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年中さんのお子さんを持つお母さんから、フラッシュカードを使って語彙を増やすことに抵抗があるが、使った方が今後学習を進めていく上で、よいのでしょうか?という質問をメールで受けた。私は、場面シラバスで学んでいる8歳までは、ただ知っている語彙を増やすようなフラッシュカードによる語彙の習得より、使う場面、状況ごと覚える能力を活かして使える語彙を増やすような取り組みをするべきだと考えている。数年前になるが、年中さんの生徒が家族でハワイ旅行に行った際タクシーのドライバーに行き先をつげられずガイドブックを探そうとカバンをまさぐっているお父さんにWhat are you doing? と言って、ドライバーが笑い出したという話をお母さんから聞いた。これは、レッスン中に、レッスンに集中せず、こそこそと挙動不審な動きをしている生徒に講師がWhat are you doing?と声をかけるのを聞いて、その状況ごと覚え、その時のお父さんの状況が、彼女にその状況を思い出させ、ハワイという英語が溢れる環境に英語モードになっていた彼女の口からWhat are you doing? と出たもので、きっと、少し眉を寄せて、何やってるの。という口調で言ったものだから、ドライバーが笑い出したに違いない(^^;;ゲームをやっている最中に順番を抜かされそうになった生徒がIt's my turn. と叫んだり、レッスンが終わるとキャンディを貰う為にMake a line.騒いでいて、Be quiet. と言われた生徒は、誰かが、うるさくしているとBe quiet.と言う(笑)場面や状況とともに習得した言語は、その状況になるとすぐに口から飛び出てくる。特に幼児クラスでは、言葉の意味と使われる場面や状況のイメージも一緒にを覚えさせる、lightとheavy 重いという単語を理解させる為に、電話帳と薄い絵本を持たせれば、An elephant is heavy.などとすぐに口から出てくる。実際に甘いキャンディー、酸っぱいキャンディー、塩味のおせんべ、辛いポテトチップを食べさせてsweet、sour、hot、saltyを覚えさせれば、カレーを食べた時には、It's hot.と口にする。体感させ、体得させると言った方がふさわしいかもしれない。カードを使った方が短時間でたくさん覚えられるかもしれないが、それは、覚えなければならない時にやればいいのであって、幼児期には、自分に対する指示が理解でき、それを他人にも伝えられ自分への問いかけに対する考えや気持ちが言えればいいと考えるのであれば、習得のペースは遅いかもしれないが、絵本の読み聞かせや暗誦、歌で耳にしたり口にした英語を場面や状況に応じて理解させることにより使える語彙にしていくことの方が何より英語を使う楽しさ、伝わる喜びを知ることができて、今後学習を進めていく上で、有効なのではないかと思う。幼児であっても英検取得を目指しているのであれば、語彙数が合格、不合格を決めるといっても過言ではないのでフラッシュカードを使って知っている語彙数を増やすことは有効な学習法と言えるだろうし、9歳以上で英語を始める場合も、短期間で語彙を増やすことができ有効だろう。英語で言える語彙を増やして、理解できる英文を増やしたいのか、使える語彙を増やして、英語を使う喜びと楽しさを学ばせたいのか、習得目的によって、学習法や指導法は異なる。そして、この体感させながら語彙を増やす機会は、実は教室よりも家庭の方が作りやすい。是非、この夏休みにチャレンジしていただきたいと思う。ブログのカウンターが30,000を越えていました。この拙いブログをいつもお読みいただき、ありがとうございます。皆様の声を励みに、これからも教室での出来事や経験をこのブログを通して発信していきたいと思っております。どうぞ宜しくお願いいたします。
2008年07月29日
読み聞かせをしても、読めるようにならない。早く一人で読めるようにならないと読解力がつかない。このような話を聞いたり、読んだりしたことはないだろうか?ただ読み聞かせをしても、読めるようにはならない、と、私も思う。(読めるようにする取り組みを読み聞かせに加えれば、 読めるようになる)しかし読めるようにする為に読み聞かせをしているのなら、上記の言葉に心配にならなければならないが、読み聞かせの目的は、感受性を養い、自分でも読んでみたい、と思わせることなのだから気にすることはないのではないだろうか。早く一人で読めるようにならないと読解力がつかない、は一見、なるほど、と考えがちだが、読解力に必要なのは、感受性と読書量だ。我が子が小学校高学年になり読解力に乏しいことがわかったお母さんから「文字を読み始めたのは、早かったんですけどねぇ」という言葉をよく聞く。いくら早く文字を読み始めても、感受性を育てられておらず、乏しい子どもは、本を読むことに興味を示さず読書量は少なくなる。一方、読み始めの時期が遅くても、感受性豊かに育てられ、本を読むことに興味を示す子どもは、貪るように本を読み、読書量は多くなる。読み始めの時期と読解力が一致しない理由だ。英語での読み聞かせもそうだ。英語を習得するためだけではなく、内容も楽しませて、味わせてあげて欲しい。同じ文字を読むという行為でも「字面」を「読む」のと内容を読むのとは違う。ただひたすら文字を読ませても書き手の気持ちを感じる感受性がなければ内容を読み取ることはできない。すなわち、読解力は育たない。読み聞かせは、感受性を育てて、本を読むおもしろさ、楽しさを教える読解力の根幹を育てるすばらしい指導法だ。多くのお母さんたちに、自信を持って続けて欲しい。
2008年07月28日
某家庭教師派遣会社のテレビCMで学生だけではなく、プロの家庭教師というものがいます…というセリフを聞いて、ライセンスでもできたのかと、この会社のHPを見たが、プロとプロではない区別は、どうやら合格実績や社会人かどうか、ということのようだ。プロの英語講師とプロではない英語講師はどこで区別されるのだろうか?生業としているかどうかではないと私は思う。プロの仕事とは、いかなる場合でも結果を残すことだと言われている。私もその通りだと思う。数年先に結果を出すためには、数年先の状況がわかっていなければ結果は出せない。指導者は数年後の結果を導く為に、今のレッスンがあると考える。今の状態は、導き出されたものであり、想定の範囲内なのだ。(想像を超える嬉しい結果が導き出される時もあるが)家庭で我が子に教えているお母さんの多くが、今までのレッスンの積み重ねで今の状態があると考えているのとは、真逆である。この差が、さまざまな見解の違いを生んでいるのではないかと思う。先を知っている者は、この先に必要とされる力がわかり今、何を優先して学んでおかなければならないかがわかるが先を知らなければ、それはわからない。正しいか、間違っているということではなく職業上、先の状況を数多く見て知っているというだけことだ。曲がり角の先に崖があると言われても見えなければ、真っ直ぐ進んでいくだろう。でも、あるかもしれない、と注意深く前を見て進めば崖の手前で気づき、止まることができるかもしれない。もしかしたら、人によっては、崖に遭遇しないかもしれない。でも、先が見えている私は、崖があるとわかっている以上、声をかけずにはいられない。プロの英語講師かどうかということより実教室の生徒が自分に自信を持ち幸せに人生を歩んでいける手伝いをすることと、このブログで、一人でも多くの人に気づいてもらえる記事を書くことは、私が英語講師だからできることだ。ここまで来るには、紆余曲折さまざまな出来事があったが、その経験が、誰かのお役に立っているのであれば、とても嬉しい。
2008年07月25日
昨日、夏期講習をしていたら、どやどやと10分後に始まる1年生クラスの生徒とお母さん方が教室にやってきた。いつもは、その時間に私が教室にいることはないので、夏期講習の生徒を教えている私を誰この人?という目でみるお母さんもいれば、ご挨拶をと、生徒の後に並ぶお母さんも。ロビーの片隅で見たことのない4、5年生とおぼしき女の子が本を読んでいた。スタッフに「あの女の子は誰?」と尋ねると「小1のS君のお母さんと一緒に入ってきたので、 S君の小4のお姉さんでしょうか?」私の教室は、ナチュラルアプローチ法を指導法と暗唱による習得法を行っているので、英語学習未経験者の受け入れは、年少と小1の新規開講クラスのみとしている。それも、カリキュラムに沿ったレッスンが始まる前の3ヶ月間しか受け入れていない。昨年は、たまたま塾に依頼されて高学年用の指導法とカリキュラム作成のデーター収集の為に、高学年の生徒3名を受け入れ、特別なクラスを作ったが、もうそのようなクラスを作る予定はない。この事は、生徒のお母さん方にも浸透していて、お友達のお母さんに通いたいと相談されても「ウチの教室は、初めての子は年少と1年しか入れないから」と答えていただいているようで、S君のお母さんも同じクラスのお母さんから、4年生は入れない、とすでに聞いていた。弟が入れて、お姉さんが入れない、考えてようによっては、なんと理不尽な酷い教室だ。子どもにとっては、指導法もへったくれもない。入れてくれない、意地悪な先生だ(笑)気のせいか、時々投げかける視線が冷たい…「お姉さんですか?何年生ですか?」「4年生なんです。入れてやりたいと思ったのですが、 1年生までしか入れないと聞いて…」「すみません。私たちが行っている暗唱を主体とした習得法は、 8歳までの子どもなら受け入れるのは簡単なのですが、 年齢が上がるごとに受け入れることが難しく 学習者に負担がかかってしまうので。 それと、英語の楽しさ面白さで興味を惹くレッスンは どのクラスでも終わってしまっていて、 習得してできる楽しさ、学習する楽しさを学ばせるレッスンへと 進んでいるので、単純な楽しさ、面白さを教えてあげることができないし、 同学年の子は最低でも3年は学んでいるので、 クラスに入った途端に、できないというコンプレックスを この年齢の子どもに持たせてしまうことが嫌なのです。 以前なら、1年ほど駅前のウサギに通っていただいて 楽しさを学んでいただいてから、 私の教室に編入していただくこともできたのですが、 駅前のウサギが閉鎖されてしまったので、 できなくなってしまったのです。 プライベートレッスンを作りたくても 空いている枠がありません。」いつの間にか、女の子がお母さんの隣に立ち話を聞いていた。「ちょうど、S君の暗唱の宿題が始まりますから、 お姉さんにもS君が聞いていない時に テキストを見ながら、CDを聞いて覚えさせてあげて下さい。 それと、中学に入る前にphonixという読みのルールを覚えておけば 綴りを覚えることが簡単になります。 CDを聞いて英語に興味が出るようでしたら、 phonixを指導する時に見学させてあげようと思います。」「いいんですか?」「生徒として教えてあげることはできませんが、 せめて、このくらいのことはさせて下さい。」 後、2年間、S君のCDを聞いて、言葉を覚え 英語が読めるようになっていれば、 中学で困らない程度の習得はできると思います」時として、理想を貫くことは、とても辛い…。帰り際、女の子が私に向けの視線が、やってみる、に変わっていたことが嬉しかった。すぐに教えてあげられなくてごめんね。でも、精一杯応援するから英語を好きになってね、と下駄箱の前で靴を履き替えている彼女に「See you.」と声をかけて、手を振った。
2008年07月24日
今朝から小6から高3までの生徒の夏期講習が始まった。今まで取りこぼしていたところを定着するまで徹底的に行いながら、応用力をつけてレベルアップをはかるので、一人一人習得目標を出させ、個別で指導をしていく。6年生と高校3年生が机を並べて勉強する一見奇妙な光景だが、小学校、中学校、高校という学校の枠を越えて、異学年と一緒に過ごすことは、将来の自分を具体的にイメージできるよい機会でもある。一方幼児や小学生の生徒たちにとっては、夏休みは今までに休んだレッスン分の振替ができ、ゆるみがちになる生活や英語への意識をひきしめる為に通常レッスンは大切で、教室も夏休み、というわけにはいかない。今日も朝10時から夏期講習を始め、通常レッスンの高3を含む高校生のクラスが終わったのが22時半。教えている時は、夢中になっているので感じないが、生徒を送り出して、どっと疲れが…。トホホホ…歳はとりたくないものだ高額な教材で買うより英語教室に通った方がいいのか?について20日の日記に書いたが、何度読み返しても、実に中途半端な内容だ。誤解が生じる可能性すらある。中途半端にしか書けないなら、書くな!と猛反省し、ここに、追記を書かせていただくことにした。20日の日記では、まず習うことの大前提である、第三者(講師)の存在を必要とするか、しないかという点について私の考えをお伝えしたが、高額な教材を買うより英語教室に通った方がいいのか?という質問に答えるのは、この質問自体があまりにも漠然としすぎていて、答えることが、難しい。それは、教材の使い方にもよるし、通う教室にもよる。そして、ただ、決まり文句的なフレーズを覚え状況に合わせてそれらを使う程度のことであれば高額な教材(高額でなくても)を自宅でガイドラインに沿って使い、最後まで子どもとやり通せれば教室に通う必要はないだろう。しかし、そこから上を目指し、効果的に習得させようと思えば、これから先何を学習させることが必要なのかを理解し学習者の習得の特徴に柔軟に対応し習得レベルを上げるという経験を伴った指導力が必要になるので、優れた指導力を持つ先生がいる英語教室に通った方がいい。ということになるからだ。その状況を経験した時に、初めてこういう事だったのだな、と、わかることはとても多い。私も修業時代に聞いた巨匠の話に、「本当にそうなのかな?」と頭では理解できても、納得できなかったことが、経験を積むことで、その状況が見え、理解できたことは数多くある。まだ幼い我が子を前に、この学習方法では、ここまではいいけれど、その先は難しくなりますよ、と言われても納得できないのは、当然かもしれない。将来、そのような状況に直面した時に諦める、止める、という選択肢ではなく、成長に合わせて、新し英語環境を与えるという選択肢の一つである教室で英語を習うということを検討していただければと思う。そしてこれから子どもの英語を始めてみようかと考えている方には、高額な教材を買うか、英語教室に通った方がいいか、という発想ではなく3歳になったら、是非、家庭で教材を使って学ぶことと教室で講師や仲間と学ぶこと、両方を取り入れる為にはどうしたらいいか、ということを考えていただきたいと思う。数年でどのように成長していくか、予測ができない年齢だからこそ高価な教材を買うか、教室に通うか、などと選択肢を狭めるより二つの異なる英語環境で、さまざまなことを経験させてあげることが大切であり、有効なのではないかと私は考える。
2008年07月22日
一口に英語を習わせると言ってもいろいろな形態があり、レッスンがある。それぞれの講師が、経営者が、自分の理想に基づいてレッスンを作り上げていくのだから、違って当然だし、教室の良い、悪いは、受講者や受講者の親すなわちお金を支払う人(客)が決めることだ。英語教室とて客商売、お金を払ってくれる人がいて成り立っている商売である。当然、レッスンに支払う価値があるのか、ないのかによって通う、通わないが決まる。すべては、支払う側の価値観で決まるのだ。親が教えられる、教えられない、教室に通った方がいい、そうではない、という以前の問題として私は、学習には、You的他者である第三者の存在があった方がいいと考えその意味から教室には通うことをお勧めしているが、You的他者、第三者の存在は、我が子の英語習得に必要なし、と考えれば教室に通うことはないと思っている。私は、講師はYou的他者でなければならないと考えている。You的他者とは、わたしを「あなた」と呼んでくれる他者、わたしを「かけがえのないひと」としてくれる人だ。その生徒の「存在」そのものを肯定し、生徒の背景、生徒の主張の根拠、理由、必然性に耳を傾ける他者になる。You的他者である講師は、生徒とともに、文化的実践(THEY世界)を見て、“知”そのものに随伴する「よろこび」、「悲しみ」、「怒り」を「ともにする」(=情緒を“知”から切り離さないで、鑑賞する)存在であり、生徒の「納得」(腑に落ちる=情緒のレベルに響く“知”)を大切にし、本当の世界(未知)への「あこがれ」と「好奇心」を駆り立てる為に存在するというという考えを持って生徒と接している。これは私だけではなく、多くの先生が心に持ち指導に臨んでいることだと思う。もちろん教える人の指導力によって、力のつき方が違うのは当然で、子どもにどのくらいの力をつけたいかで、英語を習わせる、習わせないが決まる場合もあるだろう。私の教室は、教室でしかできないことを教室で家庭でできることは、家庭で、と講師と親御さんとの二人三脚、分業形式で指導しているので、教材を使って家庭だけで学ぶのとは、全く違う体験・学習をさせていると思っているが、そこに月謝を払う価値を感じていただけなければ、通うに値しない教室であることには違いない。しかし、それは私の教室が、その人のニーズ、価値観に合っていなかったただ、それだけのこと。悪い教室ということにはならないはずだ。高価な教材を購入して自宅で学ぶより、教室に通った方がいいかどうかは、その人、その人の状況と価値感で判断すべきこと。としか言いようがない。
