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若い人たちのバランス感覚がよくわからない。 「よくわからない」などと答えに詰まった私たちが言おうものなら、「君たちによくわかる筈がない。自惚れるんじゃない。わかる範囲で答えなさい」ときつく叱責して来る老講師がかつて私の高校にいた。 そう、私たちはいつもわかっている範囲でモノを言ったり行動したりするしかない。「よくわかる」ことなど、ひょっとしたら永遠に不可能かも知れない。 新潟地震に魂を揺さぶられて関連資料を集めたりカンパを募ったりしている同じ人が、日常では「死ね」だとか「喪」だとかをメールでぶつけ合うのは「普通」だと言う。この人をバランスが悪いと感じる私の方が実はアンバランスなのだろうか? バランスの有る無しは周囲の決めることかも知れないので、私はこれ以上言うことはない。 今日偶然行ったページがイラクの選挙関連の話で盛り上がっていたので、私も自分の過去の日記を転載して軽く参加してみた。 早速返事が書き込まれて「結論は何か?」と言われた。私自身は今自分の持論をその場で披露する必要はないと考え、800字に収めるため苦労したばかりだったこともあり、一つの視点を提供しただけで充分と思っていたのだが、「で、どうなんだ?」と言われれば、確かに曖昧な投書には違いなかった。 だから話が私への批判だったら「ああ、言われちゃった!」で笑って済ませる範囲だったのだがそうではない。 相手は何故か私の日系人関係の記述に触れて自分の亡母の言動を引用し、ポルトガル語は「卑猥」で「カッペ」で「他所の言語を盗んで来たみたいだ」とまで私のページに書き残していったのである。 日系人かポルトガル語に対して、何か私的な恨みでもあるのだろうか? 私に対する恨み(?)にしては随分遠回りなことをする人である。ポルトガル語をけなされたからと言って、直接この私が傷つく保障はないだろうに、と思う。 ポルトガル語もフランス語も根は同じラテン語だから似ていて当然だし、スペイン語とは双生児のような関係である。東北弁と九州弁の違いの方が大きいというジョークさえあるのだ。中国人はよく「ボクが自分の田舎の言葉で話したら、恐らくこの場の人は誰もわからない」と言う。 他国の言語をこうやって理由なく平気で侮辱出来る人こそ軽蔑に値すると私は断言してもいいが、その同じ人がイラクの選挙風景の報道を見て「涙が止まらなかった(そのこと自体の是非はさておいて)」というのだから、これも私に言わせればアンバランスそのものである。
2005年01月31日
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第24回大阪国際女子マラソン、行くことは行ったけど、写真は失敗した。スピードDPEに出したら、「多分レンズが汚れている筈だ。発色が悪過ぎる」と言われてしまった。図星だった。 私がTVを見ている段階では大南さんの独走だった。長居公園に行ったらみんなの言うことが違っていた。 もう、あかん、大南はあかん、外人や、せいの高いやっちゃ。・・・ 結局エレナ・プロコプツカというゼッケン2番のラトビアの選手が自己ベストを更新する2時間22分台の好タイムで優勝し、2位に約1分遅れで入った小崎さんが世界選手権出場権を得た。 大南さんは双子の姉妹の片方が出ているということで、どちらかを去年も今年も見て写真も撮ったけど、どっちがお姉さんでどっちが妹か、私が見たのはどっちで去年と今年とは違うのかどうなのか等々、さっぱりわからなかった。 でも今年一人で飛び出して独走した姿はなかなか清々しいものがあって、私は密かに応援していたのだが・・・。
2005年01月30日
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明日は寒くなるらしいが、大阪国際女子マラソンがあるからこれから簡単な準備をして出掛ける予定でいる。私はコースから近いところに住んでいるから、まず往路で少し写真を撮ってから一旦家へ戻ってTV観戦した後、頃合を見てゴールがある長居公園へ向かいそこで勝負写真を撮る。 去年は中望遠で失敗したので、今年は標準ズームを付ける予定である。まあまあの写真が撮れたらアップロードするつもりだが、果たして・・・。 一昨年野口さんが優勝した際には、公園内に入ってもまだ坂本さんが2位につけていて、私はそこでフィルム切れになったから帰路に就いたのだが、後で彼女はトラックに入ってから千葉さんに抜かれたことを知って大変驚いた。 去年坂本さんは優勝してアテネへ行けた。千葉さんは補欠だった。 毎年いろいろなドラマがあるから、明日も好レースを期待している。
2005年01月29日
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40代前半の頃、行く先々の現場に大勢の日系人たちがいた。日本に出稼ぎに来た日系ブラジル人たちである。大半はブラジル・サンパウロの日本人街からだったが、中にはリオ・デ・ジャネイロからの人もいたし、ブラジル以外の国からの人もいた。家族揃って来てしまった人たちも多かった。 向こうにも人材派遣業を営む会社があって、航空運賃から住む所、工場への送迎まで一括して面倒を見てくれる体勢が既に出来上がっており、更には(日本人との)養子縁組まで世話する人たちもいるという話だった。これは日系人に限って単純労働での長期滞在を認めるという政策が惹起した事態である。「自分たちは大型バスで毎日寮と工場を往復するだけだが、うちの社長さんはベンツに乗っている」と彼らはよく冗談めかして言っていた。 彼らとはまず言葉の壁があった。 私たちとそっくりの顔立ちの人間が繰り出す耳慣れない言語に私は軽いカルチャー・ショックを覚え、「ポルトガル語って一体何なんだ?」と、少し齧ってみたくなった。で、すぐに勉強を始めたわけだが、それまでラテン系の言語に触れたことが無かったこともあって、最初のうちはわけがわからなかった。 テクストにしたガイド・ブックも余りに古く「今どきそんな言葉は使わない」と日系人らに笑われたこともある。 um pouco(ウン・ポーコ): 英語で言えば《a little》か、「少しだけ」という意味である。彼らは日系(nikkeiはブラジル語として市民権を得ている)の2世3世であるから、日本語が全然出来ない人はむしろ珍しかったが、その能力には大きなバラつきがあった。 ところが彼らに「日本語はわかるか?」と尋ねると、十中八九は「ウン・ポーコ」と答える。うまい人も下手な人も「ちょっとだけ」なのだ。 確かに日本語が堪能な人でもよく聞くと「ちょっと違うな」と感じさせるものはあったが、日常会話の中ではノーモンク、ノープロブレムだった。 そのことを当時一番親しかったミリアン・チャッキー・Kに言ってみた。チャッキーというのはミドルネームで正確には「チアキ」だが、私が彼ら同士の会話を聞いた限りでは、その発音はチャッキーとしか聞こえなかった。 "mais ou menos!"(=more or less!) 彼女はそう答えて肩を竦めた。両手拡げて「お手上げよ」の、彼らが得意なポーズである。更に:”How speaks 'mais ou menos' in Japanese?"と逆に質問して来た。ミリアンはその現場の日系人には珍しく英語も話せる子だったが、この場合は「ブラジル式=エスチーロ・ブラジレイロス」の過ちを犯していたので、それを言うなら:"How do you say 'more or less'in Japanese?"だろうと私は訂正したのであったが、さて、本論たる彼女の質問自体には私は即答出来なかったのである。 で、家に帰ってから少し調べた。直訳すれば「多いか少ないか」である。「多かれ少なかれ」これだろう。 だいたい、おおよそ、約、アバウトアバウト、まあね。 要するに、必ずしも積極的にではないけれども、相手の主張に同意するとき、こう言うのだ。まあね、そんなとこよ、「マイス・オウ・メノス!」と。
2005年01月28日
