カテゴリ未分類 0
全15件 (15件中 1-15件目)
1
日本橋小伝馬町で見かけた本屋さんです。本屋さんといっても、「言語幾何学関連図書」というお堅い関係の本屋さんみたいです。窓のところに貼り紙がしてあって、「国会図書館や大学の図書館に出張している時があるので留守の時があります」みたいなことが書かれていました。実は、こういう専門図書についていつも思うのですが、その道で有名で、多くの人が読むべきもの、例えばアーベルガロアの「群と代数方程式」とか、高木貞冶の「解析概論」のような書籍は電子書籍化して、もっと安価に一般に入手しやすくしてもらいですね。人気ブログランキングへ専門書店
2016年09月04日
コメント(24)
最近、読んだ印象深い本です。みうらじゅん著の「マイ仏教」です。今は当たり前に使われている「仏像ブーム」という言葉。みうらさんがはじめてこの言葉を使い出した約20年前は、「そんなブームは来てないよ!」と突っ込まれるだけだったと言います。それが今やどうでしょう。奈良や京都の有名な仏像が「ご上京」されると、仏様を一目拝もうと、人、人、人の長蛇の列です。さらに、これまで「仏像ファン」と言えばお年寄りと相場が決まっていたのが、より幅広い年齢層の人たちが、仏像鑑賞を楽しむようになりました。 このように仏像鑑賞がよりポップな趣味になったのは、間違いなくみうらじゅんさんの功績です。この本の最初に、みうらじゅんさんが10歳の時、お土産で買い大切にしていた仏像を割ってしまい「諸行無常」を感じたことを書かれている。以下、MJ流の仏教論が述べられています。この本、仏教関係者にはお勧めですね。
2011年09月02日
コメント(10)
もう東京の学校は夏休みなんですね。いいですね小・中学生には夏休みがあって。拙も、子供の頃は、夏休み一ヶ月半じゃなくて、もっと長いといいのにと思っていました。特に夏休み最後の頃には、強く、そう思っていました。そして、ちょっと長く夏休みをしすぎた子供たちの話なんか、夏休みの宿題の読書感想文にお勧めです。十五少年漂流記、フランスのジュール・ヴェルヌの小説で、原題は「Deux Aus de Vacances (仏)」つまり二年間の休暇という意味ですが、無人島で二年間ご苦労されたですね。これだけ夏休みも長いと、厭き厭きしちゃいますね7しかし、大人になると、子供に夏休みは長いんじゃないかと思い始めましたね。学校に行かない分、給食がなくて、家で奥さんは、子供に食べさせる昼ごはんの支度をしないといけないし、なにかあると、プールや海に連れて行けだの、旅行にも連れて行けだの、色々とかまってやらないといけないので、うんざりです。まあ、中学で部活をやり始めると、毎日、学校に練習に行ってくれるので、助かりましたけど(^_^)v。
2011年07月23日
コメント(6)
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故のことで参考にと思って購入したら、なんと以前にも購入していたんですね。こういう失敗を防ぐ方法はこの本に書いてはいなかったのか、それともちゃんと本を読んでいなかったのか(^_^;)失敗といえば、今度の原発の事故も失敗学のテーマになりそうですね。人災であるとか原子力安全委員会の班目春樹委員長は発言されたそうですが、想定するのは人間だから、「想定外」ということ自体が人災、つまり失敗かもしれませんね。あんな大きな津波が来るということを、想定したくなかったから、「想定外」ということなんでしょうか。確かに、ダムを設計する時などでも、地震と大洪水が同時に発生するとは想定していませんからね。まあ、100年に1回発生する規模の洪水と100年に1回発生する規模の地震が同時に起こる確率の問題と言ってしまえば、そうなんでしょうけど。難しいですね。
2011年06月19日
コメント(10)
