奇   知   外   記

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2020.11.07
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カテゴリ: UCI、サンク
​​​​​​​​​​​​以下は『ファミリー』1999年1月号、「●み言/第39回「真の子女の日」記念礼拝のみ言」からの抜粋です。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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​​



……(P.17から)

アダムの中に入られる神様

 それでは、初めに戻りましょう。アダム・エバが喜び、神様まで合わせて三人が喜べば、どのような世界になっていたでしょうか?

 この世界の息子・娘たちは、霊的にも肉的にも形がありますが、神様は無形です。死んで天国へ行ったとき、神様が見えなくてもいいのでしょうか? 「私がいちばん好きなお父様だ」と言わなければならないはずなのですが……。

 アダム・エバがキスして愛し合うのは有形世界でのことですが、どのようにしたら無形であり、見えない神様と見詰め合うことができ、触れ合うことができる位置に立てるのかということを考えなければならないのです。

 神様が喜ばれ、アダム・エバも喜ぶように愛を中心として一つになることを願うならば、どのようにしなければならないのでしょうか? これが問題なのです。 それが一つ ​になれば、 見えない父母が見える父母 になり、霊界に行っ​ ても実体であり、地上でも実体であるので、笑うときにも 見えないのにどのようにして一緒に笑い、その相対になるのでしょうか?



 問題は簡単です。 見えない二性性相の神様がアダムの中 くならなければなりません。どこに来られていなくなるの ですか?  ここ一形状的なアダムとエバーと合わさったと いうのです。 (板書されたものを指しながらお話しされる)アダムの体、エバの体に入っておられるのです。分かりますか? (「はい」)。はっきりと知らなければなりません。

 アダムの中に神様が入っていかれれば、神様とアダムとエバの三人が喜ぶようになるのです。アダムとエバのふたりが喜べば、内外すべてが完全に喜びます。霊界、肉界がすべて喜ぶのです。

 未婚の男女は、なぜ結婚しようとするのですか?  男性の世界を完全に絶対的に占領するためであり、女性の世界を絶対的に占領するためです。それゆえに自分の夫に、宇宙全体、神様までがすべて入っているのです。

 神様の愛と人間の愛をすべて占領して抱くようになれば、宇宙を抱くようになります。(板書されたものを指されながらお話しされる)これらがすべて一つになるためには、このセンターの位置に来なければならないのです。男性もここに来なければならず、女性もここに来なければなりません。

 男性・女性の体の四分の三が水です。水が一つになり、愛が一つになって動物を育てることができる平原地帯のようになって・その愛の懐で水を飲み、草を食べて世の中のすべての動物が幸福にすくすくと育つようになるとき、このすべてのものを創造された神様が、それを見て笑われるのです。それを見て泣かれるでしょうか?

 女性が泣くときにはどこに行きますか?  女性は隠れて泣きます。台所のような所に行くのです。男性は外に出て泣きます。男性は門をけ飛ばして、家から出ていって泣くのです。(笑い一)相対的です。そうではないですか?  出ていって、木や海など自然に話しかけながら泣くのです。

 また、女性が喜ぶと「へへへへ」とこのようにし(体を縮めて笑うまねをされる)、男性は「ホホホホ」とこうするのです(肩を広げておなかを突き出しながら笑うまねを
される了)。(笑い)そうですか?  どのようなことをしても女性は女性であり、男性は男性です。女性は男性になれず、男性は女性になれません。絶対的なのです。アメリカの女性たちは、よく聞いておきなさい。

「なぜ男性が主体なのか?  主体は女性だ」と言うならば、夫婦が愛し合うときに「男よ、横になりなさい。私が上にいく」と逆さまにならなければなりません。(「女性が主体になろうとすれば、そのようにしなければならないということですか?」)。そうです。女性が主体であると思うなら、そのようにしなければなりません。男性を横に寝かせて、自分がその上に乗って愛するのです。

