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2021.08.03
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​​​​​​​​​​​ 「世界の中心点と我々の新しい希望」

1974年2月6日
松涛本部で


 「世界は入り乱れて、主人なき世界に進展していくに違いない。こういう時代性に立って、万民が求めるものは何かというと、世界を指導する人格の中心者はいずこにありや、ということである」

 我々人間世界において、もし中心者、あるいは中心的基盤が無かった場合には、とんでもないことになる。ということは、個人において社会において国家においても同じことである。

 もし、個人において言えば、良心を中心として、ある目的観に立った、自分の中心基準をはっきりと持っておるならば、その環境がいかに辛くても、外的にいかに難しいとしても、それを治めていく道はいくらでもある。しかし、中心的基準が立っいないと、いくら外的に立派な人であっても、ある目的を成し得る人格者にならることはできない。

 家庭を中心としても同じである。立派な家庭と言えば、必ず中心者を中心として、いかなる立場でも動揺しない、あるいはいかなる難しいことがあっても、それを打破していけるような中心的家庭の主人があったとするならば、家庭は必ず環境を乗り越えて生き残ることができる。

 それと同じように、ある社会の団体、業千でも、その中心者いかんによって、それが発展するか否かが決るのでる。

 だから中心者如何によって全てが左右される。それを拡大して、日本の国と言えば、一億一千万の心をまとめる中心的基準がもし立ったとするならば、難しいことがあろうとも、に刺激しあって行くならば、その外的な難しい環境を打破していく道は、いくらでもある。



 世界に中心点がない

 問題は何かと言えば、世界人類が、あるいは各国が、共に求めあう中心的基準が立っていないから問題である。世界万民が慕い求めていくような中核的中心点がもし得られたとするならば、そこより全ての新しい方向は成し得るのは当然のことである。

 こう見た場合に、世界全ての国を見ても、この世界には中心点がない。過去、現在、未来を通しての不変なる中心点を持っているかというと持っていません。これが問題である。外的にいかに悪いことがあろうとも、それが問題ではなくして、中核たる中心の基準が世界を押えて立ち得るその基盤が無いのが問題である。

 民主主義を中心として見ても、今のアメリカが民主主義の指導国家としてやってきたのだけれど、アメリカ自体が今になって何の中心も持っていない。アメリカの相当ハイレベルの人々に会って、打診してみたけれど、彼等の内心において、世界を指導できる中心的何ものも持っていない。ただ、一個人の出世にかけ、あるいは一政党の保守のためにそれをいかに延長させるかと窮々している。全ての勢力、全ての生涯の基準をそこにまとめていることを見た時に、その政党なるものは世界的中核には立ち得ない。むしろ、歴史の流れと共に流されてしまうに違いないとするならば、いかに努力して、いかに労をなし得たとしても、無用になってしまう。それは当然の結果である。

 アメリカ自体がそういうような立場に立っておるのを見た場合に、世界各国は言うに足りません。

 共産主義の世界にこれを拡大して、果して中心点なる思想的基準が確立されているがか、と見た場合に、だまだなっていない。中心点なるものは、民族国家環境歴史を越超して誰もが公認せざるを得ないものでなければならない。そういう不変なる中核として立つにふさわしい基準でなければならない。

 共産主義を中心とする指導理念果してそういう立場に立っておるかというと、これは立っていません。今君達が知っているように、中共とソ連は犬猿の仲でる。いかなる力でも一つになり得ない、恩讐の恩讐に立っているという事実を見た場合に、それを二つ合わせることはできないできない以上は、共産主義を中心として世界的指導理念を満たすことができない。

 こう考えて見た場合に、共産主義世界においても実験済みのことになっている。

 中心者の条件

 いう見た場合、世界は入り乱れて、主人なき世界に進展していくに違いない。こういう時代性に立って、万民が求めるのは何かというと、世界を指導する人格の中心者はいずこにありや、ということである。しかし、それを果し得るには歴史を赴超する力はもとより、あるいは未来を透視しうる目を持っていなければならない。現実の全てを破壊し、新しく建設する力を持っいな現実の人類を思ってみた場合に、これは果たさなければならない重大な問題である。しかし、人間として果たすには、もう尽されている。そうなというと、誰が果すか、ということが問題である。

 こういうような人類を前にして、神以外にはこれを打開する方はいないであろう。神はどういう方法で打開されようとするだろうか。

 神は、中心点を決めなければならない。神が願う個の人格は世界万民が求めてきた、そういう中心にならなければならない。それは神から見る基準でなければならない。人間の変動する見方でなくして、不変なる。絶対なる、永遠なる神からの基準が本心から得られる人間の中心的基準である。

