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大阪、新石切の駅近に、細いビルがあった。細井さんのビルではない。物理的に細いビルだ。三角形の頂点になる部分の幅は、雨樋4本分、タイル7枚分ほどしかない。我が町にも三角形の土地に立てた角が細い建物はあるが、これほど細い建物を見たことがない。画像下は、頂点部分の床を外から写したもの。手の指を広げたくらい、20センチ程ではないだろうか。こんな狭いところをどう使うのか、どう使っていたのか、珈琲屋のような、パーマ屋のような張り出しテントが残っているが、中はガランドウになっていた。この建物は、三角形の頂点部分も狭いが、底辺部も狭い。二階へ上がる階段がどうなっているのか、中を覗いてみたが、よく分からなかった。まさか、垂直のハシゴではないと思うのだが。建坪率は、建築基準は、という疑問が生じるが、二階の換気扇フードは明らかに道路に出ている。ま、看板が出ているのだから、同じ考えならいいのかもしれない。どうせなら、三角形の頂点部分の外壁を、頂点らしく、鋭角に仕上げたらよかったのに、と思う。まさか、容積率を考慮したのではないと思うのだが。
2021.10.31
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昨日のブログを書いていて、思い出したことがある。ミーハーではないが、税金に無頓着な新聞記事があったことだ。それは、読売新聞の「しあわせ小箱」という、5日完結のコラム。気になったのは、数週間前の、「旅人の食堂」という記事。世界各地をバックパックで巡った夫婦が、現地で味わった料理を忠実に再現して提供する食堂の話。店を始めてからも、年に3回は海外に行くという。昨日のブログは、税金のことを忘れてはいませんか、税金は重要なポイントですよ、という思いで書いたのだが、この新聞のコラムを読んで、「税務署がチェックしてますよ」と思った。それは、「店のために旅行に行っている? いや逆ですよ。旅行のために店をやっているんです」の部分。旅行のために店をやっているのであれば、海外旅行の費用は経費で落ちない。いや、落とせない。コラム全体を読めば、「取材」や「研修」のための旅行と分かるが、「旅行のために店をやっている」と言ったら、経費では落とせない。コラムは内容を面白くするために書いたのかも知れないが、重要なポイントを外してはいけない。税務署がこのコラムを読んで、内容を情報化したかどうかは分からないが、「旅行のために店をやっている」は致命的だ。税金を甘く見たらあかんぜよ、と思う。
2021.10.30
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週刊誌の新聞広告から久しぶりで眼科に行った。視野の検査や眼底検査やら、色々な検査があり、2時間半を要した。その間、検査の間の待ち時間で、ワイドショーを見たのだが、昔流行った「ミーハー」という言葉を思い出した。亡父が世の中を嘆く言葉としてよく使っていた言葉だ。TVのワイドショーは、いわゆる小室圭さんネタ。どうしてそこまで他人様のことに突っ込むんだ、と思う。まさに、ミーハーだ。と言いながら、そのミーハー話題に税金屋の端くれとして考えた。貸したとか、返したいとか言う、借金のことだ。Kさんの母親を花子さん、花子さんの元婚約者を太郎さんとする。太郎さんは、貸し金を返さなくてもいいと言ったというが、この時点で、花子さんへの贈与となる。400万円らしいが・・・。が、解決していないようで、Kさんが肩代わりすると言ったが、実際に肩代わりすると、Kさんから母親への贈与となる。これは、母親への求償権を放棄した場合だが、一般的にはこうだろう。そもそも貸付金だったのか、生活費の補助だったのか、基本的にはここをしっかりとしなければ先へ進まない。ミーハー族は貸付金だと言っているが、この点は重要だ。ここで贈与というのは、貸付金という前提だ。で、太郎さんと花子さんは、なぜ、別の道を歩むようになったのだろう。ワイドショーのファンなら、知っているのかもしれないが、私には分からない。仮に、太郎さんが「ごめんね、結婚できなくなった」と謝るのなら、その慰謝料として貸付金の返済を免除することもあろう。貸付金が慰謝料に変化するなら、贈与課税はないし、慰謝料は非課税だ。ちなみに、400万円の贈与税は、335,000円。
2021.10.29
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大阪に行って感じるのは、独特な文化。素人が「独特な文化」というのはおこがましいが、やはり大阪だなぁ~と感じるものがある。今回目にしたのは、「まけへんで~!!」の幟(のぼり)。石切宮の参道商店街にはためいていた。方言を使った呼びかけは各地であるが、そのほとんどは、地域外の観光客に向けたものだが、大阪では、地元の人に向けて、大阪弁で呼びかける。以前あった「チカン・あかん」もそうだった。大阪弁で、大阪の人に訴えるのだが、これが何ともいい感じで心地良い。大阪の人が大阪弁を大切にしているのがよく分かる。もう一つは、自転車に取り付けた傘。これは法律で禁止されているハズなのに、大阪のおばちゃんは、ほとんどと言っていいほど、付けている。たまに付けてないおばちゃんを見ると、取付具が折り畳んであるだけて、たまたま傘を付けていなかったりする。埼玉の地元では、自転車に傘を取り付けているのを見るのは、年に一度か二度。めったにお目に掛からないが、大阪にはぎょうさんいてはる。と書くと、大阪の人は、その種のおばちゃんがいるのは○○地域、と言うと思う。狭い大阪を地域割りしたがるのも大阪人だ。
