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2021.02.20
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​​​​​​ み旨に背信する者となるな

一九五七年十月二〇日(日)前本部教会




今日この時間、皆さんと共に暫くの間考えてみたい御言の題目は「み旨に背信すう者となるな」です。


 人間が永遠なる理念と生活圏で生きられなくなった理由

 今日我々が生きている生活環境は、信義の法度を捜し立てるには、極めて難しい環境です。また一人の親友を捜し、永遠の友の関係を結んで人生路程を経て、永世の路程までも共に愉しみ、共に生きることができるそんな親友を持つということは、とても難しいことです。

 単に親友のみならず、家庭においても永遠に共に生きることができる夫婦、永遠に共に生きることができる父母、永遠に共に生きることができる兄弟を持つのは難しい世の中であることを、皆さんは良く知っています。

 我々の心を見渡してみるとき、自分の心が変わらないで、自分が生きている環境のすべてのものが変わらない中で、驚くほどに大きなある理念圏内で共に生きることを、人間はこの時間にも痛切に願っているのです。

 元来、人間は互いに永遠に信じることができ、永遠に頼ることができ、また永遠に愛することができる心を持ち、自分のすべてのものを他に任せ、自分のすべて良いものを他に誇ることができる、そんな環境の中で生きるようになっていたのです。ところがこのような環境を失って、これを再び捜し求める必然的な運命を背負うようになったのです。

 このような事実が、偶然の歴史としてあるのではないのです。ここには我々が知らないある曲折があったのです。今までの歴史路程を経てきた我々の先祖たちに、絶対的な信義の大原則に背反した条件や、我々が知らない、仕出かした暗黒の条件があったので、これが今日皆さんの血と肉を押さえつけていると同時に、皆さんの生活環境まで押さえつけているということを、皆さんは知らねばなりません。

 それでは、このような立場にある今日の皆さんは、どうしなければならないのか。元来人間が持つべきであった本然の理念を中心として、不変の信義の姿を得て、永遠の理念を自分の理念として、永遠の信義を自分の信義として、生活圏内において現さなければなりません。こうして自身の人生路程を越えて永遠に愉しことができるその一日を迎えなければならないのです。今日数多くの人々は正にこんな一日を待ちわび、求めているのです。 それでは我々はどんな存在であるかといえば、未だに堕落の血統を脱ぐことができない存在なのです。即ち、罪の枠の中から解放されていない我々であるのです。ですから今日皆さんには、罪の絆を断ち切る責任が残っているのです。今まで生きてきた自分の誤った生活を反省して、間違っていた一連のすべての動きを止めなければなりません。我々が愉しことができる環境と、生の理念を捜し求めなければならない運命が、我々には未だに残っていることを皆さんは知らねばなりません。

 我々がこのような立場にあるのは、すべてが堕落したからなのですが、この堕落とは何を意味しているのか。人間が永遠に変わろうにも変わることができない中心体として、信仰の目的を完成した理念の中心体として、また万物に対して永遠なる存在として現れなかったことです。即ち、互いに変わろうにも変わることができず、分けようにも分けることができない人間と神の関係が、分けられ変わってしまったことが、堕落なのです。これが今日まで、我々に悲しみとして残っているのです。




 天に背信することによって引き継がれた悲しい歴史

 それでは今日、自分一個体即ち、自分の体と心によって現れる自分の生活のすべてが、神のような絶対的な善と、絶対的な義を代身していないということを感じるとき、自分自身が悲しむことが何でしょうか。自分の体と心に神に背信した背信の痕跡が残っていることを、悲しまなければなりません。

 人間が天倫に背信しなかったなら背信という名詞、不信という名詞がなかったのです。神と切っても切れない息子・娘の関係を立てなければならないアダムとエバが、天のみ旨に背信したこの事実が、今日宇宙の悲しみであり、歴史上のすべての人生の悲しみとして残ったのです。のみならず、これが今日私の心と体の悲しみとして残っている事実を、皆さんは知らねばなりません。

