全502件 (502件中 1-50件目)
中学校で初めての卒業生を送り出し、しばし余韻に浸りたいところだが、実は、ここからが「勝負」である。確かに卒業式は終わったが、3/31までは、籍は中学校にある。つまり、授業を受けに来なくても、彼らはまだ「中学生」なのである。 特に、例年卒業式の後は解放感からトラブルを起こしたり、巻き込まれたりする生徒が出る。田園地帯に位置する我が校も、近年、学区に隣接して大規模商業施設、娯楽施設が造成され、生徒たちが遊ぶのに困らないようになってきた毎年、卒業式の後には3年担任が巡視することになっている。 私は、隣のクラスの英語の先生と二人で、カラオケ屋、ゲームセンターを見て回った。早速、卒業生発見高校生の姉と、その友人たちと一緒に遊びに来ていた。こちらに気づくと一礼した。姉も(教え子なので)、「あっ、先生」とにこにこして挨拶。まぁ、悪いことをしているわけではないので、「遅くならないうちに帰るんだぞ」と注意した。 英語の先生は「でも、例年になく、出歩いている子は少ないですよ。というより、いないですよね」と怪訝な表情。決められた箇所を見て回ったが、最初に見たひとり以外は見つからなかった。 そこで、別の箇所を巡視している先生に連絡し、そちらに応援に行く旨を伝えようとした。ところが、そちらも「全く」いないとのこと。「今年はどうなっちゃってるんだろう?」という話になった。「誰かの家に集まってるんじゃないですか?」「集まって何してるんでしょう?」等と話をしながら学区内を見て回ったが、それらしい気配もない。 やがて、大きな公園に近づくいた。すると「いたいた!!」と英語の先生。見ると自転車が十数台、近くには中学生が固まって座っていた。しかも、よく見ると全て私の学級の生徒たちではないか白昼堂々??とドキドキしながら車で近づくと、彼らのひとりがこちらに気づいた。 こういう時、悪いことしている連中は蜘蛛の子を散らすように逃げるものだ。ところが、かれらは、こちらに駆け寄ってきた「なにやってるんだ?」と聞いたら、にこにこしながら「野球です」なんでも、「卒業式の後、お昼を食べたら公園で野球をしよう」と一月ほど前に約束をしていたそうな。中学校の体育着の子、制服を着たままの子、服装はばらばらだったが、どの子も汗びっしょりかいていた。こちらにも「遅くならないうちに帰るんだぞ」と言ったが、かわいいというか、拍子抜けしたというか、何とも言えない気分で別れた。「先生のクラスの子って、最後までかわいかったですね」と英語の先生が目を潤ませていた。バックミラーの中では、ヒットを打った子が全力疾走していた。「本当に馬鹿揃いですね」といいながら、僕も鼻の奥がつーんとしてきた。 明日は、県立高校の合格発表。
2010.03.11
本日、担任している生徒たちを送り出しました。 私は、彼らの入学と同時に中学校に着任しました。そして今の学級担任になって2年が経ちます。私は「優しい」先生ではありません。物わかりの悪い、うるさい先生です。嫌われたいとは思いませんが、嫌われたくないがために間違った指導をするのは性に合いません。 けれども、土俵の中で生徒が暴れている分には何にも言いません。「ここまではよい」「ここから先は絶対だめ」、2年もつきあえば、彼らも分かってきます。おそらく、「武勇伝」の数は学年一だったと思います。担任がいてもいなくても、何にも変わらない―そんなクラスでした。 卒業式の会場に向かう時、全員が椅子を机に入れて席を離れました。2年前、「自分たちは小学生じゃない、そんなこと注意しないでほしい」と言っていた子たちです。純粋に、本当に純粋に「ああ、よかった」と思いました。 卒業証書を受け取るときの態度、「旅立ちの日に」の歌声、3年間で一番輝いていました。私の自慢の教え子たちです。 「私は、必ず君たちに負けないクラスを作る。だから、君たちは、後輩たちに後ろ姿で語れる先輩でいてくれ。」―こんな言葉で学級を解散しました。 「もういい。早く行け!」 「愛と青春の旅立ち」での士官学校卒業式のシーン、「俺はあんたを一生忘れない」という主人公(このときには既に少尉に任官している)に対し、教官の鬼軍曹が、(上官に対する)敬礼をしながら告げる台詞です。胸にこみ上げる万感の思いを抑えながら、最後まで自らの職務に忠実であろうとする姿、そして、自分にできることは全てやり尽くしたという誇り、美しい教育者の姿です。 私はまだまだその域には達していませんが、彼らに対し手を抜いた指導はしなかった、とは胸を張って言えます。そして、夢中になって仕事をさせてくれた、あの子たちとそのご両親、保護者の方に感謝しています。 元気でな 続く
2010.03.11
すっかりご無沙汰してます。ここ数年、暇になる時間がない…というのは大げさですが、まとまって文章を書く時間が取れません。中3担任なので、卒業式が終われば一息つけるかな、と期待しています。 さて、選手の日本選手権決勝をもって、一般的にはラグビーシーズン終了ということになるのでしょう。実際には既に始動しているチームもあるし、4月に入ればオープン戦が始まりますので、オフシーズンとは呼べないのですが、一区切りであるのは間違いないでしょう。個人的には、8月に怪我をして不安を抱えたままのシーズンインでしたが、何とか乗り越えられたのでほっとしています。 普及育成関係では、やはり先週行われた全国小学生タグラグビー選手権がもっとも大きな出来事でした。氷雨に低気温と過酷なコンディションでしたが、選手のひたむきさに助けられながら終了できました。 この大会にレフリーとして参加してから6年、普及育成委員として運営に携わってから2年が経ちますが、プレースタイルも会場の雰囲気もだいぶ変わりました。もちろん、選手のやる気は変わらないのですが、「何が何でも勝たねばならない」といったチームは減ってきたように思います。グランドコンディションが悪かったので、選手が止まれないために起きたコンタクトはありましたが、以前見られた、体をぶつけるようにしてタグを取りに行くプレーは激減しましたし、直線的に走るプレー(どうしてもコンタクトが多くなる)を柱にしたチームは勝ち上がれなくなってきています。結果、パスと外展開のチームが多く、見ていて楽しい試合が増えました。これも、選手と指導者の方の努力のおかげと感謝しています。 また、今年の大会から「石塚賞」が設けられました。夏に亡くなった石塚武生さんの名前から頂いた賞で、勝敗に関係なく、楽しく、ひたむきにプレーしているチームに与えられるものです。今回は熊本市立東町小学校「イーストタウンジュニア」が受賞しました。普段は別のスポーツをしている子たちが、点差がついてもひたむきにプレーしている姿、また練習中に楽しそうにボールと戯れている姿、見ていて清々しい気持ちになりました。試合中の態度も多くの人たちから賞賛されていました。ぜひ、まっすぐ伸びていってもらいたいものです。 なお、このチーム、初日に行われた交換会でもチャンピオンでした各チームのキャプテンが一言話すのですが、このチームのスピーチは二人が登場。キャプテンの熊本弁のスピーチを通訳の女の子が逐次訳していくのです。「ばってん」→「しかし」等々。会場は大爆笑大会を盛り上げてくれました(石塚賞とは関係ありません、念のため) いろいろあったシーズンですが、何とか終わりました。次のことはこれから考えます。
2010.03.07
5時45分頃、地震発生。速報によれば、このあたりの震度は4。すっかり目が覚めました。
2009.12.18
あっという間に10月、11月が過ぎ、気がつけばもう12月も半ば。忙しいのは相変わらずですが、今年の忙しさは半端ではありません。なにしろ、この日記がほとんど書けないのですから ラグビーシーズンはこれから2月の最終週まで熱い戦いが続くわけですが、私の(今年分の)レフリー割り当ては昨日終了しました。数年前までは正月や1月半ばまで仕事があったわけですから、この時期に御用納め寂しいものです。が、これは仕方のないことです。いつまでも楽しい思いをし続けるわけにはいきませんからね。もっとも、1月下旬にはミニラグビー、さらにはタグラグビーのレフリー指導等が入る予定なので、頭を切り換えねばと思っているところです。 本業の方も、私立高校の出願が終わり、入試関係の仕事も中休みといったところです。先週は県の国語科研修会で作文指導について発表をしました。一般に、国語科の研究は、生徒の学力が本当についたのかの証明が難しいのですが、その点は今回の私の発表は画期的でした(爆)。進学資料を作るための実力テストに作文があるのですが、その学年平均得点率が地区のそれより常に10パーセント近く上なのです。他の観点、「読むこと」「古典」等は地区の平均よりやや良いくらいですから、どうやら私が行った作文指導は少なくとも害にはなっていないようです。しばらく続けていた作文指導はしばらく休みにして、新しい研究に取りかかる準備をしています。 年末は例年のごとく花園に行く予定です。
2009.12.14
今日の学級日記に、当番の生徒が「1時間目に卒業アルバム用の写真を撮った。卒業が近づいてるんだな、と感じた」と書き込んでいた。胸がジーンとした。一つ一つの出来事が「中学校生活最後の」という修飾語を意識しながらのものになる。そんな時期になってきた。さて、昨日はイーストリーグのアシスタントレフリーをしに狭山にあるグランドまで出かけた。レフェリーはNZウェリントンからの派遣レフリー、フィリップ君(30)。聞けば、前日は大学の公式戦(40分ハーフ)を吹いたとのこと。万が一にも彼が故障したら、笛は僕が吹くことになる。先週復帰したばかりということもあり、アップを入念に行った。 試合の方は緊迫した好ゲームであった。フィリップ君、前半もなかなかいいコントロールをしていたが、後半はさらに高い集中力を発揮して難しいゲームをうまく裁いていたと思う。試合中、いくつかのプレーについて確認をしたが彼の方で確認ができていたので問題なし。よく外国からのレフリーとチームを組む機会があるが、毎回発見があり、刺激を受ける。いいものは取り入れていき、パフォーマンスの幅を広げていきたいと思う。試合終盤、足を痙攣させ動けなくなるプレーヤーが続出した。聞けば、会社の方針でチームの強化ができなくなって、チーム練習は週2回、それも全員そろうのは難しく、中には夜勤のため、コンディションを整えるのも難しい選手もいるそうだ。立場上、誤解を招くわけにはいかないが、何とか頑張ってほしい。移動に往復4時間かかったのは少々困ったが、楽しい一日だった
