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2017.12.12
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カテゴリ: 独生女考

​​『真の父母様の生涯路程 1』に書かれた 「(お父様も)堕落した血統を受けて生まれた」 (P.113)の以前には、 八大教材教本・天聖経「祝福家庭」> 第一章 真の父母と祝福>二、真の父母と重生と血統転換

「独生子・独生女」発言は統一教会の神学を揺るがすお母様の発言でもなく、上記からはお父様自らが 「結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。」 と語っておられました。

(関連記事は​ こちら ​)​

これらを見られた場合、お母様の独生女発言で三男派や七男派へ行かれた諸先輩方は今後どのようにされるのだろうか? 

「お母様=独生女」を信じることが出来ないといってFPAへ行かれた櫻井夫人と兄弟たち! 

櫻井正上氏よ、何が「真理を求めて」というのか。
三男さんのところに行けばそれがあるとでもいうのだろうか?
弟子に「足を洗え」とばかりに蹴りまで入れていたが。


この時の会話は弟・ 櫻井正実氏のブログが紹介していた

​私のブログでもその一部を挙げていた(以下)が。



上記の文にはないが ​​ 【シモン教会長を軽く蹴る】 ​【申東謀氏の頭をはたく】​ ​​ というのもあった。​


お母様の独生女発言が信じられないとして七男派へ行かれた姜先生、原理本体論講師、江利川さんも同様にお父様のこのみ言に耳を傾けていただきたいものだ。今年2月から松濤本部の前でも「独生女云々」といってはYouTubeで騒がしかった澤田氏も (YouTube映像ともども) どこへ行かれたのか?

​​​お母様の独生女発言によってこれまで「独生女理論」「独生女論」とかいっては批判していた三男派のソン・デオ博士、この「偽・ビデオ講師」も何処かへ行かれた。 また、

​​家庭平和協会(FPA)の郭炳憲氏よ! 
  答えられよ!!​
   「正しいこと、間違っていること」​

関連記事はこちら

郭教会長の離任式前の最後の日曜礼拝で語られた「正しいこと、間違っていること」、その以前に私からは「 独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!! 」でハッキリと申し上げていた。2月の声明文でも「正しいこと、間違っていること」などとといっては自分が正しいかのように 「無原罪独生女主張は、真のお母様の位相とアイデンティティーを崩します。」「統一家は、…三男さんと一つになることで生まれ変わることが出来ます。」 などの主張はどうなったか?



三男さんに対するお父様の“警告”のみ言、また、第二教主がお母様であれば第三の教主についてもお父様が語っていた。お父様のみ言であり、これを否定されるとするならば「原理講論、お父様ともどもに正しい」の郭氏の日曜礼拝での主張は「間違い」であったと言わざるを得ない。当然、その直後の声明文も同様だ。

能登教会長在職期間、郭氏個人の意見を押し付けては引っ張っていった兄弟姉妹たち、もはや、それをつなぎとめるものが無くなった現在、その兄妹たちを早く解放願いたいものである
「正しいこと、間違っていること」、今後も事実を隠して「詐欺行為」を続けられるつもりか? 

FPA(UCIグループ)は原理講論を捨てており、また、三男さんが家庭連合と縁切りされたなか、真の父母様とも関係しない三男さん独自の団体である。
もちろん、お父様のみ言「独生女」ですら信じようとはしない立場からして「お父様」と呼んでもそこにはお父様は居られない。


これが真理・真実だ。

​​​



サブタイトル: 独生女考(30)-- 「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」は原理講論と矛盾しない(その5)

​さて、原理講論の話に戻ろう。
原理からは、イエス路程での第一次の中心人物はイエス様ではなく洗礼ヨハネ(エリヤの再臨)であった。ところが、その洗礼ヨハネの失敗によって第二次摂理ではイエス様が彼の使命を代理するようになった。それ以降は使命途上で十字架の道にありながら、再臨を約束されて逝かれた。

イエス様の再臨としてのお父様、その時も洗礼ヨハネの使命をもったエリヤの再臨協助の人物は存在した。イエス様当時の洗礼ヨハネ同様にエリヤの使命を担っていたが、彼等の失敗によって再臨主・お父様がその使命を代理するようになり、キリスト教を代理して「統一教会」を創設されていかれた。
そして、独生子・独生女が出会っての1960年の「子羊の婚宴」、「真の父母」(再臨主)として出発された。お父様が「独生女」に関するみ言もそれを前後して語られ始めたものだった。

これまでもお父様はイエス様の使命継承者としての蕩減条件をクリア(十字架による原罪を清算)してこそ、その中心人物として立つことができると原理講論の記述でもって述べてきた。また原理講論の別の観点から、イエス様の再臨復活体としてその使命を継承されたのだ、と考えることも出来る。初臨のイエス様の時と違い、

復活摂理の歴史において、その使命的な責任をもった人物たちが、たとえ彼ら自身の責任分担を完遂できなかったとしても、彼らは天のみ旨のために忠誠を尽くしたので、それだけ堕落人間が、神と心情的な因縁を結ぶことができる基盤を広めてきたのである。したがって、後世の人間たちは、歴史の流れに従い、それ以前の預言者や義人が築きあげた心情的な基台によって、復帰摂理の時代的な恵沢をもっと受けるようになるのである。

(原理講論P.216)

上記のように、過去の預言者や義人たちの心情的な基台によって、復帰摂理の時代的な恵沢をもって再臨復活することができるのであるが、その中でも、神の予定において、復帰摂理の中心人物となる条件を具備されて召命されたのが「お父様」であった、ということだ。​

つぎに、 神の予定において、復帰摂理の中心人物となり得る条件は いかなるものであるかということについて調べてみることにしよう。神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである(ペテロⅡ三・9)。ところが、神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである。神の摂理が、すべてこのようになっているので、救いの摂理のための予定においても、まず、その中心人物を予定して召命されるのである。
​それでは、このように、 召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。

原理講論(P.246~)

ところで、お母様の路程を見ても洗礼ヨハネ的使命者(霊通者)がいなかったのか、と言えばそうではなかった。その方とテモニムとはつながっており、お父様の洗礼ヨハネ的使命をも持たれた方がいたが興南でその基台が崩れ去ってしまった。
されども、テモニムが統一教会の門を叩いてのちに「子羊の婚宴」となったのであった。

ここで私の背後の「奇知外」が語るには、2000年前のイエス様の時には洗礼ヨハネがあったように、こんにちの独生女にもその「洗礼ヨハネ「」がいなかったか? 
独生子、再臨主としてのお父様ではあるが、初臨の独生女・お母様のいく道を整える「洗礼ヨハネの使命者」としても歩まれたのでは、という話だ。
事実、お母様を独生女として語り、また、そのように教育されて来られたのではなかったか。
……


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵

すなわち 神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。

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Last updated  2017.12.12 00:52:50
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