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オーセンティック・バーでも提供されることの多い自家製の「漬け込み酒」。実は何でもかんでも好き勝手に造れる訳ではなく、一応、法的な規制が厳然と存在します。バー業界のプロでも意外と知らないこうした日本国内での法的ルールについて、(以前にも一度書きましたが)改めて最新情報も含めてまとめてみました。ご参考になれば幸いです。 ◆2008年に自家製造のお酒の規制が緩和 バーUKでは、4種の自家製造の酒(しょうがを漬け込んだウオッカ、7種類のスパイスを漬け込んだラム、ザクロを漬け込んだカルバドス、レモンピールを漬け込んだリモンチェロ<ベースはスピリタス>)をお客様に提供していることはご承知の通りですが、友人やお客様から「それって、法律的に問題ないの?」と聞かれることが時々あります。 日本国内では、お酒を製造・販売(提供)するには酒類製造免許が必要です。お酒のメーカーが業として行う「果実や穀物などの原料から酒類を製造する行為」だけではなく、バーや飲食店等がお酒に様々な材料や他のお酒等を混ぜ合わせる「混和」という作業も、法的にはお酒の製造(新たなお酒を造っている)と同じ扱いを受けます。そして、アルコール分1%以上のお酒はすべて課税されます。 従って、バーや飲食店が無許可で自家製のお酒を造って提供するのは、基本、違法行為です。違反した場合は、酒税法第54条《無免許製造の罪》の規定に該当し、10年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処せられます(単なる無許可販売の場合は1年以下の懲役又は50万円以下の罰金=同法第56条)。 しかし現実には、許可を得ることなく自家製の果実酒等を提供している飲食店は、昔からありました。様々な果実やスパイス、ハーブ、コーヒー豆、茶葉等を漬け込んだ自家製のお酒を「店の名物」にしているバーも少なくありません。厳密に言えば、2008年の法改正までは、こうしたバーや飲食店等での「製造・提供行為」は限りなく「違法」行為でした。 国税庁もこれ以上「違法状態」を放置できないと考えたのか、それとも実態に合わせて少し制限を緩和すべきと考えたのか、2008年<平成20年>に租税特別措置法(酒税関係)が改正され、特例措置(例外規定)が設けられました。それは「客等に提供するため酒類に他の物品を混和する場合等、一定の要件を満たせば、例外的に酒類の製造に該当しないこととし、免許や納税等が不要となる」という特例です。 この結果、例えば「焼酎で作る梅酒」「しょうがを漬け込んだウオッカ」「ウオッカにレモンを漬け込んだリモンチェッロ」等は、酒類免許がなくても、バーや飲食店は法的な裏付けを持って堂々と製造し、提供することが可能になりました。 一方、個人が自分で飲むために造る酒(例えばよくある梅酒づくり等)は、かなり昔からとくに法的な規制はなく、旧酒税法(1940年<昭和15年>施行)でも禁止する規定はありませんでした。すなわち、個人の場合は事実上「黙認」状態でしたが、1953年<昭和28年>に施行された新・酒税法で初めて、「消費者が自ら消費するために酒類(蒸留酒類)に他の物品を混和する場合は新たに酒類を製造したとは見なさない」とする特例措置(酒税法43条11項)ができ、めでたく法的にも認められることになりました。 ◆使用が禁止されている穀物や果実に注意 このバーや飲食店等を念頭に置いた租税特別措置法の特例措置についてもう少し詳しく説明しましょう。適用対象は「酒場、料理店等、酒類を専ら自己の営業場において飲用に供する業」であり、具体的には、下記のようないくつかの条件を満たす必要があります。(1)酒場、料理店等が自己の営業場内において飲用に供することが目的であること(2)飲用に供する営業場内において混和を行うこと(3)一定の蒸留酒類とその他の物品の混和であること ※酒場や料理店等が客に提供するために混和する場合だけでなく、消費者(個人)が自ら消費するため(又は他の消費者の求めに応じて)混和する場合も、この「特例措置」と同様の規制を受けます。 また、使用できる酒類と物品の範囲は、以下の通り指定されています(この規定は個人が自分で飲むために造る場合も順守する義務があります)。(1)混和後、アルコール分1度以上の発酵がないもの(2)蒸留酒類でアルコール分が20度以上のもので、かつ、酒税が課税済みのもの(具体的には連続式蒸留焼酎、単式蒸留焼酎、ウイスキー、ブランデー、スピリッツ<ウオッカ、ジン、ラム、テキーラ等>、飲料用アルコール)(3)蒸留酒類に混和する際は、以下に示す禁止物品以外のものを使用すること (イ)米、麦、あわ、とうもろこし、こうりゃん、きび、ひえ若しくはでんぷん、又はこれらの麹 (ロ)ぶどう(やまぶどうを含む)=【末尾注1】ご参考 (ハ)アミノ酸若しくはその塩類、ビタミン類、核酸分解物若しくはその塩類、有機酸若しくはその塩類、無機塩類、色素、香料、又は酒類のかす (ニ)酒類(※国税当局に問い合わせたところ、「蒸留酒、醸造酒を問わず、ベースの蒸留酒と同一の酒類以外の市販の全ての酒類を指す」とのこと) ※なおこの特例措置は、前記のように店内での飲食時に提供する場合に限られ、お土産として販売するなどの客への譲り渡しは出来ません(個人が自宅で造る場合も、同居の家族や親しい友人等に無償で提供することはできますが、販売することは出来ません)。 ◆蒸留酒はOK、醸造酒はダメ 以上のように、例えばバーや飲食店等でよく見かける梅酒は、「蒸留酒である焼酎やウオッカ等(アルコール度数20度以上)に漬け込む」のはOKですが、日本酒は「醸造酒であり、通常アルコール度数も20度未満」ですから、二重の意味でNGです(まれに、度数20度以上の日本酒も存在しますが、バーや飲食店で提供する場合は「蒸留酒」しか使えないのでやはりダメです)。 また、梅酒に自然な甘さを出したいからと言って、氷砂糖の代わりに「麹」を使うのも「(3)の(イ)に抵触する」ため、当然NGです。また、ぶどう類を原料にして自家製ワインのようなものを提供すれば、ベースが醸造酒・蒸留酒等に関係なく、完全に違法行為となります。 さらに、年間に自家製造できる量の上限も、営業場ごとに1年間(4月1日から翌年3月31日の間)に1キロリットル以内と決められています(バーUKの場合は、4種類全部合わせても、たぶん月間で最大2~3リットルくらいなので、全然大丈夫です)。なお、この特例措置を受ける場合は、所管の税務署に特例適用の申告書を提出しなければならないとされています(バーUKも一応、申告書を提出しております)=【末尾注2】ご参考。 ◆「自家製サングリア」の提供は基本NG 気をつけなければいけないのが「自家製サングリア」です。サングリアとは「ワインにフルーツやスパイスを漬け込んだワインカクテル」のこと。アルコール度数も低く、フルーティで、お酒が苦手な女性にも飲みやすいので、「自家製サングリア」を食前酒やカクテルとして提供するバーや飲食店も少なくありません(私も何軒か知っています)。 しかし、ベースがワイン(醸造酒)なので前述した条件の「ベースが蒸留酒」にも「20度以上」というルールにも引っかかり、事前に漬け込むことが一般的なサングリアは、場合によっては「発酵」も起こるので、租税特別措置法の特例措置は適用されません。許可なく製造・提供すれば違法で、刑事罰(前述)が科せられます。 従って、現在の日本国内では、基本、自家製サングリアの提供はNG(違法行為)です。プロのバーテンダーの人でも、この規定を知らない人を時々見かけますので、本当に注意が必要です(ただし、自家製サングリアを公然と、あるいは内緒で提供していたというバーが国税当局に摘発されたという話は、個人的には過去聞いたことはありませんが…)。 なお、お客様が飲む直前にワインにフルーツを入れて提供するような場合については、「店舗内で消費(飲む)の直前に酒類を混和した場合(例えばカクテルのようなドリンク)は、そもそも酒類の製造に当たらない」という特例措置と同等に扱われるため、まったく問題ありません。 ◆目に余る行為でない限り、現実には「黙認」 くどいようですが、日本国内でお酒を製造するには、(そこがバーであろうとなかろうと)酒類製造免許(酒造免許)の取得が義務づけられています。なので免許を取れば、店内で自家製のビールやワイン、そしてサングリアを製造・提供することも法的には可能です=【末尾注3】ご参考。 しかし免許取得には、管轄税務署より「経営状況」「製造技術能力」「製造設備」等の審査、免許を受けた後も1年間の最低製造数量を満たしているか等の審査があります。製造しようとするお酒の種類ごと、また製造所(店舗)ごとに免許が必要です。普通のバーや飲食店等が独自で取得するのはかなり高いハードルがあり、そう簡単ではありません。 現状では、「自家製サングリア」を提供するバーや飲食店は時々見かけますが、それはかなりの部分で「グレーな行為」だと思われます。だが、国税当局は「年間通して常時、公然と一定量を提供したり、お土産で販売したりする」ような目に余る行為でもない限り、事実上「黙認」している状況です(いちいち摘発する手間も大変だからでしょう)。 個人的には、年に1~2度くらいの特別なイベント時なら、事前に申請すれば例外的に自家製サングリアの提供を認めてほしいと強く思います。しかし現状では、何かのきっかけで国税当局が厳しく規制してくることも十分考えられますので、まぁ基本的には、バーでは手を出さない方がいいと考えています。サングリアに近いアルコール・ドリンクを提供したい場合、前述したように、飲む直前にワインにオレンジやレモン、ライムなどのフルーツを加えるしかありません。 ここまで書いてきたことの要点(大事なポイント)をまとめておきますと、バーで提供できる自家製のお酒は、(1)20度以上の蒸留酒を使うこと(2)ぶどう類以外の材料を使うこと(米などの穀物類や麹もダメ)(3)店内で作り店内だけで提供すること(持ち帰り販売はダメ) ということです。この3つだけは常に頭に入れておきましょう。 ◆その場でつくるカクテルはOK では、バーの花形である「カクテル(Cocktail)」はどうでしょうか? バーでのカクテルは通常、お客様の注文を受けてその場でつくられ、飲む直前に提供されます。1953年に成立した酒税法には「消費の直前に酒類と他の物品(酒類を含む)を混和した場合は、前項の規定(新たに酒類を造ったものとみなす)は適用しない」(第43条10項)という例外規定があり、2008年の租税特別措置法の改正でも、この例外規定は受け継がれています。 従って、その場で作ったカクテルを提供することは全く問題ありません。提供の直前につくるカクテルなら、フルーツなどを混ぜても「発酵」することはあり得ないからです。また、店舗前のテラス、ベンチ等は、客がその場で短時間で消費する前提であれば、店舗内と同じ扱いとなります。ただし、店舗内・店舗前に関係なく、自家製酒や作ったカクテル等を容器に詰めたりして販売する(無償譲渡することも含む)などの行為は、「無免許製造」となるのでできません。 なお、個人が自宅においてカクテルを飲む直前につくる場合、家庭内で消費する限りは家族や来訪した友人にも自由に提供できますが、(別の場所に住む)他人の委託を受けてつくったりすると「違法」になるので注意が必要です(当然、販売行為もNGです)。 ◆「期限付酒類小売り免許」も一時制度化されたが… ちなみに、国税庁は2020年4月、コロナ禍で苦しむ飲食業を支援するため、バーや飲食店等が6カ月の期限付きで酒類の持ち帰り販売ができる「期限付酒類小売業免許」を新設しました(現在ではこの制度は終了)。昨年は、この「期限付小売業免許」を取得して、ウイスキー等を量り売りするバーもあちこちで目立っていました。 加えて、国税庁が「カクテルの材料となる複数の酒類や果実等を、それぞれ別の容器に入れて、いわゆる”カクテルセット”として販売することも、期限付酒類小売業免許を取得すれば可能」という見解を示したことを受けて、カクテルの持ち帰り販売(材料別に密閉容器等に詰めての販売)をするバーも登場しました。 ミクソロジストとしてバー業界でも著名なバーテンダー、南雲主于三(なぐも・しゅうぞう)氏は「期限付免許」を取得したうえで、自らの店舗で持ち帰り用のオリジナル・カクテルセットを販売されました。その後は、酒類製造免許を持つ会社とタイアップして、完成品の瓶詰めオリジナル・カクテルの販売(通販がメイン)も始められました。その南雲氏の体験談はとても参考になります(出典:食品産業新聞社ニュースWEB → https://www.ssnp.co.jp/news/liquor/2020/04/2020-0413-1634-14.html)。 ◆出来たこと・出来なかったこと ご参考までに、「期限付酒類小売業免許」で出来たこと・出来なかったことや許可要件等を少し紹介してみます。(1)瓶(ボトル)や缶のままでの販売は可能(※この場合の瓶や缶とはウイスキーやビール、ジン等の未開栓の商品を指す)。(2)来店時にその場で酒類を詰める量り売りも可。量り売りの場合、容器は客側が用意することが前提(店側が容器を用意する場合、容器代の伝票は別にすること)(3)来店前にウイスキー等の酒類を詰めておく「詰め替え販売」は、詰め替えをする2日前に所轄の税務署に届け出をすれば可能。(4)カクテルなどをプラカップに入れて蓋をして販売することはできない。(※ただし、事前にカクテルを材料別に密封容器に詰めておく「詰め替え販売」は、(3)と同様、事前に所轄の税務署に「詰め替え届」を出していれば可能)=【末尾注4】ご参考。(5)量り売りの場合はラベル表示は不要だが、詰め替えはラベルが必要。(6)2都道府県内にまたがる配送は不可。(7)酒税法10条(酒類製造・販売免許を得るための人的・資格要件)に違反していないこと。(8)新規取引先から購入したものは販売不可。既存の取引先からの酒類に限り、販売が可能。 ◆「期限付免許」は2021年3月末で終了 前述したように、期限付免許での「詰め替え届」が出ていれば、カクテルを材料別に密閉容器にボトリングまたは真空パックにしてセット販売することが出来ました。南雲氏は例えば、ジン、カンパリ、ベルモットを密閉容器に詰めて、オレンジピールと一緒にして「ネグローニ・セット」として販売。お客様も自宅で手軽に、プロ並み(に近い?)のカクテルが楽しめたのです。 南雲氏は当時、「小売と同じことをしても価値はない。バーにしかできない売り方が付加価値となります。例えば、ウイスキーのフライト(飲み比べ)セット、自家製燻製とウイスキーのマリアージュセット、クラフトジンとライムとトニックのジントニックセットなど、可能性は無限大です」と大きな夢を描いていました。素晴らしい取り組みだと思いました。 しかし、国税庁はこの「期限付酒類小売業免許」を2度の期限延長を経た後、今年(2021年)3月末を持って終了(廃止)してしまいました。4月以降も継続を希望する場合は、通常の「酒類小売業免許」を申請するように告知しています。コロナ禍がここまで長引くとは思わなかったということもありますが、せっかくの「期限付免許」はコロナ禍が収束するまでは存続させてほしかったし、一方的に終了してしまった同庁の姿勢はとても残念に思います。 その後も南雲氏は、日本国内のバーで、カクテルのデリバリー販売、テイクアウト販売が常時認められることを目指し、様々な団体やバーテンダーと連携して、国税庁への働きかける活動を精力的に続けられています。ぜひ応援していきたいと思っています。 ◆出張バーテンダーの扱いは? 時々見かける(そして、私自身もたまに依頼される)出張バーテンダーっていう営業は、出張先で用意された酒や材料を使ってカクテル等つくる場合においては、法律的な縛りはまったくありません(出張料理人・シェフも同じ条件ならば合法的な行為と見なされます)。厳密に言えば、食中毒を起こさないように注意する程度です。 ただし、出張先(店舗外)で提供するカクテルを、事前に作り置きして容器に詰めていくことはできません。租税特別措置法では、「当該営業場以外の場所において消費されることを予知して(事前に)混和した場合、特例措置にいう『消費の直前に混和した』こととはならず、無許可の酒類製造に相当する」とされています。 要するにバーにおいてのカクテルは原則として、「自らの店の中でつくって提供すること」「注文の都度つくること(作り置きすることはNG)」「注文した人が飲むこと」の3つの条件を満たす必要があり、出張先においても「(出張先は)自らの店と同じ扱いになる」ことも含め、この3条件を守らなければなりません。 以上、長々と書いてきました。2020年1月以降長く続くコロナ禍で、バーを含む飲食店は、非科学的なアルコール規制のために、苦境に立たされています。しかし、ピンチはチャンスでもあります。我々バーテンダーは、コロナ禍が収束した暁に、バー空間で味わうお酒の楽しさをお客様に実感してもらえるように、関係する諸法律には誠実に向き合いながら、より一層の創意と工夫を加えて新しい自家製酒やカクテルを提供していこうではありませんか。【注1】他の果物は混和してもいいのに、なぜ、ぶどう類だけは禁止になっている理由について国税庁は説明していませんが、おそらくは(正式の免許を受けて醸造している)国内のワイン用ぶどう栽培農家=製造業者の保護という観点があるのではないかと考えられています。【注2】特例適用申告書については、店で少量の自家製酒を不定期に提供している何人かのバーのマスターに聞いてみましたが、実際、個人営業の店で申告書を出しているところはそう多くないようです。現実には、少量で不定期ならば、国税当局も事実上「黙認」しているようですが、私は、妙な疑いをかけられるのも嫌なので、一応、法律に従って申告しています。 【注3】アルコール度数1%未満であればビールやワインを醸造するのに許可は必要はありません。市販の自家製ビール(またはワイン)製造キットがこれに当たります。なお、店内に小型の簡易な蒸留器を置いているバーを見かけることがたまにありますが、無許可でアルコール度数1%以上の蒸留酒を造る行為は「違法」になるのでご注意ください。【注4】南雲氏との2020年4月の一問一答で、国税庁酒税課は「カクテルは、仕様がグラスやカップ、プラカップ等で直後に飲むことを前提としている容器であれば(店舗内での)提供」と答える一方で、「結果として客側が持ち帰ったとしても、直ちに販売と言うのは難しい」との見解も示し、蓋のない容器での「テイクアウト」も事実上容認していました。しかし、期限付免許が終了した現在、カクテルの「テイクアウト」販売は残念ながら再びNGになっています。【2025年1月追記】コロナ禍収束後、ここ数年の間に、酒類製造免許を持つメーカーからは、ボトルに詰めたカクテル製品が続々と市場にお目見えしています(有名バーテンダーとコラボしている商品も目立ちます)。しかし消費期限等の制約もあり、現状ではマンハッタン、ネグローニ、マティーニなど度数の高いもので、劣化しやすいジュース類は使用しないカクテルに限られています。この類の「ボトル詰めカクテル」商品が今後定着していくかどうかは、現時点では未知数というしかありません。【おことわり&お願い】この記事は、バーにおける「自家製漬け込み酒」等について、現時点での酒税法、租税特別措置法上の一般的なルールや法的見解等をまとめたものですが、個別具体的な行為や問題についての適法性まで保証するものではありません。個別のケースにおける疑問や法的な問題、取扱いについては、バーや飲食店等の所在地を所管する税務署や保健所にご相談ください(※ご参考:酒税やお酒の免許についての相談窓口 → 国税庁ホームページ掲載リンク)
2021/06/04
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先日、あるBarのマスターから、「昔の素晴らしいバーテンダーがたくさん登場するビデオがあるんですよ。ダビングしたので、差し上げます」と1枚の貴重なDVDをいただきました。 早速、家に帰って観ました。食い入るように見つめました。タイトルは「名バーテンダー物語--東京・銀座」=写真右。ニッカ・ウイスキーが電通と毎日映画社に依頼して制作した約1時間ほどの、かなり昔の映像です。テレビで放映されたのかどうかや、どのような形で販促に使ったのかは、まったくわかりません。 この映像には、銀座のBARの中から10軒の名店とそのマスター(バーテンダー)や店長が登場します。サン・スーシーの野村保さん=写真左下、Barクールの古川緑郎さん、舶来居酒屋「いそむら」の磯村信元さん、Bar樽の吉田富士雄さん、Bar山の小板橋幹生さん、Bar SUZUKIの鈴木昇さん、Tony's Barの松下安東仁さん、スミノフの岩瀬庄治さん、KOBAの小林浩さん、セント・サワイ・オリオンズの澤井慶明さんの10人です。 これらのマスター、バーテンダーは知る人ぞ知る、今では伝説的な方ばかりです。すでに鬼籍に入られた方も数多くおられます(今もご存命の方は、このうち何人いらっしゃるのでしょうか? どなたかご存じの方がいればお教えください)。サン・スーシーやクール、いそむらのように、今はこの世に存在しないBarもあります。 うらんかんろは、登場された方々の中では、野村さん、古川さん、磯村さん、鈴木さん、松下さん、岩瀬さん、吉田さんの7人のお店にはかつてお邪魔して、お目にかかったことがあります。 いずれも日本のBar業界の発展に尽くされ、銀座の古きよき時代を知る、素晴らしい人柄の方で、とても「絵になる」バーテンダーでした。映像を眺めていると、初めてお店を訪れた日の思い出がよみがえってきます(写真右=クールの古川緑郎さん)。 映像に出てくる銀座の街の映像やお店に集うお客さんの服装や髪型、眼鏡、女性の化粧などをよく観察すると、ひと昔前の時代を感じさせる雰囲気です。 バックバーのボトルも、今と同じ銘柄でもラベルのデザインやボトルの形がかなり違っています。今なら、さしづめ「オールド・ボトル」と言われ、珍重される垂涎の酒ばかりです(写真左=「いそむら」の磯村信元さん)。 いつ頃の映像なんだろうかとあれこれ考えていると、映像の中にいくつかヒントがありました。クールの古川さんが、「13歳でサン・スーシーで奉公を始めてこの道に入り、もう60年近くやっています」と話しているシーンがありました。古川さんは1916年(大正5年)生まれでしたので、この撮影時は70~72歳だったとしたら、1986~1988年頃ということになります。いずれにしても80年代の後半の映像です(写真右=Bar樽の吉田富士雄さん)。 それはともかく、今ではとても懐かしい名バーテンダーの所作はとても興味深いものです。技術的には、 今の時代のコンクールで優勝するようなバーテンダーの方が素晴らしいものを持っているのかもしれませんが、年季を積んだバーテンダーのシェイキングは個性的で、とても味わい深いものがあります(写真左=Bar山の小板橋幹生さん)。 例えば、サン・スーシーの野村さん。シェイカーを持つ向きが普通とは逆です(トップが体と反対側に来ています)。澤井さんは右腕がリズミカルに上がる独特のスタイル。鈴木さんは伝説的な「片手振り」を披露してくれています。 小板橋さんは、「同じ水割りをつくるにも工夫をしている」として、バーボンとスコッチと国産ウイスキーで、3種の水割りをつくって、違い(例えば、バーボンは氷が少なめ)を見せてくれています(写真右=Bar・SUZUKIの鈴木昇さん)。 映像では、10人が皆さんがそれぞれ、仕事のあり方や「Barとは何か」という哲学を聞かせてくれていますが、それがすべて含蓄のある内容で、今も通じる内容ばかりです。撮影当時の銀座は、第二次カクテルブームだったということで、オーセンティックBarに客が戻りつつある時代だったようで、その名前が知られ始めたスタンダード・カクテルがよく飲まれています。 オリジナル・カクテルを披露しているマスターやバーテンダーも目立ちます。リキュールやフルーツなど今ほど種類がそう多くなかった時代ですから、オリジナルをつくるにも、きっといろんなご苦労があったと思います(写真左=Tony's Barの松下安東仁さん)。 珠玉の言葉の数々を少し紹介すると--。「オーセンティックBarでは、Barでしか飲めないウイスキーかカクテルを味わってほしい。ビールならビアホールで飲んでほしい。Barでビールでは“間”が持たないんです。 女の子がそばにいてほしいならそういう店へ行けばいいんです」「当たり前のことを当たり前にやるのが一番難しい」「国産でもいいウイスキーがあるんだ。それを知ってもらうことを使命にしてきた」(写真右=スミノフの岩瀬庄治さん)。 「珠玉の言葉」の続き--。「この仕事には何年やってもゴールはない。とても奥が深い」「店では毎日毎日違うお客さんと出会う。同じ仕事のやり方が通用する世界じゃない。それがまた勉強で、面白いんです」「欧米では、『バーテンダー』と呼ばれて尊敬される職業だが、日本ではバーテンという(見下した)言い方をよくされる。僕らは、バーテンダーという誇りを持ってずっとやってきた」。(写真左=KOBAの小林浩さん)。 とくに印象に残っているのは、最後に登場した澤井さんの言葉です。「欧米に追いつけ追い越せという気持ちでやってきた。今は80%までは近づいたかなと思うが、あと20%は僕らの世代だけの力では無理。 (後に続く)全国のみんなが頑張ってくれないと」。そう願った澤井さんも先般、鬼籍に入られました(写真右=セント・サワイ・オリオンズの澤井慶明さん)。 個人的には、技術面では今や日本のバーテンダーは欧米を抜いたと言っても言い過ぎではないと思っています。しかし、この映像に登場するあるBarのように、客が来たら必ず、付きだし代わりにジン・トニックを出すような商法は今では客にあまり支持されないでしょうし、また別の店のようにギムレットに、生ではないライムジュースを使うのも、今では受け入れられないでしょう(ただし、80年代後半はまだ生ライムは高級品で、現在のようにどこのBarでも気軽に使えなかったという事情もあります)。 欧米のBarにまだ追いついていないものは何なのか。答えは簡単ではありませんが、日本のBar業界がさらに発展して、「銀座第一世代」のバーテンダーの願いが叶う日が来る日を、Barファンの一人として心から願うばかりです。最後になりましたが、このような素晴らしいバーテンダーに一個人として出逢えたことを、今さらながら本当に幸せに思っています。Bar業界の先駆者たちに感謝です! 【おことわり】この日記で使用した写真はDVDを再生したテレビ画面をデジカメ接写しましたので、若干ピンボケですがご容赦ください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/09/27
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5. アラウンド・ザ・ワールド(Around the World)【現代の標準的なレシピ】ジン(40)、クレーム・ド・マント(ミント・リキュール)(15)、パイナップル・ジュース(15)、氷(ロックスタイルの時)【スタイル】シェイク クラシック・カクテルの中でもそこそこ知名度のあるカクテルで、日本で50年代以降に出版されたカクテルブックにもよく紹介されています。航空機時代を迎え、各国が世界一周飛行の実現を競っていた1920~30年代に登場したと伝わっていますが、考案者は不詳で、誕生の詳しい経緯・由来もほとんど伝わっていません。 Wikipedia(日本語版)によれば、「旅客機の世界一周航路開設を記念して開催された創作カクテルコンクールの優勝作品で、作者は米国人バーテンダー」なのだそうですが、根拠となる出典などのデータは示されていません。そもそも世界一周航路が初めて開設されたのは1947年ですが、カクテルは遅くとも1930年代にはお目見えしているので、根本的な疑問がわきます。 また、有名な映画「80日間世界一周」(1958年公開)の原題とカクテル名が同じということもあって、この「映画の公開を記念してつくられた」と紹介しているカクテルブックもありましたが、このカクテルの方が先に誕生しているので、映画とは直接関係ありません。 一方、前述の映画の原作となった「フランスの作家、ジューヌ・ヴェルヌの同名小説(1873年発表)にヒントを得て、米国のバーテンダーが考案したらしい」と紹介する文献(橋口孝司著「ちょっと大人のカクテルストーリー」)もありました。可能性としてはこちらの方があり得るかなぁと思われますが、同書には裏付けとなるデータは書かれていませんでした。 何よりも不思議なのは、欧米のカクテルブックでもなぜか、収録している本は極めて少ないということです。WEBの専門サイトでの紹介例はありますが、本では、(確認できた限りでは)米国の「ミスター・ボストン・バーテンダーズ・ガイド(Old Mr. Boston Official Bartender's Guide)」(1935年版&1940年版等)の他に、70年代の1冊のみです。ちなみに「ミスター・ボストン…」でのレシピは、ジン15ml、クレーム・ド・マント15ml、パイナップル・ジュース30ml(シェイク・スタイル)と、現代と比べてジンは少なめです。 いずれにしても、現在の欧米ではほとんど忘れ去られたカクテルで、まだ日本国内の方が知名度があるという謎の多いカクテルとも言えるでしょう。なお、欧米のWEB専門サイトでは昨今、以下のような別レシピの「Around the world」も紹介されています。 1.ダーク・ラム(25)、コニャック1.5tsp、オレンジ・ジュース(40)、シロップ(15)、クレーム・ド・ノワヨー1.5tsp、クラッシュド・アイス。すべての材料をブレンダーにかけてフローズン・スタイルで(出典:Drinkmixer.comほか) 2.ドライベルモット(40)、パイナップル・ジュース(20)、クレーム・ド・マント2dash、シェイクしてカクテルグラスに。マラスキーノ・チェリーとパイナップル・スライスを飾る(出典:Absolutdrinks.com)。※冒頭のレシピのジンをベルモットに代えたものとも言えます。 【確認できる日本初出資料】「カクテルの本」(間庭辰蔵著、1959年刊)。レシピは、ジン(15)、クレーム・ド・マント(15)、パイナップル・ジュース(30)(※「ミスター・ボストン…」のレシピとまったく同じです)。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2016/11/15
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ビートルズやストーンズのように超ビッグなアーチストにはならなかったけれど、たった1曲でロック・ファンの心をつかみ、音楽の歴史に名を残した人たちがいる。 例えば、ギルバート・オサリバンなら「アローン・アゲイン」、ニルソンなら「ウイズアウト・ユー」(元はと言えば「バッド・フィンガー」の曲のカバーだったのだけれど)、レオン・ラッセルなら「ソング・フォー・ユー」というように。 だが、上に挙げたようなアーチストが単なる「一発屋」とは違うのは、他にもスマッシュ・ヒットはいくつか放っているし、ロックの世界で、自分たちの音楽ジャンル(存在感)をしっかり確立したこと。 そんなアーチストの一人に、僕も好きなアル・クーパー(Al Kooper)がいる。アル・クーパーの代表曲と言えば、「アイ・スタンド・アローン(I Stand Alone)」(写真左上=「I Stand Alone」収録の同名のアルバム=1969年発表)を挙げるファンが多いかもしれないが、僕にとっては、「ジョリー(Jolie)」(1972年発表。写真右=「ジョリー」収録のアルバム「赤心の歌(Naked Songs)」)がそれである。 「ジョリー」は3年ほど前、ソニーのデジカメ(サイバーショット)のCMで使われ、結構話題になったので、曲を聴けばきっと知っている人は多いと思う。とても甘く、美しいアップテンポのラブ・ソング。80年代、車の中でこの曲ばかり聴いていた時期もあった。皆さんにもぜひ聴いてほしい素晴らしい名曲だ。 アル・クーパーは1944年2月、ニューヨーク生まれ。作曲家にしてミュージシャン、プロデューサー。小さい頃からピアノを習い、その後ギターも習得。10代後半には早くも、キーボード&ギター・プレーヤーとして注目を浴びるようになった。 アルの存在をなんと言っても有名にしたのは、あのボブ・ディランの不朽の名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」のバックで弾いた印象的なハモンド・オルガンの演奏。「ライク・ア・…」のバックにあのオルガンの音がなかったら、あれほど大ヒットしただろうかとまで、僕は思う。 スタジオ・ミュージシャンとして、ライブでのセッション・ミュージシャンとして知られるようになったアルは、その後はマイク・ブルームフィールド、ジミ・ヘンドリックス、ストーンズら様々なアーチストとも共演を重ねる(写真右=ブルームフィールド、スティーブン・スティルスとのセッションをおさめた名盤「Super Session」=1968年発表)。 そして1968年、アルは、「ブラッド・スウェット&ティアーズ」という歴史に残るブラス・ロックのバンドの結成に参加し、デビュー・アルバム(写真左上)でも重要な役割を果たす。しかし、アルはこの1枚のアルバムでグループを脱退。また長い音楽遍歴の旅に出る。 70年代に入って、アトランタで「サウンド・オブ・サウス」というレコード会社を設立したアルは、その後、「レーナード・スキナード」というサザン・ロックのバンドをデビューさせたりしたが、80~90年代は目立った音楽活動は聞こえてこなかった(写真左=これもロック史に残る名盤の一つ「フィルモアの奇蹟」=1969年)。 アルは、大都会の陰影とか寂寥感を表現する音づくりがとても得意だ。ジャンル的にはロックに分類されているが、(聴けばよく分かると思うけれど)その独特のサウンドのなかには、ブルースやソウル、ジャズ、クラシックなどさまざまな音楽のエッセンスが溶け合っている。 好きな1曲なら必ずと言っていいほど、マイ・ピアノBar「M」で一度は弾き語ってみる僕だが、アルの曲はなかなか手強い。「ジョリー」はメジャー・コードの曲なのだが、確か歌い出しが4度のコードから始まる複雑なコード進行。ピアノ一本の伴奏だと、盛り上げるのが結構難しい。だから一度だけ歌って、今のところお蔵入り。 不思議なことに、半世紀近い音楽キャリアを持つアルは、なぜか一度も日本の土を踏んでいなかった(日本にもたくさんのファンがいるというのに…)。そのアルが03年、初めて来日し4カ所でコンサート(小さいクラブやホールだったが)を開いた(写真右=アル・クーパーをとりあえず知るにはこのベスト盤「Al's Big Deal」=1975年発表=がおすすめ。「Jolie」ももちろん収録!)。 僕は残念ながら行く機会を逃したが、おそらく往年の名曲の数々を初めて日本のファンの前で披露したのだろう。どなたかご覧になった方がいればどんな曲を歌ったのかなど聴いてみたいのだけれど…(ライブ映像がDVD化されないかなぁ…)。 アルは昨年には30年ぶりのソロ・アルバム「ブラック・コーヒー(Black Coffee)」(写真左)をリリースした。今年御歳、62歳になるが、音楽への情熱はまだまだ衰えていないようで、嬉しい。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】 ************************************************************************【追記】昔(10数年前)弾いてみてあまり上手くいかなかった「Jolie」の弾き語りに、先日、マイ・ホームグラウンド・ピアノBar「M」で再度挑戦しました。すると、今回はなかなかうまくいきました。アップテンポにもうまく乗れたような感じ。歳月を経てピアノの技量が上がったのか? それとも、英語の歌の歌い方のコツをつかんだのか? キーはオリジナルと同じGmで歌いましたが、ちょっと高い感じだったのでFmかF#mに下げるかどうか、迷っているところです。さらに練習を重ねて完成させたい曲の一つです。
2006/09/21
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かなり久しぶりに言葉(方言)の話題。和歌山と言えば、関西にあって、大阪、京都、神戸というビッグ・ネームに隠れ、全国的な知名度はいまいちだ。同じ関西人の間でも、和歌山は残念ながら存在感が薄い(和歌山出身の人、ごめんなさーい)。 僕は京都生まれの大阪育ち。そして現在は兵庫県に住んでいる。同じ関西だけれど、あまり和歌山へ出かけることは少ない。ただ、親戚筋にも会社の友人にも、和歌山出身の人はいる(写真左=和歌山は紀州徳川家55万石の城下町。八代将軍・吉宗は紀州徳川家出身です)。 関西以外の方は、和歌山と言えば、何を思う浮かべるだろうか? 黒潮、クジラ、温州みかん、南高梅、熊野古道、高野山、保守的な土地柄、それともそれ以外? ステラビアさんや、na_geanna_mさんら関東の方に一度聞いてみたいなー。 さて、本題の言葉の話。同じ関西弁でも、和歌山弁はかなり独特の色合いを持っている。和歌山と言っても広いので、一応ここでは紀ノ川筋、主に和歌山市周辺を中心とする表現について記す(写真右=温暖な気候が美味しい温州みかんを産む)。 和歌山弁の最大の特徴でもあり、しばしばギャグのネタにもされるのは、「ざ行」の発音が「だ行」になること。和歌山弁に、「ざじずぜぞ」は必要ない。ほとんどが「だぢづでど」になる(写真左=先ごろ、「世界遺産」に認定された熊野古道)。 よく典型的な和歌山弁のたとえ話で紹介される話。和歌山の子どもたちが動物園に訪れた。鼻の長い動物の前に行って、子どもたちは叫んだ。「あっ、どうさんがいる!」。かように、和歌山では、座布団は「だぶとん」、雑巾は「どうきん」、安全は「あんでん」になる。 笑い話で、和歌山出身の元阪神・プロ野球選手、藤田平氏がラジオの野球解説していたときのこと。本人は「絶対絶命のピンチですね」と言ったつもりだったのだが、僕には「でったいでつめいの…」としか聞こえなかった(写真右=美味しい梅干しでも有名。とりわけ「南高梅」は最高の品質!) もっとも、それでは若い人が「ざ行」の発音ができないのかと言えばそうではない。和歌山出身の人でも、大阪や神戸に来たら、ちゃんと「ざ行言葉」を話しているから、やはり、言葉は風土・文化が創るということなのか(写真左=江戸の頃から、「黒潮の恵み」であるクジラを食する和歌山県人)。 僕の親戚筋で和歌山出身のおじさん(和歌山弁では「おいやん」となる)は、和歌山でも南部の湯浅というところの出身(湯浅は醤油の産地で有名)。だから、結構きつい和歌山弁を喋っていた。同じ関西人の僕でも、おじさんに意味を確かめないと分からない言葉や言い回しもたくさんあった(写真右=「和歌山のシンボル」は数あれど、白浜の円月島も有名)。 和歌山弁では、自分のことをよく「あが」とか「わが」と言う。現在70代のおじさんは10代後半で大阪に出てきたので、今ではすっかり大阪弁に馴染んでいるが、酒が進むとやはり、時々「わががー」なんて口に出る。ついでに言うと、あなたのことは「おまん」と言う。「おまん、よう聞けよ」なんて…。 語尾が「です、ます」が「~じょぉ」となるのも特徴(例:「おまんの言う通りじょぉ」)だが、これは阿波(徳島)弁にも似ている。現在進行形は「~ちゃぁる」(例:車が走っちゃぁる)(写真左=真言密教の聖地「高野山」。奥の院には弘法大師・空海が眠る) 質問や疑問の「~ですか?」は「~かえ?」となることが多い(例:「この料理好きかえ?」)。接続詞も面白い。僕の「おいやん」はいつも、「ほやけど(標準語=しかし、大阪弁なら「そやけど」かな)」「ほやさけ(同=つまり)」「ほいたら(同=そしたら)」だった(写真右=日本一の大滝「那智の滝」)。 そして、とにかく和歌山弁では語尾に「~よー」をやたら付ける。「このあいだよー、あそこの店いったんよー、安くてよー、味もええんしょよー」なんて、出てくる文節ごとに語尾が「よー」のオンパレードなんてこともある。(写真左=和歌山の最高の海の幸、クエなべ。やや高価だけれど旨ーい!)。 とにかく書ききれないくらい和歌山弁は魅力的。なかでも、僕が一番好きな和歌山弁は「連れもって、いこらー」(一緒に行こうよー)。何となくとても親しみを感じる表現だと思わない? でも残念ながら、僕でもなかなか普段は聞く機会はない。今度、機会を見つけて「生の和歌山弁」を聞きに行ってみようかなー。 最後に、和歌山出身の有名人は誰だろうとちょっと調べてみた。もう亡くなった人もいるけれど、華岡青洲、南方熊楠、松下幸之助、坂本冬美、東尾修、有吉佐和子、楳図かずお、小林稔侍、デューク更家、ラル・カンシェルのhyde…。う~ん、多彩だなぁ…(写真右=アドベンチャー・ワールドのパンダも和歌山の“有名人”?!)。 和歌山出身の人って、自分のことを「和歌山出身です」とはあまり言わずに、「関西出身」と言う人が多い(コンプレックスがあるのだろうか?)。確かに、「個性に乏しい」とか「田舎で、考え方が保守的」とか、若い世代には引け目もあるようだ。 でも、これからは変わる可能性だってある。自分が保守的にならなければ確実に世の中は変わる。和歌山には何よりも、京阪神にはない、自然と温暖な気候と美味しい海・山の幸がある。そんな故郷・和歌山を、もっと自慢に思ってもいいと僕は思うのだが…。【注】タイトルの「おもしゃいじょぉー」は和歌山弁で「面白いよー」の意。人気ブログランキングへGO!→【人気ブログランキング】
2005/11/22
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本日は、新生フェスティバルホール(大阪)でキース・ジャレット・トリオ公演でした。トリオは結成30年ですが、今回が最後の日本公演だということです。ベースのゲイリー・ピーコックも78歳。さすがに老けたし、衰えもあります。トリオ休止はやむを得ない選択だったのでしょう(ちなみに、ドラムのジャック・ディジョネットは70歳、キースは68歳)。 今回も、アップテンポの曲やバラードからブルースまで、バラエティに富んだセットでとても楽しませてくれました。トリオとしては最後の日本ということで、アンコールも3回演奏するなど、キースは大サービスでした。 それはそうと、ステージでキースの生のMC(声)を初めて聞きました。イントロを弾き始めたと同時に拍手が聞こえたので、突然、演奏を中止。「How do you know what song is ?」=「(弾き始めたばかりなのに)曲を知ってるんかい?」と、客席に向かって話しかけました。キースは、有名なスタンダード・ナンバーでも即興で、まったく違う感じに弾き始めることが多いので有名で、そういう意味も込めた彼なりのジョークなんですが、こんなお茶目なキースも初めて見ました。 キース、貴方と出会って僕は幸せでした。貴方とビル・エバンスと出会わなければ、僕は、(無謀にも)ジャズ・ピアノを弾くことはありませんでした。キース、貴方に心から感謝です。30年間、本当に有難う! 【追記】昨夜のキース・ジャレット・トリオの大阪公演(2013.5.12.)での演奏曲目が何だったのか、プロモーターである「鯉沼ミュージック」のHPで、次の通り、公表されました。 All of You、Django、The Bitter End、The Old Country、Straight No Chaser、Last Night When We Were Young、Conception、I Thought About You、One For Majid、I Fall In Love Too Easily <アンコール>Bye Bye Blackbird、Answer Me, My Love、Things Ain't What They Used To Be の計13曲でした。 このトリオのCDはすべて持っていて、半分くらいの曲は聴いたことがある僕ですが、曲を聴いてすぐ曲名が浮かんだのは、恥ずかしながら2~3曲しかありませんでした(笑)。レパートリーがめちゃ多いキースだから、仕方がないのかも…。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/05/12
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東京でBAR巡りをし始めた20数年前には、まともな東京の「BARガイド」など、まだ1冊もなかった。 だから、BAR好きの友人やカウンターで出会ったBAR好きの酔客に教えを乞うたり、バーテンダーさんから老舗を1軒ずつ教えてもらったりしながら、「マイ手帳」に店のリストを増やしていった。 手帳は用紙が差し替え式(今どき「化石」の「8穴タイプのシステム手帳」!)になっていたので、ホルダーを更新しながら、用紙を追加しながら、現在でも(20年以上も!)大切に使っている。 その手帳の最初の方のページには、当時、銀座で回り始めた店の名前が並ぶ。「クール」「サン・スー・シー」「スミノフ」「うさぎ」「蘭」「あんて」「ルパン」「モンド」「カーネル」「よ志だ」「ダンボ」「ダルトン」「JBA・BAR」…。 名を挙げたBARのいくつかは、今はもうその姿がない。バブル期の地上げで店を追われたところ、後継者難で店を閉じたところも、そして「クール」のように一代限りで見事に幕を引いたところもある。それぞれである。 そんな銀座のBAR巡りのきわめて初期に出合った一つに、「いそむら」(写真左上)という店があった。これぞ銀座という格調高い老舗の1軒だった。そう頻繁にお邪魔したわけではないが、印象深いBARの1軒だった。 BARというよりも、英国の伝統的なパブのような、落ち着いた雰囲気。とくに「日本で初めてギネスを扱った酒場」というのが「いそむら」の自慢の一つだった。 そんな「いそむら」が半世紀近い歴史(1954年開店だったという)を閉じたという話を伝え聞いたのは3年ほど前(写真右=昔もらった「いそむら」のマッチ。他の老舗のマッチとともに額に入れて飾っている)。 「あぁ、また老舗が消えるのか…」と残念がっていた昨年末、ある雑誌で、マスター「磯村さん」のお弟子さんの藤本さんが、店の内装などをほとんどそのまま引き継ぎ、店名だけを「舶来居酒屋・ふじもと」と変え、再出発したという嬉しい記事を読んだ。 店の名前は変わっても、「いそむら」のスピリットは「ふじもと」に受け継がれた。なによりも老舗の店そのもの(内装)が残ったことが嬉しい。新装のBARでは、どんなに素晴らしくても老舗の味わいは望むべくもない。 「いそむら」時代から、名物のカツサンドも健在という。「舶来居酒屋」という冠を付けたのは、若い世代にも、老舗の良さを感じて、味わってほしいというマスターの心意気の表れだろう(写真左=看板は「ふじもと」と変わっても…)。 今度出張の機会には、生まれ変わった老舗BAR「ふじもと」にぜひお邪魔して、あの「いそむらスピリット」を肌で感じてみたい。【舶来居酒屋・ふじもと(旧Barいそむら)】東京都中央区銀座8丁目5-15 SVAXビルB1F 電話03-3571-6957 午後5時~午前2時(土曜は午後10時半まで) 日祝休(お値段は“銀座料金”。予算は2杯で5千円くらいは覚悟を)。【追記】理由はよく分かりませんが、残念ながら2007年2月末で閉店されたとのことです。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/10/25
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神戸には、今はもう姿を消した伝説的なBARがいくつもある。「ルル」「ギルビー」「サンシャイン」「マダムマルソー」「キングズ・アームズ」…そして、忘れてはならないのが「コウベハイボール」(「神戸ハイボール」ではなく、こう名乗った)。 その多くは、バブル期の地上げや後継者難で、さらに、追い打ちをかけたあの阪神大震災での被害のために、閉店を余儀なくされた。そうした伝説的なBARに出入りする機会が持てた私はある意味幸せだったが、店がなくなってしまった今では、寂しさばかりが募る。 とくに、最後に名をあげた「コウベハイボール」。私が神戸で仕事をしていた頃、勤め先があったビル(神戸朝日会館)の地下にあったので足繁く通った、とても想い出深いオーセンティックBARである(ついでに言えば、同じビルの地下にあった「銀串」という焼鳥屋にもよくお邪魔した。老夫婦が営む味わいある店だった)。 「コウベハイボール」は昭和29年(1954)の開業。店は平日、午後3時にはオープンしていた。私は夕方を待ちかねたように、同僚らと会社をそっと抜け出しては地下へ下り、スイング式のドアを開けた。スタンディングのカウンターはいつも、6時前にはもう客が溢れていた。 大阪キタにある「北新地サンボア」で先日、そんな「コウベハイボール」の想い出話をしていたら、お店の方が「昔の写真、ありますよ」と数枚のプリントを見せてくれた。セピア色の写真には、もっとも円熟していた頃の「コウベハイボール」(写真左上)と、マスターの河村親一さん(写真右&左下)が紛れもなく写っていた。 この古き良き酒場の情景を皆さんにも見て欲しいと思って、接写させてもらったのがこの日記でも紹介した3枚。どれも、私にとっては、懐かしさで涙が出そうなほどの情景だ 河村さんはいつも白いバーコートに蝶ネクタイというスタイル。あまり笑わない、寡黙なマスターだったが、仕事は何もかも超一流だった。お店の名物の「ハイボール」は、きんきんに冷やしたサントリー・ホワイトとウイルキンソン炭酸でつくる。 今はなき「神戸サンボア」の歴史を受け継いだお店とあって、河村さんは氷なしのサンボアスタイルを継承したが、これが絶妙の旨さだった(当時1杯確か400円)。ついでに言えば、付きだしで供されるカレー風味のピクルス、これがまた美味だった。 酒場でのマナーにも厳しい人だった。大声を出したり、騒いだりする客には厳しく注意したし、スタンディングのカウンターはできるだけ多くの客が飲めるようにと、いつも気を遣い、客に声をかけていた。は、この「コウベハイボール」でBARという場所での大人の飲み方や、酒場でのマナーを学んだと言っても過言ではない。 「コウベハイボール」は、入居していたビル(朝日会館)の建て替えにぶつかった1990年、惜しまれながら、半世紀近い歴史に幕を閉じた。当時まだ68歳の河村さんだったが、後継者がいないこともあって建て替え後のビルには入らず、一代で店を閉じる決断をした。 最終日には、「コウベハイボール」に通い詰めた客たち(僕もその場にいた)が、古き良き酒場に悲しいお別れをした。私は友人らと費用を出し合い、河村さんに花を贈った(河村さんは1995年頃、一度お会いしたが、その後の詳しい消息は知らない)。 「コウベハイボール」のバック・バーの棚は幸い、しばらくの時を経て、冒頭、写真を見せてもらった「北新地サンボア」(大阪市北区曽根崎新地1-9-25 電話06-6344-5945)に移設された=写真右(オーナーのSさんの情熱のおかげだ)。 大阪に、「コウベハイボール」の想い出に浸れる空間があることはとても嬉しいが、個人的には、「コウベハイボール」という素晴らしい空間(酒場)がこの世から消えたことが痛恨というか、残念でならない。 古き良き酒場のない都会(街)には、私はほとんど魅力を感じない。人の匂いも、潤いも、温かさも感じられない、そんな街には私は住みたくない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/10/10
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漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなったというニュースを昨夜テレビで知った。72歳。6年前、脳内出血で倒れた後、ずっと入院生活だったという。 赤塚さんは言わずと知れた、天才ギャグ漫画家。「おそ松くん」「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」など、数々の素晴らしい作品を生みだした(写真左=愛猫「菊千代」とたわむれる赤塚不二夫さん=1981年頃。 ( C )朝日新聞社 ) 小学校の低学年だった頃、将来の夢は漫画家になることだった。それも、「手塚治虫か赤塚不二夫みたいな漫画家に近づくこと」だった。 ちょうどその頃、大阪・なんばの高島屋で、赤塚さんのサイン会が開かれた。「おそ松くん」を週刊誌で連載し始めた頃で、まさに人気が急上昇していた時期だった。 僕は朝早く、開店から並んだ。学校を休んだ記憶はないので、たぶん日曜だったのだろう。サインを貰うために、当時としては高価な500円ハンカチを買わされ、そのハンカチにサインをもらった。 僕は赤塚さんへのプレゼントを大事そうに抱えていた。陶器製の高さ15cmくらいのペン立て。選んだ理由は今では忘れてしまったけれど、「インディアンの酋長(顔)」をモチーフにしたペン立てだった。 サインの順番が回ってきた際、「これ、プレゼントです」と手渡した。赤塚さんは「僕にくれるの? いいの? ほんとに有難う!」と言って喜んで、握手してくれた(写真右=「天才バカボンのキャラクターたち。( C )フジオ・プロ ) 僕は嬉しくて、感激してもう何も返す言葉が浮かばなかった。サイン入りのハンカチを握りしめ、小躍りして家まで帰った。「ハンカチ」は今も大事に持ち続けている。僕の宝物であり、あの遠い日の…思い出。 漫画家にはなれなかったが、その後も赤塚さんの漫画は欠かさず読み続けた。それほど好きだった、赤塚さんが亡くなった。今はもう悲しくて、悲しくて…、言葉が出ない。
2008/08/03
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あさって6月25日、秋田で日本バーテンダー協会(NBA)主催の全国バーテンダー技能コンクールが開かれる。5月の連休に秋田に旅した僕には、一つ心残りがあった。それは、この全国コンクールの秋田開催に尽力した地元のバーテンダー、黒坂明氏に会えなかったこと。 彼の評判は、秋田に行く前からよく聞いていた。男気がある、素晴らしい人柄であること、もちろん技術も知識も、秋田では彼の右に出る者はないほど優れたバーテンダーであること、秋田の繁華街の名にちなんで「川反(かわばた)の星」と言われたこと…等々。 しかし秋田に行って、黒坂氏の店に行っても彼の姿はなかった。彼は2005年10月、がんとの闘病の末、49歳の若さで亡くなっていた。葬儀には、彼を慕うバー業界の関係者らが東北6県などから約800人も参列。ジャズに送られ、彼は天上に旅立ったという。 生前の黒坂氏は知らない。しかし、彼を慕う数多くのバーテンダーが語る彼の「人となり」を聞いていると、彼がどれほどホスピタリティに富んだ、素敵な人物だったかが、改めて感じ取れた。 闘病中も黒坂氏は、抗がん剤を使わなかった。「バーテンダーは美しい姿でカウンターの中に立たねばならない」と、脱毛などの副作用がある抗がん剤を拒否したという。そして、最後までカウンターに立ち続け、全国コンクール開催準備のために努力し続けた。 秋田を訪れ、彼の残したBARを引き継いだ後輩たちの接客を見ていると、そのホスピタリティのDNAは、確実に受け継がれていることを実感した。 黒坂氏が夢見た全国コンクールが、いよいよ秋田で実現する。黒坂氏がその場にいないのはとても切なく悲しいけれど、彼はきっと、天上で後輩達の活躍を温かく見守ってくれるだろう。 数日前、大阪キタのあるBARで、「スペース・ファンタジー(Space Fantasy)」というカクテル(写真)を頼んだ。1994年、S社のカクテルコンペで準優勝に輝いた、黒坂明氏のオリジナル。 ウオッカ、バイオレット・リキュール、グレープフルーツ・ジュースがそれぞれ3分の1ずつ。そして、レモン・ジュース、カンパリが各1tsp。シェークして、シャンパン・グラスに注ぐ。甘口のなかにも、爽やかさを感じさせる味わい。 黒坂氏が考案した当時のキャッチ・フレーズは、「神秘的で幻想的な宇宙、そして壮大な地球。夜空にきらめく星を眺めながらの1杯はいかが?」。僕も今夜は、夜空の星を眺めながら、天上の黒坂氏へ一献を捧げよう。こちらもぜひ見てねー!→【人気ブログランキング】
2006/06/23
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その16:「いいBAR」の条件(3) (8)商魂見え見えの店はやめる 客のグラスが空になっていたら、「ただちに『おかわりはいかがいたしましょう?』と聞きなさい」とマニュアル化しているBARもあると聞いたことがある。真偽の程は分からないが、それに近い教育を従業員にしているBARは確かにある。これは、1杯だけで長時間粘る客に対して、「飲まないんだったら、早く席を空けてくれ」というプレッシャーをかける意味合いもある。 客にたくさん酒を飲んでもらいたいという気持ちは分かる。しかし、グラスが空き次第、すぐに前にやって来て「次は何にいたしましょうか?」と聞くのは、あまりにも商魂見え見えでいただけない。飲み終わった後の余韻に浸り、次は何を飲もうかなぁと考える余裕も与えてくれないのでは、居心地が悪くてくつろげない。 貴方が何軒ものBAR遍歴を重ねていくと、お代わりを尋ねるタイミングが上手な店が分かってくる。飲み終えてほっと一息ついて、「さぁ、次は…」と心の中でつぶやいた時、さっと前にやって来る。よく躾られたバーテンダーは絶妙なタイミングを心得ている。そういうバーテンダーがいるのは、間違いなく「いいBAR」だ。 高い酒ばかり勧めたがるマスターやバーテンダーがいるBARも問題だ。私が開店の案内状をもらって初めて訪れた店でのこと。「貴方のために用意しておきましたよ」と言われ、あるシングル・モルトを勧められたが、これが法外なお値段だったという経験もある(その店の扉はその後一度も開けていない)。 客にも懐(予算)というものがある。ましてや昨今のこの景気低迷で、酒代に使える可処分所得も年々減少している。そういうことに思いやらず、儲かりゃいいでは客に見放されるだけだ。こういうBARには出来る限り行かない方がいい。ただし、口コミなどで事前の情報がない限り、訪れてみないと分からない。「苦い経験も“授業料”の内」と思うしかない。 (9)BGMへのこだわり BARに合うBGMは、個人的にはやはり静かめのジャズやソウル、ロックでなおかつ、やや静かめの洋楽がベストだと思う。個人的には、ジャズならばピアノトリオや優しいヴォーカルものが一番好きだ。ロックやポップスでも騒々しくないものなら大丈夫。邦楽(J-Popや歌謡曲)はなぜかあまりBARの雰囲気にマッチしないと感じるのは、やはりBAR文化が西洋起源のものだからか。 マスターが音にうるさく、ミュージシャンにも詳しい方ならなおいい。私の馴染みのBARでは、「これ、****さんのきっと好きな感じのアーチストですよ」と先取りして教えてくれるバーテンダーもいる。欲を言えば、週に1~3回くらいは生演奏の聴けるスペースのあるBARというのが理想だ。残念ながら、ライブハウス以外でそういう店は関西にはあまりない。そんなライブBARをいつか自分で開けたらというのが、まさに究極の夢だが、こちらの方はさらにハードルは高そうだ(笑)。 (10)マナーのいい上質の客の割合が高いこと 「いいBAR」は店(マスターやバーテンダー)だけの努力ではつくれない。意外に思われるかもしれないが、「いいBAR」は「いい客」がいてこそ成り立つ。いくら優秀な、人柄のいいバーテンダーがいても、その店に集う客の質(マナー)が悪ければ、評判も落ちる。大声で騒いだり、周囲に関せずタバコを吹いたりする客の割合が多ければ、店の雰囲気も悪くなって、やがて客離れも起きるだろう。 では「いい客」が集うBARとなるためには、どうすればいいのか。繰り返しになるが、まず客側がBARのルールを覚え、良きマナー、エチケットを身に付けなければならない。と同時に店側も、客がBARでの良きマナーを身に付けるように育てなければならない。「この客は金払いがいいから」とマナーの悪さに目をつぶってはいけない。営業優先ではダメである。そういう意味では、BARのマスターは独裁者であっていい。 昔は頑固マスターがいて、マナーの悪い客をしかり、諭し、“教育”した。だから、そういう厳しいマスターのいるBARには、マナーのいい上質の客が多かった。そして、常連の客が新しい客を“教育する”ことで店のレベルもまた上がった。そういう好循環があった。繰り返し言うが、マナーのいい上質の客が多いBARは「いいBAR」である。 (11)店は広すぎず、狭すぎず たいしたことではないと思うかもしれないが、店の広さは大切な条件だ。オーセンティックBARは広すぎず、狭すぎずというのが丁度良い。広さで言えば、10坪(33平方m)~12坪(40平方m)くらいが一番落ち着く。10人までのカウンターがあって、テーブルが2つか3つ程度。マスターと従業員(バーテンダー)が1人か2人というのが理想だ。 これくらいの広さのBARなら、カウンターに座れば、どこにいてもマスターの顔が見え、目で会話もできる。話し声も大きくならずにすむ。客の間にも、適度な緊張感と親近感が生まれる。だから、店の広さは大事である。 ただし、10坪では音楽の生演奏(ライブ)は少し厳しい。ピアノとヴォーカルのデュオ・ライブくらいは楽しめるようなスペースを考えたら、15坪(50平方m)くらいあった方がいい。落ち着いたBARの雰囲気と生の音楽空間の両立はなかなか難しい。さて、私の開くBARはどちらに比重を置こうかな…。 (12)マスターやバーテンダーの人柄 最後の条件は、一番大切な条件かもしれない。最終的に、そのBARを好きになれるかどうか、そのBARが「いい」と思えるかどうかは、私の場合、やはりお店の方の「人柄」に負うところが大きい。「人柄」とは、言い換えれば「優しさ」「思いやり」「おもてなしの心」でもある。10年、20年と通い続ける行きつけのBARは、ほぼ例外なしにマスターやバーテンダーの「人柄がいい」店ばかりである。そうでなければ、とうの昔に縁を切っていただろう。 しかし一方で、「人柄」は万人に共通する条件ではない。BARのマスターには、接客・サービス業なのに、いわゆる「ひとくせ」ある方、偏屈な方、無愛想な方もなかにはいる。僕は苦手だが、「バーテンダーとしてプロの仕事をしてくれれば、人柄なんてたいした問題じゃない」と、そういうタイプのマスターが気にならない客も、実際にいる。 人柄がいいか良くないかは、マスターと客との「相性」のような部分も大きい。僕が、あるマスターに好感を抱いても、別の客はそうは思わないケースもある。「頑固が名物」で、かえって人気のあるBAR(マスター)だっている。そういう「ひとくせマスター」のいるBARでも、常連がいて、20年、30年とそこそこ繁盛し続けている例もある。そこがBARという空間の面白い部分でもある。 貴方がBARを選ぶ条件として、お店の方の「人柄」を重視するかどうかは貴方次第だ。私はそれでもやはり、「人柄がいい」マスター、バーテンダーがいるBARの方が好きだ。もし貴方が「人柄」を重視するなら、いろんなBARに出入りするなかで、貴方と相性の合う、「いい人柄だ」と思うマスター、バーテンダーを見つけていくことが大切だ。そういう人が見つかれば、そこが貴方にとっての「いいBAR」ということになる。 ◇ ◇ ◇ 美味しいカクテルが飲めても、珍しいレアな酒があっても、いくら内装に金をかけていても、BARとは結局のところ、「経営者(マスター)の全人格」を表すものでしかない。「12の条件すべてを満たす理想のバー」にはまだ出会っていない。しかし、いつか12の条件すべてを兼ね備えたBARと出会える日が来るに違いない。そんな夢を抱いて、私は今夜もバー巡りを続けている。【その17へ続く】【おことわり】写真は本文内容とは直接関係ありません。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/02/09
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ここでちょっと、オーストリアについてのミニ雑学講座です。オーストリアへ行く前、うらんかんろは、オーストリアはドイツ語でもオーストリアに近い発音なんだろうなと思っていました。しかし、改めて調べてみるとまったく違って、「オーストリア」はカタカナ表記では、「エースタライヒ(またはエースターライヒ)」(Österreich)でした。 従って例えば旅行中、会話でよく使った表現、「オーストリア(に来るの)は初めてです」は、「Das ist mein erster Besuch in Österreich(ダス・イスト・エアスター・ベズーフ・イン・エースタライヒ)」でした。なお、「エースタライヒ」と表記されることが多いのですが、実際、現地のネイティブが話しているのを聞くと、僕の耳には「ウースタライヒ」に近い音で聞こえました(まぁ、「エ」と「ウ」の間くらいなんでしょうね)。 オーストリアは、日本人にはしばしばオーストラリア(Australia)と間違われます。でも、両国名の混同は日本人だけではなく、英語圏の人にもよく見られるそうです。2006年10月、駐日オーストリア大使館商務部は、オーストラリアとの混同を防ぐため、国名の日本語表記を「オーストリア」から「オーストリー」に変更すると発表しました。大使館の看板プレートは現在では「駐日オーストリー大使館」となっているそうです。 しかし一方で、同国の大使は「国名表記を決定する裁量は日本国にあり、日本国外務省への変更要請はしていない」とも付け加えています。その後も、日本政府や官公庁、マスメディアなどに「オーストリー」を使う動きは見られません。朝日新聞は現在でも紙面では「オーストリア」と表記しています(第3&4段落の出典:Wikipedia日本語版)。日本では近い将来も、当分の間は「オーストリア」は「オーストリア」なんでしょうね。 さて、ウイーン滞在2日目。きょうは列車でザルツブルク(Salzburg)へ向かいます。まず、ホテル最寄りの地下鉄(Uバーン)・シュテファン広場駅(Stephansplatz)から、まずウイーン西駅(Westbahnhof)へ向かいます。シュテファン広場駅まではホテルから徒歩数分と、とても便利です(やはりホテルのロケーションは重要ですね)。 シュテファン広場から乗って約10分弱。4つ目の駅がウイーン西駅です。ここからオーストリア国鉄(ÖBB)のウイーン西駅まで、青い案内表示に従って歩きます。駅構内は結構近代的な雰囲気です。 昨日会ったJTBの担当者からは、「西駅にはシリア難民が数多く殺到しているはず。列車の運行にも影響が出る可能性は大きい。早めに行って確認して、もし乗る列車が運行中止になっても、別の列車の自由席なら乗れるので、なんとか自力でザルツブルクまでたどり着いてください。ヨーロッパは基本、自己責任なので」と口すっぱく言われていました。案内表示を見る限り、僕らの乗るミュンヘン行きの特急(RJ60)はちゃんと運行されるみたいです。 これは駅のホーム。難民らしきグループ(人たち)は構内やホームにポツポツと見えますが、それほど大量という感じではありません。 駅構内には、警備の警官の姿も見かけましたが、混乱しているような様子はどこにもありません。少し拍子抜けしたような気持です。 これが僕らの乗る特急列車。リンツ、ザルツブルク、インスブルックを経由してミュンヘンまで行く国際列車です。ザルツブルグまでは約3時間ほどの旅です。僕らは指定券を持って、自分たちの席に座りました。指定席車両の乗車率は最初は、6割程度でした。ところが、発車の10分前くらいなって、どこから来たのがたくさんのシリア難民たちが続々と乗り込んできました。「ダイヤ通りに運行されないのが当たり前」と言われるヨーロッパの鉄道ですが、RJ60は無事、定刻(10時40分)通りに発車しました。 難民たちは、手には自分たちのお金で買った乗車券は持っていますが、座席指定券はありません。しかし、指定席車両であってもお構いなしに、どんどん座ってしまいました。オーストリア国鉄の担当者も、もう収拾がつかないので、何も注意はしません(カメラを向けるのもはばかられたので、車内ではこの程度の隠し撮りくらいしか出来ませんでした)。驚いたことに、ほとんどの難民は身なりもそれなりに綺麗で、スマホも持っています。「最初に逃げ出してきた難民は、高学歴で比較的裕福な人たちが多い」と聞いていましたが、やはりそのようです。 ザルツブルクまでの約3時間、難民たちは比較的お行儀よくしていました。途中、リンツで指定券を持って乗ってきた乗客には、ちゃんと席を譲っていました(ただし、スマホで大声で通話したり、アラブ音楽を鳴らしたりするマナーの悪い連中も一部にはいました)。 しかし、ザルツブルクに無事に着いたので安心して降りようとしたら、ホームにはものすごい数の難民たちが列をなしています。そして僕らが降りるのを待たず、我先に乗り込もうとします。「これは普通にやってたら降りられない」と思った僕は、とっさに「どいてくれー! 降りるんだから!」と日本語で大声で怒鳴って、難民たちを押しのけて、ようやくホームへ。 やっとのことで、ホームからザルツブルク駅の構内へ。予想はしていましたが、ドイツ国境まであと6kmというザルツブルグには、大量の難民が滞留していました(その数は千人以上とも)。ホームや駅構内はもちろん、駅前広場にも溢れんばかりの状態です。難民たちはほぼ例外なく、ドイツのミュンヘンへ向かおうとしています。しかし、この頃(この日は9月14日)からドイツも入国審査を厳しくし始めたこともあり、待たざるを得なくなっています。 ザルツブルク駅には、ウイーン西駅と比べると、警官の数も10倍くらい。ほかにも軍の兵士、赤十字の関係者、ボランティア団体の人たちが数多く見られました。 これは駅前広場に設置された赤十字の大型テント。医療関係者も詰めていました。難民には小さな子供を複数連れている家族もいます。シリアからこのザルツブルクにたどり着くにも1週間以上もかかったことでしょう。もとより、国が平和であれば、好き好んで国を捨てることはなかったはずです。その国生まれた運命に翻弄される人たちには、心から同情せざるを得ません。一日も早く彼らに安住の場所が得られるように、願わずにはおれません。 ザルツブルク駅の建物。駅のまん前にはテレビ局の中継車が何台も止まっていて、レポーターが生中継もしていました。 僕らはとりあえずホテルまで向かいました。JTBに手配を任せたホテルは、国際会議もできる会場を併設した、近代的な建物ですが、プラハやウイーンのホテルと比べると、味もそっけもない感じ。まぁ1泊だけだし、駅からも徒歩数分というロケーションだから文句は言うまい。 ザルツブルク観光の中心地である旧市街は、駅からはトロリーバス「Obus(オーブス)」で10分弱。本数はたくさん出ています。ホテルで荷物を置いた僕らは、さっそく観光に便利な「ザルツブルクカード」(主要博物館の無料入場や公共交通機関の24~72時間乗り放題。僕らは24時間タイプ=26ユーロ=を購入)を買って、バスで旧市街へ。 <ザルツブルク編(2)>へ続く。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2015/11/02
