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「海へ行こうか?」「行こう。行こう!」江戸悪人(エドワルド)、その女友達のイレーヌ。それにパブの若旦那ロドリゴ。飲み仲間は決断が早い。まずは、名にし負う高級リゾートビーチへ。ゲートで人物チェックがあるが東洋人も無事通過。高級ビーチにてここは、高級別荘が立ち並ぶプライベートビーチ。ここを皮切りに4つのビーチを皆ではしごしました。1.「高級プライベートビーチ」2.「美味しいレストランビーチ」3.「風光明媚な断崖絶壁ビーチ」4.「皆で正月をすごす予定の別荘ビーチ」高級ビーチ この背後の海をまっすぐ泳げば日本へたどりつく。「かえろうかなあ。かえりたいなあ。」と思った。登山とテニスで鍛えた身体で体力は十分。ただまっすぐ泳ぐだけと、事は簡単なのだが、問題は、途中にコンビニがないこと。好物の明太子にぎりが買えそうにない。泳いで帰ろうかな チリの海は、パタゴニアからの寒流で冷たい。東洋人は脚をつけるだけで飛び上がる。したがって、空に凧をあげてのんびり日向ぼっこ。「糸を無限に伸ばしていったら、どこまで凧はあがるのか?」これは、誰も研究したことのない永遠の課題だと思った。ノーベル賞はもらえそうにないが、やってみる価値はある!私の壮大な仮設は、下記である。「途中で空気が希薄になり、それ以上は上がらず、80日間世界一周の気球のように、地球を1周して、幾重にも巻きついていく」というもの。しかし・・こういうことを浜辺で考える人間は、要するに暇なんだ。凧揚げ 水彩画 「夏の海」海 デザイン・アート部門のプログランキング。気に入ったらクリックしてください。
2008/11/30
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「南へ行ったことあるかい?」「泊まるんだったら、プエルトバラスがいいよ」そんなチリの友人の勧めに従って、その湖畔の町に二泊した。チリの富士 湖畔に立ち並ぶ多くの別荘。チリは平均給与が、日本の1/4以下。しかし、こういう別荘が1千万代で買える。湖畔この宝石のような町の丘陵地帯を、一日かけて、トレッキングしました。ローストチキン半身とビールを買ってこの丘の野辺でお昼、美味しかった。美しい町明治維新の頃、数千人のドイツ人が移住して発展した。日本の南米移民は、ずさんな外務省のために多くは辛酸をなめたが、ここは大成功だったよう。受け入れを行ったドイツ人がしっかりしていた。ドイツの移住者たち移住した人々は、ドイツ風の風雅な建物を建て町中を花木で満たし化粧を施した。花の塔 途中で、馬が草を食べるのをやめて私を見つめた。日ごろ見かけない東洋人が珍しかったのだろう。何かもの言いたげな表情をしてじっと動かない。「おまえ、英語話せるかい?」「・・・・・・・・・・・・」やはりスペイン語圏の馬は英語は理解できないようだった。うまが合いそうだったのに残念。スペイン語圏の馬 丘の上から石段を降りていくと、青いうろこ板でおおわれた、メルフェンチックな家を発見。今度来たら、この家に泊まろう!と思って近づいてよくよく見たら、なんと昨夜、泊まった民宿でした。1泊朝食付で2800円。うろこ状の小さな板を重ねた外壁は、湿気が室内に及ばぬような知恵だとか。鱗壁の青い家 一日、町の後ろの丘をぐるりとトレッキングして、描いた一枚 水彩画 「プエルトバラスの町」プエルトバラスの町デザイン・アート部門のプログランキング。気に入ったらクリックしてください。
2008/11/27
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大きな湖畔の町、独逸風のプエルトヴァラス周辺には大小、無数の湖沼が広がっていた。オソルノ火山に行く途中で、その湖沼のひとつを小舟で探勝できると聞いて、参加した。。まず茂った緑陰の中を舟は進んでいく。湖沼めぐり まずは湖上の麗人をふたり。ツアーで一緒になった、チリ美人。チリ美人 あまり見かけない容貌だなと思ったら、遠いロシアからやってきた娘さんでした。ロシア美人 湖水をわたる初夏の心地よい風を受けて、舟は、更に湖水の奥へ奥へと進んで行った。湖沼めぐりにて やがてアンデスの雪山を背景に広い湖沼へでた。湖畔を滑る今日の一枚 水彩画 「湖沼の陰影」 デザイン・アート部門のプログランキング。気に入ったらクリックしてください。
2008/11/22
