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2021.01.31
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​​​​​​​​​​​​​​​ ​所望の天国を所望すべき者たち​

1956年12月16日(日) 本部教会


​ 祈祷(Ⅰ)​
 愛のお父様、一週間、とるに足らない者たちを抱いて心配なさったお父様、一日の生活が私たちの勝手にならないよう導いて下さい。私たちが告げるすべてを主管して下さった恵みを思う時、お父様、本当に感謝しております。

 今日、幼い姿がお父様の前へ訪ねてきました。私たちの体と心が、東方博士三人が捧げた、黄金と乳香と没薬のような祭物になるべきであることをわかっております。まず、私の心と体を捧げるよう許諾して下さい。聖壇の前で憎らしい姿にならないよう許諾して下さることを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。

 私たちを呼ばれるため苦労をなさったお父様は、6千年の悲しい過程を経て来られたということがわかります。

 私たち一人一人が、大きい使命を持って、人類の前に先立てられたとすると、私たちのすべてが天の全信仰を代身して、喜びを現わさなければならないと思います。

 選ばれた善の目的が何であるかを、足りない者たちが立てられたということを思えば思うほど、私たちの足りなさをお父様の前に告げざるをえません。私たちのすべての意識や観念、主義主張を全部出しておいてお父様の前にひれ伏しましたので、お父様、導いて下さい。

 死亡の波が時間を超越して動いていますけれど、この中で、子女たちを探すため苦労されてこられたお父様、お父様が私たちに恵みを与えて下さったのは、私たちが偉くてではないということを知っております。 お父様の悲しみは、キリストがこの地に再び来られる日まで消えないということも知っております。

 お父様、すべてを主管して下さい。この集会が、ただ人間同志の集会にならないよう許諾して下さい。6千年の歴史を抱えて、お父様の悲しい心情を慰めることのできる姿になるように許諾して下さい。私たちが一つの祭物として、多くの聖徒たちと共に喜びの敬拝を捧げることができるように、三位神が私たちの体と心を主管して下さることを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。

 お父様、この3千万民族を哀れんで下さい。この民族を愛するため、長い歴史過程を通して苦労なさったことを知る者でございます。御旨のため私たちを選ばれる時には、人の知らない苦労があると思います。



 民族の恨みが、人類の恨みが天に徹しているということを知っております。この天の悲しみを代身する、祭物になるものがないことに対して天が嘆いているということをわかりますので、今日ここに集まった子女たちがその恨みを解くためにお父様の前で祈る息子・娘になるよう許諾して下さい。サタンの前にお父様の代わりとして出て戦うことができる息子・娘になるよう許諾して下さることを、お父様、切にお願い申し上げます。

 心と体が、一つの御旨をおいて和動して、お父様の恩賜を讃えることができるように、解放の恩賜に感謝し敬拝を捧げることができるこの時間になるように許諾して下さることを、私のお父様、切にお願い申し上げます。  新しい御言の烽火をあげて各地方から戦っている息子・娘がありますので、彼らが泊まる所ごとに、お父様、共にして下さい。頼るものはこの地上に何もありません。ひたすら天から許された恩賜しかありません。多くの怨讐たちからからかわれながら戦うべき宇宙的な運命の路程に入っていますので、お父様、力をつけて下さい。

 今日も同じ恩賜で、ここに集まった者たちの本心に、あふれる天の恩賜を与えて下さることを、お父様、切にお願い申し上げます。

 御旨を代身して、寂しい立場に立って、お父様の前に憂いの祈りを捧げている息子・娘もいますので、お父様、彼らの心霊を守って下さい。 命令の御言と、許諾されるところの恩賜を与えて下さることを切にお願い致します。この時間、ここに臨在して下さい。主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


 祈祷(Ⅱ)
 時代を、世紀を経て、終末の時まで苦労されつつ摂理の道を来られたお父様、そのお父様の摂理の御旨が、この地上に早く成されることを望む私たちですので、お父様のその苦労を地上で責任をもって出られる私たちになるよう許諾して下さい。

 お父様の聖壇を中心として、天的な使命を受けついて、地上でイエス様の代わりにサタンと戦うことができる、雄々しい息子・娘になるよう許諾して下さることを、お父様、切にお願い申し上げます。

 今日に与えられた御言を奉読しました。イエスのために、歴史的な使命をもって地上にきた洗礼ヨハネが、イエスの前に証しの使命は果たしましたが、侍るべきだった天的な使命は全うできなかったことを知りました。

 ひれ伏したあなたの息子・娘たち、自分自身が反省できるよう許諾して下さい。自分をお父様の前で明らかにすることができるよう許諾して下さい。自分を大衆の前に立たせて、世紀末的な神様の使命を代身して苦労する姿となるように、天が要求される天的な使命と呼ばれる御言に従順する忠臣になるように許諾して下さい。