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約1週間ぶりのBar UK写真日記です(By うらんかんろ)。 マスターは、2月9日に店内で開催するアイリッシュ・ウイスキー「ティーリング(Teeling)」テイスティングの会の準備に余念がありません。いま注目のティーリングですが、大阪でもここまで拘ったバーは少ないのではと思います。どんな会になるのか楽しみですね。 マスターは年末にDVDレコーダーに録画していた映画「ストックホルムにワルツを(原題は「Monica Z」)」を観ました。マスターの大好きなピアニスト、ビル・エバンスと共演したことでも知られるスウェーデンの女性ジャズ歌手・モニカ・ゼッタールンド(1937~2005)の半生を描いたものですが、「今まで知らなかったモニカの実像がとてもよく描かれていました。★5つの映画です」と大満足だったそうです。 マスターが大好きなモルト、グレンドロナックにまた1本新しいボトルが仲間入りしました。日本向け限定のマデイラ・カスク(1995年蒸留の19年熟成)。文句なしに旨いそうです。ぜひお試しを。 店が休みの日にマスターは、神戸で懇意なOさんが開いたバー「ル バトウ」にお祝いも兼ねてお邪魔しました。「内装も素敵なんですが、なによりもOさんの温かい接客が素晴らしい。とても心地よい空間でした」と絶賛でした。写真は「ル バトウ」でマスターが頂いた珍しいリキュール。上品な味わいだったそうです。 バーUKのお酒に変わり種が登場です。スミノフと言えば有名なウオッカ・メーカーですが、そのスミノフが出した限定のウオッカ・リキュール。なんと金箔入りです。お正月にぴったりのお酒ですね。 マスターは、20年以上もお世話になっているピアノ・バー「Misty」へ新年の挨拶にお邪魔しました。ここは実はバーUKと同じビルの3Fにあります。ピアノ弾きでもあるマスターが、お客様の歌伴や、アマチュア・ミュージシャンの方々とのセッションで腕を磨いたのがこのMistyです(でも、最近はカラオケが入ってしまったことに少々不満なマスターでした)。 バーUKのラム・ファミリーに新顔がお目見えです。モーリシャス産の「ニュー・グローブ(New Grove)」5年。フルーツ香&ヴァニラ香がたっぷりの、芳醇な味わいです。こちらもぜひお試しを! 営業時間前や後の”お勉強”を、マスターはとても大事にしています。この日は上映中の映画「ブリッジ・オブ・スパイ」です。実話を元にした作品ですが、スピルバーグ監督にコーエン兄弟の脚本とあれば、「面白くないわけがないと思っていた」マスターですが、その通り「120%満足」だったそうです。 昨年10月の小林省三さん(元バー・サヴォイのマスター)に続き、また残念な訃報です。切り絵作家の故・成田一徹さんともが長い交友を重ねられ、マスターも懇意にして頂いた祇園サンボアの中川立美マスターが1月13日に亡くなられました。マスターは「一徹さんと懇意だったマスターがまた一人旅立たれた。まだお若かったのに、残念でなりません」と急逝を悼んでいました。写真は、祇園サンボアを愛した作家、故・山口瞳さん直筆の暖簾(店内に飾られています)。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回程度お休み。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円
2016/01/17
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久しぶりのBar UK写真日記です(By うらんかんろ) Bar UKで2月9日(火)夕から、アイリッシュ・ウイスキー「ティーリング」セミナーが開催されますが、ダブリンのティーリング社からパンフレットやコースターが届きました。同社と日本総代理店「スリー・リバース」さんのご厚意に、心から感謝するマスターです。 マスターは、ワールドクラス・コンペティション2015年の世界チャンピョンに輝いた金子道人さん(奈良・ランプバー・オーナー)のセミナーにお邪魔してきました。「あまりに高度なテクニックが多いので、僕にはとても出来ないレベルだけれど、塩の使い方など仕事に生かせそうな話もあって、とても参考になりました」とマスター。 ワールドクラスの翌日は、シングルモルト「グレンフィディック」のセミナーでした。5種類を試飲しましたが、マスターはなかでも「18年」ものが一番良かったとのこと。早速バーUKにも1本仕入れたとのことです。 マスターは、大阪市内のS物産で開催されたウイスキーの試飲会にお邪魔してきました。開場15分後に行ったマスターですが、「限定の商品はほとんどが売り切れていた。業界向けの試飲会なのに意味がないよ」とボヤいておりました。 試飲会の帰り、マスターは、懇意なバーのマスターが天満で営むお店でランチしました。お昼の名物はパスタですが、マスターは大好きな「ソース焼きスパ」を選びました。 ご主人と一緒に石垣島でバー「エレファント・カフェ」を営む吉竹のりこさんがバーUKにいらっしゃいました。バーUKには時々、全国から同業者の方がご来店されますが、マスターは「とても嬉しいし、同業者の方の話を聞くのもとても勉強になります」と喜んでいました。 マスターは、友人らが開催中の展覧会にお邪魔しました。今年で48回目を迎える「漫画展」。友人の作品にはマスターも登場しています。絵の中のマスターも嬉しそうです。 展覧会の帰り、マスターは以前から一度お邪魔してみたいと思っていた東三国のバー「キース」を訪れました。ジャパニーズ・ウイスキーが超充実のお店です。オーナーのYさんのご厚意で珍しいモルトも頂き、とても満足なマスターでした。 最近ラムを飲まれるお客様が多いので、マスターは新しい銘柄を1本仕入れました。「プッサーズ(Pusser's)」の15年ものです。はちみつのような香りのする芳醇な味わいです。ぜひ一度お試しを! 故・成田一徹さんのバー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』の編集で、マスターと一緒に汗を流した集英社の木下暢起さん(ジャンプ・コミック編集部・部長)が、バーUKにいらっしゃいました。マスターと木下さんとは去年の出版慰労会以来の再会です。店では一徹さんの奥様・素子様も合流し、東京時代の思い出話に花が咲いたそうです。 マスターは、関西のバー業界でいま話題になっているカクテル「カサ・エレガンテ(Casa Elegante)」を、お客様の求めに応じておつくりしました。ホワイトラム、ゴールドラム、レモンジュース、ココナツ・シュガー、オレンジ・マーマレード、コーヒー豆が材料の、爽やかで飲みやすいショートカクテルです。マスターは、コーヒー豆をミルで挽いて最後に振りました。コーヒーの香りがとても良いアクセントになっています。ぜひ一度お試しください。 訪日&在日外国人向けのリサーチサイト「Yelp」にバーUKが紹介されました。嬉しいですね。お客様による英文の紹介も付いています。マスターはめちゃ喜んでおりましたが、「これで外国人客がわんさか、わんさかとおいでになったら、どうしよう?」と少々不安顔も。 2月7日に神戸で開催されたNBA関西大会で「成田一徹」ブースが登場、マスターもお手伝いにお邪魔しました。ブースでは、『NARITA ITTETSU to the BAR』のほか、限定のポストカード、コースターも販売されましたが、とくにコースターと絶版の著書『カウンターの中から』は完売するほどの人気でした。マスターは、「今後もこういう機会があれば一徹さんの業績を広く伝えていきたい」と誓っていました。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回程度お休み。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円
2016/02/08
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53.マルチネス・カクテル(Martinez Cocktail)【現代のレシピ】(※このカクテルに関しては現代においても「標準的」なものがなく、かなりレシピの幅が広いです) ジン(20~50ml)、スイート・ベルモット(20~50ml)、ドライ・ベルモット(0~20ml)マラスキーノ(またはオレンジ・キュラソー)1~3dash、オレンジ・ビターズ(またはアンゴスチュラ・ビターズ)1~3dash、レモン・ピール ※ただし、うらんかんろ個人として作る場合は、ジン30ml、スイート・ベルモット40ml、マラスキーノ2dash、オレンジ・ビターズ2dash、レモン・ピールというレシピでつくっています 【スタイル】ステア(またはシェイク) 「マルチネス・カクテル」は19世紀半ば~後半の米国で誕生したと伝わり、マティーニの原型とも言われる代表的な古典的カクテルです。その後に誕生したマンハッタンやマティーニへの「橋渡し的な役割」を担ったカクテルとも位置づけられています。 「マルチネス・カクテル」が初めて活字で紹介されたのは、”カクテルの父”とも言われる、かのジェリー・トーマス(Jerry Thomas 1830~1885)が著した世界初の体系的カクテルブック「How To Mix Drinks」(1862年初版刊)の改訂版(1867年刊)です。従来は以下のような、真偽不明の「誕生にまつわる逸話」が、たびたび文献や専門サイトで紹介されてきました。 「カクテル名の『マルチネス』は、米国カリフォルニア州の都市名(サンフランシスコの東約40マイル)に由来する。ゴールドラッシュ時代(1848~55年)のサンフランシスコ、同地のオクシデンタル・ホテルでバーテンダーをしていたジェリー・トーマスが、金鉱探しにやって来た男の客から『マルチネスへの旅立ちのために、元気になる一杯を』と頼まれ、つくったのがこのカクテルである」 しかし現時点で言えることは、「考案者は伝わっておらず、誕生の経緯・由来も残念ながら不明な部分が多い」ということだけです(トーマス自身もその著書では、由来については何も触れていません)。 一方で、当時よく使用されていたベルモットが、イタリアのマルティニ社製だったことから、その社名にちなんで「マルチネス」と呼ばれるようになったという説もあります。しかし、これも根拠資料やデータは伝わっていません。余談ですが、カリフォルニア州のマルチネス市には現在、「マティーニ発祥の地」を記念する石碑(いささかこじつけ気味だと思うのですが…)が建てられているといいます(出典:http://blog.livedoor.jp/bar_kimura/archives/8747718.html )。 ところで、ジェリー・トーマスが「How To Mix Drinks」(1862年初版刊)の1867年の改訂版で初めて紹介したマルチネス・カクテルのレシピは、以下の通りです。「オールドトム・ジン1pony =【注1】ご参照、スイート・ベルモット1wineglass=【注2】ご参照、マラスキーノ2dash、アロマチック・ビターズ1dash。しっかりとシェイクし、大きめのカクテルグラスに注ぐ。4分の1の大きさのスライス・レモンをグラスに入れる。もしゲストが甘口の味わいを望むのであれば、ガム・シロップ2dashを加える」。 【注1】ponyは当時の液量単位で1ponyはほぼ1mlに相当。【注2】このwineglassの容量についてトーマスは明記していませんが、同著の挿絵に描かれたwineglassの絵を見ると、約60~90mlくらいと想像できます。 さらに今回、改めて様々な情報を集めていると、とても興味ある見解に出合いました。現在では英国のドライジン・ベースが当たり前となっているマルチネス・カクテルですが、誕生当時はオランダジンである「ジュネヴァー」を使っていたというのです(出典:diffordsguide.com/encyclopedia/1066/cocktails/martinez-cocktail)。確かに、19世紀後半だと、米国においてはジンは英国産よりオランダ産の方が主流だったでしょうし、あり得ない話ではないと思います。 ちなみに紹介されていたレシピは「ジュネヴァー50ml、スイート・ベルモット30ml、ドライ・ベルモット10ml、オレンジ・キュラソー8ml、アンゴスチュラ・ビターズ1dash」となっていました。時の流れで、ジンの主流がオランダから英国へ移行する過程で、こうした「過去」も忘れさられていったのかもしれませんが、ただしこの「ベース=ジュネヴァー起源説」が正しいのかどうかも、根拠資料が示されていないので現時点では何とも言えません。 ご参考までに、トーマスの本以降に出版された主なカクテルブックで、「マルチネス・カクテル」のレシピをざっと見ておきましょう。注目すべきは、現代の標準レシピとは違って、(スイート・ベルモットではなく)ドライ・ベルモットを使うレシピが目立つことです。これはやはりマティーニへ発展していく過程で、レシピが揺れていたことの証でしょう。・「The Modern Bartender's Guide」(O.H.Byron著、1884年刊)米 Martinez Cocktail No.1=ジン0.5pony、ドライ・ベルモット1pony、アンゴスチュラ・ビターズ3~4dash、ガム・シロップ3dash Martinez Cocktail No.2=ジン0.5wineglass、ドライ・ベルモット0.5wineglass、キュラソー2dash、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、ガム・シロップ3dash ※No.1、No.2いずれもステア なお、Byronによる以下のような別レシピも伝わっています(出典:ginfoundry.com/cocktail/martinez-cocktail/)。 オールドトム・ジン30ml、スイート・ベルモット30ml、キュラソー2dash、アンゴスチュラ・ビターズ2dash・「Cocktails:How To Mix Them」(Robert Vermier著、1922年刊 )米 オールドトム・ジン4分の1gill(=30ml)=【注3】ご参照、スイート・ベルモット4分の1gill、アンゴスチュラ・ビターズ1~2dash、ガム・シロップ(またはキュラソー)2~3dash、アブサン1dash=お好みで、レモン・ピール&チェリー(ステア)(【注3】gillは当時の液量単位。1gillは120mlに相当)・「Cocktails」(Jimmy late of the Ciro's著、1930年刊 )米 オールドトム・ジン2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ピール&オリーブ(作り方の指定なし)・「The Savoy Cocktail Book」(Harry Craddock著、1930年刊)英 ジン0.5glass、ドライ・ベルモット0.5glass、オレンジ・ビターズ6分の1tsp、キュラソー(またはマラスキーノ)3分の1tsp、レモン・ピール&チェリー(シェイク)※本文中では6人分のレシピとして紹介していたため、1人分の分量に換算しました。・「The Official Mixer's Manual」(Patrick Gavin Duffy著、1934年刊)米 ジン45ml、ドライ・ベルモット30ml、オレンジ・ビターズ1tsp、キュラソー(またはマラスキーノ)0.51tsp、レモン・ピール(シェイク)※本文中では6人分のレシピとして紹介していたため、1人分の分量に換算しました。 最後に現代のオーセンティック・バーではどんなレシピでつくっているのか、その代表として、英国ロンドン・サヴォイホテル「アメリカン・バー」のレシピをご紹介しておきましょう。 オールドトム・ジン50ml、スイート・ベルモット20ml、ドライ・ベルモット10ml、マラスキーノ5ml、ボウカーズ・ビターズ=【注4】ご参照=1dash、オレンジ・ツイスト(シェイク)。【注4】1828年にドイツ系米国人のヨハン・ボウカーが製造・販売したビターズ。かのジェリー・トーマスもいくつかのカクテルで使用している。1920年代に一時製造中止となったが、近年、その味わいを再現した製品が再発売されている。 「マルチネス・カクテル」は、日本には1930年代には伝わり、文献でも紹介されました。しかし、その後は60年代初めまでの間、カクテルブックに何度か登場したあとは、ほとんど忘れられたカクテルになりました。再び”陽の目”をみるのは、2000年以降、欧米の大都市を発信地としてクラシック・カクテル再評価のトレンドが起きてからです。【確認できる日本初出資料】「スタンダード・カクテルブック」(村井洋著、NBA編、1937年刊)。レシピは以下の二通りが紹介されています。 英国風=プリマス・ジン2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、オレンジ・シロップ2dash、レモン・ピール、 欧州大陸風=オールドトム・ジン2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ2dash、キュラソー(またはマラスキーノ)3dash、レモン・ピール・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/06/03
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89.ヴェスパー(Vesper)/ボンド・マティーニ(James Bond Martini)【レシピ1】ジン(60)、ウオッカ(20)、キナ・リレ(リレ・ブラン)(10)、レモンの皮(細長く切ったものを沈める) ※「ヴェスパー」の異名を持つ【レシピ2】ウオッカ(65)、ドライ・ベルモット(5)、アンゴスチュラ・ビタース1dash、オリーブ、レモンの皮(同) ※ボンド映画に最もよく登場するマティーニ 【レシピ3】ウオッカ(65)、ドライ・ベルモット(5)、オリーブの漬け汁2~3dash、アンゴスチュラ・ビタース1dash、オリーブ、レモン・ピール 【スタイル】いずれもシェイク 英国の作家、イアン・フレミング(1908~1964)原作の小説を映画化した「007シリーズ」(1962年~ 2015年時点で計24作)で、主人公の英国諜報機関のスパイ、ジェームズ・ボンドが、しばしばマティーニを好んで飲んだことから、この名が付きました。 マティーニのレシピやつくり方にこだわるボンドが、小説や映画の中でよく嗜むのは「レシピ1」と「レシピ2」の2つで、通常ステアでつくることの多いマティーニを「シェイクで」注文します。また、マティーニと言えば通常は、ジンがベースですが、ボンドはウオッカがお好みです。映画の中で、「レシピ2」のウオッカ・マティーニをボンド自身が頼む際のセリフ、「Vodka martini, Shaken, not stirred」(ウオッカ・マティーニを、シェイクで。ステアはしないでくれ)はとくに有名で、このウオッカ・マティーニはボンド映画シリーズの中でたびたび登場します。 しかし近年では、「レシピ1」の通称「ヴェスパー(またはヴェスパー・マティーニ)」の方が有名になりました。「ヴェスパー」は、1953年に英国で出版されたボンド・シリーズの小説第1作「カジノ・ロワイヤル」で早くも登場します(邦訳は10年後の1963年)。 「カジノ・ロワイヤル」はその後、1967年、ピーター・セラーズ主演で映画化され、このマティーニは恋人役のヴェスパー・リンドの名にちなんで、こう呼ばれるようになりました。セラーズ版「カジノ・ロワイヤル」はコメディ・タッチの映画で、ボンド映画の中では格下の “色物”的な扱いを受けました。このため当時は、「ヴェスパー」自体もあまり話題にはならず、注目されるようになったのは90年代にインターネットの普及に伴い拡散されてからです。 「ヴェスパー」のレシピは、原作者のイアン・フレミングが考案したと紹介している本もありますが、実際はフレミングの友人だったロンドンのバーテンダー、ギルバート・プレーティ(Gilbert Preti)氏が考案し、フレミングに教えたというのが真実のようです(出典:The Craft of the Cocktail by Dale DeGroff)。 そして「ヴェスパー」は、2006年、ダニエル・クレイグ主演でリメイクされた「カジノ・ロワイヤル」で再びお目見えし、再度注目を浴びるようになり、世界的な知名度も広がりました。この映画の中で、バーテンダーから「シェイクしますか?それともステア?」と尋ねられたボンドの答えが、「そんなこと、私がこだわるように見えるかい?(Do I look like I give a damn?)」。このセリフも、今後有名になるのでしょうか? ちなみに、映画ではマティーニはウオッカ・ベースしか飲まないボンドですが、小説の中では、合計19杯もジン・マティーニを飲んでいる事実を調べあげた奇特な方がいますから、ボンド・マティーニの話題は尽きることはありません(出典:「the Spruce Eats」という専門サイト)。 なお、「ヴェスパー」に使われる「キナ・リレ」とはマラリアの特効薬「キナ」の樹皮を使ったフランスのフレイバード・ワイン(ヴェルモット)。現在は製造中止となっていますが、現在は、復刻版として「リレ・ブラン」という製品が出ており、現代のバーではほとんどこのリレ・ブランが代用されています。 「ヴェスパー」は現代のバーではよく話題になり、注文も出るカクテルですが、意外なことに掲載しているカクテルブックは国内外とも数えるほどです(WEBの専門サイトではたくさん紹介されていますが…)。海外では手元で確認した限り、2000年以降に出版された著名なカクテル研究家、デイル・デグロフ(Dale DeGroff)氏の著書「クラフト・オブ・ザ・カクテル」(2002年刊)、「エッセンシャル・カクテル」(2008年刊)くらいしか見当たらりません。 「レシピ3」のマティーニは、2015年に公開された第24作「スペクター」でボンドが頼んだ映画では新顔のマティーニで、「ダーティー・マティーニ」の異名でも呼ばれます。オリーブの漬け汁を少し加えてシェイクするので、見た目が少し濁ったマティーニになります。しかし、歴史は古く、考案者は不明ですが、米国第32代大統領のフランクリン・ルーズベルト(在任期間1993~1945年)が大好きだったことで一般にも知られるようになりました。少し塩辛い味わいですが、普通のマティーニに慣れきった人には、少し毛色が変わって面白いかもしれません。 余談ですが、2015年に『BOND COCKTAILS』という本(洋書)が出版され、ボンドお気に入りのマティーニを始め、フレミングの原作やボンド映画に登場したカクテルの数々が紹介されています(サゼラック、ネグローニ、スティンガー、サイドカー、モスコー・ミュール、モヒート、ミント・ジュレップ、アメリカーノ、キューバ・リブレ、シンガポール・スリング、オールド・ファッションド、ブラック・ベルベット、ピンク・ジン等々)。見ているだけでも楽しいので、お勧めの本です。 ボンド・マティーニは、映画の人気が高まるにつれて、70年代以降、日本国内のバーでも徐々に有名になりました。しかし海外と同様、国内でのカクテルブックでも、なぜか掲載例ほとんどありません。不思議ですね。調べた限りでは「マイ・スタンダード・カクテル」(2003年刊)くらいです(冒頭のボンド・マティーニのうち、「ヴェスパー」を紹介しています)。 なお、1962年と1982年に出版された木村与三男氏の名書「カクテール全書」「新カクテール全書」には「ヴェスパー」というカクテルが登場しますが、レシピは「ジン3分の2、クレーム・デ・ノワヨー3分の1、オレンジ・ジュース0.5tsp、ビターズ2dropsで、シェイク」となっていて、ボンド・マティーニとは似て非なるものです(どこ発祥のカクテルかは不明です)。【確認できる日本初出資料】「マイ・スタンダード・カクテルズ」(内田行洋氏ら3人共著、2003年刊)。
2018/10/10
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約1カ月ぶりのご無沙汰でしたが、Bar UK写真日記です(By うらんかんろ)。 マスターはこの日、お客様から誘われて、シンガー・ソングライターのRay Yamadaさんのライブにお邪魔しました。ライブの後は、お客様3人と一緒に居酒屋へ。その店のメニューに「たこ焼きセット」なるものがあり、もちろん注文しました。関西人にはやはり、たまらない味です! バーUKのお酒のラインナップに初めて梅酒が仲間入りしました。しかし、そこは普通の梅酒ではありません。ウイスキー樽で熟成させた梅酒(95%)と梅酒樽熟成のグレーン・ウイスキー(5%)とをブレンドしたという「山崎・焙煎樽梅酒」です。甘さ控えめの上品な味わいです。ぜひ一度ご賞味を! 「初めて来られたお客様にバーUKのことをもっと知ってもらいたい」というマスターの願いを生かした小冊子(A6判、4頁)ができました。バーUKのコンセプトや特徴、主なドリンク&フードメニュー、そして営業日・営業時間等のデータも紹介しています。もちろん、口コミの大切さを重んじるマスターは、常連のお客様にもお渡しして、まだバーUKのことを知らない方にも宣伝してもらえればと願っています。 常連のお客様のご協力もあって、上記の小冊子の英語版もできました。これは訪日&在日の外国人(とくに欧米から来られた皆様)のために作成したものです。来阪する欧米系の外国人の方がよく利用するホテルでもバー案内の際、役立ててもらえると思っています。 マスターは、きょうは閉店後にモルトのお勉強です。スコットランド・セントアンドリュースにできた新しい蒸留所「Eden Mill」。まだ日が浅いのでウイスキーは販売できず、蒸留前のニューメイクスですが、なかなか良い味に仕上がっていたとのことです。 マスターの趣味の一つは、バラ栽培。ことしもお気に入りのチャールストンが咲きました。 きょうは開店前に、ウイスキーのお勉強。台湾のモルトウイスキー「カヴァラン(Kavalan)」のセミナーです。「美味しいし、クオリティも高いんだけど、値段がねぇ」とマスター。購入先として、中国本土の金持ちがターゲットになっているので、高級路線の経営戦略です(ほとんどが1本1万5000円以上)。バーUKでは一番低価格(8000円台)の「コンサートマスター(ポートワイン樽熟成)」という銘柄を置いていますが、マスター曰く「これでも十分美味しい」とか。 きょうはマスターの休日。去年秋に旅したチェコの郷土料理「クバ(Kuba)」に挑戦しました。大麦とドライマッシュルーム、玉ネギを使ったリゾットのような料理です。大麦はこういう形で食べるのは初めてだそうですが、「プリプリした食感が美味しい、不思議な味わい」なんだとか。皆さまも機会があればいかがですか?【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回不定休(月によっては変更されることも有り)。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2016/05/07
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追補3.ペインキラー(Painkiller)【現代の標準的なレシピ】(液量単位はml)ダークラム(30~60)、パイナップル・ジュース(60~120)、オレンジ・ジュース(15)、ココナツ・ミルク(またはココナツ・リキュール)(15)、クラッシュド・アイス、ナツメグ・パウダー(最後に振りかける) 【スタイル】シェイク 「痛み止め」という変わった名前を持つ「ペインキラー」は近年、とくに2000年以降、世界中で注目を浴びるようになってきたカクテルです。考案されたのは実は1970年代初めで、発祥はカリブ海に浮かぶ英領ヴァージン諸島の一つ、ヨスト・ファン・ダイク(Jost Van Dyke)島と伝わっています。80年代以降、米国経由で欧州にも普及。現在では欧米のバーでは人気ドリンクの一つとなっています。 「ペインキラー」はダークラム・ベースのカクテルですが、「パッサーズ・ネイビーラム(Pusser's Navy Rum)」(末尾【注】ご参照)という銘柄を使って考案されました(現在でも、パッサーズ・ラムを代表する「シグニチャー・カクテル」なっていますが、もちろんパッサーズ以外の銘柄=ラムを使ってはダメということではありません)。 Wikipedia英語版やパッサーズ・ラム社のHPによれば、ヨスト・ファン・ダイク島ホワイト・ベイにある、「ソギー・ダラー・バー(Soggy Doller Bar)」で働いていたダフィニー・ヘンダーソン(Daphne Henderson)という英国人女性のオーナー・バーテンダーが考案したそうです(※なお、この島には現在でも船着き場がなく、このバーを訪問する客は、浜辺近くで停泊した船から海に入って泳いで行くんだそうです。客がポケットに入れたドル札は「びしょびしょに濡れて<soggy>」しまうのが店名の由来なんだとか)。 ヘンダーソンの「ペインキラー」が美味しいという噂は、周辺の島々にもたちまち伝わります。カクテルの評判は、パッサーズ・ラム社(蒸留所)の経営者、チャールズ・トビアス(Charles Tobias)の耳にも入ります。トビアスは程なく自らダイク島を訪れ、ヘンダーソンに「レシピを教えてほしい」と頼みました。しかし彼女は「レシピは極秘だ」として、どうしても応じません。そこで、トビアスは2年がかりで「調合したペインキラーのサンプル」を入手。試行錯誤の末レシピを解明し、ヘンダーソンの味わいに近い「ペインキラー」を生み出しました。 トビアスは自らがつくった「ペインキラー」のサンプルをこのバーの常連客らに試飲してもらい、評価を求めます。すると、ほとんどの客が「トビアスのペインキラーの方が美味しい」という反応だったそうです。自信を得たトビアスはその後、さらに少しアレンジを加えたうえで、世界中のバーに紹介していきました(出典:パッサーズ・ラム社のHP)。 ヘンダーソンのオリジナル・レシピの詳細は不明ですが、米国の著名なカクテル研究家・デイル・デグロフ氏によれば「全体の半分がラムで、やや平凡な味わいだった」そうです。トビアスは、4つの材料の分量比を変えて、飲みやすい洗練された味わいに仕上げました。 「ペインキラー」は、ココナッツ・ミルクが入っているので、クリーミーな舌触り。オレンジ・ジュースとパイナップル・ジュースの甘味、酸味とのバランスもいい心地良いカクテルです。同じくココナツ・リキュールを使う「ピーニャ・コラーダ」(ホワイト・ラムがベース)という有名なカクテルにも似ていますが、ダーク・ラムがベースなので意外と濃厚で、しっかりした味わいです。 「ペインキラー」の世界的な普及には、ドイツ・ミュンヘンにある「パッサーズ・ニューヨークバー(Pusser's New York Bar)」=1974年創業=が貢献したことで有名です(今も同店の看板カクテルになっていて、年間5万杯の注文があり、月平均ボトル約250本のパッサーズ・ラムが消費されるそうです)。 同店の「ペインキラー」はNo.2からNo.4まで3種類あり、No.2はラムを40ml、No.3は60ml、No.4は80ml入れるそうです(他にも、”裏メニュー”で「No.1」というノンアルコールもあるとか)。レシピは、例えば「No.3」の場合、「パッサーズラム60ml、パイナップル・ジュース120ml、オレンジ・ジュース30ml、ココナッツ・クリーム30ml、ナツメグ・パウダー(シェイク)」です。 ちなみに「パッサーズ・ニューヨーク・バー」は、世界的に有名なバーテンダー、チャールズ・シューマン(Charles Schumann)氏出身のバーとして知られており、現在店長としてバーを仕切っているのは、日本人バーテンダーの那須孝光氏です。 「ペインキラー」は、現在はとても知名度のあるカクテルで、欧米のWEBのカクテル専門サイトでよく紹介されていますが、意外なことに、カクテルブックで収録している例はなぜかあまり見かけません。現時点で確認できたのは、以下の欧米の3冊だけです。・「New York Bartender's Guide」(Sally Ann Berg著、1995年刊) ダークラム90ml、パイナップル・ジュース30ml、オレンジ・ジュース30ml、ココナツ・クリーム15ml、ナツメグ・パウダー少々、マラスキーノ・チェリー(飾り)、氷(シェイク)・「Complete World Bartender Guide」(Bob Sennett編、2007年刊) ダークラム60ml、パイナップル・ジュース120ml、オレンジ・ジュース30ml、ココナツ・クリーム15ml、氷(シェイク)・「Essential Cocktail:The Art of Mixing Perfect Drinks」(Dale Degroff著、2008年刊) ダークラム60ml、パイナップル・ジュース60ml、オレンジ・ジュース30ml、ココナツ・クリーム30ml、氷、ナツメグ・パウダー(シェイク) 「ペインキラー」は90年代には日本に伝わったと思われますが、バーでその名が知られるようになったのは2010年以降です。最近は、日本にたびたび帰国しペインキラーのPR・普及に尽力されている那須氏の努力もあって、日本国内のバーでもかなり認知度が上がってきました。【確認できる日本初出資料】現時点ではまだ確認できていません(掲載例をご存知の方は、arkwez@gmail.comまでご教示頂ければ幸いです)。【注】パッサーズ・ネイビーラム:英領ヴァージン諸島に本社があり、17世紀半ばから英国海軍御用達だったダークラムとして知られる。蒸留所はトリニダードトバゴとガイアナにあり、木製ポットスティルで蒸留された後、最低3年以上樽熟成されます。以前は海軍専用の非売品でしたが、現在は一般にも販売されており、日本にも輸入されています。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2019/04/20