 そのようにしたらどうなりますか?  水が全部あふれてしまうではないですか? 皆がはっきりと分かるように露骨に話をしているのです。笑わないでください。(笑い)このような夫婦は破壊します。女性は"受ける存在"です。



 それでは、動機は神様ですが、その結果を合わせる所は どこでしょうか?  頭から脊髄すべてに神様が連結されな ければなりません。神様の見えない骨が、男性の見える骨 に移されるのです。見えない肉が女性に移されるのです。 男性は骨、女性は肉になり、ふたりが一つの体になることによって第二の神様になります。神様の愛の相対になることができる存在になるのです。そのようになってこそ、男性と女性が愛し合うときに、愛を中心として神様は喜ばれ、 キスして抱擁し、踊りを踊られるのです。

 それでは、どこで一つになるのでしょうか? キスする ところですか?  抱擁するところですか?  どこですか? (「生殖器です」)。生殖器を今までいちばん悪いものとして 扱ってきませんでしたか?  卑しいものとして扱ってきた のではないですか?  それは堕落したためです。生殖器は生命の根源であり、血統の根源であり、愛の根源なのです。

  アダムヒエバの結婚式は神様の結婚式

 個人主義王国時代に、個人主義王権を主張する者たちは孤独、単身です。昔、相対を失いました。天使長によってそのようになりました。すべての男性・女性は相対的になっていますが、愛のパートナーを失い、息子・娘までもすべて失ってしまったのです。

 そうして、「人生の価値とは何だろうか?  真の愛の道とは何だろうか?」と言うのです。真の愛の道を捜し出すことができないので、人生の価値が分かりません。フリーセックスになれば、自分の父親を殺した怨讐と関係を持ち、その怨讐の息子をはらんだことを憂えて、産むやいなや子供をゴミ箱に投げ捨ててしまうようなことが多いのです。

 フリーセックスとは一体何ですか?  どうやって本然の立場に返っていくのですか?  返っていくことはできません。すべて失ってしまいました。



 未婚の女性たちは男性に目が行くでしょう?  男性の中を捜して真の愛がありますか?  男性たちは、女性に真の愛があると思いますか?  男性が信じられますか?  女性が信じられますか?  女性が生まれたのは男性のためであり、男性は女性のために生まれたということを知っている人はいません。自分のために生まれたと思っているのです。

 それでは、男性は何をするのですか? 女性は何をするのですか? 相対を僕にしようとします。ために生きようとはしないのです。ために生きなければ愛はあり得ません。初愛は永遠なのです。エデンの園では、エバ以外に他の女性がいましたか?  男性一人、女性一人でした。

 自分自身が絶対に信じられる人がいますか?  心と体が一つになっていますか?  毎日、心と体が闘っているのです。これを、どのように解決しますか?  休戦も停戦もない戦争を、どのようにして終わらせるのですか?

(板書されながら語られる)九O度です。すべて同じなのです。十二角が三つずつで三十六です。これはどこに持っていって合わせても、すべて合うのです。統一教会もこれを中心としているので一、ニ、三の三対象であり、これを中心としても一、ニ、三の三対象であり、神様を中心としても一、ニ、三の三対象なのです。

 これは、一つの永遠な公式的カテゴリーなのです。男性は神様が絶対に必要であり、息子・娘が絶対に必要なのです。女性も神様が必要であり、夫が必要であり、息子・娘が必要なのです。息子・娘は父母が必要なのです。同じことです。どれか一つ欠けるだけでも、すべてが崩れていきます。

 これが春ならば、これは秋です。そして東側は男性に当たるので主体です。これを中心として、これが一つになるのです。

​ですから、祝福家庭は神様の形状にならなければなりません。 神様は父母 なのですが、堕落以後、形状を持つことができませんでした。形状を持つはずが持てなかったのです。​

 これを再び復帰して、ここにおいて神様が初愛を中心としてアダムとエバに入られて、縦的な父母と横的な父母がここの一点で愛されることによって、始まりが縦約・横的になるのです。そうなることによって、霊界と肉界を一つにすることのできる息子・娘が出てくるのです。

