒業アルバムの班写真のところに 一人だけ顔だけの丸い写真で載っちゃうかもよ。後悔しない?」「それは、嫌かも」翌週もJは、早く教室に来た。しかし、その顔は先週と違って笑顔だった。「先生、先生の言った通り班調べを一緒にしたら、 面白い子もいたし、優しい子もいた。楽しいよ。」「付き合ってみなけりゃわからないでしょ。」「うん。一人だけ外されて悲しかったけど、新しい友達ができたから、いいや」「そうそう。 外されなければ、その人たちとは友達になれなかったのだから、 よかったんじゃない。」卒業後の今でもそのグループの一人とは通っている中学が違っても、休みの時には、一緒に遊んでいるという。Jは、この出来事を振り返って自分だけ外されたことに傷ついたが、友達、というものが、どういうものかがわかったし、自分に自信をつけてくれた大きな出来事だったと言った。生徒一人一人が、辛い思いを抱える。辛い思いを乗り越え、その経験をバネに成長していくためにも柔軟で強い心の育成をサポートしていきたいと思う。
2008年05月30日
昨日は、お気遣いいただく、コメントやメールをありがとうございました。疲れた、と書いてしまったことで、ご心配をおかけしてしまったことを反省しております。お恥ずかしいことに、ブログに書いたことが自分の意志とは関係ない方向へこのブログ以外の場所で進んでいることを偶然知ってしまい、ブログに対して迷いが出て負のスパイラルに入ってしまいました。しかし、昨夜、今までいただいた、コメントやメールを読み返し何かを発信すれば、そのような事は必ず起こることであり、ブログを書くこと、コメントで意見交換をすること、夢玉プロジェクトでメールをやり取りすることでもたらされる喜びに比べれば、たいしたことがないことに気がつきました。そして、ありがたいことに、皆様方にコメントをいただく事で、私の日記だけではなく、コメントからも訪れていただいた方に受け取っていただけるもののあるブログになっていると思いました。これからも、宜しくお願いいたします。みんな仲良くではなく、衝突し、協力して乗り越える - 集団生活から学ぶこと教室では、夏休みに行われるサマーキャンプの準備が始まり、学年毎に参加メンバーの選抜を行っている。スタッフを除いて、定員は20名、毎年絞り込むのに苦労する。今年は、研修所で行う小規模のキャンプで、来年度キャンプ場で行う予定の生徒自らが運営、進行する縦割りキャンプに向けての研修キャンプでもある。特に低学年の参加者は、来年のキャンプで学年のまとめ役や班のサブリーダーを務めさせるので、今年のキャンプでは、上級生の動きをよく見て学ばなければならない。このような国内研修での経験を積んで、初めてインドネシアで行われる海外研修の参加候補メンバーになれる。生活環境が日本と全くことなるインドネシアの田舎の村で行われる研修を自分の中で価値あるものにしていく為には、まず通常の生活環境と異なった生活環境に順応でき、そこでの生活を楽しめる心と身体が必要となる。最初は、キャンプ場の虫だらけのシャワーやトイレを怖がったり、自分の食事に小さな虫が入ったと言って、騒いでいた生徒たちも回数を重ねる毎に、慣れていき、山の中には、虫がいて当然という感覚になる。2年生の時に、怖いと泣いていた子も昨年の縦割りキャンプに4年生で参加し、班のリーダーとして積極的に班をまとめたことが評価され5年生の今年は、サブリーダーに抜擢された。学校では、どちらかと言えば目立たず、リーダー的な役割になることはない子でも役割を与えてあげることで、大きく変わる事がある。これらのキャンプには、英語関連のアクティビティもあるが、視野を広げる、精神面での成長を促すことに重点を置いている。一つの目的を達成する為には、自分のことは自分できちんとできないと迷惑がかかる。参加者一人一人が自分の力に応じて協力し合うことが必要だということを経験させる。全員が同じことをすることで、自分より行動の遅い子など弱者を知り、待ってあげる、ゆっくり歩くなど思いやりの気持ちが芽生える。そして数年前の自分の姿を知り、その時の上級生の気持ちを知る。子どもどうしが言い争いをしていると、先生を含め大人は、ほらほら、みんな仲良くね、と言いその場を治めがちだ。「みんな仲良く」- 耳障りのいい言葉だが、とても抽象的で、問題を解決する言葉ではないしお互いに衝突することや、経験を共にして仲良くなっていくのであり、みんな仲良くと言われて仲良くなれるものではない。この2泊3日のキャンプも、小さな衝突だらけだ。しかし、私たち講師、スタッフとして参加している中、高、大学生は一切関与せず、参加者だけで解決させる。衝突を自分たちで乗り越えて、協力していくことこそ、このキャンプで最も学んで欲しいことだからだ。最近の子供たちを見ていると、良い意味でも悪い意味でも他人と衝突することを経験していない弊害が様々な面に現れているような気がしてならない。衝突を悪いことと考え、止めるのではなく、成長の機会ととらえ、見守ることも大切なのではないかと思う。
2008年05月29日
昨日、父母会で配布するプリントの原稿を書いていて、ふと、今のバイリンガルという言葉の使われ方を見ていると、私が英語を指導し始めた20年以上前より広範囲の意味を持って使われるようになり、お母さんを混乱させているのではないかと思い始めた。バイリンガルについてネットで検索しても教育者、学者でさえ、その定義はばらばらで、中学から習う英語ですら、第二言語としているものもあった。一般的になりつつあるバイリンガル=英語を流暢に話すですら、どの程度を流暢と言うのか、これまた曖昧だ。バイリンガルは、二重バイリンガル(二つの言語の能力が母語話者と同程度)、平衡バイリンガル(両方の言語の能力は同じだが、両方とも母語話者に及ばない)偏重バイリンガル(どちらかの能力は母語話者と同じだが、他方は、母語話者に劣る)に理論上は分けられる。そして昨日、たどり着いた一つのサイトには、こう記されていた。実際には二重バイリンガルは稀であり、平衡バイリンガルと偏重バイリンガルが多い。この、母語話者と同じ能力というのはもちろん認知能力や、複雑な表現をも含むが、どこの国であっても言語の発達は年齢によって差があるので、「年齢相応の」という考え方は必要だと思う。その上でさらに、バイリンガルが主に会話に関する定義であるのとは別に、二言語に関する読み書きも相当程度にできる人に関して、中島和子はバイリテラシーと言う言葉を使って区別している。更に「年齢相応の」というまたまた曖昧な言葉が加わる。その一方で、英語は、あくまでも外国語であり第二言語ではない、とする方も第二言語と外国語の違いですが、第二言語とは一言でいえば母国語とは異なる言語ではあるが生活言語であるもののことです。もしあなたが日本に生まれアメリカに移住したら、あなたの母語は日本語であっても、生活言語として英語を使わなくてはいけません。ゆえに、あなたの第二言語が英語になるわけです。一方、あなたが日本で普通の生活をしながら英語を勉強する場合、それは主に教室の中や自宅学習をしている時にのみ使われる言語なので、あくまでも外国語なのです。はぁ…疲れてしまった。これはもう私が理解できる範疇を超えている。考えてみれば、第一外国語なのか第二言語なのかバイリンガルかどうかなど、英語を使うことにおいては、どうでもいいことだ。本人が必要に応じて英語が使えればいいじゃないか、その時に向けての準備を親御さんと一緒にしていくことが私の教室の仕事だ。調べていくうちに、いつのまにか私もバイリンガルという言葉の壺に填っていたようだ。疲れていると言えば、のめり込みやすい性格の私は、相手の存在が見えず、気持ちが目で見えないブログやメールにとても疲れている、と気がついた。言葉が足りずに誤解されてはいないだろうか、あのようなアドバイスでよかったのだろうか、と状況から相手の気持ちを読み取ろうとしてしまうのだ。常に言葉だけではなく、相手の表情や声色で相手の気持ちを見ながら、感じながら話しをしている環境にいることもあるだろう。私の書く能力以上のことを伝えようとしているからなのか、とも考えたりする。先日、夢玉のプロジェクトに参加している地方に住むお母さんとメールのやり取りを繰り返す中で、レベルチェック、通信という流れになり、お母さんがテストの結果と一緒に少しでも身近に感じて頂ければというメッセージとお子さんの写真が入っていた。とても嬉しく、やっぱり私は、アナログ人間なのだなぁ、とつくづく思ってしまった夏休み中に、夢玉プロジェクトに参加しているお母さんやお子さんとお目にかかる機会が持てる可能性があることは、とても嬉しく、楽しみだ。*昨日、私が訪れた上記のサイトへは↓赤文字のサイト青文字のサイト
2008年05月28日