最近、こんな本を読みました。ザ・タイガースといえば、1967年~1971年に活躍した伝説のグループサウンズ、今でいうバンド。MoMo太郎が小学生のころ親戚のお姉さんが大ファンで、お姉さんはテレビに紙テープをつないで、「ジュリー」とか「トッポ」って叫んでいました。「ジュリー」とは、ボーカルの沢田研二。「トッポ」はリード・ギターとボーカルの加橋かつみ。「サリー」はベースの岸部おさみ(今は岸部一徳)。「タロー」は森本太郎でサイド・ギター。「ピー」こと瞳みのるはドラム担当であまり歌ったりしている印象はまりませんでした。そして、「トッポ」が脱退して、「シロー」こと岸部シローが加入しました。岸部シロー、ギターは弾けないのにギター担当だったんですけど、いのまにかタンバリンに変わっていました。で、ピーはタイガース解散後慶応大学に進んで、中国語を学び、慶応高校の先生をされていたそうです。なんか人生を二度生きたみたいでカッコいいですね。そして今は高校の先生も定年で退職して、今一度還暦過ぎたタイガースとして復活しようとしているみたいです。そんなわけで、タイガースの解散コンサート、1971年1月24日に開催された日本武道館での「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」から、ピーの歌です。ちよっとわからないでしょうけど原曲はこんな曲です。Herman's Hermits I'M Henery The VIII , I am映像は「エド・サリヴァン・ショー」に出演した時のものですね。"Henry"ではなく訛って"Henery"と書くのが味噌ですか。ピーは中国語の先生で、英語は得意ではなかったので、歌詞も上げときます。I'm Henry the 8th I am,Henry the 8th I am, I am,I got married to the widow next door,She's been married 7 times before,And every one was a Henry (Henry),She wouldn't have a Willy or a Sam (no Sam)I'm her 8th old man I Henry,Henry the 8th I amSecond verse same as the firstI'm Henry the 8th I am,Henry the 8th I am, I am,I got married to the widow next door,She's been married 7 times before,And every one was a Henry (Henry),She wouldn't have a Willy or a Sam (no Sam)I'm her 8th old man I Henry,Henry the 8th I am(shouts)(guitar solo)I'm Henry the 8th I am,Henry the 8th I am, I am,I got married to the widow next door,She's been married 7 times before,And every one was a Henry (Henry),She wouldn't have a Willy or a Sam (no Sam)I'm her 8th old man I Henry,Henry the 8th I amH-E-N-R-YHenry (Henry) Henry (Henry)Henry the 8th I am, I am,Henry the 8th I am.
2011年05月28日
コメント(2)
武士の家計簿という映画が公開されているそうです。その原作となったのがこの本いわゆる小説ではなく、歴史学者の磯田道史という先生が文部科学省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部を一般向けの書籍にしたものだそうです。幕末から明治にかけて実際に生きた武士の生活を、残された家計簿から読み解いた物語ですが、研究対象となった加賀藩士の猪山家は御算用者(会計係)として加賀藩に仕え、維新後もそのソロバンの腕を買われて明治新政府に仕えたそうです。今の時代が、明治維新前後の激動期なのかどうかわかりませんが、坂本龍馬や西郷隆盛のようなビジョンや行動力があるわけでもない一般人にとっては、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の死活をわけるということがわかりました。家柄を誇った武士たちの多くは没落したが、自分の現行をなげき、社会に役立つ技術を身に付けようとした武士には未来があったということです。映画「武士の家計簿」のオフィシャルサイトはここです。↓↓↓http://www.bushikake.jp/index.php
