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「白銀のレーサー」(1969) DOWNHILL RACER監督 マイケル・リッチー製作 リチャード・グレグソン原作 オークレイ・ホール脚本 ジェームズ・ソルター撮影 ブライアン・プロビン音楽 ケニヨン・ホプキンス出演 ロバート・レッドフォード、ジーン・ハックマン カミラ・スパーヴ、カール・ミカエル・フォーグラー ダブニー・コールマン 本編102分 総天然色 ビスタサイズ アメリカのアルペン競技ナショナルチームがヨーロッパを転戦中、滑降の選手がレースで負傷。代わりの選手としてデビッド・チャペレット(ロバート・レッドフォード)が呼び寄せられます。有望視される選手のようだけれども自信過剰で態度がでかい。 スタート順が遅いとコースが荒れているからと不満を言ってレースを棄権したり、初戦で好成績を出すとマスコミのインタビューで「次は優勝を狙う」と大言壮語をする。失敗すればコースや他人のせいにし、成績が良ければ自分の実力だと。その自己中心な言動にコーチやチームメイトの反感をかうのですが、着実に成績を上げ、人間的にも挫折や失恋を経験し、友情を知り、成長してゆき、大舞台の冬季オリンピックで驚異的な記録をマークします。 原題は「DOWNHILL RACER」で、「滑降レーサー」。 実際の選手は滑降だけでなく回転にも出場するようですが、この映画は滑降のみを描いています。 スキー競技を題材にした映画は珍しいですね。トニー・ザイラーさんの「黒い稲妻」(58)や「白銀は招くよ!」(59)くらいか?、日本では加山雄三さんの「アルプスの若大将」(66)が思い出されますが、これらはスポーツを描くより恋愛や友情などが中心の青春映画で、スキー競技が中心とはいえないものでした。「白銀のレーサー」の日本公開は1970年1月。金沢では北国第一劇場で、同時上映は「ジェフ」(1969年フランス映画。アラン・ドロンとミレーユ・ダルク主演)。「ジェフ」はいまだにDVD化されない幻の作品で、この「白銀のレーサー」も同様に、これまで見ることができませんでした(VHSビデオとレーザーディスクはあったかも)。今回、ようやく低価格DVDとなって発売され、約45年ぶりの鑑賞です。 ロバート・レッドフォードさんが日本で大人気スターとなったのは「明日に向って撃て!」(1970年2月。パリー菊水で上映)だから、その一ヶ月くらい前の本作が映画ファンのあいだで話題にならなかったのは、その主人公の「感じの悪さ」のせいだろうか。さわやかなサンダンス・キッドに比べると、この作品の滑降レーサーは、最後には成長するとはいえ、鼻持ちならない男です。 主人公を若大将のような好男子にしなかったのは、アメリカン・ニューシネマ全盛の時代だったからなのか。社会に反抗的な人物がうけた、ありきたりの映画を作りたくない、そんな時代でした。 劇映画らしくない、ドキュメンタリー映画のようなタッチで撮られたアルペン競技の滑降。スタートを待つ選手の緊張感や、滑降シーンは迫力のあるものになっています。 110キロ、120キロものスピードで滑降する危険な競技で、転倒シーンが何度も出てきます。 転倒した選手にはずれたスキーが直撃するシーンがあるのは、撮影での事故をそのまま使ったようです。 この映画を見ていて「栄光のル・マン」(71)を連想しました。レースの迫力を、観客やレースの舞台裏の人々を描写したドキュメンタリー的に描いているのが共通しています。
2015年05月13日
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たとえば石森章太郎さんのマンガ「サイボーグ009」。 この主人公たち00ナンバー・サイボーグですが、001はロシア人、002はアメリカ人、003はフランス人、005はインディアン系アメリカ人、006は中国人、007はイギリス人、008はアフリカ人です。 001の名前はイワンだし、002はジェット、003はフランソワーズ・アルヌール(同名のフランス人女優がいる)。 006は陳さんだし、007はグレート・ブリテンで、いかにも英国人風に描かれている。彼らはその国々を特徴的にとらえた風貌で描かれていますね。 こういうマンガを見て、主人公たちがいかにもステレオタイプ(紋切り型)に描かれていると批判する人がいます。同様の批判は手塚先生の諸作品にもあって、わざわざ巻末でことわりがきを入れているほど。 こういう批判をする人は、それではどのように描けばいいと思っているのでしょうか? 人物を描くときに、その国籍や人種を表そうとすれば紋切り型にせざるをえないのではないか。でないとすべての人物の特徴がなくなって、だれがどこの国の人か表現できなくなってしまいます。一目見て、アメリカ人、中国人、インディアン、英国人、フランス人、イタリア人、日本人、アフリカの人びと、だとわかるように、それらの特徴を強調せざるをえないのではないか。 同じことは映画にもあてはまりますね。 日本を舞台にしたアメリカ映画は古くからあって、1940年代、50年代にも早川雪州さんが出ているのがいくつもある。ジョン・ウェインがタウンゼント・ハリスを演じて唐人お吉と恋を語る「黒船」(58)なんてのもあるし。 1973年にはロバート・ミッチャム主演で「ザ・ヤクザ」、高倉健さんや岸恵子さんが出ている。1989年の「ブラックレイン」はこれも高倉健さんです。 先日、「ミスター・ベースボール」(1992)という映画を見ました。 アメリカのニューヨーク・ヤンキースの選手(トム・セレック)が日本の中日ドラゴンズに移籍してきて、その日米の文化の違い、野球に対する考え方の違いにとまどいます。 この映画はなかなか面白く、中日ドラゴンズのファンは大喜びしそうです。 ドラゴンズの監督を高倉健さんが演じて、どこか星野監督を連想するキャラクターです。 YouTubeにあるサンプル映像です。こちら。 (このような野球映画をなぜ日本で作れないのか?) この映画を見て、やはり、日本人がステレオタイプに描かれていると不平をいう人たちがいます。これはどうなんでしょう?、このような人たちは何を求めているのか? アメリカ人から見た日本人のイメージ。古くはフジヤマ、ゲイシャガール、サムライ、ハラキリ。 どうしても紋切り型になってしまうのは仕方のないことで、逆に日本で外国を舞台にした作品を作ったとすれば、やはりある程度のその国に対するステレオタイプになるのではないだろうか。 アメリカ人は日本人を誤解していると不平を言うならば、それでは日本人はアメリカやヨーロッパ、アジアの国をどれだけ正確に知っているのか、ということです。 マンガの「ベルサイユのばら」など、フランス人が見てどう感じるのでしょう?抱腹絶倒ものかも。「ミスター・ベースボール」の大リーガー選手を演じるトム・セレックさんが好演していて、内山監督(星野監督みたいな高倉健さん)の娘(高梨亜矢さん)と恋をする。 アメリカやヨーロッパの男たちは、日本の女性は男性に献身的につくすものと思っているようです。 こういう誤解を不快に思うよりも、むしろ欧米の男たちは、いかに恐妻家が多いか、奥さんに頭が上がらないか、奥さんを恐れているかを愉快に思って面白がるべきなのでは(これもステレオタイプ?)。
2012年01月17日
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