今の2年生が年中さんの時にKちゃんのお母さんから、W君のお母さんが、遊んでいるだけのレッスンをやってて意味があるのかしら、と言っていたと教えてくれた。私の教室では指導理念的にフラッシュカードを繰り返し使用して単語やフレーズを機械的に覚え込ませるといった指導は行っていない。年中さんは、幼稚園でやっているような、アクティビティでレッスンは構成されているので、だいたい歌、お遊戯、TPR、図画工作、読み聞かせといった内容だ。ところがお勉強園に通うW君のお母さんには、そのレッスンが遊んでいるだけ、だと感じたらしい。年中のクラスは、子ども参加型で、お母さんは、時々ドアから中の様子を覗きながら、ロビーで待っているので、講師がどのような語りかけをしているかが聞こえない。私は、担当講師にW君のお母さんを教室に入れるように指示をした。たとえば、絵を描いていれば、教室の外からはお絵かきとしか見えないだろうが、青と赤を足すと紫になる、とか、○と□と△を使って絵を描くように指示したり、描いた物について英語で言わせるなどのアウトプットを行っている。TPRにしても、飛んだり跳ねたりしているだけ、と見られがちだが、これにも本来は4段階のステップがあり、最終的には、手を洗う、うがいをする、料理するといった動作の手順を、アウトプットさせていく。We are going to wash our hands.Let's turn on the water.Pick up the soap.Wash our hands.Put the soap down.Rinse your hands …といった具合にどんどん長くつなげていく。TPRは聴力能力をつけてから、口頭練習に移行するもので、幼児の言語習得の原理である理解優先法だ。歌やチャンツにもオリジナルにはない続きを勝手につけ発展させていく。そしてこのような講師とのアクティビティを通してわかった、できた、という自信を積み重ねていくことが数年後に自分のために学ぶという姿勢に繋がっていくと考える。4月に開講した1年生のクラスは、メインテキストを始める6月までの2ヶ月間は、ウォームアップ期間と位置づけ英語に親しませ、歌の暗唱をさせながら、6月からの暗唱の家庭学習への下地を作っていく。このウォームアップ期間の指導項目の一つとして数の導入があり、毎週5~10分間は数を扱う。1週目は、ドットを描いて数の概念を入れ、1~7までの数字をインプットした後、いくつかの動作を入れたTPRを組み込んだ seven stepsを1~7の数字で歌う。週ごとに、だんだんと発展させていき、6週目の先週で20までのインプットとアウトプットが終了し、英語で足し算の問題を出し合った。来週は引き算をやる予定だ。教えているのは数だが、数以外の英語を口にしている方が遙かに多い。しかし教室の外から見ていれば、よほど気をつけて聞いていない限り歌詞は違っていても同じ歌を歌い、踊っているようにしか見えないと思う。遊んでいるようなレッスン、と言われても仕方がない。でも実際は、遊んではいないし、同じことをやっているわけではない。数週間同じことを、同じレベルで広がることなくやっているのは、英語で遊んでいるだけのレッスンと言ってもいいだろう。遊んでいるようなレッスンなのか、遊んでいるだけのレッスンなのかをよく見極めて欲しいと思う。蛇足だがメインテキストでも数を扱っているページがありこの1年生のクラスの生徒は、9月に1~100までの数字と1/2、1/4、単位を学習する。その時は、1/2や1/4を教える為に小さなケーキを買い、ミリリットルを教える為にジュースを測ってコップに入れ、レッスンの最後にケーキを実際に切って食べ、測ってコップに入れたジュースを飲む文字通り美味しいアクティビティが待っている。単位の概念が育っている、理解できる、年長さんや1年生には、十分英語で楽しめるので、夏休みのおやつの時間に、家庭でも取り入れてみてはいかがだろうか?
2008年05月27日
昨年の秋、他区に住む私の友人から、同居している小5の甥っ子の事で相談があると電話を貰った。甥っ子は、大手進学教室で常にトップクラスで、志望校も国立を狙って学習していた。ところが、風邪から気管支炎を併発し、2週間塾を休んでしまった後、様子が一変し、塾に行く事を嫌がるようになった。何とか説得して行かせ、本人も机に向かっているのだが、成績は下がる一方。とうとうクラスも下から数えた方が早くなってしまい、塾に行かなくなってしまった。母親である彼女の妹は、病気入院中で、甥っ子の面倒は、彼女が見ているが、独身の彼女には、どうしていいのかわからないという。その子の様子と気持ちを確かめる為に彼女の家へと向かった。彼女と話しをしていると、学校から甥っ子のA君が帰ってきた。真面目な几帳面タイプ「こんにちは、お邪魔してます。」「彼女は、私の友達。」「ケーキ持ってきたから、一緒に食べない?」彼は不安そうに叔母である私の友人の顔を見た。「一緒にいただきましょうよ。ね。」「うん。手を洗ってくるよ。」かなり元気がないというか覇気がない。しばらく、ケーキを食べながら世間話をした後、友人が本題を振った。「ねぇ、このオバさん英語の先生なのよ」「塾の?」「どうして塾の先生だと思ったの?学校の先生には見えない?」「…だっておもしろいもん。」「おもしろい、か。確かに真面目じゃないよね。 A君の塾の先生もおもしろいって感じなの?」「学校の先生より面白いよ。でも今は塾に行ってないんだ。」「どうして?」「ついていけなくなっちゃったんだ。ダメなんだ僕」「自分でどうしてついていけなくなったかわかる?」「病気で休んじゃったから。先生の話がわからなくなって、 わかろう、わかろう、と思って一生懸命やってわかったと思っても、 テストができてなくて…ダメになっちゃったんだ僕」話しながら、涙ぐんでいる。「ダメになるわけないよ。そう思い込んでいるだけ。」「でも、テストだって…」「ねぇ、テスト受けてる時に、ダメだったらどうしよう、どうしよう、って 思わなかった?」「うん。」「それって、気持ちが問題に向かってないよね?そういう時はいい結果が出ない。 ただそれだけのこと。」「そうなの?」「だからA君がダメになったわけじゃない。」「でも、もう勉強が遅れちゃったし、 今のクラスじゃ○○(志望校)に行けない。」「そう思っているんだったら、まだ受験までに時間があるんだから、 病気で休む前のところまで戻ればいいじゃない?」「どうやって?」A君の顔が明るくなった。「簡単よ。塾を変えればいいの。塾は、1つだけじゃないよ。 A君が休んでしまったところからやってくれる塾を探して通えばいいじゃない。 それで、また前の塾に戻りたいと思ったら、 お父さんと相談して戻ればいいじゃない。 このまま家にいたって、何も始まらないよ。」「叔母さん、今日お父さんが帰ってきたら、塾の事相談してみる。」彼は、翌日個別を併設している準大手の進学塾の門を叩き、2ヶ月ほどで、元の偏差値に戻ったと連絡がった。そして昨日、友人から電話があり、A君が私に話したいことがあると言う。「先生、僕ね、先週前の塾のテストを受けて、元のクラスに戻れたんだ。 入試が終わったら、英語習いに先生の教室に行ってもいい?」「それは、嬉しいけれど、残念ながらダメ。」「どうして?」「だってA君の家から、私の教室は遠いから。 往復に2時間かかる人は、その時間を学校の勉強や部活に 有意義に使って欲しいから入れてないの。 でも夏期講習や、冬期講習にはいつでもおいでね。 先生も楽しみにしてる。」「ありがとう、先生。僕、がんばるよ。」A君のように自分にプレッシャーをかけてしまう真面目な几帳面タイプがスランプに陥ってしまったら、成績でクラスが変わるような、競争型の塾は精神的な負担が大きく出来ない自分を責め、追い込んでいき、いい方向へは向かわない。安心してゼロに戻れるような育成型の環境に変えてあげることが必要だと思う。精神的なものに大きく左右されてしまう年齢だからこそ、点数や偏差値など結果に一喜一憂するだけでなく、結果の中に見える子どもの気持ちのサインに気づいてあげて欲しいと思う。
2008年05月26日
今、フィンランド式教育が注目されている。なぜ、フィンランドの教育が注目されるようになったかと言うとOECD(経済協力開発機構)が15歳の生徒(日本は高1)を対象に読解力、数学的応用力、科学的応用力について3年毎に行うPISA - Programme for International Student Assessmentという国際学力到達度調査で、フィンランドが全教科で上位を独占したからだ。そして下位になった日本の学力低下が叫ばれるようになった。このテストで日本の成績が下位なのは、テスト項目をみれば当たり前だと思う。学力低下などという問題ではなく、日本の小学校では、自由に自分の考えを表現をする方法についての指導はほんど行われておらず、自分の考えを表現するという能力は育ちにくい。典型的な問題が、落書き問題だ。落書きは、芸術だからしてもかまわない、という意見と落書きは、他人に迷惑だからしてはいけない、という意見が書かれていて、どちらの意見に賛成か、その理由とともに書けという問題だ。日本では、落書きはしてはいけないこと、ということが常識となり価値観として統一されているから、なんで、ダメなのかを考えたこともなくダメなものはダメ。でしょ。になってしまう。ところが、この問題が一番問いたい力は、自分と違った価値観の人に、自分の価値観をどう伝えていくかというコミュニケーション力だ。私の教室では、要約力と伝える力を伸ばす為の国語のレッスンを一部のクラスで行っている。そのレッスンで、生徒に今、困ったな、と思っていることを聞き手に理解できるように、話しなさい。というアクティビティをやった時のことある生徒が、進級に伴って担任が替わり、クラスの規則が増えて困っている、という話しをした。担任の先生が作った規則は、消しゴムは白、色つき香つきのものはダメ鉛筆は5本と赤と青の鉛筆かペン、その他の色はダメというものがあり、私がどうして5本なの?6本じゃダメなの?と尋ねて、初めてどうして5本なのだろう。という考えになった。このクラスに参加している生徒は2名が同じ小学校の異学年だが、クラスの規則は若干異なり、もう一人の生徒のクラスは鉛筆の本数の指定はない。他の学校に通う生徒は、同じように鉛筆の本数の指定はあるが、誰もなぜ、鉛筆の本数の指定があるのかは、先生から聞いたことがないという。ダメなものはダメと受け入れる土壌なのだ。そこから、なぜ5本なのか、という事について考え意見を出し合い、その中の一人の生徒が、翌日担任にどうして鉛筆の本数の制限があるのか?と尋ねたら、5本あれば十分足りるでしょ。という答えが返ってきたという。フィンランドのある保育園の一日の時間割に「座っての活動」という時間があり「詩の朗読」を行っているという。詩を読む楽しみは、読み手が、自分の価値観で自由な解釈をするところにある。初等教育段階での文学教育で、感想や価値観を他人と比較することを主眼としているフィンランドらしい取り組みだと思う。自分の感想を発表していくことで、価値観を比較し、他人と同じ部分、違う部分があるということを経験しながら育つ。国語の問題集で、詩を取り上げ、作者の気持ちがどのような気持ちでこの詩を書いたかを選択肢の中から選べ、などという問題があったり、「月とウサギ」という話を残酷な話しだから、園児にしないでくれと言う幼稚園。日本とフィンランド、教育の根底にあるものが違うのだと思う。