2009.10.05
先月下旬から、生徒会主催の校内バスケットボール大会が開かれている。で、いつのまにか教員チームのメンバーに選出されていた本当のところは、選出も何もなく、体が動きそうな男性教員が5人しかいないから嫌も応もないわけだが…給食直後に運動(しかも激しいバスケットボール)するのはなぁ、と思っていた。 試合当日、生徒会役員が「今日の対戦」を放送する。我々のチーム名は「ファンキ-モンキーティーチャーズ」なんだか恥ずかしい。お代わりもせずに体育館に向かい、準備運動をする。せっかく復帰できたのにアキレス腱など切ったら大変だ。 試合が始まると、自然と体が動いてしまう実は、15、6年前、小学校のミニバスケットボールのコーチをしていたので、多少の技はあるおまけにもともとのポジションはSH、ボールは丸くてもピンポイントのパスにはかなり自信がある加えてメンバーは体育の先生2名、バスケット好きの数学の先生1名、元高校球児の数学の先生、それに現役レフリーの国語の先生(私のことね)と体を動かすことを(それほど)厭わない人たちなので随所に好プレーが見られた。 「先生、かっこよかったですよ~」とクラスの女の子たちから言われたが、試合の後が大変。気持ち悪い、汗はとまらない、散々な5時間目になった。 変な話、こういう試合でも手を抜けない私にとって、トレーニングにも匹敵するくらいきつい。これを週2回もやったのだから、今週は体がだるかった。 でも、中学生と先生がこうやってスポーツする機会は貴重だろうし、全校生徒の三分の一が応援にくるのだから、学校の雰囲気作りにもなっているのだろうな。 あと一試合、がんばろうっと。
2009.10.03
昨日、私の2009~2010年ラグビー(レフリーの)シーズンが開幕しました。 先月の半ばに菅平で行われた研修中、右足を強打して走れなくなってしまいました。それからおよそ2週間は治療とリハビリ、9月の初めには持久力テストが実施できるまでに回復したのですが、今度は膝などに激痛が走り、再び治療。その間にラグビーシーズンが始まってしまったわけです。 他の人たちは試合を担当しているわけですから、様々な話題を提供してくれますが、こちらはまだシーズンに入っていないわけですから少々焦りました。ただ、2回目に故障してからは9/27(昨日ですね)の試合にベストコンディションで臨むことだけを心がけ、トレーニングしてました。 ここ数年は、試合前に寝付きが悪いことなどはなかったのですが、土曜日の晩は少々眠りに入るまでに時間がかかりました。多少緊張していたからかもしれません。 久しぶりの80分はやはり長く感じました。タイムアップの笛の後はほっとしたというのが正直な感想です。 負傷直後、一緒に研修を受けていた皆さんや協会のレフリー委員会の皆さん、さらにはご心配いただいた皆さん、ありがとうございました。おかげさまでシ-ズンを迎えられました。出遅れた分はこれから取り返します。
2009.09.28
「ラグビー日記」の題名とは全く違う内容が続いていますが、ご容赦を。「やめちゃったんですか?」というご質問を頂きましたが、ばりばりの現役です。シーズンに向けて調整中です で、見出しの件。先週の木曜日に、勤務校にも結果が送られてきました。点数などは非公開とされていますので書きませんが、結果は「良」と言ったところでしょうか。 この調査、1回の実施に49億円もかかるそうで、政権交代の暁には、形を変えて実施(抽出校だけ実施)になりそうな気配です。「基礎学力はついているが、応用に課題」等、49億円かけなくても分かりそうな結果だけに注目すると、確かに無駄遣いです。誰がどう考えても「基礎は苦手で応用が得意」という人間よりも「基礎はできるが応用に難あり」という人間の方が圧倒的に多いに決まっています。ついでに、「学力向上フロンティア」等の研究成果が「朝や放課後にプリント学習を取り入れたら学力が上がった(←勉強する時間が増えたらある程度は成績上がるのは当たり前)」「複数の教師が指導にあたったら学力が上がった(←学習につまずいている子にとって、個別に近い形でこれを取り除いてくれるのだからありがたい)」等に終始しているのも税金の無駄遣いです。誤解のないように言っておきますが「学力向上等必要ない」「プリントをやらせたり、チームティーチングが間違っている」と言っているわけではありません。問題にしたいのは「どうしてそんな当たり前のことが行われてこなかったのか」「これら以外に学力向上の方策として有効な手立てを提示できないのはなぜか」という点です。研究とも呼べないような作業に従事させられた先生方には同情を禁じ得ません。 余談が過ぎました。本題に戻りましょう。結果に一喜一憂するのはある程度仕方ないとしても(私も自分の担当教科の結果を見て喜んじゃいました)「全国何位」ばかりに目をやらずに、その結果をもとに、自分たちのしてきたことを検証する姿勢が必要であると考えます。今回、勤務校の国語に関して言えば、全国の傾向とは異なる結果が出ました。学年主任は「国語の授業がいいのでは?」という結論を出していましたが、私は少々異なる見解をもっています。まだ仮説にも至らない、思いつきの段階ですが、国語の授業以外にも学年の枠を越えて一緒に活動する機会が多かったり、あるいは生徒同士が話し合いをして集団の意志決定をする機会が多かったりという点が大きいのではないかと考えています。 これが正しいかどうかは、他の学校との比較をしないと証明できませんが、このほかにも「小学校6年生時の特徴が中学校3年時にはどのように変わるか」なども興味深いテーマです。勤務校の場合、地元の2小学校の生徒をそっくり(若干流出はありますが)受け入れていますのでやろうと思えば来年からできます。もっとも、学校ごとの結果は非公開という原則がありますので難しいでしょう。 いずれにせよ、私は調査結果の活用の仕方を工夫すればかなり有効な調査であると思っています。49億円…たしかに大きな金額ですが。ここまで書いて気になったので調べたのですが、最新鋭の戦闘機F-22って1機150億円以上だそうです
2009.08.30
まとまった文章を書いた経験のある方なら、たぶん共感していただけると思うが、書き終えた後は本当に頭が空っぽになったように感じる。これは僕のような才能のない人間だけの現象かと思ったら、大学院時代の指導教授も同じような話をしていた。次から次へと作品を出し続ける作家の頭中はどうなっているのだろう、と考えてしまう。発信したら蓄積しなければならない―これも先生の教えである。そんなわけで、8月後半は(とある事情で満足に動けなかったというのもあって)意識して本を読んだ。面白かったのはこれ。エビデンス主義その中に紹介されていたこれも面白かった。ヤバい経済学「経済学」とあるが、全く経済学門外漢の僕でも一気に読めた。心のまっすぐな学校の先生が読んだら起こるような内容が次々登場するが、荒唐無稽な話ではないし、むしろ、物事の因果関係を単純に割り切るのは危険だと改めて考えさせてもらえるという点でいい本だと思う(僕が「心のまっすぐな学校の先生」であるか否かの問題は棚に上げておく)。次の課題は、頭に充電した内容が漏電しないようにすることだね
2009.08.26
太平洋戦争開戦時の海軍大臣(後に軍令部総長を兼務)であった嶋田繁太郎は、極東軍事裁判で死刑を免れ、終身刑に処せられますが、やがて釈放。以来、公の場に姿を現しませんでした。しかし、後年、海上自衛隊の練習艦隊が海外に航海に行く際の壮行会に招かれ、これに出席、挨拶と乾杯の音頭をとります。 練習艦隊が帰国し、訓練に参加していた海軍士官学校出身の幹部自衛官が、土産をもって井上成美海軍大将のもとを訪れました。そして、壮行会での嶋田大将の様子を話したところ、井上大将は「恥を知れ!人の前に出せる顔だと思っているのか」と周囲の者が青ざめるほど激怒したそうです。私自身、たいした人間ではありませんが、それでも、「恥を知れ!!」と怒鳴りたくなるような人が多すぎます。多くの人を束ねる立場の者が、自分がスポットライトを浴びないと気が済まないというのは、周りの人たちにとって大迷惑だし、見苦しいことなのだ、というのが分からないらしいのです。そういう人に限って「生徒のため」「先生方のため」と口に出すから腹立たしい。周囲は「今年で退職だから」と寛容な心でおつきあいしていましたが、毒蛇はいくら親切にしてやっても毒蛇であることには変わりありません。ゾンビのごとく蘇り、今度は「自分のため」に活躍(正しくは暴走)することでしょう。「大将と言っても、一等から三等まである」と言ったのも井上成美です。彼の言葉を借りれば「校長と言っても、一等から三等まである」となるでしょうか。よその学校の校長ながら、三等校長の下で働かざるを得ない先生方に同情しました。また、人として、彼の行いが他山の石となるよう、私自身も心して行動するようにします。なお、僕の勤務先の校長先生は、米内光政のような上司です、念のため。
2009.08.23
ここ数日、2時間に一度は携帯電話が鳴る。「どなたかレフリーいませんか?」、そう、菅平の練習試合のレフリーの依頼である。毎年、この時期には菅平に上がっているので「今年も」と思ってくれるようだ。しかし、今年は目の回るような忙しさ。電話をくださった皆様、ごめんなさい。この場を借りてお詫びします。閑話休題。数週間前、地元の新聞に同級生についての記事が載っていた。彼とは高校のラグビー部で一緒、3年生の時のクラスも一緒だった。今、彼はちょっとした「時の人」である。というのも、最近、DNA鑑定の精度が問題になり、被告人が逆転無罪となった裁判があったが、彼はその弁護団を構成する一人である。彼は高校時代、ルーズヘッドプロップだった。体が格別大きかったわけではなかったが、スクラムは強かった。だが、僕の彼に関する記憶の中でもっとも印象に残っているのはタックルである。試合の終盤、一番身体が苦しいであろう彼が、強烈なタックルで相手を倒すシーンを何度も見た。その度に、「負けられるか!」と闘志がよみがえってきたのを覚えている。彼自身はどちらかと言えばやんちゃな高校生だったが決していい加減なやつではなかった。少なくとも、仲間のために体を張ってくれる男であることは、同期の仲間が、そして、あのタックルが証明してくれるだろう。彼は「高校時代の苦しい練習を思えば、どんなことでも我慢できる」と語っていたが、記事を読みながら「そうだよなぁ」と思った。久しぶりに奴を見て「負けられるか!」という気になった。これだから、ラグビーは面白い。
2009.08.13
戦前のワラビーズに、日系選手がいた。ブロースローカップで活躍した彼は、ワラビーズのイングランド遠征のメンバーに選ばれた。しかし、歴史は彼にトゥイッケナムでのプレーを許さなかった。彼らがイングランドに到着した、まさにその日に第2次大戦が始まったのである。彼については、僕の高校の先輩である蟹谷勉氏が著した『死に至るノーサイド』でも取り上げられた。僕も、キャンベラの戦争記念館の壁に刻まれた彼の名前を見て、何も言えなくなってしまった思い出がある。ぜひ、ご覧ください。
2009.08.09
仕事の休憩中に、懇意にしているラグビーショップの方から電話があった。「常総学院高の石塚さんが…」。一瞬耳を疑った。先月末、横浜でお会いしたばかりだったからだ。 僕がラグビーに興味を持ち始めたころのジャパンのキャプテンが石塚さんだった。また、初めて秩父宮でオフィシャルの仕事をしたのは早稲田対帝京の試合だったが、そのときの早稲田の監督が石塚さんだった。3月には、宇都宮高校のラグビー部を連れて常総にお邪魔して一緒に練習をさせていただいた。本当にお世話になった。 心からご冥福をお祈りします。
2009.08.06
毎年、この時期には中学3年生を対象に、「高校一日体験学習」が開かれる。昨日は県庁所在地の工業高校、今日は同じ町内の普通科高校に生徒を連れて行ってきた。 私が中学生の時は、普通科での一日体験学習(当時は学校見学と言っていたような気がする)は実施されていなかった。たまたまテストケースとして、当時在学していた中学校のみを対象に、ある普通科高校が学校見学を実施した。 その学校、校舎はお世辞にもきれいとは言えなかったが、それがかえって中学とは違った深みのようにも感じられ、また、その校舎で勉強していた高校生たちを見ている内に、なんとなく「勉強しなくちゃ」という気分にさせられた。 結果的にその高校に入学したのだから、やはり一日体験の効果はあったのだろう。勉強しに入学したはずなのに、ラグビーばかりに夢中になったのは我ながら誤算であったが 両校とも、こちらから見れば至れり尽くせりの歓迎ぶりだった。少子化の影響で、生徒数の確保は学校を維持していく上で必須の条件である。「お客」である中学生によい印象を持ってもらおうと工夫しているのがよく分かった。 うれしかったのは、どちらの学校でも「あ、先生」と声をかけてくれた教え子たちがたくさんいたことである。こういうのは中学校の先生ならではなのだろうな。 生徒たちにどれほどの自覚があるかは分からないが、進路決定の時期は迫っている。しっかり自分の目で見、自分の頭で考えてほしい。
2009.08.05
生徒にとっては「夏休み」、僕にとっては「夏働き」真っ最中です。それでも、授業がないというのは体(神経)は楽です。 さて、昨日の地元紙「○野新聞」社説に、「今からでも遅くないから小学校高学年の英語活動をやめて、国語の授業を増やすべきだ」という社説が掲載されていました。県の教育会の調査の結果から、幼稚園生~高校生の言語力が低下していることがわかった、というのがその背景にあります。「国際人の育成もいいが、このままでは肝心の日本人が居なくなってしまう」(この言い方はなかなかしゃれていていいですね)、という主張です。 再三ここで書いているように、僕の立場ははっきりしていますから繰り返しません。一言言うなら「始める前に言ってくれ」。それはそうでしょう。だって、日常生活の中でただでさえ字を書いたり本を読んだり、人と話をしたりする時間が激減しているのに、肝心の先生が「ハロー」なんてやってるんですから、子どもが日本語を使う環境は悪くなるに決まっています。 先日、隣の小学校で高学年の英語活動の公開授業がありました。同僚の英語の先生が、感想を求められたときに(何の考えもなしに)「今日やったこと、子どもたちは中学に来るときには覚えてないでしょうね」と言っちゃったそうです小学校の英語活動のねらいは「英語に親しむ」ことが第一だそうですので、楽しければいいのかもしれませんが、「貴重な時間とエネルギーを割かなくてはならない小学校の先生には同上を禁じ得ません(僕もこの前まで小学校の先生でしたが、そう考えると中学校に来て幸運だったかもしれません)。なお、同僚の先生の何気ない一言の後、会議は凍り付いたそうですなぜこんな話題を出したか?僕らの身の回りで、「そんなのやる前から分かってた」という「研究」と称する壮大な時間と費用の浪費がまかり通り、それによってどれほど多くの先生たちが消耗しているかを痛切に感じるからです。例えば数年前まで「学力向上フロンティア」校なる学校が指定され、盛んに発表が行われましたが、結論は「補習」と「少人数指導」をすれば学力が上がるという、やる前から分かっていたものがほとんどでした。逆に言えば、なぜその程度のものすら学校はやってこなかったのか、あるいはできないのかという検証の方が大事なような気がします。筆の勢いに任せて書きたい放題ですが(笑)来年度からその「研究」に携わらなければならないような情勢になってきました。今度は「裁かれる」番になるでしょう。そんなこともあり、今年の夏は猛烈に忙しいのです。でも、菅平には間違いなく行くんですけどね
2009.08.02
ずーっと更新怠けてました(^^;)運動会があったり、修学旅行があったりと、いろいろ書くことはあったのですが…今年は気分にゆとりがないですね。反省。ひとつ嬉しい知らせ。反論の技術・実践資料編増刷が決まりました。この手の本はいわゆる「流行」とは無関係なので、初版のみ、というケースが多いのですが、おかげさまで第2版が出ることとなりました。ありがとうございました。さて、昨日、今日とラグビーの会議に出席しました。ここのブログでも話題に出している「タグラグビー」ですが、小学校の学習指導要領解説に掲載されたこともあり、協会への問い合わせも増えてきているそうです。これを追い風にすべく、様々な提案がなされましたが、中には「おっ」と思わされるような話もあり、中身の濃い二日間を過ごせました。詳しくは、また後日とします。あと一週間で夏休み。しかーし、今年は3年担任、やることはのようにあります。がんばらねば※「○字◎事と同じ県出身だけど、なまってないねぇ」と妙に感心されますが、あんなに訛っている人、私の身の回りではまれです。
2009.07.12
仕事柄、新型インフルエンザの話題には敏感になる。 昨年度、僕の勤務する学校ではインフルエンザが猛威をふるった。僕のクラスでも、33人中最大で7人の生徒がインフルエンザと診断され、学校を休んだ。そのほかにもインフルエンザではないが、高熱などのため早退が相次ぎ、給食時には23人しか残っていない、なんてこともあった。学校では感染拡大を防ぐため、のべ3週間にわたって放課後の部活動は中止、登校時間を遅らせた期間は2週間など、学級閉鎖等、登校差し止め以外の手段はすべて行っただろう。 流行期に入ったら、考えられる予防策をとるのは言うまでもないのだが、それでも目に見えないウイルスが相手なのだから、完全な予防はまず不可能である。まず、個人レベルでの予防、次いで身近に患者が出たときの対応策を立てておく、これしかないだろう。 ちょっとだけ自慢(?)。既に僕の教室には学級の生徒数×3倍のマスクを備蓄してある。誤解されると困るので説明しておくが、これは4月の時点、メキシコで怪しげなインフルエンザ発生のニュースを聞いたときに個人で購入しておいたもので、最近になって買い占めたものではない。 それから、イソジンは職員室に常備してあるし、手指を消毒するためのエチルアルコールは各学級数分用意済みである。イソジンは、今までも授業が終わるたびに使っていたし、エチルアルコールは給食時全生徒が使用している。 ここまでやって流行したら、素人の予防策では防げなかったとあきらめるしかないと思っている。 かかった人は分かると思うが、インフルエンザは本当につらい。僕が最近感染したのは2003年の冬だった。友人Y田氏(トップレフリーです)が静岡に住んでいるときに、「遊びに来ない?何試合かあるから一緒にレフリーしよう」と誘ってもらった。気の合う仲間何人かと一緒にお邪魔したが、本当に楽しかった。 変だな?と思ったのはレフリーを終えて、近くの銭湯で体を洗っている最中だった。「疲れているのだろうか?」と思ったが、家に帰ってから立っていられなくなった。当然、翌日は職場には行けなかった。午前中いっぱい寝ていても回復しないので、病院に行ったところ「インフルエンザですね」と言われた。タミフルをもらい、自室から一歩も出なかった。頭とのどが痛く、1時間が普段の3時間くらい長く感じた。タミフルの効果だと思うが、辛かったのは二日目までで、その後は自分でも分かるくらい、一眠りごとに回復していった。でも、もう二度とかかりたくないと思った。 解せないのは僕以外の家族全員は予防接種をしていたという事実をそのとき聞かされたことだ なぜ教えてくれなかったのだろう????以来、家族から仲間はずれにされないよう、普段の生活から好かれる行動を心がけている。 今回の新型インフルエンザ、リレンザやタミフルが効くそうなのでやや安心しているが、かからないのに越したことはない。まずはうがい手洗いだね。思い出した。インフルエンザになった翌週、熊谷ラグビー場でレフリーしてました。正直言ってきつかったです。
2009.05.17
