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暑く、長かった夏もようやく終わり、今週末は秋の気配。2か月ぶりにブログを更新。 先週、9月16日の田沢湖マラソン(フル)に参加。この時期、例年であればハーフや10キロで体を慣らし、11月以降のフルマラソンに備えるのだが、秋以降、海外転勤の可能性が出てきたため、シーズン初めの大会にエントリーした。 田沢湖マラソンと云えば、翌週(今日)行われている秋田内陸ウルトラに2年連続出場しており、その前週に開催されるフルマラソンの大会として気にはなっていた。また、秋田内陸ウルトラに参加したこの2年、5時のスタート時は10℃以下、日中も25℃前後で走りやすかったため、一週間前の田沢湖マラソンもこの時期にしては比較的涼しいのではないかとの期待もあった。 ところが、これほど暑いとは。前日の天気予報は晴れ、最高気温は32℃とあり、覚悟はしていたが、心のどこかで涼しくなることを期待していた。前泊したのは宿泊の予約が遅れたため、やむを得ず電車で40分ほどのところにある大曲。朝、ホテルをチェックした7時前の時点ですでに暑い。頭がくらくらする。スタート会場には8時20分頃到着。とにかく暑い。風もない。スタートの10時まで日影を求めて会場付近をさまよった。 後ほど発表された大会の公式記録を見ると、10時の気温は28℃、14時は33℃となっているが、体感気温はスタート時点ですでに30℃を越えていた。僕は暑さには強くないし、記録を狙うことは最初からあきらめた。ただし、4時間くらいで走る必要があった。なぜかと云うと、この日は東京に戻って、夜の羽田便でアフリカ出張に行くことが決まっていたため、遅くなると東京に戻る新幹線に間に合わなくなる危険性があったからだ。 ここのコースは特徴的で、前半、農村風景が広がる田沢湖の東側の市街地を走った後、後半は田沢湖を一周してゴールする。もう一つの特徴はアップダウンが多いこと。スタート直後の下りに始まり、ラスト10キロ地点での登りまで、上り下りがきついコースだ。 レースプランは特に立てずに、体の感覚に任せることにした。スタート。入りはゆっくりと思っていたが、いきなりの坂道(下り)なのでブレーキをかけると却って後半足にくると思い、自然体で駆ける。前半はアップダウンがきつく、上り下りを数度繰り返す。また、市街地は遮るものがなく、直射日光がきつかった。 今回、新しい時計を試したのだが、計測方法を誤り、途中の記録データがない(涙)。記憶では最初の10キロが54分台、ハーフ地点での公式記録が1時間51分01秒だったので、次の10キロも同じ位のタイム。しかし、ここまでの暑さとアップダウンでかなりの疲労を感じており、半分走ったところでDNFが頭をよぎった。が、逡巡の後、ゆっくりでもいいから完走しようと思い直し、田沢湖一周に入る。湖畔を一周する道の多くは木立になっており、前半に比べればしのぎやすい。また、時々見える湖の美しさにも何度も救われる。ただし、足は全く動かず、20キロから30キロ過ぎまでは6分~7分/キロでトボトボと走った。再びエンジンがかかったのが残り10キロ地点のたつこ像を越えたあたり。そこからは再び5分30秒/キロに戻して最後まで走りきった。ゴールタイムは3時間54分04秒。後半は2時間3分3秒もかかった計算になるが、この暑さで残り10キロでビルドアップできたことは今後に繋がると思う。 ゴール後は、大急ぎで着替え、シャトルバスで田沢湖駅、15時05分発のこまち30号に乗り込む。4時間後、一旦、家に戻り、夕食を取った後、今度は羽田空港に向かった。 なお、後日確認したところでは、完走者の数は666人。エントリーは1400人程度だったので、完走率は約5割だったようだ。
2012.09.23
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昨日は午後自転車で自宅界隈をポタリング。下高井戸、経堂あたりは道路が複雑で何回通っても迷ってしまう。真夏の日射しをあび、汗だくになって向かったのは茶房「李白」。小田急経堂駅から徒歩5分くらいのところにひっそりとある一軒家の茶房。ここだけ違う風が吹いているようだった。 李白は中国の詩人の李白ではなく、李氏朝鮮時代の白磁と云う意味らしい。店に入ると美しい白磁の壺が迎えてくれる。 この茶房はもともと神田神保町にあった韓屋(韓国の古民家)。昔神保町には一軒家の個性的な茶房がたくさんあった。僕ももっと若い頃は、休日に東京堂で本を探索、どこかの茶房で一息をつくのが好きだった。でも今はドトールのようなお店しかない。とにかく、この店の主人は神保町にあった韓屋をそのまま経堂に移転して、茶房を開いたようだ。 韓国茶を頼む。木の実のお茶と言っていた。優しい味。隣にあるのは韓国の餅のお菓子2種とサクランボ。友達に勧められた玄侑宗久の本に没頭。 インテリアが素晴らしい。テーブル、椅子、さりげなく置かれている棚などどれをとっても味がある。 静かに読書をしたり、会話を楽しんだり。そんな気分の時にどうぞ。
2012.07.17
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二週続けて5キロを真剣に走った。 先週は恒例の皇居駅伝。会社のランニングクラブの一員として走った。これで4回目の参加になる。自己記録は一昨年の秋に出した20分50秒。逆に言うと5キロは2年間以上、記録の更新が出来ていない距離だ。 今年は小雨が降る中での大会になった。昨年の春の大会は暑さのために21分を切ることができなかったが、足元が滑りやすいことを除けば、小雨はむしろ好条件。大会の2日前の皇居の試走では21分30秒をマーク。調子は悪くない。 僕はアンカーで第5走者。13時に第一走者がスタート。僕のチームは実力のあるランナーが揃っていたのでほぼ20分平均、全体の6位で襷をつないできた。走りだして、なぜかスピードが出ないことに気づく。アップの不足か、待っている間に体が冷えてしまったか。食事も気をつけて11時におにぎりを一つ食べただけだったが、胃も苦しい。 結局、二人に抜かれて順位を落としてゴール。記録は自己計測で20分53秒。またしても自己新ならず。コンディションがよかっただけに悔しい。 今日は川崎月例。2回目の挑戦。曇りとは言え気温が高かったので、最初から無理をしないプラン。21分7秒でゴール。その後、10キロも走り、こちらは46分50秒。4月に比べると記録が悪いが、暑さもあり、これは織り込み済み。それでも5キロについては21分前後の記録しか出すことができない。 中距離である5キロと僕が記録更新を狙っている本丸のフルマラソンではそもそも走り方が違うのだが、フルマラソンで目指す3時間20分を狙うためには約4分44秒/キロで走ることが求められる。なので5キロ程度であれば20分、すなわち4分/キロで走る力、スピード力を身につけたいところだ。ところが、僕の場合4分15秒/キロあたりに分水嶺があり、それ以上早く走ると体が悲鳴をあげてしまう。特に胃が苦しくなり、吐き気を催すのだ。 インターバル走も練習に取り入れて、21分の壁を破りたいと思っているが、内臓をなだめる妙薬はないものか。
2012.06.24
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8日夜は埼玉スタジアムで代表のヨルダン戦を観戦。最終予選レベルではなかなかお目にかかれないゴールラッシュに酔う。ハットの本田の決定力もすごいが、長友、長谷部の勤勉な動きに感心。まだ香川がもうひとつチームにしっくり溶け込んでいないが、彼がもっと有機的にからむようになるとこのチームは簡単に負けないだろう。 興奮冷めやらず、友人とサッカー談議にいそしみ、帰宅したのは午前様。9日の鳥海ブルーライン登山マラソンに出場するためには自宅から4時55分の始発の電車に乗る必要あり。2時間ほど睡眠、飛び起きて電車、新宿からはリムジンバスを乗り継いで羽田空港へ。6時50分発の庄内行きのANA便になんとか間に合う。その間、車中、機中で短い睡眠を積み重ねる。酒田の実家に到着後、布団でさらに1時間ほど寝て、ようやく一息。マラソン前に二度とこんなことをしてはいけません。 11時半にスタート地点の遊佐町吹浦の十六羅漢に到着。受付で地元の役場に勤めている高校時代の同級生に会う。数年前の高校卒業25周年で会って以来。彼は昨年、お母さんを亡くしたそうだ。親孝行の彼はあれもこれもしてやれなかったと思うことしばしばと語る。いつの間にかそんな年齢になった。また、部活動(山岳部)の後輩の名前を参加者リストに発見。彼は地元にいて今回17回目の参加なのだとか。田舎に帰ると旧交を温めるこんな楽しみがある。 さて、この大会、海抜24メートルのスタート地点から4合目1000メートルの大平山荘までの17キロを一気に駆け上る大会(10キロの部もある)。参加者は17、10キロの部合わせて200名弱。31回を数えると云うのに地元でもあまり知られていない大会だ。参加者は地元の方が多いが、真室川高校、北村山高校と云った距離スキー名門校の高校生も多く参加。全体にレベルもかなり高いことが走って見てわかった。 スタート時(13時)の気温は主催者発表では28℃(聞き違えかもしれない。22、3℃だったと思う)。天気は曇り。その時点でゴール地点の気温は15℃。半袖で走るか、長袖を重ね着するか迷うが、結局上は半袖の重ね着、下はスパッツとパンツを重ね履きした。 スタート。ゆっくり完走を目指す。最初の10キロがずいぶん長く感じる。8キロくらいで10分遅れでスタートした10キロの部の先頭集団に抜かれる。普通なら闘争心が湧いてくるところだが、今回はそのような気持ちにならず。時々山頂が見える。 10キロを過ぎてから小雨がぱらつくようになり、風も少し出てきた。やはり、長袖を着るべきだったかと軽く後悔する。しかし、脚は登りに慣れてきてペースも少しずつ上がるようになる。最後の一キロは6分を切る走りができた。しかし、雨風はますます強くなり、ゴール付近では全身びしょぬれ。やはり、山は怖い。1時間55分でゴール。寒いので着替えてすぐ車で下山。ランの余韻を楽しむ雰囲気ではなかった。 夜は 『鉄板焼き おく山』で両親と食事。昔からある店のようだが、僕は初めて。ステーキは柔らかく、おいしいが、ごはんがいまいちだったのとカウンター席でテレビがつけっ放しだったのが残念。よい栄養補給にはなったが。
2012.06.11
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タイトルは先週金曜日の日経新聞の記事のもの。何度か一緒に走ったことのある吉田編集委員の署名記事だ。曰く、「1キロ痩せれば、3分速くなる」。 早見表によると現在3時間30分がベストの僕の場合3キロ痩せると3時間17分で走れることになる。にわかには信じられない気がするが、体の性能が変わらなければ、体重が軽くなれば酸素消費量が減るのでスピードが出るというのは考えてみれば自明の理だ。 昨年シーズン失敗レースが続いた頃は確かに出張続きで体が重くなっていた。エネルギーの収支バランスが完全にプラスになっていたということだ。 3キロ減量するにはどうすればよいか。運動で消費エネルギーを増やすか、食事制限で摂取エネルギーを減らすか。この記事によると1キロの体脂肪は7000キロカロリーのエネルギーを貯蔵しているとのことなので、一ヶ月で3キロ減らすためには収支バランスを21000キロカロリー、一日当たり700キロカロリーのマイナスにしなければならない。結構大変だ。僕の場合、6キロ走ればだいたい350キロカロリー、食事でご飯一杯で200キロカロリー、ビールを一本(350ml)を我慢して150キロカロリー、これでようやく700キロカロリーだ。これを毎日だ。 先週は飲み会続き、さらにこの週末は子供の学校のPTA懇親旅行があり、かなりの入超になっていて、今朝のジョグでは全然スピードが出なかった。恐る恐る体重計に乗ると、おお、いつもより2キロも重くなっている。これを標準に戻すためには一日500キロカロリー弱、一ヶ月間エネルギー収支を改善しなければならない。 速くなりたいが、世の中誘惑が多すぎる。
2012.05.28