 御旨の時は限られているのに、人間たちははがゆくも無限に所望しており、今日の現時点で生死が判決されるということを知らない哀れな人たちが多いのです。お父様、初臨の当時、洗礼ヨハネが現われて証する時に残されたものを、今日ここに集まった子女たちは忘れないように許諾して下さい。

 私たちの心を開いて、天の内的な祭壇を築くように導いて下さり、私たちの体をサタンに対する勝利的な祭物としてお父様の前に捧げることができる息子、娘と立てて下さい。天は自信のある勇ましい勇士を願われ、卑屈に怨讐の前で膝を屈する者は願われないということを知っておりますので、ここに集まったあなたの息子・娘たち、御旨のためなら生命も捨てることができる天の勇士になるよう許諾して下さい。そのような勇士が必要な時であることを知るものでございます。

 天倫の御旨を知った洗礼ヨハネと、彼についてきた群れが、天の内的心情に燃え上がって、腐敗した全ユダヤ教に対抗して新しい事実を展開させたように、今日私たちを通して,この民族の前に哀れみの愛の光を現わして下さい。どうか、お父様の摂理の御手を引き取らないで下さい。 この民族のため築いている数多くの祭壇をお父様、祝福して下さい。立てられた教団と共に防腐剤のような祭物になるため、隠れの祭壇を築く息子、娘たちが所々に多くなるよう許諾して下さい。



 彼らの行く道がお父様の御旨の道であるならば、それが茨の道であれ、険しい山であれ、体が引き裂かれ、傷ができても、ひたすら御旨だけを中心としてすべてを開拓していけるように導いて下さい。彼らの心にお父様の勧告と恩賜だけを現わして下さい。

 今は多くの御言が必要な時ではなく、心を動かして天情に到達すべき時であり、心が動じてお父様の御旨を中心として全食口が和動すべき時でありますので、お父様、ここにひれ伏したあなたの子女たちを、自ら内外を備えてお父様の心情を代身した本然の人たちに立てて下さることを切にお願い申し上げます。

 お父様、寂しこをついてくる哀れな群れを導いて下さい。民族の足りなさを許して下さり、お父様から担われた使命を果たしきれないことを許して下さい。特別に集まったお父様の息子・娘を励まして下さり、彼らを立てられましたので、どうか、戦いの一線で疲れ果てることがないように守って下さい。

 お父様、彼らが御旨のため命をかけて戦いに戦って、勝利の一日をとるまで変わらない信仰を下さい。変わらない一つの中心を備えて、敵地に投げられた爆弾のように出て行って、お父様の御旨の勝利のため、怨讐たちの前で爆発できるお父様の息子・娘になるよう許諾して下さることを、お父様、切にお願い申し上げます。

 今、御言をもって立ち上がりましたので、お父様、共にして下さり、一つの心を中心として動かれるよう許諾して下さい。天の御旨を心配しつつ、自ら聖別されたものになって、お父様の前にすべてを出しておくことのできる私たちになるよう許諾して下さい。お父様を受け入れることのできない人性的な要素と人性的な主義・観念が、未だに生活の中で生きているとするならば、お父様、能力で役事して下さり、再創造の御手で役事して下さい。




 <御言>
 今日の御言は「所望の天国を所望すべき者たち」です。

 神様の創造理想からみると、神様は無形世界の天国も所望されましたが、あなたが臨在できる実体世界での具体的な天国を願われて万物を創造しました。これは皆さんもよくわかっているところです。

 つまり神様は、天上天国と地上天国が、神様とアダム、エバを中心として成されることによって、霊的な天国と実体的な天国の栄光を見るため被造世界を創造されたわけです。


 神様の創造理想と人間堕落の結果

 ところが、人間の過ち、即ち人間の堕落によって、神様がそんなにも願われた天上天国と地上天国は全く消えてしまいました。このような天上天国や地上天国も神様御自身のために造ったわけではありません。人間のために造ったわけです。

 アダムとエバを中心として地上に天国をつくって、地上で天国生活をした人間たちが永遠な天国世界に入って生きるよう、地上天国と天上天国を造ることが神様の天地創造の目的でした。ところが、アダムとエバの堕落によって、霊的な天国と実体的な地上天国はなくなってしまって、天上世界と地上世界はサタンが自由自在に神様に対して讒訴できる悲しみの世界になってしまいました。

 堕落以後、地上は勿論であり、天上までサタンの活動範囲になりました。それゆえ、サタンは霊肉界の人間たちを讒訴してきました。サタンがこのような権限をもって動かしてきたということを、今日の信徒たちはよくわかっていないのです。

 アダムとエバを中心として、神様の栄光の創造理想を歌いつつ喜ぶべき被造世界が、人間の過ちによってサタンにみんな引き渡されるようになったということは、創造されたお父様に悲しみを抱かせる結果になったということです。これを皆さんは骨に徹するほど感じなければなりません。

