戦国大名がなぜ戦いつづけざるをえなかったか。それはひとえに領国の平和を維持するためだった。柴裕之氏の言葉を借りれば、「 戦国大名・国衆は、自身の領国や従属国家を従えた『国家』を外からの脅威から守り、『平和』を維持するため、その解決手段として戦争を選んだ 」(『徳川家康』平凡社)。
とくに領国の境界の地域は、常に敵の脅威にさらされ、戦いが絶えなかった。戦わなければ敵の侵攻を許してしまう。また、境界の地域の 国衆 は味方と敵に両属していることも多く、自分が従属している戦国大名に、戦って「平和」を守る意志がないと判断すれば、国衆はすぐに離反した。 戦わなければ国衆を従属させることもできず、国衆が離反すれば自身の滅亡につながりかねなかった。
家康はそれを百も承知だった。なぜ戦をするのか「考えたこともない」ばかりか、「貧しいから」「隣国から奪い合うしかない」などと返答するなら、戦国大名ではない。
さらにいえば、戦国時代の戦争は領国の平和を守るのに加え、領国を広げる 領土戦争 でもあった。そうである以上、ドラマで築山殿がたくらんだ共通の通貨による経済圏や、慈愛による結びつきなど、夢の夢であることは、当時の人ならだれでもわかっただろう。百歩譲って女性が空想するのはいい。しかし、大名やその家臣がその「夢」に同意することなど、ありえなかった。
『どうする家康』では、築山殿と信康はもちろん、家康の家臣たちも、信長と組んでいるために戦争が続く、と思っている。しかし、戦争が領土戦争でもあった当時、だれかが圧倒的な領土を得ないかぎり、戦争が終わらないのはあきらかだった。
家康と武田勝頼との争いが激化していたころ、信長はすでに安土城の築城を開始し、全国統一の道筋が見えつつあった。ところが、『どうする家康』では、信長の覇権が、全国統一につながりそうなほど拡大している事実は見せず、信長と組んでいると戦争が終わらないという一方的な見方だけを蔓延させているのがナンセンスである。
加えれば、高天神城の攻防が長引いたのは、たがいに空砲を撃ち続けたからではない。高天神城が難攻不落の山城で、当時は遠州灘の入り江が山麓まで入り込み、陸路のほか海路からも物資の補給も可能であるなど、攻めるのが困難だったからである。
その結果、家康との関係は断絶し、さらには武田と内通した過去が信長にバレてしまったため、家臣団に対する多数派工作をしたが、それもまた謀反と受け取られることだった ―― 。
史料から読みとるかぎり、築山殿の行動に荒唐無稽なファンタジーが介在する余地はない。むろん、築山殿の判断や行動に、家康が共感すべき余地もまったくない。
築山殿は家康の判断によって命を絶たれた。しかし、時代背景を考えれば、彼女の行動はそう処断されて仕方ないものだった。「お涙ちょうだい」を企図して、歴史的な前提や史実を強引に捻じ曲げるなら、 『どうする家康』自体がもはやたんなるファンタジーである。
NHK
大河ドラマはあまりにも史実を無視している…
家康の正室・築山殿が武田家と内通していた本当の理由 (msn.com)
彼女が武田と通じたのは「岡崎クーデター」こと、天正 3 年( 1575 )の大岡弥四郎事件だったと思われる。『どうする家康』では、築山殿は被害者としてあつかわれたが、『 岡崎東泉記 』や『石川正西聞見集』には、この事件に築山殿が関わった旨が書かれている。
前者によると、武田勝頼が 甲斐の口寄せ巫女 を懐柔して築山殿に取り入らせ、巫女に「築山殿を勝頼の妻に、信康を嫡男にする」という託宣を述べさせ、さらに 西慶という唐人医師 も巻き込んだという。
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