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火曜、水曜と会社にいても何もすることがない虚しく苦しい状態(いわゆる地蔵状態)が続き、さすがに水曜帰宅してから心が折れ、今日は会社を休んで会社を辞めた場合を考え、少し調べ物をしようと思った。パートでお年寄りのデイケアの送迎運転手なんて楽なんじゃないかと。 午前中にまずは区役所に行こうと思ったのだが、昨日ぐらいから父の様子がおかしく、食事が喉を通らず吐き気があって衰弱していた。私が休んだのが渡りに船と両親から病院への車での送迎役を頼まれた。父は点滴を受け、少し元気が回復したようだった。私がいなかったらタクシーでも使って行くしかなかっただろうから感謝された。予定は狂ったけど。 午前中に行う調べ物は午後になった。まずは区役所。会社を辞めて国民健康保険になった場合どうなるかである。なんとなく分かっていることではあったが、会社の健康保険のように扶養に入るということができるようであれば年金生活で国民健康保険の親の扶養に入るということができるが、窓口の人には国民健康保険にはそういう概念はないと一蹴された。無職の親と同居の無職は払わなければならないのである。 何か収入が分かるものを持っていった方がいいと思い、2016年の源泉徴収票を持っていった。収入がわかるものがあれば、簡単にシミュレーションができるとのこと。渡された試算表は意外と面倒くさそうな感じで、ネットで調べてもたぶん難しいなと思った。結果の保険料は月額約26千円である。ネットで調べたのは家庭持ちの人だったからであろうか。意外と安く感じた。前年の収入から算出するから、前年無収入の場合の最低金額だともっと安いんだろうけど。 これで、国民健康保険と国民年金をあわせると月額約44千円ぐらいかなということが分かった。とりあえず障害年金の受給が老齢年金の受給まで続き、今の貯蓄から換算すると生き抜けることは分かった。しかし、何もしないわけにはいかないので暇である。気楽に働ければそれが一番いい。それでデイケアの送迎ドライバーというのを考えた。 区役所を離れ、ハローワークへ向かった。検索機でデイケアの送迎ドライバーの求人票を調べてみると、予想はしていたが、朝方、夕方の2時間だけの勤務で時給850円。つまらないなと感じた。昼間は無収入で時間が空いてしまう。その時間に施設の清掃なんかするのもいやだけど。 気を取り直して、では自分でできるのは一般事務ぐらいだからそういう求人をと調べるけど、今やっていることと同じことをやって待遇が下がるだけ。結局堂々巡りで現状維持するしかないとなる。 そしてまた地蔵状態で苦しい今の会社生活が続いて行く。
Sep 7, 2017
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昨日は明日の金曜日に有給休暇の取得を申請していたが、今日の寝起きに気分が不調で上司に連絡をとって休ませてもらった。なので、狙ったわけではないのだが今日から日曜まで4連休となった。 今いる部署は新卒の定期採用の仕事でてんやわんや。障害者として扱われていて、信用されてないので、別の新入社員関係の仕事の手伝いをしている。定期採用の仕事には健常者がヘルプにきている。なので、自分は忙しい部署にいるにも関わらずほぼ暇だ。なので4連休がとれてしまう。週明けに出社したらどう思われるんだか。 今日は不調ではあるものの、貴重な平日の休みなので、午前中は休養し、午後にハローワークへ行ってみた。 11年前。双極性障害になって3年間会社を休職した。その時はウォーキングのコースにハローワークがあって、近くを通る時は目を背けてここに入ることには絶対になりたくないと思っていた。 今になって入ろうと思ったのは、11年前と比べると最悪失職して無職になっても生きていける目処がたったからかもしれない。社会科見学といったところか。今の職場では苦しい思いをしているのでひょっとしたらというのも少しはあったが。 何だか雰囲気としては殺伐としている。空気が悪い。職を求めて焦って気が張っている人達が多いせいだろうか。入るとすぐにハローワークの登録書の記入机があるので、これを書かなければいけないのかと思って気が引けたが、奥に相談所があり、障害者は手帳を入れるトレーがあって、そこに手帳を入れて少し待つと相談員が呼んでくれた。 相談員の人が一通りハローワークでの職探しの手続きを説明してくれた。会社で暇な時にネットでハローワークの求職一覧を見たことがあったが、きちんと詳細を見るにはハローワークに出向いて端末を操作しなければならないことがよくわかった。ネットで見れるのはサマリーだけだった。 登録してカードを作らなくても検索はできるとのことだったので、端末を操作して少し調べてみた。 結婚して所帯を持つということを諦めてしまえば(したくはないけど)、障害年金があるので(なくなるかもしれないけど)パート程度の軽作業で、例えば介護施設の送迎運転手なんて楽そうでいいかなと思ったが、近郊では時給は850円で社会保険の完備はなし。安い。それではと今と同条件に近い近郊のフルタイムの事務の仕事を検索してみると、額面の給与が今の手取りの給与と一緒ぐらいだった。 結局、堂々巡りで今の職場で嫌なことを我慢しさえすればそれに越したことはないということになる。それだけ今は障害者としては好待遇な方なんだと知る。それでも健常者の同期の待遇と比べれば3分の1だが。上を見ても下を見ても仕方がない。 今は動きようがない。動く理由もない。でも、今の仕事で定年までもつかという自信もない。かと言ってセミリタイヤしたところで何か生きがいとなるべきことがあるかというと何もない。ないないづくしだ。そして不安な日々が続き年を重ねていく。 結局行き着くところは「生きるのはつらい」というところか。
