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いろいろなお出かけが続き、自分自身が飽和状態になりました。楽しかったな・・・で済まないところが私にはあり、家に帰ってもあれこれ思い返しては、じゃあこの場合はどうなるんだろう?今度はこんな風でもいいかなとあれこれ思索にふけります。でも取りあえず、こころ を少しリセットしたい。それにはやはり刺繍。そう思い立ったので、刺し子の花ふきんを一気に完成させることにしました。::::::::::::::::::::::これは桜が咲くまでには仕上げようと少しずつ刺し進めていたものです。ここプラハでの桜の開花は、4月下旬から5月上旬といったところ。同時にリンゴやプラム、洋ナシの花が咲き乱れるその時までには、まだ間があります。だから気が向いた時にのんびりと、時々思い出してはまたやってと・・・そういう予定でいたはずが、いざ針を手にしてみると・・・ああ今やるべきだったんだととても納得しました。::::::::::::::::::::::日本では丁度桜の季節。各学校では卒業式と入学式。今年度ピアノ・レクチャーコンサートで出会った幼稚園、小学校、中学校のみんなは元気かな。そういう思いが こころ に自然と湧きあがり、自分が今手にしている布地。そこに桜のつぼみが膨らみ、花開いていく様子が、貴重な瞬間であるように感じられ・・・1針1針にお祝いのメッセージを重ねている私は、自由そのものにならせてもらっていました。:::::::::::::::::::::::針を持っていると、これはいつも不思議なのですが、いつしかとても穏やかな気持ちになれます。こころ が静かになっていき・・・これは大切なことですね。そういう心理状態のときは、自分本来の こころ の声。それが聴き取りやすくなっていますし、誰かにメッセージを送りやすくもなっています。素直に自然に・・・::::::::::::::::::::::::さて、私にいろいろなことを教えてくれた人たち・・・何人ものお顔が思い出されます。が、中でも特に貴重なメッセージを熱心に提示してくれた人たち・・・彼らはとても静かな部分をいつも完全にこころ に保持していたと思います。そして、決して押し付けたりせずに辛抱強く私を導いてくれました。間違いがあってもすぐに否定するようなことはなく、私自身で気がつけるように、それとなく仕向けてくれたりして・・・だからこちらがそのことに気がついた時は、お互いに笑い出してしまう。などということが度々あり、どうしたらあんな風になれるのか不思議なものでした。緻密で綿密な配慮・・・それは、私に向けられた1針1針だったのかも知れません。
2009年03月30日
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うちの近所からちょっとだけ、先っぽが見える教会・・・あの教会は、何て言う名前なのだろう。ここに7年暮す中、1度でもそう考えたことがあったでしょうか?:::::::::::::::::::先週、鐘を鳴らす体験をさせてもらいコステル スヴァテーホ ノルベルタ聖ノルベルト教会 と言うのだということが、ようやくわかりました。:::::::::::::::::::アルダシュイーン と フェリックスという 2つの鐘がかかっているあの教会・・・あそこには、紳士のイルジィーさんと奥さんがいて、今日も明日も鐘と共に暮らしている・・・:::::::::::::::::::そう思うと、これまで日常的に、ただ目に映っていた遠くの風景が、何か特別なことのように意識され・・・これから坂道を下る度、イルジィーさんご夫妻と鐘たちに、ありがとうを送ろうと思います。聖ノルベルタ教会からの360度パノラマ動画は こちら でどうぞ。私の暮す一角も映っています。
2009年03月24日
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鐘を鳴らす体験をさせてもらった教会についてもう少し詳しく知りたい・・・そう思ってインターネットで調べていると、紳士のイルジィーさんからメールをいただきました。:::::::::::::::::::::::教会は1891年に建てられたとのこと。先日 この教会はそんなに古くなくてね とおっしゃっていたのが思い出されます。教会が建てられた当初はまず、2つの鐘がかけられたそうです。その鐘は、第1次世界大戦の際、押収され・・・押収されというのは、武器製造等に必要な金属として持っていかれ、溶かされてしまったことを意味しています。戦争終了後に新しく2つの鐘がかけられたもののこれも第2次大戦時に押収され・・・現在の鐘の1つ アルダシュイーン は、2001年にかけられたとのことでした。そして2006年にもう1つの鐘 フェリックス がかけられようやく教会建立当時の状態になったようです。:::::::::::::::::::::::アルダシュイーン は、プラハの東南東およそ30Kmの アルダシュイーン村 で作られ、ずっとその村にあったとのこと。鐘の名前 アルダシュイーン は、故郷の村の名前に由来しているんですね。アルダシュイーン という場所・・・地図で探すと、そこは細い国道が通っている程度でした。それ故この鐘は、押収されずに済んだのかも知れないですね。若しくは、そこの人々によって、かくまわれていたのかも知れないですね。:::::::::::::::::::::::さて、これまでに4つの鐘が失われていて、それらは存在しない・・・そのことを思うと、時を告げ、人々に祝福を与えるべく作られた鐘たちが、押収され、溶かされ・・・そして人の命を奪い合う道具に作り替えられるという運命を負わされたことに深い溜息が出ます。他にも多くの教会で鐘が失われたことでしょう。チェコのみならずヨーロッパ全土で。人の命 物の命 人のこころ 物のこころそれらが尊重されることを深く祈ります。 アルダシュイーン 325Kg 1611年製 イルジィーさん撮影 フェリックス 475Kg 2006年製 イルジィーさん撮影
