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待降節第一礼拝の聖餐式教会暦の初めの日の聖餐式っていいな。出席者30名を超えて、この一年どんな祝福が準備されているのだろう。若き伝道師も、自然体でありながら一生懸命ここはボクが洗礼を受けた教会。恩師は当時100名の礼拝出席者を目指していた。やがてその人数に到達する日が来るだろう。神が許したまわば!
2023年12月03日
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ボクの任期はあと2年なので、できるだけ口を開かないようにと思いながら、役員会に出るのだが・・・・思い残すことのないように、今の考えを伝えておこうと口を開いてしまうそれが良いことかどうか、わからない神と人とにゆるしを乞いながら
2023年04月16日
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ボクの小さな群れの総会が行われている会場教会に集まったのは4年ぶりやっぱり顔を合わせるっていいな久々に会う同労者はみな成長して堂々と見える自分だけ小さく見える今夜は最後の夜で聖別会話し手は渾身から語っている熱いものが湧き出てくる司会者は恵みの座を開きボクたちに講壇の前に来て祈るように招いた波のように人々が寄ってきた
2023年03月22日
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歳をとると円熟味が増し、尖った性格も丸みを帯びてくると、幻想を抱いていた。尖った性格は、ますます尖り、細かい性格は、いよいよ細かくなり、自制力の無い意志は、いよいよ効かなくなる。放っておくと。クリスチャンには望みがある。神の御言葉(聖書)を読みながら、神に助けを求めつつ、人にも自分にも、やさしく生きられるようになると。「木には希望がある。」ヨブ記14:7
2023年02月21日
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11年ほど、家庭集会の礼拝をささげてきた。クリスマスには「親族クリスマス会」を持った。近所の方に声をかけると、来てくださったこともあった。それでも、求道者や受洗者は現れなかった。最後に残ったのが、妻と弟とボクの3人。心から湧き上がるものがありこれからはいままでの礼拝に代えて「聖書を読む会」にして続けよう、と。
2023年02月01日
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ハンナ・ホースラル氏が28日に亡くなったと、アンネ財団が発表した。93歳。ハンナはアンネの親友、日記の中でアンネはハンナの身の上を心配し、祈っている。ハンナ(ハンネリ)は解放され、イスラエルに戻り、子どもを育て、生涯を全うした。アンネ、アンネの姉マルゴット、アンネの母は収容所で亡くなった。以下、『アンネの日記・完全版』より1943年12月30日 木曜日そしてまたハンネリは? まだ生きているでしょうか。いまどうしているでしょうか。神様、どうか彼女を護って、ぶじにわたしたちのもとへ連れもどしてあげてください。ハンネリ、わたしはたえずあなたの立場に自分を置いてみます。あなたの立場だったら、どんな運命に出あっていただろうかを考えます。なのに、たびたびここの暮らしをみじめに思ったりするのはなぜなのでしょうか。ハンネリや、彼女とおなじように苦しんでいる同胞の身を思いやるとき以外は、どんなときにも感謝の心を持ち、満足と、幸福とを噛みしめるべきではないでしょうか。私は利己的で、卑怯者です。(中略)これだけ恵まれていても、まだ神様を信ずる心が足りないからでしょう。神様は多くのものをーーわたしがとうてい受ける資格のないものを与えてくださっているのに、わたしは依然として毎日のように、多くの過ちを犯しつづけているのです。 同胞の人たちのことを考えると、ただ泣きたくなります。一日じゅうでも泣いていたいくらいです。いまできることは、神様におすがりして、奇跡を起こしてくださるように、そして不幸な人たちをすこしでも救ってくださるように、そうお願いすることだけ。それだけはいまでも十二分にやっているつもりです。 1944年1月6日 木曜日ハンネリはわたしにとって、わたしの親しいひと全員、ユダヤ人全員の苦難の象徴のように思えます。ですから、彼女のために祈るときは、全ユダヤ人のため、苦しんでいる人たちみんなのために祈っているんです。
2022年10月29日