2008年05月25日
私の教室の幼児、小学生クラスの定員は6名、最低開講人数は4名だ。原則的に同学年、1学年上は、事前に教室に来てもらってその子の生まれ月と性格によって受け入れるかどうかを決めている。既に今年の1月に、未就園児クラス(親の取り組み方を主とした勉強会)の持ち上がりの年少クラスを開講したのだが、生徒の妹で空き待ちをしていた年少と幼稚園入園後に問い合わせをいただいた方などを対象に2つ目の年少クラスを6月に開講することにしていた。昨日は、その新しい年少クラスの参加者を対象とした体験レッスンがあった。体験レッスンは、私たちのレッスンを実際に体験して入るかどうかを決めていただくものだが、私たち教室サイドにとっても体験レッスンの時の子どもやお母さんの様子で受け入れるかどうかを決める場でもある。講師や他の参加者をぶったりして手を出す子どもレッスン中に子どもがうろうろ動き回り、教室の備品をいたずらしてもただ、じっと見ているだけのお母さんの場合は受け入れをお断りしている。このクラスへの参加者は、1年生の生徒の妹が2名、年中クラスのお母さんの紹介者が1名メールで問い合わせをいただいた方が1名の計4名。昨日のレッスンには、そのうちの生徒の妹が1名と問い合わせをいただいた初めてお目にかかるお母さんと子どもが参加した。生徒の妹は、お姉ちゃんのレッスンの時にいつも教室に連れてこられているのだが、昨日は、いつもと様子が違い、今日は私が主役よ!と言わんばかりにハロ~、と大きな声でドアを開けて嬉しそうに入ってきた。少し遅れて、初めての子がお母さんに手をひかれて興味津々の顔で入ってきた。こういう好奇心一杯の子は、積極的にレッスンに参加する可能性が高い。「Hello」と声をかけるとお母さんの後に回りはにかんだ笑顔を見せながら小さな声で「はろ~」と返事をした。常にお姉ちゃん、お兄ちゃんの暗唱の家庭学習のCDの英語を聞いている(聞こえてくる)という英語環境が備わり、自然と英語耳が育っている2名の生徒の妹たちがいるクラスに家庭での英語環境が備わっていない子が入ってくると一人だけ英語耳が育っておらず、聞き取れず、できない、とその子の性格によってはコンプレックスを持ってしまうケースもあり、心配していたので、この彼女の小さな「ハロ~」は私を少しほっとさせてくれた。体験レッスンは、歌、お遊戯、TPR、絵本の読み聞かせで構成されている。最初の歌では、表情が硬かった初めての子も2曲目の歌になったら、口をもぐもぐ動かして歌おうとしている。ひょっとして家で英語をやっているのかな?と思えた。TPRでもぴょんぴょん跳ね、お母さんわかったよ、と本当に嬉しそうに参加していた。英語耳が育っている可能性が見えた。体験レッスンの終了後、お母さんに指導方針などを説明しながら、お母さんの考え方などをお聞きした。やはり初めて教室にいらしたお母さんは、親子英語サークルで学んだ取り組みを少しづつ家庭で行っていて、英語の歌のCDやDVDも見せていると言う。「やはり家でやるのとは、反応が違いますね。」お友達と一緒にやるのも楽しいし、何より、外国人講師の言っていることがわかった、という楽しさがあったのだと思う。このお母さんは、私の教室に来る前に3つの教室を体験したが、すべて、年少さんから年長さんが一緒にいて、怖がってクラスに入ることもできない教室もあったと言う。年長の兄が一緒に入れると聞いて、いいかとも思ったが、妹の様子を見てやはり無理だと感じたと言う。そして、どの英語教室も教室が狭く、危険だと感じたという。私の教室は、身体を動かすことの多いTPRの指導を行う時は、他の生徒や窓や壁に接触するリスクを減らす為に、必ず30畳以上ある広い教室を使用する。生徒の快適と安全の確保がもっとも大切だと考えているからだ。レベル別クラス編成も、学習の快適さを求めたものだし、広い教室、ロビーも安全を確保する為に作った。「やっぱり姉の言うとおり、先生のところがこのエリアでは一番なんですね。 レッスンや、教室を見て納得しました。」「お姉さんのお子さんにも通っていただいているのでしょうか?」近くに住む実のお姉さんは、何も調べずに自分の子どもを通っていた幼稚園の教室を借りてやっている準大手の英語教室に入れ、中学2年生まで通わせたが、中学での英語の成績もふるわず、私の教室の評判を聞いて、私の教室に通わせなかったことを、とても後悔した。だからあなたは、子どもを私の教室に行かせなさい、と言ったそうだ。以前も、床屋さんに勧められて、と見学にいらして入会した方がいた。生徒のデーターを調べても床屋さんをやっている親御さんはいない。どこの床屋さんなんだろう?とスタッフ全員が不思議に思っていたら夫がニコニコ顔で散髪から帰ってきた。「わかったよ。その床屋さんは、J君Y君Uちゃんのお爺ちゃんの友達だったんだよ」いつも夫が散髪に行っていた床屋さんのママさんが店を閉めてしまい、紹介されてその日に初めて行った床屋が、実は、私の教室を勧めてくれたその床屋さんだったと言う。散髪中、今日は仕事休み?と尋ねられ、いや、近くの英語教室で働いているから今日も、終わってから仕事。と答えるとお客さん○○(私の教室の名前)で働いているの(一応肩書きは社長なのだが…)このあたりで英語教室と言えば○○だよね。私の友人の孫たちも3人全員お世話になってるんだよ。この間も、お客さんから孫が英語教室に行きたいと言ってるって言われたんで、勧めといたんだ。私の教室は、生徒の親御さん、卒業生や、卒業生の親御さんだけではなくこのように地域の人々にも支えられている。ただただ、感謝するばかりだ。地域に根づいた教室を作りたいと考えて16年前に産声をあげた私の教室が少しづつその根を広げ始めてきたことは、とても嬉しい。
2008年05月24日
今日は絵本の読み聞かせの方法について私も絵本を使って暗唱させる場合は、外山節子先生の絵本指導法をベースに指導を進めている。*絵本の選び方外山先生の選び方のポイントは下記の4つ1.英語の量2.テーマ・内容 子どもの興味のある対象から選択する3.色・イラスト4.本のサイズ・仕様 仕掛け絵本などこの中で一番気をつけなければならないのは、英語の量だ。文字の全くない絵本は、絵本を読み聞かせの教材として使う場合は、読み手の英語力と力量が重要になるので、1ページに2~3行程度の英文が入っている絵本が扱い易いとされている。又、行数だけでなく、同じ単語やパターンの繰り返しに注目し繰り返しが多く、実際の単語数が少ないものでもボリュームがあるので子どもにわかった、という満足感を与えるので、お薦めだ。そして絵本には英語が母国語の子どもたちのために制作された絵本と英語が母国語でない子どものために制作されたESL/EFL絵本がありESL絵本の方が、単語数、構文の難易度が対象の子どものレベルに設定してあるので、選びやすい。*指導法私は、絵本を使って指導する時は次の3点に注意している。1.読む週の前のレッスンなどで、絵本に出てくる単語をインプットし ある程度内容をイメージできる状態を作ってから読む。2.最初は、音声CDを流しながらページをめくり、最後まで聞かせる。 次に、英語なのにわかったと思わせるように、イメージしやすいように 声色や、身振り手振りを交えて、読む。3. 絵本をつかってインプットした語彙や多く出てくるフレーズを使う アクティビティをレッスンの中で行う。この1 pre-reading、2 read-along、3 follow-upという3段階のステップは外山先生の絵本指導法の組み立て方だ。そして1回のレッスンで15~20分絵本のレッスンをするなら、一冊の絵本を2ヶ月使用、というのが目安だとされている。私は、夏休みや冬休みの課題として物語りの暗唱を出し、休み明けに一人づつ暗唱させるので、レッスンで一部を一人づつ交代に読ませるような指導はしていないが、外山先生は、言える単語一つからCDに合わせて読むことを始め、テキスト全部を声に出して読むまで続ける、という指導を提案されている。これはすなわち、暗唱につながるプロセスと考えられる。*外山先生が提案する絵本指導のレベルを上げるために効果的な取り組み1.多くの絵本を指導者自身が読み(親子英語の場合は、お母さん) 子供と一緒に読みたい、と思えるものを見つける。2.指導する前に、何度も声に出して読んで練習する。 絵本の英語は、単純に見えるが、作者が練って、そぎ落とした洗練されたもの なので、事前に辞書を引いて発音や意味を確認する。 又、ライミング(韻を踏んだ文)が多いので、読むときにライミングを強調し 子どもたちが英語のリズムを感じるようにする。 音声CDが付いている場合は、CDを最大限活用する。3.長期的なレッスンプランをたてる 一冊の絵本を何度も使い、単語を文脈のなかで体験できるようにする。4.全部わからなくてもいい。 全部英語で読んでわかるのか、という心配を捨て、この絵本で英語を 体験させようと考える。子どもは絵から情報を読み取る能力に優れている。5.子供のアウトプットに注目する。 数回読んでいるうちに、子どもが自然に口にする英語に注目し、 その英語を別の状況で使うようにアプローチをする。6.繰り返し読む 忘れたころに、もう一度読み、自分で読みたいという気持ちを芽生えさせる。高校2年生の生徒が、小1の生徒が、はらぺこ青虫を暗唱しているのを聞いて、「あ、俺もまだ覚えているよ」と言って全文を完璧に。朗読の音声教材通りの英語で暗唱した。彼の頭の中には、、絵本が現れ、暗唱しながら頭の中の絵本のページをめくっているかのようだった。「名文を暗唱することは、名文が一生自分の中に入り込んでいること。」という斎藤 孝先生の言葉は、日本語に限ったことではなく英語でも同じだと思う。日本語でも英語でも絵本を、音声CDを利用しての聴き聞かせ?や読み聞かせを、積極的に取り入れてしてあげて欲しい。