2008年07月20日
いつもこのブログをお読みいただいている方の中には、昨日のブログを読んで、夢先生、何書いてるの?、またまた物議をかもすことを、ほら~…、と思われた方もいらっしゃると思う。先日、夢玉教室のお母さんとお会いして8月の勉強会の打ち合わせをした時に、未就園児が英語をやっていることを特別視されるので、英語をやっているとは言えない雰囲気がある。と聞いて、ふと、今年の4月から実教室で学んでいる小1年生のお母さんが、英語をやる、っていうことが特別なことだって思ってて保育園の時は始めようって思わなかったんですよ。今回も○○君のお母さんに誘ってもらって、レッスンを見たら、全然考えていたことと違ったのでびっくりしました。誘って貰ってよかったです。と言っていたのを思い出した。資格試験である英検を、資格など必要のない年齢の子が取得する→特別な教育・英才教育→七田・公文、というイメージができあがる。押し寄せる高価すぎる教材セールスに、そしてこんなものにこんなにお金を出すなんて、特別な人たちがすることまだまだ、子どもの英語=高い教材を買うと思っている人は多い。実際は、このような形で英語をやっている人は少数で未就園児で英語をやっている人の大部分が週に一度、英語サークルや育児サークルに通うか、家庭で市販の教材、DVD、輸入教材、テレビ番組で学んでいるのにもかかわらず、未就園児が英語をやっていることを特別視する風潮を感じ我が子と英語を楽しくやっている人も、やってるとは言えず、表に出さないので、特別視している人は、自分のイメージ以外の形があることを知らない。英語を始めることが、どんどん低年齢化していく中で取り残されていく子どもたち小学校で英語が始まるようになれば、その子たちは、数年後に「私、英語やってなかったから」と今の中学生のように英語コンプレックスを抱えると思うと胸が痛む。小学校でやる英語にコンプレックスを持たない程度であれば、お金をかけなくても、お母さんの気持ちがあれば、未就園の今、時間のあるうちに、親子で楽しみながら、英語に触れるだけで十分効果はあるということを知って欲しいそんな願いを込めて昨日の日記を書いた。未就園児にとっては、お母さんが見せてくれる世界だけしかない。お母さんの視野だけが頼りだ。昨日のブログを読んで、数名のお母さんから問い合わせをいただいた。昨日の日記で、英語という新し可能性の種をお母さんに植えてもらえる子が増えたことはとても嬉しい。
2008年07月18日
高価な教材を買って、家では英語だけで会話をしているそんなイメージで、未就園児が英語をやっていることを「ウチとは違う人たち」と特別視していませんか?確かに幼稚園児で英検○級に合格したとブログに書いているお母さんとにかく英語を話せるようにと週何日も英語教室に通わせているお母さん両親共に英語が苦手な日本人で、日本に住んでいながら日本語より英語が上手な幼児、そんなケースばかりが、雑誌やブログで表に出てくるので、2、3歳から英語をやることを特別なこと、と考えられる方がいらしても無理はないと思います。しかし、そのような方たちばかりではありません。お金をかけずに、その年齢で身につける、経験させることを大切にしながら我が子に英語という新しい可能性を開こうとしているお母さんたちも大勢いらっしゃいます。私を含めそのようなお母さんをサポートしている講師もいます。リトミックやスイミングのようにもっと普通に英語という可能性をお子さんに与えてあげて欲しいのです。今でさえ、中学入学時の英語力の格差が問題になっています。皆さんのお子さん方が、小学校に入学する時の格差は私でも想像ができません。特別な高価な教材を買わなくても、お母さんの英語力がなくてもNHKの英語のテレビ番組を見せる、英語の歌を聴かせる、遊ぶ、そんな英語の時間を毎日の生活で20~30分取り入れるだけで可能性の扉が開きます。この日記を読んで、子どもと一緒に英語をやってみようかな、と思われる方がいらしたらとても嬉しいです。具体的な取り組み方法など、メールでお教えすることもできます。(もちろん無料です)ご興味を持たれた方は、是非、メッセージでご連絡下さい。又、よろしければ、未就園児が英語をやることについてちょっと、と考えられて躊躇していらっしゃる方、お話をお聞かせ下さい。お待ちしております
2008年07月17日
今日、私大付属校の中学3年生の兄と私立の中高一貫校に通う中1の妹の教室での様子と学校での様子をお伝えしたいという面談の希望があり教室へ出かけた。中3のお兄ちゃんは、理解力があり、さほど苦労しなくても、よい成績が取れるにもかかわらず、たるみ続けて2年以上が経ち、そろそろ内部進学が危ないところまで成績が落ち。お母さんは、担任との面談で外部校の受験準備をするようにと言い渡されたという。一方、何度もやらなければ理解できないタイプの妹は、私立の中高一貫校に進み、毎日のようにある小テストの勉強をコツコツと自宅でやっているという。確かに妹は、中学に通うようになって、自発的に勉強するようになっていた。彼女が通う学校は、最初の3週間で、親を含めて、徹底的に6年後の大学受験の話しをし中高でどのように過ごすべきかを明確にイメージできるようにされたという。これは、入学後に起こる、中だるみ防止策だろう。しかし、彼女の場合、勉強するようになったのには、もう一つの理由があった。お母さんが嬉しそうに、彼女の小学校の卒業文集を見せてくれた。目標というタイトルのその作文に、彼女は、小学校4年生の時に向井亜紀さんの体外受精の話しをテレビで見て、深く感動し、同じような女の人を救いたいから、医者になりたいと思った。人の役に立ち喜んで貰える仕事をしたい、と書いていた。学校の中だるみ防止策で、医者になる為には、中学高校でどうするべきなのかを、はっきりとイメージできたから彼女は、自分から進んで勉強をするようになった。家に帰るとお母さんが勉強しろとうるさいから家に帰りたくなくて、学校帰りにゲームセンターに立ち寄り、だらだらと過ごし、何で勉強しなくちゃならないのと言う2歳年上の兄を目標がなくて可哀想だと言う妹お母さんは、大学の付属校に入れたことが失敗だったのではないかと考えておられたが、そうではないと思う。受験前に将来に対しての目標を持っていた妹に対して、他人と自分を比べているうちに、自分の進むべき道を見失ってしまった兄その差が、入学後の二人の学習態度を分けたのだ。みんながするから、という理由で中学受験に走るのは、あまりに安易な、そして危険な選択になりうるということだと思う。
2008年07月16日