 神様は、このように汚れた地を再び回復されようと、残った天使たちを通して人間と関係を結ぶ救援摂理をやっておられます。堕落することによって尊い神様を裏切った立場に立っている人間たち、万物にも比較できないほど落ちてしまった人間たちを、神様は再び会うために救援摂理をやってこられるわけです。サタンが支配し、サタンが讒訴する人間を神様が主管されるため、橋をかけて役事してこられたことが、旧約時代、新約時代を経て今まで続いています。


 旧約時代の摂理

 旧約時代は、主に神様御自身が歴史され、神様の栄光で人間に会うべき時代でした。ところが、その摂理が完遂し得なかったので、悲しみを抱え、第二次で天使たちを通して人間たちに会うことのできる道を開拓してきたのが旧約時代の摂理歴史であります。

 旧約時代には、僕のような立場の使命者として立てられたノアとアバラハムを通して神様の御旨を伝えてきました。暗闇の地上の万民を、お父様が相対できる立場へ引き上げるため、アブラハム一族を選ばれイスラエル民族を立てました。それで、イスラエル民族を通して人間たちが次第に神様へ出ていける道を開拓してきたわけです。

 そうして天は、天使たちを通して役事されることのできる一つの基準を立てました。それから、アダムとエバに対する神様の御旨を完成したという基準を備えることによって、お父様に直接会うことのできる勝利的な土台を造成するため、イエスが来るまで4千年間苦労されたわけです。皆さんはこれを忘れてはいけません。

 僕が相対する立場に置かれている人間を、子が相対する立場に高めてくれるために立てられた方がイエス様であり、下さった福音が新約です。それゆえに、イエス以降の人間たちは、イエス様を通して神様に会うことのできる立場になったわけです。神様の愛を直接受けるべき人間が、堕落によって神様の愛を直接受けなかった故に、6千年の歴史を経ながら今までも私たちが所望しているのは、子の愛を受けた後、神様の愛を受けることができる立場になることです。

 子の愛を受けて創造理想を成すことによって、愛を中心として喜ばれたかった神様と同苦同楽できる実体を備えた息子・娘にならないといけないわけです。霊的だけではなく、この体も神様が直接誇り得るところまでいくべきです。このような使命は、人間が堕落した故、私たちに残されたということを皆さんは忘れてはいけません。


 イエスの使命と聖霊の役割

 イエス様はこの地に来られて、人間たちを、神様の愛を受けることができる立場に立たせるべきでした。それも霊肉共に、イエスのような子の立場で愛を受けるようにしなければならなかったわけです。このような使命を持ってイエス様はこの地に来られたが、人間の不信によってその使命を完遂し得なかったのです。霊的にだけ、私たちが息子、娘であるといえる、そのようなところまで開拓されたわけです。

 それでは、神様の復帰摂理の最後の目的は何か。この地上で霊肉を備えた実体として存在する人たちが、神様から愛されながら生きることのできる基準を完成することです。

 この目的を完成するため、イエス以来2千年間役事されている方が聖霊です。聖霊が、イエス様が亡くなられてから今まで役事しておられますが、神様の創造理想の御旨を完遂する摂理的な土台を地上に立てて役事されることではなく、私たちが彼を通して天の前へ出ていけるよう橋の役割をする役事をされているわけです。皆さんはそれをよくわかるべきです。

 それでは、地上で天国生活をしつつ生きることのできる人はいかなる人なのか? 無限な霊界、天上天国で暮らせる霊人体はいかなる霊人体なのか? 地上でイエスと聖霊の愛を受け、それを越えて直接お父様の愛を受けながら、お父様と共に暮しつつ愛の理想を中心として和動の勝利者になった人だけが住めるところが地上天国であり、永遠なる天上天国であるわけです。

 天国民族の資格

 神様の創造基準からみると、そのような所が所望の天国であるわけです。これを私たちが認めるなら、今日を生きている皆さん自体は、どの圏内で神様の創造目的であった所望の天国を眺めている姿であるかを考えてみるべきです。

 黙示録14章1節に「小羊がシオンの山の上に立っていて、またそれと共に14万4千人がいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった」という御言があります。

 今日世界にいるクリスチャンたちが所望する天の恩賜は何を標準としているかというと、新郎新婦の恩賜を標準としています。これだけが全部であるように思っています。しかしながら、「それと共に14万4千人がいて、その額には小羊の名と、その父の名とがしるしてあった」といったように、父の名が問題であります。

 今日の皆さんは、新郎であるイエスを信じ新婦の資格を備えた後には、イエスの愛にだけ留めるわけではなく、そのイエスの愛を土台にして、6千年間直接愛することができなかった神様の愛を、直接愛されるその愛を受けるところまで出ていかねばなりません。

 これが神様の摂理の全体目的であり、イエス・キリストを送って2千年間苦労されてきた目的であったのにもかかわらず、今日の聖徒たちはこれを知らないのです。

 では、今日の私たちは、いつ新郎新婦の立場を越えて、勝利した永遠な実存体として、地上から天上まで、即ち、永生の天国に行ってまでお父様の愛を中心として和動できる実体になるのか。皆さんはこのような愛の因縁を持たないといけません。これがイエス・キリストの目的であり、神様が摂理される目的であります。