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94歳になった母を訪ねる。家内も同行。面会室にやってきた母。面会時間は15分以内5分ばかり言葉を交わしてプリントして持参した詩篇23篇を、読んでもらう。「たとえわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。 あなたがわたしと共におられるからです。」ここ第4節に至ると、しばし読むのをやめ「ほんとうねぇ、うれしいわね」と口にする。最近からだに力が入らないという。歳をとるってこういうことね、でも・・・・動けなくなっても生きていたくはない、と言い、ボクたち夫婦を、慈しむように見る。そうだね、元気が残っているうちに、神様の所に行けたらいいね。静かに、天のエデンの園に迎えられる喜びの日その日は、ほんとうに近い。
2022年10月23日
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妻の高校時代からの友人二人が訪ねてこられた。共通の恩師をいただく信仰の友あの頃、若い教会の仲間が何人も神学校を受験したがほとんど残っていないね、いや今日まで信仰の歩みを続けてきているのは私たち3人と、あの人とあの人と・・・数えるほど、と。いつ果てるか知られぬ楽しい会話信仰の仲間ってすごいな妻のお顔のほころぶのを見たのは久しぶり。
2022年10月03日
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隣町に住むブログ友の息子さんが、献身者となったと伺いお交わりしたいなと思っていたがちょうど、近くの信者さんを訪問をした機会に足を伸ばした。とつぜん伺ったのだが、ご家族の皆さんおられて、ラッキー!明るいご家庭だな初々しい献身者とお話しできる喜びにあふれて時を忘れそうだった。見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもないこの地に裁きを置くときまでは。 イザヤ書42章1~4節 (僕=献身者)
2022年08月24日
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昨日の礼拝は、夏期派遣で男子神学生二人が来て、証しと賛美。二人とも世の荒波に翻弄されて、たどり着いた港が神学校。証しをしてくれた後、デュエットで歌う。地味に歌ってくれたのだが、会衆の中に涙する人。前日の土曜日も出動してくれて、子供会を手伝って下さったのだが奉仕者入れて20名が集まり、そのこどもたちが、朝の日曜学校にも集まってくださった。ありがたかったな
2022年08月01日
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昨晩は、うちの群の中堅の牧師たちが中心になり「教団オンライン祈祷会」を企画した。1時間半で、三人の教師が「リレー説教」をつなぎ3つの説教の合間に、グループ別に祈りの時が入るという趣向。初めての試みで勝手をのみ込めず、十分に祈れなかったが同労者のお顔が並んで、楽しかった。年会などで講壇に立つと、構えてよそ行きになるが自宅や自教会での説教は、構えもなく語られて聴く方も平常心に誘われる。こうしてみると、教会はみな小ぶりだが説教者の層の厚さを改めて感じる。何よりの宝物だ。
2022年06月29日
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あと一駅で降りる頃電車の連結器あたりに寄りかかった。側のシートに座っていた男性がボクに気づき、立ち上がってくださった。「この次、降りますから大丈夫です」とできるだけ丁寧にお礼を言った。あぁうれしい女性の方から譲られることは時々あるが男性から譲られたのは初めて。
2022年04月27日
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明日就任予定の伝道師から電話が来た。溌剌とした声~胸がいっぱいになる。ああ待っていたこの時が来た。
2022年03月30日
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小さな群が総会を開いた。主な参加者はほとんどオンラインだったがボクはリアルで参加した。そこに身を置くことが出来た恵み。やはりオンラインではできないことがあり、味わえないことがある。今回は二人の伝道師(補教師)を送り出し二人の牧師(正教師)を送りだした。彼らの新しい出発に立ち会えた喜びは特別の恵みだった!