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来シーズンはフルマラソンで3時間20分を目標にしたいと思っている。そのためにはこれから春から夏にかけての走り込みが重要。昨年はこの時期の走り込みが不足、シーズン前半の記録の伸び悩みにつながった。 練習内容も工夫する必要がある。特に必要と考えているのはスピード練習。フルマラソンで3時間20分を出すためには4分45秒/キロのペースが必要。常にこの速さを維持するためにより短い距離を4分/キロ~4分30秒/キロで走る練習をしたい。次に走る姿勢の矯正。何度かこのブログでも書いているが、骨盤前傾走法を身につけるために峠走は効果があった。トレランなども交えて楽しみながら体に完全に覚え込ませたい。 昨日は雨の中、春日部大凧マラソンの10キロの部に参加。一人ではなかなかキープできない4分15秒/キロの速さを体感したいと思っていた。スタートから3キロまでは予定通りで12分44秒で通過。しかし、3キロを越えたあたりで胃がむかつくようになり、ペースを落とす。5キロ通過は21分42秒。この2キロは4分30秒ペース。5キロを越えたところでもう一度4分15秒ペースに戻したが、やはり吐き気がする。6キロ以降は再び4分30秒ペースに。ゴールタイムは43分58秒。ぐったり。帰宅後も胃がなんとなく重く、食欲なし。早めに就寝。 体調が悪かったわけではないのにこの疲れは胃腸への負担が大きかったためのようだ。僕は胃酸過多傾向があるので、フルマラソンの時は消化のよいものを食べたり、ガスター10を服用したりして気を使っているが、今回は10キロだけだったので普通に食事をし(ちょっと多かった)、それも植物繊維が多い消化が悪いものをたくさん食べてしまった。胃腸への配慮が足りなかったようだ。何回走ってもランニングは難しい。毎回反省ばかり。 今日は久しぶりの好天に恵まれて、近所をゆっくりジョグ。12キロ。疲れが取れた感じ。
2012.05.05
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一足飛びに夏が来たかのような陽気。今年は特に冬が寒く長かったので春が待ち遠しかったが、あっという間に夏になりそう。最近は春や秋が短くなり、その分夏が妙に長い。 さて、毎月最終日曜日は川崎で月例マラソンがある。このような大会があることは知っていたのだが、知人に勧められたこともあり、陽気にも誘われて参加してきた。場所はJR南武線鹿島田駅から徒歩15分、多摩川の河川敷にある古市場競技場。 登録は簡単。当日、登録してゼッケンをもらうだけ。このゼッケンはこれからもずっと使うことになる。夏の期間(4月から10月)は次のようなプログラムになっている。 8:00 子ども1km 8:30 3km 9:00 5km 9:30 10km 当初3、5、10kmと3本走ろうと思っていたのだが、寝坊をしてしまい、5、10kmの2本に変更。正しい選択。実際走って見て3本走るのはこの暑さでは無理と気づく。 5kmは記録狙いで前半から飛ばすも、暑さのため、後半失速、20分54秒でゴール。疲労困憊。それから25分後、10kmに挑む。5kmを全力で走った後の10kmはきつい。今度は前半抑え気味に走り、後半ビルドアップする作戦。距離表示がないので途中のタイムはわからないが、45分24秒で走り切った。これはいい練習になる。時間が許せば、そして、暑くなければ来月も参加しよう。 自宅に戻り、昼食。満腹、心地よい疲労を覚えながら、ロシア語通訳、エッセイストとして名を馳せた故米原万里の『旅行者の朝食』なる抱腹絶倒の食のエッセイを読む。いつの間にかシエスタ。至福の休日。
2012.04.29
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大型連休開始。今年は旅行などの予定はなし。カレンダー通りゆっくり休む。 今日はアフリカのサッカーについての新刊書 『サッカーと独裁者 アフリカ13カ国の「紛争地帯」を行く』を紹介したい。 著者のスティーブ・ブルームフィールドは英「インディペンデント」紙 の元ケニア特派員。現在もナイロビに拠点を置いて取材活動をしている。アフリカのサッカー本と云って、欧州リーグで活躍するスター選手の話はほとんどない。多くはサッカーを行うことが政治的、社会的に困難な状況を抱える国におけるサッカーの話だ。むしろ、サッカーを通じてみた紛争国・破綻国のルポと言った方が正確である。 アフリカの13ヶ国の「紛争国」を並べると壮観だ。エジプト、スーダン、チャド、ソマリア、ケニア、ルワンダ、コンゴ民、ナイジェリア、コートジボワール、シェラレオーネ、リベリア、ジンバブエ、南アフリカ。エジプトやジンバブエではタイトルのとおり、独裁者がサッカーを政治的に利用する様子が描かれ、ソマリアではサッカーの練習をすることそのものがテロの対象となり、身の危険との引き換えである厳しい状況が淡々と説明されている。 一方でコートジボワールの章では南北分断の状況の中でナショナルチームの活躍が国の再統一に大きく寄与したことに元気づけられ、また、シェラレオーネでは内戦によって障害を受けた若者がサッカーに希望を見出して行く様子には喝采を送りたくなる。 原題は"Africa United: How Football Explains Africa"。『アフリカ連合、サッカーで読み解くアフリカ』。訳の日本語も読みやすい。あえて難点を云えば、タイトルの訳。本書は紛争国や破綻国をサッカーの視点で見たルポであり、独裁者の話だけではない。、「サッカーと独裁者」は意訳のしすぎ。それでも、アフリカの一断面をとらえた優れたルポであり、一読をお勧めする。
2012.04.28
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今シーズン4本目、最後のフルマラソン。10時スタートで、事前にゼッケンも郵送されていたので、上野駅8時30分発のフレッシュひたちでゆっくり会場の土浦に向かう。 9時17分土浦駅着。霞ヶ浦が見える。 会場も駅から5分で便利。荷物を預けて9時40分頃にはスタートブロック(僕はCブロック)に並ぶ。フルの参加者は16494人。スタートまでは2分24秒。 5キロ 25分50秒10キロ 23分58秒15キロ 23分35秒20キロ 24分36秒ハーフ通過 1:45:4025キロ 25分01秒30キロ 24分56秒 ここまでは計算通り。3時間30分ペース。しかし、ソウルと違い、ここで少し疲労を感じ、ペースが落ちる。35キロ 26分51秒40キロ 27分28秒ゴール 3時間33分54秒。 サブ3・5まで4分及ばす。それでも、2大会続けて3時間30分前後の記録を出せたことは自信になる。来季はもうひとつ上を目指したい。 帰宅後、急に寒気を覚える。38℃前後の熱。風邪と云うよりも疲労から来る体調不良のようだ。早く寝て治さないと。
2012.04.15
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来週15日はかすみがうらマラソンに参戦予定。今シーズン最後のフルマラソンになる。最後の仕上げとして水曜日に皇居でビルドアップ走(3周)、今日は恒例の峠走で山北へ。ソウルに参加できなかった時のためのリザーブとして申し込んでいた大会なのでまずは楽しみたいと思う。 前回峠走を走ったのは3月10日。その後、ロンドン五輪のマラソン代表が決まったが、女子代表の一人、尾崎好美選手は山北の出身なのでした。この山道を走って鍛えられたのかと合点。 さて、先週の大井川鉄道に続き、鉄道&さくら話。峠走のスタート、ゴール地点である山北駅近辺は桜の名所で有名。JR御殿場線を走る鉄道と桜を撮るために今朝は多くの鉄道ファンが押しかけていた。これは山北駅に入線してくるワンマン電車。 山北駅そばにある鉄道公園にはD52系70型の蒸気機関車が保存されている。この重量機関車は御殿場線の坂を引っ張ってきた。いつもは静かな公園だが、今日はさくら祭りのメイン会場となっており、子供たちに囲まれていた。
2012.04.07
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よく夕刊に一面広告が出ているバスツアーなるものに初めて参加してみた。今回参加したのはクラブツーリズムが主催する「大井川鉄道沿いに咲く!家山の桜トンネル 昔懐かしい蒸気機関車・大井川鉄道SL列車 富士山を眺める絶景!駿河湾クルーズ」。!マーク二つの長いツアー名。 目的は大井川鉄道に乗ること。個人で行くとそれなりに面倒そう。蒸気機関車は乗車するよりも疾走する姿を沿線で見る方が楽しいと思うのだが、そんな周到な準備をする余裕も時間もない。その意味でツアーは楽と云えば楽。朝7時30分に池袋のサンシャインビルに集合。一路、大井川鉄道へ。 蒸気機関車に乗るのは生涯2回目。一回目は僕が北海道に在住していた7歳か8歳の頃、札幌―小樽(銭箱?)のラストランだったかに、乗車した。それ以来になる。 乗車したのは家山駅から千頭駅までの約50分。 大井川鉄道は桜との組み合わせが有名なので僕が乗った列車はなんと8両編成。東海道53次の難所中の難所であった大井川沿いをのんびり走る。配られたお弁当を食べてお腹がくちくなり、うとうと。これは家山川が大井川に合流する地点の鉄橋。 家山駅周辺は桜の名所でツアー名にも入っている桜のトンネルなどを散歩。3分咲き。 千頭駅にはあっという間に到着。ゆっくり正面から撮影。 C56形は小型軽量の蒸気機関車。三菱重工製。僕が乗車したC56-44の歴史をひも解くとなんと、第二次世界大戦中にタイで組み立てられ、軍事供出された機関車であったことがわかる。戦後、タイ国鉄で使用された後、1980年からは大井川鉄道で動態復元、供用されるという数奇な歴史をたどっている。 大井川鉄道から思いがけずアジアの歴史に思いをはせることになった。
2012.04.05
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先週発生したマリでのクーデターは膠着状態にある。クーデターを首謀したグループは徐々に孤立を深めているようだ。このクーデターはアルカイダの支援を受けたトゥアレグ族がマリ北部の一部を占拠しつつある状況に手をこまねいている現政権に業を煮やした若手将校の反乱と云う性格を有しているが、大統領官邸などの政府機能を一部掌握しているだけであり、帰趨は見えない。今後の推移を見守る必要がある。 一方、25日は隣国のセネガルで大統領選挙の第二回投票が行われた。第一回投票では現職のワッド大統領は35%、サル元首相が26%と共に過半数に達せず、決戦投票となったもの。野党候補者達は第二回投票では第一回でトップの野党候補を支援することで合意していたため、約束通りであればサル元首相は65%を獲得することとなる。 昨日行われた投票は混乱なく行われた。開票結果はまだ公表されていないが、昨夜ワッド大統領は敗北を認め、サル元首相に祝福の電話をしたとの報道。ワッド大統領の報道官は「セネガル国民の選択を尊重する」、「セネガルは偉大な民主化の国だ。セネガル国民は政治的に成熟している」と述べている。 12年前、ワッド大統領が変革を掲げて、大統領選挙で勝利した際、敗北したディウフ元大統領は同じように電話でワッドに祝福の電話をしたと云われているが、歴史は繰り返し、セネガルの民主主義は守られた。 憲法改正による三選問題に始まり、第二回投票選挙間際には「5年の任期はいらない、3年でいいから時間が欲しい」と権力への異常なまでの執着を見せたワッド大統領も最後の最後で自らの晩節を汚さない道を選んだと言えるだろう。このまま、サル大統領が順調に誕生することを切に望んでいる。
2012.03.26
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昨日は新国立劇場に『パーマ屋すみれ』を見に行ってきた。九州三池炭鉱にある通称「アリラン峠」を舞台に戦後の在日コリアンの哀しくもやるせない日々を時にシリアスに時にユーモラスに描いた佳作。 炭鉱事故の際に仲間を助けにヤマに入り、その結果一酸化炭素中毒の後遺症に悩まれる主人公姉妹夫婦が生活を守るために戦い、傷ついていく姿は痛々しい。しかし、「死んではいけない」と運命を背負って生きて行く。 2008年に『焼肉ドラゴン』で大阪の在日をテーマにした作品を世に問うた鄭義信が監督。主演は僕の好きな南果歩。逆況の中で強く生きる「パーマ屋」在日コリアン女性を好演した。一酸化炭素中毒のため体が不自由になってしまう南果歩の夫役の松重豊の演技は圧巻。多くの方に見て欲しい作品なのだが、残念ながら昨日が最終日。前回の『焼肉ドラゴン』は東京の後、ソウルにも遠征、彼の地でも好評を博した。今回もそのような公演が計画されているのだろうか?
