東方見雲録

東方見雲録

2023.07.22
XML
カテゴリ: 環境


© コクリコ 提供
「水育の話に入る前に、あまり知られていない日本の森の一側面についてまずは触れておきたいと思います。昔の日本は今よりもっと森が豊かだったのでは、と考える人は少なくないと思います。実際は違う姿だったようです」(浜田さん/以下カッコ同)。

第二次世界大戦が終わる1945年ごろまで、日本の長い歴史の中では、木の使い過ぎがずっと問題になってきたと浜田さんは解説します。建物のための建材、さまざまな道具、生活と産業で欠かせない燃料として、膨大な量の木が日本人の暮らしを支えていたのです。

江戸時代の浮世絵を見ると、木が生えていないかまばらな山や里の様子が描かれています。

「浮世絵のハゲ山については、当時の風景をある程度忠実に描いていると考えてよい、という研究が出てきていて、当時の日本人は集落近くの山々の木を伐り尽くす勢いで使っていたことが見えてきました」

転機となったのは、1950年代~60年代の「エネルギー革命」。燃料は石油・ガス・電気に、道具はプラスチックや金属へと置き換わっていきます。一番使われていた燃料に木を使う場面は生活からどんどん失われていきました。

「戦後の復興のために大々的に針葉樹を植林したものの、収穫できるのは40~50年後。戦後復興から高度経済成長にかけてうなぎのぼりに増える木材需要にはとても対応できず、当時安価だった南洋材を大量に輸入するようになりました。木材使用量は戦前以上に増えているのに、日本の木は使われない。このようにして日本の木は、慢性的な“使いすぎ”から“使わなさすぎ”に急激に振り切れたのです」

日本人が有史以来、初めて経験する、あまりに急速なライフスタイルの変化が、日本の森に大きな影響を与えたのでした。



でも、林業を仕事にしている人は今でもいますよね?

「今は、身近に林業従事者を見つけるのは難しいかもしれません。なぜなら、1955年に約52万人いた林業就業者(注:狩猟業も含む)は2020年に約4万4000人、つまり13分の1にまで激減しているからです」

なんと、林業に携わっている人は、いまや日本の山を守ってくれる貴重なヒーロー、ヒロインとなりつつあるのでした。

高度経済成長期、山村で農業や林業をなりわいとしていた人たちは、より稼げる工場や企業に働き口を求めて多くの人が都会に移り住みました。

「手入れが必要な広大な山があるのに、手入れする人はいない。生活の場としての山から人が離れていって、山の変化に関心を持つ人も減りました。こうして、山の異変は静かに進行していったのです」
引用サイト: こちら

関連日記:2023.07.09の日記 こちら





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.08.10 23:28:36
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: