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「ロマンチストだから神を信じた」そんなふうに思っていた。パスカル流に言えば「ロマンチストは神を信じない」
2008年05月31日
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「絵とは何とむなしいものか。もとのものは少しも感嘆されぬのに、ただそれに似せてあるというだけで人の感嘆をよび起こすとは」 (パスカル)何という理性だろう。「モーツアルトは神の証人です」なんて、詩人や小説家の様には言わないだろう。パスカルも、下記の言葉を綴った人も同じフランス人。
2008年05月30日
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出先で、また書籍の整理をやっていたので、また一冊の本を頂いてきた。モーリヤック『残された言葉』文庫本の『イエスの生涯』を読んだことがあってこの作家の名前を知っていた。フランスのカトリック作家のようだ。「この世の希望のすべては、わたしの内部にあります。 わたしには、信仰があるからです。」「今やわたしは、・・・・すこしも年をとったような気がしません。 自分の魂を信じること、それは永遠に若いということではないでしょうか。」「モーツアルトは神の証人です・・・・」こんな珠玉の言葉がカバーに印刷されてあった。
2008年05月29日
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昨日が前夜式(通夜)、今日が葬式さわやかで、すがすがしいご葬儀でした。齢満97歳という長寿もさることながら逝った人の確かで強靱な信仰の心が葬儀をも確かなものとしました。お祈り下さってどうもありがとうございました。今日の式辞の一節です。私たち信徒は天国に行くことになっても、この地上に残して行く人々のことで、幾らかの心残りがあると思います。しかしだれにでも、神様を信じる機会はこれからもあります。最後は、自分のことは自分で責任を持つようにと、これが神様がお造りになった人間への、神様からのきまりです。ですから、たとえ心配なことがあっても、あとのことは、安らかな心で、神様のみ手にお任せすることが一番いいこと。私たちの一番の思いは、後ろではなくて前に。自分が一番愛しているお方の所に行くことの素晴らしさに顔を向けて進むことが、主イエスの尊い御救いにあずかった私たちの歩みです。慕わしいのは天の御国なのです。
2008年05月28日
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ご遺体は教会に運びたいとの遺族の意向で準備の確認のため妻に連絡をしようと、電話をしたがつながらない。帰ってみると、「大変だったのよ」と小部屋でご遺体を置く場所を準備していると天井の方から、大音響が始まった。てっきり天井裏を這う電気コードが漏電したと思った、と。火事になったら大変と、あわててブレーカーを落としていたのだと。耳をつんざく異様な音がしていたらしい。それで電話が通じなかったのだな。それはね、信徒さんの天への凱旋なんだよ。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」使徒2:2「わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。」黙示録14:2あの人のことだ。このたぐいなんだよ。
2008年05月27日
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お祈りをありがとうございました。今朝は激しい雨の中を東京に向かいました。駅まで15分歩くのですが、駅に着くと靴の中までびしょぬれです。でも無事に行く先の教会に着きました。礼拝の御用と、午後の講演を心をこめていたしました。礼拝は席が埋まり、200人近くの人が来ておられたでしょう。帰りは雨も上がり、薄日も射してきました。6時過ぎに帰り食事を取り、それから夕拝です。一人の信徒さんが来て下さり、うれしかったです。夕拝を終え早く寝ようと入浴をしました。頭髪を乾かそうとしていると、電話が入りました。入院中の信徒さんの様態が急変したと。病院に行きました。着くと、10分前に天に召されておられました。それから額に手を当てて御言葉を読み、お祈りしました。
2008年05月25日
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昨晩は、ボクがこっちの部屋で妻があっちの部屋でそれぞれのメッセージの準備をしていた。夜も遅くなり、妻の方に行くと「できた!」
2008年05月24日
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ヒゼキヤは南ユダ王国の王。「名君」と呼ばれています。「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。」 第2列王記18章5節ヒゼキヤは大病にかかって、死の宣告を預言者イザヤから受けたことがあります。ヒゼキヤは大泣きします。泣き暮れる王を憐れんで、神様はあと15年の齢を恵まれます。大病が奇跡的に治ったことを伝え聞いた隣国バビロンの首長が、見舞いに訪れます。バビロンは敵であるはずなのに、病癒えて有頂天になったためか、ヒゼキヤは国の財宝の全てを見せびらかしてしまいます。それはヒゼキヤが犯した致命的なミスで、神様は預言者を通してヒゼキヤを糾弾し、そこでバビロニア捕囚を告げます。名君も、こんなふうに軽率にミスを犯す姿が暴露される。ボクはこんな聖書の箇所に限りない慰めを受けます。信仰深いヒゼキヤの姿にこそあやかりたいのに、ミスを犯している姿だけは、まるでボクと同じです。
2008年05月23日
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先日のことですが、当地で「日本国際ギデオン協会」の東海北陸地区大会が行われました。ホテルを会場に100名のギデオン・マンとその奥様たちが集結壮観でした。「国際ギデオン協会」というのは、ホテルや学校などに聖書を無償配布する団体です。「ギデオンマン」と呼ばれる信徒さんたちは、活きが良いです。地元の牧師たちが招待され、食事を共にいたしました。一人の若い牧師が証しに立ちましたが、良いお話しをして下さり同労者としてうれしかったです。ギデオン協会の国際標語「自分の務めを十分に果たしなさい」テモテ2_4章6節はい!