2008年05月23日
夢玉おせっかいプロジェクトに寄せられる親子英語に取り組むお母さんたちのメールから読み聞かせに悩んでいるお母さんが多いことを知った。今日と明日で読み聞かせについて書いてみたいと思う。ネイティブのようなきれいな発音に我が子をしたいから講師は、ネイティブ、でなければダメだと言いインド人やフィリピン人の先生は、発音に問題があると言う(このようなお母さんが指すネイティブはアメリカ、オーストラリア、カナダ、イギリス人限定でアジア系は除かれる。)しかし自分で子どもに英語で語りかけをして、英語の絵本の読み聞かせをするお母さん。私から見えれば、とても矛盾している取り組みだ。ネイティブの英語に触れる時間とお母さんの英語に触れる時間どちらが長いのだろうか?そしてネイティブのような、と言ってもどの国の人を差しているのだろう。ある親子英語に取り組むお母さん向けの勉強会のサイトにお母さんが英語に自信がなくても、発音など気にせずに…というくだりがあったが、英語を楽しむ為、英語の壁を取り除くという目的には、私も大賛成だ。しかし、これらのサイトには肝心なことが記載されていない。お母さんの英語の語りかけ、読み聞かせで英語を習得すれば、お母さんの発音の影響が子どもの英語に見られるようになる、ということだ。カリフォルニアで生まれ、育った日系人が話す英語でさえその姿を見ずに、話す言葉だけを聞いても日系人とわかる、と音声学の講義できいたことがある。どんなに努力しても、日本人が話している、とわかるということだ。私は、ネイティブのような発音に拘る必要はない、と考えているが、同時に相手が聞きやすい、理解しやすい発音で話せた方が、betterであると考えているので、私たち日本人講師の発音より、良い発音である、外国人講師や音声教材から発音を習得させるようにし、日本人講師の英語は極力リピートさせないように気をつけている。それでも、Thank you.やWhat are you doing? Make a line.など教室で多用する言葉を低学年までの生徒が使っているのを聞くと担当の日本人講師と同じイントネーションで口にしていてあらら…と思うこともしばしば。(苦笑)週に一度でもその語りかけを聞くことで習得してしまった言葉は元の音声と同一化した形でアウトプットされる。アメリカ以外の国に行くと、アメリカ出身?と尋ねられ、アメリカに行くとカリフォルニアから?と言われるほど、私の英語は、アメリカ英語の発音になってしまっている。このように言われる度に、場合によっては居心地が悪く微妙な気持ちになるのだが、私自身は、意識してそのように話しているのではなく自然と身についてしまったことなので仕方がない。これは、小学校4年生から英語を習い始めた時から、指導してもらった講師、友人、生活環境を含め、私が使用していた教材、聞いていた音楽、シャドーイングしていた音声材料、そのすべてがアメリカ英語だった為だ。早期英語講師として働き始めた時に、講師には、教えるべき英語が存在し、偏った地域の発音は、マイナスと言われ発音矯正を含めたteacher's talkを学ぶことになった。音声教材のみを復唱させ、暗唱させ、外国人講師に指導させているのに、私の発音を吸収してしまう生徒を見て、苦労してもteacher's talkを習得しておいてよかったとつくづく思うが、一度身についてしまった発音を変えることは、かなり大変な作業だった。しかしこれは、私が英語を指導する職業だから必要なことで、そうでなければ、どこまで英語で自分の考えを伝えられるかが優先されるべきで相手に正しく理解してもらえる発音であれば、なんら問題はないと考えている。私の弟は、現在ヨーロッパのある国で、ヨーロッパ各国から集まったスタッフと働き、共通語である英語を使って仕事をしている。彼は流暢できれいな英語を話すが、発音は、ネイティブと言われるどの国の人とも違う。○○国人のように話す必要などないのだと思う。ネイティブのようなきれいな発音を、と望むのであれば、ネイティブ並の発音で話しかける自信のあるお母さん以外は、少なくともネイティブによって録音された音声教材より多くの英語を語りかける、読み聞かせで、聞かせるべきではないし、発音より楽しく英語に親しみ、使えるようになって欲しいと考えているなら、家庭でお母さんが子どもにどんどん英語で話しかけ、早い段階でアウトプットさせていくのも効果的な良い方法に違いない。次回は、読み聞かせの方法について
2008年05月22日
昨夜、私の教室の日本人講師が、「私が担当している4月に開講した小1のクラスのお母さんたちは、歌の暗唱の宿題について何かおっしゃていらっしゃいますか?」と、聞いてきた。「歌の入っているCDを全部通して聞かせればいいのか、 それとも暗唱の課題になっている歌だけを聴かせればいいのか、 と質問はされたけど、その他は別に質問されていないけど、どうかした?」4月から、11人の新1年生が、新しく私の教室で英語を学び始めたが、どのクラスに入っていても、進度は異なるが、皆、同じ宿題、メインテキストに入る前のトレーニング、歌の暗唱だ。2週間で1曲、歌えるようにする。「昨日、Yちゃんのお母さんに4月から習い始めたのに、まだ、英語が話せません、と言われました。」Yちゃんは、お母さん(英語が苦手)が英語教室を探し、お父さん(英語が話せる)に相談をしたところお父さんが、私の教室のHPを読んで、この教室なら通わせていい、と決め、私の教室に入会した。もちろん入会の時には、他のお母さんと同じように、担当講師から英語を話すようになる過程についての説明を聞いている。社交的なお母さんであれば、同じ時間帯にロビーにいる先輩ママたちにいろいろと話しを聞けるのだろうが、Yちゃんのお母さんは、自分からいろいろ尋ねられるタイプではない。Yちゃんの為にお母さんには、プロセスと指導法を理解してもらわなければならない。急遽、昨年の10月から4月に入会した生徒のお母さん方を集めて父母会を開くことにした。
2008年05月21日
夢玉おせっかいプロジェクトから誕生したサークルプロジェクトは、英語育児、親子英語に取り組んでいる親と子どもの為のサークルを目指しているのでこのところ英語育児、親子英語の取り組み方について調べたり、夢玉おせっかいプロジェクトに参加しているお母さんに教えてもらいながら英語育児・親子英語に取り組む親御さんの考え方を勉強している。英語育児・親子英語に取り組む親御さんで、外国人講師には子供を習わせる価値があるけれど、教室でやるようなことは自分が教えるので、教室に通う必要はない、と考えている親御さんと私たち講師や教室にお子さんを預ける親御さんとは、まったく違った考え方で、英語学習について考え取り組んでいるということを知った。そして、自分で教えようと考える親御さんには、英語が苦手な人が多く講師や教室に子供を委ねるのは、どちらかの親御さんが英語に堪能というケースが多いことも特徴的だ。前者の親御さんの多くが、子どもの英語が上達する為に必要なのは、自分の英語力と考え、自身の英語力を磨くことに熱心だが実際に指導している私は、子ども自身の気持ちを、「英語は楽しい」から、「自分の為に英語を学習する」にしていくことだと、考えている。同じレッスンを見ても、両者で受け取り方が全く異なり見えるものが違うのだと思う。一口に英語子育て、親子英語に取り組んでいる親と子を対象にすると言ってもいろいろな親御さんがいるなか、継続が難しいと言われているサークルを長く続けていく為には、まず、明確な指導理念、指導方法を提示し、親御さんのコンセンサスを得ることが大切ではないかと思う。現在サークルに参加されている方、過去にしていらした方実際にサークルを主催されている方のお話やそしてこんなサークルだったら参加したいというご意見などをお聞かせいただき、参考にさせて頂きたいと思っております。どうぞ宜しくお願いいたします。
2008年05月20日