むかーし(?)、「授業中に先生が『指導する』のはよくない」「学び手である子どもの主体性を尊重し、楽しく活動をさせるのが良い授業である」「授業が楽しければ、その後は子どもが進んで学習するようになる」云々という(教員への)指導が主流であった時期がある。僕がまだ駆け出しだった頃の話だ。 びっくりしたのは、指導計画の方針を示した教授案、通常は「学習指導案」というのだが、これを「学習『活動』案」と書け、というご指導まであったことだ。学校の先生になるような人たちは生来真面目な人が多いから、おかしいなとは思っていたのだろうが「ご指導だから」とこれにしたがっていた。 だが、教員ではあるが、生来の臍曲がり、かつ、思考的不良少年(?)である僕は、その手の話を聞くたび我慢がならず、あちこちの研究会で異論を唱えた。当然、(控えめに言って)煙たがられ、当時の管理職に「他校の校長から校長会で「黙らせろ」と言われたよ」と苦笑混じりに告げられた。 さて、現在。「教師の指導力が問われる」「基礎・基本の徹底」云々声高に叫ぶのが、教育界の「主流」である。「学習『活動』案」など、どこを探しても見つからないし、「くり返し○○ワーク」と銘打った反復練習帳が売れるなど、十数年前を思うと隔世の感がある。だが、僕は相変わらず面白くない。 「指導から支援へ」へのキャッチフレーズ(これだって誰が言い出したのかは不明である。当時の文部省の文章にはこの語は一度も登場していないのだ)の元に行われた当時の教育は(これもまた控えめに言って)お世辞にも成功したとはいえない。現在はその反動として「学力向上」が国家的スローガンになっているかのような風潮があるが、これは、過去に失われたものが如何に大きかったかを表しているともいえる。だから、これを取り戻すために学校が必死になるのも当然である。 ここからが本題。当時の教育に携わった多くの先生たちは「上意下達」つまり、ご指導があったから、それにしたがって教育活動を行いました、という話をする。当然といえば当然であるが、自らのしてしまったことへの「申し訳ない」という気持ちはどれくらいもっているのだろう。文部科学大臣が、いわゆる「ゆとり教育」を受けた世代に対し謝罪をしたことからわかるように、あの時代の歴史的位置づけは既に済んでいる。僕も含めて、あの時代に教壇に立った先生たちは失政に手を貸したわけだ。これに対しては、前述のように大臣が謝罪しているのだから、一教員が当時の教え子たちにいちいち謝る必要はない。でも、どうも気持ちに整理がつかないのは、「学習『活動』案」を積極的に広めることに手を貸した人たち、つまり、あの当時の研究主任とか学習指導主任クラスの教員たちが学校教育の中枢になり、当時と180°違うことを後輩たちに指導している点である。 くり返しになるが、彼らに責任をとれというのは酷であるし、彼らなしで今日の学校運営が成り立たないのは火を見るより明らかなので、職を去れ、とか腹を切れ、等と言うつもりは毛頭ない。僕だって同類と言われれば同類である。ただ、当時について頬被りをし続けるのはいかがなものだろうか。教員として、当時なぜあの流れに抗えなかったのか、あるいは積極的に関与したのか、その結果、何を失い、何を学んだのかを先輩たちから学びたいと思う。 太平洋戦争末期、海軍兵学校の入試及び授業から英語をなくそうという動きがあった。陸軍士官学校が授業で英語を廃し、入試からも外したために、優秀な人材がそちらに流れるのを危惧する教官たちの提案であった。会議の結果は英語の教官を除きこれに賛成であった。だが、校長であった井上成美中将は「英語を知らぬ海軍士官がどこにいる」「外国語の一つも学ぼうとしない者は、海軍の方からお断りである」と校長の独断でこれを排した。 井上校長は、終戦後「戦争が終わった後、日本の復興に役立つ人間を育てたいというのがその真意であった」と述懐したそうだが、教え子にしてみるとこれほどありがたいことはなかったろう。教育者たるもの、こういう信念を持ちたいものである、と思わされる話である。 なお、井上中将(後に大将)は、戦争責任から最も遠い位置にあったにもかかわらず、自らの責任を痛感、戦後一切の公職に就かず、限られた場にしか姿を現さなかったため、「沈黙の提督」と呼ばれる。責任をとるための「沈黙」もあれば、違った「沈黙」もあるということだろうか。
2009.04.29
春休み最終日。明日への準備に専念したいところだが、僕の勤務している町は、毎年この日の午後に全小、中学校の教員を招集して「研修会」を開いている。町の教育方針の説明とか。教育長挨拶、町長挨拶などがすんだ後に講演会。今年は元総合教育センター所長先生の講話。話の内容はさておき、気になったことが。彼は「慶應義塾の塾長を務めた小泉信三の長男信吉は、昭和17年に『特攻隊』で戦死した」「彼はそれを悼んで、次のような文章を残した」云々と話をした。大部分の先生たちは、戦争によって肉親を奪われた父親の悲しみと戦争の悲惨さを感じ取ったようだった。 さて、これのどこに気になるようなことがあるのか。まず、昭和17年には狭義の「特攻隊」、つまり、生還を期さずに爆弾を積んだ兵器もろとも体当たりするための部隊は存在しない。第二に、小泉信吉は、海軍に志願(それも太平洋戦争が始まる前)したのであり、強制的に戦争にかり出されたわけではない。第三に、これは信吉が出征するときに手渡した手紙である。さらに…言い出すときりがないからこれだけ言っておくが、小泉信三は共産主義を批判し、東宮参与を勤めた保守体制の象徴とも言える人物であった。 話者の先生が引用した手紙も、これだけの予備知識があると、受ける印象が全く異なってくる。つまり、父信三は、息子が自分らしく精一杯生きようとしていることに誇りを持っている、だから憂いなく思う存分信じた道を進め、と伝えているのである。僕の言いたいこと。「話を引用するときには、その背景くらい把握してからにしなさい。少なくとも『海軍主計大尉小泉信吉』くらい読破してから話しなさい。」なんだか、格好悪かった。
2009.04.07
ついに中学校教員生活も3年目に突入。もはや、「慣れてないので…」といいわけはできない状況になってきました。ところが… なんと、数学の授業をもつことに週1時間なんですけどね。現在の教育課程では、3年生では週3時間の「選択授業」を行うことになっています。その中の1時間を「学校選択」として実施することになったわけです。 数学は専門外(免許もないし)、おまけに、全くの不得手です。2人組での授業ですが、相方の先生の第一声は「ついて行きます」…心中にならなきゃいいけど数年前まで毎日「算数」を教えていたので、その経験だけが頼りです。 昨日、今日と会議漬けです。これは毎年のことなんですがね。明日に備えて、もう寝ます。
2009.04.02
今週末は、ラグビー三昧でした。 金曜の夜、オーストラリアラグビー協会から、コーチ資格(レベル2ラグビーコーチ)の認定証が届きました。昨年の夏に3日間の講義+ルールテストを受け、それからおよそ半年かけて60時間分のコーチングレポートを作成、提出しました。ルールテストの方は立場上それほど困りませんでしたが、コーチングレポートはなかなか苦労しました。でも、ラグビーをとらえ直すいい機会になりましたし、なにより、認定されたのが正直嬉しいですこの上の資格(レベル3)も、と言いたいところですが、これは生活がラグビー一色にならないととれませんし、何よりオーストラリア長期滞在が不可欠なようですので(現状では)無理でしょう。 今回の資格はアマチュアとして望みうる、最高のものかな、と勝手に思っています。もちろん、資格の有無とコーチとしての力量とはイコールではありませんが、ラグビーについて勉強したことの証明にはなります。そんなわけで、自分に「よく頑張りました」 土曜日は、一橋大学対東北大学の練習試合のレフリー。一橋大学の主務と東北大学の主将が「(高校ラグビーコーチとしての)教え子」で、「是非吹いてください」と依頼を受けました。こんなにありがたい話はありませんので一も二もなく引き受けました。 この時期ですからエラーは多かったし、反則も少なくはありませんでしたが、プレーの継続を心がけインプレー時間の確保を心がけました。双方足をけいれんさせていたプレーヤーが多発、たくさん走ったようでした。 試合後、教え子ふたりとしばし談笑。ラグビーを続けているとこういう楽しいこともあります。帰りの電車の中で そして本日、日曜日。茨城のJ学院にU高校を連れて行って練習。オーストラリアのラグビーコーチ二人がコーチングセッションを開くので、そこに参加しました。午前、午後合わせて5時間近く練習しましたが、あっという間に時間が過ぎました。高校生も喜んでいましたが、私も大満足。今日だけで15の練習メニューを教えてもらいましたが、それらすべてに共通するのは「基本」。プレーヤーも基本の大事さが身にしみたようでした。 今回指導してくれたコーチたちとは顔なじみで、お互いに再会を喜び合いましたし、J学院のコーチ陣とも久しぶりに話ができて大満足でした。 普段飲まないのに、昨日一昨日と飲んじゃったので、今日は飲みません 中身の濃い週末、本当に幸運でした。明日からの一週間は、怒濤の仕事ラッシュの予定。新年度は「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」を目指します。
2009.03.29