2012.03.26
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マラソン翌日の19日は北朝鮮国境の都羅山駅と統一展望台見学に行く予定だった。しかし、残念ながら月曜日のツアーはないことが判明。おまけに月曜日は美術館等も軒並み休み。そこで考えたのは山歩き。 ソウルは四方を山に囲まれている。有名なのは北漢山。市内からよく見える急峻な岩山で麓には大統領官邸である青瓦台がある。しかし、この山に登るためには本格的な準備が必要。そのため、簡単に登ることができるソウル南方にある南漢山に行くことにした。 地下鉄を乗り継いで約一時間、8号線の山城駅下車。そこからタクシーで南漢山の登り口へ約15分。南漢山には昔城があり、元軍がソウルを陥落した後、当時の李氏朝鮮王朝はここに機能を移し、立て篭もったと云う。日本の占領時代にもここにはレジスタンス軍が潜んでいた。 山は四方を城壁に囲まれている。ぐるっと回ると2時間くらい。 西門には南漢山城跡があり、守禦将台と呼ばれる守備軍の詰め所が再現されていた。色彩が非常に鮮やか。 この日天気は薄曇り。ちょっと霞んでいるがソウル市内が一望できた。ソウルの拡大ぶりには目を見張るものがある。実際、南漢山麓にも高層マンション群が伸びていた。
2012.03.25
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ソウルでの楽しみの一つは食。今回もよく食べた。 マラソン前夜は参鶏湯を食べたと書いたが、お店は景福宮の近くにある「土俗村参鶏湯」。韓国でもよく知られたお店だ。 マラソンを走り終わった後は、良質のたんぱく質の補給が必要ということで蚕院(チャムウォン)洞にある納豆汁(チョングッチャン)のお店(「チョンジュ・チョングッチャンチプ」)に行く。ごはんに豆腐や野菜を乗せ、その上から納豆汁をかけてビビンバにしていただく。臭みがあるがなかなか美味い。蚕院洞のあたりにはカンジャンケジャン(蟹のしょうゆ漬け)で有名なお店が並んでいる。 マラソン翌日の朝はお粥。ホテルからつながっている地下街にあった普通のお店で黒ゴマ粥。滋味深い。 帰国する朝は初めて韓国に来た時(1983年)にも入ったことのある「里門ソルロンタン」で雪濃湯(ソルロンタン)を食べる。場所は鐘閣にあるYMCAホテルの裏側。以前あった場所から移転して、綺麗なお店になり、味もすっかり洗練されていた。この間の韓国の変化とこのソルロンタンの味の変化が見事にシンクロしていた。
2012.03.24
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この大会、前身の東亜マラソンは植民地時代の1931年が第一回。過去の優勝者を見ると第3回大会にはベルリン五輪のマラソン種目で金メダルを取った孫基禎の名前がある。ソウル国際マラソンのスポンサーである東亜日報が孫基禎の金メダルを報道する際に胸の日の丸を塗りつぶしたため、発禁処分となったのは有名な話。 フルマラソンの大会になったのは東京五輪の1964年。日本人も何回か優勝しているが一番新しいのは2002年の藤田敦史。近年はアフリカ勢が強いのはいずこも同じ。 実際、この大会のエリートの部はケニア勢が1位から7位までを独占。優勝したエルベ選手のタイムは世界歴代8位の2時間5分37秒。4位までが6分台、7位までが7分台の高速レースであった。かつてバルセロナ五輪で金メダルを取った黄永祚などを輩出したマラソン強国であった韓国は今はその面影なく、国内トップ選手は16位に終わっている。 同じ首都で行われているという意味で東京マラソンと比較すると、1.非常にマッチョな大会。女性ランナーが極端に少ない。2.仮装しているランナーも少なく、「ミニーちゃんだ」と思ったら案の定日本人女性ランナーであった。 3.沿道の応援がさほど多くない。伝統の打楽器による鳴り物、踊りの応援は多かった。4.エイドは5キロ毎の給水と3か所の給食(バナナとチョコパイ。干しブドウを配っていた給食所あり)とシンプル。韓国の女子中高生が元気よく渡してくれる。チョコパイは日本では最近余り見ないが、韓国では人気商品のようでコンビニに行くと2、3種ある。一つ食べてみたが、ちょっと大きすぎる感じ。5.韓国人に大会の存在が余り知られていない。 何人かの韓国人の知り合いに「ソウル国際を走る」と言ったらそんな大会あるの?という反応。国内で一番大きな大会なので、市民マラソン自体が盛んでないと云うことだろう。実際、翌々日市内をジョギングしてみたが、一人のランナーともすれ違わなかった。 僕が走りだしたのは4年前のことでそれ以前の日本の大会は知らないが、おそらくブーム前の大会はこんなシンプルなものだったのではないかと想像する。日本がやはりマラソンブームにあることを改めて確認した。
2012.03.22
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今日、大会のHPで記録を確認した。正式記録は3時間29分45秒。順位は2438位。 ソウル市は旧市街地である漢江の北側と朝鮮戦争後に開発が進んだ漢江南側の新市街地では雰囲気が異なる。このマラソンは景福宮という王宮の光化門前をスタートし、旧市街地を35キロ走った後、漢江に架かる橋を越え、南側にある蚕室オリンピックスタジアムにゴールするコース。 コース全体を通じてフラットなところは東京マラソンと似ている。日本事務局を通じて申し込むとエリートランナーのすぐ後ろのAブロックからスタートできる。8時ちょうどにエリートランナーがスタートした後、7~8分後にスタート。Aブロックは3時間30分以内のランナーがいるブロック。風船を頭につけた3時間30分のペースメーカーについて行こうと考えていたが、思いのほか速いスピードで飛び出して行ったので、自重。それでも最初の入りは4分45秒前後。とにかく5分/キロ以内で行ける所まで行こうと決めた。体調は良い。 旧市街地の風景を楽しみながら、淡々と走る。暗渠を元に戻し市民の憩いの場に変えた清渓川沿いが序盤戦。3時間30分のペースメーカーには15キロ付近(鐘閣付近)で追いつき抜いた。東大門を過ぎ、ハーフは1時間43分10秒。ここからが勝負。25キロ、30キロとこれまで足を運んだことのないソウル北東部の子ども公園、ソウルの森を横目に走るがペースは落ちない。5分/キロを越えた1キロの後は少しペースを上げ4分40~50秒台に回復を繰り返す。しかし、蚕室大橋を越える35キロからはさすがに体が重くなり、呼吸も苦しくなる。しかし、これまでのレースのような極端なペースダウンはなく、35~40キロの5キロも25分台。40キロ前後でペースメーカーには再び抜かれたが、40キロ時点で3時間30分切りを確信する。 40から41キロは4分40秒でその時点で約3時間23分。7分あれば1.2キロは楽にカバーできる。そう思ったのだが、走っても走ってもゴールのスタジアムの入口が見えない。ようやく門をくぐったところで時計を見ると3時間28分を越えている。あれ、まだ300メートルあるのに。慌ててダッシュ。ここまできて3時間30分を切るかどうかは大きな違い。ダッシュの甲斐あって辛うじて3時間30分を切るタイムでゴール。 ゴール後はメダルを貰い、マッサージを受ける。全コースを通じてお尻の筋肉で走ることができたため、ふくらはぎなどの張りは全くない。しばし満足感に浸る。
2012.03.21
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17日は成田13:30発のアシアナ航空(OZ103)でソウルへ。定刻の16:10に仁川空港着。宿泊先はマラソンのスタート地点に歩いて行けるウェスティン朝鮮ホテルを予約していたのだが、マラソンの受付けはそこからはかなり遠い西大門地区にあるグランドヒルトンソウルホテル。まずはそこに行く。空港からヒルトンホテルへ行くバスは45分に一本程度しかなく、到着時はちょうど前のバスが出発した後。待ったためヒルトンに到着したのは6時半。ゼッケンなどをもらったが、ソウルマラソン日本事務局が主催する時間がかかりそうな説明会はスキップして、7時過ぎにウェスティン朝鮮ホテルに到着。 夕食は参鶏湯と決めていた。参鶏湯は鶏肉の中にもち米や朝鮮ニンジン、ナツメなどを詰めて煮込んだ料理だが、精がつくと云う意味で日本のうなぎと同じような食べ物だ。景福宮の裏にある土俗村参鶏湯と云うお店で食べる。値段はかなり安いがうまい。ビールはお預け。先週はアルコールを一週間我慢した。 当日。前日の天気予報ではスタート時は小雨。しかし、雨の気配はなし。薄曇りで、翌日の新聞によるとスタート時は6.2℃、日中は10℃程。またとない絶好の天気に恵まれた。 スタート地点は景福宮から延びる大通り。ソウルマラソンの日本事務局は皮肉なことに豊臣秀吉を打ち破った韓国の英雄李舜臣将軍の銅像の横にあった(銅像は日本をにらんで南側を向いている)。スタート時間は8時。日本事務局の方からは荷物を預けるのであれば7時10分に集合と云われていたが、今回は妻がゴール地点に荷物を持って迎えに来てくれる算段だったのでゆっくり目に7時30分頃現地へ。 ソウル国際マラソンの規模は25,000人。同じ規模の東京マラソンの場合、30分前にはスタート地点に並ばなければならない。ソウルでも同じことを云われていたのだが、実際はかなり緩く、並ぶのは10分前でもOKだった。 この大会は韓国の朝日新聞的な論調を張っている東亜日報が主催者。テレビ中継もあり、ヘリコプターも空を舞っている。 出発前にはMCが参加者を鼓舞。韓国の国家である「愛国歌」を合唱。僕はこの歌を聴くと韓国人ではないのに気持ちが高揚する。いざ、スタート。片道4車線の広い道なので、最初からずいぶんと速いペース。抑えよう抑えようと言い聞かせてレースが始まった。
2012.03.20
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2008年の初フルマラソン(荒川市民マラソン)からちょうど4年、9レース目にしてサブ3.5を達成した。自己計時は3時間29分48秒。まさにギリギリの達成。35キロ以降は本当に苦しかった。しかし、初めて計算通りのイーブンペースで最後まで走り切れたことが嬉しい。 途中のタイムは次の通り。 5キロ 24分14秒10キロ 48分29秒(24分15秒)15キロ 1時間13分6秒(24分37秒)20キロ 1時間37分43秒(24分37秒)ハーフ 1時間43分10秒25キロ 2時間2分25秒(24分42秒)30キロ 2時間27分17秒(24分52秒)35キロ 2時間52分37秒(25分20秒)40キロ 3時間18分16秒(25分39秒)ゴール 3時間29分48秒(11分32秒) レースの様子は少しずつ報告しようと思う。
2012.03.19
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今月中の閣議決定と国会提出を目指している消費増税法案の民主党内における事前審査が始まった。今や1000兆円を越えた財政赤字、少子高齢化による社会保障費増の状況で、増税議論は待ったなしであるが、本書は書名の通り、「もうひとつの危機」である社会資本の崩壊を指摘している。 ここで云う社会資本(インフラ)とは公共施設(建築物(学校、病院、公営住宅、庁舎、公民館、図書館など)、インフラ(道路、橋梁、上下水道)、機械(廃棄物処理プラント、浄水場、下水処理場、医療機器、情報機器など)を指す。 80年代にアメリカに行ったことがある方はわかると思うが、どこに行ってもインフラが老朽化していることを実感したものだ。世界大恐慌後のニューディール政策により大量の橋梁や道路等のインフラ整備が行われたのは1930年代、それから50年が経過した時期だったのだ。翻って日本では東京オリンピックの前後がインフラ充実期にあたる。それからまさに50年。今、中国等の新興国に行くと、日本のインフラの古さを痛感するのは当たり前のことなのだ。 本書では公共投資予算が減少する中、インフラの更新需要が増大していることを具体的に示す(総額330兆円、年間8兆円)。さらに適切に更新が図られないと例えば橋の崩壊のような信じられないことが起きると警鐘を鳴らしている。日本のインフラはしっかりしているので大丈夫という根拠のない思いこみは間違いであると云うことだ(東日本大震災でいやというほど認識したと思うが)。 著者はいくつかの自治体におけるインフラの老朽化対策の実践例を紹介。基本的に人口が減少していく中、公共施設のマネジメントに関する情報公開、市民参加、民間提案等を通じて、公共施設の多機能化(学校に公民館を設置など)、インフラマネジメントの導入、広域連携(複数自治体での共同利用)、不動産の有効利用(廃校舎を利用したデザイナーズオフィスなど)、プロジェクト・ファイナンス、PPPなど、コストを抑制しながらインフラの更新を図る処方箋を提案、さらにインフラの「選択と集中」を図るべきことを強調している。 社会資本更新の危機は広く認識されているとは言い難い「ゆるやかな震災」である。しかし、利用するのも納税者として負担するのも我々市民。子どもの世代のためにもまずは足元の自分の住んでいる街の社会資本について考えることから初めて見たいと感じさせる好著である。一読を勧めたい。 著者は東洋大学PPP研究所センター長の根本祐二教授(日本経済新聞社刊、2011年)。