 神様はここにいて、アダム・エバはこのようになっているのですが、これが一つになってこちらに上がっていくのです。アダム・エバは上に上がっていきます。神様は上から降りてこられるのです。アダム・エバは見えない性相を備えるために、見えない神様は見える形tを備えるために訪ねてこられるのです。

 それはどこで出会うのですか? 赤ん坊から兄弟時代を経て、男性は男性として大きくなり、女性は女性として大きくなってここまで来て、擦れ違うのではありません。エバは"アイゴー、私をほうっておいて泣かしたまま逃げ回り、一人で歩き回っていたアダムが必要だ"と思い、アダムは"アイゴー、わんわん泣いてじゃまだったエバが絶対に必要だ"と思って、ふたりは出会います。それで神様も同様に訪ねてこられるのです。

 思春期になると、神様がアダムとエバの中心に入っていかれ、「さあ、行こう。祝福することができる場所で会おう」と言われるのです。そして霊的な父母と肉的な父母が一つの体になり、霊肉が一つになります。

 そして霊的世界、肉的世界を見ることのできる息子・娘が生まれるのです。それが堕落していない天の国の家庭の息子・娘であり、それを拡大させたものが天の国の民族なのです。アーメン。

横的な父母であるアダム・エバは神様の体であり、縱的な父母であられる神様が心なのです。 神様は、アダム・エバの心なのです。 ​ここで心と体が一つになって愛するとき、アダム・エバの結婚式は"体"的な父母の結婚式であると同時に、"心"的な神様の結婚式になるのです。​

 二つの世界の結婚式をすれば、息子・娘の結婚式になります。息子・娘の結婚式、横的な父母の結婚式、縦的な"心"的神様の結婚式になるのです。この三つをすべて祝福することのできる日を迎えることによって、神様が喜ばれ、アダム・エバが喜び、全体が喜びます。アーメン。そこから幸福になるのです。

 ですから、神様もアダム・エバの結婚式をどれほど待っておられたでしょうか?  それはご自分の結婚式なのです。女性が男性を訪ねていって完全占領して、男性が女性を占領するとき、ふたりで神様が喜ばれる場所を訪ねていくのです。そしてアダム、エバが神様の体になり、神様はアダム・エバの心になって、結婚式が完成するという結果になっています。

 ですから結婚とは、男性が女性を完全に占領し、女fが男性を占領するものなのです。ふたりが占領した真の愛を中心として、神様までも占領するのです。神様がすべての主体なる動機になられ、その神様と愛によって一つになることによって、そこに属したすべての宇宙の存在は私の所有になります。アーメン。

神様といつ出会うのでしょうか?  結婚式に神様と出会うのです。アダム・エバの結婚式は、エバの喜びの日であり、アダムの喜びの日であり、夫婦の喜びの日であり、神様の喜びの日であるということを知らなければなりません。

 神様は縦的なお父様であり、アダム・エバは横的なお父様です。九O度の角度です。永遠に九〇度なのです。皆さんの心と体が堕落することによって体を失ってしまったので、堕落した後に、角度が狂ってしまいました。これを立て直さなければなりません。

 自分の心と体が何度狂っているのか、皆さんは知っているのです。心を中心として体が一つになっていないということを知っています。一年三百六十五日の半分、心と体が一つにならなかったとしても、五〇パーセント狂っています。それどころか毎日のように体の命令に心が従って、すべてマイナスになって地獄に落ちていくのです。

アダム・エバは神様の体である、ということを理論的に認定しなければなりません。分かりますか?  アダム・エバの心に神様が臨在されるのです。神様と一つになり、心と体が一つになっていたらサタンが入ってくる所がありません。

