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「あ~、湧いたな~… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2026.07.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
子育ての相談でよくあるのが「子どもがアリや小さな生き物を殺して遊ぶのをやめさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか?」というものです。

子どもが生き物を殺して遊んでいる時には「かわいそうだからやめなさい!」と言って止めているそうですが、多くの場合、子どもはやめません。
やめたとしても、「命の大切さ」や「かわいそう」という感覚が分かったわけではありません。ただ、お母さんに叱られるのがいやだからお母さんの前ではやらなくなっただけのことです。

そもそも、そういうことを言うお母さんだって、「子どもに殺されているアリさん」を「かわいそう」などと思ってはいないのではないかと思います。ただ、「生き物を殺して遊ぶという遊び」に抵抗を感じているだけです。

でも、昔から子どもの遊びは「自然や命との関わり」が薄くなってしまった現代人の目から見たら残酷なものが多かったです。

ザリガニを捕まえ、シッポをちぎってヒモにつけそれで新しいザリガニをつっていました。で、捕まえたザリガニを家に持って帰って、しばらくしたら全部死んでいました。

セミや昆虫を捕まえて持って帰っても、ちゃんと世話をしないのですぐ死んでしまいました。

メスのトンボを捕まえてヒモにつけて飛ばしているとオスのトンボが交尾のために合体します。そうやってトンボを捕まえたり、捕まえたトンボのしっぽを切ってマッチ棒を差し込んで飛ばして遊んだりもしていました。

とる時にはとるのが楽しくて、後のことは考えずにいっぱいとってしまうのですが、結局みんな死んでしまうのです。


でも、幼い子ども達はそのような遊びを通して、初めて「死」や「命」と出会っていたのです。
「死と出会う」ということは「命と出会う」ということなんです。
言い換えると、子どもを「死」から遠ざけると言うことは、「命」や」「生」からも遠ざけることになってしまうのです。

だからといって、「殺して遊ぶ遊びをもっとやらせなさい」ということを言っているわけではありません。

一生懸命に捕ってきた生き物たちが死んでしまうことで、子ども達は色々なことを考え始めます。「結局死んでしまうのだから、捕っても帰るときには逃がしてあげよう」と考えるようになる子もいます。「家で飼うためにはどうしたらいいのか」を考え始める子もいます。
また、捕ったり飼ったりする過程で、その生き物の生態を学んだりもします。

そのような出来事は、「大人が子どもに生き物の生態や生や死について大切なことを伝えるきっかけ」を与えてくれるのです。

また、「死ぬ」ということについて考え始める子もいます。それは「命について」や「生きる」ということを考えるきっかけにもなるでしょう。
「死や生について考える哲学」は、子どもの遊びの中から始まっているのです。

数年前、うちの孫は「カブトムシの幼虫」をいっぱい飼っていました。だから、ちゃんと世話もしていました。
死んでしまったものもいっぱいいましたが、死なないように考えたり、調べたりもしていました。


それは肉を食べないと公言しているビーガンの人でも同じです。植物も「命あるもの」の仲間ですから。

もっといえば、発酵食品の発酵を支えている菌も生き物です。腸内細菌も生き物です。手や頭や皮膚にもいっぱい生き物が住んでいます。それらの菌も含めて全ての「命あるもの」は「祖先を共有する兄弟」なんです。
石けんを使ったりアルコールで消毒をすれば、それらの生き物は死にます。でもそれを「かわいそう」と言う人はいません。

現代人の生活の場からは「生」も「死」も見えなくなりました。でも、人が生き物を殺さなくなったわけではありません。食べられるために飼われている家畜はもちろんのこと、山を崩し、田んぼを埋めれば、無数の命が死ぬのです。工場を稼働させ、自動車を走らせるだけで無数の命が死ぬのです。現代人の簡単で便利な生活は生き物達の死によって支えられているのです。

ただ現代人は、そのことを無視ししようとしています。そして、幼い子どもがアリを殺しているだけで「かわいそうだからやめなさい!」と叱っています。


以下は阿部ヤエさんの「わらべうたで子育て」(応用編)福音館書店からの抜粋です。


 遠野では、蹄がわれない馬が評判で、馬の牧場がたくさんあったのです。羽を取ったトンボを三十匹ぐらい箱にあつめると、トンボはみんな南の方へ飛ぼうとするから、同じ方向を向いてちぎれた羽をキラキラさせて、それはきれいでしたよ。
 「おばあさん、ほら、りっぱだよ」と見せると、つっつ婆に怒られる。「アゲヅ(とんぼ)というものは羽っこがあって、空飛んで生きるもんなんだ」。羽を取られたら殺されたも同じだ」って。
 次の日になれば箱からはい出てあっちにわやわや、こっちにわやわやしている。それ見て、羽切られたら、ものも食えないし死んでしまうと気がついてくる。
 それで今度は糸をトンボのしっぽにつけて飛ばしてあそぶ。「飛んだ飛んだ」と喜んでいると、またつっつ婆に怒られる。
 「トンボは自由に飛んでこそ飛んだと言える。それがトンボの生きるということなんだ」って。
 今度は草の茎をトンボのお尻にさして放すと、細い草の穂つけて飛ぶんですよ。するとまた「しっぽに草の茎さされて生きたと言えるか」と怒られる。
 悪いこととは思わず、子どもっていろいろ試してみる。それがあそびなんだもの。トンボ捕ってあそべと大人は教えながら、一方で叱ってさとしていたんですね。
 卵産むころになると、トンボつかまえて羽をいためないように持って、しっぽを手のひらで受けて、「粟ぼっこ なぁせ 粟ぼっこ なぁせ」
 と、しんぼうづよく五分ぐらいうたう。すると、細いしっぽからたくさん卵を産むんですよ。それが面白い。そうして逃がしてやるから、トンボもいためなかったしよかったと思って、卵を見せに行くと、つっつ婆にまた怒られる。「アゲヅは子孫を残すために生まれてきた。それを手に卵産(な)させられたら、トンボの一年は無駄になってしまうんだ」って。「水に流してくる」と言っても、「卵というのは、雄と一緒になってつながって水に落としてはじめて生まれてくるものなんだ。人も同じなんだ」と教えられる。子どもにも悪かったとわかってきて、トンボを捕らなくなっていきます。
 大人から「トンボ捕らないのか」と言われても、「えらねえ」といって捕らない。そうすると、大人は、あーわかったんだなって思う。そうやって、あそぶことをとおして、生命の尊さを教えていたんですね。


(つっつ婆は、ヤエさんが子どものころ隣に住んでいたおばあさんで、「わらべうた」をよく知っていた。ヤエさんはこのおばあさんからたくさんのわらべうたを教えてもらった。)





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Last updated  2026.07.16 05:39:36
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