一昨日、無事(?)修了式が終わりました。一年、速かったねぇ。そして昨日からは春休み。とはいえ、後片付けや来年の準備であっという間に終わってしまうのです。それでも、授業がない分、気楽かな。 さて、来年度も中学校で勤務することになりました。1,2年と担任してきた生徒たちですから、送り出すところまではやりたいと思っていたので、念願かなって、というところでしょうか。昨日気づいたのですが、もし来年度中学3年生の担任になったら、義務教育の学年すべてを担任するという「快挙または珍記録」を樹立することになります 先日、学年の慰労会で、体育の先生から「もう小学校に戻らなくていいだろ?」と言われました。生徒指導のプロみたいな人にそういわれたのは、中学校の教員として及第と認められたのかな、なんてちょっぴりいい気持ちにはなりました。確かに、毎日は充実してますし、小学校勤務の時とは違った楽しさは感じます。 卒業した女の子から「入試で、授業で先生に教わったとおりに作文を書いたら、あっという間に書き終わっちゃいました。」と嬉しいことを言われました。もちろん、頑張ったこの子が一番偉いのですが、悪い気はしません。小学生とは違う反応に新鮮さを感じます。 ただ、中学校に来て小学校の教育に必要なものがはっきり見えてきたように感じます。僕自身もそうでしたが、大部分の小学校の先生は、こどもの「7年目以降」、つまり小学校卒業後を見通して教育活動を行ってはいません。いや、6年間すら見通せる人は少数だと言って良いでしょう。先に、「珍記録」と書きましたが、1~6年までの小学校全学年を担任したことのある先生は思いの外多くありません。私自身も小学校1年生を担任したときに、「あぁ、ここでやったことが6年生のあの学習内容に結びつくのだな」と気づいて感動した覚えがあります。それが分かって教えるのとそうでないのとではえらい違いだと痛感したものです。 特に昨年は、小学校の教育内容と中学校のそれとの関連性を痛感する出来事が多くありました。ドラえもんではないですが、昔にもどって、もう一度授業をやり直したいな、と思うこともたびたびありました。これに気づいただけでも中学校に勤めてよかったと言えます。 今日の新聞には県内の小中学校教員の異動情報が掲載されています。そこに、3年前に私と同じようにいきなり中学校勤務を命じられた先生の名前がありました。彼は、今回の異動で再び小学校勤務になりました。夏に会ったときには「どうしようか、考えているんだよね」と話していましたが、おそらく、彼は小学校での仕事を希望したのでしょう。真意を聞いてみたいものです。 希望をしたから必ず叶うというものではありませんし、「人事は『ひとごと』」、他人が決めるものです。ですから、深刻に思い悩むような質のものではないのですが、来年の今頃には何らかの結論が出ているのかもしれません。
2009.03.26
昨日は、午前中にミニラグビーのルール会議。来年度以降の方向性を確認し、改訂作業を始めることを決定。午後は秩父宮で日本選手権観戦。時々遠くで歓声が聞こえたので「ん?」と思ったら、国立競技場でサッカーの試合があったとのこと。監修の数、聞けば国立は約30,000人、ラグビーは約11,000人、三倍の差があった。秩父宮は東スタンド、南スタンドに7割程度の客の入りで、寂しい感じだった。昨年は同カードでほぼ満員の観衆の中で行われたのだから、やはり、盛り上がりに欠けたと言わざるを得ないんだろうな。さて、今日は某所でミニラグビーのレフリー研修会をするとのことで、講師を依頼された。以来自体はだいぶ前からあったのだが、その後、一昨日まで何の連絡もなく、正直困っていた。結局、依頼した本人からではなく、当該県のレフリー委員長から(これも何となく変。依頼主はスクール委員会)連絡があったものの、不安はぬぐえなかった。不安というのはあたるもので、レフリー研修があるのを知っていたのはスクール委員長だけで、仕切りも何もなくすべて「丸投げ」された感じ。しかも、コーチたちにとってはいきなり始まったレフリー講習会に怪訝な顔をしていた。こうなると、いくらこちらが説明しても「何でそんなこと言わなきゃならないんです?」といった反応や、「子供がいるのであっちに行っていいですか」といった、当たり前と言えば当たり前の反応が相次ぎ、正直、途中で苦しくなった。やはり、事前の準備と打ち合わせは欠かせないと反省、実感した。ただ、県単位でこのような企画をする、というのは「何とかしなくては」という意識があるわけで、これについては立派だと思う。今後、何らかの形でフォローしたいと思う。そんなわけで、勉強になった一日だった。
2009.03.01
サントリーカップ、本日終了。試合結果はこちら。今回良かったこと。まず、単独小学校での参加が増えてきた。大会の初期はラグビースクールを母体にしたチームが上位に進出していたが、ここ2年ほどは、授業の延長(もちろん、放課後などに練習はしているのだが)としてチームを作って大会に参加するチームの活躍が目立つ。今年の参加16チームのうち、単独小学校チームは13。もともとタグラグビーは、ラグビーをやったことのない子どもを対象にした球技でありから、これは喜ばしい傾向であると言える。プレーの面では、コンタクトが激減した。ルールの改正やレフリングの統一等の効果もあるが、やはり選手や指導者の意識が高かったのがもっとも大きい。数年前は接触が前提としか思えない戦術で勝ち進んできたチームが見られたり、タックルと紙一重の方法で相手を止めるチームがあったりと、後味の悪い試合がよくあったが、今年はほとんどなかった。また、コンタクトが頻発するチームのコーチに個別に話をして、具体的な改善を依頼した。次の試合まで1時間ほどしかなかったが、コーチ、選手とも必死の努力をしてくれて、初日最後の試合は今までの面影無く、接触なしで守れるようになっていた。試合結果は残念だったが、勇気を持って対応してくれたこのチームのコーチ、関係者に敬意を表したい。今回、素早いボール回し、ステップを駆使して相手をかわすプレーが随所に見られ、おもしろい試合が多かった。同時に、地域間の格差も縮まってきている。結果をごらんいただくと分かるが、一歩的な点差の試合が減り、最後まで目が離せない試合が多くなった。残念なことをいくつか。ラグビーの入り口と位置づけられているこの競技、喧噪や殺伐とした雰囲気を持ち込むのがラグビー関係者だというのはどうしたわけか。観客席やベンチからの罵声、レフリーや関係者への暴言、これが本当に「子どものため」「ラグビー発展のため」の行為なのか、疑問に思う。実際、単独小学校のチームの応援やベンチからはこのような声はまずあがらない。全体としても、ベンチマナーは清々しいものだった。だから、ほんの一部の、それもラグビーをしている人たちのマナーや言動が目についた。今回、試合中にレフリーが時計の進行を止める合図を出した場合、試合時間の7分終了の鐘がなった後も試合を継続させるケースがある、という申し合わせをチームと関係者間で行った。実際、数試合は鐘の後も試合が続いた。初日最後の試合は、延長時間が1分を超え、しかもその間に逆転トライがあった。レフリーの処置は問題ないし、試合終了が鐘の後になるのは両チームのベンチ、選手には連絡すみである。当然、負けたチームからは質問もなかった。ところが負けた方のチームの保護者が観客席から本部に罵声を浴びせ続け、あまりのひどさにたまりかねた競技役員が相手を叱責した。ちなみにラグビースクールを母体にしたチームである。ラグビーって、そういう競技なのだろうか。ともあれ、しばらくは反省すべき点を洗い出す作業をおこなう。次回大会は応援マナーについて考えてもらうことになるだろう。ここをごらんの皆さん、いろいろとご意見ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
2009.02.22
今年も開幕。 前日の会議では、「子どもが主役」という話をした。いい思い出を持って帰ってもらえるよう、まわりの大人が協力しましょう、と呼び掛けた。 その後、深夜までレフリー担当者で打ち合わせ。コンタクトのない、ボールと人が動き回る試合環境を作りましょう、と重点項目を確認した。 全体の印象。素早いパス回しと一対一の抜き合いが多くなり、面白い試合が多く見られた。今までそれほどタグラグビーが盛んとは言えなかった地域の代表が善戦するなど、話題性にとんだ初日になった。選手、関係者各位に感謝したい。 明日は今日より面白い試合がたくさん見られますように。
2009.02.21
学校はインフルエンザ蔓延中のため、登校時間を遅らせ、しかも放課後の部活動なし。うーん、なんだか締まらない感じ。さて、今週末は、マイクロソフトカップ決勝。僕ももちろん、グランド上に…といいたいところですが、僕の出番はその前座。くわしくはこちらをご覧ください。この手の大会に関してはいろいろと考え方はあろうが、僕の当面の仕事は、子どもたちに楽しんでもらうこと。周りの大人は応援のみ徹してほしいな。
2009.02.04
タグではなく、ミニラグビーの話。先日、小学生のラグビーの試合を吹いた。新ルールのおかげだろうか、ベンチからの罵声はほとんどなかった。いいことである。その一方、これでいいのだろうか、という現象が散見された。僕が吹いたのは中学年、年齢で言えば9歳、10歳の子どもたちである。もちろん、ラグビーだからコンタクトは避けられない。だが、「ジャッカル(のような倒れ込み)」「オーバー(みたいなダイビング)」さらには「シーリングオフ(もどき)」…かなり教え込まれている感じ。プレーも意図的にポイントを作りに行き、そこに体の大きい子を走り込ませる、ということの繰り返し。小学生の試合のようではなかった。ミニラグビーは、普及育成のためのラグビーである。ラグビーの楽しさを多くの小学生に体験してもらえるようにルールが作られている。ラグビーだからタックルもあればラックもある。でも、それの繰り返しがラグビーを楽しんだことになるのか、はなはだ疑問である。こちらはある中学生チームのコーチから聞いた話。県内各スクールから子どもが集まってくるが、もっとも指導を要するのが「県内最強チーム出身の子」。捕まるとすぐに倒れてダウンボール。「倒れるな!!」というときょとんとするそうな。ラグビースクールでは捕まったら倒れる→走り込んだ選手が「オーバー」→残されたボールを展開、を徹底的に教え込まれていたらしい。これを矯正することが年度初めの仕事だそうだ。今年度からこの手の問題を真剣に考えなければならない立場についてのでこれ以上は述べないが、どうも子どものラグビーは検討する必要がありそうな感じである。
2009.01.31