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沼津でVictory、Frankという2軒の素晴らしいBARを巡った僕は、JRの各停に乗り、再び三島へ戻った(沼津~三島間は時間にして5分ほど、だから、まぁ同じ街のようなものです)。 さて、三島に戻っての3軒目のBAR。この夜の最大の目的でもある「Bar YUMOTO」へ向かう。駅から南へ徒歩7、8分、細く、曲がりくねって街灯も少なくてほの暗い道。初めての人はまず間違いなく道に迷うに違いない。 案の定、僕もYUMOTOがあるマンション前を通り過ぎてから、間違いに気づき引き返した。BARであることを示すのは、マンション入り口脇の店名の金属製のプレート(写真右)だけ。でも、そのプレートのデザインがまた素晴らしいセンスなのである。 店内の写真は事前にある本で見ていて、だいたい知っていた。カウンター横の壁一面がガラスで、土手の木々や源兵衛川のせせらぎが見える。木々はライトアップされて、とてもいい眺め。 聞けば初夏(5~6月)には、なんと窓の外にホタルが舞う幻想的な光景も眺められるという。三島には市街地に小さな川が数多く流れ、市や住民による川の浄化の努力もあって、ホタルがたくさん戻ってきているとのこと。素晴らしい取り組みだ。 さて、店内は金曜日ということもあるが、ほぼ満員の盛況だった。カウンターに空いていた席に案内された僕は、ここでもまずジン・リッキーを頼んだ(店が忙しい時には、ややこしいカクテルを頼まないのも客のマナーだ)。 Bar YUMOTOのマスターは、その名の通りも湯本。彼、湯本織衛君とは、4年ほど前、銀座のBar Taliskerで知り合った。当時湯本君はそのTaliskerで修行中の身。「いずれ三島に帰って自分の店を持ちたい」と夢を語っていた。 その後、彼が三島へ戻ってからはしばらく会うことはなかったが、しばらくして、ある雑誌で彼が念願のBARを開いたこと、そして結婚した奥様の清美さんは中学校の同級生で、同じ職業(バーテンテンドレス)であることを知った(写真右=YUMOTOの裏を流れる源兵衛川。遊歩道代わりの飛び石があって、川べりまで降りられます)。 ジン・リッキーを僕の目の前に持ってきた湯本君に、「お久しぶりです。Taliskerでお会いした**です」と挨拶すると、少し驚いたようで(久しぶりなので、店に入って来た時はすぐには分からなかったのだろう)が、「はるばる有難うございます」と歓迎してくれた。奥様ともご挨拶した。清楚な中にも、きりりとした表情が素敵な人だ。 実は、奥様は今年5月のNBA(日本バーテンダー協会)の全国カクテル・コンクールで並み居る強豪をおさえて見事優勝したという輝かしい経歴の持ち主(写真左=5月の表彰式での湯本清美さん〈中央〉 ( C ) 朝日新聞社 拝借多謝!)。女性が「日本一」になるのは12年ぶりという。 そんな快挙もあって、YUMOTOはまさにいま旬(しゅん)のBAR。日本一のカクテルを味わいたいというBAR好きが全国から集まって来るので、連日盛況のようだ。でも、僕はやはり昔のよしみで再会を祝って、2杯目は湯本君のオリジナル・カクテルをお願いした(笑)。奥さんのカクテルは次回の楽しみにとっておこう。 さて、三島にはYUMOTOのほか2軒、お邪魔してみたいBARがあった。1軒は、三島では最も全国にもその名が知られてきた「Bar 奈良橋」。そしてもう1軒も歴史ある店だが、ジャズなどのライブで有名な「茶色の小瓶」という風変わりな名のBARである(写真右=湯本君と再会を祝ってツーショット)。 僕の今夜のホテルは駅近で、徒歩2分くらい。目的のBARは駅からの距離が遠い順で、奈良橋→茶色の小瓶→YUMOTOとなる。という訳で、まず奈良橋へ行って、その後茶色の小瓶に寄り、再びYUMOTOへ戻って、ホテルで沈没(笑)というプランを描いていたので、とりあえず、湯本君に「後でまた戻ってくるからよろしく」と言って、YUMOTOを後にした。 奈良橋は、1922年(大正11年)に造られた石造りの土蔵を改造したユニークなBARである。三島駅からは伊豆箱根鉄道で2駅、「三島田町」という駅のそばにある。ゆったりした吹き抜けの空間、そしてイタリアのアンティ-クの飾り棚を使ったバック・バーがとても温かい雰囲気を作り出している。 だが創業は意外と最近で、1999年。沼津のVICTORYで修業された小林健吾さんという方が親友のFさんの協力で開いた。そして今では、三島のBARでは最も有名な存在となり、僕も「いつか訪れてみたい」とずっと願い続けてきたBARだった(写真左=奈良橋の玄関)。 しかし、創業されたマスターの小林健吾さんはすでにこの世にない。今はFさんの後輩にあたる青木マスターが店を守っておられる。7年前、小林さんは心臓の手術を受けるために入院した。さほど難しい手術ではないという話だったが、体に異変が起きて帰らぬ人となった。 まだ33歳の若さだった。「ちょっと行ってくるから、店を頼むねと言われ、お別れしたのが最後」だった青木さんは急死を知らされて呆然となったという。小林さんのいなくなった「奈良橋」をどうしたらいいのか、奈良橋の創業時から一緒に手伝って来たFさんらスタッフは思い悩んだ(当時のスタッフには、YUMOTOの奥様、清美さんもいた)。 小林さんの存在はあまりにも大きかったが、その思いのこもった、この奈良橋を閉じる訳にはいかない。悩んだ末に、Fさんや青木さんらのスタッフはみんなで力を合わせ、店をそのまま守ることに決めた。 そして今、Fさんら歴代スタッフの努力の甲斐あって、奈良橋は昔と変わらぬ姿で毎夜、客でにぎわっている(写真右=奈良橋の店内。カウンター席から見上げると、土蔵中2階の物置が見えるのが面白い)。 僕は、生前の小林さんとは会うことは叶わなかった。しかし、奈良橋のカウンターにたたずみ、美酒に酔い、青木マスターと語り合ううち、天国にいる小林さんに出会えたような気がした。 「健吾さん、貴方の『志』はしっかりとお弟子さんたちに受け継がれていますよ」。三島にこれからもBar 奈良橋があり続けること、それが僕らBARファンの願いでもあり、小林さんへの何よりの供養になるに違いない。 さて、奈良橋の後には、せっかくだから伊豆箱根鉄道の可愛い電車にひと駅(田町→広小路)乗ろうと思ったが、あいにく電車は出たばかり。時間がもったいないので広小路までテクテク歩くこと10分余で、広小路駅が視界に。そこから数分で目指す「茶色の小瓶」(写真左)に着いた。 ここも2階へ階段を上がる。ドアに近づくにつれてジャズが聞こえてくる。そう、ここはジャズやボサノバ、カントリーなどライブが週1~2回開かれるライブBAR。あいにくこの日はライブはなく、代わりに、店内のモニターでジャズ・ライブが流されていた。 店内は明るいライティングで、キャパも50~60人は入れそう。一人でしっとりと飲むというよりグループ向きか。スタッフもおしゃべり好きでよく話しかけてくる。フロアの隅にピアノがあったので、弾きたい気持ちがむずむずとしてくる(笑)が、他にお客さんも多いのでここはあきらめる。 茶色の小瓶は料金もリーズナブルで、気軽に飲むにはとてもいい雰囲気の酒場だ(こういう賑やかなのは苦手という方のためには、同じ経営の姉妹店で、オーセンティックな「アフターバー石垣」が近所にある)。 さて、「茶色の小瓶」で、小休止的な飲み方をした僕は、再び、「お帰りなさい」と迎えられて、YUMOTOのカウンターに戻った。12時近くになるので、店はまだ超盛況。地方都市の不景気も、勢いのあるYUMOTOには無縁なのかもしれない(写真右=アイラ島の蒸留所関係者のサインが数多く記されたスコットランドの旗。湯本夫妻が新婚旅行の思い出が詰まっている。BARのドア続くエントランスに飾られている)。 出戻りの僕は、窓越しの景色がよく見えるように、カウンターの一番窓側に席をとった。そして、今度はシングルモルトのボウモアを頼んだ。アイラ島のボウモアは湯本ご夫妻が3年前結婚式を挙げた思い出の地。 そして、僕にとっても、昨年秋旅した忘れられない場所。アイラに住む共通の知人らの話に花が咲いたが、あいにく今夜は超盛況である。あまりご夫妻を僕の前に拘束してはいけない(これも酒場で飲むマナーの一つだ)。 その後、僕はさらにもう1杯、シングルモルトをゆっくりと頂いた後、YUMOTOを後にした。帰り際、湯本君は店の前まで出てきて、見送ってくれた。「また必ず来ます」。僕はそう言い残したが、それは社交辞令ではなく、このYUMOTOには必ずまた来たいと思う。 昔親切にしてもらい仲良くなったバーテンダーが、その後独立して成功する…これくらい嬉しいことはない。そしてBARという舞台を通じて、全国に知り合いが広がる。いつも言うけれど、だからBAR巡りはやめられない。【Bar YUMOTO】静岡県三島市芝本町10-7 電話055-981-5578 午後6時~午前2時 不定休 【Bar 奈良橋】三島市中田街8-25 電話981-8332 午後6時~午前1時 日休 【パブリックバー・茶色の小瓶】三島市西本町1-25 広小路ヒルズ2F 電話981-1566 午後6時~午前2時 月休 【アフターバー石垣】三島市泉町14-1 電話976-1444 午後6時~午前1時 日休 ※いずれの店も大都市のBARに比べるととてもリーズナブルです。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/11/02
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◆(6)禁酒法の終焉 禁酒法は都市部を中心に全米各地で違法な密売、「もぐり酒場」の営業などの横行を生んだうえ、ギャングによる抗争など犯罪は増えて、治安は悪化するばかりでした。また、取り締まり基準が地域(州)ごとに違ったことや、取り締まる捜査官(警官)、判事らの汚職・腐敗もあり、都市部住民からの反発が年々高まってきました。 折しも1929年10月、ウォール街での株の大暴落をきっかけに大恐慌が始まり、米経済は不況のどん底に陥りました。政財界や労働組合からは、禁酒法を廃止し、酒造業再開による雇用増や酒税徴収による予算での不況対策を求める声が日増しに大きくなってきます。 禁酒法施行中、本来得られるはずだった毎年5億ドルものアルコール課税収入分が不足し、政府の財政にも悪影響を与えたと言われています(WK)。そして迎えた1932年の大統領選では、失業対策と農民救済が叫ばれる中、禁酒法の改正を訴えたフランクリン・ルーズベルトが勝利するのです。 ルーズベルト大統領は、翌1933年3月、「ボルステッド法」(禁酒法施行の具体的内容を定めた法律)のカレン・ハリソン修正案に署名し、「容積にして4%のアルコールを含むビールと軽いワインの製造」は合法化されることになりました。 さらに憲法修正18条自体も、修正21条の成立により12月5日に廃止され、「ボルステッド法」はその役目を終えることになったのです(写真左=禁酒法廃止を伝える新聞)。 しかし、禁酒法廃止は全米一律ではありませんでした。連邦政府がこうだと決めても各州ではなかなかその通りには従わないのが、アメリカ合衆国という国の不思議なところです。ミシシッピ州が廃止したのは33年後の1966年、カンザス州に至っては、なんと、1987年まで屋内施設で酒類を提供すること(いわゆるバー営業)が許可されませんでした(WK)。 映画「アンタッチャブル」を観た方はよくご存知でしょうが、シカゴの暗黒街のボスだったアル・カポネは、エリオット・ネスのチームによる捜査の結果、1931年10月、22件の脱税の罪などで連邦大陪審に起訴されました。カポネは陪審員を買収しようと試みましたが失敗し、検察側が申請した側近の会計責任者の有力証言もあって、同年10月17日、懲役11年の有罪判決が下されました。 カポネは上訴したが退けられ、同年10月24日、郡刑務所に収監されました。刑務所から最後の望みをかけて出した再審請求も最高裁から却下され、翌1932年5月、カポネはアトランタ刑務所へ移送されます(さらに8月には、あの悪名高いサンフランシスコ湾内の孤島「アルカトラス刑務所」へ再移送されました)。 服役中のカポネは、刑務所内の靴工場の作業や風呂場の掃除係までこなしたということですが、そのうち神経梅毒の症状が悪化します。加えて、囚人たちから暴行や嫌がらせを受けたこともあって精神にも異常をきたすようになりました。 そして1939年11月16日、カポネは刑期満了前に釈放されました。釈放された時、「(カポネは)かつての暗黒街のボスという面影はなく、まったく別人のようだった」と当時の証言は伝えています(WK)(写真右=カポネが事務所兼常宿としていたシカゴのレキシントン・ホテル【注】 1994年夏、筆者写す)。 カポネはその後ボルチモアやフロリダの病院などで療養を続けました。当時最新の梅毒治療薬であった「ペニシリン」も試みましたが、病気が進行し過ぎていたため症状はあまり改善せず、1947年1月25日、48歳の若さで亡くなりました。かつて君臨したシカゴへは終生戻ることはなかったといいます(WK)。 カポネは「極悪非道の犯罪者」というイメージで見られがちですが、晩年の姿を知ると、同情を誘います。イタリア系移民の息子で、「アメリカン・ドリーム」の体現者でもあったアルフォンス・カポネは、シカゴ西方のヒルサイドという小さな町の墓地に埋葬され、現在は父母や弟たちとともに永遠の眠りについています(B)。 米国史上、「高貴な実験」と称された禁酒法は結果として、様々な矛盾や犠牲を生んで、失敗に終わりました。禁酒法が我々に残した教訓は、「酒に対する人間の基本的欲求を、宗教的・道徳的な規範で縛ることなど決してできない」「酒への欲求を法で縛れば、その抜け穴を狙った犯罪が増えるだけ」ということでしょう。。 第一次大戦での国家的危機感がゆえに、宗教的・道徳的規範が人間本来の欲求に優先すると信じた当時の米国の政治・宗教指導者たちは、今思えば愚かな人たちに見えます。国家が合法的に大衆を抑圧するのは、有権者の一時的な熱狂・妄信を後ろ盾にすればそう難しくないのです。それは、あのヒトラーが証明しています。 しかし、ワン・フレーズのスローガンに煽られて、大衆がみんな同じ方向へ一斉に走り出してしまう社会ほど怖いものはありません。かつてナチス政権登場時のドイツや、太平洋戦争に突き進んだ日本を思えば、私たちは、あの時代の米国の指導者や米国人をどれほど笑えるでしょうか。【注】カポネはこの「レキシントン・ホテル(The Lexington Hotel)」の1フロアほぼすべてを使い、様々な闇ビジネスの拠点とし、自らの住居にも使った。ホテルはその後「ニュー・ミシガン・ホテル」と名前を変え営業を続けたが、1986年に廃業した。廃墟となった建物はしばらくの間、シカゴの人気観光スポットにもなっていたが、老朽化とこの地域の再開発のため、1995年に取り壊された。現在、跡地には高層マンションが立っているという。 【禁酒法時代の米国に続く】【主な参考資料・文献】「WK」→「Wikipedia(ウィキペディア)」(Internet上の百科事典):アメリカ合衆国における禁酒法「A」 →「禁酒法――『酒のない社会』の実験」:岡本勝著(講談社新書、1996年刊)「B」 →「禁酒法のアメリカ――アル・カポネを英雄にしたアメリカン・ドリーム」:小田基著(PHP新書 1984年刊)「C」 →「酒場の時代―1920年代のアメリカ風俗」:常盤新平著(サントリー博物館文庫 1981年刊)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/11/17
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黄金週間の一日、神戸の懐石「かなやま」へ晩御飯を食べに行きました。先般、この日記で紹介した「植むら」もそうですが、神戸には最近、いい仕事をする美味しいカウンター割烹のお店が増えています。 八寸です。とても美しい盛り付けです。五月らしく、ショウブの小花が添えられています。 内容は、ホタルイカの干物、ホタルイカの酢の物(ゼリー寄せ)、鯛の身五目寿司、アマゴの南蛮漬、イタヤ貝の鯛のワタ塩辛のせ、モロヘイヤのおひたし お刺身は、中トロ、ヒラメ、カンパチ、トリ貝、シロエビ(今が旬の富山産!)でした。 この後、碗ものが出ました。あさりのしんじょと玉子豆腐の汁ものでしたが、すぐがっついてしまったので、写真撮り忘れた!(すみません!) 四品目は、マナガツオのタレ焼き。新ごぼうとミョウガ、サツマイモ、バチコが添えられています。 バチコは、なまこの卵巣を塩漬けにした干物(高級珍味)ですが、軽くあぶると風味が増します。めちゃ旨い! 日本酒にとても合います。 これはタケノコの炒(い)り出し。小芋やシイタケも一緒に。炒り出しって言っても、まぁ揚げ出しに近い感じ。 お出汁が上品でめちゃ美味しいです。揚げ出しと言えば、茄子や豆腐がポピュラーですが、タケノコもとても合います。新たな発見です。 「かなやま」の名物は何と言っても、締めに出される炊き込みご飯です。しかも5種類から選べるのです。 この日は、定番の鯛めしのほかに、桜エビとタケノコ、穴子と新ゴボウ、梅干しとシラス、鶏そぼろと新ショウガというメニューでしたが、我が家は桜エビと、穴子の2種にしました。 程よい大きさの土鍋で炊くので、御飯も具もふっくらして、本当に感動する美味しさです。この炊き込みご飯だけでも食べに来る値打ちがあります。 一人前は結構な量がありますが、ご安心を。残ったら、おにぎりにしてお持ち帰りにしてくれます。嬉しいなぁ。 炊き込みご飯には赤だしとお漬物が付きますが、この日は泉州の水茄子をちょうどこの夜に食べ頃になるように漬け込んだのが出ました。心憎い配慮が最高。最後にはデザートが出ますが、日替わりの3種から選べます(僕はきな粉をかけた黒糖のシャーベット=これも美味!=を頂きました)。 料理のお供に頂いたお酒は以下の3種。もちろん、東日本大震災での復興支援を願って選んだ銘酒です。福島・二本松の「大七(だいしち)」、茨城・笠間の「山桜桃(ゆすら)」、宮城・塩釜の「浦霞」です。いずれもキレがよくてフルーティな美酒でした。茨城の酒蔵は、比較的被害は少なかったのですが、風評被害で出荷がままならず苦しんでいるとのこと。そういう酒蔵も応援してあげたいです。 「かなやま」はお昼もやっていて(要予約)、炊き込みご飯も付いていますので、皆様、三宮へお越しの際は、ぜひ一度お越しください。 【和懐食・かなやま】神戸市中央区中山手通1-9-11 パインビル2F 電話078-393-1566 午前11時半~午後2時(前日までに要予約)、午後5時~10時 日休(なお、店内は全面禁煙です)夜コースは5250円と8400円の2種(我が家が頂いたのは8400円のコースです)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/05/07
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週末、仕事で出張があったのを機会に久しぶりに四国・松山でBAR巡りを楽しんでまいりました。以下、簡単にご報告です。【Cafe & Bar MARINECCO】前回もそうだったが、松山のBAR巡りのスタートはここが多い(笑)。市の中心部にあって、ここは早い時間からやっていて、お酒が飲めるので重宝する店。オーナーのYさんとも久々の再会だ。 お酒は一応、ビールとワインがメインだが、他にもいろいろある。何よりもフードが充実しているのが嬉しい。パスタやソーセージ、フィッシュ&チップスがとくにおすすめ。 加えて、キャパが広いのでグループでの二次会にも丁度良い。松山城へのロープウェー駅にも道後温泉へも近いし、旅の途中の一休みにも最適な店だと思う。【Bar 露口】松山に来てここに寄らないことはまずない。老舗の中の老舗。今年で53周年を迎える。こんなに居心地の良い店は、全国を探しても少ないと思うほど素敵な酒場である。 50年以上営むBARは全国にいくつかある。しかし、ほとんどは2代目、3代目。創業者のご夫婦が店を切り盛りし、50年過ぎた現在今も続いているという店は他にはないだろう。 露口の素晴らしさは、老舗であることをひけらかさない、謙虚で優しい接客姿勢、そしてご夫婦の絶妙な存在感とバランスだと僕は思う(静かで落ち着いた貴雄マスターと、明るく、トークが絶品の朝子奥様!)。 この夜、僕はある目的を持って露口にお邪魔した。実は、先日家で福西英三さんの古いカクテルブックを見ていて、「サマー・クイーン(Summer Queen)」というカクテルに出会った。そして、その説明書きを見たら、なんと「1981年のサントリー・トロピカルカクテル・コンクールのグランプリ作。作者は松山の露口朝子さん」と書いてあるではないか! 僕は腰が抜けそうになった。これまで何度も露口に行っているのに、この「サマー・クイーン」を飲んだことどころか、その名前すら知らなかったのだ。あぁ、情けない。 で、早速この日は、お願いすることに。「サマー・クイーン」=写真左=は、ジン・ベース(30ml)で、ホワイト・キュラソー(30ml)、グループフルーツ・ジュース(60ml)、レモン・ジュース(10ml)。シェイクしてクラッシュド・アイスを入れた大ぶりのグラスに注ぎ、生ミントを飾る。 現在、露口ではお酒づくりは主としてマスターが担当し、もっぱらトークで客を魅了してる朝子さんだが、昔は結構シェーカーをがんがん振っていたらしい。その姿を想像するだけで楽しい(グランプリの表彰式は東京の帝国ホテルであったとか)。 朝子さんは「そうそう、その時の写真があったかな」と言って見せてくれた一枚が、グランプリのご褒美(副賞)のニューカレドニア旅行の際のショット=写真右。「向こうのホテルのパーティーで、浴衣を着てカクテルつくったんですよ」と懐かしそうに話す。 懐かしさついでに、マスターが見せてくれたモノクロ写真がまたとても貴重なショットだ=写真左。あの伝説のジャズ・ピアニスト、デューク・ジョーダンが、松山でのコンサートの帰りにメンバーらと露口に立ち寄った際の一枚。 来店したのは1983年9月4日。露口の店内にあるJBLのスピーカーには、この時、彼が残したサインもある(他にも、僕も大好きなピアニスト、ケニー・ドリューのサインも)=写真右下。その時、もしたまたま店で一緒にいれたらどんなに幸せだったろう…。 歴史と伝統を感じさせるBARは全国にたくさんあるが、経営者夫婦の人柄が素晴らしくて、なおかつ「上質の空間」も今に伝えている酒場を、僕は他には知らない。「あと5年はなんとか頑張るつもりです」というマスター。僕が「そんなこと言わずに、札幌のやまざきさんの記録を抜いてください」と返すと、苦笑いを浮かべた。 全国の露口ファンの皆様、「Bar 露口」はまだまだ大丈夫です。今や松山だけでなく、「日本の宝」のような酒場です。一日も長く続くことを心から願うのは僕だけではないでしょう。マスター、朝子さん、またお邪魔しますのでよろしくお願いしまーす! ちなみに2軒目に行こうと思っていた「Bar 独奏」はこの日は臨時休業。Hマスターの携帯に電話をすると、間もなく露口に駆けつけてくれた。再会を喜び、しばし一献をかたむける。「独奏」にもお邪魔したかったが、次回への楽しみに置いておこう。【Bar Y2】3軒目にお邪魔したのは、初めての店。岡山で僕が馴染みにしている「Utena Bar」のFマスターから教えてもらった。 Fマスターはとくに店長のSさんについて僕に話していた。「日本全国のBARを巡ったという凄くマニアックで、面白い人」という評判だった。僕は早速、自己紹介してSさんのBAR巡りの旅のことをあれこれ尋ねる。 すると、なにやらアルバムらしきものを出してきた。それは旅日記。しかもヨーロッパやアメリカのBARやPUBを巡った詳細な記録。細かい字でびっしり書かれていて、自筆のイラストも。凄くマメな性格の方なんだなぁと思う(そういううらんかんろも似たような性格かな)。 Sさんからは、オリジナルのカクテル「ビエント(Viento)」をつくってもらった。シェリーとカルバドス、グレープフルーツ・ジュース、トニック・ウォーターを使った爽やかな味わい。スペインでの旅でヒントを得たという。最近、シェリーを使ったカクテルが気に入っている僕だから、なおさら嬉しかった。次回はもう少しゆっくりお邪魔してみたい。【Bar JuJu】最近、松山でのBAR巡りでは、ここが締めの店になることが多い。まぁ、それだけ居心地が良いという証だが…。店はビルの2・3Fにあり、3Fにはテーブル席もあるが、僕は2Fのカウンター席で飲むのが好きだ。 ビールでもワインでもカクテルでもウイスキーでもなんでも来いというお酒の品揃えに加えて、フードもめちゃ充実している。僕はJuJuにたどり着く時間帯になると、小腹がすいてくるのでとても有難い店だ。 Fマスターにご挨拶して再会を喜ぶ。マスターはそう口数の多い方ではないが、接客はいつも実に親切でスマートだ。木曜の夜なので、店内は結構賑やか。地元の人にいつも愛されているなぁと実感できる店だ。 松山のマスターの皆様、そして朝子様、素晴らしい夜を有難うございました! いつ来ても懐かしくて、心地よい時間を提供してくれて感謝しています。近いうちの再会を楽しみにしていまーす。【番外編:鶏舎】BAR巡りの前に腹ごしらえをしたのは、今回は、一緒に同行した友人が「おすすめ」という、おしゃれな鶏がメインの串焼き屋さん。その名は「鶏舎(こっこや)」というが、いいネタ、いい仕事、まさにお手本のような店。鶏肉は歯ごたえがあって旨いし、ニラを薄い豚肉で巻いた串も絶品だ。 ご夫婦で営んでいるが、地元でのあまりの人気で忙しいため、電話に出るヒマもない。「だから、申し訳ないけど電話を外してしまったんですよー」とご主人。お値段もめちゃリーズナブルで、僕も自信を持っておすすめできる店です。電話がないので早めに行ってくださーい(松山市二番町2-7-15 YOSHIDAビル1F 午後6時開店)。【Cafe & Bar MARINECCO】松山市大街道3-1-3 089-935-5896 午後5時~午前0時 日休 【Bar 露口】松山市二番町2-1-4 921-5364 7時~0時 日祝休 【Bar Y2】松山市一番町1-2-7 大森ビル1F 945-9818 7時~4時 日休 【Bar JuJu】松山市一番町2-4-2 モナーク2F 932-4536 6時~2時 日休 ※【Bar 独奏】松山市二番町2-2-3 まるはビル2F 935-6800 6時~深夜 不定休・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/07/30
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【2005年7月17日の記事の再投稿です。原則として、当時書いたままの文章を再録しています】 キリンのお茶「茶来」のCMに、芸能界に復帰した中山美穂が登場している。ミポリンには特別興味はない私だが、バックに流れている曲を聴いて、思わず「あぁ、懐かしいなぁ…。いい曲だなぁ…。でも、40歳以下の人はこの曲、誰の曲か分からないだろうなぁ…」と独りつぶやいていた。 曲名はCM画面の片隅にも出ている通り、「地球はメリー・ゴーランド」。1972年、GARO(ガロ)という3人組のグループが出した2枚目のシングル曲(デビューアルバム=写真左=にも入っている)である。GAROと言ってもすぐピンと来ない人でも、「『学生街の喫茶店』を歌っていたグループ…」と言えば、思い出されるかもしれない。 GAROは、1971年にデビューした。堀内護(愛称「マーク」、当時22歳)、日高富明(同「トミー」、同21歳)、大野真澄(同「ボーカル」、同22歳)の3人からなるグループ。当時は「フォーク・ロック」というジャンルに入っていたかと思う。アコースティック・ギターによるコーラス・バンドで、カバー曲以外の、オリジナル曲づくりも自分たちでこなした。 当時、同じくギター・バンドをやっていた私にとっても、GAROはお手本でもあり、目標でもあった。彼らの曲もよくコピーし、歌った(写真右=GAROが残した唯一のライブ・アルバム。CS&Nなどの洋楽を演奏したライブ音源も、ぜひCD化してほしいが…)。 当時GAROは、単に「フォーク・グループ」と呼ばれることが多かったが、私は今でもこの言い方には馴染めない。高いコーラス・ワークとギター・テクニックを誇った彼らは、メジャー・デビュー前から、「和製CS&N(クロスビー、スティルス&ナッシュ)」とも言われ、注目されていた。実際、彼らが目指していたのも、フォークとかいう狭いジャンルにとらわれない音楽だった。 デビュー・アルバムでは、曲づくりやコーラスで、その素晴らしい才能があちこちに垣間見れる。初期の頃は、冒頭で触れた「地球は…」のほかにも「1人で行くさ」「涙はいらない」など、音楽的にもレベルの高い、クオリティの高い曲が多かった。しかし、大ヒットという訳にはいかず、GAROは一部の熱狂的なファンの間での存在だった。 それが一転したのが1973年、3枚目(4枚目説も)のシングルとして発売された「学生街の喫茶店」の大ヒットだった。実は当初、この曲は「美しすぎて」というシングル曲のB面だった。それが、GAROの「大衆化路線」を目論むレコード会社やプロデューサーの方針で、発売直前、B面の「学生街…」がA面に差し替えられたという(このためジャケットの裏面の歌詞では、A面は元の「美しすぎて」のままだった)。 この曲をつくったのは、すぎやまこういちという当時の売れっ子作曲家・編曲家だった(代表曲にタイガースの「花の首飾り」、ヴィレッジ・シンガースの「亜麻色の髪の乙女」などGS<グループサウンズ>に数多くの曲を提供していた)。GAROのメンバーは、この「歌謡ポップス」のような曲を、最初あまり歌いたくなかったと聞く。しかし、デビュー間もない3人に大レコード会社、大作曲家に抵抗できるはずもなく、言われるがまま「学生街…」がA面として売り出された。 それが幸か不幸か、それがオリコン・チャートで1位になり、70万枚を超える大ヒットになってしまった。その年のNHK紅白歌合戦にも出場し、この曲を歌わされることになる。そしてそれ以後、GAROと言えば、「学生街…」というレッテルが付いて回った。もともと洋楽志向だった3人にとって、「歌謡ポップス」のグループのように見られるのは、辛い現実だったに違いない(写真左=GAROのアルバムはほとんどが廃盤になっていて、現在はこのベスト盤のみが発売されている)。 GAROはライブなどでは、思い切り、洋楽のカバーや洋楽をルーツにしたオリジナル曲を歌っていたが、テレビではやはり、「『学生街…』を歌ってください」ということになる。しばらくは我慢していた3人だが、結局は、「これは僕らの求めていた音楽ではない」と気づく。そして、12枚のシングルと8枚のオリジナル・アルバムを残して、3年後の1976年に解散。3人はそれぞれの道を歩むことになる。 マークは、その後3枚ほどソロ・アルバムを出したが、その後は芸能界から姿を消した。しかし、90年代半ばからは再び音楽活動も再開し、様々なユニットでアルバムも出した。だが、残念ながら2014年12月、病気(胃がん)のため65歳で亡くなった(この箇所は2015年に追記)。 トミーは解散後、ロック・バンドを結成し、ライブ活動をしていたが、皆さんもご存じのように、1986年、飛び降り自殺をして、36年の短い生涯を終えた。音楽的な行き詰まりが原因とも聞くが、本当のところは分からない(私も詳しいことは知らない)。 ボーカルは、レコード・プロデューサー、ディレクターに転じて、現在も音楽業界にいる。7、8年前にはテレビに出て、「学生街…」を1人で歌っていたのを見たことがあるが、私は切なくて、悲しくて、途中でチャンネルを変えてしまった(自分たちの音楽の原点を壊してしまった曲を歌うことに、心に抵抗はないのだろうか)。 実質5年余の活動で音楽界から消えた伝説のバンド、GARO。その解散も、トミーの死も、私は今でも残念でならない。もし彼らが「望む道」を歩んでいたら、きっと、60代の今も現役で活躍しているCS&Nのように、息の長いバンドになっていたにかもしれない。彼らを間違った運命へ導いたレコード会社の幹部やプロデューサー、そしてGAROのために「学生街…」をつくったすぎやまこういちなる作曲家を、私は今も恨む。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/05/23
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バーUKは、本日5月2日(土)、午後3時~9時で営業いたします(ただし、ご入店は8時まで)。午後8時以降にご来店される場合、必ず8時までに店へご連絡くださいませ(電話06-6342-0035)。ご連絡がなかった場合、ご入店をお断りいたします。なお、本日は事前予約制の「GW感謝イベント」の最終日です。カウンター席は原則終日貸切となっております。一般のお客様はテーブル席のみご利用頂けます。以上、皆様のご理解、ご協力の程よろしお願い致します。Today( May 2nd )the bar is open from 3:00 to 9:00 pm( Your entry is until 8:00 pm). Counter seats are fully booked for our private meet-up and table seats only are available. Thank you for your understanding.