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世にはdilettante(ディレッタント)という人種がいるらしい。「いる」というよりかつて「いた」というべきだろうか。辞書を引くと「学問や芸術を趣味として愛好する人」「好事家」などと出て来る。 正確な定義は知らないが、私の吹き込まれた範囲で補足すると、まず「百科事典のように博学でなければならない」のは無論のこと、「生まれてこの方およそ働いたことがない上、今後も死ぬまで働く必要がない」というのも条件に入って来るというのである。 資産の多寡ではなく、一生労働に従事しないことが条件であるから、早い話一生ベッド生活の重病人であっても構わないのだが、例えば自分で働いて稼いだライヴドアの堀江社長などはこの条件だけで既に外されてしまうのである。『竹林の七賢人』なども世俗的栄誉や昇進などに未練タラタラで恨みがましいから除外だそうだ。 金持ちも概ねよく働く日本人には少ないタイプで、先の大戦以前の欧米露等の資産家大地主の子息が、結核で病床に臥していたりすればぐっと条件に近づくのではないか? そういう人たちが暇に飽かせて収集したであろう悪魔学の本に、(九段の?)図書館で耽溺していたと、かつて埴谷さんは述懐していた。 ディレッタントはカースト制の厳しいインドにもいたかも知れない。先祖代々門番の子は門番だったというのだから、地主の子は地主、蛙の子は蛙であったろう。 こういう変な条件であるから、ディレッタントにはなろうとしてなれるものではない。生まれてからでは遅すぎるのである。そんな人間いなくたっていいじゃないか、エンサイクロペディア一冊あれば足りるじゃないかという議論は、しかし、スラムに住む人間なんて要らないという議論同様危険で乱暴な意見である。 人間は生まれて来るときは真っ白なカンバスで、それに色々な絵の具で様々な絵が描かれるのだといった、ヒューマニズムに立脚した人間論は今可能だろうか、などということにも連想は連なって行くのだが・・・。===========================以下は2004/12/14(火)日付の私の掲示板からの転載です。近くのゴミ処理場へアルミ缶又は紙パックを持って行くと、アルミは10個で一つ、紙は15枚で一つ、それぞれスタンプをついてくれる。スタンプが各100個貯まると500円の図書券と交換してくれるのだが、私の場合もう4年くらい暇を見ては運んでいるけれど、しわしわのスタンプ帖は両方とも未だ半分くらいしか埋まっていない。その原因の一つは、うちのゴミ箱に来るホームレスの人たちに顔が合うと反射的に、それまで貯めたアルミ缶の殆どを差上げてしまって最初からやり直しになるからである。格別に「《同情》して」というほどではなく「こんなもので良かったら」という軽い気持ちからである。「アルミじゃない、食べ物を(!ゴミ袋の中から)探しているんだ」と言う、見るからに飢餓状態にある人にもかつて出くわしたことがあったが、私が「それならコンビニで何か買って来る、パンかおにぎりか?」と問うと固辞して去った。彼にとっては《他者》と口をきくことからして既に煩わしいという様子だったし、仮にもし私が彼の立場だったら、人の情けで何か食わせて貰ったりしたら、あとが辛くなるに違いないとも思う。大阪は不思議な街で、たとえ一文無しであっても「食べる」ことだけなら何とかなるそうである。西成では毎日昼夕二回のお粥の炊き出しがあるし、太子の教会では毎晩パンを配っている。不定期的な炊き出しもあり、某右翼団体などは数は少ないが豪華な炊き出しをして、そこでは「残すと怒られる」のだそうだ。コンビニが廃棄した期限切れの弁当も百円で売っている。ホームレスの人たちの《宝探し》であるが、アルミ缶とダンボールに限っては古紙廃品の回収業者が現金で買い取ってくれるのでこれが彼らにとって最も手っ取り早い現金収入の道である。それでみんなこつこつと集めている。アルミの相場は状況によって変動し、概ねキロ70~90円くらいで、空き缶一つ1円と思えばいいということである。ダンボールはもっと率が悪くてキロ30円くらいというから、心斎橋筋を大きなリヤカーで運んでいる人も、街中を自転車の背荷物一杯に積んで走っている人も、せいぜいのところ2~3千円の収入だろう。それも特にアルミ缶などは人の寝静まった深夜から早朝にかけてゴミ箱ゴミ袋の一つ一つを開いては閉じ開いては閉じして検索して廻った結果なのであるから、「お疲れさん!」としか言いようがない。一方自分の出したゴミ袋を無断で赤の他人に探索される側は決していい気持ちはしないが、ホームレスに限らず変態もストーカーもいるのだから、若い女性の皆さん、諦めなさい、そういう世の中なのです。===========================
2005年01月27日
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Webマーケティング・バックナンバー 2005年最大の脅威はスパイウェア、全米 IT 担当者の66%が指摘 著者: japan.internet.com 編集部 プリンター用 記事を転送▼2005年1月25日付の記事□国内internet.com発の記事米国 WatchGuard Technologies 社は2005年1月24日、同社が全米の IT 管理者154人を対象に実施した調査結果を発表した。この結果によると、調査対象となった IT 管理者の3分の2が、2005年のインターネットセキュリティ上の最大の脅威はスパイウェアであると答えていたことがわかった。スパイウェアとは、ユーザーが気がつかないうちにインターネットを通じて PC にインストールされ、個人や組織内の情報を密かに収集するもの。スパイウェアには、広告を見させることを目的とした「アドウェア」から、PC 使用状況や個人情報などを収集する「トラッキングエージェント」、Web ブラウザーを乗っ取り、見たくもない別のサイトを閲覧させてしまう「ブラウザーセッションハイジャック」など、さまざまな種類がある。調査対象の66%は、2005年はスパイウェアが、ウイルスや、フィッシングよりも甚大な被害をもたらすと予想している。これとほぼ同数の65%は、ウイルスとスパイウェアとフィッシングを比較した場合、自社ネットワークは、フィッシングに対してはほとんど保護されていないと答えている。しかし、経営者がどのセキュリティ問題に最も関心を寄せているかという質問に対しては、54%がウイルスの脅威と答え、38%がスパイウェアを最初に挙げた。また、IT 管理者の73%は、自社の社員ユーザーの半数がスパイウェアが何であるか知らないと答えている。WatchGuard Technologies 社の Mark Stephen 最高技術責任者は「今回の調査によれば、大多数の IT 管理者は、ウイルス対策に比べて、スパイウェアとフィッシング攻撃に対してはあまり保護策がとられていないと感じている。経営責任者と IT 管理者との間のセキュリティ重点目標の調整が、ネットワーク保護のためには必要不可欠だ」と述べている。 (Japan.internet.comニュース1/26より)===========================悪意と深淵の間に彷徨いつつ宇宙のごとく私語する死霊達 (埴谷 雄高『死霊』) 善意も悪意も、身内話もおのろけも、怪しげな商売への誘いも心中仲間の募集も、凡そ情報化可能なデータは全て昼夜を問わずネット上を飛び交っている。 webというものが現実社会の投影である以上、こんな記事要らないとか、こんなサイト良くないとか言ってみても仕方ない。出来得る限り、そういった不健全でアブナイ場所には近づかないよう自粛するしかないと忠告されそうだが、ここがまた人間の弱いところというか、好奇心旺盛なところというか、要するに素直でないところで、行くなと言われれば行きたくなるし、見るなと言われれば意地でも見たくなるのが人情、人間の性である。 「なんで悪意やら誤魔化しやら騙しやらがネット上を跋扈しているのだ!」などと息巻いても駄目だ。現実社会には殺人も暴力も詐欺も犯罪も、これでもかという程ゴロゴロしているのだから、インターネットだけが健全だったらむしろその方が薄気味悪いだろう。 こういうことと関係あるかどうか知らないが、かつてフランスの哲学者M・フーコーは、ヒューマニズムなどというものは、たかだかこの数世紀の発明に過ぎず、いつまでも続くと思うなよと言っていた(?)。 いずれにせよ、人品なるもの言う程高貴でも高潔でもないのである。だからと言ってそれ程自らを蔑んで悲観するには及ばないのだけれど・・・。
2005年01月26日
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我々応援の者は屋根裏部屋が寮で、そこは農閑期には子供部屋になるから子供らの机等はそのままになっていたが、我々は部屋に帰れば後は疲れ切って寝るだけなので、一向に差し支えなかった。 朝、下から御主人の声が掛かって出陣となる。4時くらいだったと思う。 畑は何箇所かに分かれてあり、事前に苗の成熟状態を調べて今日はどの畑からどれだけ収穫するかを決める。その下調べはお爺さんの役目で、彼が「まだ若い」と一言言うとそこは当面収穫を見合わせるのである。 収穫即出荷であるから、この状況判断は極めて重要だ。村中が親戚のようなこの地でも収穫の決定だけは各戸別々の独自の判断になるようだった。川上村の天候、他の生産地の天候や動向、市場の相場等々も当然関係して来るし、レタス自体も時期を失すると葉が硬くゴワゴワになって刈り遅れになってしまう。ただ、絶好の出荷のタイミングを待ったがために、逆に全てが御破算になってしまうこともあった。 雹(ヒョウ)が降るのである。雹は局地的に降るので、自分のところはやられても、隣の畑は全く無害ということもしばしばである。雹にやられた畑のレタスは概ねボロボロになるから出荷どころではなく、取敢えずそのまま放置して回復を待つしかない。 現場に着くと、旦那さんが先頭に立って包丁でレタスを切りはじめる。それを奥さんと我々二人で箱詰めして行く。状況によっては、奥さんは切り方に回ることもあった。 私ともう一人は春先から来ていた劇団員で、ナナハンをブンブンいわして東京から乗りつけたらしい。S、M、L、LLと大きさがあってそれぞれ箱に入れる数が違って来る。箱が満杯になるとシールを貼る。シールが貼られた箱は運び屋の若い子が封をしてトラックに積み込む。ホッチキスのお化けのような機械でバンバン打ちつけて封じるのである。 詰める前に一仕事あって、詰め屋さんは片手に塩水を含ませたスポンジを持っていて、それでレタスの切り口を拭くのである。根から切り離されたレタスは暫くすると切り口からジワジワと乳白色の液体を染み出させるからそれを止めるのである。見た目は牛乳みたいできれいだが、これが乾くと黒ずんでなかなかとれない。作業着もこの汁液がついたところは真っ黒になる。 レタスを買うと切り口がピンク色に染まっていることがあるが、それがこの液の名残りであり、首を切られたレタスの最期の抵抗のようでもあって、ナナハンの彼は「これが血の色をしてたら気持ち悪いな」と言っていたが、いや真っ白であっても充分に迫力はあった。 7時か8時頃現場で朝食である。一汗かいた後で気持ち良く食べられそうなものだが、実際の私たちは早くもバテバテになっていることが多かったように思う。魔法瓶に入れた水がとてもおいしかった。森ではカッコウも鳴くのだが「迂闊に入るな」とも注意された。みなが『野糞』をするのでそれを踏んづける惧れがあると言うのだ。 みながすなる『野糞』といふものを、吾れもしてみんとてすなり、という感じで私も数回試みたが、あれは実に気持ちいいものである。 その後昼前後まで収穫は続き、予定を終えると農協へ直行して納品である。この出荷が終る時期が旦那は一番リラックスしたいい顔をみせる。奥さんは一足先に軽トラックで帰宅して昼食の準備。午後のおやつの菓子パンや缶ジュースも人数分買って来る。 午後我々は昼寝した後主として草むしりで、一番「安気な」(気楽な、という意味)時間を過ごした。雑草は抜いても抜いてもどこからか生えてきてきりがなかった。 我々はアルバイト3人だけで午後の草むしりに出掛けるのが常だった。出掛ける際には『おやつの道具』というのを持たされる。水の入った魔法瓶、各自一本の缶ジュース又は缶コーヒー、そして菓子パンは1つずつだったか2つずつだったか忘れたが、それが『おやつの道具』だった。 たまに草むしりは中止になって他所の畑に応援に行くこともあった。応援のときの奥さんはとても張り切っていて、持病の腰痛を押し隠すように先頭に立って頑張っていた。「余所者だから」と後ろ指指されないようにしてるのでは、と私に解説する人もいた。どこへ行っても人間関係というものにはいろいろあるんだろうと、私は思った。 水道の水がとてもおいしい村だった。着任して間もない頃「生で飲んで大丈夫か?」と聞いたら、「川上の水を生で飲めなかったら生で飲む水などない!」と本気で怒られた。 南アルプスの天然水そのものだったのである。但し、「側溝の(勢い良く流れている)水だけは飲むな!農薬が入っているから」とまで注意されたりもした。 私たちは草むしりから戻り、翌日の準備も終えた夕飯前、手足や顔を側溝で洗う習慣だったのだ。とても気持ちいいものだったが、流石にそれを飲もうなんて気にはさらさらならなかったのだが。 喫茶店は当時駅前に一軒しかなく、私がある休日の夕方そこへ行ってコーヒーを飲んだら、「お兄ちゃん喫茶店に行っただろ?」と翌日子供たちに笑われた。そこは常連の人か観光客しか行かないところらしかった。 今はコンビニまであるらしいから、世の中は変わって行くものである。 結局、なんだかんだで私だけが最後まで残ることになった。最後の仕事は畑のマルチを剥がして古タイヤと一緒に燃やしてしまうことだった。プラスチックの杭を全て集め、土がこびり付いている黒ビニールを一箇所に集めて火を掛ける作業は、確かに一人でも出来る仕事だった。 旦那さんは「来年も、今度は頭から来てくれ」と誘ってくれたが、私は辞退するしかなかった。いい人たちばかりだったし、私も出来ることなら再訪したかったのだが、土を相手に中腰の体勢をとり続ける作業は私には辛過ぎて、はっきり言って、もう懲り懲りだった。ww
2005年01月25日
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2004年12月7日 (火) Tomorrow never comes. とかいう歌があったような気がするけど、これって坂本九ちゃんの「明日があるさ」の全くのアンチになってるのかな? いや、明日は「ある」のかもしれないけど、「来る」ことはない。これが折衷案ぽいけど正解かな? 九ちゃんが航空機事故で亡くなったのが今から19年前。あの夏は甲子園で桑田と清原が活躍していた。私は7月下旬から、長野県の川上村へレタス作りの住み込みアルバイトに出掛けていて、そこで仕事帰りのある夕方、遥か上流の山間からまるで入道雲が湧き出しているかのような、白く輝く煙を発見した。私の同僚だったS学会信者の青年は「不吉ですね。何か悪いことが起きますよ」と言ったが、それは半分当たっており、半分外れていた。悪いことは起きた後だった。あの事故で500人以上の方が亡くなった。九ちゃんはその一人だった。 日航機はダッチロールの途中で川上村上空を通ったということで、何人かの村の有力者がTVラジオで目撃証言をした。 そういう夏だった。 明日はあるかも知れないが、来ることはない。今日出来ることは今日やっておこう。そういうつもりで、私はヤースケ伝をやっています。 これはジオシティの日記からの転載だが、今日はこのレタス作りのことを書く。 この夏、暇の出来た私はパラパラと日刊アルバイトニュースをめくっていて、このレタス作りの、期間限定住込みの仕事があることを発見した。(当時はまだ《an》という名前ではなかった。私のある友人は発刊当初のガリ刷りだったanを知っていたが、私は流石にそこまでは知らない。) 問い合わせのやりとりの中で農業を知らない私がアドリブで発した言葉が、私の想像を遥かに超えて奥さんに気に入られてしまい、私の採用が決まった。 曰く「超人的な仕事は出来ませんが、人並みの仕事なら出来ると思います」 川上村の駅に着くといきなり村中が停電だった。この地方では落雷被害で毎年命を落とす人が出るのだと、迎えの奥さんに聞かされびっくりした。雷が遠ざかるまで電気は止まるのだ。 高原の天候は変わり易いから、雲行きが怪しくなり雷が鳴ったら直ちに作業を中断して近くの作業小屋兼物置に避難するよう、何回も念を押された。単に雨降りだけならカッパ着用で作業続行である。 その家はお爺さんと御主人夫婦、それに小学生の子供が男女各一人という構成だった。ちなみに御主人は私と同年だった。お爺さんは腰が曲がっており、普段は頼りなげにヨボヨボ歩いていたが、一旦作業に入ると大変身、これが同じ人間かと疑いたくなる程素早い動きを示し私たちを驚かせた。 5月頃と言っていたろうか、凍りついた地面がなんとか掘り起こせる状態になるとレタスを主体としたこの村の農業が始まる。「おらたぁ一年を半年で暮らすだ」と御主人は笑い飛ばしたが、冬の間は都会へ期間工に出る人が多いらしい。この人の場合K市へスケートリンクの氷張りの仕事に出掛け、そこでロマンスがあって奥さんを見つけた。 7月下旬若い人が1名リタイアして欠員が生じ、そこへ私が加わった。だから大切な序盤戦を私は知らないのだが、聞くところではざっと以下のような流れがある。 畑の土を充分ほぐして肥料を混ぜてから、所謂《畝(うね)》を作り、マルチと呼ばれる黒いビニールシートで覆い尽くす。これには太陽からの熱を吸収し夜間も逃がさないことや雑草の繁茂を防ぐことなどの意味がある。 この間ビニールハウスではレタスの苗作りが急ピッチで進む。 まずパレットに、広げれば蜂の巣状の仕切りが出来る台紙をセットし、《黄金の土》を入れ、各房に3~4粒の種を蒔く。種と言っても砂粒のように小さい。 そして勿論水やり。こんなセットを作って作って作りまくり、高温多湿のハウス内で保管する。 芽が充分出たら健康そうな1つだけを残して他は間引く。大江健三郎の《芽むしり仔撃ち》みたいである(?)。 こうして頃合を見て、畝の盛り上がっている部分に等間隔にガスバーナーで穴を開けて行く。出来た穴の一つ一つにポットの苗を植えて行くわけである。 私が行ったときには既に収穫が始まっていたのであるが、長くなり過ぎたので今日のところはこの辺で。・・・。
2005年01月24日
