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この春、ミモザを植え、モッコウバラを植え、皇帝ダリアを植えた。鉢植えにしていたイチジクにいい場所を選んで地下植えにした。紫陽花は100個くらいの花を咲かせている。ミモザを植え、モッコウバラを植え、皇帝ダリアも期待に応えてくれるだろう。もちろんイチジクも!! もちろん、まだ数年わたしは待つつもりだ。われわれ園芸家は根気がいい。*「園芸家12ヶ月」 カレル・チャペック*■2026年5月見た映画■*許されざる者(1960)*サンキュー、チャック*幕末ヒポクラテスたち*ひつじ探偵団*プラダを着た悪魔2■2026年5月■夏霞*夏霞野仏数多(あまた)苔むして*夏霞美濃路はすべて山の中*西郷の流刑地奄美島の春*ゆく春や奄美に古き言葉あり*娘(こ)の帰る日に炊く豆の飯うまし■書き残したネタ■*YouTube・・・本の読み方*旅行*本*熊の被害と「クマとクマのすむ森を日本に残すために」*チップ*枇杷の樹*能登の町が復興する時、考えて欲しい町づくりについて。*アフリカで日本の古着が環境破壊!?*トグサ(研ぐさ)*「篩(ふるい)」と「とおし」*少年に枇杷熟れ桑熟れ椋熟れてとどめにムベの熟れゐし昭和 大野展男・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.31
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■入り婿侍商い帖(一)■旗本次男・角次郎、武士を捨て婿入りし、米屋若旦那として奮励す!旗本家次男の角次郎は米屋の主人に見込まれて婿に入った。婿に入ると聞いていた話と大違い、店は借金だらけで妻は自分と口をきかない。角次郎は店を立て直すべく奮闘するが……。妻と心を通わせ商家を再興する物語。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●五月女角次郎の家は、家禄三百五十石の旗本。しかし次男の彼には、なにもない。跡取りの嫡男の他は、*部屋住*といい、婿の口がなければ一生仕事にもつけないそんな身分。*部屋住*次男以下の就職は困難であるため、分家・独立するほどの財力や地位を持っていない大多数の家では、実家に居候という形で次男以下に屋敷の部屋を与えて住まわせ、嫡男が欠けた場合への備えや、他家への養子縁組を待つこととした。このような、家から独立せずに扶養される者を当時は「部屋住み」や「厄介」と呼んだ。 次男以下には血統を絶やさないための万が一の予備としての役割があったため、妻子を持つことは基本的に禁じられ、不遇な生活を強いられたといわれる(飼殺し、冷や飯食い)。それでも兄の死去や廃嫡により次男以下が繰り上がって家督を継いだ例は数知れないが、中でも井伊直弼の15年間にも及ぶ部屋住み生活と、その期間を過ごした屋敷「埋木舎」はよく知られている。●五月女家の敷地は六百坪あまりで(略)*旗本*としての格式は備えているが(略)。*江戸時代における旗本とは将軍の直臣で禄高1万石未満のうち、将軍への謁見が許される「御目見」以上の家格の者を指す。六百坪の半分でも野菜を植えるなどすればいいのではと思う。大坂の同心にはお上からひとり二百坪の土地が与えられているが、その三分の二ほどを町人に貸し、賃料を生活費の足しにしているのだ。■鍋奉行犯科帳■●・・・いくたりかあった。*ひとり、ふたり、みたり、よったり、いくたり人の数え方。●二十五両の切り餅が二つ、三方に載せられて(略)*切り餅は25両の包み金で、1分銀100枚を切り餅状に積み和紙で包んだものです。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.29
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■新御宿かわせみ・千春の婚礼■ 平岩弓枝明治6年(1873年)の暮れ、5年半の医学留学を終え、神林麻太郎がイギリスから帰国する。大川端にある宿屋(旅籠)「かわせみ」は、旧幕時代と変わらずに商売を続けているが、その周囲にも、そしてかわせみにも、辛く悲しい出来事が世の混乱とともに起こる。捕り物や人間模様のみならず、西洋から入る文化によって人々が少しずつ変わっていく様や、江戸から東京へと街が変わっていく様も描く。千春の婚礼(2015年1月、ISBN 978-4-16-390187-9)- 文庫版 2018年1月、ISBN 978-4-16-790992-5「宇治川屋の姉妹」(2013年9月号・10月号)「千春の婚礼」(2013年11月号・12月号)「とりかえばや診療所」(2014年1・2月号)「殿様は色好み」(2014年3月号・4月号・5月号)「新しい旅立ち」(2014年6月号) 『新・御宿かわせみ』(しん・おんやどかわせみ)は、平岩弓枝作の連作時代小説シリーズ。幕末が舞台である『御宿かわせみ』の続編に当たる。千春と清野凜太郎が無事に婚礼を挙げた数日後、麻太郎と源太郎が奇妙な事件に出くわします。狸穴の大地主・林田理兵衛の息子・政吉が首をくくったが、理兵衛も奉公人たちも「なぜ死んだのか」については何も語らない。やがて政吉には捨松という双子の兄弟がいることがわかり……。果たして事件の真相は?江戸から明治に移り変わる世相の中で起こった事件を背景に、千春の結婚や麻太郎の新たな旅立ちなど、若者たちの転機を描く「新・御宿かわせみ」第五弾。★神林(かみばやし)麻太郎元南町奉行所吟味方与力の神林通之進の養子だが、実は通之進の弟で旧幕時代は軍艦操練所教授並であった神林東吾の息子。イギリスから帰国するまで、東吾の実子とは知らずに育った。父譲りの美男子であり、行動力も好奇心も旺盛な人懐っこい性格、一人で菓子屋に平気で入るのも父親そっくりである。御維新の混乱の中で、祖父の麻生源右衛門、叔母の麻生七重、従兄弟の麻生小太郎が自宅で何者かに惨殺される事件が起き、イギリスへの医学留学が目前だった小太郎の代わりにと、叔父の麻生宗太郎をはじめとする周囲に強く勧められてイギリスへ渡る。五年半のイギリス留学を終えて帰国した後は、イギリス人医師のリチャード・バーンズが築地居留地に構えた住宅兼診療所に下宿し、新進気鋭の医師として診療にあたりながら、源太郎の手伝いをしている。★麻生花世元将軍家御典医の天野家の長男で、旗本の麻生家に婿入りした医師の麻生宗太郎の娘。お転婆で舌鋒鋭く、幼馴染の麻太郎や源太郎がたじろぐことも多いが、繊細で勘が鋭く、面倒見の良いところもある。御維新の混乱で祖父・母・弟を失った後は父と離れてかわせみに下宿し、築地居留地にあるA六番館女学校で勉学にいそしみながらバーンズ医師の手伝いをしていた。★畝(うね)源太郎元南町奉行所の定廻り同心で「捕り物名人」と呼ばれた畝源三郎の息子。