2026/05/02
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【おことわり】レシピやスタイルは標準的なもので、絶対的なものではありません。文献やバーテンダーによっては違う割合、材料、スタイルでつくっていることもあります/レシピの丸カッコ内の数字(単位)はmlです。 ◆カクテル ―― その誕生にまつわる逸話(2012年版:ABC順)(49) 【ノン・アルコール編】 145.シンデレラ(Cinderella)【レシピ】オレンジ・ジュース(50)、レモン・ジュース(50)、パイナップル・ジュース(50)、氷【スタイル】ビルド 【グラス】ワイングラス カクテル名は当然、欧州で昔から伝わる童話の「シンデレラ姫」に由来すると思われるが、誕生の経緯等はまったく不明。シンデレラの話の原題でもある「サンドリオン(Cendrillon)」という別名も持つ。 カフェロイヤル・カクテルブック(1937年刊)で紹介されており、欧州では少なくとも1930年代には登場していたと思われる。このため、ディズニーのアニメ映画の「シンデレラ」公開(1940年)を記念して考案されたものではない(欧州では、19世紀前半に登場した「グリム童話」やフランスの文学者による「サンドリオン」によって、シンデレラのストーリーは知られていた)。 【確認できる日本初出資料】現時点では不明(現行NBAガイドブックには収録) ************************************ 146. フロリダ(Florida) 【レシピ】オレンジ・ジュース(60)、レモン・ジュース(30)、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、シュガー・シロップ1tsp【スタイル】シェイク 【グラス】ラージ・カクテルグラス 米国の禁酒法時代(1920~1933)に誕生したと言われる歴史の古いカクテル(出典:欧米の複数のWEB専門サイト)。「シャーリー・テンプル」と並んで、ノン・アルコールの代表格。日本にもいち早く1930年代に伝わっている。 同名のカクテルで、オレンジ・ジュース(30)、グレープフルーツ・ジュース(20)、クランベリー・ジュース(20)、レモン・ジュース(10)、グレナディン・シロップ1tsp、アンゴスチュラ・ビターズ1dash、氷というレシピもある。 禁酒法廃止以後は、ジンを加えるレシピも生まれた。そうなれば当然、ノン・アルコールには分類されない(現行NBAガイドブックにも収録)。 【確認できる日本初出資料】スタンダード・カクテルブック(村井洋著、1936年刊)。 ************************************ 147. パーソンズ・スペシャル(Parson’s Special)【レシピ】オレンジ・ジュース(80)、グレナディン・シロップ4dash、卵黄(1個分)、ソーダ(適量)、氷 【スタイル】シェイク(強めに) 【グラス】トール・グラス 「Parson」とはプロテスタントの牧師のことを指すが、カクテル誕生の経緯や名前の由来は不明。サヴォイ・カクテルブック(1930年刊)にもその名が見られることから、1920年代にはすでに飲まれていたカクテルと思われる。パーソンズの綴りを「Person’s」とか「Personz」とかしている文献もあるが、これは誤記だろう。 【確認できる日本初出資料】現時点では不明(現行NBAガイドブックにも収録)。 ************************************ 148. プッシー・フット(Pussy Foot)【レシピ】オレンジ・ジュース(20)、レモン・ジュース(20)、卵黄(1個分)、グレナディン・シロップ1tsp、氷、飾り=オレンジ・スライス&チェリー 【スタイル】シェイク(強めに) 【グラス】トール・グラス 1920年頃、ロンドンの「エンバシー・クラブ(The Embassy Club)」のバーテンダー、ロバート・ヴァーマイア(Robert Vermeire)が考案したと伝わる(出典:欧米の複数のWeb専門サイト、PBOのHPほか)。 「プッシー・フット」とは「子猫の足」「こっそり歩く」という意味で、米国の禁酒運動家だったウイリアム・ジョンソンのあだ名でもあった。ただし、ヴァーマイアによる命名の由来は伝わっていない(現行NBAガイドブックにも収録)。 【確認できる日本初出資料】カクテール(堀井浩一著、1971年刊)。 ************************************ 149. シャーリー・テンプル(Shirley Temple)【レシピ】ジンジャー・エール(またはレモネード)(150)、グレナディン・シロップ(15)、氷、飾り=レモン・スライス、チェリー、ミントチェリー【スタイル】ビルド 【グラス】ワイングラスまたはトール・グラス 最も代表的なノンアルコール・カクテル。1930年代に、米カリフォルニア州ビバリーヒルズのレストラン「チェイスンズ(Chasen’s)」に勤めるバーテンダー(名前は不詳)が、当時人気子役俳優だったシャーリー・テンプルのために考案し、その名をカクテル名にしたという(出典:Wikipedia英語版)。 1933年の禁酒法が廃止後は、お酒が堂々と飲めるようになり、親が酒を飲んでいる時に子どもたちも一緒に飲めるカクテルとして普及していったと伝わる(出典:複数のWEB専門サイト)。 シャーリー・テンプルは1928年4月23日生まれで、2012年6月現在、84歳で健在。米カリフォルニア州サンフランシスコ郊外で暮らしている。テンプルは1950年、22歳で海軍大佐と再婚すると同時に、映画界から引退。その後は、駐ガーナ大使、駐チェコスロバキア大使を勤めるなど外交官としても活躍したことで知られている(出典:Wikipedia英語版&日本語版)。 ウオッカを加えると当然、アルコール飲料となり、名前も「ダーティー・シャーリー」と変わる。 【確認できる日本初出資料】さらに古い文献もあるかもしれないが、現時点ではカクテル入門(福西英三著、1982年刊)。
2013/05/17
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成田一徹・バー切り絵作品集 『NARITA ITTETSU to the BAR』 完全改訂増補版 発刊記念! ITTETSU Gallery:もう一つの成田一徹(243) 龍神沼(連作) 1990年代前半 ※「龍神沼」伝説の類は、全国各地に様々な形で伝わっている。概略どういう話かと言えば-ー。例えば以下のように。 「昔々、村の沼の主である龍は、女の姿になってしばしば村に出没し、親切にしてもらっていた。ある年、村はひどい干ばつに見舞われた。雨乞いは功を奏さず、水田は干からびて、村人達は餓死を覚悟した。龍は、村への恩返しとして雨を降らせること。しかし、『雨を止めているのは大龍王。雨を降らせれば自分は(大龍王の)怒りを買い、体を裂かれるだろう』と話し、姿を消した。間もなく空が雲に覆われ雨が降り出した。喜んでいた村人達は、龍が天に昇って雲の中に消え、直後、稲妻の光の中で龍の体が三つに裂かれるのを見た」。 この切り絵は、おそらく小説かエッセイの挿絵、または絵本のために制作したと思われる。「龍」は、一徹氏がたびたび手掛けた得意のモチーフ。このような絵はまさにお手の物だったろう。◆故・成田一徹氏の切り絵など作品の著作権は、「Office Ittetsu」が所有しております。許可のない転載・複製や二次利用は著作権法違反であり、固くお断りいたします(著作権侵害に対する刑罰は、10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金という結構重いものです)。※「ITTETSU GALLERY:もうひとつの成田一徹」過去分は、こちらへ★こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2021/06/11
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先日のこと。ある海外のバー業界関係の方から「過去誕生したジャパニーズ・カクテルのなかで、知っておくべき重要なカクテルを教えてほしい」という依頼を受けました。 そこで、まがりなりにも長年カクテル史を研究してきた私が、独自の?視点で25のカクテルを選んで、DeepLの力を借りて(笑)英訳したうえでお伝えいたしました(うち2つは日本人の考案ではなく、滞日外国人が考案した or 関わったと伝わる日本生まれのカクテルですが…)。 以下はその日本語版です。「プロなら知っておくべきジャパニーズ・カクテル」と、その考案者(不明なものもありますが)、誕生の時期・由来等について簡単に紹介いたします(かつて私のBlog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話」で取り上げたものについては、その該当ページへのリンクも貼っておきます)。1.横浜(Yokohama)(19世紀末から20世紀初頭、考案者は不詳) ジン30ml、ウォッカ15ml、オレンジジュース15ml、グレナデン・シロップ10ml、アニゼット0.5tsp(ティースプーン) ※横浜・外国人居留地のバーもしくは欧州航路の客船内のバーで誕生したと伝わっている。いずれにしても欧州航路の客船を通じて1920年代には英国にも伝わり、サヴォイ・カクテル・ブック(1930年刊)にも収録されることになった。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:横浜(Yokohama)」】2.チェリー・ブロッサム(Cherry Blossom) 田尾多三郎(1923年) チェリー・ブランデー30ml、ブランデー20ml、オレンジ・キュラソー10ml、レモン果汁5ml、グレナディン・シロップ5ml ※田尾氏(故人)がオーナー・バーテンダーをつとめていた横浜・伊勢佐木町の「カフェ・ド・パリ」(現在は関内に移転し、「パリ」と改名)で誕生した伝わっている。カクテル「横浜」と同様、欧州航路の客船を通じてロンドンやパリなどの欧州の大都市にも伝わった。サヴォイ・カクテル・ブック(1930年刊)にも収録されている。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:チェリー・ブロッサム(Cherry Blossom)」】3.マウント・フジ(Mount Fuji) 東京帝国ホテルのインペリアル・バーで誕生(1924年)、考案者は不詳 ジン45ml、パイナップルジュース15ml、レモンジュース10ml、シロップ1tsp、マラスキーノ1tsp、 生クリーム 1tsp、卵白 ※「マウント・フジ」カクテルには他に2つのバージョン(JBAバージョンと箱根富士屋ホテルバージョン)が伝わっている。詳しくは、連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話」の「マウント・フジ(Mount Fuji)」の項をお読みください。4.ライン・カクテル(Line Cocktail) 前田米吉(1924年) ジン25ml、スイート・ベルモット25ml、ベネディクティン25ml、アンゴスチュラビターズ2dash ※前田米吉氏(1897年~1939年)は大正時代のバーテンダーであり、日本初の実用カクテルブック『コクテール』(1924年刊)の著者。【ご参考:拙Blogの記事「『コクテール』の著者・前田米吉氏の素顔とは」】5.會舘フィズ(Kaikan Fizz) 東京會舘内のバー発祥(1945年)、考案者は不詳 ジン45ml、牛乳60ml、レモンジュース15ml、砂糖1tsp、ソーダ ※敗戦後(1945年9月)、東京會舘は占領軍に接収され、1952年まで将校専用の社交場(「東京アメリカンクラブ」)として使用された。「會舘フィズ」は朝から酒を飲みたい将校が、バーテンダーに「お酒に見えないアルコール・ドリンクをつくってくれ」と頼んで、考案してもらったのが起源と伝わる。【ご参考:拙Blogの記事「東京會舘メインバー:歴史の重みに酔う」】6.カミカゼ(Kamikaze) 考案者不詳(1945~46年頃) ウォッカ30ml、コアントロー30ml、ライムジュース30ml、ライム・スライス ※第二次世界大戦後(1945年~)、東京の占領軍キャンプ(米軍基地)内のバー発祥と伝わる。 7.青い珊瑚礁(Blue Coral Reef) 鹿野彦司(1950年) ジン40ml、グリーンペパーミント・リキュール20ml、マラスキーノ・チェリー、あらかじめグラスの縁をレモンで濡らしておく。 ※1950年5月、戦後初めて開催された本格的なカクテル・コンクール「オール・ジャパン・ドリンクス・コンクール」(日本バーテンダー協会=当時はJBA=主催)で1位に輝いた。考案者の鹿野氏は(当時)名古屋のバー「くらぶ鴻の巣」のオーナー・バーテンダー。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:青い珊瑚礁(Blue Coral Reef)」】8.キッス・オブ・ファイア(Kiss of Fire) 石岡賢司(1953年) ウォッカ30ml、スロージン20ml、ドライ・ベルモット、レモンジュース5ml、砂糖でグラスをスノー・スタイルにして ※1953年に開催された「第5回「オール・ジャパン・ドリンクス・コンクール」(日本バーテンダー協会主催)でグランプリに輝いたカクテル。石岡氏は残念ながら、この受賞から数年後に他界された。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:キッス・オブ・ファイア(Kiss of Fire)」】9.雪国(Yukiguni) 井山計一(1959年) ウォッカ45~55ml、ホワイト・キュラソー10ml、ライムジュース5ml、ミントチェリー、砂糖でグラスをスノー・スタイルに ※1958年、山形県酒田市のバー「ケルン」のオーナー・バーテンダー井山計一氏が、川端康成の小説「雪国」をモチーフに考案。翌年の1959年に開催された「第1回寿屋(後のサントリー)カクテルコンクール」で最優秀賞を受賞した。 日本人が考案したスタンダード・カクテルとしては、「雪国」は日本国内では今なお最もよく知られている(日本生まれのカクテルとしては「バンブー」が世界的に有名だが、これは残念ながら、明治期に米国から来日した外国人によって考案されたもの)。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:雪国(Yukiguni)」】10. スカイダイビング(Sky Diving) 渡辺義之(1967年) ホワイト・ラム30ml、ブルー・キュラソー20ml、ライムジュース10ml ※1967年10月に開催された全日本バーテンダー協会主催の大会でグランプリを受賞したカクテル。海外ではあまり知られていないが、日本ではほぼ「スタンダード」になっており、国内で出版されるカクテル本にも頻繁に登場する。渡辺義之氏は大阪のバーテンダー。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:スカイダイビング(Sky Diving)」】11. レッド・アイ(Red Eye) (1970年代後半?沖縄発祥。考案者は不詳) ビール150ml、トマトジュース150ml、スパイス(セロリソルト、ブラックペッパー...) ※トム・クルーズ(Tom Cruise)主演の映画「カクテル(Cocktail)」(1988年公開)に登場する生卵入りカクテル「レッド・アイ」に似ているが、この日本発祥の「レッド・アイ」は全く別物で、映画公開前の1970年代後半には沖縄の米軍基地周辺のバーで流行っていた。その後、80年代半ばには東京や大阪などの大都市でも広く知られるようになった。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:レッド・アイ(Red Eye)」】12. メロンボール(Melonball) (1978年、考案者は不詳) ウオッカ20ml、ミドリ(メロン・リキュール)30ml、オレンジジュース80ml ※1978年、サントリー社がメロン・リキュール「ミドリ(MIDORI)」を米国で先行発売するに際して、提案したオリジナルカクテル(オレンジジュースの代わりにグレープフルーツジュース、パイナップルジュースを使うバージョンもある)。13. ソル・クバーノ(Sol Cubano) 木村義久(1980年) ホワイト・ラム45~80ml、グレープフルーツジュース60ml、トニックウォーター60ml、グレープフルーツ・スライス、フレッシュミント ※1980年に開催された「トロピカルカクテル・コンクール」(サントリー社主催)でグランプリを受賞。木村氏は神戸のバー「サボイ北野坂」のオーナー・バーテンダーとして今も活躍中。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:ソル・クバーノ(Sol Cubano)」】14. 照葉樹林(Shoyo Jurin=means Shiba Forest.) (1980年頃、考案者は不詳) 緑茶リキュール 60ml、烏龍茶 120ml ※サントリー・カクテルスクール東京校発祥と伝わる。15. 吉野(Yoshino) 毛利隆雄(1983年) ウォッカ60ml、キルシュワッサー0.5tsp、緑茶リキュール0.5tsp、桜花の塩漬け ※奈良県の吉野は桜の名所として有名。毛利隆雄氏は、東京・銀座「毛利バー」のオーナー・バーテンダー。16. スプモーニ(Spumoni) (1980年代半ば、考案者は不詳) カンパリ30ml、グレープフルーツジュース30ml、トニックウォーター ※日本のバーで最も人気のあるカクテルの一つ。アルコール度数が低く飲みやすいため、とくに女性に人気がある。日本のカクテルブックでは「イタリア生まれのカクテル」と紹介されることが多く、バー関係者でもそう誤解している人が多いが、日本生まれのカクテル。 1980年代半ばに、日本のカンパリ輸入業者と、イタリア料理ブームに便乗した外食産業関係者によって考案され、広まった。「スプモーニ」の語源は、イタリア語の「泡を立てる(spumare)」から名付けられたという。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:スプモーニ(Spumoni)」】17. キングス・バレー(King’s Valley) 上田和男(1986年) スコッチ・ウイスキー40ml、ホワイト・キュラソー10ml、ライムジュース10ml、ブルー・キュラソー1tsp ※1986年に開催された「第1回スコッチウイスキー・カクテルコンペティション」での優勝作品。作者の上田氏は、東京・銀座「Bar TENDER」のオーナー・バーテンダー。18. サケティーニ(Saketini) (1980年代半ば~後半に登場、考案者は不詳) ドライ・ジン40ml、日本酒(SAKE)30ml、オリーブ19. フォーリング・スター(Falling Star) 保志雄一(1989年) ホワイト・ラム30ml、パイナップル・リキュール15ml、オレンジジュース10ml、グレープフルーツジュース10ml、 ブルー・キュラソー 1tsp、レモンピールは星型にくり抜く。ブルー・キュラソーで銀河のようにコーラル・スタイルにしたグラスに ※1989年、日本バーテンダー協会主催の「全国バーテンダー技能競技大会」で総合優勝した際の創作カクテル。保志氏は現在、東京・銀座「バー保志」のオーナー・バーテンダー。20. チャイナ・ブルー(China Blue) 内田輝廣(1980年代後半〜1990年代前半) ライチ・リキュール30ml、ブルー・キュラソー10ml、グレープフルーツジュース45ml、トニックウォーター45ml(トニックウォーター無しのバージョンもある) ※ライチ・リキュール「ディタ(DITA)」の輸入発売スタートにあたり考案されたと伝わる。カクテル名は、中国の陶磁器「景徳鎮」の鮮やかな青色に由来するという。内田氏は富山市にある「バー白馬館」のオーナー・バーテンダー。21. ミルキーウェイ(Milky Way) 岸 久(1996年) ジン30ml、アマレット30ml、ストロベリークリーム・リキュール10ml、ストロベリー・シロップ15ml、パイナップルジュース 90ml ※1996年の「インターナショナル・カクテル・コンペティション(ICC)」ロングドリンク部門での優勝作品。岸氏は、東京・銀座「スタアバー」のオーナー・バーテンダー。ICCで優勝した日本人バーテンダーは岸氏が初めてである。22. オーガスタ・セブン(Augusta Seven) 品野清光(1997年) パッソア(パッションフルーツ・リキュール) 45ml、パイナップルジュース90m、レモンジュース15ml ※パッソア・リキュールの日本での輸入販売を開始するにあたり、オリジナルカクテル考案の依頼を受けた大阪の「バー・オーガスタ」オーナー・バーテンダー、品野清光氏が考案した。その後、人気漫画「バー・レモン・ハート」でも紹介されたことで全国的にも知られるようになった。【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:オーガスタ・セブン(Augusta Seven)」】23. スピーク・ロウ(Speak Low) 後閑信吾(2012年) ダーク・ラム50ml、ペドロヒメネス・シェリー5ml、抹茶1tsp、レモンピール ※2012年、「バカルディ・レガシー・カクテル・コンペティション」の優勝作品。後閑氏は日本人では、現在世界で最もその名が知られているバーテンダー。【番外編】・バンブー(Bamboo) 1890年、横浜外国人居留地にあった旧・横浜グランドホテルの支配人だった米国人、ルイス・エッピンガー(Louis Eppinger)氏が考案したと伝わる。 ドライ・シェリー50ml、ドライ・ベルモット20ml、オレンジビターズ(ステア)【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:バンブー(Bamboo)」】・ミリオンダラー(Million Dollar) 19世紀末または20世紀初めに、横浜グランドホテル内のバーで誕生? バンブーと同じエッピンガー氏の考案とも伝わるが、これを裏付ける文献資料は確認されていない。 ジン45ml、スイート・ベルモット15ml、パイナップルジュース15ml、グレナデン・シロップ、卵白(シェイク)【ご参考:拙Blog連載「カクテルーーその誕生にまつわる逸話:ミリオンダラー(Million Dollar)」】★こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2023/04/01
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バーUK・第18回「テイスティングの集い」(テーマは「エドラダワー」)は、21日(水)、18人のご参加を頂き、盛況に終えることが出来ました。 参加者の皆さま、講師を務めて下さったエドラダワー正規輸入代理店「ボニリ・ジャパン」社長の西尾和浩さま、本当に有難うございました!貴重なサプライズ・ボトルやノベルティもご提供頂きました。心から感謝致します。 西尾社長は約1時間余、現地で撮られた写真(スライド)を使って、興味深い話をたくさん聞かせてくださいました。スコットランド最小規模の蒸溜所が、日々どのようなウイスキー造りをしているのかがよく分かった、とても有意義な夜でした。 ご参考までに、本日試飲したボトルは以下の通りです。 基本5種=スタンダード10年、15年(フェアリー・フラッグ)、シングルカスク(シェリー樽熟成)、バレッヒェン10年、スタンダード10年・オールドボトル(90年代) 追加テイスティング(1)=ノンチルフィルタード10年、12年(カレドニア)、スーパータスカン・カスク、バローロ・カスク 追加テイスティング(2)=シングルカスク5種(熟成樽違い=シェリー、マデイラ、ソーテルヌ、シャルドネ、バーガンディ)、バレッヒェン・バーガンディカスク ※サプライズ・ボトル2種=1973年蒸溜の30年熟成、ホワイト・バーガンディ樽4カ月熟成原酒(非売品)【Bar UK】大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半(入店は8時まで)、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回不定休(月によっては変更されることも有り)。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2019/08/22
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【皆さま、大阪府においては、本日5月16日以降、短縮営業要請が緩和され、オーセンティック・バーや居酒屋を含む飲食店は、午後10時まで営業できることになりました。私たちの営業許可・営業実態をより正しく知ってもらうことを願って、再度の投稿ですが、何卒ご容赦を!】 バーUKのようなオーセンティック・バーは、風俗営業のバーやパブ、キャバクラなどと一緒くたにされて、国からも大阪府からも、「バーは営業を自粛してください」と言われています。 しかし、「バー営業」という営業許可種目はありません。私たちがもらっているのは基本、食品衛生法に基づく、以下のような営業許可と届け出に基づく認可です。(1)飲食店営業許可(午前0時までの営業する場合、管轄は営業エリアの自治体=保健所)(2)飲食店営業許可+深夜酒類提供飲食店営業の届け出(午前0時以降も営業する場合、管轄は営業エリアの警察署) バーUKは、通常は午後10時半~11時の閉店なので、(1)の「飲食店営業許可」だけで営業させて頂いています(現在は通常営業を自粛中ですが…)。 そして、風営法に基づく「接待」や「遊興」という行為が発生するスナックやラウンジ、クラブ、キャバクラのような営業形態の店の場合は、「飲食店営業許可」に加えて、「風俗営業許可」というものを別途取る必要があります(管轄は営業エリアの警察署)。 ただし、「風俗営業許可と「深夜酒類提供飲食店営業」の許可を同時に取ることはできず、基本、午前0時以降の営業はできません。すなわち、もし午前0時を過ぎても「接待」行為をしているスナックなどがあれば、それは違法営業ということになります。 *********************** オーセンティック・バーのマスターである私は当然、お客様に対して「接客」はしますが、各都道府県らがしばしば口にするような「(隣に座っての)接待」はしませんし、店内では「遊興」行為も発生しません。 ちなみに風営法の解釈運用基準(警察庁策定)では、「接待」「遊興」という行為を以下のように具体的に例示(規定)しています。 「接待」=異性・同性に関係なくオーナーや従業員が客の近くで談笑の相手をしたり、お酌をしたり、カラオケをデュエットしたりするような行為 「遊興」=不特定多数の客に歌、ダンス、ショー、演芸、映画その他の興行を見せたり、カラオケを歌うことを奨励したり、ゲーム・競技等を行わせたりする行為 従って、スナックやラウンジ、キャバクラ、ショー・パブ、キャバレー、ナイトクラブなどでは「接待」「遊興」行為が発生するので、当然、風営法に基づく「風営営業許可」を、スポーツ・バー、マジック・バー、クラブ、ディスコ、ライブハウス、ジャズ・バー(常時生演奏あり)などは(風営法に基づく)「特定遊興飲食店営業許可」を取る必要があります。 以上のように、オーセンティック・バーでは、かりに従業員がいても「接待」や「遊興」行為はあり得ないので、「風俗営業許可」などを取る必要はありません *********************** 先日、私の仲の良いオーセンティック・バーのマスターが「国や自治体が休業要請するバーとは、いったいどういう営業形態の店を想定しているのだろう?」と疑問に思って、大阪府の担当部局に問い合わせました。そのマスターのバーの営業時間は午後5時~0時です(現在は、午後4時~8時に絞って短縮営業されていますが…)。 すると、以下のような回答が来たそうです。「国や各都道府県が現在休業要請しているバーとは、基本、(上記の(2)のような)飲食店営業許可と深夜酒類提供飲食店営業の届け出で午前零時以降も営む店や、風俗営業許可と深夜酒類提供飲食店営業の届け出だけで早朝まで営業しているような店を想定しています。貴店のように、飲食店営業許可だけで営業している形態のバーであれば、いわゆる飲食店、居酒屋と同等に考えて頂いて構いません」。 すなわち、(飲食店の短縮営業時間として指定されている)午前5時~午後8時の間は堂々と営業できるそうですが、いったん国や都道府県の偉い方々から、公式会見で「バー」という言葉でひとくくりにされてしまうと、言葉は独り歩きしてしまいます。「なぜ、あのバーは休業要請に逆らって営業しているのか」と誤解され、非難されてしまいます。 *********************** さて、私がこの投稿の結びとして言いたいのは、以下のようなことです。 大阪府の担当部局の見解によれば、「(オーセンティック・バーは)休業までしなくとも、少なくとも午後8時までは営業し、午後7時まではお酒を提供しても構わない」とのことです。しかし現在、日本じゅうで、「飲食店営業許可」だけのオーセンティック・バーであっても、ほとんどの店が自主的に休業したり、通常営業を自粛したりしています(お酒を提供できるのが午後7時までなら、人件費や光熱費を考えると躊躇するのは当然だと思います)。 結果として、「飲食店営業許可」を持ち、「深夜酒類提供飲食店営業」の届け出もしているオーセンティック・バーでも、午後8時までの営業なら出来るにも関わらず、断念している店がほとんどです。 でも、実のところは、ほとんどのバー・オーナーの皆さんは「収入がほとんどゼロになって本当に苦しいけれど、一日でも早くコロナウイルス感染を終息させるために、そしてコロナから多くの人の命を守るために、私たちが休業・営業自粛することで国民の外出自粛に協力できたら…」という思いから、営業を自粛しているんだと思っています。私もまったく同じ気持ちです。 もちろん一方では、時にはテイクアウトなども取り入れながら、午後8時まで営業しているバーもあります。どの店も悩みぬいた末の苦渋の判断だと思います。街には人の姿はまばらですが、それでも、短時間でも癒しの場・空間を提供してくれています。どうかそういう店を責めないで、温かい気持ちで見守ってあげてほしいというのが私の切なる願いです。 ***********************【追記】5月14日の首相会見、大阪府知事会見などで飲食店などに対する自粛要請が一部緩和されました。しかし、それでも会見では相変わらず、「飲食店営業許可」で営むオーセンティック・バーと、「風俗営業許可」で営むバーなどを一緒くたにする形での発表だったのが、とても悔しく、情けないです。 言わずもがなですが、私たちのような、いわゆるオーセンティック・バーでの通常の「接客」は、風営法に言う「接待」行為ではありません(そもそもオーセンティック・バーではお酌したり、隣席で寄り添ったり、デュエットしたりなどの「接待」行為はしません(笑))。 くどいようですが、今回のコロナ禍で行政側が休業要請をしたのは、「風俗営業許可」で営み、このような「接待」や「遊興」行為を伴う風俗営業許可のバーや、風俗営業許可&深夜営業届出の店(スナックやラウンジ、クラブ、キャバクラなど)です。オーセンティック・バーは基本、「風俗営業許可」は必要なく、ほとんどが「飲食店営業許可」(+午前0時以降営業する場合は「深夜営業届出」も)だけで営んでいるかと思います。 なので、そもそも今回のコロナ禍・緊急事態宣言下での自粛要請(4月6日)でも、オーセンティック・バーは「普通の飲食店と同等の扱い」で、休業要請ではなく、短縮営業要請だったのです(このことを知らないバーのマスターが私の周りにも結構いたのは意外で、残念な気持ちさえ起こりました。誤解したまま完全休業しているマスターもいました)。 首相や知事たちが昨日の会見で、「バーは引き続き自粛要請の対象とする」と言っているのは、当然、風俗営業許可と深夜営業届出で営み、「接待」行為が発生するバーやスナック、ラウンジ、クラブ、キャバクラなどを念頭に置いて喋っているのですが、「(接待行為はしない)普通のオーセンティック・バーは対象外です」ときちんと説明してくれないのが、実に腹立たしいです。会見では相変わらず、普通の「接客」と風営法で規定された「接待」行為が一緒くたにされていました。「接待を伴うバー」と言うべきなのに、「接客を伴うバー」と言うテレビ局が多いのも情けないです。 私は、バー業界団体のトップが、行政側に「風俗営業許可のバーと一緒くたにしないでくれ」「接客と接待を混同しないでくれ」ときちんと言わないことも、全国に誤解が広まったままである大きな原因だと思います。トップが行動して、全国のオーセンティック・バーの声を代弁してくれることを願っています。業界団体が、「いまだにバーテンダーときちんと呼ばれず、バーテンと呼ばれること」に怒り、バーの社会的地位向上を願うなら、こういうことからきちんと声を上げていくことが大事ではないでしょうか。【補足】なお、北海道(札幌市を含む石狩振興局)だけは、4月6日の緊急事態宣言後、現在でもなお、「飲食店営業許可」で営むオーセンティック・バーに対しても休業を要請しています(5月31日まで)。休業要請基準・条件にある程度の地域差が出るのは仕方ありませんが、「風俗営業許可」のバーと同列に扱うのは不愉快で、理解に苦しむところです。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/05/16
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バーUKは、本日4月30日(木)も、午後4時~10時で営業いたします(ただし、ご入店は9時まで。原則4人までです)。午後9時以降にご来店される場合、必ず9時までに店へご連絡くださいませ(電話06-6342-0035)。ご連絡がなかった場合、ご入店をお断りいたします。午後9時の時点でノーゲストの場合は、閉店させて頂きますので、ご了承ください。なお、本日から5月2日(土)までの3日間は、事前予約制のGW(黄金週間)感謝イベントを店内で実施するため、カウンター席は原則終日貸切となります。一般のお客様はテーブル席のみご利用頂けます。以上、皆様のご理解、ご協力の程よろしお願い致します。Today( April 30th )the bar is open from 4:00 to 10:00 pm( Your entry is until 9:00 pm and alcohol service is until 9:30 pm). Counter seats are fully booked for our private meet-up and table seats only are available. Thank you for your understanding.
