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2010年02月27日
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 ご無沙汰しております。

明日はようやくお休みのようです
休み明けには人事異動があるようですが・・・・・
さて、さて・・・・


 トヨタ問題が取り上げられて久しいですが・・・
一般人には限られた情報しかありませんから、状況判断は難しいところではないでしょうか
 ただ、純粋に日本人として気持ちの良いものではなく、何やら腹立たしく思っているのは
私だけでしょうか・・・・
ショーのように見える公聴会も報道次第ですよね、真実はどこにあるんでしょうか




 車好きなんですが(得に旧車)かなり昔に似たような話がありましたのでご紹介を。
お断りしておきますけども、当時はまだ赤ん坊ですから

これはホンダの話なんですが、N360という車にまつわる話です。

1960年代の車なんですが2ストローク全盛の中で空冷エンジンをフロントに横置きし、前輪を駆動するFF方式を採用、2ストロークは出力も20PS台前半がせいぜい、4ストロークで31PSを発生する画期的な車でした。そんな矢先に ユーザーユニオン事件 が発生しました。

ここからは、面倒なので・・・・


この事件に関して1973年の国会審議で日本共産党が質問中に示した数字として、1968年から1970年の3年間で、被害者362名(うち、死亡56名、重傷106名、軽傷137名、物損14件)というものがある。

これによるイメージダウンのため、発売以来3年間国内販売首位を誇っていた「N360」の人気は急下降し市場生命を失い、1972年に販売を終えた。

捜査の結果 本田宗一郎は不起訴となった。またホンダは法外な示談金を要求したユーザーユニオンを恐喝で告訴し、ユーザーユニオンの代表者2名が恐喝の疑いで東京地方検察庁特別捜査部に逮捕された。結果2名は有罪となったが、ホンダとの交渉に関する部分は一審では有罪となったものの控訴審では無罪となり、上告審でも控訴審での判断が維持されている。結局判決が確定したのは1987年1月のことであり、十数年の年月を要した。

ホンダはNシリーズの派生型である「Z」や、モデルチェンジ型である「ライフ」等で、軽乗用車業界における新たな展開を求めたが、「N360」で失ったものを取り戻すまでには至らず、1974年には商用車のみを残して軽乗用車の分野から一時撤退することになる。

「N360」の開発に携わった中村良夫は、のちに、ユーザーユニオンの指摘した「ヨー特性にロール特性がからんだ不安定さ」を「N360」がもっていたことを否定していないが、技術鑑定人として委嘱された亘理厚(わたり・あつし 東京大学生産技術研究所教授。当時の日本における自動車技術の権威の一人であった)は、「当時の道路運送車両法が軽自動車の速度について60km/h程度を想定しており、100km/hを軽くオーバーするNのような自動車の出現を予知し、盛り込めていなかったことに問題がある」という主旨の指摘をおこなっている。また、リアエンジン方式とリアスイングアクスル式サスペンションの組み合わせで「低速横転」を頻発していた他のいくつかの車種が問題とされていない点でも、訴訟は作為的なものと取れる。


              (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

これどうですか
なんとなく、いろいろなものが見えてきませんか・・・・


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最終更新日  2010年02月27日 23時10分49秒
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