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この太平洋の孤島になぜ、この巨像制作の巨石文化が起こったのか?少しづつ、謎が解けてきました。モアイ像の製作は、部族の先祖信仰から生まれたという説が有力。同時に支配部族の権力誇示の意味もあったもよう。また、もろい火山岩を切り出せる山が島の北側にあったこと。これは、7つの部族の酋長のモアイ像。モアイ像の大半は、この岩山の石壁から切り出された。石の塊を削るのではなくて、石の壁から切り出すという大変な労苦。当時、鉄器はなく、硬い石で叩いて石を砕く途方もない作業。切り出された像は、てこや縄で起こしては下に石を敷き、一旦立てられて仕上げた後、寝かしてコロで搬送。その後、この山裾を下って、遠くのアモイ像のように並べられた。遠いところは、10km以上先まで、木材のころと人力で移送。これが、遠くに見えた、アモイ像。発見当時、ほとんどのモアイ像は、反乱部族によって倒壊。これを立てたのは、四国のクレーンメーカー「タダノ」ガイドの話によれば、10億ほどかかった費用の半分はなにやかやとチリ政府が献上させ,吸い取ったとか。それでもやりとげた「タダノ」さんは、本当に立派。余談だが、世界有数の収益を挙げながら、全く社会に還元しないことで世界中に名をはせているのが、日本のトヨタ。外人記者クラブの記者会見で、社会還元を問われ、自動車博物館(入場料千円!)とトヨタの社長が答えたので、外人記者達はあきれて「トヨタの馬鹿三兄弟」と皮肉っていた。この島には多くの部族がいたが、支配階級の耳を長くした部族が「耳短族」に、この過酷なモアイ像製作を強いていた。16世紀から17世紀にかけて耳短族が、遂に反乱を起こし、長い部族間紛争が勃発、最後に耳短族が勝利を収めた。これは、切り出されて打ち捨てられたモアイ像群。土の下に完成された胴体がうずもれている。ともあれ、この島で最も屈託なく印象的だったのは「雲」でした。四周遮るもののない広大無辺な空間で変幻自在。実に気持ちよさそうに変化していました。デザイン・アート部門のプログランキング。
2008/07/03
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モアイ像の謎は、やや語りつくされているので、次回に。今回は、世界にひとつしかない、「モアイ像の嘆き」編を。 「新1年生 両手を揃えて」「気をつけえーーー!」校長先生のつぶやき 「今年の一年生は、なんか、さわやかさがないのう。妙に、ひねた格好しおって。 親がなっとらん。」「あーあ、恋人同志っていいなあ。」「ずーっと、右座が空いてるって言うのに。」「先生! 先生でも、人に恋したことあるんですか?」「愛しあうって、どういうことなんですか?」 「・・・・・・・・・・・・。 知るか!」夫婦喧嘩のふたり。 日暮れになっても・・、こじれたまま。「今夜の晩飯、作ってくれそうにないなあ」「ふん!」「あ-あ、俺の人生って・・・、何だったんだろう?」デザイン・アート部門のプログランキング。
2008/07/02
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南米での発電所建設の仕事を無事終えて、13日間の南米紀行。初日は、チリから空路4時間。西へ3,700km、イースター島に到着。全周60kmほどの小さな島。 海中火山が噴火してできた島。大きな船もない時代に、どうやって人々はここに来たんだろう?と思うくらい、四周、果てまで海ばかりの絶海の孤島である。伝説では「ホトゥ・マトゥア」という首長が2艘のカヌーで渡来したとか。最も近い人の住む島から1200kmも離れている。人は日中歩き続けると、佐賀から福岡までの距離。私も歩いたけど、一日せいぜい70km前後。カヌーならもう少し早く1日120kmは行くだろうから、1200kmなら、10日間。次々に島伝いに渡っていったのだろうけど、しかし、当時は、海図もコンパスもない時代。島を見つけられねば、漂流して死が待っていたはずなのに、すでに4世紀頃、ポリネシア諸島の人々が渡来したもよう。古代人間の不思議な能力には脱帽するしかない。波が打ち寄せる岩壁のそばに、まず第1群の巨像。大昔、ここには、ふたつの部族が住んでいたそう。耳の長い背の高い支配者階級は、弱い部族を酷使して、権力を誇示するために、大小合わせると100体近くこの巨像を、島を監視するように作らせたとか。さて、どうやって、この巨像を立てたのか?推論では、ふたつの丸太を、てこで順次引き起しその下に土を埋め込んでいく大変な作業。そんな過酷な使役を課したため、酷使に耐えかねた耳短部族は、耳長部族に逆襲して激しい部族間抗争が勃発、遂に勝利した。ともあれ、不思議な感動を覚える巨像群でした。今日の一枚 「海辺のオブジェ」デザイン・アート部門のプログランキング。
2008/07/01
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