昨日は、いただき物のシロクマを4,5,6年生が在籍しているクラスの生徒たちと一緒にいただいた。シロクマと言っても、絶滅の恐れがあるものではなく、東京のスーパーで箱に入って売られているものでもなく、鹿児島からやってきたシロクマだ。もちろんその美味しさにも驚いたが、かき氷の削りたての触感を残しながら、冷凍する技術に感激してしまった。今度は、是非、本場、鹿児島に行って食べてみたいね、と、生徒達と話しが弾んだ。ごちそうさまでしたその後、各自、夏休みの目標を5分間でまとめひとりづつ皆の前で発表をした。皆の発表からこのクラス目標は、1日のスケジュール表と夏休みの宿題の進行表を作り、実際にできたかどうか自己評価をすることに決まった。そしてキィーワードは「計画倒れにならないようにする!」だそうだ。夏休みというと、学校という子どもの生活の殆どを占める部分がなくなり、だらけた生活から、問題行動に走ったりと憂鬱な時期だとおっしゃるお母さん方が多いが、過ごし方によっては、子どもを変えることができる絶好の機会でもある。自分で計画を立て、それを実行させることで挫折、反省、達成という自分力をアップさせる為に欠かせない経験をさせることができる。5年生で、自分で計画を立て、実行し、自分で掲げた目標を達成できるようにしておくことは、自分で自分をコントロールできたという自信につながるので、自己コントロールができずに問題行動をし始める中学2年生までにしておくべきことだと考えている。その為の準備は、小学校低学年から始まる。特に宿題が出る初めても夏休みとなる小学校1年生の過ごし方が重要だ。まず、夏休みが始まる前に、子どもと一緒に夏休みの計画表とお手伝い、テレビを見る時間、ゲームをする時間などのルールを作り、一日の過ごし方を決めて、時間割のようなものを作る。ここで、計画の立て方を学ばせるのだ。ポイントは、余裕を持たせておくこと。一日数時間の自由時間を与えることで、ルールを破らないようにその時間の過ごし方を自分で考え、行動することを学ぶ。そして宿題は、自由研究などのテーマなどのアドバイスを与えたり、その場所へ連れていく、行き方を調べる、低学年であれば、進行を早める為に手助けをするのはいいが、提出日の間際に、終わっていない宿題を家族総出で手伝うようなことはしない。最終的に終わらなければ、やってもらえると思わせることは達成感はおろか、反省から学ぶ機会を奪うことになる。一度でも手伝えば、ずっとそれを期待するようになることを肝に銘じておいていただきたい。提出日に間に合わず、成績に響いたとしても、そのことで学ぶことは、成績以上に大きい。中学年からは、自分で計画を立てさせ、実行させその進行状況を見守る。決して、「何やってるの、全然計画表通り進んでいないじゃないの!」などと、激を飛ばしてはいけない(笑)予定表通りに行動しておらず、計画表通りに進んでいなくてもぐっと我慢して、「どう、大丈夫?達成できそう?」と計画の立て直しを促すようにし、諦めたり、投げ出すことのないように前向きに取り組めるようにしむける。そして最も重要なことは、家庭の生活ペースを乱さないようにお母さん方には、努めていただくことだ。旅行やイベントなどで、一時的に生活ペースが崩れるのは楽しい思い出作りに必要なことだが、それを、元のペースの戻すなど家族の時間をコントロールすることは、お母さんにしかできない。夏休みという長期に学校という枠がない生活だからこそ自主性や探求心を育てやすい。是非、夏休みに子どもの自主性を育て、自分力を向上するための取り組みをしていただきたいと思う。
2008年07月15日
今日は、この暑さの中、テニスの試合に出た。対外的な試合への出場は、2年ぶりだったが、結果は、ベスト8。仲間の足をひっぱらなくてよかった(^^;;試合会場で、顔見知りの選手と雑談していたら、娘さんが、小学校卒業間際の3ヶ月間、イジメによる不登校になったという話しが出た。最初は、朝になると微熱が出たり、お腹が痛いというので、具合が悪いのかと思い、学校を休ませていたが、娘の友達のお母さんから、「娘から、お宅の娘さんが学校でイジメに合っていると聞いたけど 大丈夫?」と電話があり、娘に尋ねたところ、学校でいじめに合っている、と言ったので、すぐに、担任のところに飛んでいき、相談をしたらこんな驚くべき返答が担任から返ってきたという。「お母さん、主犯格の女の子は、 今、たまたまお宅の娘さんを他の子を巻き込んで ターゲットにしているけれど、その前は○○ちゃんだったし その2ヶ月前は△△ちゃんだったから 暫くすれば、次ぎの子に移りますから それまで、我慢させてください。 その女の子は、他の子に指示をしてイジメをさせ 本人は、手を下さないので、叱れないんですよ」お母さんはこの返事に驚き、帰宅したご主人に話したら、ご主人は怒って、「そんな学校に行かせなくてもいい、フリースクールに行かせればいい。」と言い出したという。娘さんは、学校にはいい思い出もあるし、卒業式には出たいと言って、卒業式の2週間前から学校に通い始めた。初日こそ早退してきたが、すでにイジメのターゲットは他の子へと移っていて彼女がイジメられることはなく、無事、卒業式に出席できたという。にわかには信じられない話しだが、一緒に話していた、別の選手も「イジメは先生に相談しても、解決できないのよ」と相槌を打っていた。本当に、こういう先生は特別ではなく、どこの小学校にもいるのだろうか?と、不安になってしまった。
2008年07月13日
午前中、ブログをお読みいただいている方と初めてお会いした。と言うのも、夢玉プロジェクトも参加していただいていたので、話し(メールのやりとりの)の流れで夏休みにお二人が住んでいらっしゃる市で私の教室のスタッフを使って夏休みに勉強会をすることになったからだ。(市の施設を使用するために厳し~い利用規約があり 開催地については、書くことができません。ごめんなさい。)会場の下見がすみ、お子たちを遊ばせながら、当日の内容について打ち合わせをした時に、親子英語に取り組んでいるお母さんたちの悩みや状況について教えていただいた。その中で、やはり気になったのが、英語体験=高価な教材販売、と警戒されることだ。もちろん勉強会当日も教材セールスのかぎりなくグレーなトークについて語らせていただくが、先日、以前このブログでも紹介させていただいたAides先生がブログで臨界期仮説と教材会社のセールストークについて書かれて、私も、そういうトークに慌てて「買います!」と言ってしまうお母さんたちが増えないようにこのブログで声を大(?)にして、私の考えをお伝えしたいと思う。まず、英語教材セールスに欠かすことのできない言葉が臨界期-正式には臨界期仮説(Critical Period Hypothesis)臨界-《理》物理的性質が不連続的に変わる境界。 特に原子炉で核分裂連鎖反応が一定の割合で維持されている状態。なんとなく臨界という言葉に対してイメージがわいただろうか?臨界期、最近では敏感期(sensitive period)という言葉も使われているが学習には、最適期があり、その限度である臨界期を過ぎると学習能力や効率が落ちるとする仮説。そして言語習得の臨界期仮説の根拠となっているものが、幼年期には脳の左右半球が言語に対して同程度の潜在能力を持っているが次第に左半球への一側化が起こり、大脳皮質の柔軟化が低下するというもの。ただ、外国語習得の臨界期については、研究者によってわかれていることは、3歳で英検5級の著者である中村ひろ子さんも書いている。しかし、その後で、従来の研究調査によれば、文法における臨界期が8歳くらい、発音の臨界期はより早く6歳ころにくると言われています。と書いているのである。要するに、外国語習得の臨界期については、いろいろな研究者、学者がいろいろな仮説をたてているけれど正しいとされているものは、一つもないということ。ちなみに私が習った臨界期は、9歳だった。そして、このように習得についての臨界期を語る時には、必ず不可能になるというわけではなく、学習における困難度の問題(きわめて困難になる)と明確に書かれている。ここまで書けばおわかりいただけると思う。0歳児から英語を聞かせつづければ、誰でもバイリンガルになれる、とか6歳までに始めまければ、英語を話せるようにならない、なんていうことは、絶対にない、のだ。このようなセールストークを録音して弁護士に聞かせれば違法性があるのではないか、とさえ思える。落ち着いて考えていただきたい。これってダイエットサプリの広告とそっくりではないだろうか?このサプリメントの主成分である○○○○(学術用語)は胃腸に膜をつくり栄養素だけ吸収し、油分の接種を妨げるので、食べても決して太らないのです。事実の一部のみを伝えることで消費者に過大解釈をさせ購買意欲を煽るトーク。臨界期仮説を発表する研究者たちも自分の学説がこんなふうに教材販売の片棒を担ぐとは思わなかっただろう。ただ、このように書いているが、教材そのものが悪いというわけではない。mixiの夢玉教室でも書いたが、DWEは、とてもよくできている教材だ。もしサンプルを取り寄せて、セールスが家にやってきて、臨界期うんぬんの話しを始めたら「臨界期はまだ仮説で、いろいろな説があるんですよね。 そんな話しより、具体的なこの教材の使い方と他教材に比べて どこが違うのかを説明して欲しい。」と是非、言って欲しい。そしてその説明と価格に納得できたら、購入するべきだと思う。そのセールスマンの給料も教材の値段に含まれているのだからとことん彼、彼女の知識を活用させてもらおう!私は、臨界期よりも左脳の働きが右脳より活発になると言われている8歳を重要視している。分析力が強くなってくる年齢に、まとまった英文を聞いて全体を把握することは難しくなり、ナチュラルアプローチ法が通用しなくなるからだ。しかし、これも個人差があり、ピアノ、バイオリンなどを習っていて音をつかまえる事が上手な生徒は、発音の臨界期とされる6歳を、過ぎて私の教室に通い始めたが音声教材と同じような発音を身につけた。私としては、始まる時期より、取り組み方、そして継続することの方が大切だと考えている。