2021.10.28
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抗がん剤治療を卒業して、大学病院で紹介された緩和ケア科のある病院に行くことになった。いざという時のために、診察券をもらっておいた方が良い、という感じだった。大学病院では、紹介先ではがんの治療はしませんから、と言われたのだが、新しい病院では、必要に応じて、希望があればがん治療をします、と言う。ここでがん治療を再開したら元も子もないので、「その時はよろしくお願いします」と一線を引いているが、月に一度は様子を見るようにしましょう、となり、初っぱなから、体温、血圧、などを測られた。で、画像は、パルスオキシメーターの数値。「86」が出てびっくり!前の病院でも何回か測ったことがあるが、98が多かった。86はあまりにも低いので、「ええ~~」と声が出てしまったが、看護師さんが、「これ逆さで、こちらから見るんです。98です」と言う。アハハ・・・。測る人の方に数字が向いていたのだ。実は、画像の86は、電卓で98を打って、逆さにしたもので、デジタルの数字は逆さにすると、とんでもない数字に化ける。ということで、緩和ケアのことについては、後日。
2021.10.27
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画像は、我が家近くの、セレモニー浦和ホールの正面。植え込みの枝が歩道に出ている。住宅地ならどこにでもある風景だが、ここは駅近の歩道に面したところ。植え込みが低いので、雨の日は枝をよける人が迂回をするので、歩行者の詰まりが生じる。なので、2カ月ほど前に、正面に立っているガードマンに、「見ての通り、植木が出ているので、切って欲しい。 雨の日に人の流れが滞るのは見て知っているでしょう」と、頼んだ。しかし、植木に変化はなかった。なので、セレモニーのHPの相談コーナーのメールで、浦和ホールの植木が出っ張っているので、切って欲しい旨を書いた。しかし、これも反応はなかった。ならば、浦和ホールの職員に言うしかないと思い、中に入ろうとしたら、先に依頼したガードマンがいたので、「変化がないので、直接言いますから・・・」と言うと、「中の人には伝えたんですけどね・・・」と言う。浦和ホールにいた制服を着た女性に外に出て貰い、「あれじゃダメだよね」と、剪定するように頼んだ。それから数週間、やっと、出っ張っていた枝が剪定された。動きが鈍いこと・・・葬儀を依頼しても、こののろさなのか・・・と思う。補・奥に見える木の枝も歩道に出ているが、 これは高い位置なので、通行に支障はない。
2021.10.26
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英語に、いやアメリカに、「ショットガン・ハウス」という言葉がある。ELVIS PRESLEY が生まれた家がショットガンハウスで、ドアを開けると家の裏側が見えるような小さな粗末な家、あるいは、ショットガン(散弾銃)の鉛玉でさえ通り抜ける簡易な家、という意味。この言い方ですると、坂祝駅は、ショットガンステーション。駅前から駅の向こうが見える。中山道ウオークの2日目は、この坂祝(さかほぎ)駅で終了。街道は4㎞ほどしか歩かなかったが、この先は10㎞以上駅がなく、100メートルほどの山越えになり、途中でタクシーを呼べないところがあるので、無理と判断して、坂祝でJR高山線に乗った。高山線に乗ったと書いたが、名古屋へ行くには、右へ行けばいいのか左なのか(上りか下りか)それさえも分からない地理不案内。スマホの乗り換え案内を見ると、右・美濃太田駅経由でも、左・岐阜駅経由でも、名古屋へ行けるので、先に来る電車に乗ることにした。岐阜行きが来た。岐阜駅で東海道線に乗り換えて、名古屋駅へ着き、到着ホームの端に「きしめん」があるのを発見。新幹線のホームできしめんを食べたことは何回もあるが、在来線ホームで食べるのは初めて。「在来線限定ワンコインきしめん」を頼んだ。在来線限定・・・限定という文字に弱い年頃ではないつもりだが、新幹線ホームと違うのかと思うと、食べてみたくなる。何が違うのか分からなかったが、エビ天と卵が入ったきしめんだった。やっぱ名古屋はこれでしょうと、立ち食いきしめんをした。
2021.10.25
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旧中山道太田宿があったのは、現在の美濃加茂市で、そこにある鉄道の駅は、美濃太田駅。加茂市は新潟県にあるし、太田と名の付く駅が多いので、このようになったとものと思うが、どうなってるのと、ちと混乱。旧中山道と美濃太田駅の間は約1㎞。ここを歩いていると、町の様子が分かってくる。一つは、過疎。パチンコ屋も、飲み屋も、食事処も、多くが閉まっている。テナント募集の看板があるが、建物が朽ちかけていたりする。銀行が何店かあったが、やっていけるのかと心配になる。もう一つは、外国語の看板。これは何、と思ってしまう看板が目に付く。画像上は、(おそらく)リフォーム店の看板だが、パーマ屋かと思うような看板を出している。その下の画像も、中華店の看板だが、メキシコ料理のような店名で、残念ながら、廃業閉店している。そして、牡蠣(かき)を出す店が少なからずあること。店の前に蛎殻(牡蠣殻)が積まれていたりする。海のない岐阜で(埼玉もそうだが)、美濃加茂で、なぜこんなにも牡蠣の店があるのかと思った。牡蠣の好きな外国人が多いのだろうか?街道を足で歩くと色々なことが見えて面白い。次はいつ歩こうか、寒くならないうちに、と考えている。
2021.10.24