正義感が強く実直、お人好しなところは父譲りである。父が麻生家襲撃事件の探索中、何者かに銃撃されて非業の死を遂げると、母の千絵や妹の千代とは別れ、八丁堀に近い一ノ橋の近くで一人暮らしを始めた。「よろず探索仕り候」の看板を掲げ、長助とともに探偵のような仕事をしながら、麻生家襲撃事件の犯人と父を銃撃した犯人を捜している。麻生家の事件と父の銃撃事件が解決した後は、新時代の法律を学ぶべく司法の勉強をしながら、探偵稼業をしている。★神林千春東吾とかわせみの女主人るいの一人娘。母同様の美人で、おきゃんな性格。幕末、父・東吾の乗った軍艦が破船沈没し、東吾は行方不明になるが、父の生存を頑なに信じ、母が一代で築いたかわせみを取り仕切っている。麻太郎が異母兄であることを知らずにいたが、あることがきっかけで母に宛てた父の遺書を見つけ、麻太郎の出生の秘密を知ることになる。★神林るい大川端に旧幕時代からある宿屋、かわせみの女主人。元は南町奉行所同心・庄司源右衛門の一人娘。父亡き後、士族の身分を捨てて大川端に宿屋「かわせみ」を開いた。長い間身分違いの忍ぶ仲だった東吾と結婚した後は、一人娘の千春も生まれ、幸せな家庭生活を送る。幕末に東吾が行方不明となるが、娘の千春同様、生存を信じて待ち続けている。しとやかで、年齢を感じさせないほどの若さと美しさを保っているが、様々な厄介事や相談事が持ち込まれても気前よく引き受ける女長兵衛な一面も。麻太郎ら若者達のよき相談相手である★麻生宗太郎元将軍家御典医・天野家の長男で医者。些細な出来事から東吾と知り合い、友人となる。さらに東吾の縁で、本所に住む旗本・麻生源右衛門の次女である七重と出会い、その後婿入り。飄々としている反面、思いやり深く医療への情熱にあふれ、腕の良さとともに患者を身分や金銭で差別しないことから「名医」との評判が高い。幕府が瓦解し、本所の自宅が召し上げられたこともあって、義兄・通之進の提案により道場主・松浦方斎亡き後の方月館を医療の場にすべく、一家で狸穴に移り住む直前、義父・妻・息子を何者かに惨殺される。その後は「方月館診療所」の看板を掲げ、末弟の天野宗三郎や医学に志ある人々が集まり、評判の診療所となっている。るいや若者達のよき相談相手だが、娘の花世には手を焼くこともある。★神林通之進(かみばやし みちのしん)麻太郎の養父であり、東吾の兄。旧幕時代は南町奉行所の吟味方与力をしていた。東吾以上に美男子で、才気煥発との呼び声高く、周囲からの人望も厚い。ある事件がきっかけで母を失った麻太郎を養子に迎え、妻の香苗共々、自らの実子同様に育て上げる。東吾が師範代を務めていた縁で知己となった方月館の道場主・松浦方斎の紹介で、旧幕時代から方月館の隣に土地を取得しており、御維新後はそこに家を建てて隠居生活に入るが、今でも様々な人々が知恵を借りにやってくる。★天野宗三郎麻生宗太郎の異母弟で、旧幕時代は将軍家御典医を務めた天野家の跡取り。宗太郎と共に方月館診療所で診療にあたっている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●(江戸)幕府が瓦解して新政府が発足してから、(明治4年)東京の市中取り締まりに関して旧藩士の中から三千人を集めて邏卒(らそつ)と称し、任務に当たらせたが明治5年8月に司法省内に警保寮が設置されると、一応、その管轄下においた。それが明治7年に内務省に移され、犯罪捜査は司法警察、犯罪を防ぐのは行政警察と分離されている。続いて東京警視庁が創設されると邏卒は潤智名称を改め、一応、制服を着用するものの、武器は棍棒(こんぼう)であった。●猫柳を山形のほうではにゃんこの木。福井の人は、にゃにゃと呼ぶ。●鹿島立ち(かしまだち)◎鹿島立ちとは、旅立ちや出発を指す言葉です。 この言葉の起源は、防人に選ばれた人々が鹿島神宮で旅の安全を祈って出発したことに由来しています。現在でも、良い旅を願って出発することを「鹿島立ち」と呼んでいます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.28
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私の親の世代、明治・大正生まれの人は、植物について詳しかった。父は、田畑に植えている植物の植える時期、連作を嫌う植物、収穫はいつか・・・?などなど全てを知っていた。稲も「農林一号を作っている」というように、品種もよく知っていた。「イモチにやられた」と稲の病気を知り、その対策も怠らなかった。桃の葉っぱを入れた風呂に入ると子どもの汗疹がよくなるなど、誰もが知っていることだった。 私の妹が2歳の頃の話。突然、おしっこが出ないとなった。それを知った父は、家から離れた病院に連れて行った。そして山にロクテンソウを採りに行った。ロクテンソウは、煎じて飲めば、利尿作用があることを父は知っていた。そして、ロクテンソウの生えている場所も知っていて、医師の許可を得てのことだ。妹は、入院して元気になった。 父や村の男性は、山に入って紙の原料になる■雁皮■を採って売っていた。 ■五倍子(ふし)■という不思議な形をしたものを採ってきて売りに行っていた。染料に使うというが、私は、それを使っているものを知らない。けれど五倍子(ふし)の匂いは今もはっきり覚えている。 山に入ると土産に、キノコやアケビを採ってきてくれたので、私たちは大喜びだった。 今から20年以上前、伯父が大病を患った。まだかろうじて、歩ける頃、私に、センブリとロクテンソウの生えている場所を教えてくれた。ロクテンソウなどの貴重な薬草は、誰にでも教えてはいけないという不文律があったが、伯父は私にだけ教えてくれた。「薬降る(くすりふる)」という言葉がある。「くすりふる(薬降る)」は、陰暦5月5日、いわゆる薬日(くすりび)の正午ごろに降る雨を指す。陰暦5月5日は薬草を摘むのに良い日とされ、薬効を重視する伝統的な知恵が反映されている。このため「くすりふる」は単なる雨ではなく、薬効や健康にまつわる象徴的な雨として日本文化に位置づけられている。そんな時代の最後に私は立ち会っていたのかもしれない。 セリ、イタドリ、チガヤ、クワ、椋・・・。私の植物との接し方は、食べるか食べられないか・・・だ。植物の思い出は、全て懐かしい。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.26