2012.03.14
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震災から一年。2時46分は渋谷駅近くで黙祷。 先週は雨が多かったため、合間を縫って効率的に練習。水曜日は朝いつもの5キロジョグ。仕事が終わった後、皇居でビルドアップ走(5キロ×3周)。24'35",24'11",23'50"。最後の一周はもう少しピッチをあげたかったが、途中、5分弱/キロで走る団体さんにつきあってしまった。しかし、調子は悪くない。 土曜日は再び足柄山へ峠走。雨が上がるのを見越して午後から出陣。小雨が降る中、22キロを2時間弱で走る。冷え切ってしまい、帰路居酒屋で温まる。焼酎のお湯割りが美味しかった。 昨日の激走からの超回復を図るため、今日は完全休養。午前中はロンドン五輪選考会の名古屋ウイメンズマラソンを観戦。僕が応援していた尾崎好美が2位(日本人1位)。彼女は走るフォームに無駄が少なく、美しい。横浜で最後に競り負けた経験を生かした。彼女が滑りこんで女子の代表はほぼ決まり。負けはしたが、野口みずきの粘りは見事。2004年のアテネ五輪で優勝以来、8年。栄光の後は、いばらの道であったが、御苦労さまと言いたい。 午後はいつもの治療院で腰と膝の施術。特に硬くなった膝周りの筋肉を柔らかくしてもらう。今週はインターバル1回、10キロ走を2回入れて本番を迎えるつもり。 峠走の起点である御殿場線山北駅に行くためには小田急線新松田駅から御殿場線の松田駅に乗り換える。駅の放送によると「まつだ」の「ま」にアクセントがある。ふーん。気になるのは御殿場線の駅前にあるマニラ食堂と云う名前の店。看板には和食、中華と書いてある。なのにマニラ。残念ながら営業はしていないようだ。
2012.03.11
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フランス大統領選挙の第一回投票は4月22日。事前の世論調査では現職のサルコジ大統領の旗色が悪い。社会党のオランド候補もセンスの悪いおじさん風でパッとしないのだが、サルコジ大統領のこれ見よがしな劇場型パフォーマンス政治に比べたらマシということのようだ。フランス人は大統領にはトップとしての格を期待する。ミッテランもシラクも一期目が終わる頃にはそれなりの格を感じさせ、再選された(当時は一期7年だったが。今は5年)。しかし、サルコジは最後まで自分を必要以上に大きく見せようとし、むしろ滑稽さを感じさせるようになってしまった。奥さんのカルラ・ブルーニは素敵なのに。 アフリカ専門誌「ジュンヌ・アフリク」は2月26日号で大統領選挙でフランス・アフリカの関係は変わるかと云う特集を組んでいる。結論はどっちになっても変わらないということだが、記事を読んでいるうちにサルコジが大統領になって初めてのアフリカ外遊でのとんでもない演説を思い出し、ネットで原文を読み直してみた。 演説は2007年7月26日、歴史家シェイク・アンタ・ディオプの名前を冠したダカール大学で行われた。ポイントの一つは過去の歴史観としての植民地主義の肯定。よくある論理展開だが、植民者は悪い奴もいたが、いい奴もいて、アフリカに文明をもたらしたのだ。フランス植民地主義は現在のアフリカの問題に責任はない。現在のアフリカの苦境の責任はアフリカにある。若者よ、目を開き、現実をよく見ろと。 二つ目のポイントは移民問題。家族を養うために遠い国に職を探しに行く若者たちに理解を示すことを云いつつ、残って国の発展に尽くすべきだと述べた。これも一見尤もなことのように見えるが、サルコジが進めようとしている選択的・制限的移民政策を追従するものでしかない。つまり、フランスには来るなと云うことだ。 この演説は案の定、アフリカのみならず欧米メディアからもその時代錯誤ぶりが非難されることになる。原文を読もうとフランス大統領府のHPを探したが、削除されていた。 そのサルコジは最近TV番組のインタビューで再び移民を制限する政策を打ち出している。これは劣勢の選挙戦において、移民を敵視するフロントナショナル(FN)支持層の取り込みを狙ったもの。第二回投票において10数パーセントの基盤票を持つFN支持層を押さえることはサルコジが起死回生の逆転を果たすためにはマストだからだ。 一方で前回の大統領選挙中にサルコジは「フランサフリック」と呼ばれるフランスとアフリカの政治・経済界に横たわる灰色の互恵関係にピリオドを打つことを宣言していた。しかし、それはどこかの国の「言うだけ番長」と同じく、実行されずにいる。 オランドのアフリカ政策は不明。おそらく変化はないだろう。ルワンダのようにフランスに楯突く国が他にも出てくる来ないと、フランスの庇護者然とした前時代的アフリカ政策は変わらないのだろうか。
2012.03.08
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ソウル国際マラソンまで二週間。昨日は多摩川べりで20キロのビルドアップ走。5'15"/キロで入り、中は5分、最後は4'45”と徐々に上げて1:37'30"。レースで使う靴(アディゼロジャパン)も履き慣らし。自分の走りに好感触を得たのは久しぶり。 今日は昨年の10月以来の峠走。JR御殿場線山北駅から足柄万葉公園までの往復26キロに挑戦。9時45分に山北駅近くの健康福祉センターをスタート。スタート時(標高110メートル)はさほど寒さを感じなかったが、登りにかかるにつれて徐々に寒くなってくる。きっとソウルはこの位寒いはずだと言い聞かせて登る。往路は1:24'37"。万葉公園のあたりはかなり雪が残っていた(標高740メートル)。 復路は下りなのでひたすら飛ばす。平地に戻ってからもタイムは落ちず。1:03'16"。計2:27'53"。昨日に続き、走りの感触はいい。途中の里山の風景も優しかった。 一時間に一本しかない電車に乗るために、健康福祉センターであわただしく温泉につかる。今週はビルドアップとインターバル、ジョグを予定。ソウルに向けて気持ちもだんだん盛り上がってきた。 おまけ。山北駅前のお店の写真。 世界のナイフってなんだろう?
2012.03.04
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2012年のアフリカサッカー選手権は2月12日、ザンビアが延長PK戦で優勝候補筆頭のコートジボワールを8-7で下して幕を閉じた。ザンビアの優勝はサプライズであった。旧聞に属す話題ではあるが、備忘録的に記録に残しておく。 戦前優勝候補に挙げられていたのは、コートジボワール、ガーナ、セネガル、モロッコの4ヶ国。コートジボワールは前回に続き準優勝、ガーナは4位とまずまずの成績を残した。コートジボワールは決勝戦では後半でドログバがPKを外したのが痛かったが、全体を通じて個はともかく、チームとしての強さを示すことができなかったのは事実。タレントを揃えているのになぜか優勝できないのがコートジボワールらしいと言えばらしい。ガーナは着実に勝ち上がったが、準決勝でザンビアに、3位決定戦でマリに負けて4位。後日、チーム内の不協和音が大きく報道されていた。 セネガルは開幕戦で共催国の一つ、赤道ギニアに負けて、結局まさかの予選全敗。緊張感が切れると糸の切れた凧のようになるのがセネガルらしい。モロッコもいいところなく予選敗退。 ザンビアの躍進は目覚ましかった。ザンビアは1993年W杯アフリカ予選で移動中に代表選手18名が搭乗していた飛行機が墜落すると云う痛ましい経験をしている。たまたま墜落したのがもう一つの共催国であるガボンの首都リーブルビルの沖合だったと云うことで一種の弔い合戦の意味もあった。ザンビアがナショナルチームの強化に努めていたことは確かであるが、西アフリカのコートジボワール、ガーナのように欧州の一流クラブで活躍する選手がいるわけではなく、地元クラブで育った選手がほとんど。そのようなチームでも勝てたことはアフリカサッカー界に新鮮な風を吹き込んだと言えよう。 最後におまけ。先日、エチオピアのアジスアベバで見つけたサムソンの広告。サムソンはアフリカにしっかり根付いているが、ドログバを使っているのが日本企業にマネのできないところ。
2012.03.03
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今月11日までの海外出張中は基本的にランニングマシーンでの練習しかできないことがわかっていたので、月間走行距離の目標は低めの150キロに設定。ところが帰国後の体調不良のため、12日から17日までは走ることができず。なんとか150キロは達成できそうだが、質量とも練習不足はなかなか解消されない。 今週末はソウルの3週間前に当たるので30キロ走を企図。ところが土曜日はあいにく日中雨だったので夕方20キロ走るのがやっと。それでも5分/キロのペース走ができた。今日は東京マラソンを実況放送で見るために、レース中継が始まる前の早朝30キロ走にトライ。4時起き、パンを一枚とカップスープを飲んで5時スタートで3時間。野川沿いコースの往復。日の出前に走るのは少し怖い。木が人に見えたりしてドキッとする。 今日は6分/キロでゆっくり入り、復路にペースを上げる計画だった。20キロ付近までは順調だったが、途中ではずした手袋を失くしたことに気づく。そのうち体全身に寒さを感じ、完全にガス欠の状態に。途中歩きも入れて、ほうほうの体で帰宅。手袋は大事。その後、朝ご飯を食べ直し、昼は韓国風の辛いスープに丼飯2杯、生卵2つ食べて落ち着く。不満足な30キロ走だったので、来週は高尾山か足柄峠に行って、上り下りの刺激走を考え中。 東京マラソン、期待の川内選手の結果は残念。本人のコメントは読んでいないが、3回の給水の失敗が精神的にも肉体的にも痛かったのは想像に難くない。しかし、なぜそんなことが3回も起こるのか?しかし、本人が「7分台で走れなければオリンピックに出る意味がない」と公言している以上、7分台に遠く及ばなかった時点で彼の五輪出場は遠のいた感あり。その7分台を出した藤原新選手の快走は立派。彼は東京マラソンには強い。走りにムラがあり、コース取りなどに無駄が多いが、本番ではまると面白い存在。これで藤原はロンドン五輪当確。来週行われる最後の代表選考レースである琵琶湖には昨年韓国テグで行われた世界選手権入賞(7位)の堀端、福岡国際で川内(3位)に次いで4位に入った今井が出場する。残り二人の選考はかなりの議論を呼びそうだ。 ちなみに昨年(2011年)世界マラソンランキングを見ると、上位はアフリカ勢が独占、日本人最高が川内優輝が昨年の東京マラソンで出した2:08:37で90位。層の厚いケニアでは今日東京マラソンで優勝したケニア人選手がロンドンに行ける保証はどこにもない。
2012.02.26
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海外出張後の一週間がようやく終わった。水曜日の北海道日帰り出張は体に堪えた。週末はゆっくり休んで英気を養いたい。 さて、今日はセネガルの話題。セネガルでは2月26日に大統領選挙が行われる。三選を目指す現職のワッド大統領と数人の野党有力候補の争いだが、そもそもワッドの三選出馬には疑義が呈されていた。 2000年、ワッドは「変革」を掲げ、初当選。当時は大統領任期が7年であった。その後2001年憲法が改正され、大統領の3選禁止と5年任期が導入された。そして、2007年、ワッドは圧勝して、二期目に入る。今度は改正憲法に従い任期は5年だ。ワッドは「私は憲法を順守する。次の選挙には出馬できないことを知っている」と述べていた。改正憲法に従い、二期で終わりだと認識していたと云うことだ。 その時点ではワッドは実際出馬をしないつもりだったのだろう。次の選挙では息子のカリムへ政権を引き継ぐことを考えていたのだから。この辺りの経緯は過去のブログを参照。 要するに、息子に引き継げなかったので自らが憲法解釈上疑義のある三選出馬に踏み切ったと云うことだ。1月29日、セネガルの憲法委員会は大統領候補者の審査結果を発表、ワッドは出馬可となった(世界的に有名な歌手であるユッス・ンドゥ―ルは出馬できず)。 国際社会は反応する。特に米は憲法委員会の判断を尊重しつつ、「国家元首にふさわしい態度は、後進に道を譲ることだ」との異例の報道官発表をした。さらにバーンズ国務次官補は「ワッドの三選出馬は民主主義にとっての危機である」と言い切った。仏、EUも同様の見解を示している。 ワッドはもう3年あれば自分が進めてきたプロジェクトが実施できると云っているようだ。現在ワッドは86歳。3年で89歳、仮に当選して任期を全うすると91歳になる。かつての在野の闘士は今いずこ、今や権力にしがみつき、息子を含む取り巻きに権力を集中する姿は老害でしかない。分裂している野党側にも大局感が求められている。
2012.02.18