 今皆さんはこのような歴史的な条件を持っている自分をアボジのまえにおき、怨讐に対して闘っていかなければなりません。さらには自分の生活環境と闘い、地上のすべての暗闇の権勢に対抗して闘わねばなりません。皆さんは正にこのような生の運命を背負っているという事実を、知らねばなりません。

 それでは今日の私一人の姿を立て、神の絶対的な信義の法度を捜し求めるとき、自分も知らないうちに背信の立場をとっていることを、我々はどのように防ぐのか。血統的に因縁があるのであり、心と生活と社会環境の全体がこのような背景を持っているのを、どう貫いてゆくかが問題なのです。

 神様は人間を創造されて後、六〇〇〇年の歴史を摂理されてきたという事実を、皆さんは知っています。この過程において数多くの先知先烈たちを送られて、彼らをしてご自身を信じさせ、変わることのない因縁を結ばせようと苦労されたことを、また皆さんはよく知っています。

 それではその神の心情は、どうだったのでしょうか? 無限に人間を愛されようとされました。それで神は今まで人間のために、背後で苦労されたのです。ですから今日皆さんは、このように数千年の歴史過程を耐えてこられ、払い落とすことのできない神の内的な悲しみ、永遠に変わらぬ人間として神の永遠のみ旨を代身してゆくという人間を捜し求めてこられた神の内的な切なさを、探りだして知る人間にならなければなりません。

 神はどのようなお方か。六〇〇〇年の間耐えてこられ、人間をして天を信ずる信仰の条件を立てさせるために、苦労されたお方です。人間が堕落した後、今日のこの時間まで、ご自身を背信しない人間がいない立場で、彼らを許して抱いてやらなければならない悲しい心情を持って来られた神様であったのです。これを皆さんは、はっきりと知らねばなりません。

 それでは我々が信じているアボジと、我々が侍っているイエス、そのイエスとお父様が今まで数知れぬほど背信されても信じ、また信じたその心情を知る人間がいたとしたら、彼は社会的であり、国家的であり、歴史的なすべての背信の条件を踏み越えて、アボジと共に直接話し合うことができる資格者になるのです。皆さんが正にこんな人間になろうとすれば、皆さんは神の心情をよくよく知らねばなりません。

 神が不信した人間を今まで許してこられたその心情を知る人間が、地上に何人かでもいるでしょうか。今日この時間に集まった皆さんは、神のその心情を感じてみなければなりません。背信した人間を見やり、耐えて彼らを再び捜し求めてこられた、神の切ない事情を感じてみなければなりません。今皆さんが数千年の歴史のうちに、背信されながらも耐えて人間を愛され、信じてこられたその神の心情を知る人間にならなかったとしたら、皆さんは歴史的な背信の路程を打破することはできません。

 それでは人類歴史において、人間が神を背信したのは、どこから出発したことか。一番初めにアダムとエバが家庭を単位に、神の愛の主管権を背信したところから出発したのです。神の創造理念を立ててあげるべきアダムが、天使長によって堕落して、天のみ旨を不信することによって背信の歴史が出発したということを、皆さんは知らねばなりません。 このような歴史の中で、神は信じることのできる一人の人間を再び捜し立てようと、一六〇〇年を苦労されてノアを立てたのです。神様はノアに一二〇年間苦労させ、ご自身のみ旨を成そうとされたのですが、彼も成就できませんでした。こうしてこのみ旨はノア以後、歴代の信仰の先祖たちを経て、モ-セまで下ってきました。


 この地に信仰を立てるために現れたイエス

 神様はアダム家庭が違えたことによって堕落した人間が、いろんな民族と化してしまったので、この数多くの民族を代身して信じられる一つのイスラエル民族を選ばれ、またこの民族の中でモ-セを選び立てられたのです。ところが、神がモ-セを通して変わろうに変わることができない天倫の法度を立てたのに、モ-セに従ったこの民族は神に背信したのでした。