2022年03月25日
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神学院初授業の日事務の先生どんなに感染が広がっても休まず電車通勤を貫かれる学生たちクリスマス、年末、年始のご奉仕の報告帰省した学生も無事に帰った新年度、入学志願者はまだかな?と問いかけると「うふふ」とお互いに目配せ「えっ? もしかしたら?」「はい、お祈りのうちにある人がいます」
2022年01月13日
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きのうの「ラブソナタ山形」の終わりにアントニオ古賀さんが出ました。ギター弾きながら「月の沙漠」を歌いました。それからなぜ洗礼を受けたのか、手短にお話なさいました。2度の脳梗塞を経て、リハビリ80歳になって人の心に訴えるパフォーマンスステキですね。ボクは脳梗塞で倒れたら、そのまま昇らせてほしいと思っていましたがもしかしたら、それは「老い」からの逃亡かも知れない。古賀さんのように、立ち上がってだれかを励ますことが出来るのならその方が尊い、それが人間であるしるしなんだ。
2021年10月29日
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昨夜と今晩、「ラブソナタ山形」のメインイベントに、オンライン(YouTube)で参加。昨晩は、佐藤彰牧師の迫真の説教を聴く。今晩は、韓国オンヌリ教会のイ・ジェフン牧師の伝道説教。どちらも聞き応えのある説教だった。今晩は7時から9時までの時間設定だったが、すべてが終わったのは9時半だった。もっとコンパクトに出来なかったのか。説教に至るまでの催しものが長すぎた感がある。久々にリアルなキリスト教の集まりが出来たこと、喜ばしいこと。もう感染への恐れは終わりにしたいと思うのだ。
2021年10月28日
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東北大震災10周年の特集番組を幾つか見たが、どれも心に響かなかった。夕方、CGN-TV(キリスト教放送局)の「愛と希望のコンサート」を見た。胸のつっかえが、スッと消えた。ありがとう!
2021年03月11日
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今朝は、「キリスト様が再臨される夢を見た」と妻が話しました。キリスト様の再臨があってこの地上は終わりを迎えます。ゆっくり思い出しながら、妻は再臨の様子を話します。そう、そういうふうにイエス様は来られ私たちはお迎えに走るのかな。
2021年01月29日
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「ルーティン」習慣、決まりごと、集中力を高める所作、などルーティンという言葉は聞いたことがあったが、NHK Eテレを視て改めて確認。良い言葉だな、と思った。ルーティンって仕事効率化の単なる段取りだととらえていた。そうではなく、良い習慣を乱さずこなすことに喜びがあるのだと知った。これからの生活のためにルーティンを確立しなければ。ああ、前向きに!あとどれだけ残されているかわからないけれどそれは兎も角として、ボクのルーティンを・・・・
2021年01月25日
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歳を重ねるということは、死に一歩近づいたこと。死は肉体が朽ちること。始まりがあり終わりもある。しかし「良き死」がある。尊い方が迎えに来られる。ボクたちのために天への道を開いてくださった方その方が天から音もなく下ってこられてあの時、言われたように「あなたは今日わたしと一緒にパラダイスに行こう」天の果樹園光満ちる天のエデンの園へエスコートしてくださる。母よ、あなたはなんと力なく弱られたか。しかし程なくしてお顔を見せてくださるからボクたちのために死んでくださって復活して死に勝たれた方が天から下ってこられて御手を差し伸べてくださるからその希望をふくらませて今日生きる道を静かに歩もうね。
2021年01月04日
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昨夜、友人の一人が神のみもとに召された知らせを受けた。一年ほど前に、余命1ヶ月との宣告を受けていると、弟さんから伺っていた。一ヶ月を乗り越えたので、再び医師に問うと、今度は1年と言われた。その間、お電話でもいつもと変わらないお声を聞いたしネットでの教師会にもお顔を出しておられた。緩和ケア病棟に移られると聞いたので、やはり病状は進行しているのだなと、思っていた。岡田照子牧師は、秩父の時代にお伺いしたことがある。かなり広い会堂にお一人で住んでおられた。それから、新会堂の建築、建築後間もなく転任なさった。地味ではあるが着実に神様から託された生涯を歩まれたのだ。神様から託された地上での責任を成し遂げ、旅装も整えて、天への道あの幸福の岸辺に向かって旅立たれた。また会う日まで!!