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先週11日(土)17:30にエミレーツEK318便は時間通り成田到着。帰りの接続もスムースで20:00過ぎには自宅着。ちょうど息子の友人達が遊びに来ていたので一緒に食事。さて、明日はマラソンなので早く寝ようと思ったら体に異変が。久々に細菌性の下痢にやられてしまった。出張中は基本的に火を通したものしか食べていないはず。何が原因か思い当たらない。まさか、機内食のすしではないだろうし。アジスアベバで口にした何かだろう。 一晩中、下痢と吐き気に悩まされる。熱を測ると37.9℃。マラソンは無理。やむを得ない。翌日も一日中布団とトイレの往復。食欲も全くない。食べても排出される。夕方たまりかねて区の休日診療所へ行き、抗生物質と胃腸薬を処方してもらう。ただし、あくまでも応急措置とのことで薬は一日分しかくれない。しかし、下痢は止まった。 13日(月)朝、かかりつけの医者に行く。診察時間前に行ったが、インフルエンザの検査を受けに来ている患者さんが山ほどいた。一時間ほど待って、受診。水当りでしょうということで薬を処方。あまり食べていないのでフラフラしながら会社へ。しかし、夜の大事な会食には体をなんとか間に合わせることができた。 14日(火)夕方、急きょ翌日北海道に日帰りで出張に行くことに決定。23時過ぎに帰宅。朝5時半に家を出なければならない。0時。布団に入るがまるで眠れず。そして今は朝の4時。結局一睡もできず。飛行機の中で寝るか。 赤羽ハーフのDNSはショックではあるが、もっとショックだったのはハセツネ30の申し込み。2/1日本時間の9時スタートであることを手帳に書いておいたのに出張のばたばたで確認を忘れてしまい、気付いたら日本時間の夕方。申し込みはとっくに締め切られていた。 北海道から帰ってきたらまともな生活に戻りたいものだ。
2012.02.14
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昨日ナイジェリアのアブジャからエチオピアのアジスアベバに大陸を横断。搭乗したエチオピア航空はアフリカの中では快適な航空会社の一つ。昨日もほぼ定時で飛ぶ。黒木亮に「シルクロードの滑走路」という中央アジアにおける航空機ファイナンスを扱った小説があるが、その本の中でもエチオピア航空は優良な企業として紹介されている。 さて、5日間滞在したアブジャは丹下健三が設計した新首都。リングロードに囲まれた貝状の形をした街の大きさは山手線の中とほぼ同じであるとのこと。季節は乾季、最高気温も30℃以下で過ごしやすい。しかし、新首都の常として、官庁が中心の人口的な街並みであり、街としての面白みには欠ける。さらに昨年8月に国連ハウスが、アルカイダとのつながりを強めている「ボコ・ハラム」と言われるイスラム過激派組織によって爆破される事件があり、我々の移動の自由も制限せざるを得ない状況となっている。リングロードの外に出るときは誘拐リスク等に備えるため警官の同伴を要請する。警官はAK47(カラシニコフ)を所持しており、車内でも落ち着かない。 僕にとってナイジェリアといえば経済的首都であるラゴスの混沌のイメージが強い。20年ほど前に一度ラゴスに来たことがある。当時は空港が修羅場であった。正式な入国審査、税関のほかに私設のチェックポイントが二重三重にあり難癖をつけられてはお金をせびられる。猛獣の群れの中に投げ込まれた羊のような気分であった。今回のアブジャの空港はそれほどひどくはないが、カモ探しの匂いがプンプン。入国審査官が聞く。「ナイジェリアは何回目か?」。こういう時に正直に「初めてです」などとは口が裂けても言ってはいけない。正しい答え方は「うーん何回目かな。しょっちゅう来ているからね」。 その点、エチオピアは楽だ。昨日は到着便が重なったため、多少時間がかかったが、普通にイミグレ、税関を通過。ストレスフリー。この我彼の差は大きい。 アジスアベバ空港のそばにあるホテルに夜の22時にチェックイン。ちょうどCAN(アフリカサッカー選手権)の準々決勝第2試合コートジボワールー赤道ギニア戦が始まったところだった。試合はドログバ(チェルシー)の2ゴール、ヤヤ・トゥーレ(マンチェスターC)の美しいフリーキックの1ゴール、3-0でコートジボワールが快勝。実力差を見せつけた。第一試合ではザンビアがスーダンを3-0で下し、準決勝へ。今日は残る2試合ガボンーマリ、ガーナーチュニジアが行われる。コートジボワールはガボンーマリの勝者と準決勝(8日)で当たることとなる。CANも佳境を迎える。 今日はこれからケニアのナイロビに移動。アフリカ巡業は続く。
2012.02.05
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2008年3月の初マラソン(荒川市民)から8回目のフルマラソン。何回も走っているのだからもう少し自分をコントロールできるといいのだが、なかなか思った通りにいかない。逆に最近はますます迷路に入り込んでしまった感すらある。 レース前から今回はかなり厳しいものになるだろうとは思っていた。昨年の12月は走行距離も200キロを超え、まずまずの練習を積むことができたのだが、年末年始に風邪をこじらせ、一週間走れずなくなったのがけちのつけ始め。その後も万全の体調とは言えない状況が続き、先週月曜に行ったレース前の最後のビルドアップ走(皇居3周)では24分30秒、23分30秒と2周したところで気分が悪くなり、最後の一周はアップではなくてダウン。おそらくウイルス性の軽い胃腸炎にかかったのだろう、胃腸薬が離せない状態になってしまった。また、2日前からはなぜか腰も痛くなっていた。踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。 今回楽しみにしていたのは大学時代の同級生であるY君と一緒に走ること。彼は大学時代体育会陸上部中距離のエース。聞いてみたら、20キロのベストは64分!今ではテレビ中継もされている箱根駅伝の予選会で出した記録とのことで当時は5年に一度だった学連選抜制度があれば本番にも出場していたかも知れない猛者だ。そんな彼に指南を受けて走ろうと考えていたのにスタート前から冴えない気分になっていたのは残念だった。 スタート時点で気温は3.5度。北風7メートル。曇り空。寒い。Y君とは3時間30分のペース(5分/キロ)のイーブンで行こうと話し合っていた。特に後半は向かい風になる可能性があるので体力を温存することが大事だと。走り始めてしばらくしてこれはきついなと感じた。記録上はハーフまでは5分/キロを少し超えるいいペースで走っているが、実は追い風に助けてもらっていたので、体感スピードとしてはやっとこさっとこ6分/キロで走っている感じであった。昨年は気づかなかった小さなアップダウンが気になる。 また、全行程を通じて距離表示がへんてこりんで初めての表示が6キロ。12キロや16キロという表示はどうしろというのだろう。 6キロ 30'42"10キロ 49'58"15キロ 1:15'56" (25'58")20キロ 1:41'55" (25'59")ハーフ 1:47'57" ハーフを過ぎたあたりでもう足腰が動かなくなってきた。万全の体調ではないので心の中の弱気虫がいつもより早く起きた感じ。25キロ以降の山道ではほとんど歩いているような速さ。記録もボロボロ。25キロ 2:10'33" (28'38")30キロ 2:43'55" (33'21")35キロ 3:18'14" (34'19")40キロ 3:53'05" (34'50")ゴール 4:06'44" (13'39") この数字を見ていると目標のサブ3.5ははるか遠くに行ってしまった気分になる。フルマラソンはきちんと準備をしないとダメだという当たり前のことを今回も学ぶ。今日から2週間のアフリカ巡業で練習ができなくなるが、帰国すると3月18日のソウルまで一か月、今シーズン最後のレースだ。納得の行く練習をしたいと思う。 Y君には館山までの行き帰りを車で送ってもらったり、ホテルを予約してもらったりとすっかりお世話になった。本当にありがとう。
2012.01.30
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サッカーアフリカカップ(CAN)2012が21日に開幕した。2月12日の決勝戦までアフリカのサッカーファンにはこたえられない3週間となる。 2年に一度開催されるCANは今回で28回目を迎える。開催地は最近はやりので2ヶ国共催方式でガボンと赤道ギニア。予選リーグを突破した16チームが4つのグループに分かれて総当たり戦を行い、各グループ上位2チームが決勝トーナメントに進む。 各グループの構成は次の通り。グループA:赤道ギニア、リビア、セネガル、ザンビアグループB:アンゴラ、ブルキナファソ、コートジボワール、スーダングループC:ガボン、モロッコ、チュニジア、ニジェールグループD:ボツワナ、ガーナ、ギニア、マリ アフリカのサッカー事情をちょっとご存じの方なら今回の出場国を見るとおやっと思うだろう。まず、過去最多の7回の優勝回数を誇り、2006、2008、2010と3連覇をしていたエジプトが予選敗退。また、エジプトに次ぐ優勝回数(4回)のカメルーン、アトランタ五輪金メダルのナイジェリア、そして2010年にW杯を開催した南アフリカなどの常連国も本選に進めなかった。これには様々な要因があるのだが、アフリカサッカーの実力が底上げされ、ナショナルチームの力が均衡してきたことがあげられるだろう。強豪国であっても楽に予選を勝てなくなったということだ。 この中で優勝候補をあげれば、ガーナ、コートジボワールの2ヶ国が一歩も二歩も抜け出ている。ガーナは個人技というよりはアフリカらしからぬcollectifな動きで勝負ができるチーム。南アW杯でもアフリカで唯一ベスト8に残った。コートジボワールにはチェルシーに所属するドログバを始め綺羅星のようなスターが揃う。セネガルやギニア、モロッコやチュニジアあたりも前評判が高い。 21日は地元赤道ギニアがリビアを下した後、セネガルがザンビアに敗れる波乱の幕開けとなった。我が家のテレビでは見られないので日本ではインターネットニュースを見るだけとなるが、ちょうどラッキーなことに来週からアフリカに2週間の出張の予定がある。現地では2年に一度のサッカー狂騒の雰囲気を楽しみたいと思っている(訪問する3ヶ国ともが出場国ではないのは残念だが)。
2012.01.24
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寒い日が続く。年末年始に風邪をひいて以来、体調が優れない。二週間後に迫った若潮館山マラソンに黄信号。 さて、今日紹介するのは李忠成と鄭大世の二人のストライカーを取材しノンフィクションの書物。対照的ではあるが、選択の本質を一にする二人の在日コリアンアスリートの物語である。 『日本代表・李忠成、北朝鮮代表・鄭大世 それでも、この道を選んだ』(古田清吾+姜成明、光文社刊)。 李忠成は「り・ただなり」の名で日本国籍を取得し、日本代表を目指す。昨年1月のアジアカップで豪との決勝の延長で決勝点となる芸術的なボレーシュートを決め、一躍有名になったのは記憶に新しい。最近サンフレッチェ広島から英国プレミアリーグ2部のサウサンプトンへの移籍が決まった。 鄭大世は父が韓国籍、母が北朝鮮籍。民族学校教師の母親の影響で朝鮮学校に通う。そのような環境で北朝鮮代表を目指すことは自然の流れであったようだ。しかし、韓国籍である鄭大世が北朝鮮代表となるためには、1.他の国の代表経験がないこと、2.その国のパスポートを所持していること、の2つの条件をクリアする必要があった。難問は2。たまたま韓国のパスポートを所持していなかったため、関係当局に働きかけた結果、北朝鮮からパスポートが発給されることになる。2010年、北朝鮮の44年ぶりのW杯(南ア)に出場に貢献したのは記憶に新しいところ。川崎フロンターレで活躍した後、現在独ブンデスリーグ2部のボーフム所属。 さて、この本は在日コリアンの二人が「在日」と格闘し、それぞれが日本、北朝鮮の代表を目指す心の軌跡を描いている。しかし、正直に云うと、共著の二人(古田清吾、姜成明)の筆は力不足であり、内容的には物足りなかった。在日コリアンであるという二人の背景に関する掘り下げが足りず、描写も表面的、また、アスリートとしての二人の内心の葛藤にも十分迫れていない。しかし、二人の物語はまだ途上。次回作も期待したいところだ。
2012.01.16