2008年05月22日
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東京・ウェスレアン・ホーリネス浅草橋教会で「ウェスレアン・ホーリネス講演会」が開催されます。5月25日(日)午後2時題「恵みの手段」~クリスチャンの生活スタイル~ウェスレアンとは何かをできるだけ分かり易くお話ししたいと願い今、準備をしています。「ウェスレアンって何だぁ? 食べ物なのぉ?」お知りになりたい方のお役に立つと良いのですが。会場教会のURLは下記です。http://www.wh-ac.com/
2008年05月21日
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パウロは「わたしたちはこの土の器の中に宝を持っている」と言う。ボクたちが神様の恵みを入れる器で、器の美醜よりも、その中に入っている神様の恵みに目を留めるように言われていると思う。人はとかく器のほうに目を奪われる。外側の美しさなどは確かにボクの心を奪う。おおこの薄っぺらな心をどうしよう。はるかな中学生時代毎月のようにあった模擬テストでこりごりしていたのに、今に至るまで神様はボクをテストなさる。おぅ、そのくらいのテストは何でもない。ボクも父よりも無頼な人生を送るはずだった。その先には「情死」するくらいのオチが待っていただろう。やがて「無頼川」の流れにはまる運命だった落ち葉は、神様の風が吹いて、教会の窓からその中に、ひらひらと舞い降りた。そしてボクは今日ある。そのテストは、いつもボクに問い続けるテストなのだ。「無頼川」に身を投げることと、神様の恵みの世界に生きる、そのどちらを選ぶか、あなたに向けられた憐れみのテストなんだよ。
2008年05月20日
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入院中の信徒さんを見舞います。午後は妻が。夜がボクがお訪ねしました。ベッドでの孤独な時間を少なくしたいから、別々に伺うことにしました。声を発そうとお口を動かしますが、もう音声にはなりません。ボクは耳元で賛美を歌いました。つぶらで安らかな眼をこちらにじっと向けられます。歌を休むと「もっと歌ってください」という目で、合図をなさいます。手が動くのは、一緒に歌っているからだと思います。歌っていて、歌の言葉に心打たれます。「信仰の言葉」ってすばらしいと思いました。そこには、病も涙も苦しみもない世界が待っていること。そこで、ボクたちはキリストの花嫁になること。最愛の主とご一緒に、信仰の友や肉親たちに会えること。賛美の合間にはお話ししました。
2008年05月19日
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ヒマワリとかの花々はみんな光の方に顔を向けます。人間だけが闇の方にも顔を向けます。
2008年05月18日
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出先では、たくさんの廃棄本が並べてあった。1冊の本を見つけ、頂いてきた。「ジャム詩集」バイブルサイズの小さな本背には皮が張ってある。元の所有者の署名と日付が記してあった。故人であられる、一つの教団を指導なさったかた。ボクたちの小さな群をも愛して下さったかた。そのかたの座右に、こんな詩集があったのか。帰りの電車の中で、ボクも読んでみた。優しさと穏やかなカトリックへの信仰をそこに発見できた。一つ皆さんにご紹介しましょう。もしあなたの心に興味を与えたら、どうぞ次の詩をお探し下さい。----言っておくれ、聞かせておくれ、僕は治るだろうか 僕のこの心の病から----恋人よ、恋人よ 雪はその白さから治らない。