2008年07月11日
幼児を教えるときに、私が大切にしていることがある。それは、佐伯心理学博士の記述から学んだどの子どもも持っている善くなろうとする力、伸びようとする力を妨げないことだ。子どもは、自ら他社と分かち合う「相互性」を喜びとする。 子どもは、自ら便利、有効、効率「効用性」を追求する 子どもは、自ら美しいものを求め、作りだそうとする。 子どもは、自らものごとの一貫性を自分で納得しようとする。子どもにただ知識を与えようとしたり、特定の能力を身につけさせようとするのでは、子どもの「心」は育たない。子どもが、自らの考えで一貫性をつらぬこうとすること他者との信頼関係を保とうとすること上手になりたい、と試みること美しいものを生み出したいと、子どもなりに思っていることを理解し大切にして励ましてあげること。そして最も大切にしていることが新しい世界と係わる勇気を持たせる為に、小さな自信、「できた」を積み重ねていくことと他人の喜びを喜びとし、他人の悲しみを悲しみ他人の苦しみを苦しむという気持ちの種を心に育てることだ。幼児期にただひたすら見たこともない物の名前使わない言葉を覚えさせるそんな知識優先の取り組みではなく、「心」を「情緒」を育てることを優先しながら行える英語の取り組みを考え、今回のmixi夢玉教室で書いてみた。ご一読いただければと思う。*mixi夢玉教室には、このブログを読んで私の指導、取り組みに共感いただける方であれば、どなたでもご参加いただけますが、公開範囲を友人までにしている為、マイミクの登録が必要です。すでにmixiに登録されていらっしゃる方も簡単な自己紹介(お住まいのエリア、現在の取り組みなど)mixiの登録の有無、連絡先メールアドレスをこのブログのトップページのメッセージを使ってお教え下さい。夢玉教室の招待状をお送りします。
2008年07月10日
夢玉通信の生徒のお母さんから、お子さんの友達関係の相談を受け私は、今から20年ほど前に見た女の子を思い出した。大人の目には、完璧なよい子と映るように演じている「よい子」の素顔に生徒の達の間にただよう不穏な空気を読めない担任は、気がつかない。このような「自作自演のよい子」たちは、クラスメイトに自分に投票するように言って学級委員に立候補し、権力を手に入れ、友達の輪をかき回すことが好きだ。Yちゃん、Aちゃん、Uちゃんという3人の仲良しグループに、「自作自演のよい子」は、「一緒に遊ぼう」と入ってくる。しばらくすると、YちゃんとAちゃんだけに「ねぇ、Uちゃんって自分勝手だよね。 一緒に遊ぶのやめようよ。」と提案する。ここでYちゃん、Aちゃんが、そんなことないよ。と言えればいいのだが、3、4年生という年齢では、そう言える子は少ないらしい。私の生徒の一人は、そのような子のことを、自分がない子と言っていた。自分がない子たちは、なんとなく力のある「自作自演のよい子」にくっつくという図式らしい。今から20年ほど前、大手で修行中の私は、全国の生徒を集めて行う2泊3日のサマーキャンプで「自作自演のよい子」を初めて見た。Iは、グループリーダーとして班を完璧にまとめ、そのグループについた私ともう一人の講師もなかなかやる子だな、という印象を初日が終わるころには持っていた。Iは、当時私が担当していた教室に違う曜日で他の講師が指導していた生徒だった。Iの班には、同じ教室の同じクラスからもう一人Mが参加していた。参加者は、夜寝る前に、その日の感想と反省を書いた日記を書いて班長がまとめて担当講師に提出することになっていた。ところが、Iが集めて持ってきた日記は一冊足りない。「あれ、一冊足りないけど、出していない人がいるんじゃない?」「Mが、まだ終わっていません。」「そう…じゃぁ先生が後で取りに行くね。」30分ほどしてIとM、そして他の女の子4名がいる部屋に行ってみるとMがいない。「Mがいないけど、どこに行ったの?」「トイレに行きました。」「そう、もう消灯だから寝なさいね。」「は~い」彼女たちが早く寝ることがないことは、こちらも百も承知。注意はするが、夜中のおしゃべりも、楽しい思い出の一つだ。部屋から一番近いトイレに、Mの姿はなかった。もう一人の担当講師と手分けしてMを探す。Mは、声をころして泣きながら私たち講師が宿泊している棟のトイレの一つに閉じこもっていた。時折、しゃくりあげる声が聞こえる。「M?どうしたの?出てきて、何があったか話して。」しばらく語りかけると、「…部屋に戻りたくない。」と返事をした。「嫌だったら、戻らなくてもいいよ。」ようやく彼女がトイレから出てきた。「何かあったの?」ともう一人の講師がきくが、答えようとしない。部屋で何かがあったことは確実だ。「先生、とりあえず彼女を私たちの部屋に連れて いってくれますか?」「先生は?」「私たちの部屋に彼女を泊めたのでは、 彼女がこのキャンプで楽しい思い出をつくれなくなりますから。」私は、自分の生徒がいる別のグループの班の部屋をノックした。中から、しっ、早く布団に入って。と声が聞こえてくる。「Rいる?」「あっ夢先生?」ドアを開けてRが出てきた。「大丈夫、寝てないのを怒りに来た訳じゃないから」安堵した顔になる。「実は、ちょっとグループで同室の子とトラブった子がいるんだけど、 あなたのグループに入れてやってくれないかな?」カンのいいRは、「OK。で、その子にいろいろ聞いてもいい?聞かない方がいい?」「任せる。」私は、自分の部屋に戻った。相変わらず、Mはうつむいたままだ。「今から先生は、Mを違うグループにする」きょとんとした顔をするM「いいよね?大丈夫、先生が勝手にあなたのグループを変えるんだから あなたは、誰からも何も言われないよ」Mは頷いた。翌朝、朝食前に体操をするために広場へ移動する途中、Rが寄ってきた。「先生、Iって子、同じ部屋の子たちに Mの裁判をしよう、って言ったんだって。」Mは、東海エリアから参加しているRの班の子と楽しそうに話しながら歩いている。体操が終わり食堂に移動する時、Iが私の側に来た。「Mちゃん、班を変わったんですか? どうしてですか?」「あなたには関係ない。 先生が決めたこと。」憮然とした顔をし目をつり上げたI、本来の顔が見えた。朝食が終わって午前中の外国人講師とのアクティビティが始まった。私の姿を見つけた、Iのグループの生徒が二人、駆け寄ってきた。「先生、Mちゃん、どうしてグループを変わったのですか?」「どうして?気になることがあるの?」二人は顔を見合わせる。「Iちゃんに裁判やろう、って言われて、わたしたち嫌って言わなかったから Mちゃんが部屋を飛び出した…」「そのせいで、私がMのグループを変えたと思っているんだ。」「ちがうんですか?」「ちがうよ。心配しなくても大丈夫。 でも、先生は、あなたたちに嫌って言ってほしかったな。 あなたたちがMちゃんだったら、嫌って言って欲しいでしょ?」「うん。」「だったら言わなくっちゃね。」その日の二人の日記にIちゃんにMちゃんの裁判をやろうと言われて、嫌と言えなかったことを反省する文が書かれていた。Mの日記には、その日の出来事、友達との楽しかった会話などが書かれていて、ほっと胸をなでおろした。最終日の朝、私は、Iを廊下に呼んだ。「何ですか先生?」「I、Iがしたこと、Mが何も言わなくても ちゃんと先生たちはわかっているからね。 もうこういうことは止めなさい。」「先生、私のグループの二人に何か言ったんですか?」「どうしてそういう事を言うの?」「だって昨日からあんまり話してくれなくなったから」「先生には、二人の気持ちはわからないよ。」キャンプから帰った翌日、Iのお母さんからキャンプから泣きながら帰ってきた。先生に虐められたと言っている。どういう講師を雇っているんだ、とクレームがあったから、すぐに電話をして謝罪をするようにと上司から言われた。「私が、Iさんのグループを担当した講師です。 Iさんは、何とおっしゃっていますか?」「先生が他の生徒にIを仲間はずれにするように言ったと言っています」「お母さんは、大人である私がそのようなことをすると 本気で思われていらっしゃいますか?」「開き直るんですか!何もなかったら娘が泣くわけないじゃないですか。 娘は良い子なんです。」この親に、彼女がしたことを告げても信じないどころか、他の生徒に怒りを向ける可能性がある。私は、Iが可哀想だったが、何も言わないことにした。私は悪くない、という子に我が子は絶対に悪くないという、親自作自演に気がつかず、生徒のうわべだけしか見られないKYな先生、その子はどうやって12歳までにしなければならないしてもいい事、悪い事、しなければならない事を学ぶ社会性のトレーニングをすればいいのだろうか?中学に入りIは、不登校になったと、Iを指導していた講師から聞いた。彼女の自作自演のよい子ぶりは、中学生になった同級生には通用しなかったようだ。