 皆さんは今まで、新郎新婦の愛を所望し信じてきました。今は、イエス・キリストの手を握ってお父様の前に出て、「お父様、願われた6千年の御旨を、私たちが成し遂げたと言う立場になりたいのです。神様の創造目的がこれであるということを知っておりますので、お父様、愛して下さい!」と言える皆さんにならねばなりません。このような人間たちを霊界で探すのではなく、実体世界で探す時まで、神様の摂理は終わらないということを皆さんはわからないといけません。

 イエス・キリストがこの地に来られて、霊的な息子・娘の愛の権限を獲得できる基台を造成されたので、地上の人間たちがイエス・キリストと関係を結んで一つになり、その愛の権限を受け継ぐとすると、霊界で讒訴していたサタンや、地上で人間の罪を条件として讒訴していたサタンが、讒訴できなくなるのです。


 完全救援のための苦労

 神様が造られたアダムとエバをサタンが奪ってしまったが、霊だけではなく肉までも奪われた故、天の側ではこの霊と肉を合わせたアダムとエバをサタンからとり戻してきて、神様が直接愛することのできる道を開拓するため、今日の私たち聖徒を立てられたということを、皆さんは忘れていけません。

 イエス・キリストは、このような驚くべき宇宙の創造的な一つの中心を標準してこの地上に来られました。では、イエス・キリストは最後の戦いの標準をどこにおいていたか? それは、イエスに従った聖徒たちが、神様の霊的な愛だけを受けたので、彼らが霊肉共に神様の愛を受けるようになることでした。霊肉共に神様の受けることが所望であるので、霊的な救援摂理だけをなさったイエス様は、天にいって完全な栄光が享有できないのです。天にいっても地上の人間たちのため祈らねばならないということです。

 このように、イエス・キリストの所望が今まで地上で完全に成されなかったので、イエスを中心として12使徒、楽園にいる数多い霊人たちが、この一つの所望を標準として総動員されています。

 今日、終末におかれている私たちには、摂理路程で協助した天使たちの苦労の実績が残っています。その他、数多い使徒たちの苦労の実績も残っています。このような、歴史的な苦労の全実績と条件を、今日の私たちが責任を持たなければなりません。過去の神様の摂理の御旨を代身して、苦労し協助した千々万聖徒たちとイエス、霊界にいるすべての霊人たちの怨みも私たちが解いてあげなければなりません。

 終末の私たちは、過去の歴史に代わって神様の前に出て行く時、イエス・キリストから、聖霊から認められなければなりません。そして、イエスと聖霊から認められた段階を経た後、皆さんが神様の前に出ていけるかどうかを三位神が決定するようになります。このような段階まで歴史しているのが新約摂理であるということを、皆さんはわからなければなりません。


 認定段階、決定段階、判定段階

 ここでの認定段階とは何かというと、結婚式前の婚約段階であると言えます。決定段階とは何かというと、私たちが新婦として聖礼式に出られる姿格を備える段階であると言えます。では、最後の段階は何か? これは、判定段階です。この段階は、神様が人間に対して、「これは私の愛する、私と永遠に同苦同楽できる、創造理想で所望した永遠不変の実体として神様から愛される存在」であると立たせて、神様自ら手を上げて万物の前に頒布する一日を持つようになる段階です。これが、つまり判定の段階です。

 神様の6千年間の摂理の中でも、未だに宇宙的な判定の日はなかったわけです。その一日を標準して与えられるものが審判です。

 皆さんは、このような判定の門を経ながら、神様がアダムに、「万物を主管せよ」と祝福された、その祝福を受け継ぐべきです。そうして、天の人らしく出て、「お父様、愛して下さい。キリストの所望の御旨を、聖霊と神様が願われる御旨を私が知りましたので、お父様、祝福して下さい」と言える皆さんにならねばなりません。このような人物が終末に現われないといけないわけです。

 そのような人を立てて判定した後こそ、全被造万物も、私たちを神様の実子として仕えるべきであるということがわかるようになります。神様と実子の関係が結ばれるとサタンは屈伏します。

 このような摂理歴史を前にしている皆さんは、皆さん自体を分別してどのような位置に立つべきであるかというのが問題です。まず、イエス様から認められた後、聖霊から認められる立場に立たなければなりません。これを摂理歴史から見ると、認定段階は旧約時代、決定段階は新約時代、判定段階は再臨時代です。

 今日まで歴史は、いろんな過程を経て縦的に流れています。ところが、縦的に流れている歴史が横的に展開される時がきます。6千年間の認定的な摂理、決定的な摂理を経て、判定的な摂理を前にしている私たちは、縦的に流れてきた歴史と、世紀末的な横的歴史を経て行かなければなりません。