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E君という私と同年の男がいた。当時私が直接見知っている範囲では一番博識な男だった。 但しかなり偏屈頑迷で、ややもすると一人よがりに陥りがちな、風変わりな人間でもあったから、みんな彼が物知りだということは認めていてもなかなかまともに彼に質問する気にはなれなかったように思う。 自分が直接質問や疑問に答えることは出来なくても、「その辺のことだったら、誰それのどの本を見たら書いてあるよ」と、そういうアドバイスならいつでも出来るという自負が彼にはあったから、今で言えば人間検索機=ウォーキング・サーチャーとでも呼ばれて然るべき男だった。 この男、東北の進学校からストレートで名古屋大学の理系の学部(プラズマ研究所のあるところらしい)に入ったが考えるところあったらしく、半年程で自主退学し、そのまま浪人生活に入って次の年には今度は東京大学文学部仏文科に即入学した。 彼は学生時代から印刷関係の日払いアルバイトに従事し、卒業後も暫くその仕事を続けたらしい。 卒業といっても彼の場合はリミットぎりぎりの7年目でようやく成就されたのであり、その間東大図書館の本は「全部触った」と言っていた。(無論特別許可の必要な貴重な書籍は除くのだが、しかし稀有本珍本の類は各研究室に死蔵しているケースの方が多いらしく、ここでも知識や情報の私的囲い込みが横行していると言って、彼は憤慨していた。) 卒業論文を書く段階になって、そのテーマに使用する主要なフランスの文献が本国で廃版になっていることを知った際は流石に焦ったとも言った。 そんな彼への一問一答の抜粋。(あくまで20年くらい前の話です) PCがあったらまず何に使うか?ーー蔵書の整理やな。 狭い室内に本の山を築くのは地震の際危険ではないか?ーー本に埋もれて死ねるのなら本望や。 子供の頃から天邪鬼だったというが、いじめられた経験はないのか?ーー勉強の出来る子はいじめられることは少ない。 何故結婚しないのか?ーー閉鎖空間に多数のネズミを押し込めて置くと、性機能に異常がないのに異性に興味を示さない個体が出現する。 ナポレオン同様一日4時間寝れば充分と公言し、事実可能な限り実践している理由は?ーー死んでからゆっくり寝ていられる。 今一番自分で自信のあることは?ーー食うことや。 今の日本に生まれてよかったという理由は?ーー少女漫画のあることや。 ここでようやく今日のタイトルである萩尾望都について語り始めることが出来る。 彼が私たちと同年のこの漫画家について初めて教えてくれたのである。私も彼に言われて初期の作品は当時よく読んだ。漫画というジャンルは現代の日本が世界に誇り得る数少ない文化の一つであり、とりわけ少女漫画は世界に類例のない程異様に全面開花し爛熟している、というのが彼の主張だった。 時移り若い人たちは意外にこの漫画家を知らないのだが、今現役の第一線で活躍している少女漫画家の中には、萩尾と出会ったがためにその道へ進むことを選んだ人も多いと聞く。全集も出ているし、新刊も出しているようなので興味のある人は自分で探して下さい。(私んとこでも接続してるしね!) 読んで損したというようなことだけはないと、取敢えずこの私が保証します。w
2005年01月23日
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私はミーハーだから、大勢の人がやっていることはそれだけで意味があることだと思うから、大抵の場合少し遅れてではあるが、出来ることならやってみたいと思って実際やって来た。 あれ、だけど『ミーハー』って、今の人わかるだろうか? 要するに、付和雷同型のアッパラパーのことですよ、念のため。 で、少し遅れるというのは、私が生来の愚図でしかも用心深いからだろう。 もう一つ理由を挙げると、小学校が家の前からチャイムの聞こえるところにあったからである。このため、私は毎日遅刻ギリギリにならないと学校へ向かわないという、生涯続くだらしない性癖を持ってしまったのです。 それでワープロもやったし、パソコンもやったし、去年の暮れからはインターネットも始めたし(接続料金が課金されるのは2月からです。ヤフーさんありがとうごぜーましたですだ)、まさかと思っていたblogまであちこちに作ってしまったし、更には、ついに(地味だけど)アフィリエートまで開始出来そうなのである。楽天はん、おっきに!イーグルス、応援しまっせ!メルマガ購読者でっせ、わし、ヴヒヒッ! 出来ることならやってみて、それで具合悪かったらすぐ撤退すればいいのである。やりたくても出来ない人は大勢いる。そういう人たちのためにも、出来ることなら出来る範囲でやってみた方がいい。私はそう思っているのだが・・・。=======================================================スパイウェア対策をしようスパイウェア、というと日本ではあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、本人の知らぬ間に趣味や嗜好・個人情報を収集し、ネットの特定の場所に送るプログラムのことを言います。スパイウェアはフリーウェアやアドウェア(企業の広告を表示するかわりに無料で使えるツール)・シェアウェアに、特に外国製のものに多く含まれています。そしてそれらのツール・ソフトウェアをインストールすることで知らず知らずのうちにスパイウェアがPCに侵入します。またホームページを閲覧しているだけで侵入するクッキー型のスパイウェアや、ホームページ閲覧に必要なプラグインだと思わせてダウンロードさせるスパイウェアが存在します。スパイウェアはインターネットのブラウザ履歴やクッキーから、どんなサイトに行きどんな趣向を好むのかなどを調査し、本人が知らぬ間にネットの特定の場所に送ります。そしてその情報は企業のマーケティングなどに利用されます。中には情報収集の他に、ポップアップの広告やサイトを勝手に表示したり、ブラウザのスタートページを勝手に書き換えるといった悪質なものもあります。またバグ(プログラムの欠陥)の存在するスパイウェアだったり、あまりに常駐するスパイウェアが多いとPCが不安定になったり、回線が途切れるなどの実害があります。スパイウェアとウィルスの違いこのような説明を聞くとウィルスとどう違うの?と思われるかもしれませんが、スパイウェアの場合はウィルスのように感染や破壊活動をすることはまずなく、もっぱら個人情報の収集に用いられています。ほとんどのスパイウェアはユーザーにその存在を知らされることなく侵入しますが、一部には作者、もしくは企業自らスパイウェア入りのツールであることを公言し、それを利用者に認識させたうえで使用するか否かを求める場合もあります。たとえば「スパイウェアによるマーティングを行うかわりに無料でソフトを提供します。それを了承出来る人だけインストールをしてください」という規約など。 そうした事情もあって長い間ウィルスとは区別され、ウィルス対策ソフトではスパイウェアを検出できなかったのですが、近年のスパイウェアの猛威にNorton AntiVirus 2005 ウイルスバスター2005など、スパイウェア検出機能が強化されたウィルス対策ソフトが増えてきました。しかし下で紹介しているスパイウェア対策ソフトと比べるとまだ発見率は低いようです。無料スパイウェア対策ソフト「AD-AWARE」スパイウェアは情報収集が目的のため破壊活動はまずせず、バグ付きや勝手に広告が表示されるような悪質なものを除いて実害を感じることはほとんどないですが、自分の動向や趣向、プライバシーを知らぬ間に侵害されていることを不快に感じる方はスパイウェア対策ソフトを使うことをお勧めします。 また前述したような広告を勝手に表示する、スタートページを書き換えるなどの悪質なスパイウェアはそれ事態迷惑ですが、漏洩した情報を不正に使われる可能性も高いので早めに駆除をしましょう。「AD-AWARE」はスパイウェア対策ソフトとして有名で無料で使えることから利用者の多いツールです。AD-AWAREはスパイウェアと認識されているものから、スパイウェアとして利用される可能性があるものも検出し駆除をしてくれます。AD-AWAREの使い方無料スパイウェア対策ソフト「SpyBot」こちらもAD-AWARE同様スパイウェアを駆除してくれ、しかも日本語に対応しているので扱いやすいと思います。AD-AWAREでは駆除出来ないメモリに常駐しているスパイウェアもSpyBotでなら駆除できる場合もあります。Spybotのインストール方法Spybotの使い方AD-AWAREやSpybotでも駆除できないスパイウェア「CoolWebSearch」スパイウェアの中にはAD-AWAREやSpybotを使っても検出、駆除できない物もわずかながら存在します。「CoolWebSearch」というスパイウェアはその代表的な物です。AD-AwareやSpybotでスパイウェアの検出・駆除を行った後でも、勝手に知らないサイトが表示されたり、スタートページが書き換えられると言った症状が起こる場合はCoolWebSearchに感染している可能性があります。「CWShredder」はCoolWebSearch専用の駆除ソフトで簡単に検出・駆除ができます。CWShredderの使い方スパイウェア? JWordプラグイン「CnsMin」多くの日本製ツールに含まれているJWordのファイルであるCnsMinは、Ad-aware・Spybotでスパイウェアとして検出されます。JWordはスパイウェアではないとの配布元の説明ですが、なかなか判断の難しい所です。CnsMinはAd-awareやSpybotで検出は出来るのですが完全な駆除が出来ない場合があります。Jwordの配布元はそうなってしまったPCでもCnsMinを削除出来るようアンインストールツールを用意しているのでそちらを使って削除を行いましょう。詳しい削除の仕方はこちらをご覧ください。JWordプラグインCnsMinの削除の仕方駆除後も注意スパイウェアは一度駆除すれば終わりというものではなく、新しいツールをインストールしたり、インターネットをブラウジングしているとまた少しずつ増えていくので、時折再チェックをするのをお勧めします。(Enchanting Sky:http://enchanting.cside.com/「スパイウエア対策」より)