2010年12月05日
コメント(2)
今年は、国民読書年(http://www.mojikatsuji.or.jp/2010.html)です。今日、ご紹介するのは、「プライド-真山仁ー」です。真山仁といえば、長編小説「ハゲタカ」の著者として有名ですが、これは小説新潮に最近連載された作品を集めた短編集です。標題作の「プライド」は、問題となった菓子メーカーが題材となっています(下の写真を参照)。また、「一俵の重み」は事業仕分けに挑む官僚が題材となっています。また、その他の収録されている小説も所属する組織や企業が、主人公の責任ではなく、ピンチに陥った時に、主人公が己の仕事に対してどう向き合って乗り越えていくかを扱っています。プライド、日本語にすれば矜持ということでしょうか。矜持の意味を調べると、「自分の能力をすぐれたものとして、他に誇ること。うぬぼれて尊大な態度をとること。自負。誇り。」ということですが、多少の思い上がりでも、自分の仕事に自信をもって、プロとして挑むということが、大切だというようなことが書かれているようです。小説という虚構は、余り好まないMoMo太郎ですが、たまには、こういうものに教えられることもあるものだな、と思いました。
2010年07月08日
コメント(2)
博士の愛した数式 小川洋子作なかなか、インパクトのあった小説ですね。博士の愛した数式とは、具体的には示されていませんが、小説の中から読み取ると、おそらく「オイラーの等式」ですね。なかなか、式自体はシンプルです。この元になるのが、「オイラーの公式」です。この「オイラーの公式」について、ノーベル物理学賞の朝永振一郎博士はこう語っています。朝永振一郎 (1906~1979, ノーベル物理学賞を受賞した日本を代表する物理学者)は,エッセイ 「数学がわかるというのはどういうことであるか」(朝永振一郎 『科学者の自由な楽園』 江沢 洋(編集) 岩波文庫,2000 に所収)において,オイラーの公式と出会ったときのことを次のように記しています(中学とあるのは旧制中学で卒業は17歳). 幾何学的に定義された三角関数というものが、指数関数という解析的なものと結びつくということは何とも脅威であったが、それだけにまたその意味が理解できない、証明はベキ級数を使ってやればいかにも簡単明りょう疑う余地はないが、何かごまかされたみたいで、あと味が悪い、ところが、やはり中学生より大きくなっていたので、そのあと味悪さの原因がどこにあるかに気づいた。どう気がついたかというと、この定理が出てくる前に、数の虚数ベキの定義がやってないという点である。ベキの定義はまず正の整数ベキから出発し、次に負数ベキが逆数と関係させて定義され、次に分数ベキが平方根とか立方根とかに関係させて定義されている。ここまでは中学校で教えられた。さらに進んで無理数ベキは極限概念として微分学で習っている。ところが虚数ベキの定義になると、まだどこでも習ったことはない。その習っていないものがいきなり式の左辺に出現したのだから理解できないのは当然である。そういうことに気がついた。こう気がつくと、この定理の意味は一目りょう然となった。つまり、これはむしろ虚数ベキの定義そのものなのであると、やはり高校生になると中学生のときとちがって、もやもやとわからないといっていないで、なぜわからないか、どこがわからない原因かと、つきとめることができたのであろうか。まあ、確かに、実数のベキ乗のように虚数ベキが成立するとして、テイラー展開するのは、こじつけっぽいが、この公式は役に立つので、憶えておくと便利ですね。ところで、完全数とか友愛数というのは、この「博士の愛した数式」で知りました。数学は奥が深いですね。
2010年04月16日
コメント(2)