 これは何の意味か。神様の歴史はサタンとの戦いの歴史でした。6千年間、そんなにサタンと戦ってきたが、今まで判決が出ていません。数多い先知先烈がきて苦労しましたが、地上で神様が要求される御旨をなすことができなかったわけです、このように、先知先烈たちが残した御旨を地上で「完遂した」と言える日を皆さんが迎えるべきです。終末である今日には、皆さんのわからない多くの変な現象が起こります。「私はエリヤだ」と言う人も出ます。そのような時がきます。「私はエリヤ、私はモーセ、私はパウロ」という人、あるいは、サムエルだという人も出るはずです。このような現象がなぜ起こるかというと、蕩減復帰の原理があるからです。即ち、彼らが残した使命を蕩減復帰しなければならないからです。

 彼らが蕩減復帰の過程で、神様の摂理の御旨を中心としてサタンと戦ったが、勝利の基準を立てることができませんでした。それゆえ、彼らの使命が後代まで延長されてきているわけです。故に、彼らの使命を受けた人たちが現われるのだが、使命を代わりに受けたことを知らないで、「私がパウロだ、私がエリヤだ」と言うのです。

 終末におかれている私たちがわかるべきことは、6千年間の認定的な摂理と決定的な摂理、そして判定的な摂理、これ全部を自分にかけておいて、霊肉が一つになった実体として通過しなければならないということです。そうできてこそ、歴史過程に徹したサタンの讒訴条件にからも免れることができます。そうしてこそ天の前に出られるわけです。


 すべての復帰の段階を経るためには

 終末の聖徒たちは心を大きくしなければなりません。天の無限な世界、私たちの理想として創造した永遠な天国の理想を、今日の地上の人間たちが探さないといけないわけです。霊界にいるイエス・キリストを通して探すのではなく、地上の人間を通して探すべきであるということをわからなければなりません。

 イエスと聖霊は天上におられますが実体がないので、その天国理想を地上で成すことができないわけです。それゆえ、実体を持った神様の息子・娘たちが、この地上で永遠なる天国理念を成し遂げるべきです。6千年間の歴史過程を経てきながら、サタンから讒訴された、そのすべての条件からも免れなければなりません。

 アブラハムが三つの祭物、鳩と羊と雌牛を捧げる時、羊と雌牛は二つに裂いたけれども、鳩だけは裂かなかったことによって、天がとることができなかったわけです。皆さんは、このようなことを繰り返してはいけません。

 皆さんは、最後の聖別の門を通過しなければなりません。自分自身の罪、即ち、自犯罪、遺伝罪、血統罪、歴史的なあらゆる罪悪までも聖別でき、踏んで上がるべきです。このような人にならないと、「万物を主管せよ」と言われた神様の御旨を成就しえる息子・娘になれないわけです。 皆さんは蕩減復帰歴史をよく知っていると思います。今日の皆さんは個体的な存在ではありません。神様が皆さん各個人を愛されますが、その愛は皆さん一人のための愛ではありません。6千年間の復帰摂理の過程の中で苦労された先祖たちの結実として与える愛なのです。

 この終末に皆さんが、神様が自分を愛するという声あるいは命令を受けた時、それが自分一人に留まる愛だと思ったら、それは大変な誤解です。皆さんがその愛を受けるまでは6千年がかかったわけです。ゆえに、その愛は歴史的な愛であり、6千年歴史の結実のための愛なのです。皆さんはそれをわからなければなりません。


 人間の宇宙的な価値

 それゆえ、その存在は神様の品性に似て、歴史的な摂理の御旨の前に残される愛の性品を持たなければなりません。このようなことを標準として神様は、闘争の摂理歴史を展開して来られたわけです。

 イエス・キリストが、4千年復帰摂理歴史が過ぎた後、一つの愛の結実体として現われるようになった時、多くの宗教と種族を統合して結実させる一つの実体で、天が自分を立てたということがわかりました。それゆえ、イエス様は、ユダヤ人に福音を伝える時も、自分の主張を伝えませんでした。イエス様が主張した福音は、4千年歴史を経てきながら苦労した数多い先知先烈たちを代身して、実体として主張したものです。 そしてイエス様は、福音を瞬間的な立場で伝えませんでした。イエス様は、その当時の多くの人たちが神様から愛されることは勿論であり、永遠な未来の人たちも神様の愛を受けることができる福音を述べ伝えようとされたわけです。それゆえ、人間たちが永遠に神様の摂理の御旨を受け継いで行くとするならば、そのすべてはイエス・キリスト一人の方によって始まったわけです。

 皆さんの動きは天地を代身した動きです。皆さんが神様の真の子になるのは、イエスと聖霊の所望であり、天上の千々万聖徒たちの所望です。彼らは、真の息子・娘が地上に出て、一つの勝利の基準を立ててくれることを願っています。さらに、そのような基準を立てた、神様の実子、真の実体が現われることを願っています。このようなことを私たちは悟って、自分自身を大事に思わなければなりません。そのような観点から皆さんは、イエス・キリストが、「すべてを得たとしても、あなたの生命を失うと、何の益があるか」と言われたことをわかるべきです。