 個人的中心というとが実に問題になってきている。これが果し得たとすれば、次は家庭的中心はこうでなければならない。それが今まで歴史を通して、提示した家庭があったかというと、未だない。あるいは氏族として、万民が公認し得る何ものか、なればならない。これが発展して、国家的、世界観、天宙観を確立しなければならない。それは、時代の変動に応じて増対的な変更の道を通っていくものではなくして、歴史はいかに変っても、その主体的立場で環境あるいは相対圏を変えていくような主体的中心点が必要大なる。

 神が定める中心



 こういう結果に立った我々人類としては、今しく求めなければならないのは、人本主義なる、人間第一主義を主張するそういう観では世界を救えない。人間以上の越超者の意識観・歴史観・世界観を満たす以外に道はない。

 もしも、神がいないとするならば、仮想的神存在の基準を立たせて、万民が協定を結んで、ある中核の中心基準を立たせなければならないまでの歴史的終末期に今、立っている。

 こういうように結論をおさめて、我々はどうすればよいか。どう行けばいいかと尋ねた場合に、今から始めようとするならば、こはいつ解決するかわからない。数百年かかるかわからない。

 まずもって、現在の緊急なる世界情勢を治め得る中心点はいずこにありや、というと、神から見通されたこういう基準がもしあったとするならば、それは万民が求めた中心になるに違いない。

 今、世界万民こぞって新しい宗教観念を求め出さなければならな時に入りつつある。



 歴史的宗教、キリスト教なり仏教りが現世において新しい世界的中心点をなし得る使命と内容を持っているか。もう実験済みである。

 宗教にしてもそうである。哲学にしてもそうである。全てがもう過ぎ去ってしまった。みんな歴史の波によって岸に打ち寄せられている。その波を乗り越えて、目的に向って進み得るような個人なり世界の新い潮流があるというと、ない。それでは世界は滅亡である。世界はましく終末である。手を上げて叫んでも助けに来る者がいない。横を向いて頼んでも頼りにならない。

 統一教会の使命

 こういう現世の世界において、我々統一教会の存在が今から問題になる。

 これは、歴史性を通して、時代性を通して、未来性を通してそういう中核の基準がなければならないというのは、いかなる個人から、いかなる氏族・民族・国家・いかなる思想が成し得るかというと、まだまだ実験済みでないところが一つある。

 宗教にしても今からである。思想にしても今からである。個人の人格にしても今からである。家庭の思の理想的完成においても、今からである。

 今から、個人・家庭から国家まで堂々と進み得る新しい群があったとするならば、これは世界いずこにもない。だから、我々統一教会は引き継ぐに可能なる、希望を持ち得る群として立たざるを得ない。世界いずこにに我々ような団体があるか。

 天宙復帰ばかりではない。神を解放しよとするのが統一教会の群である。

 風が吹いても、根が深ければ問題ありません。周囲の者がいくら動揺しても、我はガンとして行くという決意を生涯かけて決めた。季節は変わろうけれども、この男の決意した本心の覚悟は変わらない。今、手には何一つ持っていないけれども、自分の決意をいかなる環境に押しつけられても後退しない実体そのものに十年以上の価値を満たした場合には、どうだろう。

 盤石にぶつけた場合には、石が割れるのであって、自分は割れません。六大州五大洋を乗り込えてアメリカ大陸にぶっかけた場合は、絶対破れません。世界どこに行っても残るものは自分なり、という結論を持ったとするならばそういう者が持った思想たるものは世界万民が願っておる中心的思想だったとするならばその一人によって世界が救われることが可能である。

 世界的中心点となるには世界的歴史を通して勝利し得た権威の絶対基準に立つそういうものでなければ、万民が讃えることができない。

 世界中を眺めてみても、我々に似たものがないとするならば、この者たちはどの位価値があるかと神様がおった場合サタンがおぱた場合、試験してみたいと思うだろう。

 最後の団体

 これは最後の団体である。歴史以来初めて生れた団体である。個人観・家庭観・世界観・宇宙観にしても、それは歴史から流れてきたものではない。人間的ではなく平面的人倫関係を通して生まれてきたものではありません。これは立体的な、ある中心の一点から原因をなしている。まず出発点が違う。

 民主主義にしても、共産主義にしても、宗教にしてもお手上げになってしまっている。人間の考えというものは永遠を伴っていくようになっていません。それは歴史圏内の存在にしかならない。自分が死んでもつながって、因緑を延長させていくのが歴史であるから、平面的歴史性を持った人間を通してのものは歴史内のものであって歴史外に脱出することはできません。

 そう考えてみた場合に、平面的思想観念では不可能である。人間に及ばない絶対なる基準においては、歴史がその内容に含まれる。何千年、何万年を経ても歴史はその圏内に包容されてしまう。人間が最も重要視する愛とうものはそこより始まるようになっていくに違いない。