2026/04/30
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久々にBar UK写真日記です(By うらんかんろ)。 バーUKにはその後も面白いお酒が続々と登場しています。これはスコットランドのモルト「Aberlour(アベラワー)」のシングルカスク。シェリー樽熟成の60.3度。久々に「唸る旨さ」のモルトに出合いました。 こちらは、バーUKの在庫では最も熟成年数が長い「46年」というモルト。「Invergordon(インヴァーゴードン)」というグレーン・ウイスキーの蒸留所による逸品です。 マスターは最近、樽熟成もののスピリッツにも興味を示し、あれこれ集めています。これはテキーラの長熟物。「クエルボ・1800アネホ(Anejo)」。まるでウイスキーのような雰囲気を漂わせています。 アイリッシュ・ウイスキーでまたまたフルーティなモルトが誕生しました。その名も「アイリッシュマン(The Irish Man)」。バーUKで人気の「ティーリング(Teeling)」に匹敵する旨さです。 マスターの大好きなモルトの一つ、グレンドロナック(Glendronach)にも新顔登場です。「トゥニー・ポート・フィニッシュ」。ポート・ワインの樽で熟成された18年ものです。シェリー樽とは違った美味しさがあります。 ハイボールに欠かせないソーダ(タンサン)。UKでは主にウイルキンソン・ソーダを使っていますが、24本入りのケースごと運ぶための台車を、マスターは手づくりしました。出来栄えにはかなり満足しているようです(笑)。【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途、水曜と土曜に各々月1回程度お休み。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。午後4時~7時はノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2015/03/28
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今回は、皆さんが意外と知らないことをお伝えしようと思います。 原画を購入したからと言って、それを自由に店のグッズには使えません。原画を購入することは絵の「所有権」を得たというだけで、「原画の著作権」は、あくまで作者または著作権継承者にあります。作者や著作権継承者の承認なく、店のグッズ(ポストカード、名刺、コースター、グラス、チラシ、看板、ポスターなど)の二次的著作物は、勝手に作ることはできません。 著作権は現在、日本では原則、作者の没後50年間(または作品公表後50年)、法的に保護されています(TTP協定締結に伴い、改正著作権法が2018年12月30日に施行され、保護期間の「50年」は「70年」に延長されました)。 なので、勝手に店のグッズをつくると著作権侵害であり、違法行為となります。営利を目的とした販売商品に許可なく使うと重い罪に問われます(著作権侵害は10年以下の懲役または1000万円の罰金です)。 こうしたことは著作権の「基本のキ」なのですが、そうしたことを、よく理解していない経営者も少なくありません。時々、購入した絵(原画)を使って絵葉書やコースターを作ったり、CDジャケットの表紙にしたりする飲食店のオーナーがいますが、著作権者(または著作権継承者)の許諾なく勝手にやれば違法行為となります。 店のグッズを作ったり、商品に使用する場合、本来なら、著作権者に許諾料や使用料を支払うのが日本国内の法的ルールです(「うちは作者にOKをもらっているから」というのは、あくまで著作権者が好意で容認しているに過ぎません)。 飲食の経営者は、まず法律をよく理解して守ってほしいと思います。著作権者の許可は、必ず得るようにしてほしいです。そして、もし営利で使用するなら、できれば適正な使用料を作者または著作権継承者に支払ってあげてほしいです。芸術家の権利を大切にしてほしいと、心から願います。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/08/28
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11.ビトウィーン・ザ・シーツ(Between the Sheets)【現代の標準的なレシピ】(単位はml) ホワイト・ラム(20)、ブランデー(20)、コアントロー(20)、レモン・ジュース(10)、レモン・ピール (※ダークラムを最後にフロートさせるレシピもあります) 【スタイル】シェイク 「サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)」(1930年刊)や、「カフェロイヤル・カクテルブック(Café Royal Cocktail Book)」(1937年刊)にも紹介されている、代表的なクラシック・カクテルの一つです。有名なカクテル「サイドカー」のレシピにラムが加わっていることからしても、「サイドカーのバリエーションの一つとして」考案されたという説もありますが、真偽のほどは定かでありません。 「シーツの間で=ベッドに入って」というその意味深なネーミングもあって、「ビトウィーン・ザ・シーツ」は現代でも、国内外を問わず不動の人気を持つカクテルです。しかし、口当たりは良いけれどアルコール度数はかなり高めなので、お酒に弱い人には「要注意な」カクテルでもあります。 誕生の由来、時期については、以下のような3つの説が伝わっていますが、いずれの説もそれを裏付ける文献資料は確認されておらず、現時点ではあくまで「説」にすぎません(出典:英語版Wikipediaほか)。 (1)パリの「ハリーズ・ニューヨークバー」のオーナー、ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)がカクテル「サイドカー」のバリエーションとして1930年代に考案した。 (2)ロンドンの「バークリー(The Berkely)・ホテル」のマネジャー(Mr. Pollyという方)が、1921年頃考案した(※ただし、バークリー・ホテルのHPのBarページでは、「Between the Sheets」や「Mr.Polly」の名には一切触れておらず、掲載されているカクテル・メニューにも「Between the Sheets」はありませんでした。なので真偽のほどは分かりません)。 (3)20世紀初頭のフランス国内の売春宿(Brothel)で、女性たちが好んで飲む食前酒だった。その女性たちを通じて酒場にも広がった(※カクテル名からすれば、この説もあながち嘘ではないかもしれません)。 「サヴォイ・カクテルブック」に掲載されていることからも、1920年代には欧州のバーで、ある程度認知されるカクテルであったことは間違いありません。従って、少なくとも(1)の説には無理があります(もしマッケルホーンが考案したとしても、それは1910〜20年代のことでしょうが、マッケルホーンは1919年に出版した「ABC of Mixing Cocktails」だけでなく、1927年に出版した「Bar Flies and Cocktails 300 recipes」にも収録していません)。 参考までに、1930~40年代の主なカクテルブックに登場する「Between the Sheets」のレシピを見ておきましょう(スタイルはいずれもシェイク)。 ・「The Savoy Cocktail Book」(Harry Craddock著、1930年刊)英 &「Café Royal Cocktail Book」(W.J.Tarling著、1937年刊)英 ラム3分の1、ブランデー3分の1、コアントロー3分の1、レモン・ジュース1dash ・「The Artistry of Mixing Drinks; Ritz Bar, Paris」(Frank Meier著、1934年刊)仏 ラム3分の1、ブランデー3分の1、コアントロー3分の1、レモン・ジュース1tsp ・「The Stork Club Bar Book」(Lucius Beebe著、1946年刊)米 ラム4分の3オンス、ブランデー4分の3オンス、コアントロー4分の3オンス、レモン・ジュース半個分 ・「Trader Vic's Bartender's Guide」(Victor Bergeron著、1947年刊)米 ラム2分の1オンス、ブランデー2分の1オンス、コアントロー2分の1オンス、レモン・ピール ・「The Official Mixer's Manual」(Patrick G. Duffy著、1948年刊)米 ラム3分の1、ブランデー3分の1、コアントロー3分の1 ちなみに、キューバ・ハバナの有名なBar「La Florida」が1935年に出版したカクテルブックに、同じ「Between the Sheets」という名のカクテルが収録されています。しかしそのレシピは、コニャック3分の1、クレーム・デ・カカオ3分の1、生クリーム3分の1、砂糖1tsp、アンゴスチュラ・ビターズ1dash、レモン・ピールというもので、まるで有名な「アレキザンダー」のバリエーションのようです。なのでこの稿で取り上げているのとは別物のカクテルです。 なお、「ビトウィーン・ザ・シーツ」は日本には戦前に伝わっていたという説もありますが、文献で確認できるのは1950年代に入ってからです。 【確認できる日本初出資料】世界コクテール飲物事典(佐藤紅霞著、1954年刊) ※レシピは、バカルディ・ラム3分の1、ブランデー3分の1、コアントロー3分の1、レモン・ジュース1dash です(「サヴォイ…」と同じです)。・こちらもクリックして見てねー! → 【人気ブログランキング】
2016/11/27
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63.オールド・ファッションド(Old Fashioned)【現代の標準的なレシピ】(容量単位はml)ライ・ウイスキー(またはバーボン・ウイスキー)(45)、アロマチック・ビターズ1~2dash、角砂糖1個、氷、飾り=オレンジ・スライス、マラスキーノ・チェリー ※マドラーでフルーツや角砂糖を潰しながら味わいます。 【スタイル】ビルド 代表的なクラシック・カクテルの一つです。古い時代のカクテルブックには必ずと言っていいほど紹介されています。著名なカクテル史研究家のデヴィッド・ワンドリッチ氏によれば、「オールド・ファッションド」の原型は、1830年代の前半には登場していたそうです。誕生の経緯・由来については、以下のような4つの説が伝わっていますが、どれも決定的なものではありません(1~3の説は様々な文献資料でよく紹介されいます)。 (1)19世紀末、ウィンストン・チャーチルの母、ジェニー・ジェロームが考案した。 (2)19世紀半ば、米ケンタッキー・ダービーが開催されることで有名なチャーチルダウンズ競馬場のバーテンダーが考案した。 (3)ケンタッキー州ルイビルのペンデニス・クラブのバーテンダーが考案した。 (4)1900年~1908年の間に、フィラデルフィアのベルビュー・ストラトフォード・ホテルのバーテンダーが考案した。 Wikipedia英語版は、上記のうち(3)の説を紹介し、「1880年代、ペンデニス・クラブ(The Pendennis Club)のバーテンダーが考案し、クラブでの人気カクテルとなった。後に、このクラブのメンバーだったジェームズ・ペッパー大佐によって、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテル(The Waldorf-Astoria Hotel)のBarへ伝わり、全米へ広まった」と記しています。 レシピが「トディ(Toddy)」という古風なカクテルに似ていることから、「オールド・ファッションド」と呼ばれるようになったとも言われていますが、裏付ける資料は現時点では確認されていません。元来はライ・ウイスキーをベースにつくられていましたが、その後はバーボン・ウイスキーでつくる方法が一般的になりましたが、今日ではスコッチ・ウイスキーでつくられることも珍しくありません。 欧米のカクテルブックで「オールド・ファッションド」が初めて紹介されたのは、現時点で確認できた限りでは、1888年に米国で出版された「The Bartender's Manual」(Theodore Proulx著)です。レシピは「グラス(の底)に角砂糖2分の1個を入れ、(少量の)水とビターズを加えて潰す。お好みでシロップやアブサンを加えてもよい。大きめの氷1個もしくは(適当な大きさの)氷を2~3個入れ、1Jigger(45ml)のウイスキーを加える。ねじったレモンピールを添えて」とあります。 「お好みでシロップや、アブサンも」という点が現代とは少し違いますが、現代でもバーテンダーによってレシピは微妙にアレンジされることも多く、オールド・ファッションドは作り手の個性がよく現れます。 参考までに、1890年代~1930年代の主なカクテルブックで、オールド・ファッションドのレシピがどのように変化していったかを見てみましょう。・「Bartender's Manual」(Harry Johnson著、1890年刊の改訂版から収録。初版<1882年刊>には収録されていません)米 ウイスキー1Wine Glass、キュラソー1~2dash(もし求められればアブサンでも可)、ボウカーズ・ビター2~3dash、シュガー4分の1tsp、角氷2個、レモン・ピール(ビルド)・「Modern American Drinks」(George Kappeler著、1895年刊)米 ウイスキー1Jigger(45ml)、角砂糖1個、アンゴスチュラ・ビター2dash、角氷1個、レモン・ピール(ビルド)・「Daly's Bartender's Encyclopedia」(Tim Daly著、1903年刊)米 バーボン(またはライ)・ウイスキー2分の1Wine Glass、角砂糖1個、アンゴスチュラ・ビター2~3dash、小さな角氷1個、レモン・ピール(ビルド)・「Bartender's Guide:How To Mix Drinks」(Wehman Brothers著、1912年刊)米 バーボン(またはライ)・ウイスキー2分の1Wine Glass、角砂糖1個、アンゴスチュラ・ビター1dash、オレンジ・ビターズ1dash、角氷1個、ソーダ少々(角砂糖を溶かすため)、レモン・ピール(ビルド)・「173 Pre-Prohibition Cocktails」(Tom Bullock著、1917年刊)米 バーボン・ウイスキー1.5Jigger、アンゴスチュラ・ビター2dash、角砂糖1個、角氷1個、レモンの皮のスライス1枚(ビルド)・「ABC of Mixing Cocktails」(Harry MacElhone著、1919年刊)英 ライ・ウイスキー1Glass、アンゴスチュラ・ビター4dash、粉砂糖1tsp、角氷1個、レモンの皮のスライス1枚(ビルド) ※角砂糖ではなく「粉砂糖」を指定しているのが興味深いところです。・「Cocktails:How To Mix Them」(Robert Vermeir著、1922年刊)英 ライ・ウイスキー4分の3Gill(※「Gill」は昔の液量単位。1gillは、英国では142ml。※米国では120ml)、アンゴスチュラ・ビター(分量明記なし)、角砂糖1個、角氷1個、レモン・ピール(ビルド)・「The Savoy Cocktail Book」(Harry Craddock著、1930年刊)英 ライ・ウイスキー(またはカナディアン・クラブを)1Glass、アンゴスチュラ・ビター2dash、角砂糖1個、角氷1個、レモンの皮のスライス1枚(ビルド) 「オールド・ファッションド」は、近年のクラシック・カクテル再評価ブームに伴って、欧米やアジアの大都市では、いま人気カクテルの一つとなっています(人気ランキングでは常に1位か2位!)。ロンドンやニューヨークのカクテル・バーでは、毎日10杯、20杯と注文が出るそうですが、なぜなのか日本ではさほど注目されないカクテルです。 日本には19世紀末には伝わったと思われますが、文献で確認できるのは、20世紀初めになってからです。オールド・ファッションドは非常にシンプルなレシピですが、「スタンダード」があってないようなカクテルなので、作り手のアレンジ次第で様々に変化する可能性を持っています。今後も、新たな面白い「オールド・ファッションド」が誕生することを期待しましょう。 【確認できる日本初出資料】「洋酒調合法」(高野新太郎編、1907年刊)。※「欧米料理法全書附録」という形での出版物。そのレシピは「バーボン・ウイスキー1ジガー(45ml)、ボウカーズ・ビター1dash、角砂糖4分の1個分、氷、オレンジの皮一切れ」となっています。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/08/13
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最近テレビなどで、映画「タイタニック」が3D版になってリバイバル上映されるというニュースが話題となっているので、うらんかんろもタイタニックがらみの話題を一つ。 豪華客船「タイタニック号」=写真左((C )Croydon Photo Center )=の悲劇(1912年=明治45年=4月15日、処女航海でニューヨークへ向かう途中、大西洋上で氷山と衝突して沈没)には、昔からとても興味がありました。 有名な「A Night To Remember」(邦題「タイタニック号の最期」、原著は1955年刊)というタイタニック号の悲劇を記した有名な本(ノンフクション)は、中学生の頃から何度も読みました(昔、NHKで放送していた「タイムトンネル」という番組も、1966年の第1回がタイタニックの悲劇の航海が舞台で、これも興味深く観ました)。 1997年春、僕はかつてホームステイしていた米コネチカット州の家族の息子が結婚するというので、その結婚式に出席するために、米国へ向かいました。コネチカットではわずか数日の滞在でしたが、帰途、当時ニュージャージーに住んでいた友人夫婦を訪ねてさらに2泊し、ニューヨークでも若干Bar巡りなどをしました。その時、たまたま立ち寄ったマンハッタンの本屋さんで興味がわいて買ったのが、その年発売されたばかりの「Last Dinner On The Titanic」という本(写真右下)でした。 この本は文字通り、タイタニック号船内のレストランでのメニューや料理内容等を紹介したもので、とても興味深い、価値ある資料と言っていいものです(1999年には日本語版も出版されましたが、今でも書店で販売しているかどうかは分かりません。アマゾンでは中古本で買えるようです)。 個人的には料理自体よりも、乗客たちがどんなお酒(ドリンク類)を飲んでいたのかにとても興味があって買ったのですが、残念ながら、この本では、船内で出されていた具体的なお酒については、銘柄も含めてほとんど触れられていません。 わずかに、約70種類のシャンパンと約110種類の赤、白のワイン(フランス産やドイツ産、イタリア産がメイン)が積み込まれていたということと、カクテル(Mixed Drink)は1912年当時すでに人気があり、ファーストクラスの乗客らは食前酒として楽しんでいたこと(肝心のカクテル名は不明)、食後にはポート・ワインが好まれたことなどくらいしか記述は見当たりません。 そんな中で、この「パンチ・ロメーヌ」は、詳しいレシピが紹介されている唯一のドリンクです。この本では、1912年4月14日、タイタニック号の一等船客のための最後のディナー(コース)で、6番目のメニューとして登場し、メイン料理(5番目)の次に出されたと記されています(ちなみに、この後、ローストした小鳩(Squab)、アスパラガスのサラダ、フォアグラ、デザートと続きます)。 タイタニック号が沈没して今年で100年。今も海底に眠る船と約1500人もの乗員、乗客たちのことを偲んで(救助された生存者は約700人でした)、今夜はこの「パンチ・ロメーヌ」を味わってみてはいかがでしょうか。メニューでは飲む際に、「お好みでラム酒をかけて」と記されています。レシピは以下の通りです(本では、8人分の量で紹介されていますが、うらんかんろは、使いやすいように2人分で換算して記しました。それでも量が結構多い!)。 クラッシュド・アイスを入れてブレンダーでつくるため、出来上がりはパンチというより、口直しのシャーベットのような雰囲気ですが、お酒はしっかり入っています(レシピ中の単位:1Cup(カップ)=250ml)。 <材料>(2人分)クラッシュド・アイス 1.5Cup シャンパンまたはスパークリング・ワイン 約130ml 白ワイン 約60ml シンプル・シロップ 約60mlフレッシュ・オレンジジュース 20ml レモンジュース 1.5 teaspoon(約7~8ml) ホワイト・ラム(お好みで) オレンジピール(縦に裂いたもの) <つくり方>1.ブレンダーにクラッシュド・アイス、シャンパン、白ワイン、シロップ、オレンジジュース、レモンジュースを入れ、十分に混ぜ合わせる2.カップに取り分け、お好みでラムをスプレーする。最後にオレンジピールを飾る ※シンプル・シロップのつくり方1.大きな鍋に砂糖2Cupと水1Cupを入れる。砂糖が完全に溶けるまでゆっくりと混ぜながら、中火で煮る2.沸騰したらさらに約1分間、シロップが透明になるまでさらに混ぜ合わせる。火を止めてコンロから鍋を下ろして、冷ます【追記1】タイタニックが沈んだ1912年、僕にとっての偉大なバーテンダーの先達、ハリー・マッケルホーン(パリの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の創業者)はパリから船でニューヨークへ向かいます。もし、マッケルホーンがタイタニックに乗っていたら、あの歴史と伝統あるバーも誕生しなかったわけですが、この偶然に少し驚きます(マッケルホーンはその後、再びパリに戻り、自身の店を「世界で一番有名な街場のバー」にしたことは言うまでもありません)。【追記2】これは比較的よく知られている話ですが、はっぴいえんどやYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に在籍した音楽家・細野晴臣さんの祖父、細野正文さん(当時、鉄道院主事)はこのタイタニック号に日本人として唯一乗船していました(当時42歳)。細野さんは幸い救助され、帰国できましたが、「女子供を押しのけて助かった卑怯者」という非難を受けました。そのため鉄道院も解雇され、その後は不遇の人生を送りました。 その後、「そうした非難は事実ではなかった」ということが判明し、英国のタイタニック財団からも細野氏の「名誉回復」は認められたということです。もし彼が船と運命を共にしていれば、音楽家の孫もこの世に存在しなかったわけで、人間の運とか、運命とは何かをしみじみ考えさせられます。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/04/06
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先日、再び出張で福山(広島県)を訪れた。今回は1泊だったので、電車で20分ほどの距離にある、尾道の老舗・名Bar「暁」にお邪魔するつもりでいた。 尾道の「暁」と言えば、1945年開業、映画の街・尾道を舞台にした映画にもたびたび登場している、全国的にもとても有名な老舗Barである。以前から、一度は訪れてみたいと願ってきた。そして僕は、今回の出張で実現させようと計画した。ところが前日の夜、念のために電話してみても、応答がない。嫌な予感がしてネットで情報を調べてみると--。 何人かの方が、「暁の閉店」を惜しむ記事を書かれていた。読めば、店を閉じたのはことし2月末で、マスターの体調不良が理由だという。ただし完全な閉店ではなく、「一時閉店」なのだとか。 「こんなことなら、もっと早く行っておくべきだった」。悔やんでも悔やみきれない事実だった。しかし、ネット情報をもう少し詳しく読むと、暁には福山に支店があり、そちらは営業しているとある。それなら行かない手はない。あの暁の支店なら、雰囲気が悪い店のはずがない。尾道・暁の再開見込みについても、少しは情報が得られるかもしれない(写真左上=暁・福山店)。 で、福山の支店の営業を電話で確認した後、早速お邪魔した。電話に出たのは年配の女性だったが、店にいたのは年配の(マスターらしい)男性と女性の2人。 来意を告げて、「尾道の店の再開の見通しはどうなんでしょうか?」とその男性に尋ねる。すると、なんとその男性こそ、尾道「暁」マスター・佐藤軍治さん(66)で、女性は奥様だった。「体の具合がいまいち良くなくてねぇ…。またよくなったら再開しようとは思ってるんだけどねぇ」とマスター。聞けば、病気の後遺症で片足が不自由なのだという(確かに、歩くのが少し辛そうでした)。 しかし、福山の「暁」の雰囲気は、写真でもよく分かるように、尾道の本店にも勝るとも劣らない。オープンは1966年で、その後83年に現在地に移転したという。壁という壁はほとんどがウイスキー棚でボトルがぎっしり。その数は3千本以上とも。 しかも天井には、尾道店と同じように、たくさんのノベルティの灰皿が針金で止められ、ディスプレーされている=写真右。なぜか帆船の模型もぶら下がっている。その数と迫力に、ただただ圧倒されるのみ。 「尾道の店の飾ってるボトルは、ほとんどがホコリをかぶっていますが、こっちの方は一応きれいですよ」と笑わせてくれるマスター。何十年も前のボトルがごろごろ。これだけ集めるのにかかった時間と情熱を考えると、言葉を失う。 ご存じのようにマスターは2代目。尾道の本店のボトルはほとんど、亡くなった初代マスターのお父様が集めたという。「最初はサラリーマンをしていて、オヤジの仕事を継ぐことになるとは思いませんでした」としみじみ語るマスター。 福山の支店は、これまでもっぱら奥様が中心となって営んでいたが、今回、夫婦で営むことになった。だからかどうか分からないが、店内にはアットホームな温かい雰囲気に溢れ、居心地がいい(写真左=マスターの佐藤軍治さん)。 スコッチのハイボールを1杯頂いた後、せっかくだから、暁のオリジナル・カクテルをお願いする。ネーミングにひかれて前から飲みたかった「沈黙の艦隊」=写真右=を。 2種類のウオッカにブルー・キュラソー、グラスの底に緑色したマラスキーノ・チェリーを沈める。このチェリーは潜水艦を模しているんだとか。潜水艦に見えるかどうかは、貴方の想像力次第。度数は結構高いのに、爽やかで、きりっとしていて、意外と飲みやすい。ちなみにオリジナル・カクテルには、店の名にちなんだ「暁」というのもある(こちらは「パルフェタムール」というリキュールを使う)。 あまりの居心地の良さもあって、マスターや奥様と話し込み、気が付けば1時間半以上お邪魔していた。今回、尾道の本店には行けなかったけれど、この福山で、佐藤マスターと会えたのは幸運で、何よりも嬉しい(写真左=トイレの壁には、柳原良平さんが来訪時に描いたアンクルトリスの色紙も)。 マスターどうか無理せずにしっかり体を治されて、体調が戻ったら尾道の本店もぜひ再開させてくださいねー。あの暁・本店は、尾道にとっては「文化財」のような存在で、Bar愛好家には「宝」のような酒場なのだから。【舶来居酒屋・暁(福山店)】広島県福山市入船町2丁目5-5 電話084-923-2104 午後7時~午前2時 日休 新幹線福山駅からタクシーなら南東へ5分ほど。徒歩なら15~20分くらいです。【追記】その後、尾道に行く機会がありましたので、閉店中の「暁・尾道本店」を撮ってまいりました=写真右。こういう歴史と伝統のある店がこのまま消えてしまいなんて、想像したくもありません。「どなたかが後を継いでもらえたら」というのが、僕も含めBarを愛する人間の共通の願いだと思います。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2008/06/29
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馴染みのBarでマスターが「こんなん入ったんですが、やってみますかー?」と言ってきました。それはお酒ではなく、“道具”です。「スウィズル・スティック」と言います。 「これ使って、ラム・スウィズルつくってみましょか?」と。ラム・スウィズルは、19世紀末からある古典的なカクテルです。 「スウィズル(Swizzle)」の語源は、 Switch(小枝)が転訛したものといわれ、“ちょっとそこらの枝で、グルグルかき回した飲み物”ということらしいです。 スウィズル・スティックは、三つまた、あるいは四つ・五つまたに分かれた熱帯樹の小枝のことで、一種のマドラーです。 マスターが見せてくれたスティックは真っ白な色をしていたので、そのように見せて作ったプラスチック製なのかと最初思いましたが、見てみると、本物の枝を白く塗ったものでした。 「ラム・スウィズル」は、西インド諸島生まれと伝わるドリンクです。19世紀のカクテルブックにも登場する、長い歴史を持ったカクテルです。 ラムなどのベース・スピリッツに、ライム(レモン)・ジュース、砂糖、ビターズなどを注ぎ、氷(クラッシュド・アイス)を加え、スウィズル・スティック(Swizzle Stick)で、グラスの外側に霜がついたような状態になるまで、急速にかき混ぜてつくります。 激しくかき回すので、お酒に気泡がいっぱい入って、とてもなめらかな味わいになっていました。爽やかな夏向きの飲み物です。皆さんも、もしスウィズル・スティックがあるBarに行かれたら、ぜひ頼んでみてください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/06/08
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82.サイレント・サード(Silent Third)【現代の標準的なレシピ】(液量単位はml)スコッチ・ウイスキー(30~40)、コアントロー(またはホワイト・キュラソーかトリプルセック)(15)、レモン・ジュース(15) 【スタイル】シェイク サイドカーのスコッチ・ウイスキー版です。1930年代前半に、英国とカナダでコアントローの独占販売権を持っていたガース・グレンデニング(Garth Glendenning)という英国の実業家が考案したと伝わっています。グレンデニングの会社は、60年代の前半に独占販売権を手放すまで、このカクテルをPRして、コアントローの販売促進につなげたといいます(出典:欧米の専門サイト「The Cigar Smoking Man.com」)。 「サイレント・サード」という名前は、グレンデニングが、彼の愛車「Railton」のサード(トップ)・ギアがとても静かでスムースだったのを自慢したことに由来します(出典:同)。「『物言わぬ第三者』という意味」と解説している国内のサイトも目立ちますが、最初に誰かが書いた間違った説が定着し、一人歩きしてしまった例の一つでしょう。 「サイドカー」の陰に隠れてしまっているせいか、欧米のカクテルブックで収録している例はなぜか少なく、確認した限りでは、1937年に英国で出版された「カフェロイヤル・カクテルブック(Café Royal Cocktail Book)」(W.J.Tarling著)くらいで、「カクテルブックではこの本が初出」と紹介している専門サイトもありました(ちなみに、レシピは「スコッチ・ウイスキー、コアントロー、レモン・ジュース各3分の1ずつ<シェイク>」となっています)。 「サイレント・サード」は欧米の専門サイトでは、多数紹介されていますが、そのレシピは実に様々です。例えば、「Diffordsguide.com」では、「ブレンディド・ウイスキー30ml、トリプルセック(ホワイト・キュラソー)20ml、レモン・ジュース15ml、冷たいミネラルウォーター10ml、レモンピール」となっています。 なお、スコッチ以外のウイスキー(バーボンやカナディアン等)を使う場合は単に「ウイスキー・サイドカー」と呼ばれます。スコッチ・ウイスキーをアイラ系モルトに替えるレシピも最近は人気があり、「スモーキー・サイドカー」という言い方もあります。 日本で知られるようになったのは、戦後の1980年代以降です。バー現場では結構知名度があるカクテルですが、カクテルブックでの収録例はなぜか数えるほどです。個人的には、とくにアイラ系モルトウイスキーをベースにした「サイレント・サード」はとても好きです。国内のバーでも、もっと広まってくれたらいいなぁと願っています。【確認できる日本初出資料】「マイ・スタンダード・カクテルズ」(内田行洋ら3氏共著、2004年刊)。そのレシピは「スコッチ・ウイスキー2分の1、コアントロー4分の1.レモン・ジュース4分の1(シェイク)」となっています。 ※もっと早い時期に国内で紹介している本があればご教示ください。
2018/04/21
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Bar UKマスターから改めてのお願いです。 バーUKは、お酒の味と香りを楽しむことを大切にする空間を目指しています。 なので、葉巻(シガー、シガリロ)、パイプ煙草、臭いのキツい煙草は店内では一切お断りしております。普通の煙草もカウンターは全面禁煙で、唯一、テーブル席とスタンディング・カウンターのみ喫煙可です。 このルールをお守り頂けない場合は、大変残念ですが、ご退店頂くことになります(幸い、ルールを破ったためご退店をお願いした方はまだございませんが…)。 以上、何卒よろしくお願いいたします。