 それでは当時、民族的に受け入れなければならないモ-セに背信した人々が、国家的に受け入れなければならないイエスを果たして受け入れたか。むしろこのイスラエル民族はイエス様を家庭的に背信し、社会的に背信し、国家的に背信したという事実を、皆さんは知らねばなりません。

 歴代の先知たち、あるいは歴代の先祖たちがみ旨のまえに現れ、天の使命を担おうと出るときに、神は信じられる彼らが事を成すことを願ったのです。このような歴史的な条件を立てようと天の使命を任された方たちが正にノアであり、アブラハムであり、モ-セであり、またさらにはイエス様であったことを、皆さんは知らねばなりません。

 それではイエス様はどんな心情を持って、この地に現れたのか。イエス様は神のすべての悲しみを代身して現れ、神の歴史的な御言を代身して現れ、神様が捜し求めた所望の実体として現れた方です。それではイエス様がこの地上に来られ、何を感じられたか。イエス様は自身が神の御言を持って現れ、世の中に向かって叫ぶとき、その御言は歴史的な御言であると同時に、長い歴史を通して数多くの先知先烈たちが現そうとした御言であることを感じたのです。さらにはこの御言はまた、長い歴史過程を経てきて、数多くの人々から背信された御言であることを感じられ、不信のこの地上に信じられる一人の姿を無限に求めておられるアボジの、切ない心情を感じたのでした。

 さらにイエス様は、神がエデンの園ですべての勢力を注いで人間を創られ、切るにも切れない理想的な愛の実体として立てようとされたその愛の心情を感じ、背反したアダムとエバの立場をご自身が復帰し、完結させなければならないという使命感を感じたのです。イエス様の立場は、堕落を案じられた神の立場でもありませんでした。イエス様は堕落した人類の痛む心情を感じ、切ない歴史過程を天倫をおいて秤にかける立場に立っておられたのです。見えざる実存に対する見える実存体として、御言を叫んで現れたのです。彼はまた神の心情を抱え、神の形状として現れたのでした。

 長い歴史過程を通して数多くの人間から排斥され、蹂躪されたその御言を自分自身のものとし、排斥され蹂躪されたその心を自身のものとし、聖殿としての体を自身のものとしてイエス様は抱きしめて現れたのです。



 イエス様は天のアボジのまえに御言を持って現れるとき、歴史的な過程で排斥されたすべての御言を復帰して、先祖たちがそのままにした背信の罪悪を蕩減して、アボジを慰めるべき責任を感じたのです。こうしてイエス様は「おお 、アボジよ! アボジの心情と心を蹂躪して踏みにじった先祖たちの四〇〇〇年の歴史を、わたしを見て慰められ忘れてください」と祈祷する心を持って現れたのです。イエス様は自身が地上である何かを精算しなければならない使命を感じたのです。歴史的なすべての背信と、現実的な背信の内容を追放し、再び背信の歴史を後代に残さないという心に染みて生きたことを、皆さんは知らねばなりません。

 イエスの覚悟

 イエス様はこんな使命に責任を負い、天に対して覚悟したのでした。イエス様は神の御言を叫ぶ所に背信の歴史が起こり、神の心を持って現れる所に悲しみと怨痛があり、神の体が現れる所にサタンの矢があることを知られ、また覚悟されたのでした。

 このようにイエス様は現実的に自身の立場を擁護してくれ、自身を守ってくれることを願ったにもかかわらず、不信する人間に対して、黙々として耐えたのでした。人知れぬ悲しみを抱いて、人類のためにゲッセマネの園で、あるいはカンラン山で独り祈祷されたその哀しい心情を、今日皆さんは知らなければなりません。

 当時の地の人間とイエス様を比較して見るとき、イエス様は誰よりも惨めな人間だったのです。そして歴史過程の数多くの人間から背信された御言を持って、その御言の主体であられる神の心を代身して地上に現れたイエス様と共に、その御言を抱き締め「おお !わが主よ、わが新郎よ、わが導き手よ! 私たちの命をアボジのまえに導いてください」と祈祷する人間は一人もいなかったのです。