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チリの美しい富士山「バルカン オソルノ」。楽しみながら撮った写真を紹介します。富士山のカメラマンというのは、超美人モデルを専属にしているようなもの。どんなに下手に撮っても、それなりの作品になる。まずは 「恋人たち」恋人たち 「風薫る 湖上に憩う 帆影かな」湖畔の富士 湖では、こういう姿が駆け抜けていった。「はつなつの 風をはらんで 帆が駆ける」湖を駆ける 湖畔の町、プエルトバラスの憩いの場。「夏湖畔 去りがたくして 暮るるまで」ゆうもやにけむると、山肌は淡いクリーム色に変わっていった。このほのかなあかるさが、チリは長くて9時くらいまで続く。ものみな溶けゆきて、とても大好きなひととき。たそがれの富士一日、この丘の上に登って、湖畔を眺めながらスケッチブック片手にトレッキングしました。後日、また絵を紹介します。今日の一枚 水彩画 「湖畔の別荘地」デザイン・アート部門のプログランキング。気に入ったらクリックしてください。
2008/11/20
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チリは左を海、右をアンデス山脈の、縦4500kmの細長い国。パタゴニアに近いチリの南部地方には、広大な湖沼が多い。季節によっては、アンデスの山々でスキーをしたその日に、湖で泳ぐこともできるような、自然に恵まれた国であるが、俳句を作る人にとっては、季語が四季と一致しない困った国。この湖の向こうは、アルゼンチン。ペトロウエのみずうみ 雪山を背景に、静かな湖でウインドサーフィン。ほんとに滑るように走って、心地よさそうでした。みずうみを駆けるこれは、オソルノ火山の中腹から、チリ最大の湖を眺める人々。ディジカメの20倍ズームも、こういう時には効果を発揮。人のシルエットって、意外と、性別、年齢、人柄までわかりそう。湖の人々湖巡りのトレッキングの最後の湖では、すでに夕暮れ。よりそう恋人同士の影が、斜光にまばゆく輝く頃。「みずうみ」とかけて「あなたの胸のなか」と解く。そのこころは・・・・・・、「心を解き放つことができる空間」湖沼の恋人たち今日の一枚 「太陽の恵み」風景写真を撮りながら、思いました。すべては太陽が恵んでくれた贈り物。自然の恵み デザイン・アート部門のプログランキング。気に入ったらクリックしてください。
2008/11/16
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パタゴニアと言う名の地域は、人を寄せ付けない自然のままの最南端から、北のチロエ島まで1500km以上の広大な領域。今回、旅したチロエ島も、いまだにダーウインがビーグル号で航海した頃と、変わってない自然が残っているとか。朝霧 観光協会の所蔵品の中から撮らせてもらった、そんな美しい風景。長い間、ほとんど未開の雨の多い樹林におおわれた島。スペイン人は黄金を求めて侵入し、オランダの海賊は、反抗した現地人の成人男子を惨殺し、若い男女を拉致した。しかし、明治維新の頃、やってきたドイツ人は、違っていた。たそがれのチロエ島 「寒さに弱い」スペイン系のチリ政府の依頼で、「寒さに強い」ドイツ人が4000人、この地方に入植した。彼らは樹林を開拓しただけでなく、69ものの教会を作って、現地の人々と交流、教化し美しい町を作っていった。開拓された島チロエの岸辺 交易する船を侵入する外敵から守ったアンクドの要塞。写っているのは典型的なチリ美人カロリーナ嬢。日本と違って太っていても全くかまわない。チリ美人の必須条件は、胸とお尻が大きいこと。ツアーを一緒にまわりましたが、チリの自然のようにのびやかで、おおらかなお嬢さんでした。チロエの要塞 このチロエ島は、描きたくなるような風景がたくさんあって、レンタカーを借りて、島の岸辺を一周したくなりました。でも、この島は、南米第二の大きな島なので、描きながら旅したら、数日かかりそうな素敵な島でした。 川べりの町 今日の一枚 「チロエ島の岸辺」チロエ島 デザイン・アート部門のプログランキング。気に入ったらクリックしてください。
2008/11/16