2017/02/22
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95. エイローコクテール【注119】 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に アプリコット・ブランデー 三分の一オンス エイロー・シャートリユーズ 三分の一オンス アブサン 三分の一オンス を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注いですすめる。【注119】「エイロー(「イエロー」のことを前田氏はこう表記する)コクテール」は、現時点では前田氏の本でしか見られないカクテルである。………………………………………………………………………………………………………96. エイローラットレコクテール【注120】 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に ゴルドン・ドライジン 三分の二オンス マルテニー・ロシー・ベルモット 三分の一オンス オレンジビタ 一振り 薄荷の葉 二葉 オニオン 小キザミ少量 を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注ぎ、之にレモン皮の小片を搾り込んですすめる。【注120】「エイローラットレコクテール」は、サヴォイ・カクテルブックにも「イエローラットレー(Yellow Rattler)・カクテル」の名で登場するが、そのレシピ(ジン、ドライベルモット、スイートベルモット、オレンジジュース各4分の1ずつ)は前田氏のとかなり異なっている。前田氏が何を参考にしたのかは不明。………………………………………………………………………………………………………97. HPWコクテール【注121】 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に 伊太利ベルモット 三分の二オンス ジン 三分の一オンス オレンジ 小片 を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注いですすめる。【注121】「HPWコクテール」は、サヴォイ・カクテルブックにも登場するが、レシピはスイートベルモット、ジン各2分の1ずつで、前田氏のと少し異なる。………………………………………………………………………………………………………98. HSコクテール【注122】 調合グラスに約半分の砕き氷を入れ之に ジン 二分の一オンス フレンチベルモット 二分の一オンス オレンジビタ 三振り マンダーリン 二振り ガムシロップ 一振り を加え、バースプーンにてよく攪き廻したる後、コクテールグラスに漉し、之にレモン皮の小片を搾り込んですすめる。【注122】「HSコクテール」は、現時点では前田氏の本でしか見られないカクテルである。………………………………………………………………………………………………………99. XYZコクテール【注123】 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に ジン 三分の一オンス 伊太利ベルモット 三分の一オンス フレンチベルモット 三分の一オンス レモンジュース 一個分 を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注ぎ、之にプレーンシロップ或いはガムシロップの少量を加えてすすめる。【注123】「XYZコクテール」は、ハリー・マッケルホーンのカクテルブックにも登場する古典的カクテルの一つで、現代でもなおラム・ベースの人気カクテル(ラム+ホワイト・キュラソー+レモンジュース)だが、前田氏のレシピはジン・ベースである。このようなレシピは、同時代の日本のカクテルブックには見られるが、海外のカクテルブックでは現時点では見当たらない。………………………………………………………………………………………………………100. エールコクテール【注124】 調合グラスに約半分の砕き氷を入れ之に オールドトム・ジン 一オンス オレンジビタ 三振り アンゴスチュラビタ 二振り レモン皮 一片 を加え、バースプーンにてよく攪き廻したる後、之に少量の平野水を加え、ワイングラス若しくはシャンペングラスに注いですすめる。【注124】「エールコクテール」は、現時点では前田氏の本でしか見られないカクテルである。似た名のカクテルで「イェール(Yale)」があるが、レシピはジン45ml、ドライベルモット15ml、ブルー・キュラソー1tsp、ビターズ1dashとなっており、前田氏のとはかなり異なっている。………………………………………………………………………………………………………101. デュボンネットコクテール【注125】 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に デュボンネット 三分の一オンス セリー 三分の一オンス フレンチベルモット 三分の一オンス アンゴスチュラビタ 一振り オレンジビタ 一振り を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注ぎ、之にオレンジ皮の小片を搾り込んですすめる。【注125】「デュボンネット(デュボネット=Dubonnet)コクテール」は、ハリー・マッケルホーンのカクテルブックにも登場する古典的カクテルの一つであるが、そのレシピはデュボネット3分の2、ジン3分の1で、前田氏のレシピとは少し異なっている。………………………………………………………………………………………………………102. デプロマットコクテール【注126】 調合グラスに約半分の砕き氷を入れ之に フレンチベルモット 三分の二オンス 伊太利ベルモット 三分の一オンス マラスチノー 一振り を加え、バースプーンにてよく攪き廻したる後、コクテールグラスに漉し、之に一個のマラスチノー・チェリーを加え、尚ほレモン皮の小片を搾り込んですすめる。【注126】「デプロマットコクテール」は、1910~20年代には欧米で飲まれていたカクテルであるが、紹介しているカクテルブックは意外と少ない。前田氏のレシピは、欧米の標準レシピとほぼ同じである。………………………………………………………………………………………………………103. デップセアコクテール【注127】 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之に オールドトム・ジン 二分の一オンス フレンチベルモット 二分の一オンス アブサン 一振り オレンジビタ 一振り を加え、よくセークしたる後、コクテールグラスに注ぎ、之に一個のオリーブを入れ、尚ほレモン皮の小片を搾り込んですすめる。【注127】「デップセアコクテール」は、現代の表記では「ディープ・シー・カクテル」。第一次大戦中の潜水艦にちなんで考案されたと伝わるが、作者は不詳。日本国内のカクテルブックにも1920年代から登場するが、なぜか海外のカクテルブックではあまり取り上げられていない不思議なカクテル。なお、フレンチ(ドライ)ベルモットの代わりにスイートベルモットを使うレシピもある。………………………………………………………………………………………………………104. デヴィルコクテール【注128】 コクテールセーカに二三塊の氷を入れ之にブランデー 二分の一オンスクレームデミント或いはピパーミント 二分の一オンスアブサン 一振り オレンジビタ 一振りを加えよくセークしたる後、コクテールグラスに注ぎ、胡椒の一摘みを加えてすすめる。【注128】「デヴィル(デビル=Devil)コクテール」は、欧米に同名のカクテルがあるが、そのレシピはドライベルモット30ml、ルビー・ポート60ml、レモンジュース1dashと前田氏のレシピとまったく違う。現時点で知る限り前田氏のレシピは初出であるが、創作かどうかは不明。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2011/04/20
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先日、行きつけのとあるBarで、うらんかんろは、バック・バーの棚に見慣れないボトルがあるのを見つけました。ラベルには、筆文字で「博多」と書いてあります=写真。 「そのボトル、何なん?」と僕。「あっ、これはお客さんが買ってきてプレゼントしてくれたんです。博多(エリア)限定で販売されている、ニッカのモルト・ウイスキーやそうです」とマスター。 「限定」という言葉を聞くと、僕はとても弱いのです。「へぇー!、こんなん初めて見たわ、飲んでみたいなぁー、1杯ストレートでちょうだいなー」と、早速お願いしました。 第一印象は「とにかく、バランスがとれていて、甘さも程よく、喉越しがいい」というもの。度数は43度。値段はいくらなのかは正確には知らないのですが(8000~9000円という説も)、とてもよくできた芳醇なモルト・ウイスキーです。 ボトル裏のラベルには「大麦麦芽100%を使ったモルトをホワイトオークの樽で熟成させた」としか書いてなくて、詳しい成り立ちはあまりよく分かりません。ただ、ニッカのHPで少し手がかりを得ました。 2005年頃から博多地区限定で、販売が始まっていて、中味は「余市と宮城峡のモルトをバッティングしてつくった、とても香りの高いピュア・モルトです。瓶詰めは柏工場でおこなっています」とのこと(他にも仙台限定の「伊達」というニッカのモルト・ウイスキーもあるらしいです)。 博多へ行けば、有名どころのBarではたぶん飲めるかもしれませんが、関西では果たして他に置いている店はどれくらいあるでしょうか。ウイスキー好きの皆さんはぜひ、見つけたら味わってみてほしいです。ほんと美味しいです。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/05/04
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久しぶりに言葉の話題。関西以外の方は、関西弁なんて、関西へ行けばどこでも話されているし、地域でそう大きな違いはないと思っている人も多い。 確かに、いわゆるイントネーションだけで言えば、奈良出身の明石家さんまも、兵庫・尼崎出身のダウンタウンも、大阪市出身の綾戸智絵も、三重・名張育ちの平井堅(生まれは大阪だそうです)も、みんな同じ関西弁を喋っているように聞こえる。 しかし、実はそうではない。関西弁と言っても、地域ごとに微妙に、かなり違うということを知ったのは、なかでも神戸弁というのがあることを知ったのは、大学生になってからである(写真左上=神戸は港から発展した。海から見る景色は今も魅力的だ) 生まれは京都の僕だが、高校までは大阪だったので周りの友達も、大阪弁を話すエリアに住む友人がほとんどだった。たまに東京から転校生があると、クラスは、それは凄い騒ぎだった。聞いたことのない東京弁を、面白がって真似する子も多かった(写真右下=元町の旧外国人居留地には、今ではおしゃれなブランド・ショップなどが集まる。唯一今も残る洋館は、阪神大震災で全壊したが、部材を再利用してよみがえった)。 大学には、兵庫県の高校出身の同級生がたくさんいた。とくに神戸、長田、御影という有名な3つの県立高校から進学してきた人が多かった。彼らが話す関西弁は、もちろん僕には理解できたが、ところどころに、僕がそれまで聞いたことのない言い回しや単語があり、「あれ?」と思うことが時々あった。 それが「神戸弁」という、関西のある地域でしっかりと確立している方言であることを、僕は程なく知った。神戸弁のなかでも、僕が聞いて一番驚いたのは、(典型的な神戸弁でもあったのだが)例えば、動詞の語尾変化の「~とう」。 「~とう」は、標準語では「~ている」という意味。「知っとう」「書いとう」「来(き)とう」「見とう」「取っとう」などと言う。話すとき語尾を上げれば、そのまま疑問文にもなる。この「~とう」という言葉(表現)は大阪や京都では絶対に使わない。 また、標準語で「来ない」を、大阪弁では「けーへん」、京都弁では「きやへん」と言うが、神戸弁になると「こやへん」になるということも初めて知った。あと、「べっちょない」(心配ないよ、大丈夫だよ)という言葉も、(播州方面でもよく使うようだが)最初は意味が分からなかった(写真左=神戸と言えば、異人館。その代表格とも言える「風見鶏の館」) 「アホ」「バカ」に当たる言葉にも、「ダボ」という神戸弁独特の単語があるが、「ダボ」には、相手を威圧・軽蔑するというよりは、自虐的な意味もある(だから、自分に対しても使う)。あまり食べるところは少ないけれど、すぐエサに食い付いてくれる「ハゼ」のことを、「ダボハゼ」なんて言うこともあるが、これも語源は同じかもしれない。 神戸弁には、他にも面白い言い回しや言葉がたくさんある。「どないしょ(ん)?」(=どうしたの?)は、知り合い同士なら、挨拶代わりにでも使える。よく似た言葉で、「なんどいや?」(なんですか?)というのもよく使う(写真右下=開港以来、多くの外国人が住み着いた神戸。中華街=南京町=は今や神戸観光の人気スポットだ)。 「せんどぶり」(ひさしぶり)、「なしたまぁ」(おやまぁ)、「やっと」(たくさん)、「だんない」(大丈夫だよ)なども、神戸エリアでしばしば耳にする(最後の「だんない」は、地理的に近い徳島でもよく聞かれるけれど…)。 では、大阪弁と神戸弁はどの辺りが境界線なのか。阪神間の芦屋はどちらかと言えば、神戸弁。尼崎はほぼ完全に大阪弁。芦屋と尼崎の中間の西宮市辺りになると、神戸弁と大阪弁を喋る人々が混ざり合い、コミュニティを形成し、両方の言葉を聞くことができる。だから、この辺りが神戸弁と大阪弁の境界かもしれない。 神戸弁を聞きたければ、三宮か元町辺りを歩くといい(異人館の辺りは他県からの観光客も多いので、あまりおすすめはできない)。旧居留地辺りをゆっくりと散策して、これらの「神戸・お国言葉」が聞けば、きっと「あぁ、港町・神戸に来たんだなぁ…」と実感するはずである。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2005/08/30
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クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young 以下、CSN&Y)って言っても、洋楽では、少しマニアックな世界に入るかもしれない。1960年代後半に結成され、メンバーの平均年齢が61.2歳になった今も活動をし続ける、息の長いユニット。 でも、僕にとっては青春そのもの。14年前、クロスビー、スティルス&ナッシュの3人での来日ツアーがあったが、僕は、自分の青春時代がプレイバックするような感動に震えた。(3人とも結構太めになって、いいおっさんになっていたのは、少々哀しかったが…)。 米ウェスト・コーストのロック・バンド、「Byrds」のデビッド・クロスビー<David Crosby>、同じく「Baffalo Springfield」のスティーヴン・スティルス<Steven Stills>、そして英国のバンド、「Hollies」のグラハム・ナッシュ<Graham Nash>という、当時それぞれ、一応名をなしていた英米の3人が集まって、1968年、鮮烈にデビューした。 ファースト・アルバム(写真左)を発売した直後の69年の夏には、あの伝説のコンサート、「ウッドストック(Woodstock)」にも出演した(同名の映画では、ステージで歌う彼らの姿が見られる)。そして、その後間もなく、スティルスと同じバンドにいたニール・ヤング<Neil Young>が加わり、4人でのユニットとなった。 彼らの音楽の特徴は、やはり美しいハーモニー。それまでのロック・バンドと言えば、メーン・ボーカリストが歌って、それ以外メンバーは曲のサビあたりで、少しコーラスを付ける、という程度のことが多かった。 しかしCSN&Yは、4人がそれぞれ対等の立場でボーカルをとり、曲のほとんどの部分で、3部のハーモニーを聴かせるという、凝ったことに挑んだ最初のバンドだったかもしれない。時々エレクトリック・ギターも使うが、基本はアコースティック・ギターを生かしたアレンジ。それが、当時はとても新鮮だった。 2人の友人と僕が学生時代につくっていた「木の葉がくれ」という名前のバンドも、男声3人のトリプル・ボーカル。だから、CSN&Yはとてもいいお手本で、彼らの曲のコピーはとても勉強になった。バンドメンバーのAがレコードを聴いて採譜し、3部のハーモニーを五線譜におこした(僕にはそういう才能はなかったので、Aにお任せだった)。苦手なおたまじゃくしを追いながら、よくコーラスの練習をした。 「青い眼のジュディ<Judy; Blue Eyes>」「Helplessly Hoping」「Teach Your Children」「Carry On」等々。僕は当時、一番上のパートを担当することが多かったが、今では残念ながら、あまり高い声は出せなくなった。 CSN&Yの曲のなかでも、僕は、ナッシュがピアノを弾きながらメーンボーカルをとる、「Our House」という曲が、大好き(写真右の、「Deja Vu」というヤングが初めて加わった1970年のアルバムに収録されている)。 この曲は、コロンビア大学の学園紛争を描いた映画、「いちご白書」の中の挿入歌でもある。主人公のカップルのラブ・シーンのバックで使われていたが、うっとりするくらい美しいメロディー。僕も、BARでの弾き語りでときどき歌う(ばんばんの「いちご白書をもう一度」という曲のおかげで、映画は有名になったが、実際に映画を観たという人は、意外に少ない…)。 最近、1960~80年代の名曲がCMで使われてブレークし、昔のアルバムが再発されたり、なんてことがよくある。アル・クーパーの「Jolie」やホール&オーツの「Private Eyes」や、先日も触れたが、キャロル・キングの「Home Again」なんかがそう。 「Our House」も上の3曲に負けないくらいの美しいメロディー。僕はそのうち、どっかのCMで、この曲がバックで使われるんじゃないかと、睨んでいるんだけれど。
2005/01/27
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忙しいことを理由にブログ更新を怠けてしまっていました。しばらく、まともな日記を書いておりません、すみません。そこでとりあえず、最近お邪魔した(している)BARで、ブログ未掲載の店をまとめて紹介いたします。いろんな地域の店が混じっていますが、ご容赦を。大阪:【British Pub BITTER】 懇意にしてもらっているミナミのBar・OTISが、同じビルの地下に昨年末オープンさせた本格的パブ。OTISとは違ってノーチャージのスタイルにし、料金も抑え気味にしたのは「気軽に楽しんでいってもらいたい」というFマスターの心意気の現れか。 店は3人の明るい女性スタッフが日替わりで仕切っている。基本スタンディングだが、椅子もある。生エールはもちろん、パブ・フードも日々充実して、新しいメニューにも次々挑戦中。 午後5時オープンというのも呑兵衛には嬉しいし、15~20人は入れる広めのキャパだから、グループでもOK。本店のOTISも今月、めでたく17周年を迎えた。気さくなFマスターの新たなチャレンジに心からのエールを送りたい(店の目印は地下へ下りる階段横の青いロゴ入りテントです)。 京都:【Bar YANAGI】 最近、京都でとても気に入っているBARの一軒。河原町の喧騒から少し外れた住宅街の中にあるが、1Fなので隠れ家BARというほどでもない。でも、その落ち着いた店の雰囲気とマスターのほのぼのとした人柄が好きで、うらんかんろは時々お邪魔している。 実はこのBAR、元々、同じ京都の北山エリアで、「アニー・ホール」という知る人ぞ知る人気店だった。しかし、マスターの思うところがあって、数年前に現在の高倉通夷川(御池通りそば)に移転してきた。 最寄の駅は強いて言えば、阪急・烏丸または京都市営地下鉄の烏丸御池。そこから歩いても15分近くはかかる。しかし、その15分をかけても行く値打ちのある酒場であることは間違いない。少なくとも僕はいつもそう思って、このBARのカウンターで至福の時間を過ごしている(お値段もとても良心的です)。徳島:【Bar ARCHE(アルシェ)】 徳島で誰もが認める名店Bar鴻(こうの)で約10年修業を積みながら、数々のコンクールでも優秀な成績をおさめ、いまや全国でもその名が知られるようになった実力派・女性バーテンドレスのMさんが、満を持して昨年6月独立した。 場所はもちろん徳島市内の秋田町エリア。師匠の店からも近い。昨年末にお祝いを兼ねて初めてお邪魔したが、訪れてみると意外と広い店内で、ゆったりとした空間。Mさんの接客は相変わらず気さくで、楽しい。スタッフはMさん以外に基本1人。週末はもう1人増えるという。「これだけ広いと週末なんて大変じゃない?」と尋ねると、「いえいえ、こういう景気ですから、大丈夫ですよ」と笑って返した。 女性オーナーの店が増えると、女性客だって1人で気軽にBARに行きやすくなるに違いない。「地道に頑張っていきます」というMさん。確かな技術と接客、そしてお客さんに愛される気さくさを生かして、新たなファンを増やしていくに違いない。徳島:【KOZO’s Bar】 東京・六本木にあるうらんかんろのお気に入りBAR「ジュ・ド・ペシュ」のYマスターから以前、「僕の高校時代の後輩で、Kという仲の良い友人が徳島でBARをやっているんです。もし機会があれば一度行ってあげてください」と聞いていた。昨年末、そのチャンスがやってきた。 店は、僕が徳島時代に毎晩のように徘徊(笑)していた富田町界隈のど真ん中にある。扉を開けると、これまでの徳島には、ちょっとなかったような(失礼!)おしゃれな雰囲気。例えて言えば、麻布十番にあるような素敵なBARっていう感じ。店が賑わっている理由も分かる気がする。マスターのKさんは福島県出身。結婚して徳島にやって来て、気に入って居ついてしまったとか。 聞けば、オープンは2005年だという。僕は毎年のように徳島にはお邪魔しているのに、灯台下暗しというか、気が付かなかった(恥)。Yさんという共通の知り合いがいることもあり、Kさんとは旧知のような気持ちになれた。元ギター弾きのミュージシャンということも、とても親近感も沸く。僕の「第二の故郷」徳島に、またお気に入りが一軒増えてしまいそうな予感がする。岡山:【Bar BAGUS】 岡山へ行ったら「いつか一度」と思っていたが、お邪魔してみると、住所が変わっていた。「いやぁ、以前店が入っていたビルでテナントが火事を出して、うちも営業再開できなくなったんですよぉ…。商品もほとんどダメになったし、ほんとにとばっちりですよぉ」とMマスター。でも僕にとっては、以前の店より岡山駅に近くなったのはありがたい。 店名はバグースと読む。マスターから「インドネシア語で最高!っていう意味なんですよ」と教えられたが、なぜインドネシア語なのかは聞き漏らした。基本はモルトBARだが、たいていのお酒はあるし、フードも充実している。 とにかくよくしゃべる、陽気なマスターは、話していると、雰囲気は大阪のBARのマスターみたい。自然と心の距離も近くなる。出張から帰ると翌日、早速礼状(葉書)が届いていた。こんな律儀さも嬉しいね。岡山:【Bar LHOTSE】 店名は難読。「LHOTSE(ローツェ)」と読み、ヒマラヤ山脈で4番目に高い山の名前らしいが、なぜそれを店の名にしたのかは、これまたマスターのTさんに聞き漏らした(ダメだなぁ…)。 ここは、岡山で親しくしているBARのマスターから紹介された。ビルの3Fにある静かなBAR。まさにオーセンティックの王道を行くような空間。マスターも、店と同じように静かで落ち着いた方だ。 ここの自慢はカクテル。スタンダードを進化させた“ひと味違う”カクテルが楽しめる。この夜はあまり時間もなく、ゆっくりお邪魔はできなかったが、盛り場の喧騒から離れて、静かにゆったりと飲みたい時には、ぴったりの店だろう。三重・津:【ブリティッシュ・パブ Pige(ピゲ)】 三重県のBARにお邪魔するなんて、滅多にない。名古屋から大阪方面へ帰る時も、いつも素通りするだけ。しかし、ようやく念願かなって昨年末、三重のBAR初訪問である。 ここは老舗の一軒で、大阪の懇意なBARのマスターからの紹介。マスターのKさんは60代後半の紳士である。パブと名乗ってはいるが、どちらかといえば、気軽なダイニングBARっていう雰囲気。その証拠に、店内の奥にはカラオケもOKの個室もある。 ご他聞に漏れず、三重も景気はいまいちらしい。店は大門という商店街の入り口付近にあるが、シャッターの閉じた店舗が目立つ。県庁所在地の津ですらこうである。でも、Pigeはお値段も良心的とあって、地元の酒好きに愛されてこの夜も賑わっていた。おそらく、Kマスターの温かい人柄が大きな理由だろうと想像する。このマスターからも、帰った数日後に礼状が届いていた。我々が普段忘れがちな「礼」の大切さを先輩方は思い出させてくれる。感謝!三重・四日市:【Bar Vintage】 せっかく三重に行って一軒だけではさびしい。しかし、三重には他にも伊勢、鈴鹿、桑名、松阪などいろんな街にBARがあり、迷う。で、迷った末に選んだのは四日市の名店。ここも大阪のあるBARのマスターから「きっと****さん好みの店ですよ」と推薦されていた。そのマスターの言葉通り、あらゆる点で、僕の波長にぴったり合う店だった。 お酒の品揃え、カクテルの多彩さ、フード、店の雰囲気、そして何よりもマスターの接客や人柄、そして何度も言うけど、そのBARを好きになるかどうかの最大のポイントはマスターの人柄であり、客である僕とマスターとの相性だと思う。 相性が合うかどうかは、まぁ20~30分もあれこれと話せば分かる。僕は30分後にはTマスターのファンになり、その後もWEB上での付き合いが続いている。Vintageは、またぜひお邪魔したいと思える一軒になることは間違いない。【British Pub BITTER】大阪市中央区東心斎橋1-6-19 YAMATOビルB1F 06-6245-2077 午後5時~午前2時 日休 【Bar YANAGI】京都市中京区夷川高倉通東入ル天守町757 075-241-4000 午後5時~午前0時日休 【Bar ARCHE】徳島市秋田町1-39-1 守住ビル1F 088-652-2080 午後7時~午前3時 不定休 【KOZO’s Bar】徳島市富田町2-34 富田町ビル1F 088-655-8256 午後8時~午前2時半 月休 【Bar BAGUS】岡山市田町2-13-10 岡田ビル1F 086-226-4656 午後6時~午前1時 日休 【Bar LHOTSE】岡山市田町1-7-24 ニュー田町ビル3F 午後7時~3時 月休 【British Pub PIGE】三重県津市大門23-4 059-229-5055 午後6時半~午前4時 日休 【Rest Bar VINTAGE 1998】三重県四日市市諏訪栄町7-18 林ビル1F 059-357-3221 午後8時~午前2時 日月休こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/02/17
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【おことわり】レシピは標準的なもので、絶対的なものではありません。文献やバーテンダーによっては違う割合、違う材料でつくっていることもあります/レシピの丸カッコ内の数字(単位)はmlです。◆カクテル ―― その誕生にまつわる逸話(2012年版:ABC順)(5) 13. バンブー(Bamboo)【2016~19年改訂新版】で記述内容を更新しました。そちらをご覧ください。 ************************************** 14.バーバラ(Barbara)【レシピ】ウオッカ(30)、クレーム・ド・カカオ(15)、生クリーム(15)、ナツメグ・パウダー(適量) 【スタイル】シェイク 【グラス】カクテルグラス 誕生の詳しい経緯・時期や命名の由来は不明だが、サヴォイ・カクテルブック(1930年刊)にも紹介されていることから、欧州では少なくとも1920年代には登場していたと思われる。 レシピからわかるように、「アレクサンダー」カクテルのウオッカ版。かつては「サンタ・バーバラ」とも呼ばれたが、現在では「バーバラ」が一般的。ウオッカを使うこともあって、「ルシアン・ベア(ロシアの熊)」の異名を持つカクテル(出典:欧米の専門サイト)だが、「バーバラ」の名の方で知られている。 ワインベースでも同名のカクテルがあるが、知名度は低い。日本ではあまりポピュラーでなかったためか、1950年代以前のカクテルブックでは紹介例は見当たらない。 【確認できる日本初出資料】オーソドックス・カクテルズ(落合芳明著、1955年刊)。 ************************************** 15. ベボー・カクテル(Bebbo Cocktail)【レシピ】ジン(30~40)、ハチミツ(10)、レモン・ジュース(10)、オレンジ・ジュース(10)【スタイル】シェイク 【グラス】カクテルグラス 禁酒法時代(1920~1933)の米国で誕生したと伝えられる。同時代の「Bee's Knees」というカクテルのバリエーションとして誕生したという説が有力(出典:欧米の複数の専門サイト。ちなみに「Bee’s Knees」のレシピは「Bebbo」のオレンジ・ジュース抜き)。 「Bebbo」という風変わりな名前については「語源や由来は不明」としている文献やサイトが多い。「インドのある地方言語で『カエル(Frog)』を意味する」と紹介する欧米の専門サイト(出典:ourlibatiousnature.comほか)もあったが、真偽のほどは定かでない。 ハチミツやジュース類を多く混ぜたのは、禁酒法時代、闇で流通していた粗悪な密造ジン(通称「バスタブ・ジン」)の味をごまかすためと、ジュースのような見かけにして取り締まり当局の目をごまかそうという2つの目的があったと言われている。 欧米ではこのカクテルを紹介している専門サイトは多いが、意外なことにカクテルブックでの収録例は少なく、確認できた限りでは「Vintage Spirits and Forgotten Cocktails」(Ted Haigh著、2009年刊)くらい。 【確認できる日本初出資料】現時点では見当たらない。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2012/06/20