昨夜、すいすいと教室に帰りついた私に、他区に住む知人から都合のよい時だけでいいから、息子の英語の勉強を見て欲しいという電話があった。彼女の息子は大学まである私立中学の3年生。大学も超難関校ではないが、MARCHといわれる大学の一校だ。今年になって、このまま高校へ進学するのではなく、受験をして都立のトップ高へ行きたいと言い出し、秋から、地域の公立中学へ転校し高校受験をすることにしたので、家庭教師をお願いできないかという電話を先週貰っていた。「4年生からの3年間を受験勉強で、やりたいことを我慢して せっかく入った中学なのに、どうして公立中に転校してまで 都立のトップ高に行きたいの? 下手したら、そのまま進学できる高校より低いレベルの 学校にしか入れなくなるかもしれないのに。」もちろん息子が高校を受験したいと言い出した時に彼女は猛反対したし、1年半近く中だるみしていたのだから目標の高校に合格できない可能性の方が大きいと何度も説いて諦めさせようとしたと言う。しかし、息子は、理由も言わずにただ、高校受験をさせてくれと言ってきかない。そこで、彼女は、夫に理由をきいてくれるように頼み、日曜日の夕食後、理由によっては受験を考えると切り出した。その時、息子はこう言ったという。昨年の夏に、偶然、小学校時代の友人にレンタルビデオ店で出会い、どうしてるのか、という話しになりその友人が、都立のトップ高を目指し、有名進学塾に通っていると知った。小学校時代に自分より成績が悪かった友人が自分が進学する高校より偏差値の高い高校に行く。その事が彼の闘争心に火をつけたのだ。そして、その学校のことを調べるうちに自分もその学校に入りたいと思うようになった。たとえ失敗して、今の学校より偏差値が低い学校に行く事になったとしても自分で選んで行く学校だし、また大学受験でがんばりたい。しかし、たくさんお金を使って入って、通わせてもらっている学校を辞めたいとはなかなか言い出せなかったようだ。膨れあがるお受験ブームの向こう側には、エスカレーターを降りて自分の足で歩きたい、という気持ちが生まれ受験に再チャレンジする子どもたちの存在がある。中学校の3年間で、肉体的にも精神的にも著しい成長を見せる男の子たち。子どもによっては、中学受験が時期尚早というケースや成長に従って学校が合わなくなる可能性がある。みんなが受験するから、うちも、は、決して将来においてよい選択をした、とは言えくなる可能性が大きい。56前後の私立の中高一貫校に進学した子どもたちが外部の高校を受験するケースが多いというのも中学入学後に大きく成長した子どもが多いという証のように思えてならない。中高一貫校からの外部受験・高校受験情報掲示板来年、都立のトップ高に通う高3の生徒が長年の夢である医者になる為に国立の医学部を受験するなど自分の教室の受験生で手一杯の状態で、とても彼をみてあげる余裕がない。模擬テストの結果を見て、勉強の仕方をアドバイスをするという形で彼の選択を応援することにした。
2008年05月19日
昨日、今日と2日間で、年中さんから英語学習を始めた小2にPhonixを習得させる研修が、笑い声あり、涙あり、今終了した。12時間で、聞いてわかる単語を読めるようにするという内容なのだが、8時間ほどで全員が、音と文字の関係が理解でき、長い単語でも理解している単語であれば、読めるようになったことは生徒によって習得差が出やすいだけに嬉しい。暗誦のトレーニングで習得している語彙量が多いこともこの生徒達の習得の早さに関係しているだろう。規則性を理解しやすい4年生以上の生徒と違って集中力にも限りがあり、机の前に座ってPhonixのプリントをやらせるだけでは難しい。飽きさせず、歌あり、踊りあり、いろいろな角度から繰り返し音と文字のインプット、アウトプットを繰り返して、規則性の定着を待つ。他の学年の生徒もセンテンス読みの為にこの研修に参加しているので、家の中で大声で音を出させるわけにもいかず、近くの海岸までphonixの歌?を歌いながら歩き、海岸では、見えるものがどのアルファベットで始まるかというゲームをやった。そこは2年生、プールに水たまりがあれば、のぞき込み、ブイが落ちていれば、ついているフジツボに触り、What's this?カニが見えれば、カニの穴を探し始めて、Where is his house?脱線ばかりで、なかなか進まない。しかし、この脱線、寄り道がとても大切だ。大人違って明確な目的や時期に向かって英語を学習するのではない早期英語教育の利点は、寄り道をしながらいろいろなことが学べることだと考える。親子英語に取り組んでいるお母さんにも英語だけ学習させるのではなく、子供の興味を広げるようにアプローチをしてもっと寄り道をさせることを楽しんで欲しいと思う。これから掃除をさせて、東京に帰ります。道路が混んでいませんように
2008年05月18日
幼稚園の園長をやっている私の友人が、最近、人の話を聞けない、配布物をきちんと読めないお母さんが多くて困ると、よくこぼす。父母会で話したことを、出席していたにも係わらず、後で「聞いてません」と恥ずかし気もなく言うお母さん。遠足での持ち物をプリントにして直接お母さんに配布しているにもかかわらず、「知りませんでした。」と平然と言うお母さん。クラスの半数以上のお母さんが、そう言うのであれば、話し方、書き方に問題があるのだろうが、「聞いていない」「知りません」とトラブルになるのはいつも決まったお母さんだと言う。残念ながら私の教室にもそんなお母さんがいる。実は、昨夜もそのお母さんにクラスの時間が変更になる連絡をしたところ、3月中旬にそのクラスに1時間以上かかる生徒の入会が決まった時点で、クラスの開始時間が30分遅くなる可能性があると他の講師が電話で直接伝えて了承を得ていたにも係わらず、「遅くなるんですかぁ。そんな話し聞いてません」と案の定言い出した。先月も新学期から教室のバスの迎えの時間が変更になり、前の週に新しい時間で迎えに行っているにもかかわらず、お母さんが、忘れていてお迎えに来ない、と電話をしてきたので「先週も新しい時間でお迎えに伺いましたが」と言うと「私じゃなくて、お爺ちゃんですよね。私は知りませんでした。」と自分は悪くない、と言わんばかりで会話が成り立たない。こういうお母さんと信頼関係を築くのは難しい。トラブルを回避する為に、こちらも最低限の接点しか持たないようになる。すなわち、必要最低限のおつき合いにとどめるようになるという事だ。教室での様子など、他の生徒のお母さんには、さっと連絡できても信頼関係が築けないお母さんには、きちんと理解してもらえずにトラブルになると嫌だな、という気持ちが先立つ。失うのは、講師の信頼だけではない。このお母さんは、配布物にも目を通さず、申込期日が過ぎても返事がないので、こちらから連絡すれば、見ていません。という返事。何度かこのような事が続いた為、担当講師は、確認の連絡をするのを止めた。案の定、申込期日までに申込書類が提出されず、3年生の子どもは、イベントに参加できなくなった。「先生、僕は、お母さんにちゃんと手紙(プリント)を渡してるよ」どんな気持ちで子どもは、担当講師にそう言ったのだろうか。泊まりがけの研修には、持ち物などを記載したプリントが配布される。小学校低学年の場合、持ち物を用意するのはお母さんの仕事だ。カレーを食べるので、深めのお皿を持参、と指示が書いてあるのに、食べにくい平坦なお皿を持たせたり、コップとして使用するので、水筒はコップ付のもの、と書いてあるのに、直飲みタイプのコップなしのものを持たせてくる。よく読まないのか、まぁ大丈夫だろう、先生がなんとかしてくれるだろう、と考えているのかはわからないが、困るのは、子どもだ。「うちのお母さんて!」となる。第1日目の昼食は、持参と書かれているにもかかわらず、持たせるのを忘れ(?)てくるお母さんやこのお金で先生におにぎりを買ってもらいなさい、と子どもに言うお母さんもいる。中学生になれば、コンビニでお弁当を買う「買弁」の子が増えて別に恥ずかしくも、惨めでもないが、自分以外の子どもがお母さんの色とりどりの手作りお弁当(たとえほとんどが冷凍食品であっても)を広げて食べている中で一人だけコンビニのおにぎりを食べる小学校低学年の我が子の気持ちを考えてあげないのだろうかと思う。(前回の研修でもおべんとうを持ってこない生徒がいたのだが、 その子のお弁当を買いに行くという講師を生徒が止め、 みんながその生徒の為にお弁当を少しづつ分けて、 みんなで一緒に食べたという微笑ましい報告を受けた) 私たち講師と信頼関係を築いているお母さんは、やむをえない理由でお弁当が作れない場合前日までに私たちに、相談の連絡を入れてくる。相談してくれることで、私たちが、その子のお弁当を作り、出発前にその子に持たせることができる。その子もお母さんのお弁当じゃなくて寂しいかもしれないが、少なくとも惨めな思いをしなくて済むし、お母さんと子どもの信頼関係も損なわない。親自身は全く意識していなくとも、子どもには、親が毎日の生活なのなかで、何気なく見せている行動やものの考え方をモデルにして自分を作っていくという面があると言われている。そして、子どもの信頼を失うのも、得るのも、日々の何気ない第3者への親の行動や、言動、ものの考え方が大きく係わり将来の親子関係が日々構築されていくのだと思う。
2008年05月16日
