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爬虫類よりはマシだというたとえである。
June 30, 2006
家族の命もこのブログと同じく1つのコンテンツでしかない、という事か?
June 22, 2006
別に悪くはないけどそんなことを力説しないでほしいだけである。
June 16, 2006
「明日世界が滅ぶとしても、私は今日林檎の木を植える」
June 15, 2006
生物の体色は目的別に2つに分けられる。「擬装色」か「交尾色」である。生存の可能性を高めて生殖の可能性を下げるか、その逆かである。天敵による補食の可能性がなくなった霊長類ヒト科においては交尾色が優位になっている。とはいえ、同類による同類の補食(共食い)を回避するため攻撃力の弱い個体は擬装色を選択する。また、経年変化の著しい個体が交尾色を選択した場合「エエトシコイテ」という空気を振動させる攻撃を受ける場合がある。ちなみに、ヒト科においてはこの声帯と呼ばれる器官によって空気を振動させ相手の情報処理器官を混乱させることが攻撃の主流となっている。(時に「モジ」という視覚情報を使う場合もある)この攻撃の威力は目覚ましいものがあり攻撃を受けた個体を死に至らしめる場合もある。(→「ジサツ」)あるいは下肢部と胴体部の連結部分の運動能力を一時的に奪うことができる。(→「コシクダケ」)また、まれに擬装色を施したことにより経年変化による物理的攻撃力の低下をアピールする事になり補食される危険性を増す場合がある。(→「オヤジガリ」)
June 14, 2006
「決定力不足」は日本人の美徳でもある。
June 13, 2006
残念だが、収穫はあった。試合後のインタビューでインタビュアーが「次、期待してます」と言ったら、通訳がすかさず「はい」と答えたことである。この通訳にはこれからも期待できる。
June 12, 2006
人間と自然とは対立している。「自然に帰ろう」などという偽善者はサファリパークでも行ってライオンにでも追いかけられればその意味が実感できると思う。文明とは人間の営巣活動であり、人間の大半はその「巣」のなかでしか生きていけないのである。そういった意味ではこの日米を代表する「怪獣映画」のプロットはよくできている。メロドラマ的擬人化を排している点では「ゴジラ」のテーマ性のほうが高いとも言えるが、作品の質は格段に低い。(マニアないしは子供向け)「キングコング」はまあ「野生のエルザ」と「タイタニック」を足して2で割ったような仕上がりになっていて、「野生」と「文明」の「哀しい接点」をうまく描いてはいる。(コングをリアルなゴリラとしたのは良かった)「ゴジラ」はまあ基本的に「ぬいぐるみショー」である。
June 11, 2006
「世界は作為に満ちている」はずなのに、どうして毎日はこうも無作為に過ぎていくのだろう。
June 10, 2006
先日、村上世彰容疑者の逮捕前記者会見で記者会見の前に容疑者からコメントを取ろうと報道陣がつめかけるのに対しての村上氏のコメントはこうである。「こういうアンフェアなことは大嫌いなんだ」マスコミと村上氏との間にはお互いがお互いの顔を見ているような一種の同族嫌悪みたいなものがあると思う。だから過熱するのである。「オマエに言われたきゃないよ」の世界である。自分と同じ欠点を持っている人間は好きになれないのである。だから以下の質問はマスコミが好んでするのである。「金儲けのためなら何をしてもいいとお考えですか?」「金儲け」を「視聴率」に置き換えると質問する側が絶えずさらされている問題だからである。(たとえば、秋田の事件で「被害者の母親」にとった報道陣の態度は容疑者本人よりも醜悪である)人間がやってはいけないことは法律や規約のかなり内側にある。それはみんなわかっているのである。そしてその罪悪感を達成感で合理化しようとするから「金儲け」も「取材」も過激化するのである。過去の過ちを自分の中で正当化するために同じ過ちを繰り返すという「強迫的反復」というやつである。(罪悪感が先天的に欠如している「本来的犯罪者」というのもいるらしいが←心理学者の間では意見が分かれているそうだ)とにかく彼等は、どっちもどっちである。
June 9, 2006
脳においてまず衰退するのは「やる気」をつかさどる部分と「記憶」をつかさどる部分だそうである。
June 8, 2006
買ってから2時間半で読了した。あっさり読めてじんわりする。実にコンビニエンスな「切なさ」である。(ところで、「切なさとは何だろう」と、作品とは別途で考えてみた。「罪悪感」に近いものであるという「おぼろげな推測」を得たが、書評とは無関係なんで止めにしておく。)まあ、これもいいかも・・。
June 4, 2006
舞城は「仮性」である。このデビュー作とその続編を読んでそう感じた。「仮性ジャンク」である。このまま行ったら行き詰まるのではないか。行き詰まったあげくクスリに手を出し、小説を書くための「業務用ジャンク」になるのではないか。それも「大麻」とかではなくて「覚せい剤」をやりそうなタイプだ。すなわち鑑賞に値する「人間の屑」にはなれずに掃いて捨てるほどいる「産業廃棄物」になるクチである。(と、思う)→(それが見えてるところが裏の魅力とも言えるが)「三島由紀夫賞」なるものを受賞した「阿修羅ガール」に何か物足りなさを感じた「原点」を見たような気がした。彼は「仮性」である。「仮性」は「真性」への憧れを「技術」でカバーするしかないのである。「見せ物」になるためには「先天的真性」がどうしても必要になるのである。そしてそれは本人にとって決して「幸せ」なことではないのである。これしかできないという「不幸」なのである。経済活動のためにする見せかけの「芸術」など「不幸な見せ物」の前には消し飛んでしまうのである。
June 3, 2006
スギ氏が重く見られたか軽く見られたかは不明である。
June 2, 2006
奈良県の中学校で理科の教諭が「こうすれば赤ちゃんは殺せる」と授業中に殺害方法を説明し問題になっているようである。しかし、その殺害方法を全文掲載した全国紙はもっと罪が重い。
June 1, 2006
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