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◆「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」にみるクラシック・カクテル 20.ヨコハマ(Yokohama) 日本発祥のカクテルとしては、1890年(明治23年)、横浜グランドホテルの支配人、ルイス・エッピンガー(Louis Eppinger)が考案した「バンブー(Bamboo)」がとても有名ですが、「ヨコハマ」は、日本の都市名がそのまま名前となった初めてのカクテルです。その構成材料は、ジン、ウオッカ、オレンジ・ジュース、グレナディン・シロップ、アニス系リキュール(アブサン、ペルノーなど)の5つ。 1930年以前に生まれたクラシック・カクテルでウオッカを使うものは極めて少ないのですが、この「ヨコハマ」はその数少ない例の一つです。現時点で確認した限りでは、「ヨコハマ」カクテルを初めて活字で紹介したのは、ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)のカクテルブック「Harry's ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊)です。とは言え、マッケルホーンのオリジナルではなく、欧米では少なくとも1910年代にバーの現場に登場していたと考えられています(オリジナルの場合は、マッケルホーンはその旨を記していました)。 誕生の由来や考案者等は不明ですが、横浜の外国人向けホテルのBarや社交クラブ、あるいは横浜港に寄港した外国客船内(日本~欧州間の客船での定期航路は1890年代から本格的な運航が始まりました)のBarで生まれ。欧米へ伝わったという説が一般的です。「Cocktail 101」という英語のカクテル専門サイトは「Yokohama Grand Hotel、もしくは(当時外国人居留地にあった)The United ClubやThe Columbia Clubという外国人向け社交クラブで誕生したのではないか」と記していますが、根拠資料は示していません(http://cocktail101.org/2011/09/16/27-yokohama-cocktail/)。 ちなみに、「ヨコハマ」カクテルの色合いは、横浜港の沖合いから昇る朝陽(あるいは沖合いに沈む夕陽)がイメージされたとか、日本のシンボルカラーである赤をイメージしてつくられたとも言われていますが、こちらも確証はありません。 「Harry's ABC…」で紹介されている「ヨコハマ」のレシピは、「ジン3分の1、ウオッカ6分の1、オレンジ・ジュース3分の1、グレナディン・シロップ6分の1、アブサン1dash、シェイク・スタイル」です(写真=Yokohama Cocktail @ Little Bar, Osaka)。 「Diffordsguide」という別の英語の専門サイト(http://www.diffordsguide.com/cocktails/recipe/2610/yokohama)は「ヨコハマ」について、「ウオッカを除けば、(「Harry's ABC…」にも収録されている)マッケルホーンのオリジナル、モンキー・グランド(Monkey's Gland 末尾の【注】ご参照)というカクテルとほとんど同じカクテル」とコメントしています。もちろん時系列からして、「Yokohama」が先にあって、「Monkey's Gland」は「Yokohama」にヒントを得て、マッケルホーンが考案したと考えるのが自然です(ちなみに「モンキー・グランド」のレシピは「ジン2分の1、オレンジ・ジュース2分の1、グレナディン・シロップ1tsp、アブサン1dash(シェイク・スタイル)」です)。 スタンダード・カクテルでも時代とともにレシピが微妙に変化していくことが多いのですが、この「ヨコハマ」は、レシピが現代でもほぼそのまま受け継がれている稀有なカクテルです。 今回、「Harry's ABC…」の初版本の中身を詳細にみる連載を、20回に渡って続けてきました。新たな発見も数多くありました。この「ヨコハマ」についても、その発祥の由来に関して何か手掛かりが得られるのではという期待がありました。しかし残念ながら、マッケルホーンは何も触れておらず、謎はそのまま残されました。 では、1930~1950年代の欧米のカクテルブック(「Harry's ABC…」以外)は「ヨコハマ」をどう取り扱っていたのか。ところが、収録しているカクテルブックは意外と少ないのです。確認した限りでは、以下の3冊くらいです。・「The Savoy Cocktail Book」(1930年刊)英 ジン3分の1、ウオッカ6分の1、オレンジ・ジュース3分の1、グレナディン・シロップ6分の1、アブサン1dash(シェイク・スタイル)・「World Drinks and How To Mix Them」(ウィリアム・T・ブースビー著、1934年刊)米 ジン3分の1jigger、ウオッカ1spoon、オレンジジュース1spoon、グレナディン・シロップ1spoon、アブサン1dash(シェイク)・「The Official Mixer's Manual」(パトリック・ギャヴィン・ダフィー著、1934年刊)米 ジン3分の1、ウオッカ6分の1、オレンジ・ジュース3分の1、グレナディン・シロップ6分の1、ペルノー1dash(シェイク・スタイル) そして、「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイアー著 1934年刊 仏)、「The Old Waldorf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊 米)、「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊 米)、「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊 英)、「Trader Vic’s Book of Food and Drink」(ビクター・バージェロン著 1946年刊 米)、「Esquire Drink Book」(フレデリック・バーミンガム編 1956年刊 米)のような1930~50年代に出版された、そこそこ有名なカクテルブックにはなぜか収録されていません。 この理由として、個人的な想像を交えて言えば、戦前(とくに1930年代以降)の「対日感情の悪化」も背景にあったのではないかと思っています。戦後の欧米のカクテルブックでも、「ヨコハマ」はほとんど忘れ去られた状態でした。手元の文献で見ても、再び「ヨコハマ」カクテルの名前を見つけたのは、2000年以降です。欧米のカクテルブックが、今後も忘れずに取り上げてくれることを願わずにはいられません。日本の都市名の付いたカクテルを他国の人々が安心して楽しめるのは、何よりも平和の証ですから。 「ヨコハマ」のレシピにはバリエーションがあまり見受けられませんが、唯一、「Complete World Bartender Guide」(ボブ・セネット編、2009年刊 米)が、次のような“変化球レシピ”を紹介しています。「ジン4分の3onz(約23ml)、ウオッカ、オレンジ・ジュース、グレナディン・シロップ各2分の1onz(15ml)、ペルノー1dash(シェイク・スタイル)」。 さて、日本発祥と言われる「ヨコハマ」。1910年代には東京や横浜のホテル・バー等では飲まれていたと想像するのですが、日本のカクテルブックに登場するのはなぜか、1936年刊行の「スタンダード・カクテルブック」(村井洋著、NBA編)が最初です。その後も、日本発刊のカクテルブックにはかなりの頻度で収録されているのですが、残念ながら、現代の日本のバーでは、ご当地カクテルである横浜のバー以外では、おそらくあまり注文されることは少ないのではないでしょうか。 「ヨコハマ」はジン&ウオッカがベースなので強いと誤解されがちですが、甘さも程良く、さほどきつさを感じない、とても飲みやすいカクテルです。ぜひ一度味わってみられることをお勧めします。太平洋航路の豪華客船のバーのカウンターで飲んでいるような気分になれるかもしれませんよ。 【注】Monkey's Gland(サルの生殖腺)という風変わりなカクテル名は、1910~20年代にパリ在住のロシア人外科医、セルジュ・ボロノフ(Serge Voronoff)が「若返り効果がある」として始めた、サルの睾丸を人間に移植する手術が大きな社会問題になったことに由来する。パリにはこの手術を受けたいという資産家らがフランス以外からも数多く集まってきたという。実際に効果があったかどうかは定かでない。 ※長らくお付き合い頂いた連載「Harry's ABC of Mixing Cocktails:世界初の体系的カクテルブックの中身とは」は、今回で終了します。ご愛読有難うございました。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2015/09/20
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19.ブロンクス(Bronx)【現代の標準的なレシピ】ジン(40)、ドライ・ベルモット(10)、スイート・ベルモット(10)、オレンジ・ジュース(10) 【スタイル】シェイク 19世紀末から20世紀初めには誕生していたと思われる古典的カクテルの一つです。カクテルブック等ではしばしば「米禁酒法時代(1920~1933)に、当局の摘発を逃れるためのカモフラージュ(オレンジ・ジュースに見せかける)として考案された」と紹介されていますが、これは大きな間違いです。 カクテルブックの古典的名著である「173 Pre-Prohibition Cocktails」(トム・ブロック著、1917年刊)や「Harry’s ABC Of Mixing Cocktails」(ハリー・マッケルホーン著、1919年刊)にも登場していることからも、少なくとも禁酒法施行以前の1910年代に誕生していたことは確実です。 現時点で確認した限りでは、上記の「173…」が欧米で初出文献です。そのレシピは、「ドライ・ジン3分の1、ドライ・ベルモット3分の1、スイート・ベルモット3分の1、(スライス・オレンジを入れてシェイク)」となっています。レシピからも分かるように、マティーニのバリエーションの一つとして考案されたと考えられています。 カクテル名は、米国ニューヨーク市のブロンクス地区(またはブロンクス動物園)にちなむと伝わっています。ただし、考案者や時期等については、他の古典的カクテル同様、さまざまな説が現在まで伝わっています。Wikipedia英語版だけでも以下の3つの説を紹介しています。(1)1905年、ブロンクスのレストラン・オーナー、ジョセフ・ソルマーニ(Joseph Sormani)が考案(ただし彼がヒントを得た「ブロンクス」の原型はフィラデルフィアで日常的に飲まれていたドリンクだった)(2)1899年~1906年の間のある時、ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルのバーテンダー、ジョニー・ソローン(Johnnie Solon)が常連客の求めに応じて考案。ソローンは、ブロンクス動物園の奇妙な動物たちの話をよくしていたその常連客のイメージから「ブロンクス」と名付けた(原資料=The Old Waldorf-Astoria Bar Book、1935年刊=でも確認)。(3)1908年に出版されたウイリアム・ブースビー(William T. Boothby)のカクテルブックによれば、「ブロンクス」はピッツバーグのバーテンダー、ビリー・マロイ(Billy Malloy)が考案したと記すが、なぜ「ブロンクス」という名前にしたのかについては触れていない(※マロイ氏は禁酒法時代にカクテル「オレンジ・ブロッサム」を考案したとも伝わる人)。 参考までに、「173…」以外の1910~40年代の主なカクテルブックに収録されている「ブロンクス」を見ておきましょう。・「ABC of Mixing Cocktails」(Harry MacElhone著、1919年刊) ジン3分の1、ドライ・ベルモット3分の1、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ジュース4分の1個分・「Cocktails, How To Mix Them」(Robert著、1922年刊) ジン3分の1、ドライ・ベルモット3分の1、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ジュース4分の1個分、オレンジ・ビターズ少々(好みで)・「The Savoy Cocktail Book」(Harry Craddock著、1930年刊) ジン4分の1、ドライ・ベルモット4分の1、スイート・ベルモット4分の1、オレンジ・ジュース4分の1・「World Drinks and How To Mix Them」(William Boothby著、1934年刊) ジン2分の1、ドライ・ベルモット4分の1、スイート・ベルモット4分の1、オレンジ・ジュース1tsp・「The Artistry of Mixing Drinks」(Frank Meier著、1934年刊) ジン2分の1、ドライ・ベルモット4分の1、スイート・ベルモット4分の1、オレンジ・ジュース8分の1個分・「Waldorf-Astoria Bar Book」(A.S. Crockett著、1935年刊) ジン2分の1、ドライ・ベルモット4分の1、スイート・ベルモット4分の1、オレンジ・ピール・「The Stork Club Bar Book」(Lucius Beebe著、1946年刊) ジン1オンス、ドライ・ベルモット4分の3オンス、スイート・ベルモット4分の3オンス、オレンジ・ジュース4分の1オンス・「The Official Mixer's Manual」(Patrick G. Duffy著、1948年刊) ジン2分の1、ドライ・ベルモット4分の1、スイート・ベルモット4分の1、オレンジ・ジュース4分の1個分 「ブロンクス」のレシピ材料に卵黄を加えると「ゴールデン・ブロンクス(またはブロンクス・ゴールデン)」、卵白を加えると「シルバー・ブロンクス(またはブロンクス・シルバー)」と呼ばれることは、バーテンダーなら知っておいて損はないかもしれません。 「ブロンクス」は欧米からそう遅れることなく日本に伝わっており、1920年代の国内のカクテルブックにも登場しています。 【確認できる日本初出資料】「コクテール」(前田米吉著、1924年刊)。レシピは「ジン3分の1オンス、ドライ・ベルモット3分の1オンス、スイート・ベルモット3分の1オンス、オレンジ・ジュース6分の1個分、オレンジ・ビターズ少々」となっています。・こちらもクリックして見てねー! → 【人気ブログランキング】
2016/12/13
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90.ウイスキー(スコッチ)&ソーダ、すなわちハイボール(Whisky/Scotch & Soda、or Highball)【標準的なレシピ】スコッチ・ウイスキー(またはバーボン・ウイスキー、ライ・ウイスキー)(45)、ソーダ(適量)、氷、レモン・ピール(お好みで) 【スタイル】ビルド 現代の欧米では、ウイスキーをソーダ割りで飲む文化は、ほとんどありません。彼らは基本、ストレートかロックで味わいます。なので今、欧米のバーで「ハイボール(High ball)」と言って注文しても、まず通じません。 ウイスキーのソーダ割りを飲みたければ、「Scotch & Soda または Whisky & Soda, please」と言う必要があります。時には「ウイスキーの銘柄名 & Soda」と言うことを求められます(それでも、バーテンダーからは「せっかくの美味しいウイスキーをなぜソーダでなんかで割るんだ」というような怪訝な顔をされるかもしれませんが…)。 しかし、19世紀末から1940年代にかけてのカクテルブックには、「ハイボール(High ball)」という言葉がしばしば登場していました。ここで大事なことは、この当時の「ハイボール」という言葉は必ずしもウイスキーのソーダ割りではなく、「ソーダで割ったお酒のスタイル」を意味していたからです。 当時はブランデーやジン、ラムなど全ての蒸留酒やリキュールのソーダ割りを、「※※※※ハイボール」と呼んでいました。なので「スコッチ・ハイボール」「ウイスキー・ハイボール」なる飲み物は、「ハイボール」というスタイルのドリンクの一つの種類にすぎなかったのです。 米国では、19世紀初め頃からバーボン・ウイスキーやライ・ベースのウイスキーのソーダ割りが飲まれていたと言われています。欧州でも、ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)のカクテルブック(1919年刊)にも登場することから、「スコッチ/ウイスキー・ハイボール」は少なくとも1910年代には、一定の知名度を持つドリンクであったと思われます。 「ハイボール」の発祥場所については、ボストンの「アダムズ・ハウス(The Adams House)」という説(出典:Wikipedia英語版 → 原資料1927年10月22日付 New York Times)も伝わっていますが、定説として定着するまでには至っていません。 カクテルブックの著書もあるニューヨークのバーテンダー、パトリック・ダフィー(Patrick Duffy)は1927年、「ハイボールは、英国人俳優のE.J. Ratcliffeによって1894年、英国から米国へ紹介された」と記し、英国発祥説に立っています(出典:同 → New York Times紙上で)。もっとも、スコッチウイスキー・ベースとバーボン、ライ・ウイスキー・ベースとでは発祥国が違ってもさほど不思議ではありません。 「ハイボール(ウイスキー・ハイボール)」という言葉の由来(語源)には昔から様々な説がありました。有力と思われているのは、以下に紹介する中で、(1)(2)(4)の説です。米国のバーテンダー養成学校では、主に(1)と(2)の説を教えていると言われています(出典:Wikipedia英語版)。(1)一番有名なのは、アメリカの鉄道の信号機起源説。19世紀初め、開拓時代のアメリカ南部の鉄道では、長い棒の先にボールをつけた「ボール信号機」が使われていました。ボールが上がっていれば「進行(go)」、上がっていなければ「停止(don't go)」という訳です。「進行(go)」状態は従って、「ハイ・ボール」と呼ばれていました。 当時、駅の信号係に、ウイスキーのソーダ割りが大好きな人がいて、列車に出発の合図を送るたびに、「ハイ・ボール!」と叫んでいました。そこでその飲み物も「ハイ・ボール」と呼ばれるようになったとか(出典:Wikipedia日本語版&英語版ほか)。(2)信号機説のバリエーション。信号機は列車だけでなく工事労働者への休憩の合図にも使われていました。労働者たちは休憩時間に好んでウイスキーのソーダ割りを飲んでいました。そこで、その飲み物も当然、信号機の呼び名から「ハイ・ボール」と呼ばれるようになって、さらに定着していったということです(出典:Wikipedia日本語版)。(3)蒸気機関車のボイラー起源説。蒸気機関車で列車を動かしていた時代、食堂車でウイスキー&ソーダを乗客に提供している時、機関車がスピードを上げると(食堂車の)ボイラー気圧を示すボールも、それに応じて高く上がりました。この状態を「ハイボーリング(Highballing)」と呼んだことから、そのドリンクもいつしか「ハイボール」と呼ばれるようになったということです(出典:Wikipedia英語版)。(4)英国のゴルフ場起源説。ある時、ゴルフ場のクラブハウスでウイスキーのソーダ割りを飲んでいた英国紳士が「これは何という飲み物か?」とマスターに聞きました。するとちょうどその時、打ち損じのゴルフ・ボールがクラブハウス飛び込んで来て、思わずマスターが 「High ball !」(高い球) と叫んだのが由来という説です(出典:Wikipedia日本語版)。 (5)炭酸の泡起源説。炭酸の泡(玉=ボール)が上に揚がっていく様から、ハイ・ボールと呼んだという説です(出典:同)。 (6)トールグラス起源説。19世紀末頃、「ウイスキー・ドリンク」は俗語で「Ball」と呼ばれることもありました。「ウイスキー&ソーダ」がトール・グラスで提供されることが多かったため、「Tall=High」というイメージからそのうち、「ハイボール」と呼ばれるようになったそうです(出典:Wikipedia英語版)。 他にも(7)「(野球の)高めの直球(High Ball)」は、打ちごろ(=飲みごろで、美味しい)の絶好球という説、(8)「気分がHighになる弾丸(Ball)」という説、(9)「丈の高い(High)容器(Bowl)」にウイスキーを注いだ飲みものだからという説――が伝わっていますが、信憑性についてはよく分かっていません。 欧米のカクテルブックで、「(ウイスキー・)ハイボール」という名前が初めて活字で登場するのは、現時点で確認できた限りでは、いずれも1895年に米国で出版された『Mixed Drinks:A Manual For Bar Clerk』(Herbert Green著)と『The Mixologist』(C. F. Lawlor著)です。 レシピは「氷(ランプ・アイス)を入れた薄ガラスのエール・グラスに炭酸水(サイフォン・セルツァー<syphon seltzer>)で満たし、ウイスキーまたはブランデー2分の1ジガー<jigger>をフロートさせる」とあります(レシピの表現は両著ともまったく同じなので、ネタ元は同じなのでしょう)。 ご参考までに1890年代~1940年代の主なカクテルブックで、ハイボール(または「ウイスキー&ソーダ」と言われるカクテル)がどのように紹介されているのか、簡単に見ておきましょう。・American Bartender(William Boothby著、1891年刊)米=「ウイスキー&ソーダ」という名称で収録(1908年に書名変更された改訂版では「Highball」の名で収録)。 氷1個をロング・グラスに入れ、客が好む酒のボトルとソーダ水を別途提供し、セルフでつくってもらうこと(※当時は客が自分で注いで濃さを調節するのが主流だったようです。このスタイルは現代のパブでも継承しているところがあります)。・Modern American Drinks(George Kappeler著、1895年刊)米=「スコッチウイスキー&ソーダ」という名称で収録。 氷(ランプ・アイス)1個を入れたロング・グラスにスコッチ・ウイスキー1jiggerを入れ、冷やしたプレーン・ソーダのボトル1本を別に提供する。・Bartender's Manual(Harry Johnson著、1900年改訂版)米=1882年の初版時には収録されず ミディアム・サイズのフィズ・グラスに氷2~3個を入れ、スコッチ・ウイスキーをワイングラス1杯分入れる。冷やしたソーダ水で満たす。もし客が望めば、ウイスキーの代わりにジン、ブランデーで提供すること。・Daly's Bartender's Encyclopedia(Tim Daly著、1903年刊)米 氷(ランプ・アイス)2~3個を入れたフィズ・グラスにプリマス・ジンをワイングラス1杯分入れ、冷やしたソーダ水で満たす。もし客が望めばウイスキーやブランデーで提供すること。・The World's Drinks and How To Mix Them(William Boothby著、1908年刊)米 (氷を入れた)ロンググラスにお好きな蒸留酒を入れ、ソーダ水またはジンジャー・エールなど発泡性の飲物で満たす。この類のドリンクはすべて「ハイボール」と呼ぶ。・Bartender's Guide(Wehman Brothers編、1912年刊)米 氷(ランプ・アイス)1個を入れたトール・グラスに、バーボン・ウイスキー(またはライ・ウイスキー、スコッチ・ウイスキー)をワイングラス1杯分入れ、冷やしたソーダ水で満たす。・Hoffman House Bartender's Guide(Charley Mahoney著、1912年刊)米 氷(ランプ・アイス)2~3個を入れたミディアムサイズのフィズグラスに、ワイングラス1個分のスコッチ・ウイスキーを入れ、冷たいソーダ水で満たす。ウイスキーは飲み手の求めで違う酒に代えるのも可。・Stranb's Manual of Mixed Drinks(Jacques Straub著、1913年刊)米 氷(ランプ・アイス)を入れたグラスにスコッチ・ウイスキーを入れ、ソーダ水で満たす。・Recipes For Mixed Drinks(Hugo R. Ensslin著、1916年刊)米 氷(キューブ・アイス)を入れたハイボール・グラスに、1杯分のウイスキー(または他の蒸留酒)を入れ、ソーダ水またはジンジャー・エールで満たす。必要ならばレモン・ピールを施す。・ABC of Mixing Cocktails(Harry MacElhone著、1919年刊)英 氷(ランプ・アイス)1個を入れたタンブラーと、スコッチ・ウイスキーとソーダ水のボトルを客に渡し、お好きに調合して頂く。・Cocktails:How To Mix them(Robert Vermeire著、1922年刊)米 氷(ランプ・アイス)2~3個を入れたタンブラーに、スコッチ・ウイスキー4分の3gillを入れ、冷やしたソーダ水で満たす。お好みでレモン・ピールをしたり、レモン・スライスを入れたりする(※「Straight Scotch Highball」という名前で紹介されている)。・The Savoy Cocktail Book(Harry Craddock著、1930年刊)英 角氷1個を入れたミディアム・サイズのグラスに、好みの蒸留酒、リキュール、ワインをグラス1杯分入れ ソーダ水で満たす(好みでレモン・ピール、ソーダ水の代わりにジンジャー・エールを使ってもよい)。・The Artistry of Mixing Drinks(Frank Meier著、1934年刊)仏 大きめの氷を入れたグラスに、ブランデーをグラス1杯分入れ、ソーダ水で満たす(ブランデーの代わりにジン、ラム、ウイスキー、ピーチ・ブランデーなどの蒸留酒でもよい)。・Trader Vic's Bartender's Guide(Victor Vergeron著、1947年刊)米 スコッチ・ウイスキー2ounces(オンス)、クラブ・ソーダ6ounces、角氷2個(ステア) ※確認できた限りでは、「Scotch and Soda」という名前で登場した初めての文献。・The Official Mixer's Manual(Patrick G. Daffy著、1948年刊)米 10オンスグラスに氷を入れ、好みの蒸留酒を1~2jigger注ぎ、ソーダ水(またはミネラル・ウォーター)で満たす。好みでレモン・ピールを。 日本では「ハイボール」は独自の進化を遂げました。大手メーカーが自社の酒を売るバー・チェーンを全国展開し、ウイスキーのソーダ割りを「ハイボール」と呼び、その普及に努めた効果もあって、日本ではいまだに、「ハイボール=ウイスキーのソーダ割り」と考える人がほとんどです。 一方、現代の欧米のバーでは、ウイスキーを含む蒸留酒のソーダ割りを「※※※※ハイボール」という言い方はほとんど廃れてしまいました。その原因については、いまいちはっきりしませんが、一つには1960年代以降、シングルモルト・ウイスキーが次々と商品化され、ウイスキーはストレートかロックで飲むべき酒という考えが定着してしまったことも大きいという専門家もいました。 「ハイボール」は、日本にも開国後まもなく伝わったと思われますが、文献上確認できるのは1900年代になってからです。なお、Patrick Daffyのカクテルブックにもあるように、かつてハイボールという飲物は、ソーダだけではなく、水やジンジャー・エールで割ってもハイボールと呼んでいました。日本でも1950年代までは蒸留酒を水で割った場合でもハイボールと称していましたが、現代では、ソーダ割り以外をハイボールということはまずありません。【確認できる日本初出資料】「洋酒調合法(欧米料理法全書附録)」(高野新太郎編、1905年<明治38年>刊)。レシピ(概略)は「中くらいの大きさのフィズ・グラスに氷の塊を二つ、三つ程を入れ、スコッチ・ウイスキーをワイン・グラス一杯分、グラスに注ぎて出すべし。もし客が望む酒あらば、その求めに応じて入れるべし。ソーダ水または水を注ぎて供すべし」となっています。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】お
2018/10/21
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94. 雪 国 (Yukiguni)【現代の標準的なレシピ】(液量単位はml)ウオッカ(40)、ホワイト・キュラソー(20)、ライム・ジュース(10) ※カクテルグラスの縁を砂糖でスノー・スタイルにした後、あらかじめミント・チェリーをグラスの底に置く(なお、1958年の考案当時は、日本国内では生ライム、生ライム・ジュースは出回っておらず、ライム・コーディアルジュースを使用していた)。 【スタイル】シェイク 1958年(昭和33年)、山形県酒田市のバー・ケルンのオーナー・バーテンダー、井山計一氏が、川端康成の小説「雪国」をイメージして考案、第1回寿屋カクテルコンクール(1959)で最優秀賞に輝きました(初めて発表されたのは、前年1958年に開催された寿屋コンクールの東北大会でした)。 日本生まれのカクテルとしては、世界的には「バンブー」が最も有名ですが、残念ながら考案したのは明治期に米国から来日した外国人です。「雪国」は、その後も多くのカクテルブックや全国各地のバーテンダーに紹介され続け、日本人の考案したスタンダード・カクテルとしては、現在、最も有名な存在でしょう(今では海外のバーテンダーでも知っている人が少なくありません)。 井山氏は92歳の今(2018年)もなお、現役バーテンダーとしてカウンターに立ち続けていて、バー業界のレジェンドです(末尾の【追記】ご参照)。今年は、井山氏の歩んできた人生とカクテル「雪国」誕生秘話を描いたドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」が完成、地元・山形で先行上映されました。2019年以降、首都圏(1月から)や関西でも公開される予定です。 「雪国」はバーテンダー修業をしていた井山氏が、コンクール出場のために、身近にあったウオッカ、ホワイト・キュラソー、ライム・コーディアルという材料で急きょ考えたと言います。当初は、ミント・チェリーなしで考えていたそうですが、何かアクセントがほしいなぁと思っていたところ、仙台にいたバーテンダーの友人とのアドバイスもあって、当時、店に回ってきた営業マンから購入した珍しいミント・チェリーを沈めることを思いついたそうです。 当時としては、とても斬新だった「スノー・スタイル」(塩や砂糖をグラスの縁に付けること)という見た目のひと工夫は、井山氏によれば、「雪国」誕生の5年前にあったカクテルコンペで優勝した「キッス・オブ・ファイア」(この連載の第47回で取り上げています)というカクテルからインスピレーションを得たそうです。 現代のスタンダード・カクテルと言えども、当たり前ですが、当初はバーテンダー個人が考案した創作カクテルでした。それが長い歳月の中で、数多くのお客様に愛されて注文され続け、バーテンダーがつくり続けた結果、「スタンダード」として定着・認知されてきた訳です。 国内外では毎年、何百、何千という数多くの創作カクテルが誕生していますが、残念ながら、たとえコンクールで優勝、準優勝したカクテルでも数年後に生き残るものは極めて稀です。戦後誕生した日本人の手による創作カクテルで、現在でも長く生き続け、全国ほとんどのオーセンティック・バー通じるくらい知名度を持っているのは、雪国以外では、ソル・クバーノ、キングス・ヴァレー、オーガスタ7くらいでしょうか。そうした創作カクテルの中でも、「雪国」は最も有名で偉大な存在と言えるでしょう。 なぜ「雪国」がここまで愛され続け、生き残ってきた理由ですが、やはり3つの材料だけで構成された飽きのこないシンプルな味わい、酸味と甘味のバランスの良さ、そして「スノー・スタイル」にして、ミントチェリーを沈めるというビジュアルでの工夫。この4つの絶妙な組み合わせが大きかったと思います。 しかし誕生当初、日本のバーではカクテルという飲み物はまだあまり馴染みなく、井山氏は「コンクールで優勝した後でも、(ケルンでも)雪国の注文はあまりなかった。飲まれるのはハイボールやビールばかりだった」と振り返ります。その後、80年~90年代のカクテルブームの時でも、爆発的に飲まれるということはなかったということです。 しかし10年ほど前、ある英字新聞が井山氏と雪国について記事で大きく紹介したのがきっかけに、テレビや雑誌等でもよく取り上げられるようになり、全国からお客様が来るようになったといいます。今では、映画公開の効果もあって、ケルンは連日満員です。井山氏は毎日何十杯も雪国をつくるそうです(あまりに忙し過ぎて疲れ気味なので、最近は毎週のお休みを1日増やして、月・火を連休にされています)。 なお当初は、冒頭のレシピで提供していた井山氏ですが、現在は辛口な味わいにレシピを変えておられます。現在ではウオッカを45~55ml、ヘルメス・ホワイトキュラソー7~8ml、ライム・コーディアル(サントリー・ライム)3~4mlです。ウオッカは、度数の違うサントリー・ウオッカを2種(40度と50度)を使い分けておられます(アルコールに強いか弱いか、男性か女性かなどお客様に応じてウオッカの度数を選択しておられます)。 辛口に変えた理由について、井山氏は「当時は時代的に甘口が好まれたけれど、現在では辛口志向になっているから、昔と同じレシピでつくると甘すぎるし、。レシピも時代に合わせて変えていけばいいと思う」と話しています。頑固にレシピを変えないバーテンダーもいますが、飲み手の嗜好に合わせて柔軟に対応するという姿勢は、後輩である私たちは忘れてはいけないと思います。 【確認できる日本初出資料】カクテル小事典(今井清&福西英三著、1967年刊)。レシピは冒頭に掲載のものと同じ。【2021年6月追記】大変残念ながら、井山計一氏は、2021年5月10日、老衰のため死去されました。謹んでご冥福をお祈り致します。
2018/12/31
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クラウドファンディング実施中の成田一徹バー切り絵作品集『NARITA ITTETSU to the BAR』再版(完全改訂増補版)プロジェクト。今回は初版の248点の他に、新たに23点(店)の切り絵が追加掲載されす。そこで、追加される切り絵を)3回に分けて紹介いたします。 ※絵の制作時期については正確に分からないものもあり、一部は「推定」であることをお含みおきください。 なお、絵の著作権は、故・成田一徹氏の奥様・素子様が代表をつとめる「Office Ittetsu」が所有しております。許可のない転載・複製や二次利用は著作権法違反であり、固くお断りいたします。(1) Bar 2nd RADIO(東京)1990年代前半(2) Bar Shanks(東京)2005年(3) KAZZ(東京)2004年(4)Bar ラ・ポポット(東京)2005年(5)Bar Noble(横浜)2005年(6)Bar GLORY 大倉山(横浜)2000年(7)Bar Eau de Vie(神奈川・相模原)2004年(8)Paris(横浜)2005年頃・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2020/10/18
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