2005年01月22日
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「死んだ動物は、ペットフードになる場合があります」 (永六輔著 『大往生』より) 白フクロウの檻の前でシャッターチャンスを待っていたら親子連れが通りかかった。そのまま通り過ぎようとしていた子供を親が引き止めた。「ちょ、ちょ、ちょい待ち、ほら、ネズミ食べよる、わっ、気持ち悪、ネズミやで、わ、わ、ほら・・・」 親の方が興奮していた。私は親子の表情に気をとられてシャッターチャンスを逸した。 餌は小さなハツカネズミで、腹を縦に切り裂かれた白いネズミが3匹くらい中央餌場にあった。取り合いになることはないのでフクロウも食事を急がなかった。食べるというよりは丸呑みにする。 他の生命を殺して食べることによってしか一日たりとも生きながらえることは出来ないという、この地球型生命の生存形態はいずれいつの日にか改変されるだろうと、私は漠然と思ったりする。 昔の漫画月刊誌に、未来の想像図として、一粒錠剤を飲むだけで食事1食分の栄養をとることが出来るという記事があった。今私たちは様々なサプリメントを知っている。実現不可能なことは、我々には空想することさえ不可能であると、私は思う。
2005年01月21日
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msfと聞いてすぐわかる人はこの一文を読む必要はないかも知れない。 カタカナ読みをすると、メディスン・サン・フロンティア、国境無き医師団と訳される。先日のスマトラ沖地震の津波被害の救援に際し、自分たちが必要とする費用は既に充分(50数億円だったと思う)集まったからと言って辞退し、集中カンパではなく一日50円の持続的なカンパを訴えた、あの団体である。 71年にフランスで発足し、99年にはノーベル平和賞を受賞した。 その名の如く国境など関係なく世界中の難民支援に出掛けて行くプログレッシヴな団体で日本にも支部があり、日本支部は国際支援活動だけでなく、国内のホームレス問題にも取組んでいる。これは日本にも難民がいるという認識だろう。 西部劇でお馴染みのフロンティア・スピリットという言葉がある。開拓者魂などと訳されるがこれは正確には誤訳かも知れない。 フロントというのは中世的な概念で、国権が中央に在り、周辺部から辺境部へと同心円が描かれ、その最果ての地=国権の及ぶかどうかのギリギリの地がフロントであり、即ち前線であり国境である。 だから今のアメリカで言うと、フロンティア・スピリットを継承しているのは南西部の農家などではなく、米海兵隊なのである。成る程、彼らもどこへでも出掛けて行く。 webにも国境はない筈だから、我々もせいぜいその恩恵を活用しようではあ~りませんか、なんちゃって。
2005年01月20日
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*(後註:↑上の写真は最近のもので、本文とは無関係です。06/03/18) 出掛けるときは霙模様、食事をしていたら雨になった。 陽水の『傘がない』は名曲であるとされるが、この唄が発表された当時の私は「だからどうした?」と言いたい側の人間だった。 陽水を好きになったのは恐らく40代になってからだ。それも初期の、高音がよく通る陽水を改めて好きになった。通常より20年遅れている。 この話を名古屋の某フォーク歌手に言ったら「陽水には天才肌のところがあるから、一部同世代の人たちには鼻につくところがあった。あなたの場合もそのケースではないか云々」と解説してくれた。 たくろうはかつて、陽水が音楽シーンを変え(歌詞に関しての言及だったと思う)、次に変えたのがサザンだと言ったことがある。謙虚にも自分を除外しているが、たくろうも泉谷も大きな仕事をした筈だ。 私は陽水のコンサートには不幸にも一度も行ったことがないが、たくろうが慶応三田祭に招かれたときには後ろの方でしっかり聴いていたし、泉谷が『神田共立講堂最後の日』と銘打って12時間マラソンコンサートを挙行した際も万難を排して参加した。 たくろうには暗闇の中から「たくろう!好きだぞっ!」と声がかかり、言われたたくろうの方も「個人的にありがとう。暇があったら酒呑もう」と応じていた。 泉谷の方は『フィルモアイースト最後の日』をパクッたタイトルではあったが、やはり盛況で、リハーサルと本番の境目が判らないほど場内の熱狂は連綿と続いた。 「手紙をしたためる」などという表現は陽水で初めて知った、と昔《カゴメのズイヘイさん》という私の少し後輩が打ち明けた。私もそんな言葉は使ったことが無かった。 泉谷と言えば《春夏秋冬》。本人は「もうこれが最後」と言いながら何回も唄ったからいろんなバージョンがある。他にもいい歌があるが、この一曲と言ったらこれになる。 たくろうは《老人の唄》が面白かった。 雨の唄にはいい歌がたくさんある、そういう話を書くつもりがフォーライフの宣伝のようになってしまった。これはこれでいいのである。
2005年01月19日
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TVをつけたら毎度お馴染み、お詫びの記者会見をやっていて、今回は何かと思ったら、先立っての社会保険庁長官の反省の仕方をその上司である所轄の大臣が反省し、改めて処分を発表するというものだった。 だが、私たちは覚えている。前回の長官の会見はおよそ『反省』などとは言えないシロモノだった。 曰く、パンフレットの監修は、個人が、アルバイトで、時間外にやったもので、違法性など微塵も無い。云々。 普通こういう類は「反省」とは言わない。「開き直り」乃至は「(批判など)歯牙にも掛けない」と言う。自分たちの組織全体のレゾンデートルが問われているときにこの対応であるから、『厚顔無恥』というよりは『天晴れそのもの』である。 しかし上司がわざわざ記者会見まで開いて「反省の仕方を反省しなければならない」と言うのだから、これはもう、「長官は反省の仕方を知らなかった」というしかない。これが論理的必然というべきものだ。ならばこの方はパンフレットの発行など考える前に、一度その辺の小学生にでも『反省の仕方』を教わった方がいいだろう。 私の『ヤースケ伝』でも主人公の駄犬が、その悪行三昧を街の人々に糾弾され、苦し紛れに『空涙』を流し、『反省猿』のポーズをとって『懺悔箱』に謝罪文を投書するのだが、かの人たちもせめてそれぐらいのパフォーマンスは考えた方が保身のためにはいいかも知れない。
2005年01月18日
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私は中部地方の一田舎町で高校卒業までを過ごしたが、先生方には恵まれたと思っている。そして昨今の一部教師たちの破廉恥な振舞いを見るにつけ、この人たちって一体どんな先生に教わったのだろうと考えさせられてしまうのである。 高校3年のときNTという私たちと5歳しか違わない社会科の先生がいた。この先生は授業はマイペースの朗読調で少しも面白くなかったが、アフター5には打って変って兄貴分的な親しみを感じさせてくれる人で、学校から歩いて10分もかからない彼の6畳1間の下宿は土曜の午後ともなると一部生徒たちの(あくまで一部、という意味である)溜まり場と化した。 土曜日の午後そこへ行くとどうなるか、と言うと、夕飯前はそれぞれが菓子などを持ち寄る談笑タイムであり、みんなテーマなど関係なく好き勝手なことをしゃべっている。 夕食は90センチ四方のコタツを囲んでのお好み焼きと相場が決まっていた。焼くのは先生が大抵仕切っていて、キャベツは手でちぎって載せていくという自称《広島風》であった。 この夕食は定時制の4年生女子の参加が予定されていると時間が遅れることもあったが、そんなことまでが私たちの楽しみの一つだった。 キャベツは手で引き千切ること、それともう一つ、お茶は急須の最後の一滴までを湯呑みに入れること(これを私たちは当時の彼のガールフレンドの口調を真似て「最後のポタポタがおいしいのよ!」と呪文を称えながら殆ど儀式的に遂行したのである)、この二つが今ルールとして思い出される。 テレビは無かった。代わりに自慢のステレオがあった。クラッシックが好きな先生で、私たちがビートルズの「ロール・オーバー・ベートーヴェン」をわざと口ずさんだりすると、即座に「ベートーヴェンがあんな奴らに丸め込まれてたまるか!」と反論して来たが、それを更に「丸め込むって意味じゃねえよ、タ*オ!英語知らねえな」とやり返すのが我々の楽しみの一つだった。そう、我々は教師の名前を呼び捨てにしていた、無論本人の目の前で、しかも本人の部屋で・・・。 興が乗って来ると、決まってクラッシックタイムだった。電気を消して、真っ暗な中でモーツアルトやベートーヴェンを聴く。 カラヤンのベートーヴェン7番(旧盤)や旧イ・ムジチの四季(60年の録音)もここで聴いた。 