----雨の中の虹のように 涙の中で微笑んでいる恋人よ----言っておくれ、聞かせておくれ、ああ、マモールよ、 僕は死ななければならないのか?----恋しい人よ、なにを言ってるの わたしたちが天国に行くだろうと、ご存じのくせに・・・----ああ、マモールよ、青空の中に行くんだね? 君は神さまに何を言うの?----神さまにわたしは申しましょう 地の上には大きな不幸がありますと。----ああ、愛するマモールよ、言っておくれ 天国はどんなところ?----天国には青い竪琴と 七色の虹の帯とがあるでしょう。----マモールよ、そしてもっと、そしてもっと 天国には何があるの?----恋しい人よ、わたしはあなたのマモールよ 天国には二人の恋があるでしょう。(エレジー7 倉田清 訳、三笠書房)
2008年05月17日
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19インチディスプレイの上の方から黒いものがじわじわと降りて来た。一瞬、ぞくっとする。蜘蛛が這ってきたのだ。白く明るい画面の上をゆっくりと探るように歩いている。蜘蛛も驚いているだろうなぁ。
2008年05月16日
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今日は神学校に出ました。学校に着く前、近くのコーヒーショップに寄って一杯飲みました。学校で二杯。家を出る時にすでに一杯飲んできているのですでに四杯飲んだことになります。家に帰ってからは飲みませんでした。
2008年05月15日
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一度はしっかりと持ち直した信徒さんが新しい症状を示すようになりました。伺って声をかけると目覚めて「あらやまひで先生」とお返事を下さいます。しかしたちまちに雲が懸かり恐らく70年ほども前ご主人と共に苦労した時代の中に身を置かれるのです。しばらく聴いた後言葉を遮って「お祈りしましょう」そして御言葉を読み祈りを始めるとじっと心を合わせられます。これが最後かもしれない。そう思って聖句を捜します。読んだ御言葉はこれです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」1テサロニケ5章16~24 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2008年05月14日
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『ニルスのふしぎな旅』今日からNHK衛星第2で再放送が始まりました。月~木(だったかな?)昼12時35分からです。家畜をいじめる手の付けられないやんちゃな少年がさまざまな冒険を経て、やさしい少年に成長します。スウェーデンの女流作家、ラーゲルレーヴが原作を書いています。以前最終回を見ていて、ニルスが動物たちと別れる場面で最後まで見ていられなくてトイレに入って、流れ落ちる涙を拭いていました。こんどこそ最終回までちゃんと見たいです。
2008年05月13日
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昨日は、ボクがお勤めする教会でも洗礼式が行われました。洗礼式の直後に、受洗者を紹介します。皆さんのお顔を見たら一様に目をうるませていました。肉し身の誕生にまさる喜びがここにあったのです。新聖歌43番「わが君イエスよ罪の身は」(讃美歌199)この賛美がボクたちのペンテコステの歌になったら!