夢玉おせっかいプロジェクトお役に立てていると思われるケース、そうでないと思われるケースもあり期待はずれだった方には、本当に申し訳ないと思っています。子どもの実反応が見られない状態で、アドバイスすることの難しさを痛感しています。そんな試行錯誤状態で進んでいる夢玉プロジェクトですが、通わせたい教室がないのだから、自分と同じように親子英語に取り組んでいるお母さんと子どもたちが学べる環境を作りたい。と、一人のお母さんからサークルを立ち上げたいとの話しが飛び出しました。具体的な会場はまだ決まっていませんが、エリアとしては、横浜市青葉区で検討されています。親子英語を実践されていらっしゃるお母さんで興味がおありになる方は、是非、メッセージをお送りいただきたいと思います。そして実際にサークルを運営されている方から設立や運営についてアドバイスをいただければと思っています。どうぞ宜しくお願いいたします。英語学習を通して一緒に遊び、学ぶ喜びを与えてあげたい3歳になるまでは、体調も集中力も十分ではないので、教室に通うより、家で機嫌のよい時を見計らって英語のDVDを見せたり、読み聞かせ、聞き流しに取りくんでいた方が効果的だ。教室に通うよりも、親子英語で英語に親しむことがよい時期だと言える。しかし、熱心に親子英語に取り組んだ為に3歳になって英語を習わせたいと思っても通いたい英語教室が見つからない、という現実もある。特に年齢毎に英語以外の能力が大きく異なる幼児では、年齢を考慮せずに習得レベルだけでは、編入させることはできないのも選択範囲を狭めている原因の一つだと言える。私の教室でも、文字を読めるようになっている年少さんを受け入れられるクラスはない。レベルが下のクラスでもかまわないと言われてもグループレッスンである以上、レベル違いの子を入れるということはその子だけが、がまんすればいいというものではないからだ。幼い時から親子英語で英語に取り組んでいる幼児のレベルに合うクラスがある英語教室は、本当に僅かだろうし、今は合っても、家庭での取り組みによって習得度がどんどん異なってくるので数年後、そのクラスが合うかどうかはわからない。もちろん決まり文句的なインプット、アウトプット主体のレッスンを行っていくのであれば、生徒のレベル差はあまり問題にならないが、果たしてそれが効果的なレッスンと言えるのかどうかという疑問も生じる。結局、割り切ってグループレッスンを選択するか英語の習得のみを考えてプライベートを選択するかになってしまう。しかし同じように親子英語に取り組んでいるお母さんでサークルを始めれば、習得レベルの範囲や、指導方針などが事前にすり合わせができるし、子どもの英語への姿勢もある程度同じだと考えられるので、週1回しか英語に触れていない子どもに悩まされることもない。一緒に遊ぶことでさまざまなことを学んでいく幼児期だからこそ英語学習を通して仲間と学ぶ楽しさを、教えてあげたい、と考えている私は、このサークル設立の話しに飛び乗った。そしてラッキーな事に、このプロジェクトに参加している同じ年齢の子どもをお持ちのお母さんが比較的近くに住んでいらっしゃったので、声をかけさせていただいた。孤軍奮闘していたお母さんがこのブログで出会い、新し取り組みを始めること、そして、そのお手伝いができることは、とても嬉しい。生徒集め、教室の確保と外国人の手配など、まだまだクリアしなければ問題は沢山あるが、できる限りのお手伝いをさせていただいてなんとか実現にこぎつけたいと思っている。
2008年05月15日
杉並区立和田中学校で行われている「夜スペ」という選抜された成績優秀者のみが受講できた夜間塾が今期から希望者全員が受講できるようになったと報道された。当初掲げていた「ふきこぼれ対策」は、どこへ行ったのだろうか?杉並区立和田中学、進学塾と提携-夜間塾問題を検証する私個人としては、学校でのこのような取り組みは賛成していないが、落ちこぼれ対策が優先される為に公立中学の授業の内容が低下している現実も深刻なのである。私は、以前のブログにも書いているように中学受験にも、一長一短があり、賛成でも反対でもない。しかし親御さんにお願いして、中学受験を勧めるケースがある。以前ブログで紹介した、私の教室で誰もが秀才と認める女の子Sちゃんも中学受験を勧めた一人だ。Sちゃんの両親は、東京の出身ではなく、お父さんも塾や予備校の世話にならず難関国立大学に入られたこともあり勉強は、自分でするものだ、という家庭で、中学受験は、まったく考えていらっしゃらなかった。Sちゃんに尋ねても、みんなと同じ中学に行きたい、との返事。そんなおり、私の教室でバイトをしている教室の卒業生のMが彼女の母校であり、Sちゃんが進学する予定の□中学校に教育実習に行くことになった。2週目に入りMは、中学2年生に助動詞のwillを教えることになり、私の教室で使っている問題集通りに、willは未来を表す為に使う助動詞で後ろに続く動詞は原形…とレッスンプランに書いて担当教諭に提出したところ、「こうゆう塾のような教え方しても、 生徒はわからないから、説明しないでIt will be~と教えなさい」と言われたと不満気な顔をして私の教室に顔を出した。わからない、と言ってもクラス全員がわからないわけではないだろう。落ちこぼれている生徒だけを指導対象と考えできる生徒は切り捨てられている。この先生は、区内でも画期的な授業をすると有名な先生で他校の先生もこの先生の授業を参考にしようと見学に来る程らしい。塾に行っている子は、塾で習っているのだから、塾に行けない落ちこぼれている子に、英語の楽しさを教える授業。書くことよりも、興味を惹きやすいオーラルに重点を置いて、文法説明などの板書はほとんどせず、ひたすら教科書をコーラスリーディングするというものらしい。どこが画期的なのか、私にはさっぱりわからないが、こんな授業では、塾に行けず学校だけが頼りのできる子は推薦で高校に入れたとしても、高校の英語の授業についていけない。落ちこぼれるのは、塾に行けないからという理由だけではないはずだ。なぜ、努力しないで落ちこぼれた生徒に手がさしのべられて努力する、できる生徒が切り捨てられるのかが、私には理解できない。なんと理不尽なことだろう。もちろん区内には、すばらしい授業をしている評判のいい公立中学もある。私の教室の生徒達は、区内のいろいろな中学に通っているので、生徒のノート、定期テストなどから、先生が、どのような授業をしているかが推察できる。その学校差、先生差には、驚くばかりである。そして、公立中学の先生には異動がある。校長先生が替われば、学校の雰囲気や取り組みも変わるし、よい先生が、翌年もその学校にいるかどうかわからない。都立の中高一貫校の人気が高まる理由は、このあたりにあるのあだろう。しかし、都立の中高一貫校も皆同じではない。校長先生の考え方が、校風だけではなく、入試に濃く反映され、点数だけでは合否の判断が、つきにくい。塾の説明を鵜呑みにするのではなく、お母さんがまず学校が主催する説明会に足を運び学校の特色を見極めることが大切だと思う。「Sちゃん、本当に□中学に行くんですか?」Mが心配そうに聞いてきた。勉強は塾でやればいい、と考えている親御さんとは違うSちゃんの家庭環境を考えるとこのような考えの先生たちが多い□中学に、純粋に学びの場として中学に期待を持っているSちゃんを通わせるのことにMも不安があったのだろう。翌日私は、Mちゃんのお母さんに、都立の中高一貫校の受験を考えて下さるように電話をし、塾に行っていないから、落ちるかもしれないと不安がるSちゃんに塾に通わずに合格した先輩もいるし英語という自己PRポイントもあるから、チャレンジしてみようと勧めた。模試などを受けていないので、試験慣れという点で心配はあったが、見事合格した。2極分化してしまった生徒たちに対して両方を満足させる授業を行ことには無理がある。しかし、和田中学の「夜スペ」と落ちこぼれ対策の「ドテラ」はふきこぼれている、できる子は、「夜スペ」で塾の先生と勉強しなさい落ちこぼれて、できない子は「土曜寺子屋」で学校の先生と勉強しなさい。と塾を学校に持ち込み、レベルの高い勉強は塾の先生に教えてもらいなさいと、学校が自ら認めたと思えてならない。
2008年05月14日
昨日は、小5の生徒から「先生、英語で言うのが楽しいの」という言葉を聞き、とても嬉しい一日になった。年中から私の教室や他の教室で英語を習い始め、小1から英文の暗誦をやってきたSとAのカリキュラムで学ぶ4、5年生が今、ノリノリだ。ノリノリの理由は、昨年の秋から文法シラバスを導入し、規則性を学ぶ合宿を経て、自分の考えを英語で伝える言語産出活動が始まったからだ。もちろんまだ始まったばかりだし母語でのコミュニケーション能力も高くないので、英語も稚拙な表現しかできないが、自分の伝えたいことを英語で伝えられる喜びを知った生徒たちは一つの表現方法を覚えると、それを使って、自分の頭に浮かんだイメージをいくつもアウトプットしようとする。パターンプラクティスなど必要ない。もともと私は、フラッシュカードやパターンを使ってのイメージがない状態でのインプットは好きではない。レッスンでも、単語カードをゲームに使う程度だ。いくつ単語を知っている、言えるということは幼児期には、大切なことだと考えておらず、イメージを作る、ふくらませていく力をつけることを心がけて指導しているのだが、数年後に週に1回のレッスンで、このように伝えようという意志を持った言葉があふれ出てくる状態になるとは、思っていなかった。本当に嬉しい。生徒達にも話したが、暗誦の家庭学習に対してのお母さん方の家庭での励まし、協力がなければ、今の習得はあり得ないし、将来の到達レベルも違ったものになるだろう。長年、辛抱強く見守っていただいた、親御さん方には感謝するばかりだ。小学生の生徒への文法シラバスの導入は、長年行っているが、導入時期、指導方法は、導入時の生徒の習得度によって大きく異なる為に、導入後数年が経った生徒たちの習得度を見ながら常にもっといい時期、指導法があるのではないかと毎年マイナーチェンジを繰り返している大きな課題だ。中学生に文法を導入するように、知識として公式形式でインプットする方法を用いていないので、習得度が測りづらかったのだが、このクラスの生徒達が、導入から半年で、今までの同時期の生徒達と比べて遙かに活発な言語産出活動を始めたことは、今後取り組みを進めていく上で大きな座標となった。「英語が楽しい」から「英語で言うのが楽しい」と言い始めたこのクラスの生徒達は、間違いなく数年後私に新しいカリキュラムを書かせることになるだろう。どのようなカリキュラムを私に書かせてくれるのか今から、とても楽しみだ。