2020年11月22日
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主イエス・キリストのご復活をお祝いします。苦しみを突き抜けて歓喜に至れ!ベートーヴェンの言葉でしたっけ?ボクたちもいただきましょうよ。キリストはよみがえられました。世界の希望病んでいてもお金に困っていてもキリストは復活されました。ボクたちの復活のさきがけとして。
2020年04月12日
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外国暮らしの娘からウィルス禍で礼拝が出来なくなり、信徒同士の繋がりが、以前より頻繁になり豊かになったという。さすがクリスチャンだな、と思った。ボクたちの国では、今夜~明日、湾岸低気圧が通過し,関東では大雨または大雪になる可能性があると、報道されている。先月、オーストラリヤでの記録的豪雨が、恐ろしい山火事を一挙に鎮めたような恵みのわざが、明日始まりますように!雨よ天からの雨よ、新型コロナウィルスを叩き落とせ!!
2020年03月28日
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CGNキリスト教テレビ放送が、新型コロナウィルスの蔓延にたいし、過度に恐れず信仰に立って平安を保つように呼びかける映像を、繰り返して流している。アメリカ人向けの番組と思われる。疫病の蔓延で、たくさんの人々が死ぬ。過去に何度かあったことが歴史に記されている。医療が未発達な昔のことかと思っていたが、この現代に突如として出現してきた。黙示録には、大災害が起きた時、人々は神を呪ったと記されている。ボクたちは静かに神に祈ろう。悔い改める罪はないか、神様の御心をおろそかにしては来なかったか、わが心に静かに問いながら、神に助けを求めよう。--------------以下はアバさん(ジャン9072)のブログからの引用です。アバさんお許しを!3月25日 水曜日 午後8時教皇フランシスコの呼びかけ「主の祈り」を全世界一斉に『3月25日の水曜日ローマ時間正午(日本時間午後8:00)、全世界で一斉に「主の祈り」を唱えましょう。』新型コロナウィルスのパンデミックにたいして、教皇フランシスコの呼びかけに応え、心合わせて祈りましょう。教皇ツイート邦訳 コロナウイルスのパンデミックという試練に、全世界で祈りと思いやり、優しさで対抗していきましょう。一致を保ちましょう。キリスト者の皆さん、3月25日の午後8時(イタリア時間は正午)に、天に向けて皆さんの声をひとつに、主の祈りをともに唱えましょう。
2020年03月26日
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「ホーリネスの群略史2~起きよ、光を放て~」吉仲將 編著 日本基督教団ホーリネスの群発行(2019)よく調べて、良く書けているな、と思った。ご高齢の先生の心意気はすごいな。ホーリネスの群が2つに分かれたのは1985年日本基督教団の外に出た教会や教師を切り離すという動議が議場に出されて41対40で可決あのとき高鳴った心、思い出した。怒った友もあり泣いてくれた友もあったこの労作を読み続けると、分離の出来事以来いよいよ日本基督教団の一翼として位置づけられていく過程をたどりホーリネスの群はアイデンティティを確立していくのだ。懐かしい人たちの名前がたくさん出てくる。いつかは、この地上で会えるかな?
