もし原発事故と自然災害が重なったら…
「逃げる方法は限られる」渋滞に道路寸断
能登半島地震で見えた課題【命題2024
】 (msn.com)
原発から 5 キロ圏内、海岸沿いに位置する柏崎市の荒浜集落です。
荒浜コミュニティセンター 品田善司センター長
「午後 4 時半くらいだったが、そのときには、もうすでに、ここの辺りから渋滞が始まっていた」
津波警報の発表から 20 分後、海岸から高台へと続く道路で見られた光景です。
避難する車がずらりと連なり、“ 渋滞 ”に。柏崎市によりますと、市内では同じ時間帯、複数個所でこうした渋滞が見られたということです。
荒浜集落は柏崎市が作成した津波ハザードマップ上、津波による浸水は想定されていませんでしたが、不安を抱いた住民もいました。
車で避難した住民
「『原発の事故があったら、もう動けないね』と言っている人もいた。私もそう思った」
「訓練はしていても、実際にそうなったらみんなパニックになって頭が働かないと思うし、車でも進まないと思うし。変な話、半分こんなに(原発に)近ければ、もうちょっと駄目なときは諦めて仕方ないかなと、そういう風に思ったりするときもあるので…」
避難計画は不可能
柏崎市の避難計画では原発事故が起きた際、北陸道と国道 8 号が糸魚川方面へと向かう住民の避難経路となりますが、今回の地震では上越市の 国道 8 号で土砂崩れ が起きたほか、路面のひび割れや段差などの影響で 北陸道も通行止 めとなり、 14 時間余りにわたって、同時に通行が不可能 になりました。
これについて柏崎市の桜井雅浩市長も、「重要な問題だ」と受け止めています。
「糸魚川市に行く動線は 2 つしかない。国道 8 号と北陸自動車道。(原発事故時は)市民の約 75% の方々が上越・糸魚川・妙高市のほうに避難する。糸魚川に至るまでの動線がひとつ今の段階で(実際に一時)閉鎖されている」
中越沖地震
では、柏崎市や刈羽村などは最大震度 6
強の揺れを観測しました。
自宅近くの道路は寸断され、土砂崩れも発生。実際に一時孤立した地区があったことから、その後は陸路ではなく海路 =
船での避難訓練
も行われてきましたが、今回の地震では海から離れなければならない、「津波警報」が発表されました。
屋内退避と住宅倒壊
もう一つの課題が屋内退避です。能登半島地震では、石川県の志賀原発周辺の地域で住宅の倒壊が相次いで発生。
現在の国の指針では、原発から半径 5 キロから 30 キロ圏内に住む住民は事故時に被ばくを避けるため、まず自宅などに留まる「 屋内退避 」を原則としていますが…
原子力規制委員会の山中伸介委員長は 17
日、事務局の規制庁に対し、この 避難の考え方について指針の見直しを検討
するよう指示しました。
原発事故と自然災害が重なったら・・・
、柏崎刈羽原発の地元のケースを紹介したなかなかよい記事です。
柏崎だけでなく、津波警報が出た新潟市でも多くの人が避難しました。
中心部は徒歩で学校や体育館に、郊外は車でですが、実際関谷浜から亀田方面に車で逃げた人は大渋滞にあったそうです。
ジムのエアロビクスのインストラクターの体験談です。
幸い12月に降った雪は消えていましたが、残っていたり降雪の最中だったらもっと悲惨なことになっていたでしょう。
良いレポートでしたが、
柏崎刈羽原発に出されていた事実上の運転禁止命令が解除され、県内では今年再稼働をめぐる動きが本格化するとみられています。いざというときに住民の命をどう守るのか…向き合うべき課題が残されています。
という結びは、ダメです。
今回の能登の地震でも明らかな通り 避難計画は実行不可能
だから、沖合に活断層があり過去に中越沖地震が起きた柏崎刈羽原発を
再稼働させることは、住民の生命を第一に考えるならばあり得ない。
と、結ぶべきでした。
東大の先生(1975年新潟市生れ)の他人事のようなコメントもいらないです。
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