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アバ兄が、DVDをお送りくださったので、昨晩は一人で視聴しました。静かで穏やかで不思議な空間余分なものは何一つない。ハンセン病患者の夫婦から生まれた女性が70歳を過ぎた今日までにたどった道が、諄々と朗読される。アバ兄がつけた曲がバックで演奏される。終わるとその女性(修道女)が登壇して挨拶演出というものは何もない。ただありのまま、たったそれだけオリジナルとはこれを言うのだ。大げさなもの、作り物に慣れきっているボクたちには衝撃に近いものだった。そこにカトリック信徒の底力を見た!富士山の伏流水が、だれにも知られないところに小さくわき出ているようなものだ。最後にアバ兄、ありがとうございます。あなたがたの愛の労苦が主に報いられますように!
2016年01月28日
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春夏秋冬今は冬寒さに慣れると動じないむしろ快く思う
2016年01月21日
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きのう快晴の下朝の総武線下総中山駅を過ぎたあたりから真白な富士山を望む東京スカイツリーが脇にあり絵になるなぁ、と上から下まですっぽり雪をかむった富士前日の降雪のためだな夕方の総武線は水色の空が下の方でバーミリオン色に変わっていく朝見た富士は影法師水色もバーミリオンも夜のとばりに隠されていくこんな冬空に見とれたが電車の中の人々は皆さんがスマホに食い入るもったいないぞ
2016年01月20日
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階段の上りはまず大丈夫だが降りるときは注意が必要最近は足がもつれることあり四捨五入すると70歳だからな。階段を降りるときは自分の膝に気持ちを集中する。それから意識的に膝をくいっ くいっと持ち上げながらリズミックに降りる。そうすると迷わない。若い時のように降りられる。今日は駅の階段をついぼんやり、膝を持ち上げず漫然と降りてしまった。足がもつれた。手すりの側だったので両手ですがりついた。りゅっくを背負い両手を開けておいたのが幸い。
2016年01月19日
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午前中は礼拝のため、散歩ができなかったので、昼寝の前に散歩をしたいという妻。ちょうど買い物をしたかったので、至近のスーパーまで歩いて行くことに。15分程度。小物を買い2つの袋に分け、帰ろうとすると妻のエネルギーが消失していた。無理をして歩くことはできない。午後外出を予定していた息子に電話をすると家を出たばかりで、近くにいることがわかった。5分足らずで車を回してくれた。よかった、タクシーを呼ばなければならないところだった。
2016年01月17日
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今日は台湾の総統選挙の日だという。親中国派と独立派との戦い「2つの中国」とは異常な状態とわかるかさりとて中国に還ろうとは思わない。台湾の方が正統中国という考えもあろう。中国は日本国の形成期に深く関わった国。中国から文化を吸収した時代、ボクたちの国にとっては「お兄さん」のような存在だった。しかし日中戦争があり、中国の政変があった。もう「お兄さん」とは呼ばない。ただ早く民主主義が台頭し、自由な国になってほしいと願うだけ。それが実現するなら、中国も台湾も区別がなくなるだろう。
2016年01月16日
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バッハのカンタータ全曲CDを持っているので整理を兼ねて、1枚ずつ聴いている。約60枚あり、全部聴き終わるのは春になりそうだ。バッハのカンタータの多様性は目を見張るばかりだ。当時の牧師たちが目を丸くするのは無理もない。カンタータを通じて、バッハはありとあらゆる実験をしているように思える。脳裏にひらめいたことは、遠慮なく楽譜となって表れる。だれが何と言おうとだ。クラシックの全時代の集約を、バッハは持っている。それ以降の音楽家の作品を聴いていても「それ、バッハにあるよ!」と感じてしまう。ジャズさえ、あるときはバッハから響いてくる。いちばん感動すること!それはバッハのカンタータ、それは礼拝音楽であること。おじいさん、おばあさん、赤ちゃんまで教会に行けばだれでもバッハの音楽と共に神様を礼拝する。バッハと一緒にコラールを歌う。何と豊かな時代だったのか!今だったら、何千円もあるいは万単位のお金さえ払って受難曲やカンタータを聴きに行かなければならない。それが当然だ。神様のことはそっちのけで演奏がいいだの、悪いだの何と貧しい現代であろうか!