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街道ウオークの再スタートするには、名古屋駅から名鉄に乗り、新可児(かに)で乗り換え、顔戸(ごうど)で下車することになる。新可児から先はICカードが使えず、無人駅になるので、新可児でICカードの精算と切符購入。画像上が、その精算書と切符(精算書兼切符)。このレシートを下車駅で運転手に手渡す。顔戸駅のホームに下りて、乗ってきた電車と駅名板を写して、数百メートル北の木曽川を渡り、そこから、スタート。天気は快晴。雲一つ無い青空で無風。「挫折気象予報士受験生見習補」として、雨は降らないと判断していたのだが、日焼け止めが必要なほど快晴になるとは思わなかった。約3年と半年の間、街道ウオークをしていないし、まともに歩いていないので、どこで歩けるのか、見当が付かない。約7㎞先に「日本ライン今渡駅」があり、その先がプラス2㎞で太田宿。ここまでなら歩けるだろうと予定はしていた。途中、スーパーやコンビニがあって、冷たい飲み物を飲み、足を休め、トイレを借り、アマチュア無線を試み、元気に歩いた。宿は「美濃太田駅」近くに予約してあるが、太田宿から駅までは、街道を外れて1㎞ほどの距離がある。このムダにも思える1㎞を往復すると2㎞、ならば街道に近い次の駅まで歩いて電車で戻った方が得か、とも考えたが、次の坂祝駅(さかほぎ駅)までは5㎞弱ある。無理は禁物ということで、美濃太田の宿に入った。歩数計のデータは、24,552歩(約12㎞)だった。元気になったものだと、我ながら感心。
2021.10.23
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大阪から、高槻、京都を経由して、名古屋へ行った。中山道ウオークの続きを歩くためだ。スタートは、岐阜の可児市東の顔戸(ごうど)駅なので、可児(かに)市に泊まりたいと思ったのだが、夜遅くなるので、名古屋駅のホテルに泊まった。画像は、翌朝、ホテルの20階の部屋から写したもの。真下では、リニア新幹線駅の工事がなされ、その先では、トンネルであろう工事が進んでいるようだった。リニア新幹線が開業する頃は、おそらく、いや、間違いなくこの世にはいないので、残念至極の見納め的風景である。次の画像は、アマチュア無線の小型無線機。無線機の宣伝用画像のようになったが、送信出力5Wの、145メガ、433メガ帯の小型機。アンテナは付属のものでなく別売の長いものに変え、マイクロフォン(兼スピーカー)も手持ちにしてある。駅のホテルの高階から電波を出せば、誰かが応答してくれるだろうと思い持って行ったのだが、夜も朝も、全くの応答なし。名古屋ではアマチュア無線は不人気なのだろうか?東海エリアは、電波がスキップして、我が家からは繋がりづらいので、名古屋で電波を出せば新しい繋がりができると思い無線機を持って行ったのだが、残念な結果になった。ということで、アンテナを畳んで、無線機をリックに入れて、名鉄に乗った。
2021.10.22
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石切劔箭(いしきりつるぎや)神社をお礼参りした次は、応頂山勝尾寺へお礼参り。大阪のあの子(昨日のあの子とは違う子)が、「ガン封じのお守りがあったので」、と送ってくれていて、「郵送してくれれば返してくるから」と言われていたのだが、祈願成就なので、自分の手で納めたと思い、参拝した。♪まさか待ってるなんて~♪ という歌があったが、あの子が、勝尾寺の山門で待っていてくれた。勝尾寺は、西国札所23番の霊場。一昔も二昔も前だが、西国札所を巡った時にお参りしているハズなのに、その記憶は全くなくなっていた。勝尾寺は「だるま」であふれていた。一つは、大きなだるまで、「勝ちだるま」。願い事をだるまの背に、その次の目標をだるまの底に書き、右目を入れ、願い事が叶ったら、左目を入れて奉納する、というもの。もう一つは、「だるまみくじ」。いわゆるお御籤で、境内に置いて帰っても良いし、持ち帰っても良い。なので、境内のいたるところにだるまみくじが置かれている。そのうち境内が赤いだるまで埋め尽くされると思ったが、年に一度お焚き上げをしているとのことだった。持参したガン封じのお守りは、授与所で聞いたら、そこで預かるということなので、お礼を述べて納めた。そして、山門に、千社札を貼った。これで国内のお礼参りは完了。肩の荷が降りたというか、ほっとした。
2021.10.21
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がん治療卒業のお礼参り(その2)大阪の住吉大社の次は、石切劔箭(いしきりつるぎや)神社。略して石切宮。大阪のあの子が送ってくれた「お守り」を祈願成就で納めるのが目的。石切劔箭(いしきりつるぎや)の名は、祭神に与えられた剣が岩をも切り裂き貫き通すというとこらから。石切宮は、お百度参りでも有名で、何人かの人がお参りの数を数える紙縒り(こより)を折りながら巡り歩いていた。境内には納札所があり、頂いていたお守りをここに収めた。頂いたお守りをこのままにしておいてはいけないと思い続けていたので、納めて、気が楽になった。実は、この神社には、何年も前にお参りしている。大仏大観音ウオッチャーとして、石切宮の参道入口にある石切大仏をお参りした時に、併せてお参りしたのだった。あの時は、狭い参道が参拝者で溢れ、境内はお百度参りの人で混雑していたが、今回はコロナ禍の影響なのか、静かな参道と境内だった。その時は、まさか自分がガンを患うとは夢にも思ってもいなかったので、形ばかりのお参りをしたのだが、何と言うか、不思議な「縁」のようなものを感じ、しっかりとお礼参りをした。