 人間を通し、いかに修飾し、形容しても、それは通じません。中心点というものは立つ場所が絶対に一つしかない。中心的位置というものは濯も占領できない。そういう中心的基準が家庭と一致し、氏族と一致し、国家と一致し、世界と一致し、神様と一致し、人間の歴史を通しての希望と一致しうるそういう希望の中核の実体、そういう中心が生まれたとするならば、いかばかりすばらしいだろうか。

 メシヤの出現

 そこで中心的存在を立たせるには、世界から立たせるか、個人から立たせるか、という問題に到達した。神様も一人から始めなければならない。

 絶対なる神が立たせた中心者は権威を持たねばならない。時代の変化に応じて歩調を合わせるような、そういう男ではいけません。そういう男に歴史の中心的因緑を譲ってやることはできません。生命を何度なくしても、いくら犠牲になっても、その信念に立ち帰って、我、万人に代って行くというようなそういう者でなければならない。もしも神がおったとするならば、その信念に賛同せざるを得ないというような信念の持主でなければならない。

 神は、まずそういうものを世界から選ぼうゝそういう強靱なる男、目的観念に徹して走るような男。まずもってそういうような素晴らしい男。

 日本人は「一生懸命」という言葉を良くつかうんだね?(ハイ)良く知っておるんだね?(ハイ)良く果しておるんだね(……)(笑い)

 悪なる世界に向って、「君達のやっていることは虚しいことである」と言い、「今は、君達は自分より外的基準においても勝るかも知れないけれど、千万年後には自分の足下のゴミにもならない」というような男があったとするならば神様はそういう男を選ぶだろう。

 神は永遠の支柱として、地上にその相対位置として立てるそういう男一人がどこにいるや。それを数千年捜し求めてきた。

 その男を立たせ、決定したその式をあげようとううのが神様のメシヤ思想観である。

 間違いなく、宇宙において、その存在圏が必要になってきた。民主世界を信じることができない。共産世界を信じることばできない。みんな一挙に断崖から落ちてしまうような、断末魔の時代性になっている。

 それをどうすればよいか。神の支える一点と、地上に支える一点をひもで結んだとすれば、世界三十八億がこれにたかる。それをウインチで巻きこむようなことをしなければならない。

 そうするには、ただではできない。世界一の兵隊を作るには、世界一の訓練をしなければならない。

 我々の責任

 今、統一教会は世界的に有名になっている。共産党も我々を恐れている。各宗教界も、統一教会に勝ることができないと結論づけている。日本自体でも、統一教会の青年でなければ日本を救えないと結論づけている。

 間違いなくそういう世界が一ぺんにっているこういう次元にむいて、我々は硬いキリになって反対するものがあればつきぬけるようものにならなければならない。こういう世界的時代圏が目前に迫っているこの現実におきましては、我々はそうしなければ中核の希望の実体として立つことができません。全てを任すことができません。

 軌道に乗る。という言葉があるんだね。軌道に乗る前にはレールを敷設しなければならない。機関車を造らなければならない。レールが中途半端に切ってしまうものであってはならない。

 日本において統一教会の軌道を敷設したか。我々統一教会は今が問題である。こういう世界的困難期において問題視しなければなやないのは何かというと、中心的中核の基準をいかに正しく立たせるか、とうことである。

 今、ここに若き者が千二百集っている。千二百よりも、まず百二〇が必要である。百二〇よりも十二名が必要である。十二名よりも三名が必要である。問題はここにある。

 人が考えないような険しい道を、永遠に正しい道に向って設計し、青写真を作らなければならない。

 日本の国で一番難しいことを統一教会は責任持て!

 動揺する日本において、動揺しない希望を持ち得る基準を今敷設しなければ、その時になってはもう時が遅い。

 「利口な者は準備して待つ」という。歴史を考え、未来を考える者は準備する者である。準備しい者を信頼することができなません。

 日本の国で歴史以来、一番難しいことに我々は素任持とう。日の中核的位置に立つには、誰もできないことをなさなければならない。訓練は、なせばなすほど良い。

 民族的国家基盤を目指して神が導いてきたのが選民イスラエルである。数千年来、国のない民族として世界に散って、新しい国を建設する為、中近東いかなる迫害の道があっても堂々と勝利し得る実力を持ったとするならば、イスラエルは中近東のイスラエルではなく、世界のイスラエルになぐだろう。

 なせばなる!