 信仰をしているというクリスチャンたち、信じているという皆さん、皆さんはどれほどこのような宇宙的な価値を感じてみましたか。皆さん自身が、変わらない神様の子であるということに対してどれほど認識しているかということです。こういう意味から、イエス・キリストが、「私は神の子である」と叫んだは、今日のクリスチャンが見習うべき一つの標語です。歴史の終末期である今日、自分を立てて「私は変わらない天の息子です」と言える存在、天の前でもサタンの前でも、どんな人の前でも、変わることのない神様の息子だと、娘だと言える、そのような存在をイエスは探しておられます。そのような存在をイエスは要求しておられるわけです。


   「私は神様の子です!」

 皆さんは今までの信仰生活の中で、生命の標準を信仰的に立てようとしました。ところが天は、歴史路程で宇宙的な使命に代わって戦える人、「神様の子です」と堂々と言える人を探しているわけです。自信をもって誓って神様の前に堂々と出られる息子・娘を要求しているわけです。 無分別なサタンの讒訴条件があっても卑屈にならず、天のいかなる天使が来て追い出そうとしても防ぐことができ、イエスと聖霊が来て押し出そうとしても十分に防ぐことができる人を探しています。

 イエス・キリストは4千年歴史の代身として来て、十字架を背負って死ぬその寸前まで、「私は神の子である」という変わらない心を持ちました。死の前で、天が自分を否認する時も、イエス様は4千年の復帰歴史を切実に感じていたので、変わりませんでした。

 神様がつくられた全被造物の中で、神様の子、霊肉を持った神様の子女はその時までなかったのです。

 イエス様がこの世のいろんな試練を乗り越えることができた一つの基準は何であったかというと、自分は神様から愛される息子であるという認識でした。この認識を持ってイエス様は、いかなる苦難も乗り越えつつ堂々と戦ってきたわけです。

 このような所望と抱負を持ってこの地に来られたイエス・キリストが、この所望と抱負を人間世界で実践すべきだったイエス・キリストがどうなりましたか? 思いもしなかった十字架は何でしたか? 皆さんがもし、イエス・キリストの心情に共鳴できる立場で、いくら地を叩き万物を呪っても、彼の悲しみは解けないと思います。

 神様がイエスを捨てた理由と変わらなかったイエス

 長い歴史を経てきながら、人間が神様の心情を蹂躙し裏切ったので、蕩減復帰によってイエスが人間の代わりとして神様から捨てられた立場におかれたわけです。

 イエスが、「お父様、どうして私をお捨てになりますか?」と言われながら十字架で亡くなられたことは、私たちの先祖であるアダム、エバから4千年間、人間たちが神様を裏切って犯した罪の蕩減のためでした。人が神様を捨てたので、蕩減原則によって、神様がイエスを捨てるしかなかったわけです。

 しかし、イエスは天を裏切りませんでした。神様の子は、サタン世界へ投げても、地獄へ行ったとしても神様の子です。このような中心をもって30年の生涯を捧げ苦難の道を歩んだイエス・キリストでした。

 このようなイエス様を信じている皆さん、新郎であるイエスの前で新婦になるため信じてきた今日の皆さん、今や皆さんは6千年の歴史を代身した神様の子として立つべきです。神様の前でサタンを讒訴することができる人を天は探しているわけです。

 今日までの数多い聖徒たちは、「どうしてイエス・キリストや聖霊までもサタンから試練されなければならないのか」ということに対して考えます。それは、霊肉をもって完遂をすべき使命が未だに完遂できてないからです。

 それでは、今日まで2千年間、イエスと聖霊がサタンと行ってきた戦いはいつ終わるか。神様に対するサタンの讒訴はいつ終わるのか。これが終わるためには、イエス・キリストのように、4千年歴史を代身して罪とサタンに勝った神様の子であると堂々と言える中心を持った人が現われなければなりません。そうすると、6千年間神様に讒訴してきたサタンを退けることができ、イエスと聖霊がサタンと行ってきた戦いが終わります。これをクリスチャンたちはわからなければなりません。わかってみるというものです。

 楽園にいるかわいそうなイエス・キリストは、今日までも罪人である人間たちを探さなければならない運命におかれています。皆さんが休む時間にもイエスは祈らなけらばならないわけです。聖霊も神様も休めません。このように、少しも休めない歴史を経て来ているのです。

 今私たちは、神の子であるという意識を持って、「神様の体面、イエスの体面、聖霊の体面が私によって立てられます」と祈ることのできる祭物にならなければなりません。皆さんは神様の体面を立ててあげるべきです。イエスの体面を、聖霊の体面を立ててあげるべきです。

 人類を愛すべき天倫の因縁を持っても、人類に愛されることができない、はがゆい立場におられる神様は、内的にはそのような条件にかかっていたわけです。

 万一神様が、「天地を代身して誇ることができる資格を持った私の子」と言われる、そのような存在が現われるならば、その時はサタンは讒訴できません。その時はサタンは讒訴できなくなるわけです。