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些細なことだが、ブログタイトルから「西」を取った。「西」アフリカの駐在から帰国して6年、このブログの記事もアフリカ全般について触れることが多くなり、現状に合わせることとした。また、マラソンについての日記も増えて今やアフリカを越えそうになっているので、それもタイトルに入れたいのだが、長くなって綺麗に収まらない。しばらく考えることとする。いずれにしろ、内容は変わらないので引き続きよろしくお願いします。 さて、今日は昨年末に中国新華社通信が発表した国際10大ニュースを分析する。以前は日本でも新聞社が選んだ10大ニュースがあったと記憶しているが、最近、朝日や読売などは読者に選ばせて、「読者が選んだ10大ニュース」としている。 新華社通信は国内と国際に分けて発表している。僕は新華社通信の国際面をよく覗いている。特にアフリカ関係は際立った特徴があるわけではないのだが、網羅的に記事が掲載されており、重宝している。この10大ニュースも国際は非常にバランスが取れており、僕自身の感覚に非常に近い。並べてみると次のとおり。1.西アジア北アフリカの激動 いわゆる「アラブの春」である。中国では慎重な扱いが要求されるテーマであり、「アラブの春」と云う言葉は使われていない。記事の中に「民主化」の文字もないが、堂々と一位としていることに少々驚いた。2.中国の経済規模世界第2位に 今世紀に入った頃の国際金融機関、シンクタンクなどの推計では2020年がGDPで中国が日本を抜くターゲットイヤーになっていたが、10年早く逆転したことになる。この10年の新興国の台頭に伴い国際社会の勢力図は大きく変化した。国際的な課題に対応するためには先進国のみのG8体制では限界。新興国を含むG20体制に移行した。中国のGDPが2位になったと云うことは非常に象徴的であり、この順位は妥当である。3.欧米債務危機 オンゴーイングの危機であり、どこまで拡大するのか、まだ先行きが見えない。中国にす取って見ると、中国を含む新興国の経済成長にどのような影響を与えるのかという点は注視が必要であるが、さらには国際政治・経済秩序の中で中国自身がこの危機にどのような役割を果たすのか、いわばデビュー戦的な意味合いもあると考える。4.東日本大震災と原発事故 微妙なランクではある。ちなみにCNNではビン・ラディン殺害に次いで2位であった。特に原発についてはことなら大きく取り上げると国内の不安を煽り、原発建設推進に影響を与える可能性もあるので、扱いは慎重と云う印象。5.ビン・ラディン殺害6. 南スーダン独立7.アフリカの角地域干ばつ 5位のビン・ラディンは特にコメントなし。6、7位にアフリカが取り上げられている。この国際感覚は残念ながら日本のメディアにはない。スーダンは、中国にとって非常に重要な石油供給先であり、南北の安定はエネルギーの安定的確保の観点から極めて重要と云う側面もある。アフリカの角地域の干ばつは数十年に一度の大干ばつであり、1300万人を越える人々が人道的な危機状況に陥ったと云う意味で新華社の認識は正しい。ちなみに南スーダン独立は日本のメディアでも多く取り上げられたが、読売新聞国際ニュースランキングで22位であった。8.世界人口70億を突破9.イラン核危機10.金正日死去 7位の世界人口は読売でもベスト10にランク入り。8位のイラン核危機は日本ではどれだけの認識されているか。最後の金正日死去、金正恩後継体制については日本でも厚くカバレージされている通りだが、6ヶ国協議の枠組みが機能不全に陥り、韓国現政権が北朝鮮に厳しい態度を取っている間に中国がパトロンとして金正恩を支える体制が築かれつつある。北朝鮮にとって今や頼れるのは中国のみ。中国・北朝鮮関係は目が離せない。 実は同時に発表された中国の国内10大ニュースは自画自賛の大本営発表であり、読んでいて恥ずかしくなるほどである(高速鉄道事故だけはさすがに6位に入っている)。国際については国内に何らかの問題を惹起しない程度の配慮で、中国政府エリート層の世界観をあらわしているように感じる。とすれば、このバランス感覚、中国恐るべしである。
2012.01.07
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 さて、乾燥した天気が続いているせいか、年末にのど風邪をひいてしまい、まだ引きずっている。声がハスキーだ。熱はないが、首から上がだるい。なんだかすっきりしない。 ジョギングだけは毎日続けているが、それ以外は外出する元気がないので積んであった本を読んでいる。何冊か寸評。・『ミッション・ソング』ジョン・ル・カレ 2011年 光文社文庫 『ナイロビの蜂』でアフリカ問題に正面から向き合った巨匠が再びアフリカと対峙する。舞台はコンゴ民東部。大湖地域と云われる現在も紛争が続く地域だ。アイルランド系宣教師とコンゴ人女性の間に生まれた主人公。この設定自体が欧州とアフリカの関係を暗喩している。コンゴ周辺の部族語を複数マスターしている主人公はコンゴ東部に関する秘密会議に通訳として参加するが、真実を知り、義憤に駆られ、謀略を暴こうとするが・・・植民側がアフリカ政治を操る建付けは同じ英国人のフォーサイスが30年以上前に書いた『戦争の犬たち』を想起させる。『犬たち』は傭兵が赤道アフリカのクーデターに加担した実話を基にした小説と云われているが、その時代と構造はあまり大きく変わっていない。・『奪還』麻生幾 2010年 講談社 こちらは地震の被害を受けたフィリピン・ミンダナオ島と沖縄・与那国島が舞台。元自衛隊特殊部隊長と「国境のなき医師団」に派遣された日本人女医が主人公と云う意外な組み合わせが興味を引く。北朝鮮の特殊部隊の敦賀湾上陸を描いた『宣戦布告』を書いた著者は、この小説では、昨今中国の台頭で注目が集まる南西諸島における日本のシーレーン防衛の脆弱さを描く。・『世界史をつくった海賊』竹田いさみ 2011年 ちくま新書 この本は小説ではない。著者は国際政治の研究者(獨協大学)で、現代の海賊問題の第一人者であるが、あとがきにあるように「そもそも海賊とは何か」を調べているうちに歴史にはまってしまったらしい。英国が近代史の中で世界の覇権を握っていく過程でポルトガルやスペインと云った先進海洋国に対し、国家ぐるみで海賊と云う暴力装置を使った略奪行為を働き、富を蓄積していく様子が描かれている。スパイス、コーヒー、紅茶、砂糖、奴隷などの「交易品」を巡る歴史は、現代の国家や金融、多国籍企業等のシステムの成立と深く結び付いていることがわかり興味深い。お勧めの一冊だ。
2012.01.02
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北朝鮮の金正日の死去が伝えられたのは19日。メディアでは金正恩後継体制の行方が盛んに議論されている。当面は様子見と云うのが多くの識者の見方。多くの北朝鮮関連報道の中で僕が注目したのは北朝鮮の携帯電話に関するもの。 先月20日、ロイターは北朝鮮は2008年に携帯電話を解禁。エジプトの大手携帯電話会社であるオラスコム・テレコム社と4年契約を結び3G回線の敷設を開始、今年末までに加入者が100万人に到達する見込みとなったと報じていた。北朝鮮の人口は約2400万人なので普及率は4%と云うことになる。これは決して高い数値ではないがわずか2008年時点では普及がほぼゼロの状態だったことを考えると爆発的な普及速度と云ってもいいのではないか。 ロイター報道の出所は米国のシンクタンクであるノーチラス研究所の報告書とあったので早速読んでみる。以下、その概略。・実は北朝鮮は一度携帯電話の普及に乗り出したことがある。2001年からタイのLoxley Pacific社との提携によりGSMネットワークによる携帯電話の試験的導入がなされたのだが、2004年に発生した龍川駅における爆発事故(金正日が乗車していた鉄道 が同駅に接近していたため、暗殺を狙ったものではないかとの憶測を呼んだ)において、火薬の点火に携帯電話が使用されていた可能性があるとされたことから、その後、携帯電話の普及は見送られた。・一度見送られた携帯電話普及計画であるが、2006年頃から、前述のオラスコム・テレコム社との接触が始まる。なぜ、オラスコムなのかは不明。オラスコム社のCEOは4度も北朝鮮を訪問、金正日とも食事をするなど信頼を得ていた。*ちなみにオラスコム・テレコム社はアフリカでもMTN、VODACOM(共に南ア)に次ぐ規模の通信会社で、エジプトのほかにアルジェリア、中央アフリカ、ブルンジ等に進出している。 ・2009年、オラスコム・テレコム社75%、朝鮮逓信会社25%の出資で合弁会社を設立、サービスを開始。・ピョンヤンの20代~50代の世代の60%が携帯を使用、特に若者世代と商人にとって、携帯は必需品となっている。・当局は携帯によるコミュニケーションの監視を行っているが、急激な普及に当局の監視能力が追いつかないと云う事態も発生している。・携帯電話普及に関して、北朝鮮はすでにルビコン川を渡ったと云える。2004年に戻ることはできない。 ・ちなみにオラスコムの契約は2012年まで。懸案の一つは国際的な銀行システムと接続していない北朝鮮で得た利益をどのようにエジプトに送金するかと云うこと。 ・携帯電話を含むIT政策の立案にあたっては、中国の経験を参考にしている。金正日は2001年及び2006年に中国を訪問した際にIT企業を数多く訪問しているが、現在、北朝鮮で使用されている携帯電話器材は2006年に訪問した華為技術公司製(*この会社は日本では有名ではないが、エリクソンに次ぐ世界第2位の売上高を誇る。ここまでが概略)。 北朝鮮のIT政策の立案には金正恩の見解も反映されていると云われている。金正恩の指導力は全くの未知数であるが、このように見てくると、これまでのように情報を統制、監視することは容易でないことがわかる。 北朝鮮の携帯電話普及を担っているのがオンゴーイングで「アラブの春」を経験しているエジプトの企業であることが北朝鮮の将来に対する暗喩であるようにも思えるのだ。
2011.12.24
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フルマラソンでの後半の失速をどのように防ぐか。昨日あえて夕方に30キロを5分/キロで走り、その疲れを残したまま、今日のハーフに臨んだ。体に負荷がかかっている状態でとにかく4分30秒/キロで行ける所まで行って、粘ると云うのが今日のテーマだ。 つくばマラソンと同様、絶好の条件に恵まれた。雲ひとつない快晴。山々も紅葉(終盤ではあったが)に彩られ美しい。 ハーフには約2千人が参加。こじんまりとした規模の大会。身の程をよく知っているという意味で参加者の満足度が高い大会だ。 10時20分スタート。 1キロ毎のラップは、5'04",4'16",4'27",4'15",4'24",4'37",5'04"(登りがあった),9'41"(8キロ計測忘れ、2キロ分)、4'42"。10キロは46'34"。思ったよりアップダウンがきつい。。 10キロを過ぎると、さらに4分30秒がきつくなってくる。4'45",4'49",4'30",4'41",4'47"。15キロを過ぎてから脚が極端に重くなる。5'01",5'53"(ここからはゴールまであと●キロの数字),5'12",5'36",5'20",4'51"。最後の5キロは粘り切れず、タイムを落としてしまう。 結果は1:42’03”(ネット)。後半に脚が動かなくなるのは、精神的なものではないかとも思う。前回のつくばも今回の小川も脚が攣ったわけでもないし、走り終わった後の脚の疲労感もあまりない。体をもっと追い込んで、大丈夫なんだという精神的な自信をつける、そんな練習をもっと増やすべきなのだろう。 次の大会は1月の若潮館山(フル)。
2011.12.11
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久しぶりにコートジボワールの話題。昨年11月の大統領選挙はバグボ前大統領が敗北を認めなかったため、バグボ派と現大統領であるワタラ派による武力衝突を招き、物理的にも、精神的にもコートジボワールに大きな災禍を残した。最終的には4月に国連が仏に武力介入を依頼、その結果、バグボ前大統領や主要なメンバーの多くは捕えられ、北部などに拘束されていた。 4月以降のコートジボワールの歩みは順調である。10年間の内戦からの復興は容易ではないが、世界銀行やIMFの評判も高い。ワタラ大統領がかつてIMFの副専務理事を務めたテクノクラートであったこともあろうが、来年秋にはHIPCs(重債務貧困国)イニシアティブのCP到達が見込まれており、新規融資も行われることになる。 12月11日には国民議会選挙が行われる。バグボ時代与党だったFPI(コートジボワール人民前線)はバグボ亡き後求心力を失っている。今回の選挙は抗議の意も込めてボイコットしているが、それ以外これまでのところ、大きな問題もなく準備が進められている。 そのような状況の中、バグボ前大統領がオランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC)に身柄を移送され、12月5日、第一回の予備審理が行われた。罪状は約3000人が殺害されたと云われている大統領選挙後の混乱に対する責任。この日の審理では相変わらず罪状を否認している。騒乱時においてバグボ前大統領は「間接的に(政治的混乱を)煽った共謀者」と云う微妙な表現が使われているが、これは近い将来、直接殺害等の指揮にあたったシャルル・ブレ・グデ(前青少年大臣)やバグボ大統領の妻シモンヌ・バグボ等の審理が続くであろうことを示唆している。 ICCではかつてミロセヴィッチ前セルビア大統領等が裁かれたが、現在審理中の6件はテイラー前リベリア大統領等すべてアフリカに関連する犯罪。スーダンのバシール大統領に逮捕状が出されているが、執行されていないのは有名。先日は中国を訪問したが、中国は見て見ぬ振りである。 アフリカ連合(AU)はなぜアフリカに関連した犯罪ばかり取り上げるのかとICCを糾弾している。確かに世界中悪いことをする奴は山ほどいるのにというAUの指摘はその通りであるが。