「よし、第九を聴くぞ!」と来ることもあって、これはシーズン関係なしだった。寝るときもコタツに車座に足を突っ込んで雑魚寝した。深夜裸足の女生徒の足と触れ合っていることに気付いたときなどは、流石に切ないものがあった。・・・。(この一文は15日付けのジオの日記からの転載です。)《エーゴ、エーゴ!》 この国の人は皆、ややもすると外国語即ち英語と独断的に確信しているのではないかと勘ぐりたくなる一面がある。 この国では大抵の人が最低6年間はこの言語を学ぶのだが、そしてそのお陰をもって、ネイティヴが知らないような文法を知っていたりもするのだが、反面、例えば街中で、周辺の地理やアクセスに困っている「ガイジン」を見掛けた場合でも、例の、薄気味悪いと評判のジャパニーズ・スマイルを浮かべるだけで、ろくすっぽ話も出来ないのである。 昨年暮れ、大阪淀屋橋でパフォーマンスをしていたスイス人と話す機会があった。私が「自分の葉書絵を世界各国語で出す夢がある」と言うと「それにはまず英語だ」と彼は敢て言ったから、私も「英語は嫌いだ」と敢て言い返した。彼はニヤリとして「でも必要だ」と答えた。 その彼が次に挙げたのはスペイン語だった。それには私も不同意ではなかった。 彼はなんたらいう笛(?)の演奏家で、自分の演奏を録音したCDを持って世界に羽ばたいて来たという。日本には昨年5月に来ていたそうだが、これから寒くなるから南米に行きたいと言っていた。もう大阪にはいないだろう。 彼は自分のCDを投げ銭で売っていたが、即席の看板には、お金のない人は只で良いと下手な日本語で書いてあった。私がそのとき持っていた葉書絵のファイルを見せると彼は物々交換を提案して来て、結局葉書絵21枚とCD3枚とが交換になったが、商品価値としては多分私の方が大分得をしたように思う。 彼は欧州の英独仏伊とスペイン語及び日本語も話すマルチリンガルだったが、ポルトガル語(正確にはブラジル語)の知識だけは私の方が少し上だった。 外国語は必要に迫られないと覚えられないと、私は思っている。《窮鼠猫を噛む》ではなく、《異国語を齧る》のである。更に言うなら語学は暇がないと学べない。然るにこの国の人はみんな忙しい。 私は暇な人生を歩んで来たので、ちょくちょくいろんな言語を《齧った》が全て3日坊主に終った。でもそれでいいと思っている。NHKのラジオ講座は(多分今も)週3回一日20分程度だが、予習復習を考えたらそれでも大きな負担になる。 学問に王道はない。語学の勉強も然りである。毎日コツコツやるしかない。身近にネイティヴスピーカーがいれば条件はいい。 しかし、毎日では辛いし飽きる。他人のすること、他人の考え方に興味を失えば頓挫する。そしたら止めればいい。誰も止めない。やりたくなったら、またやればいいのである。これも、誰も止めない。「ポルトガル語、ハングル、中国語、英語、そして日本語をちょっとだけ話す」と私が「ガイジン」に自己紹介すると、大抵の場合受ける。そして笑って握手を求めて来る。 こういうことが喜びであると言えば言える。ww{~\~}ww
2005年01月17日
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私は昨年秋、YBBの街頭キャンペーンに釣られてインターネットを始めたが、最初はMCSという契約代行が無料で貸してくれた中古パソコンで繋がっていた。これに搭載されていたのがリンドウズ4.0というOSで、これは日本語入力に難があって私の知識では使いこなせなかった。 で、その頃の話だが、ある日KATE-laboratoryとかいうサイトに無料でグリーティングカードを送れるコーナーがあって、試しに関東の友人に送ってみたら、これがとんでもない『引っ掛け』で、すぐにその友人の名前でメールが来たので、返信にしては随分早いなと思いつつメールを開けてみたら、メールはそのカードを扱う業者からで、カードの送信は順番待ちだとのこと。おまけにサラ金の広告まであるではないか。ひどい話だと思う。 それだけならまだしも、気が付くとツールバーの、ライヴドアのアイコンの隣に、ちゃっかりとケイトラボのアイコンまで作っていた。こんなことするのは犯罪ではないだろうか? あとで聞くと、スパイウエアとかいうのがあって、要は同業他社の業務を妨害する為陰に陽に、魑魅魍魎がネット上で跋扈しているという話であり、私の場合もそのスパイウエアなるものの一種ではないかということだった。 こういうものを取り締まれないのもインターネットの利点の一つであるというのだから、誠にこれなるもの、諸刃の剣である。 (この記事は私のジオシティの日記からの転載です。)プリンターが壊れた (PM 07:00) 去年の秋口だったか、これまで一応は快調だったE社のプリンターの黒インクが印刷面とは逆の面に漏れて大きな範囲を汚すようになった。 販売店の人との雑談で、原因はプリンターの構造にあるということがわかった。E社の場合クリーニングはインクの噴射で行い、その拭き取りはスポンジで行うから、古くなるとインクを吸い切れなくなるという話だった。私は当時両面印刷による手作り絵本の製作を考えていたがこれで駄目になった。 私のプリンターは古い。ソフマップの買取査定を見たら完全作動で¥1,500だった。これをソフマップでは¥5,000で売るようだ。 たしかに買換えの時期だろうがここで悩んだ。機種が過度に多い。メーカーはどうしよう? どこで買ってやろうか? またインストールだとかアンインストールだとか面倒だし・・・ そのうちYBBの街頭キャンペーンに出会って、今回はNTTとの契約も不要な上、ライヴドアHPに設定なしで直行する中古パソコンセットを只でくれるというので、こりゃ印刷よりインターネットやれってことかなと考えて、今そうしてるわけである。 これまでインターネットには正直言ってあまり乗り気ではなかった。あんな面白いもの始めたら、本業(?)の作画が疎かになる。これ以上下手になったら絵本どころではない。そう思っていた。 でも始めてしまった。のである。
2005年01月16日
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ギター侍も嫌いではないが、あるあるの方が比較にならないくらい面白いと思う。侍の方は絶叫しなければならない程の内容に欠けるが、しかし無内容だろうと何だろうと、絶叫後の「斬り」で売っている芸だ。 これだったら、私は《伝説の男》の彼を取る。 あるある探検隊は品がある上、おかしい。 ただ俳句より短いフレーズで勝負しなければならないのは大きなハンデである。=======================================================以下は2004/12/15(水)日の私の掲示板からの転載です。「日本の空港に降りると醤油の匂いがする」と欧米人から言われているらしい。明治の開明期、横浜・神戸の居留地に来た欧米人は、日本人の特徴として「出っ歯で味噌汁の匂いがするチビ」を挙げている。(女子マラソン選手など頬の贅肉の落ちたアスリートたちの殆どが「歯茎丸出しで」笑いこけるのを私もTVで何回か見た。) 味噌・醤油は陸上の作物である米と大豆から作られる和食の味付けの基本素材で、これに海からは魚類・海藻類のアミノ酸が加わって和食味のベースが作られる。かつおだし、昆布だし(塩辛等もあるが)がそれである。 《和風だし》の基本は昆布とかつおぶしで、私が幼少の頃は、どの家にもあの、カンナを木箱に取り付けたような「かつおぶし削り器」があって、母親たちは毎日、鍋を火にかけながらカリカリとかつおぶしを削って食事の支度をしていた。そしていよいよかつおぶしの本体が痩せ細ってチビて来ると、子供たちは母親にせがってそれを貰い受け、その場で噛み始めるのであるがこれはとても硬いものであった。 原則として削りぶしは沸騰した白湯にさっと入れてすぐに引き上げ、反対に昆布は水又はぬるま湯に長時間浸して、《だし》を取る。最近はどのスーパーにも工場製の出来合いの《だし》や《だしの素》が液体・顆粒の状態で大量に常備されているし、《だし入り》の味噌等も売られている。と言うことは、どの家の食事も基本的には均質な味付けに統合されているということだろう。「何も無理して(母親から娘へとマントゥーマンで引き継がれる)《我が家の味》に拘る必要はない」「そんな時間はない」というのが時代の趨勢なのだ。若い奥さんたちの中には包丁を上手く扱えず、それどころか、包丁自体を持たない家庭もあると聞く。調理用ハサミやスライサー・ジューサー等があれば、確かに取り敢えず包丁は要らないのだが。ヨーロッパの《だし》に当たるものは《ヴイヨン》である。これは寸胴に水を張って火にかけ、野菜屑・鶏がら・豚骨・ローリエ・オリーヴの葉等々を放り込んでぐつぐつと何日もかけて、丹念にアクを取りながら作る。上澄み液が薄い黄金色になったところで濾し器で濾す。スープはもとよりベシャメル・ソースにもデミグラス・ソースにもこれを使う。実は小麦も獣肉も、野菜・果実・各種香辛料、そしてヴイヨンを基盤とした各種ソースの力を借りなければとてもぱさついて、まともに食べられるシロモノではないのだ。肉汁がジューシーだとか言うのは、脂肪分に旨味を感じているのである。しかし、米は違う。米はアジアの叡智の結晶なのですよ。
