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静かな静かな森の気配。 このような環境は毎日の騒がしさの仲ではとても望めないが。 自分の心の奥に貼り付けておきたい。 youtubeで見つけた森の音(どうもこのブログでは画像がはじかれてしまうようだ)。< width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/P6HMILbgbxk" frameborder="0" allowfullscreen> 先週のこと。 不二家で二次会があった。みなが解散した後、一人残って仕事をしていた。 向かいの席から甲高い<少女>の声。が、ちょっと静かになると少年の声でぶつぶつ。 だいぶ我慢していたが、思わずその顔を見た。少年だった。隣には母親。そのあい向かいには背中を見せている若い女。 また甲高い声。ゲーム機を手にしながら母親と若い女へ何かを訴えている。 母親も若い女も手元の小道具、ケータイか何かを見つめている。 彼は、母親に語りかけ、また独り言。自分の意思が通らないと、<少女>の声を出すようだ。 ゲーム機を操っては、料理をスプーンで口へ運ぶ。 不気味な三人組だった。「テクノロジーが人間を上回る日を私は恐れている。世界は馬鹿者の世代であふれるだろう」アインシュタイン。 I fear the day that technology will surpass our human interaction. The waord will have a generation of idiots. 女子会、観客席、観覧車、ドライブ中、食事中、美術館、デート、遠足でも「おとなのおもちゃ」を手離さない連中で地球がごった返している。
2012.11.20
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あるサイトで見た課題です。 ブログネタ:恋人とはどのくらいのペースで会いたい? 参加中 で、「私は週に数回派!」に一票を投じました。 多少、世の中を見てきた今は、「毎日」ではない方が 絶対にいい、と思うようになった。「毎日」は、甘えやらズボラやらが出てきてしまって、「慣れの感動」「慣れの付き合い」「義理の会話」みたいなものが居座ってしまう、感動が薄れてしまう、と思うのです。「週に数回」は、偉大なる精神力を必要とする(厳密に言えば、「週に数回」とはあまりにもアバウトな設定だが)。 会いたい気持ちを抑える自制心も養える。 会ったらこんなことを話そう、こんなことを相談しよう、と想像力が大いに鍛えられる。 逆に、毎日会っていると、どうしても「慣れ」が先に立って、「楽」な気持ちが「ズル」を覚えてしまう。「職業としてのデート」というような感じ。 とどのつまりは、その「二人」の間の関係・心の問題なのだろうが。 この「職業としての……」を色々なケースに当てはめてみると面白いことが色々出てくる。「職業としての塾通い」 もいいイメージではなくなる。「職業としての夫婦」「職業としての親子」「職業としての人間」「職業としての銭湯通い」もマイナスでダーティーな感じ。 もっとはっきりしたイメージを持とうとするなら 「職業としてのセッ○ス」……。 これは、これ以上触れる必要がないだろう。 「職業としての会社員」も、いやいややっている、という感じだし、ただのルーティン・ワークをこなしているだけ、という暗さ。 不思議なことに「職業としての登山家」「職業としての作家」「職業としての教師」「職業としての指物師」「職業としての看護師」「職業としての消防士」となると、どこかに「プロ根性でこなしている捻り鉢巻き」といったニュアンスが漂ってくるのは、気のせいか。 結局は、「一人」の時の心構えと「複数になったときの組み合わせ」によって様相は変わってくる、ということなのだろう、か。「職業としての店長」にも、気持ちを込めて努めている姿と、仕事だから仕方なく勤めている、みたいな姿と二通りに考えられる。「人間」とは面白い漢字だ。「ジンカン」と読めば、人と人の間で「折り合って」「にらみ合って」「しのぎを削って」「妥協して」 生きてゆかねばならない世間、という厳しさを感じるし、「人と人との間」と読み解けば、ある程度ある種類の 「間合い」が重要だ、とも読み取れる。 好き合った二人の間も「間合い」が重要な接着剤になるのではないだろうか。 好きであればこそ、毎日会わない方が愛が深まる、相手への尊敬の念が大きくなる。関心も共感もいい潤滑油として二人の間で働くだろう。 どのくらいのペースで会いたい?毎日週に数回週に一回二週間に一回月に一回数ヶ月に一回