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■ばらいろの雲■ジョルジュ・サンドの童話3篇。■「ものをいうカシの木」■豚飼い番の少年エンミがドロップアウトし、野外生活を一年余り過ごしたのち、「乞食か盗みをするんじゃなきゃ、人生は働くしか無い」との立派な信条を持つ集団に属するカチシュ婆さんに誘われたが断り、木材伐採の補助という仕事についた。***************働くことを尊び、不正を憎んだジョルジュ・サンドらしい話。●「あの森をきりたおすんですか。」とエンミ(主人公)がききました。「いやちがう。すかしぎりをするだけだけさ(略)◎「すかしぎり」とは間伐のことだろう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■「ばらいろの雲」■まるで雲を紡ぐように軽い細い糸を紡ぐ術を身につけて生計を豊かにする話。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■「ピクトルジュの館」■一夜の宿りの廃墟の舘で母を亡くした少女がヴェールをかぶった女性に出会い、絵画に導かれる。爵位はあっても貧しい貴族親子や主人公父娘が陥る困窮など経済事情がやたらリアルだか、この作品のテーマはジョルジュ・サンドの芸術観。1873年2月1日ノアンにて●ジョルジュ・サンド(1804~1876)●昭和29年12月15日・・・第1版昭和48年5月10日・・・第15刷350円■「ものをいうカシの木」■、■ばらいろの雲■、■「ピクトルジュの館」■の3つの物語の中で、一番好きなのは、「ものをいうカシの木」。自然を敬う気持ちが現れている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.25
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■新・御宿かわせみ■時は移り明治の初年。時代の混乱は、「かわせみ」にも降り懸かっていた。東吾は、戦乱で行方不明、源三郎は凶賊の手にかかり落命、麻生家も源右衛門ら三名が殺害された。だが、麻太郎、花世、源太郎ら次代を背負う若者たちは悲しみを胸に抱えながらも、激動の時代を確かな足取りで歩き出す。大河小説第二部、堂々のスタート。■目次■築地居留地の事件/蝶丸屋おりん/桜十字の紋章/花世の縁談/江利香という女/天が泣く■平岩弓枝■昭和7(1932)年、代々木八幡神社の一人娘として生れる。30年日本女子大国文科卒業後、小説家を志しし戸川幸夫に師事。ついで長谷川伸主宰の新鷹会へ入会。34年7月「鏨師」で第41回直木賞を受賞。平成3年「花影の花」で第25回吉川英治文学賞受賞。平成10年、第46回菊池寛賞を受賞。平成16年、文化功労者。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●読書メモ●●・・・水魚の交わり*「水魚の交わり」とは、「水と魚のような、非常に親密な関係」を指します。●邏卒(らそつ)*巡査の旧称。明治初年,各府県で警察の任にあたった者。●政府が元旦に日章旗を上げるよう、前年の春に布告した・・・(略)。*明治6年10月27日付、県参事名の各正副区長・戸長宛の天長節(11月3日・明治天皇誕生日)祝賀に関して発した布達の伺文の中に、欄外に日章旗を図示し、「来明治七年ヨリ如此旗旌ヲ戸毎ノ門ニ立サセテハ如何」との提案が書き添えてあります。(明治6年「管内布達留」104326)●旧幕時代、幕府は盲人を保護するために、検校(けんぎょう)、勾当(こうとう)、衆分、四度の四階級を設け、鍼治療や按摩の業につき、金貸をして利息を稼ぐことも黙認した。*検校は、大河ドラマ「べらぼう」で知った。●浅茅生(あさじう)の宿*浅茅が一面に生えて、荒れ果てた住まい。●・・・ローランドは包みを上着の「かくし」にしまい、(略)*ポケットのことを「かくし」というのを聞いたことがある。「おとし」とも。●七曜とは、月と木星、火星、土星、金星、水星の総称で、空海が中国より日本に伝えたとされているが、それはもっぱら吉凶を占うのに用いられていて、(略)●・・・かつての江戸の町に牧場ができていたことで、それも並大抵の数ではなかった。江戸前と呼ばれていた江戸城の東、最も繁華といわれた日本橋界隈に三か所も牧場が出来ていて、その両隣、神田附近に四か所、京橋あたりは八か所も牧場があると知って開いた口がふさがらなくなった。*牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる 伊藤左千夫を思い出した。●牛乳 壱合代価 二銭八厘 同 五勺に付 一銭五厘 同 四合以上 二銭四厘・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.23
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■えどめぐり■【詳細情報】神田、日本橋、両国・・・・・・物語が息づく江戸の町にいらっしゃい。人気時代作家による傑作短編で巡る八百八町の“観光”アンソロジー●「後の祭」(朝井まかて)神田祭の「お祭掛」に選ばれてしまった家主の徳兵衛。望まぬ大役に困惑するが、普段は役に立たない店子の平吉が思わぬ活躍を見せ、事態は思いがけない方向に進みだす。●「名水と葛」(篠 綾子)日本橋室町にある草履問屋の娘・お鶴は、幼い頃から病弱で、そんな自分に鬱屈を抱いていた。しかし、本草学者の弟子、森野仁助から「正しく養生する」ことを教えられ、己の本当の望みに気付く。書き下ろし作品。●「鐘ヶ淵――往還(ゆきかえり)」(田牧大和)男装して船頭をしながら、密かに事情がある人を逃がす“とんずら屋”を裏の仕事としている弥生は、絵師の客から変わった依頼を受ける。商家で働く若い女中を鐘ヶ淵まで連れていき、また店に戻すというもので、反対する仲間の反対を押し切り、弥生はその仕事を請け負うが・・・・・・。●「両国橋物語」(宮本紀子)両国橋近くの蕎麦屋で働くお初の人生は、毎日かけ蕎麦を頼む橋番の男に「あの客には気をつけろ」と声を掛けられたときから、変わり始める。親子ほどに歳の離れた男に惹かれ、両国橋の橋番所に通うお初であったが・・・・・・。●「凍る月」(宮部みゆき)本所一帯を預かる岡っ引き、茂七のもとに、酒問屋の主人から女中が逐電したという相談が持ち込まれる。以前、その店で紛失していた到来物の新巻鮭は自分が盗んだと告白して、女中は店を去ったというが、茂七は腑に落ちないものを感じる。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●「両国橋物語」(宮本紀子)両国橋には、橋のたもとから少し離れたところに橋番がいる。夜は6人。橋の真ん中にも橋番所があった。物語は、真ん中の橋番所の橋番と彼を慕う娘の物語。■両国橋■幕府直轄の橋の維持管理は、幕府の負担によるものと町の負担によるものがあり、これらの橋には清掃・警備・保守管理を担う「橋番所」が橋詰に設置された。両国橋には橋の上に「橋中番所」も置かれ、身投げ防止の役目を担い、江戸の川柳に「橋の番 たしかに投げた 水の音」と詠まれている。なお橋名の「両国」とは武蔵国(東京都)と下総しもふさ国(千葉県)のことだ。武蔵と下総の国境は、架橋当時は利根川(現在の江戸川)だったが、それ以前は隅田川が国境だったことに由来する。両国橋は、工事中は「大橋」「向島の橋」、「ふた国の橋」と呼ばれていたが、完成後に「両国橋」と定められた。両国橋を詠んだ江戸の川柳に「橋杭で国と国とを縫い合わせ」とあるのは、隅田川が昔は武蔵と葛飾の国境だったことを意味している。当時の両国橋は長さ94間(170.8m)で、のちに96間(174.5m)に拡幅、幅4間(7.2m)であった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.21