2008年05月13日
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今日は、昨日読んだ本について書きたいと思う。早期英語教育にモノ申す英語さえ話せればという究極の子どもに対しての将来の選択をし子どもの未来を狭めてしまっていることに気がつかない英語コンプレックスの親の増加にも警鐘を鳴らしたいと、あとがきにも書かれているようにこの本はこのブログと同じ観点で書かれている部分も多いが、リサーチしたデータを用いて教育ジャーナリスト、母親?として著者の考えを述べているものであり、専門的な知識に基づいて書かれているものではない。リサーチされたデータや、自身の経験、実際にプリスクールやインターナショナルスクールに子供を通わせていたお母さんたちの言葉や、DWE購入者の経験が綴られていて問題点が伝わり易くなっている反面指導者ではなく、教育ジャーナリスト、子育てアドバイザーの知識で書かれている為に臨界期と早期教育の関係や未就学児に英語を習わせる場合は、「英語ができる子」ではなくて、「英語が好きな子」になるように心がけることが必要、英語が好きな子という前提で考れば、時期が早いからいい、遅いから手遅れ、ということはない。英語コンプレックスの両親が早期英語教育をさせたがるもの、と結論づけているなど、著者の早期英語教育への理解が十分でないと感じざるを得ない部分も。早期英語教育=幼い時に英語を話せるようにする、ということではない。将来英語が話せる、使えるようになるように幼いときに優れている能力を使ってトレーニングを開始するということだ。この著者がモノ申す相手は、早期英語教育ではなくて、早期英語教育ブームであるべきだ。はっきり言ってタイトルほどの衝撃的な内容ではないし、最後に著者自身が4月から始めた塾について書かれているなど考えようによっては、早期英語教育ブームに便乗したとも感じられるが、用いられているデータは一読の価値がある。これから親子英語に取り組もうと考えているお母さんや、インターナショナルスクールやプリスクールに関心のあるお母さんは機会があれば、本屋さんや図書館で目を通してみてはいかがだろうか。
2008年05月12日

このチワワ(2歳♀)は、私の飼い犬ではない。「飽きたから、他の犬がいい」と言い出した我が子に「命があるのだから最後まで責任を持たなければダメ」と言えなかった母親この倫理観が欠如した恥ずかしい親子に飼育放棄をされ、現在、ボランティアに新しい飼い主、里親を探してもらっている可哀想な犬だ。急成長を続けるペット産業。私が東京で暮らしているマンションの隣のペットショップも週末や休日は、家族連れで大賑わいだ。しかし、そんな光景の裏側には、薬殺処分をして貰う為に自分のペットを保健所に持ち込む大勢の飼い主の姿がある。そして、そんな人間の恥じるべき身勝手で殺されてしまうペットや捨てられてしまったペットを人として救わなければと考える人たちが作った代表的なサイトが犬猫の里親さがし「いつでも里親募集中」ペットショップや保健所へ行く前に時間があれば、是非見ていただきたい。実は、現在飼っている2匹の猫のうちの一匹は、昨年の12月にこのサイトで出会い、我が家に迎えた。ペットはぬいぐるみではない。餌も食べれば、糞もするし、病気にもなる。だから可愛いと思えければ、とても飼えない。そしてペットは飼い主を選べない。命を引き受けたら、その命を全うするまで責任を持つ。ペットの飼い主を見る澄んだ瞳は、飼い主である人間の倫理観を確認しているのではないだろうか。
2008年05月11日
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昨日、授業前の時間をやりくりして、やっとの思いで日記を書きあげ更新したら、思いもよらない突然のメンテナンスの画面が現れイヤ~な予感がしたら、やっぱり更新できておらず原稿も消えてしまっていた22時すぎまで授業をやって、自宅に帰りついたのが23時過ぎ書き直す気力が残っておらず、更新を諦めてしまいました…「聞き流し、読み流しで終わらせるのは、もったいない - 音読と暗誦」5月7日の日記にも書いたが、言語産出活動を豊かにする為には、左脳の働きが活発になり分析されるまでに右脳に決まり文句的なフレーズや語彙をたくさん蓄積しておくことが必要だ。音声教材を使っての聞き流しや、幼い時に読み方を教え、多読による読み流しに取り組んでいるお母さんは多いと思う。聞き流しや多読、読み流しも成果がみられる有効な習得方法だと思うが、私には、聞き流して、読み流して終わりというのは、実にもったいないと感じる。私の教室のカリキュラムは、到達レベル別にS、A~Eまで6つあり、SとA~Dは、メイン教材は同じものを使用しているが進度や家庭学習(宿題)など使用方法が異なっている。SとAのカリキュラムの家庭学習は、文字なしの状態での暗誦があるがBとCは音読のみとなっている。取り組み出して2年後くらいから、暗誦をしている生徒と音読をしている生徒では、習得に大きな違いがみられるようになる。先日、このブログでも紹介した斎藤 孝先生のちびまる子ちゃんの音読暗誦教室にもこう書かれている。音読で脳は活性化するし、その効果もだいぶみんなに知れわたってきた。でも、実は、「音読」が「暗誦」に至るかどうかが大きな分かれ道だと思っているんですね、私は。暗誦できる、つまり記憶しているっていうのは、名文が一生自分の中に入り込んでること。「何となく知っている」とか「あ、読んだことあったな」と「今、ここでいえる!」じゃ、まったく違う。たとえば、「前にプールでバチャバチャやったことがある」と「泳げる」は違いますよね。泳ぎを身体で覚えているっていうのは、泳ぎが自分の「技」になってること。これと同じように最高のものを反復練習することによって、美しいリズムやテンポが自然と身に付き、最高の技、生涯の宝になる。それが、暗誦の力なのです。確かに暗誦は根気のいる作業で、私の生徒達も低学年までは、家庭でのお母さんの見守りがないとなかなか一人では、取り組めない。それだけに、できるようになった時の喜びも大きく、学習効果も高い。繰り返し音読して暗唱させていくことと文字のない状態で絵だけで英文をイメージしながら、くり返し聞きながら暗唱していくこととどちらが子どもの年齢に有効な学習方法なのかを考えて欲しいと思う。まとまった英文を聞き取る力は、どうがんばっても臨界期を境に落ち始めるのだ。私が早すぎる文字の導入に賛成できない大きな理由はここにある。最初から物語などを暗誦させるのではなく、公園などで親子や兄弟で英語の歌を手遊びをしながら歌えるように幼児の時から暗唱に慣れ親しませていくことから楽しみながら始めることをお勧めする。
2008年05月10日
年少さんの生徒は、この時期お疲れモードだ。家族以外の人と長時間(実際は、4時間程度だが)過ごすことで、身体も心もぐったりとしている。そのせいで小さな病気をしたり、赤ちゃんがえりをしたり、お母さんは、5月末まで気を揉むことも多いと思う。しかし、大人でも5月病という言葉があるくらいなのだから、どっしりと構え、時には抱きしめエネルギーをチャージして送り出してあげて欲しいと思う。幼児期は、同じクラスの仲間や、出来事などを通して他者の考え方や、気持ちを知り、自分なりに理解し、判断する力が芽生える大切な時期だ。悪いことをしたら、ごめんなさいと言ういうことは2歳までに理解し、2歳の時には、罪悪感を理解し始めそして年長さんになるあたりから、善悪の判断を伴う自己コントロール力が育っていることが見受けられる。この自己コントロール力は、罪悪感と道徳心が発達している証拠であり他者との係わりや出来事から学ぶことだ。子どもがおもちゃの取り合いをしていると止めなさい、○○ちゃんに返して、ごめんなさいを言いなさい。と無理に謝らせたり、けんかに介入して成敗したりするお母さんがいる。これでは、親の言いなりになっているだけで、道徳的行動に必要な、道徳的判断力や心情が育たずに謝ればいいんでしょ、という言葉や態度を見せる道徳性のない子どもになってしまう。失敗や葛藤を乗り越えることによって、道徳的判断力や心情は育っていく。これは、ダメ、あれはダメと行動を強制するのではなくなぜ、その行為が社会的に許されないかを体験する機会ととらえ、子供の発達や体験から、なぜ、その行動がよくないかどうしたらいいのかを、子ども自身に考えられるようにかかわるという親のスタンスが大切だと思う。私の教室でも、幼児や小学生の生徒たちが、些細なことで言い争いになった時は、私たち講師が、すぐにどちらが良い、悪いを決めるのではなく原因と理由を尋ね、対処の仕方を導いたり、教えたりして結論は、自分たちで出させている。もちろんレッスンを中断して、クラス全員に考えさせ、最後に当事者に、クラスのメンバーにも授業を中断させてしまったことを謝るようにし向ける。そうすることによって、集団の中では、自己コントロールをしないと、他の人に迷惑をかけることになることを他のメンバーにも学ばせる。頭ごなしにしかりつけ、ごめんなさいと言わせるのではなく、しっかりと目を見て、なぜ、いけないのかどうすればよかったのかを、じっくりと一緒に考える。こうゆう些細な積み重ねが、誰かがダメと言ったという「他律」から自分で行動の善悪を判断する「自律」へと変化させ将来、道徳的行動が取れる人になるかどうかを決めるのだと考える。それにしても0歳から6歳までは、外国語である英語より大切なことを実に多く学ぶ時期なのだとつくづく思う。