2008年05月12日
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今日はキリスト教会の3大祭の一つ「聖霊降臨祭」キリスト様が天にお帰りになった後キリスト様の分身でもある聖霊が祈っている弟子たちの上にお下りになりました。「五旬節」(ペンテコステ)の節季の出来事だったのでペンテコステとも言われます。キリスト様の教会がここから始まったとされています。相談して教会を始めたのではなく上からの力が着せられてスタートしました。相談よりもお祈りが大切なんだとわかります。「ホワイトサンデー」とも言われるようです。聖霊降臨祭は、洗礼式を行うためにふさわしい日受洗者は白い洗礼着を来て臨みます。神の子としての第2の誕生日に祝福あれ、幸いあれ。
2008年05月11日
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クライスラーばかでかいアメ車のことではない。20世紀前半に活動したウイーンの作曲家(ヴァイオリニスト)「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」など、曲名は知らなくても、だれでも耳にしたことがあると思う。彼は、自分の持ち物を惜しげもなく人に与える人だったらしい。それについて、逸話が残っている。まだ無名のヴァイオリニストだった頃、ある店でヴァイオリンの銘器ストラディバリウスを見つけた。彼は懸命にお金を作ってその店に行くともう収集家が買って行った後だった。彼はその収集家を訪ねて、譲ってくれるように頼んだ。「だめだね、これはボクが買った。 ボクの勝ちさ!」「わかりました。 では帰る前に一度でイイから弾かせてくださいな」彼が弾いたあと、収集家は,ストラディバリウスを下さったのだって。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」マタイによる福音書10章8節
2008年05月10日
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今日の一日がボクの一生だったとしたら。今日も朝を迎えられた。今日ボクは無事に生まれたのだ。朝は幼い時代。聖書を読んだり、お祈りをして、親の世話を頂こう。それからボクなりに今日一日のお仕事に励もう。午前中は若々しく、午後は壮年のように。夜とも成れば老いが待っている。豊かに心温かく家族と交わろう。それからボクは死ぬ。
2008年05月09日
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昨晩から弟宅に逗留しています。1年ぶりほどになります。暖かく自然なもてなしを受けて心も体もリフレッシュ。朝8時きっかりに階下からゴ~ッという機械の音。ここは鉄工所です。仕事場は夫婦と子供たち、幾人かの働きびとが、心を一つにして生産活動。ボクは大切なものを見つけた。
2008年05月08日
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小さな歴史を振り返る記念の礼拝に出ました。メッセージを聞き、証しを聞きました。涙を拭きながら証しを聞く人々歴史の中には喜びもあり苦難もある。喜びの時代に居合わせた人々悲しみの時代に居合わせた人々苦難のために選ばれ耐え忍んだ人々の頭には冠が準備されているかもしれない。
2008年05月07日
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今更ながらボスのあの厳しい後ろ姿を思い出す厳しい後ろ姿を支えたものそれは教会への愛であり責任感だった今に至るまでその信仰を語り続けておられる
2008年05月05日
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ディスクトップPCのキーボードは堅牢だ。キートップの感触がイイ。バネが良く効いていてイイ。説教の原稿書きにイイ。乗ってくると指全体に力が入ってくる。フォルテッシモにさしかかったピアニストのようだ。こわれても安価で交換できるからバンバンと叩きつける。ノートPCでは絶対出来ない。
2008年05月04日
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明日は「昇天主日」です。主が復活の後、40日のあいだ弟子たちとお過ごしになって天に帰られたことを記念します。といってもボクたちの教会では、特別なことはありませんが。第一日曜日は「聖餐式」を致します。パンをキリスト様の肉ぶどう液はキリスト様の血そのように記念して、これを頂き、十字架の主を思います。2000年の隔たりを超えて十字架のみもとに身を寄せる日です。信徒さんたちにパンとぶどう液をおわけする牧師として最高の喜びを味わう瞬間(とき)です。「切に祝福がありますように。 神様の子供たちが健やかでありますように」
2008年05月03日
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はるかな昔文面から愛情がにじみ出ている手紙を頂いたことがある。ボクはこの手紙を宝物にしようと思った。そのかたはここを離れて都会の大きな教会に行くようになった。そこの教会で、お昼の食事を申し込まない人にも食べることを許すかどうかの議論の果てそのかたは教会に通うのをやめたという。やがて、手紙を書いても返事が来なくなった。何度書いても同じだった。その昔ボクたちは愛されていると思った。しかしその愛は、信仰を通してのつながりだった。信仰がなくなると、愛も途切れるものだった。
2008年05月03日
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若い時から信仰を持ち聖書を読みつつ生きたかたが超高齢になり床につきついに聖書を読めなくなった時に憔悴してしまった、そんなお話をして下さった。それはきっとあり得るだろう。でも教会の支えがあれば大丈夫。教会からだれかが来て絶えず枕元でその人が読むように読むことが出来る。
2008年05月02日
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一人の人たとえばウェスレーカルバンルターパスカルなどの先人の信仰をじっくりと学び自分のものを紡いでいく神の御言葉・聖書とその証言であるキリスト様とどうかかわりどう生きるか自分のもの自分の信仰自分のキリスト様自分の・・・彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。ルカ10:26
2008年05月01日
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