2021.10.20
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がん治療卒業のお礼参り、その2は、大阪へ行った。先ずは、住吉大社と楠珺社(なんくんしゃ)。住吉大社には、4つの本宮がある。それぞれの本宮に祀られている神は異なり、「第四宮は・・・」と書きたいのだが、その知識はない。四、三、二、一宮、とお参りし、その奥にある楠珺社(なんくんしゃ)を詣でた。楠珺社の別名は、初辰さん。住吉大社には多くの摂社末社があるが、末社の一つが楠珺社(なんくんしゃ)。その月最初の辰の日にお参りすると、御利益があり、これを4年間続けると、しじゅうはったつ(48辰・始終発達)となり、楠珺社お守りの招き猫を買い求めていれば、48体となり、満願成就となるという。AKB48などの元祖本家本元の「48」とも思える。1996年から画像の招き猫を買い求めているが、現在は27体。関東から初辰の日に毎月通うことは出来ないから、お参りできる機会を見つけては参拝するだけなので、満願西成就はまだまだ先のこととなっている。で、今回お参りをしたら、お堂が閉まっていて、招き猫を買うことが出来なかった。コロナ禍で、参拝者が少なく、閉めているものと思われる。チト残念だったが、次の機会のあることを願った。招き猫は、(値上がりしていなければ)1体500円。そのための小銭を用意していたので、そのお金で、住吉大社の門前で宝くじを買うことにした。高額が当たるのではないかと、期待したのだが・・・ロト6はかすりもしなかった。
2021.10.19
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本、新聞、TVラジオなどに、戦争体験談がある。戦争の悲劇を語り、二度と悲劇を繰り返してはならない、という、体験者の訴えだ。戦後生まれの団塊の世代。74歳の私も戦争を悲劇を知らない。戦争を知る人が高齢となり、その悲劇を伝えることができなくなるので、戦争体験談が増えてきたのではないかと思う。だが、私には、戦争体験談を素直に受け入れられないところがある。もちろん、戦争の悲劇を否定するものではないが、戦争の悲劇を伝えるだけでは戦争を防ぐことができない、と思うからだ。そんな中、さえママさんに「犯罪被害者の声」という冊子をいただいた。全国被害者支援ネットワークが作成した「被害者の声」が載っている。その声の多くは交通事故(犯罪)の被害者家族のもの。戦争の場合、なぜ戦争を始めてしまったのか、なぜ戦争を止めることができなかったのか、戦争には、その悲劇を伝えると同時に考えてもらうべき事があるが、交通事故(交通犯罪)については、当事者(運転者・加害者になる可能性のある人)に、被害当事者家族の悲しみの声を伝えることが、戦いの道(交通事故を減らすことこと)となっている。交通事故は他人事ではない。いつ当事者(加害者・被害者)になるか分からないのが現実。被害者の声を伝えること、被害者の声を聞くことが、交通事故を減らすことに繋がると思う。
2021.10.18
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アメリカに行ったらメンフィス。巣鴨に行ったらSKY。何じゃこれは、のタイトルだが、キーワードはELVIS。アメリカに行ったら、メンフィスでELVISの墓参り、巣鴨に行ったら、喫茶店「SKY」でELVIS、ということ。初めて巣鴨にお参りに行った時、路上にELVISの歌が流れていて、何でここに、何で巣鴨に、と驚いたのだが、今は、巣鴨に行ったら、SKYでELVISとなっている。画像は、店の入口にゴタゴタと貼られたELVISの写真やポスター。ここに、ELVISの歌が流れている。結構な音量で。店は地下にあり、降りる階段が急なことと、店内がタバコOKなので煙いのが欠点だが、ELVISの曲を偏りなく流してくれるのが嬉しく心地良い。コロナ禍で巣鴨から遠ざかっていたので、SKYも久しぶり。入口のドアは開けっぱなしで、禁煙席が設けられていた。だが、禁煙席は店の中央で、厨房の換気扇に室内の空気が流れるので、タバコの煙は禁煙席を通って行く。ま、それでも、以前よりは煙くなくなった。この店のマスターは私と同じくらいの年代。胸にELVISの缶バッジを付けていて、憎らしいほど、それが似合っている。なので、私が持っていた缶バッジを彼に上げたことがあったのだが、先日の彼の胸にはその缶バッジがあった。
2021.10.17
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旧中山道は、日本橋から、埼玉、群馬、長野、岐阜、滋賀を通って、京都三条大橋までの69次。500㎞。2015年6月に、中山道ウオークをスタートしている。初日は、日本橋から、地元の浦和宿まで25㎞を歩く予定で、先を急いで歩いたので、巣鴨のとげ抜き地蔵の前の巣鴨地蔵通りが中山道なのに、参拝せず、もくもくと歩いた。なので、すがも鴨台観音(おうだいかんのん)の存在に気付かず、通り過ぎていた。言い訳をすれば、ビルの谷間の観音様なので、お寺があるとはは思わなかった。街道沿いの神社仏閣には必ずお参りしているのに、まったく、気づかなかった。今回、板橋から日本橋方向へと、のんびりと歩いたので、ビルの谷間にあるすがも鴨台観音に気付いた。いや、最初は、観音堂とは思わなかった。変わった作りの建物は何だろう、と思って近寄ったら、画像の案内碑があり、何と読むのだろう、というところから観察が始まった。画像の建物が観音堂(通称・さざえ堂)。入口には上品な案内所が置かれていた。それを見ると、2013年に建立された八角三層のお堂で、上りと下りが交わらない二重螺旋式の階段があり、最上階に観音菩薩(すがも鴨台観音)が祀られている、とあり、大正大学の案内も書かれている。なんと、大正大学の一部だった。大正大学は、天台宗、真言宗、浄土宗が設立母体となり、大乗仏教の智慧とと慈悲の精神を教育の基本とする大学。さざえ堂は大正大学が建立した。そうか、大正大学はここにあったのか・・・周囲のビルは大正大学だった。それにしても、これは何だろう・・・観音堂の敷地の隅にあったが、説明書が雨に滲んで読めなかった。