研究発表も大変といえば大変だが、終わってしまえば一段落。一方、今からの内容はこれからが大変。何をしたかといえば、「親不知の抜歯」左下の親不知、斜めに生えていたが痛みはなかった。昨年の秋、歯の定期検診に言ったときに、先生と抜歯について相談した。先生の所見は「抜いてしまった方がいいように思います。」とのこと。そのときはシーズン中だったので(いまもシーズン中だけど、抜歯は冬に行うことになった。確かに、歯の仕事はしていないし、食べ物は詰まるし、歯磨きも難しい。だが、いざ抜くとなるとなんだか名残惜しい。事前調査は徹底的に行うのが性分なので、同僚を始め、抜歯経験のある人に聞いて回った。英語の先生は「辛かった」、数学の先生は「楽ちんでした」。結局、人それぞれという結論に達した。所要時間1時間。ごりごりがりがりやってるのはわかるし、振動も伝わってくるのだが麻酔が効いていて痛さはなかった(骨も削ったそうな)。ただ、最後の最後に麻酔が切れかかってきたらしく、数回激痛を感じた。そこで麻酔追加。終わってからの感想。あごが痛い。後は思いの外痛みもない。ただ、経験者によると腫れがでるのはこれからだそうで、どんな具合になるかは後になってみないとわからない。というわけで、一大イベントが終わったので抜歯後レフリー稼業再開予定。次に笛を持ってグランドに立つのは…後でね。
2009.01.30
今年に入って初日記。忙しかった。 忙しさの原因の一つが、今日行われたこちらでの発表会。学校全部で行った研究の「発表者」になっていた。先輩と二人の発表だったが、発表前「ずいぶんゆとりがあるねぇ」と呆れられた。別に普通にしていただけなのだが。 もし、落ち着いているように見えたのならそれはやはりラグビー、レフリーのおかげだろう。走りながら瞬時に判断を求められるレフリーに比べれば、既にやったことを話す発表は心理的な圧迫感が違う。楽だ、とはいわないが、少なくとも考える時間がある分「何とかなる(できる)」というゆとりはある。今回は、事前の練習の時間もあったし、先輩が準備してくれた資料も完璧であったから、気分的には楽だった。もっとも、予期せぬ質問があった場合、頭の中がこんがらがっちゃうのはレフリーとは違う。試合中パニックになるわけにはいかないからね 発表の後、呼び出しがあったある程度は予期してたんだが…。というのも、発表会場の所長は高校時代の恩師。担任ではなかったのだが、授業や諸々の活動の時、かわいがってもらった。15年くらい前、彼が、僕の勤務する町内の高校に勤めている時に会って以来の再会である。ラグビー関係者以外に覚えていてもらえたのは嬉しかった。 先生は昔の通り、ちょっと早口で、ウィットに富んだ語り口であったので、ついつい僕もできの悪い高校生に戻ったような気分だった。別れ際、「がんばれよ!!」と手に持っていた資料で僕の頭を、ぽん、って叩かれたのも懐かしかった。ちなみに、先生に叩かれたのは23年ぶりである。 午後は国語部会に参加。こちらもおもしろかった。詳細は割愛。 実は、今日一番のイベントはこの発表ではない。帰宅してからがある意味で「本番」。それは次の日記に。
2009.01.30
昨年の元日の日記を見返しました。ずいぶんのんきなことが書いてありましたそうか、1月2日は大学選手権のタッチジャッジだったんだなぁ。今年の正月はラグビーに関しては「冬休み」ですね。たまにはいいでしょう。今年は、論文書きで年が明けました体力と同じで、文章も書かないと鈍くなります。老化…とは思いたくないので、リハビリのつもりでがんばって仕上げます。今年一年、よろしくお願いします。
2008.12.31
毎年恒例の「花園二回戦観戦」、終了しました。 高校生のひたむきなプレーを見ていると、頑張らねば!という気になります。 年の瀬にプレゼントをもらったような気分になりました。 皆様、よいお年をお迎えください。
2008.12.30
今年も残すところあと3日。年の瀬の実感はわきませんが、それでも、今年の出来事の整理をしたくはなります。身の回りの整理は進みませんが 今年一番驚いたのは、夏以降、「表彰」の連絡が立て続けに入ったことです。勤務先の生徒が書いた作文が各種コンクールで上位入賞を受賞しました。全国レベルは1点ですが、県知事賞、あるいは県最優秀賞の類が3点、県入賞・佳作は数知れず。学校創設以来、こんなことはかつてありませんでした。先日、町の人権作文コンクール各学年最優秀賞を、本校生徒が「独占」した、という連絡がありました。にも関わらず、職員室では「あ、そうですか」くらいの反応しかない。明らかに先生方の感覚が麻痺しています。冗談はさておき、そのくらい県レベル以上の作文での表彰が多かったのです。 ある人からは「よほど指導に指導を重ねたのでしょうね」と言われました。とんでもない。大きな声では言えませんが、生徒が持ってきたものを本当に「そのまま」応募しただけです。たまたま作文力のある生徒がそろっていたのでしょう。 これまたある先生から「作文の○○中ですね」と言っていただきましたが、それは過大評価です。その証拠に、受賞したのはほとんど3年生。その他には2年生がちょぼちょぼ。来年を考えるとそんな称号は重圧になります。 それでも、強いて僕がしたことをあげれば、今年の3年生は昨年、今年と僕が続けて授業を担当していたこともあって、やたらと文を書かされている、というのはあるかもしれません。ついでに言えば、2年の「ちょぼちょぼ」も2年連続で国語は僕に教わっています。指導といえばそのくらいです。少々冗舌になりました。「教え子の活躍を我が業績のごとくに誇るならば、同じように、教え子の不出来を我が至らなさと恥じねばならない」といった人がいるとかいないとか。いい気になってはいけません。 びっくりその2。9月から12月までの日曜日、1回も家で昼食を取りませんでした。長年ラグビー、レフリーをしてきましたが、これは初めてでした。普通は2回くらいは家にいる日があったんだけどなぁ。いいのかわるいのか、難しいところです。 あとは数年ぶりに秩父宮の有料試合を吹いたのはちょっと「驚き」でした。すっかり「地方担当」でしたからね。 最後の驚きは、グループで出した本が思いがけず売れたことです。売れたと言っても千部くらいでしょうか?もっとも、僕の手元に現金が入ってくるわけではないので、「あいつ、稼いでる」と誤解して「飲ませてくれ」なんていわれても困ります。印税はすべて「実物」で査収しました。著者の一人としましては読まないでもいいですから、買っていただければ幸いと存じます。 ざっと振り返るとこんなところでしょうか。 明日は大阪・花園ラグビー場に出没します。もちろん「観戦」です。
2008.12.29
冬休みに入り、ようやく一息つけました。 忙しい、と言いながらも、週末のフットボール従事は欠かさず、自分で自分の首を絞めておりました。何人かの方からは「テレビに映ってたねぇ」と連絡を頂きました。ラグビーの人気低調の中、私に気付いていただき有り難い限りです。 さて、忙しかった理由のひとつが「研究授業」。教員である以上、義務のようなものですが、今回は町の小・中学校の学習指導主任研修会の一環としての授業担当でした。 内容は「意見文」、それも、単に自分の意見のみを書くのではなく、説得効果を高めるためにイソップ寓話を組み込む、という提案を行いました。 指導主事からは「仕切ってくださって結構です」というお言葉を頂いていましたので、「小中学校の連携について」「文章を書く力の育成方法について」「ことばのはたらきについて」の三つについて話をさせていただきました。 訳も分からず始まった中学校勤務ですが、今回に関してはかなりの「強み」でした。というのも、小学校の先生は「小学校では云々」という言い方で、中学校との違いを強調したがるのですが、私は小学校1年生~中学3年生まで、全ての学年を教えましたので、「いや、必ずしもそうとは言えません」と事実を以て反論ができるわけです。もちろん、中学3年と小学校1年が同じことができるわけはありませんが、小学校の先生は自分の教えたことが中学校のどこにつながっていくのか、中学校の先生は小学校ではどのようなことを教わってきているのか、双方が理解しようと努めないと、結局子どもが不幸になる、ということが言いたかったわけです。 その中で、「学校裏サイト」の話も出ました。ある小学校の先生は、「人権感覚を身に付けさせること」の重要性を主張しました。私は、それも大事なことであるが、それと同時に、裏サイトでつかわれていることばの貧弱さに注目すると、問題の根本が見えてくるように思われる、という話をしました。というのも、「うざい」「きもい」「死ね」云々、どぎついことばが並んではいるが、分類すると、数種類にしかならないことに気付く。つまり、こういうことばを用いている子どもは、数多のことばの中からこれらを選んでいるわけではなく、こういう語彙しか持ち合わせていないのではないか。つまり、彼等は、乏しいことばでも表現できる、単純な思考しか持っていないのでは、と推察されるわけです。当然、こういった子たちの行動も短絡で瞬間的なものになりがちなのは推し量れるでしょう。彼等にすれば、学校裏サイトは格好の表現の場であるわけで、いくらこれらを虱潰しにしていっても、似たような形のものが出現すれば結局問題は繰り返されるわけです。 これらの対策は容易ではありませんが、私の考えとしては、小さいうちから感情を表すことばを頭の中に落とし込むと同時に、感情・思考とことばを結びつける指導を繰り返し、語彙と感情表現の「量」を増やしていく必要がある、と話しました。つまり、何かできごとに直面したとき「すごかった」「つまらなかった」でしか片付けようとする子を放置せず、事実を述べさせ、自分の見解を表出させ、それに対して適切な助言を与えていく、という学習活動を行ってはどうだろう、というわけです。 もちろん、これで万全、というわけではありませんが、「臭いものには蓋」、あるいは「信じ、そして待つこと」だけでなく、具体的な手だてを学習指導の面から考えられないだろうか、という提案です。 そんなこんなで、楽しい研究会でした。もっとも、ひとりで楽しんでいただけで、参加者はその限りではなかった、かもしれませんが さて、明日の夜、例年のごとく花園に向け出発します。いい試合がたくさん見られますように。
2008.12.28
こちらを更新できませんでした。実は、今、論文執筆中かなりまとまった文を書いてます。これが落ち着くまで更新を休みます。用事のある方は(そうはいないでしょうが)メッセージの方からお願いします。ではまた。
2008.11.29
