東方見雲録

東方見雲録

2026.05.27
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カテゴリ: ランドスケープ



使用開始日           2000年5月15日
意匠図案説明        岡田家長屋門を描く
開設場所             〒152-0034 東京都目黒区緑が丘1-19-6
引用サイト: こちら

地名 緑が丘
昭和7年10月1日に目黒区が誕生したのを機会に、町名変更が行われ、幾多の町名が姿を消す一方で、新たな町名も登場した。「緑ヶ丘」もその新しい町名の一つである。今日では「緑が丘」と表すが、当時は「緑ヶ丘」。住居表示の施行で「ヶ」が「が」に改められた。

緑ヶ丘一帯は、明治22年の町村制の施行で、それまでの衾村字谷畑(やばた)が碑衾村大字衾字谷上台(やかみだい)、谷畑東(やばたひがし)、谷畑中(やばたなか)、谷東前(やひがしまえ)、谷畑下(やばたした)、谷石川端(やいしかわばた)、谷向下(やむこうした)と呼ばれるようになり、昭和2年の町制を経て、7年に目黒区緑ヶ丘となった。その後、40年1月1日に住居表示制度が施行され、緑が丘一丁目から三丁目と自由が丘一丁目の一部となったのである。

そもそも「緑が丘」という地名は、緑の木立の多い高台ということに由来している。この辺りは、自然林に覆われた丘陵地帯だったのだ。呑川と丑川という二つの河川に二方が囲まれている緑が丘は、この二つの河川に滑り込むようになだらかな傾斜地になっている。どのくらいの傾斜かというと、緑が丘の境界に面している立源寺から緑ヶ丘小学校(昭和12年の開校で今日でも「ヶ」を用いている)までの約二百三十メートルの坂の高低差がおよそ十二メートルある。この傾斜は南向きになっており、見晴らし、日当たりとも、住宅地として格好の環境となっているのである。

この町を歩くと、道路が碁盤の目のように整然としているのに気付く。大正から昭和にかけて、つまり東横線や大井町線の開通と前後して、耕地整理が巧みに行われたのである。その結果、多くの新住民が移り住むようになり、自然林に囲まれた緑が丘は宅地として発展した。一時、海軍の軍人がたくさん集まったので、別名、「海軍村」と呼ばれたこともあったという。
引用サイト: こちら




こちら


呑川

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丑川・・九品仏川

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九品仏川緑道の一部、自由が丘駅付近
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岡田家長屋門



現在も個人宅として使われている岡田家は中根公園に隣接するうっそうとした屋敷林に囲まれた場所にあります。

『この坂上には立源寺があり、かつてこの周辺を「寺郷」といった。また、この坂は江戸時代、九品仏へ向う道で、この辺りに水茶屋があったため「衾の茶屋坂」とも呼ばれていた。』
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九品仏
九品仏は、浄土教における極楽往生の9つの階層(九品浄土)を表し、浄土三部経のうちの『観無量寿経』に説かれたもの。
中国伝来の人物などの鑑定法の上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)の3つに大きく分け、これら一品ずつにまたそれぞれ上中下の三品があるという考えがルーツで、上品上生 (じょうぼんじょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生の九品に分けられ、下品下生の人は、五逆罪・十悪を所作し、不善を行って地獄に堕すべき者とされたのです。
俗にいわれる上品・下品(じょうひん・げひん)の語源となった言葉。


引用サイト:世田谷区にある浄土宗の寺、九品仏浄真寺   こちら





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Last updated  2026.05.27 00:00:06
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