2008年07月09日
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英語を話すサル、というローマ人の物語の著者として有名な塩野七生さんの言葉を夢玉教室のお母さんから教えていただいた時、英語を話すサル…私の教室にもいる、と小学校1年生の元気な男の子たちが浮かんだが、ローマの街角からを昨日読んでみたら、全く別モノだった。(この話はこのエッセイ本の4ページのみです)塩野さんは、英語に限らず外国語とは、第一に意思疎通、第二に、相手側の文化文明を理解する為の手段ないし道具にすぎない。つまり、それをしたいとかする必要のある人にとっては不可欠だが、その必要のない人もいるので、必要のない人までが脅迫観念にとらわれた末、以後の人生を台無しにすることもないのである。と、書いている。彼女自身、彼女の息子を10代なると毎年、五年つづけてイギリスに送り、その後は2年つづけて、アメリカのボストンに送ったという。彼の英語習得には執着した私だが、彼をイギリスのパブリックスクールに留学させなかったし、TOFELでアメリカの大学に進学できると決まった後もアメリカへは送らなかった。最愛の息子を英語を話すサル、だけにはしたくなかったからである。英語を話すサルにしないために、外国語という道具を手にする前に修得しておくべきことは三つ1.哲学や歴史に代表される一般教養を学ぶことで育成される 人格の形成。2.自らの言に責任を持つ習慣3.完璧な母国語の修得そして、これらができていないといかに外国語に巧みでも外国語を話すサルになってしまう。外務官僚から帰国子女に至るまで、TOEFLならば600点以上(旧方式)は軽くとれるにちがいない、この種のサルが跋扈している。と、手厳しいが、なんだか胸の中のモヤモヤがす~と消えた爽快感塩野さん、ありがとうございま~す。英語を話すサルを増やさないようにがんばります!話しは反れるが、10年程前に彼女の代表作であるローマ人の物語を友人に奨められて読んだものの、3巻目で挫折してしまって以来、彼女の本をなんとなく敬遠していた私。(ローマ人の物語は1992年から2006年まで、 年1冊ペースで書かれ、06年に15巻で完結した)今、漫画でチョーザレ・ボルジアとイタリアルネッサンス期に興味があるので、彼女が書いたチョーザレ・ボルジアについての本をお盆休みでも読んでみようかと思った。
2008年07月08日
中3の生徒たちの3者面談が学校で始まった。当然、その場で高校受験について話が出る。学校の先生には、申し訳ないが、3者面談での話しを塾の面談で話しをするのが、今の受験生を持つ親のパターンとなっている。そして、塾での先生との面談で出た高校名を持って私のところに…学校の成績表から想定される内申点、模試の偏差値で志望校の候補をあげるのが普通だろう。でも私は、すでに生徒から聞いている将来の夢、高校でしたい事を頭に入れて、必ず候補の中に一校、その生徒に特性や夢に合った学校生活を楽しめる高校を入れておく。「なるべく早く、学校見学日以外に 登下校風景を見て、どんな生徒達が通っているか見てきてね。」と、言うことにしている。数年前、第一志望校である都立校の合格発表を見に行って、上級生達を見て、その学校に行きたくない、滑り止めの学校に行く!と言い出した生徒がいるからだ。私は、担当講師からその学校名を聞いて、正義感の強い彼女に合うとは思っていなかったのだが、学校の先生と、塾の先生に偏差値の割には進学率が高いと勧められ、彼女も納得し、志望校としてその名前をあげていたので、私も担当講師には特に何も言わなかった。もちろん彼女はお母さんと一緒に、学校見学日に学校を見に行っていた。しかし、学校見学日では、学校の本当の姿はわからない。結局彼女は、併願確約の私立の女子高校へ進学した。また別の生徒は、偏差値と進学率で選んだ私立の女子高に合格し1ヶ月後から不登校を繰り返すようになった。きちんとやって、それなりの成果を残さなければ気が済まない彼女に、毎日のようにある小テストは、精神的に負担だったようだ。先週の金曜日、中3の受験生たちに志望校について尋ねてみた。ほとんどの子がまだ決めていない、と答える中、Aだけは、志望校を決めていた。Aが選んだ高校は、偏差値は真ん中くらいで、英語とボランティア活動に力を入れていることで有名な都立高校だ。小1から私の教室に通い、ボランティアワークに興味を持ち中学でもボランティア部に所属しているAにとっては、魅力的な学校だ。小中と、対人関係で少々苦労した経験があるAは、3年生になる前にこの高校をこっそりと見に行ったという。Aの成績から考えると、もう少し偏差値も進学率も高い学校へ行けるのだが親御さんも、彼女の選択を応援してくれているという。実は、この学校に娘を通わせている知人がいて、先生方や生徒達のことを聞くたびに、Aが活躍できる、学校生活を楽しめる学校だと思っていたので、彼女がこの学校を志望校として選んでいたことを知ってとても嬉しかった。偏差値や進学率に囚われない高校選び確かに親御さんによっては、勇気のいる選択だが、是非、子どもの選択を支持していただきたいと思う。
2008年07月07日
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mixiの夢玉教室にご参加の皆様たくさんのコメントをありがとうございました。コメントへの返事を7月3日の追記としてmixiに書かせていただきましたので、お読みいただければと思います。このところ生徒たちとカルタに填っている。カルタと言っても日本のカルタではなく、フィンランドのアヤトゥス・カルタ。英語では、mind map や thinking mapと言う、イギリス人のトニー・ブザンが考案した思考法で、企業研修などで社会人を対象として日本では有名だったが何人かの生徒が学校でやった事があると言っていたので、最近では、小学校でも取り入れているらしい。ノートの中心にテーマを書き、それから発想することを枝をつけて書き込み、またそこから枝をつけて書き込むというもの。フィンランドの小学校では3年生と4年生で徹底的にカルタをやって発想力を身につけるようにしているという。母語である日本語で行っているのだが、4年生以上であれば、英語でもできそうなので、慣れてきたら、英語でやってみようかとも考えている。図解フィンランド・メソッド入門(グループ学習を主体として書かれているので、指導者用向きの本)私が使用している本の一冊であるこの本に紹介されているフィンランドメソッドのステップは1.発想力 ↓2 .論理力 ↓3.表現力 ↓4.批判的思考力 ↓5.コミュニケーション力私のレッスンでは、参加者全員でひとつのカルタを作っていくので、生徒たちも、わいわいと楽しそうだが、おっ!と思う言葉が出てきたりして進めていく私も、とても楽しい
2008年07月06日