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「木挽町のあだ討ち」内容紹介(「BOOK」データベースより)芝居小屋の立つ木挽町の裏通りで、美少年菊之助は父親を殺めた下男を斬り、みごとに仇討ちを成し遂げた。二年後、ある若侍が大事件の顛末を聞きたいと、木挽町を訪れる。芝居者たちの話から炙り出される、秘められた真相とは…。 「疑う隙なんぞありはしない、あれは立派な仇討ちでしたよ。」芝居町の語り草となった大事件、その真相はーー。ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙は多くの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者という侍が仇討ちの顚末を知りたいと、芝居小屋を訪れるがーー。現代人の心を揺さぶり勇気づける令和の革命的傑作誕生!●主人公は、若侍・菊之助かと思いきやさにあらず。木挽町の森田座の脚本家・衣装さん、宣伝部、小道具さん、殺陣師の皆。彼らがあだ討ちの様子を語る。それだけではない。彼らがいかにして、森田座にいるのかという話。●芝居小屋という場所が多いので、物語もそれふうにしている。たとえば、一章、二章を一幕、二幕としたり、「芝居茶屋の場」、「稽古場の場」、「衣裳部屋の場」・・・というふうにしたり。●江戸にはお上からお許しを頂いている芝居小屋が三つございます。この木挽町にはある森田座と、堺町の中村座、葺屋(ふきや)町の市村座の三座です。●仕立てやなんていうと女のお針子が多いと思うかもしれないけれど、男の方がずっと多い。●「こいつは真の仇であるご家老を騙し討つための謀(はかりごと)だ。木挽き町の仇討ちならぬ徒(あだ)討ちってやさね」 「敵」を討つ物語ではなく、「無駄(徒)」を積み重ねた人々の物語。映画のタイトルが「あだ」となっているところも見事に回収された。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.19
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■志記■高田郁文化元年(1804年)、如月。清明の日にふたりの女児が産声を上げる。ひとりは蔵源美津。蔵源家は黒兼藩で代々藩医を勤める家系で、祖父の教随は秘密裡に腑分けを行い、父の恵明は藩医学校「青雲館」を担う立場であった。今ひとりは高越暁。備前刀を手掛ける刀鍛冶の一族で、祖母の高越剡は「女忠光」の異名を取っていた。長じて、美津は医学、暁は鍛刀を志すことになる。猪突猛進で焔にも似た美津、常に冷静で氷に喩えられる暁、女には困難とされる道を選んだふたりの人生が、十九の初夏、思いがけず江戸で交錯する。志を胸に人生を切り拓いていく者たちの群像劇、いよいよ開幕。●熊には捨てるところがない(略)熊の脂は切り傷によく効くし、胆のう以外にも胃や腸、骨にまで薬効がある。毛皮で防寒できるし、その肉を食らえば滋養強壮になる、とのこと。●岡山藩の試みに感銘を受け、我が藩もこれに倣(なろ)うた。*岡山藩の試みとは、閑谷学校のことだろう。■閑谷(しずたに)学校■●早駕籠の担ぎ手は、前に二人、後ろに二人の計四人。先導役なのだろう、駕籠と結んだ手綱を握り、男が中を覗いて(略)。五人の息を揃えて掛け声は続き(略)。担ぎ手を三度、四度と替え、およそ十刻(じっとき=約二十時間)。殆ど休むことなく片道三十里(約百十七キロ)を直(ひた)走る。*黒兼藩は、今の兵庫県の西部か岡山県の東部と推察している。京都までの距離。今■調べたら■姫路が百キロだったので、やはり兵庫県の西部だろう。●大小暦(れき) 綴じ暦一年中のご調法 ご調法表を行くのは年寄りの暦売りか、侘しい売り声が、縁側の沈黙を埋めている。*高田郁の小説には、売り声がよく出てくる。ヒューマン・ノイズ。●美作(みまさか)から備前を貫いて流れる河川は、奥津川、津山川、周匝(すさい)川、和気川、と下るにつれて名前を変え、曉(ぎょう)の郷里では吉井川と呼ばれる。大雨がふれば暴れ川と化すが、朝露に紛れて高瀬舟が行き交う光景は風情豊かだ。*私の祖父は、津山から高瀬舟に乗り、吉井川を下った。●世に刀職と呼ばれるものがある。刀鍛冶、研師(とぎし)、白銀師(しろがねし)、鞘師(さやし)、柄巻師(つかまきし)、塗師(ぬし)、金工師(きんこうし)などがこれにあたる。●浅蜊(あさり)い、むっきん!浅蜊い、剥き身よっ●表通りから、ちょん、ちょん、という優しい音が土間まで届いた。あれは花売りが売り声に代えて鋏を鳴らす音だ。●「江戸では昔、女医者という言葉は、女人の患者を診る医師、という意味だった。けれど、今は上方と同様に、女の医師を指すようになっている」●貴重な文献や書、身の回りの品は船便で送った。*黒兼藩(兵庫県の西部、姫路あたり)から江戸。●塵除け浴衣に手甲脚絆(てっこうきゃはん)、振り分けに持つ、胸にも風呂敷包みを抱えている。*旅の塵除けコートや雨コートとしての浴衣は、主に女性の間で使われていた。古い浴衣を使用。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.18