 四〇〇〇年苦労された神の歴史が、背信によって終結する事実を感じるイエス様でしたが、それでも背信する人類のために涙を流されたのでした。天地にみなぎる神の哀しみを感じながら、背信する人々を捜し求めて行くイエス様に恨があるとすれば、これが無限の恨であったのです。

 しかし彼は四〇〇〇年の間、背信されながらも人間を捜し求める神を思うとき、背信されても悲しむことができず、生活が困窮しても落胆できない立場におられ、自身の生命が祭物になる恨があったとしても、アボジのみ旨を拒否することができない立場におられたのでした。

 四〇〇〇年の間背信した民族をそれでも捨てられず、愛によって対されたアボジの心情を感じるイエス様ですから、そのアボジを慰めることができたのでした。さらにはアボジと親しくすべてのことを話し合うことができる立場に立たれたことを、今日皆さんははっきりと知らなければなりません。

 それではイエス様はこの地上で、何を所望とされたのか。背信の歴史を精算し、背信する現実を克服して、背信する後孫たちが現れないことを、イエス様は願ったのです。ところでそのイエス様の所望が、今だに成されないまま、今日皆さんの所望として残っていることを、皆さんは知らねばなりません。

 今日私自身を考えて見れば、自分が生きた過去が背信の立場であり、自分が生きている現実が背信の環境であり、私は子孫たちのまえに背信の根なのです。このように私自身はこんな背信の過去を持っているのであり、背信の現実の中に生きており、そして自分自身の後孫に対して背信の根になっていることを皆さんは知らねばならず、またこれを切なく思い、悲しく思わなければなりません。

 それではイエス様が地上に来られ、民族のまえに背信され、国家のまえに反逆者として追われ、ついには強盗よりもひどい罪人として追われたのですが、このような立場であっても、彼らの罪を彼らに負わせないで福を乞うたその心は、どこから来たのか。これは歴史上の背信の民族に対して、数千年の間耐えてこられたアボジの切ない心情を感じるところから来たのです。自身の生命が祭物として消えたとしても、アボジが四〇〇〇年の間背信されてきた心情にはとても比べられないことを悟っていたので、死の峠を越えても背信する群れ、背信する民族に対して福を乞われたということを、皆さんは知らねばなりません。

 またイエス様はこの地に来て逝って以後、今も引き続いて我々を捜し求めておられるのです。今まで人間は不信の歴史過程を経てきているのですが、イエス様は今日も人間を信じておられるのです。時と場所を選ばず、背信する環境におかれている人間に対して、呪うのではなくむしろ救援のみ手を差し延べておられるのです。ところが未だにこの地上には、イエス様の御言を代身し、イエス様の体を代身し、イエス様の心を代身して現れる人間が、一人もいないのです。さらにはこのような民族や国家もありません。当時イスラエル民族は、イエス様のみ旨を代身し、その御言を継承しなければならない民族だったのです。ところがイエス様が行かれる所々に歓迎する人間がなく、御言を持って来られたのですが、いつどこの場所でも、誰一人歓迎する人間がいなかったのです。


 追われ排斥されても神を求めてゆく道

 イエス様はこのような歴史的な道を経て行かれたので、皆さんもこの御言を抱えて行くときには必ず兄弟から、あるいは教団から、あるいは民族から排斥れるのです。しかし皆さんはこのように排斥される環境にあっても、背信する者たちのために福を乞うことができる人間にならねばなりません。

 それでは今日皆さんが持っている御言、信じている信仰、立てている宗教理念はどんな状態におかれているのか。二〇〇〇年前、イエス様が個人から家庭・教会・イスラエル民族・国家から背信された立場を経て来られたので、これが今日民族・国家を越えて、世界に至るまで排斥される段階に留まっているのです。