2021.10.16
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都電荒川線、庚申塚停留所の直ぐ近くにあるのが、「巣鴨猿田彦大神庚申堂」。庚申堂とはなんぞや、となるが、旧街道を歩いていると、庚申塚や庚申塔によく出会う。ここは、旧中山道の巣鴨の庚申堂。庚申(堂)とは、中国の道教の教えによる信仰の一つで、大きいものが「堂」、小さいものが「塔」や「塚」で、石に神像が彫られ祀られていた。石碑などを読むと、人間の体内にいるという尸虫(しちゅう)という虫が、庚申の日の夜に這い出て、天帝(最高の神)にその人間の悪事を告げに行くとされていることから、夜通し眠らないで、庚申塚などに祀られた神像に祈り、宴を開き、尸虫の行動を妨げたといい、神道では、猿田彦の神を祀ることが多かったという。ということで、ここは、猿田彦の大神を祀った庚申塚で、大きくはないがお堂があるので、庚申堂、ということ。何気なく路傍の塚や堂を見て通ってしまうが、その由来を知ると、昔の信仰の様子が見えるようで楽しくなる。体の中に尸虫がいて、大神様に悪事を告げに行く、そして、それを止めようとして、神に祈る、というのだから、人間は昔から、悪事を働いてしまい、それを隠そうとしていたのだ。何だか、今と変わらないように思えてくる。そして、宗教のいいとこ取りは日本人の生き方そのものだと思う。
2021.10.15
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都内に唯一残っている都電が、都電荒川線。最近は、「東京さくらトラム」という別名を与えられたが、私としては、都電荒川線だ。私が東京に住むようになった60数年前は、そこら中に都電が走っていたが、時代の流れと共に、地下鉄やバスに変わっていき、今は、荒川線だけが残っている。都電荒川線は、新宿区の早稲田から、王子を通って、荒川区の三ノ輪橋までの約12㎞。画像でも分かるように、路面ではあるが、そのほとんどを、専用の軌道を走っている。なので、生き残ることができたものと思う。板橋駅から、旧中山道を巣鴨の方へ歩くと、この都電に会うことができる。この踏切の左右が駅(庚申塚停留所)。数分待っていれば、どちらからか電車が来る。この荒川線に乗って、沿線をのんびりと眺めるのは楽しいのだが、早稲田から王子手前の飛鳥山までは、専用の軌道が多いので、車窓の景色が近すぎて、あまり楽しめない。ブログのアクセス500万回記念で、この荒川線を貸し切ってOFF会、というアイディアがあったが、コロナ騒ぎで、OFF会は中止に、そして、貸し切り運転も休止となっている。ちなみに、貸し切り料金は、13,820円。
2021.10.14
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「人生色々、会社も色々」と国会で答弁して、年金問題をはぐらかした首相がいたが、昨日のネットの天気予報を見ていて、そんなことを思い出した。画像は、上から、YAHOO天気、気象協会のtenki、goo天気、ウエザーニュース。大阪地方の天気を見たのだが、降水確率が、20%~70%と大きく異なる。ネットをチェックした時間はほぼ同じだが、天気予報を発表したした時間は異なるので、多少の違いはあるだろうが、この降水確率の違いは、なぜ生じるのだろう。天気図を見ると高気圧が前線を押しているので、その力関係で予報が難しいものと思うが・・・「挫折気象予報士受験生見習補」としては、降水確率はあまり高くないと判断した。ということで、今日は大阪向けになる。石切宮と勝尾寺へのお礼参りだ。緊急事態宣言が解除されたので、平日なら人流も少ないだろうから、行くことにした。こんな時、我が家のさっちゃんを誘わないのか?と、本家のさっちゃんちの夫君から質問があったが・・・我が家はいつも別行動なので、誘わないし、誘ったとしても「行く」ということはあり得ない。
2021.10.13
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先日、おばあちゃんの原宿、巣鴨(東京・豊島)にある「とげ抜き地蔵尊」をお礼参りした。その、巣鴨地蔵尊(高岩寺)の最寄りの駅は、板橋駅と巣鴨駅で、巣鴨地蔵尊の名のとおり、巣鴨駅からの方が近いのだが、抗がん剤治療を卒業して元気に歩けるようになったので、板橋駅から歩いてみることにした。我が家からは、巣鴨駅も、板橋駅も、同じような距離でもある。板橋駅から巣鴨地蔵尊に歩くのは初めて。板橋駅の東口に出るのも初めて。駅前の小さなロータリーを越したところに、新撰組、近藤勇の墓地があった。この地近くで処刑され、ここの埋葬されたとある。(近藤勇の墓は、この他にもいつくかある)近藤勇と言えば新撰組。新撰組ってなんだっけ、なぜ、近藤勇は斬首の処刑をされたのか、という私の知識の無さ。現地にある案内所を読んだだけではまったく分からない。先日読んだ「絶対忘れない日本史」に書いてあったのか、どうか、その記憶さえも無い。犬も歩けば棒に当たる・・・こんなことがなければ、近藤勇を思い出すことはない。これを機会に、ネットの力を借りて、知識を得ておきたいと思う。・・・記憶に残るかどうかは・・・別として。