Apr 20, 2017
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無気力感というのは病気からくるのだろうか。とりあえず昨日は天気も良さそうで、目的地も決めたのでバイクでツーリングに出かけたが、今日は無気力感でいっぱいである。いつからかブログを更新する頻度もTwitterでつぶやく頻度も減った。若年性の痴呆の始まりだろうか。たまには気になって行動することはあるけれど、基本的には無気力感だ。 何かに興味を持ち、行動的になるにはどうしたらいいんだろう。でも、基本的にはそういう時は概して気分をが上がっている時だ。今は気分がやや下がったままで安定してしまっている。それが無気力の原因だと思っている。やはり病気のせいであろう。 仕事に行っているときはしんどいけど、やる事があるので、無気力の苦しみを感じるということはない。しかし、仕事をしなくなった時に一体どうなってしまうのか。無気力で死んだような人間になってしまうのではないかと恐ろしい。 このブログも無気力からくる無間地獄から逃れるために無理矢理書いている。 同じ病気になった人でも、回復して人生をエンジョイしている人が多いのではないかと見受けられる。自分の場合は自発的に何かを積極的に楽しむという質ではないので、離婚して一緒に何かを楽しむパートナーを失ってしまったのが痛いし、無気力から逃れられない原因かもしれない。 病んでいる、病んでいる、病んでいる。 それしか言いようがない。逃れられない。虚しい。先行きが不安だ。 それでも生きていくしかないのだが。
Mar 15, 2015
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2012/09/01 10:29【スタバ】今日は防災の日ですね。一家の大黒柱でもないペンタは対策には無頓着。震災になったら真っ先に困るんだろうな。昨年の3.11の時は休職中。もし会社に行っていたらきっと都内から自宅まで30km以上を歩いて帰ったんだろうけど、それも経験はしませんでした。さて、新しい職場になってから1週間が経ちました。相当の緊張を強いられていたらしく、今日は疲れてぐったりです。とりあえずやることはコピーをとったり、電話応対するとか雑用ばかり。営業から人事への異動です。人事はかなり専門的な仕事なので、何をどうすればいいのかさっぱり分かりません。相当の間は丁稚奉公状態が続きそうです。昨日、会社を出る時には、明日やっとバイクに乗れると意気込んでいたのですが、空振りに終わりました。なんだか新入社員の頃に戻った感じなのかな。全てではないですが周りの人が誰かも分からない状態で電話を取り次ぐのにちょっと緊張していました。でも、何とかなりそうだけど。周りの人も私が配属されてまだ慣れないもので、気を使ってくれている感じがします。でも、暫くするとその甘さが許されなくなってくるのでしょう。人事の人たちはよっぽどのことがない限り退職まで人事の仕事をします。まぁ専門領域だからそういことになるんでしょうけど、そこにずっと営業部門に居た人間が入ることで、何かの変化が起きると良いのではないかなと考えたりもします。しかし、20年近く営業部門に居た人間が人事職能の人と同レベルの仕事をできるようになるのは難しいのかもしれないけれど。今回、私が障害者枠で雇用されるもうひとつのからくりが分かりました。1つは障害者の法定雇用率が上がって、精神障害者も対象となったこともあるのですが、もうひとつは、配属された部署で9月末に退職する人が2名いて、その補充要因であったということです。なんだか、障害者枠で安い賃金でこき使われるという状況になりそうで、上手く会社の思惑に乗ってしまったなぁという感じです。しかし、営業部門に居てフロントの営業などは務まる心身の状態でもない訳で、仕方がないのかなと。病気のせいで無理は効かないけれど、知恵は出せるし、営業という会社の基本能力を磨いてきたということもある。それを生かして人事の仕事も取り組んでみてもいいんじゃないかなと思います。
Sep 1, 2012