 皆さんが、エデンの園でカインがアベルを殺した後の今までの歴史が、悪が善を打つ歴史であったことを知るなら、天に向かって行くにおいて、排斥する者が真ではなく、排斥される者が真なのであり、さらには彼らが天の歴史を成してゆくということを、また知らねばなりません。

 それでは今日どの民族が世界を代身して、すべての面において排斥される立場にあるのか。天のみ旨を捜し立て、天のみ旨を代身することができる、天に近いこんな民族があったとしたら、その民族はその民族が持つすべての面で、排斥される歴史的な運命を持っているのです。

 それではこの民族は何によって背信されるのか。アダムとエバが堕落する時に、天使長との間に起こったそのすべての条件を通して、背信されるのです。ですからまずは御言を中心とする背信を受けるのです。園の中のどの実も食べてよいが、善悪を知るの木の実だけは取って食べてはならない、という約束の御言が背信される立場に立つのです。

 即ち天使長が現れて、取って食べると眼が開けて神のようになるという、この言葉を通して一つの国、一つの理念圏内において、国の理念的なものが現れるように、そのような歴史が現れるようになるのです。

 ですから一つの理念、一つの目的、一つの中心に向かう心が、第二の心の形態として現れ、新しい目的を示すかも知れませんが、結局は背信の起源を造るようになるということを、皆さんは知らねばなりません。

 それでは、この背信の起源は何を通して起こるのか。言葉を通して起こるのです。それゆえ終わりに日にも天のまえに立てられるべき民族があるとしたなら、この民族はある一時、言語までも背信される立場に立つのであり、その国の言葉を代身する文字があったとしたら、その文字までも背信され、さらにはその国の歴史、その国の民族性までも蹂躪される立場になるのです。

 では今日、世紀末的な終末のこの時を見渡してみるとき、そのような国がどこかといえば、正に韓国であるのです。韓国は歴史上に数多くの民族の侵略を受けてきて、多くの背信者たちが出ました。我々は日帝の圧政下において、我々の言語も失ってしまいました。我々の文字も、我々の民族性も、我々の誇りも、我々の理念も、みな抹殺されたのです。 またさらには、今日では同じ民族同士が互いに背信する立場におかれています。同じ民族同士が互いに背信すると同時に、兄弟同士が背信し、父母、親戚が背信し、父子の間で背信する、そんな背信の峠を経てきているのです。

 それではこの民族はどうしなければならないか。この民族は神が人類のまえに背信されたその悲しみの心情を、ある一時ある瞬間に受けるのです。その時にこの民族は、イエス様が神の心に背信した民族に対して呪うのでなく、むしろ彼らのためにゲッセマネの園で祈祷されたように、今日この民族も背信する世界の為に、天に向かって祈祷しなければなりません。それでこそ、この民族の生きる道があるのです。

 それゆえこの民族は、背信する世界を屈伏させなければなりません。むしろその背信を通して、背信を受けたイエス様の御言を自分の御言として、背信を受けた神の心を自分の心として、背信を受けた先祖たちの体を自分の体と思って、天のまえに跪いて訴えなければなりません。


 言葉を分別できる人格完成者

 天が無頓着でイスラエル民族が滅んだみたいですが、イスラエルの中にイエス様が出たのであり、この国が滅んだようですが、この国に神の所望があるのです。であれば今、この民族がしなければならないことは、六千年の間背信されてきたアボジの御言を、自分の御言、自分の体、自分の心と思い、六千年のアボジの悲しみを自分の心情で体恤しなければならないのです。

 皆さんは今、誰も頼らないでください。誰の言葉も信じないでください。誰も批判しないでください。皆さんは本来、誰かに頼る人間ではありません。誰かを信じなければならない人間ではありません。また誰かを、批判しなければならない人間ではありません。本来の人間になっていないので、他人に頼り、他人の言葉を信じ、他人の行為を批判するのです。

 それゆえ本来の目標に向かって行くべき皆さんは、信じる信仰の自体になり、頼ることのできる自体になり、批判することができる自体にならなければなりません。即ち、自体に頼り、自体を信じ、自体を批判することができなければなりません。

 神が人間に対して黙々と耐えてこられてように、皆さんも誰よりもよく耐えなければなりません。こうして黙々と自分自らに頼り、自らを信じ、自らを批判できる人間にならねばなりません。

 それのみならず、このような自体を立て「アボジよ! 私をご覧になって慰めとしてください」とすることができる立場になり、アボジが私を信じてくださり、私がアボジを信じ、アボジが自分であり、自分がアボジになるという関係を結ぶようになるとき、天の悲しみは皆さん自体から離れてゆくのです。そんな時に、皆さん自体には神の闘いが終わるようになるということを、皆さんは肝に銘じてくれるように願います。

 皆さんは今、むかしアダムとエバが横から聞こえた言葉を、分別できなくて堕落したことを悟り、これを分別することができる人格の完成者にならねばなりません。もしもアダムとエバが天から付与された本性によって、天使長の言葉を分別できたなら、彼らは堕落しなかったのです。ですから今日、皆さんもその心が永遠なる理念を通し、永遠なる天倫を代身して不動の役割をすることのできる完全性を得たなら、その心は皆さんをして堕落させることはないのです。

 それゆえ今皆さんは、数千年の歴史を通して背信された中で、弁明すればいくらでも弁明できるのに、一日一時も弁明されないアボジと、また二〇〇〇年の間、弁明すれば無弁に弁明できるのに弁明することなく、地の為に案じておられるイエス様を信じる人間として、黙々と耐えて弁明しない人間になり、さらに自身が第二の天使長の立場であることを暴露できる人間にならなければなりません。

 今日、周囲には皆さんの環境を危険にさらし、侵犯しようとしている億万サタンがいます。こんな時、皆さんに天倫を売る心があってはなりません。天のみ旨を知って感じ、体で体恤しなければなりません。その後でこそ皆さんはすべてのものを見て、判断することができるのです。それで神はその一日を、大審判の日として待ちわびておられ、イエス様もまた二〇〇〇年の間、億万サタンと闘って、その一日を待ちわびておられるのです。言いたいことをみな言う人間は、持っているものがないのです。やりたい事をみなやった人間は、栄光の基を持つことができません。生きたいように生きた人間は、後世の反逆者となり、背信者となったことを知らねばなりません。背信を受ける立場でも、言いたいことをみな言わず、生きたいように生きてみなかったお方が、正にイエス様であり、また我々の先祖たちであったのです。ですから今日皆さんも、このような事実を悟り、自身の生活圏内で不変の自分として、自制することを知らねばなりません。

 皆さんはいつ、いかなる時に、天に背信する場に立つかも知れないということを、肝に銘じてください。もしも皆さんが背信する立場に立ったなら、皆さんはどんな条件に引っ掛かるか分かりますか? 皆さんは六〇〇〇年の間、背信の悲しみを耐えてこられたそのアボジを背信するとき、皆さんは終わりの日の審判を避ける道がないのです。天が皆さんに対して、六〇〇〇年の悲しみを一時に蕩減させようとする大審判の日を、皆さんは越えることができないのです。

 それゆえ今、皆さんは世の祭物として無言のうちに十字架につかれたイエス・キリストの心情を、代身する心を持って行かねばなりません。行く時は一年ではありません。十年でもなく、三十年でもありません。一生を経て、皆さんの後代にまで継承させるほどの信仰を持って行かねばなりません。

 皆さんは自分を開拓し、自分を輝かせ、自分と天が結ばれた因縁が、このすべての邪悪な世を超越して、宇宙的な終末圏まで越えられることを悟り、自身の生活圏内でアボジと共に愉む勝利的な条件を得なければなりません。そんなとき、皆さんは天倫とみ旨に背信しない、永遠なる勝利の息子・娘として立つということを、肝に銘じて下さい。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.02.20 23:49:21
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