2020年03月04日
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難病で死を前にした人が、友人の勧めに心を開いたのは、「墓に行きたくない」という思いだったと言う。キリストへの信仰を持つと、難病は寛解し、職場復帰した。それから一年ほどたって亡くなったそうだが、その一年は普通の人の一生と同じような価値があっただろうな。 ボクたちの人生のどん詰まりは、むろん墓ではない。墓をすり抜け、天の輝く御国。ハレルヤ。
2019年09月06日
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人生とは居場所を見つける旅だ。人生が仮の宿であることは、聖書を読む人ならわかる。狭い家でも広々した家でも借家でも持ち家でもそんなに変わりはない。そこが居場所であるかどうか。「わたしたちの国籍は天にある。」天の国があり、そこに用意されている住まいがあると言う。そこが本宅でありわたしの居場所だ。そこに家が見つからなかったり、居心地が悪かったらそれはもう、由々しき事態だ。
2019年08月27日
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これからお手伝いしている神学校の入学式がある。若い女性が一人入学する予定。では行ってきます。
2019年04月09日
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礼拝の前に電話受話器を取ると、礼拝出席希望とのこと。驚いて道順を説明するけれど、うまくできない。近所のスーパーまで、弟と二人で迎えに出る。新しい人を迎えるとは、緊張し心も弾む。あぁもっとしっかり伝道しなければと、歩みを振り返る。
2019年03月31日
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ウェスレアン・ホーリネス教団の新年東京聖会へ行く。午前と午後の2つの聖会に参加した。2019年スタートにふさわしい霊性に触れるのだと思うと行きの電車の中で、心を弾ませた。結果は、満足のいくものだった。キリストの福音と聖潔の正道(まさみち)を示されたと思った。語られたとおりに、聴いたとおりに生きれば良いのだと思った。キリスト信徒である喜びに、安らかに家路についた。
2019年01月14日
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遠くの友人が上京していると聞き、電話をする。明くる日、待ち合わせた。一緒に近所の珈琲屋に入る。若き日から壮年の頃、身を粉にして教会のため、福音のため働いた友。お顔には深い皺口からは、老いたる者の述懐が漏れてくる中深い霊性が見え隠れする。世の人には見えないだろう。弱々しい老人としか。ボクには見える。
2018年11月29日
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ボクたちの日曜礼拝は、毎週4人でささげる。少ない人数でも、集まって主イエスを礼拝する喜びを強く感じる。伴奏もある。ギターだ。贅沢だな。賛美を歌う。歌っていて酔いしれるようになる。1節、2節、3節・・・・曲はあっという間に進行、終わる。もっと歌いたい。もう1曲加えようか?しかし自分を戒める。賛美の大洪水は、天の御国でよい。ここは地上だ。浸りきっているいとまはない。先は短い。急がねばならない。
2018年10月11日
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大切な友だちが亡くなっていたことがわかった。そうだったのあれ以来、もう7年間も会っていなかったけれどいつかお訪ねしたいと思っていた。病気とは伺っていた。ボクがfacebookをやっていた頃でも1年くらい前にFacebookをやめて以来何もわからなかった。まさか、そんなに進んでいたなんて想像できなかった。一緒に祈ってあげられなくてごめん。家族とそちらの群の皆さんに祈られて静かに主の御元に旅立ったのだね。あなたとの交わりは、それは楽しかった。ボクの息子が逝った時にはいち早くコメントをくれたね。「おぅ先生、もう来たのか」きっと息子がそんなふうにあなたを歓迎している。世話になったね。ボクが息子に手が届かなかったときあなたはボクの代わりに一番たいへんだった時に息子と一緒にいてくださったんだね、ほんとうにありがとう。耳を澄ませばあなたと息子の合奏が響いてくる。栄光は主にあれ!!!
2018年07月27日
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召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。 ペトロの手紙1 1:15~16今日の礼拝は3人で守った。主の聖臨在の中で。その中で、きよめの恵みを一生懸命に語った。聖なる生活は形ではなく、心。罪に染まったわが心を悲しみキリストの血潮によってあがなわれ身も心もキリストのご所有とされることを喜ぶ。そこから始まる日々に、にじみ出てくるものそれが聖化の生活と。
2018年07月22日