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■プラダを着た悪魔2■ドレスアップの用意は出来てる?トップファッション誌「ランウェイ」が存続危機に直面し、報道記者として活躍していたアンディが、特集エディターとして再び編集部に戻ってくる。アンディは元同僚のエミリーとも再会したが、彼女はいまやラグジュアリーブランドの幹部となり、「ランウェイ」存続の鍵を握っていた。「ランウェイ」編集長ミランダと彼女の右腕ナイジェル、アンディ、エミリーの4人はそれぞれの夢や野望をぶつけ合い、ファッション業界に大旋風を巻き起こす。「ランウェイ」の新たな闘いを描く『プラダを着た悪魔』の続編。★「プラダを着た悪魔2」を見る前に、前作をテレビで見た。映画でも見たけど、なんせ20年前だから、細かいことは忘れていて、見てよかった。★「・・・2」の主人公、アンディと編集長ミランダは、今回も同じ人が演じている。アンディ(アン・ハサウェイ)は、40代半ばだし、編集長ミランダを演じるメリル・ストリープに至っては、75歳を過ぎた後期高齢者だ。だのに、あんなにきれいなのは、もともとの恵まれた容姿と努力があるんだろうな・・・。ふたりの変わっていないのもびっくりしたけど、編集長ミランダの部下のナイジェルも、まったく変わっていない。★20年の間に変わったことという質問に二人は以下の通り答えている。◆◆◆ストリープ◆◆◆「この20年で、ファッション業界は大きく変わったと思います。前作を撮った1年後にiPhoneが発売され、ビジネスモデルが激変したからです。雑誌に関しては前作の時代でも危機でしたが、現在、雑誌はオンラインのための“広告”という役割がさらに濃厚になりました。かつてはストリートから生まれたファッションに専門家が追従する流れでしたが、いまはどうやって稼ぐのかが最重要。それはファッション以外のどの業界も同じでしょうが」◆◆◆ハサウェイ◆◆◆「前作ではファッション業界が隔絶された場所という側面がありました。その世界で活躍できる人を、門番のような存在がコントロールしていたのです。でもいまは、SNSが門番を不要にしましたよね?ファッションの民主化と言えます。個人のスタイルが花開き、ファッショナブルやスタイリッシュの基準がそれぞれの解釈に任されるようになったと感じます」★メリル・ストリープが演じる鬼編集長、ミランダ。このモデルは、アメリカ版『ヴォーグ』の編集長を長年務めていたアナ・ウインターだと言われている。ふたりは、偶然同じ年!!動画に、二人の小芝居があって面白い↓(〃艸〃)ムフッ■「プラダを着た悪魔」の編集長ミランダと、VOGUE編集長アナ・ウィンターが出会ったら?■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.16
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■ひつじ探偵団■大好きなご主人が殺された!名(メェ~)探偵、誕生!イギリスの田舎町で愛する羊たちと暮らす羊飼いのジョージ(ヒュー・ジャックマン)は、毎晩羊たちにミステリー小説の読み聞かせをしていた。ある朝、トレーラーハウスの外でジョージの遺体が発見される。心臓発作として処理しようとする警察に、NO!と立ち上がったのは彼の羊たちだった。ジョージは遺言状を弁護士(エマ・トンプソン)に託しており、彼には3000万ドル(約47億円)もの遺産があることが分かる。容疑者は、疎遠になっていたジョージの娘(モリー・ゴードン)、宿屋の女主人(ホン・チャウ)、隣の羊飼い(トシン・コール)ら。そしてこの事件を記事にしようとする記者(ニコラス・ガリツィン)。これまで培ってきたミステリーの知識とジョージへの愛を胸に、羊たちは“ひつじ探偵”として犯人を見つけ出そうと捜査に乗り出す。ドイツの作家レオニー・スヴァンによる小説を実写映画化。 本作に登場する羊たちは、本物ではない。パペット(人形)操作やVFX技術により仕上げられた羊たちである。そして、頭脳明晰、長老、一匹狼の羊など、それぞれに豊かなキャラクターがあるが、二本足で歩いたり、前足を人間のように使ったりといった擬人化はされていない。さらに、彼らはおしゃべりする羊で人間の言葉を理解しているものの、人間には通じない。彼らのおしゃべりが分かるのは、観客だけだ。★羊は春に生まれるが時に、冬に生まれる羊もいる。その冬生まれの子羊は、群れの中に溶け込めない。冬に生まれた羊は、生まれた時から食べ物となる草は少なく、寒い過酷な環境から命が持たないことが多いという話があるようだ。冬に生まれた子羊は、そのまま死んでしまうという、羊たちにとって辛い現実をもたらすことが多い、そんな辛さに耐えきれない羊たちは、無意識に冬生まれの羊を群れの仲間とは認められず、それが段々と習慣として語られるようになっていた、なんてことはあるのかも。▲2016年、湖水地方で。車は羊の通るまで待つ、羊ファースト。★映画の中のトレーラーが素敵だった。銀色で大きくて住み心地がよさそう。★羊飼いのジョージ(ヒュー・ジャックマン)のトレーラーの止めてある場所から、遠く村が見えて塔が建っていた。ブロードウェー・タワーではないだろうかと思いながら映画を見た。ブロードウェー・タワー(英語: Broadway Tower)は、イングランドのウスターシャーにある、ブロードウェー村より1マイル(1.6キロメートル)ほど南東に位置する建築物(フォリー)。▲2018年にイギリスを廻った時に見た。▼▲あっ、羊がいる!!と近寄ったら、羊型の椅子だった。(⌒∇⌒)・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.14
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■幕末ヒポクラテスたち■この国を、刀ではなく医で救う。幕末、京都の郊外の村で、好奇心旺盛な蘭方医の大倉太吉は貧しい者からは診察代を取らずに人々を救っていた。漢方医の玄斎とは悪口を言い合う犬猿の仲だったが、ある日、気性の荒い青年の新左を手術で救ったことをきっかけに、太吉と新左の人生が大きく変わっていく。大森一樹監督最後の映画企画となる、幕末の京都を舞台に奔走する医者たちの姿を描く時代劇。(2022年11月12日、急性骨髄性白血病のため兵庫県内の病院にて逝去。)★大森一樹監督が進めていた企画を、大森監督の母校である京都府立医科大学の協力のもと、大森監督作品の助監督を務めてきた緒方明監督が引き継いで完成させた医療時代劇。★京都府立医科大学の創立は、1872年、明治5年で創立150周年だそうだ。フォークルセダーズの北山修を輩出している。★タイトルになった、ヒポクラテスとは。古代ギリシャの医者(紀元前460年ごろ - 紀元前370年ごろ)。医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させ、さらに医師の倫理性と客観性について『誓い』と題した文章が全集に収められ、現在でも『ヒポクラテスの誓い』として受け継がれている。 本作中に太吉が新左に伝えることば「人生は短かし、医術の道は長し」と言う言葉は、ヒポクラテスのものとされており、「ars longa, vita brevis アルスロンガ、ウィータブレウィス」というラテン語訳で現代でも広く知られている。ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」などと呼ばれている。★京都の街の大きな呉服屋のお嬢さんを診察することになった蘭方医の大倉太吉。「呉服 太物(ふともの)」と書いた暖簾をかけている。呉服は、絹の着物で、太物(ふともの)は、木綿のもの。