2021.10.12
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さえママさんの「さえりんストラップ」を作っていると、色々なことを考える。図のように、3本のカラー紐(コーティング紙)を編んで、花を作り、ストラップに結びつけるのだが、同じ色の3本では変化が無い・・・とか、とはいえ、変化を付けすぎると、変な色の組合せになる・・・とか、紐の色の組合せは何通りあるのだろう・・・とか。そんな中、左利きの人は、この図を見て、どう、紐を編むのだろう、という疑問が生じた。この図のとおりに編むのだろうか?それとも、この図を見ながら、左右逆に編むのだろうか? と。これをさえママさんに尋ねると、左利きの人は、逆回りで編み上げる、と教えられた。最初から、この図とは逆方向に編むようだ。ならば、頭の体操と思い、左利きバージョンに挑戦してみた。出来上がったのが画像下。画像左が、図の通りの編み方で作ったもので、右が、左利きの積もりで、逆に編んだもの。と、簡単に言うが、逆に逆に、と編んでいると、ワケが分からなくなってくる。見た目は、花のウズが逆になっているだけだが、紐を引いて形を整えるにも、糊を付けて巻き返すにも、何とも言えない違和感がある。たったこれだけのことなのに、不思議な体験をした。
2021.10.11
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おばあちゃんの原宿の巣鴨地蔵、高岩寺をお参りしたその日の夜、震度5強の地震があった。ちょうど風呂に入っていて、湯船から飛び出すのもどうかと思い、風呂の中でチャプンちゃぷんと揺れていた。風呂から出て、TVでニュースを見ながら思った。巣鴨にいる時にこの地震が起きていたら、電車が止まったので、歩いて帰ることになったハズ、と。巣鴨から浦和までは、約15㎞。旧中山道なので、地図なしでも帰れたろうが、既に5㎞ほど歩いていたので、慣れない足が耐えられただろうか、と思った。そして、スマホのバッテリーは? 財布のお金は? と。スマホのバッテリーは、その時点で、残り35%だった。バッテリーが切れたらただの「重り」になってしまうスマホ。3.11の教訓で、予備のバッテリーを買っていたのだが、持ち歩きはしていなかった。家にあるだけではダメなのは、承知のハズなのだが、のど元を過ぎて、危機感が無くなっていた。そして、財布。お賽銭の小銭を持てば、水やおにぎりはpasmo(交通カード)で支払える、と思い、財布は持たなかった。だが、クレジットカードや紙幣が無ければ、タクシーにも乗れないし、宿泊費も払えない。帰宅のために自転車を買うことも出来ない。災害は忘れた頃にやって来る備えあれば憂いなしまさに、この通りだと、反省した。
2021.10.10
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おばあちゃんの原宿、巣鴨(東京・豊島)にある「とげ抜き地蔵尊」をお礼参りした。とげ抜き地蔵尊と言われるのは、高岩寺(こうがんじ)の本尊。針を飲み込んだ女性が高岩寺の尊影を飲み込んだところ、針を吐き出すことができたという伝説から、この名がある。もう一つの伝説が、境内にある「聖観世音菩薩」。「洗い観音」と呼ばれ、水をかけて自分の体の悪い部分を洗うと(布で拭くと)病気が治るという信仰伝説。私も、がんの手術を受け、退院して、間もなく、この高岩寺をお参りして、洗い観音様を布で拭いた。苦しい時の神頼みだったかもしれないが、通院の帰りとブログ友と、2回。あの頃は、痩せてガリガリ。お尻の肉が無くなっていて、椅子に座るのも辛いほどで、句会には空気クッションを持って行ったりして、どうなることかと思ったが、どうにか肉が戻ってきて、普通の生活が出来るようになった。信仰伝説のとおり、「洗い観音」を洗ったので、「がんは治った」と思っている。火山に死火山はない、すべてが活火山だ、と言われるように、がんの完治はないと言われているが、治ったと思うと、気が楽になる。ということで、おばあちゃんの原宿の竹下通り、巣鴨地蔵通り周辺を散策した。これについては、改めて。
2021.10.09
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抗がん剤を卒業した、と言っても、卒業証書をもらったワケではない。私から、これ以上の抗がん剤治療は結構です、と断ったのだから、中退か?。あと何年生きられるのか分からないが、抗がん剤の副作用と戦いながら1年長生するのと、抗がん剤を止めて1年早くあの世へ行くのと、どっちを選ぶのか、という選択を考えての卒業だ。人生の残りは限られているので、楽に楽しく生きる方を選んだのだが、抗がん剤を卒業して体に良い変化が出てきた。先ずは、髪の毛などが生えてきたこと。しばらく髭剃りをしていなかったので、髭剃りが億劫になるほど。そして、手足の腫れやひび割れがかなり良くなったこと。足の水ぶくれなどについては先日書いたが、手の指は、関節の内側、すなわち手のひらの横筋の部分が裂けて、出血しバンドエイドを何カ所にも巻いていた。なので、プラボトルの栓は開けられないし、風呂で手ぬぐいは絞れないし、指に水を付けて切手を湿らすことができないし、と、辛い日が何日も続いたが、これも完全に治った。そんな状態だったが、変わらないのが、血圧。入院前は、140とか150が普通だったが、入院して、酒を止めて、小食になったら、血圧が下がった。そして、ありがたいことに、抗がん剤を止めても、血圧は元に戻っていない。画像は最近の血圧だが、こんなに低くなることはあまりないが、110~120程度で落ち着いている。同じような理由から、体重が入院前より15キロほど減ったが、これはダイエットしても出来なかった事なので、頑張って維持している。そして、耳鳴り。40歳台から耳鳴りがしていて、右の耳で電話を取るのが危ういほどだったが、抗がん剤を治療を始めてから、耳鳴りが軽くなっていた。一時は(頭を傾けると)耳鳴りが消えた時期があったが、今は、左右に耳鳴りが戻っている。ただ、電話に支障があるような音量ではなくなった。体温計の「ピピッ」が、時々だが、聞こえるようになった。元の耳鳴りには戻って欲しくない。
