おじん0523のヒロ散歩

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2023.05.14
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カテゴリ: ヒロ散歩
常盤木橋から常盤木門、本丸跡へ。

3月30日(木) 12:40
常盤木橋前の常盤木坂。


常盤木橋までの坂道は「常盤木坂」。


右側の正面入口から、小田原城正規登城ルートを進み天守閣へ。 


常盤木橋手前から本丸東堀を見下ろす。
菖蒲園になっており6月には「あじさい・菖蒲まつり」が開催される。


本丸東堀と常盤木橋
江戸時代の小田原城本丸の周囲は、堀に囲まれていました。本丸の東側を画する堀を本丸東堀
と呼んでいます。

たと想定されています。現在は、堀の形を平面表示しています。文久図にはこの場所に本丸と
二の丸をつなぐ木製の橋が描かれており、「常盤木橋」と名付けられていたことが分かります。
これから先の本丸に出入りするには、この常盤木橋を渡り常盤木門から入るルートと、北側に
位置する相生橋を渡り、鉄門から入るルートがあり、この常盤木門から入るルートが正面入口
になります。
常盤木橋は、関東大震災で土台の石垣ごと崩れて失われており、現在の橋は、2m以上低い位置
に再現されたものです。
常盤木橋は、明治3年に撮影された写真が残されており、当時の様子を知ることができます。


常盤木門への階段。
土塀の後方には「本丸の巨マツ」が聳える。


常盤木橋の北側には本丸東堀があり「あじさい・菖蒲まつり」の会場になる。



常盤木坂、中央には市指定天然記念物のイヌマキが聳える。


常盤木橋を渡ると「常盤木門」と刻まれた石碑。


石碑の台座には、
大正十二年九月一日の関東大地震に小田原城址の石垣殆んど崩潰の厄を被った際、本丸正門の
常盤木門の塁郭もまた崩れた。その後久しく復旧の機を得なかったが、ここに昭和三十五年二月

五百万圓にて工事を完成した。
石〇旧観に復したのを記念して由来を石に刻して伝う。
   昭和三十八年三月三十一日
     小田原市長 鈴木十郎


史跡 小田原城跡 小田原城 常盤木門 
本丸には、常盤木門と鉄門というふたつの門があり、本丸にあった徳川将軍家の御殿を守って
いました。そのうち、この常盤木門が小田原城の本丸正門です。
門の名前である「常盤木」とは常緑樹のことを指し、戦国時代から本丸に存在した七本の松(通
称七本松、現在は1本「巨松」のみが残る)に由来しています。命名には、常に緑色の葉をたた
える松のように、小田原城と小田原が永遠不滅に繫栄しますようにとの願いが込められていると
言われています。江戸時代初期からありましたが、元禄16年(1703)の地震で倒壊・炎上し、宝
永3年(1706)に渡櫓門に南多聞櫓・北多聞櫓が付随する枡形門形式で再建されました(「文久図」
右図)。
明治3年(1870)、小田原城の廃城とともに解体されましたが、昭和46年(1971)に小田原市制30
周年事業の一環として渡櫓門と南多聞櫓を再建しました。
江戸時代には、櫓や櫓門の内部は倉庫や武具保管庫として用いられていました。現在、常盤木門
の渡櫓は「常盤木門SAMURAI館」となり、往時のように武具・甲冑を展示しています。また、
日本で唯一の甲冑に投影したプロジェクションマッピングを上映しています。


常盤木門の渡櫓。
昭和46年(1971)に小田原市制30周年事業の一環として渡櫓門と南多聞櫓が再建された。

常盤木門 (ときわぎもん)
常盤木門は、江戸時代の本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られて
いました。古絵図などの記録から、江戸時代初期には設けられていたことが分かっています。
元禄16年(1703)の元禄地震で崩壊した後、宝永3年(1706)に、多聞櫓と渡櫓から構成される
桝形門形式で再建されましたが、明治3年(1870)の小田原城廃城の際に解体撤去されました。
常盤木とは常緑樹のことで、松の木が常に緑色をたたえて何十年も成長することになぞらえ、
小田原城が永久不変に繁栄することを願って常盤木門と名付けられたといわれています。江戸
時代には、常盤木門に隣接して、戦国時代からの「本丸の七本松」があり、現在もそのうちの
一本が本丸の「巨松」として残っています。現在の常盤木門は、市制30周年事業として昭和46
年(1971)に再建しました。