同じ学年に所属している数学の先生が、10月1日から大学に内地留学をしている。代わりに、若い女の先生がやってきた。最近まで企業に勤めていたが、先生という仕事に興味を持ち、今回縁あって我が校にやってきた、というわけだ。 やる気満々、元気よく仕事をスタートさせたのだが、彼女どうもこのごろ元気がない。声をかけたところ、「授業の進め方がよくわからない…」と悩んでいる様子。学年主任、校長の許可をもらって、放課後、二人で話をした(僕は今年から学習指導主任という、学習指導に関する主任を仰せつかっている)。 話を聞けば、なるほど日々つらかったんだろうな、ということばかりだった。我々の仕事、大ベテランも新人も、基本的には教室の中では一人で授業を進めなければならない。もちろん、教育実習等で実際に授業をする機会はあるが、これはまあ、運転免許にたとえれば路上訓練みたいなもので、当人はその場では一生懸命でも実際に毎日授業をするとなると大して役には立たない。さらに、彼女の場合、臨時採用なので、新規採用教員につく「指導教員」がいない(僕には退職した校長先生がほぼ毎日後ろについてくれた。今にして思えば有り難い限りである)。当然、着任したその日から一人前扱いである。 我々は「経験がないから多少のことは…」と考えるが、生徒にしてみれば先生は先生、さらには保護者の目というものもある。それもまたプレッシャーとなり、真面目な彼女は「授業をきちんとしなければ」という思いが強くなっていったようだ。 頑張っている人に「頑張れ」というほどむごい仕打ちはない、と聞いたことがある。今の彼女にはそれがぴったりだった。「大して参考になるかどうかは分からないけど…」と、僕の授業の進め方について話をした。本当にたいした内容ではなく、「たくさんのことを教えようとしないで『これだけは覚えてかえってもらいたい』ということだけに力を入れる」とか、「発問したらすぐに挙手を求めるのではなく、まず作業させる。それを巡視して指名計画を立てたり、誤答の傾向をつかんだり、計画の変更を考えたりする。」、さらに「巡視しているときに『いい考えだね、黒板で書いてよ』『名札つけてね。みんなの名前、覚えたいんだよ』と話をすれば、生徒との心理的な距離が縮まって授業がやりやすくなる」等、授業を進めたり、生徒とコミュニケーションをとったりする際の基本的な技法についての話である。 実は、彼女と話をする前に、クラスの生徒数人に「新しい先生が、みんなが授業を分かってくれているか、心配しているのだが、率直に感想を聞かせてほしい」と聞いておいた。すると、「なかなかいいですよ」「特に困ったところはありません」など、おおむねプラスの評価をしていた。彼女にそれも伝え、「『その教科を嫌いにさせない』という最低限の目標はクリアしているようだから、自信を持って」と話をした。 「なんか、すっきりしましたぁ。なんだか、授業がやりたくなってきました」と笑顔になってくれたので、何よりだった。 今まで決して彼女を無視してきたわけではなかったけれど、もっと気を配ってあげるべきだったなぁ、と反省。また、我々教師の中に「他人の仕事に口を出さない」という雰囲気がなかったか、とも反省。誤解のないように言えば、今勤務している職員室の雰囲気は、今まで勤めてきた学校の中でも1,2を競うくらい良い。そういう学校でさえ、あとから来た人には、なかなか人には聞きにくい、あるいは相談しにくい空気があるのかもしれない。 言ってはいけないそうだが、やっぱりこれしかないな。「頑張ろうぜ」
2008.10.17
今日と明日は学校は秋休みである。三連休と合わせて5日間の休みになる。2学期制でも、今日から始業式という学校も少なくないから、何となく得をしたような気がする。実際には夏休みを短縮して秋休みを捻り出しているわけで、損も得もないのだが、まとまった休みがあると気分的に楽である。先週末の九州での研修も、「秋休み」がなかったら断っていたかもしれない。もっとも、思い切った行動が取れたのも3連休の間にレフリー等が一つも入っていなかったからなんだけどね さて、先週の金曜日にちょっとした事件があり、学校がバタバタした。既にニュースなどでも報道されているようだが、町長宛に「日曜日に行われる町民体育祭を中止にしないと子どもを殺す」という脅迫状が届いた。町ではこれを受け、警察に報告すると共に、早々に町民体育祭の中止を決定。会場が僕の勤務校の学区内にあるため、この連休の部活動は中止、土曜日に予定されていた保護者、生徒、教職員合同の校庭整備作業も中止となった。 この手の話を聞くと、どうもやりきれなくなる体育祭をやりたかったとか、校庭がきれいにならないとか、そんな話ではない。「人が殺されてからでは遅い」云々という声がちらほら聞こえ、それはそれで分からない話ではないが、「体育祭の実施」と「何らかの事件の発生」にはどのような関係があるのだろうか。仮に、体育祭を実施し、不幸にして何らかの事件が起きたとしよう。「脅迫状が届いているのに、体育祭をやったからこんなことになるのだ」と主催者が責められるのはかなり奇妙な現象である。攻められるのは事件を起こした愚か者でなければならない。 似たような話で、かつて「『学校行事』『テスト』等を中止しなければ自殺する」と学校に脅迫状が届き、これに屈した学校が諸行事を中止した、という事件(?)が続いた。これも奇妙な話で、「行事の実施」と「生徒の自殺」とはもともと無関係である。私の尊敬する先生は、この手の話を聞くと「勝手に死ねばいい。命のかけ方を知らない奴は今後生きていてもろくなものにはならないし、死ぬ気にない奴がいたずらをしているのなら、世の中はお前の思うとおりにはならないと思い知らせてやるいい機会になる」と吐き捨てていた。この方、鬼籍には入られて久しいが、このことばは今でもはっきり耳に残っている。 今回のケース、会場の防犯施設や警備の関係を理由に、主催者は早々に中止を決めた。その判断の是非は問うまい。それぞれの立場があるので、軽々にものは申せない。 だが、願わくば、主催者は関係者にこの手の脅迫がいかに卑劣なものであるかをアピールし、少なくとも「戦う」という姿勢を示してほしかった、と思う。例えば、「このような脅迫に我々は決して屈したくはない。そのために、警察の協力を仰ぎ、自警団を組織し、可能な限りの防犯体制を整えるべく努力をした。しかしながら、云々」等の声明があれば、この事件の印象は全く異なったものになっただろう。 念のために言っておくが、人が殺されてもいいとか、自殺したい人は死ねばいい、とか、そういうことを言っているわけではない。脅迫やテロがいかに卑劣か、という感覚が世間では鈍くなっているのではないかという点を危惧しているのである。 「~をしたら殺す」「~をやったら自殺する」―この手の文書が続くとしたら、それは誰の責任なのだろうか。文書が届く度に様々なものが中止になっていく「言った者勝ち」「やった者勝ち」が当たり前だとすると、ずいぶんと情けない世の中になったものだと思う。
2008.10.14
研修二日目。今日は「アビスバ福岡タグラグビー大会」での実技。試合を担当→コーチング→再び実技という流れで行った。 参加者は皆熱心で、吸収しようという意欲に溢れていた。実り多い研修だった。 同時に、課題もはっきりしてきた。レフリー個々の課題という意味ではなく、今回あるプレーが頻発したのである。競技が健全に発展していく過程で当然起きる現象なのだが、上手く整理しないと試合がつまらなくなる恐れがある。早速研究せねば。 大会はクリーン、かつエキサイティングに展開された。これを見られただけでも九州に行ってよかったと思う。
2008.10.12
五年ぶりの福岡。天候はまあまあかな。迎えの車が来てくれて、会場まで移動。場所はコカ・コーラの研修施設。タグラグビー全国大会のスポンサーはサ○○リー、大丈夫かいな?と思ったら、やはり施設の使用条件に「施設内に持ち込む飲料はコカ・コーラ社製品のみ」「サ○○リーの名はなるべく避ける」とあるらしい。まあ、そうだろうな。 今日の研修は簡単な座学と実技。九州地区の強豪チーム同士の練習試合を順番に担当。以前より懸案になっていた事象の判断が甘いことが気にかかる。個々に課題を与えて明日に臨む。 なお、今回の宿泊施設は繁華街からはるかに離れたところにあるため、夜は素早くねるのみ。
2008.10.11
今日で勤務校の一学期が終わり。通知票を渡して「おわったぁ」と思ったら…とんでもないできごとが待っていた。詳しくは後日。さて、明日から九州で開かれるタグラグビーレフリー研修会に出席。参加者は九州各県の推薦メンバーと自費参加のメンバー、あわせて20人くらい。ラグビー普及に書ける情熱には頭が下がる。ありがとうございます。「タグもミニもラグビー」というのが僕の立場。そうでなければ僕がこういう仕事をする意味はないだろう。ミニラグビーなりタグラグビーなりを通して、ラグビーの持つ良さを広めていくのが役割である。と同時に、ラグビーの持つ良さを守るというのも大事な仕事である。数年前のある大会で、トライが認められなかったチームの子どもたちが担当の先生に「ちゃんと両足がインゴールに入っていたのに、トライにしてもらえなかった」と不満を述べていたが、その先生は「残念だが、レフリーにそう見てもらえなかったんだから仕方ない」と諭していた。立派な先生だと思った。こういう先生に接すると、レフリーも精進しなければ、と思う。なお、その先生、昼食の時に僕のところに来て「あれはトライだったですよねぇ」と悔しがっていた。人間味のある温かい人なのだろうな(ちなみに、問題の試合を担当したのは僕ではない、念のため)。人間が人間のプレーを判定する以上、そこには限界がある。もちろん、それに甘えて努力をしない、というのはレフリーとして失格である。だが、神の領域に達するレフリーはそうはいないし、いたとしてもそれは極めて稀な存在でしかない、ということも頭に入れておかなくてはならない。完璧を期すためにと、レフリーを5人にしても、おそらくミスはゼロにはなるまい。ラグビーよりもコートが狭く、プレーヤーの数の少ないバスケットボールでさえ、二人の審判で判定してもミスジャッジはなくならないのだから。グランドの中で最終的に判定するのはひとり―この原則は守りたい。明日からの研修が有意義なものになるよう、僕も持てる力を出し切りたい。
2008.10.10