2021.10.08
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水圧で歯間の汚れを吹き飛ばす器具を、ウオーターピック(Waterpik・水楊枝)と言うのだが、どうやらこれれは、商標のようで、私が使っているのは、エア・フロス(AirFloss・空気糸)で、これも商標のようだが、空気だけでなく水を噴射するので、エア・フロスという呼び方はどうなのか、とは思う。で、長いこと使っていた、このエア・フロスが動かなくなった。1カ月ほど前から、辛そうな動きをしていて、ガチンガチンと、歯車が外れるような音が出るようになった。そろそろ買い換えだな、と思っていたのだが、そう思うと、辛そうな動きも音も無くなり、普通に動いた。機械という物は、そういう物らしいが、終に動かなくなった。部品の消耗か、バッテリーの寿命か・・・と、分解してみることにした。水を使う物なので分解不能かと思ったが、簡単に開くことができた。モーターが錆びていて、小さな歯車がすり減っていて、画像の裏側の、回転をピストン運動に変えるカムは見えない。本格的にバラしてみるか、と思ったのだが、6年以上も使っているので、素人が手を加えてもダメだろうから、ここで諦めた。次は、ウオーターピック(Waterpik・水楊枝)にしてみようかとも思ったが、この水圧がどの程度なのか分からないので、使い慣れた同じ物を注文した。
2021.10.07
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医者からは、好きな物を食べて好きな物を飲んでいい、と言われている。大腸がんが肝臓に転移したらイヤだな、と思う身としては、入院を機会にアルコールを止めているのだが、時として、ビールらしきを飲んでみようかと思うことがある。が、ノンアルコールビールは美味しくない。どれを飲んでもサツマイモのような味がする。酒飲みの友人と外で会う時は、ノンアルコールビールがあると良い雰囲気になるが、家で、1人で飲むと、美味しさは感じない。そんな中、ブログ友のところに、微アルコール・ビールのことがあった。ビールと同じ製法で作って、アルコール分を抜いたビールのようだ。なるほど、それなら、美味しいに違いない、ということで、マーケットで買ってきた。ついでに、他の微アルコールも。だが、美味しいとは感じなかった。サツマイモのような味はしなかったが、もう一杯、という感じはなかった。思うに、やはり、アルコールなのだと思う。アルコールがあってこそのビール、ウイスキーなのだろう。酒は、味を楽しむことと、アルコールを楽しむことだと、今にして・・・酒を飲み始めて50数年経って、やっと分かってきた。
2021.10.06
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某アパートの階段にあった看板。「全戸 満室 ありがとうございます」とある。いわゆる、満室御礼だ。大相撲の満員御礼は見たことがあるが、アパートの満室御礼は初めて見た。だが、これって、誰に言ってるの、と思う。大相撲の満員御礼は、会場に来ている観客に示しているのだが、このアパートの満室御礼は、誰に向けているのだろう?アパートに住んでいる人に示しているのか?もしそうなら、各部屋の入口に掲示するはずだ。ならば、通行人か?通行人にお礼を言っているのか?アパートの空きを心配してくれた通行人に、お陰様で埋まりました、ありがとう、と言っているのか?と、書くと、すごく悩んだようになるが、ほんの少しの間、こう思った。単に「全戸満室」では失礼なので、「ありがとうございます」を加えたのだろうが、蛇足だ。丁寧にするなら「全戸満室です」だろう。アパートの管理会社が、満室になって嬉しくなり、ありがとうと、と言っているのかもしれない。
2021.10.05
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中山道ウオーク復帰は可能だと書いたのだが、待てよ、その前に、お礼参りがあるではないか、と思い直した。私のガンを知って、大阪のあの子二人が病気治癒のお守りを送ってくれていた。石切宮(石切劔箭・いしきりつるぎや・神社)と勝尾寺のもので、ともに大阪の社寺。神仏の力を全面的に信じているワケではないが、あの子へのお礼としても、お礼参りに行くべきと思う。そして、大阪に行くなら、住吉大社にもお参りをしたい。住吉大社から石切宮までは約1時間、石切宮から勝尾寺までは約80分、半日あれば3寺社は巡れそうなので、日帰りも可能だ。何だったら、このお参りの帰りに、どこかで一泊して、中山道ウオークの続きを歩いてもいいし、東海道ウオークのおまけの、京都から大阪を歩いてもいい。コロナが落ち着いたら、外出自粛が叫ばれなくなったら、と、たらタラだが、もう一つ、タラがある。海外旅行へ以前のように気楽に行けるようになっタラ、台湾と香港だ。台湾の佛光山寺と香港の竹林禅院にも、お礼参りに行きたいと思う。この2寺は、がん治療中にお参りしたお寺。苦しい時の神頼みでお参りしたわけではないが、ガンの治癒を願ってきたので、お礼参りをしたいと思う。そして、夢は膨らむ。街道ウオークのもうひとつ、甲州街道ウオークが相模湖でストップしているので、こちらも続きを歩きたい。