「東大・京大で一番読まれた本」という帯のキャッチコピーに惹かれて買いました。思考の整理学(外山滋比古 著)そろそろ、大学も入学式が始まる今日この頃には、新入生の皆さんにはぴったりの本かもしれませんね。東大生と京大生が読んでいるのかと思いましたが、内容を読んでみると、いわゆる、論文等を書くことを生業としている研究者にとって参考となる内容でした。例えば、「自分が思いついたアイデアを発酵させるためにしばらく寝かせておく」、「とにかく書き出してみる、書き始めると頭の中に筋道が立ってくる」、「専門以外の人と交わることがいい考えを生み出す」、「いい考えが浮かぶのは、三上(馬上、枕上、厠上)」というのは、確かに論文やその他雑多な文章を書く上では重要な指摘でしょう。 ということは、東大や京大で一番読まれているというのは、東大、京大の先生が、一番読んでいるのかもしれませんね。 しかし、この本、初版は1983年というので、今から27年前に出版された本だそうですが、当時、大学生だったけど、それほど読まれていたとは、いや、気が付かなかったです。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年04月05日
コメント(5)
この本もブックOFFで見つけてきました。「戦術と指揮」松村劭(つとむ)著者は元陸上自衛隊幕僚だった人です。日本では戦争を一種の技術として考えている人は少ないと思いますが、この本は戦争で勝利を納めるための方法、すなわち技術を解説しています。実際に戦争を知らない(その意味ではこの著者も1934年生まれで、実際の戦争に参加したとは思われませんが)、我々としてはこういうことを勉強しておく意味はあるかもしれません。ここては、陸上戦闘を戦う部隊の戦場での運用について、基本的な原則を紹介した後、シミュレーション風に戦場を設定し、どのように戦うかを読者に考えさせつつ、戦術と指揮について紹介していっています。もし、我々が本当に日本の防衛を考えるなら、自衛隊も適当に実際の戦場に派遣しておく必要があると考えています。いくら畳の上で水泳の練習をしても、水泳が上達しないのと同じように、やはり実践というものを経験しないと軍隊は強くならないのだと思います。まあ、その前に、自力で国を守る、戦争しても守るという、強い意志が国家になければなりませんけど。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年03月06日
コメント(2)
内田樹(たつる)の「日本辺境論」です。今、大抵の本屋さんでは平積みにして置いてありますね。出版社の人に聞くと「平積みにされているって、すごく売れる本ですよ」ということらしい。印税収入でウホウホですね。内田先生。「日本辺境論」という題名ですが、別に地理の本ではなく、いわゆる日本人論の本です。日本人とは何かを説明してくれる本です。要約すれば「ほんとうの文化はどこか別のところで作られいて、日本人はなんなく、一大文明の辺境にいたので、そのどこかで作られた文化を学んできた」ということです。確かに、遣隋使、遣唐使の時代から、いや、もっとそれ以前から、日本は、外来の知識を取り入れることをやってきました。なかなか、本質だなと思いました。「学び」という営みは、それを学ぶことの意味や実用性についてまだ知らない状態で、それにもかかわらず、これを学ぶことがいずれ生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろうと先駆的に確信することから始まります。という指摘は、最近、頼まれて学生を教える機会が増えてきたので、なかなか卓見だなと感じ入りました。例えば、小職が学生時代、勉強したこと、数学も英語も地理も物理も化学も生物も、仕事をやっていく上では必要です。また、小職のような、専門職につかない、例えば、郵便配達のような、およそちょっと見た感じ、物理も数学もいらないようなと思われる職業であっても、数学を知っていると番地の配列や走行距離を考えて、効率的に配達経路の設定できると思います。まあ、唯一、本当に不必要だな、というか単なる教養で、本当にその道の専門家にならない限り、別に死活問題にもつながらないなと思ったのは、「漢文」と「音楽」くらいですね。まあ、「音楽」は多少、社交の上から、カラオケとかで必要かもしれませんが、(別にカラオケを上手く歌えたからといって、給料が上がるわけでもないけど)。漢文はもう、本当、一体何のためですかね。今の中国に行っても漢文を勉強したからといって、中国語が話せるわけでもないし。本当、趣味、教養としかいえない、お遊びですかね。漢文を教える暇があったら、普通の日本語の敬語の使い方と漢字の練習でもしていた方がましだったですね。