2005年01月15日
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私のジオのページが11日に1日で45アクセスという前代未聞の事態を惹起した件について一応の原因究明がなされた。 1つはジオのランクのアート部門の11位くらいに夕方の一定時間居座り続けたこと。これで今まで接点のなかった人が来てくれた。ランキングに載る規準は私にはわからない。 2つ目は、私自身に原因があって、それまで私の他のページとはリンクしていなかったのにこの日一斉に繋げてしまったこと。これで、今まで他所のページにしか来てくれなかった人たちが「おいおい、聞いてないよ」とあわてて来てくれたようだ。 しかし、私の絵が急に面白くなるわけじゃないので、その後のブレイクはなく、12日3人、13日13人という経過である。 しかし、ここで私は一つ学んだ。今力を入れつつあるこの楽天のページに改善を重ねて、いずれまた、他の私のページと一挙にリンクして「おいおい、またかよ、全然聞いてないよ」と驚かしてやろう!・・・ 画像その他で他のページとは趣きが違うが、ここにはアフィリエイトやフリマがあるので、その方面を私なりに活用出来たら嬉しい。ヴヒヒッ!ww{~|~}ww*アホなこと書いていますが、もうこのページは不人気故廃止しました。(4/3記)
2005年01月14日
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近くに、そう、自転車で行ける範囲に恐らく10軒以上のスーパーがある。それらを私の基準で大別すると3つのグループに分かれると思う。1つは、価格で勝負する店。2つ目、フロアをゆったり使い、買い物のし易さと高級感で勝負する店。両者共品揃えは充分である。3つ目、1でも2でもない、中途半端な店。 3は、はっきり言って論外であり、論理的にはいずれは1,2のどちらかへ収斂して行く宿命の筈だが、現実には一番多いパターンである。 1のパターンに、大阪では知らぬ人のいない大手チェーンがある。千円以上お買い上げの客には日替わりで『1円』商品を提供する、あの店である。 通常でも豆腐は1丁39円だし、お茶缶ウーロン茶缶も39円である。野菜も安いが、これはいつだったか、新米店員と客との雑談を聞くことがあって、それによれば、青果市場の売れ残りを一括して引き受けているから出来る芸当だそうだ。売れ残りと言っても、流行らない八百屋の品より余程新鮮である。店内はドンキ程ではないにしろ、混み合うとかなりごちゃついて、乱雑で窮屈だ。 2のパターンには、私のところからは一番近いKと、関東から進出したコジマ家電の地下にNがある。どちらも上記の店よりは高いけれど、どことなく品があるような気がする。 しかしスーパーも今では夜10時~12時迄の営業に加え、更には24時間営業の店も珍しくないから勤め人は助かる筈なのに、これに比して割高の筈のコンビニの方がむしろ利益を上げているというのは、不思議と言えば不思議だが時代の趨勢は如何ともし難いようだ。 先日結婚を発表したあのお騒がせ投手も「出会いはスーパーでした」では糠味噌臭いということか。
2005年01月13日
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私は高校時代迄を除けば、都会にしか住んでいない。東京、京都、名古屋、大阪、どこも似ていると言えば似ているし、違うと言えば違うが、やはり東京は中でも別格かも知れない。盛り場は24時間人が溢れている。この人たちはいつ働いていつ寝るのだろう?などと心配になって来る。 中国では100万都市(城市という)は普通だと、かつてある留学生から聞いた。 この男は面白い男で、党の下部の役職に就いていたそうだが、いろんな遊びに長けていた。唄って踊ってが得意の某党を連想しておかしかった。「都市には虚無、田園には狂気」とは誰の言葉だったか。言い得て妙であると思う。
2005年01月12日
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この時点では何がなんだかわからないまま、メールが来るから返信していただけで、返信方法が間違っていたから、日記の場所へ行ってみても誰も読めなかった。 この日ようやく原因がわかったので、6日から10日までを過去の文章で置き換えた。これまで来てくれた人には、ごめんなさいというしかない。
2005年01月11日
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というわけで、今回はまず、《読めますか?》から始めましょう。全て地名又は駅名です。1茨田2私市3水走4遠里小野5河堀口6周防町7内代8波除9丼池10柴島11依羅12靭公園13御幣島14道修町15河曲16日生17寒河18英賀保19備前長船どうですか。幾つ出来ましたか?もともと漢字という他国の文字を使って自国の話言葉を筆記することには飛躍があって、その意味では音読みも訓読みも共に勝手な「日本語読み」に相違ありません。ひらがなもカタカナもその出自を辿れば《真名=正式の文字》に対しての《仮名=臨時の文字》ということですから、この展開も凄いと言えば凄いのですが、お隣りのハングル文字は漢字とは無縁に自前で発明された文字ですからこれも逆の意味で凄いことです。私たちの日常生活の中で、例えば「栗東」を「くりとう」と読んだり「凡例」を「ぼんれい」と読んだりすると「そりゃあもう大騒ぎさ」(古い?)になるのですが、私に言わせれば、ちょっと乱暴ですが「そんなことはどうでもいいじゃねえかよ」となるのです。「どうでもいいこと」ばかりに囲まれて、その隙間をすり抜けながら、私たちの日々は営まれています。自分にとっては大切なことでも、傍からはすぐに「だからどうした?」「それがどうした?」と突っ込まれ、少し身を引いて冷めた頭で改めて考え直すと、「成る程あなたの言う通り、私の聞く通り」になってしまうことも少なくありません。あまり突き詰めて考えず、気楽にいきましょうといったところでしょうか。では又。1まった2きさいち3みずはい4おりおの5こぼれぐち6すおうまち7うちんだい8なみよけ9どぶいけ10くにじま11よさみ12うつぼこうえん13みてじま14どしょうまち15かわの16ひなせ17そうご18あがほ19びぜんおさふね
2005年01月10日
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《世相あれこれ》 (以下は04年春の時点での話です。) 今年に入ってまだ寒いうちは、例の「鶏インフルエンザ」の問題で牛に続いて豚も鶏もかと騒がしく、次にはイラクに行ったボランティアやカメラマンたちが捕まって「勝手なことするな、自己責任だ」とのバッシングの嵐、今は初夏の陽気で早くも真夏日かと思えば台風までやって来て、皇太子さんは「俺の嫁を苛めるな」と宮内庁に文句を言い、我らの小泉ポチは将軍様に軽くあしらわれ、お役人たちは税金を食い潰すのが仕事だと思っている。 ところで去年の今頃の阪神タイガースは既に独走態勢に入っていたんだけど、それはさておいて、近頃世相を騒がす事件を紐解くキーワードの一つに《国境》というのがあると私は考えるのだけれど、あなたはどうでしょうか? 鶏の病気を持ち込んだとされる渡り鳥には当然〈国境〉などなく、台風にも〈国境〉などはない。〈国境〉を理由に家族が離別を強いられたり陣取り合戦をしたりするというのは人間様の言わば『悪しき風習の類』なのではありませんか。 ん?アメーバだって触手を伸ばすって? ムムッ、出来るなお主・・・。生命とはそういうものなのじゃ。w
2005年01月09日
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CAST:ヤースケ~~~~出自不明の駄犬で本編の主人公。単なるお調子者かも知れません。ちなみにこのシリーズのキャストのネーミングですが、それらはすべて某スポーツジムの女性インストラクターの皆さんから公募して殆どそのまま採用したものです。 ララ~~~~~~武蔵野家のお嬢様犬で、とてもわがままな世間知らずだがその反面根っからの《お人好し》?でもある。序盤でヤースケに言い寄られて、まんざらでもなかった筈だが、彼をちゃっかり家来にしてしまったのは、お嬢様特有の生来の押しの強さだろうか。世話役の美和ちゃんとの間で繰り広げられる死闘の数々は私自身が楽しんでいるところである。英作~~~~~~商店街中程のラーメン屋のせがれで父親と二人暮らしである。母親が家出したのは父親の不倫が原因と知ってからは俄然断然反抗的になり、パチンコばかりしていたそんなある日、何を思ったかいつも立ち寄るペットショップで瀕死のヤースケを見掛けて500円で買取り、注射ギャグで脅して一気に回復させてしまう。彼自身は場末の映画館で70年代の東映ヤクザ映画を見て以来健さんに憧れ、とりあえず『ヤクザシール』の達人を目指しているようである。美和~~~~~~武蔵野家の遠縁の娘。