2011.12.06
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11月に入って花粉症のような症状が続き、しょっちゅう鼻をかんでいたら、一昨日から右耳が聞こえづらくなってしまった。飛行機に乗っている時のようなゴーと云う音が聞こえ、会話がうまく聞き取れない。病院で受診したところ、外見的には鼓膜に張りがなく、また、耳管が炎症を起こしている可能性があるのでそれを抑える薬を飲んで様子を見ましょうということになった。歳を取るといろんなところにガタがくる。ケアが必要。 さて、 今シーズンのマラソン出場大会を確定した。 12月11日 小川和紙マラソン(ハーフ) 2年ぶりの出場。前回は10キロだったが、今回はハーフ。 1月29日 館山若潮マラソン(フル) 2年連続。 2月12日 東京・赤羽ハーフマラソン 2年連続 3月18日 ソウル国際マラソン 初出場 4月1日 ハセツネ30 エントリーはこれから。昨年はエントリーしたが震災の影響で大会が中止になった。 ソウルはお金がかかるので迷ったが、現在のマンネリ、停滞ムードを 吹き飛ばす刺激を求めて思い切ってエントリーした。エアチケットも買い、ホテルも予約してしまった(チケットは連休中にもかかわらず思ったよりも安く3万円台)。 この大会はコースが抜群にいい。ソウル中心地にある光化門をスタート、旧市街地の主だった名所を見ながら30キロ行く。終盤は漢江に架かる大きな橋の一つを渡り、江南のオリンピックスタジアムにゴールするコース。苦しい中、橋を越え、憧れのオリンピックスタジアムに飛び込むイメージを今から膨らませている。 もう一つの魅力はスタートブロック。日本事務局を通じて申し込むとエリートランナーがスタートしたすぐ後のAブロックからスタートできるそうだ。ホテルも徒歩圏に押さえたので、スタートのストレスも少ないはずだ。 目標が定まったので後は練習あるのみ。
2011.12.03
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事前のゼッケン送付はありがたい。極端な話9時30分のスタートに間に合えばいいのだから、と思っていたら、思わぬところで時間がかかった。それはトイレ。尾籠な話であるが、大と小に分かれて並ぶ。男子だけでも1万人以上が参加する大会なのに小の仮設トイレは1ダースほどしかない。8時50分に並んだが、遅々として進まない。 結局9時15分過ぎにトイレはあきらめて、スタート地点に向かう。大会主催者には来年以降真剣に改善をお願いしたい。参加者も会場入りする前に済ましてくることを強くお勧めする。 さて、気温の上昇が心配されたが、つくばは東京よりも寒く、マラソン大会としては絶好の気温であった。久しぶりのフルマラソン、加えて練習不足もあったので最初は慎重に入ろうと思っていた。スタートはCブロックだったので3分以内にスタートラインを越える。その後しばらく混雑が続いたが、5キロを過ぎると自分のペースで走れるようになった。25キロまでは5分/キロのサブ3.5ペースで進んだ。 5キロ 26.0110キロ 24.24 50.2515キロ 25.36 1:16.0120キロ 24.14 1:40.16ハーフ 1:45.3725キロ 25.21 2.05.38 ここからが毎回課題になっている。今回は昨年の大田原のように向かい風が吹いたわけではないのに、練習不足のせいで、徐々に脚が動かなくなってくる。特に30キロ過ぎは6分/キロよりも遅いペースでしか走れず、悔しい思いをする。30キロ 28.06 2:33.4535キロ 31.50 3:05.3540キロ 31.44 3:37.20 最後もペースを上げることはできず、40キロからゴールまでは13.53でゴールタイム(ネット)は3:51.13。今年最初の館山若潮マラソンでサブ3.5が射程に入ったかと思ったが、また、その前に戻った感じの平凡な記録。 「走った距離は嘘をつかない」は五輪金メダリスト野口みずきの有名な言葉だが、言い換えれば、走った距離が不足していればそれなりの記録しか出ないと云うこと。今回の大会は条件に恵まれていただけにもう少しいい記録を出したかったが、これが今の僕の実力と云うこと。 もうひとつ再考が必要なのは食事。今朝は5時に起きて餅を4個食べた。本当はせめてスタートの1時間前に食べたいのだが、電車の中や現地で食べれるかわからなかったので、やむを得ず家で食べた。これが後半の息切れの原因のひとつになったと思っている。ベストは前泊だが、お金もかかる。前泊しなくともなんらか改善を図らなければならない。 次のフルは来年一月の館山若潮。今年一月にベストを出したゲンのいい大会。やり直しだ。
2011.11.27
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東京マラソンにはじまり、大阪、神戸、世田谷、そしておととい京都からも落選の報が到着。これで5連敗である。ひとつくらい当たってもいいものを。 明日はつくばだが、もうひとつ体調が優れない。考えてみたら10か月ぶりのフルマラソン。まずは楽しむことを目標としよう。 楽しむと云えば、関西の友人がお土産で買ってきたお菓子(吉本興業)。有名なのかもしれないが、もらって笑った。中身は普通のゴ―フル、と思ったら、みたらしだんごの味だそうだ。云われてもわからないかも。 でも一番笑ったのは箱の中にそっと入っていた紙切れ。表は「面白い恋人』」の説明。裏がこれ。ここに関西人の東京人に対する鬱屈した想いが凝縮されていると思うのだが。
2011.11.26
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恒例の皇居駅伝大会は大雨のため棄権。昼過ぎからひどい雨が降ってきたのでおそらく大会そのものも中止になったのではないか。 路頭に迷ったランナーたちは当然、宴会場に流れる。まずは集合時間前に一人でJR有楽町そばのまんぷく食堂へ。軽く一杯飲みたかったのだ。 昼間は発泡酒がジョッキで180円とのこと。串揚げと牛もつと豆腐の煮込みを肴にジョッキを2杯かたむけいい気持。 そこから打ち上げ会場の「韓豚屋」へ。ここは有楽町―新橋間のガード下、アートスポーツ日比谷店の目の前にある韓国料理の店。コンセプトはレトロな韓国の屋台。店内にはアルミの椅子が無造作においてあり、たくさんの看板がぶら下がっている。韓豚と云うだけあって、分厚いサムギョプサルがウリで美味い。店員も感じがよく、杯が進む。 2時間で完全に出来上がり。走ってもいないのに飲むだけ飲んでちょっとした罪悪感。家に帰るとボジョ―レ―ヌーボーが待っている。来週はつくば。千々に乱れるわが心。
2011.11.20
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過去、韓国で食べた忘れられない味が二つある。一つは92年初夏に大田で食べた冷麺。大田駅でタクシーの運転手に「何かうまいものが食べたいので紹介してくれ」と頼んだところ連れて行かれたのが冷麺屋。緑豆で作られたかなり細めの麺が、滋味のある汁に絡み合い絶妙の味だった。 もう一つは87年冬にソウルの武橋洞でたまたま入った店で注文した純豆腐(スンドゥブ)。ちょうど昼時で「模範食堂」(ソウルオリンピックの頃、韓国政府が外国人にお薦めできる食堂をそのように指定していた。ムクゲのマークが目印)だったので何も考えずに入った店だった。多くのサラリーマン客が食べているのが何やらぐつぐつと煮たった真っ赤なスープとご飯の定食。「あれをお願い」とでてきた純豆腐チゲはアサリだしの真っ赤な辛いスープにおぼろ豆腐、真ん中に卵の黄身がドンと乗ったもの。辛いのに豆腐が優しくて、海鮮ダシが効いていた。これも忘れられない味だ。 昨日、池袋のLABI日本総本店(すごい名前だ)の7Fにある「KollaBo」に行ってきた。この店は韓国料理を専門にしている9つの店舗の協力でいろんな味が楽しめると云うコンセプトの店で前から気になっていたのだ。 カンジャンケジャン(ワタリガニのしょうゆ漬け)は期待通りの味。マッコリと一緒においしくいただく。海鮮チジミもほくほくして美味い。しかし、楽しみにしていた純豆腐チゲはあれっと云う味。まず、ぐつぐつしていない。卵をほぐすと妙にマイルドな味になり、辛さがどこかに消えた。スープにはカキも入っていてコクがあるはずなのだが、何かべたべたした感じがする。これはまずい。 純豆腐チゲは「ソゴンドントッペギ」(漢字で書くと「小公洞土鍋」)と云う店が出しているメニュー。小公洞とはソウルの中心部にあり、何やらそこには純豆腐ストリートがあるらしい。この店は1962年に開店した老舗だ。それがなぜこんなにもまずいのか。 人の舌などいい加減なもので、忘れられない味などと云っても、同じものを今食べたらまた同じように美味しいと感じるかはわからない。特に最初に食べて「おいしい」思ったものは多少美化されて記憶に残る傾向がある。しかし、純豆腐チゲはその後も何度も食べているが、87年のものを上回る味に出会ったことはない。今回のはずれでまた、87年伝説は継続されることになった。
2011.11.18
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今週末恒例の皇居駅伝大会があるので月曜日の夜、久しぶりに皇居で脚慣らし。月曜日と云うこともあり、また小雨もぱらついてきたためか、ランナーの数は少ない。人が少ない分、走りやすい。小雨も適度で気持ちがいい。 本当は3周(15キロ)したかったが、スタートが遅くなったため、2周で切り上げる。タイムは23'19”、22'50"、計46'09"。2周目は4分30秒/キロで刻む予定だったが、ちょいとオーバー。今はこれが精一杯。10月以降、走行キロもスピード練習も不足しており、つくばに向けての臨戦態勢には程遠い感じ。 1月の若潮マラソンへは友人と共に申し込みをした。まぁ、当たらないだろうが3月の京都マラソンの結果待ちで、それを見ながらシーズン最後の大会をどこにするか、思案中。
2011.11.16
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韓国出張中、夜中に目が覚めて何気なくテレビを見ると、二人のプロ野球選手の追悼画像が流れていた。崔東源と張孝祚。1982年に創設された韓国プロ野球の草分け時代を代表する二人が今年の9月に相次いで亡くなっていたのだ。 崔東源は後に中日の抑えとして活躍した宣銅烈と並んで80年代の韓国プロ野球を代表する投手であった。1980年、僕はたまたま彼の投球を後楽園球場で見ていた。この年、日本で世界アマチュア野球選手権が東京で開催され、崔東源が投げた試合を偶然にも僕は見ていたのだ。とにかく球が速かった。その時の韓国チームの相手がどこであったのかも思い出せないのだが、その球の速さに度肝を抜かれたことだけが記憶に残っている。 1987年に宣銅烈と投げ合い延長15回で引き分けた伝説の試合があり、これは今でも画像で見ることができる。この試合の崔東源からは剛速球投手と云う印象は受けないかも知れないが、80年に僕が見た時の彼は江夏の全盛期を彷彿させるものだった。 http://www.youtube.com/watch?v=fYurGqQIY0M 84年の韓国シリーズで、所属していたロッテジャイアンツを優勝に導いた(一人で4勝を挙げた)のが彼の最盛期だった。その後、今で云う選手会を作ろうとして球団にうとまれ、90年に引退。投球そのもののまっすぐな男であったようだ。 まだ、53歳の若さであった。合掌。
2011.11.10
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昨日、今日と韓国出張。9月に続いて今年2度目の出張だ。韓国は2009年に先進国クラブであるOECD(経済協力開発機構)の一つの委員会であるDAC(開発援助委員会)に加盟した。日本の加盟は1961年なので実に50年間「次の」アジアの国の加盟を待っていたことになる。 韓国のDAC(開発援助委員会)での活動は活発だ。11月末に釜山でDACのハイレベルフォーラム(HLF4)が開催され、援助の効率性に関する議論が行われる予定であるが、韓国はホストカントリーとして重要な役割を果たそうとしている。実に頼もしい。 韓国の援助はこれまでアジア諸国に対するものがほとんどであったが、OECD加盟に伴い、援助が必要とされるアフリカへの援助も拡大している。そのため、今回は韓国の関係機関と意見交換を行い、将来の連携について議論を進めてきた。 韓国には途上国の開発の実施機関として技術協力と無償資金協力事業を担当する韓国国際協力団(KOICA)、借款事業を担当する経済開発協力基金(EDCF)がある。日本では国際協力機構(JICA)が一元的にこれらの事業を担っているが、2008年の組織統合(技術協力と無償を担当するJICAと借款を担当するJBICの海外経済協力部門の統合)前の姿に似ている。 ただ、今回改めて感じたのは韓国開発院(KDI)の存在の重要性だ。KDIは300余名の職員を擁する研究機関で韓国の開発に関する経験の体系化を図り、それを途上国の開発に役立てようとしている。このような研究機関は日本にはない。 KDIは途上国の要請や国際機関の委託で主に政策レベルの協力を行っている。日本では政府(各省庁)、JICA、大学等の研究機関に分散している協力を取りまとめて実施しているイメージだ。 もちろん、実際にはKDIも韓国政府やその他の研究機関との関係は綺麗事ばかりではないだろう。しかし、政府として開発に関する研究組織を一元化している点では日本よりも一歩も二歩も進んでいると感じた。 その韓国はアフリカへの関心を深めており、今回訪問したどの機関もそれぞれ積極的に動いていることが確認でき、日本との連携も期待している。 これまで開発援助の世界では欧米諸国が先行し、それを日本が追うと云う構図があった。日本が出る杭になると打たれた。アジアの開発思想なり、経験なりを披露しても日本だけの経験と理解を得るのに苦労してきた。しかし、今後は韓国と組むことが可能になった。特にアフリカにおいては日韓の利害もぶつかることは少ないため、連携もスムーズだろう。この機会に相互理解を深めて具体化を進めてみたいと考えている。