感染症が流行中昨日は、年少、小1のクラスで、手足口病、溶連菌感染症、プール熱で欠席者が続出した。時節柄、さまざまな感染症が抵抗力のない年齢で流行しているようだ。感染症を防ぐには、「病原体が体内に進入する感染経路を断ち切る」ことと、「体内に進入しても病気を起こすまでに増殖させない」ことだと保健所は指摘している。手洗いの慣行と、抵抗力を落とさない食事、ですね。金曜日は、私が担当している年少さんクラスで始まる。お母さんが、お兄ちゃんの送迎でいなくなることが嫌でたまらず号泣していたNちゃん。昨日は、笑顔で「はろ~」と教室のドアを開けて、すぐにお母さんが教室を出ていっても「バイバイ」と手を振り、教室に入っていく。ところが、その横でEちゃんが、ぐずってなかなか教室に入ろうとしない。「お母さんがいないと嫌」と言う。「どうして、泣くの?ちゃんと理由を言いなさい。」私は、ここで教室に入ってしまったので、お母さんとEちゃんのやり取りは聞いていないのだが、歌とTPRが終わって、外国人講師だけのアクティビティが始まり、教室を出ようとドアのところに行くと、Eちゃんが、入りたそうにドアのところに立っていたので、「Let's go!」と言って手を引いて生徒の輪の中に座らせる。ときどき振り返ってドアのところにいるお母さんを見るが、アクティビティに夢中になり、次第に振り返る回数が減った。「NちゃんとKちゃんは、英語で答えられるのに Eは、できないから嫌だ。って言う理由なんです。」Eちゃんは、保育園でも、「よくできる子」で通っているらしく、同じ歳のNちゃんとKちゃんができて、自分ができないことが、ショックだったらしい。Nちゃんがクラスでちゃんとやることができるようになり、彼女は、自分だけできない状況が嫌だったのだろう。Nちゃんのお母さんは、英語育児を取り入れているしKちゃんは、小1のお姉ちゃんが私の教室に入る以前に大手の英語教室で習っている時に一緒に教室に入っていたりお姉ちゃんがしまじろうをやっているのを隣で一緒に聞いていたり、と英語環境が整っていた。ところが、Eちゃんは、お兄ちゃんが私の教室に通っているのだが、お兄ちゃんがやっている英語の宿題を一緒に聞くことはなく、彼女にとって英語環境は無いに等しかった、という差がすでに年少でありながら、「よくできる」と他の子と比べられきたEちゃんは、自分でも、自分を他の子と比べるようになっていた彼女には「できない」が受け入れられなかったということだ。歌、TPR、手遊び、読み聞かせを、クラフトなどのアクティビティを講師→生徒というインプット主体で行うか、フラッシュカードを多用するレッスンであればこのような問題は起こらないが、生徒からアウトプットを引き出すような、インタラクティブな形で行うとインプット量の違いから答えられる子、られないことで、このような問題が生徒の性格によっては生じやすい。インプットの主体を家庭に置いている私の教室では、生徒をできない気持ちにさせないように、家庭での取り組みによって生じるインプット量によるレベル差に対して、レベル別クラス編成で対応しており、今回のことは、年少ということでサブ教材もメイン教材も始まっておらず、起こってしまったという理由もある。サブ教材やメイン教材の暗唱が始まれば、それをベースに対話形式でアウトプットさせていくので、答えられない質問が減り、できない気持ちにさせにくくなる。年少だから大丈夫だろう、と考えた私が甘かったということだ。さっそく年中から使用しているサブテキストの配布を月末から行うことにする。習得レベル差の問題は、英語育児などで、家庭での英語の取り組みが浸透するに従って低年齢化し、その差は、大きくなっていく。親子英語に熱心に取り組むことで、いざ、グループで同年代の子と交流を持たせる為に英語教室に通わせようとするとレベル合うクラスがなくてプライベートを勧められるというケースはどんどん増えていくだろう。実際、習得レベルを重視するということを考えるとグループレッスンという選択肢がある教室は限られてしまう。レッスンが終わって、教室の外に出てきたNちゃん、私の顔を見つけると、飛んで来て「先生、お母さん、一人で泣かないでできたって褒めてくれるかな?」「もちろん。先生もお母さんに、Nはちゃんとできたって言うよ。」嬉しそうに笑いながら私の手を握るNちゃん。すると、Eちゃんが、私のそばに寄ってきて「先生、次は、泣かないでがんばります。」と恥ずかしそうに小さな声で私に言うと、Nちゃんが、「いっしょにねっ」とEちゃんに笑顔で声をかけた。そのNちゃんの笑顔にEちゃんも「うん」と笑顔で答えた。この二人の様子を見ていて、複雑になる一方の幼児の英語習得度にどのように対応して受け入れの門戸を開き、学習環境を与えてあげられるのか、又、その一方で1月に開講した親子クラスの持ち上がりの年少が定員になった為に急遽6月に開講したこの年少クラスでさえ、開講1ヶ月で同年代の英語学習経験のない子は受け入れることができないという二極分化の現実への対応に頭を抱えてしまった。
2008年07月05日
一言言えば、10言くらい返ってくる中学生の女の子に比べ、何を言っても「は~。」「ん~。」「わっかってるよ」と聞いてるのか、聞いてないのか、中学に入るころから殆ど言葉を発さない息子を何を考えているのかわからない、と、嘆かれるお母さんは多い。T君は、小学校5年生になるまでは、大手の英語教室で英語を習っていたが、すべての習い事を辞めて、受験に専念させる近所でも生徒を絞ることで有名な小さな進学塾の方針で英語教室を辞め私大の付属中学に入学後の7月に、私の教室に入りたいとお母さんから電話があった。「本人が来る前に先生にお話したいことがございます。」ということだったので、本人抜きでお母さんと会うことに。「なんといいますが、お恥ずかしいのですが、 息子は、かなり変わっておりまして…」「?」「先生を困らせるようなことをして ご迷惑をおかけすることがあると思います。 それでも、入れていただけるのでしょうか?」謙遜して「ご迷惑をおかけするかもしれない」と笑顔で言うお母さんとは違い真剣な顔というより思いつめた表情だ。「他の生徒に迷惑をかけるようなことがなければ、 中学生ですし、問題はないと思います。」「家で私に口をきくことは、ほとんどございませんので、 先生方にどのようなことを言い出すのか、不安ではございますが、 どうぞ宜しくお願いいたします。」と、お母さんは、深々と頭を下げ、お子さんのレベルチェックをしてから、というスタッフに、入会させていただけるなのであれば、どのクラスでもかまわないと、入会手続きを済ませて帰って行った。「先生、どんな子なんでしょうね」「さぁ。どんな子なんだろうね。」2日後、Tが教室へ一人でやってきた。外見は、どこにでもいる普通の中学1年生の男の子。レベルチェックの問題を渡し、30分でやるように伝えると、「はい」ときちんと返事をした。30分後「終わった?」と教室に入ると返事はなく、下を向き首を振りテストを隠すようにする。「いいから見せないさいって。テストは今の英語力をみるためで できる、できないに関して何かを言うわけじゃない。」「ほんと?」「まだ教えてもいないのに、何も言うわけないでしょ?」中1の一学期用の最も簡単なまとめのテストだったが、空欄ばかりだ。勉強をしていないどころか、ほとんどまともに授業も聞いていないのだろう。「わかった。じゃぁ、レッスンを始めようか?」「今日は、テストだけじゃないの?」「まだ、30分あるし」「今日は、いいよ。」「…なに?」「テスト終わったんでしょ、帰る」「勉強しないの?」「今日はいい。」「そっ。もうあなた来なくていいわ。 他の教室に行きなさい。」「?」「あのね。中学1年生にもなって勉強したい、って思わない子を教えるほど 先生、ヒマじゃないの。」「だって、お母さんが行きなさいって。 手続きをしたからって。」「ご心配なく。お金はお返しするから。 英語を教えてくれるところは、ここだけでじゃないでしょ。? あなたの家からここに来るまでだって、5箇所以上あるでしょ。 あなたに教室を選ぶ権利があるように、私にだって生徒を選ぶ権利があるの。」 私の時間もあなと同じ、一日24時間しかない。 教えられる生徒は限られてる。 自分から勉強しようという気のないあなたを教えるための時間がもったいないの。 できなくても、自分からできるようになりたい、という気持ちのある子に 力を貸したいの。 さぁ、帰りなさい。帰りたいんでしょ?」固まっている彼のカバンを私は、教室の外へ置き、私も教室を出た。時間になっても彼は教室から出てこない。次の時間のレッスンが始まる時間になり、次のクラスの生徒たちが教室の外で待っている。「次のクラスの子どもたちが待っているから、 早く帰ってくれない?」彼は、立ち上がって教室の外に出たものの、ロビーのソファに座って、うつむき動こうとしない。