 それでは、なぜ男性が生まれたのでしょうか?  女性のためです。女性はなぜ生まれたのでしょうか?  男性、女性はなぜ生まれたのですか?  人類といえば男性、女性しかいませんが、男性、女性はなぜ生まれたのですか?  愛のためなのです。愛して何をするのですか?  男性の世界は半分でしかありません。半分が完全になり、さらに神様までも占領するために結婚するのです。

三代から地上天上天国が出発

 神様も赤ん坊から成長されました。神様が赤ん坊のときから兄弟時代、結婚段階に至って子供を創造されたのと同様に、皆さんの妻にも、相対的実体として体と一つになって育ってきた時代があります。その成長時代においては感じられなかった愛が、結婚して一つになれば永遠に継続されるのです。

 見えない神様が見える神様として現れ、見えない神様と見える神様の世界、地上世界と天上世界が三代において初めて結実として現れます。アダムは神様の一代の愛しか受けることができませんでした。それは四位基台にならないのです。

 それゆえに、神様も三代の愛を経ていかれなければなりません。息子・娘の愛と孫の愛まで経てこそ、三対象目的の四角形を中心として一つの完成体になることができるのです。この角度を満たすことをグローバルと言います。三角形では運動するのが難しいのです。

 見えない神様が成長されて、見える神様になられて衝撃を感じられるために、息子・娘を代身としてつくられました。見えない内的な神様を見える神様として感じることによって衝撃を受けるのです。

 同様に、アダム・エバも息子・娘を産むことによって、自分が育ってきた赤ん坊時代から兄弟時代、そして結婚して父母になる道を経て、三大創造主権を成し遂げることによって一つの実を結ぶはずであったのです。ところが、神様は孫を持たれることができず、三代を成すことができませんでした。実が結ばれなかったのです。

 神様は、幼いときから結婚するときまで過ごしてきたすべてのものを、実体でごらんになって刺激を感じられます。霊界と肉界を一つにするのです。霊的に一つになって現れてきます。

 皆さんが成長するときに皆さんの親は、子供が育つのをどのように見ていたのでしょうか? 自分の息子・娘を通してもう一度、自分たちの成長過程を見るのです。

 神様もご自身が成長してこられたことをもう一度ごらんになるときに、衝撃を感じられます。そのようにして神様が横的に拡張する世界を持たれたように、皆さんも子供を
産むことによって、縦的な世界ではなく、横的な世界に発展することのできる愛の版図が広がるようになるのです。

 アダム・エバは二代であり、その息子・娘が三代です。三代から四位基台が広がっていきます。アダムは、神様の愛、すなわち一代の愛しか受けることができませんでした。しかし、アダムの息子・娘は、神様の見えない父母の愛と、アダム・エバの見える父母の愛の二つの愛を受けるのです。

 アダム,エバの心を中心として、霊人体に神様の愛の血統が三代の息子・娘に連結されます。ですから、二つの父母、二つの国の王の血統を受け継いだ、アダム・エバの息子・娘から地上・天上天国が出発するのです。

 堕落した皆さんは、神様の愛と真の父母の愛を受けられなければ地獄に行きます。天国ではありません。それを知らなければなりません。その三代の神様の愛を成すためにアダムが来たのであり、メシヤが来られたのです。そして、三代を成して天国の種を拡大していくのです。

 偽りの父母から、天国の種を破壊する偽りの愛、偽りの生命を受け継ぎました。ですから、その反対にメシヤである真の父母が来られて再び三時代の基準をつくることによって、どこに種を植えても繁殖し、天国に直行する人々をつくります。それが、統一教会の家庭を立てて天国に行くことのできるチケットに印を押してあげていることです。(拍手)

そのようにするためには、野生のオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければなりません。新しい芽です。そのようにして血統が変わるのです。接ぎ木すれば、切ってしまったものは肥料になります。切ってしまって接ぎ木すれば、世界全体は肥料とともに容易るすることができる新しい家庭の体になるのです。腐ったものは肥料になります。

…(略)…





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Last updated  2020.11.07 18:09:39
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