 イエス・キリストが「私は神の子」であるという意識を持ったように、私たちもイエスと聖霊の苦労を受け継いで、6千年歴史の終末期である今日、全宇宙に対しても、「神様とイエスが願われる御旨がこれです。私は歴史を代身した神様の子です。私だけが神様の子です」と言える聖徒たちが、この韓国に多ければ、そのような聖徒が世界のどの国よりも韓国に多ければ、韓国は世界の中心国家になります。

 今私たちは、息子・娘の意識を完結して、勝利の一日をお父様の前に立てて、サタンの前で誇れる存在、天がそのような存在を探しておられるということをわからなければなりません。


 神様が探している人

 今まで6千年の歴史が過ぎましたが、神様が、霊肉が完結された一つの存在をサタンの前に立てて、「お前が今まで反対した人間の中で、永遠に反対できない私の真の息子・真の娘を立てるので、お前はこの前に屈伏しなさい」と言える存在がなかったわけです。

 天はそのような人を探しています。これを成すため再臨主が来られるわけです。このようなことを言ったら、私を気違いあつかいします。思うべきことを思わないで………。しかし、これは本当です。皆さんはこれをわからないといけません。

 今日の私たちは、6千年の歴史的使命を決定し、判定できる神様の権限を受け継いで、神様の代身として審判できる権限をもって、主が審判される時、その主に協助できる人にならねばなりません。

 イエスは自分が神様の子であることがわかりました。その次は、神様の御旨のため戦ったわけです。私は神の子である。今までわからなかった、誰も主張しなかった神の子である認識を持っていたわけです。神様の子になった私、神様の御旨を引き受けた私であると認識し、堂々と出ていくことができました。歴史過程の中で数多い先知先烈がいましたが、神様の子として、「神様のことはすべて私が引き受けます」という人は一人もいなかったわけです。イエス様だけでした。それゆえ、イエス様が救世主になったのです。

 終末にいる私たちは、6千年歴史を摂理してこられたお父様の前へ、「6千年歴史を代身としたお父様の子ですので、お父様の御旨を私が引き受けます」と言いながら出ていくべきです。イエス様を見なさい。お父様の御旨をやる時は、滅ぶことも死ぬことも気にしませんでした。滅ぶか死ぬかを問題にしたらいけません。条件がないのです。イエス様を見なさい。サタンを屈伏させる道なら、体なんかどうなってもその道を行きました。これが神様の子である、神様の御旨を代身できる忠節の精神であるわけです。サタンを屈伏させる道があるなら、死もかまわず歩まれた………。

 この終末に、神様を代身したイエス・キリストが残した偉業を私たちが受け継いだとすると、私たちは死を冒してでもサタンを屈伏させる道を行くべきです。サタンを屈伏させることのできる道を知り、その道へ一緒に行ける聖別された群れが現われるなら、この世は神様の世になるはずです。

 神の息子として、神の御旨を代身した後、初めて神の愛を受けることができます。神の愛は争って得られるものではありません。

 神様は、平和の愛の園を造るため被造万物を創造しました。喜びの中で万物と関係を結ぶため万物を造られ、喜びの中で人間と関係を結ぶため人間を造られました。人間が戦い、サタンが戦う天地になることを願われたわけではありません。それは天理法度の原則からはずれることです。それゆえ、人間を愛で引き上げるため、その愛の役割を聖霊がやっておられるわけです。そして人間が、イエスと聖霊を通して天を探してくれることができました。

 「聖霊よ! イエスよ! 神様よ! 私に恵みを与えて下さい」と言いながら上がっていくだけなら、恵みは取られてしまいます。終末であるほど神様の恵みは降りてくる時なので、イエス様が再臨するのです。 今日の道理の世界は、上がっていく一路を開拓し、今は永遠に上がっていく道を探そうとする人たちだけがいます。ところが、上がっていくばかりではいけません。時を通して上がっていく段階を経て、再びその恩恵をもっておりてきて、なすことのできる人にならねばなりません。


 私たちが特に越えるべき峠

 今私たちが、天の恩賜を取り戻し、神様の子であるイエスを中心として神様の御旨を代行しようとするならば、イエスと聖霊に対してサタンが戦ってきたことが何であるかと言うことをわからねばなりません。そのサタンを屈伏させることのできる方便を知るべきです。

 今私たちが、特別に越えるべき峠は何かというと、神様とイエスと聖霊に対して戦ってきたサタンを屈伏させることです。そうするためには、サタンが戦ってきた盾は何か、サタンがどういうふうに条件を立てて侵入してきたかということを知らねばなりません。これを知ると、サタンを自然屈伏させることができます。そうなってこそ、神様は皆さんに対して、「私の永遠なる息子」と言えるわけです。