2010年02月27日
コメント(8)
今年は国民読書年だそうです。財団法人 文字・活字文化推進機構というのが仕切っているようです。参考はこちら→http://www.mojikatsuji.or.jp/2010.htmlいわゆる天下り団体ですかね。それは、それとして本は読むべきですね。昔から「百聞は一見に如かず」(1reading > 100 hearing)つまり、下手な講演会に100回行くより、一回読書した方がよいという意味に、私はとっています。ということで、最近読んだ本は、野口悠紀雄氏の「超」整理法3この「超」整理法シリーズには思い出があって、用があって、大学の恩師の研究室に行った時、世間話のついでに、「MoMo太郎君、この本は面白いよ」と「超」整理法のシリーズ1を恩師に薦められたので、大学の生協に寄って購入して読んだ思い出があります。以来、超整理法に基づいて、書類の整理をやっています。それがいい方法かどうかわかりませんが、それなりに個人的には役立っています。といっても、使い古した大判の封筒に書類を入れて、本立てに並べていくだけで、その仕事が済んだら、必要に応じてファイルにするかどうかしているだけですが。で、この本は溜まっていく書類をどのようにして捨てるかということに説明されています。なかなか参考になりました。ところで、小職は本を読むのが遅い方です。ひとつは、読書する時間が少ないこと、たいてい夜寝る前か、休日の午前中にコーヒーか紅茶を飲みながら、といった具合です。また、加えて、本を読んでいて、気にいった箇所や作者に同意できないところに出会うと、鉛筆で線を引いたり、その一説へのコメントを余白に書き込んだりするので、時間がかかります。ということで、図書館で本を借りるというわけにもなかなかいかず、大抵、購入するという仕儀になって、出費も馬鹿になりませんね。というわけで、この本も購入です。かなり以前に出版されていた本だったので、近所のブックオフで105円で売っていたので購入しました。ブックオフでは、その本が持つ価値に関わらず、芥川賞を受賞した本でも、そうでない本でも、同じ値段で売っているのは、普通の古書店と違うのは面白いですね。
2010年02月21日
コメント(2)
昨年12月に靖国神社にお参りして、NHKで「坂の上の雲」の放送があったりして、そんなわけで、第二次世界大戦までの我が国の軍隊とかに興味があったので、保坂正康氏の「あの戦争は何だったのか」を年末年始の休暇中に読みました。本書の冒頭ではこう述べられています。「本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。だが、戦争の内実を知ろうとしなかった。・・・日本人は戦争を知ることから逃げてきたのだ」本書は、日常の次元からあの戦争の当時の日本人がどう考え行動したのかを明らかにしていこうとしているように思えました。今、「戦争を語り継ぐ」ということを耳にしますが、それは例えば、「ビルマで終戦(個人的にはなぜ敗戦と言わないのか不思議に思う)を迎え捕虜収容所に入った」、「命からがら満州から帰ってきた、途中で子供を中国人に預けてきた(預けたくらいならいいが、自ら子供を殺した親もいるらしい)」などを語る人はいるが、「私はこう考えて、インパール作戦を企図した」、「大東亜共栄圏のスローガンを考えたのは私だ」といったような、戦争に国民を巻き込んで行った側の話は聞いたこともない(まあ、そんな人はもう鬼籍にいて語れないのかもしれないが)。ただわかったのは、軍人が官僚として開戦へと誘導していったことと、それを総理大臣の近衛文麿や陸軍大臣の東條英機や海軍大臣の及川古志郎が抑え切れなかったということのようです。特に海軍の罪は重いようです。なぜなら太平洋の海の上で戦えるのは陸軍ではなく、海軍しかなかったですから、海軍の軍官僚が、「この戦争は勝ち目はない」と言えば、戦争は起こらなかったのだと思いますが、おそらく海軍の軍人達もそんなことは言えないところに追い込まれていたのかもしれませんね。それはある意味、国民の世論みたいなものが開戦へという流れだったことだったのかもしれません。ひるがえって、今の我が国を考えてみれば、政権が変わっても、官僚が予算と法律を作くるというシステムは変わっていないし、政権そのものも、票をお金で買うような、農家への戸別d所得補償とか、子ども手当てだとか、そんなことばかりが続いていて、唯一、政策を決めているのは小沢一郎だけで、小沢一郎もなぜそうしたのかをはっきりと話さないという次第ですね。そんなわけで、戦争とは別の未体験な新たな不幸が国民を待っているかもしれないなと考える次第です。