呉服はもともと絹織物を意味し、綿や麻織物であった普段着の太物を扱う店とは区別されていた。このことは、「商い世傳 金と銀」で知った。★1980年の大森監督作品に「ヒポクラテスたち」というのがある。これ、見たいな!!!★「ヒポクラテスたち」★今、彼等の青春が診察される。モラトリアムに揺れる医学生たちの姿をみずみずしく描いた、傑作青春グラフィティ。京都を舞台に、医大の最終学年の一年にスポットをあて、モラトリアムに揺れる医大生の青春像をみずみずしく描いた青春グラフィティ。大森一樹監督自身が、京都府立医科大学を卒業、医師国家試験に合格という、映画監督としては異色の経歴をもち、自らの体験を基に、医師になる前の若者たちの苦悩や挫折を映し出した、日本版『アメリカン・グラフィティ』ともいえる傑作。古尾谷雅人を主演に、柄本明、内藤剛志、斉藤洋介、伊藤蘭ら錚々たる面々の若かりし日の演技、手塚治虫や鈴木清順監督らのカメオ出演も見どころの一つ。本作で、キネマ旬報ベスト・テン第3位を獲得、その後はコンスタントに商業映画を撮るに至る、大森監督にとって、正に出世作にして代表作となった作品。★今のところ、今年のベスト10に入るくらいおもしろかった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.12
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ネットニュースを見て、考えさせられたことがある。内容を箇条書きにしてみる。★シングル女性(20代)、7歳を頭に子供4人。★夫は金銭にだらしなく離婚。★生活保護を受けていて、子供の保育園に送り迎えのために車を使用している。★生活保護を受ける人は、車を持ってはいけないと言われ、弁護士に相談。 以下、私の感想。この女性は、このような状態になるまで、どうして手を打たなかったのだろう。相手の男性が金遣いが悪いのは、付き合っているときに、分からなかったのか?例えば、結婚して気が付いたとしよう。一人目の子供を産んでも、二人目も、三人目も気が付かづ、4人目を産んだというのか・・・?女性の親は何にも言わなかったのか? 困っている人が生活保護を受けるのは、当然。例えば、ケガをして働けなくなったや、勤め先が倒産して生活できないなど。この女性にしても、夫が急死したというなら、分かるが、金遣いが荒いから離婚して、生活保護を受けながら、車を利用して・・・。少子化、少子化と、子どもが少ないことが悪のように言われる昨今。しかし、こんな子だくさんは嫌だ。自己責任という言葉を久しぶりに思い出したニュースだった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.11
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■サンキュー、チャック■♪音が出ます!!世界の終わりに明かされる、愛すべき贈り物(サプライズ)とは?次々と起こる災害によって、突然世界が終焉を迎えようとしていた。ネットもSNSも繋がらなくなった世界で、街頭看板やラジオ放送に突如として「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という不思議な広告が出現。しかし、チャックが何者なのか、なぜ彼が感謝されているのか、答えを知る人はいない。高校教師のマーティーは、連絡が途絶えてしまった元妻に会うため、彼女が住む街へ向かって歩き始める。目的地にたどり着いたマーティーだったが、街灯が一斉に消え、闇に包まれた街の家々の窓に広告が浮かび上がるのを目撃する。物語は過去へとさかのぼり、若き銀行員チャックはボストンの道端でドラムを叩くストリートミュージシャンと失恋したばかりの若い女性と出会う……。人生のかけがえのなさと大いなる喪失を三部構成で描いた“切ないキング”の面目躍如たる「チャックの数奇な人生」。(チャックの数奇な人生:映画化題名『サンキュー、チャック』)スティーヴン・キングの小説「The Life of Chuck」をマイク・フラナガン監督が映画化したヒューマンミステリー。★スティーヴン・キングの原作映画といえば、『スタンド・バイ・ミー』(86)や『ショーシャンクの空に』(94)でどちらも素晴らしい!!そんな期待からか、祝日(5月5日=こどもの日)だったからか、映画館は、満席だった。改めて、スティーヴン・キングを調べてみたら、「ホラーの帝王」の異名を持ち現代アメリカを代表する作家の1人であるだそうだ。★この映画は、3つの章に分かれている。★小学生のチャックは、ダンスに行く。スーツにチョッキ、蝶ネクタイ・・・。大人か!!((´∀`))ケラケラ小学生のダンスパーティって本当にあるのだろうか?★それぞれの章につながる人が、さっと出てくるのを見つけた。例えば、ローラースケートで滑っている少女は、二つの章に出ていた。葬儀屋の黒人男性も、年取った人が3章に出ていて、おじいさんの葬儀の時、も出ていた。もちろん、おじいさんの葬儀の時には、若かった。★3章で別れた妻に会いに行く高校教師のマーティーは、カフェでお茶しているのを見た。★それで結局「チャック」って何者なの?★チャックが少年時代を過ごす家は、ビクトリアンスタイル。イギリスなどには、沢山残っているが、アメリカでは貴重なのだろう。写真は全て、ニュージーランド北島の泊まったホテルの写真。ビクトリアンスタイルだ。★世界的に、大地震が起こり、洪水が起こり・・・。ついにインターネットが繋がらなくなった。世界の終わりに人は何をするか・・・。ところで、「世界の終わり」といえば「SEKAI NO OWARI」。「SEKAI NO OWARI」の中に、 NO WAR・・・戦争反対という言葉が隠れている。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.09