2021.10.04
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中山道ウオークを再開するには、ある程度のリハビリが必要だと思っている。図書館へ行っても、マーケットに行っても、2千から3千歩しか歩いていないからだ。そのような中、隣町の、大宮氷川神社へ行った。大宮氷川神社は、武蔵一宮、氷川神社の総本社。暑いくらいの秋日で、早くも七五三のお参りをする家族がいた。そこで目にしたのは、カラフルな袋(画像)。氷川神社には何回もお参りしているが、このような袋を見たことはない。これまでは絵馬が掛かっていたり、みくじが結んであったりしたところだ。どうやら絵馬のようではあるが、よく分からない。社務所・・・いわゆる御札などの売店(何と言うのだろう)に行ってみると、説明書きと見本があった。願い事を書いた紙を袋にいれて奉納する、とある。紙を畳まないで、筒のようにすると、袋が膨らむ、ともある。ひとつ500円。なるほど・・・これが今風の絵馬なのか・・・願い事や氏名を隠す、個人情報保護から生まれたのか・・・などと、感心したが、私は願い事が多すぎるので、パスした。境内には、振り袖で着飾った子、と母もいた。子の方は七五三の歳ではなく、七五三の親にしては若い。結婚式の披露宴かとも思うが、母親の方はそんな服装ではない。なんだろな~と見ていたら、そのお嬢さんに声を掛けるおっさんがいた。「七五三じゃないよね」・・・単刀直入、私と同じ疑問だ。いかに図々しい私でも、この質問はできない。「成人式の記念写真です。コロナでできなかったので」なるほど、そんな人もいたのだ。ということで、この日は、11,341歩を歩いた。歩幅60センチとしても、6.6キロメートル。これだけ(簡単に)歩ければ、中山道ウオーク復帰は可能だ。
2021.10.03
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(昨日の続き)我が家のさっちゃんが言う「その体で歩けるの?」と言うのは、画像の足のこと。抗がん剤の副作用で、手足が腫れてひび割れ、足の裏には水ぶくれができて痛く、最悪の時は、トイレに行くのが辛く、尿瓶を使おうかと思ったほどだった(画像上)。それが、抗がん剤の薬を変えたこともあり(毛は抜けたが)、また、抗がん剤を休み、最終的には抗がん剤治療を卒業したので、手足の副作用は和らいできた(画像中)。そして、病院を変わり、皮膚科に通うようになって、足の腫れやひび割れは良くなった(画像下)。新しい病院の皮膚科では、「皮膚の皮が薄くなっているので、これまでの薬は一切止めて、ワセリンだけにしましょう」となり、最初の数日は腫れがひどくなったが、その後、急激に腫れが引いて、皮膚が白くなってきた。これは、抗がん剤を止めた結果の回復かも知れないが、病院を変わって良かったと思っている。今は、軽いステロイド系の薬を塗っている。で、足の腫れは引いたのだが、足の裏の腫れぼったさは抜けない。何と言うか、足の裏に雑巾を貼ったような感覚で、歩くと体がふわ付くような感じが残っている。素人判断だが、これは、歩けば直ると思っている。3年以上もの間、まともな距離を歩いていないので、足が鈍っているのだと思う。ということで、積極的に歩くようにしている。
2021.10.02
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Yahoo map緊急事態宣言が解除されたら、コロナが収まったら、と、タラレバのタラが多かった昨今だが、どうやら、先が見えてきたようで、中山道ウオークが再開できそうだ。中山道ウオークが止まったのは、3年前の4月25日。翌月5月11日には、病院に繋がれ、手術や抗ガン剤治療をして、体が落ち着いてきたころは、コロナ自粛となり、今日まで、中山道の続きを歩いていない。緊急事態宣言が解除されそうだったので、1週間ほど前から、中山道の地図を見ていた。腕が鳴る・・・足が鳴る(とは言わない・・・)のだ。今年の春にも、中山道の地図を見直していたのだが、あの頃は「外出自粛」「不要不急」で、歩ける現実味がなく、ただ、見ているだけだったが、今度こそ歩けると、具体的に地図を見るようになった。次回は、岐阜県の可児(かに)の東5キロほどの、顔戸(ごうど)から。地図の上の方の茶色の道が中山道。ゴールの京都は西だから、この道を左に歩く。今の体力だと、1日に、元気な頃の半分、10キロか・・・などと地図を見ては、最寄りの駅と宿をチェックしている。街道ウオークの楽しさと言うか、難しさと言うか、注意すべき点は、駅と宿のチェックだ。日帰りなら、帰りの足(駅)を確認する必要があるし、泊まるなら、山の中や野原で野宿するワケにはいかないから、できるだけ街道に近いところに泊まりたいので、これまた、駅や宿の場所を確認する必要がある。とはいえ、その次の日のことも考えなければならない。翌日の駅と宿だ。翌日の帰路の駅が遠いなら、前日に頑張って歩いておく必要がある。と、私が考えているのだから、若い人たちは、これまで我慢してきた旅行や帰省を爆発的に始めるのではないだろうか。そうすると、「第6波」が大きく襲うのかもしれない。こんなことを考えながら地図を見ていたら、我が家のさっちゃんに言われた。「その体で歩けるの?」と。 (続く)
2021.10.01
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