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生涯の終わりの日が備えられていること厳かなこと生涯の終わりの日を通り抜ければ天の門に至るその日その時悲しみや苦悶の日にならないだろうか?生涯の最良の日にできるだろうか?愛する者(たち)に看取られることを期待するよりもただ一人の目に見えないかたが来られてボクの前に立ってほしいそのかたがボクの後の戸を閉ざして輝く天の門を仰がせてほしい
2018年07月21日
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日曜日午後、CGNテレビを見ていたら、お目にかかったことがあるような女性が出ていた。「本の旅」という番組で、辻哲子先生が出ていて、インタビューに答えておられた。辻哲子先生って、静岡草深におられた?じっと耳を傾けていると、やはりそうだった。突然、過去が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。同じ教区の教会に着任したとき、辻哲子先生のご主人が教区長をしておられてボクは妻を連れてご挨拶に伺ったこと。奥様はたしか紅茶を出して、もてなしてくださった。ボクたちがまだ30歳になるかならないかの頃だった。今から40年前!辻哲子先生のお話は、味わい深いものだった。ああ、あの御主人にしてこの奥様か。もっと驚いたことは、引退なさった今、千葉のアライアンス教会に出席しておられるとのこと。
2018年07月01日
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担当の授業は週に一時間若き献身者たちに囲まれ毎回、緊張上気している自分がある持っているものはすべて出し尽くそうありのままに仰ぎ夢見るのは、この卵たちの将来終えて帰り支度をすると突然歌声が聞こえてきた「神のみ子は今宵しも」Adeste fidelesずいぶん早いな!クリスマス ソングは「聖霊降臨節」に入ったばかりなのに
2018年06月07日
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「わたしはシャロンのばら、野のゆり。」雅歌2:1ばらも、野のゆりもキリストを指していると解釈されている、キリスト教会の伝統的解釈。雅歌はキリスト賛歌キリストに愛されるおとめの賛歌惹かれ合うのは自然な愛、そのわけは誰にもわからない。そのばらは赤聖霊降臨の色は赤深紅はキリスト教会の色明日は聖霊降臨日ペンテコステとも言い習わされるけれどボクはペンテコステという言葉よりも聖霊降臨日の方が良いと感じている。ペンテコステということばは、ただの「50番目の」という意味聖霊降臨日は内容を豊かに表している。聖霊降臨の時代に立つキリストの教会には聖霊が満ちておられるキリストの愛があふれている信徒は、聖霊を、キリストを体現できるように祈るのだ。
2018年05月19日
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心のつながりを断ち切ること心の殺人にも等しいと思った悲しみの向こう側には天への1本道があるそこに進めば涙は虹となるだろう
2018年05月15日
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昨日の自分のイライラを振り返る。怒鳴ったりはしなかったが、心の中ではキレていたのだ。それは間違いなく顔や声に露出していたのだと思う。店員を待っている間、どうして主を見上げていなかったかということだ。主の臨在を追い出していたのだ。祈りをおろそかにしていた結果、愛や慈しみの心が枯れきった、傲慢な獣のようなボクだった。主に赦しを請う。もっともっとあなたに近く歩みます。どうぞあなたも、ボクに近づいてください。
2018年05月03日
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「岡村の泉」第90号が届いた。ボクの手元には最終号となるのだろう。安藤師はこの春、任期満了で、横浜岡村教会を退任されたようだ。先月だろうか、このレターが届いて一読し、デスクの上に置いていたがまた手にして、再読した。牧師のメッセージから始まり、信徒の皆さんの証詞などが続く。皆、良い文章だ。率直な人柄がにじみ出ている。熱血漢な安藤師が、愛し抜いて信徒を育てて来られたのだなと、思わせる。任期満了、おめでとう!安藤師とは、聖書学校の同期の桜ある時からお互い別々の道を選んだ。それからは、10年に一度ほどしか、風の便りを聞けなかった。熱血漢がゆえに、きっと苦労を重ねられたのだろう。それだけに、岡村の教会に彼のすべてをかけて来られたのだと思う。ほんとうに、よかった。ほんとうに、よかった。
2018年04月26日
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体の痛みに耐えている友がいる。「神様がお癒やしくださいますように祈っています」と声をかけると、顔を明るくして「うれしいです、そう声をかけてくださって」「神様がくださった “とげ” ですね、とか 試練を忍ぶ人は幸いです、とか言われるよりも 痛みが無くなるようにお祈りくださることが 一番うれしいのです。」