2012.11.14
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純白の花嫁衣装。 そう簡単に定まったわけではないようで。 結婚式で花嫁の着るウェディングドレスといえば白、純白。 招待された側も、白いドレスを着ていってはいけない、というのは当然のマナーである。 さて、なぜ純白のドレスなのかというと『穢れのない清純・純潔』を連想する人が多いと思うが、出来ちゃった婚なども珍しくないこの時代にそんな理由はどうなのだろうか。 事の起こりは16世紀のイギリス。白いウェディングドレスを考案したのはとある服飾屋の店主。 「白は花嫁の純潔を表している」と大々的に宣伝したものの、「表現が露骨すぎる!」とさんざんな評判。 それに加えてブチ切れたのは教会。「花嫁は純潔なのが当たり前だろ! そんな事強調するまでもない、いい加減にしろ!」とオカンムリ。 (そもそも純白のドレスとヴェールの着用は、男性を知らない女性にしか許されていなかった) このため白いウェディングドレスはまったく人気が出ずに消滅してしまったという。 そんな白いウェディングドレスが再び脚光を浴びたのは1800年代初めのパリ。 当時パリの社交界では白いドレスが大流行。そこから一転して白いドレスは一般庶民の憧れとなっていった。 パリの庶民層は「生涯一度(のはず)の結婚式の時ぐらい上流階級の女性と同じ白いドレスを着たい!」と白いウェディングドレスを着ることが大流行することに。 同時期にヴィクトリア女王の結婚衣裳にも採用された事もあって急速に広まっていき、それがそのまま世界的にも定着していった、という次第。 たしかに、白を初めとする淡い色を基調にした色のイメージは『清純さ』ではあるのだが、ウェディングドレスには+女性の『見栄』という意味合いもあるようだ。 ちなみに日本では白は元々死に装束の色だった。白のウェディングドレス……まあ、これは西洋かぶれとしか言い様がないのではないか、と顔をしかめる向きもあるとかないとか。 今や日本中が大注目し、ホリエモンの再来と まで呼ばれる与沢翼さんの収入7割を 占める手法が無料で公開されています。 期間限定で公開しているので、 今すぐ手に入れて下さい。 → http://123direct.info/tracking/af/529204/B2SNQaKv/ 【スウェット地】【裏毛】マルシェ 生地 布 メール便は【50cm】までです。再々入荷いたしまし...価格:210円(税込、送料別)
2012.11.12
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写真家・薈(わい)田純一さんが特殊な技法で撮影。 特殊なワザ、としか言えないような撮影方法(お名前も、生まれて初めて知った個性的な特徴あるもの)。 そのオープニング。5日の月曜日。 会場には、天眼鏡などが用意されていて、それを使って展示された写真を眺める人々。 コラージュで写真を処理していて、単純に「そこにあるもの」を撮影したのではない……。 自宅以外にも、都内のあちらこちらに書庫を保持。 10万冊を超える書籍・資料を、立花さんはほとんど読破しているのでしょうね。そして、どこに何があるか、覚えている……。 凄いねえ、凄い。「知の巨人」という表現も使われていた。 ご本人も登場。「裸にされたようで」と照れながら、円熟した女優さんが<解剖>されたような感じ、と語った。 自分の「思想」を語るには、知の裏付けがなくてはならない、表されたものは「氷山のほんの一角」でしかない、と改めて仕込みの重要性を考えた夜だった。 こちらのそのような感慨を、薈田さんは、また独自の観点からとらえて、あのような技法を用いたのででしょう。「そこにあるブツ」だけを撮ったのではない、と。 薈田さんの写真集は、中央公論新社から、近々に発売予定のようです。他にも、リービ秀雄さんの書斎なども手がけているようで、どのような「処理」がなされているか楽しみ。 なんだか、このまま駅に向かって電車に乗る……のがいやになって、久しぶりに新宿ゴールデン街へ向かったワタクシでした。
2012.11.08
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