どこかの学校に転がり込みたいということで、名目上は「お手伝いさん」としてこの家に住み込んでいるが、生まれてこの方およそ働いたことなどなく、従って仕事といってもお使い程度しかしないのだが、それでも人徳とでもいうのか、老夫婦にはララの遊び相手として結構重宝がられているようである。グミと朝寝と『しいなりんご』が好きというヘンな子で、このキャラクターの設定には前述スポーツジムのインストラクターの一人である***美和という人をモデルにしている。武蔵野小杉~~~某私大文学部の名誉教授。今は実務から解放されて悠々自適の日々を送っており、市街に只一つあるスポーツジムの常連。たまに気が向くと家の者を集めて言語学その他のゼミを開くが、誰も話など聞かずすぐ寝てしまうため最近は自分自身の前半生及び自らの学問に自信を失いつつある。モデルはいない。武蔵野マキコ~~小杉の夫人である。夫とは常に悉く意見が対立するが「年寄り同士は仲が悪いもの」と互いに納得している節もあって、仲がいいのか悪いのか余人には判断がつきかねるようである。彼女が本格的に登場するのは第2部以降となる。ピー坊~~~~~武蔵野家の庭に常連として出入りしている子雀。気が強く人なつっこい憎めないキャラクターで、私のキャラの中では一番人気がある。何にでも興味を示し対象をぐんぐん追求していくところがいいということである。ヤースケに対してはとても強気な反面何故かララにはからきし弱い。この名付け親は私自身である。原案は《ピッポ》だったがそれでは携帯電話みたいだからと、少し変えてみた。カリトン~~~~いつの間にか仲間になってしまった、謎の多い不思議の鳥。みんなは彼のことを口もきけず空も飛べないと決めつけているのだが彼は後半「醜いアヒルの子」的大変身を遂げる予定である。ちなみに、この鳥は私のキャラとしては一番歴史が深く、私が30代の半ば頃には手紙等の挿絵として頻繁に採用していた時期があった。しっとりくん~~本来は『切り株切手族』の一員だが、何があったか『脱藩』し、単独者として放浪していた最中にタイミング良く(?)ピー坊に誘われてヤースケの草原行に加わり、そのまま仲間となっている。一行の中では一番の知恵者であり、存在論的悩み(?)も抱えている様子である。ガッチャン~~~ヤースケ一行が『鍵穴草原』に到着したのと前後して《不思議の芽》から生えて来た怪獣(?)の子供である。刷り込みかどうか、すぐに言葉を覚え、最初に出会ったヤースケ一行とそのまま友達になったが、何故か美和ちゃんに一目惚れしてしまう。「気が優しくて力持ち」という桃太郎のような好漢であり、好物は果物で後にグミも好きになった、陽性でおとなしい恐竜である。チャピ~~~~~マキコが第2部で突然飼い始めた子猫。当初気性が荒くとても仲間にはなれそうになかったが、それは克服された。しかし・・・。その他:ペットショップのお姉さん、英作の父、森の木々、ヘビー、人面岩、ロベリン、不思議の芽、名無しのキノコ、名無しの実、青幕、メタルヤースケ、メタルピー坊、etc…特別出演:シースーさん~~真性粘菌フィザルムの変形体。動植物共通の祖先かとも思われるその生態が、一時期ドラクエのスライムに似ていると話題になった、あの不思議な生命体である。森の寡黙な住人だったがある日ララと出合いすっかり気に入られ、市街に運ばれる。この「シースーさん」というネーミングは、文系の大学生でありながら卒論のテーマにフィザルムを取り上げたというFさんによる。彼女の実験によれば、例えば「ミカン汁に対しては負の走化性を示す」と言われているが、実際は全く逆だったという。タイヨ~~~~~市街や草原や森の全ての生命に熱と光を無償で貸与している。無論モデルは今50億歳の太陽だが、この近辺では唯一自力で生きていると思われる彼も50億年後には赤色巨星となって死滅するらしい。クモン~~~~~タイヨと共に草原の中空に現れて時に彼の光と熱を遮り、また時に雨を降らす。
2005年01月08日
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アニメの監督としてではなく、青春を描いた漫画家としての『真崎・守』を、今の若い人たちはあまり知らないようである。 数年前、天神橋通り中程の漫画喫茶でリクエストを勧められるままに「彼の作品なら何でもいいから」とリクエストしてみたら、大分たってから「しんざきまもるの《牙の紋章》という単行本を他のチェーン店から借りて来たが返却の期限が迫っている」とのご親切な案内電話があって、せっかくなので読みに行った。 しんざきまもる、ではなく正しくは「まさき・もり」であって本名の「森 柾」をひっくり返したペンネームであることは、70年前後に青春を迎えて当時漫画を読んでいた人ならみんな知っている。 この《牙の紋章》(通称キバモン)は「さくら出版」からの復刻版で、しかも真崎にして唯一の復刻版だったらしいが、この出版社は程なく潰れた。 ここは、資金繰りに苦しんだためだろうか、作家先生たちから預かった初期の原画を社長が勝手に横流しして雲隠れしてしまったため一時話題になった、あのいわくつきの出版社なのである。 もう一つ真崎に関する話題。 昨秋広島に行くことがあって、時間潰しに入った駅前の大きな漫画専門店でのことである。「70年前後に出版された(とわざわざ断って)真崎の本はありますか?」と尋ねたら、受付の子はパソコンを暫く叩いた後「そんな本はありません」と冷たく言い放ったのであった。 私の話していた相手に限ったことではなく、今の時代「データにない過去は存在しなかった過去」なのである。 一説によると真崎本人が復刻を拒否しているとかで、喫茶店では真崎の本は殆ど見かけないが図書館はどうだろう、私は探したこともないし、ネットもやらないのでわからない(この文章はインターネットを始める前に書いたものなのです)。 名古屋の東図書館の書架には《老子》があったけどね・・・。 古本屋ではときどき見かけることがある。美品でも千円くらいだったけど、今はもう値上げしてるかもね。そしてこれは一般論だけど、セコハンやアンティークは東京で買ったら駄目だよ、高いから。 さてこの《ジロがゆく》1、2は彼の出世作かつ代表作でね、私たちが当時呼んでいた「まさきリリシズム」の面目躍如といったところ。これを読まずして70’Sを語るべからず、セーシュンを語るべからずなのですよ、キミ。ブヒヒッ。(この文章はかつて私が借りていたフリマボックスの商品=《ジロがゆく1,2》への説明文です。あのボックスはアカンかったな。w)
2005年01月07日
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『ギャングズ オブ ニューヨーク』 この映画は公開直前に「9・11」に直撃されるといった、言わば呪われた出自を持っています。作品自体の評価も分かれるところで、単なるヴァィオレンスものの娯楽作品とする人もいれば、いやいやこの映画が取り上げているテーマこそ「大航海時代」以来の西欧文明の根幹に関わる問題なのだといった熱弁を振るう人もいます。と、ここまで打ったとき不意に友人の来訪を受けた。「デカちゃんかいな ・・・」「ああ」「見るんやろ? 見よ見よ。わし、これ見てへんね」「駄目駄目、もう梱包しちゃったんだから、商品なんだから」「例のBOXかいな? 売れてんの?」「メインのヤーちゃんがからっきしでね」「だから言うてるやんか、ストーリーもののヘンテコな葉書絵なんてな、だいたい誰に買うて貰うつもりや? 葉書絵蒐集してたんは若い女の子やろ? あの子たちいうたらめちゃ可愛いのしか買わへんし、それももう廃れてまった。あんなん何千枚何万枚集めたからいうて、それでどうなるいうもんでもないしな、第一やな、切手貼って郵送するいう本来の用途から離れてるやん」「・・・」「それで今度はDVD?」「うちの場合、雑誌、雑貨、古本、カメラ、ソフト、そういうのが売れる」「何でもええやん。売れるいうことは大変なこっちゃ」「これやってて高校時代の先生のこと思い出しちゃってね」「後ろ向きやね、何につけても、年寄りは」「まあ、聞きなって。胡椒・金が欲しいからインド・中国に行きたいけどイスラムが怖いから西廻りで行こうというのがコロンブスたちの主な動機付けになってるわけだけど、彼らからする〈新大陸〉発見以降もこの西へ西へのフロンティアスピリットが連綿と持続されて、先住民族をインディアンと呼んで基本的には皆殺しして、西海岸に達すると今度はハワイだろ? それから日本を原爆でやっつけて朝鮮戦争、中国を包囲してヴェトナム戦争、そしてアフガンからついにはイラン・イラクだろ?」「一周してまった、すごろくなら上がりや」「その先生は〈アメリカもアメリカ人も好きだけどヴェトナム戦争には反対だ〉というような曖昧なもの言いは止めなさいって言ってた。その陽気で楽しいアメリカ人が近代兵器を使ってアジアで殺人を繰り返しているんだって」「反米愛国かいな」「それは毛沢東主義。人間とか人間社会とかは、善も悪もひっくるめて一つだということ、メダルの表は残して裏は無くそうなんて、元々出来ない相談ではないのかね? 60’Sも70’Sもニューシネマもある意味ヴェトナムの血の所産なんだ・・」
2005年01月06日
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