2009年03月19日
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ヨーロッパの街角を渡る鐘の音・・・みなさまにはどのように響きますか?観光名所などには、名物になっている鐘もありますね。お人形が出てきたりと楽しい仕掛けもあったりして・・・今日は、元気はつらつとしたおばあちゃまお2人に誘われて教会の鐘を鳴らしに行きました。その教会は、うちのそばからも見える場所にあります。徒歩だと30分くらいでしょうか。さて、教会に到着すると、管理人であり鐘のエキスパートの方が出迎えてくれました。管理人さんというよりは 昔の紳士 という感じの方・・・案内されるままに鐘楼の狭くて急な階段を上ると鐘の真下の踊り場に辿りつきます。鐘を見上げるここから紐を牽いて鐘を鳴らすのですが、少しコツがいりました。音が鳴った瞬間に紐を素早く下に牽くこと、そして紐はなるべく下の方を持つこと などです。この日は12時から20分間、大小2つの鐘を鳴らし続けることになっていて作業は何人かで交替しながら・・・最後の鐘の音が空気に溶け込み聞こえなくなると、拍手が起こりました。後で聞いて分かったことですが、私が鳴らした鐘は、475キロの重さがあったのです。左右にリズミカルに揺れている鐘がそんなに重かったなんて!びっくりでした。もちろん鳴らすのには、それなりの力が要ります。でも、鳴らすのが 重労働 という訳ではなく・・・しかしながら、5分位鳴らし続けていると、やはり少し汗ばんできましたね。そして鐘の真下ですから大音響・・・さて、無事全てが終了して少しほっとしていると、紳士は私に、鐘の鳴らし方がとてもよいと言ってくれました。そして 今度別の教会にも鐘を鳴らしに行こうと誘ってくれたのです! 作業を終えて・・・ 髪が乱れていますね夕方、いつかまた鐘を鳴らしになどと考えていると、紳士からお電話があり、今日の写真をメールに添付して送って下さるとのことでした。やってきたメールには、鐘についてのより詳細なデータも記されていて・・・よく見ると2つの鐘には、それぞれ名前があったのです。アルダシュイーン と フェリックス という名前が!アルダシュイーンのほうは、とても古いもの・・・今までに何人の人が、この鐘を鳴らしたのでしょう?そして、何人の人が、この鐘の音を聞いたのでしょう? アルダシュイーン 1611年製 325Kg フェリックス 2006年製 475Kgこの日記には始め 修道院 と書きましたが、正確な資料を調べると 教会 と記載すべきことが判明しました。お詫び申し上げ訂正させていただきます。
2009年03月16日
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霧の中を歩いていると、過去に遡っていくような気持ちになります。自分の中で忘れかけていたもの、霞んでいたもの・・・それらが蘇ってくるような感覚を覚えるものです。故に いつもより遠くまで行ってみたい と思うのかも知れません。::::::::::::::::::::::::::::さて、霧の中で人生を遡ってみると、不思議だと思うことにいくつか辿りつきます。プラハで暮らしていることもその1つです。ピアノを弾いていることもまたそうで、それぞれに様々なきっかけや理由がある・・・::::::::::::::::::::::::::::なぜそうなったのか?霧の日は、それをいつもより深く感じ、知ることのできる日かも知れません。霧の中を過去に向かって歩いていくと、神秘のベールに包まれている部分について少し理解が進みますから。::::::::::::::::::::::::::::きっと霧のカーテンの向こう側には、他にももっと何かがある筈なのですが、それを明らかにするには・・・これからも未来に向かって歩き続けることが大切。未来の私になった時に知ればよいことは、まだまだ沢山あるかも知れないですね。
2009年03月10日
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プラハでたまに行くチェコ料理のレストラン・・・天井には、農機具が飾ってあります。時々天井を見上げながらいただく食事は、昔の農家にいるような気分にさせてくれます。 小さめの荷車 荷車や鋤、馬に牽かせる大型のものも そしてケーキの型などもあったりして:::::::::::::::::::::::::::::::::::::: こうした道具類を霧がかかった冬の麦畑に置いたらさぞ絵になるだろうなと思います。 このような想像をしていると、農作業を一から勉強してみたいなどと考えることがあるのですが・・・きっと厳しいでしょうね。そして 生きる ということを徹底的に学べるでしょうね。どんな食べ物も、私たちが生きていく上で絶対不可欠なものは、自然からしか生まれないという事実。それをもっと深く体感してみたいです。生きることや命について、その根源に触れられたら・・・ と思います。つづく
2009年03月04日
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