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パタゴニア紀行 第1弾南米チリと日本までは、途中、隔てるもののない大海原したがって、海の向こうに、時折、蜃気楼が現れくっきりと富士の霊峰が見事にその美しい姿を現す。まさしく世界で唯一無比の日本人の心のふるさと。と、前回書いたら、たくさんの方が信じられましたが、まことに、すみませんでした。実は、これは、前回のヴィラリカ山とは別のチリの富士。パタゴニアに近い、チリ国立公園の雄峰、オソルノ火山です。湖畔の富士 「南に行ったことあるかい?」チリ人のよく言う言葉。チリの北は乾燥地帯だが、南は緑濃い美しい風景が開ける。10月末の3連休、その南の中心、プエルトモン市へ。ここからパタゴニア南端行きの2泊3日の巡航船がでている。この周辺は、チリでも最も緑豊かで美しいところとか。南米一と言われる湖、オソルノ火山は、その湖畔にあった。湖畔の宝石のような町プエルトバラスに2泊し、3日間の周辺のトレッキングを楽しんだ。オソルノ火山チリには、富士に似た単独峰の美しい火山が3山ある。オソルノは、昭和新山らしき裾野の突起まで、よく似ていた。チリ富士 さて、今日のトレッキングは、湖畔を巡って、オソルノ山の直下までやってきました。遠景は、湖畔のもうひとつの雪嶺。湖畔をめぐって オソルノ火山は、標高2652m。春スキーのメッカ。しかし、一見なだらかにみえるその登頂は厳しく、山頂直下は45度の急登ののち、ほぼ垂直の登攀、ザイルで降下中に、時折深いクレバスに落下して救助不能となって死を迎える若者がいるとか。頂上直下 湖沼をつなぐ河川が溶岩でせき止められてできたぺトロウエの滝ペトロウエの滝 山あり湖沼あり滝ありの、変幻豊かなチリの自然。このチリと言う国は、南米では異色の存在の感あり。恵まれた自然のゆえか、人々は心優しく秩序ただしく、、南米特有の血気盛んさやテロとか暴動とは無縁の国。滝の彼方に今日の一枚 「ヴァルカン オソルノ VOLCAN OSORNO 」チリ富士オソルノ デザイン・アート部門のプログランキング。気に入ったらクリックしてください。
2008/11/13
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いつも、楽しい旅を書いているのに、今回は、すみません。どうしても、この機会に言っておきたかったことがあるので。題して「拝啓 民主党委員長殿」航空自衛隊の田母神俊雄・前幕僚長が日本の侵略や植民地支配を正当化する論文を発表した件で追及して欲しいことがあります。私が危惧するのは、彼が防衛大学校の出身だったことです。「防衛大学校」とはさまざまな観点から奇妙な大学です。まず文部省の所管でなく防衛庁という軍の所管である事。SANY4030これから、この大学の不思議な特権を述べてみます。軍人を志望する人間だけに、なぜこのような特権を税金でまかなわねばならないのか誰も疑問に思わないのが不思議です。1. 大学の授業料はすべて只。税金で肩代わりしてます。2. 宿舎も税金で無償貸与。3. 学生には、なんと、こづかいまで税金で支給。4. 大学の建設費、運営費、教授たちの給与もすべて税金。5. もっともおかしいのが採用試験どんな企業であれ、役所であれ、こういう仕事があるから人を何人採用するというのが本来です。ところが防衛大学生だけは、防衛庁に就職を希望すれば全員採用。景気が良ければ民間へ、悪ければ国がすべて巨額の税金を使って雇用してくれます。人格や成績のチェックも密室で行われ、あってなきがごとし。毎年300人以上、10年間で3000人もの軍人官僚を雇用。生涯賃金3億円を税金で支給しています。借金国で人員削減が叫ばれているというのに、防衛庁だけは、必要要員の査定もなく卒業生全員を無条件で採用しています。6. 莫大な税金負担1人の生涯費用3億円としても9000億円(ちなみに田母神俊雄・前幕僚長の退職金だけでも6000万円)、それに大学の運営費を入れると実に1兆円以上もの費用を国民は負担してきたことになります。しかも8000億円近い防衛予算の特命発注は、これらの防衛官僚の天下り時の持参金となっているのは、最近の防衛汚職で周知のとおり。1人の天下りの持参金が、相場では3億円と言うのも公知の事実である。もっとも危惧するのは閉鎖された密室の大学の中で当然ながら国粋学的な教授が多いと噂される教授陣が、どういう歴史教育や偏向教育を行っているのか、莫大な税金を負担させられている国民には全く知らされていないこと。今回の田母神俊雄前幕僚長の論文の背景に防衛大学の密室閉鎖教育がないか徹底して調査すべきです。防衛大学の教科書、教育の実態を明るみに出すことです。歴史教育ほか全ての授業は一般人がいつでも傍聴できるようにすべきです。いままで密室で何が行われていたかは、防衛大学を中退したものしか話さないでしょう。swan0 第二次世界大戦では、満州事変、支那事変と、今回の田母神俊雄のような傲慢で人の意見を聞かぬ軍部の暴走によって戦線が拡大し、結果として1000万近の国民が、各地の戦線や東京空襲や原爆で悲惨な最期をとげました。偏った軍人は、一人でも危険であり、排除すべきです。