2016年01月13日
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昨日は東京新年聖会に出席しました。恵みを求める人で、会場いっぱいでした。きっと信徒の皆さんは、年頭の聖会を楽しみにして、淀橋教会に集まるのです。ボクが修養生の頃は、聖別会は元旦礼拝の後に始まり3ケ日まるまる聖会が持たれていました。最近は「成人の日」の一日聖会になりました。会が進み聖歌隊が登場し、2曲歌いました。隊員のお顔を見ると、みな一様に輝いています。キリストへの信仰の歌を歌う喜びがあふれています。歌声も確信に満ち、はつらつとしています。聖歌隊はいいなぁ。ボクも思わずその裾に走り寄って一緒に歌いたくなりました。3回の集いに出て心から満足して帰りました。
2016年01月12日
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年頭からウェスレー著「キリスト者の完全」を読みました。よかったです。「完全」という言葉が誤解され、論議を呼ぶ。この本は、神学論争文書というカテゴリーに分類される恐れがありますが実際の内容は、霊的書物とか、実践的信仰の勧めに近いのです。ボクはこの書を愛読しています。長い書物ではないので、パソコンに全文を取り込んでいますが自分流にダイジェスト版を作り、evernoteに収めました。こうすればスマホでも読めます。クリスチャンとして聖書の宗教にどう取り組み、どう信じ、どう生きるかウェスレーは書き記しています。そのあまりにも真摯な態度に、畏れの念をさえ覚えます。これほど誠実な生き方をした人を、もう一人知っています。ブレーズ・パスカルです。パスカルは病弱で早死にしましたがウェスレーは長寿であり、実践的伝道者でした。パスカルは科学者からスタートしています。しかし敬虔の部分で、信仰の質が驚くほど似ています。ウェスレーがアングリカンであったことでカトリックのパスカルに近づいているとボクは考えています。ウェスレーは宗教改革の神学を受け入れていますがまた隔たりもあります。そう! 本当はウェスレーは、ルターやカルバンよりも、パスカルの方に近いと、ボクは考えているのです。
2016年01月09日
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妻が公園を歩きたいというので市川植物園に行った。車で20分ほどで到着。動物園の脇を歩いて池の畔へ。ちょっとした山道を歩く雰囲気をわずかな距離だが味わうことできて好きだ。池の畔はいつもならカワセミを狙う望遠レンズが連ねているが昨日は一人だけ。池の向こう側にも一人シーズンオフなのかな。ボクたちのx目当ては奥の「バラ園」バラのシーズンではないがちらほら咲いているのがかえって清楚に見える。池の端にカワセミが居た。皆さんがカメラを構えている場所ではない。「こっちにいますよう」と声をかけたいと思ううちにさぁっと飛び去っていった。
2016年01月06日
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正月は、「マリア」という映画をDVDで観ました。脚色されてはいますが、聖書の記録に沿って作られていると思いました。イエスの父となったヨセフについて丁寧に描かれていて、夫婦愛がすてきです。マリアも地味な娘さんで、それもうれしかった。「いいものがあるよ」妻にも勧めましたら、妻も午後と夜2回に分けて観ました。妻も感心したようで、しばらくは映画の話題が夫婦の会話。それからそのDVDは息子に渡りました。
2016年01月04日
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「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」一休禅師正月に浮かれている人々を尻目に、杖の頭に髑髏を載せて「ご用心、ご用心」と練り歩いたという逸話がある。正月に「おめでとう」という気持ちはわかる気はするが、考えてみると何がおめでたいのか,やっぱりよくわからない。挨拶されれば、「おめでとう」と返すが、こちらから「おめでとう」はいわない。教会にお勤めしていた頃は、元旦礼拝の後は、「年頭にあたり、皆さんへの神様の祝福をお祈りします。」と挨拶していた。年賀状は出さないことにしているが、いただくのはうれしい。代わりに寒中見舞いは出している。
2016年01月01日
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