 統一教会の食口においても、何事も、できないということを考えるな。やらないからでできない。三倍やってできない場合には、六倍やればできるようになる。そういう決意がを中心として結果を満たせるに不信仰を持つような者であっては、神様が信じることができません。

 そういう基準からあなた達は再び反省し、新しい基準を確立しなければならない。新しい伝統を作らなければ日本復帰はできません。

 今、何が必要かというと、世界が個人的中心者を必要とする時が来た。その個人的中心者として決定され、万民に公認され、それが家庭的中心者として必要な時が来た。それが民族的から世界的にまで拡大し得たとするならば、万民に大きな網を張ったことになる。

 今は、跳躍の時である。現実の世界を超越しなければ生き残ることができない。世界の運勢はそうなっていおる。

 今になって、もう世界は我々の目前に迫っている。この世界の行き先を思えば、我々は無責任に流れることができない。こういうチャンスはもう待っていません。歴史というのは無慈悲なものである。それが過ぎ去った場合には、いつまたそれが来るか判らない。だから、時々来る前にいかに準備して、それに合わせるか、が問題である。我々は万民を解放しなければならない。

 日本には「なせばなる。なさねばならぬ何事もなせぬ人のなさぬなりけり」とう歌があるね。だから我々にもできないことがない。できないのはなさないからであって、なせばるようになっている。

 さあ、今から我々が世界の中心者としてなすには、ソビエトもアメリカもなし得ない問題解決の道を旗上げさなければならない。というのが先生の観である。さあ、これに歩調をを合わせる日本のメンバーは何人いるや?

 これから何十倍もの数をいかに集めるか。個人伝道も必要だけれど、団体伝道を目標として進まなければならない。今の緊急時にいかにキリスト教を動かすか。団体を動かさなければ、日本将来は待ってくれない。

 そうするには、あなた達が世界的中核になる信念において勝る基盤を確しておかなければならない。

 新しい希望

 先生は生涯を通して、個人・家庭・氏族・民族から世界的基準にまで、霊的であるがどうやら上ってきた。これは神様がいるからである。

ヨーロッパを一九六九年にまわってみて、遠からずヨーロッパは共産圏に巻きこまれる。三年以内を見てみな。その通りになってきた。幹部達はアメリカに行っ緊急対策を立てければならないようになってきた。

 日本も同じである。重要な今年である。

 そういう中核的・中心的活動を固めることによって、希望き日本に新しい希望が生まれる。

 こうして日本に作られた新しい希望圏は、アメリカにおいて世界につながる希望圏として、先生を中心として世界的に影響を及ぼすことができる。

 我々は金もない。我々は権力もない。しかし我々は決意を持っている。我々の動脈には神の心情が踊っている。目は目的を凝視しなければならない。

 真でないものは、例え社千あったとしても真に打ち砕かれてしまう。

 我々は今、内外共に固めなければらない緊急事態を迎えている。いつどうなるか判らい。今から先生は、日本の若者者たちをあてにして大きい計画をなす。

 一心不乱に目的に向って、二十四時間を投入して、中心的人物の基準に一致させよう。

 すばらしい時代

 結論にしましょう。

 世界の中心を統一教会から立たせるには、統一教会のどこから立たせるや?

日本を中心として伝統的基準をいかに築くや。日本おいて、世界的中心点を誰が作るや。日本の若き有を立たせて世界的中心的伝統基準を立たせるのが先生の思いである。そこに我々は新しい希望の一点があることを知った。新しい希望をなし得るには、それに比例する代価を支払わなければならない。

 血と汗と涙を投入することができるか。どうです?(できます!)

 今、もし結婚したい女があったとすれば、結婚して三日以内に夫が死んでしまうかも知れない。それより、結婚しないで理想相対を待つ方がもっと勝る。報婚してそういうふうになやない。という決定的証明書を持っていないだろう。何故こういうかというと、七十四年すぎたら間違いなく祝福があるとみんな思っている。それでは世界復帰はできません。十年間は一心不乱・一生懸命に世界中心的な我々の群として実績の基準を高めるに尽すとしたならば、日本は世界的になる。君達の後孫は君達の写真をあがめて待るようになるだろう。

 我々はすばらしい時代に立ている。我々によって世界が追いかけられる時代に入っている。今から我々は活動を開始して、実績が上ったとするならば、万民が讃える。新しい希望となるには実績がなければなやない。

 今まで先生は実績でもって闘ってきた。

 実績が必要である。その実績は普通の犠牲じゃない。二十四時間、生涯かけてそうなった場合には間違いなく日本の希望になる。わかりましたね。

 やればできる。先生がやってきた実績を伝統として受け継いで、それを果たし、日本とアジアと世界のためにやらなければならない。

 一心不乱に前進以外ありません。そういう覚悟をしましょう。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

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Last updated  2021.08.03 18:14:14
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