中体連の大会のため、朝から「レフリー」…もちろんサッカーです今日は1試合、副審のみ。シード校が圧勝、前半はスプリントのトレーニングかと思うくらい走らされたが、後半はほとんど動かなかった。残り時間5分くらいでオフサイドがあったので旗を上げた。それまでほとんどやることがなかったので、ここぞとばかり腕を上げたら、肩に違和感が今でもなんだか痛いです。 さて、自分のチームの試合。開始早々失点、前半15分に追いつく。後半開始早々にまた失点。2分後に追いつく。その5分後に失点、そのまま終わるか…と思ったら、最後のプレーで同点に。延長前半3分、ゴール前25mでフリーキックを得る。キャプテンが蹴ったボールがクロスバーに当たった。「入った!?」と思ったが、ボールはゴールライン上に落ち、キーパーがクリア、ゴールならず。結局PK戦に。 ここで困ってしまった。GK君、今日が初めての公式戦。練習試合でもPK戦の経験はない。無論、練習はしているが、それとこれとは別問題。第一、彼がPKのボールを止めているところを見たことがない。 ところが、彼が二つ止めちゃったで、、4-3で勝ち。選手は大喜び、でも監督は喜び半分勝っても負けてもすっきりした試合をしたいものだ。これで明日の2回戦進出と僕の審判2試合担当決定。今夜は頭をラグビーに切り換える「リハビリ」に時間を費やさねば。
2008.09.26
運動会の季節である。もっとも僕の職場は6月に終わっている。休日の早朝に花火が上がると「ああ、やっているなぁ」と思う。ところで、ある学校で「障害物競走」を実施したいと届け出た先生に対して、「『障害』とは何事か、『障がい』と書け!障害と書くのはこれから許されないんだ」と怒った管理職の方がいると聞いた。補足するなら、「障害者」という表現を「障がい者」と書くように、という通達が出ているから、それを受けての指導である。公立学校は役所だから、通達には従うのは当然である。だから、管理職が部下を指導するのは当然である。だが、少々情けない。「害」という字が何か害を為すような印象を与えるというのが「『害』使用禁止」の理由だそうだ。なるほど「障害者」と書かれた側にしてみれば面白くない。 僕は、「害」の字を用いないという判断を支持する。確かに「害」の印象は良くない。ただ、「障がい」とかなを交ぜて表記するのはどうかな、と思う。そもそも、「障害」は当て字なのだ。 もともとは「障礙(碍)」と書いて「しょうがい」と読んだ。礙(碍)は「障りがある」という意味である。それが漢字の制限のため「害」を当てているというわけだ。先に書いたように、学校は公的機関なので、制限を受けている字を用いられない。加えて今は、先生も、漢字(あるいは漢文学)に関する素養が極めて乏しくなってきている。だから「上がダメと言っているんだから使うな」程度の指導しかできない上司が多くなるのは仕方がない。でも、何だか情けない。子どもの時、「なぜ、植物の組織なのに『師管』と師の字を用いるのか」と質問したら「よく見よ、『ふるい』のような形をしているだろう。これは本来『篩管』と書いたのだ。『篩』はふるいと読む。それが、漢字の制限のためにこの字が使えなくなったのでやむなく『師』を用いているのだ」と教えてくれた理科の先生がいた。かっこよかったなぁ。
2008.09.21
今年もラグビーの季節がやってきました。ニッパツ三ツ沢球技場で行われたクラブトップリーグの試合が、僕の開幕戦でした。結果は関東協会のHP等をご参照いただくとして、レフリー人生で2度目の経験をしました。それは「雷雨による試合時間の短縮」。試合開始前から雷鳴が聞こえていましたが、後半のこり20分過ぎから嵐のような雨、そして稲光が光り始めました。競技続行に差し障りがあると判断し、中断を宣言。その後天候の回復を待ちましたが、残念ながらそのまま試合終了となりました。プレーヤーは悔しがっていましたし、心情的にもやらせてあげたかったのですが、「雷都(らいと)」と呼ばれる北関東の都市に住むものとしてそれはできませんでした(雷の恐ろしさが身に染みていますから)。駆け出しの頃、6月の試合を同じように中止にしたところ、会場の立木に落雷、自分の判断に自信を持った、という思い出があります。今日も、中断してからますます雷が激しくなっていく様子を見て、自分の判断は間違ってなかったとの意を強くしました。 誤算だったのは、落雷で予定していた電車が運休していたことです。遠回りをして帰ってきました。〔お知らせ&お願い〕スでのご存じの方も多いと思いますが、心臓の難病に苦しむ岩田天晴(てんせい)君の心臓移植を支援するための活動が繰り広げられています。天晴君のお父さんが、私の先輩と大学ラグビー部の同期ということで紹介されたのですが、トップリーグ開幕戦での募金活動など、ラグビー関係者による支援の輪が広がっています。皆様もご協力いただければ幸いです。詳しくは天晴君を救う会をごらんください。
2008.09.07
数週間前、町の教員研修会があった。おそらくその世界では名の知れた研究者と思しき方を招いての講演だったのだが、全く得るもののない2時間を過ごした。せっかく話をしてくださった講師の方には本当に申し訳ない言い方だが、それ以外に表現の仕様がない。 誤解のないように言えば、講師の先生の人柄や研究実績を非難するつもりは毛頭ない。おそらく、聞く人が聞けば面白いところもあったのだろうと思う。ただ、あの講演会は話す方にとっても聞く方にとっても時間の無駄であったと断言できる。 私達の身の回りには「話の面白い人」というのが一人や二人はいる。そういう人の話を聞くと「よくもまぁ、この人の身近なところでは次から次へと面白いことが起きるものだ」と感心してしまう。 しかし、実際には、彼等の周りで面白いできごとが頻発するというよりも、彼等が(意識するにせよしないにせよ)大したことのないできごとでも愉快な事件に仕立て上げている、つまり、彼等は「ツボ」を心得ていて、必要に応じて事実を加工しているから話が面白い、という方が真相に近いのではないか。僕は、こういう技術は大勢の人を前に話す際には必須であると思っている。 「話術の大家」と言われる大先生の講演を聞いたことがある。笑いあり、しんみりさせる話あり、それでいて大先生からのメッセージは聞き手の胸にずしんと響く。至福の時間はあっという間に過ぎていった。 大先生と同じような経験をした人はたくさんいるだろうが、それを感動的に人に伝えられる人は多くはない。「話がうまい」とまとめてしまっては簡単すぎる。「聞き手を喜ばそう」とする心配りとそのための技術が備わったときに初めてこれが可能になる。 冒頭の講演会に戻る。講師の先生は我々に対し、研究成果を一生懸命説明してくださった。しかし、その内容が我々の実態からかけ離れたものだったため、関心が持てた人は極めて少なかったし、この話を聞く必然性を感じていない僕にとっては中身の濃い話も文字通りの「馬耳東風」であった。せめて我々がおもしろがるだろう事柄を一つか二つでも織りこんでくれればまた違った2時間になったと思う。 こうやって人のことを批判したが、授業や集会での僕の話にも同じことが当てはまるかもしれない。聞き手、つまり生徒を喜ばせる話術は我々にとっても「必須」である(と思う)。
2008.08.21
10日~12日まで今年2回目の菅平。今回は有志を募っての自主研修。先発隊が8日から現地入りしていたので合計では5日間、のべ11人のレフリーが参加してくれた。多謝。この時期の菅平は高校の強豪チームが連日のように試合をしている。ゲームを担当させてくださった各チームの皆様には心より御礼を申し上げたい。ありがとうございました。さて、今回の研修は全員が自費参加である。これは参加者の意欲が極めて高いという意味である。かつて、高名な先生が「参加者が義務で参加する公の教育講演会は、会場の後方から席が埋まる。しかし、参加者が身銭を切って集う講演会は席が前から埋まる」とおっしゃった。それと同じで、参加者、特に若手が「何本でも行きますよ!」と自ら何試合もこなそうとしていた。それにあおられるように、昔若かった我々も予定よりたくさんの試合をこなしたように思う。それから、夜のミーティングも面白かった。自分の担当した試合で生じた疑問点や問題点を参加者の前で披露し、その後、参加者が自由に意見を述べる形式だったが、ベテランレフリーも若手レフリーも同じ目線で意見交換ができた。結構厳しい指摘もあったが、それを課題として次の試合に臨めた点は良かったと思う。語弊のある言い方かもしれないが、「評価」とは関係ない集いだったのが良かったのかもしれない。さらに、いろいろな人との交流も刺激的だった。今回の研修、参加者の年齢は24~48歳ときわめて幅広かった。それが同じグランドでレフリーをする。経験や物の見方等が異なる世代との交流は頭が刺激される。加えて試合を担当させてくださったチームの指導者ともいろいろな話ができたのもよかった。本当は足馴らし、体作りのつもりで山に上がったが、精神面での充実感を得られたのは望外の成果だった。若手からパワーをもらった感じがする(若手の精気を吸い取ったのかもしれないけど)。別れ際の「来年もやろうぜ」「次回は事務方は私にやらせてください」というあいさつも嬉しかった。明日からは、日焼けして真っ黒になった顔で、周りの白い目に耐えながらの勤務になる。
2008.08.13
高知城天守閣から。上るまで滝のような汗をかいたが、心地よい風で一気に爽やかな気分に。冷房の何倍もよかったよ。
2008.08.01
早起きしてウォーキング。こんなもの発見。
2008.08.01
会場は高知市。空港周辺では早くも稲刈り。そして田植えも始まるそうだ。なるほど、二毛作とはこういうことかと納得。タクシーの運転手さんと談笑しながら会場へ。 作家山本一力氏の講演の後、パネルディスカッション。特記事項なし。 夜は同僚のK先生と夕食。地元の料理を満喫。帰り道でヨサコイの練習をしている若者と遭遇。真剣そのものだった。 画像は高知城。
2008.07.31
タグラグビー、もともとはイングランドから導入されたものです。IRBも、ラグビー普及のためのツールとして世界中にタグラグビーを広げようとしています。http://www.tagrugbytours.com/
2008.07.28
真田氏本拠地跡&横川サービスエリア
2008.07.25
全502件 (502件中 1-50件目)