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■許されざる者(1960年版)■テキサスで牧場を営むザカリー家は、長男ベン(バート・ランカスター)と二人の弟、母親と養女レイチェル(オードリー・ヘプバーン)の5人暮らし。先住民に殺された亡き父の跡を継いだベンは人望厚く、牧場経営も順調だった。だがある日、一家の前に不気味な老人が姿を現す。曰く、レイチェルは赤子の時、カイオワ族から奪われた先住民の娘だというのだ。ベンは人種差別的な隣人たち、そしてカイオワ族からレイチェルを守るために銃を取る。オードリー・ヘプバーンがシリアスな題材に挑んだ野心作。西部開拓時代、白人と先住民との戦いと憎しみの間で、オードリーは悲劇のヒロインを熱演。製作・主演は本作と同年、『エルマー・ガントリー/魅せられた男』でアカデミー賞・主演男優賞を受賞したバート・ランカスター。監督は『アフリカの女王』の巨匠ジョン・ヒューストン。 この作品は、西部開拓時代のネイティブ・アメリカン=インディアンに対する人種差別問題に焦点を当てているが、「白人=善、インディアン=悪」の図式が崩れ始めたのはちょうどこの頃。それまでインディアンを単純な悪役として描いていた西部劇の巨匠ジョン・フォードは、『馬上の二人』(61)でインディアンを同情的に描いた。70年代に入ると、『ソルジャー・ブルー』(70)『小さな巨人』(70)などの歴史修正主義西部劇が作られるようになった。★■午前十時の映画祭16■には、毎年、オードリー・ヘップバーン枠がある。今年は、そのオードリーヘップバーンの映画が「許されざる者(1960)が上映。ヘプバーンが出演した唯一の西部劇。★テキサスの平原という設定なので、サボテンの生えているところでロケをしている。嵐になると砂埃で一寸先も見えない。黄砂ゆうてる場合やあらへんでと思いながら見た。★インデアンとの撃ち合いのシーンが出てくる。ザカリー家は、長男、三男、母親、レイチェルが家の中から応戦。なんと家の壁には、小さな穴が何か所かあって、そこから狙って打つ。お城の狭間(さま)か!!★母親役や「八月の鯨」のリリアン・ギッシュ)。髪型が「ジェイン・エア」っぽい感じだったけど、「許されざる者(1960年版)」の時代は、19世紀末だと思うけど・・・。★ザカリー家の家の屋根は、土で出来ていて、草が覆っている。「大草原の小さな家」シリーズのたしか「プラムクリークのほとりで」では、家が同じような作りになっていた。★多くのインディアンが撃たれて倒れる様子をみていると、熊と人間の関係に似てると思ってしまった。熊と人間は、縄張りで争っているが、熊はどんどん、奥山に追い込まれる。同じようにインディアンも、白人がやってきたことによって、これまでの活動していた地域を奪われる。これまでの土地にインディアンが行こうものなら「インディアンが来た!!」とさわぎ、追い払う。白人=善、インディアン=悪の図式があったが、60年代以降、その図式が崩れはじめる。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.07
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■4月1日(水)3月25日(水)から始まった、奄美・沖縄旅行は、今日でお終い。レンタカーを満タンにして返す。ガソリンを入れるときに、ふと見ると「OKI (オキ)ペイ」というペイがあった!!▲飛行場の中に「まいぱり」という広告が。「宮古の人は、畑に行くことをパリに行くと言います。」石垣島のガイドさんの言葉が今も忘れられない。11:25離陸予定が、延びて、11:45頃に、離陸。13:20関西空港に着く。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ここで書き残したことを少し。■「大谷さん」と私は、旅行中に度々言っていた。もちろん、声には出さずに・・・。「大谷さん」とは、オオタニワタリ 。和名オオタニワタリは漢字で「大谷渡」と書き表わされ、本種が谷間のやや湿った樹林内で樹幹や岩上に着生している姿が、「シダが谷を渡っている」と例えられたものとされている。別名でタニワタリとも称される。▲樹の幹などにも生えている。葉がお猪口型になるのは、落ち葉をここに集めて、自分が成長するための肥料とするための適応と考えられる。ここに溜まった落ち葉はやがて腐葉土になり、葉の間から出る根によって保持され、株の成長とともに株の下部に発達する根塊の一部となる。真ん中の新芽を天ぷらにして食べると聞いたことがあって、食べたいと今も思っている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆▲あちこちでソテツが枯れているのを見た。▼元気なソテツを見ると、ほっとする。ソテツを含めてソテツ類は、中生代から形態的にあまり変わっていないため、「生きている化石」ともよばれる。ソテツは約3億年前の古生代に登場し、恐竜がいた中生代では一般的な低木 (下層植生) として豊富に存在していた。奄美大島では、珍しい食材として地域おこしに活用するため、2019年現在ソテツのデンプンを用いたうどん、天ぷら、餅、煎餅が製造されている。 ソテツは南西諸島における民謡や、短歌、俳句に取り上げられ、 また、島尾敏雄の『ソテツ島の慈父』、新崎恭太郎の『蘇鉄の村』、笹沢左保の『赦免花は散った』、南條範夫の『鹿児島の蘇鉄』などソテツを扱った小説もある。「蘇鉄」は、夏の季語である。●6373歩2026年3月25日~4月1日、8日間の旅が無事に終わった。今回、奄美大島と沖縄本島の2か所でレンタカーを借りた。こんなのはじめてだ。奄美:3/25ー3/28:223㎞沖縄:3/28-4/1: 368㎞今回のドライブ・レンタ・カーの総距離は591Km。3/25■奄美:奄美パーク/田中一村■3/26-1■奄美:マングローブの森をカヌーで行く■3/26-2■奄美:作家・島尾敏夫と島の戦地跡巡り■3/27-1■奄美博物館/西郷南洲流滴跡■3/27-2■笠利崎灯台/カトリック大笠利教会/あやまる岬■3/28-1■奄美→沖縄/世界遺産・玉陵(たまうどぅん)■3/28-2■沖縄:那覇まちまーい:金城町石畳■3/29-1■沖縄:残波(ざんぱ)岬/琉球村でエイサー■3/29-2■恩納村博物館/万座毛■3/30-1■世界遺産:今帰仁城(ぐすく)■3/30-2■沖縄:古宇利島/辺戸岬■3/31-1■沖縄:名護の町をガイドさんと「まちまーい」■ ■名護の大兼久(ウフガニク)節と琉球競馬 ■3/31-2■うるま市:雨の海中道路/果報(かふー)バンタ■4/1■沖縄→大阪/大谷さん&ソテツ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.06