一般大学でバランスのとれた教育を受け国家試験と面接で人格をチェックされた者のうち、ほんの少数の軍人官僚がいればそれで十分でしょう。彼らは、実際に武器をもって戦うのではないのです。この日本の防衛を立案するのに、なぜ3000人もの軍人官僚が必要なのでしょう。個人的な意見としては、1. 防衛大学校を即刻廃止してください。2. 防衛大学校出身の軍人官僚の思想調査を行い。誓約書を提出させ、 国民の方針に反するものは、軍の中枢から外してください。3. 異常に多すぎる軍人官僚は配置転換と依頼退職で削減してください。4. この莫大な税金負担をゼロにして年金に回してください。民主党委員長殿、 国会審議でどこまで追及されるか見守っている次第です。彼が侵略を正当化した中国で、日本の軍人がどれだけひどいことをしていたか、調べればたくさんでてきますが、ほんの、ほんとうにほんの一部を写真で紹介します。心優しい方はこれ以上見ない方が良いと思います。日本の侵略を正当化する田母神俊雄に見せたい写真です。ほんとうに悲惨です。自分が殺されて埋められる穴を掘っている大陸の人々 後ろは日本の軍人達累々と横たわる大陸の人々の屍軍刀で切った首を誇らしげに持つ日本の軍幹部多数の捕虜に人体実験を行い証拠隠滅のために破壊された日本軍の731部隊収容所。人体実験を行った石井中将、及び帝大の多数の医者達は、細菌兵器の研究成果をアメリカに提供することで、全員東京裁判を免れた。犠牲者の中には、オランダの若い夫婦と幼い娘もいたと言う。731部隊は多くの満州人捕虜に、ありとあらゆる人体実験を行った。厳寒の満洲の屋外に水に足を漬けて立たせ凍傷で何日で死に至るか、激痛の患者を治療せずに観察し、生きたまま、脚を切断し標本を切除。細菌爆弾の開発では屋外の野に多数の捕虜を柱に縛って爆弾を投下、どれだけの濃度のペスト菌を散布したら最も効果的か何日苦しんで死んでいくかを実験した。「新鮮」な標本を得るために、麻酔もかけず生きたまま解剖したと言う。詳しくは文庫本「悪魔の飽食」に述べられているが、検索すると多数の事例が見つかる。読むのが恐ろしいほど。まさに悪魔の所業であった。SANY0169 posted by (C)俊介大陸で悲惨な目に実際にあった人の証言例 ★ 撫順炭鉱虐殺事件 ★ 撫順炭鉱では、日本人が中国人労働者を使役して石炭を採取していた。1932年9月15日、抗日義勇軍がこの撫順炭鉱事務所を攻撃、これに対して日本軍は、隣の平頂山村の住民が抗日軍に通じているとしてある計画を実行に移した。 当時この村には400世帯3000人余りが住んでいた。大部分は貧しい炭鉱労働者とその家族だった。トラックで乗りつけた日本兵は、村を包囲し住民をガケ下に集めた。そして、機関銃で一斉に射殺。まだ息のある人を銃剣で刺し殺した。 数日後、ガソリンで遺体を焼き、ダイナマイトでガケを爆破し埋めた。3000名の内生存者はわずか30人たらずであった。 【生存者の回想(当時8歳)】「父も母も祖父母も…みんな死んでしまいました。ガケ下には大勢の人が集められて、みんな不安気に肩を寄せあいました。日本兵が「匪族からお前たちを守るんだ」と大声で演説しました。 そのあとすぐ鉄砲の音が2発なると、機関銃の音がひびいたんです。すぐに妹に弾があたり血が噴きだしました。祖父にもあたり倒れました。泣き声や叫び声、機関銃の音が一緒になって、ものすごい状態でした。父が私に麦わら帽子をかぶせてくれたのを覚えています。 やがて銃の音がやみ、叫び声もしなくなり静かになりました。麦わら帽子のかげから様子を見ると、日本兵たちが倒れた人たちの上にのぼり銃剣で突きまわっているんです。だんだん私の方へも近づいてきました。私は息を殺して死んだようにしていました。すると日本兵の革靴が私の首すじに触れたんです。あの時のヒヤッとした感じは今も忘れません。どのくらい時間がたったのか、私は父に「お父さん!早く逃げよう!」と言いましたが、父は返事をしません。首のところを見ると血が噴き出ているんです。妹も顔中血だらけにして母に抱かれていました。私が「お母さん!お母さん!」と何度呼んでも返事をしてくれません。祖父母も返事をしてくれませんでした。」これが田母神俊雄が正当化した侵略と植民地支配の実態です。こういう人物が日本の軍の中枢にいること自体、恐ろしいことです。現防衛官僚の思想調査及び彼を教育した防衛大学を徹底して追及してください。参考情報)航空自衛隊トップの田母神俊雄・航空幕僚長はホテル・マンション経営のアパグループ(耐震偽装で問題になった会社)の懸賞論文に応募し、賞金300万円の最優秀賞を受賞。「日本は侵略国家であったのか」と題した論文で、満州侵略と植民地化を正当化した。