2010年01月06日
コメント(2)
新年早々、たまには教養というものを身につけてみたいと思い読んでみました。「チャールズ・ダーウィンの生涯」。著者の松永俊男さんは、実験生物学の分野から生物学史の分野に転じて、ダーウィンに関する研究を続けてきた桃山学院大学名誉教授の方だそうです。ダーウィンといえば、進化論ですね。そして、それに関連してダーウィンの名言としてしばしば取り上げられる。「It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.」生き残る種というのは、最も強いものでもなければ、最も知的なものでもない。最も変化に適応できる種が生き残るのだ。という名言は、この本の著者によれば、実はダーウィンの著書や稿本のどこにもないそうです。むしろ、これは生物学の仮説である進化論を利用して、変革を進化として正当化したい社会思想を補強するために誰かが言い立てたもののようですね。また、この本でわかったのは、チャールズ・ダーウィンという人は動物学、植物学や地質学等の自然を研究した博物学者(本書では、これをナチュラリストとしています)であり、研究者ではあったが、現在のように大学や研究機関に勤める学者ではなく、資産家のジェントルマンとして生計を立てつつ、研究をしていたというのも19世紀の大英帝国のならではことだなという感じがしました。ところで、この進化論が初めて世に紹介された書籍「種の起源」そのものを読んだ生物学関係の専門家はどれくらいおられるのだろうか。まあ、読んでいなくても、ダーウィン的な進化論が、生存競争の結果、同じ種の中で他の個体よりもわずかでも優れた形質を持つ個体が生き残って、代々それが蓄積していくことによって種が変化していく(これを自然選択というそうです)ことは学ぶことができました。しかし、DNAだとかゲノムとか、そういうことが分かり始めた現在、150年前に唱えられた進化論という仮説はどういうことになるでしょうかね。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月05日
コメント(4)
今日から仕事です。年末年始の休みの間、いくつかの本を読んだので、ちょっと紹介します。今日紹介したいのは、野村克也 楽天ゴールデンイーグルス元監督の「野村ノート」。もともとは平成17年(2005)に単行本として出版されていたものであるが、楽天のクライマックスシリーズ出場にあたって、楽天での経験も加筆されて再度文庫本として出版されたものです。この本では、野村元監督ならではの野球の技術論も述べられているが、小職が納得しのたは、最近の野球人気の低下についての分析です。これは、最近の野球解説者に向けられていて、「・・・私は野球というスポーツの特性が誤って広まっていることも人気低下の一因となっている気がしてならない。野球は"間"のスポーツであり、一球一球、アウトカウントやボールカウント、走者の状況など、その場面、場面に生じる投手(捕手)、打者の心理の絡み合いが野球の妙であり、それを背景に数々のドラマを生んできたと考える。ところがテレビ中継、新聞報道にはこうした"野球の妙"が欠落している。解説者はただ選手を褒めちぎり、結果論だけで選手を評価する。・・・最近の評論を聞いていると・・・いわば結果について自分の感想をいうだけ。視聴者も野球を見ていて学ぶものは何もない。・・・」確かに、そのとおりではないでしょうか。さらに言わせてもらえば、野球の解説者かバラエティタレントかわからないような、その上、現役時代に選手として何かを極めたようにも思えない輩が多いのではないでしょうか。野球好きなら是非、この本を読んで、今年のシーズンは野村の眼で野球眺めてみるとより一層、野球が楽しめると思いますよ。人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね
2010年01月04日
コメント(2)
全15件 (15件中 1-15件目)
1