2008年05月08日
ゴールデンウィークは、いかがお過ごしでしたでしょうか?行楽地はどこも凄い人出だったようですが、南房総も同様で、太平洋岸の観光スポットは、大混雑だったそうです。今年は、来客もあり、あまりのんびりと過ごせませんでした。その上、昨日の最終日が晴れだったので、来客用の布団干し、シーツの洗濯、部屋の掃除と優雅なお休みとはほど遠いものでした《聞き流し、掛け流しでは、英語を話せるようにならない?》夢玉おせっかいプロジェクトに寄せられたメールや親子英語を卒業(辞めた)お母さん方のブログに聞き流し、掛け流しをしたけれど、簡単な受け答えしかできるようにならず結局、英語を話せるようにならなかったと、書かれていることが多い。英語を話せる、と言ってもその基準そのものが至極曖昧で、どのくらい話せることを言っているのか疑問だが、自分の考えを外国語である英語で表現できる、ということだと判断しよう。以前のブログでも、夢玉おせっかいプロジェクトに参加している方への返信でもお伝えしているが、自分の考えを英語で表現できるようになるには、英語の規則性の習得、文法理解が必要になる。6歳ごろまでは、右脳の働きが活発で歌、会話、チャンツ、物語などで耳にする発話を言葉をかたまりとして習得する能力に優れ規則性(文法)にとらわれない、決まり文句的な表現として習得し発話する。これを利用した習得法が、多量の英文の聞き流し、掛け流しだ。聞き流し、掛け流しによって蓄積された決まり文句的な表現が左脳に送られ、分析されて言語体系化されると言われている。すなわち、分析がなされてこそ、新しい文を作る文法能力が形成されることになる。このことは、母語である日本語の習得に置き換えてみると理解していただき易いと思う。そして、これこそが聞き流し、掛け流しでは、簡単な受け答えしかできないというお母さんたちの言葉から読み取れる決まり文句的な表現に止まっている要因だと考えられる。規則性に気がつかせ、理解させることが自分の考えを英語で表現できる、という言語産出能力の育成には、不可欠だと考え、私の教室では、幼児期からテキストの暗誦、チャンツ、歌、劇、ゲームなどでインプットされている語彙、フレーズを使って文法能力を形成する指導法や文法シラバスの導入を行っている。聞き流し、掛け流し、多読による学習は、言語産出能力を豊かにする為に、多量に英語のインプットが行える効果的な学習方法だ。決して、無駄ではないし、決まり文句的な簡単な会話ができるということは、順調に成果を上げているということなのだから左脳での「分析」が蓄積され、規則性の理解が可能になる9歳ごろまで諦めずに続けて欲しい。そして指導経験上、母語である日本語の文法能力に乏しい子は、英語においても、文法力の習得は難しいと言える。質の高い日本語のインプットも、忘れずに行って欲しいと思う。
2008年05月07日
ご訪問ありがとうございます。6日までブログをお休みさせていただいています。夢玉おせっかいプロジェクトのお返事も7日以降になります事をご了承下さい。7日は、「聞き流し、掛け流しでは、英語は話せるようにならない?」です。よいゴールデンウィークをお過ごし下さい。夢
2008年05月03日

夢玉おせっかいプロジェクト 進行中です。まだプリントアウトしていないメールも、たくさんあります…お子さんの状況と、家庭での取り組みをお母さんが考える、達成地点を文字だけで状況を判断しなければならずかなり難しいです。どこまで状況が正確に判断できているかどうかわかりませんが、メールのやりとりを通して、取り組みのアドバイス、指導方法をお教えしています。私の方法が気に入っていただければ、取り入れてもらい今後その成果を聞きながら、2年程度のカリキュラムを書いてみたいと思っています。そういう訳で、お答えするのにお時間がかかる場合もありますが、お許し下さい。孤軍奮闘しているお母さんは、情報が簡単に手に入るようになった為にまるで、さまざまな情報の波に流されながら、正しい場所かどうかわからないゴールを目指して位置確認もできないまま、暗闇の中を子供の手をひきながら、必死に進んでいるようだ。その熱心さには、頭が下がる。私も今まで自分の教室で教えることではわからなかったことを孤軍奮闘しているお母さんに教えていただいている。学んだことを、このブログに反映することで、少しでも楽しく早期英語教育に取り組んでもらえればと願うばかりである。そして、本当に通える範囲に英語教室や英語サークルが全くない、という場所に住んでいる子どもの為にお母さんにアクティビティをお教えしたい、と思い始めた。幼児期にTPRやお遊戯など体感的に英語を使うことは学ぶことは英語を楽しく学べるだけではなく、さまざまな形で、その後の学習に結びつけることができる。この機会が地理的な条件で持てないことは、とても可哀想なことだ。1回のレッスンで、習った方法を広げていっていただければ、1年は使っていただけると思うが、実際に教える場を作るとなると、時間や距離的、金銭的な問題もある。でも、育児サークルなどからリクエストがあれば、是非、前向きに検討していきたいと思っている。そして昨夜、このブログの4月29日の日記に寄せられたコメント。やり取りに時間差があったので、コメント欄がチャット状態になってしまっているが、私としては、Garagoさんのコメントが英語育児に取り組んでいるお母さんにものすごくいいアドバイスを与えてくれているように思える。もちろん私にとっても、とても勉強になった。私は、Garagoさんの今までの経験を私の生徒達に、話していただきたいと強く思っている。コメントにも書いたが、私の教室にも韓国、中国、フィリピン、インドネシア、ボリビアなど両親のどちらかが、外国籍、両親ともに外国籍から日本籍を取得したという生徒がいるが、生徒間では、そのことは、問題にされていない。どちらかと言えば、二つのカルチャーを持ち両親の里帰りに外国に行くその生徒達を羨ましくさえ思っている。しかし、Garagoさんのコメントを読んで、やはり、同一民族、同一言語の長い歴史を持つ民族の悪い面が根底にあるのかな、と思った。「いろいろな色があるから美しい。お互いの色を認め、吸収することで、互いに美しく輝ける。」これは、私の教室の指導理念であり、私の願いでもある。Garagoさん、このブログの全日記をお読みいただき、そして、最初の日記にとても嬉しいコメントを書き込んでいただき、本当にありがとうございます。ご訪問、コメントをお待ちしています。ブログで苦労したこともあったし、しんどい時もありますが、いろいろな方と出会えて(実際には会ってないけど)今は、とても楽しいです。
2008年05月02日
昨日の続き…Mちゃんは、W君とは別の大手進学教室に2年間通い、御三家より少し下の□を第一志望校としていた。合格判定テストの結果も上々、物怖じしない本番に強いタイプだったので、私も内心、合格を確信していた。ところが、まさかの不合格。発表の翌日、私の教室に来たMちゃんは、「先生、何で落ちちゃったのかなぁ」と本人も納得がいかないのか、いつもの明るい笑顔が見られず可哀想だった。ところが、翌週、明るい顔で表れ、「先生、私、合格した学校には行かないで 公立の中学で一生懸命勉強して□より偏差値のいい高校に行く! 英語もがんばるから。」□は、高校からの募集はしていないので、高校の偏差値は公表されていないのだが…「それでこそ M。そうだね、高校受験には英語があるから、有利だね。」この日からMちゃんの、負けるもんかパワーが炸裂!近区の評判の高い公立中学に越境入学し3年間、部活でも活躍し、成績も常に学年トップ3の位置をキープ。結局、都立の上位校に推薦で合格し、難関私立大学へと進学、弁護士を目指している。今年も、第一志望以外の私立中学に合格しても高校で再度その学校にチャレンジしたいと合格している中学には行かなかった生徒がいる。合格しても行かない、という生徒たちには、共通点がある。それは、どうして、その学校に行きたいか、というしっかりとした意志を自分で持って受験に臨んでいる。そして、その裏には、志望校選択の時期に、どうしても行きたい学校でなければ、行かせない。と、親御さんがはっきりと子供に伝えていることだ。合格できる「行ける」学校選びではなく、しっかり動機付けされた「学びたい」学校選びが合格後の中だるみを産まない鍵なのかもしれないと思う。高校受験、大学受験を経験することで、大きく成長していく生徒達を見ていると受験は、決してマイナス面だけではないと思う。果たして、受験をしなくていい、という選択が本当に子供にとってプラスの選択なのだろうか。正しいか、間違っていたのか、答えのない選択だからこそ難しい。しかし、再チャレンジする機会がないわけではない。子供の成長に応じて、柔軟に対応する道を示してあげる事も親御さんにしか、できないことだと思う。
2008年05月01日
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