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■3月31日(火)-2名護市のまちまーいの後、沖縄本島の東側にある与勝半島(勝連半島)と近隣の離島を繋ぐ「海中道路」に向かった。(あずき色の〇)海中道路とは言うものの、実際は約4.7キロメートルに渡り海の上にかけられた道路橋。しかし、あいにくの雨。しかも豪雨。▲雨水を貯めるため屋根の上に置いてあるタンク▼沖縄県は雨が多いにもかかわらず、地理的条件や水資源の蓄えの難しさにより水不足になりやすい。沖縄本島は山地が少なく、河川が短く急勾配であるため、降った雨はすぐに海へ流れ出てしまう。また、多くの地域で琉球石灰岩が分布しており、水を通しやすいため地下に水が溜まりにくく、生活用水として利用できる水の蓄えが少ない構造になっている。▲名護市のあちこちに水タンクがある。今はダムが水出来たから減ったそうだ。▼以前のツアーで沖縄に来た時、このことをガイドさんに聞いていたから、ついタンクの写真を撮ってしまう。さらに、森林面積が限定的で雨水を長時間保持する能力も低いことが、水不足の一因。 沖縄ではダムが11か所整備されていますが、水道用に使える水はダム全体の貯水量の一部に限られます。そんなことを知っているからか、雨もまぁ仕方がないとあきらめがつく。この後、勝連城(グスク)跡を見に行くことにしていたが、あきらめた。*********************海の駅あやはし館で雨をしのぐことにした。「海の駅あやはし館」は海中道路の中央にあり、360度オーシャンビューが広がるロケーションと、琉球王朝時代から伝わるマーラン船という木造船の形をした建物が特徴的。▲食事をして時間をつぶす。▼▲海の駅あやはし館の2階には海の文化資料館があり、沖縄県内で唯一木造船と船大工の造船技術の資料を展示している。▼*********************雨がやんだので、果報(かふー)バンタに向けて車で移動。果報バンタ(カフウバンタ) は、沖縄本島の中部、うるま市の離島・宮城島にある岬です。離島ではありますが、橋で繋がっているため沖縄本島から車で行くことが可能です。果報バンタは沖縄の方言で「幸せ岬」という意味。果報は寝て待てなどに使う果報。カフウ=「幸せ」、バンタ=「崖や岬」を意味します。沖縄では、おいうえおが あいういうになるため、「ホ」が「フ」になる。百合の花が咲いていた。自生しているのかな?近くにソテツがあって、元気だった。奄美のソテツは全部弱っていたから元気なソテツを見ると嬉しい。▼この日は、那覇に泊まった。●8652歩3/25■奄美:奄美パーク/田中一村■3/26-1■奄美:マングローブの森をカヌーで行く■3/26-2■奄美:作家・島尾敏夫と島の戦地跡巡り■3/27-1■奄美博物館/西郷南洲流滴跡■3/27-2■笠利崎灯台/カトリック大笠利教会/あやまる岬■3/28-1■奄美→沖縄/世界遺産・玉陵(たまうどぅん)■3/28-2■沖縄:那覇まちまーい:金城町石畳■3/29-1■沖縄:残波(ざんぱ)岬/琉球村でエイサー■3/29-2■恩納村博物館/万座毛■3/30-1■世界遺産:今帰仁城(ぐすく)■3/30-2■沖縄:古宇利島/辺戸岬■3/31-1■沖縄:名護の町をガイドさんと「まちまーい」■■名護の大兼久(ウフガニク)節と琉球競馬 ■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.04
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●東(ひむがし)の野に炎(かぎろい)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 万葉集巻1 48番歌 柿本人麻呂●菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●東(ひむがし)の野に炎(かぎろい)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 柿本人麻呂情景歌としてみても、非常にスケールが大きく、広大な宇宙を詠み込んだ雄大な歌です。情景歌としてもすぐれているという、この歌の独立性が1300年以上の時を経て、多くの人々に愛されている要因の一つであるといえます。「東の空は曙の太陽の光が差してくるのが見え、振り返って西を見ると、月が西の空に沈んでいこうとしている。」太陽と月が同時にある空を詠んだ、スケールの大きな歌。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村この句は、江戸時代の画家でもあり俳人でもある与謝蕪村によって詠まれた句。安永3年(1774年)、蕪村が、現在の神戸市灘区にある六甲山地の摩耶山(まやさん)を訪れたときの句。十八世紀後半ののどかな田園風景が一望のもとに見渡せるような気分にさせてくれ、スケールの大きい句。蕪村の句は人麻呂の「東の野にかぎろひの」の歌を連想させる。この句は、有名だが、付け合いがある。 山もと遠く 鷺(さぎ)かすみ行(ゆく) 三浦 樗良(ちょら)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆俳句や短歌、漢詩なども、アンサーソング的なものってあるんじゃね?!と思い集めたものを乗せてみた。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆1■いくたびも雪の深さを■2■冬来たりなば/雪イトド深シ■3■山のあなた/幾山河■4■江南の春/沙魚釣るや■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.02
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今年はうま年ですからと馬にまつわる話を書いている。3月31日、沖縄県名護市をガイドさんの案内で廻った。■「まちまーい」■その時、町の中にあった碑が上の写真。名護の大兼久(ウフガニク) 馬走らちいしやうしや 舟走らちいしやうしや 我浦泊意味:名護の大兼久は 馬を走らせて面白い場所であり 舟遊びをして楽しいのは我が名護の浦泊である。■沖縄の歌:大兼久節(うふがにくぶし)■ 「大兼久節(うふがにくぶし)」は名護市街の景観を賛美して詠まれた歌曲。現在の名護市庁舎を中心とする町一帯は当時、大兼久村(うふがにくむら)と呼ばれていた。”兼久”の語源は”砂地”を意味し、名護湾から寄せてくる砂が堆積して村周辺に形成されたことに由来しています。名護湾の砂を利用して大兼久馬場(うふがにくばば)と呼ばれる琉球競馬場を開設。 琉球王国時代から戦前まで、沖縄では「馬走り(ンマハラシー/ンマハラセー)」と呼ばれる競馬がありました。名護の大兼久も競馬が行われた馬場の一つと言われています競馬を楽しむ人々の様子、目下に広がる港を行き交う船の様子が綴られています。*********************************琉球競馬(りゅうきゅうけいば)とは沖縄の古式競馬である。琉球競馬とは、全力疾走で速さを競い着順で勝負を決める現代の競馬とは異なり、速さだけではなく、その脚の運びのリズムや馬の姿勢の美しさ(優雅さ)という“美技”を競うものである。太平洋戦争中に伝統が途絶えたが、2013年に70年ぶりに競技が復活した。うま年ですから■謹賀新年:うま年・相場格言■■初午(はつうま)■■左馬■■馬を含む漢字■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2026.05.01
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