2018年04月16日
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「わしはときにぐらつくが、ふるさとへ帰るのだ。 あぁ、なんとかして行きたい、ふるさとへ帰るのだ。」 讃美歌第2編178信仰にあふれた言葉よりも、時に弱さを吐露する言葉に惹かれる。「わしはときにぐらつくが」こんな言葉がふっと・・・わがうちには、固まりきらない精神の部分が残されていて情けなくもときに心があふれてくる。あぁ、なんとかして行きたい、ふるさとへ帰るのだ。
2018年02月26日
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アウグスチヌスの「告白録」を読んでいます。半分を過ぎました。彼は、まだプロテスタントと分裂前のカトリックなので今のカトリックとは少し違うようです。アウグスチヌスは神学者なのか哲学者なのか。「告白録」はすらすら読める部分と、ボクには難解でわからない部分があります。昨日読んだ箇所に「音楽」に言及している部分がありました。大意はこうです。音楽を聴いて感動した。しかし、それは音の流れが快かったのか。あるいは、神様を讃える歌詞に感動したのか。もし歌詞の内容ではなく音の流れに心を奪われたのならそのとき心は神様から離れていたのではないだろうか。ここを読んだとき、音楽を聴くことを趣味に持つボクは自分を恥じました。だってクラシック音楽のだれの演奏はこうだ、とかこのピアニストはああだとかあのソプラノ歌手はこうだ、とか神様を離れてそんな興味にのめり込んで、うつつを抜かしていたからです。ああ、アウグスチヌス!あなたは1500年を超えて、気づかせてくださいました。こんなナイーブな考え方をする人をボクは他に2人知っています。一人は、ブレーズ・パスカルもう一人は、ボクの妻です。
2018年02月03日
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駅に向かう道で、保育園の子供たちとすれ違った。先頭近くの子が、ボクを指さして「おじいさん」と朗らかに言った。保母さんが困った顔をしてボクを見たので、ボクはほほえみを返した。はは~ん、典型的なおじいさんの顔なんだな。おじいさんになったおじいさんになった時は空しくたたずんでいるのではなく、また、無為にわたしたちの感覚を通り流れ去っていくのでもありません。時は魂の中で不思議な業をなします。そうです。時は日から日へやってきて、日から日へ去っていきます。来ては去って行きながら、わたしに別な希望と別の記憶を刻み込み、徐々にわたしを身近にある各種の快楽で再び満たしました。そして、あの先立つ悲しみはこれらの快楽によって消え去っていきました・・・・ アウグスチヌス「告白録」第4巻第8章より(宮谷宣史訳・教文館)
2018年01月13日
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今年も親族クリスマス会を開きました。全員60歳以上!この年輪にふさわしく和気藹々すてきな会でした。半分以上クリスチャンではありませんが楽しくクリスマスの讃美歌を練習し歌いました。ご降誕と十字架のメッセージを聞いてくださいました。ありがとう!み救いの完成めざして祈ります!
2017年12月13日
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匿名で献金を寄せて下さったかたがあった。しっかり伝道するように、と励ましてくださる。そうだ、集会案内のポスターが経年で剥がれ落ちたがそのままだった。インターネットで、看板を作って下さる所を捜すと歩いて行ける所に見つけた。サンプルを作り、USBメモリに収めて持参。感じのいい事務所だなぁ。約1週間で素敵なアクリルポスターを作ってくれた。
2017年11月17日
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人の心は変わる。良い方にきっと変わる。今日は一人のご老人を夫婦で訪問したがじっと話を聞いてくださる。態度も親密さがあふれている。初めに訪問したのは、もう数年前だが「わたしは宗教はいらないよ」と思いもよらない素っ気ない返事をいただいた。それは牧師へのカウンターパンチのようだった。こうして一人、また一人とボクたちの真実の救い主、イエス・キリストの元に導いていきたいのだ。
2017年01月31日
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ずっと心に温めていたこと弟夫婦に福音を語ることクリスマスイブに行くよというとおお、来い!と待っていてくれたクリスマスソングを歌詞の意味を説明しながら歌ういつも礼拝でギター伴奏をしてくれるもう一人の弟も快く来てくれて一緒に歌うわが妻も歌う88歳の母も一人で来た!楽しいなぁ~コーヒーが出てケーキも出る最近、ケーキ作りをしているんだへぇ~そう?良い趣味だねぇ時はあっという間に過ぎていく
2016年12月24日
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