2011.11.08
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一昨日、南スーダンへの自衛隊派遣が閣議決定された。野田政権は「内向き志向からの脱却」を政策として打ち出しているが、この決定もその一環だろう。民主党が政権を取って以来、迷走してきた外交政策にようやく落ち着きが生まれ、国力にふさわしい国際貢献と云う当たり前の議論ができるようになったと安堵しているところだ。 アフリカに出入りをしていて感じるのは、国内で内輪もめをしている場合ではないと云うことだ。特に民主党政権になってから、「政治主導」の掛け声で、素人が外交を操ろうとして、国益を大きく傷つけた。普天間基地の議論が典型。国内でしか理解されない茶番劇をしているうちに、日本は世界の議論から取り残され、その存在が限りなく軽くなってきている。 南スーダンへの自衛隊派遣は英断だと思う。しかし、議論を丁寧に見ていくと疑問に思う点も多い。根本的なのは、治安に関する認識。2005年の南北スーダン包括和平協定締結以降、ODAやNGO、民間の関係者は「丸腰」で現地入りし、すでに様々な事業を展開している。日本よりも安全とは云わないが、首都のジュバで視察した限りの実体感としても、あるいは他国の関係者との情報交換においても治安上の問題はない。情報が不足しているからやむを得ないのだが、新聞を読むと、「ジュバはなんとか大丈夫、だけど、地方部は危なくてとても部隊を派遣できない」と云うのが防衛省の認識。普通に考えれば、民間で活動が難しいところに行くのが軍隊なのではないかと思うが、どうも反対のようだ。民間はすでにより支援が必要な地方で活動を始めている。ODAやNGOが先行、自衛隊がその後を追うと云う現象はあまり他の国では聞かない。 ちなみに国連のPKO活動に日本がどの程度貢献しているかと云う数字がある。 この外務省の資料によると日本の貢献度は50位。上位は国連PKOに自国軍を派遣することで軍人の食いぶちを国連に負担してもらおうと云うモチベーションの新興国、途上国が占めているとは云え、50位は余りにも残念。今回の南スーダンへの派遣でおそらく順位はあがるだろう。現地における実際の活動で先方の高い評価を得て、日本の国際貢献のアピールが出来ればと思う。
2011.11.03
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昨日の峠走は体に良い効果をもたらしている。臀部やハムストリングスの筋肉は張っているが、脚には疲れが余り残っていない。午後、1時間30分ほどジョグをしたが、確かに尻やハムが勝手に動いてくれる。これから何回か峠走に通って見ようと思う。 さて、息子からマクドナルドで韓国バーガーが期間限定で販売されたと聞いて、さっそく試食をすることに。韓国本国では2001年に訪問した時に「キムチバーガー」なる商品が販売されていた記憶がある。それはハンバーガーの中に普通に白菜キムチが挟まっていた。僕は嫌いではなかった。 日本で販売されているのはKBQ(コリアンバーベキュー)バーガー。 注文してみると、 包装紙には、ハングルで「マクドナルド」「コチュジャン味のブルコギ」と書いてある。パンズを開けてみると、ハンバーガーとキャベツにひき肉の韓国風のソースがかかっている。食してみると、甘い。その後に確かにコチュジャンの辛い味が追いかけてくるが、すっと逃げて行く感じ。パンチが足りない。 もう一度食べたいかと云われれば、あえて選ぶことはないだろう。中途半端なものを食べるよりは、韓国料理を食べに行った方がいい。しかし、このような商品が販売されること自体は現象として面白い。
2011.10.30
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10月は2週間の出張中ほとんど走れなかったので、走行距離が100キロ未満。さらに帰国翌日のハーフマラソンのダメージもあるのか、軽い坐骨神経痛があり、時々右脚にピリピリした嫌な感触が走る。また、秋田ウルトラで痛めたと思しき、左ひざ痛、右の足裏痛も完治しておらず、距離だけでなく走りそのものにも精彩がない。11月27日のつくばまであと4週間。 今日はそんな停滞状況に喝を入れようと足柄山まで「峠走」に遠征してきた。これは以前にも紹介したが、岩本能史氏の『フルマラソンがもう一度速くなる30のスイッチ』に紹介されているコースでJR御殿場線山北駅から足柄峠近くの足柄万葉公園までの往復26キロ、標高差630メートルのコースを走る計画。その本には上り下りにはハムストリングスやお尻の大きな筋肉を使うため、フォーム改善にも効果あり、と勧められている。 今日は絶好のランニング日和。うどんと卵ご飯をかっこみ、最寄りの駅を7時前に出発。御殿場線の山北駅には8:22着。意外に近い。この時間小田急線は運動部の中高生、御殿場線は登山の中高年で混雑していた。 駅に隣接する町営の健康福祉センター内に「さくらの湯」があり、そこに荷物を置くことができると本には書いてあったが、温泉は11時開始との掲示。どうしようかとウロウロしている内にセンターが開館し、そこにコインロッカーを発見。 駅前の観光案内所はまだ閉まっていたので、駅の近くをウロウロして山北町役場を発見、隣にあった公民館で地図をゲット。コースを確認し、9時頃スタート。最初は緩やかな登り。5キロ過ぎの矢倉沢で県道78号線に入り、ここから7.5キロの本格的な峠走が始まる。順調にかけあがるが最後の2キロほどはかなりの急傾斜で歩いても走っても同じような速さでしか体を前に運ぶことができない。後ろから走ってきた女性ランナーに足音軽く抜かれてしまう。1時間35分で折り返し地点である足柄万葉公園に到着。公園から見た山並。 下りは膝への負担が心配であったが怖れずに飛ばす。 矢倉沢までの7.5キロは32分ほどでカバー。我ながらいい走りができた。最後の1.5キロほどのフラットな道ではエネルギーが切れてジョグになってしまったが、1時間6分でゴール。充実感あり。温泉に入って、疲れを取り、ビールをいただく。至福の時。 ここ足柄山はもちろん金太郎が有名。いろいろと史跡があるようだが、次回以降のお楽しみ。
2011.10.29
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スーダンから南スーダンの首都ジュバへはマースランド(Marsland)航空で移動。アフリカでは聞いたことのない航空会社に遭遇するが、運を天に任せるしかない。マースランド航空については後日「国連ではブラックリストに載っていて、乗らないように言われてる」との国連関係者弁。後で聞いてよかった。 今年の7月9日に独立した南スーダンは世界で最も新しい国だ。先方の政府、民間の方々と話をしていると、独立の興奮の余韻さめやらずで、建国の息吹が伝わってくる。 しかし、現実は厳しい。首都ジュバにおいてもインフラがまるで整備されていない。道路、水道、河川港、橋梁、電力、なにをとってもやるべきことが多すぎる。ジュバはナイル河のほとりにあるが、ナイル河に架かる橋は一本しかなく、それも老朽化が進んでいる(写真を撮影することは禁止)。道路も舗装率は低い。 飲料水も上水道普及率が2割程度なので、多くは給水車に頼っている状況。また、浄水場も能力が小さく、給水車の中にはナイル河の水をそのまま汲みあげているものもある。 南スーダンは北に比べると湿潤。特にナイル河流域は雨季には氾濫原となる。ジュバから北との国境近くにある第二の都市マラカルまでは600キロの距離があるが、その間の道路は舗装がされているわけでもなく、通行が難しい。そのため、河川による交通が重要となるが、独立以降、北は南北で解決すべき懸案事項(国境線の画定、石油収入の分担等)が未解決であることを理由に南北間の河川交通を遮断してしまった。そのため、従来北から入っていた物資もストップされている。しかし、北にいる南出身者は南に「帰還」することを求められており、彼らが帰還することだけは認められている。ジュバの河川港には家財道具一切合財を船に積んで南に「帰還」した人々が行き先が決まるまで滞留している状況があった。 ジュバのホテル事情。2006年に南北で包括的和平協定が締結され、独立への道筋がついた時点で、ジュバには外国人が宿泊するレベルのホテルはなかった。日本の政府、NGO関係者も最初はテントを張って仕事を始めた。その後、テント→コンテナハウス→プレハブと進化を遂げてきた。本格的なコンクリートによる恒久的な建物ができるのはこれから。プレハブホテルに宿泊したが、日本の昔の炭鉱町の住宅を思わせた。
2011.10.23
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スーダンではハルツームから東へ600キロのカッサラと云う街に行く。スーダンではかつて三つの紛争があると云われていた。7月に独立した南部紛争、ダルフール地方(西部)の紛争、そして今回訪問したカッサラが中心都市となっている東部の紛争だ。東部紛争は南部やダルフールに比べると国際的にも余り知られていないが、中央との格差が大きく貧しい地域で(エリトリアとの国境地帯にある)、1994年以降、反政府勢力との間で紛争が勃発。その後2006年に和平合意が結ばれ、現在平和の定着に向けた努力が行われている。 ハルツームーカッサラ間は片道飛行機での移動を予定していたが、搭乗予定であったスーダン航空は一機が前々日に胴体着陸(前輪が出なかったらしい。乗客に大きなけがはなかった模様)を行ったため、フライトスケジュールが乱れて、キャンセルになった。自分が乗った飛行機がそんな目に遭わなかったことをよしとして、往復車での移動。カッサラまでは片道一車線の舗装道路があるので安全運転で約8時間。途中、前回報告したゲジラ灌漑地などを見ながら飽きずに過ごす。 カッサラに近づくとタカ山と云われる異様な形状の岩山が見えてくる。 この山の裏側はエリトリアとの国境となっている。そこには40年間続く、かなり特殊な難民キャンプがある。今でもエリトリアからの難民流入はあるものの、難民の多くがキャンプ生まれ。ホストするスーダン側のコミュニティーとエリトリアから流れてくる難民は民族的には同じとのことで、国境がなかった時代は自由に行き来していたのであろう。現地のUNHCRから、9万人にも上るこれらの難民をいかにスーダン社会に再統合するかという大きな課題あるとの説明を受ける。 カッサラは新婚旅行のメッカでもあるようだ。タカ山に登ると新婚さんがたくさんいる。ここの井戸の水を飲むともう一度帰ってくるとの言い伝えがあるのだが、残念ながら井戸の水を汲むひしゃくが井戸の中に落下していて水は飲めず。ただ、その水を使ったコーヒーは飲んだのでもう一度行く機会があるかも知れない。 タカ山から見た夕日。
2011.10.22
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アフリカへの出張はフライト時間が長いのでいつも専門書とともに小説などを携行する。今回も成田空港のツタヤで目に付いた何冊かを購入する。 奥田英朗の『オリンピックの身代金』(角川文庫)は「これが私の現時点での最高到達点です」という帯で新刊文庫コーナーに平積みされていた。氏の『サウスバウンド』は登場人物の圧倒的な存在感で一気に読んだ記憶がある。期待して購入した。 ネタばれしてしまうので詳細は省略するが、主人公の東大大学院生である島崎が、出稼ぎ労働者であった義兄の死をきっかけに東京と地方、持てる者と持たざる者の埋めがたい格差を認識し、繁栄の象徴である「オリンピック」に対するテロ活動を考えるようになるというプロット。 登場人物は魅力的であり、プロットもよく考えられているが、読後感がすっきりしない。それは、島崎の心の軌跡に関する描写が弱いことによる。少なくとも僕は島崎に共感できなかった。 僕が好きな作家ではないが三島由紀夫の『金閣寺』と比べると作品の質にはかなり差がある。残念ながら。
2011.10.20
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