常盤木門前から右下に常盤木橋を見下ろす。


つつじ、サクラが満開に。


同場所から、二の丸跡、銅門渡櫓門を見下ろす。


常盤木門をくぐり本丸跡へ。


常盤木門渡櫓を振り返る。


本丸跡のサクラも満開になっていた。


本丸跡から本丸東堀方向を見下ろす。


満開のサクラをズームアップ、手前にはダイコンの花。


史跡 小田原城跡 本丸跡
小田原城の本丸は、東西83間(約150m)、南北63間(114m)ほどの規模があり、その西側に天守
台、中央には本丸御殿がありました。本丸の周囲には石垣と土塀がめぐらされ、東と北の2箇所
に門が設けられていました。東側の門は、本丸正門にあたる常盤木門、北側は裏門で鉄門(くろ
がねもん)と呼ばれていました。
本丸御殿は、他のお城では藩主居館として用いられます。しかし、小田原城では徳川将軍家の
宿所としての役割を持っており、寛永10年(1632)の寛永小田原大地震で倒壊したため、翌年に
上洛する三代将軍徳川家光の宿所として再建されました。
その後、将軍家の上洛が途絶えた後も維持されていましたが、元禄16年(1703)の地震により
倒壊・焼失してからは、再建されることはありませんでした。
現在、本丸の東南には「巨松」と呼ばれる天然記念物のマツの巨木があります。
元禄年間(1688~1704)の小田原城の姿を描いた「寛永年間小田原城廓総図 (通称「宮内庁図」
)」には、「七本松」と呼ばれた松の姿が描かれていますが、巨松は「七本松」最後の一本で、
樹齢は400年を越えています。


本丸跡に老木のサクラ。


その幹に「 桜の標準木 」と書かれた名札がぶら下がっていた。
この桜 (ソメイヨシノ) は、小田原城址公園内の開花を観測するために指定した「標準木」です。


標準木の周りにはロープが張られ立入禁止に。


本丸跡には多くの観光客がサクラ鑑賞に訪れていた。


見上げると満開のソメイヨシノ。


外国人観光客も多く訪れていた。
本丸跡の中央にベンチがあったがシートで覆われ使用禁止になっていた。


サクラ越しに天守閣。


左側の天守への登城口は列となっていた。


満開のソメイヨシノをズームアップ。


まだ多くの方はマスクを装着しての観光。


天守閣の最上階をズームアップ。


相模湾が一望できる標高約60mの天守閣である。館内では、小田原城の歴史資料の展示施設と
して公開され、甲冑や刀剣、古文書、絵図を展示している。


小田原城は日本100名城である。


本丸跡の南東部に置かれている記念写真撮影用の台。
台の上に立って撮影するのか日付も「2023年3月30日」と。


南多聞櫓と巨松。
巨松は「七本松」最後の一本で、樹齢は400年を越えている。

かながわの名木100選
小田原城跡本丸の巨マツ
天保年間の相中雑志」に「御本丸と七本松という老松・・・」。
松の生き残りと思われる城跡内最大の巨木である。
小田原市の天然記念物に指定されている。
  樹高  30メートル    胸高周囲  5.3メートル
  樹齢  約400年(推定)


本丸跡の南側斜面を見下ろす。


本丸跡には多くの露天商が出店していた。


テント前には長い列。
湘南ゴールドエール   700円   神奈川 希少柑橘
さくらエール      700円
エビス生ビール     7百円


じねんじょ棒   500円
   カリふわ食感の贅沢な味わい
   神奈川大山産のじねんじょを四創白身〇を六創   意味が?
小田原港 とろサバ棒  五〇〇円


じねんじょ棒、小田原港 とろサバ棒 各500円を炙っている。


おでんも500円と。


小田原ゴロゴロ  みかん氷  500円  ワンコインが主流に!


小田原城案内図
正面入口からここ天守までの登城ルートが記されている。


13:05
天守閣登城への長い列。


登城の待ち時間を考えると今回は断念、次回とする。


史跡 小田原城跡 小田原城天守閣
小田原城天守は、外観三重内部四階の天守櫓に、入口にあたる付櫓、さらに両者をつなぐ続櫓
で構成されています。
江戸時代の城絵図によると、初代天守は、慶長年間(1596~1615)に描かれた望楼型天守(加藤
図)、二代目天守は、寛永10年(1633)の寛永地震後に復興された層塔型天守(正保図)、三代目
天守は、元禄16年(1703)の元禄地震後の宝永3年(1706)に復興された層塔型天守(文久図)と
考えられます。この三代目宝永天守は、その後、江戸時代を通じて存続しましたが、明治3年
(1870)に解体されました。
現在の天守閣は、昭和25年(1950)から3年かけて天守台石垣の復興工事が行われ、その後、観
覧車が設置されるなどしましたが、昭和35年(1960)に小田原市民らの力により、鉄筋コンク
リートで復興されました。
そして、平成28年(2016)に「平成の大改修」として、耐震補強と大規模な展示リニューアルが
行われました。
左の絵図は上から、
  初代 望楼型天守(加藤図)、二代目 層塔型天守(正保図)、三代目 層塔型天守(文久図)。
写真は中央から、
  明治3年 解体中の天守、明治26年 天守台に建立された大久保神社
  昭和30年頃 天守台の観覧車、昭和35年 天守閣復興工事



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.05.14 03:00:07
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