「帰らないの? お母さんにおこられる事を心配しているなら 先生からちゃんと事情を説明すれば怒られないと思うよ」「…、先生、僕、ここで英語を勉強したい。」消え入るような小さな声で彼が言った。「うん?」「できないことを怒らない先生もいるんだね」彼は、進学塾で先生、大人への不信感を彼なりにつのらせていたのだ。「できない事は起こらないけど、やらないと怒るよ。 だから、よく考えなさい。 教え始めてから、辞められると悲しいからね。」「悲しい?」「そりゃそうでしょ。 先生だって毎週、会うのを楽しみにしてるんだから。」「そうなの?」「どの先生だって、みんなそうだよ。 はい、もう時間だから帰って、自分で勉強したい、って思うなら、 来週、この時間に来ればいい。 他の教室に行きたければ、お母さんにそう言って、 お支払いいただいたお金はお返しすると先生が言っていたと伝えなさい。」彼が通い初めて5年がたち、高校生になったある夜のレッスン中に突然、「先生、なんか俺、ここで昔、ショックなことがあったような気がするんだけど 何があったのかな?」彼が座っていた席は、まさに彼が初めて教室に来てテストを受けたあの場所だったのだ。糠に釘、豆腐に鎹- 意見をしても、少しの手応えもなく、ききめのないことのたとえその反応とはうらはらに、心にはしっかりと響いていると私は感じる。手応えのない反応に、これでもか、これでもか、と言うことは、かえって「自己防衛」という逆効果を生むのではないかと他人である私たちには、きちんと反応し答える男の子たちを見ていると心配になる。
2008年07月04日
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日曜日、久しぶりに、真面目な本?を読みながら著者には申し訳ないが、笑ってしまった。日本語力の磨き方漢字というのは《表意文字》なので、それを使うことに慣れれば慣れるほど《表音文字》でできている英語から遠ざかります。何を根拠に。(著者への不信感アップ)よく学問のない人の方が英会話の習得が早いといいますが、それは漢字での読み書きをすることへの慣れの差が大きな原因の一つとなっているのです。このような話しは聞いたことがないし、もしこの話しが本当であれば、私より漢字の読み書きが、遥かに少ない夫の方が英語がペラペラということになるが夫は、英語が話せないに等しいレベルで止まっている。「漢検なんか相手にするな」という作者の主張には日頃から漢字だけ覚えさせて、使い方を学ばせない、昨今の漢検重視の国語の指導について疑問を持っているので、共感するが、著者の本音であろう漢字が日本語をダメにする説には反対。漢字と英語を結びつけるのには、無理がありすぎ、この本の「格」を落としてしまっているのは残念。まず思考するということ自体を母語でしっかりと鍛えることが最も重要なのです。初期段階で、表面的に多言語に触れたからといって、それで思考力を深めることにはなりません。いわば、精神を耕すことができないのです。初等教育段階では、とにかく精神を耕して、あとでどのような種がまかれても育つようにすることが肝心なのです。など、頷けることが書いてあるにもかかわらず初期段階で、表面的にでも多言語に触れておくことは、伝達手段として習得する為には、とても大切だと私は、思っていますが…。と、つっこみたくなってしまう箇所が多々。小説でも、なんでこんな本読んでしまったのだろう、時間を返して~!と言いたくなる読後感の悪い本はある。私の頭が悪いのか、読み方が悪いのか、おそらく両方日本語力の磨き方はさっぱりわからず、「日本語」の大きな弊害、など、日本語という言語の力の磨き方を語っている本なのかと首をかしげるばかり。ひょっとしてこの本って日本語力ブームに便乗しただけの本?????今回、この本から学んだことは、タイトルにある具体的な日本語の磨き方ではなくタイトルや帯に、共感して本を買ってはいけない! だった、とほほほ…この本を読んだ方がいらしたら、是非、感想をお聞かせ下さい。
2008年07月03日
一昨日は、朝から、夜まで中学受験生と元受験生に振り回された。まず、朝イチで中学受験生の息子を持つ知人から「今朝、登校前の勉強時間にゲームをやっていた息子を見て、夫が 受験生の今、自分から進んで勉強できない奴が中学に入って 勉強するとは思えないから、中学受験はさせない。 塾にも行かなくていい。 と、言って会社に行ってしまった。どうしよう」とメールが来た。彼女の旦那さんも知人なので、とりあえず息子の気持ちを尋ねてから夜、旦那さんとも話しをすると返事をした。そして、夕方、私立中学入学後、とにかく勉強せずゲームばかりしている中2の生徒のお母さんが教室に夏期講習について相談に来た。なんでも学校の英語の先生に、他の教科も悪いですが、英語はできるのに、単語を覚えていない今の状況は、覚える努力、勉強をしていないと判断せざるを得ず、このままでは、高等部への進学会議にひっかかり、進学できないかもしれません。と言われたので、夏期講習で単語のテストをやって欲しいと言う。私の教室では、単語は、自分で覚えようとすれば必ずできるので、お金をもらってやることではない、と考え個別レッスンでは、リクエストがあれば行うが、通常レッスンでは、単語のテストを行っていない。8割を忘れてしまったということは、機械的に単語の綴りと意味だけを表面的に覚え、定着していないことが原因だと考えられるので、担当講師と相談して、その単語を使用した例文を正しく書かせるという定着までのステップで取り組むことにした。夜、レッスンが終わった後、知人宅に電話を入れ、まず息子と話しをする。「あなたは、行きたい中学校があるの?」「○○」彼が住む県のトップ校の名前を言う。「どうして、その学校へ行きたいの?」「いい大学にいけるから。」「○○に入ったからと言って、いい大学にいけるとは限らないよ。 今年だって卒業生全員が、いい大学と言われている大学に入ったわけじゃないし。 じゃぁ、もし○○に合格しなかったらどうするの?」「5つくらい受けるから、受かったところに行く」「いい大学にいける学校でなくても?」「公立の中学に行くよりましでしょ?」「どこに行っても、あなた次第でしょ。 自分で中学受験をしたいと言ったのに どうして勉強しないで、隠れてゲームしてたの?」「ちょっと休憩のつもりでやっていたら…お父さんに見つかった。」「ゲーム機は自分の?」「自分のDSはお母さんに取り上げられて、 日曜日にしかできないから、学校の友達に借りた。」そう、ゲーム機を取り上げたところでやろうと思えば、友達のを借りてでもやる。合格という目の前に大きな目標があるにもかかわらずゲームをしたいから、友達に借りてまでする、というのでは、入学後、ゲーム三昧の生活になる可能性は高い。彼の今の成績では、彼が行きたいと言っている○○はとても無理だが、塾で勉強さえしていれば、どこかには入れるという彼なりの計算があるのだろう。「あなたは中学受験をしたいのよね?」「うん、まぁ。」「そう。じゃぁお父さんにかわってくれる?」「遅い時間まで、悪いな。」「大丈夫。奥さんがつきっきりになってやれば、 ○○は無理でも、その次くらいの学校には入れるかもしれないけど 止めてしまっていいの?」「そんなことして入ったところで、その先、ずっとそれで通ると思ってしまう。 目的に向かって自分で努力することが、できなければダメだということを 教えて、自分で努力して目的を達成する喜びも教えてやりたいしな。 どんな中学に行こうとも、本人がやる気になれば東大だって行けるだろう。 あっ、俺とかみさんの子だから、東大はないな」と大声で笑った。受験を止めてしまえば、朝から晩まで勉強する夏期講習に参加する必要もなく、親子でキャンプに行き、釣りを楽しみ、ゆっくり話し合いたいと言う。御三家と言われる学校の中学に入ったもの全く勉強をしなくなった為に内部進学ができず、私大の付属高に入学して、勉強をしないまま、付属の大学に進学した子の話しを耳にした。その子のお母さんは、中学からそのまま高校に進学していたら、その大学にはとても入れなかったので、付属高に変えてよかったと言っているそうだが、私は、目的に向かって、自分で努力する喜びをしらないまま大人になって社会に出ていくその子が、可哀想に思えた。
2008年07月02日
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