この事件は、田母神俊雄の個人的な暴走ではない。アパグループが「真の近現代史観」のテーマで懸賞論文の募集した際、航空幕僚監部教育課は、全国の部隊に応募要領を通知し、94人もの自衛官がそれに応募。日本の軍本部が、すでに国民の意識とかけはなれたところで暴走を始めている。自衛隊そのものの存在の危険性を、問題視すべき時期にきている。この背景は、奥が深い。「満洲国は私の作品」と自慢したのは、当時の商工大臣岸信介。満州侵略と植民地化の目的は、満州国のエネルギー資源だった。彼も日本の左翼化の防止に役立ついうアメリカの判断で戦争責任を免れた。本来、巣鴨拘置所から出てきた彼を、悲惨な目にあった日本人遺族が戦争責任で逮捕し、彼を裁判にかけるべきだった。何故なら、彼が満州侵略を立案し、軍部が満州の抗日軍の壊滅には南京攻略が必要と戦線を拡大させた結果、国民は戦争に巻き込まれ悲惨な結果を迎えたのだから。それどころか首相にまで選んだので、戦争犯罪を犯した、戦前の官僚たちが、みな中枢に返り咲き、いまだに国民に国旗掲揚、国への忠誠を教科書支給を餌に復活しようと暗躍しているのが現状である。
2008/11/08
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イースター島は、大陸から4800km離れている。四周を海に囲まれた孤立した島ゆえに自然に風化されるべきところを人間の歴史によっても翻弄されてきた。島はかっては熱帯雨林の密林で豊かに果実の実る島だった。モアイ戦争 この小さな平坦な島には池も川もない。飲料水の多くは、椰子の実などの果汁。それらが、人々の喉をうるおしていた。しかしモアイ像の搬送に大量の木を切り倒した為に表土が流出、豊穣な土壌が消失し養える人口が減少。それも人口減少の一因とか。この快適な丘陵も、人間が荒廃させた馬しか育たぬ草原かもしれない。おかげで、馬にとっては、この上なく住みやすい別天地となっていた。海辺の草原 トレッキングする楽しみは、いろんなものに出会うこと。まず丘陵には、昔、人が住んでいた基礎の跡が無数にあった。そして、大きな陥没。ペルー人による奴隷狩りからのがれて、800mもの深い洞窟を掘って住んでいた人々の名残りだった。この写真はピンボケ。映っているのは、この島で知り合った日本人。人使いの荒い会社を退社して、世界一周36万円の切符を買って、3か月ほど世界中を旅しているという、さわやかな若者でした。長い洞窟 アキビのモアイ像を見ての帰り、戻るのは味気ない、海沿いの道なき道をたどると言う案が正解だった。バスツアーを断ってなかったら、出会えなかった、絶壁沿いの道は、荒々しくかつ爽快だった。断崖トレッキング 日本の海岸線は、コンクリート工事で天下りしようとする、愚かで節操のない官僚によって、白砂青浪の砂浜のすでに60%が無用なテトラポットなどで醜く破壊されているが、ここは、太古よりそのままの景観である。絶え間ない波涛 今日の1枚 「残照の海」残照の海 デザイン・アート部門のプログランキング。ブログが気にったら、クリックしてください。
2008/11/04
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I am now near Patagonia staying at pretty Hotel near a lake where I can see Osoro volcano which well resemble Mount Fuji. I drunk too much wine by exchanging merry conversation with German guy and Chillean lady last night. Around here many German and English people entered and developped native land, then landscape and houses have the same impression as those in Europe. Today I will go nearer the volcano and draw paintings . Later I will show many beautifull photos of lakes ,mountains and people.See you later again.
2008/11/01
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