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2012/08/04 08:55【スタバ】先週、会社の人事から、今在籍している親会社を辞めて子会社へ障害者枠で雇用するという提案を受け、仕事のつらさから人事にそのような提案をしたとはいえ動揺をしました。まがりなりにも収入が激減するものですから。今でもそこまでのことにならなくても、今のままで働けるような間接部門の職はあると思っています。でも、会社はそのような配慮はしてくれなかった。タフさが要求される営業部門に止めおかれ、仕事を与えられず放任状態でした。仕事が無く会社で過ごす程つらいものはありません。今のままでは先の見えない状況ではありました。今週の木曜日に人事から障害者枠で雇用された場合の条件の提示がありました。正直、今の給与の半額ぐらいのダウンを覚悟していましたが、2/3程のダウンで済みました。会社側も今まで同じ会社で働いてきたことを考慮してくれたこともあるのでしょう。しかし、何年にも渡って休職と復職を繰り返してきた私は同年代の同じレベルの社員の中では最底辺の待遇です。それを考えると哀しい気持ちになります。あまり比較はしたくは無いけれど、双極性障害を寛解した人は何の支障もなく職場に戻り活躍している。いったい私はどうしてこんなことになってしまうのかと。もちろん、失職してなかなか仕事につけない人や仕事につくこともままならない人もいるのも事実なんですが。しかし、決まってしまったことは仕方がありません。新入社員にでもなった気持ちで一から出直すしかありません。障害者枠の雇用といっても、努力すればそれなりの待遇改善の余地が無い訳ではありません。親会社の社員として20年近く働いてきた訳ですから、それなりのスキルは無い訳ではないと思っています。離婚して9年。再婚して子供をもうけたかったりしたけれど、こうも収入が減ってしまうとそんなささやかな夢もくじかれてしまったのかなぁと思います。完全に不可能という訳ではありませんが...。子供がいなくても良くて共働きというパターンならありかもしれませんが。私の周りは皆、それなりの収入を得て、家庭を持ち順調な人生を歩んでいます。もうそんな友達とは価値観が合わないレベルになってきている。私と同じような境遇の友が欲しいなと思います。比較はいけない。比較はいけないと思いながら比較してしまうのが人間の性。なるべくその気持ちを払拭したいとは思います。そう、関心を外に向けるようにして。これから生まれ変わるんだと考えるようにして。
Aug 4, 2012
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2012/07/28 08:53【スタバ】昨日、人事の責任者と話をして今回の異動のからくりが分かりました。今は子会社へ出向しているのですが、その親会社へ一旦出向復帰し、12月末付で親会社を退職し、今勤務している子会社へ障害者枠として雇用されるということのようです。その背景には、私が勤務軽減を求めて人事に障害者雇用を提案したことがあるということ。もうひとつは、障害者の法定雇用率が上がったということがあります。このことがあっておそらく急に人事異動の内示があったということのようです。確かにその時は苦しくてせっぱ詰まって人事に障害者雇用を提案した訳ですが、実際に現実にそうなってしまうと考えると非常に複雑な気持ちです。健常者としてできる仕事があるのではないかと思うからです。しかし、人事はその配慮はしてくれませんでした。私のキャリアは営業なので、当然、営業の部署へ止めおかれている。しかし、主治医からは営業職は無理だろうとの所見を受けている。今いる営業部署では定時退社、外出禁止という勤務制限を受けていて、仕事も宙ぶらりん。先の見えない状況ではありました。部署内で行われる、責任者の怒号が飛ぶような緊張した会議などでは、あたまがじんじんして苦しくなってそこには居られなくなりました。また、コミュニケーションの研修を受けた時には我慢ができなくなって退席してしまいました。自分には対人交渉を伴う仕事は難しいのではないかと感じてはいます。障害者枠の雇用になれば、バックヤードでの仕事になり、対人交渉からは極力逃れられるということにはなります。しかし、双極性障害でも復帰して元通り働いている人もいる(もちろん、働けない、勤務制限を受けて働くという人もいますが)。なのに何故私は障害者雇用の対象になってしまうのだろう。そこはどうしても納得がいかないところではあります。まがりなりにも入社して10年間は最前線の営業で働き、ある業界では日本一の会社の開発に成功するなど実績を積みました。それが障害を負って障害者雇用の対象になるなんて...。しかし、障害による後遺症は残ってしまったと言わざるを得ないのでしょう。周りの人のように仕事がバリバリとこなせるかというと、自分には無理であると感じざるを得ません。昔のように毎日終電まで働けるかというと、そんなことは無理で、せいぜい残業をするとしても2時間程度でしょう。障害者雇用ならその辺りの配慮はしてもらえる。しかし、それでも障害者枠雇用になってしまうという現実をなかなか受け入れることが出来ないでいます。待遇も相当下がってしまうでしょう。家庭をもつなんてささやかな夢もくじかれてしまうのではないかと思います。かと言って、組合などにも申し入れをして、あくまでも親会社の社員としての立場を堅持しようということまでしようとはなりません。会社でのキャリアを積んで成長し、益々待遇を良くしたいというのは無理だと思うからです。今はただただ諦観という気持ちです。非常に心が沈んでいます。現実を受け入れられないでいます。病気を隠して再就職という道もあるでしょう。しかし、キャリアは営業ですから、当然営業の仕事は求められるし病気への配慮は無い。無理がきかない自分には難しいです。とにかく来週には障害者枠の雇用の待遇の提示があります。どんな条件になるのか、不安でいっぱいです。
Jul 28, 2012
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