 それでは、サタンはどんな存在なのか。サタンはどうできたのか。ここにもサタンに似た人は多いみたいだけれど………。

 私たちの前には、生きていけないと死んででもいくべき宇宙的な運命の道があります。何億千万年かかっても、私の霊が死なない以上、その霊によってでも行くべき道があります。永遠な生命の路程で、生きてこの道を経ていけないと、死んででも行かなければなりません。過去の先知先烈たちも、永遠な生のため一身上の問題から離れて、その道を歩みました。

 イエス・キリストもサタンと戦うため荒野に立つ時、一日断食をやったら駄目だったので、2日をやり、10日を、20日を、40日をやったわけです。皆さんは、1回指した鉄砲玉のような運命、戻っていけない運命におかれています。イエスもこのようなことを意識して出た時、その道を行かざるをえなかったわけです。統一教会に入ってきた皆さん、皆さんも行かざるをえなこに入ったのです。これを忘れてはいけません。

 イエス様も、死の障壁がさえぎられた時は悲惨でした。全民族が、ついてきた使徒たちが、すべての人が裏切った時、これ以上悲惨な場合があったでしょうか。しかし、人たちは後ろを向くことができましたが、死の道でも後ろを向くことのできないイエスの立場を、皆さんはわかるべきです。

 今日の皆さんが、イエスを信じ、天の御旨を捧げていくことにおいても、そのような決心を持って、教会と民族を導き、世界のために訴えるなら、神様の息子・娘にならざるをえなくなります。このような覚悟で、皆さんは神様の御旨をを代身してやっていかねばなりません。

 イエス様は、霊界へ行かれたとしても休んでおられるわけではありません。霊界でも、十字架と苦難とそれ以上の試練があるとしても、私たちを探すため、この地を探すためサタンと戦っておられます。このような、天宙的な試練と戦いが行なわれているこの時、皆さんは、「サタン、お前が来ても来なくても、私は変わりなく行く」という気迫を持って、試練を恐れてはいけません。そのような人が、つまり神様の民であり、神様の息子・娘です。

 今私たちは、神様の子女としてお父様を中心として家庭をなし、民族をなし、お父様から愛される国家と世界をなし、さらには、お父様の願いに適う地上天国までなすべきです。これが、神様の永遠な御旨です。 このような歴史的なすべてのことを皆さんが知って、前後左右からサタンが讒訴できないように防いでサタンの侵入を退け、さらにはサタンを屈伏させる皆さんにならねばなりません。

 創造理念から見ると、初めて実体をもって神様の愛を受ける子女になってから、主管されるべき人間を堂々と主管できる人はどこにいるか! このような人になる前は、天国には行けないのです。それゆえ、今まで天国に入った人がいません。

 楽園とは、中間過程の霊界です。

 このような、宇宙的な運命の生涯を乗り越えて行くためには、攻撃してくるサタンを完全に退けることができないといけません。このような人にならないと、神様の苦労は皆さんを通して解けないということです。それで神様は今日まで、サタンを完全に退けることができる人、あなたの苦労の心情をわかってくれる真の子女を探しておられるのです。

 もし人間たちが、神様のその苦労を永遠にわからないならば、この地上に天国は成し遂げられません。霊界でも天国は成し遂げることができないということです。


 天国を所有した人

 それゆえに、今の皆さんは、地上でのサタンとの戦いから勝利の一路を開拓する開拓者として、先に立って旗を上げて出ていくべきです。このような覚悟と決心が皆さんに必要です。

 皆さんにお父様の前に出たいという所望があるなら、自分一人で「億千万のサタンよ! 私に来なさい。私の行く道を24億人類が反対しても、天地が反対しても、私は行く」と言えるべきです。皆さんは、そのような覚悟でお父様の前に誓って出て行かねばなりません。

 家庭の、民族の、国家の全人類の迫害があっても、24億人類が統一教会を滅ぼそうとしても、そこで負けてはいけないという覚悟をもって行かねばなりません。行くべきか、行かないべきかとためらってはいけません。出てきた道なので、行かざるを得ない立場にいる私たちであることを忘れてはいけません。

 サタンと戦うため出て来たという皆さん、サタンに勝ち、4千年の歴史を代身して第二の勝利のアベルとして立てられることができたイエス・キリストが抱いた誓いと覚悟、神様の御旨を引き受けて戦うという責任感を、皆さんは見習うべきです。イエス様が、そのような覚悟と誓い、そのような責任感をもって戦ったので、サタンを屈伏させることができたわけです。

 今は、霊肉を持った、実体を持った私たちがサタンを屈伏させるべきです。この地上にそのような生きた存在が現われてこそ、初めて6千年間摂理して来られた神様の苦労の心情も、イエス・キリストの苦労の心情も解けられます。

 そして、神様が主管できる天も私たちのものに、神様が主管できる地も私たちのものになるわけです。これは神様の創造目的です。皆さんは、そのような神様の創造目的を成すため、地上で責任を持って戦って、勝利する人だけが天国を所有することができるということをわかるようにならねばなりません。





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
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Last updated  2021.01.31 01:01:42
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